〜前置き〜
このシリーズは、なんだかよくわからないFateSSです。
本編の裏話だったりすることもあれば、何故か全員生き残ってるその後だったりすることもあります。
深く考えず、のんびりまったり(の予定)な日常を緑茶でも啜りながらごらんください。
奥さまの名前はメディア。
旦那さまの名前は宗一郎。
ごく普通でない二人は、ごく普通でない恋をし、まあ普通と呼べる結婚をする予定になっていました。
ただひとつ違っていたのは、奥さま(予定)は魔女だったのです!
「……なにをしているのです? リーズリット」
「ナレーション」
「……そう」
「そう」
「…………」
「…………」
「リーズリット」
「なに、セラ」
「ごく普通でない二人がごく普通でない恋愛をして、違っているのが『ただひとつ』というのはどうかと思うのですけれど」
「そういうものだから」
○○の日常シリーズ
メディアさんの朝 〜奥さまは魔女〜
寺の朝は早い。
だからと言って居候である葛木宗一郎が早起きしなければいけない法はない。彼は修行僧ではないのだ。
だが、誰に強制されるわけでもなく、宗一郎は寺の誰よりも早く起きていた。
起きてなにをするわけでもない。ただ起きるだけだ。
時に座禅を組み、時に境内でなにもせずに空を見つめている。
それはつい先日まで誰にも迷惑をかけない行動だった。いや、今でも迷惑をかけているわけではない。
ただ、
「……宗一郎様、用がないのなら寝ていてくださればいいのに」
彼の婚約者(ということになっている)である元キャスター、真名メディアは、それがひじょうに不満だった。
朝起きても、隣には誰もいない。正直新妻(志望)としては寂しいものがある。とは言え彼女は王女様育ちで人一倍甘えたがりなくせに、その悲劇の人生を経て英霊化した今では甘えるのが怖いという困ったちゃんなのだ。
ひとつふたつ可愛いお願いをしたところで宗一郎が嫌がるとはメディア自身も思っていないのだが(と言うよりも、なにをすれば宗一郎が嫌がるのか想像できない)、それはそれ、これはこれ。甘え慣れしていない甘えたがり。萌えである。
布団がまだほんのりと温かいことに気づいてないあたり、メディアも色々迂闊であった。
とは言え、
「愚痴を言っても仕方ないわね……」
それで宗一郎が隣に寝てくれるならともかく、いや神代の魔女たるメディアがそのつもりになれば宗一郎の朝の行動を制御して布団に戻らせることも出来ない相談ではないのだが。
ため息をつきつつ、布団から抜け出す。朝の柔らかな陽射しに浮かぶその姿態は、男ならば人目で心を奪われるほど魅力的だ。しかし寝乱れた薄い浴衣姿ですら与える印象が色香より清楚さというのだから、その美しさたるや筆舌に尽くしがたい。
するりと浴衣を脱ぎ捨て――宗一郎との愛の褥は離れなので、寺の人間を気にする必要はない。それでも『ずばっ』とか『すぱーん』とかではなく、あくまで『するり』と脱ぐのが奥ゆかしさである――、飾り気の少ない下着を身に着ける。寺に住んではいるが和風なのは寝巻きくらいで、基本的にメディアは洋装だ。なので、衣装箪笥からジーパンとクリーム色のサマーセーターを選ぶ。本当はスカートの方が好みなのだが、なにせ柳洞寺は広いし町までの距離もある。なんでも人がやってくれていたお姫様時代とは違い、メディアは宗一郎の妻(志望)としてこの寺のいるのだから、夫の身の回りの世話は勿論のことお世話になっている柳洞寺の掃除くらいは手伝いたいと思ってる。寺の生活は基本的になにからなにまで修行なのだから、部外者と言っていいメディアが手伝ってしまうのはいけないことなのだろうけれど、
『あの……お手伝いさせていただけないでしょうか』
なんて言われて、きっぱりと断れるほど俗世の念を断っている僧は、柳洞寺にいなかった。
なにせ住職からして、
『ふむふむ、なら今日の夕餉はメディアさんにお願いするとしようかの』
などと率先して言い出すほどなのである。しかも町の顔役、極道者の親分である藤村雷画と数十年来の親友なのだから、彼の住職がどれほど規格外の僧侶なのか察していただけよう。
部屋に掛けられた時計に目をやると、朝の五時半。世間一般から見れば異様に早いが、柳洞寺では起床時間として妥当である。はやる気持ちはあるが、まずは身の回りのことをきちんとしなければ宗一郎に顔向けできない。ちゃんと夜具を畳み、宗一郎のスーツやらワイシャツやらを出してから雨戸を開けて、愛しい人の姿を探す。
「……宗一郎様」
いた。
離れから遠い境内の一角に、なにするでもなく佇んでいる。雨戸を開ける音に気付いたのか、山門の方を向いていた視線が、メディアを真っ直ぐにとらえた。
「おはようございます、宗一郎様」
届くはずもないがそれでも小さく呟いて、メディアは縁側の下に備えてあるサンダルに足を通し、宗一郎の元へと駆け寄った。
そしてあらためて、
「おはようございます、宗一郎様」
宗一郎のすぐ側まで行ってから、深々とお辞儀をする。
「おはよう、メディア」
宗一郎も小さく頷いて朝の挨拶を口にして、メディアの真っ白な頬に掌をあてがい、自分の方へと顔を向けさせ、
「…………」
くちづけた。
本来、葛木宗一郎はこのような行為とは無縁の男である。生まれながらにしてなのか、闇に生きる者の中で育ったためなのか、感情や欲望といった言葉とは無縁、ある意味どの僧侶より煩悩を断っていると言えよう。
だからようするに、この接吻……ぶっちゃけ言うならば、『おはようのキス』は、メディアの望みであった。
魔女だ悪女だなどと言われているが、メディアはもともとコルキス王国の王女。蝶よ花よと大事に育てられたお姫様だ。性悪の女神によって見たこともない野蛮人を愛することを強制され、"野蛮人の利益になること"を優先するようにされてしまったがために様々な非道を行ってしまったが、本来他者を害するという概念すら存在しなかった少女だったのである。ゆえにその恋愛観は、とても乙女らしい。少女マンガを地で行くひとなのだ。
……まあ、二十歳をそれなりに過ぎて少女マンガを地で行っているのはどっか問題あるような感じがしないでもないが。そこはそれ、今まで幸せやら愛という言葉とは無縁に生きてきたメディアである。少々の独走と世間離れには目をつむっていただきたい。
なお、メディアの心の中でおはようのキスか、起きたら腕枕の2パターンのシチュエーションが激しい戦いを繰り広げたことを記しておこう。結果はご覧のとおりである。
「……それでは宗一郎様、私は朝食の支度がありますので」
宗一郎に一時の別れを告げて、本堂の方へと向かう。
新妻に休む時間はない。さあ、今日も一日唇に残ったぬくもりを糧に頑張ろう――!
〜あとがき〜
キャスター大好きです。
UBW編の最期は、アレはアレで幸せっぽかったですけど、私はもーちょいストレートな幸せが好きなので、こんなカタチになりました。
メディアさん可愛いと思っていただければ幸いです。
次回はライダーさんの予定。
士郎と桜は居間に並んで座っていた。
台所ではライダーが皿洗いをしている。いつもなら皿洗いは桜とライダー、士郎と桜のように桜と誰かの二人でしているのだが、今日に限ってライダーが、
『洗い物は私がします。二人は居間でゆっくりしていてください』
なんて、珍しいことを言い出したのだ。
確かにライダーがこの衛宮家で暮らし始めた当初はサーヴァントである身で主の桜が働いているのを黙ってみているわけにはいかないと、あれやこれや手伝いたがっていたが、桜がそのあれやこれやを楽しんでやっているのを感じると必要以上に手伝おうとはしなくなった。
それが今日は、頑なに自分がやると主張し、
『今日は二人にお願いがあります。ですので、二人は居間で私の話を聞く心構えをしてください』
なんて言って、自己封印・暗黒神殿をずらそうとまでしたのだ。
そうまで言われては桜も士郎も手伝えない。そんなわけで、こうして二人して居間でぼーっとテレビを見ているのだった。
「先輩、ライダーのお願いってなんでしょうね?」
「なんだろうな? ライダーのことだから、そう無茶なことは言わないと思うんだけど」
などと話していると、
「お待たせしました」
一礼しながら、ライダーが台所から戻ってきた。
ボンテージのような、固まった血色のワンピース。手足を覆う同じ素材。従属していることをあらわしているのか、嵌められた首輪は匂い立つような色香を持つ彼女を見る者に嗜虐欲を抱かせる。
ただ、ひまわりのアップリケが縫いこまれたエプロンを身につけているため、なんか色んなものが台無しだった。まあ大きく肩を露出した衣装のせいで正面から見ると素肌にエプロンだけつけているように見えて、士郎などは目のやり場に困ってしまうのだが、エプロンをつけていなければいないで、桜に勝るとも劣らない豊かな胸元が否応無しに目に入ってしまうため、どの道士郎にとって目の毒なことに変わりはない。
お盆に載せていた湯飲みを士郎と桜、そして自分の前に置き、二人の向かいに正座する。
目に見えて緊張している様子のライダーに、士郎と桜も思わず息をのんだ。
あのライダーがここまで思い詰めるほどのお願い。
(ひょ、ひょっとして吸血衝動が抑えられなくなったとか!?)
