夢見る彼の人へ (傾:ほのぼのでシリアス)


メッセージ一覧

1: takya (2004/04/08 07:14:55)[takya27 at yahoo.co.jp]


 夢の中で、夢を見る。
 それが夢と知りながら。
 これは夢と言いながら。
 流れるように、たゆたうように。
 誤魔化すように、嘘を浮かべて。
  
 いつかの、日々の、夢をみる



      夢見る彼の人へ



 衛宮士郎の朝は早い。
 一人暮らしで毎日の朝食を用意せねばならない以上それは当然の事であり、ついでにほぼ毎日自分の家に通ってくれる人や居候が増えた現在においては最早必然の義務になっている。
 だがしかし自分とて限界の存在する人間であり、夜更かしなどを繰り返すことがあれば当然例外は生まれるわけで。
 つまり、まあ。
「……寝坊した」
 ぼんやりと呟く。
 やっと回転を始めた頭をはっきりさせるように軽く振りつつ周囲を見ると、見慣れた土蔵だった。
 どうやら日課の鍛錬の途中で寝てしまったらしい。 
 最近は体の調子も悪くないし鍛錬後にそのまま寝入るような事態もなかったんだが。
 昨日ロンドンより久しぶりに帰ってきた遠坂と、皆で遅くまで騒いでいたのが悪かったかもしれない。というかそれが原因だな、絶対。
 うむ、と頷き、身を起こそうとした所で、
 
「おきろー!」

「うわっと、なんだなんだ」
 どばーん、と土蔵の扉を思い切り開けて飛び込んできたのは、イリヤだった。
 朝っぱらから元気だなあ、と思う間もなく抱きつかれる。
「シロウおはよー」
「っとと。おはようイリヤ。悪いな、寝坊した」
「それは別にいいけどさ。あ、朝ごはんはね、リンとサクラが作ってるよ。だから早くいこ?」
「何?」
 桜はともかく、遠坂だって?
 アイツ、朝は弱かった筈だが。外国生活で早起きのスキルでも身につけたのだろうか。
 まあいい。イリヤが来たって事は朝食の仕度は既に済んでるかもしれないが、手伝えることもあるかもしれない。
 家主なのに任せっぱなしというのも心苦しいしな。
 抱きついたままのイリヤを軽く離して起き上がり、笑顔で差し出してくる手を掴む。

「さ、行こっ!」

 土蔵を後にした。


 
 居間を後にしたくなった。
 おはよう、と言いつつ室内に入った瞬間、感じたのは視線だった。何故か恨めしそうに無言で俺を見るセイバー。や、今日の朝食は俺じゃないからそんな物欲しそうな目で見ないで欲しい。
 視線を逸らす様に台所に向けて、また後悔。

「流石ですね、姉さん。やっぱり一人暮らしが長いとお料理の上達も早いんですね。一人だし」
「あら。私は昔から一人暮らししてたわよ? 桜こそ、そんなにはりきって作らなくていいんじゃない?」
「いえいえ。食べてもらえる人がいるというのは幸せですから。無理してるわけじゃないですし」
「それもそうね。あはは」
「ええそうです。うふふ」
 
 何やら和みつつ殺伐としてらっしゃる。
 前方に姉妹、脇に空腹セイバー、背後というか背中にさりげなくイリヤ。
 かなりまずい布陣だった。ていうか、
「イリヤ」
「なによー。シロウの背中おっきくて好きなんだもん。いいでしょ? それとも私、重いの?」
「そんなことはない」
 へへー、と一層しがみついてくるイリヤ。
 セイバーの視線が更に鋭くなったりするが、イリヤに関しては既に諦め半分なので殺気はない。
 まあ、まだ来てないらしい藤ねぇに見つかったりすると、また教育的指導! とかってサンドバックにされそうなんだが。
 だったら止めさせればいい、と皆は言うのだが、イリヤの懇願にはどうにも弱い俺だった。

「と、ところでなあ、ライダー」
「はい?」
 我関せず、といった様子でテレビに視線を向けていたライダーに尋ねる。
「どうしたんだ、台所のあれ」
「サクラですか? どうやら昨日のリンの夕飯でサクラも色々と刺激されたようで、朝食は一緒に作ると」
 確かに遠坂が腕によりをかけた夕食は絶品だったが、刺激って。
「あと今朝リンが幸せ太りがどうこう言ってから雰囲気がおかしく」
 納得。したくないけど、追求もしたくなかった。

「――それはいいのですが」

 と、ずっと俺のほうを睨んでいたセイバーが痺れを切らして話しかけてきた。
「あのようにお互い牽制し合っていて朝食の準備が遅れているのはどうかと思うのですが」
 思うのですが、と発言しつつもその目は『空腹ですこれ以上は待てませんよ』と言わんばかりの輝き。
 俺はその静かな迫力に押されるように一歩下がる。イリヤはいつの間にか自分の席についていた。素早い。
 そのとき視界の隅で、テレビに釘付けだったライダーがこちらを向く。あ、やばい。
 ふ、と唇を吊り上げるライダーの気配に気付いたのか、セイバーが振り向いた。
「はしたないですねセイバー。仮にも騎士王と呼ばれた人が」
「何か――」
 ちゃき、といつの間にかフルアーマーですよセイバーさん?
「言いましたか? ライダー」
「いえ別に」
 そう反応しつつライダーは立ち上がる。
 セイバーも立ち、お互いじりじりと距離を取りつつ向かい合う。
 イリヤは、また始まったと言いたげに二人を眺めている。
 台所は奮闘中。俺は硬化中。

