幻想の刻 (傾:シリアス、パラレル M:セイバー


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1: ナオキ (2004/03/27 18:32:58)[ejima_hkmn21121 at ybb.ne.jp]





 ――彼女の夢を見る。

 気高く、優雅で、それでいて猛き者。

 凛とし、剣を構え、夜空に浮かぶ月さえも切り裂くであろう幻想を持つ少女。

 幾多の屍を越え、護るために闘い、裏切られても尚、信念を突き通した。

 そんな――世界で一番愛しい少女の姿を。

 ――だから、これはきっと夢なのだろう。

 彼女の隣で、慕い、支え、死の刃から彼女を護る。

 ――その騎士が衛宮士郎だなんて。


 /


「――ミヤ。――エミヤ!!」

「…………ぇ?」

「ぇ? ではない、評議の時間じゃぞ、それともまた、王のお叱りを受けたいのか?」

 目の前には、神出鬼没、空前絶後の大魔導師、マーリン老が立っていた。否、存在感がほとんどないその姿は、きっとそこに在る、ただそれだけなのだろう。

「……」

そして日の傾きから時間を見る。

「うわっ、やばい……」

「ふぉふぉふぉ……これでもいくら急いでも遅刻じゃろうて。またあの王の静寂の怒りが見られると思うと、愉快じゃのぅ」

 ……こんのクソジジイ、分かってて起こさなかったな。
 かなり癪だけど、今はそれすら構っている時間がない。

「……では、マーリン老。私はこれで失礼します」
「うむ、頑張れよ、若者。ふぉふぉふぉ……」

 怒りをグッと堪えて、礼節を持って彼に接する。
 そしてその場から名のとおり消失する老。その姿はかなり奇怪でもある。

「さて……急がないとな」

 そして円卓の間へと走り出す。……その足取りはかなり重かったけれど。


 /


 そして予想通り、ガウェインやガラハドにさんざんいびられた挙句、王の怒りは止まること知らず、評議は無言の重圧に包まれながら静々と進行した。

 ――そして夕刻。
 俺はこの場に立っている。
 『王の寝室』
 不可侵のはずの場所であり、たとえ許しがあっても立ち入ってはならない場所だ。
 しかし、俺はこの場所に居る。

「――エミヤ」
「……は」
 
 奥から王が名を呼ぶ。
 それは手伝ってほしいという合図。
 そして俺は薄手のレースを手で捲り上げて、寝室の奥へと立ち入っていく。
 
 ――そこにあったのは、秘蹟。
 否、秘蹟というべき存在。
 『王は男で在らねばならぬ』
 だが、目の前にいるのは男ではない。
 アルトリア・ペンドラゴンという、一人の少女だ。

「――失礼致します」
「……ああ」

 ――王の着付けを手伝う。
 それは俺が、円卓の騎士としての末席を与えられてからの、秘事であった。
 普段はマーリン老の魔術によって隠されてはいるが、実際に女としての証がなくなったわけではない。
 だが、王としての立場からいって、身の回りの世話をさせる者は必要なのだ。
 ――だったら、着付けの時まで隠せばいい、と言うのが正論だろう。
 だが、何を考えたか、あの老、「お主ならば知っておることじゃし、ワシももう年での、継続する魔術というのは堪えるのじゃよ」なんてのたまいやがった。
 おかげで、誰も立ち入れなかったはずのこの最奥に、俺のような者が入ることになってしまったのである。
 そして、王もそれを拒まなかった。
 何故かは分からない、だが、王の昔を知っている唯一の者としては、それが嬉しくもあるのだ。……勿論、恐れ多いという考えも大いにあるのだが。

 王の鎧を丁寧に脱がし、その下の着衣を傍の籠に入れる。
 そして湯浴みをする。
 ……正直、その姿には決して抱いてはならぬ思いを抱くときもある。
 透けるような金の髪からなだらかな双丘を通り、下腹部のくぼみを伝い、足へと流れ落ちる水滴。
 俺は、世にここまでの幻想を見たことがない。
 ――美しい。
 大の男と並べば、小柄なその体格だが、決して貧弱ではなく、均整が取れ、微弱にも女を証明する二つの膨らみ。
 必死に表情を押し殺し、それを見つめ続ける。
 そして湯浴みが終わりを告げる。
 彼女の体を拭うのも自分の仕事だ。
 丁寧に、それでいて優しく彼女の全身をいたわるように拭く。

