衛宮士郎は、聖杯戦争を闘い、その過程でいくつか大切なモノを無くした。
それは「父」と慕い憧れた人との約束であり、また月明かりの中で出会った美しい騎士(ひと)との誓いであった。
しかし、彼はそれを捨てた。
衛宮士郎は「正義の味方」になるという夢を捨てたのだ。
それは彼のそれまでのあり方のすべてだったにもかかわらず、彼はそれを捨てた。
捨てて、たった一人の少女の魂を救った。
そうして救った魂は、清くも強くもなく、ごく当たり前の普通の魂だった。
しかし、その魂こそがその時の衛宮士郎にとって何物にも代え難い、宝だった。
あるいは、目覚めがたい夢だった。
彼はその魂を、己の存在と引き替えに救い、いろいろなモノを無くしながらも、奇跡的に生還した。
・・・・そうして、4年が過ぎ、冬木の街に白い季節が訪れようとしていた。
そう。 ―――― それは 丁度、一年前のこと。
曇っているのに妙に空が明るいそんな空模様の下。買い物袋を下げて歩くいつも通りの商店街。
妙に古めかしい樫の看板があることに気がついた。
青銅製の枠の中で静かに揺れる長方形のそれには、くすんだ金色の文字で『Die Lorelei』と綴られたドイツ語の飾り文字と、川辺で金色の髪を梳る伝説の乙女のイラスト。
これはケーキハウスか、喫茶店だろうか?
「あ、ここ、ケーキ屋さんになったんですね。」
と、桜。・・・そうだった。二週間前はコンビニだったっけ。
こぢんまり・・・というか修飾のしようもない程小さな店内。申し訳程度のテーブルと椅子。
窓越しにのぞき込む奥のショーウインドウには色の違う丸いケーキが三つほど(切り分けて売るシステムらしい)。
さらにあたりには幽かにシュークリームのモノとおぼしき、香ばしくも甘い香りが ――――
「・・・ああ。」
幽かなため息。横を見ると桜が目を閉じて、鼻をひくひくさせていた。
何となく「忘我の境地」という言葉が脳裏をかすめる。
しあわせそうだな、桜。・・・でも、よだれは拭きなさい。
「・・・寄っていこうか?」
俺の言葉で、桜は「はっ!」と我に返った。
「え! あの! あれ! ・・・・ えっと。」
あたふた。あたふた。見る見るうちに耳まで真っ赤になる。
色白の桜の頬がさーっと赤くなってゆく様子は・・・・う。なんか別のことを想像しそうになった。
・・・と、ともかく、そんな俺の葛藤を知って知らずか、桜の視線はショーウインドウと店のドアを行ったり来たりしている。
「お茶していこう。・・・・このまま帰ると誰かさんが寝ぼけそうだし。」
こらえきれず、俺が笑うと
「せ、先輩っ! 」
桜は、むーと真っ赤な顔でこっちをにらんだ。
俺はその頭をぽんと叩いて入り口へ向かう。
扉も看板同様、黒っぽく良い感じにすすけた樫の木で出来ていた。
真鍮製のノッカーがある。同じく黒ずんでいるのでよくわからないが。輪っかをくわえているのはたぶん熊だ。
他のところは新しいのに扉と看板だけが古い。たぶん余所で使っていたのをこれだけは持ってきてくっつけたのだろう。
丁度、季節はクリスマス。
その「熊」に首輪でもつけるかのように、樫の古びた扉には緑色の真新しい柊(ひいらぎ)のリースが掛けられていた。
柊はクリスマスの風物のように思われているが、元々は魔除けの意味を持つ植物だ。
日本では節分の日に柊の小枝と鰯の頭を飾る習慣があるし、ヨーロッパではこんな風にリースにも使う。
12月24日 クリスマス・イブの誕生花で。
花言葉はたしか ――― 「先見の明」。
「・・・・・・・・・」
「先輩?」
ほんの少し不安げな、とまどいを含んだ桜の声。それに促されて、俺は樫のドアを押す。
りんこん。と優しいドアベルの音がして、暖かな空気が俺と桜を迎え入れた。
・・・・そして。
過ぎてみれば月日というのはあっという間だ。
その1年後。深山町商店街内 ケーキハウス『ローレライ』のカウンター。
俺、衛宮士郎は・・・ま、いろいろあって。
胸の部分に『金色の熊と柊のリース』のエンブレムと、『Die Lorelei』の金文字が刺繍された黒いエプロンをつけてグラスを拭いていたりする。
天命聖夜 〜 Fate/Holy night 〜 第一章
―― 12 月 18 日 ――
