認めてしまえば、それは不思議でも何でもないことなのだろう。
百人ほどの命を救う代償に、抑止力となって英霊として召喚された、衛宮士郎の「理想の到達点」英霊エミヤ。
衛宮士郎の目標であった、「理想の原型」衛宮切嗣。
だとしたならば。
英霊エミヤが、原型である切嗣を目指した衛宮士郎の到達点だとしたならば。
海外を放浪していた親父が、世界のどこかでエミヤシロウと同じ選択をしたのだと。
「原型」が行き着いた先も「到達点」と同じであったのだという、きっとそれは、唯それだけのアタリマエのこと────────
月の浮かびし聖なる杯 第十話 〜血戒〜
「驚いた?シロウお義兄様?」
呆然と立ち尽くしていた俺に対して、エリスは正に飛びっきりの悪戯が成功したように、嬉しそうに話しかけてきた。
「何故、なんだ………?」
ようやく発することのできた俺の問いに、表情はそのままにエリス首を傾げる。
「どうして、わざわざオヤジを召喚した?
それにオヤジ、あんたは聖杯がどんなものか知っているはずだ。
わざわざ十四年前にセイバーに破壊させた聖杯を、いまさら欲しがっているわけじゃないだろう!」
最後のほうが叫ぶようになってしまったためか、オヤジの隣にいたキリコ、と呼ばれていた少女が、ビクリと身を震わせた。
「質問は無駄よ、シロウお義兄様。
だって、キャスターは喋ることができないんだから。」
こちらの質問に答えないオヤジに対して再度問いかけようとした俺に、エリスはそう告げてきた。
「喋ることが………できない?」
「ええ。キリツグもお義兄様と同じ。
聖杯になるのをやめろって、何度もワタシに言ってきたわ。」
そこでエリスは一度言葉を切り、視線をオヤジへと向けた。
サーヴァントとなった父親を見るその視線の中にあるのは、ただ憎悪と嘲笑。
「あんまりにも鬱陶しく繰り返すから、キリコに令呪を使ってもらったの。
『魔術詠唱以外の言葉を使うな』ってね。」
早い話が喋るなって事、と、エリスは口元を歪ませる。
そんなエリスの憎悪に対し、相変わらずオヤジは何も語ろうとしない。
封じられたという言葉だけではなく、その表情でも、何も。
「だからお義兄様の質問には、ワタシが替わりに答えるわ。
命乞い以外なら、なんでも聞いてあげるし答えてあげるって約束したものね。」
答えてあげる、などといっているが、エリス自身がそのことを語りたくて仕方が無いというのは容易に見て取れる。
そんなエリスの言葉を聞きながらも、俺の注意はおそらく半分ほどは、違うことを気にかけていた。
俺の腕の中で気を失っている遠坂の容態ももちろんそうだが、もう一つ気になるのは、セイバーの視線の先。
アーチャーのように、エリスとその横にいる『セイバー』に向けているのならばかまわない。
あるいはその視線の理由が、驚愕によるものであったのならばかまわない。
しかし、セイバーのその目はすでに驚愕からさめており、それでもなおその視線はオヤジに対して向けられていた。
ただの一挙動も見逃さないという意思をこめた、セイバーのオヤジを見据える視線の理由、それは。
(オヤジのほうが、あの『セイバー』より脅威だっていうのか………?)
セイバーは、明らかにヤマトタケルたる『セイバー』よりも、キャスターであるオヤジのほうを警戒していた。
遠坂を抱え直しながら、とりあえずセイバーの視線とオヤジの事は意識から消すように意識に命じる。
そんな俺の思考の動きを読んだかのように、エリスは俺の問いに対する答えを告げてきた。
「まずはどうしてキリツグがワタシ達と一緒に戦ってるのかって話だけど、それは簡単。
キリコに二つ目の令呪を使ってもらったからよ。」
「自分の命令に従うようにか?そんなはずはない。
確かに君はイリヤのように優秀な魔術師かもしれないが、そんな広義の命令にオヤジを従わせるほどの強制力はないはずだ。」
令呪は、狭義の使用をすればそれこそ英霊を自殺させることすら可能な絶対の強制力となりえる。
しかし前回遠坂が同じ命令をエミヤにしたらしいが、そのときは強制力としてエミヤの身体能力を低下させるにとどまったらしい。
つまりは自分の命令に絶対服従しろという広義の命令は、『戦いに敗れてもいいのならば、逆らおうと思えば逆らえる。』ということだ。
仮にエリスが四年前の遠坂より優秀な魔術師であったとしても、冬木の聖杯に対して絶対の嫌悪を持つオヤジを、従わせられるはずなど無い。
だがエリスはそんな俺の否定の言葉に対して、今まで見た中で一番の笑みを浮かべて、告げた。
「違うわ、シロウお義兄様。
ワタシがキリコに頼んだのは、もっと限定された命令――――
『ワタシ達と一緒に、エミヤシロウと戦って殺しなさい』っていうことよ。」
それは今まででもっとも深く。
そして、今まででもっとも邪悪に歪んだ、そんな哂い。
「な――――――――――」
驚愕の声を上げたのは、セイバーか、アーチャーか。
あるいはそれとも、自覚の無い俺の声だったのだろうか。
「本当は聖杯戦争が終わるまで使いたかったけど、まぁシロウお義兄様を殺せば後はワタシの『セイバー』だけでも十分だしね。
――――――本当に面倒だと思わない?お義兄様?
わざわざ三つしかない令呪を使わなければ、戦争に参加もしないサ−ヴァントなんて。」
クスクスと、表情だけでは耐え切れないというように、エリスはその身を震わせた。
「ならばなぜなのです!エリシール・フォン・アインツベルン!
何故そのように自分の意に従わないキリツグを、サーヴァントに選んだのですか!?
触媒を用意しない限り、キリツグが偶然貴方たちのサーヴァントになるなど、確率的にありえないはずです!」
エリスの嘲笑を遮るように、セイバーが声を上げる。
そんなセイバーの言葉に、エリスは笑みを消して自分の胸の辺りを握り締めた。
「ワタシ達がキリツグを選んで召喚したとでも言うの?アーサー王。
そもそもキリツグが抑止力に取り込まれていただなんて、夢にも考えていなかったのに、そんな意図なんてあったと思う?」
「では、キリツグが今回召喚されたのはあくまでも偶然と言い張るつもりですか?
