凛の話 - 初めての日


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1: ukk (2004/04/01 01:52:15)[u_k_k_ at hotmail.com]

初めての日
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秋空は、綺麗に晴れ渡っている。
開け放した窓からは、暖かい陽の光。
放課後の校庭からは、生徒たちの声が聞こえる。
でもそれは、聞き慣れた運動部の掛け声ではなくて。
拡声器越しに響く、生徒会役員の声だったりする。

明後日は文化祭。
学園は、準備で騒がしい。
切羽詰まった、でも楽しげな雰囲気。

私はそんな学園を、少し離れた気持ちで眺めている。


文化祭といっても、三年生の参加は自由。
一年生、二年生は出席があるが、三年生にはない。
参加しないならば、休日と同じ。
丸一日が準備日となっていて授業の無い明日と、文化祭期間中。
合わせて三日間の連休になる。


クラスの有志は、なにやらするみたいだけど、よくは知らない。

蒔寺たち陸上部は、屋台を出すらしい。
教室で雑談しながら、部員たちの迎えを待っている。
これから買い出しに行くつもりみたいだ。
三年生になって、すでに一線は退いている。
陸上部員としての表立った活動は、これが最後になる。

綾子は、弓道部の手伝いがあるから、と言って、さっき弓道場へ。
同じく三年生で、部活動は引退。
それでも、暇な時間があると、弓道場に顔を出している。
前、顔を出したときに、部長になった桜から手伝いを頼まれたらしい。
退院して以来、丸くなって付き合いやすくなった、と評判の慎二も、一緒に行った。

運動部には、優先的に出店許可が下りる。
だから、文化祭の屋台は、たいてい運動部がやる。

柳桐くんは、生徒会室に行っている。
でもこれは、当然といえば当然。
なにせ、請われて文化祭の企画審査を務めていたくらいだ。
会長でなくなった現在でも、それほど、生徒会から頼られている。
ホームルームを終わらせて、すぐに教室からいなくなった。

そのとき、なぜか士郎も一緒に行った。

士郎は、柳桐くんに呼ばれることが、分かっていたらしい。
声をかけられる前に、席から立っていた。
そして、帰宅の準備をしている私を置いて、出ていった。
ちょっと待っててくれ、と一言だけ残して。

だから私は、まだ教室の中。
楽しそうな教室の窓際に、ただ一人立って。
背中を、秋の西日で暖めながら。
文化祭に染まっていく学園と、夕焼け色になっていくクラスメートたちを俯瞰している。


私は、文化祭に参加しない。

今までずっと、誰もが知っているが誰とも近くない、という立場を堅持していた。
クラスの企画には協力する。
しかし、積極的に関わる、ということはしない。
有志に誘われても、丁寧にお断りをする。
当日も、自分の分担はこなすが、時刻が来ると帰宅する。

魔術師というのは、異質な存在だ。
一般社会と相容れることは無い。
その中にいるのならば、仮面を被っていなければ。
誰にも近くなく。
誰からも遠くなく。
ああ、そんな人いたね。
思い出されても、それだけの存在。

士郎と駆け抜けた聖杯戦争が終わって、そこらへんの考えはちょっと変わった。
はたして、良い方向になのか悪い方向になのか、まだ分からない。
ともかく、変わったことは確かだ。
文化祭の日程が告知されたとき、参加するかどうか、少し迷った。
以前の私なら、迷いもしなかっただろう。
掲示板の前で少し迷って、そして、やっぱり今年も参加しないことにした。
卒業後の進路が決まっているとはいえ、その準備などで忙しい。
やらなければいけないことはたくさん。
その中には、相方の教育も入っている。

その相方である士郎も、今年は参加しない。
そう思っていたのに。


士郎は、私と逆に、文化祭や体育祭などの学校行事があると、出ずっぱりになる。
設営などの人手は、多ければ多いほどいい。
本人だって手伝う気を出しているから、いろいろなところから声がかかる。
もっとも、もっぱら使っているのは生徒会、というか柳洞くん。
合間に、部活動やクラスの連中、そして教師の手伝い、といったところだ。

士郎がいれば、作業は格段に楽になる。
出来ることは出し惜しみしないし、やったことを笠に着ることもない。
道具や備品が不調でも、次の日には動くようになっている。


例え行事がないとしても、部活動などで放課後学園内にいる生徒は、みんな知っている。
学園内の備品を、士郎が片っ端から修理していることを。

部活動をしていて、士郎を支持しない生徒は少数派だろう。
頼まれれば、どんなことでも、基本的に手伝う。
生徒間の利害関係なんかお構いなし。
備品でもなんでも、直るものは無償で直してくれるから、各部の有力者に対する受けもいい。

学園の日常まで範囲を広げれば、ちょっとしたことで助けられた生徒は、それこそ数え切れないほどいる。


こういったことを積み重ねたせいか。
士郎のことを評価している生徒は、実は、以前から多かった。

学園側の評価だって、一生徒にしては、ずいぶんと高い。
パートの事務員から、おそらくは学園長にいたるまで、士郎を知らない人はいない。
水の垂れる蛇口、閉まりにくい部室のドア、誤動作する警報装置、紙がすぐ詰まるプリンター。
全部、士郎の手で修理された。
学園全体の備品代を半減させた、とまでいわれている。
学園事務に行けば、なにはなくとも、お茶と来客用の菓子が出てくる生徒なのだ。

長らく生徒会長を務めていた生徒が引退する際に、ぼやいていたセリフがある。
曰く「今の衛宮が生徒会長になるなら、選挙は一分で終わる。立候補したことを校内放送すればいい」。