 口火を切ったのは、ライダーだった。

「だいたい貴女は燃費が悪いのを自覚した方がいい。――ああ、だからいつも寝ているのですね。確かにそれは正しい」
「貴女のように夜な夜な補給に出掛ける趣味持ちに言われたくはありません。まあ今は皆に諌められて止めたようですがね。だいたい私はこの家の守護も勤めているのです。軽々と外出するわけにはいきませんし、休息は取れるときに取るものです」
「外出、ですか? もとより貴女の出掛ける場所などせいぜい商店街の飲食店くらいでしょうに。自転車にも乗れぬくせに。それで騎乗のスキル持ちとは聞いて呆れますね」
 それは、つい先日に判明した事だ。というか、彼女の時代の乗り物といえば馬が基本だったのだから、自転車については素人で当然だと思うのだが。思うのだがライダーは乗れるんだよな。何故だろう。
「ふん。そんなものに乗るより、駆けたほうが早いのですから必要ありません。それより貴女こそ、サイズを合わせるのが大変なのではないですか、ライダー? それこそ騎兵の名が泣きますね」

 ばちばちばちばち。

「まてまてまて落ち着け二人とも」
 最早発生原因とは関係ない因縁に発展しそうな言い争いを止めに入る。
 セイバーとライダーは仲が悪い。否、相性が悪い。
 お互いに嫌悪しあってるわけじゃないし、好戦的なわけでもないんだが。
 負けず嫌いというか、なんというか、サーヴァントとしての誇りとか云々で、一度出した手は引っ込みがつかない二人。そして割と根に持つタチの二人。
 セイバーがライダーの手足のリーチの長さについて色々と触れたり(本人は誉めてたつもりらしい)
 ライダーが買っておいたタイヤキをセイバーの分まで食べてしまったり(いらないと言う本人に進めたのは俺でついでに余分に食べたのは桜だった筈なのだが)しているうちに意地の張り合いが加速してしまい、最近はずっとこのような関係が続いていたりする。ああ胃が痛い。
 ま、戦闘開始されるよりはマシ、なのかなあ?
「挑発は止めろってライダー。セイバーも、もうすぐご飯出来るからおとなしくしてろ」
「む」
 ライダーはすぐに争いを止め、再び席に戻る。対するセイバーは不満顔。いや、あれは喧嘩の事ではなく『私は空腹で騒いでる訳ではありません』と言いたいに違いない。
 鋭い視線にたじろぐ俺。
「はは、よし、俺も朝食の準備手伝うか。もう少しかかりそうだし、何なら俺も一つ二つ手を加えて――」
「シロウ」
 生真面目な顔で遮るセイバー。うう。やはりセイバーに食いしん坊発言するのは禁句なのか。

 ――と、そこでセイバーはふわりと極上の笑みを浮かべた。

「シロウの料理は、私にとって大変好ましい。その、リンやサクラの料理も美味しいのですが、シロウの料理もあればとても嬉しいのですが」
 なんて、少し気恥ずかしげに言ってきたり。
 いきなりご機嫌になってちょっと戸惑う。なんだかんだ言ってセイバーは綺麗だし、笑うと破壊力が。
「う、あはは、そうか」
 照れる。がすぐに硬直。
 刺すような視線。辿ってみると、台所で奮闘中だった姉妹がじっとこちらを見つめていた。

 じっと。
 じーっと。

「あ、はは、はははは」
 何故か乾いた笑いを浮かべつつ後退。
 だが、逃げてもどうしょうもない。
 仕方ない、と覚悟を決めて歩き出す。
 途中でライダーが、なんでもないことのようにテレビの方を向きつつ声をかけてきた。 
「――士郎。無理は、しないほうがいいと思います」
「ん? ああ、大丈夫。桜も遠坂もいるし、手を抜くつもりは無いけど作り過ぎたりはしないよ」
 手を振って、台所へ。

 ――なんですかライダーいえ別にもー二人ともごはんくらい静かに待てないのそれでもレディのつもりなのえーレディでもゴーでもいいから早くご飯食べたいようってうわタイガいつ来たのよ!?

 とたんに騒がしくなる背後に苦笑いしつつ、俺はよし、と気合を入れた。
 まあなんだかんだ言ってみんなに美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。二人の腕に勝つのは難しいが、それでも喜んでもらえる料理を作るとしようか――




 ――そして、慌しい朝が過ぎ、昼になる。
 暖かな風に、花が揺れる。
 空を覆うかのような満開の桜。
 立ち並ぶ桃色の木々。

 俺たちは、花見に来ていた。

 なんて、別に大仰に言う事でもないのだが。

「ふふーん。やっぱり花見っていいわよねー」
「タイガはお花の中でお酒とご飯食べてるだけじゃない。花を見て風情をたのしむのが花見だって思うけど?」

 外国人に花見について諭される生粋の日本人。だが藤ねぇは喜悦の表情で食べ続ける。ていうかイリヤ、食べ物を前にした藤ねぇに情緒とかを求めるのは無理があると思うぞ。
 隣でこくこく頷いてるセイバーも似たようなものだが。 
 もう一方の日本人代表である桜は、酔ったあかいあくまを相手に苦戦中。さっきまでヤツは俺に絡んでいたのだが、いきなり抱きついてきた所を慌てた桜に引き剥がされターゲット変更。仲睦まじく見えなくも無いジャレ合いを続行中だった。

「や、だめ! やめてください、姉さん」
「ふふーん。まあったく桜ったら。一体ドコをどーしたらこおんな柔らかい体になるのかなあまったく」
「ちょ、そんなとこ、ダメです! やめ――」

 ……まあ、もっと妹とスキンシップが取りたいという願望が酔いによって引き出されているのだろう、と微笑ましい方向に考えておこう。
 あ、遠坂が桜の胸を掴んだ。ぐよん、というよくわからない脳内効果音と共に大きな胸が形を変えるのが視認できる。ていうかするな俺。
 真っ赤で半泣きの桜と視線が合いそうになって全速回避。微笑ましく眺めたりなんかしたら絶対後で桜に怒られる。 
 逸らした先にはライダー。杯を片手に花を眺めている。雅だ。
「? どうしました、士郎」
「いや、ライダーが一番花見っぽいなあってさ」
 ふむ、と頷き他の面々を見回すライダー。
 実の姉に服を剥がされそうになって助けを求めている己が主を優雅に無視して微笑む。

