縁側に腰掛けて、ぷらぷらと足をゆする。
季節は初夏。猛暑という程ではないけれど、思いっきり動き回った後にバテてしまうくらいには暑い。どこもかしこも蜃気楼のようにゆらめいて見えて、さすがのわたしもちょっとだるい。
胡乱な視線の先では男の子が草刈りなんて面倒くさいコトをしている。
なんだかな、と思う。夏なのだ。陽射しがギラギラで、開放的で、みんなサマーバケーションなのだ。夏休みはまだだけど。
だというのに草刈り。ばかではないのかと思う。さっきまで手伝いをしていたわたしが言う事じゃないけど。ついでに面倒になって暴れまわるように草を刈ってへばってしまったわたしが言える事じゃないけど。
と、そんな風にうなっていると、玄関のほうから物音がした。
今は昼過ぎ。そろそろ帰ってくると言っていた時間。私は思わず姿勢を正して迎え撃つ。いや、この表現はどうなんだろう。
近づいてくる足音。
やあ、なんて言って現れたその人に、
「あ、おかえりなさい」
なんて風に笑いかけた。
その人はなんだか目を細めてこちらを見て、ただいま、とこたえた。
夏の空に想うこと
ぴぴぴっぴぴぴっぴぴぴ。
目覚ましの電子音が、頭のどこかを通り抜けていく。
あれ? こんな音だったっけ? じりりり、って音だったような。あれは寝相で壊したような。うむん?
「ねーむぃ」
ごろん、と横になる。
うるさい音は継続中。うむむ。どうしたものか。
あ、いいこと思いついた。
「んー、えい」
カチリ。音の位置から距離を割り出し、腕を一振り、面一本。我、見事に敵の沈黙に成功セリ。うんうん。これでゆっくり、
「――この、ばかちんがー!」
どごむっ!
「ごふっ!」
体に衝撃。思わず悲鳴。いきなり腹の上にボーリング玉でも載せられたかのような(されたことないけど)衝撃に、なんだなんだと目を開けてみれば。
「おーきーろタイガー! この寝ぼすけ、あと十秒以内に起きなければ置き去り確定だからねー!?」
「――タイガーって言うな!」
「うきゃっ!?」
思わずばねのように勢いよく飛び起きると、お腹の上に乗っかってわめいていた悪魔っ娘がころりんと転がった。雪のように綺麗な銀髪。けれど心は小悪魔な少女。彼女の名前はイリヤスフィール。長いので縮めてイリヤちゃん。ウチの居候である。
「いたーい。酷いじゃないタイガ。親切にも起しに来てあげたわたしにこの仕打ち。それでも子供の未来を預かる教師なの?」
「――んぬう? ええと、ちょい待ち」
何か言っている。こっちは寝起きで頭が動かないというのに。ええと、なんだっけ。起こしに来たとか。あれ? 今日は日曜だよね。うん。そしてわたしは藤村大河。教師をやってる花の二十代。ちなみにタイガという名前で呼ばれるのは好きじゃない。
ってそんな事はどうでもよくて。
がばりと起き上がる。むうー、とこちらを見てくるイリヤちゃんをひとまず置いといて部屋に掛けてあるカレンダーを確認。やっと起動を始めた脳内時計と日付を合わせてみる。
ふむ、ふむ。今日の日付に虎の判が押してある。更にその下には赤ペンで『カーニバノレ』と書かれている。……『ノレ』? ああ、『ル』か。字が離れすぎて『ノレ』に見えるけど。
いやしかし待てよ。カーニバルですと?
つまり、これは。これはこれは。ほほう。
――ふつふつと。
体の奥から、叫びだしたいような衝動が沸いてくる。
「もー。無視しないでよタイガってば! おいてっちゃうよ」
てこてこと傍によって来るイリヤちゃんも目に入らない。
だって今日は、なにせ今日は。
「――おまつりだーーっ!」
「きゃっ!」
立ち上がって絶叫したわたしに驚いたイリヤちゃんは、再びころりんと転がった。
「もー。タイガってば、朝っぱらからなんなの?」
「ごめんごめんイリヤちゃん」
むぅ、とむくれているイリヤちゃんを宥めすかしながら、わたし達は衛宮の家に向かっていた。
季節は夏。貫くように陽射しは強く、澄んだ空はどこまでも行けそうなくらいに高い。まだ朝だと言うのに太陽さんてば働き者だ。
隣を歩くイリヤちゃんを見る。うっとりするくらい綺麗な肌と髪。紫外線を浴びせるのももったいないなあ、と思う。
「なによタイガ? ちゃんと反省してるの?」
「してるしてるしてるわよう」
「三回言ってる時点ですごく嘘っぽい」
「うっ」
ずん、と太陽にも負けない熱視線を飛ばしてくるイリヤちゃん。うう。背筋が寒いかも。
この子を家に預かってからもう半年近い。最初はちんまりしてて可愛い妹ができたー、なんて喜んでいたものだけど、蓋を開けてみたらなんとびっくり悪魔っ娘だなんて誰が思うだろう。意外とがめついし、お姉ちゃんに敬意を払ってないし、細かいところをぐさぐさ突いてくるし。ちょっとその辺どうなのよと言いたいくらい予想の斜め上。
最初は流石に戸惑ったけれど、まあそこはこのわたし。お姉ちゃんの魅力でもって友好的な関係を築き上げる事に成功したのだった。……たぶん。
ただ、
「だいたいタイガは幾らなんでも自堕落過ぎよ。それで社会人のつもりなの? シロウの姉貴分を自称するならもっとしゃんとしなさいよ。まあ無理だろうけど」
「ぬ、ぬうううう」
ただ、やっぱり言葉はもう少しオブラートとか和紙とかそういうのに包んで優しく届けて欲しいなあ、なんてお姉ちゃんは思うのです。
「――ごめんね。イリヤちゃん」
「ん。わかればいいのよ。どうせまた同じ事しそうだけど」
「はうっ!」
よよよ、と泣き崩れるわたしをふふん、とからかうような目で見るイリヤちゃん。
ぬう。最近どうもこういう構図が定着してきたような。よくない。非常によくない気がする。
そういえばお爺さまもわたしの事は滅多に褒めないくせにイリヤちゃんはべた褒めだし。組のみんなも朝の挨拶をするのが何時の間にかイリヤちゃんのほうが先になってる気がする。
このままでは藤村組がイリヤ組に!
