異邦人幻想曲−ストレンジャーファンタジー−
1 quieto 〜静かに〜
日が沈む。
地球の反対側の倫敦でも、その夕日だけは日本のものと変わらない。
季節は初冬。吐く息は白く、吹く風は身を切るようだ。
「――全く。西岸海洋性気候が聞いて呆れるわ」
学院から寄宿舎までの短い道のりを、彼女は早足で歩いていた。
その足が忙しく前に出るたびに、それに連動して長い黒髪が跳ねる。
赤いコートを翻して歩くその姿から推測するに、控えめに見ても不機嫌であるのは間違いなさそうだ。
彼女の名前は遠坂凛。
一年前、ロンドン時計塔に入学するために日本から渡英してきた魔術師だ。
魔術師としての実力は確かで、入学して一年で既に時計塔の鉱石学科では凛に並ぶ腕を持つ者は一人を除いていないと言われている。
ついでに言うと、凛が現在不機嫌である原因はその例外である一人にある。
「あんの金髪夜叉、なにがこの程度の成果を出せないようでは恥ずかしいですわよミストオサカああ良く考えたらそもそも使用している機材の程度が違うのですから結果がその程度なのもまあ分相応と言うものかもしれませんわね、だ! こうなったら次の授業でどんな手段を使ってでも……!」
などと、内心の苛立ちを表面上は隠しながらも小声で何かつぶやきつつ早足で歩くその姿は、すれ違う生徒全員が本能的な理由から振り向くという行動を自制したほどである。
自らの思考の海に陥りながらも……例えそれがあまり誉められた内容ではなかったとしても……凛の足は間違うことなく寄宿舎の自分にあてがわれた部屋に向かって進んでいく。
凛はこういった些細な部分では決してミスをしない人間だ。尤もそれは一番肝心な所で大ポカをやらかすという遺伝的呪いとも言える性質の裏返しでもあるのだが。
「そうね、やっぱり実験の時に恥じかかせてやるのが一番……」
物騒な考えがまとまりそうだった、その時。
ぞく。
背筋に走る小さな悪寒。
「……!?」
凛はとっさに身構えた。
頭でどうこう把握するより早く体が良くないモノだと反応したのだ。
「何、今の……魔力?」
意識を集中して探ろうとするが、魔力らしきモノは一瞬後に完全に立ち消えていた。
「……消えた? ううん、隠したのか、隠れたのか……」
いずれにせよ、こうも完全に消されたのでは普通の魔術師では気付くことは出来ないだろう。
いや、もし仮に他の魔術師が気付いたとしても何も変わらなかったかもしれない。
魔術師は自分の研究以外には無関心。
それが唯一であり、絶対のルールなのだから。
「そうね、魔術師ならそれが当然よ。……当然、なんだけど」
はっきりとわかる。
あれは、きっと良くないモノだ。
それがはっきりとわかる以上、脳裏に浮かぶのは、こういう時に限って自分のことなど省みない不肖の弟子の姿。
「はあ、このことを教えたら、あの自称正義の味方志望はきっと張り切っちゃうんだろうな」
確信じみた予想に思わずため息が出る。
ならば、このことを教えずに黙っているか。
そうすれば、少なくとも何らかの実害が出るまでは隠し通すことが出来るだろう。
「……バカ。そうなったらまるでわたしが見過ごしたみたいじゃないの」
結局、選択肢などあってないようなもの。
「……はあ。最近、あいつの性格がうつったんじゃないかしら」
再びため息を一つつくと、その直後に再び早足で歩き出していた。
但し、今度は頭の中には同じ学科の魔術師のことなど浮かんでこなかった。
浮かぶものといえば一つだけ。
一刻も早くあいつのところに戻らねば。
あいつが正義の味方を張る時は、常にその傍に居て導くのがあの時の、そして今も変わらない、自分の誓いなのだから――!
* * *
「……俺達の気配を察したか。勘がいい……殺すか?」
「優れた魔術師のようだ。しかし、姿を見られていない以上、消す必要もあるまい」
「見られたところで、なにを恐れる。仮にもゲギダガなのだろう、お前は」
「……ククッ、違いない。しかし、お前達グロンギは本当に好戦的な種族なのだな」
2 agiato 〜のんびりとした〜
一方その頃。
「そろそろ遠坂が帰ってくる頃だな。セイバー、食器を並べといてくれ」
「わかりました。……シロウ、お皿はこのくらいの大きさでいいでしょうか」
「ん? ああ、それで丁度いいよ」
寄宿舎の凛の部屋の中では、青年と少女が凛の帰りを待っていた。
キッチンで夕食の準備をすすめている青年は凛の弟子兼付き人、衛宮士郎。
食卓に食器を並べている少女は元サーヴァントにして現在凛の使い魔、セイバー。
二人とも、凛と共にロンドンへやってきてこの部屋に住むようになった同居人である。
「そういえば、そろそろ遠坂がへこまされる時期か。何も無ければいいんだが」
「シロウ、そんな縁起の悪いことを口にしないでください。現実になったらどうするのです」
冗談のように話してはいるが、二人の心配はいたって本気だ。
特にセイバーは、凛が逆上して教室の備品を破壊したため弁償費を支払った際、やむを得ず食費を切り詰めた結果、朝食にパンの耳を食べることになったのが未だに許せないらしい。
「ああ、前に金欠になった時はセイバー、半泣きになりながらパンの耳を食べてたもんなー」
「……シロウ、そんなことを嬉しそうに言わないように。わたしは二度とあんな食事はしたくありません」
「ただいまっ!」
と、そこで玄関のドアが勢いよく開かれる音と共に響く声。
どうやら話題の人物である凛が帰ってきたようだ。
「お、噂をすれば帰ってきた」
「ええ……ですが、なにか様子が」
「士郎!!」
おかしい、とセイバーが口にする前に、廊下を走ってきたらしい凛が勢いよくに入ってきた。
「おかえり遠坂。まあ落ち着け」
「またルヴィアゼリッタとなにかあったのですか、リン」
士郎とセイバーは、帰ってきた凛の姿を見ていつもの諍いかと勘違いする。
ちなみにルヴィアゼリッタとは帰り道で凛が口にしていた鉱石学科の魔術師の名前である。
「……よかった。まだ居たか」
「「???」」
一方凛は、士郎が先ほどの魔力に反応していなかったことに安堵していた。
しかし、突然帰ってきて良くわからないことを口にする凛に対して他の二人は困惑の表情だ。
「遠坂。まだ居たかって、なにがさ」
「さっきの魔力よ。その様子だとまだ気付いてなかったみたいね」
「さっきの魔力? 遠坂、何かあったのか?」
「………………」
あ、まずい。
士郎は自分がうかつな発言をしたらしいことを直感的に悟った。
「何かあったのじゃないわよ! 魔術師ならあれぐらい察知できないのこのへっぽこ! 今日はそれが幸いしたけどこれじゃあ急いで帰ってきたわたしがバカみたいじゃないの!」
しかし時既に遅し、があー、と士郎を罵倒する凛様。
「いや、まあ、その、ごめん」
士郎は慌てて凛の気をそらすための言葉を考える。
「と、とにかく。もうすぐ晩飯が出来るからさ。詳しい話は食べてからにしないか? ほら、冷めると美味いものも不味くなるし」
「それはいけませんね。リン、とにかく食事にしましょう。話はその後です」
こうなるとセイバーは士郎の味方だ。
日本の衛宮邸に居た頃から、セイバーにとって食事は日々のかけがえの無い楽しみなのだ。
……餌付けした、とも言う。
「む、あからさまに話をそらそうとしてるわね……まあいいけど。話は食事の後にするわね、士郎。い・ろ・い・ろ・と」
「了解、180秒くれ」
これはいざという時のために作っておいた取って置きデザートの出番かもしれないな、と考えながら、士郎は料理を取りにキッチンに引き返した。
3 drammatico 〜劇的に〜
「お待ちどうさま。今日は和食で揃えてみました」
きっかり176秒後、食卓には純和風の夕食一式が並べられていた。
純白のご飯に油揚げの味噌汁、タラの煮魚、ほうれん草のくるみ和え、きんぴらごぼうと、冬の食材をフルに使用した夕食だ。
「うわー、よくロンドンでこれだけのものを用意できたわね」
「うむ、日本食料品店の存在に感謝しないとな」
「………………」
一人無言のセイバーは、早くも箸を構えて目の前の料理を凝視している。
「こうして見ると、なんか日本に居た頃を思い出すわね。あの頃は士郎、和食以外は不得手だったから」
「別に不得手だったわけじゃないぞ。ただ、桜や遠坂のほうが上手だっただけで」
士郎は反論しつつも、上機嫌の凛を見て、どうやら食事後に延々と小言を言われるのは免れそうだ、と内心ほっとする。
「シロウ、リン。早くいただかないとせっかくの料理が冷めてしまいます」
なかなか開始の合図が無いことに業を煮やしたのか、セイバーが不満げな表情でせかしてくる。
「ああ、そうだった。それじゃあ……」
「「「いただきま」」」
三人が声をそろえて食事の挨拶をしようとした瞬間、
ヒュイイィィ……ィィ……ィン……
「「「!?」」」
どがしゃああああっ!!
突如、空中に現れた「何者か」が、そのまま食卓に落下した。
「な……なんだぁ?」
「……空間転移? 嘘でしょう?」
「…………」
よく見れば、落下した「何者か」はどうやら女性のようだった。
中世の絵画に出てくるようなドレスを着ているが、不思議と違和感は感じられない着こなしだ。
ただ、ドレスの各部に取り付けられた魔力補助器がこの上なく目立っている。
三人が呆然としていると、食卓の上の女性は現れた時と同じくらいの唐突さで起き上がり、
「も、申し訳ありません! 遅刻したことは謝ります! なにしろテレポートジェムの使い方にまだ慣れていなくて……」
「へ?」
いきなり頭を下げて弁明を始めたのだった。
「でも無事到着できてよかった、今のが最後の一つでしたから、これでまたおかしな所に飛んでいったら……あら?」
弁明をしていた女性は、ふと何かに気が付いたらしく、頭を上げて周囲を見回す。
「……あの、申し訳ありません、ここはエレニアックさんのお宅では……ありませんよね?」
「…………」
「…………」
「…………」
こくん。
三人は一瞬の間の後、いっせいに首肯する。
「……はあ。なんてことでしょう……あ、そうでした。それでここはどこなのでしょうか? それと、あなた方は一体?」
「いや、質問したいのはこっちも同じなんだけど」
三人の中で、見知らぬ女性が唐突に出現することに最も耐性がある士郎がいち早く立ち直って質問する。
「……あんた、誰?」
「え? 私ですか?」
「……転移で登場なんて派手な演出ね。言動から察するにどうも事故ったっぽいけど。それにしても……」
次いで立ち直った凛が、視線を食卓に下ろしながら呆れたように言う。
「よりによってセイバーのご飯の上に着地するなんて、お互いに不運だったみたいね」
「え?」
「…………あ」
首をかしげる女性と、食卓のありさまを見て気がつく士郎。
それはまさに惨劇だった。
ひと一人が食卓に衝突した衝撃は、その上に存在した料理に甚大な被害をもたらしていた。
特に、女性の真下に位置していたセイバーの分の食事はほぼ全滅状態になっており、事故の悲惨さを物語っている。
「……………………………………」
先ほどから一言も発しないでうつむいていたセイバー。
よく見てみると肩が細かく震えている。
…………よほどショックだったらしい。
「いや、まあ、そんなに気を落とすなよセイバー。飯ならほら、まだいくらか残ってるからさ」
「……シロウ」
「うっ」
潤んだ目で見つめてくるセイバーに一瞬ドキッとなる士郎。
だが、
「………………」
横から凛が凄い目で睨んでいるので自制することにした。
「……じゃ、もう一回準備してくるんで。取調べは二人に任せたから」
そう言って士郎は、再びキッチンに撤退することになったのだった。
4 bizzarro 〜奇妙に〜
士郎がキッチンに引っ込んだ後、ダイニングは簡易取調室と化した。
取調官は遠坂凛。
被疑者は謎の女性。
セイバーは書記兼取調官補佐だ。
「で、あんたは一体何者なわけ? 答えによってはこのまま時計塔の協会本部に放り込むから」
頬杖をつきながら尋問する遠坂取調官は鬼のように容赦なかった。
「私、ですか? 私はただの魔女っ子見習いですけど」
がくっ。
さらっと答える女性に対して、思わず顔が頬杖からずり落ちる凛。
「ま、魔女っ子ってあんた、その年で言うの、それを?」
「? ……何かおかしかったでしょうか」
「何がおかしいって……どうやら本気で言ってるみたいね、魔女っ子って」
「はい、魔女っ子見習いですが」
「……はあああ」
本気で不思議に思っているらしい女性に対し、頬杖を直す代わりに頭を抱える凛。
「あの、私からも質問してよろしいでしょうか? ここは一体どこなのでしょう?」
「ここはロンドンの時計塔よ。魔術をかじってるなら当然知ってるでしょう?」
「ろんどん……? シルヴァラントの地名ですか? それともギルドグラード?」
「……聞いたこと無いわね。こっちからも聞くけど、アメリカとかフランスっていう地名に心当たりは?」
「いいえ、全く無いです」
「……セイバー、これ、どう思う?」
凛は紅茶を飲んでいたセイバーを呼んで意見を求めた。
セイバーは一旦紅茶を置き、視線を女性のほうに向ける。
「そうですね、彼女の服装は明らかにこの時代のものではないようです。しかし……」
そこでいったん言葉を区切り、女性の服装……特に魔力補助器をじっと見つめる。
しばらく考え込んだ後、
「私はいくつかの時代に呼び出されたことがありますが、彼女のようなスタイルの魔術師はどの時代でも見たことがありません」
と、告げた。
「てことは、本気で世界移動してきたってわけ? それこそ魔法の域じゃないの」
場が止まる。
凛は口元に手を当てて考え込んでいるし、女性は女性でうつむいて何か思索している。
セイバーは相変わらず紅茶を飲んでいる。
そのまま時が流れる。
「お待たせ」
ようやく、士郎が食事をトレーに載せて運んできた。
しかも今度はしっかり四人分あったりする。
こういうところは気が利く男だ。
「で、どうなんだ、結局この人どっからやってきたんだ」
「それが……彼女の話を鵜呑みにすると、どうもこことは違う世界からやってきたみたいなのよ」
「は? それってつまり、異世界ってことか?」
「ええ、しかも時間軸もずれてるみたい。世界移動と時間移動を同時に行うなんて、どんな神秘があったら可能なんだか」
眉間にしわを寄せて頭を抱える凛。
一人前の魔術師であるからこそ、この現象の異常さが理解できないのだろう。
対して半人前である士郎は、驚きこそしたが凛ほど深刻には受け取らなかったようで、
「そっか、で、名前は?」
と、なんともあっさりと聞いてきた。
「え?」
「だから名前。なんていうんだ、あの女の人」
凛は一瞬ぽかん、とした後、一言。
「……そーいえば聞き忘れてたわ」
「……はあ。あのな、遠坂」
「わ、わかってるわよ、だから言わないでお願いだから」
深いため息をつく士郎。
凛は気まずそうに士郎から視線をそらしつつ、再び女性に向き直る。
「それで、あんたの名前は? わたしは遠坂凛、彼女がセイバーで、それが衛宮士郎」
「俺はそれか、おい」
「あ、申し遅れました、私は……」
女性が名前を口にしようとした、その瞬間。
「……見つけたぞ」
突如として響いた声に、ダイニングの空気は凍りついた。
5 deciso 〜決然と〜
「窓だ、セイバー!」
直感的に声の発生源を割り出した士郎が指示を出す。
「はい!」
即座にセイバーが凛と女性を窓から遠ざけるのと、
ガシャアァンッ!!
窓ガラスが外側から砕かれるのはほぼ同時だった。
「何者!」
セイバーの誰何の声に、
「ク、いい反応だ。ただの魔術師の使い魔ならこうはいくまいよ」
喜色を含んだ声で答えながら現れたのは、人型の漆黒。
顔を覆う兜、大きく膨らんだ肩当て、宝石をあしらった手甲、服と一体化した具足、その全てが黒。
全てが黒の中で、目深に下ろした面当てと、たなびく巨大なスカーフだけが血の色を思わせる赤。
その黒騎士は、自ら破壊した窓を踏み越えて室内に入り込んできた。
「!? この感じは……」
黒騎士が部屋に踏み込んできた瞬間、凛は帰り道で察知したものと同じ魔力であることについた。
「……そう、あんたがさっきの魔力の正体ってわけ」
「なに?」
その言葉に、黒騎士は凛の方へ顔を向ける。
「……ほう、お前は先ほどの魔術師だったか。成程、優れた魔術師に優れた使い魔が従うのは道理だ」
「ふん。で、何の用なの? そのなりで強盗ってわけでもないんでしょ?」
感心したように頷いている黒騎士に凛は不快げに鼻を鳴らしつつ軽口を叩く。
「いや、残念ながら金目当てではない……アルテイシア。用があるのはお前だけだ」
黒騎士は凛の言葉に首を振り、士郎たちにとって聞き覚えのない名前を口にする。
「私、ですか?」
ただ一人、女性だけは警戒しながら反応していた。
「そうだ。お前を連れてくるようにと言われているのでな。大人しくついて来い」
「……どうもその人のことを言ってるようだけど。はいどうぞ、って引き渡すと思ってるのか?」
そう言って一歩踏み出したのは士郎だ。
士郎は油断無く黒騎士を見据えながら女性……アルテイシアを後ろに庇う。
「む? ……他人であるお前達にこの女をかばう理由があるのか?」
「それを言うなら引き渡す理由も無いだろう」
「引き渡す理由ならある。なにしろ連れてくるように言ったのはアルテイシアの兄なのだからな」
黒騎士がそう言った途端、アルテイシアの表情が一変した。
「兄様が!? 兄様がここに居るのですか!?」
「兄様?」
訝しがる士郎をよそに、必死の表情で黒騎士に問い掛けるアルテイシア。
「信じるのなら付いて来い。疑うならそれでも構わんが、但し」
黒騎士は何をしたわけでもない。
しかし、その言葉と同時に部屋の中は息苦しいほどの明確な意思に包まれた。
すなわち、
「抵抗する場合は腕の一本程度は覚悟することだ。アーヴィングからも五体満足で、とまでは言われていないからな」
濃密なまでの、闘気。
「他の者も、このまま見過ごし口を噤むというのならそれで良し、もしも邪魔をするというのなら殺すまでだ……どうする、アルテイシアよ」
黒騎士はこの部屋の人間全てに警告をした後、アルテイシアにそう問うた。
「……ならば、殺される覚悟も出来ているのだな、黒騎士」
しかし、返ってきたのはアルテイシアの言葉ではなかった。
ヒュン!
まるでその言葉自体が刃となったかのような、電光石火の鋭い一撃。
「!」
ギャァン!
黒騎士は、右下から迫るその軌跡を手甲で弾いた。
見下ろす先には、「見えない何か」を振り上げた状態で黒騎士を睨みつける蒼い騎士の姿。
「リン、シロウ、構いませんね」
「ええ。窓の修理代も払わないで行こうとする奴に遠慮する必要なんかないでしょ。士郎も文句ないでしょ?」
「ああ。理由はともかく、嫌がる場合は傷つけるなんて物騒なヤツ、見逃せるわけないだろ」
「………………」
凛の彼女らしい肯定と、士郎の彼らしい肯定。
一人黙っているアルテイシアに、凛が問う。
「アルテイシア、あなたは? 事情は知らないけど、多分罠よ」
「……本当に兄様が呼んでいるのなら、行かなくてはならないでしょうけど……」
凛の問いに、アルテイシアは苦しげに俯いて答えた。
「そうは思えないってわけ?」
「…………はい」
「そう。……そういうわけよ。あなたの力を見せて、セイバー」
「了解しました。ご期待に答えて見せましょう」
凛の言葉に、セイバーは誇らしそうに頷いた
その腕が振るった「見えない何か」は、絶えず渦巻く風だった。
否、風の中心にあるのは――
「不可視の刃、か。味な物を使う」
「風王結界(インビジブル・エア)」という名のそれは、すぐさま軌道を変えて再び黒騎士に打ちかかる。
「フッ!」
腕を交差させてその一撃を防ぐ。
ギィン!