衛宮士郎は、困っている人の手伝いをして、壊れたものを修理していただけ。
それだけで、いつの間にか、誰もが一目おく存在となっていたのだった。

本人は、そんなことをまったく知らない。
士郎らしいといえば、士郎らしい。


士郎は、文化祭に参加する人たちから、たくさん誘われていた。
ここのところ、休み時間になると、クラス学年部活を問わず、誰かがやってくる。
文化部、運動部、自発的に参加する有志。
挙句の果てに教師、PTA役員まで。
時間単位で士郎をレンタルすれば、かなり儲かるんじゃないか、と思ったのは秘密。

それはともかく、同じクラスの私は、ちゃんと見ていたのだ。
士郎が、そのことごとくを断っているのを。


「なんで全部断ったの?」
「なにが?」
昼休み。
弓道場裏の林で食事をしながら聞く。
木立を抜ける風に、前髪が揺れる。
秋も深まっている時期とはいえ、日差しはまだ暖かい。

屋上は人目が多いので、最近はここでお弁当を食べている。
私はいいのだけど、士郎が食べにくい、というのだ。
進級して以来、士郎は、以前より注目されるようになった。
すでに半年近く経つのに、それにまだ慣れないらしい。


林の奥。
少しだけひらけた、日当たりのいい場所。
そこに、備品室からこっそり持ってきた机と椅子を、置いてある。
席は向かい合わせ。
そのうち隣同士にしてみよう、と思っている。
士郎がどんな顔をするのか、なんて、充分想像できる。
だけど、いや、だからこそ、やってみたい。

ここは、校舎からも弓道場からも少し遠くて、その分、人目につかない。
たぶん士郎は気付いていないけど、人払いの結界で念を押してある。

私と士郎だけの、秘密の場所。


んぐ、と口の中のものを飲み込む。
「文化祭。たくさん誘われていたじゃない」
こいつなら、きっと、自由な時間が残らないほど、引き受けると思ったのに。
「だって、そんな時間ないだろ」
「なんでよ。そんなにやることあったっけ?」
士郎が作ってきた私のお弁当から、唐揚げをつまむ。

私は藤村先生と違って、食費を衛宮家の会計に納めている。
士郎からお弁当を提供されることに、なにも問題は無い。

ふむ、美味しい。
もし将来、娘が出来たとしても、この唐揚げは譲れない。
皿に残っているのが最後一つになったときは、全力で獲りにいく。
それくらい美味しい。
そういえば、セイバーは、昼食に士郎のお弁当がないと、あからさまに不満になる。
この味なら、分かる気がする。
私や桜がお弁当を作っても、そこはかとなく不満そうなのは、食べている唐揚げに免じて、今は忘れる。
きっと後で思い出すけど。

「一成の手伝いはするけどな。他の人も手伝ったら、藤ねえの授業時間がなくなる」
「時間を減らしてもらえばいいじゃない。私の時間は無理だけど」


英語の勉強は必要だけど、それほど急ぐものでもない。
でも、私が教えている魔術の修行は、そうもいかない。
あと半年でものになるかどうか、ぎりぎりだろう。
士郎の魔術は、まったくなっていない。
固有結界は、人前ではまず使えないので、事実上、ほとんど何も出来ないに等しい。
いくら付き人でも、そんな人間を受け入れるほど、時計塔は甘くない。


横目でちらりと、士郎のお弁当を眺める。
私より大きいけど、中身は全く同じ。
同じものをいくつも作るのは、無駄よね。洗い物も増えるし。
まだ、同じ弁当箱をつつくほどの度胸はないけど、いずれそうなるのだろうか。

「ん、英語の勉強だけは休みたくないんだ」
「なんで?」

水筒から紅茶を注ぐ。
朝、アイスにして持ってきた。
仕込んではいるが、紅茶を淹れるのは、まだ私の方が上手い。
もっとも士郎は、こういうことについては素質がある。
コツを掴みさえすれば、かなり美味しく淹れられるだろう。

「時計塔に行けないと、遠坂と離れることになる。そんなのは嫌だ」
「――――――!」
紅茶を、食べかけのマカロニサラダに少しこぼしてしまった。
顔が熱い。
深呼吸、深呼吸。
落ち着け、私。


今まで何度も、こういう風に、正直な言葉をぶつけられている。
しかし、何度経験しても、慣れることができない。
いつもうろたえてしまう。


「ほら」
そんな私に気付いているのかいないのか。
士郎は、自分のサラダを私の方に寄越す。
全然手をつけていない。
紅茶がかかってしまった私の食べかけと、交換。
そのまま、口に入れてしまう。
「あ」
士郎が、なに?という顔で私を見る。
「な、なんでもない。……その、取り替えてくれて、ありがと」
一応、お礼を言っておく。

「それから、遠坂。今日な」
「うん」
士郎のくれたサラダを食べる。
もしかしてこれは、お弁当のおかずを交換したことになるのだろうか。
いや、作ったのは同じ人間だし。
違う入れ物に入っていた、というだけだし。
でも、男の子とおかずを交換するというのは、初めての経験だし。
ううむ。

士郎が言葉を続ける。
「魔術の修行を、家に帰ってすぐにしてくれないかな」
「まあ、いいけど。なんで?」
「夜は、一成の手伝いがあるはずだから。時間がないと思う」
さっきまでの私の葛藤を、まるで気が付いていないかのように、話す。
「…………」
こいつ、気がきくのか、きかないのか。
もしかして、わざと知らないふりをしているのかも。
じっと、士郎の目を見る。
「な、なんだ、遠坂」
赤くなって、うろたえている。
……そんなわけ、ないか。士郎にそれだけ器用な真似ができるなら、苦労はない。
「なんでもない。修行の件については、了解したわ」
紅茶を飲み干す。
士郎が、ありがとう、なんて言いながら、次を注いでくれる。
これで、感謝の気持ちを示しているらしい。
本当、不器用なやつ。