「いかーん!」
がおー、と吼えるわたしを冷めた目で見るイリヤちゃん。
「負けないからね!」
「……はあ。ホントにどうしたのタイガ。今日はいつにも増して変よ」
「おかしいのはイリヤちゃんの方! 今日は夏よ。お祭りなのよ! そんなテンションでどうするのよ」
そう。今日は楽しい夏祭りの日。そこかしこに浮かれた空気漂う一日であってしかるべきなのだ。
「だいたいイリヤちゃんが過激な目覚まし行為に出たのだってちょっとは楽しみにしてたからでしょ? 昨日だって寝れないーとか言ってたのに」
「別に。楽しみなのは確かだけど、そんな我を忘れるほどはしゃごうなんて思わないもの。そ、れ、に! タイガを叩き起こしたのは、シロウを待たせるのが可哀相だからよ」
「素直じゃなーい」
「なによ」
ふんとそっぽを向くイリヤちゃん。その動きに合わせて、頭にちょこんと乗っかった麦藁帽子がふわりと揺れる。ううう。この娘は天使か妖精か、と思わずハグしたくなるくらい可愛いのに。
別に、子供なんだからお祭りにはしゃいだっていいと思うんだけどなあ。一人前のレディ扱いしないと拗ねたりと、わたしにはよくわからない部分で気難しいのは困りものだ。その癖士郎にはこれでもかというくらいベタベタと甘えたさんだし。「お兄ちゃん」とか呼んじゃってさ。それでいてわたしはお姉ちゃんて呼んでくれないし。悪魔っ娘め。
「――お祭りアイスの美味しさに『参った』って言わせてやるんだから」
「意味わかんない」
なんて攻防を繰り広げつつ、衛宮邸に到着。
がらがらーと扉を開ける。その脇をイリヤちゃんがすいっと通り抜けた。む。
イリヤちゃんは靴を脱いで玄関に上がり、ふふんお先にー、とこちらを一瞥してから、
「シロウおは――」
「おはよー!! しろーー!!!」
「きゃんっ」
わたしの大声に、がくんとつんのめってしまいましたとさ。
朝食を美味しく食べ終え、ちょっと休憩。相変わらず士郎のご飯は美味しい。とか思いつつお茶請けに手が。食べ過ぎはいけない、と思うのだけれど。思うのだけれど、ばりばりとかじる。
食卓を囲んだのはわたしと士郎とイリヤちゃん。桜ちゃんと遠坂さんは用事があるとか。まあどうせ夜のお祭りには一緒に行く約束してるけど。それにしてもお祭りかー。楽しみー。
わたしはにこにこと煎餅をかじる。
「ねえシロウ」
「どうした?」
「今日のタイガ、今朝からこの調子なんだけど、一体なんなの?」
士郎ってばなんだかむうー、と首を傾げてから、
「うーん。祭りの日の藤ねえって、いつもハイなんだよ」
「ハイ、って」
「まあ祭りの嵐、とか呼ばれてるくらいだから」
「祭りの荒らし?」
「そう。もう手がつけられないんだ」
「そこ! 何か微妙に噛み合ってないようでしっくりきてるような感じのこそこそトーク禁止! お姉ちゃんに隠し事なんてできないんだからね」
「――こんな感じなんだよ」
「……はあ」
何よイリヤちゃん。その疲れたようなため息は。
「まあいいや。それよりシロウ。今日は何時頃に出る?」
「あー……それが、実はな」
士郎はなんだか難しそうな顔をして、
「ちょっともう少ししたら出掛ける事になった」
「「ええー!?」」
二人揃ってブーイング。何よそれー。
お祭りに言った事がないというイリヤちゃんの為にも、夜だと色々と込み合うから一度昼過ぎに見て回ろうって約束だったのに。
「いや、昼前には帰るし、昼食も作るからさ。ちょっと出掛けるだけなんだよ」
「――士郎。また何か頼まれ事したの?」
「ああ、何でも今日の祭りで――ってて、あー、その」
墓穴掘りな士郎。まあ嘘がつけないってのは悪い事じゃないと思うけれど。
「ちゃんと昼までには帰ってくるの?」
「それはもう、絶対」
むう、仕方ない。
頬を膨らませているイリヤちゃんに、いい? と視線を送る。
イリヤちゃんは、ぷすーと頬の空気を抜いてから、やれやれ、といった感じで、
「しょうがないわね。じゃあタイガの面倒はわたしが見ていてあげるから、シロウは安心して行って。早く帰ってきてね」
「――ってそれわたしのセリフーっ!」
わたしの絶叫を無視して、二人は軽く頷きあったりなんかしちゃてる。
ひどい。ひどいよう。お姉ちゃんとっても傷ついた。折角のお祭りなのに心の中がブルーだよう。
こうなったら。
ゆらりと立ち上がる。
「それじゃイリヤ、藤ねえ。行ってくる」
とか言って背中を向けた士郎に、
「何でわたしのほうが呼ぶの後なのよーっ!」