「――この国には、花より団子、という言葉があるそうですね」
「何故私のほうを見て言うのですかライダー?」
「いえ別に」

 悲劇は繰り返すっぽい。
 人目があるんだから変身とか戦闘はやめろよー、と声をかけつつ。

 俺は空を仰ぐ。
 桜色に舞う欠片の間を埋めるように青が広がる。そんな幻想の空。
 あまりにも穏やかで、あまりにも平和で、だからこんなのは、
 
 ――――じゃ、ないか、なんて

 ふいに瞼が重くなる。
 あ、マズイ、と思うのと同時に。
 意識は穏やかに沈んでいった。




 瞼を上げれば、目に映るのは静かな空。
 穏やかな春のような綺麗な世界。
 眠りかけのような呆とした風景の中で、桜の花が、舞う。
 そうして俺はようやく、動かない体を自覚した。

「――あれ」

 呟きに力はなく。声は微か。視界は霧か幻のよう。
 けれど、何故かとても安心している。なんだろう、これは。

「士郎」

 声が。聞こえる。

「ライダー?」

 薄い視界に映るのは、さらさらと流れてゆく髪。宝石のような瞳。

「なんだろ、これ」

 呟く。
 呟きが届いているのか、そもそも声になっているのかあやふやだったが、彼女はこくん、と頷いてみせた。

「疲れているのでしょう。ゆるりとお休みください」
「みんなは? 折角の花見なのに、こんな寝ちゃって……あれぇ?」

 そう言いつつ、体は動かない。鉛のように重いとか、そういうワケでなく、ただ起き上がれない。

「気にしないでください、士郎。今は、ただ、ゆっくりと休んで」

 声が近い。のに、どこか遠い。
 他に喧騒は聞こえない。先ほどまであんなに騒がしかったのに。
 彼女たちは何所だろう。
 ……彼女たち、って誰だったっけ?
 思考ができない。
 だから、俺は。

「……おや、すみ、――――」

 思い出せない彼女の名を囁いて、仕方なく体の力を抜いた。
 なんだろう。頬が、熱い。何故か指先にも、似たような熱を感じる。
 泣いているのは誰だろう。自分の目から零れて消える雫の名はなんだったっけ。
 世界が曖昧になる。
 ゆらゆらとゆれて、ながれて、視界は再び安息へ。
 そうして落ちた意識の向こうで、微かに優しい声がした。

「おやすみなさい、士郎。どうか――どうか、良い夢を」




                                   後編へ

2: takya (2004/04/08 07:18:09)[takya27 at yahoo.co.jp]


 衛宮士郎の朝は早い。
 加えて言うなら遠坂凛の朝は遅い。朝は弱いのだ。しょうがあるまい。
 だから士郎の寝顔なんて見たのは二年前とかあいつが気絶なんかしてた時ぐらいのものだ。
 この家に泊まる事はあっても、起きたら既に士郎なり桜なりが朝食を作っているのが常だった。
 だいたい昔は朝食べない派だったのだ。そりゃまあこの家の食事は美味しいし用意してあるのなら食べるのも吝かではないが、自ら作ろうとは思えない。のだが。
 さて、この家の早起き担当よりも早く覚醒して朝食の用意なぞ済ませてしまったのはどういうことか、と作り終わってから思う私。
 まあ私が早起きしたのではなく、みんなが寝坊してるだけなのだが。
 昨日……日付は既に今日だったが、一緒に寝た妹は未だ眠りの中。昨夜遅くまで起きて話をしていたという条件は同じなのだが、徹夜も珍しくなかったりする生活を過ごしている自分の勝ちという所か。余り嬉しくも無い事実だったが。
 
「……思考が無秩序ね」

 敢えて呟く。朝早くすっぱりと目が覚めようが、時間的に寝不足なのは変わらない。
 どうもまだ頭がうまく回っていなかった。
 まあいいや。作ったものはしょうがない。しかし、未だに誰一人起きて来ないというのはどうなんだろう。私がいない一年の間に衛宮家の面々は不精になってしまったのか。
 ……あ。

「士郎も、まだ寝てるのよね」

 ふいに思考がクリアになる。
 衛宮士郎を起こす。そういえばやった事はなかった。
 うん、中々楽しそうじゃない。
 私はふふ、と笑って、台所を後にした。 


 歩きながら、色々な事を考える。
 ここを離れていた一年で、何か劇的な変化があったかというと、そうでもなかった。
 私は私の目指す通りに魔術師として日々精進、鍛錬に研究に発見。新たなものはどんどん見つかるけれど、魔術師としての向上を目的としている自分にとってそれは当然であり必然だ。成長と変化は少し違うものだと思う。

 こっちの面々、士郎や桜、藤村先生も相変わらず。
 背が伸びて随分と男らしくなった士郎とか、同じ遺伝子なのに憎たらしいくらい柔らかそうな体つきになった桜とか、理不尽なくらい変わってない藤村先生とか、ちょっと言動がお茶目というか前みたいな冷徹さが大分抜けたライダーとか。言葉にすれば色々あるが。
 あるのだが、それでも再会の折に『久しぶり』と笑顔で交わせるお互いであるのなら、それはきっと対した違いではないだろう。或いは幸せな変化ならそれは喜んで迎えるべきものだし。
(士郎と桜は、だいぶマシになってくれたしね)

 一年前を思い出す。
 出発の前日、私は士郎に尋ねた。
 あの子を幸せに出来るか、と。
 確かに桜は士郎が傍にいてくれる事で再び笑うようになった。けれど吹っ切れたとは全然言えないままで。
 あの戦いの、流石に誤魔化しきれない部分の爪痕が、勝手な解釈と共にニュースで語られるたびに悲壮な顔をしていた。
 士郎は随分頑張っていたと思うけど、理想ばかり追っていた彼が己の幸福を求めるというのは難しいのか、彼の心の在り方は未だに『桜の為に』というだけの自己犠牲に近いものだった。
 その事を士郎も自覚していたのだろう。かなり悩んだ挙句、あいつは真面目な顔で、がんばる。とだけ答えた。それから一年。

