強い風が顔を打つ。
小さな痛みすら感じるそれが顔の凹凸を滑る様に駆け抜けていく。
それでも目を確りと開け前を見据えた。
そして『弓』を構える。
ひどく揺れる不安定な足場ではあったが、構えたその時にはそれすらも意識から外れている。
ただ集中し、只管に前方を睨みつけ、目標を探す。
時間的にはほんの数秒だったであろう、その姿を捉えた瞬間には
吹き荒ぶ風も、突如襲ってきた横殴りの圧力さえも消え去り、
己という一点と、的を繋ぐ一本の線のみの世界となる。
目標は驚くべき速度で動き続けている。その距離とてそう近い訳ではない。
しかし、そんなことは問題ではないのだ。
線が繋がった瞬間に何の意味も為さなくなる。
放つ前にすでに結果は分かっている。
――繋がれば中る――
この『弓』はそういうものなのだから。
ならば、結果を確かめるまでも無い。即座に次の行動に移る。
ただ前を見据え、駆け出すのみ。
正直、驚きを隠せなかった。
端から見ればさぞ複雑に見えたことだろう。
険呑であると同時に呆けた様な表情を作ってしまっていた。
後者の理由は単純だ。
自分が運転する少々法定速度を上回る速度の車上で、
標的を発見した途端に立ち上がり、
建物の影に消えていった標的を追い速度をそのままに急転回させる中
身動ぎ一つせず攻撃を開始したかと思うと
すぐさま車から飛び降りるという荒業を目の当たりにしたからだ。
足止めに成功したのを確認したので、
若干速度は落としてはいたのだが……
尤も、その行動自体がそれほど驚愕に値するわけでもない。
一般人からしてみれば凡そ人間離れして見えるのかもしれないが、
『この世界』では決して大それた事ではなく、むしろその程度が最低条件であるとさえ言えるかもしれない。
問題は、それを実行に移した理由にある。
否、理由にあるとは言ったが、本当はその理由を理解できないという所にある。
彼と組んで『仕事』をするのは何も今回が初めてではなかった。
その戦闘スタイルはいつも大差は無い。
『弓』が的を外さないのは同じだろうと思っていたし、実際その通りだった。
目標は最早動けない。
ならば走り続ける車から飛び降りるなんて真似は必要が無いはずだし、
大体が自分たちは何の策も持たず追い続けていたのではなく、
幾重にも罠を張り時間をかけて袋小路に追い詰めていたのだというのに
何故それらの苦労をぶちまけてくれやがるのかこの野郎、といった具合で前者のような表情になるわけである。
…勿論、険を浮かべるのはそれだけではない。
彼の能力。身体能力ではなく、目標に対して『弓』を放ったその能力。
何処からとも無く取り出した、『弓』に番えるのは、
何処からとも無く取り出した、『黒鍵』。
確かにその選択は今回の標的のような輩には正しいのかもしれない。
問題は、それらをどうやって用意したのか。
矢以外の物を番える時点ですでに埒外だというのに、
構えた時に一本きりだったというのに、
解き放たれ目標へと至るまでの刹那にその数は増えて行き、
果てには都合4本の『黒鍵』が突き刺さっていた。
それらは同時に穿たれたのではなく、第一矢はその右手の甲の中心に穴を開け、
建物の間を逃げ回っていたソレを煉瓦造りの壁に縫い付けた。
身体の一部を無理やりに停止させられ脚は地を離れ右手を中心にぐるりと宙を舞う。
余程深く刺さっているのだろう、その衝撃を受けても『黒鍵』が抜けることは無い。
そして左脚が回転運動の頂点に達した瞬間、そこに二本目が迫る。
ソレの動きはそこで止まった。
頭部が地に、脚が天に、逆さ吊りの完成だ。
そこへ第三、第四の矢が残された左手と右足の先を貫く。
さらに言うなら、右手の場合は甲の側から、左手は掌側からで、脚も同様に捻れている。
人の身でこんなことをされたら即死とは行かないまでも致命傷にはなり得るだろうが、今回の目標は人間ではない。
性質の悪い標本と化したソレは憎しみに血走った目で睨みつける。