がばちょ、と抱きつく。慌てる士郎。驚くイリヤちゃん。だけど、逃がさない。
「何やってるのタイガ!」
「ふ、藤ねえ?」
「お姉ちゃんをないがしろにするとはいい度胸じゃない士郎」
「あ?」
そのまま、いってらっしゃい、と囁きつつ、ちょん、と軽く頬に口付けた。
「んなっ!」
「あーーっ!!」
士郎はびっくり仰天。イリヤちゃんは両手を振り上げ叫びをあげる。ふ、思い知ったか。お姉ちゃんを軽んじろうなんて百年早いのよ。
「ふ、ふふふ藤ねえいったい何のマネだ!?」
「なによう。お姉ちゃんからのいってらっしゃいのキスじゃないの。嬉しくないの?」
「そういう問題じゃない! だいたい――」
「ずるいタイガ! わたしもー!」
「――っ! いってくるっ!」
狙いを定めて飛び掛ろうとするイリヤちゃんから逃れるように、士郎はどたばたと走って家を飛び出していった。まだまだ青いわね士郎。
そして、ぽつねんと取り残される二人。
「……むー。タイガ、ずるい」
「ふふーん。これがお姉ちゃんの特権、ってやつよ」
ちょっとだけ胸を張りつつ、再びちゃぶ台の前へ。お茶請けに手を伸ばす。頬張る。緑茶を飲む。うん、夏の熱いお茶も悪くない。
「でも、タイガ顔赤いわよ?」
「ぶぼっ!」
暴発。
「げほっ、けほっ、かっ、は、はふぅぅ」
のたうち回るわたし。咽まくる。く、くそう。口の回りがイイ女にあるまじき事にっ!
ぜはぜはと呼吸を整えつつなんとか起き上がると、イリヤちゃんは涼しげに微笑んでいる。おのれえ。
取り合えずティッシュに手を伸ばした。口元を拭いて、なんとか立ち直る。
「――やってくれるじゃないのイリヤちゃん」
「んー。別に、嘘は言ってないでしょう?」
「ぎ、ぎぎ」
ぎらん、と射殺す勢いで睨みつけるも、敵は平然とそっぽを向いて煎餅を齧る。
イリヤちゃん。なんて怖い子……!
それからしばし。お互いに相手を伺いつつ、ばりばりずずー、とお茶の時間は過ぎていった。
んでもって、縁側にて食後のぼややんタイム。あー。あぢいようー。
ぐでんと力尽きるわたし。みーんみーんと蝉がうるさい。
せっせと首を振る扇風機はそれなりに涼しいのだが、いかんせん出力が足りない。士郎の趣味的修理品だから、というか純粋に古いのだろう。
庭に出て水撒きなんぞやってるイリヤちゃんの方がよっぽど涼しそうだ。ホースを手に、きゃっきゃとはしゃぎながら空に放水している。わたしはやる気ないけど。元気があって羨ましい。
などと思っていたら、イリヤちゃんがあついー、とか言いながらこっちに戻ってきた。……まああれだ。隣の芝生は青い、とかそんな感じか。肌、弱いしね。
日陰に避難してからごろんと転がるイリヤちゃん。扇風機はふるふると風を送ってくる。ちょっと角度を調整して、イリヤちゃんも照準セット。
「ありがとータイガ」
「どーいたしましてー」
だらーり、と二人。風に当たる。
ほんと、夏だな。強い陽射し。蝉の鳴き声。イリヤちゃんが撒いていた水も、あっという間に乾くだろう。
祭りの日には相応しい、輝ける一日。
夏のこと。祭りのこと。思考はぐるぐると行ったり来たり。祭りの日は色々と思うことがありすぎて、脳が燃えてしまいそう。いっそ空っぽにしたくなる。空になれわたしー。
酔ったようなぼやぼやとした思考。
なんとなく扇風機の顔がこっちを向いたタイミングで、口をぱかんと開けて、
「あ゛〜」
……なんか、和むなあ、って感じ。
イリヤちゃんは呆れたようにこっちを見てるけど。
「……タイガ、おとなしいわね」
「む?」
「朝の調子はどうしたのよ」
「んー。お祭りに備えて一休み、ってところ」
「ふーん」
「にしてもあっついわねえ」
「……何かあったの?」
思わずひょい、とイリヤちゃんに目を向けてしまった。わたしと同じく寝転がったままこちらを見る目は、ちょっとだけ意地悪そうで、ちょっとだけ心配そう。
アンバランスな子だなあ、と思う。大人の部分、子供の部分。その境界。それはもともと曖昧なものだけれど、この子はどうにもその辺の起伏が大きめな気がする。常識はそれなりに持ってるのに良識が少し幼いというか、子供は子供なんだけど大人びている部分もあって、だけどその大人の部分が不安定であちこち歪んでるぽいといか。……自分でわけわかんなくなった。
まあとにかく、子供らしからぬ気遣いをする子では、あるのだ。言動は天使っぽい小悪魔だけど。
目線を交わすこと五秒。