風と腕の接触点から火花が飛び散った。
その威力に逆らえずに、そのまま窓の外へ押し戻される黒騎士。
「ただの使い魔では無いとは思っていたが……」
戦いに燃える瞳の先に映るもの。
それは、逆巻く風を携え、瞳を閉じまっすぐに立つ騎士王の姿。
「今の一撃を以って警告としよう、黒騎士。大人しくするというならそれで良し。だが……」
騎士王――セイバーは、その瞳を開くと決然と「異形」を見据えて言い放った。
「まだ害意を持つというのなら、私は誓いに拠って剣となり、お前を討つ」
6 acceso 〜燃えるように〜
「セイバー、と言ったな。……奇縁というべきか」
言いつつ、交差させていた腕をゆっくりと解くその姿に動揺は見られなかった。
「その実力、そしてその名……貴様、聖杯のサーヴァントだな」
「「「!?」」」
士郎、凛、そしてセイバーが一斉に目を見張る。
「聖杯戦争を、知っていると言うのか」
「知らぬものか。なにせ、元よりこの身はそのために作られたのだからな」
「風王結界(インビジブル・エア)」を構えなおすセイバーに、こともなげに言い放つ黒騎士。
聖杯戦争のために作られた。
それは、つまり。
「……今一度問おう。黒騎士、お前は何者か」
「何者か、か」
可笑しくてたまらない、といった感じで笑いを含んだ返事をする黒騎士。
「この身は何者でもありはしない。災厄と聖剣、そして人間の心が混ざりあい生まれた本来有り得ざる概念。それが聖杯の力で仮初の身体と意思を得たものに過ぎん。しかし、あえて名乗るというならば」
腕を振るう。
そこに生まれるのは一条の光のごとき青白い刃。
「セイバーのサーヴァント、ナイトブレイザー。それが今のこの身の名だ」
そう言って、剣騎士はその切っ先をまっすぐにセイバーに向けた。
「む!」
「ハッ!」
刹那。
ザッ!
疾駆。
ギィンッ!
衝突。
二人の「セイバー」は、互いに自分の剣で相手を打倒するために白刃をぶつけ合った。
「っ!」
「フ!」
ガッ! キン! ガキン! ヒュガッ! ギンッ! ギギギンッ!
その舞踏は止まることを知らず、幾合、幾十合と続いていく。
「セイバーの……サーヴァントだって?!」
セイバー同士の戦闘という、有り得ない光景を見ながら呆然と呟く士郎。
彼とて、理解していないわけではない。
まがりなりにも前回の当事者、何が起ころうとしているかはわかっているのだ。
新たにセイバーが出現する理由、それはつまり。
「……そう。冬木の聖杯戦争が近いってことよ」
聖杯戦争。
日本の冬木という地で行われるそれは、聖杯という奇跡を得るために行われる殺戮儀式だ。
七人の魔術師がそれぞれ七つのクラスに分けられたサーヴァントを従えて殺し合う。
最後まで勝ち残った一組の前に聖杯は現れて、その願いを叶えるという。
そして、呼び出されるサーヴァントのクラスの一つこそが剣の騎士、セイバーなのだ。
「でも、聖杯戦争は二年前にあったばかりだろ! なんでこんなに早く次が始まるんだよ!」
「別に驚くことじゃないわ。前々回と前回、二回とも最後は聖杯が破壊されて終わったんですもの。今回、さらに周期が短くなっても不思議じゃなかった」
そう。
確かに前々回と前回の聖杯戦争の間隔は十年と、それまでの聖杯戦争の周期よりもはるかに短かった。
それは聖杯が発動する前に破壊されたことによって、聖杯に集められた魔力が消費されることなく街に残留したためだ。
それまで土地の大源(マナ)が回復するまでに必要だった数十年が不要となり、結果、聖杯戦争の周期が早まった。
「けど正直、こんなに早く来るなんて思ってなかった。もう一、二年は先だと予想してたけど、読み違えたみたいね」
冷静に判断しているように見える凛も、緊張を隠し切れないのか、頬を汗が伝う。
「そ、それにしたって、なんでサーヴァントがロンドンなんかに来てるんだ。聖杯戦争が行われるのは日本だろ」
「さあね。わざわざセイバーのサーヴァントが身柄を確保するためにやってくるなんて……アルテイシアだっけ、あんた本当に何者よ?」
そう言って凛は傍らに立つアルテイシアに話を振るが、アルテイシアは反応を示さなかった。
「……ナイト……ブレイザー? 災厄の騎士?」
先程相手が名乗ったナイトブレイザーと言う名前が引っ掛かるのか、懸命に記憶の糸を手繰っているようだ。
やがて思い至ったのか、弾かれたように頭を上げると怯えたようにその名を口にした。
「……まさか! 焔の、災厄!?」
7 eroico 〜英雄的に〜
「アルテイシア、さん?」
「焔の災厄、って、なにそれ?」
一人震えだしたアルテイシアに、士郎と凛は何事かと目を向ける。
それに対してアルテイシアは、恐怖を顔に貼り付けたまま二人に向けて叫んだ。
「焔の災厄を知らないのですか!? かつてファルガイアを焼き尽くし、人類を滅亡の危機に追いやった存在です!」
かつて、一つの星を焔の朱に染めた災厄があった。
地より伸びた炎は天を焦がし。
星の未来すら焼き尽くさんと渦を巻く。
焔の災厄。
人々の負の感情を糧とし、全てを滅ぼす紅き魔神。
だというのに、それを聞いた凛の反応は、
「…………ふうん。とすると反英雄か。別世界の反英雄を召喚するだなんて、今回の聖杯戦争も怪しくなってきたわね」
「なっ……」
アルテイシアが絶句するほど、落ち着いたものだった。
「なぜそんなに落ち着いているんですか!? アレと出会ったらもう滅ぶしかないと謳われた災厄なのですよ!?」
「あのねえ、もしその話が本当なら、今から慌てた所でどうにかなるものでもないでしょうが」
半ば恐慌に陥っているアルテイシアに対して、腕組みをして反論する凛。
「それはそうですが……!」
「それに」
アルテイシアの言葉を遮って、凛は自分の言葉を続けた。
「相手があなたの世界で最高の反英雄なら、わたしの使い魔だって世界最高の英雄よ」
その言葉を裏付けるように、
ガキィィン! ギン! ギン! ギキン! ドガァッ!
途切れることなく続く剣戟の輪唱。
これだけ長い間打ち合いつづけても、セイバーの剣はナイトブレイザーのそれに全く引けを取らない。
「クァッ!」
ナイトブレイザーが仕掛ける。
人間ではありえない、鋭角的な軌道を描いてセイバーに肉薄する。
「せいっ!」
「ヌゥッ!」
ビュゴゥ! ガッ! ……パキィン!
それを迎え撃つセイバーの大上段からの一撃が、ナイトブレイザーの青白い刃を半ばから砕き斬る。
「シィッ!」
ギュウゥンッ!
次の瞬間、今度は逆の腕から同様に刃を生み出して逆袈裟に斬りつけるナイトブレイザー。
「ふっ!」
だがセイバーは半身ずらしてその攻撃を無効化する。
そこから流れるように繰り出される横薙ぎの一閃。
「ハ!」
刃ごと敵を両断し得るそれをバックステップでかわす。
開いた間合いを詰めることをせず、セイバーは再び迎え撃つ姿勢をとる。
先程から幾度も繰り返されているその一連の流れは、十数回目になった今でもその順序に狂いは無かった。
何より驚くべきことは、セイバーがいまだ最初の立ち位置からほとんど動いていないことだろう。
セイバーが立っているのは丁度壊された窓を挟んだ室内と室外の境界線上。
ナイトブレイザーが室内に侵入しようとすると、必然的にセイバーの間合いをやり過ごさなければならなくなる。
その、距離にして数メートルの間合いが、絶望的に遠い。
他の壁を破壊して侵入するという方法もある。
が、それを実行しようとすれば、次の瞬間肉薄した不可視の刃にその体を断たれているだろう。
ゆえに、ナイトブレイザーは今まで一度もセイバーという障害を突破することが出来ず、その後ろに立っているアルテイシアに手を伸ばせないでいる。
「加えて、ここはイングランド。いわば彼女のホームグラウンドよ? その信仰は日本とは比べ物にならないわ」
セイバーたち英霊は、人々の理想を元にして具現化する精霊である。
信仰する人間が多いほど、英霊は強い力を持つ。
ならば、イングランドの英雄がイングランドの地で敗北するはずが無い。
そんな英雄の戦いを目の当たりにしたアルテイシアは、呆然と呟いた。
「……信じ、られません。彼女は、剣の聖女なのですか?」
「そうね。あなたの言うそれが何を意味するのかは知らないけど、たぶんそれ、正解よ」
ガキャアッ! ……ザザザザザッ!!
一際強い衝突の後。
黒の騎士は後方に大きく押し戻され、蒼の騎士は油断無くそれを見据える。
「……どうやら自惚れていたらしい。とうの昔に片付ける算段だったのだが」
ナイトブレイザーの声は、その言葉とは裏腹に微塵も苛立ちを覚えてはいなかった。
「ならばどうする。今からでも武器を下ろすか」
「いや、それも性に合わぬ。もう一枚手札を切ることにしよう……出番だ、ゴ・グーバ・ダ」
ドゴォッ!
「「「「!?」」」」
ナイトブレイザーの言葉に、窓の反対側……士郎たちの真後ろの壁が砕かれ、そこから新たな人影が現れた。
8 gemendo 〜苦しげに〜
「フン、この程度の仕事、貴様一人で、充分だと、思っていたが……」
要所要所で区切るような発声をする、たどたどしい言葉。
粉塵の中現れたのは、人の姿を模した熊のような生物だった。
基本的な体格こそ人間に酷似しているが、異様に発達した爪や牙は、明らかに人間外の凶暴性を思わせる。
かといって野生動物と言うには、その表情はあまりにも邪悪すぎた。
異形の怪人……ゴ・グーバ・ダと呼ばれたそれは、ナイトブレイザーに目を向けると言葉を続ける。
「意外に、苦戦している、ようだな、ゲギダガ。……いや、貴様、楽しんでいるな?」
「嬉しい誤算ということだ。あのセイバーはこの身が引き受ける。お前はアルテイシアを持って行け」
「ああ。貴様の、ゲゲルの邪魔は、しない。だが……他のリントは、殺してもいいんだな?」
「フ、グロンギの血が騒ぐか。構わん、好きにするといい」
「な……」
「ちっ!」
戦慄する士郎、そして舌打ちして臨戦体勢を取る凛。
会話中に聞き慣れない単語が幾つかあったが、あの二人が言わんとすることは明白だ。
すなわち、士郎と凛を殺し、アルテイシアを連れて行く。
ナイトブレイザーの返答に満足したらしいゴ・グーバ・ダは、ゆっくりと士郎たちへ歩を進めていく。
その姿に、理屈ではなく、直感で理解する。
アレは、人間を殺すということに関しては、人間以上に長けている生き物だ。
「……っ! シロウ! リン!」
その間に立ち塞がるためにきびすを返そうとするセイバー。
だが。
「……聞いていなかったのか? 貴様の相手はこの身だ、と」
ヒュッ!
「くっ!」
ギャァン!
首筋に迫る殺気を、体ごと捻った巻き打ちで弾く。
「死力を尽くせ、セイバー。自らの主達を救いたければ、な」
「おのれ……!」
状況は完全に一転していた。
いまや足止めされる立場となったセイバーは、自分の不甲斐なさに歯を食いしばりつつも、目前の敵を倒すために剣を持つ手に力を込めた。
* * *
「くっ……!」
一歩一歩踏みしめて、此方に近づいてくる怪人を前に、凛はその頭を高速回転させていた。
考えろ。
この状況をどうすれば切り抜けられるか。
今、セイバーは封殺されているに等しい。
セイバーを動かすには、ナイトブレイザーを倒さなければならない。
セイバーがナイトブレイザーに短時間で打ち勝つためには、もはや背後をかばいながら戦ってなどいられない。
ならばどうするか。
簡単だ。
背後を気にせず戦えるようになれば何の問題も無い。
「遠坂、アルテイシア、玄関にまわれ!」
凛がそう結論を出したのとほぼ同時に、士郎がそう叫びながら横――出口のほうを指差す。
「わかってる! あんたこそ下がってて!」
そう言い返しながら、凛は手持ちの宝石を二つ、ゴ・グーバ・ダの足元に投げつけた。
「……? バンザボゼバ――」
「Leuchtkugel, Schrot――!」
ヒュゴッ! ズガガガガガガガァッ!
ゴ・グーバ・ダの言葉は、光と爆音に遮られた。
宝石魔術。
凛の魔力が込められた宝石を媒体にして行使する魔術だ。
「この程度で倒せる奴なら笑い話で済むんだけどね……!」
そういい残して、凛は踵を返して走り出す。
士郎は既にアルテイシアの手を引いて玄関に向けて走り出している。
そう、今勝つために出来ることはこの場所から離脱すること。
そうすればセイバーも全力で戦えるし、何より。
「…………ボソグ」
後ろから聞こえてきたその言葉は、おそらく「殺す」という意味に違いないのだから。
9 con forza 〜力強く〜
走る。
走る走る走る。
居間を抜け、廊下を渡り、玄関を飛び出してなお走る。
背後からは再び始まったらしい剣戟の音。
じきにこの騒動を聞きつけた時計塔魔術協会本部が何らかのアクションを起こすだろう。
だが敵とて……少なくともあの黒い騎士は、時間制限は理解しているはずだ。
時間ぎりぎりまでセイバーを足止めし、撤退する自信はあると見ていいだろう。
それまでにアルテイシアを攫われれば……まあ、その時は多分凛も士郎も殺されているのだろうが……こちらの負け。
逆にいえば、その時まで逃げ切るか、最悪でも三人で生き残ることが出来れば、こちらの勝ちだ。
より希望的な願望を言えば、セイバーが即座に相手を打倒し、こちらに合流してくれれば最高なのだが。
「現実はそうはいかない、か。まったく!」
凛は悪態をつく。
とにかく走る。
先程の一撃でアドバンテージは確保したはず、これでしばらくは時間を稼げる――
だがそれすらも希望的観測だと理解するのにそう時間はかからなかった。
ザラッ。
「――――――っ!!」
背後から叩きつけられる殺気。
それが自分に向けられたものだと直感して、咄嗟に体を捻って両手で身をかばう凛。
ヒュゴウッ!
「――ぐ、あ……っ!」
はたしてその直感は正しかった。
次の瞬間、背後から一直線に通過した爆発的な暴風を伴うそれは、接触した凛の体を文字通り薙ぎ倒していた。
「遠坂!?」
「遠坂さんっ!?」
受身を取る暇もありはしない。
凛の体は一度地面でバウンドした後、数回転した後ようやく静止した。
「あ、っつ……!」
痛みに耐えかねて悶える凛。
驚いた。
追いつかれるどころか、追い越された。
四足で地を蹴って猛進するゴ・グーバ・ダの速度は、人間の走るスピードをたやすく上回っていた。
ギャリャリャリャリャリャリャッ!
ゴ・グーバ・ダは突進の勢いを手足の爪で地面を削ることで殺し、三人の前方で停止する。
そしてその凶暴な眼差しでこちらを……いや、倒れ伏す凛を見据えた。
「逃げられると、このゴ・グーバ・ダが逃がすと、そう思ったか、リント」
先程の凛の攻撃はゴ・グーバ・ダの獣毛を焦がすだけに終わっていた。
だが、一撃喰らったのがよほど癪に障ったのか、ゴ・グーバ・ダの声には明らかに怒りが含まれていた。
いまだ苦しんでいる凛を見下ろしながら、ゴ・グーバ・ダは宣言した。
「一人ずつ、骨を全てへし折って、殺してやる。まずは女、次に男だ」
のそり、と四足から二足へと起き上がる。
ゴ・グーバ・ダはゆっくりと凛に近づいていく。
その様は、まるで悪い夢のよう。
いや、これが夢だったらどれほどいいだろうか。
より最悪なのは、これがまぎれもなく現実だ、ということ。
「……っ、こ、の……!」
顔をゆがめながら、凛は体に力を込めようとする。
腕が震えている。
どうやら頭を打ったらしい。
何とか起き上がろうと努力するが、体がいうことを聞いてくれない。
「下がって、遠坂。今度は俺がやる」
だが、その凛をかばうように一歩前に出る者がいた。
「……士郎」
士郎は眼前の敵から目を逸らさず、後ろにいる凛に声をかけた。
「遠坂は其処で休んでろ。怪人と戦うのは正義の味方の役目だろ?」
「あんた、そんな理由で……!」
「まあ、理由はそれだけじゃないぞ。見た目で判断しただけだからなんともいえないけど、遠坂の魔術をレジストしたのは多分あいつの獣毛だ」
言って士郎はゴ・グーバ・ダの胴部……先程の凛の魔術で黒く焦げている部分を見やる。
確かに焦げているのは獣毛だけで、その下の胴体は全くの無傷。
どうやら、天然の抗魔術具の効果を果たしているようだ。
「だから、ここは俺の出番だ。投影した武器なら、抗魔術の干渉は受けない。だろ?」
「それは、そう、だけど……っ!」
反論しようとする凛。
だが、体が悲鳴をあげて言葉を紡ぐのを妨害する。
「無理するな。……アルテイシア、悪いけどしばらく遠坂のこと頼んだ」
「は、はい。わかりました」
アルテイシアが肩を貸して、よろけながらも凛を起き上がらせる。
「……はあ、もう。わかったわよ。言っとくけど、任せるからにはきっちり片をつけてこないと折檻だからね」
「怖いな、そりゃ」
そうして小声での会話を終えた後、士郎は足幅を軽く広げて目の前まで迫ってきた敵に意識を集中させた。
「どけ、リント。貴様は、後で殺してやる。まずは、あの女だ」
そう言うゴ・グーバ・ダの姿は、間近で見ると改めて異形だった。
正直、怖くないといえば嘘になる。
かつて聖杯戦争でサーヴァントと戦ったこともある士郎だが、目の前の異形のようなモノと戦ったことはない。
だが、今、自分の後ろには傷つき倒れた人がいる。
ならば、衛宮士郎の返す言葉は決まっていた。
「断る。遠坂は殺させないし、俺だって死ぬつもりはない」
「……ダバガ」
その呟きは呆れか、それとも怒りか。
いずれにしろ好意的なものではないだろうというのは、直後に振り下ろされた右腕という鈍器が証明してくれた。
「危ない、避けて!」
後ろからアルテイシアが何か言っていたが、士郎はその声を黙殺した。
今することは避けることに非ず。
今戦うのは目前の敵に非ず。
今紡ぐ言葉は雄叫びに非ず。
「――投影、開始(トレース、オン)」
その言葉と共に。
衛宮士郎の戦いは始まった。
10 dormente 〜眠っているように〜
言葉と共に、頭の中にスイッチが入る。
衛宮士郎の場合、それは銃の撃鉄が落ちるイメージだった。
一瞬後には、ゴ・グーバ・ダの振り下ろす腕は士郎をたやすく殺しているだろう。
だが、そんなことは問題ではない。
もとより、衛宮士郎にとっての敵とは目の前の怪人のことではない。
奴が自分を殺すというのならば、奴の腕が頭蓋骨を粉砕するまでの一瞬でそれを防ぐための武器を作り上げればいい。
そのための、彼の魔術だ。
衛宮士郎は魔術師としては半人前。
だが、魔術使いとしては他に類を見ない特性を持っていた。
投影魔術。
それも武器、さらに言えば「剣」に特化した能力。
必要なのはイメージ。
投影する過程、その八節を一瞬の半分で完了する。
その内の一節でも誤れば、直後に士郎は殺されているだろう。
勝負は自らに打ち勝てたか否かの時点で既に決まっている。
故に、何時、どんな状況だろうと。
衛宮士郎の敵とは、衛宮士郎以外には有り得ない。
ヒュッ……ガッ!