「……エミヤ」
「何か?」

 その行為が髪に差し掛かったとき、彼女の口が開く。
 俺の方が背が高いため、ちょうど見下ろす形になってしまっていたのに気づき、急いで膝を折る。

「……世話を掛ける」
「は? ……王よ、そのような事は軽々しく口に出すものではありませぬ」

 ――正直に言えば嬉しさが先に立った。だが、それは認められてはいけない台詞だ。
 一国の王が臣下にねぎらいをかけるなど。

「……軽々しく口にしたわけではない。今だからこそ、口にしたのだ」
「……それはどういう」
「王と言えど、元は人。明日があるかは誰にも分からぬ。――無論、何もせずそれを受け入れはしない。だが、そういう事もあるのは確かだ。ならば、今この場で言っておける事は言うのが必定であろう」
「それは……確かに。ですが……」

 この方は、昔からこういう所がある、まだ人であった頃から。
 自分の信念は曲げず、前を見て、そしてまっすぐに進む。
 阻めるものは誰もおらず、猛々しく、そして凛々しい。
 ――だからこそ俺は、この王の人であった時を知るものとして、ここに居る。
 王となっても、その本質は何も変わらず、そしてそんなお方だからこそ、支えたいと思う。

「エミヤ」
「は、はい」

 ……まずい、考えで返事を詰まらせてしまった。

「……湯浴みの時、何を考えている」
「――は?」

 今、何とおっしゃったのだ、彼女は。
 ――湯浴みの時、何をカンガエテイル?
 マズイ、顔が紅潮するのが自分でも分かる。

「……やはりか」

 そんな俺の様子を見て、彼女は溜息を付く。

「おおおお、お待ちください。決して、決して自分は王にやましいことなど、そんな恐れ多い――!!」

 床に額をこすり付け、許しを請う。
 一部でありながらも、事実。
 ――そんな臣下の感情を見抜けぬほど、愚鈍な王ではない。
 裸身である彼女と、その足にすがりつくように頭を下げる自身。
 かなりシュールではあるが、笑い事ではない。
 人の身で王に欲望を抱くなど、あってはならぬ行為。
 斬首で済めば生易しいものだ。

「――――よい」
「――は?」
「よい、と言ったのだ」
「し、しかし……」
「この場では、自身が女の身ではあるのは確か。確かに王は人ではないが、人であった時の私を知るお前に、その理屈は通じまい。そして欲とは人を形成する重要な要素でもある」

 ――許すと。
 彼の王は人の身でありながら、王に欲情した自分を許すと言うのだ。

「――それに、お前には生きていて欲しいと思っている」
「……」

 最高の世辞であった。
 王が自分に生きていて欲しいと。
 何者にも立ち向かえる勇気が湧いて来る、その言葉。
 ならば、自分も――

「――貴方に剣を捧げられた事は、我が生涯において最高の喜びです」
「……そうか。私もお前のような臣下をもてたことを誇りに思おう」

 花のような笑み。
 王がこの場所でのみ、唯一見せられる本当の貌。
 それを自分が見られたことが、たまらなく嬉しく、たまらなく恐縮したものだ。


 /


 そして夜の帳が辺りに落ちる。
 老の提案から、俺が寝室の警護に付き、王は身を隠さずに寝ると言う体制をとっている。
 ……まあ、聖殿ともいえるこの場所に入ってこられる者など居ないのだけれど。
 というか、自分が居る事も発覚するとかなり問題なのだが。
 部屋の外側である扉の前で剣を立て掛け、待機する。
 実質、就寝時間は二時間ほどであろうか。
 だが、そんなのは不眠不休で戦い続けるのに比べたら少しも辛くはない。
 ……王を護ることが出来る。
 それこそが、俺の喜びなのだから。

「がぅ……」
「?」

 一体の獅子が俺に擦り寄ってくる。
 名は王と、その獅子を王に預けたものしか知らぬ獅子。
 いつもは王と共に在るのが、常套なのだが……。
 不審に思い、ノックをして寝室への扉を開く。

「失礼致します、王よ」
「……どうした、エミヤ」
「申し訳ありません。獅子がこちら側に迷い込んでおりまして――」
「ふふ……いや、その子がお前の傍に行きたいと言ってきてな」
「――は?」

 いや、驚いた。
 王の笑顔にもだが、王にしかなつかぬはずのこの獅子が、俺の傍に――?

