泰山のマーボーを持って戻ってくると教会が全壊していた。
裏手の墓地からは火の手が上がり消防車が消火活動にあたっていた。
「な、なんだってんだコレは・・・」
全壊した教会と消火活動にあたる消防隊員を遠巻きに囲む野次馬たちに自失呆然としながら
彼は手に持ったマーボーの包みを落とした。
真っ赤なマーボーが包みからこぼれ出て、周囲の草むらを不毛な土地に変えていく。
いや、触れたところから青々とした草が茶色く変色していくし。
「また言峰さんの教会よ・・・」
「また以前と同じく究極のマーボーに挑戦してガス爆発起こしたのかしら」
「いえ、今度は世をはかなんでガス自殺じゃないかしら。ほらここの教会って信者が一人もいないじゃない」
「お父さんの時代はよかったらしいけどねぇ・・・」
「あの性格じゃねぇ・・・」
・・・言峰、おめー散々言われているなぁ。
サーヴァント・ランサーはそう思い涙した。
ご近所の主婦たちにまでボロクソ言われている男に使われている自分に。
ああ、バゼット。
なんで俺をあんなうんこ神父の下に置いていったんだよぅ。
「協会から捕縛の命が急に入った。言峰、悪いけど私のかわりに聖杯戦争に出て」
彼女はそう言って唖然とする自分を無視して言峰にあっさりと令呪を渡した。
言峰と手が触れ合う瞬間の彼女は「恋する乙女」のそれだった。
何故にあんなうんこ神父に恋するか！？
絶対的に俺の方がいい男だって！！
漢が涙を流すのは生涯３度まで、自分のために流す涙はない！！
そう師匠に教えられたけどもういいよね。
一度生涯を終えたし。
ランサーは涙を流しながらその場から立ち去った。
言峰が呼んでいる。
あんなうんこ神父でも呼ばれたら行かなくちゃならないのだ。
「悲しいけど俺、サーヴァントなんだよな」
深夜の冬木市立病院。
４１３号室というトテツモナク不吉な病室に言峰は収容されていた。
「今夜が峠ね、あの急患は」
「身寄りもなく、保険証もなく帰るところもない、支払いはどうするのかしら」
「帰る教会もガス爆発でなくなったらしいし・・・」
「迷惑な患者よねー」
通り過ぎていく看護婦たちの発言に現代社会の病巣を見た思いがするランサーだった。
気を取り直してノックのあとゆっくりと病室に入る。
そこにはベッドの上で全身をガクガク震わせる言峰がいた。
ガス爆発の現場から救出されたにしては外傷なく、かわりにすごい高熱と吐き気、止まらない失禁。原因不明の症状に医者たちはさじを投げた。
現代医学は凛のガンドの前に敗北したのである。
「・・・生きているか言峰」
心底嫌そうな顔を隠しもせずに近づいていくランサー。
周囲には悪臭がただよっていた。
「な、な、な、なんとかな」
震える舌で答える言峰。微妙にその顔は乾燥していた。
「で、言峰。何があった？」
「め、メイドとそ・・・そのマス、マスター」
「？ わけがわからん」
ランサーが苦労して言峰から聞き出したところによると
メイドのサーヴァントを召喚したマスターが教会に乗り込んできてやられてこうなった
と、言うことらしい。
「まぁ、メイドなんてわけのわからんサーヴァントだが・・・」
夜の闇を青き疾風が駆ける。
「悪いが憂さ晴らしの相手になってもらうぜ！！」
満月が照らす冬木の港。
メイドを背負った男の前に立ちランサーは吼えた。
「結局、また迷ってしまった」
目の前には海。確かに繁華街を歩いていたはずなのだがいつの間にか海に出てしまった。
倉庫が建ち並び漁船が停泊している。
修一郎は冬の淋しい冬木の港に出てしまったようだ。
背中のキャスターはすやすやと眠っている。
さっさとどこかに泊まりたいのだがこんなところには宿泊施設はないだろう。
途方にくれたその時
「悪いが憂さ晴らしの相手になってもらうぜ！！」
空から全身青で統一した男が彼の前に着地した。
「探したぜ、メイドのマスターとそのサーヴァントさんよ」
その手に一瞬にして紅い槍を出現させてランサーは笑う。
「その力、見せてもらおうじゃねぇか」
修一郎はその姿を見て呆然とし、停泊してある漁船をちらりと見て
「漁師さん？」
「ちがーーーーーーーーう！！！！」
深夜の港に響くランサーの叫び。微妙に涙ぐんでいたのは秘密である。