木漏れ日が暖かい。
風が、静かに林を揺らす。
落ち葉がまた少し、降り積もる。


終業の鐘が鳴る。これで今日の授業は終わり。
教師が出て行く。
教室には、帰りの用意をする生徒たち。
これからホームルームの時間だけど、藤村先生は、いない。
その代わり、教壇に柳桐くんが立つ。


我がクラスの担任となった藤村先生は、いつも遅れてくる。
朝のホームルーム、授業、帰りのホームルーム。
どれも必ず、時間通りに始まらない。
そのうえ、話をすぐ脱線させる。
だから、ホームルームがいつまでたっても終わらない。

三年生になり、受験やら最後の大会やらを意識していたクラスメートたち。
放課後という貴重な時間を無駄にするんじゃない、ということで、すぐに意見が一致した。
進級して二週間目の月曜日。
周囲から背中を押される形で、教壇には柳桐くん。
帰りのホームルームを、進行させていた。

最初は、藤村先生が配布物や連絡事項を職員室から持ってくるのを、待っていた。
いまでは、柳桐くんが配布物や連絡事項を職員室から、持ってくる。


いつものように、担任不在のホームルームは、滞りなく進んでいく。

「遅れてごめんねえ」
そう言いながら、藤村先生が教室に入ってくる。
悪く思っているような素振りは、全く見えない。
教壇の脇に置いてあるパイプ椅子に、座る。

「先生、何かありますか。文化祭の準備が後に控えてますので、手短にお願いします」
藤村先生が腰を落ち着けたのを見て、柳桐くんが聞く。

「んんー、放課後から明日まで文化祭の準備期間だけど」
「それに関する注意は連絡済です」
「へ?私、言ってないよ」
「先生が来られる前に済みました」

「一応、確認するわ。学校に泊まるのは」
「やむを得ない場合のみ。その際、保護者に連絡するように」
「参加しない生徒は」
「朝、担任からの電話連絡に出ること。行事期間中なので、外出は控えること。その他、今年になって追加された諸注意も、全て伝達しました」
「全部?いったい誰から」
「隣のクラス担任からです」
「……いつの間に教えてもらったの?」
「一昨日、先生が来られる前に教えていただきました」

「口で伝えただけじゃ駄目なのよう」
「昨日のホームルームで、プリントにして配布してあります」
「…………いつの間に配ったの?」
「昨日、先生が来られる前に配りました。」

「それじゃ、これから順番に、参加するかどうか聞いていくね」
「これが参加しない生徒のリストです。どうぞ」
「………………いつの間に聞いたの?」
「今日、先生が来られる前に聞きました」

「……………………」
「どうやら、先生からは何もないようですね。それでは、全員起立!と、先生、どうしました?」
生徒達は起立している。
藤村先生はパイプ椅子に座ったまま、動かない。
「……楽なんだけど、納得いかない。なんか、私がいなくてもいいみたい」
「いえ、そんなことはありません」
柳洞くんが首を振る。
「……ほんとに?」
「えーと、その、あ、先生に挨拶しないと終了できませんので」
いかにも、とってつけたような理由だ。
「……ふーん。まあ、いいけど」
しぶしぶ、といった感じでパイプ椅子から立ち上がる。
いじけた顔をしている。
「礼!」
ホームルールは、藤村先生が来て三分後に終わった。


藤村先生は、どことなく打ちひしがれて、教室を出ていった。
「なあ、さっきのあれはないんじゃないか?」
そのすすけた背中を見送った綾子が、柳桐くんを捕まえて言う。
「仕方なかろう。今日は時間がないのだ」

たしかに、時間が充分にある、とはいえない。
放課後や休み時間を使って、文化祭の準備は少しずつ進められてきた。
しかし、校庭などは全く手付かずで残っている。
授業で使用するので、ぎりぎりまで設営を行うわけにはいかないのだ。
明日は、準備に丸一日使える。
かといって、確実に足りる、ということはない。

「弓道場であれの相手をする部員たちの負担も考えてくれ」
「もちろん分かっている。フォローは頼む」
「最初からそのつもりか。貸し、ひとつね」

横で聞き流しながら考える。
藤村先生も桜も、今日は疲れて帰ってくるだろう。
少し凝った晩ご飯にするのも、悪くない。
すると、買い物をして帰るほうがいいか。
ここのところ、買い物は、セイバーと士郎の二人が行っている。
私が士郎と一緒に買い物に行くのは、久しぶりだ。
以前、学校帰りに、士郎と買い物にいったとき。
商店街の店主勢に、ずいぶんとからかわれた。
そのときの言葉を思い出し、すこし、胸の鼓動が早くなる。

「すまんな、美綴。よろしく頼む。待たせたな、衛宮」
「ああ、いこう」
せかせかと歩いていく柳桐くん。
「え、ちょっと、士郎?」
一緒に買い物に行くつもりなのに。
「ちょっと待っててくれ」
私の返事も聞かず、士郎はその背中を追って、教室を出ていった。




ようやく、士郎が教室に戻ってくる。
出ていってから、もう三十分ほど経過している。
「おそい!」
「……ごめん、遠坂」
「ちょっと待ってての一言で、三十分も待たせるんじゃないわよ!呼ばれることが分かっていたなら、事前に言いなさい!そもそも、柳洞くんは私に何も言わないで士郎を連れていくのに……て、あれ?」

そういえば、今日の放課後に限って、人がいるんだった。
教室を見回すと、半分は私を見て、残りの半分は士郎を見ている。
雑談していた陸上部の三人も、私と士郎を見ている。
蒔寺は、にやにやしながら、私と士郎を交互に。
三枝さんは、私を見ながら、口を開けて硬直。
氷室さんは、士郎を見ながら、何かを思案中。