(ら、ライダーが吸血するのは魔力補給のためであって、衝動なんかないと思うんですけど……)
ひそひそと言い合う恋人同士。
雑談がてらにライダーの力を聞いた折に『吸血によって魔力を摂取できる』との話は聞いているが、それは『可能』であるだけで『必要』だということではなかったはずだ。ましてやライダーを現界させているのは元聖杯の桜である。魔力が足りないなどということはありえないはずなのだが。
しばらく顔を見合わせ、
「……それでライダー、お願いってなんだ?」
緊張でからからになってしまった口の中を緑茶で潤し、士郎が口火を切った。
「…………」
士郎に促され、なお黙ったままのライダー。
これはおおごとだ。
「ねえライダー。ライダーには色々助けてもらったし、今では大切な家族だとわたしも先輩も思ってるわ」
「ああ。だからライダー、遠慮なんてしなくていいんだぞ。そりゃ俺たちに出来ることなんてたかが知れてるけど」
「サクラ……士郎……」
ありがとうございます、などと呟きながら手近にあった布で目元をぬぐうライダー。
「ライダー……それ、台布巾……」
しかも自己封印・暗黒神殿の上からだから無意味っぽい。
「ま、まあ、とにかく、俺も桜もやれるだけのことはするからさ、とにかくお願いを言ってみてくれ」
「は、はい」
士郎に促され、ライダーは居住まいを正す。
「その、聖杯戦争も終わりましたし、出来ればクラス名ではなく……」
くわっと主とその恋人の方へと睨む(雰囲気)ように見つめ、
「真名で呼んでください!」
○○の日常シリーズ
長身美女の昼下がり 〜名前で呼んでください〜
「……どうしたのですか、二人とも」
仲良くずっこけた士郎と桜を、不思議そうに見るライダー。
「な、なんでもないの。気にしないで、ライダー」
「そ、そうだぞライダー。ライダーが気にすることじゃない」
慌てて起き上がり口走る二人に、ライダーは形のいい眉を顰める。
その反応に、
「あ……そ、そうか。ライダーって呼ばれたくないんだっけ」
「はい。ライダーはあくまで聖杯によって割り振られたクラスです。先日サクラは部活の主将に選ばれたと言っていましたね?」
「え、ええ」
「私がライダーと呼ばれるのは、サクラがシュショウと呼ばれるのと同じようなものです。聖杯戦争の最中であれば勿論ライダーと呼ばれることに異存はありませんが、その聖杯戦争も終わりましたし……ライダーと呼ばれるのは、正直寂しい」
俯くライダー。
「……そっか、そうだよな。ごめん」
「わたしもごめんなさい。大切な家族なのに、いつまでもクラス名で呼ぶのは変ですよね」
そしてライダーの真名を思い浮かべ、
「…………」
士郎と桜は、またまた顔を見合わせた。
ライダーの真名、それは、
「あー……ライダーの真名って、確か」
「メドゥーサ、でしたっけ」
そう、メドゥーサである。ギリシア神話で語られるゴルゴン三姉妹の末妹、支配する女の意を持つ名前。
「はい、私の真名はメドゥーサです……それが、なにか?」
気まずそうに顔を見合わせる主たちを怪訝な顔で見るライダー。
困ったのは士郎と桜である。
確かにメドゥーサはゴルゴン三姉妹の末妹の名前であるが、こと日本においてはもはや種族名となっている節がある。言うなればゴブリン、コボルトと同じ、十把一絡げのザコ。
よほど詳しくギリシア神話を書いたものでなければ、ペルセウスに退治されるだけのやられ役だ。しかも元々は美しい娘であったのを神々によって醜い魔物とされてしまったことは言及されないのに、髪が蛇で大きな牙に翼を持つ、見た者を恐怖のあまり石化させてしまうほど恐ろしい顔をしているなんてことばかりは書かれてしまう。
少し話がそれたが、とにかくメドゥーサという名前にいい印象は皆無だと言えよう。ライダーという名前も大概妙だが、まだあだ名だと言い張れば言い張れないこともない。だが、メドゥーサではあだ名だなんて言い訳も通じないだろう。珍走族じゃあるまいし、誰が好き好んでメドゥーサなどと呼ばれたがるものか。
……まあ、ライダーの場合それが本名なのだから困りものである。
「……えーっと、メドゥーサ?」
「はい」
真名での呼びかけに、心なしか嬉しそうなライダー、もといメドゥーサ。
「……先輩」
困ったように士郎を見遣る桜。その視線に士郎はしばらく迷ったあとで、
「……メドゥーサ、ちょっと図書館行こう」
「図書館……ですか?」
「ああ。その上で、判断してくれ……って、その格好で外出するわけにはいかないよな」
士郎の発言からなんやかんやとあって、数時間後。
夕陽が射し込む図書館の片隅で、ジャージ姿のメドゥーサが涙ぐみながら、
「ライダーでいいです……」
なんて言ったのはまあ、描かれ方からすれば当たり前だったり。
〜あとがき〜
セイバーがアルトリアって呼ばれるSSはあるのに、ライダーがメドゥーサって呼ばれるSSはないなぁって思った話。
サブタイトルでにやりとした人はお仲間です。オンリーはそっちにも行きましょう。狐倒せません。
次回は食いしん坊万歳。
〜おまけ〜
イリヤ「ギリシャー、ギリシャー!」
イリヤ「ねえギリシャ、今日の晩御飯なんだけど……」
ライダー「ギリシャ? は? 私ですか?」
イリヤ「そう。貴女あだ名ギリシャ! ギリシャから来たから」
ライダー「そんな安直な!」
イリヤ「みんなわかったー? ライダーは今日からギリシャだからねー!」
アサシン「心得た」ランサー「おーう」
ギリシャ「え、えーっ!?」
あずまんが大王より。
絵は描けません。誰か描いてください。
「はぁ……」
アルトリアの小さなため息。
雑踏であれば消え去ってしまうであろうそれは、静かな衛宮家の食卓においてはひどくよく響いた。
当然、家主の士郎は慌て顔で、
「ど、どうしたアルトリア、味付けおかしかったか?」
なんて聞くことになる。
純粋にアルトリアを失望させてしまったのかという思いが八割。フルアーマー化したセイバーにしこたま殴られることに対する恐怖が二割。
「い、いえ。そんなことはありませんシロウ。シロウの朝食は、いつも通りとても美味しい」
アルトリアも慌て顔でぷるぷる顔を振って士郎の言葉を否定する。
そして、
「ただ、シロウの料理は素晴らしいと思っただけです。ですから」
心底幸せそうに微笑んで、
「今のため息は失望ではなく、感嘆のため息です」
なんて言った。
士郎は一瞬ぽかんとしたあと、照れくさそうに頭をかいて、
「ありがと、アルトリア。けど……」
アルトリアが箸で器用に摘んでいる、おかずの一品に目をやる。
「単なる卵焼きでそこまで誉められると……」
○○の日常シリーズ
騎士王の朝食 〜究極の卵焼き〜
アルトリアが真面目なのはわかってるけど、どうにも変な気分になってしまう。
苦笑いの士郎に、アルトリアは変わらず幸せそうな顔で、
「何を言うのですシロウ。この金糸の繭のように美しい卵焼きを単なる、などと」
「ぶっ!」
アルトリアの大袈裟すぎる形容に、凛が口にしていたミルクを吹き出した。
「……姉さん」
「桜ごめん」
向かいに座っていた桜の被害甚大。姉妹協議の結果、帰りにフルールのイチゴショートということで決着がついた。それはともかく、
「まず見た目、一欠けらの焦げ目も見つかりません。そしてそれがこの絶妙な食感にも繋がっているのでしょう」
そんな姉妹のやりとりには目もくれず、滔々と卵焼きの素晴らしさを語る元騎士王。
箸で摘まんだ卵焼きを口に運び、
「…………」
何度も頷きながら、口中に広がる上品な甘みを味わう。
「しっかりと自己主張しながら、それでいて硬くない外側。とろけるような、中身。砂糖のような直接的ではない深い甘み。これら全てが渾然一体となっている素晴らしい卵焼きです。それをどうして単なる、などと呼べましょう」
「は、はは。そう言ってもらえると、作り甲斐があるけど」
やはり大袈裟すぎる評価に、士郎も流石に頬を引きつらせる。
「けどアルトリア、卵焼きくらい誰にだって作れるんだから、やっぱりその評価は大袈裟だよ」
「あら。そうでもないと思うけど?」
苦笑いしながら語る士郎の言葉に口を挟んだのは凛だった。わりと真面目な顔で、
「士郎の卵焼きは絶品よ。この焼き加減なんて、なかなか真似できるものじゃないわ」
言って、卵焼きをひとつ口に放り込む。
「む、遠坂。誉めたからってなにも出ないぞ」
などと言いつつ、料理の腕で一歩先を歩む凛の感想には思わず頬が緩む士郎。
「別にいいわよ。お礼ならもう貰ったから」
「へ?」
凛の視線の先を追うと、自分の卵焼きの皿。
「……って、遠坂! 今食った卵焼きって俺のじゃないかっ!」
「ええ。あんまり美味しいものだから」
「あのなぁ、餓えた虎じゃないんだから、そういうことしてくれるなよ」
「む。士郎、餓えた虎って誰のことよ」
「自覚があるなら伸ばした箸を引っ込めろこのタイガー!」
「タイガーって言うなーーーっ!」なんて泣き喚く大河を尻目に、
「レディとしての自覚が足りないわね」
余裕の態度でみそ汁をすするしろいこあくま。
「故郷で食べたものとは比べ物になりません。シロウの作る卵焼きこそ、究極の卵焼きと呼ぶのに相応しい――」
こくこくはむはむ。
愛おしげに残りの卵焼きを口に運ぶアルトリア。
衛宮家の食卓は、今日も平和だ。
〜あとがき〜
みんな居たらきっとこんな感じなんだろーなぁ、と。
単にセイバーに卵焼きのことを「金糸の繭のような」とか言わせたかっただけです。
次回は葛木先生の予定。
葛木宗一郎はごく普通の高校教師である。
担当は倫理と現代社会。誤字ひとつ許さない異様な堅物として校内で知らない者はいない。
英語教師の藤村大河が人の皮を被った野生の獣(と言うか虎)であることを疑う者がいないように、葛木の皮を剥けば中から出てくるのはロボットであるというのが私立穂群原学園の定説だった。
教師のモラル低下を嘆いた文部科学省に教師のモデルとなるべく作られたとか、未来の日本から教育界を再生するために送られてきたとか。
とにかく怒らない、笑わない、感情というものをどこかに置き去りにしているかのような素振りから、そんな噂がまことしやかに囁かれている。
そんな葛木だからこそ、
「藤村先生、少々よろしでしょうか」
「あ、葛木先生。どうしました?」
「結婚を考えているのですが、藤村先生の御祖父様を紹介していただけませんか?」
そんな会話を教員室で聞いた後藤くんのショックと言ったら、そりゃあなかった。
○○の日常
葛木先生の放課後 〜結婚するって本当ですか?〜
放課後。三年A組のドアがけたたましい音をたてて開かれた。
「た、大変でござるよ皆の衆ーーーーっ!!」
A組どころか、周辺教室にすら響き渡る大声をあげながら教室に飛び込んできたのは、後藤くん。前日に見たドラマに影響されて毎日のように口調が変化する学校きっての面白生徒だ。今日は火曜日、時代劇口調なのは水戸黄門のせいらしい。
「ご、ご隠居! 一大事でござる!」
などと後藤くんが口走りながら目指すのは静かに文庫本に目を通す女生徒の机。ご隠居と呼ばれた少女は、ついと文庫本から顔を上げ、
「どうしたハチ、そんなに慌てて」
余裕たっぷりに、後藤くんの言動に合わせて彼の慌てっぷりを問いただした。眼鏡の奥の大きな瞳は、わずかに好奇心を湛えている。
少女の名は氷室鐘。蒔寺楓や後藤くん、休み明けから唐突にあくまのようになった遠坂凛などが在籍する面白クラスで数少ないツッコミ役だった。
「それがもう一大事でござるよ! 某も思わず自分の耳を疑ったでござる!」
「ごとー、いいから何がどう一大事なのかさっさと言えよー」