ぜえぜえと肩で息をする。青い槍兵。
「冗談だ、漁師のサーヴァント」
「おまえわざとやっているだろう？」
「うん」
ランサーはため息をついた。
クラスもクラスならマスターもマスターだ。
あまりにも変すぎる。
変すぎてこっちまでおかしくなりそうだ。
「・・・もういい。さっさとそのサーヴァントを起こせ。ぶっ殺して終わりにするから。
いや、それともマスターであるおまえを殺した方が早いのか？」
疲れた顔で穂先を修一郎に向ける。
キラリと光る先端を前に修一郎は青白い顔をしてため息をついた。
「・・・どうしても起こすのか？」
「・・・なんだよ、その荒んだ表情は」
急激な変容にちょっと後ずさりするランサー。
殺されることよりもサーヴァントを起こす方が嫌なのか？
「いや・・・ただ、俺には彼女を起こすことはできない」
そう言って視線を逸らす修一郎。
「・・・気になるじゃねぇか。おまえが起こさないなら俺が起こしてやる」
そう言ってランサーは近づくと背中のメイド、その顔を覗き込んだ。
瞬間硬直し、後ろに倒れかける。
よろよろと何とか持ちこたえて肩で荒い息を吐く。
「・・・おまえに起こせるか漁師？」
滝のような涙を流しながら問う。
「・・・駄目だ。俺には起こせない。起こすことができないッ！！」
漁師、と言われたことも気にせずに真っ赤になって首を振るランサー。
「だろう。この寝顔を見たら誰が起こせる漁師？」
「ああ、これを起こすのは罪だ！犯罪だ！！そうだろ！？」
ブンブンと槍を振り回し力説するランサー。
真っ赤になってそんなことをしている君は酔っ払って刃物を振り回す犯罪者とさして変わらない。
背中のキャスターの寝顔は本当に、神々しいぐらいかわいかったのだ。
安らかな寝顔のキャスター 威力EX (男性限定) スキルが更新されました。
「師匠、俺、萌えってやっとわかりました」
生前に開けられなかった扉を今開いたランサー。
影の国の師匠にそう報告するその頬を一筋の涙が伝う。
キラリと光る涙が美しい。
師匠も草葉の陰で今の君を見て号泣しているだろう。
「英霊やっててばんざーーーーーーい！！」
あ、はじけた。
「叫ぶな！！ 起きてしまう！！」
修一郎の言葉にあわてて口を押さえる。
その姿を見て修一郎は提案する。
「・・・で、どうだ、漁師。寝顔鑑賞会というのは？」
「・・・悪くねぇ」
ニヤリ、と同じ笑みを浮かべる。
それはまさに越後屋と悪代官。
今ここに最低の同好が誕生した。
数時間後、起きたキャスターによって吹き飛ばされ
早朝寒中水泳大会に変更になったのはまた別のお話である。
冬木市駅前にある○クドナルド冬木駅前店。
朝７時ともなると朝食を摂りに来る会社勤めのOLやサラリーマンでいつも混雑していた。
仕事前に鋭気と栄養を求めてたくさんの客が訪れるこの店だが今朝は様子が違っていた。
まずいつもの朝特有の騒がしさがない。スピーカーから流れ出る音楽が遠い世界のように聞こえる。
そして店内にいる客、そして店の外に集まっている人垣すべての視線が窓際の３人組に集まっていた。
「・・・・で、これはどういうことなのか説明してもらえるかしら？」
メイドの格好をしたキャスターが目の前でがつがつとハンバーガーを喰らい尽くす２人に尋ねる。
むろん彼女の目の前でひたすら飲み食いしているのは(認めたくはないが)彼女のマスターである
早瀬 修一郎と全身青のボディスーツに身を包んだランサーである。
２人とも全身をぐっしょりと濡らしていた。
漂う磯の香りは先ほどまで寒中水泳大会に出場していたためである。
よく見ると修一郎は頭に昆布を乗せていた。ランサーの肩を小さなカニが走っている。
参加者２名、参加拒否権も途中棄権もなしというこの恐るべき大会はキャスターの怒りが収まるまで続いたのだ。
最初、店に現れた黒と青のずぶ濡れの男とメイド服を着た女の組み合わせにバイトの女性店員は入店を断ろうとした。
怪しい、怪しすぎる。彼らを怪しまないというのならニット帽にサングラス、マスクを装着して刃物を持って銀行窓口で預金引き出しを求めても怪しまれないだろう。それぐらい怪しい。
ゆえに彼女は断ろうとしたのだ。
が、店長が彼女の肩をポン、と叩いて
「大丈夫、彼らなら問題はない。なぜならメイドだから」
