わたしは桜。
身体は蟲で出来ている。
心は蟲で出来ている。
汚らわしく、弄ばれるたびに疼きをあげる肉体。
何もかも乾いている。何もかも澱んでいる。
それでも、最後まで欲していたいと思うのは、先輩と一緒にいる風景だった。
あの平穏さえあれば、わたしはそれだけでいい。
でも、それさえ満足に許されない。
わたしの全てを曝け出すことは、わたしを根底から壊すことと同じで。
むたしの全てを明け渡すことは、わたしを世界から消すことに似て。
――なにもかも、虚しい。
今日もまた地下にくだる。
今日もまた無様に屈する。
今日もまた自分に折れる。
今日もまた――
お爺様と一緒に。
「おぉぉぉっ! いいぞヨシノブぅぅぅ――!!」
――巨人戦を観るのだった。
『補強という名の心の贅肉 桜編』
巨人戦がある日は、魔術師としての修行はお休み。
その点では助かっていると言えなくもないけど、なんでわたしまで観なきゃいけないのかよく解らない。
「くっ! この若造がぁぁぁっ!」
テレビに唾を吐きかける勢いで、どなりちらす。
お願いだからその歳で、巨人のユニフォームを着、『必勝』のハチマキまでして、メガホンを叩きながら応援するのはいい加減やめてほしい。大声を出すたびに、後頭部のしわが膨らんで、しまいには破裂するし。……こわい。
しかも、表向きは洋風のお屋敷なのに、地下のある一角だけは和式の畳張りで、テレビのある部屋にはちゃぶ台が置いてあったりする。どうしてかよく解らないが、兄さんが言うには『巨○の星だよ』ということらしい。
……わたしにはさっぱりです、兄さん。
「――おぅ!? 番長にストレートを当てるとはいい度胸をしておる! しかし効いておらん! 番長は微動だにしておらんぞっ!!」
キヌガサにならば効いただろうがな、とか古い話をする。ちなみに番長とはキヨハラという選手のニックネームである。えらいムキムキで、奥さんも子供もいる。デッドボールを当てたくないときに限って当ててしまう奇妙な引力を持ったひとで、デッドボールを受けても身じろぎひとつしないことでも有名。
お爺様はわたしに話し掛けてるのでもなく、ただ独り言として喚き散らしているだけ。
だけど一人じゃなんとなく淋しいから、一緒に観戦してくれる人が必要なだけ。
そう考えると、少しだけ同情する余地が芽生えてくる。
「むぅ……。敬遠とは小賢しい。漢なれば、いくら走者を背負おうとも真っ向勝負であろうに。まったく、作戦ばかりで中身のないゲームよの」
たまには苦言を呈してみる。昔は良かったと、低く呟く。
お爺様はマキリの末裔として200年の時を重ねている。
日本に野球が持ち込まれてから現在に至るまで、プロ野球や高校野球、社会人野球の趨勢を常に見守ってきた一人と言えよう。実際に野球界に携わっていれば、野球殿堂入りは確実だったかもしれない。
……はっ! 気付けばわたしも相当詳しくなってるし!