 再会した昨日、桜に幸せか、と聞いた。
 あの子は笑って、幸せです、と答えた。

 それで全てが癒されるわけでも、赦されるわけでもないけれど、それでも私は良かった、と思った。
 ついでにその夜、士郎にもう一度尋ねてみた。
 あの子を幸せに出来ているか、と。
 士郎は、

『取り合えず今、俺は幸せで、桜も幸せだと思うけど、まだまだ足りないよ。もっと、強く。二人で幸せになる』

 などと相変わらず真面目くさった顔で答えてくれた。
 私はその答えに満面の笑みを浮かべ、クサすぎるわよ士郎、と思い切りからかってやった。

 周りの幸福のみを願い、己の全てをかけて戦おうとした衛宮士郎は、もういない。
 そこにいるのは自分と大切な人達が幸せであるようにと、罪を背負い、日々を精一杯に生きている弱くて強い衛宮士郎だ。
 かつてのような、ただ真っ直ぐに掲げた理想を追い求めていた姿。
 生きた『人間』というよりも『理想』そのものになろうとしていた衛宮士郎に比べれば、それはなんと泥臭く――そして、なんと人間らしい姿か。
 人、っていうのはそういうものだと私は思う。
 悩むこと。苦しむこと。それでも幸せに生きたいと、心から思うこと。
 どれだけ不器用でも、危なっかしくても、自分自身を幸せの勘定に入れられるならば衛宮士郎は大丈夫だ。根拠もないけれど、そう思う。
 ……が、まあ、それはそれで見ていてムカつくというか、別に嫉妬しているとかそういうんじゃないんだけど、ないと思うんだけど。むう。
 あ、いかんいかん。落ち着けわたし。
 困惑しそうな思考をとりあえず中断して、これからの行動に気持ちを切り替える。

 さて、どうしようか。
 久しぶりに色々とからかってみるのもいいかも知れない。寝起きを弄るなんてなかったし。桜はほんわかした見かけのわりにかなり嫉妬深いほうだし、二人のどたばたを眺めつつ朝食なんてのも悪くない。
 いや、別に好きな子を苛たがるイジメっ子心理とかじゃなしに、となんとなく自分に言い訳しつつ、私はきっと騒がしくなるであろう朝食風景を想像した。
 笑顔になりそうなのを堪える。そうすると何か企んでる様にしか見えないと昔友人に言われた気がするが無視。
 足取りも軽く士郎の部屋を覗き、ため息を一つついて土蔵に足を運ぶ。


 そして、その光景を目にする。


 どんな思考を浮かべるよりも先に、ただ目を奪われた。
 朝。差し込む光。埃っぽい土蔵。散乱するのは、がらくたにしか見えないオブジェ。
 その、中で。二人は日常とまるで違う場所にいるかのようだった。
 士郎とライダー。よく知っている二人。けれど見知らぬ二人。
 ライダーは、士郎を膝に乗せ、ただ彼の寝顔を眺める。士郎は穏やかな眠りの中。そんな彼をみつめる瞳は、あまりにも優しく、しかしそれは、恋人同士のワンシーンというより――まるで、聖母の絵のようだ、と思った。
 穏やかな朝の静寂。破ったのはライダーだった。
 ふいと瞳が動く。宝石のような輝きは変わらず、いつも通りの色の瞳。
 不思議そうにこちらを見て。

「――どうしました、リン?」

 ふう、と息を吐き出す。呼吸さえ疎かになっていたらしい。まったく。
「……それ、こっちの台詞。士郎を起こしに来た……んだけど、別にいいみたいね」
 答えながら、土蔵に入っていく。なんだか知らないが凄く驚かされたのが悔しくて、士郎を蹴り起こしてやろうかなどと物騒なことを考えた。が、再び思考停止。
「――どう、したのよライダー」
「何がですか?」 
「目の所――泣いてるじゃないの、貴女」
 彼女の瞳から頬を伝っているそれを指差しながら言う。

 泣く。サーヴァントが涙する?
 ありえない、ことではないと思う。思うけどありえない。
 私の知っているライダーは、無感情ではないけれど表に出すほうではない。
 それが、こんな、朝っぱらの何気ない時間に泣くだなんてありえない。
 ライダーは自分の頬に手をやって、やっとそれに気付いたらしい。頬から零れた雫は、ライダーが握っている士郎の手に落ちている。ライダーは、深く微笑んで零れる涙を拭った。
「……いえ。これは恐らく、夢の中の士郎の感情に引き摺られたものと思います」
「は?」
 なにそれ、と問いかけて思い出す。
 そういえば彼女は夢に干渉する力があったっけ。
 それは確か生気を吸うとかそういう類の能力だった筈だが、この微笑を見てはそういう事だなんて思えない。
 思わず士郎の寝顔を見つめる。
「……なんだか物凄く平和そうな顔してるけど。恐い夢でも見てるっての?」
「いえ」
 ライダーは、何故か逡巡するかのように首を振り、
「いえ……倖せな、夢だったと思います。昨日の、花見のようでした。花が舞い、サクラが綺麗で」
 ますますわからない、という顔の私に、ライダーは静かに、

「もう、二人。懐かしいかたが、一緒にいました」

 言葉につまる。
 二人とは、即ち、あの二人だろう。
 詳しい事情は知らないが、彼を兄のように慕っていた少女と。
 何よりも彼を信じ、彼が信じていた騎士の少女。
 春を待たずして消えた二人。

 あの戦いで、喪われた二人。

 起こった事を知ったのは全てが終わった後。
 イリヤは、士郎を助けるために命を賭けた。
 彼女の生。聖杯。アインツベルンの願い。魔法。
 他に最善があったのかも知れない。けれど全ては過ぎた後。取り戻せたのは士郎だけ。
 それなりに好きになれていたので、文句つけたいこともあったけど、最後の最後に自分を裏切れなかった私も同類なわけで、ただ士郎を助けてくれてありがとうとしか言えない。
 士郎が、イリヤは笑ってた、と言ったのが、全てなのだろう。そう思うしかない。

