「それで、貴女は誰なのかしら。可愛いドロボウさん?」
「え!? あ、えっと、あのっ、わたし……っ!」
いや、不法侵入の身なので確かにドロボウとか言われちゃっても仕方ない気がするけど。
これから先生になる人に悪い印象を与えちゃったかも。うう、それはまずい。まずいと言うか、いやだ。
「ご、ごめんなさい、黙って入っちゃって! で、でもわたし、ドロボウじゃないです!」
とりあえず、誤解は解かなきゃ。
これでもかーってくらい深く頭を下げるわたしの耳に、小さなくすくす笑いが届く。
「……ごめんなさい。ええ、貴女がドロボウなんかじゃないってこと、わかっているわ」
ちらりと視線だけ先生の方に向けると、楽しそうに微笑んでいる先生の顔。
「で、でも、わたし黙って入っちゃって……!」
「それは、こんなお昼から居眠りしていたわたしが悪いの。年は取りたくないものね」
先生は言いながら、揺り椅子から下りて、わたしの隣に腰をおろした。
「それで、わたしを先生なんて呼んでくれる貴女はどなたなのかしら、お嬢さん?」
「は、はい! わたしは……」
不法侵入は許してもらえたみたい。ほっとしたわたしは顔をあげて自己紹介をしようとして、
「…………」
言葉を、失った。
一言で言うなら、"綺麗"。
寝顔を見たときから綺麗な、美人なおばあさんだと思った。けど、今の笑顔はもう別次元。
自慢じゃないけど、わたしは笑顔に自信があった。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんも、「円は楽しそうに笑うね」って誉めてくれる。そう言うお母さん達の笑顔もすっごくいい笑顔だと思う。
けど、先生の笑顔にはかなわないと感じた。もちろん笑顔なんて勝ち負けを競うものじゃないけど。
綺麗……うん、綺麗なのは当たり前。なんて言うんだろう、透明な笑顔とでも言えばいいのかな。
そうやってぼーっと先生の顔に見惚れていると、
「……ええと、なにかわたしの顔についてる?」
なんて、困ったような笑顔で聞かれてしまった。
む、いけないいけない。なにかに気を取られやすいのはわたしの欠点だ。うーん、でも先生の笑顔を目にしたらぼーっとしない方が難しいと思うけど。
「あ、ご、ごめんなさい。先生の笑顔、あんまり綺麗だったから」
「……え?」
いったいなにがいけなかったのか。わたしの言葉に、今度は先生がぼーっとする番だった。
「……あ、あの、わたしなにかおかしなこと言いました……?」
いきなり綺麗なんて言ったのが悪かったのかな? でも、それくらいでぼーっとするわけないよね、まさか鏡を見たことないってわけでもないだろうし。
「……笑顔って、言ったの? わたしが、笑ってた……?」
「は、はい。すっごく素敵な笑顔でした!」
わたしが勢い込んで言うと、
「……わたし、笑って……?」
呆然と言った先生の目から、涙が溢れるのはすぐのことだった。
「せ、先生!?」
「……っ」
ぽろぽろ、ぽろぽろ、途絶えることなく流れる先生の涙。
「そう……わたし、いま、わらってたんだ……」
つぶやいて、先生は胸元で手を重ねた。そこにあるなにか大事なものを、愛しそうに、抱きしめるように。
「……んぱい。わたし、笑えるように……なりました。貴方の前じゃなくても、笑えて……ます」
潤んだ先生の視線の先にあるのは、満開に咲いた先生と同じ名前の花。
先生のその視線に込められた意味を、わたしは知らない。それはきっと、先生にとってとても大事な、大事な想いが込められているんだと思う。
(……知りたい)
その視線の意味。このきっと優しい人に、大切な想いを向けられる誰かのこと。先生のこと。
知りたい。こういうのも一目ぼれって言うのかな。ほとんどしゃべってもいないのに、わたしは先生のことがすっごく好きになってた。
この、大好きな先生のことを、知りたい。
「……ごめんなさいね、取り乱してしまって」
涙をぬぐいながら、先生はまた優しく微笑んでくれる。
知りたいことは山のよう。あれも聞きたい、これも聞きたい。でもまずは、わたしのことを知ってもらわなきゃ。わたしのことを知ってもらって、わたしは先生のことを教えてもらうんだ。
さあ、まずは自己紹介からはじめよう。
「はじめまして先生、わたし遠坂円っていいます――!」
〜あとがき〜
あちらこちらで桜が嫌われ気味なのを見て、書いてみました。
あー、でも書きたいことの半分も書けてない気がするなぁ……理想を抱いて溺死してしまった感じです。
某板で拙作を挙げてくれた人、ありがとうございます。
〜補足・遠坂円について〜
桜ノーマルエンド『櫻の夢』に登場する桜の教え子。遠坂凛の孫娘にあたる。本作では中学校入学を目前に控えた元気が魅力の、ボーイッシュな女の子です。原作中で「新しい遠坂の跡継ぎ」と言われていますが、正統の後継者なら素直に凛の魔術(と言うかガンドを含む諸魔術の魔術刻印)を継承するのが妥当だろうと考え、作中で書いたように二人姉妹の妹という設定になっています。