そして、私は窓際に立ち、士郎は出入り口に立っている。
つまり、教室の端と端に分かれている状態で、さっきの発言をしたわけか。
クラスに残っている皆の前で。
こ、これはいかん。

鞄をひっ掴む。
突っ立っている士郎に向かって突進。
途中で士郎の鞄を、机からちぎるように取る。
軽い。何も入っていない。
帰る準備をしてなかったのか。
ええい、いまさら止まれない。
士郎の胸に、空の鞄を叩き付ける。
そのまま廊下に押し出す。
「帰るわよ」
「鞄、空なんだが」
「……帰るわよ」
「まあ、いいか。また来るし」
「早く!」
士郎の手を引っ張って、廊下を走る。
後にした教室から、蒔寺の爆笑が聞こえた。
くそう。何かに負けたわけじゃないけど、悔しい。




士郎と一緒に校門を出る。
蒔寺の爆笑が、まだ聞こえる気がする。
せっかく士郎に、一緒に買い物に行こう、と言うつもりだったのに。
これじゃ、言い出す気分になれない。
どうにか気持ちを落ち着かせないと。
「あー、遠坂」
おそるおそる、という感じで士郎が聞いてくる。
「これから買い物に行くんだが、一緒に来てくれないかな」
少し、驚いた。
なんとか言おうとしていたことを、こいつの方から言ってくるなんて。

以前のことを、思い出す。
一緒に買い物。
商店街。
士郎の脇腹を、肘でつつく店主。
からかわれていただけ、というのは、承知している。
でも、そのときにかけられた言葉が、忘れられない。

そこに、爆笑している蒔寺の顔が浮かんだ。
む。

「どうしても、というなら、付き合ってあげてもいいわよ」
ああ、違う。こういう言葉を言いたいんじゃない。
もうちょっと、こう、なんというか、可愛らしいセリフを言えないのか、私は。
さっきの出来事を引き摺っているとはいえ、これじゃ、あんまりだ。
いくら士郎でも、気分を害するだろう。

でも、私が、そう思っていても。
「うん、どうしても来てほしい」
こいつは、こんなにも、素直に言ってしまう。

この言葉で、落ち着いた。
「……わかった。買い物、付き合う」
私が頼むことは、それが出来ることなら、なんでもしてくれる。
不器用で朴訥だけど、それが、士郎の誠意。

私は、その誠意に応えているだろうか。
士郎だって男の子なんだから、相手が女の子らしいと、嬉しいだろうな。
なら、少しは、女の子らしいことを覚えないと。
でも、うーん。
そういう部分が、私には、まるで欠けている。
どうすればいいのやら。
難しい。




五軒目の店。これでようやく、最後の買い物らしい。
「ずいぶんと買うわね」
結構な分量、食材を買った。
豪華な晩ご飯どころか、ちょっとした宴会くらいはできる。
「一成の分もあるからな」
買ったものを袋に詰めながら、士郎が返事をする。
「柳洞くんの分?」
「生徒会長は終わったけど、まだ生徒会の仕事を手伝っているからさ。今夜、学校に泊まるんだ、あいつ。それで、晩ご飯に弁当を頼む、って」
ああ、それで修行の時間を早くしてくれ、と言っていたのか。
「もしかして、放課後、一緒に出ていったときに頼まれたの?」
「それは、手伝いの打ち合わせ。弁当は、朝、頼まれた」
ふん。私の士郎を、まだいいように使う気なのか。
まあ、すでに了解したのだし、これについては仕方がない。
約束通り、帰ったらすぐに、修行をすることにしよう。
でも、そうすると。
「桜と藤村先生が、修行中に帰ってきちゃうかも知れないわよ?」
「あれ、知らなかったのか。桜と藤ねえも、今日は学校に泊まりだぞ」

それは知らなかった。
すると、晩ご飯は、セイバーと士郎と私の、三人になるのか。
セイバーがお風呂に行っちゃったら、二人きり。
セイバーが早く寝ちゃったら、二人きり。
明日の朝まで、二人きり。
うわ。
どうしよ。
横目で士郎を見上げる。
だいぶ背が伸びていて、今では見上げないと、顔まで視線が届かない。
意識したら、なんか胸がどきどきしてきた。
「じゃ、じゃあ、今夜は」
「ああ、俺も、たぶん泊まりになる」
……なんですと。
「藤ねえの講義も、学校でやる予定」
なんですと。

えーと。そうなると、どうなるんだ。
今夜は、私とセイバーの二人きり。
他のみんなは、士郎と一緒。
明日の朝も、私とセイバーの二人きり。
他のみんなは、士郎と一緒。
明日の昼も、私とセイバーの二人きり。
他のみんなは、士郎と一緒。
明日の夕方も、私とセイバーの二人きり。
他のみんなは、士郎と一緒。

そんなのは、いけない。
そんなのは、ずるい。
なんとかしないと。
ええ、なんとかしてやるともさ。


「ただいま」
「ただいまー」
玄関に、セイバーが向かえに来る。
「お帰りなさい、シロウ、リン」
買ってきた荷物に、驚いた顔。
「大量に買ってきましたね」
セイバーにも手伝ってもらって、台所に運ぶ。

台所では、セイバーが食材をしまっている。
「セイバー。悪いけど、全部お願いしちゃっていいかな」
「はい、シロウ。お任せを」
頷くセイバーに士郎は軽く頭を下げると、私の方を向く。
「それじゃ、遠坂。帰って早々で悪いけど、魔術の修行を頼む」
仕方ない、約束したんだ。
いささか不愉快だけど、士郎との約束を破るのは、もっと不愉快。
「いいわよ。それじゃ、部屋に行きましょ」


