Fate / Sword & Sword 11話〜 (傾:斬魔大聖デモンベインとのクロスオーバー


メッセージ一覧

1: ベイル(ヴェイル) (2004/03/28 13:01:52)[veill at arida-net.ne.jp]

 十話まではこちらです。
http://www.springroll.net/tmssbbs/read.php?id=1079535178

注:このSSはニトロプラスの荒唐無稽スーパーロボットAVG「斬魔大聖デモンベイン」とFate/stay nightとのクロスオーバーです。苦手な人はお気をつけ下さい。

2: ベイル(ヴェイル) (2004/03/28 13:02:56)[veill at arida-net.ne.jp]

 その瞬間、真っ先に動き出したのは、イリヤのバーサーカーであった。
『────!!』
 轟ッ! という音とともに暴風を巻き起こし、バーサーカーの斧剣が廃墟の屋根ごとラスキンを薙ぎ払う。
 粉砕──屋根が砕け散り、木ぎれや土塊が砂埃とともにまき散らされた。
『!』
 だが、その寸前、ラスキンは屋根を蹴ってバーサーカーの斧剣から逃れている。
「痴れ者が」
 そのままバーサーカーの頭上を飛び越え、身を反転させながら着地。翻ったマントの下から、黒鞘に収められた一振りの日本刀が現れた。
「力はこれ見よがしに振るうものではない!」
『──!』
 屋根を打ち砕いたバーサーカーの斧剣が、そのまま体ごと回転してラスキンに迫る。岩から直接削りだしたかのような無骨で質実剛健たる魔刃──それが、鍛え上げられた鋼の刃と噛み合った。
「き──」
『──!』
「え──」
『────!』
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!」
 ズン──と大地を揺るがせて、ラスキンの足が土にめり込んだ。だが、その手が抜きはなった日本刀はバーサーカーの斧剣と激突し、何と折れることなく受け止めてみせたではないか。
 否、それどころか、一時は衝撃に後退させられたラスキンの体が、瞬時に力を取り戻しバーサーカーの剣を押し返す。
「な──ッ」
 唖然とした声は、無論九郎のもらしたものだ。
 バーサーカーの全体重を込めた一撃を受けきったばかりか、刀を失うこともなく押し返すとは。何という名刀、何という怪力、いや──
「なんて馬鹿力……」
「鍛え方が違うのだ、若造」
 呆れたような九郎の呟きに、肩越しに振り返って言い放つラスキン。そして、
「それでもラバン=シュリュズベリィの弟子か、情けない」
「!、アンタ、センセーの知り合いか!」
「盟友だ、奴とは」
 言い放ち、ラスキンは再び真っ向からバーサーカーを見据える。
「冥府のモノが現世に在るのは辛かろう──在るべきところに還るがいい!」
『!』
 瞬間、斧剣と噛み合ったラスキンの刀身から、まるで轟風の如き凄まじい気迫が立ち上った。
「アーノルド=ラスキン──参る!」




Fate / Sword & Sword




 一人になりたいとき、セイバーはよく道場を利用する。
 冷たい道場の床に正座して瞑想していると、世界が己一人を残して消え失せてしまったかのような感覚に陥る。しかし、それは決して不快なモノでなく、世界を「己」の内に内包するかのような──あるいは己が世界全てと一体化したかのような──不思議な充実感があった。
 桜と慎二、そしてライダーは朝から学校に出かけ、士郎と九郎はアインツベルンの城を調べるため郊外へ向かっている。凛は二人を送り出した後、何か用があるからと出て行ってしまった。
 故に、今衛宮家にいるのはセイバー一人である。
「…………」
 瞳を閉じ、世界を閉ざし、思考の海の中に沈み込む。脳裏に浮かぶのは、ある剣士の姿であった。

 姿を想像し、出で立ちを想像し、立ち振る舞いを幻想する。
 剣を想像し、構えを想像し、その太刀筋を幻想する。

 投影魔術の使い手である士郎ほどではないが、セイバーの脳裏で紡がれた幻想は、剣士の姿を確実に再現していた。否、セイバーであるからこそ、その幻想は限りなく実体に近付く。
 なぜなら、それはセイバー自身の姿だから。
「……倒さなければならない」
 淡々と、静かに、しかし揺るぎのない決意を言葉に出す。他の敵には──かつての聖杯戦争で戦ったキャスターや、英雄王ギルガメッシュに対してすら──感じたことがないほどの、あまりにも苛烈な決意であった。
 あのとき、教会の前で彼女らの前に立ちはだかった黒いセイバー……彼女は間違いなくセイバーであった。士郎は投影魔術であると言っていたが、だとすれば士郎と同じ“限りなく真に近い偽”に違いない。まるで鏡のようにセイバーを写し取り、黒く染め上げたあの姿、あの剣戟。
 堕ちた聖女──それ故に漆黒のセイバー。
「あれは、私とは相容れないものだ」
 それ故に、セイバーは彼女を否定する。鏡面の如き二人だからこそ、互いに否定しあうしかない。
 この宇宙に彼女<セイバー>は、ただ一人しかいないのだから。

 ──その決意は、愛のように苦く、憎しみのように甘く、彼女を苛む。
 ──そしてその悪意は、より烈しくより重く、セイバーと同じ彼女を蝕んでいるだろう。

 瞳を開いたとき、セイバーは既に魔力によって愛用の鎧を編んでいた。
「──行きましょう」
 立ち上がる、その手には幾たびの戦場をともに駆け抜けた愛用の剣。
「偽りの剣の騎士<セイバー>──私は、貴方を否定(ころ)します」







「ちょっと、話があるんだけど」
 そう言って間桐慎二を呼びだしたのは、ある意味予想通りの人物であった。
 命じられるままに弓道場を抜け出し──無論、桜には気付かれぬように──校舎へ向かう。指定された場所は屋上だ。校舎は無人に近いので、誰に咎められることもなくそこへ辿り着くことができた。
「……遅かったわね」
 扉を向けた先で彼を待っていたのは、そう言って無造作にこちらを見据えてくる少女──遠坂凛に他ならない。
「抜け出すのに手間取ってね。まあ、三年なんて大会が済んだら引退するだけだけど、やたら張り切ってるのがいるのさ」
 皮肉げに口元を歪め、肩をすくめて歩み寄る慎二。それを、凛は視線で制した。
「……話があるって言ってたな」
 憮然とした表情で立ち止まる。しっかり間合いの外で足を止める辺り、凛の性格が分かっているというべきか。
「アンタと桜のことよ」
 淡々と、だが氷刃の如き視線とともに言い放った凛の声は、問いつめるような響きを有していた。
「……やっぱり、分かるのか」
「当たり前でしょ、気付かないのは士郎くらいのものよ」
「そうじゃない、衛宮にだけは気付かれないようにしてるからだ」
 苦々しげに、慎二は表情を歪めて視線をそらす。だが、凛はそれを許さなかった。
「誤魔化さないで……何なの、今のアンタと桜の距離は。あれならまだ半年前までの方がマシだったわ」
「半年前までか。簡単に言うなよ、遠坂」
 ギリ、と奥歯をならし、慎二は凛の言葉に顔を上げた。初めて……そう、これまでの年月の中で初めて、間桐慎二の目が、何の気負いも怯えもなく、真正面から凛の目を睨み返したのだ。
「半年前まで──あの聖杯戦争の前と比べれば、桜はずっと幸せなはずだ。そうだろう!?」
「さあ、どうかしらね。私は桜じゃないわ。ただ、今の貴方達の関係がひどく歪んでるってことだけは解る」
「いいや、分かってなんかいない! おまえらだって、桜が間桐の家でどんな目にあってたか知らないだろう!」
「!」
 その瞬間、それまで平然と慎二の視線を受け流していた凛の表情から、一瞬で余裕が消え失せた。
「何それ、どういう意味?」
「ッ……!」
 失言に気付いた、とばかりに、慎二は唇を噛んで口を閉ざす。
「答えなさい、間桐慎二。私には聞く権利があるはずよ」
「……何の権利だよ。今更姉貴面するつもりか?」
「────」
 口元を歪める慎二に、凛は無言。ただ射抜くように慎二を見据える。
 数秒後、慎二は諦めたように表情をなくし、歯を食いしばるようにして、言葉を紡いだ。
「僕が桜を抱いた……力尽くで」
「ッ!」
 刹那、屋上に乾いた音が響き渡った。







 雷鳴の如き剣戟の音。互いにぶつかり合う鋼と岩は、鍛えられた細身の日本刀と巨岩から削り出されたかのような無骨な斧剣であった。どちらも質実剛健たる武装ながら、その衝突はまるで剣舞。舞い手は不動なる山の如き狂戦士<バーサーカー>……そして、黒衣を纏った偉丈夫アーノルド=ラスキン。
「ぬぅぅぅんっ!」
『!!』
 鋼の一閃、鞘走るラスキンの居合を、咄嗟に斧剣で受け止めるバーサーカー。鋼が岩を抉り、弾け飛んだ欠片が木の幹にめり込んだ。
『──! ──!』
 バーサーカーの反撃。無造作に、足を止めて斧剣を振り回すその姿は、もはや台風と呼んでも過言ではない。しかし、ラスキンは同じように足を止め、無数の斬撃を一振りの日本刀で受け止めていた。
 否──一刀では足りぬと判断したのか、いつの間にか彼の手には、日本刀の他に両刃の西洋剣も現れている。
「ッ、隠器術!?」
「違う、ありゃどっちかって言うとおまえの同類だ。衛宮」
 呆れたような呟きは、安全圏ギリギリに立つ九郎達のものだ。
「武装の転送と筋力・運動神経の強化──後は単純な鍛錬の積み重ねだぜ、あれ」
「な──まさか」
「人間、鍛えりゃそのくらいまで強くなるさ。アーカムにもアデプトクラスの魔術師を素手で殴り飛ばす人がいるしな。
 ──とはいえ」
 苦笑し、苦々しげに唇を引き結ぶ九郎。眼前で繰り広げられている戦いは、もはや災害の域に達していた。
「よらば斬る、って感じだなオイ」
 冗談交じりにそう言って、九郎は魔書「無銘祭祀書」を開く。しかし、その瞬間──
『──!』
「ぬっ!?」
 打撃音にも似た甲高い響きとともに、ラスキンが新たに召喚した西洋剣が弾き飛ばされ、大きく弧を描いて離れた木の幹に突き刺さった。
 さしもの彼もバーサーカーと力比べをするのは無謀だったのか。バーサーカーは斧剣を再度振り上げ、咄嗟に構えをとるラスキンの日本刀に叩きつける。同時に、振り乱した髪の下から一瞬だけ口元がのぞいた。
 まるで、地表に走ったひび割れのような乾いた唇──バキバキと音を立てそうな口元から見える口腔は、地の底を覗き込んでいるかのような漆黒だった。暗く、昏く、黒く……覗いてはいけない、目にしてはいけない、振り返ってはいけないと、本能が警鐘を鳴らすような闇が広がっていく。
「!」
 刹那、士郎の脳裏に走った激痛は、危険を感じる本能がもたらした危険信号であったろうか。
「ま……!」
 ──まずい、まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい──
 “アレ”は危険だ。人間程度の力ではどうしようもない、途方もなく危険なものだと本能が告げている。
「ッ──!」
 乱れた髪の下でバーサーカーが口を開く。その、ひどく遅い光景を視認しながら、士郎は自身の知る最高にして最大の防御方法を顕現させていた。

< ロー ──
「熾天覆う──

 瞬間、開かれたバーサーカーの口から咆吼が迸るのと同時に、士郎の眼前に輝く七枚の花びらが現れる。

 ── アイアス !>
 ──七つの円環!」









 どちらが招いたわけでもなく、どちらが示したわけでもない。ましてや示し合わせてそこに向かったのでは断じてない。
 ただ、彼女らは当たり前のように同じ時を選び、同じ場所へ足を向けていた。互いの存在を否定し尽くすために、自身の身命にかけて敵を──己自身を打倒するために。
 そうして、二人のセイバーは出会ったときと同じ、冬木の教会の前で相対した。
「やはりここにいたか」
「やはりここに来たか」
 セイバーと、振り返った黒いセイバーの声が異口同音を唱える。ここで待っていた方が黒いセイバー、新たに現れたのが白いセイバーであった。
 対峙する黒白の鎧姿。周囲に人気はまるでなく、教会からも気配は感じられない。セイバーが帯びるのは風の精霊に隠された黄金の剣、黒きセイバーが手にするのは、禍々しい気配を隠そうともしない漆黒の剣だ。
 静寂なる神の家の前で、一対の騎士は互いの間合いの外に立つ。
「探していた」
「待っていた」
 剣閃の届かぬ距離を置き、同じ声で言葉を交わす二人。
「黒き騎士よ、貴公は投影された我が身の「影」だな」
「然り……よくぞ気付いた、“私”よ」
「気付いたのはシロウだ。だが、剣ならともかくこの身までも投影するなどシロウにすら不可能なはず──貴公を創造したのは、あのキャスターの宝具か」
「……その通りだ」
 問いつめるセイバーに、黒いセイバーは淡々と頷いた。
「我が身は、ただ偽りを生み落とす鏡より投影された御身の影。影故に名を持たず、影故に実を持たぬ」
「それ故に己を持たず、それ故に誇りを持たぬか──我と同じでありながら一片の誇りもないその剣、見るに耐えん」
 言い放ち、その場で不可視の剣を抜き放つセイバー。
「憤るか、誇りなき自分の姿に。だが、それはこちらも同じこと」
 対して黒いセイバーは笑い……そして、まるで仇敵を見るかのような憎しみに満ちた瞳で、白いセイバーを睨み付けた。
「誇りなき、実体なきこの身にとって「本物」である御身がどれほど美しく、妬ましいか……貴方には分かるまい!」
「!」
 瞬間、地を蹴った黒きセイバーの体が、つむじ風の如く一瞬でセイバーとの間合いを零にする。
「この宇宙に“私”はただ一人──消えてなくなれ!セイバァァァァァァァァッ!」
「ッ、舐めるな、フェイカー!」
 一閃、交差する剣と剣が光を放ち、雷鳴の如く弾きあった。
「実を倒せば、虚が実になるとでも言うか!フェイカー!」
「少なくとも、この世に“セイバー”はただ一人になる!」
「愚か者!」
 一合、二合、三合──一太刀ごとに速くなる斬撃を、一歩も退かず受け止める。不完全なセイバーよりも、黒いセイバーの方が力が強いはずだ。にもかかわらず、避けることなく受け止め続けるセイバーの剣には、震えも恐れもありはしない。
「はぁぁぁぁぁぁッ!」
「たぁぁぁぁぁぁッ!」
 そして、互いを全否定する決闘が始まった。







 踊る踊る、世界が踊る。
 その美しき黒白の舞いを、言葉で何と表せばよいものか。芸術など微塵も解せぬ身でありながら、彼はその決闘に紛れもない「美」を見ていた。
「──美しい」
 その一言以外に言葉を持たぬ。これほどの闘争、これほどの舞踏、他に何と表せというのか。
 「気配遮断」によって森にとけ込んだ彼の目は、その視線の先──神の家たる教会の前で繰り広げられる、セイバーとセイバーの決闘に奪われていた。
 衝突する剣と剣、石畳を踏み砕く具足、傷つかぬ黒白の鎧、睨み合う白い美貌。
 それは輝きを纏う美しきもの。純英霊であるセイバーだけでなく、その反存在たる黒いセイバーすら輝いて見えた。拮抗する技量が、互いに油断を許さぬギリギリの決闘が、これほどまでに美しいとは。
「これが……英雄というものか」
 言葉がこぼれる。その美しさは、「誰でもない」という宿業を背負った自分には決して手に入らぬものだ。群体の一つとなるために「己」を捨てたとき、彼の手からこぼれていってしまったモノの一つ。
 だからこそ魅せられる。だからこそ惹きつけられる。だからこそ、憧れる。