そう言っていい笑顔で彼女に笑いかけた。○ックの制服に「一人一殺」のはちまきした店長はそう言って笑顔で彼女に代わって接客を開始する。
のちに彼女、川端 洋子 １９歳フリーター彼氏募集中はこう語る。
「店長、私が見た中で一番いい笑顔で・・・なぜか知らないけど涙ぐんでました」
閑話休題。
「ぞぜば・・・・それは、君が寝ている間にものすごい死闘があったのだ」
口の中のポテトをコーラで流し込んで修一郎は言う。
「だから、その死闘とやらを説明して。そしてその死闘の相手と相席している今の状況も」
「わかった。それを今から説明する」
そう言って修一郎はトランクからあるものを取り出す。
「おおっ、かっこいいぞソレ！！」
ランサーが歓声を上げる。取り出したそれは グフとザクのプラモデルだった。ザクは黒い三連星仕様なのがちょっぴりマニアックだ。どうやらこれを使って説明をするらしい。
「それはとてつもない死闘だった・・・・」
夜の冬木港。そこに青い巨星・・・じゃなくてランサーがいた。
対するはマッシュを失って・・・じゃなくて自称「お宝ハンター」早瀬 修一郎
今、二人は愛する者のため、守らねばいけないもののために避けようのない死闘を演じることとなる。
「どうしてもやるのか・・・？」
「いまさら命乞いか？」
音を無くす世界、なぜか飛んでいく白い鳩たち。
あまりの緊張感にスローモーになっていく時、そしてお互いの殺気が膨れ上がり死闘が始まる。
「ランサービーム！！」
構える槍の先端から飛び出る紅い光線。触れるものの命を即座に奪うそれは脅威的なスピードで修一郎にせまる。それを神業とも言うべき実践版マトリックス避けで回避する。
彼の後方でビームの直撃を受けた漁船が大爆発を起こす。自らの驚異的なスピードと爆風を使って修一郎は短剣を構えランサーに迫る。一撃必殺のその短剣はサーヴァントであるランサーを驚愕させるスピードで命を奪いにくる。が、サーヴァント一の敏捷力を誇るランサーは辛うじてその一撃を槍でもって受け止める。
「やるな、人間」
「ふ、俺は三咲町の殺人鬼とも互角に渡り合えた男だ」
キャスターがテーブルに突っ伏した。肩がフルフル震えている。
そんなキャスターを無視して話は続く。
「ゲイ・ぼるくドリル」が炸裂したり「天将奔烈」が飛び出したりクロウカードで召喚したり「三連ポット」が暴発したり・・・本当に起こっていたのなら冬木市はぺんぺん草一本残らない荒野になっていただろう。
ランサーと修一郎はお互いにグフとザクを操りながら嬉々として話を続ける。
その姿はまさに・・・・以下省略。
「■■■■■――――――――！！」
だからキレたキャスターが叫んで盛大にぶっ放しても悪くはない。
巻き添えをくった周囲のお客さんには悪いけど。
消し炭状態、アフロと化した二人の前に腕を組んで立つキャスターの手にはお玉が握られていた。
ちなみにお玉は今日のキャスターのオプションである。
そのお姿は
「ご主人様、いいかげんに起きて食事を摂ってください、いつまでたっても台所が片付きませんわ」
と言うセリフが脳内補完されるにふさわしいお姿だった。
鼻血を噴出し倒れるサラリーマンがいた。
恍惚とした表情であちら側の世界に逝ってしまったサラリーマンがいた。
カメラを取り出し、ひたすらシャッターをきるサラリーマンに涙を流して拝みだすサラリーマンもいた。
次回のコミケのネームをひらめく同人作家もいれば同じく次回のコスプレを決めたコスプレーヤーのOLもいた。
ランサーは新たなる扉をまた一つ開いたことを師匠に報告しながら満面の笑みと涙をうかべて気絶し、修一郎は
「問おう、君は俺のメイドですか？」
などとブツブツいいながらあっちの世界に旅立っていた。
その日、冬木市ではサラリーマンの遅刻と欠勤が過去最多を記録した。
ふんふん、と鼻歌を歌いながら修一郎はカレーをコトコト煮込んでいた。
新しく新調した黒のスーツにエプロンをつけて微妙に振り付けをしながらぐるぐるカレーをかき回す姿は恐ろしくも怪しい。
彼は今、新都にあるマンスリーマンションで夕食の支度中だった。
ホテルに泊まろうとしたが
「もういいかげんに一箇所にとどまって落ち着きましょう。マスター」
