「ううん……朝か?」
寝ぼけた頭を振り目を開くと、そこにはいつもより高くのぼった太陽があった。
「やばっ! もう七時だ、早くしないと殺される」
あわてて起き上がり、俺は台所に向かった。
早く朝食の準備に取り掛からねば、この身が無事でいられる保証はない。
彼女は食事にうるさいのだ。
それはもちろん、セイバーほどじゃないんだけど……
廊下を静かに突き抜け、居間のふすまをわずかに開いた。
恐る恐る中を覗いてみると……暗い。なぜだ? って考えるまでもなく原因は一つしかない。つうっと冷たい汗が背をつたった。
「うおっ」
見上げるとやはりというべきか、そこには『赤い大魔王』が仁王立ちしていた。
決して『赤い悪魔』ではない。この人に比べれば遠坂なんてかわいいもんだ。
そして思わず悲鳴をこぼした俺に、妙齢の美女はにこやかに微笑みかけた。
「おはよう、士郎。今日はずいぶん遅かったのね?」
はっきり言って、今日が命日です。切嗣さん、不本意ながらもうじき会えそうです……
「でも……師匠より遅いってのは、どうゆうことなのかしら?」
怒っております。間違いありません。
むむっ、だが……ここで怯むわけにはいかない! 怯めばそこは地獄だってきまってる。
意を決して、俺は話しかけた。
「あ、あの、蒼崎さん? よ、よく寝れましたでしょうか」
「それはもちろん……あなたほどじゃないけどね」
そう言って彼女、蒼崎青子さんはキッと睨みつけてきた。
その手はなぜか光り輝き、いつ暴発してもおかしくないような勢いだ。
あかん!! 俺の身体どころか、家まで吹きとばしかねん。
「ちょ、ちょっと待ってください、師匠! あ、あのですね、朝寝坊の原因の一端は師匠も担ってるわけで、ですからここはどうか穏便に。飯はすぐ作りますから」
俺は懸命に師匠を宥めた。俺の顔は今、真っ赤になっているだろう。普通なら言えない台詞だ、夜の営みが激しいなんて……
だがそんなこと気にしている暇はない。とにかく飯を人質にとって命を守るしかないのだ。
そんな風に慌てふためく俺に対して、ほとほと呆れたように師匠はため息を洩らした。
「あのねえ、士郎。寝かせてくれないのはあなたのほうなのに、そのあなたが照れてどうするのよ……」
「うっ」
「はあ、まあいいわ。久しぶりに自分の家に帰ってきて、ゆっくりしたいって気持ちもわかるし。さっさと朝食作ってくれれば、チャラにしてあげるわよ」
「了解しました!!」
俺は脱兎のごとく師匠の横を通り抜け、台所へ入った。
冷蔵庫には一昨日買い込んだ食材がたんまりある。それなりのものが出来るだろうが、時間をかけることは許されない。
彼女はさっさと作れと言ったのだ。それは文字通りさっさと、なのだ。
とりあえず玉子焼きとご飯と味噌汁ぐらいはすぐ出来る。
そいつを食べてもらっているうちに、魚でも焼いて。っとそういえば鮭があったっけ?
あとは……作りながら考えよう。
「それにしても、協会の連中もまさか俺がここにいるとは思わないよな。逃亡中に実家なんて」
菜ばし片手に、苦笑した。
遠坂もすごい人に頼み込んだもんだ。
遠坂は確かに日本で有数の地脈を治めている名門であるが、かなりの確率で魔法使いを輩出する蒼崎家とは比べ物にならない。
その蒼崎の当主に俺を任せようとするんだから、後が怖い。なんといっても魔術師は等価交換が基本。遠坂のやつ、何を俺に吹っ掛けてくるつもりだろう?