「……なに!?」
一瞬のうちに手の中に投影したそれを握り締め、士郎は唸りをあげて振り下ろされていた豪腕を弾いていた。
「――投影、完了(トレース、オフ)」
夫婦剣、干将莫邪。
かつて、あの赤い騎士の愛用していたその二刀を携えて、士郎は静かに構えを取った。
その姿は、かつて見た赤い騎士のそれを映し見るかのよう。
「来い、異形。正義の味方が相手になる」
正義の味方。
誰一人悲しまなくて済むように。
そう願って戦う姿を、他になんと例えればいいというのか。
「ボシャブバ・ラベゾガ・リント!」
もはや人語を解せずに両の爪を交互に振り下ろすゴ・グーバ・ダ。
ヂィン! ガヂィン!
爪と刀が弾き合う不協和音が広場に響く。
士郎の振るう二刀は、確実にゴ・グーバ・ダの爪を弾いている。
その動きは早く、鋭く、力強い。
だが、一口に同じ剣技といっても士郎のそれはセイバーのそれとは全く異なる。
セイバーの剣技を生来の才能と直感によって成り立っているものとするならば、士郎の剣技は長年の修練と経験によって成り立っているもの。
だが、たかだか二十年生きただけの士郎自身にはこのような動きは本来不可能。
そう、この剣技は借り物だ。
士郎の投影とは剣だけを複製するのではなく、使い手の想念や蓄積された経験を含めて投影する。
そして今、この夫婦剣に蓄積されているのは他の誰よりも士郎にとって適している使い手の記憶。
英霊エミヤ。
かつて士郎を殺すために現れ、答えを得て去っていった赤い騎士。
その技、その剣を以って、士郎は赤い騎士とは違う道を行く。
「せいっ!」
バチィッ!
干将で爪を弾き、莫邪で斬りつける。
胴を薙いだ刀身からは火花が散った。
だが、胴自体には傷一つついていない。
どうやら抗魔術のみならず抗物理の効果も高いらしい。
「はああっ!」
ガッ! ガガッ! ガッ! ガッ! ガガッ! ガガガガッ!!
……だというのに、さらに攻撃速度を上げていく士郎。
狙うのは常に胴。
そのたびに飛び散る火花。
「……フン、ルザザ!」
その連撃に全く痛みを感じていないのか、叫びつつ横薙ぎに裏拳を振るうゴ・グーバ・ザ。
それを莫耶で受け止める士郎。
ギャリィィッ!
「ル……ヲオオオオオッ!」
「! しまっ……!」
雄叫びと悔恨の声は同時。
腕はそのまま振り抜かれ、その勢いは士郎を横に薙ぎ飛ばした。
ズドンッ!
「……かっ、は……あ……!」
寄宿舎の壁に激突する士郎。
激突する音に紛れて、咄嗟に体をかばった左腕が軋んだ音を確かに聞いた。
「くっ、そ……」
悪態をついて立ち上がろうとする士郎に、ゴ・グーバ・ザが再び人語で語りかける。
「……生きているのか。さっきのとは違って、お前だけは、なかなか、頑丈だな」
「……なんだ、と?」
さっきのとは違って。
その、さっきの、というのは遠坂のことか。
いや、違う。
その前に奴は生きているのか、といった。
その言葉は、逆の結果になったヤツがいなければ出てこないはずだ。
歩み寄るゴ・グーバ・ダの足音と、自分の荒い息遣い。
それ以外には何も聞こえない、静かな夜の闇の中。
意識は前に。
だが思考は自分の中へ埋没していく。
……そういえば、静か過ぎないか?
そうだ、いくら魔術師が他人に無関心だからといっても、こんな夜遅くにこんな物騒な物音が立て続けに聞こえてきたら、様子を見に部屋から出てくる生徒がいてもおかしくない……いや、出てこないほうがおかしい。
ああ、またそういえば、だ。
こいつ、最初に出てきた時、なんで「隣の部屋から壁を破って」入ってこられたんだ?
「……おい。お前」
立ち上がった士郎は、頭の中で答えの出ている質問を目の前にいる怪人にぶつけた。
「俺達の部屋に入ってくるまで、何をしていたんだ?」
「――――――――ハ」
凶き、嘲笑。
それがゴ・グーバ・ダの答えだった。
11 sotto voce 〜声を抑えて〜
「まあ、つまらんゲゲル、だったがな。それに、アイツが呼んだおかげで、中途半端に、なっちまった」
その言葉に、士郎は安堵と自己嫌悪と怒りを同時に覚えた。
全員死んだわけではない、そのことに安堵し。
だが、救えなかった人たちも少なくない、そのことに自己嫌悪し。
そして、それを嬉々として行ったであろう目の前の異形の怪人に怒りをあらわにした。
「……っああああぁあああああぁぁ!!!」
「ダメ、士郎!!」
疾走。
横から逼迫した声が聞こえたが無視して走る。
もはや赤い騎士の経験の記憶など吹き飛んでいた。
型も何もない、ただただ力任せの一撃を目の前の敵に見舞う!
バキャァッ!
「………………が……」
吹き飛んだ。
士郎の一撃はゴ・グーバ・ダに届くことなく、逆に回し蹴りによる迎撃を受けた。
振り下ろした干将は真っ二つに砕かれ、直撃した右のアバラは間違いなく折れた。
士郎の体は今度は吹き飛ぶことなく崩れ落ちた。
「順番は違うが、予告通り骨を砕く。まずは」
ゴ・グーバ・ダは足元にうずくまっている士郎の頭を片手で掴むと、あろうことか軽々と持ち上げて見せたのだ。
「う……ぐあ…………」
自分がUFOキャッチャーの景品にでもなったかのような気分だった。
クレーンで頭を締められて、何も考えられないような状態で、ただ左腕をつかまれる感覚だけが伝わってきた。
「この腕からだ」
ぼきり。
「――――――――っ!!!」
声も出ない。
ゴ・グーバ・ダは、空いているほうの片手で士郎の左腕を掴むと、なんの躊躇いもなく握りつぶした。
手に持っていた莫耶を取り落とした音さえ、今の士郎には聞こえなかった。
痛い。
痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイ……!
その言葉で頭が埋め尽くされそう。
ダメだ。
これ以上やられたら気が狂ってもおかしくない。
だというのに。
「次は、その上だ」
この無慈悲な砕骨機は、次の獲物として二の腕に手をかける。
やめろ。
嫌だ。
勘弁してくれ。
ありったけの力を振り絞って、懇願の言葉を口にしかけた。
「ゆ――――」
「――士郎っ!!」
遠くから聞こえる、よく知った人の悲痛な声。
さっきは無視した声が、今はやけに心に響く。
「――――――あ」
そのせいで、言うはずだった言葉を忘れてしまった。
バキッ。
「――――――――――――っ!」
二の腕が折られた。
叫びだしたくなるのを必死でかみ殺す。
ああ、くそ。
あんまり痛いから目が覚めただろうが、畜生。
熱くなっていた頭が急速に冷めていくのがわかる。
許しを請う?
何をバカな。
自分に屈した時点で負けだ。
そんなことはずっと前からわかってたはずじゃなかったのか、衛宮士郎――!
「……っ、こ、の、やろう…………っ!!」
軋む体に力を込める。
左腕はぴくりとも動かない。
だが右腕は無傷だ。
ならばいける。
目の前にあるのは、異形の胴体。
何度も何度も斬りつけた、その目印。
其処に向けて、懸命に右腕を前に突き出す。
弱音を吐く前に打つべき手を打て。
打つ手が無いなら作るまで。
叫びの代わりに、この手に剣を。
「ム? なにを……」
「――――I am the bone of my sword.(我が骨子は捻れ貫く)」
胴に手を当てる士郎をいぶかしむゴ・グーバ・ダ。
士郎は言葉の代わりに呪文で答える。
八節は繋がり、幻想は顕現する。
「――――"偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)"!!」
ドシュゥッ!!!
「グオォオオオオオオォオオオオオオオォォッ!?」
零距離で打ち出す様は、パイルバンカーと例えるべきか。
士郎の掌から現れ出ようとした螺旋の剣は、獣毛が削り斬られた胴に深々と突き刺さっていた。
12 infuriato 〜荒れ狂った〜
絶叫が響き渡る。
胴を抉られたゴ・グーバ・ダは、掴んでいた士郎を放り出して叫び続けた。
「……ハア、ハァ、ハ――ア」
放り投げられた士郎は、何とか体を起こすと投影した偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)を掴み取る。
この剣は、本来のカラドボルグに手を加えて、弓などで飛ばした時に威力を発揮するようにしたものだ。
そのため、今回のような使い方は間違いなのだが……
「……骨子がしっかりしてない。あまり長くは持たないな」
そもそもなれない武器の瞬時投影には無理があったらしく、士郎の目には偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)はあちこちにほころびがあるように見えた。
これでは打ち合ったとしても数合ももたないだろう。
だが、問題ない。
それでも打つ手は十分あると、剣自体がそう告げている。
「ボソグッ!! ヅヂボソ・ギデジャス・ゾレ・リントォォォ!!!」
獣が吼える。
四足で地面に立ち、殺意で濁った瞳で士郎を睨みつけてくる。
距離はあってないに等しい。
そんなもの、あの獣なら一瞬で駆け寄れる。
「…………ああ、なるほど」
士郎はゴ・グーバ・ダを眼中にせず、この剣の担い手の記憶を反芻していた。
まったく。
アイツもこんなものをどこで覚えたんだか。
心の中で赤い騎士を笑いながら、士郎は偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)を構える。
「ガアアアアアアアアッ!!!」
巨体が迫る。
士郎の体が横に開く。
弓は無く、螺旋の剣を矢に見立てる。
捻れた刀身を、さらに深く抉り入れるようなイメージ。
「――――徹せ」
撃つ。
放たれた矢――偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)はその身を捩りつつ一直線に獣に激突する!
…………ズギュルルルルルルッ!!
「オ……オオオォオオオォオオオオォォオォオォオオォォォ!?」
砕ける剣。
飛ぶ巨体。
投擲された剣は一撃でゴ・グーバ・ダを吹き飛ばしていた。
その身に受けたのは、とある機関の秘伝とされている、投剣の威力を大幅に上昇させる投擲技法。
その名を鉄甲作用。
いかなる経緯で赤い騎士がこの技法を習得したのかはわからないが、おそらくあの赤い騎士も今の士郎と同じような場面に出くわしたことがあったのだろ
う。
「…………ガ、ハアッ……」
鉄甲作用の偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)を受けてなお、ゴ・グーバ・ダにはまだ息があった。
士郎の投擲方法が完全ではなかったからか……それとも、純粋にゴ・グーバ・ダの生命力か。
「……ったく、しぶとい……っ!?」
「ルオオオオオッ!!」
もはや動けないかと思われたゴ・グーバ・ダは、突如体を起こすと士郎に向けて腕を一閃した!
ザスゥッ!
「ぐぁ……っく……!?」
届くはずの無いその攻撃は、しかし確かに士郎の右足を斬り裂いていた。
右足を裂かれ、溢れる血の多さに顔をゆがめる士郎。
反射的に身をかばった右腕を、追い打ちとばかりに狙い撃ちされる。
ズシャァッ!
「あ……っな……!?」
右腕から吹き出る血が、士郎の顔に降りかかる。
赤く染まる視界の中、駄目押しの一撃が襲い掛かる。
ガシュッ!
「うっ…………!」
かろうじて屈みこんだ士郎の背中に掠る。
そこでようやく、士郎はゴ・グーバ・ダの攻撃がなんなのか見て取った。
「飛爪か……!」
一体どこから取り出したのか。
ゴ・グーバ・ダが手に持つそれは、鎖の先に長い爪状の刃をつけた大飛爪だった。
衣服に引っ掛けるなどという、本来の使い方を完全に捨て、ただ殺傷能力を追求したような殺しの道具。
「……ボソグ。ビガラザ・ボソギヅブグ」
ヂャラッ! ……ュンヒュンヒュンヒュン!
ゴ・グーバ・ダは大飛爪を引き戻し、勢いをつけて爪を旋回させた。
「く、この……痛ぅ!」
立ち上がろうとして、裂かれた右足の痛みに断念する。
まっとうに考えたら、状況は絶望的だった。
左腕はボキボキに折れているし、右手右足は血で真っ赤だ。
そんな士郎に、ゴ・グーバ・ダは爪を旋回させつつ、より確実な止めを刺そうとにじり寄ってくる。
そこへ――――
「――――Sturmwind und Donnerschlag!!」
「初の印ウィング・順の印ウィング、制定法行使、ヴォルテック!」
キュガシュッ!
「グウッ!?」
士郎の横手から飛来した超高速真空弾がゴ・グーバ・ダの体に炸裂する!
飛んできた方角に目をやると、そこには符のようなものを掲げているアルテイシアと、その肩を借りながらこちらに手をかざしている凛の姿があった。
「――遠坂、アルテイシアッ!!」
「…………ガビビギ・ビダギンザ・ゴヂヂバッ!」
それが当初の標的を思い出させたのか、もはやゴ・グーバ・ダは士郎を見てはいなかった。
ゴ・グーバ・ダは手負いとは思えない猛烈さで、一直線に凛めがけて疾走する!
その勢いは、大飛爪を使わずに直接叩き潰そうとしているのが明白だった。
「駄目だ、逃げろっ!!」
士郎も痛む体を叱咤して追いかけるが、間に合わない。
鉄甲作用を使うには時間が足りず、普通の投擲では届かない。
そもそもこの右腕で満足な投擲ができるだろうか。
このままいけば、ゴ・グーバ・ダの巨体は肩を貸しているアルテイシアごと遠坂を轢き殺すだろう。
「アルテイシア、離れて!」
「そんなっ! ……くっ!」
アルテイシアは一瞬の逡巡の後、懐から新しく呪符らしきものを取り出して叫んだ。
「簡略制定法行使、シールド!」
アルテイシアの言葉……否、呪文に呼応して彼女のドレスに取り付けられた魔力補助機が淡く光る。
次の瞬間、凛とアルテイシアの周囲に対物理結界が展開する。
クレストソーサー。
それがこの魔術の名称である。
あらかじめ二つの印を書き込んだ符、クレストグラフを触媒として行使する魔術。
アルテイシアの世界で最もメジャーな魔術であり、「魔女っ子」とはかつて居たといわれている天才クレストソーサレスの二つ名なのだった。
「ゴアアアアアアァァァッ!!」
ゴ・グーバ・ダは構わずにそれに突撃をかける!
パリィィィィン!!
「あつっ……!」
「うあっ!」
止められたのは一瞬。
次の瞬間結界は破壊され、反動で二人は後ろに弾かれた。
その再度開いた距離すらも詰めて、ゴ・グーバ・ダが二人に迫る!
「くそ、やめろ…………!!」
この瞬間、この場に手を差し伸べてくれる者はいない。
寄宿舎にいた魔術師達はゴ・グーバ・ダに殺されている。
生きている魔術師もいるだろうが、魔術師ならばこんな場面には絶対に近寄らない。
ブオオォォォォォォオオオンッ!!
だが、魔術師ならば絶対に近寄らないような場面に爆音が響き渡った。
凛達に迫るゴ・グーバ・ダの真横から、一台のバイクが前輪を持ち上げつつ飛び出した!
13 grazioso 〜やさしさをもって〜
響き渡る爆音。
突如踊り出たバイクは前輪を持ち上げたウィリー状態のままゴ・グーバ・ダに突っ込んだ。
「ヌオオオッ!?」
大飛爪を手にしたままでは受け止めることも出来ず、ゴ・グーバ・ダはバイクの進行方向に押しやられる。
バイクはゴ・グーバ・ダを押しやると反転、凛たちとの間に割ってはいるような位置に停止した。
「君たち、大丈夫だった!?」
バイクに乗っていた人物……ヘルメットで顔は見えないが、声から察するに青年のようだ……は、後ろに控える凛とアルテイシアにそう尋ねた。
ジャンパーとジーンズを着て地面に降りたその姿は、普通のバイク乗り以外の何者でもない。
「だ、大丈夫、だけど」
「……そっか、よかった。じゃ、危ないからもうちょっと下がってて」
「あ、はい」
青年の指図に、アルテイシアは凛を助け起こしながら後退する。
凛も思わず素直に従って……しまいかけたところでようやく頭が正常に動き出した。
「……って! 違うでしょ!」
青年はすでにゴ・グーバ・ダに対峙している。
ゴ・グーバ・ダは動かない。
目の前の人間が何者か、本能的に察したのだろうか。
だが、そんなことはお構いなしに凛は青年にくってかかる。
「こら、あんた! 誰だか知らないけど学院の領地に勝手に入った挙句わけのわからない生き物にバイクで特攻かますなんてなに考えてるのよ!」
「え、だって危なかったじゃん、きみ」
「………………」
怒鳴りつける凛に対し、他人の危険を理由にする青年。
その態度に凛は軽くデジャブを感じる。
ああ、そういえば割と身近にいたな、こういうヤツ。
「ああっもう! いいからさっさと逃げなさい! ここにいたら殺されるだけよ!」
ゴーホーム! と言わんばかりにバイクがやってきた方角……正門方面をびしっと指差す凛。
「大丈夫だって!」
ノープロブレム! と言わんばかりにびしっと親指を立ててみせる青年。
「大丈夫、って……まさか、あの化け物と戦う気ですか!?」
「うん」
まさか、とアルテイシアが尋ねると、青年はなんの気負いも無く頷いた。
むしろ考えを改めさせようとしている凛のほうが激している。
「正気なの!? 勝てるわけ無いじゃないの!? ほら、さっさと逃げる!」
「そうは行かないでしょ、君たちがいるんだから」
「あのねぇ、私達は見ず知らずの他人でしょ! あんたには関係ないじゃない!」
「そうです、なぜそうまでして戦うのですか!?」
「なんで、って……」
その二人の言葉に、青年の動きが止まる。
その顔に浮かぶ表情はヘルメットに隠されて伺えない。
やがて、噛締めるように言い出した青年の口調は先程までの快活なものではなく、とても決然としたものだった。
「……そっか、そうだな。俺、やっぱりあの時の気持ちは変わらない」
「え……?」
青年はそう言いながら、ヘルメットをはずす。
ヘルメットの中から出てきたのは、意外なことに東洋人……いや、日本人の顔だった。
「いや、ちょっと思い出したんだ。俺は、誰かの涙を見たくない。みんなに笑顔でいて欲しかったんだ、って。いまさら、だけどね」
かつてと同じ言葉を口にしながら、青年は両手を腰のあたりにかざす。
すると一瞬目映い光が青年の腰周りを包み、次の瞬間青年は謎のベルトのようなものを身に付けていた。
ベルトからは駆動音のようなものが聞こえてくる。
「な、なんなの……?」
突然現れた謎のベルトに、凛は面食らうしかなかった。
というか。
彼女の同居人と同じようなことを真顔で言っちゃってるこの男は一体なんなのだろう?
「だから、見ててくれないか? 俺がもう一度、皆に笑ってあげられるようになるために。俺の――――」
右手を左上にかざし、左手を腹部に据える。
青年はそのポーズのまま、高らかに叫んだ。
「――――――変身っ!!」
高まる駆動音。
右手を大きく振り、自然体で構える。
青年の体が見る間に変形――いや、「変身」していく。
全身が黒いボディスーツで覆われていく。
胸部に赤い鎧が装着される。
最後に、昆虫を模したような仮面で頭部が包まれ、「変身」は完了した。
その姿を見て、ゴ・グーバ・ダはうめくように呟いた。
「…………クウガ……!!」
14 sereno 〜晴れやかに〜
「はぁっ!」
気合と共にゴ・グーバ・ダ目掛けて走り出す青年……いや、クウガ。
「フンッ!」
対するゴ・グーバ・ダは手に持った大飛爪でクウガを迎え撃たんと振り回す!
孤を描いてクウガに迫る鉄の爪。
あわや直撃するかと思われたが、クウガは走る勢いをそのままに前転することでそれを回避する。
「ヌ!?」
「――おりゃっ!」
さらに、地面に手をつきそのまま伸び上がることで両足でドロップキックを放つ!
ズガッ!!
「グ……!」
よろめくゴ・グーバ・ダ。
その隙に起き上がったクウガは、さらに間合いを詰めて殴りかかる。
「せいっ!!」
ダンッ! ダンッ! ダダンッ!
流れるような連撃。
一撃命中するごとにゴ・グーバ・ダの体がゆれる。
抗物理効果のある獣毛が全身を覆っているにもかかわらず、だ。
「ゴフ……ッ! クウガッ!!」
ここまで接近すると、大飛爪は役に立たない。
ゴ・グーバ・ダは左手で鎖を持ち、空いた右手の爪でクウガを襲う!