 そしてセイバーがどうなったのか、教えてくれたのはライダーだった。
 彼女がどうなったのか。その最期が、誰によってもたらされたのか。
 士郎には聞かなかった。聞けなかった。だって士郎は、笑ってた。笑わなければ全て嘘になると言いたげに、全力で。
 だから聞かない。あの二人の強い信頼を知るからこそ、最後の瞬間の葛藤が、決断が、想像も及ばぬほど凄絶であると思うから。 

「――全く、夢の中でしか泣かないなんてほんと馬鹿ね」
 未だ眠る士郎の傍にしゃがみこんで、ぴん、と額を弾いてやる。
 それでも表情は変わらない。穏やかに、そう、とても穏やかに。
 夢の中で泣いているときでさえ、笑顔で。
「ちゃんと泣けばいいのに、さ」

「いえ」

 鋭い否定。
 私が驚いてライダーを見ると、一瞬動揺したようだがすぐに首を振って私の目を見た。
 眼鏡越しの魔眼。魔力の放出はないけれど、それでも宝石のようなその瞳に感情の色が浮かぶという事実に少し驚く。
 そしてライダーは、揺らがない事実である事を確信した瞳で、静かに言った。




「士郎は、泣きません。絶対に」




 思わず声に出した台詞に驚いた表情のリンを見て、逆に驚く。自分は、何を言おうとしている?
 少し迷う。これは、サクラも知らないこと。サクラだけには知られたくないことだ。姉であるリンに話すべきか。
 だが、言い切ったからには追求されるだろう。ならば、話してみるのもいいかも知れない。
 この日常に強い不満などないけれど、彼女の存在が更に良い方向へ導いてくれるかもしれない。
 その逆はまずありえないだろうし。
 だから、私は言葉を続ける。
 『士郎は泣きません、絶対に』と。 
 それだけは確かだった。サクラより共にいる時間は短く、ヒトの感情というものに未だ疎い所のある私だけれど、それだけは確信を持って言える。

「その資格が無いとでも思っているのかは私にも判りかねますが、少なくともこの二年、士郎が自分からあの二人の話をしたことはありません」

 それもリンそしてタイガに聞かれた、ただ二度だけだ。
 リンにはともかく、タイガには帰ったと伝えてあったのだが、食事のついでにぽろりと出てきた、そんな何気ないやりとりだった。
 何故かその時の事は深く刻まれている。
 だが、覚えているのに思い出せない。「かえったんだ」と言った彼が、笑顔だったのか、悲しそうだったのか、怒っていたのか、泣いていたのか。
 タイガは特に深く聞かなかったから、ヘンな表情ではなかったと思う。
 けれど追求もなかったから、普通の表情でもなかったのかもしれない。
 その時に感じた士郎の鉄のような言葉だけが残り、彼の表情は思い出せない。
 もしかしたら、目をそらしていたのかもしれないと思う。記憶は自分の都合に合わせているのかもしれない。
 その問いが出たのがもうだいぶ前。彼の体調がなんとか最低限の調子を取り戻した頃の事。
 それからの日々。あの二人の名前を聞いた事は一度もない。

「これからも、ないと思います」

 そう宣言したわけでも、心を覗けるわけでもないが、そう思う。
 恐らく彼は、彼女らについてなんらかの誓いを立てているのだと思う。忘れぬ為に。けれど思い出さぬ為に。その存在に、確かにあった温もりに、悲しみも後悔も持ち込まぬように、ただ一滴の穢れも許さぬように。
 だから彼は、彼女らについて語ることを望まない。釈明も救済も求めない。たとえ罵られようと贖罪さえ認めぬだろう。
 何があろうとその罪を胸に刻んでいくことを決めているのだ。

「恐らく、士郎に赦しは与えられません。彼が望んでいない以上、どんな赦しも赦したりえない。だから、救いがあるとすれば一つだけ。そうまでして護った、サクラの笑顔こそが彼の救いなのでしょう。だから、彼は話さない。思い出さない。泣きもしない。たとえ思いの一粒とて、それがサクラの笑顔を曇らせる可能性があるのなら決して見せません」

 それは茨の路だ。
 まるで、傷つくために歩むかのような長い路。
 サクラの罪を知り、それを赦し、共に背負う事を誓いながら。しかし彼の懺悔は誰にも届かない。
 けれど恐らく、それを問うた所で、それでいい、と彼は笑うのだろう。
 自分が決めた路だから。背負うと決めた罪だから。ただサクラの幸せのために、己を賭けた彼だからこそ。
 後悔はあるだろう。
 悔しさは消えないだろう。
 己が理想を踏み躙り、罪を背負い、傷つく日々は終わる事もない。
 それでもきっと、彼は笑う。
 幸せだから。サクラがいてくれて、今が幸せだからと、胸を張って言うだろう。

「彼は、強い。……けれど、深い、深層の奥で、時折何かが揺れる時があります。士郎とて、脆い部分はあるのですから」

 完全ではない。当たり前だ。彼は人間なのだから。
 空っぽの完全から、満たされた不完全へ。
 迷い無き剣は、鞘を得て恐れる事を知った。
 だがそれでこそ、人間。
 臆病さも、不器用さも、そしていざ意志を決めたときの比類なき強さも、己の意味を見出してこそだ。
 けれど、だから、それ故に迷う心は時に負の意志を呼ぶ。
 彼の強さを以ってしてもそれは例外でなく、

「そして、そんな時は、彼を包む安らぎが、少しだけ霞んでしまう」

 それはほんの微かな違和感。
 そこだけ気温が少し違う気がするという程度の小さなもの。
 サクラは気付かない。サクラだけには気付かせない。
 だって、そういう時こそ幸せそうに、いとおしそうに衛宮士郎は笑うのだから。
 君がいてくれてよかったと、そんな何気ないことをこの上なく大切そうに言うのだから。