それともキリツグが、かつての私のように聖杯を手に入れることを条件に、抑止力となった結果に今回召喚されたとでも?」
確かに、オヤジは聖杯を誰よりも渇望していた男だったのだろう。
一を切り捨てることなく全てを救える「正義の味方」になるために、冬木の聖杯のような紛い物ではなく、オリジナルの聖杯を求めていたとしても不思議ではない。
「どうしてキリツグが英霊となったかなんて知らないし、興味もないわ。
でもね、どうしてキリツグが召喚されたのかはわかるわよ。」
そう言うとエリスは忌々しげに、本当に忌むべきものを語るかのように、続ける。
「ワタシはサルベージしたクサナギのかけらで『セイバー』を召喚し、キリコは触媒無しで召喚に挑んだわ。
触媒は用意したのではなく『あった』のよ。
ワタシ達が予想もしていなかった、今はもうワタシとキリコ以外、シロウお義兄様ですら持っていない、忌々しい遺物がね。」
その言葉に、セイバーとアーチャーは眉をひそめた。
しかし、俺にはそれだけで十分見当がつく。
おそらくそれは、かつてイリヤも持っていたモノ。
切嗣の四人の子供達の中で、俺一人が持っていないオヤジの遺物、それは――――――
「その女の子の中の………オヤジの『血』が触媒になったってわけか………」
俺の言葉に、セイバーとアーチャーが弾かれたようにこちらに振り返る。
振り返った二人の瞳にあるのは理解と、そして恐らく俺を気遣う思いやり。
養子であるエミヤシロウが持ち得ない、彼女達に受け継がれた衛宮切嗣の遺伝情報。
確かに、オヤジが英霊となったという前提で話を進めるなら、これ以上召喚にふさわしい触媒―――――『遺物』はないだろう。
「その通りよ、お義兄様。
ワタシ達の中に流れる、忌々しいキリツグの血。
正確には、その血で描かれた召喚の魔方陣そのものが触媒としての役割も果たしたんでしょうけどね。」
そう言って、エリスはよりいっそう胸のあたりで握り締めたこぶしに力を入れた。
まるで、その下にある自身の心臓を握りつぶすかのように。
心臓を握り潰し、自身の体に血が流れることを、拒絶するかのように。
やがて、エリスがゆっくりと握り締めたこぶしを解き、言った。
「まあいいわ。
確かにキリツグが召喚されたのには驚いたけど、おかげでもう一つのイリヤ姉様の意思を果たしてあげられるわけだし。
思いもかけない『娯楽』もできたんだしね。」
「娯楽と………イリヤのもう一つの意思?」
ええ、と頷いて、エリスはオヤジに視線を向けた。
「アインツベルンを裏切ったキリツグを始末する事。
イリヤ姉様が前回ここに来たときには、キリツグはとっくに死んで復讐はできなかったけど、英霊だとはいえワタシはキリツグをこの手で殺して復讐を遂げることができる。
そしてその前に――――――」
言いながら、今度は俺に視線を移す。
そのエリスの顔に、再び笑みが戻る。
「その前に、シロウお義兄様とキリツグの殺し合う姿が見れるなんて、ね。
死んだイリヤ姉様にも見せてあげたいぐらい。
ワタシ達姉妹が殺そうと思った二人を、その意思に関係なく殺し合わせることができるんだから。」
そう言って、子供のような笑みを浮かべたエリスに対し。
俺達三人は、言葉を発することができなかった。
こちらの質問に対するエリスの『答え』が全て終えられたその時、俺の腕の中で気を失っていた遠坂が、呻き声を上げた。
迂闊だった、自分達が置かれている状況も忘れ、エリスとの会話にのみ集中してしまうとは。
遠坂を一刻も早く安全な場所で休ませるためには、疑問の解決など待たずに『セイバー』とオヤジを倒してしまうべきだったのだ。
だが例えそうしたとしても、セイバーと俺は満身創痍、まともに戦えるのはアーチャーのみという状況で、『セイバー』とキャスターであるオヤジを相手に勝てる見込みは無い。
オヤジがどれだけの力を持っているのかはわからないが、魔術師としてのオヤジを知っているセイバーがあそこまで警戒している以上、決してたやすい相手ではないだろう。
なにより頼みの綱のアーチャーの宝具の対象は敵一人、そして宝具を二度使えば、アーチャーは現界できなくなってしまう。
状況を打開する手段を模索し、思いついては不可能だと否定する俺にその手段を示したのは、セイバーでもアーチャーでもなく、なんと敵であるエリス本人だった。
「さてと、それじゃあお義兄様への挨拶も済んだし。
城に帰ろっか?キリコ。」
その言葉に驚愕しながらも、いち早く反応したのはアーチャー。
「帰る、だと?