目の前に迫る彼を。己に終わりを告げるであろう存在を。
助手席から飛び降り駆けていった彼は数m離れた場所で足を止め腰を屈め、
ずっとその手に持ち続けていた『弓』を構えた。
あれだけの速さで動き回っていた目標に苦も無く命中させたのだ。ここに来て外すような事は無いだろう。
少し溜息を吐き出して、本来ならもう少し躍動し続けるはずだった車を停止させる。
呆れの混ざった普段より重い呼気は、無論彼に向けられたものだ。
当の本人はといえば、再びその『弓』に何処からとも無く取り出したモノを番えていた。
やはり矢ではなく、かと言って『黒鍵』でもなく、それは見た事もない異様な形をした剣だった。
生憎と刀剣の類に大した造詣を持ち合わせている訳ではないので、それが何なのか知る由も無い。
しかし、武具に関して専門外とは言え事戦闘に関するならば、
そちら側に身を置いて来た時間は彼よりも遥かに長いだろうとは自負している。
だから言える。彼が手にした物は決して貫く為の形状ではなかった。
「―――――――」
はっきりとした言葉までは聞き取れなかったが、
彼が何事かをポツリと呟いたのを感じる。
声自体は小さな物だったが、そこに込められていたの確固たる意思と、魔力。
先程の『黒鍵』は単なる矢として射放たれたが、今撃ち出された剣は違う。
同じ矢とされた物でも、足止めならぬ四肢止めに使われた時のを光線に喩えるなら此度のは荒れ狂う暴風。
内包するのは死滅という唯一つの意味しか持たない、破壊の奔流。
強大な力その物をぶつけられる対象は果たしてそれを理解できたのだろうか。
憎悪に満ちていた目は色を失い、あくまで抵抗を止めようしない体の動きも止まっていた。
考える時間など残っていなかっただろう。
きっと断末魔の怨嗟を上げるよりも先にまず訊ねたかったのかもしれない。
なんだそれは、と。
奇しくもそれは自分とまったく同じ感想だった。
煙はすぐに散って行った。
炸裂した瞬間こそ視界を埋め尽くしていたが、街並みを抜ける風によってすぐにそれは拭い去られる。
深く、長く息を吐き出し背筋を伸ばす。
瞼を下ろし意識を内へと向け、肉体の状態を確認してみる。
米神辺りが熱した鉄球を押し付けられいるように痛む。
後頭部は中から突起物が突き破ってきそうに痛む。
首の後ろには実際に太い針が刺さっているかのように痛む。
……問題は、無い。
全身に筋肉痛の数倍ひどい痛みが走るのも何時もの事だ。
何も、問題は無かった。
目を開けると同時に、背後から靴音が響いてくる。
その音自体は少し前から届いていたのだろう、内に篭っていたので認識できなかっただけだ。
すぐに振り返ろうと思いはしたが、その前に目前の光景を見やる。
それは己が為した事。
思考し、選択し、行動した結果。
ならばきちんと見据えなければならない。
その四肢を止めていた『黒鍵』の姿はもう無い。
最後の一撃で目標と同じ運命を辿った筈だ。
心臓辺りを狙ったのだが、そこから余分に半径2m分ほど穴が出来ていた。
そこにはもう、何も無い。
目標が着ていた衣類の欠片も残さず消え失せた。
消滅するその時までの姿は一つ一つ脳裏に焼き付けてある。
こちらに気付き即座に踵を返し逃げ出したその背中も。
追跡中に時折見せた嘲りの笑みも。
足止めを食らい向けられた憎しみも。
最後の瞬間、全ての感情を失くしたような顔をした事も。
……そして何より、食事中の至福の表情を。
今回の目標は人を食らう。そう、聞いていた。
実際にその現場を目撃した。
食っていた。美味そうに、愉しそうに、嬉しそうに、満足気に。
途端、止まらなくなった。
気付いた時には、今回の仕事の相棒を急かし、追跡を開始していた。
人を食らう。人を食らっていた。
そんなモノは到底容認できるものではなかった。
だがその激昂も、今となってはすっかり失せた。
とりあえずこの場は終わったのだ。
人を食らうモノは、一つきりではなく、この街にはまだ巣食っている筈。