「いえ、ですが」
「よい。今日はそなたに貸し与える」

 ……まいった。
 あの顔で「お前のことが気に入ったのだろう」なんていわれたら絶対に断ることなんて出来ない。

「で、では。ありがたく……」
「ああ。……気持ちいいぞ、ゆっくりと休むがいい」
「? は、はい。では、失礼致します」

 そして最後に王の姿を焼き付けるようにして、寝室を出る。
 薄い布一枚を羽織ったような格好。
 体のラインは透けて見えてしまっている。
 ……同じ轍は踏むまいと、自身を制御する。
 だが、少し顔が赤くなってしまっていたようだ。

「――エミヤ。少し、ジロジロと見すぎだ」
「!!??も、もうしわけありません!!」
「……はぁ、まあよい。行くがいい」
「は、はい」

 焦りながら寝室を後にする。
 王の顔も少し赤くなっていたのは気のせいか、いや、気のせいと思いたい。

 そして、再び先程の体制に戻る。
 剣を立て掛け、扉の前に座り込む。
 そうすると、獅子がひょこっと俺の膝に飛び乗ってくる。
 丁度、俺の脚から肩に掛けての背丈。

「なるほど、先程王が言われたのはこういう事か」
「きゅーん……」

 すりすりと獅子が俺の体に身を摺り寄せてくる。
 ……まずい、クセになりそうだ。
 その気持ちよさと共に、眠気が俺の身を襲ってくる。
 ――そしてその身は、夢の終わりを見るために、沈んでいった。


 /


 ――キィィィン!!
 剣戟の音。甲高い鉄と鉄が擦り合う音。それが辺り一体、それも十や二十ではきかないほど鳴り響いている。
 絶え間なく、人の怒号と悲鳴が轟く。
 そして、それを高台から見下ろす自分の存在。

「奴を殺せェェェェ!!」

 俺に気づいた向こうの大将が、目の前の大軍を放り出して、俺を殺そうと軍を向ける。

「――やれやれ、救いようが無いな」

 ――目の前の大軍に見向きもせず、俺のみを殺しにくる。
 そこが間違いなのではない、俺の存在に気づかずに、戦いを仕掛けた事こそ過ち。

 ――故に、
『I am the bone of my sword――』
 奴らはこの場にて全滅する――。


 自然の風景が塗りつぶされ、熱き歯車と、剣のみが鎮座する丘になる。
 ――そして、そこに在るのはただ、
 死と闘争の残滓のみ。

「消えろ――――」
『ギャァァァァァァ!!』

 無数の剣が大軍に降り注ぎ、そしてそれと同じだけの穴が地面に出来上がっていく。
 剣の一つ一つが、人の身など簡単に打ち砕く代物。
 担い手ではなくとも、十分な威力をこの身は引き出すことができる。

「――いや、違うか。その力はもとより剣に込められていた力」

 ――そしてその宝具と呼ばれる武具達を完全に使いこなすことが出来るのが担い手。
 俺はただの持ち主にしかすぎない。

「……化け物、め。ブリテンの為にどれだけの、民草を屠って、きた、と、言うのだ……?」

 ……俺が一人ごちていると、既に死に体となったむこうの大将らしき人物が足元まで這いずって来ていた。

「……賞賛に値する生命力だな」
「ガハッ……き、さま。」
「……極東の地でよく使われる言葉に、『冥土の土産』というものがあるそうだが……」
「……何?」
「その冥土の土産とやらで教えてやろう、貴様の言うとおり俺は化け物だろう、だが……」

 言いかけて、俺は傍より一本の騎士剣を抜き放つ。
 ――――斬。

「俺は、国のためではなく、たった一つの存在の為に戦っている。――――この身命を賭してな。」

 そして、その眼を大きく見開いた後、男は絶命した。


 /


 ――俺の能力。
 マーリン老が言うには、固有結界(リアリティ・マーブル)という代物。しかも、剣と言う属性に特化した、究極の一らしい。
 そのことを聞いたとき、一刻は説明をされたのだが、今説明した分しか理解できなかった。
 ……いや、決して俺が理解力ゼロなわけじゃないぞ?多分。
 その時一緒に聞いていた王も、話の後半からはちんぷんかんぷんな顔をしていたしな。

「おぉ、エミヤ様。戻られましたか」
「……女官長? 何か、ありましたか?」

 ――城の女官を束ねるお方。繊細でいながらも豪気で、こと、王の身の回りのことに関しては、俺も適わない豪傑だ。
 ……まあ、俺のせいで仕事が激減したと言って嘆いていたけれども。
 俺が騎士の末席に加えられてからというもの、王の身の回りはひそかに(公の秘密というやつだが)俺がすべてを行っているから、彼女達女官は仕事が半分以下になってしまったという話なのだ。
 その豪傑がよかったとばかりに自分に笑いかけてくる。何事かあったと思うのも当然だろう。

「……いえ、エミヤ様が出征にいかれてからというもの、王の機嫌が日に日に悪くなる次第で」
「…………は?」

 いや、驚いてしまった。
 ……王が、俺の存在をそこまで?