某達を見逃すというのか?」
俺達にとっては願ったりの提案ではあるが、確かに妙だ。
この状況で俺達を叩けば、まず間違いなくエリス達の勝利は確定しているというのに。
「見逃すわけじゃないわ。
ただ、シロウお義兄様を殺すのはここでじゃない。
お義兄様達が例え万全であっても、セイバー一人で十分だってわかったしね。」
問いかけたアーチャーには目もくれず、エリスの視線はただ、俺一人に向けられている。
「二日後………と言っても、日付は変わったから正確には明日ね。
シロウお義兄様、アタシ達のアインツベルン城に来なさい。」
そう言ったエリスの顔は、どことなく今の親父に似た、魔術師としての顔。
「イリヤ姉様が死んだその場所で、お義兄様とキリツグを殺す。
拒否は許さない。
もし来なければ、『セイバー』に命じて街の人間を無差別に襲わせるわ。
どのみちワタシは聖杯になるから、協会の粛清を恐れる必要も無いしね。
だから―――――」
不意に、今まで彫像のように静止していた霧子と呼ばれた少女が僅かに身を震わせた。
その少女に一瞬、エリスは気遣うような視線を向けたが、すぐにその視線を俺へと戻し、続ける。
「だから今日一日怯えなさい、エミヤシロウ。
圧倒的な戦力差があるにもかかわらず戦わなければならない現実を。
今日一日悩みなさい、エミヤシロウ。
かつて父と呼んだキリツグと殺し合わなければならないという現実に。
そうして初めて、ワタシ達姉妹の『衛宮』への復讐は達成されるのだから。」
まるで謳うように、白い少女はそう告げた。
新都のビルの屋上で、傷だらけの体に月明かりを受けるのは、今は俺達四人のみ。
恐らくは、あらかじめ何らかの魔術を用意していたのだろう。
エミヤシロウのココロに確かな楔を打ち込み、エリス達は夜の闇へと消えていった。
深夜。柳洞寺山門前―――――――
俗世の営みから隔離されたこの霊山には、人の作り出した明かりは届かず、光源は夜空に浮かぶ月明かりのみ。
古来より逢魔が刻と言われ、魑魅魍魎が跋扈したこの時間、月の下で対峙する影があった。
一方の影は、聖杯によって現世にその身を現界させた、ランサー・本多平八郎忠勝。
彼の名将の表情に、今は余裕など無い。
昨夜、アーチャーと槍を交えた時にも崩れることのなかった、傲慢にすら見えた笑み。
その笑みも今は無く、その口からは荒い呼吸音のみが漏れている。
その表情の理由は、鮮血を流す自身の負った頬の傷ゆえか。
あるいは、視界の隅に映る、すでに事切れた自身の主のことを考えてか。
その槍兵と対峙するもう一方の影は、四つ。
カカ、と笑う最も小柄な人影は、五百年以上も聖杯を求め続ける老人・マキリ臓硯。
対してもっとも巨大な人影は、喉を割かれ、その身にいくつもの孔を穿たれながらも長大な薙刀を構える偉丈夫、狂戦士・バーサーカー。
老人に次いで小柄な体を俯かせているのは、マキリの黒い聖杯・間桐桜。
腰に届く黒髪をたなびかせ、両手に金色の鎖で繋がれた赤と白の杭のようなものを構えながらも艶然と微笑む女性は、暗殺者・アサシン。
この時間を、逢魔が刻と呼ぶのであれば。
そんな時刻に霊脈・柳洞寺に立つ資格を持った五つの影もやはり、ヒトとはかけ離れたモノであったのかもしれない。
月の浮かびし聖なる杯 Interlude2 〜Lance and Makiris〜
この寺へと偵察に赴いたランサーと彼のマスターが突然敵の強襲を受けたのは、今から三十分ほど前のこと。
いや、厳密にはそれは強襲ではなかった。
敵のサーヴァントがこの寺に潜んでいることは、襲われる前に気がついていたのだ。
そのことに気づいたランサーは主にそう警告し、そしてマスターの指示を僅かな嘲りと共に待っていた。
よく言えば慎重、悪く言うなら臆病である自身の主が、撤退を命じることはわかりきっている。
それゆえ胸の内に生まれた嘲笑であったが、なんと主は予測に反し、迎撃せよと命じてきた。
主が何を考え戦闘の決意をしたかなど、今となっては知る術など無い。
しかし、もとよりランサーは戦を求めて現界に応じた生粋の武人・本多平八郎忠勝。
即座に戦闘体勢へと移行した彼の前に山門より現れたのは、二メートル以上は優にある、狂戦士・バーサーカー。
力を得る代償に理性を差し出したこの鬼神は、山門の階段を咆哮と共にすさまじい勢いで駆け下り、自身が手にした薙刀をランサーへと振り下ろした。
暴風のような一撃を回避し、戦への歓びに打ち震えたランサーであったが、その期待は数瞬と持つことは無かった。
ランサーがこの狂戦士との戦いに期待したもの。
それは命を懸けた攻防であり、全身全霊の力、速度、技量によって響く剣戟であり、どうやって敵に自身の獲物を打ち込むかを競う駆け引きだった。
しかしこのバーサーカーとの戦いにおいて、その期待はどれ一つとして叶えられない。
理性を無くしたこのサーヴァントに駆け引きは無理であろうが、そもそもこのバーサーカーには、「自身の身を守るために敵の攻撃を防ぐ」という基本概念すら無かった。
『守る必要』など無かったのだ。自身の手数の全てを、ただランサーを打倒することのみに費やし、その体を槍が打ち、薙ぎ、切り、穿とうとも、バーサーカーはその手を止めることは無い。
ランサーに付けられた傷は無数、常人ならば二十度、他のサーヴァントであれば十度、いかに狂戦士たるバーサーカーでも六度はその命を落とすであろう致命傷を受けてなお、バーサーカーはその手を休めることは無かった。
決してありえない不死性があってこそ可能な、全サーヴァント中最強の力によって繰り出される暴風を、しかしランサーは凌いで見せた。
その全てを攻撃に費やす敵を凌いでなお、ありえない不死の終わりを見届けるために、自身の槍を打ち込み続けるランサー。
『強襲』は、その最中に起こった。
バーサーカーとの戦いに全神経を費やすランサーと、その光景を見つめるランサーのマスターの意識をかいくぐり近づいた、もう一体のサーヴァント。
ランサーがその存在を察知したときには、すでに彼のマスターがいる場所は、ランサーが駆けつけるにはあまりに遠く、そして現れたサーヴァントにとっては、近すぎる場所。
現れたサーヴァント―――――アサシンは、あっさりとランサーのマスターを手にした杭のような物で刺殺した後、その標的を交戦中のランサーに切り替え、襲い掛かる。
幾度殺しても死なないバーサーカーを盾として襲い掛かるアサシンの両手に持った二本の杭による攻撃を、それでもランサーは数度、凌いだ。
だが、どれほどの技量を持とうと二対一のランサーに勝ち目などありえない。
捌ききれぬと悟ったランサーが背後に跳躍し間合いを取ろうとした瞬間、アサシンの持つ白い杭がランサーの頬を浅く抉る。
山門の階段の最下へと着地したランサーの頬から、一筋の鮮血が流れたその瞬間。
カカ、という笑い声と共に、バーサーカーのマスター・マキリ臓硯と、アサシンのマスター・間桐桜が山門からその姿を現した。
「いやいや、さすがは音に聞こえし本多平八郎忠勝よ。
バーサーカーとアサシンの二人を相手にし、ここまで凌ぎきろうとはな。」
カカ、と笑いながら告げる老人の声には、真実賞賛の響きがあった。
その賞賛の声にスゥと深呼吸をし、息を整えたランサーが答える。
「世辞などいらんわ、バーサーカーのマスターよ。
賞賛は貴様のサーヴァントにでもくれてやるがいい。
いかに死を恐れぬバーサーカーとはいえ、よもや不死身だとは考えもしなかったわ。」
その声と表情は、あくまで不敵。
戦国を駆け抜けたランサーは、呼吸と共にすでにその心構えも整えている。
「ふむ、不死身とな?