でも固有結界を持つことがばれた俺にはこれでよかったのかもしれない。一緒にいれば遠坂にも迷惑かけるし。
破壊することしか能がないといわれる魔法使いと、殺すための剣しか作れない魔術使い。
正義の味方には程遠いな……
そして三年前、ちょうど俺が高校三年性になってからのことを思い出した。
セイバー、いやアルトリアがいなくなった後のことを……
初めて無限の剣製を発動した頃のことを……
逃避行
「じゃあ、進路希望調査書だして〜」
藤ねえが教壇にたって、竹刀をぶんぶんと振り回す。
何の因果か高校生活最後の年、藤ねえが俺の担任になってしまった。
クラスメートには一成、美綴、そして遠坂がいる。馴染みの顔はそれぐらいだ。
慎司は聖杯戦争以来、行方不明となっている。もちろんそれが嘘だってことを俺は知ってる。
慎司はライダーのマスターとして、バーサーカーに殺された。あの時イリヤはそう言ってた。
あいつはサーヴァントの力に溺れ、道を踏み外した。学校で結界をはり、多くの命を奪おうとした。
聖杯戦争では常套手段なのかも知れないが、許せることはできないと思った。
サーヴァントを失っても慎司があのままだったら、殺したのは俺だったかもしれない。
それでも止める事が出来たんじゃないかと思ってる。
べつにイリヤを責めるつもりはない。でもあの後、桜はひどく落ち込んだ。
あんなやつだったけど、桜にとっては実の兄だ。
慎司が唯一の家族みたいだったし、いなくなればさすがに悲しくもなるだろう。
「もう出してない人はいない〜? い〜ち、に〜い、さ〜ん……」
藤ねえが回収した調査書を一枚一枚数え上げていく。
高校も三年生ともなれば当然のように進路を考えなくてはならない。
就職するやつもいれば、進学するやつもいる。
まあ何もしないでフリーターになるという手もある。
それで俺はというと、就職することに決めていた。
目標は正義の味方だが、進路調査には流石の俺も書かない。
それを、なにをトチ狂ったんだか藤ねえのやつ、
「あれ〜、士郎は正義の味方になるんじゃないの〜?」
なんて抜かしやがった。
その瞬間、教室中がどっと沸いた。
そりゃ高校生にもなって正義の味方はないかもしれないけど、いいじゃないか。
しかも藤ねえはいたって真面目だから手に負えない。これが一年間担任なのかと思うと胃に穴が開く、きっと。
「確かに、正義の味方などというのは衛宮らしいかもしれん」
とか言って一成は真面目な顔で頷いてるし、美綴は黙って俺の肩をたたいていくし、遠坂は手で顔を覆ってイシシって笑っている。藤ねえにいたっては腕組んで「だめだよ、士郎。士郎はわたしの専属コックなんだから」とか言ってるし。
……我慢は身体の贅肉だったよな、遠坂。
「っんな職業あってたまるかっ! この馬鹿トラっ!!」
「トラっていうなーーーー!!」
机を叩いて立ち上がると俺は叫んだ。同時にトラも叫び、調査書を放り捨て竹刀を本格的に振り回しだした。
「うぎゃーー」
「きゃーー」
生徒たちの机を派手に倒しながら、トラは俺目掛けて突進してくる。
それを食い止めようとする生徒たちは無残にもトラの餌食になっていく。
後藤君、すまん。三枝さんは目まわしてるみたいだ。敵はとるから安心してくれ。
手近にあったノートを丸めて、短剣の代わりにする。
「接続、開」
「この馬鹿っ、人前で魔術使うなんてどういうつもり」
背後から俺の後頭部たたいた遠坂は怒鳴るように囁く。
「強化だからいいだろう? 目には見えないんだし」
「ダメったら、ダメ。冬木を管理している遠坂家の当主として、モグリの衛宮君に命じます」
「モグリって……」
「藤村先生とは自力でやるのよ」
冬木の管理者としてはそうかもしれないが、どう見ても楽しんでるだろう、遠坂。
目が笑ってるんだよ、赤いあくまは伊達じゃないってことかよ。コンチクショーー!!
「ふふふ、士郎。覚悟はいい?」
「げっ」
いつの間にかトラが俺の目の前に来ていた。
俺の手には一冊のノート、未強化ヴァージョン。かたや愛刀ひっさげた危ない目つきのトラ。
セイバーに鍛えられた危険察知能力がうるさいぐらい頭の中で警報を鳴らす。
ただのノートを丸めた短剣一本で何が出来る!?
俺はもう一冊、机の上に置いてあったノートを手に取った。そして丸める。これで剣は二本。
初めて使う二刀流。だが意外にもしっくりときた。
気にくわないこと甚だしいが目に焼きついて離れない、あの赤い男の戦う姿が思い浮かんだ。
アインツベルンの城でバーサーカーを六回も殺して散っていった、遠坂のサーヴァント。
アーチャーのくせになぜか二刀流で戦う、変な男。
あいつとはきっと一生わかり合えない。でもその戦い方はセイバーのそれより、すんなり理解できた。
天性の才をさらに磨き上げたセイバーとは違う、努力のみで到達した剣の技。
「なっ!?」
遠坂が視界の隅で声を上げた。その顔色は蒼白。
確かにアーチャーの真似を見るのは遠坂にはつらいかもしれないが、そこまで嫌なのか?
その隣では美綴が不敵な笑みを浮かべ、観戦している。
お願いします。ライバル扱いは弓だけにしてください、武術マニアの美綴さん……
「んがっ」
「余所見は死ぬわよ」
脳天に食らった竹刀の衝撃はセイバーに負けるとも劣らず、どうやら意識は手放さねばならないようです。
不意打ちとは卑怯だぞ、藤ねえ。今夜のご飯はお代わり禁止!
薄れゆく意識の中でそんなことを俺は思った。