ならば立ち止まっている暇など無い。
これ以上被害者を出さない為に。
……これ以上、と言っている時点で自分達は手遅れなのだという事実が、ひどく歯痒い。
詰まる所、今回の仕事を全て終えたとしても、結局は事後処理なのだという事。
自分は守るために来たのではなく、被害を広げないために呼ばれたのだという事。
何かが起きた時に初めて依頼が来るのだからそれは当然だ。
だから本来はここに来たときにはもう取り返しのつかないことなのだ。
少なくとも自分が見た、あの少女にとってはもう完全無慈悲にその先が皆無な終わりだった。
それでも自分は先へ行く。行かなければならない。
仕事だからではない。他でもない、自分で決めたことなのだから。
この身を襲う不甲斐なさも、人に食らうモノへの思いも、ここに置いて行く。
次へ向かうために今は必要の無いものだ。
自分はまだ、前に進める。なら進まなければならない。
吐いた時と同じ位に長く息を吸い込み、すぐ後ろにまで来ているだろう足元へと向き直る。
「次、行きましょうか。バゼットさん」
「…そうね、衛宮士郎」
―聖杯戦争から幾数年、衛宮士郎はバゼット・フラガ・マクレミッツと共に戦場に居た―
プロローグ2 士郎の場合
バゼットの運転する車に揺られながら士郎は考える。
近頃頻繁にある人物を思い出す、と。
幾度も死線を彷徨ったあの戦いから数年が過ぎた。
あれほどの衝撃の連続だったにも関らず―――いや、だからこそなのか、
今も鮮明に残っている記憶がある一方で、限りなく薄れ行く記憶も数多くある。
この痛みも、この苦しみも、決して忘れることなどありえないだろう。
戦争終結後の一年位はそんな風に考えていたのだが今ではこの有様だ。
変わらず心に残っているのはほとんどが彼女のものだ。
――セイバー――
其の名を心中で呼んでも痛まなくなってから随分と久しい。
言葉にしてしまえばその保障は定かでないので未だに実行したことは無いけれども。
月明かりの彼女。優雅に、けれど厳しく剣を振るう彼女。
確かめるように頷きながら食事をする彼女。褥を共にした時の恥らう彼女。
そして―――黄金色の朝焼けの中で微笑んでいた彼女。
どれをとってみても目を閉じれば即座に思い浮かべることが出来る。
例え共に過ごした時間が僅かであったとしても、そこには全てがあった。
幾つもの死があり、幾つもの生があった。
数え切れない痛みがあり、伴う苦しみも強烈だった。
しかし同じ位に、喜びもあり、楽しみもあったのだ。
そのどれもに彼女が関っている。
彼女と共にあることで、心は軋み、癒された。
だが、彼女はもう居ない。
自分の全てだった彼女が消えてしまった時、空っぽになってしまうのではないかと愕然とした。
痛みも、悲しみも、喜びも、何もかもに心が動かないのでないのかとすら思えた。
しかしそれでも時間は過ぎていくし、
置いてきぼりにされるのかとも恐怖していたのが嘘みたいにあっさりその流れに乗っていた。
何事も無かったかのように登校を続けたし、無事に卒業間近になった。
そのまま冬木市に留まるのもありえない選択ではなかった。
いや、むしろ比重はそちらに傾いていたかもしれない。
藤ねぇはそれを頻りに勧めていたし、桜も口に出したりこそしなかったがそうして欲しそうな雰囲気を力一杯撒き散らしていた。
一成や美綴りなんかもしばらくは家に残るらしいし。
だから自分の中では半ば以上決定していたのだ。
冬木市に残り切嗣の後を継ごうなんて事を。
そんな折、自分の前に立っていたのは遠坂だった。
明朝には倫敦に向け出立するという話だったというのにこんなとこに居ていいのかと
尋ねようとした所すごい目で睨んできたので口を噤んで上げかけた腰をすとんと落とした。
何か用か、と聞こうとしてもやはりその目つきが怖いので言葉が出ない。
しかし、何かしらあったのでこんな時間にこんな場所まで来たのであろうに、遠坂はなかなか口を開こうとしない。