「私共のお世話はいらぬと言い出し始める次第で……」
「……はあ」

 正直、よくない傾向だと思う。自分を気に掛けてくれるのは非常に嬉しいし、光栄な事だが、仮にも一国を束ねる王である身。
 ……それを臣下が一人いないだけで平静を乱すとは。
 だが、それを諌める事など出来ない。
 臣下と王という関係も理由の一つだが、あのお方は平生に人間味が欠けすぎている。
 ならば、その部分を摘み取るのはいかがなものだろうかと、何かが俺の深いところで囁き掛けてくる。

「とにかく、エミヤ様が帰還されたことをお知らせして参ります」
「……あ」

 引きとめようとしたのだが、後の祭り。
 考えを纏めて顔を上げたときには、彼女の姿は何処にもなかった――。


 /


 ――自室にて。
 鎧を脱ぎ、一人休んでいると、不意に室内に気配が生まれた。

「――老」
「……ほぅ?」

 俺の目の前には、変幻自在のエロ爺――ではなく、稀代の大魔術師、マーリン老が立っていた。
 ――いや、今回もそこに『在るだけ』の存在か。

「ふぉ……随分と鋭くなったものじゃのぅ。」
「……貴方にしごかれれば、何人とてそうなるでしょうよ」

 最大限の皮肉を込めて返答する。
 ――が。まあ、この老人にそんなものが通じるわけはなくて。

「それは僥倖じゃわい。……次の弟子はもっと厳しくいこうかの」

 かっかっかと笑って俺の皮肉を受け流す。
 ――まったくこの爺さんは。影を使って人をからかいに来る事しか出来ないのか。

「――で、今日は何の用です? 話ならば短めにお願いしたい、これより王の所へ報告へ行かねばなりませんので」
「ふぉふぉふぉ……そう急くな、エミヤ。貴様の悩みを聞いてやろうと思うてわざわざ来てやったというに……」
「――悩み、ですか? ……あいにくと、話の内容が分かりかねますが」
「……そうかの? 簡単な事じゃと思うぞ?」

 ――チ、相変らず鋭い。この爺さんは心の中でも読んでるんじゃないだろうかと、真剣に思う。

「……分かりました。王の事なのですが」
「ふむ……アヤツが王でありながら、情に目覚め始めたこと……かのう?」

 ――このジジイは。知っていながら、あえて俺の口から言わせたかったのだろう。
 ……相変らず性悪だ。

「……それ自体は度が過ぎなければ悪い事ではありませぬ。事実、多少はそういう所もなければ成り立たない事とてあります」
「…………ふむ、ようするに、何故自分の事でそうなったのか――――という事か?」
「……女官長の言った事が事実ならば、ですが」

 少し悩んでから言葉を出す。その奥の真実に触れる事は、あってはならぬこと。
 ――けれど、この爺さんなら平気でやりそうだから迷った。

「事実じゃよ。――そして、その理由も簡単じゃ」
「――老」

 少し険を含んだ口調で老の言葉を止める。
 ――言ってはならない。
 言えば、影ごと老の本体まで届く剣を用いて斬り伏せる――
 ――その心積もりだった。

「――――エミヤ、貴様。いつからこのマーリンを脅せるほどになった――?」

 ――死んだ、心が死んだ。体より先に、その言葉で心が死んだ。
 寒気、悪寒、死の匂い――
 絶望、怒り、悲しみ、妬み、恨み――
 あらゆる負の感情が俺に襲い掛かる。

「グ…………」
「――バカモンが、脅すときは相手を見てから言え」
「……クソ、ジジイが」

 自分の心象風景を固有結界で塗り潰す、まっさらにしてから、もう一度数分前の状態に戻す。
 大量の魔力と精神力を消費して、やっとの事で黒い塊を自身の裡から消滅させる。
 ……俺じゃなかったら廃人だったな。

「ふぉふぉ……それは最高の褒め言葉じゃよ」

 そして目の前の影が不敵に笑う。
 ――悔しいが、やはりこの老人は大魔術師なのである。
 俺では歯が立たない。

「ハ、ァ…………俺じゃ、なかったら死んでたぞ……」

 口から飛び出しそうな肺を押さえつけて、やっとの事で呼吸をする。
 心の裡をみずからの能力で塗りつぶす事が出来なければ、数秒で俺の心は破壊されていただろう。……アレはそれほどの呪いだ。
 すると、目の前の老人はおかしそうに、

「――お主だから、その呪をかけたんじゃよ」

 試してみたいモノじゃったからのう。なんてのたまいやがった。
 ……訂正、性悪を通り越して悪辣だ、このジジイ。
 そして、ひときしり笑った後、急に真面目な顔になったかと思えば、