「だから、私は……彼に」

 その、想いに。
 彼に決断を迫った者の一人である自分に言えることは何一つなく。
 彼の騎士を最期に導いた共犯である自分に出来ることなど何一つない。
 だからせめて。せめてひとつだけ。
 たとえ自己満足だとしても。
 本人に知られれば、拒絶されるだろう事だとしても。
 ただ穏やかに。春のような、花のような、まどろみの夢を彼に送る。
 まやかしで、ごまかしだけど。けれどそれが私に出来る精一杯の小さな――

「彼への、自己満足の謝罪なのです。彼の眠りが、どうか穏やかにあるようにと、それだけの。これくらいしか出来はしませんが」 

 静かにそう呟いて、私は言葉を止める。
 語るべき事は語った。あとは聞いた者の問題。
 リンはとても強い。眩しいほどに。だからきっと大丈夫。留まる時間は僅かでも、それに負けぬ強い光を二人に与えてくれる筈。
 などと思い、それ程に深く彼の、彼女らの事を考えている自分に苦笑する。けれどそれは嫌な変化ではなかった。

 リンは暫く考え込み、うん、と一つ頷いて――何故か軽く嘆息したようだった。
「やれやれ。しかしまあ思わぬ伏兵、どころじゃないわね、これは」
「?」
「なんでもない。……ま、今はいいわよ。それよりも朝食、出来たから。桜もそろそろ起きると思うし、取り敢えず行きましょう。眠れる王子様を起こして、ね」

 私が頷くのを確認するまでもなく、リンは土蔵から出て行った。
 外の光は暖かい。よし、朝が来たならば彼を起こそう。きっと朝の陽だまりこそが衛宮士郎には似合うから。
 私は未だ夢の中にいる彼を見下ろす。

 静かな眠り。
 もう少し見ていたい、と不意に湧き上がった奇妙な感情を誤魔化すように。


 私はそっと、穏やかに眠る彼の人に手を伸ばした。



END

3: takya (2004/04/08 07:19:09)[takya27 at yahoo.co.jp]



 夢を見た。
 夢見たものは、なんだったのか。
 花を見に行きたい。
 そう言ったのは、いつだったろうか。

 掴んだものは、どこにある?




       さくらのゆめ




 遠い呼び声。ゆっくりと、ゆっくりと、揺り篭がゆれる。
 浮上する意識。覚醒する自我。目覚めは自然に訪れる。

「――士郎」

 ぱちり、と目が開いた。思考は割とはっきりしている。良く眠れたみたいだ。
 視界に映るのは、頬をくすぐる綺麗な髪と、宝石みたいな瞳。
 さて。

「……えーと、ライダー?」
「はい」

 落ち着いて返すライダー。はて。はてはて。この状況は何?

「膝枕、かな」
「そうですね」

 うん。仰向けに寝ている俺。目線を上にやればライダー。周りを見れば土蔵。頭の下は枕みたいにヤワラカイ。うん。大丈夫。俺は正常。
 ――うん?

「ってなんで!?」

 思考が沸騰する。ええと、昨日は遠坂で宴会で遅いから鍛錬を待て待て待て。
 落ち着け衛宮士郎。落ち着いて対処せよ。
 よし。
 昨日遠坂が一年ぶりに帰ってきて、みんなで花を見ながらちょっとした宴会が夜まで続いて、俺も疲れてたけど一応習慣として土蔵で鍛錬して、結局眠くなってそのまま、と。よしOK。
 で、顔をあげるとこちらを覗き込むライダーってうわわ。

「どうしました士郎?」  
「かかかお、かお! 近いって!」
「――はあ」

 小首を傾げつつ顔をちょっとだけ離す。もう少し離れてくれると色々とありがたいのだが。
 俺はなんとか頭を変に動かさずに起き上がるべく、そっと力を入れる。

 ――その頬に。少し冷たい手が触れた。

「――」
「よくわかりませんが少し、落ち着いてください士郎」
「あ、ああ……」

 なんだか懐かしいような感覚に、ふう、と気を落ち着ける。
 土蔵の中。朝の光。そうか、朝か。なら、起きないと――

「ねえ。いつまで仲良くしてるのかしら?」

 声。思わず飛び起き――ごちん!

「「――――っ!」」

 互いの頭部が激突。
 二人で思わず額を押さえ悶絶。

「っつぅ……。あー。す、すまんライダー!」
「――い、いえ、こちらこそ」

 頭を振って返すライダー。額だったから眼鏡は割れてない。あーよかった。いや、よくはないけど。不幸中の幸い。

「……何やってんだか」

 呆れたような声に、土蔵の入り口を見やる。腕を組んだあかいあくまこと遠坂凛が、半眼でこっちを見ている。というか今のは半分お前のせいだろうが。

「いたた。……ったく。何するんだよ遠坂」
「自業自得でしょ? そんなにライダーの膝枕が良かったのかしら?」
「ばっ、ちがっ! これはだな」
「あーはいはい。別に言い訳はいらないの。折角このわたしが朝食作ったんだから、さっさと起きなさい」
「……遠坂が朝から料理?」
「何よ?」

 いやいや、珍しいこともあるものだ。海外生活で朝も強くなったのかなと思いつつ、今度はさっきより気楽に起き上がる。ここで変に緊張するとまたあかいあくまに突っ込まれるだろうし。うん。