「――どうした桜? ほれ、おまえも懇意にしているアベの小僧が打席に立っておるぞ?」
「はい……」
わたしは、自分の心を抑圧している。
野球に興味がない、巨人なんか知ったことじゃない――心ではそう思っていても、気付けばお爺様と一緒にメガホンを叩いている毎日。
……ああ、わたしはいつから、セリーグの試合がない月曜日が、こんなにも恨めしくなってしまったのだろう。
「――来たあぁぁぁっ!」
「きゃ――!」
アベ選手が、満塁のチャンスでヒットを打つ。三塁から選手が還り、続いて二塁からキヨハラ選手がどすどす走りこんでくる。
ボールがホームに返って来る。タイミングはほぼ同時。
ランナーがホームベースに手を触れるのが先か、キャッチャーがランナーにタッチするのが先か――
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
「きゃあぁぁぁっ!?」
悲鳴をあげる。
それが歓喜のものだと知ったのは、キヨハラ選手が右手を天高く突き上げていたからだった。
――それが、今のわたしの日常であって。
試合が終わり、自分の部屋に戻る。その途中で、兄さんと会う。
「――あ、兄さん……」
「桜。ちゃんと巨人の試合は観たんだろうな?」
威圧的な声に、頷くしかない。兄である間桐慎二もまた大の巨人ファン。兄さんもまた例に漏れず、『必勝』の赤いハチマキをつけている。
わたしと違い、常勝チームへの憧れから、底のない野球道へ身をやつした者の一人だ。
「うん。……勝って、良かったね」
「はあ? なに言ってるんだおまえ。勝つだけじゃダメなんだよ。勝って当たり前のチームなんだから、問題は試合内容なんだ。まったく、それぐらい解らないでよく良かったなんて言えるよな」
はあ、と大袈裟に溜息をつく。わたしは耐えるしかない。確かに、わたしは本当に良かったかどうか、自分でもよく解っていない。
巨人の試合を観て、巨人が勝って嬉しかったけれど、それが純粋に自分の心から滲み出た喜びなのか、それともお爺様に刷り込まれた喜びなのか、その判断が出来なかった。
だから、兄さんに罵られても、仕方がないと思っている。
「――いいか? 最後は劇的なサヨナラヒットだったからいいものの、問題はその前に点を取れなかったことだ。前半で無理なく点を取って、先行逃げ切りを図るのが理想なんじゃないか。いまの巨人には勝ちパターンがあるんだから、そこへ持ってきゃ余計なトコで一喜一憂する必要なんか無いんだよ――」
兄さんの論議は続く。わたしは半分くらい聞いていなかった。
行き着くところは同じ。『やっぱり巨人は強い。だから好き』。
――でも、わたしは一体どうなんだろう?
本当に巨人が……それ以前に、野球が好きなんだろうか――?
その疑問を抱いたまま、商店街に下りる。
「――ジャイ○ンツなんか、いなくなっちゃえばいいんです」
ぐちる。
言ってはいけないような気もするが、言わずにはいられない。初めから野球なんてものが存在しなければ、あるいはジャ○アンツなど結成されなければ……。
自分は、こんなに苦しまなかったのではないか。
でも、解っている。たとえジャイ○ンツが無かったとしても。野球というものが誕生していなかったとしても。
わたしは、お爺様と一緒に他のスポーツを……たとえばサッカーなんかを観ていたのだろう。
――きっとベッカ○とかイルハ○とかア○・ジョン・ファ○とか叫んでるんだ、きっと。
……なんでサッカーまで詳しくなってるんだろ、わたし。
自虐の螺旋に苛まれながら、スーパーでの買い物を済ませる。家のマヨネーズが無くなっていたのでふたつ購入する。兄さんは、わたしと同じマヨネーズを使うのを嫌う。ケチャップやソースは気にしない。
……なぜだ。
なんでもマヨネーズかけりゃあ美味しくなるってもんじゃないのに、なんて思いながら帰路につく。 家に帰ればいつもと同じ日課をしなければ。それが魔術の鍛錬だろうと巨人の応援だろうと、わたしの心に影を落とすものには違いない。
ふと、公園が目に入る。
今は誰もいない。来ようとする気配もない。
――だからだろうか。
ぼんやりと、ただ何も考えないで、ベンチに座ってしまったのは。
しばらく、視線を宙に泳がせる。薄曇りの空は、今にも泣き出しそうで。