「――アヤツ、アルトリアはの……。おぬしの事を好いておるんじゃよ。王の身で、人のお主にのう……」

 なんて、動けない俺に向かって囁きやがった。
 ――真面目ぶってはいたが、その眼が「最高の娯楽を見つけた」と光り輝いていた。
 ……絶対殺す、あのクソジジイ。


 /


 ……それからが参った。
 報告に行っても王の眼を見て話せず、お叱りを受けるわ。
 身の回りの世話も失敗続きで、部屋を追い出される始末だわ。
 ついには剣の修練でぼやっとして怪我をしてしまった。

「はぁ……情けない」

 夕刻。負傷した肩をさすりながら、自室で一人ごちる。
 怪我は自業自得だが、老の一言で平静を無くす自分が限りなく情けない。
 だが、このままぼんやりしていてもしょうがない。気合を入れるために自分の頬を張る。

「うし! 行こう」

 入れなおした気合と共に、こっそりと王の寝室へ。
 公然とはいえ、人に見られるとかなりマズイ秘密なので、こっそりと行くのが常套なのだ。

 そして大きな鉄製の扉の前に辿り着く。
 こんこんと控えめにノック――。

「……エミヤか?」
「はい」
「……入れ」
「失礼致します」

 間のある返答が返ってくる。声から判断するに昼間の失態についてはもうお怒りではないらしい。
 そして少し錆び付いている扉を開けて、中に入る。

「――――っ!!」

 ……中に居たのは、王だった。
 ただし――すでに鎧姿ではなく、着替えを済ませた姿ではあったが。

「…………エミヤ、その赤面症、どうにかならぬのか?」
「もっ、申し訳ありません!!」

 膝を付いて扉まで下がる。
 い、いかんいかんいかん。
 あのクソジジイの台詞を妙に意識してしまって、まともに顔を見れない。

「……いや、よい。よく来てくれた」
「……は?」

 ――ヨクキテクレタ?
 ……いや、この時間までここに居なかった事の方が問題なのだが。
 俺が怪訝そうに顔を上げると、そこには、何故か赤面している一人の少女がいた――
 ……いや、王だ。そうでなければいけない。

「いや、その、な……。女官にエミヤはどうしたかと問うたら、『今日は凱旋でおつかれでしょう』と、言われてしまってな。わっ、私としては……その、お前が居ても居なくても良いのだが。そ、そうだ、いつも居るから、いないと不自然と言うか――――」

 ……何故か王が必死に弁明をしている。
 何に焦っているんだろうと思いつつも、とりあえず平静になってくれるよう勤めるのが俺の役目。

「――王、そのお姿、今日はもう湯浴みを?」
「えっ? あ、いや、その……まだだ」

 話題を逸らすと、王の暴走はやっと止まってくれたようだ。
 ……きっと湯上りのほんのりとした甘い香りがするのは気のせいなのだろう、うん。

「では、湯浴みを」
「……ああ、任せる」
「はい」

 そして寝室の奥へ。
 彼女の着衣を丁寧にゆっくりと脱がし、そのきめの細かい肌を外気に触れさせる。

「――ン」

 ぶるっと彼女が体を震わせる。
 今は10月、まだ過ごしやすい日が続くとは言え、夜はかなり冷え込む、寒いのは当然だろう。
 急いで用意された湯を、彼女の肩からゆっくりとかける。

「――ハ、ァ」

 適温に保たれた湯が、彼女のおうとつに弱しい体を滑り落ちていく。
 そして気持ちよさそうに、その身を震わせる。

『アヤツは、アルトリアはのう……お主に――』

 その幻想とも言える美しさを見た瞬間、老の言葉が脳裏をよぎる。
 カッと視界が真っ赤に染まる――。
 まずいマズイ、マズ――。

「――どうした、エミヤ?」

 手が止まった俺の様子を、訝しげに彼女が覗き込んでくる。
 必死に自身の心を押し込める。
 冷静になれ――出来るはずだ――この身は無限の剣で出来ている――ならば、その欲望は最初から在ろうはずがない――!!
 
「――いえ、何でもありませぬ」

 自分でも意味の分からない自己暗示で、黒い欲望を何とか押さえ込む。
 彼女がこちらを振り返る数瞬前、ぎりぎりだった。

「そうか」

 そして、また行為を再開する。
 彼女の流れる髪を梳き、丁寧に洗い上げる。
 ……綺麗だ。
 ――思わず、そんな感想を持ってしまう。
 美しいというのは、幻想にも値する言葉だが、綺麗だと言う言葉は、人に使うモノ。
 いかんいかんと首を振りながら、行為に没頭する。
 ――既に自身の気持ちは手遅れだと言う事も知らずに。

 不意に、彼女が口を開く。

「聖杯を、探求してみようと思う……」
「聖杯……ですか?」
「……ああ」

 ――聖杯。それは持ち主のありとあらゆる願いを叶えるモノ。
 澄んだ心の持ち主にしかその力を与えず、しかし、叶えるべき欲望とも言える願いがなければ消えさってしまう矛盾に満ちた聖なる杯。
 ブリテンでは、そう言い伝えられているモノ。
 そして――王ならば、誰もが目指すその終着点。