 ──その衝動は、嫉妬によく似ていた。







「クッ……!」
 衝撃。彼女の手の中から剣を弾き飛ばそうとするそれを、柄を握りしめて耐える。剣を失えば、次の瞬間にこの首が斬り飛ばされよう。
 剣をぶつけ合った回数は既に百余り。宝具でない通常の剣を用いていれば、とうの昔に刀身が砕け散っていただろう。そしてそれは敵も同じ、敵の剣が彼女の宝具と同じ聖剣でなければ、一合目の斬り合いでその剣ごと敵の体を叩き斬っていた。
 剣は同じ、技量も同じ、それ故にこれほどの接戦となる。
「やはり──“私”ッ!」
「この身は御身の影、故に御身に敗れることはあっても、劣ることはあり得ないッ!」
 再度、二人のセイバーは同時に足を踏み出し、測ったように同じ太刀筋を繰り出す。黒と白の聖剣が、悲鳴じみた音を立ててぶつかり合った。
 弾く、疾る、斬る、離れ、接近し、睨み、見据え、妬み、憎みあい──黒白の騎士は、全てをかけて否定(ころ)しあう。
「御身の誇り、砕いてみせる!」
「誇りなき剣に敗れる私ではない!」
 深く、まるでどちらも退けば終わると言わんばかりに肉薄し、セイバー達は渾身の力を込めて聖剣を振り下ろした。その瞬間──!
「ッ!」
「しまった!」
 英雄の剣、その衝撃が石畳にヒビを走らせ、凄まじい衝突の音が響き渡る。同時に──何と二振りの聖剣は、ともに主の手から弾き飛ばされて上空へ舞い上がっていた。
「「クッ──!」」
 異口同音を唱え、同時に頭上へ手を伸ばすセイバーと黒セイバー。その手の中に、まるで吸い寄せられたかのようにそれぞれの剣が舞い降りる。
 セイバーの手には黒い聖剣が、黒いセイバーの手には不可視の聖剣が。
「ふっ!」
「はぁっ!」
 握りしめ、構え、即座に剣を交えるセイバーとセイバー。反転した得物が、高速でせめぎ合い火花を散らした。
 近付いては斬り合い、斬り合っては離れ、離れては近付く。
 上段、中段、下段、袈裟、逆袈裟、斬撃、刺突、防御。
 踏み込む足が石畳をわり、飛び離れる肉体が風を生む。
 その攻防の末──不意に、二人のセイバーが同時に足を止めた。
「やはり──」
「互角──」
 言い放つ言葉は、まるで一人のセイバーが喋っているかのようだ。どれほど否定しあおうと、彼女達はやはり同じセイバーなのである。
 だが、片方はそれを否定するかのように、首を横に振ってみせた。黒き鎧に身を包んだ、堕ちたセイバーの方が。
「否、技量は同じでも、聖杯を失った御身は本調子でないはず……なぜだ、なぜその状態で私と互角に渡り合える!」
「貴公はただ私怨と嫉妬によって立っている。私は誇りと、主への忠誠のためにここに立つ──その差だ、フェイカー」
 ぎり、と歯を食いしばる黒セイバーに、淡々と言葉を返すセイバー。他の者ならばともかく、「セイバー」である彼女達にとって、その差は致命的であった。
「シロウが言っていた、投影された“私”は私と同じでありながら、必ずどこか劣った部分があるはずだと」
「私が御身に劣っていると言うのか。否、それだけは決してあり得ない」
「ならば──決着をつけるか」
「無論」
 言い放ち、ともに相手の剣を構える。次の瞬間、黒セイバーの聖剣はセイバーに、セイバーの聖剣は黒セイバーに向けて投じられていた。
 風を切り飛翔する聖剣を、二人のセイバーは容易く受け止める。黒セイバーはそれを下段に構え、セイバーは宝具「風王結界」による不可視効果を解いて、姿を現した黄金の剣を肩に担ぐように構えた。
 完全な対称、完全な一致、完全な投影──その構えこそが彼女らの奥義、沸き上がる魔力の奔流が、二つの聖剣を黒白に輝かせる。
「「──往くぞ」」
 刹那、爆発的に膨れ上がった魔力が、暴風となって二人の周囲を荒れ狂った。
 セイバーの聖剣は黄金、黒セイバーの聖剣は漆黒。二人の騎士が、同じ聖剣の真名を解放する!

< エクス ──
「約束された──
< エクス──
「背約せし──

 黒と白、光と闇、善と悪、正と負──その相反する全てが光となり、互いを呑み込まんと激突した。

   ──カリバー!!>
   ──勝利の剣ッ!!」」











※黒セイバー
 キャスターの宝具は、士郎の固有結界と同じく敵の武器を投影する機能を有している。ただし、キャスターの宝具は武器の属性を反転させて投影するため、光と闇、善と悪の二面性を持つエクスカリバーを投影した際、属性の反転した黒いエクスカリバーとなってしまった。
 黒いセイバーは、エクスカリバーとともに投影された“使い手”──善悪の属性が反転したアルトリアである。

【宝具】
「背約せし勝利の剣<エクスカリバー>」
 偽エクスカリバー。黒セイバーの本体とも言うべき剣であり、真エクスカリバーよりも一ランク低い宝具。しかしキャスターの宝具の特性により、「約束された勝利の剣<エクスカリバー>」と相対したときのみ、相手の宝具の性能を一ランク落として結果的に対等にしてしまう。
(本編桜ルートで登場する闇セイバーのエクスカリバーとは違うモノである)

3: ベイル(ヴェイル) (2004/03/31 17:47:25)[veill at arida-net.ne.jp]

「ッ──!」
 その瞬間、苦しげに身を折って屋上の床に膝をついたのは、遠坂凛の方であった。
「と、遠坂?」
 唖然として声をもらしたのは、無論間桐慎二だ。
 もし、この場を何も知らない第三者が目撃していたなら、その者は不可解さに首をかしげただろう。間桐慎二の左頬は遠坂凛の平手を受けて赤く腫れている。叩いたのが凛で、叩かれたのが慎二だ──だというのに、その直後に叩いた側である凛が苦しげに表情を歪め、あまつさえその場に膝をついたというのだから。
「あ、あいつら……ちょっとは遠慮ってモノをしなさいよね」
 だが、凛はそう毒づきながらもすぐに立ち上がり、それまでとは一変した、魔術師としての貌で言葉を紡ぐ。
「間桐君、悪いけど話の続きは後にして。桜とライダーを呼んで頂戴」
「な──」
 その言葉に、慎二は一瞬、何を言われたのか分からず棒立ちになった。
「まさか、衛宮達に何かあったのか!?」
「おそらくはね。
 知ってると思うけど、私とセイバーはマスターとサーヴァントのラインで繋がってる。でも、実はセイバーだけじゃなくて、衛宮くんも私と一方通行のラインで繋がってるのよ。その二つのラインから、今、私の魔力がごっそり持っていかれたわ」
「!」
 淡々とした凛の発言は、慎二を混乱させるに十分なものだった。彼も一度は聖杯戦争を経験した身だ。マスターとサーヴァントがラインで繋がっていることくらいは知っている。だが、士郎と凛の間にまでラインがあるというのは初耳であったし、そこから大量の魔力が流れ出たということは、セイバーと士郎の両方が凛の魔力を使わなければならないような状況に陥っているということではないか。
 加えて、急激に魔力を失った凛もまた、ただで済むとは思えない。
「私の心配なら無用よ、こんなの、貧血みたいなものだわ」
 その思考が顔に出たのか、凛は苦笑混じりにそう言い放った。
 無論、彼女が辛くないはずはない。顔は青ざめているし、表情にも隠しきれない疲労が現れていた。だが、あの二人が危機に陥っている──そうとしか考えられない──以上、この程度の不調など、遠坂凛にとっては些末事だ。
 士郎は九郎とともにアインツベルンの城跡にいるはず。セイバーには留守番を命じたはずだが、だとしたら衛宮家に襲撃があったのか、それともどこかに出かけて敵と出会ったのか──何にせよ、今のセイバーは本来の力を発揮できない状態だ。その上に宝具まで使ったのだとしたら、実体を維持できず消えてしまう危険性すらある。無論、半人前の士郎も心配だが、あの「魔書の王」と呼ばれる探偵が一緒にいるのだからそうそう最悪の事態にはなるまい。やはり、先にセイバーを探さなくては。
(セイバー……私がいくまで、消えるんじゃないわよ)
 脳裏に浮かんだ美しき騎士王の姿に、凛は心中でそう呼びかけた。




Fate / Sword & Sword




 閃光、だった。

 鬩ぎ合う黒白の光が消えていく。互いを弾き、溶け合いながらも一瞬とて拮抗を崩すことはない宝具と宝具──二人の騎士が放つ「勝利の剣」は、天すらも焼く光と衝撃と轟音を発生させながら対消滅したのだ。
「クッ……!」
「う……」
 螺旋を描いた光が天に消え、その使い手の二人が同時に膝をつく。
 一人は黄金の剣を手にした白き騎士──もう一人は、まったく同じ姿を持ち、漆黒の剣を杖代わりにした黒い騎士であった。
 黒と白のセイバー、決して相対してはならない二人。
「…………」
「はぁ、はぁ……馬鹿な」
 しかし、即座に息を整えて立ち上がった黒いセイバーに対し、白いセイバーは地面に突き立てた黄金の剣に縋るようにして、大きく肩を上下させていた。
 鎧を展開しての長時間戦闘に加え、宝具を解放したことによって魔力が枯渇しているのだ。セイバーは心中で、マスターである少女に謝罪の言葉を述べた。
(すみません凛……しかし、今のは)
 動揺する心を抑えながら、荒い息を吐いて顔を上げるセイバー。その目は戦いの意志を失わず、真っ直ぐに黒いセイバーを見据えている。
 先刻──宝具「約束された勝利の剣<エクスカリバー>」を解放したとき、敵もまた同じ名を解放してこちらに対抗してきた。それはいい、そこまでは予測していた。だが……敵の宝具と自身の宝具がぶつかり合ったとき、信じがたいことが起こった。
 セイバーの手の中で、エクスカリバーの力が不意に“低下した”のだ。
「あり得ない……私の宝具が、私を裏切るなどと」
「裏切ったわけではない。“それ”が私の──否、キャスターの宝具の力なのだ」
「!」
 淡々と言い放った黒セイバーに、セイバーは思わず目を見開いた。騎士王として、英霊として、彼女も数多くの宝具とその能力を見聞きしていたが、敵の宝具の能力を低下させる宝具など聞いたこともなかったのだ。
「まさか、そんなことが……」
「だが事実だ、“私”よ。
 キャスターの宝具は真実と虚実の境界を曖昧にする。我が「背約せし勝利の剣<エクスカリバー>」の前に在るときのみ、御身の「約束された勝利の剣<エクスカリバー>」はただ一本の伝説の剣ではなく、伝説より模倣された贋作へと成り下がるのだ」
 言い放ち、手にした漆黒の聖剣を掲げてみせる黒セイバー。輝きを持たぬその剣は、間違いなくエクスカリバーでありながら、同時に決してエクスカリバーではあり得なかった。
「ッ……相対する敵の姿と武器を投影し、その属性を反転させる力。投影された武器が本物と相対するとき、虚と実の境界を乱し真作を贋作へとおとしめる力。そして、主を異世界へと導きその姿を隠す力──! そうか、キャスターの正体は……!」
 ぎり、と奥歯を噛みしめ、セイバーは聖剣を杖にして無理矢理立ち上がる。その体から、白銀の鎧が風に溶けるように消え去ったのは、次の瞬間であった。
「鎧を構成する魔力も失ったか──だが、手心は加えない。とどめを刺させてもらう!」
「私は負けない! キャスターの正体を、シロウ達に伝えるまでは!」
 言い放つ黒いセイバーを睨み返し、セイバーは大地を踏みしめて聖剣を引き抜いた。黄金の刀身が、輝きを放ちながら半円を描く。
 魔力を使い切り、鎧すら失いながらも、彼女は戦うために剣を構えたのだ。
「敗北のために立ち、死すために戦う──それが御身の誇りか」
「否──」
 黒いセイバーの言葉に、セイバーは短く、しかしはっきりと首を横に振る。
 敗北の意志などない、死ぬ気などさらさら無い。ただ死ぬだけの行為に誇りを持つのは、単なる自己満足に過ぎない。
(そうか……)
 死線を目の前にしながら、セイバーはそれを悟った。
 誇りとは、すなわち己として生きる意志なのだ。
「……フェイカー」
 淡々と、静かに、まるで凪のように落ち着いた声で、セイバーは自らの堕ちた姿に言い放った。
「もう一度言う──誇りなき剣で、私を斬ることはできない」







「う……」
 思わず呻いて目を開ける。投影の反動か、ほんの数秒だが意識がブラックアウトしていたらしい。
 感覚としては貧血に似ていた。彼──衛宮士郎の魔力は、たった一回の投影で激減している。いや、正確には彼が本来投影できる宝具──すなわち剣──でないものを投影したため魔力消費量が跳ね上がり、咄嗟に彼以外の魔力……つまり、ラインによって繋がった遠坂凛の魔力を使ってしまったようだ。
(うわ、遠坂のやつ怒ってるだろうな……)
 反射的にそんなことを考えてしまうあたり、士郎が普段からどれだけ凛を怒らせているかが分かろうというものだ。
 だが、その瞬間目の中に飛び込んできた光景は、そんな士郎の思考など綺麗さっぱり吹っ飛ばすだけの衝撃を有していた。
「え──」
 愕然と、士郎は言葉をなくしたかのように立ちすくむ。
 そこには信じがたい光景が広がっていた。数秒前まであれほど青々と生い茂っていた無数の木々が、半径数十メートルに渡り、まるで数百年の月日を経たかのように朽ち果てて倒れていたのだ。
 同時に胸が悪くなるような腐臭が漂ってきて、士郎は思わず口と鼻を手で覆った。見れば、彼が投影したアイアスの盾も、七枚の花弁のうち三枚までもが腐敗し、崩れ落ちている。
 腐り落ちた盾は、既に無敵の“アイアスの盾”ではない。士郎自身が抱くイメージとの誤差によって実体を失い、見る間にひび割れて砕け散った。
「これは、一体……」
 深い森の中に穿たれた腐敗に、力無い声をもらす士郎。見れば、その腐敗をもたらしたはずのバーサーカーはいつの間にか姿を消していた。
「死者の“呼び声”って奴かな。にしても強力すぎだが」
「よほど強い怨念を抱いた亡者を召喚したか。もしくはそれだけの“カタチ”を与えられたか」
「!」
 真後ろから聞こえたその声に、士郎は驚いて振り返る。予想通り、そこには長身で黒ずくめの探偵と、やはり黒いマントを羽織った巨漢の老紳士が佇んでいた。
「死者の声は、生者を黄泉に誘う力がある。そいつが強力になると生き物だけじゃなく植物や物質まで誘っちまうって話だが」
 そう言って肩をすくめ、探偵──大十字九郎は士郎に向き直った。
「サンキュ、衛宮。助かったぜ」
「い、いや……ラスキンさんは?」
「大事ない。君のおかげだ」
 士郎の問いに、あっさりと頷いてみせるラスキン。しかし九郎はともかく、バーサーカーと直接刃を交えていたラスキンがよくあのタイミングで盾の後ろに回れたものだ。
 それも、当人にいわせれば「鍛え方が違う」ということなのだろうか。
「それにしても、自らの“書”もなしに敵の領地に踏み込もうとは……あの慎重なラバンの弟子とも思えぬな。「巨匠<グランドマスター>」などと呼ばれて増長したか?」
「そんなつもりはねえよ。まあ……ちょっとばかし、気付かない内に油断してたかもしれねえけど」
 憮然として肩をすくめ、九郎は改めてラスキンに視線を向ける。九郎も長身な方だが、それでもラスキンが相手だと見上げなければならない。
「それに、日本じゃ俺の“書”を使うなって「協会」から言い渡されてるんでね。下手に開封なんかしたら国際問題になっちまう。だったら、とりあえず手持ちの魔書だけで何とかするしかないだろ?」
「未熟者、ラバンならばそもそも魔書もつれずに敵の拠点跡に出向いたりはせん」
 あっさりと、ラスキンは正論でもって九郎の弁明を斬って捨てた。その簡潔さがかえって小気味よいほどだ。しかし──、
「とはいえ、目の前の災いを捨て置けぬというその心意気は良し。誰ぞに爪のあかでも煎じて呑ませてやりたいくらいだ」
「は?」
「気にするな、戯れ言だ。
 ──どうも君は、ラバンよりむしろゼルレッチの方に似ているな」
 苦笑混じりにそう言って、ラスキンはその場で踵を返した。
「ともかくここを離れよう。もう用もあるまい?」








 ──なぜ立てるのか。
 ──なぜ剣を握るのか。
 ──なぜ、戦うのか。
 獅子は屈せず、その剣に己の全てを乗せて構えをとる。正真正銘、次が最後の一撃となろう。その一撃をかわすか凌ぐかすれば、勝利は黒いセイバーのものとなる。
(……否)
 心中に浮かんだその結論を、黒セイバーは一瞬で否定した。
 眼前で剣を構えるセイバーは、文字通り次の一撃に命を賭している。かわすことなど到底不可能、凌ごうとすればその瞬間に首を断たれよう。セイバーに劣るとはいえ黒セイバーもまた「直感」のスキルを有する。その予感は確信だった。
 ならば、セイバーの剣がこの首を落とす前に、自身の剣でもってセイバーを斬る。それしかない。
「……覚悟はよいか、フェイカー」
「セイバー、御身は美しい」
 淡々と、まるで冷たい鋼が言葉を吐くかのように、黒いセイバーは言い放った。
「その美しさが、憎い。これほどまでに醜い私の前に、なぜ御身はそうも美しくある」
 剣を構える。いかにも満身創痍のセイバーに対して、黒いセイバーは鎧を纏い、万全の体勢で最後の剣戟を受けようとしていた。
「私は……私はこれほどまでに御身が憎いぞ!セイバー!」
「ッはああああああああああああああっ!」
 刹那──黄金と闇の聖剣を持つ黒白のセイバーは、二人同時に地を蹴った。
「セイ──」
 高速で接近する、黒と白の剣士。
 セイバーは上段に剣を構える。対して黒いセイバーは剣を水平に構え、右手一本でそれを振るった。踏み込みが浅くてもいい、剣に体重が乗らなくてもかまわない。速く、速く、ただ速く──セイバーはもはや鎧を纏っていないのだ。ほんの一瞬でも早く切っ先が届きさえすればそれで終わる。
「──バ────!」
 獲った──両腕で剣を振り下ろすセイバーより、片手で胴を薙ぐ黒セイバーの方が間合いが広い。
「ッ!」
 そして、閃光が交差する。

