春風は好きだ。
三月も末に入り、世の学生たちは既に春休みというものに思う存分利用している。惰眠を貪る者、無責任低賃金労働に励む者、勉学に勤しむ者、部活動に精を出す者。様々な学生が各々したいことをするにはうってつけの長期休暇だ。
かくいう私こと、遠坂凛も、この休暇を使って日頃行えない私事を片付けている。
――主に家の掃除と片付けだけど。
言い訳になるが、これも一ヶ月と少し前に終結した聖杯戦争のお陰だ。詳しいことは省くが、家事が疎かになっていたのは事実だ。家を空けていたこともあったし。
ついでに認めておこう。うん、認めたくないが認めておこう。
私は整理整頓が苦手だ。それはもう、とてつもなく苦手だ。苦手なのは朝だけ――と言っておきたいが、ここまで駄目だと認めざるを得ない。ええもう、この駄目駄目っぷりは、自分で言うのも何だが、最悪で最低だ。
来年の今ごろは独りロンドンだというのに、大丈夫だろうか? 心配になってしまう。正直楽観視出来ない。
――何て感慨に耽っていても、部屋が片付くわけでもなく、埃が落ちるわけでもなく、掃除機が勝手に動き出すわけでもない。――ああ、そういえば当の掃除機は何処いったっけ? 昨日の夜使ったはずなんだけど。
うんざりだ。胸がむかむかする。誰かの手を借りるわけにもいかないのが、腹立たしい。この惨状を誰かに見せるわけにも、借りを作るわけにもいかなかった。自分のプライドがこうも高いものだとは。
ふと、思いつく。こんな惨状を見ても、頼めば何も言わず手伝ってくれそうな人間が。
「居たじゃない」
にやり、と自分の口許が歪むのが判る。学校じゃ作れない笑み。手に持っていた本の束を放り投げ、――これが色々な原因を作っているんだろうな、一応判っている。判っていても、どうしようもないけど――さっさと家の外に出る。
吹いてきた風が頬を擽り、良い気持ちに浸る。
これだから、春風は好きなのだ。
墓石は重く/prologue
結論から言えば、唯一の当てであった男は不在だった。不満だ。理不尽かも知れないが、不満だ。クリスマスプレゼントでお人形を頼んでいたのに、飯事セットを貰った気分だ。いや、何も貰えなかった気分か。
まったく、何をしているのだろうか、あの男は。がーっと吼えてみたいが、流石に外で、しかも主婦やその息子たちが遊んでいるこの公園では阻まれる。一応私は学校のアイドル――いや、自己陶酔っぽいけど、そういうことらしい――なわけで。どこから噂が広まるか判らないわけで。
ベンチで自販から出てきたホットコーヒーに口をつける。苦味が足りないが、自販にそこまで文句を言えない。
「――」
目線のずっと奥――子供たちが遊んでいる砂場のさらに奥。乱立する木々の間だ――に、小さな黒い影が動くのを見て取れた。それだけなら、別段何もない。だけど、それは、明らかに“異質”なモノだった。直で言えば、魔術的な匂いがしたのだ。
空っぽになったアルミ缶をゴミ箱に放り、私は迷い無く立ち上がる。放っておくわけにはいかない。
さっと子供たちの脇を通り抜け、林に立ち入ってみる。刹那、視界の端で、さっと黒い影が走っていった。視線が追いかけ、振り返ったそこには――
「猫?」
間の抜けな声だと思いつつも、そう発せざるを得なかった。これじゃまるであの男じゃないか。何か頭痛がする。
黒猫だ。完全に黒猫だ。綺麗な首輪をしている。飼い猫だろうか? ともかく、黒猫だ。紛れも無く黒猫だ。あんまり可愛くない、第一印象は最悪だ。
黒い影はもうちょっと大きかった気がする。そう、丁度公園で遊んでいた子供たち程度の大きさだ。しかし、これは余りにも小さすぎるんじゃないのか。
しかしながら。この黒猫から、魔力めいたものが感じられるのは、否定出来ない。
そうこうしている内に、ばっと黒猫が踵を返した。
「あっ、待ちなさいっ」
慌てて私は追いかける。猫との追いかけっこなんて人生初体験だ。
私と黒猫はすぐに林を抜けて、公園の入り口に出てくる。そこで、私は絶句せざるを得なかった。
――アスファルトの上で寝ている男が居たのだから。黒猫を見つけた時の比ではない、頭痛がした。
よく見れば、あの黒猫が男の頬をぺろぺろ舐めているではないか。彼の表情は良く見れないが、どこか苦しげなのは判った。見過ごすわけにもいかず、私は駆け寄る。
「大丈夫ですかっ?」
すぐに駆けより、抱き起こすと――痩身だが、見た目より重い。体付きが良いのだろうか――ぎゅるるる、という漫画で使い古された擬音語が耳に届いてきた。
「ぎゅるるる?」
復唱してしまう自分が情けない。これも、まるであの男みたいだ。すっかり毒されてしまったのか。まったくもって腹立たしい。……まぁ、そこまで悪い気はしないけど。
「あの……」
「きゃっ!」
いきなり声をかけられたので、私は飛びのき、彼を手放してしまう。拍子に自重に耐えられなかったのか、男の人は固いアスファルトに頭をぶつけた。悶えている。まじ痛そうだ。私だったら絶対御免だ。ああ、この際誰が原因かは放っておこう。
黒猫が慌てた様子で男の人の周りをおろおろとしている。私もそうしたいよ。
男の人は眼鏡を掛けていた。人の良さそうな顔にそれはお似合いだ。痛みで震えている内に、それがちょっとずれてしまった。
そこで、私は見てしまった。
見てはならなかった。
私を支配するは、恐怖。
馬鹿な、私は遠坂。恐怖など在る筈がない。
しかし、何故だ。
何故、私の体は、震えているのか。
――そうか。そういうことだ。
その双眼は、私をコロスと言っていた――
あとがき
はじめまして、SS初挑戦の海と申します。
それでいきなりクロスオーバーとか分を弁えてません(マテ 一瞬で判ると思いますが、月姫×Fateです。どちらかというと月姫メインかも知れません。
キャラを掴みきれていない所や拙い文が多々あるかと思いますが、感想を頂けると心底有難いです。