魔術の授業を進める。
毎日少しずつ進んでいるとはいえ、その進行は、格段に遅い。
まだまだ基礎なのだけど、それでさえおぼつかない。
やっぱり、士郎には才能がない。
才能がないというよりも、他のことが出来ない、というほうが正しいか。
士郎が使えるのは、その固有結界を副次的に使用する魔術だけ。
そういう意味では、士郎はすでに完成している。
私が教えている魔術は、士郎にとって、意味なんて無いのかも知れない。

それでも、私は、止めるわけにはいかない。
他の魔術を使えない士郎。
他のことが出来ない士郎。
不器用に、他人を頼らず、わき目も振らず、ただただまっすぐに、向かっていく。
行き着く先にあるのは、剣の丘。
そんなことは、認めない。絶対に、認めない。
だから、わき目も振らない士郎に、教えてやらなくちゃ。
道は、一つではないということを。
答えは、一つではないということを。
不器用な士郎に、思い知らせてやらなくちゃ。
他人を頼ってもいいということを。
そのために、私とセイバーがそばにいるということを。




士郎が、制服の上からエプロンを着ける。
正座してお茶を飲んでいるセイバーに、声をかける。
「セイバー。今日の晩ご飯はお弁当になるけど、いいかな?」
「シロウは、今夜、いないのですか?」
セイバーが首をかしげる。
「ああ。学校に泊まってくる」
「なるほど。食事の用意には少し早いと思っていたのですが、そういう訳ですか」
「晩ご飯は、遠坂に頼もうとも思ったんだけどな」
「いえ、シロウのお弁当は、とても美味しい。作ってくれるというのならば、シロウにお願いします」
あ。
ちょっと、かちんときた。
セイバーの嗜好が、士郎の料理中心なのは、よく知っている。
だけど、私の前で、そういうことを言うとはね。

「ふーん」
横目でセイバーを見やる。
「な、なんですか、リン」
少しあわてたような、セイバー。
「べっつにー。セイバーさんは、衛宮くんの料理にずいぶんとご執心だな、そう思っただけ」
「そ、そんなことはありません!私はまったく他意などなくシロウのお弁当が美味しいと思うからそう言ったまででしてリンの晩ご飯もそれに負けず劣らず美味しいのでどちらかを選べといわれたらとても迷ってしまうことは必定であり出来れば両方選びたいと考えてしまうほどなのですがせっかくシロウが申し出てくれたものを断るのも失礼かと感じたのでええそれだけですリンの料理よりもシロウの料理のほうが好ましいなどとは決っして」
「必死に言い訳するのは、心にやましいことがあるからじゃないの?」
「……っ」
セイバーは唇を噛んで、沈黙する。
よし、一撃で勝利。
まあ、それはそれとして。

「士郎。私の分も、お弁当よろしくね」
「遠坂も弁当なのか。手間は同じだからいいけど、なんでさ?」
士郎は、手を動かしながら聞いてくる。
「私も学校に行って、泊まるからよ。あなたはどうする?」
驚いて手が止まった士郎は無視して、セイバーに話を振る。
「私、ですか」
突然聞かれたセイバーは、しばし思案する。
「なにがあるの知りませんが、シロウが許してくれるのならば、是非」
「だって。どうする、士郎」
「え、ええと、セイバーが来てくれるなら、俺は歓迎するぞ。うん。でも、遠坂は、文化祭に参加しないんじゃなかったっけ」
「あら、セイバーはよくて、私は駄目なんだ。へえ、そうなんだ」
「ば、馬鹿。そんなわけあるか。遠坂も来てくれるなら、その、……もっと嬉しい」
真っ赤になって、士郎が言う。
「うん。よろしい」
よし、なんとかした。
これで、士郎と一緒。
他の人もいるけど、そこには目をつぶる。
「それじゃ、泊まる用意をしてくるわね」
立ちあがる。
学校に泊まるということは、私の起き抜けを他人が見るかもしれない、ということか。
ちょっと、いや、かなり不安だけど、セイバーもいるし。
まあ、なんとかなるだろう。
……たぶん。




学校に到着。
夜もだいぶ過ぎたというのに、校舎はまだまだ明るい。
泊まり込みで作業をする生徒は、ずいぶんといるみたいだ。
学校に泊まるのは原則禁止、というのは、どこにいったんだろう。
士郎や柳洞くんの行動を鑑みるに、こういうときは黙認するものらしい。
今まで経験したことが無かったので、そうとは知らなかった。
「さて、俺は一成を呼んでくる」
士郎は、着替えとかを詰めたバッグを、かけ直す。
生徒会室に泊まるので、ついでに置いてくるのだろう、
「それじゃ、弓道場で待っているから」
「シロウ、なるべく早くお願いします」


出掛ける直前。
学園にいる藤村先生から、お弁当の催促電話がかかってきた。
そのときに、綾子も泊まりに来ることを知った。
弓道場に布団を並べるので、場所に余裕があることも。
お願いしたところ、私たちも、そこに寝かせてもらえることになった。


弓道場に、向かう。
私が持っているのは、二人分の宿泊用具一式。
セイバーは、士郎の作ったお弁当。
四段重ねの重箱六つに詰められたそれを、大事に抱えている。

弓道場の扉を開ける。
「おー、待ってたよ」
すでに、綾子は来ていた。
その後ろに、桜と藤村先生の姿が見える。


休憩室に、宿泊用具を置かせてもらう。
藤村先生は、セイバーの抱えた包みの大きさを見て、大喜び。
さっきから、弓道場に正座してお弁当を抱え持っているセイバーの周りを、ぐるぐるまわっている。
隙を見付けたら、即座に奪って、勝手に食べ始めそうだ。
セイバーが抱えているから、大丈夫だと思うけど、念を押しておこう。
「桜、藤村先生を見張っておいて」
桜が頷く。