ガヂャッ!
「う……おおっ!」
肩部に一撃受けつつも、クウガは怯まずに打ちかかる。
一撃受けたら五発返す。
しかもその五発は決して軽いものではない!
ダンッ! ガッ! ガガッ! ダンッ! ダァンッ!
戦いは明らかにクウガの優勢だった。
ゴ・グーバ・ダが手負いだったとはいえ、異形の怪人相手にここまで渡り合えるとは。
凛とアルテイシアは、拳打を打ち続けるクウガの背中を見て、そう驚かざるをえなかった。
「……まったく。魔術師にあるまじきことだけど、我が目を疑うわ。世界は広いわね」
「……ええ、本当に。あの方は一体何者なのでしょうか」
目の前の光景にもはやため息も出ない凛と、呆然と戦いを見守るアルテイシア。
「……知らないの? それとも、あなたの世界には居なかったのかしら」
「……それは、どういう」
「ああ、ごめんなさい、嫌味で言ってるわけじゃないの。……ああいうのはね、この世界では正義の味方って言うのよ」
「正義の味方……つまり、英雄ですか?」
「……まあ、そうなるの、かな?」
そして、その驚きは士郎も同様に感じていた。
怪人と殴りあう、仮面の男。
そんな子供の憧れる夢のような光景をまさか目の当たりにしようとは。
いや、衛宮士郎にしてみれば、その姿は今なお憧れている姿ではなかったか。
「正義の、味方……?」
かつて自分を助けてくれたもの。
全てを失い死ぬはずだった自分がたった一つ憧れたもの。
死を目前にして父が自分に語った「なりたかったもの」。
理屈ではなく、ただそうなのだと理解した。
「だぁりゃっ!!」
ズダァンッ!!
一際鋭いパンチが直撃する。
ゴ・グーバ・ダがその威力にたたらを踏み、両者の距離がわずかに開く。
クウガが再度その距離を詰めようとしたその一瞬をゴ・グーバ・ダは見逃さなかった。
「バレスバ・クウガアァァッ!」
唸る大飛爪。
風切り音を伴って伸びたその鎖は、クウガの右腕をしっかりと絡め取った!
「なにっ!?」
「グウアアアアアアアアァァァァァ!!!」
ゴ・グーバ・ダが力任せに鎖を振り上げると、次の瞬間信じられないことが起こった。
「――――っうあっ!?」
クウガの体が宙を舞った。
なんと、ゴ・グーバ・ダは腕力だけでクウガを頭上に振り上げたのだ。
まさに人外の所業。
異形の怪人が成し得る、力尽くの超常現象――!
「――――ガアッ!!!」
短い裂ぱくの気合と共に、ゴ・グーバ・ダの握る鎖が振り下ろされる。
一瞬間を置いて、その鎖の先に繋がれたクウガもまた地面に叩きつけられる!
ドガシャアッ!!
「……うがっ!」
さすがにこれはこたえたのか、苦悶のうめきを漏らすクウガ。
あれほどの勢いで叩きつけられては受身も何もあったものではない。
さらにゴ・グーバ・ダは腕を振り上げ、地に伏せるクウガを再度宙に浮かせる!
「……くっ!」
「ガアアッ!!」
先程の攻撃が繰り返されるかに見えた……そのとき。
「――――投影、開始(トレース、オン)!」
……ギャリンッ!!
二人を繋いでいた鎖が半ばから断ち切られる。
断ち切ったのは横合いから放たれた剣の投擲……鉄甲作用!
「ビガラ……リントッ!!」
「……はあ、はあ、……調子乗るなよ、化け物」
ゴ・グーバ・ダが振り向いた先には、右腕を振り切ったままの格好で士郎が立っていた。
瞬時投影の連続使用の反動か、嫌に頭が痛い。
だが、どういうわけか、右腕の傷は既に出血が止まりかけていた。
「はっ!」
ゴ・グーバ・ダが士郎に気を取られているうちに、クウガは空中で鎖を振りほどき、そのまま華麗に着地する。
そして構えを取ろうとして――足元に落ちていた「あるもの」に気がつく。
「これは……よしっ!」
クウガは地面に落ちていた「あるもの」――陰剣莫耶を拾い上げ、目の前で水平に構えると大声で叫んだ。
「――――超変身っ!!」
再び唸る駆動音。
クウガの体は一瞬輝き、次の瞬間更なる「変身」を遂げていた。
鎧はより広く体をカバーする形状へ。
カラーリングは赤から紫へ。
そして手に持った陰剣莫耶は全長一メートル以上の大剣へと変貌していた。
鎧を縁取る金色が、闇夜に光って浮かび上がる。
これがクウガの「超変身」、金の紫の力、ライジングタイタンフォーム――!
「うおおおおおっ!!」
クウガは気合と共に剣――ライジングタイタンソードを振り上げ、ゴ・グーバ・ダ目掛けて斬り下ろす!
ズバシャアァッ!!
「ゴ、オアアァッ!?」
その一撃はまさに大地神の怒りの如し。
士郎の剣撃の時とは桁違いの火花が飛び散り、獣毛が根こそぎ刈り取られる!
「はああああっ…………!!」
悶絶するゴ・グーバ・ダを正面に見据え、クウガは刺突の構えを取る。
大剣の先端部分、金色の刀身がさらに目映く輝きだす!
「……ふっ!」
クウガが動く。
深く前に踏み込み、両手で握った大剣を思い切り引いて、
「おりゃああぁぁああっ!!!」
渾身の力と共にゴ・グーバ・ダの腹部に刀身を突き刺す!
ドスッ!!
「ヌ……ガ…………?」
腹に突き刺さる刃を、ゴ・グーバ・ダは震えながら凝視していた。
クウガ、金の紫の切り札……ライジングカラミティタイタン。
その技を放ったクウガは大剣を引き抜き、ゴ・グーバ・ダに背を向ける。
手応えは、あった。
ピシ……ピシピシッ……ピキッ!
ゴ・グーバ・ダの腰の紋章にひびが入る。
「…………ヌグゥアアアアアアアアアアアアァァァッ!!!」
絶叫が響いた、次の瞬間。
ズドオオォォオォォオオオオォオォォォォオンッ!!
ゴ・グーバ・ダの身体は紅蓮の炎に包まれて爆発した。
「………………」
その爆炎を背中に受けながら、クウガはゆっくりと三人に背を向ける。
「…………あんた」
その凛のつぶやきに反応したのか。
三人が見つめる中でクウガは立ち止まり、その変身を解いて青年の姿に戻る。
そして、背中を見せたまま、びしっと指を立てて見せる。
サムズアップ。
古代ローマで、満足できる、納得できる行動をした者にだけ与えられる仕草。
それをしながら、振り向いた。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
満面の、笑顔で。
その姿を見たら、士郎はなんだか気が抜けてしまって、糸が切れた人形のようにその場に倒れこんで気絶した。
15 sospirando 〜嘆いて〜
時は少し遡る。
「ぜあっ!」
「フゥッ!」
ギギギィンッ!!
セイバーとナイトブレイザーの激闘は場所を中庭に移してなお続いていた。
幾百、いや幾千合剣を打ち合ったかもはや定かではない。
それほどまでに打ち合っているというのに、お互いの身体には傷と呼べるほどの傷は見当たらない。
つまり、両者共に三十分間負傷による消耗なしで戦い続けていることになる。
「……くっ!」
セイバーにしてみれば、勝てると踏んだ上での戦いだった。
背後を守る必要の無くなった以上、立ち位置に気を配ることなく全力で戦えるからだ。
だが、全力で戦っているはずなのに、いまだにこの戦いには終わりが見えない。
「どうした、剣に陰りが見えるぞ……さては、焦ったか?」
「……っ! 黙れ!」
セイバーの突き出した不可視の剣をこともなげに弾くナイトブレイザー。
セイバーの誤算は、ひとえに目の前の敵の戦力を測りかねたことにあった。
今のナイトブレイザーの力量は最初に切り結んだ時に推測した力量をはるかに上回っていた。
つまり、ナイトブレイザーのほうも最初は全力で戦っていなかったということだ。
……いや、全力で、というのはいささか語弊があるかもしれない。
何しろサーヴァントが全力で戦うということはすなわち「宝具」を使用するということなのだから。
……グオオオォォォ……ォォ…………
「!?」
突如遠くから響いてくる咆哮に、びくっと身体を震わせるセイバー。
それでも意識を逸らさないのはさすがだろうか。
「……向こうで何かあったようだな。この身は気にならないが……貴様は気になるのではないか?」
「黙れと言ったぞ!!」
シュギィンッ!!
激したセイバーの剣閃は、ナイトブレイザーの神速の裏拳で打ち払われた。
その程度の一撃、剣で受けるまでも無い。
ナイトブレイザーは言葉ではなく、身体でそう語っていた。
「それほどまでに焦るぐらいならば……いっそ宝具を使ったらどうだ?」
「……っ!」
ナイトブレイザーの言葉に、セイバーはさらに顔を険しくする。
宝具とは英霊が持つ切り札、その英雄と共にその名があげられる武装のことである。
その真名を告げ、魔力を注ぎ込むことで能力を発揮する一種の神秘。
特にセイバーの持つ宝具は、使えればまず確実に敵を圧倒できる無敵に近い武装。
ゆえに使えば決着はつくはず。
つくはずなのだが……。
「どうした? 使わないのか……それとも、使えないのか?」
そう。
セイバーの宝具はその絶大な威力ゆえに使う場所を選ぶ。
一度使用すればそれは敵のみならず他の人間、建物、環境すらも破壊する、まさに奥の手。
もしこの場で使用すれば、寄宿舎はおろかロンドンの町並みすらも両断しかねない。
だからセイバーは宝具を使用できない。
そんな被害の上で得る勝利など彼女は望まないし、彼女のマスターも元マスターもきっと望まない。
「……使わないのでも、使えないのでもない。使う必要など無いのだ、ナイトブレイザー」
セイバーはそう言って、風王結界(インビジブル・エア)に込める魔力量を一層増した。
……ゴオオォォォォォォオオオオッ!!
途端に、そこは嵐と化した。
不可視の刃から巻き起こる風は周囲を荒れ狂い、草の葉や小石を巻き上げる。
それはまさに名前のとおり、風の結界だった。
「ム……!」
「だが確かに時間が無い。次の一撃で決着をつけよう」
嵐の中央、風王結界(インビジブル・エア)を両手で構えるセイバーの顔は吹き荒れる風の中でも凛々しく、美しかった。
そこにもはや焦りは見られず、ただ次の一撃にかける気迫のみ伝わってくる。
対するナイトブレイザーはただ一言、
「……応」
とだけ音を発して構えを取った。
両手を胸の前に突き出し、拳を握ったまま横につなげる。
例えるなら、鞘に収めた剣を水平に順手で捧げ持つような格好だ。
そしてゆっくりと鞘から剣を引き抜くように腕を動かすと、右手には今までのものよりも一層輝きを増した光の刃が出現していた。
「……いざ」
セイバーが剣を下段に構える。
ナイトブレイザーが刃を青眼に構える。
風が吹く。
「勝負っ!」
駆け出す両者。
セイバーはもとより、ナイトブレイザーもまた荒れ狂う風などものともしない。
二人の騎士は等速で近づき、中間点一歩手前で得物を振るう!
「あああああっ!!」
「カアアアアッ!!」
ガキャアアァァァァァァッ!!!
ぶつかり合う刃と刃。
接触面から飛び散る魔力が紫電となり、二人を中心に闇夜を照らす!
「っぁぁぁあああああっ!!」
均衡は数秒で崩れた。
一ミリにも満たないほどだが、セイバーの剣がナイトブレイザーの刃を押し返した!
――勝てる!
セイバーは今度こそ勝利を確信した。
純粋に威力を比較すれば、魔力量で勝るこちらに分があった……!
「――――災厄の(ナイト)」
だが、その言葉が紡がれた瞬間。
ナイトブレイザーの言葉と共に、セイバーには光の刃が一回り大きくなったように見えた。
そのまま光の刃はセイバーの剣を押し返し、そして――――
「――――聖剣(フェンサー)!!」
まるで空気を切るかのように、セイバーの身体を鎧ごと斜めに切り裂いていた。
「…………!?」
一瞬、呆然と斬られた自分の身体を見下ろすセイバー。
切り裂かれた鎧の隙間から、魔力の残滓が零れ落ちた。
「……勝負あったな」
ナイトブレイザーがそう言った直後、
ブシャアッ!
「あ、くぁ…………っ!」
斬られたことにいまさら気付いたかのように、セイバーの体から大量の血が噴き出した。
その真っ赤な血の本流を、真正面から浴びるナイトフェンサー。
黒い鎧が、赤く、赤く染まってゆく。
仰向けに地面に倒れこむセイバー。
それを見届けた後、ナイトブレイザーはゆらりと構えを解いた。
「は、う、ぁ……!」
そして土の上に横たわるセイバー……すでに体中の魔力を総動員して治癒を始めている……を見下ろして、
「宝具を使わずにこの魔剣と競り合うとは……しかし真名には屈したか」
そう言いつつ光の刃……災厄の聖剣(ナイトフェンサー)を掻き消す。
「……足りぬ。この身に渦巻く渇き、飽くなき欲望を満たすには、このような出し惜しみの戦いでは足りぬ」
不満の言葉を残し、ナイトブレイザーは踵を返してこの場から立ち去ろうとした。
「ま……待てっ!」
だが、背後からの弱々しい、だが揺ぎ無い意思のこもった声に肩越しに振り返る。
「……ほう、死なぬとは思ったが、まさか立つとはな」
振り向いた先には、自らの血で体中を汚したセイバーの姿。
既に自力で立つ力など無く、ひどく細い風王結界(インビジブル・エア)を支えにしてかろうじて立っているに過ぎない。
だが、セイバーはまだ戦う意思を失ってはいなかった。
「行かせない……私は……シロウの剣……なると誓った……シロウに……手は、出させないっ!!」
それこそが理由。
それこそが誓い。
それこそが、彼女の命。
セイバーはもはや躊躇わなかった。
その身に残った全ての魔力を、自らの宝具に注ぎ込む……!
「……フ、そう心配することは無い。この身はただマスターの元に帰還するだけだ」
「…………な、に?」
だが、そのナイトブレイザーの言葉の意外さに、思わず疑問の声をあげてしまう。
……ヌグゥゥゥゥ……ゥァァァァァ…………ドォォォォ……ォォ……ォン…………
その時、再び遠くから咆哮……いや、絶叫と、次いで爆発音が鳴り響いた。
「……ほう、ゴ・グーバ・ダが敗れたか。……どうやら時間切れのようだ、これで逃げ帰る言い訳も立つだろうよ」
「なぜだ……ナイトブレイザー。貴公の、目的は……アルテイシアを連れて行くこと、なのだろう……?」
「構わん。令呪を使われているわけでもないからな。それに、マスターを殺せば貴様も消える。再戦の機会をつぶすのは面白くない。そういう点では、ゴ・グーバ・ダが敗れたのも僥倖と言えるかも知れぬな」
そう言い切って、ナイトブレイザーは今度こそ振り向かずに歩き去った。
「次は最初から宝具を使う気で来い、セイバー」
その姿が闇と同化する直前にそう言い残し、ナイトブレイザーは消えた。
血まみれのセイバーは、追うことも出来ずに、ただその消えた闇を睨みつづけた。
……戻ってきた凛たちが、血の池に立ち尽くすセイバーを発見したのはそれから数分後のことだった。
16 cupo 〜暗く〜
「……どうやら、グーバはやられたようだな」
どことも知れぬ闇の中、ほのかに照らす明かりの下で会話をする幾つかの人影があった。
その内の一人……冷たい美貌を持った女が声を紡いだ。
グーバ……ゴ・グーバ・ダがやられた。
それは、時計塔寄宿舎で起こった戦闘の結果を正しく把握していることを意味していた。
「ハン、だらしねえ。アイツ、ゴに上がれたのがなんかの間違いだったんじゃねえのか」
顔にタトゥを入れた男が、くだらない、とでも言いたげに吐き捨てる。
他の人影も程度の差こそあれど、特に感慨も受けていないようだ。
「…………」
ただ一人、銀髪の男だけが、顎に手を当て思案顔になった。
銀色の長髪が顔の動きに合わせて揺れ、光を反射してきらりと光る。
その男は他の男に比べて線が細く、優男、と言う言葉が良く似合う。
「アルテイシアを連れてくるのは失敗したか。この程度の任務、グロンギならともかく、アレならば容易いはずなのだがな」
銀髪の男の言葉に、他の人影が一斉に怒りの反応を示す。
特に先程のタトゥの男は、もたれかかっていた壁から身を起こして銀髪の男に詰め寄っていく。
「……あんだと? 俺達があのゲギダガより弱いってのか?」
「当然だ、アレこそは私の世界の最高の力を持つ存在。サーヴァントという枷をはめられても、貴様らなど相手にもならない」
だが、銀髪の男は全く臆せずに答えを返す。
その態度は、まるで男自身がグロンギより上の実力を持っている、と思っているかのようだ。
「まして、貴様はまだゴの位とやらにすら達していないのだろう。威勢が良いのは認めるが、もう少し彼我の戦力差を知るべきだ」
「……バサショ・グレギ・ギデジャ・ソグバ・リント」
謎の言語と同時に、タトゥの男から殺気が膨れ上がる。
同時に、男の顔に奇怪な模様が浮かび上がる。
「よせ、ゼビイ。それと、リントの言葉で話せと言ったはずだ」
だが、飛び掛らんばかりだったタトゥの男を、女――グーバが倒されたことを告げた者――が片手で制した。
女はその場にいる者の中で唯一、銀髪の男の発言に怒りの感情を見せなかった。
その女の態度に、場の怒りの空気は即座に薄れていった。
どうやらこの女がこの集団のまとめ役であるようだ。
但し、銀髪の男だけはこの集団の中では異質の存在であるらしい。
「……ケッ。わぁったよ」
ゼビイと呼ばれたタトゥの男は、しぶしぶといった感じで引き下がるが、その瞳にはまだ怒りが燻っていた。
「だがな、このままじゃ収まらねえ。次のゲゲルはオレだ。文句は言わせねえ」
何でもいいから怒りを発散したい。
そんなことを考えているのか、ゼビイはそう主張した。
その主張に、女はしばらく何か思案していたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……いいだろう。目標はあと七十六人だ。それが達成できればゴに上げてやろう」
女がそう言うと、ゼビイはにたりと笑みを見せた後、くるりと踵を返した。
「七十六人か、簡単すぎるぜ。一時間で終わらしてやらあ。そしたら次は――」
ゼビイは振り向いて銀髪の男を指差す。
「貴様のゲキダガがしくじった任務ってヤツを代わりにやってやるよ」
そうしてゼビイが立ち去ると、一人、また一人と人影達も去ってゆく。
残されたのは女と銀髪の男だけ。
二人は互いに視線を合わせず、ただ声だけでのやり取りを続けた。
「アルテイシアはあくまで予備だ。二人目を差し向けるほどではないし、何より時間が迫っている」
「だからこそだ。お前は自分のサーヴァントに自信があるようだが、今回それが退かれた。確認しておいて損はないだろう」
「……ゲームとやらを承認したのは相手をおびき寄せる餌にするためか?」
「断る理由がなかっただけだ」
無表情のまま、さらりと言ってのける女。
銀髪の男も小さく笑うだけで追求はしなかった。
「まあいい。それで、グーバとやらを倒したのはサーヴァントだと考えているのか?」
「いや。グーバが倒された時の様子からすると……また奴が戦っているのだろう」
そこで、変化が起こった。
今まで一度たりとも表情らしきものを見せなかった女が、うっすらと笑みを浮かべたのだ。
「今回は楽しいゲゲルになりそうだ。待ち遠しいな、聖杯戦争」
女は笑みを浮かべたまま、そう言って立ち去った。
女が立ち去った後、明かりの下には銀髪の男が一人残された。
「……やれやれ、手を貸したはいいが、思った以上に御しがたいな。サーヴァントだけでも手を持て余しているというのに」
男は嘆息すると、手の甲に描かれた令呪を指でなぞった。
幾何学的な模様のそれは、サーヴァントとマスターの繋がりを表す。
これを所持することでマスターはその資格を証明し、またサーヴァントに対して三回の絶対命令権を得る。
令呪を失うことは、すなわち聖杯戦争における敗北を意味する。
「それにしても……全く皮肉なことだ。英雄の血を引くこの私が、焔の災厄を従えているとはな……」
自嘲的に独白する男は、苦虫をかんだような表情をしていた。
そこへ、
「グロンギは既に去ったか、アーヴィング」
そう言って闇の中から現れたのは、セイバーのサーヴァント、ナイトブレイザー。
この返り血に染まった黒騎士こそが、銀髪の男、アーヴィングのサーヴァントであり、そして同時に忌み嫌うものだった。
「ああ、次のゲームとやらを行うようだ。それより報告を……どうした?」
アーヴィングが問う。
ナイトブレイザーは女の去った方向をじっと見ていたが、腕を組んで首を振った。
「……何も。ただ、あのグロンギの残した匂いが気に触るだけだ」
「ほう、貴様が薔薇の香りを嫌うとはな。剣の聖女以外に、貴様が苦手とするものがあったのか」
「…………」
アーヴィングの揶揄するような言葉に、ナイトブレイザーは沈黙で答えた。
17 tenero 〜やわらかに〜
士郎はうっすらと目を開いた。
カーテンの隙間から漏れた光が差しているようだ。
士郎が目覚めてまず視界に飛び込んできたのは、真正面……いや、真上からこちらをのぞきこむ少女の姿だった。
「目が覚めましたか、シロウ」
「……セイ、バー?」
ベッドに横たわったままぼうっとした口調で尋ねる。
起き抜けでまだ思考がはっきりしない。
少女……セイバーは、そんな士郎に対して深くはっきりと頷いた。
「はい。左腕の具合はどうですか?」
左腕。
セイバーのその言葉に一瞬眉をひそめた士郎だが、次の瞬間脳裏に浮かんだ光景に思わずベッドから跳ね起きた。
一旦覚醒してしまえば、次々と鮮明に思い出せた。
突然現れた女性。
黒騎士。
異形の怪人。
激痛。
恐る恐る異形の怪人に握りつぶされた左腕に眼をやると、そこでまた呆然となった。
「……嘘だろ。治ってる、のか?」
左腕が、動く。
聖杯戦争が始まって、セイバーとの契約があったころは傷もすぐに塞がっていたのだが、今のセイバーのマスターは凛だ。
もはや士郎には以前の自然治癒能力はないはずだというのに、士郎の左腕は全くの無傷といってもいいほどに完治していた。
「正確には治った、ではなく治した、なのですが」
ぐるぐると左腕を回してみている士郎に、セイバーが微笑みながら訂正する。
「治した? ってことは、遠坂が繋ぎ直してくれたのか? でも、あいつ、そんな器用なことできたっけ?」
本人が聞いたらさぞにっこり笑って追求するであろう発言をする士郎。
凛はかつて槍に胸を貫かれて死んだはずの自分を生き返らせてくれたこともあったが、その時使った宝石はとても貴重なものだったと聞いている。
士郎のその問いに、しかしセイバーは首を横に振って答えない。
「詳しい話は、リビングで。他の人もお待ちしていますし」
そうとだけ言って、ベッドの脇に置いた椅子から立ち上がる。
「あ、ああ……」
士郎も慌てて起き上がり……かけて、目が覚めてから二度目の驚きを自分の格好に対して示す。
「って、俺良く見たら寝巻きじゃないか! いつの間に!?」
「ああ、着替えなら凛と私で行いました。さすがにぼろぼろのままにしておくのは気が引けたので」
ぴききっ!
