がたこん、がたこん、と電車に揺られること一時間。
いい加減に慣れたことではある。
魔術師が魔術師であることを余り隠さないでも平気な学校と言うのは日本にもあるらしく(どうも人外の為の学校であったらしいが)そこに通うことになった私は往復二時間と言う時間の浪費を毎日毎日繰り返すに至っている。
ああ、二時間もあればシロウと一回戦いたすことも出来ると言うのに。いや、そりゃあ時間があるならもっとゆっくりと楽しみたい。シロウの暖かい腕にくるまれていつまでも惰眠を貪れたら最高だ。
……いけない、止めよう。人が少ないわけではない電車の中で顔を赤くしてにやにや笑うのはあまり淑女とは呼べないだろうし。
私は手持ち無沙汰なのでリンに習った魔術回路の活性を試みようとしたが、あまり集中できないことにすぐに気付き、再び暇になる。
電車と言うのは至極退屈だ。
他の人はどうやって時間をつぶしているのだろうか。
前の座席に座る金髪の女の人はのんびりと眠っている。しかし、この方法は無理だ。私は安心できる場所じゃないと眠れないからだ。シロウの腕の中などは熟睡でき……と、いけないいけない。
私は頭をぶるぶると振るって前の人の隣を見る。
眼鏡をかけた男の人がゆったりと本を読んでいる。
しかし、これまた同様の理由で無理である。私は本を集中して一気に読むタイプなので揺れる車内で少しずつ読むと言うのは性に合わないのだ。
で、眼鏡の男の人の隣を見ると赤い髪の毛のいわゆる『不良』といった感じの男がヘッドフォンをつけて何かの歌を聴きながら鼻歌を口ずさんでいる。
まあこれはいいかも知れない。問題点はそんなものを学校に持って行ってはいけないという下らない校則だけである。
と、そんなことを考えていると目の前の赤毛の男が眼鏡の男の人の小説の方に興味を向けた。
「お、なんだ官能小説か?」
眼鏡の人が無言でショートアッパーを見事な角度で当てる。
「俺はいつも思うんだけど、お前は一辺耳と目と口を縫った後に脳みそを改造してもらった方がいいんじゃないか?」
眼鏡の人がさらりと暴言を吐く。
赤毛の方は悶絶する暇も無く昏倒しているのが分かった。
「はぁ、お姫様はお休みだし、馬鹿は気絶するし。本の続き読むしかないじゃないか」
気絶させたのは多分貴方です。
心の中だけで突っ込んで、私は窓の外に視線を向けた。
そろそろ地元の駅に着きそうである。
うん、人間観察と言うのもいいかもしれない。候補の一つには入れておこう。
ぱしゅう、と音を立てて開く電車のドア。
全く持って日本と言うのはすごしやすい。
駅からはバスで家に向かうことになる。
私の家。
藤村組……ではあるのだが、この場合は私とシロウの家のことを指す。
ほら。私達はいろんな意味で家族だし。キリツグの家を私達の家と呼んでも何の問題もないはずだ。
うむ。
電車内で一度痴漢に遭って以来、局所的な結界の技術をリンから必死に学んだ甲斐があり、今では誰も近寄ってこなくて助かっている。
結界と言っても自分のことを認識しにくくなる、と言ったものだ。私の場合は髪の色とか色々あるので少し強めにしている。
ぱしゅう、と電車と同じ音を立ててバスの扉が開く。
バスのタラップを降りてとん、と軽くジャンプして着地。
革靴が小気味のいい音を立てる。シロウが用意してくれた制服。別に作ったのは物言わぬ機械だってことは分かってるけど、私にとっては特別なものだ。
そんなことを考えていたら、目の前の人影が近づいてきた。見慣れた、本当に見慣れた大好きな人の姿だ。
「おかえり、イリヤ」
「ただいま、シロウ」
そんな当たり前の挨拶をシロウは一度だってかかさない。
私が大好きな挨拶を一度だって忘れないのだ。
「どうしたの? こんなところで」
「そろそろイリヤが帰る頃だと思って。買い物の途中で休憩してたんだよ」
シロウの両手には買い物袋。
「片方持つよ」
「ありがとう」
にっこりと、微笑むシロウ。
昔だったら絶対に『女の子に荷物持ちなんてさせられない!』なんて過保護にしたんだろうけど、最近は私の気持ちも分かってきてくれてるのか、はたまた対等な関係であると思ってくれているのかこちらの好意を無下にすることは無くなってきた。
うん、素直に嬉しいや。
「シロウ、また背高くなった?」
「ん? ああ、そうかも」
高校を終えてからもシロウの成長は続いていた。
急激に成長期を迎えた私をもってしても身長差は相変わらず。
「背と共に体重も増えてるんだよね、シロウ」
「筋肉だよ」
「関係ないの。乗ってこられる身としては」
シロウの顔がかああ、と赤くなっていく。そういうところは何時まで経っても変わらなくて可愛いと思う。
「と言うことで今夜は私が上です。反論は認めません」
「げ、今日は魔術の訓練で疲れて……」
「はーい、聞こえませーん」
耳を塞いでそんな言葉は聞いてあげない。
疲れていると思うから私が動いてあげるのだ。ああ、ちなみにしない、と言うのは却下。私の体に対し、精と言う因子を送り体を安定させるという意味もあるし、私はまだまだシロウから愛され足りないのだ。もっともっと愛されたい。そしてシロウを愛したいのだから仕方ないのだ。
「……一つお手柔らかに」
シロウの諦めの声。最近良く聞くようになったけど、これは私が悪いのだろうか。……悪いんだろうなぁ……ごめんね、シロウ。と心の中だけで謝る。
「シロウはゆっくり休んでていいわよ。私がシロウと体を重ねたいだけだから」
「好きな女の子に迫られて大人しくなんか出来ないよ、馬鹿」
馬鹿、とは失礼だと思う。
思うのだけど、そういう真っ直ぐな台詞はとても卑怯だ。嬉しすぎて何を怒ればいいのか分からなくなる。
きっと私の顔は真っ赤だ。
「イリヤ、とりあえず今夜の夕食を食べてから考えよう」
「ふっふーん、一緒にお風呂にでも入る?」
「ば、馬鹿!」
シロウをからかうのは楽しい。シロウは優しく真剣に考えてくれるからだ。
そんな日常が大好きで、大好きだから精一杯生きている。
「シロウ」
「なにさ」
少し呆れ気味の顔。でもそんな顔も全て含めて、私、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはやられてしまっているのだ。
「大好き」
「……俺もだよ、イリヤ」
えへへ、と確認するように私達は笑って家路に着く。
きっと腹ペコタイガーと、にやにや笑ったリンと、ほんわか困ったサクラが待っている。
シロウの作る優しさを待っている。
私は独り占めすることなんて出来ない優しさが他のみんなを優しくしている。
だから私と私の周りの世界はこんなのも優しいのだ。
私はおもわず歩調でリズムを取りながら鼻歌を歌う。
シロウはのんびりと聞いてくれる。
午後5時半の赤い空。
歌い終わると同時に私は振り返ってシロウを正面から見据える。
夕日に伸び始めた二つの影が重なった。