『──────ィィィィィン!』

 その瞬間、宙に舞った聖剣が、彼女の頭上に影を落とした。
「……あ……」
 紛れもない“セイバー”の声が言葉をもらす。彼女は、信じられないといった面持ちで自らの聖剣を見下ろした。
 黒いセイバーは、確かに聖剣を振り切っていた──刀身が根本から叩き折られた、聖剣の柄を。
「言ったはずだ」
 淡々と、黄金の聖剣を地面まで振り下ろしたセイバーが言い放つ。
「誇りのない剣では、私は斬れないと」
 同時に、叩き折られた黒い聖剣の刀身が、弧を描いて石畳に突き立った。









 セイバーは振り下ろした剣をもう一度持ち上げることすらできぬほど弱っている。だというのに、その目に宿る意志は欠片ほども翳らず、呼吸に合わせて力無く上下する全身から威風堂々とした風格すら感じられるのは何故なのか。
「──そうか」
 呟き、黒セイバーは自身の体を見下ろした。魔力によって構成された漆黒の甲冑は、肩口から腰の下辺りまで縦一文字に切り裂かれている。
 セイバーの黄金の聖剣は、漆黒の聖剣だけでなく黒セイバー自身の肉体をも斬っていたのだ。
「私の、敗北か」
 がしゃん、と音を立てて、黒い聖剣の柄が落ちる。そのまま崩れ落ちるように、黒セイバーは膝をついた。
「紙一重だった」
 傲りも蔑みもなく、セイバーは静かに言い放つ。
 先刻のセイバーには、戦闘に耐えるギリギリの魔力しか残っていなかった。足を止めて斬り合うなど無謀、受けにまわってもすぐに魔力切れになって消滅していたに違いない。故に、彼女は身を守る鎧すらも捨てて魔力をかき集め、ただ一度の斬撃にかけたのである。
「いや……」
 しかし、黒セイバーは首を横に振り、自嘲気味に否定の言葉を吐いた。
 剣閃が交差した瞬間、彼女はセイバーの太刀筋を見切れなかった。いや、その輝く黄金の剣が振るわれたとき、彼女は一瞬だがセイバーに目を奪われたのだ。贋作である己を恥じ、真作に見惚れた一瞬──それが勝負を分けた。
「所詮、私は贋作……真作である御身には届かなかった」
「それは違う。たとえ贋作であろうと、そこに芯となるものがあれば真作にも届くはずだ。
 ──貴方の剣には、ただ誇りが欠けていた」
 黒いセイバーの独白に、淡々と言葉を紡ぐセイバー。その姿を見上げ、黒セイバーは静かに笑った。
 本体である「背約せし勝利の剣<エクスカリバー>」が折れた以上、その使い手たる彼女ももはや存在を保ってはいられまい。傷口からは一滴の血もこぼれず、魔力だけがただ失われていっている。
「それでも……私はきっと御身には届かない」
 そう、贋作であるその身は、それ故に真作に憧れた。セイバーが──エクスカリバーがあまりにも美しかったから、彼女らを憎むしかなかったのだ。
「好きになさるがいい。放っておいても消え去る身だが、この首が望みならば差し上げよう」
「必要ない。私も私の主も、そんなものを望んではいない」
 そう言い、セイバーは黒いセイバーの瞳を真っ直ぐに見据えた。満身創痍でありながら、そこには偽りを許さぬ真摯な光がある。
「だが、質問には答えてもらおう。貴方の創造主──キャスターの真名は、あのエジプトの女王か?」
「御身の考え通りだ。異界を映す魑魅魍魎の「鏡」……アレの持ち主といえば彼の女王しかあるまい」
 セイバーの問いに、淡々と頷く黒セイバー。たとえ贋作であろうと彼女も“セイバー”だ。その言葉に嘘はあるまい。
「やはりか……では、キャスターのマスターが誰か知っているか」
「いや。しかし、想像はつく」
「何?」
 きょとんとして、セイバーは黒セイバーの言葉に眉をひそめた。キャスターの創造物とはいえ、所詮手駒に過ぎぬものにマスターの正体をあかしはしないだろうと考えていた──事実その通りだった──のだが、黒いセイバーはキャスターに教えられずともそのマスターに気付いているという。
 どういうことか、と視線で問いかけると、黒いセイバーは苦笑を浮かべて言葉を続けた。
「御身も知っての通り、サーヴァントを召喚するにはその英霊との繋がりがなければならない。彼女の「鏡」が元は誰の持ち物だったかを考えれば……」
 と言いかけ──不意に、黒いセイバーの表情が一瞬で硬直する。
 その目が捉えたのは、漆黒の影。視線の先──眼前に断つセイバーの遙か後方で、異形の腕を振り上げる黒い暗殺者の姿。
「な……!」
 驚愕の声をもらす黒セイバーに、セイバーも気付いて愕然と振り返る。しかし、魔力を使い果たした彼女の体は、今や鉛を詰められたかのように重くなっていた。

<ザバー──
「 妄想 ──

 次の瞬間、常人の倍以上はあろうかという異形の腕が空を切り、呪詛を生みながらセイバーに肉薄する。

 ──ニーヤ>
 ──心音」

 過たず、異形の──暗殺者<アサシン>の怪腕は、その狙いを外すことなくセイバーの心の臓をえぐり取っていた。

4: ベイル(ヴェイル) (2004/04/04 14:13:55)[veill at arida-net.ne.jp]

「ふむ──」
「ここまでは予定通り、ね」
 そう言ったのは、長身痩躯に隙のない出で立ちの黒い男性と、対称的に驚くほど白い肌を持つ幼げな少女の二人であった。
 まだ陽も高い午後だというのに、彼らはカーテンを閉め切った部屋の中で人工の光を浴びている。少女──イリヤスフィール=フォン=アインツベルンの名を持つ死者にとっては室内灯など無用の長物なのだが、黒い男性の方はその姿故か、闇を嫌っていた。
 男の名はアンブローズ=デクスター。マキリの老人とともに今回の聖杯戦争を引き起こした張本人である。
「それにしても便利よね、リーダーって。補足した相手の“未来”が全部分かっちゃうんだから」
「全てが分かるわけではないよ。補足人数を増やせば精度が犠牲になるしね」
 興味なさげに言うイリヤに、デクスターは苦笑混じりの答えを返した。彼の背後には、まるで影のように従う黒いサーヴァントの姿がある。
 予言者<リーダー>──能力としては最弱ながら、未来予知の能力を持つ故に防衛と謀略に特化したクラス。このサーヴァントの宝具によって、デクスターとマキリは二人の「セイバー」の決着を予知していたのだ。
「もっとも、今回の決闘には不確定要素が多かった。何しろどちらも同じ「セイバー」なのだからね。場合によっては、あの贋作が勝利することもあり得ただろう」
「そうなの? それじゃ、もし偽物の方が勝ってたらアサシンはどうするつもりだったのかしら」
「なに、それは大した問題ではなかろうよ」
 そう言って、デクスターは笑う。楽しげに、優しげに、全てを愛でるように嘲笑いながら──言葉を紡ぐ。
「贋作が勝利したのなら、その贋作の方の心臓を頂戴すればよいだけのことなのだから」






 ──その場所には、敗者の姿と、勝者の亡骸とがあった。

 陽は高く、場所は冬木市のはずれにある教会の前。石畳の所々が抉られ、つい先刻まで行われていた決闘のすさまじさを物語っているかのようだった。しかし、今やそこに重圧を感じるような闘気はなく、ただまったく同じ姿を持った黒白の「セイバー」が並んでいる。
「……セイバー」
 静かに、呆けたような虚ろな瞳で呟いたのは、石畳に膝をついた黒いセイバーであった。
 もう一人の白いセイバーは、彼女の目の前で仰向けに横たわっていた。穏やかとすらいえる寝顔、力無く投げ出された四肢──まるで陽気に当てられて日向ぼっこでもしているかのような姿だ。今の彼女を見て、竜の因子を持つ最強の英霊だと思うものは皆無だろう。
 だが──眠る女神の左胸には、その穏やかさを全て裏切って、まるで悪い冗談のような深く赤い孔(あな)が穿たれていた。
 あの黒いサーヴァント……暗殺者<アサシン>の宝具とおぼしき異形の怪腕が、セイバーの心臓を抉ったのである。聖杯の後ろ盾もなく、黒セイバーとの決闘で魔力を使い果たしていたセイバーには、それを回避する術がなかった。
 考えるまでもない。アサシンは、最初から漁夫の利を狙って二人の決闘を観戦していたのだ。「気配遮断」のスキルを持つアサシンならば二人に気付かれることなく接近することも不可能ではない。そして、二人の魔力が尽きた瞬間を狙って宝具を解き放ち、セイバーの心臓を奪って再び闇に消えた。
「……結局、私達は掌の上で踊らされていたということか」
 淡々と、まるで表情のない声で呟く黒セイバー。もはや限界が近いのか、その身からはまるで覇気が感じられず、とても先刻までセイバーと渡り合っていた騎士とは思えない。
 しかし──、
「私は……」
 その手が、不意に自らの黒い甲冑を剥ぎ取り、衣服すら破りさって白い肌と未成熟な膨らみまでもを露出させたのは、一体何を思ってのことか。
「私は……」
 黒い籠手に包まれた腕が、最後の力を振り絞るかのように弧を描く。
「私は贋作ではあっても──貴様らの人形ではない!」
 その瞬間──籠手に包まれた五指を広げ、黒いセイバーはその手を自らの左胸に叩きつけた。
「っっっっぁああああああああああああああああああああああああっ!」
 絶叫。
 迸る痛み。
 溢れる真紅。
 ずぶずぶと、皮膚を裂き肉を抉り、骨の隙間から体内に侵入する自身の指。
 このとき、白きセイバーのまがい物に過ぎぬ黒きセイバーは、確かに自身の意志で……自分自身の誇りを持って、姿なき暗殺者に向かって吼えていた。
「アァァサシィィィィン! リィィィィダァァァァッ! キャスタァァァァァァァッ!
 我が最後の決闘を薄汚い謀略で汚したモノどもよ! 私は! 私はこの贋作の身にかけて! 黒いセイバーの名にかけて! 決して!決して貴様らを許さない! 決して貴様らの好きにはさせんッ!」
 ばきっ──胸を抉る手に、肋骨が折られた。
 ぞぶっ──広げた五指が、そこにある偽りの肉を掴み取る。
 ぶちっ──その手が、臓腑に連なる血管を全て引きちぎりながら抜き取った。
「セイバー──!」
 吼える。掴みだした心臓を、彼女は横たわる騎士の上に掲げた。
「──────」
 無音──声すら、言葉すらも消え失せて、黒い騎士の姿は見る間に崩れ落ちていった。




Fate / Sword & Sword




『──人間は自身が立ち直るためにも他者を必要とする生き物だ。つまるところ、他人なしでは何もできないのだよ』
 そういった男がいた。両眼を自分自身の手で潰したというその老人は、今や多くの大魔術師達と比肩しうる存在となった大十字九郎の目から見ても、ある種の化物じみた人間だった。
『“魔法使い”などと言われる存在になってもそんなものだ。魔術師は常に孤独などと言われているし、本人らもそう嘯(うそぶ)いてはいるがね。その程度の「孤独」など、せいぜい友人が多いか少ないか程度の違いでしかないのだよ』
 世に隠れもなき大魔術師たる彼がそんなことを口にするのだ。もし他の魔術師──“協会”側でもミスカトニック側でも、あるいはフリーランスでも──が耳にすれば、卒倒してもおかしくあるまい。
 魔術師を目指す、あるいは魔術師の家に生まれる──それは常人には想像もつかない苦痛と孤独の人生だ。魔術師は常に孤高でなければならず、自身を「魔術師」たらしめるためには、「人間」として存在する自分をどこかで切り離さなければならない。その時点で、魔術師は人間社会のと繋がりをも断ち切っているのだ。
 だが、この老人は……そして大十字九郎は、そんなものいくらでも繋ぎ治せることを知っている。
 多くの魔術師は、結局のところ孤高を気取っているだけだ。魔術という力の異常性、常人とは決して腹の内をさらして向かい合えないという孤独──その歪みとのバランスをとるために孤高であらねばならない。しかし、それは本当に、死ぬ気になって足掻いてもどうしようもないものだろうか?
 答えは否──そんなもの、否に決まっている。
「つまりは──一度関わっちまった以上、そう簡単にハイさよならってわけにはいかないってことだよな」
 そう、ため息にも似た呟きをもらして、大十字九郎は居間に集まった五人の男女を眺め見た。
 彼自身を含めれば六人が、この衛宮家の居間に集まっているのだった。衛宮士郎、遠坂凛、間桐慎二、間桐桜、そしてライダーと呼ばれるサーヴァント──みな一様に口を紡ぎ、程度の差はあれ緊張しているように見える。
 その全員が、九郎がこの街で出会い、大なり小なり世話になった人物であり、同時に今この街で起きている“聖杯戦争”の関係者なのであった。
 首を巡らせる──壁に掛けられた時計は、短針が「七」を過ぎた辺りだった。
「……大十字」
 不意に、その中でぽつりと彼の名を呼んだのは、痛々しいほど拳を握りしめ、唇を噛みしめていた衛宮士郎であった。
「今のうちに聞いておきたい。一体何者なんだ──イリヤの中にいるのは」
「……アンブローズ=デクスターと名乗ってる奴の、同一存在みたいなもんだ」
 淡々とした士郎の問いに、微かに眉をひそめて返答する九郎。そして、士郎の発言で一斉にこちらへ視線を向けた一同を見渡し、真剣味を帯びた声で言葉を紡ぐ。
「いいのか? 多分、聞かない方がいいことだぜ」
「いいわ、聞かせて」
 間をおかず即答したのは遠坂凛である。他の者達も言葉にはせずとも同じ気持ちだろう。
 士郎と九郎がアインツベルンの城跡で誰と出会い、何と戦ったかは既に話してある。真名不明のバーサーカーが召喚されたことも伝えた。後は、イリヤスフィール=フォン=アインツベルンという名の少女を甦らせ、その亡骸を操っているものの正体だけだ。
 九郎は一度、覚悟を決めるかのように瞳を閉じ、それを開くとともにその名を紡ぎ出した。
「あいつの名はナイアルラトホテップ──邪神、「這い寄る混沌」と呼ばれる外なる神<アウターゴッド>だ」
 その瞬間、士郎と桜を除く全員が思わず息を呑んだのが分かった。
「ナイアルラトホテップ?」
「それに、外なる神<アウターゴッド>って?」
「神様だよ。その昔、外宇宙から勝手にやってきて地球に住み着いた“悪い神様”さ。そのほとんどは今や眠りについてるが、奴だけは例外で元気に宇宙中を飛び回ってるらしい。奴は千の貌を持ち、同時に無貌の神と呼ばれている」
 士郎、そして桜の問いかけに、九郎は淡々とした口調で言葉を放った。
「混沌の母は混沌、その混沌の内にあるのもまた混沌、混沌の中の混沌、混沌の中の混沌の中の混沌──それは万物の中心たる「沸騰する混沌の核<アザトース>」に至るまで無限にうごめく混沌そのものなんだ。だから、奴は千の貌を持ちながら無貌。無限の自分を持ちながら、ただ一つとして「自分自身」を持たない神」
 ──それはまるで、ただ一つとして「己」を持たぬが故に無限の剣を内包する彼と同じ──
「ただ……あのイリヤって娘(こ)の中に入ってる奴は、おそらく“俺が知ってるナイアルラトホテップ”だ」
「?」
 その言葉に、今度は凛を初めとする三人が眉をひそめた。
「ちょっと、それってどういう意味?」
「……ナイアルラトホテップは千の貌を持つ、って言っただろ。ナイアルラトホテップは一つじゃない、文字通り無限数存在する。その中の一つが時たま──だいたいは何か良くないことを思いついたときに──その“千の貌”から切り離されて活動することがあるのさ。そうして「一つ」となっていた奴と、俺は出会ったことがある」
 あっさりと、まるでつい最近のことでも思い出すかのように、九郎は信じがたい内容の言葉を口に乗せた。
「千の貌から切り離された一つの端末──人の世に潜み、俺と俺のセカイの運命をねじ曲げた邪神。元の“千の貌”と彼女がどう違うのかは分からないけどな。ただ、彼女は俺の知っている“貌”と同じモノだ」
 端的に、しかし確かな真実を口にする九郎の表情には、多少の困惑以外に何の感情も浮かんではいなかった。押さえ込んでいる、というのとも違う。“それ”と直接相対したときにしか、そいつに対する感情を見せない──そんな風にさえ見えた。
「嘘──外宇宙クラスの邪神と出会って発狂もしてないなんて、アンタ一体どういう存在よ」
「まあ、その辺は話すと長くなるんでまた今度な」
 唖然として問いかける凛に、九郎は苦笑混じりに肩をすくめてみせる。
「多分、アンブローズ=デクスターも一つの“貌”なんだろうが、最初はデクスターの中に彼女──俺と出会ったときはナイアって名乗ってたから便宜上そう呼ぶけど、ナイアもいたんだろう。簡単に言うとデクスターとナイア、二つの“貌”が一つの体の中に収まってたんだ。それが、ナイアの方だけイリヤスフィールって娘の亡骸に入り込んで、彼女を甦らせた。バーサーカーまで召喚したのは、やっぱり聖杯戦争を有利に進めるためなんじゃないかな」
「いや」
 不意に、九郎の言葉を遮るようにして士郎が口を挟んだ。
「それだけじゃないはずだ、だってイリヤは──」
「そう、元「聖杯」だものね」
 士郎の言葉を引き継いでそう言ったのは、凛であった。
「あるいはバーサーカーの方こそことのついでで、主目的はイリヤの体を手に入れることだったのかも知れないわ。前回の聖杯戦争で心臓を失ったとはいえ、彼女の体にはまだ利用価値があるはずだもの」
「…………」
 凛の言葉に、思わず口をつぐむ士郎。その隣では、慎二が無意識のうちに胸の辺りを押さえていた。
 そのとき──、
「──シロウ」
 初めて、この重苦しい空気の中でライダーが口を開く。彼女は拘束具に封じられた視線を居間の外へ向け、いつも通り淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「終わったようです」
 同時に──庭に面した廊下から、足音一つ立てずに黒衣を纏った老紳士が姿を現す。
「!、ラスキンさん!」
 その姿を目にした瞬間に、士郎は我を忘れて立ち上がっていた。
「セイバーは!?」
「うむ、とにかく一命は取り留めたよ」
 頷き、士郎を落ち着かせるかのように彼──アーノルド=ラスキンと名乗る魔術師はそう答える。英国で開業医をしているという言葉は嘘ではないらしく、その声には力強い説得力があった。
 凛とライダーが新都の教会へとたどり着いたのは、数時間前──士郎がラスキン達とともに郊外の森を脱出した頃だった。探索系の魔術を用いて、サーヴァント同士の戦闘で放出された魔力を追ったのである。そして、二人はその場所で、胸部を血に染めて横たわる瀕死のセイバーを発見したのだった。
 魔力は底をつき、意識も戻らない。まさに虫の息とも言うべき状態のセイバーを運んだのはライダーであった。奇しくも、時を同じくして士郎と九郎も衛宮家に帰還し、二人を送ってきたラスキンが監視人代理としてセイバーの治療にあたることになった。それから数時間──ラスキンは離れの一室を借りてセイバーとともにそこに籠もり、残る面々は居間でただただ待ち続けていたのである。
「私もさすがに英霊を診察したのは初めてだがね。何とかギリギリのところで踏みとどまっている。だが……このままでは徐々に衰弱していくことはあっても回復することはないだろう」
「な──」
 はっきりと、限りなく最悪に近い言葉を吐いたラスキンに、士郎は愕然と立ちすくんだ。一瞬、耳をふさいで全ての音を遮断したくなる衝動に襲われるが、そんなことをしても何の意味もないことを士郎は知っている。
 だが、ラスキンは士郎に追い打ちをかけるかのように、その場にいる全員に聞こえるよう言い放った。
「はっきり言おう。彼女は今、とても危険な状態だ。何しろ──自分の心臓を失っているのだからな」