こんな時間に―――日課の鍛錬をしているような夜遅くに、
こんな場所に―――その鍛錬をするための土蔵なんかに、
一体何の用があるというのだろうか。
月明かり差し込む中、しばらく見詰め合っていた。
いや、正確に言うと遠坂はやはり鋭い目のままだったし、きっと自分は怯えた子犬のような目をしていたのだろうけど。
時間的には大したことは無かっただろうが、やがて均衡を破ったのは遠坂からだった。
不意に踵を返すと来た時と同じように無言のまま背中を向けた。
だが、向けただけで立ち去ろうとはしない。
思わず声をかけていた。「―――遠坂?」返事は無かった。
しかし反応はあった。微かにだが背を向けたままちらりと顔をこちらに向けたのだ。
それは余にも一瞬の事であったし、完全にこちらに顔を向けたわけでもなかった。
大体が遠坂が立っていたのは土蔵の入り口でそこには月明かりだけが照らしているような状況で。
さらに言うと突然の深夜の訪問にかなり混乱していたりするのもある。
だから、よくわからなかった。
本来なら見えよう筈も無かったのだ。
遠坂の強く輝きを放つ瞳なんてのは。
何故だか自分には見えてしまった。
遠坂がどんな顔だったのか、今思えば初めてお目にかかる服装だったのにも気付かずに、
その目だけはまるで脳天にガンドを打ち込まれたかの様に飛び込んできた。
そして去っていくその背中から目が離せなかった。
似ていた。
あれは、ただ前を見る者の瞳。
あれは、ただ前へと進む者の背中。
遠坂の後姿は否応無しにアイツの姿を髣髴とさせた。
何も語らない。
それが、あの赤い弓兵を思い出させた。
「お前はそこに居ろ」そう言われた気がした。むかついた。
その瞬間、自分は旅に出ることに決めたのだった。
それからちょっと―――否、かなり―――訂正、驚天動地に慌しかった。
藤ねぇは怒り出したと思ったら号泣しながら暴れ出したし、
それだけならまだしも終いには笑い出してしまったから半ば本気で旅に出るのを止めようかと思った。
桜もやはり口にこそ出さなかったがそれは止めて欲しそうな雰囲気を物理的な圧力すら感じるほど噴出していた。
そんな中、たった一人味方をしてくれる娘が居た。
高校卒業間近にも何も言ってこなかったイリヤが旅に出ることを認めてくれた。
話し始めた瞬間に虎を背負っていた藤ねぇや、心なしか黒くなっていた桜を尻目に、
イリヤだけがきちんと最後まで話しを聞いてくれ、最後にこう言ってくれた。
「行ってらっしゃい。こっちの事はお姉ちゃんに任せておいて、ね」泣きそうだった。
イリヤは自らの生い立ちを聖杯戦争から半年が過ぎた頃自分の口から教えてくれた。
その内容は真に驚愕に値するものであった。
実年齢が自分より上だと言うのは正直信じられなかった。
しかしイリヤが笑顔で自分の旅立ちを祝福してくれた時、
それが紛れもない事実なのだと実感したのだった。
そんなこんなで、長年親しんできた家を出ることとなった。
―――なったのだが、いきなり途方にくれた。
何をすればいいのか、具体的な物が何もなかったのだ。
歩みの先に目指すものは彼女に出会う前から変わってない。
自分に出来ることは彼女に出会う前と比べて少し増えた。
否、質が変わったというべきか。
出来ることの数自体は変わらず、強化も、投影も、昔から出来てはいた。
ただ、その経過とか遣り方とか在り方とかそんなのが少しは理解できたような気がする。
問題は自分の『投影』が一般に呼ばれるそれとは大きく掛け離れている、
というのは高校卒業するまでに散々師匠っぽいことをしてくれていた遠坂の言葉だ。
もし魔術師として伸びて行きたいと言うなら倫敦に着いて来てもいいとも言われた。
同時に、自分は魔術師としては決して大成しないであろうとも。
だからという訳ではないけども、遠坂のその有難い申し出は断らされてもらった。
最後の朝にもその誘いはあった。
でも、あの目を見てしまったからにはそれに頼るなんて事は出来そうにもなかった。