綾子がお茶の用意をしている。
その手元を眺めながら、気になっていたことを聞く。
「綾子、他の部員たちはどうしたの?」
「今日やることを終わらせて、とっくに帰ったよ。明日の十時半に、また来ることになっている」
急須にお湯を入れながら、当たり前のように答える。
「じゃあ、なんで、あなたたちはここにいるわけ?」
お茶を注ぐ。
「部長と元部長なのですから、率先して準備をするのは当然のことです」
綾子は真摯な顔をして、そう言う。
もちろん、そんなことで引っ掛かる私じゃない。
「建前はいいわよ。で?」
綾子は、にやり、と笑うと、私の前にお茶を置く。
「学校に泊まれるなんて、そうはないだろ。せっかくの機会だからな。楽しまないと」

綾子のお茶を飲んで、一息ついた頃。
「お待たせ」
「遅れてすまん」
柳洞くんと、士郎がきた。




「なんか、落ち着かないわね」
「仕方なかろう。弓道場が駄目なのだから、ここしかないのだ」
「新鮮な気分でいいじゃない。士郎、それ取ってー」
「はいはい。まさか、こんなところで、お弁当を食べるなんてな」
「貴重な体験、ということでは価値があるのではないでしょうか」
「なんか、椅子に注目されているみたいだな」

綾子の言葉につられて、視線を横にやる。
一段低いところに、ずらりと並べられたパイプ椅子。
私たちがいるのは、体育館の舞台の上。
真ん中にシートを広げて座っている。
そのシートの中央。
士郎が作ってきた、大きなお弁当が、並んでいる。


教室は、どこも文化祭の準備で使えない。
生徒会室は、ひっきりなしに生徒が出入りしている。
弓道場は、藤村先生の意見で、却下。
どうやら、藤村先生の中には、弓道場で食べていいものに、確固たる線引きがあるらしい。
休憩室は、重箱を並べたうえで全員が座れるほど、広くはない。

それならば、ということで柳洞くんが案内したのが、この場所だった。


明日はここで、演劇部、吹奏楽部のリハーサルなどが行なわれる。
そのため、舞台にはものが置かれていない。
幕が開けられているので、体育館が見渡せる。
点けられている照明は、舞台の上と体育館天井の、間接照明だけ。
明るくはないが、それほど暗いわけでもない。
並んでいるパイプ椅子の金属部分が、照明に、うすく光っている。
桜が、体育館を見回しながら、言う。
「誰もいないけど、私たち、目立ってますね、先輩」
「そうだな」
私も、そんな気がする。




体育館の時計は九時を指している。
舞台の照明を入れる。
体育館の天井は間接照明のまま。
校舎は、それよりも明るい。
窓の形に、壁に掛けられた校歌を照らしている。
見上げる。
三年の教室には、暗いところもある。誰も参加しないクラスだろう。
全クラスが参加する一年や二年の教室は、どれも明るい。
今日に限って、学園は眠らない。


日課の、英語の勉強が始まる。
ただし、場所は体育館。
生徒は、私、士郎、セイバー、桜、といういつもの面子。
それに加えて、綾子と、桜を探しにきたところで藤村先生に引きずり込まれた慎二。
おまけで柳洞くんもいる。

藤村先生は、舞台の上。
ホワイトボードの前に立っている。
私たちは、舞台の下。
並べられたパイプ椅子に座っている。
「それじゃ、始めるけどー」
藤村先生が、舞台の上から、腕を組んで言う。
「他にも席はたくさんあるのに、なんでそうなるの?」

最前列に座った士郎の、左隣が私で、右隣は桜、後ろにセイバー。
慎二は桜、柳洞くんは私の、それぞれ後ろに座り、綾子は柳洞くんの隣に陣取った。
なんのことはない、士郎を中心にして、みんなが固まって座っているのだ。
いろいろと、無言で牽制し合ったりした結果、こうなった。

「偶然です。気にしないでください、藤村先生」
「ええ、まったく遠坂先輩の言うとおりです。気にしないでください」
「タイガ、とくに気にすることはない。いつものように、どうぞ」
「俺は気になるけど、気にすると、いろいろと危険な思いをする予感がある。とりあえず授業をしてくれ、藤ねえ」

慎二の、堪えきれなくて漏れた笑い声が聞こえる。
後ろからは、柳洞くんの不機嫌丸出しの気配。
顔は見えないが、綾子は、きっと、いつものにやにや笑いを浮かべている。
舞台の上の藤村先生には、それらが全部、見えているのだろう。
呆れたような表情で、言う。
「……そうね。とりあえず、授業を始めるわ」




弓道場に布団を並べる。
ちょっとした合宿所みたいになる。
いや、どちらかといえば、お泊まり会かな。

並べられた布団は、八組。
私と、セイバーと、桜と、綾子と、藤村先生。
あと、蒔寺と三枝さん、氷室さんの分だ。


陸上部の部室は、泊まれるようになっていない。
だから、三人は、どこか顔見知りのいる教室に泊まるつもりだったらしい。
校内をうろうろしていた三人を、綾子が見掛けて、ここに引っ張ってきた。


ということで、現在、弓道場には、陸上部の三人、綾子と私と桜、藤村先生とセイバーがいる。
士郎たちは、生徒会室に泊まり込むので、当然いない。
中から鍵をかけられた弓道場にいるのは、気心の知れた連中だけ。