 ──そうして彼女は、治療に使った離れの一室から、かつて寝泊まりしていた士郎の寝室の隣へと移された。
 この部屋を選んだのは彼女自身だ。馴染みの薄い部屋より士郎の匂いが感じられる場所の方が落ち着けるだろうと、全員が移動を手伝った。
「セイバー……」
 そして今、畳の上に敷いた布団に横たわるセイバーを、士郎は身を切られるような想いで見つめていた。
 部屋には彼とセイバーと、セイバーの主である凛がいた。彼女もまた感情をもてあますかのようにセイバーを見下ろしている。それ以外の面々は、気を利かせてか隣の部屋で待機していた。
「シロウ」
 と、不意にうっすらと目を開き、セイバーは今にもかき消されそうなかすれた声で彼を呼ぶ。
「シロウ、そこにいますか?」
「セイバー……ああ、ここにいる。俺はここにいるよ」
 ぼんやりと問いかけてくるセイバーの手を握り、士郎は自分の存在を知らしめるようにそう答えた。辛い──セイバーが視力のほとんどを失っていることも辛ければ、その黒く濁った瞳を見せつけられるのも、胸を抉られるような苦痛だった。
 そう、布団に横たわるセイバーの肌は、血の気を失ったように青ざめていた。美しかった碧眼も今は黒く濁り、瞳は視点が定まらず危うげに揺れている。それだけではない──彼女の襟元から首筋にかけて、まるで亀裂のような黒い筋が走っているのだ。
 この亀裂は、セイバーの左胸から発生したものであった。ラスキンの話では拳大の黒い痣が左胸部に浮かび、そこから首筋や肩口、脇腹や下腹部に向けて無数に枝分かれした黒い筋が走っているらしい。士郎には、その亀裂が今まさにセイバーを砕け散らそうとしているかに見えた。
「ごめん、セイバー。こんな姿にしてしまって──」
「いいえ、シロウ。これは私の不覚です、シロウが気に病むことはない。それより……凛はいますか?」
 自責に唇を噛むシロウへ微かに笑いかけ、セイバーはもう一人の主の名を呼んだ。普段のセイバーなら、たとえ完全に視力を失おうとも気配だけで凛の存在を察知していただろう。それができないということは、視力だけでなく感覚全般が大きく損なわれているという証明だ。
「ええ、セイバー。私もここにいるわ」
 そう言って、凛は士郎に代わりセイバーの手を握る。
「私が分かるわね?」
「ええ……聞いてください、凛」
 淡々と、今にも消えそうなほど弱まりながら、しかしセイバーは凛の手をしっかりと握りかえした。そして、
「キャスターの正体は、魔鏡を使うエジプトの女王です。このことをクロウにも伝えてください、彼なら女王のことも、そのマスターのこともよく知っているでしょうから」
 謝罪は後回しに、弱音など吐くこともなく、彼女は凛のサーヴァントとして、まず伝えなければならないことを口にした。
「あの黒い“私”は、士郎の言った通り投影された存在でした。ただ、キャスターの宝具は投影したものの属性を反転させてしまうようです。ライダーにはキャスターの前では宝具を使うなと伝えてください……いえ、そもそもライダーとキャスターを戦わせてはいけません。ライダーの正体が私の考え通りなら、彼女は“鏡”に対して相性が悪いはずですから。
 それから、私はアサシンの宝具を見ました。アレはおそらく、人を呪い殺す悪精霊の腕です。対象の防御能力を無視して、心臓を掴み出す……性能としてはランサーのゲイボルグに近いですが、アサシンの宝具は物理的な防御では防げません、注意してください」
「分かったわ。ありがとう、セイバー」
「いえ……」
 凛の言葉に、伝えられるだけのことを伝えたセイバーは少しだけ微笑んでみせる。そして、彼女は安心したように目を閉じた。
「ッ、セイバー……!」
「大丈夫、眠っただけよ……行きましょう、士郎」
 セイバーの手を放し、小声で士郎を促して立ち上がる凛。それに引っ張られるように、士郎もセイバーの部屋を後にした──最後に、死んだように眠るセイバーの姿を目に焼き付けて。
「……遠坂」
 後ろ手にふすまを閉めながら、士郎はパートナーに宣言する。
「助けるぞ、必ず」
「当たり前よ。私のセイバーなんだからね」
 そう言って、凛は力強く頷いた。





 ──セイバーの中に、黒いセイバーの心臓が入っている──。
 ラスキンの説明を要約すれば、つまりそういうことらしかった。心臓を抉られたセイバーを生かすために、彼女の鏡面存在である“セイバー”は自らの心臓を掴みだし、セイバーの左胸に無理矢理埋め込んだというのだ。
 にわかには信じがたい話だったが、それ以外に説明の付けようがない。たとえ属性が反転していても、セイバーはセイバーだったということなのだろうか。
「けど、そんなことが本当に可能なのか?」
 そう率直な疑問をもらした士郎に、凛は腕を組んで人差し指を立てて見せた。何かを説明するときの、彼女の癖のようなものだ。
「そうね、例えば士郎が戦闘なり事故なりで、片腕を失うほどの怪我をしたとするわ。そこに──もしアーチャーの腕を移植したらどうなるかしら?」
 アーチャー──無論、彼女が言っているのは、前聖杯戦争で遠坂凛自身が召喚した赤い騎士のことだ。その真名は、英霊“エミヤ”という。
 そう、衛宮士郎が目指す理想の果て──最後まで「正義の味方」を貫いて英雄となった姿こそが、あの赤い騎士の正体だったのだ。彼は最後まで理想に殉じ……そして死後、英霊となってそれに絶望した。聖杯戦争のために現代に召喚された彼は、まだ英雄となる前の自分自身──すなわち衛宮士郎を殺して英霊たる自分をも消し去ろうとしていたのだった。
「……想像もつかないな」
「正解よ」
「へ?」
 と、あっさり頷いてのけた凛の言葉に、士郎は思わず間の抜けた声をあげていた。
「確かに、同一人物の腕なんだからくっつくことはくっつくでしょうね。けど、その後どうなるかなんて私にも想像できないわ。士郎がアーチャーの腕をものにするか、あるいは士郎がアーチャーの腕に侵蝕されるか……それとも、そのせめぎ合いで精神崩壊するか。
 ましてや今のセイバーは、鏡面存在とはいえ属性が反転した自分の心臓を植え付けられてるのよ。心臓がなければ当然消滅するけど、今のままでもセイバーは反転属性に侵蝕される。それがセイバーにとってどれだけの苦痛か……私には想像もつかないわ」
「ッ……」
 言いながら、凛は何かに耐えるように強く拳を握りしめていた。セイバーは彼女のサーヴァントであり、同時に親友でもあるのだ。あんな姿のセイバーを見せつけられる痛みは、あるいは士郎以上かも知れない。それでも表面上は冷静を装っているのは、大した自制心といえた。
 いや──彼女が冷静を装っているのは、士郎が激しているからだ。士郎が冷静さを欠いているときに、自分まで激情に流されるわけにはいかない──だから凛は、誰よりも冷静に「遠坂凛」たろうとしているのだろう。そのことに気付くと、士郎は情けなさで涙が出そうだった。
「アサシンを……いや、間桐臓硯を倒そう。遠坂」
 心で拳を握り、激情を押さえつけて、士郎は言葉を紡ぐ。
「臓硯を倒して、アサシンからセイバーの心臓を取り戻すんだ。いざとなったら臓硯から令呪を奪ってでも」
「ええ、それしかないでしょうね。私達のセイバーに手を出したこと──絶対に後悔させてやるわ」
 士郎の言葉に頷き、凛は初めて激情の鱗片を見せて、はっきりとそう宣言した。






 ──眠りの中で、黒く淀んだモノがうごめいているのが分かる。
 他の何者でもない、それはセイバー自身だった。「善」の方向性を持つ自分を、「悪」に染めようとする力──知っている、これは反転衝動と呼ばれるモノだ。
 手足や体の末端が汚染されたのなら、最悪切り落とせば済む。しかし、この侵蝕の大元は彼女の心臓であった。いかにセイバーとはいえ、二度も心臓を抉られるのは恐ろしい。いや、それよりも、心臓を失うことで士郎達のそばにいられなくなることが恐ろしかった。
 ──そう、それはこの上なく恐ろしい想像だった。
「……セイバーさん?」
「え……」
 不意に、遠慮がちに自分を呼ぶ声が聞こえて、セイバーはうっすらと瞳を開いた。
 視力はほとんど回復していない。黒く濁った視界では誰がどこにいるのかも分からないが、先刻の声には聞き覚えがあった。
「サクラ?」
「ええ、私です。セイバーさん」
 その声とともに、布団の外に出していた片手を暖かい感触が包み込む。士郎とも凛とも違うこの体温は、間違いなく間桐桜のものだった。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
「いいえ、怖い夢を見ていたので、助かりました」
 恐縮したらしい桜に、冗談めかしてそう答えるセイバー。しかし、その言葉には多分に本心が含まれていた。
 ──眠るのは怖い、またあの衝動がやってくる──
「クス……セイバーさんにも、怖いものがあるんですね」
「ええ、私にだって怖いモノや辛いことはあります。そうですね、怖くはありませんが蛞蝓は少し苦手ですし、余り装飾過多な服装もへきへきします」
 どこか気を紛らわせるように、セイバーはかすれた声で喋り続けた。声が小さくても聞き取りづらいことはない。元々セイバーの発音ははっきりしているからだ。
「シロウのご飯を食べられなくなるのはとても怖い、それに……」
 不意に、その声がかき消えるように途切れる。そして──
「この姿を、シロウに見られるのが辛い」
「!」
 その瞬間、セイバーの手を握りしめたまま、桜は思わず息を呑んでいた。
 そうだ、セイバーとで女には違いない。想っている相手に穢れた姿を見られることがどれほど苦しいか、恐ろしいか──。
「どうして、その姿を先輩に見られてまで……」
「私はキャスターの正体を知り、アサシンの宝具を見ました。それをシロウ達に伝えなければ、シロウ達が危機にさらされる」
 呆然とした桜の呟きに、セイバーははっきりと、一瞬の迷いもなくそう答えた。それが辛くないはずがない──セイバー自身が、士郎に見られるのは辛いと言ったばかりだ──だというのに、彼女は己を顧みることなく……。
「……強いんですね、セイバーさんは」
「サクラ、それは違う」
 淡々と、しかし紛うことなく本心から、セイバーはその言葉を否定した。
「強さではなく、誇りがそうさせるのです」
 痛みも、穢れも、屈辱も踏み越えて彼のために──それが誇り。それはきっと桜にも、遠坂凛にもない力。
「誇り……」
 ずる、と剥がれ落ちるように、セイバーの手から桜の手の感触が離れていった。
「……サクラ?」
「ッ!」
 瞬間、突然誰かが立ち上がる気配がして、畳を揺らす足音が遠ざかっていった。おそらく桜が走り去ったのだろうが、なぜ──。
「セイバー」
 しかし、セイバーの思考を遮って、新たな声が彼女の名を呼んだ。同時に、先刻までとは違う感触が掌に伝わってくる──固い掌だ。単に性別の違いというだけでなく、この手はきっと、武器を握りしめて幾度となく死線をくぐり抜けてきた手なのだ。
「クロウ、貴方もいてくれたのですか」
 そう、その声は紛れもなく、大十字九郎のものだった。
「ああ……心配すんな、衛宮から話は聞いた」
 苦笑混じりにそう言って、九郎が強く手を握りしめてくる。その痛みが、心地よかった。
「セイバーの代わりは俺がやる。絶対に──セイバーの家族を傷つけさせやしない」
「クロウ……」
 何の迷いもなく、九郎は傷ついた騎士にそう誓った。誓いの重さを知らぬわけはない、知っていてなお、彼は僅かも臆することなく言ってのけるのだ。きっと、それはセイバーのためとか士郎のためとかではなく、自分がそうするのが当然だから──否、当然だと自分自身で決定したから。
「なぜ、そこまで……」
「ん?」
「なぜ、そこまでしてくれるのですか?」
 きょとんとする九郎に、セイバーは問いかける。確かに九郎はあのデクスターという男と因縁があるようだが、聖杯戦争そのものとは無関係のはずだ。セイバーのように士郎達に剣を捧げたわけでなく、マキリの老人のように聖杯でかなえたい願いがあるわけでもない。ならば──、
「決まってるだろ。俺達は仲間じゃないか、仲間が困ってるのに何にもしないなんて、そんな後味の悪ぃことできるかよ」
 信じがたいほど簡単に、九郎は至極単純な答えを返してのけた。
 ああ──これが彼なのだ。打たれても、傷ついても、倒されても──この青年は決して前に進むことをやめはしないだろう。どれほどの恐怖にさらされても、自分が自分を許せない怖さに比べれば大したことではない。だから彼は──
「クロウ、貴方はきっと──普通の“正義の味方”なのですね」
 濁る視界に無理矢理九郎の姿を捉えて、セイバーはそう言った。
「貴方の強さに、「特別」なものなど必要ない。貴方はただ当たり前のことを当たり前に感じて、当たり前に正しいことを、当たり前にやっている──それは、私や凛のような存在には決して真似のできない「当たり前」」
 誰にだってできるはずの、だが誰もが見失っている──その真っ直ぐさを。
「ただ当たり前に感じて、当たり前に笑い、当たり前に泣き、当たり前の怒りを抱いて、当たり前に生きながら当たり前に戦う者──故に、貴方はいつも当たり前に勝利するはずだ。発端も行動も必然なら、その結果も必然であるはずなのだから」
 確信した。
 人は誰もが今の自分と同じ、盲目のセカイで生きている。だからこそ闇に誘われ、だからこそ光を求めてさまよい歩く。深い闇に出会えばそれに呑み込まれ、強い光を見つければそれを見失わぬよう必死でついていく──その中で、彼は自分自身で光になれる人間なのだ。
「それがきっと貴方の誇り。誰もが当たり前に持っていて、当たり前に忘れていく──無力で何の価値もない、そこにあるだけの当たり前の“正義”」
 そう言って、セイバーは話し疲れたように眠りに落ちていった。