「同窓会?」
俺はグラスを拭く手を止めて、聞き返した。・・・と、高校時代の同級生、美綴綾子は慌てず騒がず、百パーセントオレンジ・ジュースを一息で吸い上げてから、ふむ。と頷いた。
「そ。12月25日。場所は駅ビルの『トロイメライ』。・・・・あけとくよーに。」
俺は即答した。
「無理。」
「衛宮・・・」
むううっ。と眉をつり上げる元弓道部主将。
「愛想無いぞ。・・・考えるフリくらいしろ。社会人だろ?」
「そっちこそ、その言葉遣い何とかしろよ。」
グラス拭きを再開しながら、俺はカウンター越しに美綴の顔をながめやった。
「それでよく営業がつとまるなあ。」
「ふん。これくらいでなきゃ今時営業なんざ勤まるかって。この万年不況下のニッポンで。」
しれっと、横向きながら述べる美綴。なんか悟りの境地。
俺は笑って、謝った。
「無愛想なのは悪かった。・・・・でもなあ。やっぱり無理だぞ。クリスマスにケーキ屋の見習いが休めるわけがないだろう?」
それこそ「この万年不況下のニッポンで。」だ。だいたいまだバイトに入って1年、だ。修行中の身で、一番忙しい時に厨房を空けられない。
「おお、律儀だね。偉いね。漢(オトコ)だね・・・弓道部途中でバックれた薄情ものの台詞とも思えんな」
いいかげん忘れてくれないかな。その話。・・・つーか、いつまで根に持つつもりだ。
「まいったなあ。」などと頭を抱えて「くて。」とカウンターに突っ伏す美綴。俺はつむじが右巻きであることに初めて気づいた。
「遠坂・・・は、まあイギリスだから無理だろうけど、この上、衛宮がケーキ屋さんで、生徒会長も托鉢じゃ、もりあがんないぞ・・・」
俺たちの間で「生徒会長」といえば、柳洞一成。久しぶりに聞く名前だった。しかし・・・ちょっと、まて。
「托鉢?」
え、それって、まさか・・・・
美綴はカウンターに突っ伏したまま、「そーなんだよー」と背中をよじる。
「まだやってんのよ。柳洞寺再建の托鉢。その途中に寺の息子がクリスマスだから帰るってわけにもいくまいし・・・」
「そういえば、一週間ほど前に兼六園の絵はがきが来てたな。 托鉢だったのか。」
「旅先から絵はがきとはマメなヤツ・・・つーか。相変わらず彼奴(きゃつ)の趣味はしぶすぎるわ。喝。」
美綴は高校時代の一成の口癖を真似てため息をついた。
そっか。一成のヤツ、托鉢なのか・・・
四年前に原因不明の天変地異(としかいいようもない突然の災害)で、消滅した冬木の禅刹・柳洞寺。
本堂は何とか再建されたものの、寺の再建工事は今もやむことなく続けられている。
一成はその跡取り息子だった。
彼はその後、山をおりた他の修行僧と一緒に柳洞寺再興のため、托鉢に出ていた。
それがまだ終わっていないのだ。
帰ってくるのは盆と正月、それと彼岸参りの時節ぐらい。
・・・・・・
四年前。原因不明。天変地異。・・・
『それ』に俺自身関係が無いと言えばウソになる。いや・・・
誰よりも深く関わっていた。
四年前、冬木市をおそった天変地異。その本当の理由を知るものは少ない。
それが、聖杯戦争と呼ばれる大儀式であり、魔術師たちの死闘で会ったことを知るものは、この街にはほんのわずかしか居ない。
何が失われたのか。 何を失ったのか。 何故に失われねばならなかったのか。
行われた戦いと結末・・・その過ちと罪と罰について語り得る者はさらに少なく・・・
「―――・・・みや。 おーい。こら、衛宮ってば。」
美綴に呼ばれて我に返る。少し、考え込んでしまったようだ。
「悪い。ちょっと『夢』みちまった。」
「?」
美綴は二度三度榛色の瞳を瞬かせて不思議そうな顔をしていたが、やがて一つため息をつき、「さあて、もう一勝負いくぞ。」と気合いを入れて、ストールから立ち上がった。
「まあ、今日のところは退散する・・・・衛宮もなんか本調子じゃないし。」
「・・・・なんだよ。その『今日のところは』ってのは。」
「明日も来る。夜討ち朝駆けは営業の基本。・・・衛宮がうんというまであきらめない。」
「・・・同窓会の人数合わせで貫くな。そんなもん(営業の基本)。」
ぺろっ。と舌を見せて「あかんべ」をすると、美綴綾子はレジに向かって歩きだし・・・
なぜか、急に立ち止まって、振り返った。