息を切らせながら捲くし立てる後藤くんに、鐘の隣に座っていた楓がつっこむ。
「うむ蒔寺殿、これを聞けばおぬしも衝撃を受けずにはいられぬぞ」
皆も聞けーと教室をぐるりと見渡して、言う。ホームルーム前の空いた時間を各々好きに過ごしていた生徒達は、その一言で後藤くんに注目した。
「よく聞け皆の衆」
すーっと大きく息を吸い込んで、
「我らが担任教師、葛木宗一郎殿が結婚するでござるよーーーーっ!!」
叫んだ。
一瞬静まる教室。
そして、
「「「「「「「「「「「「「「「な、なにーーーーーーーーっ!!!!」」」」」」」」」」」」」」」
仰天の声が、冗談抜きで校舎を揺るがした。
びりびりと窓ガラスが揺れる中、後藤くんは前にも増して大声で、
「しかも相手はあのタイガーのようでござるーーーーっ!!」
「「「「「「「「「「「「「「「うそだーーーーーーーーーっ!!!!」」」」」」」」」」」」」」」
「葛木が結婚ーっ!? しかもタイガーと!?」
「ありえねぇー!!」
「おいおい、葛木って文部省から派遣されたロボットじゃなかったのかよ!」
「えー? あたし未来から来た教師型ロボットって聞いたよー?」
蜂の巣を叩いたような騒ぎになっている教室で、一人冷静な鐘はまだ手にしていた文庫本をぱたりと閉じると、
「して後藤、情報源は何処だ」
「う、うむ。教員室で葛木がタイガーに言っていたのでござるよ、『今度結婚するのでお祖父さまにご挨拶させてください』と」
「……ふむ」
繊手を顎にかけ、しばし黙考。
その間も騒ぎを聞きつけた周囲のクラスから斥候が来ては、若干誇張された情報を持ち帰っている。ホームルームが始まるまでには学校中に知れ渡りそうな勢いだった。
「皆、少々落ち着け」
くるりと教室を見渡し言うが、静かな鐘の声では喧騒に打ち消されてしまうだけだった。
「……蒔の字、注目を集めてくれたまえ」
小さく嘆息してから、傍らでぎゃいぎゃい騒いでいる楓を引っ張る。
「あいよ……おーい! 鐘っちから話があるってよーーーーっ!!」
鍛えた肺活量は伊達ではない。教室を震わす大声で叫ばれてはクラスメイトたちも注目せざるをえない。
もっとも、斥候からの報告が伝わったのか周囲のクラスから響く驚きの叫びで教室は揺れっぱなしだったが。
教室中の注目が集まるのを確認すると、鐘は咳払いをひとつしてから、
「まず、藤村教諭が結婚相手というのはおそらく後藤の勘違いだ、落ち着け」
「なんでー?」というクラスメイトの問いが飛び交う。
「そうそう、なんで勘違いだって断定できるのよ。藤村先生だからって回答はなしね、なんとなく納得できるけど」
美綴綾子が挙手しながら問うと、
「結婚相手にわざわざ『今度結婚するので祖父に挨拶させてくれ』と言うと思うか? 皆も知っての通り藤村教諭の祖父は深山町の顔役であるからな。形式にうるさい葛木教諭が挨拶しに行こうと考えるのも道理だろう」
「「「「「「「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」」」」」」」
確かに、道理である。
「故に情報の後半部分は確実に誤報だと思う。前半部分は……半々と言ったところか。例えば親類が結婚するのに、同じ職場に居る葛木教諭が藤村教諭に仲介を頼んだ……ということも考えられるのではないか?」
「……鐘っち、あんた冷静だねー」
「なに、葛木教諭も人の子だ。結婚しておかしいということはあるまい」
「いやまあ、そーだけどよー。あの葛木よ? ロボよ?」
「ふむ」
教師と一生徒という関係以上のものではないが、あまり感情を露にしないという一点において鐘は葛木に小さな親近感を抱いていた。自分が恋に落ちるということが――正直想像し難くはあるが――想定できる以上、葛木が結婚すると言われても多少の驚き以上のものは感じない。
「そうだな。蒔の字、私が恋に落ちたと言ったらどう思う?」
「驚く。ってか、信じらんね」
「蒔ちゃん! 失礼だよ!」
もう一人の親友、三枝由紀香がフォローしてくれるが、
「いや、蒔の字の言うことももっともだ。まあ蒔の字がそう思ったように、私と葛木教諭は似ているところがあると思う。恋愛について淡白な部分などな。ただ私は自分が恋愛することが信じられる。だから葛木教諭が結婚すると聞いても、ああそんなこともあるだろうなと考えられる、それだけのことだ」
くるりと注目するクラスメイトたちを見渡して、
「だからまあ、真偽のほどは葛木教諭に直接聞けばいいだろう。もう間も無く……」
「なんの騒ぎだ」
鐘の言葉をさえぎるようにして、話題の渦中にある葛木宗一郎その人が教室に姿をあらわした。
「ホームルームの時間だ。各自席に戻るように」
言いながら、教卓へと向かう。その口調はけして威圧的ではないのに、逆らいがたいなにかがある。しかし、
「先生、結婚するって本当ですかー?」
なんて聞く勇者が一人。蒔寺楓である。クラスのほぼ全員が固唾を飲んで見守る中、葛木は何の躊躇いもなく、
「本当だ」
当たり前のことを答えるように、頷いた。
本人が目の前にいるのにもかかわらず、
「うわ、おいマジだってよ!?」
「えー、葛木先生結婚しちゃうんですかー?」
「おめでとうございますー!」
「やはり拙者の耳に間違いはなかったでござるよー!」
沸く教室。
「先生ー、相手はどんな人ですかー? 美人?」
「悪いが、例えることは出来ない。世間一般の基準から言えば美しい女性だと思う」
結婚相手を美人かと聞かれ、きっぱりと「美しい女性だ」と答えた葛木に、「おおー」と驚愕のざわめきが広がる。
「おいおいマジかよ……葛木が惚気たぜ……」
「中身別人なんじゃないか……?」
「いや、あれだろ、宇宙人にさらわれたとか」
そんなひどく失礼な囁きが交わされる中、
「ホームルームをはじめる。日直、礼を」
葛木はまったくいつも通りに日直に礼を命じた。
興味津々でも、流石に命じられては質問もしづらい。渋々日直だった埼玉は、起立の礼をかけた。
淡々と伝達事項を終わらせ、終了の礼までいつも通り滞りなく進む。
去り際に、
「メディアに会いたいのであれば、柳洞寺に来なさい。別に隠しているわけではない」
そう言って、葛木は教室を出て行った。
その言葉が、
「め、メディア!?」
「が、外人!? 国際結婚なの!?」
「ってか柳洞寺? なんで柳洞寺!?」
「寺の息子いたろ、アイツ引っ張ってこい!」
「も、もうわけわかんねーっ!!」
さらに大混乱を招いてたりする。
半年後、葛木をモデルにした諜報員が某国に赴き、その国の王女と結ばれる話を書いた文芸部員がプロデビューしちゃったりするのは、もう別次元のお話。
〜あとがき〜
懺悔。『蒔寺』をずっと『薪寺』だと思ってました。反省します、二度とやりません。懺悔終わり。
同じクラスに士郎と凛もいますが、特に騒いでいないのは真相を知ってるから。
葛木先生ってなんだかんだ言って好かれてそうですよね、授業とか凄く分かりやすそう。某ヒムロッチと印象被ります、眼鏡ですし。ヒムロッチは怒りも笑いもしますけど。
後藤くんとか氷室さんとか、使いやすくていいなぁ。
次回は兄貴。ちょっとシリアスで。
見えない糸が身体を通り過ぎていく。その感触に女は笑い、男は眉を顰めた。
「悪趣味だな、アンタ」
「ふふ、そう言うな。可愛いものじゃない、あの子」
妖しく微笑む女の視線の先に立つのは一人の少女。真紅のコートを身に纏い、真っ直ぐな視線を公園の中心の方へと向けている。
「若いな。自分が何でも出来ると思っている面構えだよ、あれは」
「へ。ババアみたいな言い方だな」
「……昨夜あれほど私の身体を貪っておきながら、よくそんなことが言えるね、キミは。老婆相手にあれほど盛ったのであれば、餓えた野犬にも劣るよ?」
「……口の減らねえ女」
「誉め言葉と受け取っておこう」
半眼になって女を見遣る男に、女は優雅に微笑んでみせた。男は悔しげに舌打ちをすると、乱暴に女を抱き寄せてその唇を奪う。
技巧もなにもない、だが激しい情熱を確かに秘めた口付けを受けながら、女はそっと男の耳朶をくすぐった。
「本当に……キミは餓えた獣のようだ。こんなところで私を求めるつもりか?」
ちろりと唇を舐める舌が艶かしい。いっそこの場で押し倒してやろうかと思わないでもないが、
「言ってろ……ほれ、あそこのお嬢ちゃんが動くみたいだぜ」
「そう。それじゃあ残念だけど、後を追うとしようか」
女は小さく笑うと、
「行くよ、ランサー」
男だけに聞こえるように、呟いて立ち上がった。
○○の日常
黄昏の槍兵 〜不逢良縁〜
冬木きっての高級ホテル。その一室のダブルベッドの上で一組の男女が生まれたままの姿で横たわっている。
焔のように火照った肌、二人の身体を濡らす汗と、それ以外の体液が、情事を終えたあとであることをしめしていた。
「にしても……」
男が呆れたように呟く。伸ばしているわけでもない、中途半端に長い髪が肩にかかるのを鬱陶しげに払いながら、
「呼ばれた途端、自分を抱けなんて言ったヤツははじめて見たぜ」
言って、胸の中におさまった女の顔を見つめる。
二十歳頃だろうか、若い女だった。絶対に泣かなそうなのに、涙を堪えているような、そんな矛盾した瞳に、泣きぼくろが似合う女。
「ふふ……だって勿体無いだろう? こっちは大召喚の後で魔力が空っぽなんだ。そんな時これだけ濃密な魔力を持った奴が目の前にいるんだから、少しくらい分けてもらおうという気になるのが自然じゃないか?」
男の厚い胸板に手をかけて、起き上がる。
「シャワーを浴びてくる……一緒に浴びようか?」
「遠慮しとく。あんまりやり過ぎて立てなくなりました、なんて言われても困るからな」
男は寝転がったままひらひらと手を振り、その手をとすんと自分の瞳の上に落として目の前の光景を隠した。
我を忘れて女を求めるほど若くも、餓えてもいないが、やはり形の良い乳房だの尻だのを隠しもしないで微笑む女を見ているのは、目の毒だ。しかもその抱き心地といったら男のためにあつらえたようなのだから、あまり見ていてはその手を引いて褥に組み伏したくなる。
「そんな心配されるほど、柔な鍛え方はしてないよ」
自信たっぷりに言う顔に浮かぶのは、微笑だろう。
空いた手を犬でも追い払うように振ると、女は笑いの空気だけ残して浴室へと消えていった。
「……バゼット、とか言ったな」
手で目元を覆ったままの、男の唇が満足げに歪む。
「いい女じゃねぇか」
人のカタチをしているが、真実男は人間ではない。
聖杯戦争と言う魔術師同士の戦い、その戦を勝ち抜くため魔術師によって使役される使い魔――冬木の聖杯戦争においてのみ可能とされる英霊の召喚システムによって現界し、『槍兵』のクラスを割り振られたアイルランドの大英雄。
クー・フーリンが、彼の真の名である。
そして女はバゼット・フラガ・マクレミッツ。英雄クー・フーリンをランサーとして使役する、若輩ながら一流の魔術師であった。
とは言え、こうして床を共にすれば英雄も魔術師もない、互いを求め合うだけの男と女だ。
まだ掌に残る主の柔らかな素肌に、ランサーは顔がにやけるのを止められない。
生前も、死した後もいい女とは縁がなかっただけに、此度のマスターは信じられないほど心地よかった。勿論身体だけではなく、捻くれていながら真っ直ぐという心の在り方も、ランサーにとってはひどく好ましい。
英霊となり、輪廻の輪から外れたのは心昂ぶる戦いを求め続けたが為であるが、
「こりゃ、受肉を真剣に考えてもいいかもしれねぇな……」
聖杯を得れば、二度目の生を謳歌できるという。傍らにいるのがバゼットならば、悪くない。
ランサーがそんなことを考えていると、