「此度の遠征、お前のおかげで完全な勝利と呼べるだろうものになった。これで、地盤固めもほぼ磐石だ」
「……」

 俺は複雑な心境で静かに耳を傾ける。

「ならば、この国を永遠とする為、聖杯を求めるのは道理であろう――」

 意見が聞きたいわけではない、俺に言う事によって意思を固めたいのだろう。

 ――王は人ではない。そして不老だ。
 仮初めの永遠を与えられた者。
 だがら、それを完全にしたいという気持ちは王ならば誰にでもあるだろう。
 ――だが、まさか目の前の彼女がそれを言い出すとは思っても見なかった。
 彼女ならば、自身の力で道を繋げて行ける――
 ……俺個人としてならば、その思いが強い。
 だが、今目の前の彼女が求めているのは、意見ではなく、同意。
 ならば――

「はい、我が身でよければ、身命を賭して、探し出して見せます――」
「……済まぬな」
「……は?」

 王が何かを呟いた――が、俺にはその呟きは幸か不幸か、届く事はなかった――。

「いや、何でもない。……それよりエミヤ、寒いのだが」
「あ、申しわけありませんっ。すぐに――」
「……ふふ」

 どたどたと、湯浴みを再開する。
 俺のその様子を見て、彼女が少し笑う。
 その笑顔を見て、俺はまた赤くなってしまった――


 そして俺は、王の寝室を後にする。

「では、王よ」
「ああ、エミヤ。お前も今日はもう休め」
「……は」

 王の気遣いが嬉しく、少しうわついた気分で部屋を出る。
 すると、どこからかあわられた獅子が俺の膝にひょいっと飛び乗る。

「がぅ」
「……ああ、気を引き締めないとな」

 獅子が俺に顔を向けて少し吼える。
 ――気を抜くな、と。
 その気持ちが伝わったのが嬉しかったのか、ご機嫌で獅子は俺の膝の上で眠りに付いた――


 /


 ――聖杯探求より数年。
 よくないことが続いている。

 ――いや、リスクは承知の上で、それを差し引いても最悪といっていい結果かもしれない。
 国には内乱の噂が流れ、落ち着かない雰囲気が漂う。
 そして、探求にでた円卓の騎士は帰らず、マーリン老までが行方不明。
 ついには、円卓の騎士の一人が失踪する始末。
 それによる民衆の突き上げ、そして王の政務への影響。

 だが、そんな間でも、俺の日常は変わらない。

 大仰な鉄製の扉を控えめにノックする。

「……入れ」
「はい」

 室内に入り、最初に眼にしたのは疲れきった王の姿。
 大魔術師の後ろ盾が無く、円卓の3分の1を失った王に掛かる負担はあまりにも大きい。

「……」

 会話は無い。
 俺も彼女にどのような言葉を掛けていいのか分からない。
 もとより、彼女はすばらしい王である。
 この異常事態に、国が持っているのは、ひとえに彼女の力である。
 だが、その影でどれだけ彼女が疲労しているかは、言うまでもない事だ。
 影のあるその顔、彼女の月のような美しさがそこなわれてしまっている。
 だから、俺は――

「エミヤ……?」
「修練場で、私の相手をしていただけませんか」

 そういって、彼女の手を取った。


 /


 ――キィィィン
 王の剣が俺の撃ち出すモノすべてを叩き落す。

「―――く」

 飛来する全ての剣を叩き落す。
 その動きは、まさに幻想。
 ありえない、まるで剣が独りでにすり抜けているようだ。

「エミヤ――お前の、力はその程度なのか?」

 王が不敵に笑う。
 ――相手を挑発するということは、隙を誘うと言う事。
 俺には、まったく意味の無い行為。
 ――この身は無限の剣で出来ている。
 ならば――元より、そのような隙が入り込む余地はない――。

「刺し穿つ――――」
「む……」

 一本の槍を俺が構えると、王の顔が瞬時に険しいものへと変貌する。
 俺の裡には、幾多の武具が剣の丘で眠っている。
 過去、現在、果ては未来のものでさえ。
 ――何故かは分からない。見た事のないはずのモノさえある。
 だが、俺はそれを知っているのだろう。それらを見ても、違和感などは一切わかないのだから。
 
 俺の裡に元より在った槍に、その真名を肉付けする。
 構造を解析し、そして担い手の思念、生涯、癖、そのすべてを投影の応用で貼り付ける。
 ならば、この身は。一瞬ながらも担い手に迫るモノとなろう――。