などと全身から殺意の波動を立ち上らせたメイドもといキャスターさんに言われてはしかたなかったのだ。断ったら即座にぶっ放されるのは目に見えていた。その時はランサーを盾に逃げよう。などと考えていたが・・・修一郎自身も落ち着きたかったのも事実だし思い切って借りることにしたのだ。
というわけで彼は今キッチンでカレーを煮ていた。ちなみにキャスターさんは
「私はここに陣を張ります。マスターこそ暇なら我々が快適に過ごせるようにしてください」
と部屋で色々やっていたがさっき覗いたらもう作業は終了したのかビデオを見て涙していた。
トランクをあさって見つけたらしいそれは『小公女セーラ』。昔、ハ○スの名作劇場でやっていたのを録画したやつだ。ベータで。そんなものがトランクにビデオデッキごと入っていることは流してほしい。涙するキャスターさんを見事なタイミングで隠し撮りすると彼は調理に戻った。
メイド服でしかもエプロンで涙を拭いている姿は萌え以外のなにものでもない。乱獲されないようにそっとしておこう。
「ただいまー、今帰ったぜ」
玄関のドアが開いてランサーの声が聞こえた。
彼はサラダ菜を買いに行かされていた。
マスターが変わってもランサーの役目はパシリだった。
おそらく今回召喚されたサーヴァントの中で一番パシリが似合うのは彼に違いない。
そして今回の物語はランサーの帰宅とともに幕を開けるのである・・・・
「それでは判決を言い渡します。漁師、死刑」
「って、まだ罪状認否も弁護もなにもやってないだろーが」
ランサーに抗議を受け流す修一郎。キャスターは難しい顔をして二人の間に座っている少女を見ていた。彼女は少し赤い顔をしてうつむいている。
「漁師、俺はね、君がそんなに外道だとは思わなかったよ。世も末だよ。現役女子○生と野外プレイだと・・・お兄さんは悲しいよぅ！！」
口ではそういいつつも彼の目は血走っていた。顔はうらやましいぞ畜生―という表情を隠していない。彼は自分に正直な男だった。そのためいつも吹っ飛ばされる。
「漁師って言うな。しょうがねぇだろう・・・そ、そうなっちまったんだから」
ランサーがそっぽを向いて言う。頬がほんのりと赤いのは照れているからだろう。
「・・・マスター、漁師をせめてもしかたないわ。微かだけど魔力の残滓を感じるもの」
それまで黙っていたメイ・・キャスターが口を開く。その言葉に「む」と少し真剣な顔になる修一郎。
「・・・漁師、処分は保留にしておいてやる。その娘と出会ったときのことを教えろ」
「最初からそうすりゃ良かったんだよな・・・ありゃ、サーヴァントだ」
ランサーはおつかいのために街をあるいていた。スーパーに行って適当にサラダに使えそうな野菜を買って来いというのがその理由だった。渡された金でセロリとレタスを買って帰ろうとしたときそれを感じたのだ。
「近くにサーヴァントがいる。しかもあんまり良くねぇ気配だったから走っていったらさ」
裏路地で今まさに少女の首筋に噛み付こうとしていたサーヴァントを見つけたのだ。
向こうも気が付いてこっちもすぐさま応戦。２、３度打ち合ったところでサーヴァントは少女を置いて逃げ去ったという。
「紫色の地面まで届くぐらいの長髪で目の部分を隠していた。黒の変な衣装を着ていた」
「・・・なんのサーヴァントかわかるか？」
「セイバーやアーチャーじゃねぇ。ライダーかアサシンってとこか？」
「キャスターやランサーかもしれない。君らはメイドと漁師のサーヴァントだし」
「マスター、一片も残さずに消滅したいですか？」
「すみません。ちょっとした冗談です」
ブルブルカクカク震えて土下座しだす修一郎。
「冗談で人間死ぬということをわからせてあげましょうか？」
「・・・遠慮します。ダメ、やめて！その指先でバチバチいう雷を止めてーー！！！」
「はぁ、話が進まねぇから、メイ・・キャスターも落ち着け。おめーも悪乗りしずぎだって」
「・・・まぁ、お仕置きは後で、ということで。それでランサー彼女を抱いたわけ」
「うわぁ、直球！」
修一郎もランサーも赤くなる。
「あのねぇ・・・おそらく催淫系の魔術でもかけられたんでしょう。
ほっといたら発狂しかねないからとりあえずランサーが彼女を抱いたのは間違いじゃないわ。