雨が降ったら――野球はどうなるのか、なんて。
「ああ、もう……!」
疲れる。考えなくてもいいことを考えてしまうのは疲れるし、時間の無駄だと思うのに。
――考えてしまう。
巨人の補強がどうだとか。それを批評する野球とは関係のない人たちだとか。やめちゃった監督だとか。巨人のオーナーのこととか。G+(ジータス。巨人の全試合が完全生中継で観れるやつ)に加入して本当に大丈夫なのかとか。
と――。
そんなわたしに、問い掛けるひとつの声があった。
清楚で、透明で、でも人間味に溢れた、慈悲深い響きを持った声が。
「――どうかされましたか?」
その人は、このあたりでは見たことのない高校の制服を着ていた。その制服に身を通した女性は、片手にスーパーの袋、もう片手には、何やら香ばしい香りの漂う袋を抱えている。
……ああ、これは焼きたてのパンの匂いだ。嗅ぐだけで食欲をそそられるのは、本当においしいものである証拠。
「……いえ、あの……」
怪しい。そして目立つ。せっかく一人になれる場所を見付けたのに、この女性にはえらい集客力がある。某化粧の濃いサーカス軍団なみだ。
わたしの戸惑いを察したのか、その女性は片手をぱたぱたと振りながら、
「あ、心配しないでください。怪しいものじゃないんで――っても無駄ですかね。でも、どうしても話し掛けたくなっちゃったもので」
はは、なんて微笑んで。その女性はわたしの傍まで近付いてきて。
「わたし、これでも神に仕える身の上でして。悩みのある人を放っておけない性質なんです。だもんで、悩みがあるなら聞いちゃいます。まあ聞くだけなんですけどね。助言を与えられるような人生も送っちゃないですし」
「……はあ」
返答に窮する。本当に、この女性は何を考えているのだろうか。
でも、悪意はない。それは感じる。見た目はわたしと年齢が違わないのに、わたしより遥かに大人だと解る。
ただ純粋な善意で、この女性はわたしの役に立とうとしている。それが本当だとしたら、なんて傲慢で、なんて性質の悪い、なんてお人好しな人間なんだろう。
こんなの――先輩とおんなじじゃないか。
「――お名前」
「はい?」
「あなたのお名前を、お聞きしても宜しいですか……?」
話してもいいと思ったのは、この人がわたしとは何の関係もない人だったから。わたしのことを何も知らない人になら、何を話しても何も変わらない。
先輩や、藤村先生に話せば確実に変わってしまう。あの平穏が、音を立てて崩れてしまうから。
彼女はわたしがいきなり質問したのに驚いたのか、すこしきょとんとして、
「……あ、そうでしたね。名乗るときはまず自分から。基本ですよね。
わたしはシエル――シエルだけでいいです。あっちの方にある教会に用事があって来たんですが、ちょっと暇なものでぷらぷらっと」
新都のある方角を指差す。確かに、あそこには教会があったはず。
「はあ……。わたし、わたしは――間桐桜、と言います」
「はい。桜さんですね」
言って、わたしの隣りに腰を下ろす。シエルさんは荷物をベンチに下ろして、パンの入った紙袋だけ膝の上に載せる。
「まあ、堅っ苦しいのも何ですから。――カレーパン、お好きですか?」
「――はい」
差し出された手と、ナプキンに包まれたパンは、そのどちらも温かかった。
わたしは、自身の悩みをシエルさんに吐露した。
勿論、魔術師うんぬんのことを言えない。言っても信用されないだろうし、言ってはならないという掟だ。そのせいで、自分の弱さのせいで、このわたしとは何の関係ない女性を巻き込むことは許されない。
「……そうですか。おじいさんが大の野球好きで、桜さんもそれに影響されて野球好きになったと」
「はい。でも、お爺様は野球ファンである前に、ある一球団のファンという感じがします。野球界全体の発展というより、その特定の球団が潤っていればいいというか」
「なるほど。――その一球団というのは、ずばり巨人ですか?」
「……どうして、そう思うんです?」
「まあなんとなくです。直感が働く方なので」
ふふん。 と胸を張ってみせる。
「――問題はそのあと。野球が好き、あるいは巨人が好きという気持ちは、果たして自身の裡(うち)から出てくるものなのか? それとも、おじいさんに刷り込まれた感情なのか――?