「衛宮。」
「ん。」
「アンタ、時々さ・・・」
「え。」
俺が聞き返すと、美綴はあむ。と唇を噛んだ。
「いや、なんでもない。 ・・・ 25日、都合つけろよ。」
「だから ――― 」
「じゃあ、な。」
手を振って美綴綾子は今度こそ、それは男前な歩き方で、自分の戦場に帰っていった。
りんこん。と、年代物の真鍮のドアベルがなって、ドアが閉まる。
美綴が出て行って、ようやくお客さんが切れた。
「いいのですか? せっかくお友達が誘ってくださったのに。」
そんな風に、レジを整理し終わった店長が話しかけてきた。
店長はメインのパティシエでもあって、普段は白衣で厨房に立つが、今日はシルクのブラウスに黒いサッシュの巻きスカート。
そして俺と同じ、男性スタッフ用のエプロンを付けている。
俺はカウンターを拭く手を止め、スタッフ用のマグを二つ用意して、サイフォンから残りのコーヒーを注ぐ。店長と俺の分だ。
それを持ってカウンターの隅っこ、客席からは死角になるオークのキャビネットの陰に入って一息つく。
・・・と。店長もこっそり隙間に入ってくる。
二人大人が入るには厳しい空間だが、休めてなおかつすぐに表に出られる場所はここを置いて他にない。
・・・ないんだけど。
「・・・店長。 コーヒーなら事務所(おく)に持って行きますってば。」
「大丈夫です。わたしの事は気にしないでください。」
店長は俺の反応なんか気にしないで、ずいっと俺の隣に割り込む。割り込んで話の続きを始める。
「それよりも、お休みの件です。・・・シロウさんにはいつもがんばってもらっていますし・・・
それに、25日なら、チーフもマキハラさんも来てくれるといっていましたし、お休みしていただいても、大丈夫ですよ?」
「だったら、なおさら休めませんよ。」
と、俺は答えて、店長にコーヒーを差し出した。
直接の上司と、後輩アルバイトが出勤するんだし、何より店長だって店に出るつもりだろう。
たとえ世界中が武器を隠すノエルの休戦であろうが、街角のケーキ屋さんにとっては天王山で関ヶ原。
未熟者の自分でもいないよりましのはずだ。・・・いや、できればそうだと思いたい。
「桜もこの忙しい時に無理を言って休ませてもらってますし。代わりにせめて俺ががんばらないと。」
一緒にアルバイトを始め、今や早番ウエイトレスのチーフ的な立場にある桜は、文句なしにケーキハウス「ローレライ」の看板娘である。
・・・が、今は個人的な理由で長期の休みをとっている。
その代わりに店長が自らフロアで接客したり、レジを打ったりしているのだから、俺も半端な手伝いは出来ない。
「そう言ってくれるのは本当にうれしいのですが・・・。」
ふうむ。と吐息して、店長は俺の注いだコーヒーをすすった。
「シロウさんは平気な顔をして無理をするでしょう? わたしはそれが心配なのです。」
隣に並んでカウンターに寄りかかっていた「店長」。
・・・現在、衛宮士郎の雇い主であり、同時にケーキ作りの師匠でもある、猪熊さんは、俺の顔を見上げて目を瞬かせた。
俺が店長さんに初めて会ったのは一年前・・・・・そう、やっぱりクリスマス前のこんな寒い日だった。
見える風景がクリスマス一色に染まる12月中旬のコト。
買い物帰りにツリーやらサンタやらで溢れかえる商店街を桜と歩いていた時。
ふとオープンしたばかりケーキハウスが目に入って、シュークリームの甘い香りと、趣味のいい欧風の外観に惹かれて立ち寄ることにした。
黒い樫のドアを押して入った店の中は黒を基調にしたシックなインテリアで統一されており・・・
その中で、やっぱり黒い制服にドレス型の真っ白いエプロンをつけた、ウエイトレスとおぼしき女の子がたった一人、手持ちぶさたな様子でテーブルを拭いていた。
17,8だろうか? 背は桜より少し低いくらいで、瞳は空色。
髪は癖のある赤っぽい金色で、柔らかそうな巻き毛がくるくると顔の輪郭を縁取っていた。
はっきりいおう・・・可愛らしかった。一瞬、現実感が無くなるくらいに。
後から店に入ってきた桜が後ろで「うわあ・・・」と、ひきつったような、うらがえったような、妙にかすれた声で呻くのが聞こえたから、あながち俺のひいき目ともおもえない。