「――――死棘の槍!!」

 負担などない。宝具とは、それそのものを投影するのが在り得ない事で、その前提を越えてしまえば、担い手の思念を肉付けすることなどたやすい。
 一瞬の内にその真名と共に放たれた槍は、王の胸へと一直線で迫る。

 ――だが。
 すでにその手に鞘を持たない王の剣は、真正面から槍を叩き落した。

「――な!?」
「……因果逆転の槍か。だが、幻想が甘い。その槍はエミヤの手を離れた瞬間、失敗作へと成り果てた」
「く……」

 一瞬で体制を立て直して、傍にあった剣を抜こうとしたが、時既に遅し。
 まばたき一つの差で、王の剣が俺の喉元に突きつけられていた。

「私の、勝ちだな……」
「……参りました」

 そして、俺の世界がその場から消え失せる。
 魔力の消失と共に、元居た場所――修練場へとその姿を戻す風景。

「固有結界、リアリティ・マーブルか。……なるほど、見るのは二度目だが、確かに厄介な能力だな」
「有難う御座います……」

 一応は褒められていると思うので、お礼を言う。
 だが、王は少し渋い顔をして――いや、あれは拗ねているのか。

「……だが、やはりお前は剣を使う方がいい」
「はい、ありがとうございます」

 昔の事を思い出したのか、少し顔を赤くして彼女は言う。
 ――昔、俺は騎士になどなれないほど、剣の腕は無かった。
 皆から無理だと言われた中で、彼女だけはこういった。

『エミヤ――お前の剣はまるで一体となって歌っているようだ。その才、大切にするがよい」

 ……実際は歌っているなどと高尚なモノではなく、剣の属性に特化した俺は剣を扱うのもうまい、ただそれだけの話なのであるが。
 ――ただ、それが剣の腕に直結するかと言うと、そうではない。
 自分の体が伴っていなければ、剣に振り回されるだけ。
 ……昔の俺はまさにそれだったのだ。


 そして、王の寝室へと戻ってくる。

「ここでよい」
「はい……」

 果たして、自分はどれだけ王の力になれたのだろうか。
 暗い思いを持って身を翻そうとした瞬間、後ろから声が掛かる。

「エミヤ」
「はい?」
「……済まぬ、余計な気を使わせたな」
「――いえ、そんなことはっ!!」
「無理せずともよい、お前のお蔭で随分と楽になった」
「……はい」

 王も武人、ならば、単純な手で行こうと思った。
 効果は上々だったようだが、まだ顔の色が優れないようだ。
 だから、言わなくてもいい言葉をいってしまったのかも知れない――

「……私は、王を支えたいと思っております」
「エミヤ――?」
「このような時だからこそ、私は……」
「……支える、か。その言葉、騎士達に聞かせてやりたいな」

 暗い声だった。
 月のような彼女に、こんな声が出せるのかと、ただ驚いた。

「そうだろう。私の周りは今や、私利私欲の者共ばかり。国を支えようとしているのはごく少数だ」
「そんなことは……」
「いや、よい。…………済まぬ、卑屈になったようだ。王ともあろうものが、情けない――」

 それだけ気を許してくれているからだ――ひどく傲慢な考えだが、このときは素直にそう思う事が出来た。
 ――ならば、俺も出来る事をしよう。

「王よ、これより無礼を致します。その後首を切られてもかまいません、ですが、この一時だけは何とぞお許しを――」
「何――?」

 そうして王が怪訝な顔でこちらを見た瞬間、既に俺は彼女に抱きついていた。

「――な、なななな!!」
「申し訳ありませぬ、ですが、この一時だけはっ!!」

 ――ギュ
 強く抱きしめる。
 ……気づいていたのだ。老が言わずとも、俺はもう、彼女を王として純粋な気持ちで見る事はできない。
 この世に生れ落ちたときから、彼女しかいない、そんな感覚。
 だから、この小さく可憐で、折れそうな少女を支えたかった――

「――エミヤ」
「……」

 聖殿となっている王の寝室、そしてその周り。
 夜に人が通る事はない。
 静寂が場を支配する。
 夜の帳が落ち、辺りは蝋燭の明かりのみ。
 ぼうっとしたその灯火で、彼女の姿がより幻想的に映る。
 ――そして彼女の瞳にも俺の姿が。
 幸せだった――この一時のみで、自分の全てが満たされていく。
 彼女の味方になろう、そう決めたときから。
 俺は、この瞬間を待ち望んでいたのかも知れない――。


 そして、幾分かの時の後、体を離す。
 このようなことをして、まさか生きていられるとは思っていない。
 そして、彼女の口から出た言葉は――

「……入れ、ここでは万が一と言う事もある」
「――――は?」

 ハイレ?
 入れ。
 うん、なるほど。
 彼女は俺に寝室の中に入れと――――って!!