はたしてその間、わたしの心に浮かんだものはなんだったか。彼女に読み取れたかどうか。
取り合えず、にへらーと笑って誤魔化す。
「お姉ちゃんを心配してくれてるの?」
「別に。ちょっと気になっただけよ」
誤魔化されたというのがわかったのだろう。ぷいと視線を外して、そのまま横になる。
わたしも、横に。
「――ね、イリヤちゃん」
「何よ」
「ありがとうね」
「……は?」
再びこっちを見る気配。
わたしは横になったまま。視線だけを、感じる。
――まあ、目を合わせたままでは、言いにくい事というのも、ある。
「なんてゆーの? 士郎にさ、妹が出来た、みたいな。それって凄く良い事だからね。だからお礼」
「――あのね。タイガの言ってること、さっぱり意味不明なんだけど」
そりゃそうだ。わたしにもよく分かってないんだから。
夏の熱に茹だる頭の中身を簡単にまとめつつ、言葉に出していく。
「わたしはさあ、『お姉ちゃん』だからねえ」
「……」
「何時だって、いってらっしゃいって背中押してやって、おかえりって迎えてあげるのがポジションてゆーか役所なのよ。まあ、その事に疑問も不満もないんだけどね。……でも士郎ってさ、あの通り馬鹿じゃない? まっすぐ過ぎって言うか、周り見えてないって言うか、見えてるのに自分入ってないっていうか」
「……うん」
「だからね。『守るべきもの』なんて言うとちょっとアレだけど、まあそういう感じのやつね。妹とか、そういうのも必要だと思うのよね、やっぱり」
例えばそれは、後輩で家族とも呼べる桜ちゃんなんかもそうなんだけど。
彼女はちょっと内に溜めすぎなところがあるからなあ。、
もうちょっと自己主張というか、甘え上手になれればいいのにね。お互いのためにも。
「だからイリヤちゃんが士郎の妹みたいになって色々と甘えてくれてるのは、逆に士郎を育てる力にもなってるわけで。結構ありがたいとか思っちゃっているわけなのよう」
「……妹、か」
「そ」
「ね、タイガ」
「うん?」
「わたし、普通に甘えられてるかな?」
「甘えてないつもりだったの?」
それはびっくりだ。
「ていうか、そういうの、よく分からないもの。正しいとか間違いとか気にしたこともなかったし」
ふむ。そういうものか。
イリヤちゃんの想いは、わたしにはわからない部分が多いけれど。いろいろあるのだろう。誰も彼も。むずかしい。
「わたしが見る限り、仲のいい兄妹にしか見えないわねえ」
「そっか」
「そーそー」
じーじー、と蝉の鳴き声。ちりーん、と風鈴の音。
「――タイガも色々と、考えてるのね」
「何か含みのある言い方ねー。士郎なんて放っとくと絶対切嗣さんみたいに飛び出していってあっちこっちふらふらするようになりそうなんだもの。心配にもなるでしょ」
「……ま、確かにシロウは色々と危なっかしいわ」
「そうそう」
「でもだからって簡単に変わるとは思えないけど。あれってもうシロウの根っこみたいなものじゃない」
「そおねえ。でも、ここが士郎のお家だもん。帰ってこなかったりしたらお仕置きしてやるけど。取り合えず、いってらっしゃいとかおかえりとか、それぐらいは、ね。お姉ちゃんってのはいつも傍で守ってあげられないからね。どーんと受け止めて、ばしっと背中押してやるぐらいでいなくちゃ」
ぴっ、と人差し指を立てて、イリヤちゃんに笑いかけた。
イリヤちゃんは少しぼーっとこちらを見てから、
「……タイガって」
とても不思議なものを見つけたような表情で、
「姉、だったのね」
そんな事を言った。
って待て。
「当たり前よっていうかいつも言ってるじゃない」
「だって、初めてそう思ったんだもん」
「むう」
見詰め合うこと、約五秒。
イリヤちゃんはふふっと笑って、それからちょっと神妙な顔をした。
「……結局さ」
「うん?」
「タイガはどうしていきなりそんな話をしたの、っていうか朝のハイテンションと関係あるの、それ?」
見詰め合うこと、約三秒。
わたしはにこりと笑ってみせる。
「夏は、いろいろとハッピーでアンニュイなものなのよ」
「……はあ」
わけわかんない、と完全にイリヤちゃんはそっぽを向いた。
「ね、イリヤちゃん」
「なに」
「おかえりって言おうね。士郎に、一緒に。何度も何度も。ちゃんとかえってきなさいよ、って」
「……ん」
こちらを向きはしないけれど、怒ってるとかじゃなさそうだ。
「――お姉ちゃんは、受け止めて背中を押してやるもの、かあ……」