運動部用の設備を借りて、シャワーも浴びてきた。
他の生徒も使うので、長時間独占するわけにはいかない。
みんなで一緒に浴びた。
そのときの会話とか騒動とかは、まあ、秘密。
ちょっとだけバラすと、一番人気は、セイバーと桜だった。

……くそう。桜は、いつの間に、あれほど成長したんだろう。
まあ、私には士郎がついている。いつか、必ず、追い越……せるかなあ。


寝間着になって、布団の上に車座になる。
ジュースと、軽い菓子をまわす。
お酒は、学園内で見付かるとさすがに不味いので、無し。
士郎からも、藤村先生に酒を飲ませてはいけない、といつも言われている。
なんでも、トラになったあと、マグロに二段変身するらしい。
興味はある。とてもある。
けれど、学内で飲酒という不祥事では、いくら藤村先生でもクビになる。
藤村先生がいなくなると、寂しい……気も、する……ので、ここでは止める。
それはさておき。
ささやかな、パジャマパーティーというやつの、始まりだ。


その内容については、……やっぱり秘密ということで。




「おはようございます、リン」
「……ん。……今、起きる」
身体を布団から引き起こす。
時計を確認する。
七時十五分。
だいたい、いつもと同じくらい。
でも、いつもと違って、起き抜けなのにだいぶ気分がいい。
初めての体験ばかりで、気分が高揚しているのかな。

セイバーは、きちんとたたんだ布団の脇で正座していた。
「おはよう、セイバー」
藤村先生と綾子は、まだ寝ている。
桜の姿が見えない。もう起きているんだろう。
そういえば、陸上部の三人の布団もたたんである。
さすがに、朝練組は早い。

「セイバー、朝ご飯をどうするか聞いてる?」
「シロウとサクラと、あと、ユキカが、料理実習室で朝食を作っています」
それはいい。今日の朝ご飯は期待できそうだ。
でも、実習室の鍵はどうしたんだろう。
そういえば、柳洞くんも泊まったんだっけ。
前生徒会長と、藤村先生、二人の後ろ盾があればそれくらいは問題ないか。
むしろ、藤村先生が命令して開けさせるような気がする。
どうやら、場所を学校に移しても、衛宮家の朝食風景はあまり変わらないみたい。
「八時に朝食だそうです。それまでに用意を」
セイバーが、洗面用具を渡してくれる。
「ん、わかった。ありがとう」
身支度を整えるために、女子トイレに行く。

セイバーは、続いて綾子と藤村先生を起こすと、さっさと調理実習室に行った。
よほど朝食が気にかかるらしい。
藤村先生は、ものの五分ほどで、手早く身支度を済ませてしまう。
セイバーの後に続く。
私は、朝の身支度をする綾子を、ゆっくりと待つ。


弓道場を出て、校舎に向かう。


朝の校内。
窓から朝日が差し込んでいる。
学校に泊まった生徒たちが起き出してきたのだろう。
少しずつ騒がしくなってくる廊下。

タオルを首にかけて、洗面所にいく生徒たち。
教室で、朝食のパンを食べながら談笑している生徒たち。
すでに作業を始めている生徒も、ちらほらと見える。

祭りの準備って、こういうものなのかな。
どことなく、浮足立っているような空気。
綾子と一緒に、その中を歩く。
時刻に間に合うように、でも、のんびりと、調理実習室に行く。




「三枝さんも一緒に作ったんだって」
「すると、今日の朝食は、衛宮と桜と三枝さんの合作か。こりゃすごそうだ」
会話をしながら、調理実習室の扉を開ける。
「お待たせ」
中には、いつもの面子と、慎二と柳洞くんと陸上部の三人がいる。

「あ、あ、あの!よろしくお願いします!」
三枝さんが、椅子から立ち上がる。
かちかちに緊張しながら、挨拶してくる。
「朝の挨拶としては、なかなか独創的だな。おはよう、遠坂さん」
氷室さんは、いつも冷静だ。
蒔寺は……なんてやつだ。すでに口の中に何か入っている。
箸を振っている。それで挨拶の代わりか。
「おはよう、三枝さん、氷室さん。他の人を待てない蒔寺さんにも、一応言っておくわ」
口の中のものを飲み込んだ蒔寺が、言う。
「なんだよ、由紀っちが作った分しかつまんでないぞ」
卓の反対側に、妙な流し目を送る。
「衛宮の分には手を付けようとすると、おっかないのなんの」
そこに座っているのは、警戒心を丸出しにした藤村先生と、見た目だけは静かなセイバー。
「なるほどね」

慎二と桜、ついでに柳洞くんにも挨拶する。
私たちの分のご飯をよそってくれている士郎にも、挨拶。
「おはよう、衛宮くん」
「おはよう、遠坂。今朝はまともなんだな」
私は、士郎の向い側に座る。
綾子は、空いていた柳洞くんの隣につく。
全員にご飯が行き渡ったのを確認して、士郎が言う。
「それじゃ、全員そろったことだし、朝ご飯にしようか」
すでに持っている蒔寺以外の全員が、箸を手に取る。
さて。
いただきます。




実に騒がしい朝食だった。

騒動を引き起こしたのは、氷室さんの言葉。
「衛宮。食事をしながらでいいから、答えてほしいんだが」
世間話をするかのように、士郎に話をふる。
「さっき、"今朝はまともなんだな"と、言っていただろう」
なんか嫌な予感がする。
士郎が、おかずに箸を伸ばしながら、答える。
「言ったけど、それがどうした?」
「昨日もそう思ったが、遠坂嬢と、ずいぶん仲が良いように見受けられるが」
氷室さんは、味噌汁を一口、飲む。
言う。
「まともじゃない姿を見るほどの回数、遠坂嬢と一緒に朝を迎えているのか?」