「……買いかぶりすぎだぜ、セイバー」
 セイバーが寝息を立て始めてから、九郎は握っていた手を放し、彼女を起こさないように小さく呟いた。
「俺は“特別”になろうとしていた。そうなれるだけの力があった、そうなるべく道が用意されていた。だからそれ以外の道なんて目に入らなかったし、自分だけが特別な存在になれることに感動して、有頂天になってた。誰だってそうだろ。俺はただ──その途中で、自分が今歩いてる道がどこに続いているのか、知っちまっただけなんだ」
 苦笑混じりの独白は、どこか懺悔に似ている。懺悔しようにもろくな神がいないのが問題だが。
「魔法使いに憧れてた。なんでもできる、神様みたいな存在になりたかった……けど、俺の目の前に現れた神様の落とし子は、そんな俺の幻想を木っ端微塵に吹っ飛ばした。
 おぞましかった、怖かったんだ。あんな風になるくらいなら死んだ方がマシだって本心から思った。だからあそこから逃げ出して……」

 ──普通に生きて普通に死ぬのが幸福だと思った。だけど、その「普通」には空しさがついて回った。

「……ああ、確かにそうかも知れない。俺は普通だよ。どんな光も照らせない究極の闇を覗いちまったら、誰だってそれに抗うしかないんだから」
 今思い返せば、かつての敵──ブラックロッジはともかく、その首領たる宿敵マスターテリオンに対しては誰もが抗っていたように思う。大十字九郎やアル・アジフ、覇道瑠璃といった面々だけでなく、マスターテリオンの臣下であるはずのアンチクロスすらも何らかの形で彼に抗っていた。ただ、彼らは決定的に抗い方を間違えていたが。
「おまえも抗ってるんだな、自分自身の闇に」
 そう言って、九郎は音を立てずに立ち上がった。踵を返し、セイバーに背を向ける。
「ん……」
 そこに、どこか虚ろな目をして立ちすくんでいる間桐慎二の姿があった。






 セイバーの部屋を後にして廊下に出ると、そこには衛宮士郎が佇んでいた。
「衛宮?」
「あ……大十字か」
 呼びかけると、士郎は我に返ったように振り向いた。士郎は九郎よりいくらか背が低いので、面と向かうと少しばかり見下ろす形になる。
「……俺達は、何としてもアサシンを捕らえなきゃいけない」
 九郎の顔を見上げたまま、士郎ははっきりとそう言った。
 セイバーを救うためには、アサシンに奪われた心臓を取り戻さなければならない。そのためにはもう一度間桐邸に攻め入るか、もしくは臓硯とアサシンを誘い出す必要がある。
 セイバーがキャスターの正体とアサシンの宝具の情報を持ち帰ってくれたとはいえ、困難な戦いといわざるを得なかった。
「それもできるだけ急がないと、セイバーの体が黒い心臓に侵蝕される」
「ああ、もたもたしてると手遅れになる」
 頷き、不意に九郎は首を巡らせた。その視線は、月光に照らされた中庭へ向けられている。
「衛宮、ちょっと待ってろ」
 と、再び士郎を見下ろしてそう言い放つや、彼はそのまま廊下の端まで歩いていった。そこに、九郎に与えられた一室がある。
 無言でドアを開け部屋にはいると、数秒でまた廊下に出て士郎の前まで戻ってくる。その手には、普段から持ち歩いている黒い鞄が提げられていた。
「念のためだ。こいつを渡しとく」
 そう言って手渡された黒いモノに、士郎は思わず目を丸くした。
「お、おい、これって……!」
「一応、護身用に持ってきてたんだけどな、まさか使う羽目になるとは思わなかった」
 苦笑混じりにそう言って、九郎は人差し指で頬を掻く。士郎の手に渡されたのは、ずっしりとした黒い自動拳銃であった。
 いくら士郎が──いわゆる特殊な自営業の人間と付き合いがあるとはいえ、さすがに実物を見るのは初めてである。
「サーヴァントには効かないだろうが、マスターに対してなら不意をつけば通用するかもな。分かってると思うが、間違っても町中で出すなよ、しょっ引かれるぞ」
 しょっ引かれる程度の問題ではないような気もするのだが、とりあえず士郎は頷いて銃を“解析”した。構造自体はそう複雑でもない。仕組みが把握できれば扱い方も分かる。
 使うかどうかはともかくとして、銃そのものは借りておくことにした。奥の手は多い方がいい。
「けど、いいのか? 大十字が使った方が効率的なんじゃ……」
「いや──俺にはまだ、六冊残ってるからな」
 肩をすくめ、士郎の言葉にそう答えてのける九郎。そして、彼は素足のまま庭に降り立つと、鞄の中から一冊の書をとりだして見せた。
 あの黒い魔書──無銘祭祀書とは違う。より古びた魔書だった。やはり鎖によって封じられている。それを──九郎は躊躇うことなく引きちぎって開封した。
「さがってな」
 言い放つ。その言葉よりも、本が放つ邪悪な気配に押されて、士郎は銃を手にしたまま数歩後ずさった。
「仮契約<アクセス>! 我が名は大十字九郎、汝の魂にこの名をしかと刻み込むべし! 我は汝等の主なり、汝等は我が威力なり! 我が手にありて汝は剣となり、砲となる。我は汝を使いこなそう! 故に、我が手に接吻し我の臣下となれ!
 刻むべき認証式<パスワード>は──“我は神意なり(I am Providence)”!」

 ──解き放つ、魔書に記された禁断の知識を。

「目覚めよ、エイボンの書<Liber Ivonis>よ!」
 その瞬間、衛宮家に張られた結界が軋んだ音を立てた。

5: ベイル(ヴェイル) (2004/04/09 13:44:18)[veill at arida-net.ne.jp]

 悩む時間は一晩で足りた。
 元より選択肢はたったの二つ。時間に猶予はなく、策を練っている暇もない。しかし退くことも負けることも許されない戦いだった。この一戦に、彼女の全てがかかっている。
(セイバー……)
 脳裏にその面影を思い浮かべ、士郎は土蔵の中で拳を握りしめた。
 セイバーを失う──そんなこと、想像もできない。あの頑固で融通が利かなくて、なんでも自分一人で抱え込んでしまう、食いしん坊で可憐で誇り高い騎士が自分のそばからいなくなるなんてことは。
 そんなことはあり得ない、絶対にあってはならないことだ。
 自分一人で黒いセイバーと決着をつけに行き、不意を打たれて心臓を奪われた彼女。それでもキャスターの正体とアサシンの宝具を伝えるため、闇に侵された体で自分達の元へ舞い戻った彼女。そして今、光を失い闇の中を彷徨っている彼女。
 それは、決して失われてはならないものだった。穢され力尽きた彼女の姿を見て、それでもなお失われない彼女の誇りを目の当たりにして、空っぽな衛宮士郎の器に深く深く根付いたものがある。所詮は借り物、貰い物なれど、確かに衛宮士郎の中で息づくそれは──遠坂凛から与えられた愛よりも深い場所に、ぴたりとはまり込んでいた。
 今、衛宮士郎という鞘の中に、セイバーという剣が収まった──その実感がある。
「死なせない、絶対に……」
 誓いを胸に、士郎は土蔵の窓から差し込む朝日を背にして、刻むようにその言葉を口にした。




Fate / Sword & Sword




「やっぱり、こっちから攻めるしかないと思う」
 と、その日の朝、朝食を終えたばかりの一同を居間に集めて、士郎はきっぱりとそう言いきった。
「今のところセイバーの容態は落ち着いてるけど、いつどう変化するか分からない以上、敵が出てくるのを待つなんて悠長なことはしてられない。無茶でも無謀でも、とにかくアサシンを捕らえるしかない」
「正論ね。私もそう思うわ」
 そう言って片手をあげて見せたのは、畳の上に正座した遠坂凛であった。
「幸い、キャスターとリーダーの正体は分かってるし、アサシンの宝具についても情報がある。マキリの老人ともあろうものがそうホイホイと出歩くわけもないし、下手に迷って機を逃すくらいなら思い切って行くべきよ」
「けど、何の作戦もないんだろ」
「敵にネフレン=カがいる以上、作戦なんて考えるだけ無駄だ。正面から殴り込んで何とかするしかないだろうな」
 割り込んだ慎二の言葉に、今度は九郎が答えを返した。昨夜、二冊目の魔書を開封したのは、こうなることを予期していたからか。
 しかし──不意に顔を上げ、淡々と首を横に振った者もいる。
「ですがシロウ、今度は私は手伝えません」
「!、ライダー!?」
 冷淡な美女──ライダーの発言に、桜が驚いたように声をあげた。だが、ライダーは気にした風もなく、士郎に向かって言葉を続ける。
「私の役目はマスターを守ることです。同じサーヴァントとしてセイバーに同情しないではないですが、そのためにマスターを危険にさらすわけにはいかない」
「ああ、分かってる。ライダーはあくまで慎二のサーヴァントだもんな」
「……ええ」
 僅かな間を空けて、ライダーは士郎の言葉に頷いた。士郎は今も間桐慎二がライダーのマスターだと思っている。ライダーとそのマスターが、そう思わせるように振る舞ったのだ。
 故に、士郎はいまだ彼女の真実を知らない。
「慎二と桜はいつも通りにしててくれ。元々、セイバーのことは俺達の問題だ」
「でも、それじゃ先輩達にサーヴァントが……!」
 言い放つ士郎に、悲鳴にも似た声をあげる桜。現在確認されている五体のサーヴァントの内、ライダーを除く四体は全て臓硯かデクスターの配下だ。この上ライダーの助力がないとなると、士郎達はサーヴァントなしで戦わねばならなくなる。
 なお、唯一サーヴァントと互角に渡り合えるらしいラスキンは、本来の仕事があるからと昨夜から行方不明になっていた。
「キャスターとリーダーが相手なら、戦い方次第で勝てる可能性はあるわ。実際、前の時はサーヴァントなしでキャスターを倒したし」
 そう言ったのは、桜とは対称的に落ち着き払った凛である。実際には前回のキャスターを仕留めたのは彼女ではなく、彼女を裏切った前アーチャーだったのだが、今はあえて事実を曲げておく。
「アサシンにしても、セイバーみたいに不意をつかれない限りそう手強い相手じゃないわ。まあ、アレの相手はそこの探偵さんに任せましょ」
「へいへい、まあ押さえるくらいはやってみせるよ」
 苦笑し、九郎はやれやれとばかりに肩をすくめて見せた。それから、士郎が表情を改めて口を開く。
「問題はイリヤのサーヴァントか」
「そうね、今度もバーサーカーだったんでしょ?」
「ああ、前回のヘラクレスとは別みたいだったけど……」
 凛の問いに頷き、同時にあの森で出会った巨影を思い出して身震いする。力強さ、剛健さという意味ではヘラクレスの方が圧倒的に勝っているにもかかわらず、本能的に「死」を連想させる不気味な容貌──まともな英霊ではあり得ない、異質な気配のサーヴァントだった。
「まあ、彼女まで間桐の家に詰めっ放しってことはないでしょうけど……鉢合わせると辛いわね」
「けど、わざわざデクスターとナイアが分かれたってことは、別々に行動する必要があったってことだろ。ナイアの性格から言って、多分特定の勢力下にずっと居続けるってことはないと思う」
 そう言ってのは九郎である。相手は外宇宙の混沌から切り離された「神」だ。誰かを一方的に利用することはあっても、誰かと協力することはまずないだろう──たとえ相手が“自分”自身であっても。
「ま、行き当たりばったりで何とかするしかないか」
 ため息混じりの呟きが、つまるところ最終的な結論であった。





 ──荒ぶる螺旋に刻まれた、神々の原罪の果ての地で──
 それは罪、神々が犯した許されざる罪悪。
 それは原罪、神々の鋳型から作られた、人類にとっての原罪。
 荒ぶる螺旋に刻まれた──人の素たる歪な二重螺旋に刻まれた、逃れることのできない罪と業。
 純潔な、醜悪な、ひたむきな──

 そう、それ故にその原罪は、あまりにも愛に似ていた。

「……ッ!」
 愕然と目を見開いて、桜は半ば眠りの中に沈みかけていた意識を覚醒させた。
「あ……私」
 ぼんやりと呟き、きょろきょろと視線を巡らせる。そこは衛宮家の縁側だった。どうやら、朝食の後かたづけを終えて少し休んでいる内に、少しうとうとしていたらしい。
「……え?」
 そのとき──不意に視界の隅をかすめた人影に、桜は思わずきょとんとした声をあげる。
「兄さん?」
 ほんの一瞬、玄関から出て行ったように見えたのは、他ならぬ彼女自身の兄のようであった。そして、もう一人──
「……姉さん」
 ぽつりと、まるでそれを口にするのが罪であるかのように、桜はごく小さな声でそう呟いた。