そんな呟きを何処へともなしに吐き出すイリヤちゃん。
いろいろと考える事があるのだろう。わたしの言ったこと。イリヤちゃんの想ったこと。それらがイリヤちゃんの中でどういうかたちになるのかはわからないけれど。
だがしかし。
久方ぶりに真面目トークなど披露したわたしは、色々と精神的に疲労してしまったわけで。
披露と疲労をかけたギャグとかそういうんじゃなしに。
今現在、体を動かしたくてしょうがなかったりする。
むくりと起き上がる。ふらふらと庭へ。貫く陽射し。うああ暑いー。
「どーしたのよタイガ。バターになっちゃうわよー?」
「しゃーらっぷ。そーいうタチの悪い言い回しでわかりやすく抉るやり方は遠坂さんみたいよ?」
「それは勘弁してちょうだい」
よりによってリンー、なんて転がりながら、さり気なく扇風機の攻撃範囲が広い場所を確保するイリヤちゃんは実に侮れない。
庭を歩く。いかにも夏、て感じの熱光線。空は遠い。青空に、飛行機雲が線を描いていくのが見える。
わたしはその中を進み、さっきまでイリヤちゃんが使っていたホースを手に取った。撒かれていた水は、水たまりの部分以外はもう乾き始めている。
さて。
「イリヤちゃーん」
「なに?」
「これで軽く水浴びなんてどうかなあ? 涼しいと思うんだけど」
ごろんと背中を向けられる。完全に無視された。うぬぬ。
わたしは蛇口を捻る。ホースから水が出る。先の部分を押さえて、威力あっぷ。
さて。
「喰らえーっ!」
「え? ――わきゃっ!?」
「あ、ごめんねー。ついうっかり手が滑っちゃったわ」
敵に背中を向けて寝ていたイリヤちゃんに放水直撃。油断大敵。思わず飛び上がって転がるイリヤちゃん。ちょっと気持ちいい。
ふふん。かつて二挺水鉄砲の早撃ちタイガーと呼ばれた腕前は鈍ってないわね。タイガーは余計だけど。
「ターイーガー」
「だからごめんね」
「聞いたわよ聞こえたわよ思いっきり喰らえーって!」
「空耳じゃない?」
わたしとイリヤちゃんの視線が絡み合う。目と目で通じ合う。
あれ、わたしとやる気なの?
それはこっちの台詞よ。
覚悟は出来てるのかなあ。
後悔させてあげるわ。
そっちこそ。お姉ちゃんの凄さを思い知るがいいわ。
……ふふふ。
にこり、とお互い笑う。それが戦闘開始の合図になった。
「そこになおりなさいタイガーッ!」
「バローンウォーターアタッーク!」
「わぷっ! く、タイガの卑怯者め。負けないからねーっ!」
そうしてわたしは、腕を振り上げて走りこんでくるイリヤちゃんを迎え撃ちながら。
遠く広がる空を見上げた。
青い絨毯に白い刺繍をぽつぽつと浮かべ、何処までも続く空。
そこに向けて、叫ぶように、囁くように、呼びかけるように想いを馳せる。
ねえ。
ねえ、夏だよ。
とっても賑やかな、夏だよ。
それは、小さな夏の、小さな夜の、とあるささやかなひとときのおはなし。
夜の初めの薄闇の空。遠く、蝉の声。いつもは五月蝿いくらいなのに、今日は何か優しくさえ感じる。
祭りの夜だからかな。ちょっとくらいのワガママは許される、そんな騒がしい祭りの夜だから。
そんなことを思いながら、夜を歩く。
りーりー、と虫が鳴いていた。優しい夜だった。じーじー、と蝉の声が遠かった。涼しい夏の夜だった。
「しろーう」
私は、てくてくと歩いている。今日は祭りの日。弟分である士郎と遊びに行く約束だった。最近、あの子があまり外に出たがらないから、相手をしてやってくれ、と彼の養父に頼まれているのだ。お祭りなんていい機会。今日は目一杯連れ回してやろう、と楽しみにしていた。
「しろーう?」
けれどあの子は、来なかった。何をしてるのやら。あの子はどうも危なっかしい。前も、ちょっと目を離した隙にカツアゲなんてバカやってる不良に立ち向かってぼこぼこにされたばかり。もちろんそのバカ達は後日しばらく動けない体になってもらったのだけれど。
約束の場所から辿るように衛宮の家に。途中で見つからなかったのは、幸か、不幸か。
「おーい。しろうー」
辿りつく、大きな家。古い家。誰もいない家、だった場所。
敷地内に入り、庭へ。こういうとこ、我ながら条件反射だなあ、と思う。ここは衛宮の家。このところ、庭にはいつも。
「――やあ、大河ちゃん。どうしたの?」
この人がいる。
衛宮切嗣。士郎のお養父さん。士郎は爺さん、なんて呼ぶけど、確かに雰囲気はちょっと枯れてるけど、でもわりと若いと思う。ないすみどる、って奴?