そう言って士郎の時を止めるセイバーさん。
時を止められた士郎はきっかり五秒動きを止め、そして時が動き出した後、左腕の具合を確認した時よりも恐る恐ると自分の下着を確認した。
……よかった。
さすがに二人掛りで下着まで変えられていたら、恥ずかしすぎて再びベッドに倒れこんでいたかもしれない。
「あ、ええと、じゃあ俺、着替えるから先に行っててくれ」
「……わかりました。先にリビングで三人に報告してきますから、士郎も後から来て下さいね」
そう言って、セイバーは寝室の外に出て行った後ドアを閉めた。
一人きりになった後、士郎は自分の衣類が入ったタンスを開いて……そこでふと気がつく。
「って、三人……?」
なんかヘンじゃないか?
士郎は片手でいるであろう人間の数を指折り数え始めた。
まず凛。
次にアルテイシア。
そしてセイバー……いや、ちょっとまて。
セイバーは今までここにいたんだから除外。
となるともう一人、誰かがリビングにいることになるが……
「…………あ」
指を折っていた手が止まる。
そうだ、昨日あの場にはもう一人いたはずじゃなかったか……?
「……正義の、味方」
不思議な姿に変身し、異形の怪人を倒した男。
それは気を失う前の最後の光景として、士郎の脳裏に焼き付いていた。
思い出した途端に、胸の奥がぐっと詰まる。
それは正義の味方に出会えた嬉しさからか、それとも……?
そして、それと同時に、何かが頭の隅で引っ掛かるような感覚もあった。
気のせいか、あの変身した姿はかつてどこかで見た記憶があるような気がするのだが……?
結局思い出せないまま、士郎がリビングのドアを開けると、そこには四人の人間が座って待っていた。
「あ、衛宮様。おはようございます」
「あ……おはよう、ございます」
丁寧にお辞儀をしてくるアルテイシアに、つられてお辞儀を返す。
アルテイシアの隣には、腕を組んで半眼でこちらを睨む凛の姿。
「……起きたか。体の調子はどう、説明聞いていられそう?」
だが、それが心配しているのを悟られないためのポーズだということは誰よりも良く知っている。
だから士郎は心配無用とばかりに笑って答える。
「ああ、大丈夫、何ともないぞ」
そう、と言ったきり視線を前に戻す凛。
凛の向かいの席でそれを見ていたセイバーが、微笑ましそうに目を細めた。
「それより……」
「ん?」
士郎はリビングに座っている最後の一人……セイバーの隣に座っている青年に目を向けた。
青年は視線に気付くと、口につけていたコーヒーの入っているカップを置いて、士郎に向き直った。
それで多少緊張感が増すのを自覚しながら、士郎は意を決したように口を開いた。
「昨日、助けに来てくれた人、ですよね」
「うん、そうだけど?」
あっさりと頷く。
その態度に、逆にますます緊張しながらも、士郎は男に対して深々と頭を下げた。
「……遠坂を助けてくれて、どうも、ありがとうございました」
「ちょっ、士郎、あんたね……!」
士郎の行動に誰よりも慌てる……いや、照れる凛。
士郎が青年に頭を下げたのは、青年が凛を助けてくれたからに他ならない。
それはつまり、士郎が凛のことを一番気にかけているという証明になるわけだから、凛が照れるのも無理はないだろう。
「いや、そんな頭下げなくてもいいってば。どさくさに紛れて一晩止めてもらっちゃって、むしろ俺のほうが助かったもん」
だから気にしないでよ、と、青年は士郎に顔を上げるように促す。
そういえば、青年はあれからずっとこの寄宿舎の凛の部屋にいたらしい。
「あっ、そうだそうだ。士郎君にはまだ渡してなかったっけ」
青年はぽん、と手を打った後、椅子の背もたれにかけてあったジャンパーのポケットをごそごそと探った。
やがて何かを探り当てたのか、何かを指に挟んだ手を士郎の目の前に差し出した。
「はい、俺の名刺、最新バージョンね」
士郎の目の前に差し出されたそれは、小さな紙片……名刺だった。
「はあ…………」
思わず受け取ってしまった士郎は、その名刺に書かれた文字をそのまま読み上げた。
「五代、雄介……冒険家?」
あまり聞いたことのない職業だった。
というか、実際にこの職業であるという人間に出会ったのはこれが初めてだった。
士郎の父親もしょっちゅう旅に出る人間だったが、それでも冒険家と自称したことは一度もなかった気がする。
だが、それよりも士郎が気になったのは、名前の上に書かれた肩書き「2157の技を持つ男」の方だった。
この半端な数字は、一体なんなのだろうか?
そもそも、技ってなにさ?
士郎が名刺に書かれた奇妙な言葉をじっと見ていると、横から凛が何か催促するように青年に言った。
「五代さん。もう一つ話すことがあるでしょう」
青年……五代雄介もそれに頷くと、コーヒーを一息で飲み干した後、士郎に向かってこう告げた。
「ああ。……士郎君も、あの時見たと思うけど。俺は、クウガなんだ」
「……クウガ?」
雄介の言葉の意味がわからずに聞き返してしまう士郎に対して、再び凛が横から助け舟を出した。
「士郎、覚えてないかしら。今から六年前に東京で起こった未確認生命体による連続大量殺人。一年ぐらい続いて終結したけど、殺された人の総数は数千人にもなるって言われてた」
そこまで言われれば、士郎にもその事件が思い出せた。
未確認生命体事件。
新世紀を一年後に控えた日本を恐怖のどん底に叩き落した凶悪な殺人事件。
それは未確認生命体と呼ばれた謎の生物が引き起こした無差別殺戮だった。
東京近辺を中心に次々に起こるその殺人事件に、一時は首都の移転までもがまことしやかに囁かれていた。
士郎も、当時知り合ったばかりだった慎二とその事件についての話題で話をしたものだった。
いや……正直に言うと、当時その事件を知った士郎はいきなり荷物をまとめると、東京に向けて旅に出ようと画策したのだった。
その無謀な行動は後見人である藤ねえの手によって未然に阻止されたものの、今思うと随分無茶なことを考えたもんだと我ながら呆れる士郎だった。
「……ああ、覚えてるけど、それがどうしたって言うんだ」
関係ない話題を振ってきた凛にそう聞き返すと、凛は愉快そうに笑う顔を手で隠しながらこう言った。
「ふうん。じゃあ、当時よく新聞に載ってた未確認生命体第四号のことも覚えてる?」
数秒の沈黙。
その間の士郎の思考はこんな感じだった。
第四号ってそういえばあの当時未確認生命体の中で唯一他の奴らに敵対するような行動を取る奴がいるということをテレビや新聞で言ってたような気がする確かそれが未確認生命体第四号だった赤い目と赤い鎧を持った奴でひそかに応援してたっけ懐かしいなそれで五代さんが言ってたクウガってなんなのさもしかしてあの戦ってた時の姿のことだろうかあれあの姿も赤い目と赤い鎧じゃなかったっけなんか途中から色変わってたけどでも第四号も色が変わってなかったっけつまりアレが第四号なのかじゃあ五代さんが第四号だったのかああさっき引っ掛かってたのはこれだったのかなるほどねって
「ああああああああああああああああああああああああっ!?」
本日三度目の驚きは、同時に本日最大の驚きとなって寄宿舎の空によく響いた。
18 narrante 〜語るように〜
「ま、話を聞くまではわたしも忘れてたんだけどね。第四号はあの後行方不明になったって話だったけど、まさかロンドンで出会うなんて」
絶叫の後で固まってしまった士郎を無視して、凛が話を進めようとする。
士郎はというと、自分の内面世界で剣の丘相手に正義の味方の話をしているようで、しばらく帰って来そうにない。
「まあ、あの後いろんな国を旅したからね……キューバとか、コロンビアとか、イランとか、ミャンマーとか」
「……気のせいかしら、今なんかすっごい物騒な地名が出てきたような気がしたんだけど」
雄介がつらつらと挙げていく国の名前に、ちょっと引いてしまう凛。
危険紛争地帯など当然知らないアルテイシアは、特に驚かずに雄介の話を聞いている。
「はあ……私、そんなに有名な方だとは全く存じませんでした」
感心半分申し訳無さ半分といった感じのアルテイシアだが、雄介は気にしないでくれ、と言って笑った。
「そりゃ、有名っていっても五年前の話だし、そもそもアルテイシアさんは他の世界から来た人なんだから……」
「って、五代さん、アルテイシアが異世界の人だって知ってるんですか?」
ようやく剣の丘相手に話をするのをやめたらしい士郎が、間から話に参加してくる。
その士郎に対し、横から苛立たしそうに説明する凛。
「あんたが寝こけてる間に簡単な自己紹介はしてあるの。詳しい説明はあんたが起きてからにしようってことになったから今まで待ってたんじゃない!」
「いや、そう言いだしたのは遠坂さんじゃなかったっけ?」
「うっ……そうだったっけ?」
士郎を威嚇する凛だったが、雄介の悪意無きインターセプトに見事撃沈される。
「ううん、そんなことは今はどうでもいいのよ!」
が、こんなことでは敗北を認めないのが遠坂凛。
強引に話を終わらせると、別の話題を出して仕切りなおそうとする。
「そんなことよりっ、五代さん! 士郎も来たことだし、そろそろ聞かせてもらえませんか? 昨日の怪人がなんなのか、を」
凛のその言葉に、リビングの空気が引き締まる。
雄介は空になったカップにコーヒーを継ぎ足しながら、頭の中で言葉をまとめているようだ。
アルテイシアは不安げに雄介を見つめている。
士郎も椅子に腰掛けて、雄介の話をじっと待った。
セイバーは先程からずっと変わらずに紅茶を飲んでいる。
「まあ、大体予想はつくけどね。第四号……いいえ、クウガを知っていてさらに敵対している存在といったら一つしかないもの」
確信に近い予想を持っているらしい凛が、雄介にに向かってそういうのには訳があった。
凛は昨夜、怪人が雄介の変身した姿を見て喋った言葉を確かに聞いたのだ。
「クウガ」と。
「……そう、遠坂さんの言う通り、あいつは未確認生命体だ」
「みかくにん……せいめいたい、ですか? さっきも凛様……いえ、凛がおっしゃっていましたが……」
この世界に一番疎いアルテイシアが復唱しながら首を傾げる。
凛の呼び方を言い直したのは、おそらく士郎がくる前に呼び捨てでいいと厳命されたためだろう。
後で自分も呼び捨てでいいと言っておこう、と心の中で決意する士郎。
それと、一見わかりにくいが、セイバーも詳しく聞きたそうに視線だけで催促しているようだった。
「六年前、日本に出現した怪人たちのことさ。警察とかだと、略して未確認って呼んでたけど」
当時のことを思い出しているのか、雄介はどこか伏し目がちだ。
「奴らは人間を殺すことをゲームだと言っていた。自分達が愉しむためだけに、多くの人達を殺した」
両手で持ったカップに、静かに力がこもる。
「俺は奴らが許せなくて、クウガになって戦ったんだ」
雄介は何かを堪えるような、そんな表情でそのまま沈黙した。
「当時の新聞だと、確か……第零号が第四号に倒されたのが最後で、それ以降未確認による事件は起きていなかったはずだけど」
凛はこめかみに指を当てて目を閉じながら昔の記憶を探っているようだ。
「生き残りがいる可能性もあったってことか?」
「でしょうね。現に昨日いたんだもの。なんで今更騒ぎになるようなことをやらかしたのかは知らないけど」
六年前の事件から今まで生き残ってきたのならば、その理由は二つ考えられる。
相当慎重に活動してきたか、あるいは相当強いのか。
ゴ・グーバ・ダがクウガに倒されたことから考えると、前者である可能性が高い。
尤も、生き残りの全てがそうであるという保証はどこにも無いのだが。
ともあれ、未確認たちは今になって活動を表面化した。
そこには何らかの理由があるはずなのだが……。
「……ユウスケ、私からも質問してもいいですか?」
そこで、今まで沈黙していたセイバーが雄介に声をかけた。
「昨夜、未確認はセイバーのサーヴァントと共に現れた。彼らがどういう関係にあるのか、わかりますか?」
「「あっ……!」」
凛と士郎の声が重なる。
そうだった。
途中からセイバーに任せてそのままになっていたために忘れていたが、あの場には今回のセイバーのサーヴァントであるナイトブレイザーの存在もあったのだ。
もし彼らが何らかの協力関係にあるのだとしたら、それが未確認の活動開始の理由になるのではないだろうか。
「いや。俺にはその聖杯戦争、とやらがなんなのかさっぱりだ」
雄介はセイバーの質問に首を振ると、士郎と凛に目を向ける。
「簡単な説明だったけど、俺からの話はこんくらいで。次は……」
「……そうね。じゃあ、わたしが説明するわ」
そう言って、凛が二番手となって聖杯に関する説明を始めた。
19 risoluto 〜きっぱりと〜
「聖杯戦争っていうのは、要するになんでも願いを叶えてくれる聖杯を手に入れるために魔術師が殺しあう儀式みたいなものよ。最後の一人になるまで殺しあって、残った一人の願い事を叶えてくれるってわけ」
凛の説明に、聖杯戦争未体験の二人は驚いて目を見開いた。
「……随分、物騒な儀式なんだね」
雄介はかろうじてそれだけ言うことが出来たが、アルテイシアに至っては絶句している。
「まあね。で、参加する魔術師の数は七人。七人の魔術師はそれぞれサーヴァントっていう過去の英雄の霊を呼び出して戦わせるの。だから魔術師本人の力量が低くても呼び出すサーヴァントの強さ次第では聖杯を手に入れることが出来る」
そこでチラッとセイバーの方を見る凛。
凛の考えていることを察したのか、セイバーは軽く頷いて答える。
「実は、そこにいるセイバーも前回の聖杯戦争のサーヴァントだったのよ」
「ええ!?」
驚きの声を上げる雄介。
それはそうだろう。
実際に彼女の戦いぶりを見ていたアルテイシアならともかく、雄介にしてみれば彼女がそんな物騒な存在だとは思いもしなかったはずだ。
「ってことは……もしかして、遠坂さんが?」
「そういうこと。前回の聖杯戦争で最後まで生き残った魔術師ってわけ」
「……一応俺も当事者なんだけど」
「その辺の話はややこしくなるから今は省くわ」
士郎が横目で訴えてくるが、凛は軽くそれを受け流す。
「それと……五代さんは見ていないけど、昨日現れた……ナイトブレイザーだっけ? アイツも剣の騎士、セイバーのサーヴァントよ」
「……確かにセイバーのサーヴァントに相応しい強さでした。負けた私が言っても仕方ありませんが」
セイバーの言葉に一番驚いたのは士郎だった。
「ちょっと待て、セイバーが負けた? 初耳だぞそれ」
「あ、そっか、士郎はあの時気絶してたから知らないのね」
「俺達がこの部屋に戻ってきた時には、中庭の近くで血を流して立ってたんだ」
士郎の言葉に、その場に居合わせた凛と雄介がそれぞれ答えた。
「シロウ達が去った後、私達は幾度も打ち合いましたが……結局、最後に競り負けて倒されてしまいました」
力なく告白するセイバー。
さぞ無念だったのだろう、斬られた胸を抑えて俯いている。
「それで、怪我とかは大丈夫なのか?」
「はい、傷の治癒にだいぶ魔力を消費してしまいましたから、調子は万全とは言えませんが。普通にしている分には問題ありません」
「そっか……」
「で、本来なら今回の聖杯戦争なんかわたし達には関係ない……はずなんだけどね」
凛はそこで士郎に目を向ける。
どうせあんたは関わるつもりなんでしょ? とでも言いたげな視線だった。
それを受けて、むっとした士郎は反論を開始した。
「遠坂だってわかってるだろ? あの聖杯は願いを叶えるものなんかじゃない。それに、今回は未確認が関わってるんだ。そっちの被害を出さないためにも、俺は今回の聖杯戦争に参加したい」
「……予想通りの答えね。まあ、士郎に関わるなって言う方が無茶か。それに、わたしだってあんなものを遠坂の土地で使わせる気なんてさらさら無いし」
凛は士郎の答えに不快になるようなことはせず、むしろ安心したかのようだった。
そして、雄介とアルテイシアの方に振り向いて、今度は二人に問い掛ける。
「五代さん、アルテイシア。あなた達はどうするの? 聖杯戦争に関わるなら、最悪命を失うかもしれないけど」
「……俺は戦うよ」
雄介は迷うことなく、はっきりとそう言った。
「その聖杯戦争っていうのが、未確認の願いも叶えられるものだとしたら、また誰かが涙を流すことになると思うんだ。俺は、それが嫌だから、戦うよ」
そう真剣な表情で宣言してから、一転して笑顔になる。
「大丈夫。俺は死ぬつもりなんて無いから」
凛はしばらく雄介の顔を凝視していたが、やがて根負けしたかのように息を吐いた。
「……本気でそう言ってるみたいだから、大丈夫みたいね。……アルテイシア、あなたは?」
「私は…………」
アルテイシアは胸に両手を当てて思い悩んでいたが、
「私は、知りたいのです。兄様がこの世界で、何をなさろうとしているのか。それが死人をだしてまで、するべきことなのか……」
すっと顔を上げると、はっきりとこう告げた。
「どうか、あなた達の傍で見届けさせてください。兄様が何を望んでいるのか、それと私が何をするべきかを知るために」
「……そう。けど、多分わたし達とあなたの兄様は争うことになる。それでもいいの?」
「……その時は、どうか兄様を止めてあげてください。私の言葉では、きっと止められないでしょうから」
「OK。それじゃあ、それぞれ理由は違うけど、ひとまず協力し合いましょう」
こうして、五人は新たな聖杯戦争に向けて改めて手を組むことになった。
20 con sentimento 〜感情を込めて〜
「じゃあ、私はそろそろ行くわ」
話がまとまると、おもむろに凛は立ち上がった。
突然の凛の行動に、士郎は戸惑った。
「え? 行くって、どこにさ」
「時計塔。協会本部から呼び出しくらってるのよ。士郎の治療とか理由作って引き伸ばしてたけど、そろそろ顔見せなきゃいけないし」
心底面倒だと言わんばかりの凛の言葉に、士郎の頭の中でセイバーに言われたことが蘇った。
「って、そうだ、俺の腕を治したってセイバーから聞いたけど、あれってどうやったんだ?」
「ああ、あれ? アルテイシアに頼んだのよ。わたしより彼女の方が治癒魔術に長けてたしね」
ね? と、アルテイシアに同意を求める凛。
アルテイシアも、にっこり笑ってええ、と答えた。
「ヒールはクレストソーサーの中では割と簡単な制定法ですから……もっとも、私は禁法のハイ・ヒールは使えませんから、本当なら折れた腕を治すには魔力不足なのですが」
制定法とはクレストソーサーの中でも習得が容易なもののことで、レベル1とも呼ばれる。
これに対してレベル2……禁法は、優れた魔術師にのみ習得が許されるとされる高度な魔術のことだ。
アルテイシアはまだ見習いなので、禁法の使用は出来ないというわけだ。
「足りないのなら補うのが魔術師でしょ。わたしの魔力をアルテイシアに分けて、何とか治療したってわけ」
ピクッ!