「ありゃ?」
 同時刻、新都と深山町を結ぶ冬木大橋を見上げて、大十字九郎はため息をついた。
 基本的に非戦闘の時間である昼間を利用して街を歩き回っている内に、大橋のすぐそばにある海浜公園へ迷い込んだようだ。夏休み中ということで、公園にはそこかしこにカップルの姿が見える。
「あー、道間違えたか」
 ぽりぽりと頭をかきながら、どうにも緊張感に欠ける声で呟く九郎。いざというときのために地形くらいは把握しておこうと歩き回っていたのだが、やはり士郎か誰かに案内役を頼むべきだったかも知れない。
 アーカムのごちゃごちゃした路地と比べれば……とタカをくくったのが間違いだった。
「迷子になるような年かよ」
 苦笑混じりに独り言を吐き、とにかく元の通りに戻ろうと踵を返す。だが──、
「あれ、もう帰っちゃうんだ?」
 振り向いた先──公園に設置されたベンチの一つに、雪の精霊を思わせる真っ白な少女が腰掛けていた。
「な……」
「こんにちは、お兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」
 無邪気に、無垢に、まるで子供のように笑いながら、イリヤスフィール=フォン=アインツベルンという名の少女は小さく首をかしげて見せる。
「ナイア……」
「イリヤ、イリヤスフィール=フォン=アインツベルン」
 愕然と呟く九郎に、にっこり笑って訂正するイリヤ。その体は朽ちた亡骸、その心は死した亡霊……だというのに、純粋無垢な笑顔には一片の邪気もありはしなかった。
(いや……)
 と、心中で九郎は気を引き締める。無邪気というなら、彼の知る「ナイア」の言動もある意味で無邪気ではなかったか。全てが呪わしく穢れて邪悪であるが故に、逆に邪気が微塵もないように見える──この少女とナイアとの違いは、黒いか白いかの差でしかないのでは。
「今はイリヤってことか?」
「そうね、本当のイリヤスフィール=フォン=アインツベルンはとっくに天に召されてるから厳密には違うけど、貴方の知る「ナイア」の、イリヤスフィール=フォン=アインツベルンという局面であることは間違いないわ」
「……ズカウバやキタミール星人みたいなもんか?」
「ランドルフ=カーターと一緒にしないで。彼とズカウバは元々一つの存在の違う局面だったけど、ナイアとイリヤスフィールは別々だもの。ナイアはイリヤスフィールの死骸に残っていた魂の残滓を吸収しただけよ」
 そう言ってから、イリヤはふと他愛もない失言に気付いたように舌を出した。
「もっとも、今の言葉に応えられるのはナイアの知識があるからよね。そういう意味では、私ももう“貌”の一つなのかも知れないわ」
 やはり無邪気に、イリヤはクスクスと笑ってみせる。その姿は──どれだけ疑ってみても、ナイアの浮かべる嘲笑とは似てもにつかなかった。
「それで、俺達のことも知ってたわけだ」
「そうよ。貴方の──クロウとクロウの書と神の繰り広げた戦いは、ナイアの一番深いところにしっかりと刻みつけられているもの。揺るがない、染まらない、迷わない、憎らしく愛おしい大切な記録<おもいで>……愛されてるわね、クロウ」
「勘弁してくれ」
 からかうようなイリヤの言葉に、ため息混じりに肩をすくめる九郎。ポーズではなく本心からのものであった。
「それで、ナイアならぬイリヤスフィールが、俺に何か用でも?」
「む、それだとイリヤがナイアのおまけみたいじゃない。言い直しを要求するわ」
「んじゃ、いっそ合体させてナイアスフィールとか」
「ネーミングセンスないわよ、クロウ。それでナイアのこといえるの?」
「う……」
 半眼で睨むイリヤに、九郎は思わず情けない呻き声をあげた。もっとも、ダゴンとハイドラを混ぜて「ゴンドラ」などと命名していた男である。センスのなさはとっくに露呈しているといえよう。
「はぁ、まあいいわ。いい加減本題に入らないと日が暮れそうだし」
「うぅ、悪い、そうしてくれ」
 頭を抱えながら先を促す。イリヤは「やれやれ」とばかりに苦笑すると、立ち上がって九郎の前まで歩み寄った。
「それじゃクロウ、私<イリヤ>が前回の聖杯戦争でどうして死んだかは聞いてるわね?」
「ああ、大雑把には。確か、前々回から現界してたサーヴァントに心臓を抉られたって……」
「そう──なら、後は実際に見てもらった方が早いわね」
 そう言って微笑み、イリヤは不意にその手を胸の前でかき合わせた……と見るや、彼女はドレスの胸元をひっつかみ、何とそのまま両手を広げて白い胸部をはだけて見せたではないか。
 驚いて目をそらそうとし、しかし、九郎の視線は逆にイリヤの胸に吸い寄せられた。そこに、信じがたいものを見たのだ。
 ──イリヤの左胸に、まるで深淵を覗くかのような闇色が渦を巻いている。
「心臓が──」
「そう、ないのよ。この闇はナイアのもの。私は混沌の塊を心臓の代わりにしているの」
 愕然と呟く九郎に、服を戻しながら言い放つイリヤ。そして、改めて「聖杯はね」と言の葉を吐く。
「アインツベルンが製造する、英霊の魂の受け皿のこと。イリヤスフィール=フォン=アインツベルンというホムンクルスに英霊六騎の魂を注ぐことでそれは完成するわ。けど、その核となる心臓は前回の戦いで失われてしまったし、そもそもナイアが欲しがっているのはただの願望機なんかじゃない。ナイアは聖杯を欲しがってるんじゃなく、既存の“聖杯”を都合のいいように作り替えたがってるのよ」
「なっ……!」
 愕然として、九郎は思わず言葉を失った。ミスカトニックの魔術師は倫敦ほど聖遺物を重要視しないが、大学の図書館で聖杯を初めとするそれらの資料に目を通したことはある。“願いを構える万能の釜”を這い寄る混沌に渡すだけでもとんでもないことだというのに、あの邪神は、それに更に手を加えようとしているのか。
「イリヤ……何故だ? 何故そんなことを俺に教える」
「クロウはサクラのことを気にしてるみたいだったから、教えてあげようと思ったの」
「何……?」
 あっさりとそう答えてのけたイリヤの言葉は、九郎には咄嗟に理解できぬものだった。
 それを見越していたのか、イリヤは一瞬「クス」と笑った後、停滞せずに言葉の続きを口にする。
「本当はね、前回の聖杯戦争に限って“聖杯”は二つあったの。アインツベルンが用意した本来の聖杯と、前々回の聖杯を利用して作られたまがい物とが」
「まがい物、だって?」
「ええ──前々回の聖杯戦争の時、マキリの老人は破壊された聖杯の破片を回収していたのよ。それをマキリの魔術で別の形に変えて、ある女の子の体に移植した」
 そう言って、イリヤは改めて九郎の顔を見上げた。誰の目にも解るほど、彼の相貌は血の気を失って青ざめている。
「人間のカラダを別のものに改造する──それがどういうことか、クロウになら解るでしょ? ううん、クロウの方がよく分かってるはずよね。だって、クロウに与えられた七冊の書の中には、あの「妖蛆の秘密」も入っているんだもの」
「ッ──!」
 刹那、九郎の意識は弾かれたように我を取り戻し、まるで痛みをこらえるかのようにイリヤを見下ろした。
「正気か、自分の孫だろうが!?」
「クロウならそう言うと思ったけど、私達魔術師にとって子供は魔術を継がせるための存在に過ぎないわ。それにそもそも、サクラは本当は間桐の娘じゃないもの」
「なッ!」
「当然でしょ、間桐の子供には魔術回路なんてないんだもの。秘密裏に聖杯を作るには、多くの回路を有した子供のカラダが必要だった。そのために余所からもらわれてきた子供が、サクラ」
 絶句する士郎を真っ直ぐに見据えて、イリヤは躊躇うことなく真実を口にする。その口元に浮かぶ微笑は、九郎を嘲笑しているようにも、あるいは自身を嘲笑しているようにも見えた。
「そんなに意外だった? クロウなら気付いてるかと思ってたけど」
「……闇の気配がやけに濃いとは思ってたが、だからってあんな娘が……」
 イリヤの声が聞こえているのかいないのか、九郎はうつむいて独白のように呟き続ける。その姿に──不意に、イリヤの貌に浮かぶ表情が一変した。
「君は知っているかな? 人間の心というのはね、あまりに連続して絶望と向き合うと、そのうち絶望に対して備えるようになるんだ。君の嫌う、諦めという感情によってね」
「!」
 その瞬間、弾かれるように顔を上げ、九郎は眼前の少女から咄嗟に飛び離れる。
「ナイア!」
「辛い思いをしている者がほんの少しでも救われれば、そうでない者の何倍も感動し喜ぶだろうね。だけど、本当に絶望している人はすぐに次の諦めに向かうんだよ。今救われたからって、明日も明後日も救われるとは限らない。今日救われた分、明日になったらもっとひどいことになるかも知れない、ってね。だからさ、九郎君──不幸の最中にいる人間の本心は、本当は救われたがってなんかいないんだよ」
 身構える九郎を見つめたまま、イリヤの顔で嘲笑するナイア。いっそ無邪気なほどの邪悪、イリヤに似て、しかし絶対に違う笑い方。
「まったく、イリヤにも困ったものだね。勝手にあれこれヒントを与えちゃうんだから」
「ヒント、だと?」
「そう、彼女が語ったことは、全て一つの答えに辿り着くためのヒントなのさ。探偵なんだから後は自分で考えるんだよ?九郎君」
 にこにこと笑いながらそう言って、ナイアはふと、わざとらしく残念そうなため息をつく。
「彼女らは「今のまま」でいいのさ。希望を抱けば抱くほど、それが砕かれたときの絶望は大きくなる、それは分かるだろう? だから幾度となく絶望を味わった心は、希望に対して警戒心を抱くようになる。期待すれば裏切られる、希望を持てばより深い絶望を味わうことになる……だったら、最初から希望なんてないと諦めておけば、後に来る絶望にだって耐えられるだろう?」
「ッ!──桜のことを言ってるのか、ナイア」
「空しいものだよ、救われたくないって言ってる人を救おうとするのは」
「だったら、なんだってんだ」
 ギリ、と奥歯を噛みしめ、九郎は眼前の少女へ吼えた。
「希望が絶望を深めるためだけにある、なんてのは嘘っぱちだ。たとえかなえられなくても、たとえ裏切られてばかりでも、希望を抱く心だけは真実だろう!救われたいと願う祈りは本物だろう!
 絶望の中で希望を持ち続けるのが辛いってんなら、その辛さに耐えるだけのことだろうが!」
「クス──そういえるのは、君が強いからじゃないのかな? 絶望に怯える弱い者の前でも、君は同じことがいえると?」
「言ってやるさ! 俺程度に強くなることぐらい、本当は誰にだってできるはずなんだからな!」
 即答する。九郎とて、自分だけが特別なのかと、そう思わなかったわけではない。だが、内心でくすぶっていたその疑問に対し、床に伏した剣の騎士は言ってくれたのだ。
 ──大十字九郎の強さは、誰もが持つ当たり前の強さでしかないのだと──
「俺は別に、特別強くなんかない。特別な強さなんかなくったって、俺は俺として生きていける!」
 断言する。揺るがぬ染まらぬ迷わぬ──彼が大十字九郎たるゆえん。
「そう、現実に身を蝕む辛さに耐えるよりも、絶望の中にあってなお希望を持ち続ける辛さに耐えることの方がずっと難しい──だけど、彼女にそれが解るかな?」
「何が言いたい」
「別に。それより九郎君、君はこれからどうするつもりかな?」
 苦笑混じりに肩をすくめ、まるで挑発するようにそう問いかけるナイア。我に返って見れば、公園には無数の一般人がいる。ここで戦うことになれば、間違いなく周囲の人々を巻き添えにしてしまうだろう。
「クス、そんなに怖い顔しなくていいよ。僕もこんなところでやりあうつもりはないからね──そうそう九郎君、この公園もいいけど、新都の方にも一つ中央公園があるのを知ってるかな?」
「は?」
 突然話を変えたナイアに、思わず間の抜けた声をあげる九郎。しかし、ナイアは面白そうに口元を緩めたまま、
「今夜当たり、そこにも行ってみるといいよ。それじゃあね」
 そう言うや、ナイアはそのまま身を翻し、無防備にも背中をさらしたまま公園を歩き去っていった。





「……そんな」
 唖然とした呟きは、遠坂凛のもらしたものであった。
 間桐慎二に連れられて赴いたのは、目下敵の本拠地となっている間桐の屋敷であった。慎二曰く「この時間ならまず臓硯がいることはない」とのことだが、デクスターまで不在だったのは幸運だった。もっとも、敵にリーダーがいる以上、本当にただの幸運だったのかは疑問だが。
 ともかく、慎二と凛は間桐の家に侵入することに成功した。そして、慎二が凛を連れて屋敷の中を横切り──彼女を、間桐家の地下に存在する「工房」へと案内したのだ。
 そして、凛は目の当たりにした。説明など必要なかった。間桐の魔術が、マキリの魔術がどういうものかは聞いていた──それでも、胸の奥でジクジクと痛む痼りのようなものは、消えない。
 言葉などなくとも、その部屋を見るだけで十分だったのだ。
「……遠坂」
 不意に慎二が口を開いたのは、二人が地下室を後にしようとしたそのときであった。
「分かってると思うが──このことは、絶対に衛宮には話すなよ」
「……ええ、分かってるわ」
 頷きながら、そう答える。それが凛の選択だった。正しいか否かは誰にも分からぬ──少なくとも今現代それを判断しうるものはいない──が、彼女はその選択肢を選んだのだ。
 それがおそらく──生まれて初めて、遠坂凛が誰かを裏切った瞬間だった。

6: ベイル(ヴェイル) (2004/04/13 10:04:02)[veill at arida-net.ne.jp]

「なあ、外道が憎いのか、それとも外道の力が憎いのか?」
 いつの間にか帰ってきていたらしい黒衣の探偵は、彼女を見下ろすなり、そう問いかけていた。
「何も──」
 何故、とも何を、とも聞かず、彼女はいつものように首を横に振ってみせる。
「何も、憎くなんてないです」
「何も?」
「ええ、何も」
 問い返す探偵に、今度は頷いてみせた。そう、これまでも一度だって憎んだことなどない。彼女にとっては、その感情自体が理解の外にある。
 しかし──
「……誰も、じゃなく「何も」か」
 口の中だけで呟いた探偵は、まるで苛立ちを押さえるかのように背を向け、足早に彼女の元から去っていった。




Fate / Sword & Sword




 畳の上にあぐらをかき、九郎は手にした魔書を紐解いた。
 与えられた七冊の魔書の中で、その一冊だけは鎖をかけたままでも開くことができるようになっている。元より読んで楽しめるような本ではないのだが、外道の知識──特に薬物と呪詛、そして“蟲”に関しては、この本に勝る書はあり得まい。よって、職業柄目を通すことが多かった。
 もっとも、その書と九郎との相性は最悪に近く、マギウス化はおろか仮契約すら不可能だが。
「うーん……」
 大仰に眉をひそめて頁を覗き込みながら、九郎は呻き声をあげた。
「えーと……どこだったっけな」
 などと、もしミスカトニック大学のラバン=シュリュズベリィやヘンリー=アーミティッジの耳に入れたら即座に大目玉をくらいそうなことを呟いて、変色した気味の悪い頁を流し読む。そのとき──、
「何してるんだ? 探偵」
 怪訝そうに彼を見下ろしてそう声をかけたのは、私服姿の間桐慎二であった。
「思うに、そういういかがわしげなモノは自室に閉じこもって読むべきだよ。おまえ」
「そりゃどうも。けどな間桐、こっちからも言わせてもらえば、せめて年上に対してはもうちょっと丁寧な言葉遣いを心がけるべきだと思うぜ」
「はは、こりゃ失礼。どうもあんたを見てると、年上って感じがしなくてね」
 あっけらかんと笑って、慎二は九郎の持つ書に目をとめた。表題は見えていないはずだが、ざっと頁を眺めてすぐ口を開く。
「ミステリィス・オブ・ザ・ワームか。確か、家の書庫にも一冊あったよ」
「おまえの家、って──間桐の屋敷にか?」
「ああ」
 頷く。それを聞いた九郎の目が、深く思考の海を漂っているかのように虚ろになった。続けて、再び開いた魔書の頁を手早く繰り、口の中で「サラセン人の宗教儀式」や「グレイヴ・ワーム……マゴット」などという言葉を繰り返す。
 その瞳に光が戻ったとき、九郎は書を手にしたまま立ち上がり、正面から慎二の顔を見据えて口を開いた。
「おまえら、あの娘(こ)に何やってたんだ」
「え……」
「体がアレだけ完成していながら、中身の方があの状態ってのはどういうことだ。衛宮は独学だったっていうからまだ分かるが、親から子へ魔術を引き継がせるんなら、どんな魔術だろうとそれを扱えるようにしないと意味がないはずだろ」
 問いつめる、というよりは自問に近い口調で、九郎は沸き上がった疑問を言葉に出す。慎二の回答を待つまでもなく、その答えは九郎の脳裏に浮かび上がっていた。
「……体さえ完成してりゃ、精神(なかみ)はどうでもいいっていうのか?」
 呟き、九郎は魔書──「妖蛆の秘密<ミステリィス・オブ・ザ・ワーム>」を掴む手に我知らず力を入れていた。






 同じ頃、士郎はただ一人道場に立っていた。
 セイバーがあの状態では鍛錬などできないから、手には竹刀も持たず空手だ。道場の中心に佇み、全身の力を抜いてきつく瞳を閉じている。
(──想像しろ)
 心中で、念じるようにその言葉を唱える。
(投影・開始<トレース・オン>)
 強烈に、鮮烈に、今も士郎の心に焼き付いているあの赤い騎士のイメージ。その動きを、太刀筋を、足運びを、思考を──いずれ衛宮士郎が辿り着くであろう技と術を、細胞の一つ一つに覚え込ませるかのように強くイメージした。所詮は模倣。まねごとでサーヴァントと同じ戦いができるはずもないが、今の士郎にはほんの僅かでも戦力が必要なのだ。
 そう、リーダーとキャスターを倒し、アサシンを捕らえてセイバーを救うために。
(セイバー──)
 刹那、細部に至るまで完全に再現した士郎のイメージが、一筋のノイズに侵蝕された。
 ノイズ──否、それは本当に雑音(ノイズ)だろうか。瞼の裏にはっきりと浮かび上がったアーチャーの背中に、セイバーの姿がうっすらと重なっている。
(!、よせ、今は考えるな!)
 侵蝕するノイズ、ひび割れるイメージ。考えたくもない、セイバーを失うなど。セイバーが闇に犯されて、セイバーでないモノになってしまうなど。
(よせ!)
 反射的に歯を食いしばり、いつしか士郎は全身に力を込めて神経を緊張させていた。セイバーを想う気持ちがノイズとなり、イメージの構成を損なわせる。
 これでは本末転倒だ。アーチャーを、より強く、より詳細にイメージし構築する。
 筋力D。
 魔力B。
 耐久C。
 幸運E。
 敏捷C。
 宝具−。
(基礎骨子を構築──もっとだ。もっと深く──)
 千里眼C。
 魔術C−。
 心眼B。
(深く、深く、深く──)
 英霊。
 その生涯。
 奇跡の代償。
 裏切りによる死。
 その末路。
 果てなき闘争。
 そして──摩耗。

 ──Yet,those hands will never hold anything.(故に、生涯に意味はなく)