「!!??」
「……あまり騒ぐな、聖殿とは言えど、何かあったと思われてはまずい」
「……は、はい」

 そして、寝室へと入る。
 ――この時、一瞬だけ、瓦礫に埋もれた聖堂の建物が見えた気がした。
 そして、そこに居る俺と王、それに知らないはずの赤い少女。
 だが、その光景は、
 これからこの身に起こることを暗示しているようだった――。


「今、この刻だけ、昔に戻ろう。人であった時の私に――」
「アルトリア――」
「ふ……やはり、エミヤにそう呼ばれるのは安らぐな」
「ありがとう……」
「……礼を言うのはこちらだ。お前は、昔から私の一番近くにいて、支えてくれる」
「俺は、君の味方、だからね」
「ふふ……そうか、私の味方か」
「ああ」

 そうして、俺達は抱き合う。
 月光で煌く彼女の姿。
 艶かしい彼女の唇とキスを交わす。
 求め合うココロ――
 繋がりあう。
 この一瞬だけは、お互いが全て――
 ならば、この身は、
 ――彼女への想いで出来ていた。











 これは、俺が見ている都合のいいユメ。
 だって、そうだろう?
 これが本当なら、俺はきっと、セイバーと共に在る事ができたはずなんだから――
 だから――これは――俺の想いが作り出した――ただのユメ――。










 ――そして、彼女が命を落とすことになる内乱は、
 この後、一ヶ月の猶予も残されていなかった――。


 /


 ――夢を見た。

「王、王はいずこに!!」
「こちらだ、エミヤ」
「ベディウィエール!?」
「急げ、もう刻がない」
「あ、ああ。わかった」

 ――セイバーが木を背にして倒れている。

「ベ、ディウィエール……剣は、エクスカリバーは」
「――王の命に従い、ヴィヴィアン嬢にしかと返却致しました」

 ――もうあと一刻も持たないであろう、その姿で。

「王!!」
「――エ、ミヤ?」
「はい!!」

 ――俺は、彼女に駆け寄る。

「そ、うか……ベディウィエール、お前が連れてきて、くれたのか」
「……はい」

 ――そして役目を果たした古来の騎士はその場を去る。

「後は、お主に任せよう、エミヤ」
「……済まない」

 ――セイバーが眼をうっすらと開く。

「……王」
「ふふ……夢を見て、いた」
「夢、ですか……?」
「ああ……。お前と、良く似た、少年と、共に過ごす、遠き、夢を……」
「……」
「なぁ、エミヤよ……」
「はい」
「名で……呼んでは、くれぬか?」
「……分かった。アルトリア……」
「ああ……その響きだ。……そうか、彼は、近くに居て、くれたのだな……」

 ――そして一筋の涙。

「アルトリア……」
「刻を越えて、彼は傍に……。…………これほど嬉しいことが有るだろうか」
「……アルトリア」
「手を、握っては、くれぬか。エミヤ……」
「――ああ、分かった」

 ――そして騎士は、しっかりと彼女の手を握り締める、その命すらも離すまいと。

「エミヤ……」
「何だい、アルトリア」
「……礼を、言う。私は……お前と共に在れて、幸せ、だっ、た……」
「……ああ」
「……得たのだ、答えは。ならば私は、ここで、眠りについてもいいのだろうか……」
「……ああ、ゆっくりと休むといいよ」
「済まぬな、後は、まか、せる……」
「うん……」

 ――騎士は、人であった頃の彼女と同じ扱いをした。
 それが彼女の望みだったのだろう、だから、彼女の顔は――こんなにも晴れやかだ。





   全ては遠き理想郷

   王が願った夢、幻想

   叶わぬことを知りながら、それでも目指した

   先にあったものは、答えのみ

   だが、それで満足だった

   後悔も、未練もない

   ただ、そこにあるのは――

   ――想いのみ

   王としての彼女は死に、

   少女としての彼女は――

   ――きっと、彼と共に在るのだろう

   いつまでも――。




   

   その日、剣の丘に一本の聖剣が確かに存在した――――。






 ―――――FIN













後を書く

こにゃにゃちわ、ナオキと申します(ぺこり
恥ずかしながら、こんなのを書かせていただきました。
……えー、正直突っ込み所満載のSSですね。
例えば、聖杯の定義とか。
あぁ、伝えられているだけであって、実際にはどんな者が持ったって聖杯は発動するわけですよ。
――ま、中から何が出てくるかはその人次第でしょうがね。
ではでは、ぶっちゃけ短編としては長すぎるブツですが、楽しんでいただけたなら幸いかと。


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