……と、こういう感じで捉えてよろしいですか?」
「はい……」
第三者の口からわたし自身の苦悩を告げられると、改めて気分が沈む。自分の中でうやむやになっていたものが明確なカタチとなり、より切れ味を増してわたしの心を切り付けるのだ。
「……わたし、この気持ちをどうしようもありません。無くすことも出来ないし、無くしたいとも思えないんです。だってそうしたら、わたしはどのテレビ番組を観ればいいのか解らない――。 いま、どんな番組がゴールデンで放送しているのか、それさえ知らない……!」
激情に駆られて叫んだ言葉は、支離滅裂なものだった。別に、こんなことを昼間っから叫ぶことないじゃないか。わたしのばか。
「す――すみません。気が動転して、わたし……」
「あ、気にしないでください。わたしもこの世からカレーが無くなったら、何を食べればいいか解らなくなりますから」
「……はあ」
だったらパンでもご飯でもラーメンでも麻婆豆腐でも何でも食べたらいいのに。
とか思うが、シエルさんが言いたいのは、たぶんそんなことじゃなくて。
このシエルという女性にとって、カレーは特別な存在なのだ。からっぽの心を満たす唯一の雫が、あの黄色くて辛い、インドを起源とするベリーデリシャスなスパイシーフードなのだろう。
そして、わたしのとっての巨人も、またそうであると――
「――でも、いいんでしょうか。こんな何が起源が定まらない、自分のものかさえ解らないこの気持ちのままで応援しても」
「桜さんに応援したいという気持ちがあれば、いつでも」
微笑む。その唇の端に、ドライカレーがこびりついていた。
それには気付かす、シエルさんは語る。
「要するに、きっかけは何だっていいんです。きっかけってものは、背中を押すだけの役割しかない。好きであるという感情は、それだけで本能なんですから。
ちょうど、凧糸を離した凧みたいに、ちょっとした弾みで誰も手の届かないところに飛んでっちゃうんです」
ふと、彼女は空を見る。そこには雲に閉ざされた空があって、わたしなんかでは、到底届くことのない果て。
「自分じゃどうにもならない。自由にならず、抑えることもできない。――でも、だからこそ、こんなにも温かい気持ちになれる。自分が何かを好きでいられる――生きてるんだと、胸を張れる。
……それって、素晴らしいことじゃありませんか?」
誰に問うでもなく。彼女は、ただ言葉を宙に投げた。
「――ぁ――」
直後、光明が差した。目の前に立ち塞がっていた壁が、音を立てて崩れ去っていく音を聞いた。
また、凝り固まっていた自分が壊れていく音も。
「――わたし」
「あ、なんか偉そうなこと言っちゃいましたね、わたし。なんだか助言にもなってないような感じさえしますし」
「いえ――そんなこと、ないです。シエルさんの、言うとおりだと思います」
「そうですか? それなら、お役に立てて嬉しいです」
にこ。 本当に嬉しそうな顔で、シエルさんは笑う。
相変わらずカレーパンは唇の端に残留したままだけれど、それを補って余りあるくらいの抱擁感。シエルさんは、何の見返りも無く、ただ自分が優しくしたいから、わたしに優しくしてくれたのか。
――優しくするのが好きだから。
「シエルさん」
「? なんでしょう桜さん?」
「……ドライカレーが、唇の端に付いてます」
「え? ――あ!」
指で確かめて、やっと気付く。慌ててそれを舐め取る仕草は、見た目以上に幼く見えた。
「あ、あはは……」
「カレーパン、本当にお好きなんですね」
「……はい。昔っから、カレー関係には目が無くて。なんでこうなったのか、自分でもあんまり覚えてないんですけど」
照れ隠しに、もうひとつカレーパンを頬張る。……これで5個目。それでなお、袋の膨らみが無くなる気配すらしないのが恐ろしい。
――曇り空は一向に掻き消える様相も見せず、近いうちに雨を降らすだろう。そうすれば、ドーム以外での野球の試合は中断になる。巨人は東京にあるドームが本拠地だから、雨でも結構平気だったりする。
野球のことは考えても考え足りない。まだずっと考えていたいと思う。
その気持ちが、好きであるということ。それを自分に教え込ませて。
わたしはここに、生きていることを実感した。
「――今日は、本当にどうもありがとうございました」
「いえいえ。わたしに出来たことなんてほんの少しです。悩みを振り払ったのは、桜さん自身なんですから」