自分はまだそんな目を出来るほど前を見据えてはいなかったのだ。
単純に足を進めることにしただけで、その果てにあるものまで脳裏に描き出せてはいなかった。
そんな半端な奴が着いて行ったって迷惑になるだけだろう、
そう答えた自分に対して苦笑いを浮かべ一人倫敦に旅立った遠坂であった。
それで、である。問題なのは。
目指すものは自分の理想。それは間違いはない。
しかし実際にそうなるために何をすればいいのか、具体的な方針が何も見出せないでいた。
こんなことなら素直に遠坂に着いて行けばよかったと思っても後の祭りだし、
今更やっぱり止めた、なんて笑って家に帰るはずもなく。
仕方がないので自分に出来ることは何か考えて取り合えずそれを伸ばそうと考えた。
短い期間ではあったが遠坂との荒行によって自分の『投影』がかなり特殊なものであるということは分かった。
自分はあの戦いでセイバーの剣と鞘を投影した。
それは本来ならありえない魔術の行使であった筈。
明らかに己の限界を超えた魔術。師匠にもこってり絞られた。
かと言ってそれを除けば自分に出来る事など数えるほどもない。
精々が日々の筋トレによって多少健康な程度か。
自分にとって唯一武器に成り得るのは『投影』を主軸とした魔術。
よって肝要なのは今の自分に出来る範囲で可能な『投影』。
そして必要なのは魔術回路の強化と識る事だと考えた。
今の自分には魔力が足りない。
創造の理念を、
基本となる骨子を、
構成された物質を、
制作に及ぶ技術を、
成長に至る経験を、
蓄積された年月を、
それら全てを自分の五感全てを、いや、第六感だろうがもっと先にあるものだろうが、
兎も角全身全霊を持って投影を試みる物と向き合わなければならないと判断した。
今の自分には全工程を凌駕し尽くせるほどの魔力がない。
ならば足りない部分を補うために他から持ってくる必要があった。
この手で調べ尽くし身体に染み込ませねばならないと考えた。
そんな風に『今の自分』を一つずつ乗り越えて、現在車に揺られている衛宮士郎が出来上がったのだ。
現在把握しているのは、自分の投影が『剣』に特化している事と一度見ただけでもそれなりの投影が可能だという事。
試しに彼の英雄王が所有していた数多の宝具を投影してみた。
結論から言うと出来た。
だが何かしらが足りなかった。それは創造理念だったりあるいは制作技術だったりした。
その原因は魔力不足かもしれないし、集中が足りなかった所為かもしれない。
あるいは英雄王はあくまで所有者にしか過ぎず、担い手としての武具への想いまでをも引き出せなかったせいかもしれない。
ならば青の槍遣いが用いていたゲイボルクならどうだろう。
彼の武人がその宝具を存分に振るう場面を何度か目撃した。
もしくは鉄の狂戦士が携えていた斧剣などは如何な物か。
実際この身に食らって思い切り死に掛けたりもした。
答えはというと実に簡単で、魔力が足りなかった。
これは後もう少しなんて段階ではなく、その途中で限界が来てぶっ倒れた。
ゲイボルクはなんか黒っぽかったし、斧剣は形を成してはいたが重すぎて扱えなかった。
その代わりというかなんと言うか、あの戦いの最中で創り上げたことのある物は何とか投影が可能だった。
それは彼女の剣と鞘。
それだって全精神力を総動員して可能なことであり、自分でそれを使って戦うなんて力は残らなかった。
番外として赤い弓兵の双振りの剣だけは何故だか容易に投影できたし、その戦い方まで身体に染み込むようだった。なんでさ。
そうして各地を回り始めた当初は、どちらかというと考古学者みたいなことをしていた。
それはある意味当たり前のことで、現存する武具を見て回ったとしてもほとんどが歴史の薄いものであり、
投影することは可能であっても即戦力に繋がるわけでもなかった。
宝具にまでは届かなくとも、それなりに力を持つ物といえば大概は失われたものだったり、
