朝は好きだ。
朝靄にけぶる草木とか、小鳥のさえずりとか、穏やかな日差しとか……運が良ければ起き抜けに桜の笑顔なんかも拝めたりする。
やっぱり春も盛りの今ごろなんかが一番清々しいかも知れない。
よく早起きは三文の得って言うけど、この時期はもうちょっと相場が高くてもいいんじゃないかなー、なんて思ったりもする。
……でも、今日は何故か太陽がやたらと眩しい。
ちょっと身体もだるいし、なんとなく気合いが入らない。
学校までのたかだか30分やそこらの道のりをこんなに長いと感じたのは初めてだった。
要するに疲れてるんだな、俺。
……なんか不公平だ。
いつになく上機嫌で、いかにもお肌つやつやー、って感じの遠坂が恨めしい。
「大丈夫ですか、シロウ?」
「ん? ああ、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから」
心配そうに顔を覗き込むセイバーに力なく笑って見せた。
情けないな、俺って……。
「リン! 貴女は限度というものを知らないのですか?! これではシロウを酷使しすぎです!」
「だって、わたしが全面的に悪いわけじゃないもの。どっちかって言うと、夜になると無駄に元気な士郎の方が悪いんじゃない?」
「くっ、貴女という人は……」
悔しそうに唇を噛むセイバー、ついでに俺も。
反論の余地なし……ごめんなセイバー、俺が不甲斐ないばっかりに。
「確かにリンだけを責める訳にもいきません。シロウ、貴方ももう少し節度を持って行動なさい」
「……はい、肝に銘じます」
「肝じゃなくて本能にしときなさいよ。しろーのけだものー」
嬉しそうにけだもの言うな!
……まあ、要するにそういうことだったりする。
呆れたようにため息を漏らすセイバー。
お願いだからそんな蔑んだ目で見ないでくれ……。
「……仕方ありません、シロウ、手を出してください」
「?……こうか?」
俺が無造作に右手を差し出すと、セイバーはそれを自分の両手で包むように握りしめた。
うわ、ちっちゃいけど柔らけー。
……なんか改めてこういうことされると、かなり恥ずかしい。
「往来の真ん中で何してるのよ、あんたたちはっ!」
「リンは少し黙っててください! ……シロウ、どうですか?」
「どうですかって、柔らかくて気持ちいいなー、なんて……あれ?」
俺は自分の身体の異変に気が付いて、首を傾げた。
なんと言うか、こう、全身を蝕んでいた倦怠感がセイバーの手にすーっと吸い取られていく感じ。
「どうしたのよ? 狐につままれたような顔して?」
「いや、なんか元気になったみたいだ」
「うそ……もしかしてセイバー、治癒術法とか使った?」
「いえ、これは元々シロウに備わっている力です。ただ、私の側にいるほど効果は高い。それに……その……今は直通のラインが……」
なんか顔を赤くしてあさっての方向を見ながらセイバーがそんなことを言った。
遠坂は、それほど興味もなさそうに、ふーん、なんて聞き流していたが、突然何かに気が付いたように腰を落としてセイバーを睨み付ける。
「……ちょっと、それって……」
……何だ?
そんなに深刻な顔するほどやばいことなのか?
ひょっとして、俺、やっぱり人間じゃないとか……?
「……セイバーとするときの士郎は、絶倫超人ってことっ?!」
……絶倫超人って何だよ?
思わず人の良さそうな眼鏡の青年が脳裏に浮かんでしまったぞ。
……って、誰だ、この兄ちゃん?