「――はい」
「それでは、また会えるといいですね」
「はい。さよなら」
爽やかに、まだほのかに香ばしい香りを放つパン屋の袋とスーパーの袋を抱えて、シエルさんは公園から去っていった。その背中が見えなくなる前に、またカレーパンを取り出しているのを見た。
わたしも、少し遅れて自分の家に帰る。
――それからは、いつもの繰り返し。
でも、何かを好きでいられることを知った。
それだけで、わたしは――
今日は、先輩の家に行った。
そこには藤村先生とセイバーさんの姿があり、テレビは野球中継を映している。わたしは先輩のお手伝いをしたあと、みんなと一緒にテレビを観ながらごはんを食べた。
その途中で。
「――まったく、巨人の首脳部は何を考えてるのかしらねー」
聞き捨てならないことを、藤村先生は口にした。里芋を突き刺した箸が躍る。
「箸を振り上げてまで言うことじゃないだろ。藤ねえ箸おろせ箸」
「だってさ、力のある選手を獲りすぎなんだよ? 他のチームでは4番を張れる選手が、巨人じゃ6番とか7番とかに甘んじてるってどういうこと? それって補強になってないってことでしょ? スピードが上がると思って自動車にニトログリセリン入れたら大爆発しちゃったってなもんじゃない?」
「なに言ってるかほぼ解らんが」
「――つまり大河は、良かれと思ってしたことが、実は余計なお世話だったと言いたいのですね」
セイバーさんがうまくフォローする。しかし、わたしとしてはあまり良い気分じゃない。
藤村先生は根っからの阪神ファンだ。とはいえ、野球のルールをちゃん知っているかどうか怪しい。けれども、チームに関する話題はそつなく拾ってくる。
時に、巨人の批判さえも。
「そう! 育ちが良くなると思って、自家栽培のトマトに滋養強壮の薬をあげたら全滅しちゃったみたいなもんよ」
「だから訳の解らんたとえをするな」
「……貴重な食物を全滅……!?」
「セイバー、怒るポイントがずれてるぞ」
会話のテンポがずれている人たちは置いといて。わたしはわたしの気持ちに正直でいないと。
「うんうん! わたしの意見に賛同してくれる人がいて、おねーちゃんは嬉しいな――」
「――わたしは、違うと思いますけど」
言った。
途端、空気が破滅的に凍り付いた。
「――あ、え?」
「戦力は厚みがあればあるほどいいんです。逆に、選手層が薄いチームは怪我人が出たときに苦労するんですよ。――ちょうど、何年か前のタイ○ースのようにね」
ふふ。 自分でも信じられないくらい、いやらしい笑みがこぼれる。
「それに、巨人に来るチームはお金につられて入団するんじゃありません。『巨人軍』というブランドを求めてやってくるんです。
ここでなら活躍できると――その誇りと希望を胸に秘めている彼らを、その彼らを受け入れる巨人の方たちを馬鹿にすることだけは、どうかやめてくれませんか?」
「な――」
凍っていた時が動き出す。
藤村先生には、野球観について言いたいことがたくさんある。先生が阪神ファンだからと、先輩に迷惑をかけちゃいけないと、胸の裡に秘めていた高ぶりを、今日こそは解放しよう。
――そう。好きであることを誇りに思うのなら。
視界の端に映る先輩は、『うわあ』を絵に描いたような顔で固まっていた。心の中で深く頭を下げて、わたしは今ここにいる仇敵を睨みつける。
――もう。自分の気持ちに、嘘はつけない。
−幕−
「ぐあぁぁぁっ!! エガワを、キヨハラを返せっ!! 巨人のオーナーを引きずり下ろせぇぇぇっ!!」
「そんな昔の話は知りません! みんな合意の上だったんですから、藤村先生がどうこう言う筋合いはないんですっ!」
「…………セイバー、俺はもうだめだ」
「シロウ…………。解りました、私が貴方の分の里芋の煮っ転がしを補給します」
「…………」
本気でダメっぽいなあ。と、士郎が思ったとか思わなかったとか。
・あとがき
彼らは個人の野球観を説いているのであって、そこに筆者個人の恣意的な感情はございません。いやきっと。たぶん。
巨人ファンがみんなこんな感じ、という訳でもありません(ほんとに)。可能性として、こんな人もいるだろうなあという客観的予測です。
前回の『補強』からかなり間が開きました。どこが補強なんだか自分でもよく解りません。
それでも、興味をもって読んでくださった方、どうもありがとうございました。