庭の縁側に腰掛けて、ぼんやりとこちらを見ている。月が明るい。切嗣さんは、彼の隣で身を丸めて仔猫みたいに寝ている士郎の頭を優しく撫でて……って。
「士郎……」
「ん? ああ、もしかして士郎に用事かい?」
「え、えと、はい。あの、夏祭りで」
「あたた」
これはしまった、という感じで苦笑。
「ごめんね、大河ちゃん。たぶん、僕が撫でてたせいかも」
なんて言われたら、もう何も言えない。ちなみに私は名前で呼ばれるのは嫌いなのだけど、この人は言っても聞いてくれないのだ。酷い人だと思う。でも嫌じゃない。なんだかなあ、もう。
この親子がやってきてから、もう五年も経つ。初めて出会った頃は、自分にとって異分子だった。いくら人見知りしない私とは言え、この家を秘密の遊び場兼修行場の一つとしていた私にとって、二人は私の領土の侵入者だったのだ。子供っぽいとか言うな。
けれど、なんとなくこの人が気になって、この家に前より入り浸るようになって。
小生意気な子供だと思っていた士郎とも、気がつけば姉弟みたいな関係になって。
いつのまにやら頻繁にこの二人に会いに来てしまっている。ほんと、なんだかなあ、もう。
「いえ、いいですよ。お祭りはまだ続いてるし、こうしてるのも悪くないですから」
なんて言いつつ、士郎の隣にちょこんと座る。寝ている士郎の顔を覗き込むと、なんだかすごく心地よさそうな寝顔。撫でている切嗣さんの手。べつに、羨ましくなんかないけど。
切嗣さんは、すごく優しい目で士郎を見ている。
ホント、変な人だなあと思う。
大人のクセに子供みたいだったり、何でも知ってるように見えて何もわかってなかったり、のほほんな上に不精者で割と女の人とかにだらしない感じだったり、けれど今みたいに優しい『おとうさん』だったり。
なのに息子を放っぽって一月以上も家を空けたりする事もあったり。
どうしてそんなにふらふらした感じなのか、と前に聞いた時は、
「ほんとうの僕ってなんなんだろうねえ」
なんて本気とも冗談ともつかない顔で誤魔化されたりもした。
でもまあ。いい人だ。取り合えずそれだけで問題ない、と思うようにしている。
どこか遠くで花火の音。優しい優しい、夏の夜。
「……士郎、起きないね。起こしたほうがいいかな?」
「んー……」
情けなさそうな切嗣さんの声に、もう一度士郎の顔を見る。
ほんとに、幸せそうな顔。起こすのが忍びないというのも、わからないでもない。
だから、
「気持ちよさそうですよね、士郎」
「だよねえ」
しみじみと言う切嗣さん。
その表情には、色々なものが混ざっていると思う。見えないけど、私自身も。
衛宮士郎。切嗣さんの養子。五年前、多くの人の命を奪った火事の中で助け出された少年。
どういう縁があって、この人が士郎を引き取ったのかわからないけれど、それでも士郎に向ける愛情は疑いようのないもので。そして、わたしだってこの弟分が大好きなのだ。
ここに来たばかりの頃、しょっちゅう悪い夢を見て飛び起きていた士郎を知る身としては、こんなに幸せそうに眠る士郎を起こすのはとてもタイヘンだ。
「――まあ、もうしばらく、このままで」
「ごめんね」
「いえいえ」
笑い返して、士郎の手をそっと握ってやる。もう片方の手は、切嗣さんが握っている。
親子みたいだ、なんて考えると顔に出やすいわたしは一気に爆発してしまうので、余計な事を考えないように空の月を見上げた。
「士郎のやつ、子供は風の子だって言ってるのに、最近は外に出たがらなくてね。今日は折角の祭りなのに」
「――きっと、切嗣さんの不精がうつったんですよ」
「まいったなあ」
「子は親に似るって言いますし」
「うーん……」
実際、この親子に関してはある意味その通りだった。若い頃は正義の味方になりたかったんだ、なんて真顔で言うこの人の息子は、正義の味方になるんだと現在も夢へ向かって邁進中である。若いっていいなあ。わたしだって若いけどさ。
「士郎には、あんまり僕みたいにならないで欲しいんだけどねえ」
「でも、士郎の言ってくれる事、結構嬉しいんでしょう」
「そうなんだよね」
そこが困るんだよねえ、と笑う。
その笑みがあんまりにも透明で、迂闊にも切嗣さんの方を見てしまったわたしは、わけもわからずこの人にしがみついてしまいそうになるのを耐えなくてはならなかった。
この人は気付いているのだろうか。日に日にか細く透明になっている自分に。それが怖くて、縋るように傍にいようとするわたしたちに。士郎は、自分で気付いていないみたいだけど、でも無意識にその手を離すまいとしているときがある。
きゅ、と士郎の手を握る。暖かな手。切嗣さんは、微笑んで士郎を撫でる。
「……ねえ、大河ちゃん」
「はい?」
「士郎にさ、いってらっしゃいとか、おかえりとか、そういうの、沢山言ってあげてくれないかなあ」
「――」
それは。
どういう意図で、とは聞けなかった。聞くのは怖かった。だから、少し引きつったような笑いでごまかす。
「……ふふっ。そんなの、今も、言ってますよう。いつも、おかえりとか。……切嗣さんだって、ほら、いつも言ってるじゃないですか。急に何言ってるんですかまったく」
