――彼女の夢を見る。
気高く、優雅で、それでいて猛き者。
凛とし、剣を構え、夜空に浮かぶ月さえも切り裂くであろう幻想を持つ少女。
幾多の屍を越え、護るために闘い、裏切られても尚、信念を突き通した。
そんな――世界で一番愛しい少女の姿を。
――だから、これはきっと夢なのだろう。
彼女の隣で、敬い、支え、死の刃から彼女を護る。
――その騎士が衛宮士郎だなんて。
/
「――ミヤ。――エミヤ!!」
「…………ぇ?」
「ぇ? ではない、評議の時間じゃぞ、それともまた、王のお叱りを受けたいのか?」
目の前には、神出鬼没、空前絶後の大魔導師、マーリン老が立っていた。否、存在感がほとんどないその姿は、きっとそこに在る、ただそれだけなのだろう。
「……」
そして日の傾きから時間を見る。
「うわっ、やばい……」
「ふぉふぉふぉ……これでもいくら急いでも遅刻じゃろうて。またあの王の静寂の怒りが見られると思うと、愉快じゃのぅ」
……こんのクソジジイ、分かってて起こさなかったな。
かなり癪だけど、今はそれすら構っている時間がない。
「……では、マーリン老。私はこれで失礼します」
「うむ、頑張れよ、若者。ふぉふぉふぉ……」
怒りをグッと堪えて、礼節を持って彼に接する。
そしてその場から名のとおり消失する老。その姿はかなり奇怪でもある。
「さて……急がないとな」
そして円卓の間へと走り出す。……その足取りはかなり重かったけれど。
/
そして予想通り、ガウェインやガラハドにさんざんいびられた挙句、王の怒りは止まること知らず、評議は無言の重圧に包まれながら静々と進行した。
――そして夕刻。
俺はこの場に立っている。
『王の寝室』
不可侵のはずの場所であり、たとえ許しがあっても立ち入ってはならない場所だ。
しかし、俺はこの場所に居る。
「――エミヤ」
「……は」
奥から王が名を呼ぶ。
それは手伝ってほしいという合図。
そして俺は薄手のレースを手で捲り上げて、寝室の奥へと立ち入っていく。
――そこにあったのは、秘蹟。
否、秘蹟というべき存在。
『王は男で在らねばならぬ』
だが、目の前にいるのは男ではない。
アルトリア・ペンドラゴンという、一人の少女だ。
「――失礼致します」
「……ああ」
――王の着付けを手伝う。
それは俺が、円卓の騎士としての末席を与えられてからの、秘事であった。
普段はマーリン老の魔術によって隠されてはいるが、実際に女としての証がなくなったわけではない。
だが、王としての立場からいって、身の回りの世話をさせる者は必要なのだ。
――だったら、着付けの時まで隠せばいい、と言うのが正論だろう。
だが、何を考えたか、あの老、「お主ならば知っておることじゃし、ワシももう年での、継続する魔術というのは堪えるのじゃよ」なんてのたまいやがった。
おかげで、誰も立ち入れなかったはずのこの最奥に、俺のような者が入ることになってしまったのである。
そして、王もそれを拒まなかった。
何故かは分からない、だが、王の昔を知っている唯一の者としては、それが嬉しくもあるのだ。……勿論、恐れ多いという考えも大いにあるのだが。
王の鎧を丁寧に脱がし、その下の着衣を傍の籠に入れる。
そして湯浴みをする。
……正直、その姿には決して抱いてはならぬ思いを抱くときもある。
透けるような金の髪からなだらかな双丘を通り、下腹部のくぼみを伝い、足へと流れ落ちる水滴。
俺は、世にここまでの幻想を見たことがない。
――美しい。
大の男と並べば、小柄なその体格だが、決して貧弱ではなく、均整が取れ、微弱にも女を証明する二つの膨らみ。
必死に表情を押し殺し、それを見つめ続ける。
そして湯浴みが終わりを告げる。
彼女の体を拭うのも自分の仕事だ。
丁寧に、それでいて優しく彼女の全身をいたわるように拭く。
「……エミヤ」
「何か?」
その行為が髪に差し掛かったとき、彼女の口が開く。