この手の術は術者以外で解除するのは難しいから。
まぁ、その娘には悪いけど犬に噛まれたと思ってもらうしかないわ」
「お、俺を犬って呼ぶなぁ！！」
半泣きで叫ぶランサー。誰にでも触れられたくない過去も傷もある。逆鱗も。
「そういうことならしょうがないな。ランサー、俺は信じていたぞ」
「嘘つけ」
ジト目で修一郎を睨むランサー。それをワザとらしく咳をすることでごまかす修一郎。
「ゴホン。まぁ、災難だったと思って・・・せっかく来たんだし夕食でも食べていきなさい。で、先から聞いていなかったのだが君の名前は？」
修一郎の問いに彼女は
「美綴 綾子といいます」
と言った。
無事に食事は終了した。
漁師、もといランサーは大きなため息をついた。
生きた心地がしなかった。
幾多の戦場を駆け抜けた彼でさえ無事生還できたことは奇跡としかいいようがないと本気で思う。
一部を思い返してみる。
「うまいカレーだな。これ」
「おまえだけレトルト」
以下省略。
これ以上思い出すと石を抱いて冬木の港に沈みたくなる。
そして、彼は先ほどの出来事を思い出して途方にくれる。
落ち着かなくうろうろと部屋を歩き回る。
彼の前には布団が一組。
「美綴さんと言ったわね」
「は、はい」
食事の間もその後もずっと口を開かなかったキャスターが美綴に話かけたのだ。
その時、リビングにはキャスターとランサー、それに美綴の３人しかいなかった。修一郎はキャスターの「マスター、邪魔ですから台所で洗い物でもしていてください」と追い出されていた。そのため彼は一人台所にて食器の山と格闘中である。
ランサーは声をかけようとして出来なかった。
彼は一人台所に立ち、背中で泣いていた。
そこには会社のために必死で働き、もう少しで定年というところでリストラの憂き目に遭い
そのことを家内に告げるやいなや
「前から考えていたんですけど・・・」
と離婚届に印を押すように言い渡された中年サラリーマンの姿が重なって見えた。
ああ、この時代は病んでいる。
ランサーは修一郎の哀愁漂う背中に一人涙した。
この思いは男にしかわかるまい。そう思いながら。
しかし、キャスターの発言はそんな思いすらもぶっ飛ばす衝撃を持っていた。
「今日は夜も遅いし泊まっていきなさい」
「な「なんで「なんだとーーーーーーーーーーーーー！！！！」」」
一番大きいのが修一郎の叫びである。彼は泡だらけの手で台所からすっ飛んで来る。
「マスター、泡が飛ぶので洗い物を終わらせるまで戻ってこないでください」
「あのなぁ、キャスター。お兄ちゃんは不順異性交遊を賛同させるわけにはいかんですとよ？」
驚愕のあまり口調がおかしくなっている。
「では、あなたが彼女ぐらいのときはどうでしたか？」
キャスターの言葉に硬直する。そのまま動かない。彼の脳内では青春時代のさまざまな味があわさってそれはまさに吐き気をもよおす状態になっているに違いなく。
「それに夜道を帰らすのはどうか、と。最近は物騒ですしねぇ」
キャスターがニヤリと笑って言う。物騒なのはここにいる全員なのだから。
「・・・分かった・・・認めます。じゃあ、部屋も２つしかないので俺とランサー、キャスターと美綴さんでよろしいか？」
「いえ、ランサーと美綴さん、私、と言うことにして下さい。そちらの二人はもう肌まで重ねている仲ですし」
キャスターの発言に３人の呼吸が止まる。もう少しで心臓も止まりそうだ。
ランサーは美綴を見た。赤くなって下を向いたまま停止中。たぶん顔が赤いのは自分も同じであろう。何か言おうとして言葉がでない。っていうか美綴、おまえはそれでＯＫなのか？
ランサーは援護を求める形でマスターを見た。すみません兄貴、なにかトンデモナイことを言っている魔女にガツンと言ってください。
だが、しかし
「すみません。先ほどの発言には俺の名前がないのですが・・・」
「マスターは・・・そうね。ベランダか台所が空いています。あと玄関先でも構いませんが」
マスター早瀬 修一郎 ＫＯ。
「はぁ」