真にそうであればよかったのだがの。」
ランサーの不敵に対して、老人の表情は、余裕。
「いかにサーヴァントといえども不死など実現はできん。
それを実現させんがための聖杯よ。
………このバーサーカーが真実不死ならば、ワシもこんな苦労はせんで済むのだがの。」
この狂戦士は、不死ではないと。
その異常とも言える不死性にも制約があるのだと、老人はあっさりと自身のサーヴァントの弱点を敵に告げた。
その心にあるのは、自身の勝利の絶対的な確信。
この場での必殺を確信し、敗走すら許さぬという余裕が語らせるランサーへの冥土への土産。
余裕の表情を浮かべる、マキリ臓硯。
体に無数の傷を負いながらも、山のように佇む、バーサーカー。
俯きその表情の見えない、間桐桜。
艶然と微笑み優雅に立つ、アサシン。
誰もがランサーの消滅を確信している中で、その確信を一際強く持っているのは、なんと他ならないランサー本人だった。
その理由は、アサシンに付けられた頬の傷。
それはただの掠り傷、英霊はもちろん人間であっても、命を失うどころか動作に支障をきたすことの無い、小さな浅い掠り傷。
だが、『本多平八郎忠勝』にとってはその意味は極めて重い。
生前、五十七度の戦を経験し、ただの一度の敗北もなく、ただの一度も傷を負わなかったというランサー・本多平八郎忠勝。
日本のみならず、古今東西あらゆる英霊の中で屈指の幸運を持つ彼が生涯ただ一度、晩年に小刀で自ら指を怪我し、その死期を悟ったのだという。
ランサーにとっては、例え因果を捻じ曲げ必中する宝具を放たれようとも『生き延びることができるのならば』、それは必ず『無傷』で回避しうるモノなのだ。
しかし、それゆえに。
一度『傷を負ったので』あれば、例えどのような小さいものであろうとも、それは自身の死を告げる絶対の呪いとなる。
傷を負った末に死すのではなく、死すべき運命(サダメ)に有るときにのみ、手傷を負う。
絶対の幸運に裏打ちされたランサーのその特性が、皮肉にもランサー自身に絶対の消滅を確信させていた。
「侮られたものよ、自ら弱点をひけらかすとはな。
連れているサーヴァントはともかく、マスターは三流であったか。」
クク、と老人を侮辱する言葉を吐くランサーだが、その目は笑っていない。
ランサーは、すでに悟っていた。
もはや、自身の消滅はどうやっても避けられまいと。
だが、死すべき運命にあるのであれば。
その身が消えるというのなら、二人のサーヴァントの内せめて一人。
せめて一人は、どうあっても『連れて逝く』と、その目が語っていた。
しかし、ランサーの侮辱もその必至の決意を込めた視線も老人は受け流し、余裕を持って告げる。
「ふむ、確かにワシは魔術師として三流であるやもしれん。
だがランサーよ、どのみち貴様はバーサーカーの『限界』に到達することはできんぞ?
なにより―――――」
そういうと、老人はその視線をランサーから外し、僅かに距離のあるアサシンへと移し。
「こちらにはアサシンもいるしの。
――――アサシンよ、ランサーを始末せい。
バーサーカーは少々使いすぎたわ。」
まるで、アサシンまでもが自身のサーヴァントであるかのように、そう告げた。
その言葉にアサシンは自身のマスターである女性―――桜に問いかけるような視線を向けるが、返答が無いことを知り、肩をすくめて苦笑した。
それは、英霊とは思えないほど人間臭く。
何気ない動作でありながら、異性のみならず同性をも魅了する、そんな仕草。
蔑むというよりも、むしろできの悪い生徒を見つめるような視線を自身のマスターから外し、アサシンは一歩ランサーへと歩み寄った。
「―――つくづく侮られたものよ。
二対一という利を捨て、単独で挑んでくるか、アサシンよ。」
侮られた、などと言ってはいるが、ランサーの声に怒りは無い。
彼の槍兵にとって、この展開は望むところ。
一対一であるのなら、戦闘における基本性能はランサーが上回っている。
「しかし、此度のアサシンは大方忍びの者であろうと予測していたのだが、
貴様のような華奢な女子であったとはな。
――――どうする?アサシンよ。
所詮貴様らは、不意を突いて背後から攻撃するしか脳の無い輩よ。
真正面から我と打ち合うつもりではあるまい?」
華奢な女子、などと言いつつも、ランサーに油断はない。
英霊であるのならば性別や身体の大小など、まるで意味を成さないことなど知っている。
ランサーに挑発されたアサシンは、しかし怒るわけでもなく、相変わらず艶然とした笑みを浮かべて口を開いた。
「私からも質問していいかしら?ランサー。」
その口からこぼれたのは、まるでチャームの魔術を帯びているかのような、そんな声。
ヒトのみならずあらゆる生物を誘惑しうるその声に、しかしランサーはまるでその表情を動かさず、顎を一度しゃくってアサシンに問いを許す。
「ランサー、貴方は何故マスターを殺されたにもかかわらず、ただの一度も逃げようとはしなかったのかしら?