「……ま、いいけど。わたしは桜起してくるから」

 と、そのまま土蔵を出て行く遠坂を見送り、立ち上がって大きく背伸び。
 よし、と気合をひとつ。
 座ったままのライダーに手を差し出して、立ち上がるのを支える。

「――ところで、なんで膝枕?」
「いけませんでしたか?」
「いや、そういう風に言われるとなんていうか……ま、いいか。俺たちも行くか、ライダー」
「はい」

 頷くライダーと一緒に、外へ。
 土蔵を出たところで。

「あ」

 振り返る。空には暖かな太陽。きれいな春。やさしい朝。
 言い忘れていた。

「おはよう、ライダー」

 ライダーは、何だかこちらを眩しそうに見た後、微かに口元を緩めて、
「おはようございます、士郎」
 と返してくれた。 




「うぅー」

 唸り声が、ひとつ。恨めしいというより、可愛らしい、と形容したくなるのだが、さて。

「なあ桜、そうむくれるなって」
「むくれてないです。でも、あのですね、先輩。あの、わたしだって早起きしてご飯作ろうとしたんです。したんですよ?」
「ああうん、それはわかってるから」

 どうやら寝過ごしたのを不覚と嘆いているらしい。
 ちなみに遠坂とライダーは、この居間に料理を運ぶために台所。俺も手伝おうとしたのに止められたのは、もしかしなくとも桜を慰めろという事か。
 なんでそんなに不満そうなのやら。もしや昨日遠坂が作った料理を皆で大絶賛していたのに対抗意識でも持ったのだろうか。

「まあ、遠坂の手料理なんて滅多に食べられないんだから。何より美味しいし。余りこっちにいられないんだし、作ってもらえるならありがたく食べればいいじゃないか」 
「……先輩は、あの」
「ん?」
「姉さんの料理の……いえ、わたしの料理、飽きちゃいました、か?」
「ぷっ」

 おずとずと言ってくる桜に思わず笑ってしまう。

「わ、笑わないで下さい。大事なことです」
「いやいや」

 何やら必死な桜。いや、そんな事絶対ないのにな。

「大丈夫。どっちの料理も比べられないくらい美味しいし、桜の料理に飽きるなんて一生ありえないから」
「――」
「どうした桜?」
「――い、いえ! なんでもないです!」

 あたふたと手を振る桜と首を傾げる俺。
 それからすぐに朝食が運ばれてきて、その話はお開きとなった。

 遠坂の料理は、やっぱり悔しいぐらい美味かった。



 食後の休憩、と縁側で横になる。
 春は、やっぱり暖かくて眠い。このまま寝てしまうのは勿体ない気もするけれど。
 桜と遠坂は話をしている。一年も離れていたんだし、一晩中だって話す事は尽きないだろう。俺も遠坂と逢うのは一年ぶりだけれど、しばらくは姉妹水入らずにしてやりたい。
 話をする姉妹。時折あがる笑い声。
 幸せだなあ、とそんな事を想う。

 春だ。
 春なのだ。幸せでなくてどうする。
 微笑を浮かべ、空を仰ぐ。

 ――よし。じゃあ約束だ。桜の体が治って、このゴタゴタが終わったら――

 浮かぶのはいつかの約束。彼女の望み。俺の願い。
 叶えられる筈のなかった約束。叶えてはいけなかった約束。
 それはとても簡単に叶えられるはずの、届かないゆめだった。

 それでも、選んだ。望み、掴んだ。
 空に手をかざしてみる。そこには、なんの変哲もない俺の腕。造られた人形の体ではあるけれど、違和感はどこにもない。
 あの赤い騎士の腕は、もうない。

 思い出すのは壊れた世界の果てのあいつ。霞む意識の中で見た、赤い背中。
 
 ――その罪は必ず、おまえ自身を裁くだろう。

 この腕に痛みはない。
 消えたのは罪か。それとも罰か。
 どちらも否だ。全てはこの胸に。それだけの事。

 それでも。
 それでも、幸せなのだ。馬鹿だと失笑されようが、こればかりはどうにもならない。
 叩きつけられた言葉に異論はない。ないけれど。

 だけどアーチャー。俺は胸を張るよ。誰も彼も守る正義の味方になれなかった俺だけど、それでも、本当に大切なものを喪わずに済んだ。だから、この胸を張って桜を守る。誇れなければ、それさえ嘘になってしまうだろう?
 そしてアーチャー、お前の助力に感謝を。お前は嫌がるだろうけど、それは俺の本心だから。

 目を閉じる。浮かぶのは近くて遠い背中。こちらを見据えている男。
 あの時。極限の最中、限界を超えてその赤を追い抜いた。
 掴んだのは、馬鹿みたいにちっぽけで、それでも世界中を守り通すより難しくて大切なもの。
 俺は、ほんとうにお前を追い抜けたのかな。

 胸の奥。呆れた様に俺を見るあいつは何も答えず何処かへ去っていく。
 蔑むような、羨むような、ささやかな一瞥だけが、そんな事は自分で考えろ、と告げていた。



「士郎」

 声。思考を中断してそちらを見ると、ライダーが立っていた。手には救急箱。はて?

「ライダー?」
「額を見せて下さい、士郎」
「額?」

 ああ、そう言えば朝ぶつけたんだっけ。
 
「いや、大丈夫だぞライダー。もう痛みも――つっ!」

 寝そべる俺の脇に座ったライダーが、軽く指先で額を押した。

「あざになっているようですが」
「いや、こんなのどうってことないから。それだったらライダーこそ大丈夫なのか?」
「私はサーヴァントですから」

 いや。めちゃくちゃ痛がってた気が。

「それに士郎はサクラの大切な人です。私が怪我をさせてそのままというわけには行きません」
「いや、ほら、大丈夫だって」

 手を伸ばしてくるライダーを、寝そべったままごろんとよける。
 
「……」
「……」
「えい」

 がし!
 
 頭を掴まれる。睨み合いは一瞬。そのままライダーは俺の頭を軽く持ち上げて膝に乗せた。
 ……え?