ため息をつく。着替えはなかったので早瀬さんからＹシャツを借りた。下着はさすがに替えがないのでそのままだ。どうせ寝るだけだし・・・いいよね、と彼女はＹシャツに下着、という格好で脱衣場を出る。バスタブいっぱいに張った湯につかっていたら涙が出てきた。外に聞こえないように泣いていたのは秘密だ。今日はいろんなことがありすぎた。普通に家を出ていつものように弓道部の練習に参加して・・・ああ、そういえばしばらくぶりにアイツと道場で話をしたっけ。赤毛のアイツ、衛宮 士郎の顔を見て心が弾んだのを覚えている。むろん顔にはださないけど。連れてきた金髪美人に少しあせったけど。弓道をあっさりやめてしまってアイツとは接点がなくなって、それでも何か関係が欲しくて弓道をだしにしたり、「正義の味方」を目指して学校内でいいように使われるアイツをからかったり・・・ああ、なんでアイツのことを考えただけで涙が出るんだろう。
「らしくないよ、美綴 綾子」
彼女はそう呟いてバスタオルで涙を拭うと脱衣所のドアを開けた。
「お風呂、ありがとうございました」
精一杯の笑顔でお礼を言う。
そして笑顔のまま凍りついた。
そこには彼女の予想をはるかにこえた光景があった。
青いポリバケツを頭から被せられて簀巻きにされて転がっている早瀬 修一郎。そして彼の背中を足で踏みつけながら優雅に紅茶を飲んでいるメイド、もといキャスター。彼女の手には鎖が握られており、その先はポリバケツの中に消えていた。
「首輪・・・・？」
確かに世の中にはそういう倒錯した趣味の持ち主がいるとは聞いたことがあるが実際に見るとそれは酷く滑稽であり見るものを冷ましてしまう。そういうのを見て興奮する人もいるかもしれないが綾子にはそんな趣味はない。ゆえに彼女は目を段々と細めて沈黙をもって現状を冷静に見つめていた。
「美綴さん、湯加減はどうでしたか？」
「ええ、よかったです。それよりもその状態はもしかして」
だからキャスターの言葉にひどく平坦で感情がこもっていなくてもしかたない。
「いえ、違います！！違います！！ 私にそんな趣味はありません！！ これはマスターが風呂を覗くのは男の甲斐性いやロマン、男として生まれたからにはやらなければいけない使命なのだ！！と言って覗こうとしたものですから。ええ、お客様の入浴を覗こうなんて破廉恥な行いを阻止するためにしかたなくですね。ああ！！そんな目で見ないでください！！」
真っ赤になって早口でまくし立てるキャスターをかわいいと同性ながらも思ってしまった。
「うぞぼづげー」
とくぐもった声で意見を出した修一郎に涙目でガンガンと蹴りを放っていたとしても。
しかしトゥーキックは痛いだろう。いいのがかなり入っているぞ。あ、微妙な音が。
ピクリとも動かなくなった修一郎を見下ろし「はぁはぁ」と肩で息をするキャスターに綾子は微笑む。
「大丈夫ですよ。キャスターさん。今のは私の冗談ですから」
「え、ええ。誤解だと理解していただければよろしいです」
キャスターも微笑む。ああ、やっぱり彼女は綺麗だ。メイド服なんていう奇抜なファッションセンスだとしても。外であったら引くけど室内で見る分には十分すぎるぐらいいいです。綺麗です。綾子は知らない。彼女がこの姿で昨日から街を歩いていたことを。キャスターが綾子の思いを聞いたらおそらく修一郎を殺して自分も死ぬだろう。冬木一帯を焦土と化して。
微妙な温度差があったがそこには穏やかな空気が流れた。
「いや、誤解ではないぞ。現に俺は彼女に吹っ飛ばされてばっかりだ。ここまで命があったのはこの体が人より数倍丈夫だったからだ」
平然と立ち上がりこんな発言をする男が現れるまでは。
くぐもった声でないのはバケツが割れて床に転がっているからであり、どうやら先ほどの音はバケツを割った音のようだ。ただし現れた頭は黒い布でぐるぐる巻きにされていた。
「キャスター、何か文句があるかもしれないが綾子君。君に言っておきたいことがあるのでちょっと待っていてくれたまえ。これは真面目な話なのだ」
振り上げた手を止めるキャスター。真剣な修一郎の声に少々驚きながらも手を下ろす。
「まず、先に今日の君が巻き込まれた件について謝罪しよう。思春期の女の子にはかなり酷な出来事だったと思う。君が襲われたのは俺の責任だ。何故にそうかと言うとこれ以上君を危険な目にあわせたくないから言えないが君を今日襲った者は俺たちの敵だからだ。ゆえにその敵を放置して無関係な君を巻き込んだことは俺たち、もといキャスター、それにランサーのマスターである俺の責任。すべての君に対する罪を俺は引き受けよう」