逃げ切れるかどうかは別として、貴方ほどの英霊ならサーヴァントを失った他のマスターと契約したほうが、よほど芽があることはわかっているでしょう?」
アサシンというクラスにもかかわらず、思いのほか饒舌な彼女の問いに答えたのは――――ランサーの苦笑だった。
「貴様らには、どう言った所でわかるまいよ。」
そう、わかるはずなどない。
ココロとカラダから腐臭を発する魔術師にも。
理性を奪われ佇む狂戦士にも。
腐臭を発する老人に怯え、自己を殺したとしか思えぬ魔術師にも。
己が利のために殺しを請け負う暗殺者にも。
この場にいる者に、理解などできるはずがない。
恐らく、昨夜戦ったあの愚直なアーチャーであるのなら、言わずとも理解しよう。
アサシンを見つめる視界の隅に映る、血を流し事切れた自身のマスターであったモノ。
慎重を期し、戦を求める自分に戦いの場を与えようとしない彼に、正直苛立っていたことは事実。
だが、それでも主なのだと。
あの男が己が主なのだと、そう自身に誓ったのだから――――――
「『事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討ち死を遂げ、忠節を守るを指して侍と曰ふ――――』」
槍を構えながら、歌うようにランサーの口からこぼれたその言葉は。
「この忠勝、例え死して英霊となろうとも、この信は変わらぬわ。」
アーチャーと同じく、愚直なまでにまっすぐであった武士が、戦場を駆け抜けたその胸の内に秘めた意地という名の信念だった――――――。
槍を構え、必殺の殺気を放ちながら答えたランサーの言葉に。
「そう――――。
確かに理解はできないけど。」
アサシンもまた、二本の赤と白の杭を構え。
「そういうのは嫌いじゃないわ、ランサー。」
必殺の殺気で、応じた。
濃厚な殺気をぶつけ合い、亀の歩みのごとくゆっくりと間合いを詰めていくランサーとアサシン。
ランサーは、自身の宝具『蜻蛉切』がアサシンにとって回避不能となるその距離まで。
アサシンもまた、自身の宝具がランサーに必中するその距離まで。
互いの手の中にある絶対の『死』を一秒でも相手より早く叩きつけようと、全神経をもってミリ単位のセカイで自身の必殺の間合いへと距離を詰めていく――――――
「そういえば、貴方の質問には答えていなかったわね、ランサー。」
間合いを詰めながら、さすがに緊張した声色でアサシンが告げる。
「真正面から打ち合うつもりかと聞いていたけど、私はそもそも隠形に優れているわけではないわ。
この身は生前、暗殺を生業とはしていなかったのだから。」
アサシンの独白に、ランサーは無言。
蜻蛉切の回避不能距離まで、あと十数センチ。
「私に勤まるのが、たまたまアサシンだけだったということよ。
あるいはキャスターも可能だったかもしれないけど。」
そう言って、やや大きく間合いを詰めるアサシン。
アサシンにとっての必殺まで、あと八センチ。
「それと訂正させて頂戴、暗殺の手段は、背後から襲い掛かるだけじゃない。」
あと五センチという距離は、果たしてどちらの必殺の距離だろうか。
「古くは刀剣による刺殺から、無手による絞殺、弓矢による狙撃―――」
もはや、両者の間に距離など無い。
確実に相手を殺しうるのであれば、両者の間にある数メートルなど、意味は無い。
「そのどれよりも暗殺に使われてきた方法を、貴方も知っているでしょう――――!」
瞬間。
両者は、動いた。
「――――――――――蜻蛉切(ただ、勝つべき斬光)!!――――――――――」
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
両者共に、己が宝具の真名を告げる。
ランサーは、裂帛の気合をもって。
アサシンは、ランサーの声にかき消されるほど小さく、不吉に。
日本三大名槍から放たれた生物のみを切断する光の斬撃は、そのままアサシンを切り裂き。
アサシンが投擲した赤い杭は、不気味な黒い光を放ち、ランサーの肩へと突き刺さった―――――
若干の痛みを覚えながらも、ランサーは立ち上がり、肩口に突き刺さった杭を抜く。
アサシンは、倒れたまま起き上がろうとしない。
それは、ランサーにとっては当たり前のこと。
蜻蛉切はアサシンへと間違いなく命中し、その身を切り裂いたはずなのだがら。
不可解なのは、敵にとっても必殺であった杭を受けたその身が、未だに健在であること。
だが、生き残ることに不満などあろうはずがない。
生き永らえたというのなら、ランサーがすべきことは自身の限界までもう一体のサーヴァント・バーサーカーとそのマスターに挑み続けるのみ。
しかし、再び槍を構えなおし、殺気をぶつけてくるランサーを見つめる老人の瞳は―――――相も変わらず余裕であった。
「脳が腐ったか?魔術師よ。
アサシンは死に、我は生き残った。
我では届かんというバーサーカーの限界とやらも、存外容易いのではないか?」
老人は答えない、その代わりに。
「―――――いいえ、貴方はすでに終わっているわ、ランサー。」
死んだはずのアサシンのカラダから、死んだはずのアサシンのコエが、答えた。
「貴様、生きて――――――ガッ!」
再びアサシンへと視線を向けようとしたランサーは、しかし叶わず膝を折ってうずくまった。
その身を襲ったのは、耐え難い激痛。
脳髄に熔けた鉄を流し込まれるよりもさらに鋭い痛みが、アサシンの杭が刺さった傷口から、ジワリ、ジワリとランサーの全身を『浸蝕』していく。
それは、カラダを構成する魔力を、ヤスリで削られていくような、そんな感覚。
霊体たる英霊だからこそ耐えることができない痛みの中で、ランサーの脳裏をよぎったのは、目の前で立ち上がったアサシンの言葉。
―――――どれよりも暗殺に使われてきた方法を、貴方も知っているでしょう――――
「こ、れは、……………毒か!」
そのランサーの言葉に、傷一つ無く立ち上がったアサシンは艶然と笑みを浮かべて頷いた。
「そうよ、ランサー。
例え華奢な女子供であろうとも、膂力で勝る者を暗殺できる最も簡単な方法。
―――――致命傷であろうがなかろうが、そんなことは何の意味も持たないわ。」
身体についたホコリを払いながらそう告げるアサシンに対し、ランサーは苦痛を飲み込んで、訊ねた。
「何故、キサ、マの胴は、繋がっている!
