自分は長く生きられないことは知っていた。
でも、わずか一年ちょっとで蜜月が終わるとも思っていなかった。
なにもかも仕方がないことだと思う。
宿命、運命・・・・陳腐な言葉で片づけたくない。
この俺、遠野志貴の一生は。
窓に浮かぶ真円の月を見てふと笑いがこぼれた。
よく今日まで保ったな、俺の身体。
「志貴・・・・志貴・・・・・」
冷たい手が俺の手をまさぐる。
もう、俺には首を持ち上げる力すら残っちゃいない。
だから、目だけを動かして、ベッドの横を見た。
「アルクェイド・・・・」
いつもの白いハイネックに身を包んだ、なじみ深い姿がそこにある。
「ねえ、やだよぉ・・・。志貴、死んじゃやだよおぉ・・・・」
グシャグシャに涙に濡れた顔。いままで見たこともない、彼女のあまりにも真っ直ぐな表情。
薄く拡散していきそうな胸が微かに痛む。
「無茶いうなよ・・・・」
ああ、いつもだったら、アルクェイドの頭を撫でてクシャクシャに出来るのに。
かわりに微かに頬に力を入れる。
微笑んでいるように見えてることを願う。
アルクェイドは泣き止まない。
かける言葉は山ほどあった。
かけたい言葉も山ほどあった。
でも、もう、そんなことに疲れ始めている自分がいる。
ゆるみ始める手綱をしっかりと握り直す。
最後だろ、ここでもう少し踏ん張ってみせろよ、遠野志貴。
弱々しい頭の隅っこで、さらに弱々しく叱咤する。
わかっているのだ、この手綱を放せば、あとは意識がただ闇に飲まれることを。
逆らいがたい力で闇が迫ってくる。陥落されるのは時間の問題だ。
だからこそ。
その時まで、こいつに一緒にいてもらいたかった。
「失敗したなぁ・・・・」
できるだけおどけた口調でいう。
それだけでひどく疲れた。くそ、情けない。
えぐえぐ泣いていたアルクェイドが顔を上げた。
「・・・何を失敗したの?」
「秋葉や翡翠に琥珀さん、シエル先輩にお別れをいう時間が長すぎた」
一息でいう。頭のてっぺんから寒気が抜けていくような感覚。
大丈夫、まだ大丈夫。
全然大丈夫じゃないことを意識から遠ざけろ。
アルクェイドは、珍しく表情の選択に戸惑っているように見えた。
結局、泣き笑いみたいな顔で、怒ったようにいう。
「そうだよ、志貴。みんなとは長々とお話してさ。一番最後がわたしなんだもん」
「・・・・最後は、おまえに送ってもらいたかったから」
アルクェイドの表情が凍り付く。
俺の本心だった。
最後は、愛する人から看取ってもらいたかった。
「・・・・・・・・・・・・・・っ!!」
なにかいいかけてアルクェイドは口を閉ざす。
顔を伏せて、次に上げられた表情に戸惑いはない。
「志貴、わたしの血を飲んで」
たぶん、いや確実にそう言われるだろうとは思っていた。
「よせよ・・・」
拒否をしめすように瞼を閉じる。
「どうして!? わたしと一緒に生きてよ、お願いよ、志貴!!」
アルクェイドの声は悲鳴に近い。
「わたしのこと、愛してるんでしょ? ずっと、一緒にいてくれるっていってくれたじゃない・・・・!!」
力を込めて瞼を開ける。すぐ側にアルクェイドの顔。
細く息を吸い込んで、ゆっくり口を開く。
「俺が惚れたのは、真祖の吸血鬼のくせに、底抜けて明るくて、無邪気で残酷なお姫様さ・・・・」
「・・・・・・・」
「そして、おまえが惚れてくれたのは、人間のくせに邪眼もちの貧血男、遠野志貴だろ?」
「そんな、意味わかんないよ・・・・!!」
力が抜けていく。唇をなめる舌の感覚すらもうない。
でも、はっきりいってやらなきゃな。
「アルクェイド、おれはおまえがおまえだったから好きになったんだ」
そう。
無垢も狂気も、真祖と呼ばれる吸血鬼であるというすべての要因もひっくるめて、それがアルクェイドなのだ。
視界が狭くなる。
「そして、おまえの血を飲んだ俺は、もうおまえの好きな『人間の』遠野志貴じゃなくなるんだよ。わかるか?」
ぶるんぶるんと首を振るアルクェイド。
「そんな、そんなの・・・・・・!!」
そんな彼女を優しく見つめる。
今の俺にできる、精一杯の断固とした拒否。
冷やりと。
冷たい鉄の感触が俺の意識を呼び戻す。
アルクェイドは両手でなにかを包み込むように、俺の目前へと持ってきた。
掌を開くと、そこには俺の右手があった。右手の中にはナイフが握られている。
「アルクェイド・・・・・?」
次に彼女が口にする言葉は、わかり過ぎるほどわかっていた。
「わたしを、殺して」
飛び出した刃が月の光を受けて閃く。
柄の部分を俺の手に握らせながら、アルクェイドは顔を近づけてきた。
「わたしも一緒に死ぬ。志貴がいない世界なんて、生きている意味がない――――」
赤い瞳が、この上なく真剣な光を湛えている。
「そう、だな」
柄を握り返す。感触はない。
「でも、今日は無理だ」
目線だけを窓の外へ向ける。
煌々と輝く月がそこにある。
「無理矢理殺そうにも、『見よう』とした瞬間、今の俺ならお陀仏さ・・・」
「・・・・・・・」
アルクェイドは黙り込む。
「ずるいね、志貴。最初からあたしを殺す気なんかなかったじゃない・・・」
上げた顔には、あっけらかんとした呆れた表情――――が、即座にポロポロと頬を涙が伝う。
やれやれ。
見透かされていたか。
「・・・・眼鏡を外してくれないか?」
そう唇を動かしたつもりだけど、声に出たろうか。
でも、アルクェイドは俺の眼鏡を外してくれた。泣き笑いの表情を貼り付けたまま。
急速に狭くなっていく視界。
俺の目に映るのは、アルクェイドの姿だけ。
・・・・やっぱりこいつは完璧だ。
満月の夜のアルクェイドは、完全な不死となる。
死の点はおろか、線すら全く見えない。
そのままの姿のアルクェイドは本当に美しい。
対照的に、俺の内側にあるものも見えた。感じたのかもしれないが、もうどうでもいい。
大きな、大きな黒点。
俺の、あの胸の傷から渦を巻き、飲み込んでいく。
明確な『死』のビジョン。
幼い頃から隣り合ってたそれに、俺はもはや親しみにも似た感情を抱いていた。
そろそろそっちに行くよ。
俺の目の前には、眩しいくらいの月がある。
「・・・志貴!?」
微かに、聞き慣れた声。
視界が暗転する。
それでも、目前の月は明るすぎて。
ああ、この月を抱いて逝けたら、きっと死も怖くない。
頬に触れた感触。
俺の身体を抱きしめる温もり。
即座に片端から消えていく。
どこかへ落ちていく最後の感覚。
最後の意志を言葉に乗せて、俺は送り出す。
気の利いた言葉をいえない皮肉な意識が弾けて消えた。
――――アルクェイド・・・元気で、な