一気にそこまで言って頭を下げる修一郎。その姿にキャスターも綾子も言葉も出ない。
「そして、その、頼めることではないと思うが・・・ランサーを好きになってやってはくれまいだろうか？ その、俺の口から言えたことではないのだがあいつはいいやつだ。あんなことがあった後で言うのもなんだが・・・その順番が逆かもしれないが付き合うにはいいやつだ。あいつは一人の女性を生涯幸せにできる。・・・その、そういうものを持っている数少ない男の一人だ」
そこまで言って修一郎は大きく息を吐いた。
「できれば、その、できればでいいのだが・・・これを機会にアイツと付き合ってくれまいだろうか。・・・・すまん、勝手な言い分だ。君にはもう想い人・・・恋人もいるかもしれないというのにな。すまなかった。後半部分は忘れてくれ。謝罪だけ受けてくれ。もし君の気がすまないというのなら俺を好きにしていい。殴るなり刺すなり自由にやってくれ。俺は抵抗しないしキャスターやランサーにも止めさせはしない」
再び頭を下げる修一郎。キャスターも綾子も何も言わない。
やがて、しばしの沈黙のあとキャスターがためらいがちに口を開く。
「マスター」
「なんだ」
「そちらは壁です。美綴さんは反対側です」
ぶち壊しだった。
綾子がドアを開けて入ってくる。うつむきかげんで目元が濡れていた。握り締める拳が赤い。
ランサーは落ち着こうと先ほどから槍を磨いていた手を止める。
綾子はランサーを無視して奥にひいてあった布団の上にすとんと腰を落とした。
やっぱりショックだよなぁ・・・怒っているだろうし。
修一郎のＹシャツに下着、裾から見える下着がチラチラと眩しかった。
しかし、彼は今それどころじゃなかったりする。
兄貴はああ言ってくれたけど俺もぶん殴られなきゃいけないんだろうなぁ。
ランサーは先ほど数分間に渡って響いていた修一郎の悲鳴を思い出しブルブル震えた。
「ふがっ！」「ぐはぁ！」「げふっ！！」「どずべ！？」「あべしっ！！」「あぎゃ！！」「ごふっ！」
繰り返し５回。
途中で
「もう勘弁してください」
「これ以上やられたらもうマジで死にます」
などの泣き言が入っていたがそれでも暴行は止まらなかった。さよなら兄貴。俺もたぶんすぐにそっちに行きます。そうしたら一緒に萌えについて語りあかそう。
ランサーは覚悟を決めると綾子に向き直る。
「綾子、すまない。助けるためとはいえおまえを抱いちまった。許してくれ！！」
そのまま土下座する。そんなランサーをひどく驚いた顔で綾子は見た。
「・・・顔を上げなさいよ、ランサー」
ひどく憎しみのこもった声で言われてランサーは恐る恐る顔を上げる。目に涙をためながらそれでも気丈にランサーを睨みつける綾子がそこにいた。
「綾子、すまん」
ランサーの頬が鳴った。それはランサーが今まで受けた傷の中で一番弱かったが一番痛い物だった。
そのまま声を殺して泣き続ける綾子を見ていられずにランサーは立ち上がる。
キャスターはああ言ったが今日は綾子一人でこの布団を使ってもらおう。俺は台所で寝ればいい。
そう思って部屋を出ようとドアノブを握る。
「・・・逃げるの、ランサー」
背後からかかる綾子の言葉にランサーは足を止めた。
居間ではボロボロになった修一郎がソファに座ってトランクから出した消毒液を傷口に塗りたくっていた。その反対側のソファには不機嫌な顔をしたキャスターが紅茶を飲んでいた。
「何もここまでする必要はないと思う」
「何かおっしゃいましたか？」
「うっ・・・いや、だってほら、不可抗力だしね。そう一度や２度で減るものじゃ・・・・今日おろしたてのスーツもうズタズタだし」
「・・・マスターはスーツの方が大事だと？」
室内の体感気温が一気に氷点下になった。今ならバナナで釘が打てます。
「マスターは理解できないようですね。穢された女の気持ちが・・・」
黒いオーラをまとったキャスターに「ひぃ」と小さく悲鳴を上げて修一郎はガタガタ震えだす。
蛇に睨まれた蛙の気持ちがよくわかった気がする。
ユラリ、と張り付いた怖い笑顔のままキャスターは立ち上がった。