・・・正直「フランス人形のような」という形容はこういうときに使うのだろうな等と思った。
(思ったけれども、何となく言わない方がいいような気がしたので、口にはしなかった。)
女の子は、それはもう凄い喜びようで、上にも置かないもてなしで。椅子を引いてくれて、花を持ってきて、コーヒーは飲み放題でサービスですーっ等と口走り、で、実は三日前から店を開けているのにお客さんが来なくて、その間捨てるのがもったいなくて余ったケーキばかり食べて、それもさすが見るのも嫌になって、もう店を止めようかと思っていたところへ、俺たちが訪ねてきたのだと・・・とハンカチ片手に涙ながら語ったりした。
・・・・・・
俺たちはちょっと不安になって顔見合わせたり。
だが、しかし。
勧められるままに食べたチョコレートのケーキが、信じられないくらいにうまかった。
たとえて言うなら、食べた瞬間にアルプスのお花畑が見えた・・・とそのくらい。
あるいは「なぜだっ。なぜこの味を他の者が知らないのだっ。」と義憤すら感じるほどに。
俺も桜もすっかりファンになって、お客さんがこないことをいいことにその金色の髪のウエイトレスさんと気が付けば2時間近くも話し込んでしまい・・・・で。
人手が足りなくて、厨房のスタッフさんとお店で接客してくれるウエイトレスさんを雇いたいのだけど、こんな有様では募集の貼り紙も出来ないのです・・・とかなんとかそんな話になり。
俺と桜はその場でこの店でアルバイトをすることに決めていた。
ケーキはおいしいし、店の趣味もいいし。
何より
俺たちは、彼女を気に入ったのだ。
なんだかこの機会を逃したら、こんないい子とはきっと知り合いになれないような気がしたのだ。
・・・で。
「店長さんはいらっしゃいますか?」
と桜が聞くと、ウエイトレスの女の子はきょとんとした顔をして俺と桜を交互に見た。
しばらく頭に手を当てて「むー」と悩む。・・・と、なにやら絞り出すような声音で呟くようにいった。
「店長は・・・います。」
「どちらに?」と俺が聞くと
さらに女の子は言いにくそうに眉を寄せ、上目遣いのまま、ぼそっと言った。
「あなた方の、目の前に。」
「「は?」」
しばらくの間があって
「「ええええっ!」」
俺と桜はそろって声をあげてしまった。
そんな・・・だって・・・どう見ても、俺たちよりも年下なのにーっ!
しかしそんな俺たちに追い打ちを掛けるよーに、その、金色の巻き毛の少女・・・あらため「店長さん」は、ぼそぼそーとやや沈んだ調子で、
「日本の方の年齢はよくわかりませんが、わたしは確実にあなたちよりも年上です。たぶん・・・」
すっと深呼吸し、寄せた眉に人差し指をあてつつ。
「少なくとも一回り以上は」
などとおっしゃったのである。
最早、説明の必要もないと思うが。
それが、ケーキハウス「ローレライ」のオーナー兼店長であり(そうは見えないのだが)ウィーンでの修行経験すらある正真正銘、超本格派の『パティシエ』、テレーゼ・フロウ・猪熊さんだった。
人呼んで「深山のヘクセ・デア・ショコラーデ」(タウン誌編集部の命名)。
あるいは
「香りでダイエット中のOLを遭難させるシュークリームの歌精(ローレライ)」(グルメ雑誌紹介記事より)。
・・・・・
物騒なんだか、そうでないんだか。
・・・・・と。まあ、そのようなわけで。
現在、俺、衛宮士郎はこの不老不死(絶対、魔法か何かだ)の「チョコレートの魔女」の下で、日夜ケーキ職人としての修行を積んでいる。
「ありがとうございます。でも休みのことは、ホントに気にしないでください。」
あらためて、俺が言うと、店長はカウンターに肘をつき、じろっとこちらを睨んできた。
酷く剣呑な表情だけど、外見が外見だけになんとなく、スネているだけのようにもみえる。
「わたしは仕事のことだけで心配しているのではないのです。
そのあたりをわかっていただけているのでしょうか?」
不安です。・・・・ 等と、むくれる。 あ、まずい。店長がこんな口調になったら・・・
反射的につい「ええ、もうそれは十分・・・・」とかなんとか、俺がしどろもどろにいったのが・・・・かえって悪かった。
「わかっていませんっ! 」と、カミナリが落ちた。
「 よろしいですか!