「なにをにやけているんだい? 気持ち悪いからやめてくれると助かる」
可愛い声が可愛げのない口調で、上から降ってきた。
手をどけると、
「ほら、キミもシャワーを浴びてこい。そんなベタベタの身体では一緒に眠れないよ」
バスローブを纏ったマスターの姿。
「あいよ」
バスローブ姿のバゼットは、濡れた髪もあいまってそれなりに扇情的ではあったが、ただそれだけで彼女にイカレてはいない。軽く首肯し、バスルームへと向かう。
ランサーが生きていたのは遥か古代でシャワーなどなかったが、都合のいいことに聖杯が召喚される時代の知識は適当につけてくれているようだ。迷うことなくコックを捻り、鍛えあげられた筋肉の上に人工の雨を降り注がせる。
そうしてベッドルームに戻ってみれば、
「……すー」
「寝てるぜ、おい」
バゼットは、すっかり熟睡していた。
「ま、別にいいんだけどよ」
ふかふかのベッドに腰をおろし、あどけない幼児のような顔で眠る己がマスターの髪を優しく梳く。
「……ん」
ころんと寝返りをうった拍子に、バスローブがはだけ、白い胸元が露になった。そこには先程ランサーがつけた華が、紅く咲いている。
「……ほんとに、いい女だぜアンタ」
胸元の花弁にそっと口付けて、ランサーもごろりとベッドに横になった。ゆっくり眠るなんて行為とは長らく無縁だった身だ。久しぶりに眠りという娯楽を満喫することにしよう。
そう、ランサーが思った途端、
「……とみね」
バゼットの小さな唇から漏れる、言葉。
「…………」
むかっとした。
なんだかよくわからないけど、むかっとした。
よく聞こえなかったが、今の言葉は人の名前、しかも男の名前のような気がする。
「……おい、バゼット」
肩に手を置いてがくがく揺さぶる。しばらくむずがるようにしていたバゼットだが、薄く目を開き己がサーヴァントの姿を認めると、
「……なんだいランサー……? 疲れてるんだから……寝かせて……」
まだ半分以上眠ったまま呟いた。
そんなバゼットに構わず、ランサーは彼女の唇に己のそれを押しつける。たっぷりと味わってから解放すると、なんだかひどく不機嫌そうな目で睨まれた。
「……ランサー、なんのつもりだい?」
「いやなに、魔術の基本は等価交換ってのを忘れててな」
本当の理由などおくびも出さずにニヤリと笑い、
「アンタは魔力が得られてご満足だろうが、生憎とオレは全然満足してねーんだ」
「……明日また、ってわけには……いかないんだろうね」
「いかないね。疲れ果てて何にも考えられなくなるくらいまで寝かせるわけにはいかねぇ」
そうすれば、寝言に男の名を呟くこともあるまい。
「やれやれ……まあ、私も嫌いじゃないけれど」
相手がキミのような男なら、ましてね。
バゼットは言って、ランサーの口付けに応えた。
「なあバゼット」
長い髪を襟足のところで纏める、鈍い光を放つ髪留めを片手でいじりながら、ランサーは傍らのマスターに視線を向ける。
「……なんだい?」
それなりに人出のある街中なので、一応の用心で真名はおろかクラス名でも呼ばないと言っていたとおり、バゼットは最低限の疑問の言葉で応じた。
「コレ、外しちゃまずいよな」
「キミが自力で抑えられるなら、好きにすればいいよ」
ランサーが触れている、彼の長い髪を纏めているのは装備者の魔力を極めて巧妙に隠す魔力殺しである。朝出かける際に、ランサーが今着ているごく普通の服と一緒にバゼットが渡したものだ。
「私としては、外して欲しくないけど」
「なんでだよ」
問われ、バゼットはショーウインドウに向けていた視線をランサーの方に移し、
「似合っているからね、キミに」
邪気なく笑った。
「……女物が似合ってるとか言われてもなぁ。もーちょいマシなのはなかったのかよ。大体オレの髪が短かったらどうするつもりだったんだ?」
「そうだね。紐でもかけて首に下げさせたかな」
何気ないバゼットの言葉に、ランサーはむっと顔をゆがめ、
「ちょっと待てコラ。んじゃなにか? コレ別に髪につけてる必要ないのかよ」
「ああ。身に着けてさえいれば問題ないよ。落とさない自信があればポケットに入れても構わない」
「……先に言えよ」
「でも」
外そうと髪留めに伸ばしたランサーの手を柔らかく押さえる。
「言っただろう? 似合っているって。私の隣を歩いているんだから、少しくらい我が侭聞いてくれてもいいんじゃないかい?」
「…………」
ランサーの鍛え上げられた腕に触れる細い指先は、すでに押さえる意思をなくし、ただ触れているだけだった。
が、
「……ま、目立つもんじゃねえしな」
あっさりとそう言うと、腕をおろしてしまった。
「ありがと。素直なキミも好きだよ」
おろされた腕をバゼットが抱き寄せる。引き締まった腕は彼自身の強さを象徴しているようで、勝ち残るのはけして容易いことではないはずの聖杯戦争だが、絶対に自分たちは勝ち残れると感じさせてくれた。
「にしても、あの嬢ちゃんもよく動くな」
視線の先は公園にも居た少女だ、二つに分けた艶やかな黒髪を靡かせながらあちらこちらの店を覗きつつ新都を歩いている。二人はその後方を、少女を見失わない程度に離れた距離を保っていた。
「下見ってところだろうね。見るべきところをあの子が通ってくれるから、手間が省けてありがたいよ」
ランサーの腕を抱きながら楽しげに語るバゼット。日本人場慣れした風貌がやや人目を引くものの、誰が彼女たちを魔術師とその下僕だなどと思うだろう。
「相棒は誰だと思う?」
「さてね、キミとしては他の二人だとありがたいんだろう?」
剣、槍、弓、これらを得物とするセイバー、ランサー、アーチャーの三騎士は比較的安定した強さを誇っている。心奮える戦いを望んで英霊となったランサーであるから、なにをおいてもセイバーとアーチャーとは戦っておきたい。
「まあな。こそこそ企んだり、隠れたりするようなヤロウは願い下げだ」
「ふふ、頼もしいね」
言って微笑む彼女は、己がサーヴァントの最強を疑っていない。
既に四回行われたこの冬木の聖杯戦争。最強のサーヴァントはセイバーであるという。逃れられぬ自滅の道を歩むとは言え、バーサーカーのクラスで呼ばれれば如何なる英霊でも最強と呼ばれることに異は唱えられない。
それでも、彼女、バゼット=フラガ=マクレミッツの喚んだランサーは最強である。
何故ならば、彼女には己こそ此度の聖杯戦争における最強の魔術師であるという自負がある。最強のマスターである己が呼び出すサーヴァントが、最強でない道理は無い。
だから、ランサーこそ最強。
そうして、少女をつけまわすこと数時間。二人は少女が入ったレストランに何食わぬ顔で入っていった。
「しっかし、あの嬢ちゃんと将来つき合うことになる男には同情するね。よくもまあ、あんだけフラフラ歩けるもんだな」
席に着くなり小声で、ランサーがぼやく。
「下調べが入念なのはいいことだよ。相手にとって不足は無さそうだ」
二人分のワインを注文しながら、バゼットは笑顔で答えた。そのバゼットの笑みにランサーも笑顔――バゼットのそれが邪気の無い子供のような笑いであるのに対して、獲物を前にした肉食獣のような、といった形容が似合うものではあったが――で、
「……ああ、まったくだ」
頷き、グラスの水を一気に飲み干した。
「それよりもバゼット……」
まだ出揃っていないようだが、これからどうするつもりだ。
そう問おうとしたランサーの言葉は、警戒に鳴り響いたメロディーに遮られた。音の出元は彼の正面、優雅に座るバゼットのスーツの内ポケット。
「すまない、ちょっと待ってくれ……Hello? ……! どうしたんだ、まさかお前から連絡してくるなんて」
バゼットの声が、少し大きくなる。電話に応答する彼女の声に敵意は含まれていない。そこにあるのは疑いと驚きと……わずかな、喜び。
「……そうか。わかった、お前が言うならよほどの事態なんだろう。私の家はわかるな? ……ああ、構わない」
では一時間後にと言って、バゼットは携帯の通話を切る。ランサーに視線を向け、
「すまない。旧知の人物から連絡が入った」
財布から札を数枚取り出してランサーに渡す。
「食事は好きに済ませてくれ。彼に会って来る」
彼。つまり、これから会う相手は男。
そのことに少しむっとするが、それ以上に、
「無用心じゃねえか? 別にオレがついていっても……」
「心配性だな、キミは。安心しなさい、彼は監督役で、敵じゃない」
少女は離れた場所にいるが、用心の為ランサーの耳元まで口を近づけて言う。
「彼とは少しばかり因縁があってね。出来ることなら一対一で会いたいんだ」
「……わーったよ」
令呪を使われたわけではないから、逆らおうとすれば勿論逆らえるが、そこまで言われて逆らうのもみっともない。万が一の場合は令呪を使って呼べば、空間跳躍すら可能なのだから、手遅れになるなどということもないだろう。
「ありがと」
言って、ランサーの頬に小さな唇をよせる。
「先にホテルに戻ってて……眠るんじゃ、ないよ」
小さく手を振りながら出口に向かうバゼットを、ランサーは不機嫌そうに見送った。
数時間後、ランサーは己の運命、縁の薄さを眼前に突きつけられることとなる。
〜あとがき〜
なんか中途半端ですが、これで終わり。言峰編で補完されるかもしれませんが予定は未定です。
兄貴のつけている髪留めが気になったのと、プロローグで凛を見ていたマスターが結局明かされなかったので「えーいバゼットさんということにしてしまえー」と思い、書きました。多分あの時点で既に脱落しているはずなので、今回の話はわりと捏造。
次回は虎。
「すー……」
豪華な天蓋付きのベッドで、女が一人眠っている。
年の頃は二十歳を少し過ぎたくらい。短く切り揃えられた柔らかそうな栗色の髪が、寝息に合わせてふわふわと揺れていた。
元からそうだったのか、はたまた器用な寝相なのか、彼女は布団の中ではなく、掛け布団の上に転がっている。纏うのは薄桃色のネグリジェ。透けるほどではないが、薄い素材のため身体のラインは丸見えだった。余分な肉の無いすらりとした肢体は、魅力的と呼んで差し支えないだろう。ちなみに胸は無い。
「むー……ううー……」
なにやらうなされている様子。いったいどんな悪夢を見ているのやら、その顔は苦悶に歪んで――
「なにやってるかばかちーーーーーーん!!!!」
否。浮かぶのは激怒の表情。
いったいどんな夢を見ているのやら、なおもむーっとした顔でゴロゴロ転がり、
「……あうっ」
落ちた。
○○の日常シリーズ
タイガー目覚める 〜エミヤシロウ最後の日!?〜
「うー……?」
へんなゆめをみた。
士郎んちの道場で、見たこと無い銀髪のちっちゃい女の子とドツキ漫才してる夢。
「むー?」
お笑い芸人になりたいなんて思ったことないんだけど。
のそのそ起きながら、わたしはぼーっと考える。
とりあえず、おなか減ったのでご飯にしよう。
部屋の中は暗い。くるりと見回しても時計はなかったので、分厚いカーテンをぺろりとめくってみると外はまだ朝みたい。
「……むむ?」
なんか、ヘンだ。
ヘンなことその1、目の前の、お姫さまが使いそうな天井のついたベッドなんて、わたしの部屋にはないはず。
ヘンなことその2、わたしの部屋は畳張りのはずなのに、手をついている床は真っ赤なじゅうたん。
ヘンなことその3、今気付いたけど、愛用の横縞パジャマじゃなくて、なんだかえっちな服を着てる。
ヘンなことその4、そもそも、
「ここはどこなのよぅーっ!?」
いくら士郎にぼけてるぼけてる言われても、こんな部屋が自分の家にないことくらいはわかる。
士郎んちの居間にいたはずなのに、なんでこんなところに?