「・・・・俺が逃げる？」
ランサーは振り返って綾子を見た。綾子はキッとランサーを睨みつけたまま言葉をつなぐ。
「そうじゃない。敵前逃亡じゃない。私から逃げるっていうことは。アレは不幸な事故でした、だからすみません、反省しています。なんてあやまらないでよ！！」
「くっ・・・！！」
ランサーは綾子を睨みつけた。この女はこの俺に敵前逃亡だと罵りやがった。
「じゃあどうすりゃいいんだよ！！ おまえは何を俺にして欲しいんだっ！？」
怒鳴り返す。「萌え、萌え」言っていたランサーはもういない。そこにいるのは幾多の戦場を駆け抜けた男、サーヴァント・ランサーだった。その戦場で幾多の敵を恐怖させ、死を予感させた睨みを前に一歩も引かずに綾子は逆にランサーを睨みつけ。
「誇りなさいよ。おまえは俺が護ったんだ、助けたんだって」
そう言って照れたように笑った。涙をこぼしながら。
その笑顔にランサーは自分の敗北を悟った。
「・・・おまえらまだ起きていたのか」
綾子が寝たのを確認してランサーは居間に顔を出した。
そこにはボロボロになった修一郎がやはり薬を全身に塗りたくっていた。
「その傷、綾子がやったのか・・・？」
「いや、キャスター。一発は殴られたけどな。その他、目に見えるのはみんな」
修一郎は腫れ上がった顔でキャスターに笑いかける。キャスターはそっぽを向いた。
「綾子に殴られたときに勢いでキャスターにぶつかって・・・胸の谷間にこう、ぎゅっと」
思い出したのか鼻血がつつーっと垂れてきた。
「思い出さないでくださいっ！！ セクハラですっ！！」
「べつにアレは減るものじゃないでしょうが、穢されたって言ったて、ねぇ」と修一郎。
顔を真っ赤にして怒鳴るキャスターに肩をすくめてランサーは空いている場所に座る。
「で、ランサー。綾子は寝たのか？」
「今さっき寝付いた、気丈にしていてもやっぱり女の子だ。震えていた」
そう言って自分の手を見る。綾子が寝るまでずっとその自分よりも小さな手を握ってやった。
「で、ランサーは綾子をどうする？」
「・・・護ってやるさ。俺を敗北させる女なんざそういねぇ」
ニヤリと笑う。
「・・・だそうだ、キャスター。これで君は満足かな？」
ランサーの言葉に修一郎は微笑みを浮かべてキャスターを見た。
「別に。それより私は部屋に戻ります」
キャスターはそう言うとさっさと部屋に戻っていく。
「マスター。このドアより入ってきたら死を覚悟してください」
そう言い残して。
「ふふ・・・入り口はドアからだとは限らないのだ」
深夜のベランダに修一郎はいた。彼は柵の外側からキャスターの部屋に侵入する気でいた。
ちなみにここはマンションの５階である。
「ドアよりはいらなければよい」そうとんちの利いたことをつぶやきながら徐々に近づいていく。
「マスター。私がそんなヘマをすると思いますか？」
「はい？」
目の前に現れたキャスターに硬直する修一郎。
「マスターの考えることなどお見通しです」
「はは、だろうなぁ」
そう言って乾いた笑い声を上げる修一郎。次の瞬間にはいつものように吹っ飛ばされるに違いないと覚悟を決める。だが、キャスターは何もせずに修一郎を見つめ、意を決したように口を開く。
「あなたはつくづく無駄の好きな人ですね。これから先、生き残っていけるか心配になります」
一瞬きょとんとした顔をして修一郎はニヤリと笑う。
「言いたいことはもっと別の言葉だと思うけど？」
「そして人が悪い」
修一郎の言葉にキャスターは背を向けて部屋に戻る。
「おやすみなさい。マスター」
「はい、おやすみー」
ヒラヒラと手を振って修一郎はニヤニヤ笑う。耳まで真っ赤にして素直じゃないなぁ。そこがまたかわいいんだけど。
キャスターは綾子に過去の自分を重ね合わせた。自分の意思ではない別の意思によって穢れた自分。そして、穢した男に捨てられた自分。自分のようになって欲しくない。そう思ってのことだったんだろうと修一郎は思う。そうしないとあの部屋割り納得できないし。
「やっぱり君は魔女にはなれないよ」
呟く。
と、部屋に戻ろうと移動した瞬間。ガタン、と言う音と共に柵が外れた。
「お、お約束かよーーーーーーーーーーーーーー！！」
修一郎はそう悲鳴を上げて落ちていった。