よもや、貴様、も、不死身だと………いうのか!」
そのランサーの苦悶に恍惚を隠し切れず、身を震わせてアサシンは答えた。
「いいえ。私は殺されれば死ぬわ。
ただ、この身には一度きりの『加護』がある。
よほど強力な宝具でなければ、私には届かないのよ。
―――――貴方の宝具では、ほんの少し力が足りなかったようね。」
自身の誇りを蔑まれることを屈辱というのであれば。
自慢の愛槍を弱いと言い放ったアサシンの言葉は、間違いなくランサーにとって最大級の屈辱だった。
「貴、様――――――!」
残る全ての力を込め、アサシンに向けて槍を投擲しようとしたランサーの右腕は。
咆哮とともに投擲されたバーサーカーの薙刀によって、あっけなく千切れ飛んでいった。
もはや、痛覚すら失って倒れこむランサーに向かって。
「さようなら、ランサー。
貴方のことは気に入ったから、一思いに殺してあげるわ。」
アサシンは、それが慈悲であるかのように赤い杭をランサーに振り下ろした。
アサシンが、ランサーに止めを刺しこちらに歩み寄ってくる。
その姿を見て、いままで成り行きを見守っていたお爺さまが、満足そうに私に声をかけてきた。
「ふむ、とりあえずは上々といったところかの。
さて桜よ、ここからはお前の仕事じゃ。
ランサーを取り込み、マキリの聖杯の礎とするがよい。」
それは、私にとっては逆らうことのできない命令。
姉さんと先輩がロンドンへと旅立った後も、私を縛り続ける無限の令呪による、強制。
「………はい、お爺様。」
そして、そんな命令に唯々諾々と従ってしまう自分に、心底嫌気がさす。
先輩と姉さんがロンドンに旅立ってから三年、二人を祝福できるようになるまではそこからさらに二年。
この一年間ようやく大学での生活に馴染もうと決意し、過ごしてきたのに、数日前、突如お爺様は寮に現れ、私に告げた。
再び、冬木で聖杯戦争が起こること。
私に、もう一つの聖杯となるための『移植』がなされていること。
戦いに敗れた英霊を私の心臓に宿す方法と、そのチカラの使い方。
―――――もし断ったその時には、与えられるのは死ではなく、私の大切だと思ってきた物、私がこれから大切に思う物の破壊であるということ―――――
「ふむ、事が終わったらよく休むが良い。
『蟲』からの知らせでは、衛宮の小倅達が近日アインツベルン城で『セイバー』とキャスターとぶつかるらしいからの。
正直、あの『セイバー』とキャスター相手では、バーサーカーとアサシンといえども荷が重いと思うておったところよ。
ここは、漁夫の利を狙うとしようかの。」
私の答えに満足したお爺様は、私が言いつけを守ることを疑いもせずに、バーサーカーと共に山門を上っていく。
当然だ、私はお爺には逆らえない。
本当に、悔しくて涙が出るほどに、私の体にはお爺さまへの服従が刷り込まれている。
「私、どうしたらいいんですか―――――?先輩、姉さ………ん」
このままじゃ、いずれ二人と戦うことになる。
そんなことは、絶対に嫌なのに。
死んだって、嫌なことのはずなのに。
私には、自分で死ぬ勇気すらないなんて――――――
「ずっと、そうやって望まない生き方をするつもり?マスター。」
倒れたランサーの前に立ち、教えられた通り『影』に取り込ませた私に、アサシンがそう訊ねてきた。
お爺さまの命令で、四年ぶりに召喚したサーヴァント・アサシン。
前回の私のサーヴァント・メデューサほどではないが、彼女も日本ではそれなりに名前の知れた存在だった。
「じゃあ………どうしろっていうの?アサシン。
私は、お爺さまには、逆らえないんだもの。」
いっそこのアサシンに令呪で命じたら、苦しまずに死ぬことができるだろうかと。
そんなことを考えていると、アサシンは一度嘆息した後、笑みを浮かべてこんなことを口にした。
「―――――私が、助けてあげましょうか、マスター?」
「え―――――――――――」
いったい、何を。
今、彼女はいったい何と口にしたのか?
「貴方を縛る蟲(クサリ)を断ち、あなたを苛む蟲(ゾウケン)を殺し、自由にしてあげましょうか、と言ったのよ。」
そんなこと、できるはずがないと。
私にとって、それは『魔法』を用いでもしない限り、不可能な事なのだと告げようとして。
―――――それでも、アサシンの自信に満ちた表情に、縋ることを止められなかった―――――
「その代わり、マスター――――――桜も、私の望みを聞いてくれるかしら?」
「のぞ、み?」
それが、どんな望みなのかはわからない。
ただ、本当に可能であるのなら。
本当に自由になれるのであれば、それこそこの命を差し出したって、惜しくなんかない。
その望みが何かも聞かず、頷いた私に対して。
月明かりを受け、アサシンは。
アサシンはニッコリと、同性の私ですら見とれてしまうほどの妖艶な笑みを浮かべた――――――。
冬木における聖杯戦争の避難場所、冬木教会。
エリス達が去った後、俺は藤村の雷画爺さんへ、新都のオフィス街まで急いで車を回して欲しいと電話をかけた。
藤ねぇには内緒にしておいてほしいと前置きをした上での俺の頼みに最初は戸惑っていた爺さんだったが、俺の声に事情を察したのか「わかった、すぐ若い衆をやる。」と、理由も聞かずに了承。
藤村の家からオフィス街までは距離があるにもかかわらず、およそ十五分ほどで俺たちの前には黒のリムジンが到着し、気を失ったままの遠坂を含めた俺たち四人が向かってもらったのがこの冬木教会である。
本来、重傷を負った遠坂を運ぶべき場所は病院なのだろうが、幸いなことに今回の聖杯戦争の監査役も言峰と同じく魔術による治療が可能との事だったので、寝ていた神父を叩き起こし、遠坂のことを頼んだ。
神父は「聖職者の眠りを妨げる者に天罰を、アーメン」などと言いつつも、老体とは思えないほどの力強さで気を失った遠坂を抱き、扉の向こうへと消えていった。
月の浮かびし聖なる杯 第十一話 〜回顧〜
つい先程から降り始めた雨が、ぽつぽつと地面を叩く音が聞こえる。