「らららいだー?」
「大人しくしてください」

 反論は許しませんとばかりに押さえつけ、額のあざになっている部分を冷やされる。いや、ありがたい。ありがたいんだが。あの姉妹がちらっとでもこっちを見たりしたらタイヘンな事に。
 ……騒ぐことも出来ず、俺はされるがまま。

「――悪いな、ライダー」
「いえ。士郎には大きな恩がある。感謝しきれぬほどに。ですから、この程度はお気になさらず」

 そう言って、ライダーは軽く額を撫でた。痛みはなく、暖かい。
 ふと、夢を思い出す。いつ見たのかも思い出せない、とても穏やかな世界のゆめ。
 あの夢も確か、こんな風に――


「ところで桜。貴女の愛しのカレが大変気持ちよさそーにしているけど、いいのかしら?」
「え? ――あーっ! 何してるんですか先輩!」

 思わず姉妹のほうを見ると、頬を膨らませた桜とあかいあくまが見えた。

「……うわあ」
「見つかってしまいましたね」

 しれっと言うライダ−。見つかったっていうか普通に視界に入る位置だったけどな。

「では、お気をつけて」

 なんて少し冗談っぽく言うライダーを半眼で見つつ、立ち上がる。
 さて、桜の所に行く前に、一つだけ。

「ライダー。俺だってお前にものすごく感謝してるぞ。俺に出来ない部分で桜を支えてもらってるし、俺も桜も守ってもらってる。俺は、お前のために出来ることがあるならしてやりたいって思ってる」

 ライダーは、ちょっと呆気に取られたようだった。いや、別に変な事は言ってないと思うんだが。そんなぽかんとした顔で見つめられると、どうも。ううむ。

「ま、まあ、そういうわけで、俺はライダーの事も家族だって思ってるからさ。そんな風に、変に気を遣わなくていいからな」

 それだけ言って、早歩きで桜のもとへ向かう。

「――はい。ありがとうございます、士郎」

 そんな、優しい声を背に。


 さて。こちらはどうするか。
 ふくれている桜を前に、考える。
 季節は春。外はいい天気。そうだな、それなら、

「なあ、桜。これから一緒に花を――」
「わ、わたしだって膝枕します。したいです。しますからね!」
「――――はい?」



 というわけで。
 俺は今、花見をしながら桜に膝枕されていたりする。やれやれ。
 さすがに晴れた昼前という事でいい場所もとれなかったが、まあ別に構わないだろう。桜も機嫌直ったみたいだし。
 二人きりで行くから、と言って出掛けた際の遠坂のあくま笑いを思い出すと色々と怖いものがあるが、取り合えず無視。

 今はただ、ふたり。
 しあわせを夢見る。
 
「櫻の花、綺麗ですね」
「ああ」

 微笑んで花を眺めている桜と空に舞う花弁を視界におさめて、忘れえぬように心に刻む。
 近く、遠く、花に風。春の匂い。君の匂い。幸福なゆめ。

「そう言えばさ」
「え?」
「やっと果たせたな。あの約束」
「……はい。そう、ですね」
「去年は遠坂の渡英やらでごたついてて、結局みんなで一回行っただけだったしなあ」
「そうでしたね」

 お互いに、抱えたものを誤魔化し、背負い、支えあいながら。
 俺たちは顔を見合わせて、微笑む。
 果たされたあの日の約束。

 いつか冬が過ぎて。
 新しい春になったら、二人で櫻を見に行こう―――

「なあ、桜」
「はい?」

 そっと。
 手を伸ばす。触れる。ささやかな感触。そこにいる、あたたかな君。
 ありがたい。素直にそう思う。なんて幸せな春。

 穏やかな春の空は、まるで理想郷のよう。

 けれど、俺たちが喪ったものは多く、取り繕われたツギハギだらけのそれは、油断すればあっという間にほどけてしまうだろう。
 だからいつか。このゆめを。この幸せを。ほんとうにするために。

「いま、幸せか?」

 問いかけに、桜は少しだけ目を見開いて、細めて、閉じた。
 何度も繰り返す問い。何度も返る答え。それは当たり前すぎて、その確認は脅迫じみていて好きではないのだけども。
 
「――はい、幸せです」

 それでもこの答えが返るたび、俺は君に感謝する。
 ありがとう。ありがとう。
 この手を握っていてくれて、ありがとう。

「もっと、幸せになろうな」

 ぽんぽんと、頭を撫でる。膝枕されたままで、この光景は、はたから見ればすごく滑稽な気がしないでもないけれど。

「私は十分過ぎるくらい幸せですけど。だけど、ええ。――幸せに、なりましょう」


 遠い遠い理想郷。
 願ったものは何だったか。手に入れたのは、喪ったものは何なのか。
 それを想うたび、いつかの罪はこの身を責め立てるけれど。
 辺りには満開の櫻。隣には大切な人。――俺達は、笑う。
 虚構にも似た優しい睦言を繰り返しながら、それでも日々は続いていく。

 喪った己の理想。手にしたささやかな理想。天秤にも掛けられない矛盾をゆらゆらと揺らしながら、俺たちは手を繋ぐ。
 今日は続き、明日は続き、そして遠い未来へと。
 傷つき迷い躊躇いながら手を繋ぎ、幸せに微笑む明日を探して俺たちは歩く。


 さくら舞う春の空、思い描くは遠い約束の理想郷。
 今はまだツギハギだらけのゆめだけど、それでもいつか。

 いつかきっと、そこに辿り着く日を夢見て。



END


後書き

 夢見る彼の人へ及び蛇足的後日談さくらのゆめ、読んで頂きありがとうございます。さくらのゆめは、いちおう夢見るの後編として半ばまで書き上げていたんですけど、タイトルが浮かんだときに、この話は目覚める前で終わったほうがすっきりするかと思って見送ったものです。初SSで前中後編というのも無謀かと思いましたし。
 それはそれでいいと思ってたんですけど、久々に読み返しているうちにふらふらと書き上げてしまい、そのままUPしてしまいました。一緒に、夢見るのほうは当時のままで。精一杯書いたものを更に良く改訂する程の技量もないですし。
 あくまで蛇足というカタチなのですけど、『夢見る』単体のほうがスッキリしていて良かった、と思われた方いましたらごめんなさい。



記事一覧へ戻る(I)