「そうなんだけど、ね」
切嗣さんの表情は、茫洋としていて掴めない。ただ、優しげで、寂しげで、見ていると胸が痛い気がする。
「ぼく、ねえ」
さらり、と士郎の髪を撫でる。
「士郎を引き取って、さ。初めて家に帰ったとき、ちょっと泣いちゃったんだよね」
「……はい?」
いきなり何を言うのだろうか、この人は。いや、確かに意外と涙もろそうなイメージのひとではあるけれど。いやそうじゃなくて。
「今までさ、何があっても泣いたりしなくて、それは卑怯だろうって言い聞かせてきたくせにさ。――玄関開けたら、士郎がだだーって走ってきて、「おかえり」って。それだけでもう泣きそうになってて。――ほんと、僕ってずるいよねえ」
士郎を優しく見つめ、懐かしそうにそんな事を言う切嗣さん。
何が卑怯なのか、何がずるいのか。きっと聞いてもはぐらかされるだけで、困らせたくなくて、聞けなかったけれど。
それでも、士郎は、わたしは、貴方が大好きなんだと。
そんな、とうに知られている事を、何度も、何度も、心の中で繰り返しながら。小さな夜は過ぎていく。
「――まあ、だからさ。そういうの。おかえりとか、ただいまとか、そこに自分がいる。いてもいいんだ。かえってきていいんだっていう挨拶があると励みになるから。士郎はまっすぐ過ぎるとこがあるから、何処かで繋いでおかないとほんとに僕みたいになっちゃうと思うからさ」
「……はい。わかりました。――でも、切嗣さん、ほんとに士郎が大好きですよね」
「うん。だって自慢の息子、だからね」
わたしは士郎を見る。すうすうと小さな吐息。いつも無鉄砲で、前しか見てなくて、正義の味方、なんて同年代の子供にも笑われるような夢を馬鹿正直に追いかけている大切な弟分。
この小さな子供が、一体どれほどこの人を救ってくれたのだろうか。誇らしいような、ちょっとだけ悔しいような。変な気分になる。
繋いだままだった手が、きゅっと握り返された。
「――ん」
「おや」
「あ」
ゆっくりと、瞼が上がる。寝ぼけてるのか、目をこすろうとして手が動かないのに気付く。あれえ、という呟きを聞いて慌てて手を離した。同じような反応をした切嗣さんと目を見合わせて、苦笑。ごしごし、と目をこすって起きようとする士郎。
「あれ? 藤ねえ?」
「おー。起きたね士郎」
「おはよう」
「爺さんもおはよう。……夜?」
ふらふらと辺りを見回して、うん? と首を傾げる事約五秒。
「あ! お祭り!」
やっと事態を認識したらしい。
「ごめん藤ねえ。寝ちゃってた」
「いいよいいよ」
がばりと大慌てで謝る士郎と手を振るわたしを見て、切嗣さんは笑っている。
「まだ夜は長いよ。二人とも、お祭り楽しんでおいで」
「うん!」
「あ! ちょっと待ちなさいよ士郎!」
元気良くだだーっと走り出す士郎と、それについて歩き出すわたしと、見送る切嗣さん。
「いってらっしゃい」
振り向く。切嗣さんは、微笑を浮かべて、とても大切な、たからものを見るみたいにわたし達を見ている。
わたしは何故かもどかしくて、言葉を捜して、
「あの、切嗣さん。切嗣さんも一緒に――」
「ね。お祭りって、いいよねえ」
首を振るでなく。拒否するでなく。ただやんわりと、
「やっぱりさ、夏は、騒がしいくらいがいいよ。この家は、ちょっと広すぎるからね。賑やかなのがいい。――お祭り、楽しんでおいで」
「……はい、いってきます」
ぺこりと頭を下げ、振り向いて、わたしは歩き出した。
衛宮邸を出て、律儀に足を止めていた士郎と手を繋ぐ。強く、ぎゅっと。
不思議そうな顔をしつつも、何も言わず握り返してくれる可愛い弟分。
そうして二人、祭りの夜へ歩き出す。
「ねえ、士郎」
「ん?」
「お祭り、楽しもうね」
「あ、うん」
「お土産、買っていこうね」
「うん。爺さん折角の祭りなのに引きこもってて勿体ないからな。美味いものでも買ってってやろうよ」
「――そうだね。ほんとに」
わたしは空を見上げて、もう一度、そうだね、と呟いた。
空には月。鮮やかな星明り。遠く、花火の音がした。
その年の冬。切嗣さんは、静かに静かに、息子に看取られてこの世を去った。
彼が何を後悔していたのか。何をしたかったのか。今となってはわからない。
士郎も、たぶんよくは知らないだろう。
けれど。それから。
わたしは以前よりも更に多く衛宮家を訪れるようになった。
そして。
いってらしゃい、おかえり、おはよう、おやすみ、ただいま、いってきます。
言葉を交わした。何度も交わした。縋るように、儀式のように、当たり前のように、幾つもの挨拶を交わした。
ほんとうの家族ではないかも知れないけれど、だけどいつか。
お互いに、自分にとってどういう相手か、と聞かれた時に『家族』と言えたなら、それはとても良い事だと思ったから。
帰ってくる士郎。おかえり、と迎えるわたし。士郎は、ただいま、藤ねえと返してくれる。
それは約束でなく、誓いでもなんでもないただの呼びかけ一つ。それでもわたしは、この子のお姉ちゃんで。だから、いつも。いつまでもいつまでも、いってらっしゃいと背中を押して、おかえりなさいと迎えてあげられるお姉ちゃんになろう、とそう思った。