魔力を分ける、という凛の言葉に敏感に反応する士郎。
何を想像したのかは不明だが、なぜか顔が赤くなったように見える。
「ちょっと待て遠坂、魔力を分けたって、それってつまり……」
「な、何を勘違いしてるのよ! 宝石を媒体にして受け渡ししたに決まってるでしょ!」
士郎が何を想像したのか察したのか、つられて凛も顔を赤らめながら叫んだ。
凛が言うには、アルテイシアの身につけている魔力補助器に組み込まれている宝石に、凛が魔力を注ぎ込んで、一時的に強力な擬似増幅器にした、ということらしい。
「ああ、そういうことか……」
「当たり前じゃない! …………士郎以外にあんな事するわけないでしょ……」
意味深な言葉をぼそっと付け足す凛。
だが幸か不幸か、士郎はそれを聞き逃したようだ。
「え? なんか言ったか、遠坂?」
「何にも言ってない!」
振り切るように強くそう言って、凛は部屋から出て行こうとして……ふと振り返る。
「ああ、最後に一つだけ聞いておきたいんだけど……アルテイシア、あなたのお兄様って魔術師なの?」
「……ええ、兄様は剣にも魔術にも優れた人でした」
「そう……」
納得したらしい凛に、アルテイシアが問い返す。
「やはり……兄様が、あのナイトブレイザーを従える魔術師なのでしょうか」
「その可能性が一番高いわね。異世界の反英雄なんて、この世界の人間が呼び出すのはまず不可能だもの。同じ異世界からやってきた人間が呼び出したのならまだ関連性があるわ」
「そう、でしょうね……」
俯くアルテイシア。
やはり自分の兄がナイトブレイザーを従えていることが辛いようだ。
「じゃあ、わたしは行ってくるけど。五代さんはともかく、アルテイシアは外出は控えてね」
「……? なんでさ。別にでかけるぐらい……」
「あのね、その服装で外を歩いてたら目立ってしょうがないでしょうが」
疑問顔の士郎に、アルテイシアのドレスを指差して見せる凛。
確かに目立つ。
魔術師ばかりの時計塔の中でさえ、その姿は悪目立ちするだろうことは想像に難くない。
「ああそうか。……でも、だったら遠坂かセイバーの服を貸してやれば……いい……んじゃ……?」
言葉の最後の方が失速しているのは、士郎の目の前で凛がとてもイイ笑顔に変わったからだ。
具体的に言うと、コロス笑みだ。
良く見ると、向こうでセイバーも胸の辺りを抑えながら士郎の方を睨んでいるような気がする。
「衛宮くん? わたし達が今までそれを試さなかったと思う?」
衛宮士郎、地雷を踏む。
「いや、そっかそうだよな、遠坂ならもう試してるよな、当然。だって遠坂だし」
自分でも何を言ってるかわからなくなりながら、士郎は必死で地雷を撤去しようと試みる。
「そう。で、その結果がどうだったか教えて欲しい?」
衛宮工作兵、地雷撤去失敗。
人差し指の形をした地雷を目の前に突きつけられながら、士郎は何があったのか正確に理解した。
「いやもう察しはついたんでいいですっていうかゴメンナサイ」
「そう。洞察力は魔術師の必須技能よ。日々怠らないことね」
そう言うと、凛は士郎に向けていた指を離して、ぽかんとしているアルテイシアの体を上から下まで見回した後、
「……くっ」
ひどく悔しそうな顔をしながら部屋から去っていった。
地雷から開放された士郎は、全身の力を抜いて大きく息を吐いた。
「……はあ。また死ぬかと思った」
「……二人とも大変そうだなあ」
「……どうしたのでしょうか、凛は」
「……人はね、どんな言葉にも傷ついてしまう時があるんだ。超えられない壁を前にした時とかは特にね」
本気で理解していないらしいアルテイシアに、雄介が深いんだか深くないんだかわからない言葉を授ける。
「……ああ、安心したら腹減ってきたな。なんか残ってたっけ」
気を取り直したらしい士郎が、食べるものを求めてキッチンへ移動する。
備え付けの冷蔵庫を開いて、その中身を確認する。
「む」
士郎が目覚める前に既に朝食を作っていたのか、食料は昨日よりもさらに減っていた。
一人分ぐらいなら何とかなるが、五人分の食事を作るには、現在の備蓄ではいささか心もとなかった。
「どうせ遠坂は夜まで戻ってこないだろうけど……念のため今のうちに買出ししてくるか」
士郎は何か食べるのを断念すると、キッチンを出て再びリビングへ。
「食料の買出しに行ってきます。昼時までには帰ってきますんで」
壁にかけてあった上着に腕を通しながらそう言うと、座っていた雄介が手を上げた。
「あ、だったら俺のバイクで行こうか? 荷物運びの役には立つと思うけど」
「いいんですか?」
「いいのいいの。居候みたいなもんだし、これぐらいはやらせてよ。ね?」
「すいません、じゃ、お願いします」
士郎は雄介に頭を下げると、今度はセイバーに向き直った。
「セイバーはアルテイシアとここに残っててくれ。万が一の時に一人でいるのは拙い」
「わかりました」
士郎の言葉に、セイバーが素直に頷く。
士郎の言葉が正しかったこともあるし、加えて今のセイバーのコンディションもあった。
今は少しでも体を休めて魔力回復に努めなければならない。
「いってらっしゃい、シロウ、ユウスケ」
「ああ、昼はうまいもの作ってやるからな」
「はい、期待しています」
そうしてセイバーは、出かけてゆく士郎と雄介を送り出した。
21 eroico ancora 〜再び英雄的に〜
キキィッ!
ブレ―キング音と共に、雄介と士郎を乗せたバイクは停止した。
「ほい、到着。目的地の商店街でございます、っと」
「うわ、もう着いたのか……徒歩とはえらい違いだ」
リアシートから降りた士郎は、雄介から借りたヘルメットを脱ぎながらバイクのスピードを改めて実感した。
「それにしても、五代さん運転うまいんですね……あれだけスピード出してても全然酔いませんでしたよ」
士郎は道中のことを思い出した。
最初はあまりのスピードに恐怖すら感じたが、途中から慣れた。
そうなってくると、雄介の運転がとてもきれいなものだということに気がついた。
路面を滑るように、とはああいう走り方のことを言うのか、と感心する士郎だった。
雄介は褒められたのが嬉しかったのか、サムズアップして答える。
「俺の2157の特技の一つ、バイク操作。帰りにはウィリーとかもやって見せようか?」
「いや、それは……荷物がこぼれるだろうから、遠慮します」
なんとなく本気でやってのけそうな雄介に、さすがに辞退する士郎。
バイクを道路脇に止めると、二人は商店街の中へ入っていった。
「五代さん、何かリクエストとかあります?」
「んー……久しぶりに日本風のカレーとかいいかな。しばらく食べてないから」
ここで日本風の、という言葉が出てくる辺り、いかに雄介が世界中を旅してきたかがよくわかる。
「カレーですか。となるとカレー粉と肉が要りますね……人参は確かあったはずだから……」
頭の中でカレーに必要な食材をリストアップしながら、士郎は何気なく雄介の顔を見上げた。
士郎より頭一つ分背の高い雄介は、商店街に並ぶ店の列を何をするでもなく眺めている。
「……五代さん」
「ん……なに?」
気がつくと、士郎は雄介に声をかけていた。
無意識にしたことだったが、その次の質問は意外とすんなりと口にすることが出来た。
「五代さんは、戦ってて後悔したことってありますか?」
「……後悔したこと?」
雄介は、士郎の突然の質問に面食らったようだが、士郎の顔が真剣そのものであるのを見ると表情を変えて、やがて静かに語りだした。
「そりゃあるよ。もっと早く来ていれば、とか、もっと俺が強ければ、とかね。いつだって後悔しなかった事なんて無いくらいだよ」
「……それなのに、どうして戦い続けることが出来たんですか?」
せめて自分の知りうるかぎりの世界では、誰にも涙して欲しくなかっただけ。
ひどく寂しげな表情で、そう語った赤い騎士の姿が思い浮かんだ。
彼は死に、その果てに得たものは後悔だけだったと言っていた。
「どれだけ後悔しても、そんな俺に笑顔を見せてくれる人たちが居たからだよ。俺は単純だから、そのたびに思ったんだ。やっぱり俺、皆に笑顔でいて欲しいなって。それで、気がつくとまた戦えるようになってた」
士郎が次に思い浮かべたのは、ここ数年間いつも近くにいたあかいあくまの、時折見せる嬉しそうな笑顔。
赤い騎士には、彼に笑顔を見せてくれる人はいなかったのだろうか。
あるいは、あいつはそういう人たちすらも切り捨てて、理想を守ろうとしたのだろうか。
もしそうだとすれば、やはり自分と赤い騎士の辿り着く場所は違っているはずだ。
自分は決して、彼女を切り捨てたりはしないのだから。
「後悔はある。けど、それ以上の笑顔が守れたって信じてる。だから、俺は戦えたんだと思う」
多くの人の笑顔を守った正義の味方もまた、他の人の笑顔に救われていたのだと。
クウガ――五代雄介は、そう言ってかすかに笑って見せた。
* * *
同じ頃、同じ商店街の中ほど……入り口から角を一つ曲がったところで、二人の男女が人の流れに逆らって立ち止まっていた。
買い物の途中らしい親子連れが、物珍しそうに二人に注目している。
「ここで始めるのか、ゼビイ」
周囲の視線を無視して、扇を手に持った女が隣の男……ゼビイに尋ねる。
「ああ。都合よくリントがわんさか集まっていやがる。これなら七十六人なんてすぐ終わるぜ」
ゼビイがこの場所を選んだのは、単に人が多く集まる場所だからだ。
人が多ければどこでも構わない……そう考えていた。
だが彼は知らない。
偶然にも、今日この場所に二人の男がやってきていたことを。
「ちゃっちゃと済ませて、ズ・ゼビイ・バからゴ・ゼビイ・バになってやる。……合図を」
「……いいだろう。ではこの時から……」
女はゼビイに背を向けて歩き出しながら、開始の言葉を口にした。
「ゲゲル開始だ」
ゾブリ。
その言葉と同時に、ゼビイの体は異形の姿に変わり、隣を通り過ぎようとした親子連れを刺し殺した。
「……まず、二人だ」
* * *
「うわああああああああああああああああっ!!」
「イヤアアアアアアアッ!!」
「ば、化け物おおおおおおおおおおっ!」
突如、商店街に大勢の人々の絶叫が響き渡った。
続いて、地鳴りがするほどの足音と、駆けて来る人の波。
「なんだ!? ……まさか!?」
「行ってみよう、士郎君!」
士郎が見ると、雄介は既に商店街の奥に向かって走り出していた。
続いて士郎も全力で走り出す。
走りながら、先程聞こえた単語が頭の中で反響していた。
化け物。
そんな言葉から連想できるのはアレの仲間しかいない!
必死の形相で逃げ出してきた人たちをかきわけて、二人は商店街の角を曲がった。
「っ!? これは!」
「人が!?」
二人の視線の先には、商店街の店員や買い物にきていた客が数多く倒れていた。
死んでいる。
士郎はそれを直感的に悟った。
かつて多くの死体を目の当たりにした経験のある士郎は、それ以来人の死には敏感になっている。
その敏感な感覚が告げている。
これはまっとうな死ではない、と。
雄介は近くに倒れていた人……死体を抱き上げる。
長い棘のようなもので体を貫かれたような傷。
それが死因だった。
「五代さん、やっぱり……?」
「……ああ、恐らく未確認の仕業だ」
ギリッ。
歯軋りをする音は、二人のうちのどちらのものだったか……あるいは、両方か。
見ると、死体から流れ出た血液が、それ自体が道標であるかのように商店街のさらに奥に伸びていた。
まるで何かが血を引きずって歩いたかのように。
間違いない。
この先に、未確認がいる。
「士郎君、ひとまずカレーは……」
「ええ、お預けですね……」
雄介が構える。
士郎が構える。
「これ以上は――」
「――させないっ!」
雄介が叫ぶ。
士郎が叫ぶ。
「――――変身っ!!」
「――――投影、開始(トレース、オン)!!」
雄介が鎧を纏う。
士郎が剣を執る。
「「行くぞっ!」」
――二人の正義の味方が、走る。
22 sognando 〜夢見るように〜
「あ、あ……来るな、来るなよぉっ……」
涙と恐怖でぐしゃぐしゃになった顔を横に振りながら、少年は目の前の怪人を見上げるしかなかった。
周りにはたくさんの人が動かない姿で倒れている。
ついさっきまで笑いかけてくれていた人もそこにいた。
手に持った玩具をぶんぶんとでたらめに振り回しながらあとずさるその姿に、しかしメ・ゼビイ・バはなんの感情も動かなかった。
「これで七十人だ」
ただ、数を数えるための手段として、その幼い命を奪おうと手を伸ばす。
「ひ……や、やめろぉっ、なにすんだ、やめろっ……!!」
背後の壁に後退を阻まれて、少年は逃げ場を無くして座り込んでしまう。
その悲鳴を無視して、メ・ゼビイ・バは少年を掴み上げ……
「――――っさせるかあぁぁっ!!」
ビュオン!
「!?」
後ろから迫る風切り音に、メ・ゼビイ・バは咄嗟に片腕で頭部を庇った。
ギャアンッ!
庇った腕を衝撃が伝う。
弾かれてアスファルトに突き刺さったものの正体は、変わった形をした白い剣だった。
それが飛んできた方向に目をやると、こちらに向かって猛然と駆けて来る二人の人間の姿があった。
その片方……赤い鎧を身に纏った方に、メ・ゼビイ・バは見覚えがあった。
「――――クウガ!」
駆けて来る二人――士郎とクウガに向き直りながら、しかしメ・ゼビイ・バは少年を掴んでいる手を離さなかった。
この盾は使い道がある。
子供を盾にされると人間は動きが鈍るということをメ・ゼビイ・バは学習していた。
メ・ゼビイ・バは少年を掴んだ手を前に突き出したまま叫んだ。
「動くな、クウガ!」
「!」
――ザザッ!
クウガと士郎は、メ・ゼビイ・バの五メートルほど手前で立ち止まった。
「……キサマがここにいるたぁな、クウガ。目の前でコレが串刺しにされるのが見てえか?」
メ・ゼビイ・バは、少年の体を見せびらかすように揺らしながら楽しそうに言った。
クウガが現れたのは予想外だが、コレはコレでラッキーだ、とメ・ゼビイ・バは考えた。
これでクウガを倒し、ゲゲルを成功させる。
オレはゴの位に進む。
そして…………!
なんだ、オレは最高にツイてるようだ!
だが、メ・ゼビイ・バのその思考は士郎の叫んだ言葉に中断させられた。
「……戻れ、干将!」
ガギャァンッ!
地面に突き刺さっていたはずの白い剣が突如跳ね上がり、メ・ゼビイ・バの腕……前に突き出していたほうの腕を強烈に跳ね上げる!
「ヌグッ!?」
その衝撃を予想していなかったメ・ゼビイ・バは、思わず少年を取り落とす。
メ・ゼビイ・バに一撃を加えた白い剣――干将はそのまま空中を旋回すると、クウガの隣に立つ青年の手に収まった。
「キサマ、リント…………!」
「俺は動くなって言われてなかったからな」
しれっと言ってのける士郎。
「……はっ!」
メ・ゼビイ・バが士郎に気を取られた一瞬の隙に、クウガが一気にその間合いを詰める!
「ッ! ギラダダ……!」
それに気がついたメ・ゼビイ・バが再び少年を掴もうとするが、遅い。
「せりゃあっ!!」
クウガの助走をつけた蹴りが、メ・ゼビイ・バの頭を直撃する!
ズドンッ!!
「ギイッ!?」
メ・ゼビイ・バの体が吹き飛ぶ。
クウガは少年を庇うように立ち、後ろにいる士郎に声をかけた。
「士郎君、子供を!」
「わかりました!」
後ろから駆け寄った士郎が、クウガ――雄介の意図を察して少年を抱き起こした。
「怪我はないか? 一人で立てる?」
「…………っ」
少年は声も出ない様子だったが、かろうじて頷いた。
震えながらも、士郎の腕を離れて自分の足で立ち上がる。
「……よかった。じゃああっちに逃げよう。他の人も、みんなあっちにいるはずだ」
「ま、待って!」
道を引き返そうとする士郎を、少年が震える声で引きとめた。
「なに? どうかしたのか?」
「……あ、あそこ!」
少年は、道路の反対側を指差した。
其処にあるのは、幾つかの「人間だったもの」。
……それを指差す少年の動作に。
士郎は何故か、とても嫌な予感がした。
「お父さんが、おれのお父さんがあそこに倒れてるんだ!」
――――後悔はいつだってある。
少年の言葉が、先程の言葉と重なって士郎の心に突き刺さる。
「お父さんを置いてくのはやだよ、なあ、頼むよ、いっしょに連れてってくれよ!」
――――もっと早く来ていれば。
少年の指差す方へ、緩慢な動作で首を向ける士郎。
横たわる死体の中に、普段着の男性が一人だけ混ざっている。
それは、一目見たときからわかっていたこと。
だから二人は、一人の少年を助けることに必死になったのだ。
もはや、この場で生き残っていたのはこの少年だけなのだから。
「……………………」
士郎はあの光景を幻視する。
十二年前。
誰も生き残ることが出来なかった。
誰も助けてくれなかった。
そんな中、自分だけが救われた。
そのときから、夢を見た。
誰もが助かることが出来ればと、甘っちょろい夢を見た。
だが……これが。
これが、甘っちょろい夢を見た俺達に、世界とやらが突きつける現実だというのなら。
「……五代さん」
士郎は頭を振って幻を振り払い、前方を見つづけるクウガを見上げた。
クウガの視線の先では、吹き飛ばされたメ・ゼビイ・バが立ち上がるところだった。
「ああ、わかってるよ。……わかってる、から」
クウガの仮面に包まれているために、雄介の表情はわからなかった。
だが、その声は彼の心情を何よりも明確に表現していた。
きっと彼も、士郎と同じことを考えているのだろう。
わかってる。
この現実の中で、それでも夢を追いかけようと誓った。
奇麗事だと言われても、それが一番いいことだと信じた。
だから、今は。
後悔はしても、立ち止まることは許されない。
「すみません……あとは、頼みます」
士郎は、少年を抱きかかえると、来た道を再び走り出した。
「なっ! なにすんだよ、お父さんも連れていかなきゃ……!」
胸に突き刺さる少年の言葉を聞きながら、士郎は曲がり角の向こうに消えていった。
決して、立ち止まらなかった。
23 sensibile 〜鋭敏に〜
「ゴンセ、クウガ……!」
蹴り飛ばされたメ・ゼビイ・バは、怒りのこもった目で前方にいるクウガを睨みつけた。
「ビガラバサ・ガギボソグ!」
吼えるなり、メ・ゼビイ・バは突進してくる!