「そういうことになりますね」
ふふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らして髪をかき上げるセイバー。
ちなみにセイバーは最近道場以外では髪を下ろしていることが多い。
よくわからないが魔力で髪を編んでいたらしく、必要がないときは下ろしておけば僅かでも魔力の消耗を押さえられるそうだ。
それはそれで……なんか、凄く……いい。
「くっ!」
一方、今度は遠坂が唇を噛む番だった。
お前ら、変なとこで対抗意識燃やすなよな。
「大体学校行くのになんでセイバーが付いてきてるのよ?」
「……それは俺も聞きたい」
さっきからなんとなく違和感があったのはそれか。
……気付けよ、俺。
「主人の送り迎えをするのは従者の勤めです」
いけしゃあしゃあとそんなことを口にするセイバー。
どうせならご主人さまとか言ってくれれば……ダメ人間だ、俺。
海より深く反省してペリカンアンコウあたりに身の上相談しようとしたところで、遠坂に腕を引っ張られ、セイバーに背を向けてひそひそ話。
「ちょっと士郎、どうすんのよ? 前より懐いてるじゃない」
「どうするって言われても……」
「今このとき、私はシロウのためだけに存在しています。令呪などなくともシロウの命に背くことなどありえません。ただ身を粉にして尽くすのみです!」
振り向けば、なんか天に向かって拳を固めてるセイバー。
盲目的な信頼が……痛い。
いや、嬉しいことは嬉しいんだが、もうちょっと肩の力を抜いてくれ。
キラキラ輝く真摯な瞳が俺には眩しすぎるんだ……。
「ふーん、士郎の言うことなら何でも聞くんだ?」
「はい、風雨を越えて水火も辞さず、例え命を落とすとも生涯に一辺の悔いなし! シロウが死ねと言うのなら死にましょう!」
「……あのねえ、セイバー、あなたのマスターはわたしってこと忘れてない?」
「それはあくまで契約に基づいた協力関係です。不満ならばシロウにマスターになってもらうだけですが?」
「くっ!」
すげえ、あの遠坂が押されてる……。
あれ? でも今なんか聞き捨てならないことを聞いたぞ。
「ちょっと待て。遠坂、そんなことができるのか?」
「シロウと私に限って言えば、限界するだけなら可能かと……四六時中行動を共にした上、毎晩魔力の供給をし、食事を少々増やしていただければ……あの、私はそれでも構いませんが……」
答えたのはセイバーだった。
……いや、それは俺的にダメ……主に最後の条件が。
「ちょっと士郎、セイバーはわたしのなんだから、あんまり餌付けしちゃダメじゃない」
「何でこっちに振るんだよ!」
「む、餌付けとは失敬な! 私は誓いを新たにしただけです! 剣折れるまでシロウに寄り添い、この身を捧げると……」
「そんな天地がひっくり返っても折れないような剣に誓ってんじゃないわよ!」
……胸を張って言おう。
俺がこれから歩く道は間違いなんかじゃない。
……ただ、本来二つに分かれていた道を無理矢理くっつけたせいで、ちょっと外れてしまったかも知れない。
要するに……外道?
一箭必中/第五矢
「ふむ、今日は出てきたようだな。昨日はどうした? 風邪でもひいたか?」
教室に着くなり一成がそんなことを言いながら寄ってきた。
こいつは部活もしていないのに朝が早い。
まあ、家が寺なのだから当たり前、次の選挙までは生徒会長だしな。
昨日はさぼりを決め込んだ俺だが、藤ねえには遠坂の具合が悪かったので世話を焼いておくとごまかしておいた。
……別に嘘はついてないぞ。
遠坂をあのまま放っておいたら非常に具合が悪いのは確かだったし、世話を焼いたのも間違いない。
……なんか俺、日に日に姑息になってきてないか?
正義の味方への道は遠くなる一方のような……
「春先の風邪は長引くことが多い。無理して登校せずに、自愛して養生した方が良いのではないか?」
若干独断専行のきらいがある一成は、そう勝手に決めつけていた。
こういうところは結構遠坂と似たもの同士の感がある。
一成の心遣いは素直に嬉しく思ったが、身体はぴんしゃんしてるので曖昧に頷くにとどめた。
「しかし、お前も不運な奴だ。昨日はせっかく遠坂が休みで浄土と見紛うばかりだったのだが……」
「おはよう、柳堂くん。何なら本当に浄土に旅立ってみる? 誰も止めないわよ」
「ぬおっ! 遠坂ではないかっ?! ええい、しばらく休んでおれば良いものを!」
相変わらず仲悪いよな、こいつら。
と言っても、明らかに毛嫌いしている一成に対し、遠坂は面白がってからかっているようにしか見えないが。
しかし、遠坂は、朝のセイバーとのやり取りで気力を使い果たしたのか、それ以上ちょっかいは出さずに自分の席へと向かう。
ちなみに遠坂の席は教室のど真ん中、華があって非常によろしい。
対する俺は窓際の一番前。
俺以外は基本的にくじ引きで決めたが、俺は虎の手綱として一番前の席を強要された。
いくら一休和尚を前に立てたところで、虎が屏風から出てきたら何もできずに丸かじりなんだが……。
まあ、別に席なんてどこでも良かったので、一番見晴らしのいい窓際ってわけ。
遠坂が席に着くのを確認した一成が安心したように向き直る。
そんなに警戒しなくても遠坂は噛みつかないぞ、少なくとも学校では……。
「ところで、聞いたぞ、衛宮」
「なんだ、藪から棒に」
「うむ。小耳に挟んだのだが、なにやらリンゴを売りに来た車寅次郎と藤村教諭が剣を交えていたところ、衛宮が間桐桜の頭に乗せた扇の要を弓で撃ち抜いて仲裁したそうではないか。いや、その場におらなんだことが悔やまれるぞ」
アタマイタイ……
そんな妙な噂が飛び交ってるのか?