俺の方が背が高いため、ちょうど見下ろす形になってしまっていたのに気づき、急いで膝を折る。
「……世話を掛ける」
「は? ……王よ、そのような事は軽々しく口に出すものではありませぬ」
――正直に言えば嬉しさが先に立った。だが、それは認められてはいけない台詞だ。
一国の王が臣下にねぎらいをかけるなど。
「……軽々しく口にしたわけではない。今だからこそ、口にしたのだ」
「……それはどういう」
「王と言えど、元は人。明日があるかは誰にも分からぬ。――無論、何もせずそれを受け入れはしない。だが、そういう事もあるのは確かだ。ならば、今この場で言っておける事は言うのが必定であろう」
「それは……確かに。ですが……」
この方は、昔からこういう所がある、まだ人であった頃から。
自分の信念は曲げず、前を見て、そしてまっすぐに進む。
阻めるものは誰もおらず、猛々しく、そして凛々しい。
――だからこそ俺は、この王の人であった時を知るものとして、ここに居る。
王となっても、その本質は何も変わらず、そしてそんなお方だからこそ、支えたいと思う。
「エミヤ」
「は、はい」
……まずい、考えで返事を詰まらせてしまった。
「……湯浴みの時、何を考えている」
「――は?」
今、何とおっしゃったのだ、この王は。
――湯浴みの時、何をカンガエテイル?
マズイ、顔が紅潮するのが自分でも分かる。
「……やはりか」
そんな俺の様子を見て、王は溜息を付く。
「おおおお、お待ちください。決して、決して自分は王にやましいことなど、そんな恐れ多い――!!」
床に額をこすり付け、許しを請う。
一部でありながらも、事実。
――そんな臣下の感情を見抜けぬほど、愚鈍な王ではない。
裸身である王と、その足にすがりつくように頭を下げる自身。
かなりシュールではあるが、笑い事ではない。
人の身で王に欲望を抱くなど、あってはならぬ行為。
斬首で済めば生易しいものだ。
「――――よい」
「――は?」
「よい、と言ったのだ」
「し、しかし……」
「この場では、自身が女の身ではあるのは確か。確かに王は人ではないが、人であった時の私を知るお前に、その理屈は通じまい。そして欲とは人を形成する重要な要素でもある」
――許すと。
彼の王は人の身でありながら、王に欲情した自分を許すと言うのだ。
「――それに、お前には生きていて欲しいと思っている」
「……」
最高の世辞であった。
王が自分に生きていて欲しいと。
何者にも立ち向かえる勇気が湧いて来る、その言葉。
ならば、自分も――
「――貴方に剣を捧げられた事は、我が生涯において最高の喜びです」
「……そうか。私もお前のような臣下をもてたことを誇りに思おう」
花のような笑み。
王がこの場所でのみ、唯一見せられる本当の貌。
それを自分が見られたことが、たまらなく嬉しく、たまらなく恐縮したものだ。
/
そして夜の帳が辺りに落ちる。
老の提案から、俺が寝室の警護に付き、王は身を隠さずに寝ると言う体制をとっている。
……まあ、聖殿ともいえるこの場所に入ってこられる者など居ないのだけれど。
というか、自分が居る事も発覚するとかなり問題なのだが。
部屋の外側である扉の前で剣を立て掛け、待機する。
実質、就寝時間は二時間ほどであろうか。
だが、そんなのは不眠不休で戦い続けるのに比べたら少しも辛くはない。
……王を護ることが出来る。
それこそが、俺の喜びなのだから。
「がぅ……」
「?」
一体の獅子が俺に擦り寄ってくる。
名は王と、その獅子を王に預けたものしか知らぬ獅子。
いつもは王と共に在るのが、常套なのだが……。
不審に思い、ノックをして寝室への扉を開く。
「失礼致します、王よ」
「……どうした、エミヤ」
「申し訳ありません、王よ。獅子がこちら側に迷い込んでおりまして――」
「ふふ……いや、その子がお前の傍に行きたいと言ってきてな」
「――は?」
いや、驚いた。
王の笑顔にもだが、王にしかなつかぬはずのこの獅子が、俺の傍に――?