「はっ!」
応じるように、クウガも駆け出す!
「オオオッ!」
「あああっ!」
そしてぶつかりあう寸前、クウガは右拳を、メ・ゼビイ・バは顔を突き出す!
「!?」
ヂャキンッ!
一閃。
一瞬の判断で半身になって避けたクウガのすぐ隣を、メ・ゼビイ・バの口に当たる部分から飛び出した長い針が掠めた。
来る途中で見た死体の、何かで貫かれたような傷を思い出す。
どうやらこれが人々を殺害した凶器らしい。
「ジョベ・ジャガダダバ!」
一瞬で針を戻すメ・ゼビイ・バ。
ヒュッ!
「くっ」
そして、突起のついた拳で殴りかかってくるが、クウガはそれをいなしてかわす。
メ・ゼビイ・バは、隙あらば針で刺して大ダメージを狙っているようだ。
ゆえにクウガは攻撃に転じずにメ・ゼビイ・バの様子をうかがっていた。
ブンッ! ガッ! ヒュッ! ガガッ!
一方的な攻めが続く。
クウガは拳を避け、逸らし、受け止めながら、メ・ゼビイ・バの口元にだけ注目していた。
メ・ゼビイ・バの針攻撃は、初撃での奇襲こそ恐ろしいものの、知ってさえいればかわせる攻撃だ。
口にだけ注目して、攻撃の気配があれば……
「……ジャッ!」
避ける!
「ふっ!」
ヂャキンッ!
ズダァンッ!!
「ゲ……ゲエッ!?」
二度目の針攻撃は、瞬時に懐にもぐりこんだクウガに当たることなく終わった。
逆にメ・ゼビイ・バは、回避と同時に打ち込まれたクウガの脇腹打ちをまともに喰らっていた。
「ボン・クウガ……!」
ガシィッ!
だが、メ・ゼビイ・バは転んでもただでは起きない。
懐にいるクウガを上から両手で抱え、胴を掴んで固定する。
そして、今度こそ針を打ち込もうと真下のクウガに口を向ける!
「まだだっ!」
しかし、クウガはそれをさらに読んでいた。
掴まれた胴を中心点にして、体を回転させて丁度逆立ちの状態になる。
メ・ゼビイ・バに背を向けて上下さかさまに直立する格好になったクウガは、そのまま両足でメ・ゼビイ・バの頭部を挟みこむ。
「グ、ヌ!?」
「うおおおおっ!!」
そのまま体全体をしならせて、メ・ゼビイ・バの頭を挟んだままの両足を一気に地面に向けて振り下ろす!!
ズガシャアァッ!!!
「……………………ッ!!!!」
掴まれた状態からの変則フランケンシュタイナー。
頭から地面に叩きつけられたメ・ゼビイ・バは、激痛に頭を抑えながら、地面を転がってクウガとの距離を離した。
クウガも腕立ての要領で起き上がると、すぐにメ・ゼビイ・バの方向に体を向けて構える。
「ボグバダ・ダサドデ・デゴビ・ザボセビダ・ゲビセスバッ!」
なにやら叫ぶと、メ・ゼビイ・バは大きく上半身を仰け反らせるような構えを取った。
ちょうど、人間が深く息を吸う時のような格好だ。
そして、一気に上半身を元に戻すと――――
ギィイイィイィィイイイィィイィィイィイイッ!!
「――――――――ぐうっ!?」
不快な雑音が大音量で響き渡る!
クウガは頭を抱えるが、それだけではこの雑音を遮断しきれない。
いや、これはただ不快なだけの雑音ではない。
パリィン! ガッシャァン!
「……窓が、割れてる!?」
クウガの後ろの建物の窓ガラスが一斉に砕ける。
指向性の極大音波攻撃。
聴覚に直接訴えるそれは、常人ならば即座に気を失ってもおかしくない威力だった。
「っぐ……は、あ…………!」
だが、クウガは極大音波に脳を揺さぶられながらも、一歩ずつメ・ゼビイ・バに近づいていった。
「この、程度の……音でっ」
さらに一歩。
メ・ゼビイ・バとの距離は後数歩で埋まる。
「倒れて……たまるかぁっ!」
メ・ゼビイ・バは、ありえないものを見る心境だった。
自分の極大音波の中を一歩ずつ近づいてくる、あのクウガは一体なんなのだ?
この攻撃を中断して後退するか?
いや、それだとまた接近戦になる。
この攻撃で、クウガがここに辿り着くまでに倒すしかない!
ギャギャギャギィイィイイィィイイィィイィィイィイッ!!!
「……っ! ……ぬ……あ……ぐっ!」
より激しさを増す音波攻撃。
もはや物理的な破壊力すら持った音波がクウガに向かって押し寄せる。
それでもクウガは足を止めない。
さらに一歩。
メ・ゼビイ・バとの距離は後二、三歩。
それだけ近づけば、拳が届く。
だが、近付くに従って音波の威力は増してゆく。
音波が強風を伴って吹き付けてくるような感覚。
その風の中、もう一歩踏み出す。
後、一歩。
拳一つ分の距離が遠い。
音波の壁が道を阻む。
脳はねじ切れる寸前だ。
それほどまでにこの音波は強力だった。
――――だけど、あの少年の言葉に比べれば。
「あああああああああっ!!」
一歩、先へ。
ズダンッ!!
「ゲハアァッ!?」
クウガの放った正拳は、メ・ゼビイ・バの顔に正確に叩き込まれた。
* * *
「――――はあ、はあ、はあ…………」
商店街の入り口、雄介のバイクが止めてある場所まで戻ってくると、士郎は走る足を緩めた。
辺りには、逃げ出してきたらしい人たちが何人かへたり込んでいる。
「今すぐ戻れっ! お父さんを助けに行くんだっ!」
士郎の腕の中で、さっきからずっと少年が叫んでいた。
その叫びを無視して、ここまで走ってきたのだが……。
「お父さん、あのままじゃ死んじゃうじゃないか! だから……」
「……見て、無かったのか?」
「え?」
そろそろ、無視できるのも限界のようだ。
士郎は必死で震えを抑えていた。
震えそうな声を噛み殺し。
震えそうな体を縛り付け。
震えそうな心を凍らせた。
「俺がこれを言うのは、相応しくないかもしれないけど。今言えるのは俺だけだから、言うよ」
教えるか、教えないか。
真実か、嘘か。
絶望か、安らぎか。
最後の選択。
士郎は震えそうな瞳を一度だけ閉じて、次に開いた時には真っ直ぐな瞳で告げた。
「きみのお父さんは、死んだ」
教えた。
真実を。
絶望を。
「………………………………」
少年は、ぽかんと士郎を見上げていた。
その視線は士郎にとって、かつて受けた蒼い槍手の一撃に勝るとも劣らぬ痛みを秘めていた。
「なんで……」
やがて、少年が低い声でぽつりと言う。
士郎はそれを黙って聞いた。
一言一句、聞き逃さないように。
「なんでだよっ!? なんでお父さんが! なんで死ななきゃいけないんだよっ!?」
それは、紛れも無く叫びだった。
突然降ってきた理不尽に。
奪われてしまった幸せに。
ただ、何故と。
それだけの、純粋な叫びだった。
「……そうだよな。死ななきゃいけない理由なんて、無かった」
士郎はようやく、少年に対してこう答えた。
「だから、もう、殺させない」
ギィイイィイィィイイイィィイィィイィイイッ!!
その時、商店街の中から、何やらとてつもない巨大な音が響いてきた。
恐らく未確認の仕業だろう。
「……じゃあ、俺は行くから。雄介さんにまかせっきりには出来ないしね」
そう言って、再び駆け出そうとする士郎を、
「……待って」
少年が、か細い声で引きとめた。
「……なんだ?」
振り返る士郎に、少年は震えながらも、その手に持っていたものを差し出した。
「これ、持って行ってくれ。お父さんが、買ってくれたんだ」
震える手で差し出されたのは、少年が握り締めていた玩具だった。
あの状況でも、しっかり手に持って離さなかった玩具。
それに、一体どれほどの気持ちがこめられているというのか。
「兄ちゃん、あいつを倒しに行くんだろ?」
黙って頷く。
それだけは、やらなければならないことだから。
「だったら、これも持って行ってくれ。おれの、代わりに。おれは、怖くて、なにも出来なかった、けど……おれの代わりに、これ持って行って、あいつを……」
少年は泣いていなかった。
涙は既にあごまで伝い、言葉は喉に詰まって出てこなかったけれど、それでも少年は泣いていなかった。
歯を食いしばり、拳を握って、目の前の士郎をまっすぐに見つめていた。
「……わかった」
その思いに、答えなくてはいけない。
今はまだ、自分の夢も貫けない偽者の正義の味方でも。
もう、涙を見たくないというこの思いは、本物だと信じているから。
「約束する。絶対に、あいつを倒すよ」
* * *
「はあっ! せえっ! っりゃあっ!」
ダンッ! ダンッ! ダダンッ! ……ダンッ!!
クウガの拳が風を切り、相手の体を次々に穿つ。
「ガ……ギッ……!!」
ぶぅんっ!
その猛攻の最中、何とか反撃しようとするメ・ゼビイ・バだが、その攻撃は容易く見切られる。
先程の極大音波攻撃は使えない。
出そうとした瞬間に、クウガは間合いを詰めて頭部を打ちにくる。
何とかしなければ。
何とかして、「あの場所」まで逃げなければ……!
「はああああっ!!」
ズギャッ!
クウガが身を翻したかと思うと、次の瞬間強烈な回し蹴りがメ・ゼビイ・バの胴に直撃した!
「グゥオッ……!!」
ここだ!
メ・ゼビイ・バは痛みに悶えながらも、頭の中でこれをチャンスと判断した。
蹴りの威力に逆らわず、そのまま後ろに体が流れる。
クウガとの距離が、わずかに開いた。
「超変し――――」
「ラザザラ・ザゴパシ・ジャバギ!!」
クウガがとどめを刺すために金の力を発動させようとしたその時、メ・ゼビイ・バは一声叫ぶと大きく身をかがめ――
「ガアッ!」
ブアッ!
勢いよく真上に跳んだ……いや、飛んだ。
「なにっ!?」
メ・ゼビイ・バは、背中に畳んであったらしい羽を広げて宙を舞っていた。
周囲のどの建物よりも高くまで上昇したメ・ゼビイ・バは、そこで一旦動きを止めると、大きく上半身を後ろに逸らした。
先程の、極大音波攻撃の構えだ。
しかも今度は溜めが長い。
先程よりもさらに強力な一撃で仕留める気だ……!
「っ! 拙い!」
「五代さんっ!!」
と。
少年を無事に逃がし終えたのか、士郎がこちらへ走ってくる。
「士郎君……?」
クウガは士郎を……いや、士郎が手にしているものを凝視した。
「……士郎君! それを貸してくれ!」
そして、それがなんであるか理解すると、士郎に向かって手を伸ばした。
「え?」
一瞬戸惑った士郎だったが、次のクウガの言葉に表情を引き締めた。
「それで奴を……倒すっ!」
「……はいっ! 受け取ってくださいっ!」
士郎がそれをクウガに手渡す。
少年から託された、玩具のピストル。
それが今、クウガの手に渡った。
「――――超変身っ!!」
唸るベルト。
光る鎧。
クウガは昨晩と同じように、その姿を変貌させた。
但し、昨晩の金の紫に対し、今回の色は金の緑。
手にした玩具のピストルは、特殊な形の弓に物質変換される。
その姿こそ、クウガ・ライジングペガサスフォーム――――!
「ふっ!」
クウガは、手にした弓――ライジングペガサスボウガンを真上に向けて構え、精神を集中させる。
ライジングペガサスフォームは、長距離射撃を得意とする性質上、視覚、聴覚、嗅覚といった感覚機能が大幅に強化される。
その超感覚を駆使して、クウガは上空のメ・ゼビイ・バに狙いをつけようとするが……
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャアァアァァアアァァアァアッ!!!!
「っ!!!」
「っぅあっ!? これは!?」
メ・ゼビイ・バの極大音波攻撃が一足早く真下に向けて放たれた!
士郎はもちろんのこと、超感覚を備えているクウガにとって、その苦痛は今までの比ではない!
「…………言った筈だ」
だが、人間の限界を超えた苦痛をその身に受けながらも、クウガは全く揺るがなかった。
「この程度の音……」
冷静に、上空の敵に狙いを定める。
武器を支える腕は、ぴくりとも揺れることはない。
やがて、その照準は遥か彼方のメ・ゼビイ・バをしっかりと中央に捕らえた。
「決して、負けない!!」
引き金を引く。
連続して発射された、圧縮された空気の波動は、音波の壁を切り裂いて一直線に標的に走る!
ドシュドシュドシュッ!!!
「…………ア……?」
クウガの放った三本の空気の矢……ライジングブラストペガサスは、メ・ゼビイ・バの腹部と肩部、そして頭部を狙い違わず撃ち抜いていた。
メ・ゼビイ・バの腹部のベルトに風穴が開き、そこから走ったヒビが全身を駆け巡る。
「ア……アアァアアアァアァッ!!?」
チュドオオオオォォォ……ォォォ……ォォン……
「………………」
「………………」
遥か上空で起こった爆発を、クウガと士郎はただじっと見上げていた。
夢は遠く、空はどこまでも広がっていた。
24 scherzando 〜おどけて〜
ライジングペガサスボウガンを元の玩具に物質変換しなおすと、クウガは空を見上げていた視線を下に戻した。
クウガが金の緑……ライジングペガサスフォームに変身していられる時間は他のフォームより遥かに短い。
それは超感覚によってもたらされる情報量に雄介の精神が耐えられないからだ。
特に今回はメ・ゼビイ・バの攻撃によって膨大な音波を受けたため、その消耗は激しい。
「ふうぅ……」
変身を解除し、クウガから雄介に戻ろうとした、その時。
「……………………ん?」
「どうしたんですか、五代さん」
嗅覚をくすぐる、花の匂い。
この独特な匂いは…………
「バラの……匂い!?」
「五代さん?」
いぶかしむ士郎を片手で制して、クウガは意識を集中する。
即座に五感を総動員させて周囲の様子を探る。
「………………くっ!」
限界時間を超えて変身しつづけようとする雄介に、身体が悲鳴を上げて抗議している。
耳鳴りがする。
頭が痛い。
「…………居た!」
金の緑の力が無くなる寸前、クウガは見た。
遥か前方、今まさに建物と建物の隙間に消えようとしている女性の姿を。
そして、その姿が見覚えがあるものだと気付き、クウガは愕然と呟いた。
「あれは……!?」
それが限界だった。
変身が強制的に解除され、クウガは雄介の姿に戻った。
「一体、なんだったんですか?」
「……居たんだ」
「え?」
「あそこの建物のあたりに、六年前に出現した未確認……B一号が居たんだ」
「まだ、仲間がいたんですか!?」
未確認生命体B一号。
バラのタトゥの女、とも呼ばれる。
数多い未確認の中でも一際謎めいた存在。
その姿は事件初期から頻繁に確認されていたものの、結局事件末期まで生き残り続けた。
「でも……あいつは、一条さんが倒したはずなのに……」
雄介は、五年前の最後の戦いに向かう前に、協力者であり友でもあった刑事、一条から聞いた話を思い出した。
一条はこう言っていた。
B一号は、一条の放った強化型神経断裂弾によって死亡した、と。
それが、何故生きているのだ?
自分の見間違いだったのだろうか?
いや、変身が解ける直前だったとはいえど、金の緑の力で見つけたのなら見間違いなどではないはずだ。
ならば…………
「追いかけましょう、五代さん!」
雄介の疑問を振り払うように、士郎は既に勢い込んで走り出そうとしている。
「……うん、そうだね。考えるのは後だ!」
もう金の力は使えそうに無いが、逆にいえば金の力を使わなければもう少しは戦えそうだ。
なら、今はまず未確認を追いかけなければ。
そう考え直した雄介は、士郎の後を追って走り出した。
「相手の目印は……あっ、確かB一号は額にバラのタトゥをしているらしいから!」
「わかりました!」
「二手に分かれて捜そう! 士郎君はそっち、俺はこっち側を!」
「はい!」
「何かあったらすぐに知らせること! 一人で無茶したら駄目だからね!」
「無理ならしてもいいんですか!?」
「出来る限りなら、許す!」
「了解!」
「OK、行くよ!」
お互いに一度、サムズアップをして見せた後。
B一号が去ったあたりの路地裏に向けて、二人はそれぞれ足を踏み入れていった。
* * *
「だいぶ奥まで来たけど……ここにはいないのか?」
士郎が入り込んだのは、高い建物に両脇を挟まれた暗い細道だった。
表の街道から差し込む光が届かないほど、この細道は長く続いていた。
「……そろそろ反対側の通りに出てもおかしくないはずなんだけど……」
もしかしたら、気がつかないうちに道が曲がっていたのだろうか?
そんなことを考えていると、突然少し広くなっている場所に出た。
もっとも広いといってもせいぜい二、三メートル四方程度だが。
「……おや? 君みたいな少年が、こんなところにやってくるなんて……道に迷ったのかい?」
そんな狭い空間に、突然士郎以外の者の声が響いた。
「っ!?」
士郎が振り向くと、そこにはいつからいたのか……いや、最初からいたのか、とにかく一人の女性がいた。
女性は椅子に腰掛けて、紫の布を敷いた机の上で腕を組んだポーズのまま、士郎のことを見上げていた。
机の上に置かれたカードや水晶球といった小道具から察するに、どうやら占い師のようだ、と士郎は察しをつけた。
「そういう時は、神様に祈ってみたらどうかな? 案外、道が開けるかもしれないよ?」
「はあ……」
眼鏡の奥の瞳を楽しそうに細めながら、占い師は冗談ともつかぬことを口にした。
士郎はこのおかしな場所に陣取っている占い師に戸惑って、生返事を返すしかなかった。
一瞬、こいつが未確認B一号か? と思ったが、占い師の額には何の模様も描かれていなかった。
いやまてよ、と士郎は考え直す。
もしこの女占い師がここにずっと座っていたのなら、未確認B一号の姿を見ていたかもしれない。
「あの、ここらへんをバラのタトゥをした女の人を見かけませんでしたか?」
士郎の問いかけに、占い師はスッと左手を差し伸べてあっさりと答えた。
「3ポンド」
「はい?」
あまりにも予想外の答えに再び生返事を返す士郎。
占い師はそんな士郎を愉快そうに見つめながら言葉を続けた。
「捜し人を占って欲しいんだろ? なら3ポンドで占ってあげるよ」
「あ……あの……そうじゃなくて、ですね……」
ようやく意味を理解して、別に客としてきたわけではないがそれでもお礼として払うべきなのだろうか、と考え込んでしまう士郎。
そんな士郎の姿に、耐え切れないと言った感じで笑い声をこぼす占い師。
「ふふ、冗談だよ。本当のことを言うとね、ボクにはキミの言う女に心当たりがあるんだ」
「!? 本当ですか!?」
自分のことをボク、と称する占い師の言葉に、思わず机の上に身を乗り出して聞き返す士郎。
「本当だとも」
一気に顔が近付いたというのに、全く動じないでにっこり笑う占い師。
「……あ、す、すみません」
そのことに気がついた士郎のほうが、逆に顔を赤くして引き下がった。
占い師は全く気にしていない様子で、おもむろに机の上に置かれたカードを手にとると、それをゆっくりとシャッフルしていく。
「こうして道端で商売してるとね、いろんな人たちの話が耳にはいって来るんだよ」
こんな路地裏でどうやって、と士郎は不思議に思ったが、なにも常にこんな場所で占いをしているわけじゃないだろうと即座に思い直した。
「中には突拍子も無い話も含まれてるんだけどね……君の探してる女の話もその類さ」
「ど、どんな話なんですか?」
占い師はカードをきる手を止めると、その中から一枚、スッと抜き取った。
「この街の西に行くと、郊外に朽ち果てた教会があるって知ってるかい?」
カードに描かれていたのは十字架。
士郎から見て上下逆さまになるように机に置かれたそれを見ながら、士郎は首を横に振った。
「知らないのも無理は無い。地元の人間でも知ってるものは少ないくらいだからね……ともかく、その教会に最近奇妙な連中が居着いてるんだそうだ」
「奇妙な、連中……?」
さらにカードを手繰る占い師。
そして二枚目のカードを引き、士郎に見せる。
花束の描かれたカード。
「その連中の中で、特に人目を引いたのがバラのタトゥをした女だって話だよ」
「!!」
思わず息を呑む。
では、その奇妙な連中というのは未確認たちのことなのか。
士郎はそう考えながら、上下正しく見えるように置かれた二枚目のカードをじっと見つめた。
「あと……これはちょっと信頼性が低い話なんだけど」
と、占い師がさらに一枚、カードを手に持ったまま付け加えるように言った。
「黒い鎧を着込んだ騎士がいたって言う人もいるんだ。その人、随分酔っ払ってたみたいだったけどね」
「!?」
三枚目のカードが裏返される。
描かれていたのは剣を持った騎士の姿。
それが一枚目と同じように逆さまに置かれる。
ナイトブレイザー。
あの騎士もその教会にいた……!?