「……せめてどれか一つに絞ってくれ」
「む、情報を元に私なりに整理してみたつもりだが……まあ、あまり謙遜するな。古来より武士は弓矢取りとも言ってな、弓に優れたものは刀槍の類よりも重用されたものだ。那須与一しかり八幡太郎義家しかり、弓にまつわる豪傑も数多い」
そう言って呵々と笑う一成。
まったく、人ごとだと思って……。
「昨日も武名轟く衛宮を一目見ようと見物人が集まっておったぞ。それ、今も廊下に女生徒がたむろしているではないか。今与一ともてはやされる気分はどうだ?」
「ああ、ダメダメ。衛宮はそういうことに全然免疫ないんだから。よっ、この甲斐性なし!」
どこから聞いていたのか美綴が話に割り込んできた。
甲斐性なしとは聞き捨てならんが、外道よりは遙かにましだ……。
「ふむ、私に言わせれば、衛宮は今まで正当な評価を受けていなかっただけなのだがな。これも日頃の善行のなせる業。情けは人のためならずとは良く言ったものだ。善哉、善哉」
そう言って合掌の一成。
廊下では、数人の女生徒が教室を覗き込んできゃあきゃあ言っていた。
見た顔はないのでおそらく一年生だろう。
……こらこら人を指差すのは止めなさい。
「そうだ、衛宮に渡すものがある。ちょっと待ってろ」
そう言って自分の席に戻った美綴が鞄の中に手を突っ込む。
それを何となく眺めていたらその向こうの遠坂と目が合った。
……なんかそこはかとなく不機嫌でいらっしゃいます……。
「お、あったあった」
美綴が鞄から取り出した物は、俺の方からは見えなかったが、それを見てた遠坂が何と言うか……固まった?
一体何だ?
それは遠坂に拘束の呪縛かけるほど凄いもんなのか?
「ほれ」
そう言って美綴が俺の机に放り出したのは、一枚の写真。
「ほう、なかなかに凛々しいではないか、屋島の与一もかくやと言ったところか?」
「───っ!」
……黙れ一成!
それは、例の一件のときの、弓を構えた俺の写真だった。
最高に気を高めた一瞬、限界まで弓を引き絞り、これでもかって程に真剣な横顔が……こっぱずかしー!
うわーっ! これ絶対人に見られたくない顔だー!
「美綴、何だよこれっ?! いつの間に撮りやがった?! 火はどこだっ?! 燃やせっ、燃やすんだっ!」
「新入部員が携帯で撮ってたらしい。こりゃいいやプリントしようってことになってな……ちなみに道場には引き延ばしたやつを額に入れて飾ることになった。私は反対したんだけどね、藤村も桜も大乗り気でさー。少なくとも向こう10年、うちの部ではお前の偉業が語り継がれるだろうよ。喜べ、衛宮、お前は生きながらにして伝説になった」
そう言って美綴はそっと俺の肩に手を置いた。
そんな哀れみの目を向けないでくれ……涙を堪えるのが辛くなる。
「それと、射場には立たなくていいから、たまには道場に顔出せ」
「なんでさ?」
「いや、一年の女子が、衛宮がいないなら辞めるとか言いだしてな、それに素人の部員がいきなり増えたから教える側が圧倒的に足りない。桜も目を回してるから、今のうちに少しくらい恩返ししとけ」
この分じゃ当の美綴も大変なんだろう。
確かに桜から買った恩を数えればきりがない。
ここは責任持ってなんとかするしかないか。
桜が困ってるなら助けないわけにはいかないし……。
そうこうしているうちに予鈴が鳴り、みんなガタガタと席に戻る。
それに紛れるようにして後頭部に何か飛んできた。
そりゃもうガツーンと、一瞬星が見えたさ。
なんだなんだと周りを見回しても、丸めた紙切れが転がっているだけだ。
む、こんなことするのは遠坂に違いない。
魔術で硬質化するなり、単純に魔力を込めるなりしたんだろう。
こういうのを魔力の無駄遣いって言うんじゃなかったか、遠坂?
開いてみたら『その写真ちょうだい』って書いてあった。
うー、嫌だなぁ……こっそり燃やしたりしたら……燃やされるかな、俺?
そんなことを考えながら、ある意味恥ずかしい写真をぼんやりと眺めた。
……このとき俺は何を見ていた?
ただ真っ直ぐに貫いて、その先に何が見えた?
切嗣の背中だろうか? それともあの赤い騎士の背中だろうか?
いや、俺はその二人を追い越して、まだまだ先に進まなきゃいけない。
そこから先は五里霧中、鬼が出るか蛇が出るか。
それでも、遠坂が背中を押してくれるなら、セイバーが手を引いてくれるなら、きっと迷いはしない。
三人一緒なら、あの剣の丘さえも駆け抜けて、更にその先を目指せるさ。
……道は外れてるけどな……。
※あとがき※
いい加減タイトルをアイキャッチに使うのやめたいんですがねー。
使い勝手が良すぎてどうも……今回なんて前置きの方が長いし。
取り敢えず第四矢まででやりたいことはやったので、ここからは第二部ってところでしょうか?
なんかヤマなしですが、まあ導入部ということで。