「むー」
これはあれだろうか、ドラマなんかでお馴染みの、
「誘拐、とか」
その言葉を口にして、あらためてその現実ばなれっぷりにびっくりする。
ゆうかい。
うん、絶対に縁のない言葉だと思う。確かにわたしの家はお金持ちだけど、同時にいわゆるヤクザ屋さんでもあるのだ。わざわざヤクザ屋さんの娘をさらう人もいないんじゃないか。だいたい誘拐されるって言ったら、普通もっと小さい女の子だろう。
それに、自慢ではないけどわたしの家は仁義を重んじる昔ながらのヤクザ屋さん。ヘンなクスリや流行のオレオレ詐欺なんかとは無縁で、町の治安を守る代わりにショバ代を頂くという形で運営されているのだ。そのおかげで深山町の犯罪発生率が低いのはじまんである。だから誘拐とか人殺しなんて、深山じゃここ何年も起こってないんだけど……
「……ま、いいや」
誘拐されたとしても、それはそれでどうにかなる。
と言うか、
「士郎が助けてくれるよねー」
なにしろわたしの弟分は正義の味方なのだ。恥ずかしがるから人には言うなと言われてるけど、恥ずかしがる士郎は大変可愛面白いので今度美綴さんあたりには話してしまおう。
弟分頼りというのもちょっと情けないけど、やっぱり真っ直ぐに正義の味方を目指す士郎は心強い。あの子がいれば、それなりの大ぴんちは乗り切れると思う。うん、具体的に言えば誘拐とか。
それにしても、この服はいけない。ひらひらしてて動き難いし。
きょろきょろまわりを見回すと、見慣れた横縞の長袖シャツと深緑のジャンパースカート。ちゃんと畳んであって、手に取ってみると洗濯もしてあるみたいだった。
なかなか親切な誘拐犯さんだ。
一応入り口をそこらへんにあった椅子なんかで塞いでから、ぱぱっとピンク色したえっちな服を脱いで、いつもの服に袖を通す。
「ん、落ち着いた」
さっきの服みたいなぴらぴらでひらひらなのは着ないもんね。桜ちゃんなんか似合いそうだけど、寝るときはパジャマなのかな? 今度着せてみよう、うん決めた。
さてどうしよう。
ぺたんとベッドに腰をおろしたわたしのおなかがくーっと小さな音をたてる。
「むむ」
おなかが空いた。
なら次にすることは食料調達だろう。
ドアノブを回してみたらあっけなくドアは開いた。つまり、自由に動き回っていいってことに違いない。
廊下に出ると、結構広いお屋敷だってことがわかった。わたしの家や、士郎んちとは違って、純洋風の建物のようだ。珍しいので、ふらふら歩いてみる。
「ひゃー、お金持ちっぽーい」
広い広い、とにかく広い。
このあたりには大きなおうちが多いけど、この家はその中でも一番か二番じゃないだろうか。
「む、じゃあ営利誘拐じゃないっぽい?」
世の中にはお金はいくら持ってても足りないって人もいるらしいけど。これだけおっきなおうちに住んでるとしたらお金目当ての誘拐より、違う動機と考えた方がすっきりする。
「うー、変態さんだったらやだよぅ……」
普通の誘拐犯さんならともかく、それが変態さんだったらと思うと寒気がする。違うと信じよう。
そんなことを考えていると、台所に到着した。
「なにか食べられるものはー、と」
生で食べられそうなものは……パンと、ハム、くらいか。日本人ならご飯は白いお米と思ってるわたしだけど、パンを食べないわけじゃない。
「おなかに溜まらないからあんまり好きじゃないんだけどねー」
おやつにサンドイッチをつまんだりするのはいいんだけど。
と言ってもお米を炊く時間を待てるほど、わたしのおなかに余裕はない。
一斤のパンをずばずば切って、半分はハムを挟んで、半分はなんだか高そうなイチゴジャムがあったので、それをたっぷりと塗っていただいた。マーガリンがなかったのはちょっと減点ポイント、ジャムと一緒に塗るとまろやかになって美味しいのに。ただ、バターがなかったのは褒めてあげてもいい点だ。バターを使う人はわたしの敵である。そういう意味では士郎はわたしの敵なんだけど、マーガリンもちゃんと用意してるんで許す。
「さて、と」
ひとまずおなかは落ち着いた。動き回るとおなかが減るけど、状況を確認するためにもおうち探険を続けることにする。
「はうー」
結論。
「なんなのよぅ、このおうちー」
お化け屋敷なのかもしれない。うう、怪談話とか嫌いなのに。
玄関は普通にあった、鍵だって中から閉めるごく普通の鍵だった。中から閉められるということは、中から開けられると言うことで、こんな簡単に出られていいのかーと思いながら鍵を開けてドアノブを回したら、いったいどんな仕組みになってるのか、ドアがまったく動かない。
窓も同じで、鍵は開くんだけど窓そのものが開かない。どんな魔法がかかってるのやら。
そんなわけで、どうしようもなくなって一番最初にいた部屋まで戻ってきた。
あらためてぐるりと部屋を見回す。
ごーじゃすだ。
起きたときにも思ったけど、ベッドはお姫さまが使うみたいなヤツだし、家具はおっきくて細工も綺麗。中でも目を引くのはベッドの脇にある大きな箱、あれは宝箱というものではないだろうか。
「……む」
見回しを続けていると、部屋の隅にある腰くらいまでの高さの本棚、その上に置かれたものが目に入った。
写真だ。5,6歳の女の子が写っている。
「むー?」
はて、どこかで見たような気がする。それも最近。
「むむー」
写真はわりと古い。ということは、写ってる女の子は写真どおりの姿じゃなくて、成長してるってことよね。
「あ、このリボン……」
写真の中の女の子が髪を留めているリボンに見覚えがある。
これは、桜ちゃんがいつも髪に結んでるリボンだ。
「あれ? ってことは、この子桜ちゃん?」
桜ちゃんって感じじゃないんだけど……
「むー?」
なにかの手がかりになるどころか、余計混乱してしまった。むずかしいことを考えるのは苦手なのである。
「わっからないよー」
べたーんとベッドに身を投げ出す。
うわー、ふかふか。お布団じゃなくてベッドもいいかも。
そんな風に思ったら、伸ばした手に硬い感触。
「……電話だ」
電話の子機。
「まさか繋がったり……しないわよねぇ」
ランプがついてるから電気は切れてないみたいだけど。
ためしに士郎んちにかけてみる。
『―――はい、もしもし衛宮ですけど』
出た。
人間、なんでもやってみるもんだ。
『もしもし? どちら様ですか?』
「しろうー、お姉ちゃん誘拐されちゃったよぅー」
とりあえず、素直に現状を伝えてみる。
『藤ねえ!? ちょ、ちょっと待て! 誘拐されたって……え? ええー!?』
「士郎んちにいたはずなのにね、気づいたら全然知らない家にいるのよぉー」
あ、ちょっとまずい。
士郎の声を聞いたら、なんだか安心して泣けてきた。
『ぜ、全然知らない家って、おいこら遠坂っ! おまえ藤ねえをどこに連れ込んだーっ!?』
……はて。
なんだか電話口の士郎からおかしな言葉が飛び出したような。
『何処に連れ込んだって、失礼ね。わたしの寝室に寝かせてきただけじゃない……あ』
……むむ。
『ちょっと待て遠坂。『あ』ってなんだ、『あ』って。まさか寝てる藤ねえにヘンなことしたんじゃないだろうな』
『べ、別にそんなことはしてないわよ! ただわたしの家の鍵ってちょっと特殊だから、藤村先生じゃ開けられないなーと思って』
「ねえ、士郎? なんで士郎んちにいたはずのわたしが遠坂さんの家で寝てるのかなー?」
『え? あ、いや藤ねえ。それには深い理由が』
「ふぅん、深い理由」
ちらりと時計に目をやると、針は七時を指している。勿論朝の。
……あれ?
「どうしてこんな時間に遠坂さんが士郎んちにいるのよーーーーーーっ!?」
おかしい、それはおかしい。夜ならともかく、こんな朝早くに遠坂さんが士郎の家にいるのは絶対にオカシイ。夜討ち朝駆けは戦の基本だけど、それにしたってどう考えてもヘンだ。
『と、とにかくこれからすぐに迎えに行くから大人しく待っててくれ!』
「あ! 士郎! こらちょっと待ちなさい、そんな朝から女の子を家に連れ込むような子に育てた覚えお姉ちゃんはないんだからねーっ!」
電話は切れた。
「……はぁ」
血は繋がってなくても切嗣さんの子供ってことなんだろうか、甲斐性があるんだかないんだかわからないとことか。
「でも、そっかー。士郎も女の子を連れ込むくらい大人になったのかぁ。お姉ちゃんとしてはちょっと寂しいなー」
とは言え、学生さんのくせにそんな爛れた生活はダメだと思う。
ここが遠坂さんの家なら士郎んちからは結構遠い。
今のうちにもう一度腹ごしらえをして、慌ててやってくる士郎をこってりしぼってあげるとしよう。
最近女の子に囲まれてにやにやしてる士郎に、衛宮家は体育会系だということを思い出させてあげるのだ――!