「ッ!」
 ガツン、と殴られたような衝撃を受けて、士郎は咄嗟に目を見開いた。
「──はぁ、はぁ……くっ、危なかった」
 英霊エミヤと衛宮士郎は同一人物である。幻想を持って自身の心象を構築する士郎のイメージ力が高すぎて、危うくアーチャーに引きずられるところだった。まだ技量においても精神においてもアーチャーに遠く及ばぬ士郎が彼に引きずられれば、最悪の場合、文字通り“カラダを剣に変えて”惨死しかねない。
 いつの間にかびっしょりとかいていた汗を拭い、士郎はため息をつきつつ身を翻した。
「士郎」
「え?」
 そして、道場の入り口に立っていた遠坂凛と目が合う。
「と、遠坂か。驚かせるなよ」
「それはこっちの台詞よ! 士郎、あなた今、何をやってたの?」
 思わず講義する士郎に、凛は肩を怒らせ、鋭い眼光で容赦なくにらみ据えながら、詰問するようにそう問いかけた。ただならぬその形相に押されて、士郎は思わず一歩後ずさる。
「な、何って……その、イメージトレーニングだよ、単なる」
「単なる!? 単なるトレーニングでそんな風になるわけないでしょうが!」
 だん、と道場の床を踏みならして、至近距離から士郎に言い放つ凛。その瞳には怒りの色すら浮かんでいた。
「と、遠坂! 近い!近すぎるってば! ちょっと離れてくれ!」
「そんなこと言ってる場合か!この馬鹿ッ!」
 今にも噛み付かんばかりに密着し、吼えたてる。そこまで言われてようやく、士郎も自身の異変に気がついた。
「あれ?」
 きょとんとして自分の上着を見下ろす士郎。その所々に、まるで花が咲いたかのような真紅の染みが広がっている。
「うわ、なんだこれ。血か?」
 慌てて服の中に手を入れ傷を確かめる。汗だと思っていた何割かは出血だったらしい。
 しかし、いくら調べても傷そのものは見つからなかった。
「士郎……」
「いや、大丈夫だよ遠坂。別に怪我したわけじゃないし……」
「分かってるわよ!そんなこと!」
 言いかけた士郎を遮って、凛は金切り声をあげる。
「士郎、分かってないなら言ってあげるわ──あなたは今、一瞬だけど間違いなく死にかけたのよ。
 確かに魔術の鍛錬なんてほとんど死と隣り合わせだけど、魔術師はそれに見合った成果を求めるから命をかけるの。それをあなたは──単なるイメージトレーニングで死にかけるなんて、どれだけ軽率なことか分からないの!?」
「あ、いや、その……」
 困った──と、士郎は凛に詰め寄られながらそう思った。
 凛が怒るのは、士郎がまったくの無自覚のままに命を危険にさらすような真似をしたからだ。だからその怒りは、どれだけ士郎の命を大切に思ってくれているかという証明でもある。故に──
「……ごめん」
 そう、二つの意味を込めて頭を下げる以外、士郎にできることはなかった。
「俺が軽率だったよ。ごめん、遠坂」
「あ、う……うん、分かってくれればいいのよ」
 一瞬、呆気にとられたように声をもらして、凛は慌てて頷いてみせる。そう長い付き合いではないが、何度となくこうして謝ったり許したりしてきた。
「それで、何かあったのか?」
 頭を上げ、改めて士郎が問いかけると、凛はいつもの様子に戻って「ええ」と答えた。
「士郎、あの探偵どこにいるか知らない?」
「え?──いないのか」
「ついさっきまで慎二と話してたみたいだけど、いつの間にかいなくなってたのよ。
 子供じゃないんだからそのうち帰ってくるでしょうけど──今日は何だか様子がおかしかったし」
「そうだな。念のため探しに行った方がいいか」
 頷き、士郎は凛とともに道場を後にした。まさか迷子になっているとも思えないが、あのデクスターという男が現れてから、どうにも不穏な空気が途絶えない。
 加えて、その正体はまるで見当もつかないが、士郎は先刻から言いようのない胸騒ぎを感じていた。
「とりあえず、着替えてくる。血まみれで外に出るわけにもいかないし」
「そうしなさい。私も一応あるだけの宝石を持ってくるわ。この状況じゃ、いつどこで遭遇戦になってもおかしくないし」
 そう言葉を交わして、二人は一端それぞれの自室に引き上げる。その後僅か一分足らずで合流した二人は、衛宮家の門の外で左右に分かれた。
「それじゃ、私は橋の方を見に行ってくるわ。士郎は山の方をお願い」
「了解。遠坂も気をつけろよ、どうにも嫌な予感がする」
 そうして身を翻す。新都の方向へ向かう凛とは反対に、士郎は現在的の本拠地となっている間桐邸や、遠坂の家がある山の方向へと足を向けた。
 そして──、
「……え?」
 その瞬間、瞳に映った真紅の騎士の姿に、士郎は思わず呆然とした声をもらしていた。






 反射的に頭に浮かんだのは、危機感。彼の英霊はかつての“自分自身”を殺害することを目的としていたのではなかったか。
「ッ──投影<トレース──」
「投影<トレース──」
 咄嗟に唱えた詠唱が重なる。眼前の騎士──前回の聖杯戦争でアーチャーのクラスとして召喚された男は、まるで士郎の動きをまねるように両手を広げ、まったく同じタイミングで呪文の残りを口にする。
「「──オン!」」
 同時に、二人の魔術師はその手に黒白の夫婦剣を顕現させていた。
「ふ……」
「!」
 刹那、双剣を構えて立ちすくむ士郎に対し、アーチャーの姿をしたモノが地を蹴る。皮肉げな笑みを浮かべたまま振りかざした白い陰剣が、士郎の陽剣とぶつかり合う。しかし──
(違う!?)
 その瞬間、士郎の意識を駆けめぐったのは、言い表しようのない違和感であった。
 衛宮士郎は半人前の魔術師である。だが、その身はただ一点──投影にのみ特化した歪な天才……いや、異能でもあった。その士郎の直感が「違う」と、このアーチャーの姿をしたモノは何かが違うと、そう訴えている。
「そういう、ことか!」
 左手の陽剣でアーチャーの剣を受け止めながら、士郎は即座に右手の陰剣──莫耶を手放した。同時に、脳裏に描いた短剣のイメージを強く意識し、空いた右手に新たなる幻想を紡ぎ出す。
「──投影、開始<トレース・オン>」
 創造の理念を鑑定し、
 基本となる骨子を想定し、
 構成された材質を複製し、
 制作に及ぶ技術を模倣し、
 成長に至る経験に共感し、
 蓄積された年月を再現し、
 あらゆる工程を凌駕し尽くし――

<ルール──
「破戒すべき──

 ここに、幻想を紡ぎて剣となす!

 ──ブレイカー>
 ──全ての符!」

 瞬間、士郎が叩きつけるようにアーチャーの胸を短剣で貫くや、赤い騎士の姿はまるで幻のように溶け、砕け、崩れ、朽ち果て──まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく完全に消滅した。
 代わりに、その幻像の後ろから現れたのは──
「キャスター!」
「お見事」
 そう言って妖艶に笑う、全裸に近い衣装に冠を戴いた褐色の美女──キャスターのサーヴァント。
「一瞬で幻像を見破った上、それを一撃で崩壊させる──さすがは前回の聖杯戦争の生き残り」
「幻像……やはり、さっきのもアンタの投影か!」
 キャスターの言葉に、陽剣干将を構えながら問う士郎。右手の「破戒すべき全ての符<ルールブレイカー>」は、アーチャーの幻影を消滅させるとともに自壊してしまっていた。
 だが、セイバーのエクスカリバーを投影した黒セイバーに比べ、先刻のアーチャーはあまりにもお粗末な幻影であった。姿形、そして気配まで完璧にコピーしてはいたが、その能力そのものは、前に戦った竜牙兵一体と大差ない。
 おそらく、イメージに形を与え物質化する士郎の投影と違い、キャスターのそれはあくまで「虚像」に過ぎないのだ。他者が思い描いた姿──竜牙兵やアーチャー──を幻影として召喚することはできても、そこに黒セイバーほどの精度はない。士郎と同じレベルで宝具を再現するためには、セイバーの時のように「本物」が目の前になければならないのだろう。
 戦闘能力は最弱に近いキャスターでありながら、その宝具の真価を発揮するためには最低一度は敵の目の前に出なければならない……それが、この「キャスター」の弱点なのだろうか。
「マスターにはセイバーにとどめを刺すよう言われてきたけれど……むしろ貴方に興味が出てきたわ」
「ッ!テメエ……!」
 言い放つキャスターに、士郎は沸き上がる怒りを露わにした。セイバーが心臓を奪われた一因は、間違いなく目の前のサーヴァントにもある。
 そして、彼女の“マスター”にも。
「投影<トレース>──」
 一人でサーヴァントに立ち向かおうなどと思うな……それは、前回の聖杯戦争で散々言われてきた言葉だった。だが、士郎と凛のサーヴァントであるセイバーは床に伏して戦えず、ライダーの協力も難しい。ならば──魔術使いたる衛宮士郎の全てを持って、目の前のキャスターを打倒する以外に道はない!
「──開始<オン>!」
 瞬間、士郎は再度投影した双剣を手に、身構えもしないキャスターへ斬りかかった。






※妖蛆の秘密
 ルドウィック・プリンが獄中で執筆したとされる魔導書。原題は「デ・ウェルミス・ミステリィス」。クトゥルフ神話作品群で割と頻繁に登場するため、なにげに知名度が高い。
 プロヴィデンスに住む“ある小説家”が、この書を不用意に読み上げたため召喚された星の精(スターヴァンパイア)に惨殺されてしまったという話は、あまりにも有名。

7: ベイル(ヴェイル) (2004/04/17 11:07:22)[veill at arida-net.ne.jp]

「ったああああ!」
 一閃──先手必勝とばかりに士郎が振るった干将を、サーヴァント・キャスターはその白い手袋の先から伸びた数十センチもの「爪」で受け止めた。フェンシングで使うレイピアよりも細い「爪」は、しかし、肉厚の干将とぶつかっても折れるどころか曲がりもしない。
 間髪いれず、士郎はもう一方の莫耶を振るってキャスターの胴を薙いだ。こちらには反応しきれなかったのか、キャスターは今度は防御せず、咄嗟に後ろへ跳びすさって間合いを離す──一瞬後、剥き出しの臍の少し上あたりに、一筋の赤い傷が走った。
 斬れたのは皮一枚……しかし、士郎の剣は確かにキャスターのサーヴァントに傷を付けたのだ。
「はっ!」
 刹那、跳びすさったキャスターを追いかけて前に出る士郎。相手は「キャスター」だ。間合いを離しては敗北する。
 この「キャスター」の真名からいって前キャスターのような魔法じみた魔術まで使ってくるとは思えないが、それでもキャスターのサーヴァントとして召喚される以上、魔術には相当長けているはずだ。故に、この戦いに勝機を見出すには大規模な魔術を使えない接近戦で、魔術を使う暇を与えない連続攻撃を仕掛け、宝具を使わせることなくとどめを刺す──それしかない。
「ふ……」
 しかし、キャスターはどこか余裕のある笑みを浮かべ、両手の五指から伸びた白い「爪」で士郎を迎え撃った。古代エジプトの女王なれば、多少は護身の心得があるということか。だが──
「!」
 ギン──鈍い金属音が響くとともに、士郎の振るった干将がキャスターの爪を弾き飛ばす。伊達にこの半年間、セイバーにしごかれ続けてきたわけではない!
「キャスター、覚悟!」
「クッ……!」
 白き陰剣莫耶によってもう一方の爪も弾き、更に踏み込んでキャスターに肉薄する。再び牙をむいた干将の一撃を避ける術は、このサーヴァントには存在しない。
 ──刹那、不意に士郎の脳裏をかすめたのは、何とも言い難い違和感であった。
「!?」
 それは、つい先刻偽物のアーチャーを目にしたときと同じ違和感──
(何だ……)
 しかし、士郎が振るった干将は止まることなく、避けることも防ぐこともできなかったキャスターを、一太刀の元に斬り捨てていた。




Fate / Sword & Sword




「ったく、世話の焼ける」
 ぶつくさとぼやきながらも歩く凛の姿は、冬木大橋の上にあった。
 深山町と新都を繋ぐ橋の上は、夏場ということもあって割と人通りが多い。もう数時間で日が沈もうという時刻になってもだ。凛はため息混じりに行方知れずの探偵を罵り、それでもやはり歩き続ける。
 無論、姿が見えないというだけで大の大人を探し回ってやらなければならないのも馬鹿馬鹿しい限りだが、遠坂凛という少女は、一人の魔術師として己の直感を信用していた。
 毒づき、皮肉りながらも探し回るのをやめないのはそのためか。
 どれだけ否定しようとしても──何故か、胸騒ぎが収まらなかった。





 その瞬間、褐色の肌を切り裂いたはずの剣から伝わったのは、まるで水の中に手を突っ込んだかのような奇妙な抵抗と感触だった。
「!」
 思わず息を呑む。士郎は咄嗟に剣を引こうとして、しかしキャスターの手に腕を掴まれた。キャスターの黒い体は胸部から腹部にかけて斜めに切り裂かれているにも関わらず、血の一滴も流してはいない。
 漆黒──その身に穿たれた傷口は血の赤ではなく、闇の黒を覗かせていた。まるで巨大な一枚絵をナイフで裂いたかのように、肉の生々しさとは無縁の感触が走る。
(違う!?)
 ここにいたり、士郎も先刻から感じていた違和感の正体を知った。以前戦った竜牙兵が記憶から呼び起こされた偽物であったように、先刻のアーチャーが無様な幻影であったように──この「キャスター」の姿もまた!
「キャスターは最弱のサーヴァント」
 クス、と微笑み、キャスターは士郎の腕を握ったまま言葉を放った。
「騎士達の武勇に抗する術はなく、アサシンのような痴れ者にすら後れをとる。このクラスが陣地作成の能力を持つのは、つまるところ居城に引き籠もらねば勝利はおろか生存すら危ういからよ」
 そう言ってキャスターは笑う。その言葉は、かつての聖杯戦争中に士郎も聞かされたことがあった。
 曰く、キャスターは最弱のサーヴァントである。故に陣地を築いてそこを拠点とし、権謀術数をもって勝利を掠め取るものである、と。
「しかし、私の宝具はその特性故、どうしても自ら敵前に立たなければならない。立ち会えば瞬殺されると分かっていながら敵の前に姿を現さなければならないキャスター……もし普通の魔術師が私を召喚したなら、最悪のサーヴァントを引き当てたと嘆くでしょうね」
 あっさりと言ってのけながら、キャスターの口調に自嘲の色はない。士郎はギリ、と奥歯をならし、眼前のサーヴァントを睨み付けた。
 その姿が、突如としてぐらりと揺らいだのは、次の瞬間である。
「敵前に姿を現さなければ宝具が真価を発揮しない、しかし姿を現せば抵抗もできず倒されることは確実。
 ならば──敵前に姿を見せながら、自身は安全な場所に引き籠もっていればいい」
「その姿も、虚像か!」
 言い放ち、士郎はもう一方の双剣莫耶を振り上げた。容赦など微塵もなく、肉厚の刀身をキャスターの左胸に振り下ろす。だが──
「なっ──!」
 その瞬間、確かにキャスターの胸を貫いた莫耶は、何と何の抵抗もなく彼女の肉体の中に呑み込まれ、そのままずぶずぶと吸い込まれてしまったではないか。
 そればかりか、莫耶を握っていた士郎の左手までもが引き込まれ、士郎の腕は肘までがキャスターの胸に呑み込まれてしまった。
「そう、この姿もまた「鏡」が投影した私自身の虚像に過ぎない」
 いつの間にか、キャスターと士郎を取り囲むように「縁」が現れていた。二人をぐるりと囲む楕円形の「縁」は、禍々しい魑魅魍魎の装飾が彫り込まれた、巨大な鏡の「縁」だ。
 ──伝説に曰く、その女王は処刑の前夜、一枚の鏡だけを残して忽然と牢から姿を消したという。
「エミヤシロウ、貴方は特別に、私の悪夢(セカイ)へ招待しましょう」
「ッ、キャスター!」
 その瞬間、二人を取り囲む「縁」の装飾が、明らかにこの世のものでない地獄的な咆吼を響かせた。

<ミラー・オブ──
「 異界覗く ──

 真名を解放し、鏡は異界の扉を開く。

 ──ニトクリス>
 ──魍魎の鏡」

 妖艶な女王の嗤い声が、聞こえた。







 その日、桜は衛宮家の土蔵にいた。
 この場所は、士郎の匂いに満ちている。散らばったガラクタや直しかけの家電製品、どこで拾ってきたのかも分からぬ時計やらビデオやらに紛れて、最近のバイク雑誌や汚れた雑巾まで転がっていた。その全てに、文字通り衛宮士郎の匂いが染みついている。
 この場所で無防備にも寝入っている彼を起こす瞬間が、彼女にとってどれほど至宝のものだったか、今更ながらに実感した。
「……ライダー」
「はい」
 呼びかけに答え、桜の背後に長身のサーヴァントが実体化する。
 霊体化して常にそばに控える、前回の聖杯戦争ではほとんど接点もなかった自らのサーヴァント。今回、祖父の命に従って再度召喚を行ったとき、呼び出されたのは同じ“彼女”であった。
「ライダー、正直に答えて──先輩が危ないのね?」
「…………」
 問いかけに対して、ライダーは無言。しかし、その沈黙は何より雄弁に桜の言葉を肯定していた。
「行って、ライダー。先輩を助けてあげて」
「サクラ、それはできません。私はサクラのサーヴァントだ。他のマスターを救うために、自身のマスターを危険にさらすことなどできない」
 淡々と言い放ち、ライダーは桜の言葉に首を横に振った。いかに多くのイレギュラーが混在しているとはいえ、これも聖杯戦争には違いないのだ。マスターが狙われている状態で、他のマスターを救出に走るなどとんでもない。
 しかし──
「ライダー、お願い」
「サクラ……」
「私は大丈夫だから……だからお願い、先輩を助けて!」
 桜はサーヴァントに背を向けたまま、まるで嘆くように声を振り絞ってライダーに願った。無論、桜のサーヴァントであるライダーがそれに頷けるはずもない。
「サクラ、私は……」
「ライダー」
 言いかけたライダーの言葉を、しかし桜は遮る。その手が、不意に服の片袖をまくり上げるのを目にして、ライダーは思わず表情を強ばらせた。
「サクラ、まさか……!」
「ライダー!」
 刹那、ライダーが止める間もなく令呪を掲げ、桜は迷うことなく──否、迷いを振り切るようにその言葉を紡ぎ出す。
「マスターとして命じる! 疾(と)く衛宮士郎の元に赴き、その危機から救出せよ!」
「ッ!」
 その瞬間、桜の二の腕に浮かんだ令呪が一つ光を失い、同時にライダーの姿は、まるで虚空に吸い込まれるかのように消失していた。
「……これで、いいんですね?」
「ええ、それでいいのよ、サクラ」
 楽しげに、哀しげに、微笑みを浮かべて闇から姿を現した白い少女が、そう言って桜の言葉に頷く。
 それは──紛う事なきイリヤスフィール=フォン=アインツベルンの姿であった。