或いは朽ち果てていたり、刃が途中で欠けたりと散々な有様だった。
その程度の物であっても、それこそ弓兵くらいの身体能力でもあれば充分なのだろうが、
人の身である自分にはそのようなことは不可能に近い。
なればこそ、識らなければならないのだ。
だが、それにも限界はある。
より強い力を求めるならば、その分歴史を遡って行かなければならない。
力があればあるほど、古ければ古いほど、識る事が困難になるのは自明の理。
一般の世界では手に入らない情報。
通常の世界で生きているのならば触れることのない知識。
それらを識るには如何すればよいのか。
答えは、一つ。
一般的ではない世界に踏み込めばよい。
通常とは掛け離れた世界で生き抜けばよい。
それが今の立場である。
識るために、力を手に入れるために、戦場に我が身を置いている。
そこは若干懐かしくもあり、また恐れ戦く情景に溢れている。
幻想の世界の登場人物が、幻想の中でしか存在しない筈の物を持って暴れまわっているのだ。
その中で足掻き、命を削り続けて少しずつ力を手に入れてきた。
『弓』を使うようになったのもその頃の事。
幾度目かの戦いの最中に自分は近接戦闘には向いていないと思い知らされた。
これは聖杯戦争中にも分かっていたことだし、もっと言えば戦闘行為自体が無理なのかもしれない。
投影と強化程度しか使えない半人前というのも痴がましい輩には土台無茶な話なのかもしれない。
確かに死にこそしなかったが、その一歩手前まで行くのが常だった。
「衛宮士郎は格闘には向かない」弓兵の言葉が心に突き刺さる。
ひどく腹立たしい―――腹立たしいのだが、その言葉が正鵠を射ているのは自分でもよく理解していた。
もしかしたらこの方法自体が見当違いなのかもしれない。
微かだがこのやり方に違和感を感じているのも確かだった。
だがしかし、この世界で生き抜いていくと決めた以上、中途で諦めるなど出来るものではない。
答えが出るとすれば、恐らくは己の魔術回路二十七本全てが開いたその時だろう。
戦う為に、勝ち残る為に、生きて行く為に試行錯誤を重ねた。
『弓』とはその末にたどり着いた物だった。
相手の射程外より、出し惜しみせず最初から全力を持って番えたものを放つ。
自分に出来る事と言ったら結局はこの程度だった。
その後幾度も戦いを重ね、今では投影可能な武具も結構な数になった。
先程の戦闘で用いた『黒鍵』もその一つだが、これは入手経路が若干他と異なる。
何処の国だったがはっきりとは記憶していないが、確か寒い地方での事だったと思う。
仕事として土地に滞在していた際――この時は戦闘が主体ではなく、調べ物に重きが置かれていた――
宿泊先への帰路に付いていた夕暮れ時、行き倒れに出くわした。
そのまま放置してしまえば、十中八九凍死の憂き目に遭うだろうということで拾って帰った。
あまりに草臥れた様子だったので当初は女性だということに気付かなかった。
その事を素直に話すと凄まじくイイ笑顔を返された。遠坂そっくりだった。
死に直結する恐怖を感じ、慌てふためきつつも誤魔化しという訳でもないが、夕食にするはずだった料理を差し出した。
セイバーじゃあるまいし、とかなり後悔したのだが、ところがどっこい甚く好評の様だ。
これが実に意外だった。
というのもその夕食にだしたのが、
定期的に連絡を遣り取りしているイリヤから送られてきた日本製のカレールーを使った和風カレーだったので、
どう見ても日本人じゃない眼鏡の女性の口に合わないのではないだろうかと危惧していたのだが、
そんなのは瞬く間に差し出された空の皿の前に霧散した。
自分の作った料理をそこまで夢中に平らげてもらって嬉しくない筈もなく、
気が付けば自分の分まで皿に盛っていた。
食事中に聞いた所によると、その人はごく最近まで日本に居たのだが、
随分と仕事らしい仕事をしておらずその事で上の方からお叱りを受け、
半ば無理矢理この土地に派遣されてきたらしい。