〜あとがき〜
目が覚めたら遠坂邸にいた藤ねえにどんなフォローをしたのやら。このアイディアはバイト友達のYさんから頂きました。さんきゅー。
次回は一成……と言うか、若奥様シリーズ。
長い長い、物々しい階段の上に、その寺はあった。
円蔵山の中腹に位置し、五十人からなる修行僧が生活する冬木きっての霊地。
名を、柳洞寺と呼ぶ。
先に挙げた石段と寺を隔てているのは、古いながらもしっかりとした造りの山門。
かつて、その山門には一人の門番がいた。五尺の長刀と、燕を斬り堕とす神域の剣腕で、如何なるものも生きて通さず、生きて帰らせない。
だが、いまやそこに門番の姿はない。
藍色の陣羽織を纏い、物干し竿と呼ばれる長刀を構えた暗殺者のサーヴァントの姿は、ない。
稜線に沈む夕陽を山門で眺めるのはアサシンのサーヴァントではなく、境内の方から聞こえてくる騒ぎに、
「ふむ、神代の魔女と言えど今となっては恋する乙女に過ぎぬか。可愛らしいものよ」
楽しげに微笑う、古びた地蔵を背負った涼やかな青年であった。
○○の日常シリーズ
雅人の夕べ 〜地蔵を背にして主を思う〜
女狐。
彼が自身の主に抱いた印象はその一言に尽きる。
元より女と小人は手におえぬと聞いてはいたが、主はその中でもいささか行き過ぎていると、そう感じた。それゆえに女狐。もっとも、だからこそ己のような偽りの身を呼び出せたのであろう。
魔術師のサーヴァントとして呼び出された彼女は、まさに魔女であった。
人々に暗示をかけ、己が拠点を作り、大規模な結界で人々から精気を吸う。その行いを魔女と呼ばずして、なんと呼ぶか。
正直に言えば、彼は主のことを好いてはいなかった。
裏切りと姦計。それは、ひたすらに剣を極めることだけを目指して生きた彼とは、まったく正反対だ。他人無くしては存在せず、その他人を無くすための方向性。コレを嫌うなと言うほうが無理であろう。
しかし、
「女を見る目には自信があったのだがな、精進が足りぬと言うことか」
実際のところ、彼女が裏切りと姦計の魔女であるなどというのは偽りであった。
確かに、魔女としての彼女は裏切りと姦計を武器とする汚れた英雄である。しかし、彼女と魔女が等号で結べるかと言えば、そうではなかったのだ。魔術師、キャスターのクラスとして呼び出された彼女は魔女である。だが、彼女をキャスターとして縛る聖杯戦争が終わってみればなんのことはない。
メディアと言う真名を取り戻した彼女は、一人の男に恋する育ちのいいお嬢さんでしかなかった。
「小次郎」
ぼうっと眺めていた夕陽から声の方に視線を移せば、そこには己が主の姿。
「義姉上。どうした?」
ジーパンとクリーム色のサマーセーターという出で立ちのメディアは、もうすっかり若奥さまの風情である。
「宗一郎様の生徒さんたちにお夕飯を作って差し上げようと思ったのだけれど……私一人では手が足りなくて」
「手伝えばよいわけだな」
地蔵を背負い直し、作務衣の埃を掃って立ち上がる。
派手派手しいサーヴァントの装束は目立つので作務衣を普段着にしている。なまじ小次郎のような美形が着ると逆に違和感があって余計に目立ってしまっているのだが、基本的に寺から出ないので問題ない。
「メディアさん、小次郎殿」
言いながら近づいてくる小次郎同様作務衣姿の少年は、柳洞一成。この柳洞寺の跡取りである。
表情を崩すことの少ない生真面目な少年だが、今は苦虫でも噛み潰したような顔をしている。
「学友どもが迷惑をかけて、申し訳ない」
メディアの夫(予定)である葛木宗一郎の生徒たちが十人ばかり柳洞寺に押しかけたのは、元はと言えば葛木が、「隠しているわけではないので、メディアに会いたければ柳洞寺まで来ればいい」などと言ったのが原因なのだが、その後「メディアとはどんな女性だ」と問い詰められて「見惚れるほど美人だ」などと馬鹿正直に答えてしまった一成に、まあ責任が無いとも言い切れない。
「構いませんわ、一成君。宗一郎様が慕われている、ということの証拠ですから」
そう言いながら微笑むメディアの顔には、若干の疲れが見える。出会いが聖杯戦争などというとてもではないが公言できない類のもののため、馴れ初めを捏造するのに大変だったのだ。とは言え、訪ねてきた生徒は皆自分を葛木の恋人として扱ってくれるので、嬉し疲れや楽しみ疲れもあるのだろう。
「義姉上の幸せは私にとっても嬉しいことだ。気に病むな」
女生徒に黄色い声で騒がれていた小次郎だが、女性に騒がれるのには慣れているのかこちらはいつもと変わらぬ優雅な物腰。
ちなみに、小次郎はメディアの義弟で、仏師を目指しているということになっている。
地蔵を背負ってあらわれた小次郎に、生徒たちは唖然としていたが仏師を目指していると説明すると、なんとなく納得されてしまった。おそらくメディアを見た段階で思考停止してしまったのだと思われる。
「ところで義姉上、私はなにをすればいいのだ?」
「ええ、離れの冷蔵庫ではとても足りないから、典座さんに言って食材を分けてもらって来てくれる?」
「心得た」
話している間にずれてきた地蔵を再度背負い直し、本殿の方へと向かう。
「小次郎殿、その地蔵をおろすわけにはいかないのですか?」
手伝うと言ってついてきた一成が、道すがら問うた。
「うむ。私はまだまだ未熟でな、少しでも手放すと築き上げた完成像が消えてしまうのだ。ゆえにいつも持ち歩きながら、少しずつ完成像を構築しているというわけよ」
「成る程……いや、仏師の世界も奥が深いのですね」
「左様。私なぞまだまだほんのひよっ子の駆け出し。精進あるのみだな」
言って、ちらりと一成に視線を向ける。ばったり合った視線、次に紡がれる言葉は、
「「喝」」
綺麗に重なった。
かんらかんらと笑う二人。小次郎の背中では、小次郎の笑い声に合わせて地蔵自身が笑っているかのように、夕陽に照らされながら揺れていた――
〜あとがき〜
次回は一成とか言っといてなんですが、ちょっとした事情から小次郎に変更しました。
「なんでアサシンが地蔵背負ってんだよわけわかわんねー」という方は「Fate」「地蔵」で検索してください。
〜追記〜
友人から藤ねえ編のシチュエーションがわかりにくいとのツッコミを受けたので、一応書いておきますが、藤ねえ編のシチュエーションは凛ルート終了後です。キャスターに眠らされた後、遠坂邸に運ばれた藤ねえのその後に関する言及がなかったもので、考えてみました。
「……むぅ」
穂群原学園生徒会長、柳洞一成は生徒会室で一人唸っていた。
一つ、どうにも生徒会役員のやる気が感じられない。
二つ、友人の衛宮士郎が女狐に振り回されている。
目下のところ彼の悩みはこの二つであった。
それ以外にも、部活動の予算配分のバランスの悪さだとか、そのため生まれた文化系クラブの不満――次の冬には生徒会を退いているだろうが、ストーブ不足くらいに関してはなんとか打開案の一つくらいは残しておきたいところだ――、悩みのタネは尽きないが、まあ解決出来ない範疇のことではない。と言うか、一つ目の問題が解決すればその辺りは自動的に解決出来そうなのだが。
とは言え、生徒会長と副会長こそ選挙で選ばれるものの、残りの役員は他の委員会と同じくクラスからの強制選出制で、なかなか熱意のある人間は集まらないと言うのが現実だった。特に現状は副会長すら立候補者がおらず、その他の役員の中から選んだほどなのである。
意識改革もゆっくりと進んではいるが、どうにも仕事の遅い役員にいらいらすると同時に、
(これが遠坂であれば……)
と思ってしまう自分にもいらいらする。
遠坂凛。
一成が妖怪だの、女生だのと好き勝手に呼んでいる、学園のアイドル的存在の少女。
そして、中学時代は一成と共に生徒会に所属し、かなりの改革を成し遂げた相棒的存在だ。
様々な理由から凛とは反発している一成だが、彼女の能力を認めていないわけではない。むしろ高く評価していると言ってもいい。
だが、嫌いなのである。
確かに凛は成績優秀、眉目秀麗、スポーツ万能、それでいてそのことを鼻にかけた様子もなく、どんな人間にも平等に接する、文句のつけようのない人物だ。
だが、嫌い。
そんな一言で言い表せるほど簡単な感情ではないのだが、敢えて一言に集約するのなら「柳洞一成は遠坂凛が嫌い」なのである。
これで向こうも一成のことを嫌っていれば天敵同士と分かりやすい関係になるのだが、凛の方では一成のことを嫌っておらず、むしろその愚直なまでに真っ直ぐなところに親愛を抱かれていたりするのだからこの二人の関係はよく分からない。
そして、その凛に振り回されているのか、一年前なら生徒会室に入り浸っていたと言っても過言ではなかった士郎は、今日も「すまん」と本当にすまなそうに謝って帰宅してしまい、生徒会室に来なかった。
「まったく、遠坂め……」
士郎と深い仲にあるのは――認めたくないながらも――わかるが、それにしても配慮と言うものがなさ過ぎる。
「衛宮を自分の所有物と勘違いしているのではあるまいな」
もし凛がこの言葉を聞いたら涼しい顔で、
『ええ、衛宮くんはわたしの物ですけれど。柳洞くん、それがなにか?』
こう優雅に答えることだろう。本気で言っている上に士郎も否定しないのだから手のつけようがない。
「……むぅ」
目の前に広げられた備品購入の嘆願書の数に、最早口からは呻き声しか出なかった。
当然嘆願書に書かれたもの全てを購入できる予算配分など出来るはずがない。直せるものは直して騙し騙し使うしかないのだが、生憎とその判別をしてくれたのは生徒会所属ですらない、一成の友人であると言う理由だけで手助けしてくれた士郎である。
一成もなんとか修理法を学ぼうとはしているのだが、如何せん井戸と薪が未だに現役の山寺住まいの身。下手に触ると仮病を成仏させかねない。
「癪ではあるが、遠坂に直接言うとするか……」
些か理不尽な気もするが、現実問題として士郎の行動を握っているのは凛のようなので仕方ない。
ならば今日はひとまず帰るかと腰をあげた一成は、
「お、いたぞ寺の息子ー」
「よーしでかした、それ、唯一の生き証人を逃すでないぞー」
「柳洞、大人しくお縄につけー!」
などと言いながら生徒会室のドアをノックすることもなく入ってきた闖入者によって、
「な、なにごとだ貴様らーーーっ!」
掻っ攫われた。
○○の日常シリーズ
生徒会長の憂鬱 〜平穏は破られるためにある?〜
「さあ生徒会長、あんたに黙秘権なんてないんだからキリキリ吐きな」
椅子に座らされた一成をぐるりと十人ほどの生徒が囲んでいる。
見下ろしながら言い放ったのは『冬木の黒豹』――と呼ばれたい――蒔寺楓。
「迷惑をかけてすまぬな、生徒会長。まあ犬に噛まれたとでも思って諦めてくれ」