「どうかな? 何かの役に立ったかい?」
「は、はい! あの、ありがとうございました。……えっと3ポンドでしたっけ?」
「あはは、冗談だって言っただろう? ボクが占ったわけじゃないんだから、お金を受け取ることは出来ないよ」
本当にズボンのポケットを探り出す士郎に、占い師はぱたぱたと手を振って笑ってみせる。
「そうですか……それじゃ、俺、急ぎますんで! 本当にありがとうございました!」
言って、駆け出す。
踵を返し、来た道を引き返していく士郎の後姿が見えなくなるまで、占い師はじっと見つめていた。
「……思ったとおりだ。素直ないい子だね、衛宮士郎くん。キミならば、きっと……」
そう独りごちると、占い師は自分の身体を掻き抱くように腕を重ねた。
そっと目を閉じて、悩ましげに小さく首を振る。
「…………ああ、待ち遠しいな、待ち遠しいね。こんなに焦がれたのは久しぶりだよ……!」
路地裏に反響したその言葉が消える頃には、占い師の姿は既に跡形も無く消えていた。
まるで、最初から存在してなどいなかったかのように。
25 ardito 〜大胆に〜
「教会、か……」
雄介は頬を掻きながらその言葉を繰り返した。
士郎は路地裏から戻ってきた後、合流した雄介に占い師から聞いた話を伝えていた。
結局、あの後雄介の方でもB一号の姿を見つけることは出来なかったらしい。
「ええ、そういう話があったらしいです」
「そっか……でも、俺たちだけじゃ決められないよ。遠坂さんとかにも相談した方がいい」
何しろ、未確認たちの拠点と思しき場所だ。
一人を追いかけるのとは話が違う。
金の力を使えない雄介と士郎だけでは荷が重いだろう。
「そうですね、俺もそう思ってました」
「じゃあ、帰ろうか……って、バイクあっちに置きっぱなしだったっけ」
「あ、ちょっと待って下さい」
早速他の三人に報告するために戻ろうとした雄介だったが、士郎がそれを制止する。
「え? まだ何かあったの?」
「いえ……他のところで昼の食材買ってこなきゃいけませんし……それに」
士郎は、困ったような表情で雄介の手を指差した。
「それ……あの子に、返しに行かなきゃいけないでしょ?」
「え…………ああ、そうだったね」
雄介の手には、少年から託され、その役目を果たした玩具のピストルが握られていた。
* * *
「罠ね」
「罠ですね」
「罠……ではないでしょうか」
疑惑の言葉三連打。
少年に約束を果たしたことを伝え、少し離れた所にある食料品店で買い物を済ませたら、気がつけばすっかり帰るのが遅くなってしまっていた。
おかげでお腹を空かせたセイバーは恨みがましい視線で睨んできたし、凛に至っては何が理由なのかよくわからない怒りをぶつけられた。
それらを何とかなだめすかせて、無事に昼食を終えた後に、占い師の話を持ち出した結果が先程の三連打だった。
「あ、アルテイシアまで疑うなんて……」
「そんな話誰だって疑いたくなるわよ。何? 正体不明の占い師? そんなのがくれた助言に従って動くなんてあんたどこの勇者さまよ」
ショックを受ける士郎に、アルテイシアに代わって言葉のガンドをぴしぴしと打ってくる凛。
今日の凛の辞書には「遠慮」とか「容赦」という単語に「心の贅肉」という説明文しか載っていないらしい。
協会からの呼び出しがそんなに苦痛だったのだろうか。
「そうかな……俺は信じてもいいと思うけど。だって最初にその話をしてたのは、占い師じゃなくて街の人なんだろう?」
雄介が士郎の支援に回る。
これで2対3。
「五代さん。そこがそもそも矛盾してるのよ」
しかし相手側のあかいあくまはこういうときはやたら強い。
雄介の発言にもやれやれ、と首を振って切り返してくる。
「そこって、地元の人たちでさえ知ってる人が少ないような教会なんでしょ? そんなのの噂を一体どこの誰がするっていうのよ」
「あ」
そういえばそうだ。
噂は噂する人が居て初めて噂足りえるのだから、誰も知らない噂は噂にはならない。
「ね? だからそんな話自体、その占い師が考えたモノだって考えた方が自然でしょ。そもそも他人が話す「人から聞いた話」ほど疑わしいものは無いわ」
士郎、完全に論破される。
思わず腕を組んで顔をしかめてしまう。
「むむむ……じゃあ、教会の話は嘘だったってことか」
「は? 何言ってるのよ士郎。その教会が怪しいに決まってるじゃない」
……なんか、前にもあったような気がするぞ、こういう展開。
凛の馬鹿にしたような、というか確実に馬鹿にしている言動に、士郎は軽くデジャブを感じた。
「待て。お前、その話は占い師が考えたモノだって言ったじゃないか。それなのに教会が怪しいってどういうことだ」
「だから罠だって言ってるでしょ。十中八九……いえ、十中十待ち伏せとかされてるでしょうね。あるいは教会に入った途端に天井が崩れたり」
考えうる罠のパターンをすらすらと述べていく凛。
それを聞いて、余計に士郎はわからなくなる。
「だったら、教会ははずれだってことじゃないのか?」
「逆よ。本拠地だからこそ罠を張るんじゃない。確実に罠にはめるなら確実に敵がやってくるところに。リスクが大きければその分効果も大きいでしょ」
凛が言いたいのはそういうことらしかった。
セイバーもそれに頷く。
「私も、凛の言葉に賛成です。罠が張られているのなら、乗り越えればいい。そのままその先に居る敵を倒せば済むだけですし」
「でもなあ……」
罠だとわかっていて、あえてそれに乗ろうという二人の案に、士郎は不安を隠し切れない。
それでつい、隣に座るアルテイシアの意見も聞いてしまう。
「アルテイシアも同じ意見なの?」
「あ、いえ、私は……ただ、その占い師の方が良からぬことを企んでいるのではないか、としか……」
アルテイシアが申し訳無さそうに言うが、凛はばっさりと切って捨てる。
「当然でしょ。その占い師とやらもグルに決まってるわ」
『――――いや。その占い師とやらは初耳だな』
「「「「「!?」」」」」
ガタガタタタッ!!
突然聞こえてきた聞き覚えのない声に、五人は一斉に椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
いや、アルテイシアだけは違った。
彼女にとってその声は、他の誰よりも聞きなれた声だったのだから。
「何者だ!?」
セイバーが辺りを見回しながら鋭く問う。
既に鎧を具現化させて臨戦体制だ。
『我々の居場所を探られていたとはな……その占い師もマスターか』
「……そこ!」
声の発生源を割り出した凛が一点を指差す。
指差す先にあるのはリビングに飾られた鏡。
その中に、時代がかった風体をした銀髪の男の姿が映っていた。
「……兄様っ!?」
『久しいな、アルテイシア。元気そうで何よりだ』
アルテイシアが口元を両手で抑えながら短く叫ぶ。
鏡の中の男……アーヴィングは、まるでなんでもないかのように挨拶をした。
「なんだって!?」
「あいつが……?」
士郎と雄介の驚きをよそに、兄妹の会話は続く。
『先日はすまなかった。セイバーを迎えにやったのだが、手荒になってしまったようだな。だから今日は、私自身が迎えに来たのだよ』
「ふん、なにが迎えに来た、よ。だったら鏡を通すなんてまどろっこしいことしないで直接会いに来いってえの」
アルテイシアと鏡の間に割って入ってきたのは、宝石を手に持った凛だった。
『君は……この世界の魔術師のようだな。確かリン、といったか? 妹が世話になったようだな』
「あら、覚えてくれていたとは光栄ね。でも不愉快だから忘れてくれて結構よ」
礼をしようとするアーヴィングに、しかし凛はにこりともせずに言い捨てた。
『手厳しいな……君は、私がアルテイシアを連れて行くのに反対なのか?』
「誰が妹を誘拐しようとするような奴の所に行かせるもんですか」
全く容赦なくアーヴィングの言葉を跳ね除ける凛。
……ああ。
士郎はなんとなく、凛がアーヴィングに容赦ない理由がわかった気がした。
なんかあいつ、言峰っぽいんだ。
『……ふむ。どうやら不興を買ってしまったようだな。迎えにきたのは失敗だったか』
「だったらさっさと立ち去りなさい。あんたの映ってる鏡、高かったんだから。叩き割るのはちょっと惜しいわ」
本気で鏡を割りかねない凛に対し、アーヴィングはただ静かな笑顔を見せるだけだった。
『……いや、ならばこちら側に招くだけの話だ』
ギュオッ!!
唐突に鏡面が歪んだかと思うと、七色に光るアメーバ状になって凛とアルテイシアの周囲を包み込む!
「なっ!?」
「遠坂っ!!」
「リン!」
ガッ!
咄嗟に士郎とセイバーが駆け寄り、士郎の右手がかろうじて凛の左腕を掴み取る!
だがアメーバは士郎ごとその中に飲み込むと、収縮するように鏡に戻っていく。
……ギュパッ!
そのまま三人は鏡の中に吸い込まれて消えた。
『思わぬ客も招いてしまったが……まあいいだろう。もてなしの品は充分にあるからな』
「くっ、三人をどこにやった、アーヴィング!」
距離があったために手が届かなかったセイバーが悔しそうに歯軋りする。
『知りたければ教会に来るといい、前回のセイバー。私のサーヴァントもそれを望んでいるようだ』
「なに……!?」
『うち捨てられた教会ならば、何の気兼ねも無く宝具を使用できるだろう……とのことだ』
ナイトブレイザー。
あの夜、立ち去る後姿を思い出して、セイバーはさらに拳を握り締めた。
なんとか自分を抑えると、アーヴィングに向かって低い声で宣言した。
「……いいだろう。我が宝具の神威、とくと味わわせてやる」
『フ、確かにそう伝えておこう。では……』
キュゥン……!
その言葉を最後に、鏡が揺らいだかと思ったら次の瞬間アーヴィングの姿は消えていた。
「………………」
アーヴィングの姿が消えても、セイバーはしばらくその鏡を凝視していた。
「……セイバーちゃん!」
と、後ろから雄介の声が聞こえてきた所でようやく鏡から目を逸らした。
「どうしました、ユウスケ」
「あったあった、ここだ、教会って!」
雄介は、自分の持ち物の中からロンドンの地図を引っ張り出して教会の位置を捜していた。
そしてその指差す個所には、確かに教会を示すマークが描かれていた。
「この地図、安く売られてた古い地図なんだ。だから教会もちゃんと書いてある」
「では、そこに……」
「多分間違いない、バイクで行けばすぐに着く! 行こう!」
「はい!」
雄介は地図をたたむとヘルメットとジャンパーを掴んで走り出した。
セイバーもその後を追う。
「シロウ、リン、アルテイシア、待っていて下さい!」
26 addolorato 〜悲しげに〜
「う……な、なんだここ?」
士郎がどこだ、ではなく、なんだ、と言ったのも無理は無い。
鏡に飲み込まれた先に広がっていたのは、三百六十度の視界すべてが不規則に色が変わる謎の空間だった。
そこにガラスのような巨大なブロックが浮かんでいて、士郎たちはそのブロックの上に乗っているようだ。
その空間のどこからか、アーヴィングの声が聞こえてきた。
『いわゆる異次元空間、という奴だ。私はエミュレーターゾーンと呼んでいるが』
「いっ、異次元!?」
「名前に騙されちゃ駄目よ、士郎。どうせ大した物じゃないわ」
アーヴィングの語るこの空間の名称に驚く士郎だが、すぐに凛が冷静に諭す。
「要は大規模な結界みたいなもんでしょ。魔力の基点さえ見つかればすぐにでも脱出できるわ」
『やれやれ、本当に手厳しいな、君は。私としてはなるべく穏便に行きたいのだが』
アーヴィングの声は空間に反響して、どこから聞こえてくるのか判別できない。
「なら、せめて姿を見せたらどうなの? このままずっと隠れてるつもり?」
そのことにいらだったのか、凛はわざと挑発するような態度で煽ってみせる。
『なるほど、確かに』
納得したかのような言葉と共に、虚空が捻れ、その中から人影が形を成す。
現れたのは、先程鏡に映っていた銀髪の男……アーヴィング。
「兄様……」
「三人とも、よく来てくれた。君たちを心から歓迎しよう」
大仰に手を広げて歓迎の意を示すアーヴィング。
だが、対する凛と士郎はというとアーヴィングほど好意的ではなかった。
「歓迎、ね。私たちの世界ではこういうのを拉致っていうんだけど」
凛は軽口を言いながらも宝石を取り出しているし、
「――――投影、開始(トレース、オン)」
士郎も干将莫耶を投影すると、アルテイシアの前に立ち、アーヴィングに向けて剣を構えた。
「……やめてくれ。私が戦う相手はマスターであって君たちではない」
「うるさい。未確認の奴らがしたこと、お前と関係ないとは言わせない」
士郎の脳裏に寄宿舎と商店街での事が浮かぶ。
人を殺して笑う未確認。
父親を殺されて慟哭する少年。
例えアルテイシアの兄だろうと、士郎は目の前の男が許せなかった。
「……アレか。あの連中は私でも持て余している」
顔にかかる銀の髪を払いながら、アーヴィングは困ったように言う。
「どうも自己の快楽に走る習性があってな……無駄な被害が多すぎる。ある意味、君等が殺してくれたことに感謝したいくらいだ」
「っ…………!」
未確認を、いや、その犠牲になった人たちすらも、ただの駒程度にしか見ていないその発言に、士郎の感情の糸が切れた。
「ふざけんなてめえええぇぇぇぇぇっ!!」
もはや躊躇など無く、アーヴィングに剣を握っている拳で殴りかかる士郎。
「……仕方が無いな」
アーヴィングは短く嘆息すると、殴りかかってくる士郎に向けて手をかざした。
「出でよ、ランドルフ」
ズギュルンッ!
「かはっ……!?」
アーヴィングの掌から現れ出た巨大な何かが、士郎の胸を強く突き飛ばした!
「げほっ、げほっ……っく」
凛の隣まで押し戻され、尻餅をつく士郎。
胸を突かれてむせびながらも、剣を支えにして立ち上がる。
「くっ……その鍵が、あんたの武器って訳?」
凛にもわかった。
アーヴィングが持っているそれは、おびただしいほどの魔力を秘めた道具だということが。
「魔鍵ランドルフ。次元の狭間から引き上げた最高級のアーティファクトだ」
巨大な鍵……ランドルフという名のそれは宙に浮かんでアーヴィングの周りを回っていた。
「この空間を作ったのも、その鍵の力なわけか……異世界のものとはいえ、非常識ね」
凛の言葉にあえて答えず、アーヴィングは再びアルテイシアに向き直った。
「さて……改めて言おう。私と共に来い、アルテイシア」
「兄様……なぜなのですか? なぜ、衛宮様や他の方々を巻き込んでまで、このようなことを……」
「それだけお前が必要だということだ」
弱々しく尋ねるアルテイシアに対して、アーヴィングの口調は変わらない。
「そもそもお前は疑問に思わなかったのか? なぜ自分が異世界にやってきてしまったのか」
「そ、それは……テレポートジェムの失敗で……」
この世界にやってきたのは、単なる事故。
この世界で兄と出会えたのは偶然。
アルテイシアはそう思っていたが、アーヴィングはそれを否定した。
「そんなもので次元の壁に穴を空けることなどできるものか。……お前はな、アルテイシア。この私が呼んだのだ」
周回していた魔鍵ランドルフを手の上に移動させ、アーヴィングはこともなげに言った。
「兄様が、私を……?」
「そうだ。かつてアナスタシアという女性が「剣の聖女」となったように……来たる聖杯戦争に必要不可欠な「杯の聖母」の役目……お前に担って貰う」
その言葉に、凛と士郎の顔がさっと青ざめた。
「杯の聖女、だって……!? ……まさか」
「あんた、自分の妹を聖杯にしようっていうの!?」
「アルテイシアには、その素質がある。仮にも英雄の血を引いた者なのだからな」
アーヴィングの表情は、まるで決められた予定をただ口にしているだけのようだった。
「私がその役目をやってもよいのだが、そうなると願いが叶えられないのでな。ならば、妹のアルテイシアにその役目を担って貰う」
「兄様……兄様の願いとは、なんなのですか?」
「……願い、か」
アーヴィングは暫し目を閉じ黙考したが、再び目を開いて迷い無く言い切った。
「……世界そのものを殺す。私が望むのはただ、それだけだ」
世界の全てを敵に回す言葉を聞いて、一瞬この場に居る誰もが耳を疑った。
そして、一歩ずつ踏みしめるようにアルテイシアに近付いていくアーヴィング。
「……この……させるかっ!」
それに反応した士郎が今度は剣そのもので斬りかかる。
「くどい」
ギャリィッ!
アーヴィングはランドルフの柄で士郎の剣を受け止めると、冷ややかな目で士郎を見下ろした。
「マナーの悪い客人には少し大人しくしていてもらおうか……ランドルフ」
アーヴィングの呼びかけに、魔鍵がかすかに震えた。
ギィンッ!
回転して剣を跳ね除けると、そのまま空中に垂直に立った状態で制止するランドルフ。
「っく……!?」
士郎が続いて攻撃を繰り出すより早く、アーヴィングは叫んでいた。
「――――超次元穿刀爆砕!!」
カッ!!
ランドルフにあしらわれた緑の宝石が光る。
そして、同時に士郎の周囲に大量の魔力が集束していく。
「な、に――――?」
驚く暇も無く、その魔力は士郎を取り囲み……一斉に炸裂した!
キュドゴオオオオオォォォンッ!!
「………………!!」
声すらも炸裂音に阻まれ、士郎は魔力の炸裂の直撃を受けた。
「士郎!」
「死にはしない程度に威力は抑えた。もっとも、生きているかはわからんが」
思わず駆け寄る凛を一瞥した後、アーヴィングはアルテイシアの前に立った。
アルテイシアは苦悩の表情で、実の兄を見上げた。
「兄様……そのような兄様を、父様はきっとお許しになりません」
「……いまさら父に許しを乞おうとは思わん。……今一度言うぞ」
兄は立ち尽くす妹に対して、辛辣に告げた。
「私の元へ来い。英雄アシュレー・ウィンチェスターの血を引きし者、アルテイシア・ウィンチェスターよ」