それはどうも唯の嫌がらせだったみたいで、大した仕事でもなくすぐに終わったのだが、
ストレスを抱えたままさっさと帰ろうとした所で悲劇が起こった―――
「発作が起きたんです」「何かご病気で?」「カレーです」「―――は?」
「突発的にカレーが食べたくなるんです」「―――はぁ」
「私は体内に常にカレー分が一定量無いと、
無性にカレーが食べたくなって他が一切合切どうでも良くなってしまうんです」―――らしい。
感激しながら食するその人に隠し味の内容なんかに交えて自分の事を少しだけ話した。
その途中、イイ笑顔のとはまた別の怖い目が一瞬見えた気がしたが、
「―――まぁ、いいでしょう」と頭を振った後、『黒鍵』を見せてくれた。
それが、聖堂教会で使われているということは知っていた。
よくよく見ればその人が着ているのは法衣のそれだった。
いや、気付けよ自分、と身構えかけたがそれは直前で遮られる。
もう何度目になるか数えたくない、見事に綺麗な空の皿によって。
「こんな美味しいカレーをご馳走してくれたあなたへのせめてものお礼です」
そう微笑んでその人は、大鍋で数日分作っていたカレーを跡形残さず食い尽くしたのであった。
その人以外にもたくさんの人達と出会ってきた。
同じくらい変わった人もいたし、死んで行った人いれば敵だった人もいるし、共に戦った人もいる。
今車を運転しているバゼットもその中の一人。
別にいつも連れ立って仕事をしているわけではなく、今回はたまたまだ。
これで数度目だが、回数だけ数えればもっと仕事を同じくした人だって他にもいる。
だがバゼットと組む仕事には一つ、共通点があった。
それはどちらかと言わずとも完全に戦闘寄りの内容であること。
今回の仕事は『人食い』。
依頼側は調査だけでも構わないし、何なら一挙に解決してもらっても良いとの事。
後半部分はやれるもんならやってみろ的な投げ遣り発言ではあったが。
所詮はまだまだ駆け出しの身、実際扱いといえばそんなものだ。
しかしながら依頼を受けた以上、やれることはやる。
それに、奴らはその呼び名通り、人を食らう。
そんな存在を、見逃すことなど出来ようか。
今この瞬間も夢見、目指し続けている理想の自分であるためにも。
―――時折、ひどく不安になる。
『正義の味方』
そんなちっぽけな言葉一つが、
自分にとっては他の何物にも代え難い大切な言葉。
だが、自分は何か勘違いしているのではなかろうか。
アイツが言っていた「ただの掃除屋」とはまさに今の自分ではないのか。
実際、頭の中には効率良く仕事を終わらせる算段をしている自分がいる。
この『自分』はいったい何なのだ。
今も昔と変わらぬ『自分』を保っていられているのか。
まだ見ぬ先も一度も振り返らず、理想の『自分』を追っていけるのか。
―――時折、ひどく不安になる。
しかしそれでも、だ。
今までの自分が、間違ってなかったって信じている。
アイツへの反骨心だけでなく、純粋に心底そう思える。
「置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事なんて、出来ない」
それは別に彼女へ向けたものではなく、ただ己に述べた言葉。
でも彼女は、セイバーはそれを聞いた。そして信じてくれた。
だから、言葉は誓いとなった。
なら大丈夫だ。
自分に出来る事など高が知れている。
何時の日か、理想に押し潰される時が来るのかもしれない。
何時の日か、理想をこの手で裏切る日が来るのかもしれない。
でも大丈夫なのだ。
自分は弱く、脆い。
それでも彼女は、そんな自分をセイバーは、信じてくれたのだから。
ならば足は動く。前へ進める。
後は、ただ前を見据え、駆け出すだけだ。
―――結局の所、単純な話だ。
あの時彼女は自分の全てだった。
だがそれは今も全然変わらないし、きっとこれから先もそうなのだろう。
その事がなんだか、馬鹿みたいに嬉しかった。