少し離れたところから声がする。姿は人垣で見えないが、氷室鐘に間違いあるまい。
屈強な男子生徒四人に引きずられるようにしてここまで連れて来られ、最初は混乱していた一成だったがすでに落ち着きを取り戻していたらしく、
「吐けと言われても、俺には話がさっぱり見えん。一体どういう了見だ、後藤」
むすっとした声で昨年クラスメイトだった面白生徒に話を振る。
言葉遣いの奇天烈さが目立つが、後藤は頭の回転が異常に速い。「前世は軍師」とまで称されているほどである。その後藤ならば納得のいく説明をしてくれよう、そう考えての判断である。
「うむ、実はな柳洞殿、先程のホームルームで葛木から驚きの発表があったのでござるよ」
「葛木先生から?」
憮然とした表情だった一成の眉がぴくりと動いた。
三年A組の担任を務める葛木宗一郎は、一成が兄と仰ぐ人物である。これほどの生徒が大騒ぎするような話を、一成が聞いていないはずがない。それを訝しく思ったのだ。
「そ。今度結婚するんだってよ」
一成の疑問の声に、楓が答えを返す。
その答えに一成は、
「なんだ、そのことか……ああ、そう言えば騒ぎになっていたな。葛木先生が藤村先生と結婚するとか」
葛木の婚約者を知る一成にとっては取るに足りない噂話である。確かに出所が気にならなくもないが、確認作業をするほどのことでもないので、すぐに興味を失ったのだが。
「まあタイガーと結婚するってのはデマらしーけどさ、結婚するってのはマジだろ? しかも相手外人らしいじゃん」
「…………」
少し驚いた。
確かに葛木の婚約者のメディアはギリシア人(ということになっている)である。大河と結婚するなどと言う与太話が流れた直後にしては妙に正確な情報だった。はて情報源はどこだろうと首を捻りかけ、
「葛木が言ってたのでござるよ。『メディアに会いたければ柳洞寺まで来い』と。そこで柳洞寺の跡取りである柳洞ならなにか知っているのではと、そう言う次第でござる」
途中の葛木の真似が妙に似ている後藤の言葉に、一成は思わずがくりとした。
(まさか宗一郎本人が情報源とは……)
隠すと言うことをしない人だとは感じていたが、ここまでとは思っていなかった。
「さーさー、メディアってのはどういう女なのかキリキリ吐け」
「どう……と聞かれてもな」
堅物で名高い一成は、女生徒の人気を間桐慎二と二分しているにもかかわらず、慎二と違ってほとんど女性との交流がない。彼の評判と、忙しそうにしている姿がなかなか女性を近づけさせないのである。
「別に難しく言えと言っているわけではない。美人か、否か。その程度でいいのではないか?」
人垣の向こうから鐘の声。
「その程度じゃ満足できないけど、確かに顔は気になるね。葛木は美人みたいなこと言ってたけど、アレの感性ってよくわかんねーし。変人の葛木を選ぶくらいだから妙な顔してんじゃないのー?」
「馬鹿を言うなあれほど美しい女性もそうはおらん! 俺でさえ思わず見惚れるほどだ」
後悔先に立たず。
しまったと思う間も無く、
「うわ、おい、あの堅物会長が即答だぜ!」
「これは相当でござるぞ!」
「ふむ……確かに。私も興味がわいてきた」
「さーて、生徒かいちょー。これからどうすればいいかわかってるだろうね?」
がしっと楓の手が肩に回される。ほとんど酔ったエロ親父のようなノリだが、鐘以外雰囲気に酔っているのか、他の皆もどうもシラフという感じがしない。
「……むぅ」
引きずり上げられながら、何故こんなことになったのか考えてみたが、答えが出るはずもなく、
「さあ皆の衆、いざ柳洞寺でござるよ!!」
「「「「「おーーーっ!」」」」」
静かな山寺は、かつてない喧騒に襲われることになるのだった。
〜あとがき〜
一成ってなんか貧乏くじを引くイメージがあります。真面目にやってるのに報われないと言うか。
基本的に繋がっていないこのシリーズですが、メディアさん関連だけは繋がってます。故に今回の話も若奥さまシリーズの一コマ。
次回は黒い人。桜じゃないですよ?
「リズ、セラ」
「なに、イリヤ」
「なんでしょうか、イリヤスフィール様」
自室から眼下に広がる広大なアインツベルンの森を見つめていたイリヤがぽつりと漏らした小さな呼び声に、側に使える二人のメイドはそれぞれの言葉で応える。
一人は親しみ。
一人は敬い。
そして二人共に、愛のこもった言葉。
「シロウが来たわ」
「……そう」
「エミヤ……キリツグの」
返ってくる言葉は、またそれぞれ違う。首肯と、ある男の名前。
「ゾウケンはサクラにべったりで気付いてないみたいだけど、アサシンは絶対に気付く。……だから」
森に向けていた視線を、姉であり、試作体であり、側仕えでもある二人に向ける。
「セラ、貴女はシロウを追い返して。わたしは帰らないって」
「かしこまりました、お嬢様」
丁重な礼をして、セラはスカートを靡かせながらイリヤの部屋を出て行く。
それを見届け、リーゼリットに、
「リズ、貴女はアサシンを足止めして」
「……わかった」
淡々と、そう命じた。
○○の日常シリーズ
名前の無い貴方、名前だけのわたしたち 〜存在理由〜
黒い長身が、豪奢な廊下をゆっくりと歩いている。
その姿は、一言で言えば異様だった。
骨と皮と、僅かな筋肉だけの細い肉体。襤褸の如き黒い腰布。髑髏の仮面で隠した顔。中でも異様なのは、先端に至るまで黒い布で包まれた奇妙に長い右腕だろう。
けれど、黒い影が真に異様なのはその容姿ではない。
余人のいないこの城では彼の異様さに気付くことの出来るものは――否、誰がいたとしても、彼の異様さは気付かれることがないはずだ。
最大の異常、それは、このアインツベルン城の煌びやかな空間に在ってなお、黒い影の身でありながら周囲に溶け込んでいると言う点である。
例えるならば、天頂に太陽が輝き、けして影の生まれないはずの所に影が生まれ、しかも誰もその影に気付かない――そんな状況。
それこそがアサシンの武器。
力で劣り、技で劣り、名に於いて劣る暗殺者が、唯一英雄に勝るもの。短剣や宝具など、ただの手段にしか過ぎない。彼の本当の武器は、姿を隠す技術だけである。
だがその技術は同時に、己が大勢存在した山の翁の一人でしかないことを知らしめるものだった。
原型のハサンは、若者たちを攫い、フィダーイと呼ばれる暗殺者に仕立て上げたに過ぎない。故に、原型に隠身というアサシン固有の武器はなく、若者を暗殺者に変えるシステムと、教団の頭に自分の名を遺し、死んだ。本来ならばハサン・サッバーハはそこで終わり、反英雄にすらなれないはずだ。しかし、現実にハサンの名は受け継がれ続けた。頭から、次の頭へ。襲名した頭は、名前を喪いハサンとなる。自分を亡くし、列なる山の翁とされる。己の行いは、けして己に還らない。全てはハサンの名へと還る。
確かな己が在るのに、己には何も無い。在るのは山の翁、ハサンだけ。
死んでも、己は還ってこない。何故ならばハサンは死なないから。山の翁は滅びない。ハサンは常に唯一人、列なるのはハサンの名を継ぎ名前を喪う誰か。ハサンは不滅。常に教団の頂点に立ち、神の裁きを代行し続ける死の天使は受け継がれることなど無いのだ。
ハサンとは、唯一人の山の翁。同時にハサンの名を継いだ名亡しの誰か。
そうして、名を亡くした誰かは、ハサンの名を受けることで現界する。
あまりにも皮肉。
ハサンではなく、己自身を望んで英霊なんてモノになったのに、呼び出されるのは常に山の翁として。
「だが、それも此度まで」
アサシンは虚空に呟く。
奇蹟を実現させる願望機、大聖杯。これまで四度、呼び出されたハサン達は悉く敗れ去ってきたが、己は違う。
歪み、捩れ、狂いきった腐蟲だが、間桐臓硯の魔術師としての手腕は確かだ。最後の詰めを誤らなければ、確実に聖杯に届く。
「間違いは許されぬのだぞ、魔術師殿……!」
呟きに混じる少しの苛立ち。
この期に及んで娘の嬌態を見て悦ぶ臓硯は確かに聖杯の近くまで来たが、所詮「幾度かの試みの内、最も聖杯に近づいた」だけである。腐り果てた魂とは言え、もう百年程度待って待てないことは無い。むしろ今回が失敗すれば、次回はそれを反省材料としてより速やかに聖杯に至るだろう。
けれどアサシンは違う。次の聖杯戦争もハサンがアサシンとして呼ばれる、それに間違いは無い。
だが、そのハサンは今のアサシンではない。ハサンの名を受けた誰かが呼ばれるだけ。それでは意味が無いのだ。
大勢存在した名前を亡くした誰かが自らの名前を取り戻すことが、アサシンの目的ではない。今、この場にいる己がハサンとなる前の名前を取り戻すことこそ、アサシンの願望。奇蹟を齎す聖杯にしかなせない過去の改竄。
真実、そのような改竄など聖杯にすら不可能なのだが。
いかなる憤りを、苛立ちを顔に浮かべようとも、アサシンの顔を覆う髑髏は嘲りの笑みを崩さない。
微かな苛立ちを嘲笑に隠し、アサシンはゆっくりと廊下を進む。
敵は一人。流石に正面からの進入は避け、裏に回ったようだが、
「戯けめ。無駄な事を」
己、臓硯、セイバー、狂人、これだけを相手にして一人で来るなど愚の骨頂。既に死地に立っているのだから、その上でどう足掻こうと無意味。絶対に避けられない一撃を前から受けるのと、後ろから受けるのではどれほどの違いがあるだろう。敵の行動選択とはその程度に過ぎない。己を屠る傷が、胸につくか背中につくかを選んでいるだけだ。
「……む?」
澱み無く進んでいたアサシンの足が止まる。
目の前には豪奢な扉。
「白い聖杯の差し金か……?」
アインツベルンの白い聖杯は仲間を守るため自ら臓硯の軍門に下ったと言う。ならば、今尚やって来た敵を庇う為にこうして扉を閉ざしたとしてもおかしくはない。
棒状の右手で軽く扉を叩く。
予想に反し、扉は音も無く開いた。
「……アサシン、待ってた」
そうして扉を開いた先にいたのは、予想すらしていなかった人物。
「……貴様は」
白い聖杯の側仕えの女中。ホムンクルスではあるが、戦闘用ではないためこうして姿を見るまで存在そのものを忘れていた。忘れていても問題ないはずだった、蟻に象は倒せない。キャスターと並び、直接戦闘ではサーヴァント中最弱であるアサシンを象とすれば、メイド二人は蟻程度の力しかないのだから。
「リーゼリット、イリヤのともだち」
言って、ぺこりと頭を下げる。
「お茶淹れたから、飲んで」
「…………」
意図が見えない。
イリヤ、というのは確か白い聖杯につけられた名だったか。それはいいとしよう、目の前のホムンクルスがそのイリヤの友人だというのもどうでもいい。
問題はその後の、お茶を飲めというくだりである。
「私に毒は効かぬぞ」
とりあえず真っ先に思いついたのは毒殺の線だった。