 声が聞こえていた。数多の苦しみと怨嗟の声が土の下に延々と吐き出され、声はどろりとした生々しい名状しがたきものへの供物となる。地下に沈んだ怨嗟は、地下神殿にて合成獣(キメラ)との乱交に耽る彼女の耳を楽しませた。
 そう意識すると、次は別の声が耳朶を打つようになった。ナイル川下流の神殿で、豪勢な食事と酒に囲まれ踊り歌う者達の歓声だ。女王の招きに応じた敵達は、神殿に用意された宴の席で大いに飲み食いし、楽しんだ。しかる後、女王は合図を送って上流の堰を切らせ、ナイル川の水を解き放ち神殿を水の底に沈めたのである。無論、生ける者は一人として残らなかった。
 それが彼女だった。おぞましく禍々しき邪神を崇拝し、鋼鉄の意志を持って臣下と万民を恐怖で従えさせ、エジプト第六王朝において玉座を占めた呪わしき女王。
 快楽に満ちた生と、恐怖と怨嗟に満ちた死──すなわちそれが、女王ニトクリスたる彼女の全てだった。


「ッ──!」
 刹那、身を焼く熱さに耐えかねて、士郎はわけも分からぬまま跳ね起きた。
「な、なん──」
 言いかけ、士郎は思わず口をつぐむ。いつの間にか干将莫耶は消え去り、全身はおびただしい粘液によって汚されていた。一体どれだけの間気を失っていたのか、頭の隅が微かに傷む。
 粘つく衣服に眉をひそめながら立ち上がると、士郎はそこが紛れもない冬木市の新都であることに気がついた。
「……え」
 唖然とする。その場所は、眼前に広がる光景は、衛宮士郎が知るはずもない街並みであるというのに。
 ──なぜ、こんなにも懐かしいのか。
「ここは……」
 胸の中に沸き上がる言い表しようのない感情を抑えて、見覚えがあるはずもない街並みを見渡す。その瞬間──
「!」
 一瞬にして視界を染め上げた真紅が、士郎の思考をも瞬く間に焼き尽くした。
 知っている──彼はこの光景を誰よりもよく知っていた。
 幾度となく夢で見た。
 何度となく思い返した。
 この光景──見る間に焼き尽くされていく無数の家屋を、無惨にも焼き殺されていく数多の命を、どれだけ強く記憶にとどめていたか!

──痛い──
──どうして──
──そんな──
──せめて、貴方だけでも──
──ごめんなさい、ごめんなさい──
──裏切り者──
──諦めろ──

 その瞬間、炎の中から沸き上がる無限の怨嗟が、明確な声となって士郎の耳朶を打つ。それは決して生者の声ではあり得なかった。あのときは聞こえなかった──聞くことができなかった死者の叫び。
 そう……叶うなら、せめて聞き届けたかったと願っていた、無限の憎悪。
 今になってようやく、士郎は自身を濡らす粘ついた液体が、おびただしい量の血液であることに気がついた。
「そんな……」
 惑わされるな、これは幻術だ──心のどこかでそう叫ぶ声が聞こえたが、それは瞬く間に怨嗟の声に呑み込まれた。そうだ、これが現実であろうとなかろうと、この光景が「あのとき」の再現であることは間違いない。
 かつての士郎から全てを奪い、士郎自身の心さえ確実に殺し尽くした、あの大火災の瞬間の。
「クッ……!」
 刹那、全身を焼く熱風に耐えかねて、士郎は思わず身をよじった。同時に、全てを燃やし尽くす炎の中にそれを見る。
 全てを憎む、ただそれだけの思念──
 全てに憎まれる、そう宿命づけられた意志──
 世界全てがそれを憎んでいる。それは世界全てを憎んでいる。
 何もかもが死に絶えた世界の中で、ただ一人生きている士郎へ向けられる衝動。死者に意味はなく価値はなく、それ故に存在しない善と悪。
 「悪」の一欠片もないこの世界において──おまえこそが「この世の全ての悪<アンリ・マユ>」なのだと。
「ッ──嘘だ」
 身をよじり、膝をつきながら辛うじて言葉を放つ。士郎はこの光景を知っている、この熱さを、この苦しみを知っている。なぜなら──

──これは、エミヤシロウの原罪だ。

 あのとき、己の全ての感情がすり切れるまでただ天を見上げていた自分がいた。この憎悪は、この痛みは、同じように天を仰いだ死者達の祈りに他ならない。
『オマエも死人だ。苦しいのは死者だからだ』
「違うッ!」
 呪うように響く死者の声に、士郎は歯を食いしばって耐えた。ここまで生きてきたのは、自分の代わりに死んでいった者達への贖罪のためではない。
 だが、そのとき──
「──あ──」
 士郎の視界に……見渡す限り炎の海となった廃墟の片隅に、その少年を見つけてしまった。
 年の頃は八歳程度か、赤毛を熱に炙られながら廃墟の中に一人立ち、まだ未発達な精神を既に使い尽くしたかのような虚ろな瞳で天を仰ぐ──否、天を睨み付ける幼い子供。
 この世界の中でただ一人、死者ではなくまだ生者に属する者。
「う……」
 それを目にした瞬間、士郎の中で何かが弾け飛んだ。
 死者の言葉に耳を貸してはやれない。だが、救うことができるものが目の前にいたなら、それがどんなに低い可能性でも、身を投げ出さぬわけにはいかない。
 なぜなら──衛宮士郎は「正義の味方」なのだから。
「うあああああああああああああああああああああああああっ!」
 叫び、今まさに炎に巻き込まれようとしている赤毛の少年を助けようと、士郎は力の限り地を蹴った。真っ直ぐ、いまだ炎の洗礼を受けていない少年を救うべく駆け出し──

 ──崩れ落ちてきた家屋の屋根に押しつぶされて、衛宮士郎は、死んだ。





 それは繰り返される輪廻の、永劫に再現され続ける悲劇の、ほんの僅かな合間に見る夢。
 それは、黒ずくめの探偵が衛宮の家に泊まりだしてから数日後の夜だったか。
『魔術師は、世界を紡ぐ者だからな』
 その日は凛が実験だか何だかで部屋に閉じこもってしまい、日課の魔術講義が休講になったのだった。おかげで時間が余ってしまった士郎は、ほんの思いつきで大十字九郎の部屋を訪ねることにした。
 魔術師といえば父と師匠の二人くらいしか知らない士郎にとって、そもそも違う魔術大系に属する魔術師、などというものは想像の埒外にあった。故に、彼にしては珍しく好奇心を刺激されてしまったのも、無理なからぬことといえただろう。
 そして──そもそも士郎の知る魔術大系と九郎の魔術は何が違うのかと問いかけた士郎に対して、大十字九郎は苦笑混じりにそう答えたのだった。
『何が違うっていや何もかも違うんだが……そもそも俺達は、別に根元を目指すために魔術を学ぶわけじゃないし』
 そう言った九郎に、じゃあ何のために魔術を学ぶのかと問いかけて──、
『手段だよ。魔術は魔術師にとって、自分の欲望を満たすための手段だ』
 いともあっさりと、黒ずくめの探偵はそう言ってのけたのだった。
『協会の魔術師は要するに自分達の「家系」を根元に到達させるのが目的なんだろ? けど、俺達の学ぶ黒魔術ってのは違う。強いて言えば、「自分」をどこまで高みに押し上げられるかってのが目的みたいなもんかもな。
 「ここまで」っていう目標がないから、「自分」って時間を家系で薄める必要がないのさ──って、こういう言い方をするから未だに協会の魔術師とは犬猿の仲なんだけどな。
 要は、根元を目指す場合必要なのは「家系」であって、「自分」っていう個体はその「家系」を構築する一要素でしかないだろ?だから「家系」を継承し、引き継がせるために「自分」という個を切り捨てる──だが俺達にとっては、その「自分」って奴が何より重要なんだ。長いスパンで薄めていくんじゃなく、逆にどこまでも「自分」って時間を濃くしていくことで術を紡ぐ──黒魔術が危険っていわれるのはこのためだろうな。自己を肥大化させ続けてるんだから、どうしても欲望が暴走しやすくなる』
 ──だとしたら、自分はむしろ彼らに近いタイプの魔術師なのかも知れない。
 誰かから引き継いだわけでもなく、誰かに引き継がせるためでもなく、ただ「正義の味方」たろうとして魔術を学ぶ衛宮士郎は。
『だが本当は、その欲望すら制御してこその魔術師だ。世界を紡ぐ──神話を打倒する宇宙論理(ロゴス)を物語るのは情熱(パトス)だ。ただの感情の発露でなく、ただ沸き上がってくるだけの欲望でもなく、切なる祈りの空を紡ぎ出す情熱(パトス)は──それは神様にだって消せやしない、いのちの──』
 不意に、途切れる。夢の終わりが近付いているのだ、繰り返される悪夢の、そのほんの少しの合間に見る何の意味もない夢の欠片が終わりに近付いている。
 ──否、何の意味もなく思い出したりはしない。この記憶が不意に脳裏に浮かんだのは、そこに気付くべき真実があるからだ。
 それに気付かなければ──きっと自分は敗北する。
 そう何度目かの確信を抱きながら、衛宮士郎は“また”覚醒した。





「ッ──!」
 跳ね起きる。熱に炙られた肌が泡立ち、全身をおびただしい血にまみれて、衛宮士郎の意識は覚醒した。
 何度繰り返したか。士郎はまたこの場所──十年前の大火災が起こる直前の、新都の街に戻ってきた。
「くっ……」
 震える足を踏ん張り、倒れそうになる心を奮い立たせて、士郎はもう何度目になるか分からぬ光景を目の当たりにする。見覚えのある街並み──それが、一瞬にして真紅に包まれ、生命は消え失せ、建物は燃え落ち、死者の呪詛が蔓延し地獄と化す様を。
 そして、その中でただ一人天を睨み続ける、孤独な赤毛の少年の姿を。
 その姿を目にする度、士郎は何十回、何百回と繰り返してきた。彼を救おうとして火にまかれ、崩れ落ちる建物に潰され、そして死ぬたびに元の位置に立っていた。
 たとえ自身の原罪の中ででも、目の前に救える命があるのなら手を伸ばすのだと、そうしなければ「正義の味方」たり得ないのだと自分に言い聞かせて、幾度となく死に続けていた。
 しかし、士郎は衛宮士郎であるが故に、この災いの結末を知っている。誰一人救うことができなかった自分を、誰にも救われることがなかった数多くの命を、炎の中に消えていった「死」という絶対的終焉を、他ならぬ士郎は誰よりも知っているのだ。
 ならば、何度エミヤシロウを救おうとしても、彼の少年を救うことはあたわず、救おうとした自分が生き残ることもあり得ない。
 それは必然。なぜなら、あのときエミヤシロウ以外にキリツグが救うことのできた命はなかったから。
 だから何度繰り返そうと、あの子供を救うことも、士郎自身が生き残ることもあり得ないのだ。かつて士郎自身が目の当たりにした結末は変わらない。少なくとも、衛宮士郎自身に変えることはできない──それは士郎の結末だから──衛宮士郎自身がその結末を覆そうとするなら、それは過去の改変と同じだけの力を必要とする。
「それでも……それでも、目の前にあるなら、救いたいんだ!」
 ──それでも、救いたいという理想は真実だから──
「その理想は、間違いなんかじゃ、ない!」
 叫び、再び走り出す士郎。炎の中へ、無限に繰り返される死の中へ。
 たった一つでもキレイなものがあるのだと──
 その理想だけは真実だと──

 ──本当にそう思っているのか──

「!」
 その瞬間、駆け出した士郎の意識が、不意に別のベクトルへと引きずられた。
 暴力的な、まるで髪を掴んで無理矢理引っ張っていくようなその力に、なすすべもなく灼熱の地獄から引き上げられる。たとえるなら、夢を見ている途中にいきなり別の夢に連れて行かれるような感覚か。
 夢の国の夢見る者達が味わうような感覚に、士郎は吐き気を覚えた。
(ッ、畜生っ……!)
 嘔吐感を飲み下し、士郎は心中で吐き捨てる。次の瞬間、士郎の体は冷たい床の上に投げ出されていた。
「あ……」
 顔をしかめ、這うようにして体を持ち上げる。そこには先刻までの熱さも、皮膚を焼く炎の赤もありはしなかった。
──見るがいい──
 誰かが……まるで嘲笑うようにそう言い放つ。その声に操られるように士郎は立ち上がった。彼の目の前には、寝台の上に横たわる一人の女性がいたのだ。
 ただの女性ではなかった──妊婦だったのだ。女性の腹部は大きく盛り上がり、今にも新たな命を産みだそうとしている。
「や……」
 その瞬間──自身にも理解できぬ不可思議な衝動が、士郎の喉を振るわせた。
「やめ──!」
 言いかけた士郎の言葉を遮るように、赤子の産声が響き渡った。
──見よ──
 泣いている。
 赤ん坊の泣き声を聞きながら、士郎は全身が総毛立つのを自覚した。
 産声は、決して歓びの声などではなかったのだ。
 慟哭している。
 何故こんな呪わしき世界に産み落としたのかと、何故子宮から追い出したのかと。
 世界は新たな命を祝福しない。赤ん坊は、世界を呪いながら生まれてくる。

──オマエも、オマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエもオマエも──

 ──オマエも、そうやって生まれてきたのだ。
「ッッ──!!!」
 逃げた。一瞬の躊躇いもなく身を翻し、その光景から目をそらして逃げ出した。目は瞑れない、瞼の裏にあの赤子達の呪いが焼き付いてしまっているから。あの妊婦の髪の毛が士郎と同じ赤毛だったのも、悪趣味な演出家の手腕だったのだろうか。
 だが、赤子の放った呪詛は確実に衛宮士郎を打ち倒した。折れた──あの灼熱の地獄の中でも信じ続けていたモノが、衛宮士郎を支えるガラス細工の柱が、崩壊の音を立てて折れてしまった。
 耐えられるわけがない。人は気付かぬ内に、世界全てから絶え間なく憎しみの念を送られ続けているなどと、気付かされては!
 それからは、目に入るもの全てに容赦なく斬りつけてまわった。人であろうとモノであろうと区別なく、何一つの例外もなく殺し尽くした。犬も、猫も、壁も、柱も、全てが彼に憎しみをぶつけてくるのなら、その憎悪の思念を感じる前に斬り殺した。
 殺して、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して──。
 いつの間にか、士郎は血と亡骸を積み上げた山の上で、無数の剣の丘を睥睨していた。
 剣の一本一本に、最低一体以上の死体が突き刺さっている。刀にも斧にも槍にも、見渡す限り全てが血に濡れていた。その中に──士郎はふと、見慣れた少女の姿を見る。
「あ──」
 一つ──無数の刃に全身を貫かれているのは、間桐桜であった。
「あ──」
 もう一つ──真紅の槍は藤村大河と間桐慎二をまとめて貫いていた。
 無数の剣に無数の死体。その中に美綴綾子がいた。柳洞一成がいた。藤村雷画がいた。イリヤスフィール=フォン=アインツベルンがいた。葛木宋一郎がいた。他にも顔見知りの姿が無数にあって、名前も知らない相手も何人も殺していた。すれ違っただけの人もどこかで見たような顔の人も遠い昔に出会っていたかも知れない人も──。
 そしてその果てに、士郎は見慣れた夫婦剣に貫かれた、愛しい黒髪の少女を見つける。
「ああ──」
 遠坂、凛──。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
 その瞬間、ガラス細工の正義すら失った士郎の心は、血と泥に汚され粉々に砕け散った。







【宝具】
異界覗く魍魎の鏡<ミラー・オブ・ニトクリス>
 敵の宝具を投影し、それによって相手の宝具のランクを下げて結果的に宝具を無力化する、という「宝具封じ」の宝具。サーヴァント戦において切り札となる宝具を無力化させる非常に強力な宝具であり、ライダーのような「本体の能力は低いが宝具が強力」というタイプのサーヴァントにとってはまさ天敵といえる。だが、逆に前アサシンのように宝具以外に奥の手を持っているサーヴァントはこの「鏡」にとって天敵となる。
 また、真名を解放することによって処刑異界“さかしまに映る楽園<ミラーワールド>”への扉を開く。

さかしまに映る楽園<ミラーワールド>
 ニトクリスの鏡の内部に展開されている異界。入り込んだ者の心象風景を歪めて投影し、永遠に相手の正気度を下げ続ける精神の処刑場。同時に、ショゴスや名状しがたき怪物のうごめくキャスターの内世界でもある。
 現実世界で見えるキャスターの姿は虚像に過ぎず、彼女の本体はこの異界の奥に座している。


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