遠坂が神父に連れられ奥の部屋へと消えてから十分あまり、聖堂の備え付けの椅子に座っている俺達三人は無言のまま時を過ごしていた。
幸い、遠坂の次に重傷だったセイバーの体は、すでにアヴァロンの加護でほぼ完治している。
それでも自身の最強力たるエクスカリバーを跳ね返された衝撃から未だ立ち直れていないのか、あるいはかつて自身のマスターであったオヤジとの思いがけない邂逅のためか、セイバーの表情は暗い。
そして、俺の表情も似たようなものなのだろう。
遠坂の傷のことももちろんだが、それと同時に頭の中を回っているのは――――やはりキャスターとして現界した、オヤジのことだった。
思考の大半を占めているのは、どうやってエリス達と戦うか、などと前向きなものではない。
『本当にオヤジと戦わなければならないのか』
そんな、答えなどわかりきっていることが、どうしても頭から離れることはなかった。
「………セイバー殿、一つ聞きたいことがある。」
長く、そして痛い聖堂の中での沈黙を破ったアーチャーの言葉に顔を上げたセイバーの目は、すでにいつも通りの凛とした光を湛えていた。
「何でしょう?アーチャー?」
自身の受けた衝撃など微塵も感じさせないセイバーの声にアーチャーは一度小さく頷くと、一瞬こちらに気遣うような視線を向けながらも、続ける。
「―――キャスターのことに関してだ。
恥をさらすようだが、某はあの『セイバー』との戦闘中――――いや、目の前に現れるまで、まるでキャスターの存在に気がつかなかった。
これがどうにも納得できん。
いかに戦に集中していたとはいえ、あそこまでの接近に気づかぬはずはないのだ。」
確かに、索敵能力においては全サーヴァントのクラス中一、二を争うアーチャーが、アサシンでもない相手が目の前に現れるまで気がつかない、というのはおかしなことなのかもしれない。
「あるいはあのキャスターが気配遮断のスキルを持っているとしたなら、その力はどう考えてもアサシン並みとしか思えん。
………セイバー殿は、あのキャスターの気配に気がついていたか?」
「気がついていたか」などと言っているが、アーチャーがセイバーに聞いているのはそんなことではないだろう。
アーチャーにはキャスター────オヤジと俺達との関係について、雷画爺さんからの迎えを待っている間に説明した。
アーチャーが聞きたいこと、それは十四年前にオヤジと共に聖杯戦争を戦ったセイバーには、キャスターというクラスにそぐわないオヤジの能力について心当たりはないか、ということだろう。
「いいえ、アーチャー。
キリツグ――――キャスターが使っていたのは気配遮断ではありません。
あれはおそらく、キャスターの魔術によるものでしょう。」
一瞬、何かを思い出そうとするかのように目を閉じた後、セイバーはそんなことを口にした。
その言葉に、アーチャーはわずかに目を細め居住まいを正す。
「やはりセイバー殿には、心当たりがあるのだな?」
そう尋ねられたセイバーは、しかしアーチャーの問いに即答することはなく、その視線を無言のままでいた俺へと向けた。
その視線の中にあるものは、アーチャーと同じく俺への気遣い。
どこまでも冷徹であったという、魔術師としての衛宮切嗣の姿を俺に告げることを、ためらっているのだろう。
セイバーと出会ってから四年余り、俺はオヤジと四回目の聖杯戦争について、詳しくセイバーに尋ねることは今までしなかった。
四年前に俺が知ったのは、オヤジが魔術師らしい魔術師であったということと、四度目の聖杯戦争の勝者であったということ。
その時知った魔術師・衛宮切嗣の姿は、どこまでも子供のようだったオヤジしか知らない俺にとっては、まるで想像のできないものだった。
そんな魔術師としてのオヤジに、興味がなかったわけではない。
それでも、たとえ魔術師としてのオヤジがどういった存在だったにせよ、俺にとってのオヤジの姿は何も変わることはないのだと思った。
だからこそセイバーに尋ねることはしなかったのだし、その意味も無いのだと、この四年間そう思い続けてきた。
だが―――――
「話してくれ、セイバー。
オヤジが―――――衛宮切嗣が、どんな魔術師だったのか。」
確かに、昨日までだったらそんなことを知る必要などなかった。
だがサーヴァントとして、敵として俺たちの目の前に現れた以上、その情報は俺たち三人で共有すべきだ。
俺の言葉にセイバーはゆっくりと頷くと。
「わかりました、シロウ。
キリツグについて、私の知っている限り全てのことを話します。」
十四年前のことを、語り始めた。
「四度目の聖杯戦争のときに私のマスターであったキリツグは、魔術師として飛び抜けて優れていたわけではありません。
――――そんなキリツグが勝利し得た理由は、二つの魔術によるものです。
この二つを併用し、キリツグは次々に敵対していた他のマスターを暗殺していきました。」
特に大きな声ではないにもかかわらず、セイバーの声は不思議と地面を打つ雨音に邪魔されることはなく、よく響く。
「一つは固有時制御、そしてもう一つは、自己の存在を完全に消すことのできる特殊な結界です。
おそらく私達が今日キリツグの接近に気がつかなかったのは、この結界を展開されたためでしょう。」
そこで、アーチャーが口を挟んだ。
「待ってくれセイバー殿。
結界が張られていた気配など、まるで感じられなかったぞ?」
確かに、あの遠坂すら気づかない結界を事前に準備していたなど、正直考えにくい。
セイバーはアーチャーの言葉に頷き、続ける。
「キリツグの結界は、術者たるキリツグを中心としているためにキリツグと共に移動します。
結界をそれと悟られるような魔術師は三流――――とはリンの口癖ですが、その点で言えば、間違いなくキリツグは一流以上の魔術師でしよう。」
術者を中心に展開される、移動型結界。
『セイバー』との戦闘中に範囲外から展開し、近づいてきたのなら、確かにそれと悟られるようなことはなかったかもしれない。