なんて、ことを。
三枝さんの箸から、つまんでいたひじきがこぼれ落ちる。
蒔寺の動きが、停止する。
柳洞くんと綾子も、微動だにしない。
顔を横に向ける慎二。口を抑えて、あれは、笑いをこらえている顔だ。
桜は心配そうに、士郎の返事を待っている。
セイバーと藤村先生は、朝ご飯を食べている。

「えーと」
士郎が口を開く。
何も言うな!
意思を込めて、士郎をにらむ。
でも、それに気が付かなかったらしく。
「遠坂は朝が弱くてさ。いつもすごい状態で起きてくるから」
士郎が、素直に返事をする。
ああ、言ってはいけないことを、あっさりと。
頭をかかえる。
氷室さんは、なるほど、と言って、なんでもないかのように、おかずに箸を伸ばす。
「でも最近は、ちゃんと起きてきて、士郎の朝ご飯を食べるじゃない」
藤村先生が後を継ぐ。
……この人は、本当に教師なんだろうか。この状況で、そんなことを言うなんて。
前は牛乳だけだったのにねー、と言いながら、士郎にお代わりを要求する。
「シロウ、私もお願いします」
セイバー。一応、マスターの危機なんだけど。

硬直していた三枝さんの箸が、皿に落ちる。
その音は、開幕の合図。

椅子を蹴飛ばして、なぜかガッツポーズで立ちあがる蒔寺。
士郎に詰め寄る綾子と桜。
真っ赤な顔で、私に詰め寄る柳洞くん。
腹をかかえて笑う慎二。
真っ白になってしまった三枝さん。
離れて騒動を観察している、氷室さん。
ご飯を食べる藤村先生とセイバー。

これって、どうすればおさまるのかな。
柳洞くんの身振り手振りを呆然と眺めながら。
そう、思った。


……ほんと、疲れた。




「それじゃ、行ってくる」
「気を付けてね」
手を振る。
綾子は買い出し。
荷物持ちとして、桜と慎二も一緒だ。
三人が校門から出ていく。
私は職員室に向かう。
綾子に頼まれた書類を、提出に行くのだ。
セイバーは藤村先生と一緒に、弓道部の手伝い。
士郎は、柳洞くんに頼まれて、校庭の設営に行った。


用事を済ませて、職員室を出る。
廊下を歩く。
階段を下りようとして、ふと、思いとどまる。
このまま弓道場に戻るのは、なんとなく惜しい。
下りる代わりに、階段を上る。


屋上への階段。
いつもと同じ。なにも変わっていない。
そのはずなのに、どこか、何か違うように感じる。
屋上のドアを、早く開けたい。
何度も行ったことのある屋上に、私は何かを期待している。
何かは分からないけど、屋上に行けば、分かる気がする。
階段を駆け上がる。

ドアを開ける。
屋上に出る。
みんな文化祭の準備で忙しいんだろう。誰もいない。
風が気持ち良い。
フェンスの前まで歩く。
下を、見下ろす。


屋台のテント前でじゃれあっている、蒔寺と三枝さん。
すぐ横で、氷室さんが業者の書類にサインをしている。
白い軽トラックの荷台。
そこから荷物を、陸上部員が台車に下ろしている。

視線を伸ばせば校門。柳洞くんが、メモボードを振り回して設営を指揮している。
買い出しから戻ってきた綾子が、見える。
その後ろにいるのは、桜と慎二だ。
慎二は両手に、残りの二人はそれぞれ片手に、スーパーの袋を提げている。

綾子は、柳洞くんに缶ジュースを放り投げる。
あわてて受け取る姿が、少し可笑しい。
視線をさらに伸ばせば、目に入るのは、遠くまで続いていく冬木の街並み。


屋上のドアが開く音。
「ここにいたのか」
声で分かる。士郎だ。
校庭の設営は、終わらせてきたみたい。
私の横まで歩いてくる。
「いい景色だな」


向こうの道路を走る、乗用車が見える。
交差点では、主婦が集まって井戸端会議。
散歩をしている人。それを追い越していく自転車。


私は、視線を外に向けたまま、士郎に言う。
「学校に、初めて泊まっちゃったわ」


みんなと一緒に過ごしていく時間。
学校に泊まるという特別な出来事、おそらくは、それさえも当たり前の日々。
きっとこれが、なんでもない学園生活ってやつなんだろう。

……そっか。
分かった。
私は、それを実感したかったんだ。
なんでもない学園生活の中に自分がいることを、実感したかったんだ。
だから、屋上に来たんだ。

私の隣に立っている、士郎。
士郎がいなければ、私は、その横を素通りしていくだけだった。
残り半年ほどで学園生活は終わる。
その前に知ることが出来てよかった。
昨日から、今日。今日から、明日。
一緒にいれば、最後まで、楽しい学園生活を重ねていける。
その先だって、きっと。


私の気持ちが伝わったのか。
士郎が、嬉しそうに聞いてくる。
「どうだった。学校に泊まった感想は」

風に、髪が踊る。
右手で押さえて、空を見上げる。
まぶしい太陽。
青い空。
小さな飛行機が、雲を引いて飛んでいる。

「そうね」


ただ一本だけ伸びていく飛行機雲。
どこまでも高く、どこまでも長く、続いていく。


士郎は、私の答えをすでに知っているんだろう。
私の横で、おだやかに笑っている。
きっと私も、笑っている。
いまさら何を言ったところで、本当の気持ちなんて筒抜け。
それはそれで悪い気分じゃないけど、ちょっと面白くない。
だからまあ、これは、私のささやかな意地ってやつだ。


空のかなた、その雲の先。
飛行機の翼が、日の光を反射して輝く。


「秘密にしておくわ」



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