「いえ、ですが」
「よい。今日はそなたに貸し与える」
……まいった。
あの顔で「お前のことが気に入ったのだろう」なんていわれたら絶対に断ることなんて出来ない。
「で、では。ありがたく……」
「ああ。……気持ちいいぞ、ゆっくりと休むがいい」
「? は、はい。では、失礼致します」
そして最後に王の姿を焼き付けるようにして、寝室を出る。
薄い布一枚を羽織ったような格好。
体のラインは透けて見えてしまっている。
……同じ轍は踏むまいと、自身を制御する。
だが、少し顔が赤くなってしまっていたようだ。
「――エミヤ。少し、ジロジロと見すぎだ」
「!!??も、もうしわけありません!!」
「……はぁ、まあよい。行くがいい」
「は、はい」
焦りながら寝室を後にする。
王の顔も少し赤くなっていたのは気のせいか、いや、気のせいと思いたい。
そして、再び先程の体制に戻る。
剣を立て掛け、扉の前に座り込む。
そうすると、獅子がひょこっと俺の膝に飛び乗ってくる。
丁度、俺の脚から肩に掛けての背丈。
「なるほど、先程王が言われたのはこういう事か」
「きゅーん……」
すりすりと獅子が俺の体に身を摺り寄せてくる。
……まずい、クセになりそうだ。
その気持ちよさと共に、眠気が俺の身を襲ってくる。
――そしてその身は、夢の終わりを見るために、沈んでいった。
/
――夢を見た。
「王、王はいずこに!!」
「こちらだ、エミヤ」
「ベディウィエール!?」
「急げ、もう刻がない」
「あ、ああ。わかった」
――セイバーが木を背にして倒れている。
「ベ、ディウィエール……剣は、エクスカリバーは」
「――王の命に従い、ヴィヴィアン嬢にしかと返却致しました」
――もうあと一刻も持たないであろう、その姿で。
「王!!」
「――エ、ミヤ?」
「はい!!」
――俺は、彼女に駆け寄る。
「そ、うか……ベディウィエール、お前が連れてきて、くれたのか」
「……はい」
――そして役目を果たした古来の騎士はその場を去る。
「後は、お主に任せよう、エミヤ」
「……済まない」
――セイバーが眼をうっすらと開く。
「……王」
「ふふ……夢を見て、いた」
「夢、ですか……?」
「ああ……。お前と、良く似た、少年と、共に過ごす、遠き、夢を……」
「……」
「なぁ、エミヤよ……」
「はい」
「名で……呼んでは、くれぬか?」
「は? ……いえ、分かりました。…………アルトリア」
「ああ……その響きだ。……そうか、彼は、近くに居て、くれたのだな……」
――そして一筋の涙。
「アルトリア……」
「刻を越えて、彼は傍に……。…………これほど嬉しいことが有るだろうか」
「……アルトリア、私は――」
「手を、握っては、くれぬか。エミヤ……」
「――はい」
――そして騎士は、しっかりと彼女の手を握り締める、その命すらも離すまいと。
「エミヤ……」
「何だい、アルトリア」
「……礼を、言う。私は……お前と共に在れて、幸せ、だっ、た……」
「……ああ」
「……得たのだ、答えは。ならば私は、ここで、眠りについてもいいのだろうか……」
「……ああ、ゆっくりと休むといいよ」
「済まぬな、後は、まか、せる……」
「うん……」
――騎士は、人であった頃の彼女と同じ扱いをした。
それが彼女の望みだったのだろう、だから、彼女の顔は――こんなにも晴れやかだ。
全ては遠き理想郷
王が願った夢、幻想
叶わぬことを知りながら、それでも目指した
先にあったものは、答えのみ
だが、それで満足だった
後悔も、未練もない
ただ、そこにあるのは――
――想いのみ
王としての彼女は死に、
少女としての彼女は――
――きっと、彼と共に在るのだろう
いつまでも――。