それから五年。
あの子は相変わらずまっすぐで、無鉄砲だけど、優しくて良い子に育ってくれた。
もう、ただいま、おかえり、なんていちいち確認はしないけれど、それでもこの家にちゃんと『帰って』きてくれてる。そう思える。
そんな風にしっかり育ってくれたのは、半分くらいわたしのおかげかな、なんて自負もあったりする。
――まあ、何時の間にやらわたしの方が面倒見られているような構図になってしまった気がしないでもない、のだけど。
続く楽しい日々。最近増えた、この衛宮の家に遊びに来る娘達。帰ってくる士郎。
わたしは、頬を緩ませて、空に笑いかける。
ねえ、あなたは笑ってるかな。
ここはこんなにも、あったかくて賑やかになったよ。
/
縁側に腰掛けて、ぷらぷらと足をゆする。
季節は夏。油断するとあっという間に燃えてしまいそうな錯覚さえ覚える陽射し。
思考はぐるぐると行ったり来たり。いつかの夏の夜のこと、過ぎてゆく今日のこと。祭りの日は思うことが色々とありすぎて頭がオーバーヒート寸前である。
胡乱な視線の先では、目に映る庭がこころなしかゆらゆらと揺れている。でもだらーっと。やる気でないんだもん。士郎来ないし。
だがこれではいかん、と思う。夏なのだ。陽射しがギンギンで、積極的で、みんなサマーバケーションなのだ。社会人は違うけど。
だというのに士郎ときたら相変わらず雑用係。
女の子とデートの一つもしてみせろ、お姉ちゃんは心配だぞーってなものだ。
ただ。
「うむぅ……」
指折り数えてみる。桜ちゃん、はまあオススメだと思うけど押しが弱い。遠坂さんはいじめっ子だし、イリヤちゃんは犯罪。
――セイバーちゃん、どうしてるかなあ。
少し前の冬。この家が今みたいににも賑やかになり始めた頃に、ちょっとだけこの家に居た女の子を思い出した。
礼儀正しくて、強くて、ご飯を幸せそうに食べる、どこか士郎に似ていた少女。
あの子なら、まあ、認めてやらないでもないかなとか思うけど。でも実際そうなってたら駄目って言ってたかもだけど。ま、帰っちゃったんだから考えてもしょうがない事だけど。
しかしそうなると。
むう。士郎に相応しい良い娘はいないものか。
「こうなったら、おねえちゃんが――」
いやいやいや。熱に当てられるな落ち着けわたし。
と、そんな風にうなっていると、玄関のほうから物音がした。
今は昼前。そろそろ帰ってくると言っていた時間。私は変わらず姿勢を崩して迎え撃つ。いや、この表現はどうなんだろう。
近づいてくる足音。わたしは視線をそちらに向ける。
だだー、っと、わたしの脇を銀色の風が吹きぬけた。
「おかえりーっ!」
だきっ!
「わ、わ、なんだいきなり」
イリヤちゃんが士郎に飛びつき、士郎が慌ててその体を支える。飛びついた勢いのまま、軽くくるん、と銀の髪が夏空に流れた。
おっとっと、と勢いを殺しつつ、なんとか立ち止まる士郎。イリヤちゃんはその体にしがみついたまま。
――やられた。
先程の衛宮家水流大決戦ですっかりへばらせたと思っていたのに。余力を残していたのか。
うぬぬ。やはりさっきの話がまずかったか。イリヤちゃんめ。抜け駆けはずるいよう。
と。イリヤちゃんが士郎の肩越しにこっちをみて、にやりん、と笑った。
……。
……ふ。ふふふ。わたしってば挑発されてる?
ゆらり、と立ち上がる。こっちの気配を察したのか、士郎がわたしを見る。あれ? どうして後退るのかな?
「ま、待て。何か知らんが落ち着け藤ねえ」
ひどいなあ。わたしは落ち着いてるのに。
にこりと微笑んでみる。士郎もにこり。ふふ、ちょっと引き攣ってるわよ?
ようし。
だっしゅ!
「とりゃーっ!」
がしっ!!
「のわっ!」
「きゃっ!」
イリヤちゃんを抱いたままくるりと回れ右して駆け出そうとした士郎に飛びついて思いっきり抱擁。
ああもう。暑いじゃないの! 夏だししょうがないけど!
「ま、またか、ったくなにするこのばか虎!」
慌てる士郎。あついーくるしいーと呻くイリヤちゃん。わたしはにんまりと顔を綻ばせて、叫びだしたい衝動を堪える。
抱きつくのはあつい。夏だもん。だけど、しあわせだ。
わたしは、その想いをどう伝えようかとぐるぐる悩んで、やっぱり止めた。
士郎はここにかえってくる。みんな一緒に笑ってる。取り敢えずはそれでいい。
だからその想いだけを、強く言葉に乗せて、
「おかえりなさい、士郎!」
と破顔一笑。
士郎はちょっと驚いた顔をした後、やれやれしょうがない、と肩を落として、ただいま、と笑ってこたえた。
季節は夏。空には太陽。騒がしい日々は、今日もまた当たり前のように過ぎてゆく。
END
あとがき
ほのぼのー、のつもりです一応。
何故でしょう。もっと短く、軽くほのぼのしてたはずなのに、お姉ちゃん話の辺りから切嗣さんを転がし始めたら話が進む進む。ほのぼの通り越してややしんみり系に。あれ?
不思議です自分。むしろギャグ系のほうがほのぼのしてるような気が。難しい。
ともあれ、お読みいただきありがとうございました。