「サーヴァントでなかった十四年前でさえ、あの結界はキリツグの存在を視覚や聴覚といった五感から、果ては気配に至るまで完璧にこちらに認識させなかった。
キャスターとして魔力が飛躍的に向上した今のキリツグの結界の性能など、正直想像がつきません。」
そのセイバーの言葉で、俺の疑問も晴れた。
「そっか、セイバーがあのとき『セイバー』よりオヤジを警戒していたのは、そのためだったんだな。」
俺の言葉に頷くと、セイバーは一度聖堂の中を見渡し。
「――――もしも仮に今この場にキリツグがいて、シロウに銃口を突きつけていたとしてもわからないかもしれません。」
なんて、とんでもないことを口にした。
「な―――――――――」
驚愕の声を上げ辺りを見回すアーチャー。
そのアーチャーの姿に、セイバーは首を振る。
「その可能性もあるという話です、アーチャー。
前回、キリツグが直接手を下したマスターはコトミネも含めて四人。
そしてもう一人、キリツグの襲撃を警戒するあまり精神が弱って自滅したマスターもいました。」
そう言って、セイバーはなんとも言えない表情を浮かべた。
「征服王イスカンダル、英雄王ギルガメッシュを筆頭に、あの戦争では優秀なサーヴァントが揃っていた。
例えキリツグが召喚したのが私以外のどのサーヴァントであったとしても、勝ったのはキリツグでしょう。
――――――あるいはあの戦争で勝ったのは『私達』ではなく、キリツグ唯一人であったのかもしれません。」
「何言ってるんだ、セイバー。
オヤジはわざわざ触媒を使ってセイバーを選んだんだ。
誰でも良かったなんて、そんなことあるわけがない。」
おそらく初めて聞くであろうセイバーの強い自虐に、おもわず叫んでしまう。
「………キリツグにとって私は――――サーヴァントとは、敵を討ち、自分の身を守る剣などではありませんでした。」
昔を思い出し、その思い出に耐えるような声で、セイバーは続ける。
「キリツグにとってサーヴァントとは、敵対するマスターを自分で仕留めるまで、敵のサーヴァントの攻撃を引きつけるおとりであればよかったのかもしれません。」
そう言って、聖堂の明かりに照らされながらこちらに微笑む、いつも通りのセイバーの顔。
だけどその表情の奥で。
剣として必要とされなかったことが、あるいは聖杯の破壊を命じられたときよりもずっと口惜しかったのだと。
そう、彼女が言っているような気がした。
『シロウ、今回のキャスターがキリツグである以上、何より注意すべきはマスターであるリンとシロウの身の安全です。』
子供たちが家へと昼食を食べに帰り、人のいなくなった商店街近くの公園で、俺はぼんやりとベンチに座りながらセイバーの言葉を思い出していた。
あの後、幸い命に別状はないものの数日は目を覚まさないだろうと言われた遠坂を連れて帰宅したころには、すでに夜が明けていた。
意識のない遠坂をベットまで運び、少しでも体力と魔力を回復させようと俺も仮眠を取ったのだが、目を覚ましたころにはなんと時刻は十時過ぎ。
あわてて着替えて居間に行った俺を迎えたのは、『おはようございます、シロウ』という、いつも通りのセイバーの挨拶だった。
昨夜の疲労など微塵も感じさせない彼女の話では、セイバーとアーチャーは交代で遠坂の看病をしていたらしい。
そんな二人に報いるために、せめてランチは朝の分まで豪勢にいこうと冷蔵庫を開いたのだが、その中は見事に空。
そんなわけで、護衛についていくと言い張ったセイバーを休んでいてくれと説き伏せて、俺は一人で商店街へと買い物に来た。
人気のない公園のベンチに座る俺の横には、すでに済ませた買い物の成果が二袋、物言わず鎮座している。
買い物を済ませたのならば早く帰って料理の準備に取り掛かればいいのだが、どうしても一人で考えたいことがあった。
言うまでもなく、それは明日アインツベルン城に来いと言ったエリスの言葉。
行かないなどというのは端から論外だが、策もなく、意識の戻らない遠坂抜きで戦ったとしても、おそらく昨日の二の舞だろう。
セイバーというクラスと衛宮切嗣、この二人の組み合わせには、過去に聖杯戦争を制したという確かな実績がある。
策も無くそんな二人を相手にするのならば、せめて確固たる意思を持って戦いに望まければならない。
だというのに。
(だってのに、未だにオヤジと戦う決心すらつかないなんて―――――)
エリスを聖杯にさせないためには、オヤジと『セイバー』を倒さなくてはならない。
そんなことは、わかりきっているはずなのに。
そう思うたびに、ズキンとどこかが痛んでは決心が鈍る。
痛みの理由は、きっと今も色あせることの無い記憶だろう。
思い出すのは、まるで子供のように豊かだったオヤジの表情。
一緒に住まないか?と尋ねてきた、優しげな表情を。
初めて衛宮の家に来た晩、自分の作った夕食の感想を聞く、少し不安げな表情を。
燃えてしまった学用品を揃えるために向かった、デパートのランドセル売り場でバツが悪そうに佇む、照れたような表情を。
魔術を教えてほしいと頼んだときに浮かんだ、困ったような表情を。
業火の中、俺が助かったことに涙を浮かべて喜んでくれたオヤジの表情を、思い出してしまう。
『セイバー』と戦うことに、不思議と恐怖は無い。
ココロを苛むのは、エリスの掛けたもう一つの呪い。
――――――今日一日悩みなさい、エミヤシロウ。かつて父と呼んだキリツグと殺し合わなければならないという現実に――――――
「一体どうしろってんだ!」
ドン、と。
周囲に人がいないことをいいことに、ベンチへと拳を振り下ろした俺の八つ当たりは。
「キャッ!」
一人の少女に、小さな叫び声を上げさせてしまった。
「え―――――?」
その声の主に謝ろうとしてあげた俺の視線が捕らえたのは、しかし見知らぬ人物ではなかった。
そこに立っていたのは、俺と同じ魔術師であるはずの少女。
怯えたように身を硬くしながらも、律儀にこちらに頭を下げるその子は。
昨夜エリスと共にいた、霧子と呼ばれていた少女だった。