白い聖杯はアインツベルンによって聖杯の役割を果たすために作られたはずだが、同時に此度の聖杯戦争のマスターでもある。ならば、ひょっとするとマスターとして行動することの方が優先順位が高いのかもしれない。そのため側仕えのメイドを使って毒殺を目論む。考えられない話ではない。
戦って駄目だから毒で、という発想は悪くないが、仮にもサーヴァントであるアサシン、そして蟲で構成された臓硯にも、生半可な毒は通じない。それこそバーサーカーであったヘラクレスを殺したような、神代の毒でなければ無理だ。
「毒なんか入れてない。美味しい、お茶」
「…………」
一番手っ取り早いのはここで目の前にいるメイドを殺してしまうことだが。
生憎白い聖杯に正装を施すのは確かこのホムンクルスの役割であったはず。なら、殺すと言う手段をとることは出来ない。
一度見つかった以上、こうして見られていては暗殺者の持つ唯一の武器も役に立たない。扉が閉ざされていたのは姿を捉えられぬ己を捉えるための手段だったのだと今更ながら気付き、小さく舌打ち。
無視して進めば、おそらくこのメイドはしつこく付き纏ってくるだろう。断った程度で引き下がるなら、そもそもこの場にいないはずだ。
なら、最善の手段は、
「……一杯だけだ」
手早くお茶を片付けて、白い聖杯を見つける前に侵入者も片付ける。
その思考に己が取り込んだ蒼い槍兵の影響があることにアサシン自身気付かないまま、
「……こっち」
身を翻したメイドの後を、アサシンは追った。
「早まったか……?」
ほわほわと湯気を立てるティーカップと、上品なガトーショコラを前にアサシンは思わず呟いた。
「……なに?」
「……なんでもない、気にするな」
自分の分なのか、もう一セットお茶を用意するリーゼリットに、首を横に振って応える。なにせ一杯だけはつきあうと宣言したのだ。それを反故にするのは男らしくない。それ以上に、こうしてメイドと二人きりでお茶会などしていることの方がよほどアサシンらしからぬ気もするが。
流れるような動作で支度を続けるリーゼリットに、改めて視線を遣る。
(ホムンクルスとは言え……)
美しい娘だと、思う。
かつて、アサシンのオリジナルとなった山の翁ハサンは一つの庭園を作った。美しい建物が並び、花々が咲き誇るそこには葡萄酒や蜂蜜の川が流れ、瑞々しい果実を望むだけ口にでき、絶世の美女を何人も側に侍らせることが出来る――楽園と呼ぶに相応しい、夢の庭園を。
どんなに禁欲的な若者であろうと絡め取るために、そこは最高級のものが揃っていたはずだ。地上にあるはずがない楽園を作るのだから、考えられうる最高のモノを揃えなければ、否、例え揃えたとしてもこの世のものに過ぎないと言う疑いは持たれてしまう。
しかし、そんな最高の美女を何人も見てきたアサシンの目で見ても、リーゼリットの美しさは別格だった。
表情は乏しいが、顔形そのものはこの上なく整っているし、二房零れた髪は銀を梳いたようで、部屋の灯りに輝いている。豊かな胸、締まった腰、ふっくらとした尻。男であればその手に掻き抱きたくなるような、蠱惑的な肢体。
「……冷めると、美味しくない」
自分を見つめるアサシンの視線に気付いているのかいないのか、まったく変わらぬ調子でアサシンをじっと見て、リーゼリットが言う。
「……頂こう」
じっと見られているのも気まずいものがある。言って、カップを手にし、まずその香りを楽しむ。
「……ふむ」
悪くない。
食の楽しみなど、サーヴァントである今は勿論のこと、ハサンであった頃にも経験したことがなかったが、柔らかく湯気を立てる上品な赤色の液体の芳しい香りは、悪くないと感じるものだった。
静かに口をつけると、ほのかな甘みと豊かな味わいが口中に広がる。茶について詳しくはないが、上等のものをきちんとした淹れ方で淹れなければこの味は出せないだろう。
「確かに、美味いな」
「セラのお気に入り。わたしも、好き」
にこりともせずにそう言うと、リーゼリットも自分のカップに口をつけた。
「ケーキも、美味しい」
「そうか」
普通ならカップ片手にケーキにフォークを入れる、などということも出来るのだろうが、生憎棒状の右手ではそういうわけにもいかない。一度カップをソーサーに戻し、フォークを掴む。
「…………」
これもまた、相当に悪くない。
甘すぎず、けして苦いわけではない。心地よいビターな味。しっとりとした食感だが、それでいて舌の上で確かに自己主張している。
無貌の顔がほんの少しだけほころんだ。
フォークを置いて、再びカップを手に。などとやっていると、
「……食べにくくない?」
小首を傾げて、リーゼリット。
カップとフォークを交互に持っているのが気にかかる様子。
「気にするな」
アサシンの右腕は宝具"妄想心音"。人を呪うということにおいてのみ特化した、純粋で単純な中東魔術の呪いの手。
ソレを得るためにこうなったのか、あるいはこうであったからソレを得たのか。妄想心音を為す右腕は、異形。常人の倍ほどもある魔腕は、隠行の邪魔にならないよう普段は掌を肩に置き、包帯で固定してある。昨日今日でそうなったわけではない。ありとあらゆる両腕を必要とする行為を、よどみなく左腕一本で行うはアサシンにとっては日常だ。
だから、カップとフォークを交互に取るのもアサシンにとっては当たり前の行為であり、そこに面倒だなどと思う気持ちはない。昔はあったのかもしれないが、もうとっくに磨耗し切ってしまっている。
「気になる」
「……なら、どうしろと」
リーゼリットが気になろうとアサシンがどうにかする義理はないのだが。まあ茶と菓子は美味いし、敵は未だ場内にも侵入出来ていないのだから、多少戯れに話をしても問題はない。
「ちょっと、待って」
リーゼリットは言うと、アサシンの前に置かれた皿からフォークを手に取ると、黒茶色のケーキを少し切り分けて、
「あーん」
なんてことを宣巻った。
「…………」
「あーん」
「…………」
「あーん」
「……ちょっと待むぐ」
開いた口にフォークごとケーキを突っ込まれた。
「これで大丈夫」
「……なにが大丈夫だ」
律儀にももぐもぐとケーキを咀嚼してから、アサシンが発するのは呆れ声。
「今のはなんだ」
「食べにくそうだったから」
「食べにくくなどないと言ったであろう」
「でも、見てて気になる」
「ならば見なければ良かろう。大体、貴様は私が恐ろしくないのか」
「……なんで?」
問われ、幾つか理由は浮かぶ。
まず、なんと言っても異形の姿。蜘蛛か蠍を思わせる細い身体は、見る者に禍々しさしか与えないはずだ。
そしてアサシンとして現界したサーヴァントであるということ。基本となる七つのクラスにおいて、唯一戦うためではなく、殺すために呼ばれる不吉のクラス。
普通の人間であれば、彼の姿には恐怖しか感じないだろう。
「……そうか、貴様はホムンクルスであったな。恐怖など、感じぬか」
その美しさに一瞬忘れかけていたが、目の前のメイドは人ではない。
「それは、誤解。わたしも、怖いものは、怖い。ただ、貴方が怖くないだけ」
「私が怖くない……?」
「そう、わたしたちと似てるから。イリヤに聞いた。アサシンは大勢いた山の翁の中から一人選ばれるって」
「……それが、どう貴様と似ているのだ」
「わたしたちも同じ。大勢の失敗作の中からたまたま選ばれた。個としての意味は持ってない。セラもそう。わたしたちが持っているのは、イリヤのメイドとしての役割だけ」
「…………」
「この名前がついたのは、イリヤについて、いくから。城に帰ったら名前なんて無い……だから、貴方と同じ」
「……そうか」
アサシンは、目の前のホムンクルスを侮っていたと知る。命令どおりに動く人形、その程度だとしか思っていなかった。しかし、このホムンクルスは自分がある。聖杯として生み出され、失敗作として捨てられ、メイドとして今在って、自分に個としての意味がないと知りながら、確かな己を持っている。
ただの人形ではない、そう思考すると同時に、思わず口が動く。
「何故……何故、貴様は生きている」
言って、アサシンは目を見開いた。自分の行動が信じられない。今、自分は何を口走った。
「わたしは、イリヤが好き。セラも、好き。だから、イリヤとお風呂に入ったり、セラが好きなケーキを、買いに行くのは楽しい」
アサシンの動揺を余所に、リーゼリットは言葉を紡ぎ続ける。
「だから、わたしの役目、あまり、したくない。イリヤ、三番目のドレスを着るの、嫌がる、から。きっとイリヤ、アインツベルンの記録にずっと、残るけど。三番目のドレス、着せたくない。それよりも、ここで暮らして、色々、思い出ほしい」
「……それは、貴様の望みか」
「……そう」
頷きと共に最後の一言を紡ぎ、リーゼリットは唇にカップを運んだ。
無表情の貌を見ながらアサシンは考える。
ハサンとなって、全てを無くした。ハサンとなって、多くのことをなしてきたのに、行いの悉くはハサンに還る。自分なんてモノは、もうどこにも無くなってしまった。そう思っていた。
けれど、そもそも無くしたと思った自分とは、なんだったのか。
永遠を求めた。今尚語られ続けるハサンに換わり、己の名が謳われる、そんな永遠。記録として誰もが知る自分。
けれど、謳われる名前への賛美は、恐怖は、誰に還るのか。
幾星霜を越えて、求めてやまなかったモノが、不意に薄れる。永遠に残る記録への賛美など、この一瞬に感じる甘い香りと比べてどれ程の価値があるだろう。
「リーゼリット、と言ったか」
「……なに?」
「礼を言おう。貴様の言葉が無ければ、私は永遠に亡霊だった」
「わたし、なにもしてない。けど、どういたしまして」
返礼するリーゼリットに一つ頷き、立ち上がった。
「残ってる」
「もう十分に堪能させてもらった……そうだな、続きは私の役割を果たしてから頂こう」
既に無用の聖杯だが、主との契約は守るべきである、己の役割は暗殺者。ならば疾く、主の敵を討とう。
不吉の黒い風となって、白い髑髏がアインツベルンの城を駆ける。
This story follows "Death Penalty".
〜あとがき〜
ハサン×リーゼリット……本気か、私。しかし書いてみたらなんかかなり私的に萌えカップルですよ、どうしましょう。
サイマテではリーズリットとなっていたのですが、呼称確認のために本編を見直してみたらリーゼリットに、どっちやねん。とりあえず今回は本編準拠でリーゼリットとしました。人気投票の選択画面でもリーゼリットですし。
過去の改変を望んでいるという一点で、セイバー、アーチャー、ハサンは似ている気がします。皆どこかしら歪んでるんですよね。過去に拘るあまりその地点から先が見えていないと言うか。セイバーにとって士郎が救いになったように、ハサンも誰かに救われたらなぁと思ってまあ、こんなモノを書いてみました。