日本ではどうかわかりませんが、ケーキ職人にとって『弟子入り』というのはとっても大切なことなのです。
そしてマイスターが自分の工房に弟子を入れるということは、すなわちその弟子の人生を預かることなのですっ!
いわば戸籍に拠らない養子縁組っ。経済と技術の上では親子も以上の関係なのですっ。」
どがああああああっ。と、普段の淑やかさをさっぱり忘れて、説教の雨が降る。・・・いや、これはむしろ「弾幕」。
・・・あ、なんか、でじゃぶー。・・・・・ ずっと、むかーし、こんなコトがあったよーな。
「日本人の貴方には今ひとつ認識できないのもしかたないのかもしれません。
しかし! 弟子になるといってくれた時から、わたしはシロウさんをアルバイトの人とは見ていませんっ。
貴方にとってもわたしはマイスター。そーですよね。
・・・その、『家族』というと、シロウさんのホントの家族の方に申し訳ありませんが、わたし個人としてはすっかり、そんなつもりでいるのです。
・・・そりゃあ、わたしは見かけがこんなですから、あんまり説得力もないかもしれませんが・・・・・
その、わたしのコトはこの際置いておいて、いつも、あなたというひとは、後先考えないで、無理ばかり・・・」
ぜーはー、ぜーはーと息を荒げながら、店長さんは、そこでとりあえず止まって・・・
ああ、やっぱり。
俺の師匠の「店長さん」は、きれいで礼儀正しくて言葉遣いも丁寧で、
おいしいケーキを作ることに命かけてて国家認定マイスターっぽいくらいのすんごい技術の持ち主で、
いつも元気で優しくて気配りができて一生懸命で、だけど、時々もの凄く子供ぽいところもあって。
ほら。
今も「ああ・・・また、やってしまいました。」なんて、赤い顔して困ってる。
その様子に、ふと、懐かしい面影を見たような気がして・・・俺は。
「シロウさん。なにが可笑しいんですかっ!」
今まで生きてきて。・・・・自分自身が歩んできた人生を振り返ってみて。
俺は、家族や師匠や友達にホントに恵まれているって・・・そう思った。
ふと気が付くと外はもう真っ暗になっていた。
「日が落ちるのが早くなったなあ。」
会社帰りのお客さんもそろそろ切れ始める午後7時30分。
ショーウインドウのケーキは今日もきれいに無くなりつつある。善哉善哉。
藤ねえや桜に一個づつもってかえってやろうかな・・・などと算段していると。
りんこん。と、真鍮のドアベルが「おとない」を告げた。
「いらっしゃいませ。」
と普段通りに声を掛けて、そして・・・・そして、俺は言葉を無くした。
ドアのところに黒い人影があった。
背は女性としては高い方だろうか? 背筋を伸した美しくも力みのない自然体。
夜空を切り抜いたような黒い外套に身を包み、襟元のスカーフと、手袋の白が目を射る。
絹の糸のような細くまっすぐなプラチナ・ブランドは、鋭い印象が際だつカットのショート・ヘア。
白皙のさえざえとした面差しは中性的ではあったが、女性を感じさせる柔らかな輪郭のもの。
ただ切れ長の蒼い瞳には全く・・・何の表情も浮かんでいなかった。
まるで抜き身のナイフのような清冽で尖鋭で凄絶な、『空気』を纏うそのシルエット。
何も持っていないにもかかわらず、すべてに対して防衛し、また絶対的に武装する者。
俺は、何の根拠も理論も無しに、直感的に理解した。
この女性(ひと)は、魔術師なのだと。
『Four years after ー 衛宮士郎の場合 ー 』『Die Pupille der Hexe der Schokolade(チョコレートの魔女の弟子)』『Basset〜承前〜』 FIN