Fate/Calamity Knight(M:凛、傾:シリアス)


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1: ぱばーぬ (2004/03/22 02:38:24)[nawate at graces.dricas.com]

  連れ立つ友なる二羽の鷲は 同一の木を抱けり
  その一羽は甘き菩提樹の実を食らい
  他の一羽は食らわずして注視す―――――
        「リグ・ヴェーダ」謎の歌




Fate / Calamity Knight


 ACT.1 The Hunters from Beyond

     ◇

 呪いにも似た星の巡り、というやつがあるらしい。
 いわゆる「マーフィーの法則」とか呼ばれてる、アレのことだ。
 何の根拠も必然性もないのに、何かの策略でも働いてるんじゃないかってぐらいの高確率で、なぜか似たような結果が待っているってやつ。
 例えば、今俺の目の前――――我が家の居間の入り口で、ギョッとした表情を浮かべて棒立ちになっている相手にも、それは当てはまる。

 遠坂凛。
 俺こと衛宮士郎の同級生であり、そんじょそこらのアイドルなんか裸足で逃げ出すんじゃないかってレベルの、ぶっ飛びもんの美人でもある。
 おまけに勉強はトップクラス、運動神経も抜群、人当たりも良いという完璧超人ぶりで、我が校のアイドル的存在と言っても過言ではないだろう。
 そんな、「天は二物を与えず」って言葉を母親の胎内に忘れてきたんじゃないかって彼女にとって唯一のウィークポイントが、「ここ一番という大事な時に限って、信じられないようなポカをする」という体質だ。
 こういうのは普通、体質とは言わないのだろうが、遠坂いわく「すでにDNAレベルで染み付いた、遠坂家独自の遺伝病」なのだそうである。

 こんなこと、もちろん他の連中は知らない。
 俺だって、つい最近――――と言っても、二ヶ月ぐらい前のことだけど、ちょっとした事情から遠坂と行動を共にするようになったからこそ、実例つきで知ることになったわけで、その事情にかかわることがなかったら、おそらく一生知ることはなかったんじゃないかと思う。

 ……戦争が起きたのだ。
 国と国が戦う戦争ではなく、人と人とが戦う戦争。
 と言っても、いがみ合っていたのはたったの七人だけだ。
 それなら戦争なんてお題目は似合わないのだけれど、その戦う人々が魔術師であるなら話は別である。

 聖杯戦争。

 その戦争は、そう呼ばれていた。
 ありとあらゆる願いを叶えると言われる、世界最高峰の聖遺物にして万能の釜、聖杯。

 それを降臨させるには、七人の魔術師達と、彼らが呼び出した「サーヴァント」と呼ばれる七人の使い魔達の力が必要であり――――
 それを手に入れることができるのは、唯一組の魔術師とサーヴァントであり――――
 だから七人の魔術師と七人のサーヴァント達は、最後の一組になるまで殺し合わなければならない。

 そんな、ふざけたルールの戦争。

 もちろん俺は、自分が長年暮らしてきたこの冬木の町で、そんな物騒なイベントがおよそ二百年にも渡って繰り広げられてきたなんて知らなかったし、聖杯なんてものにも興味はなかった。
 それが何の因果か、あれよあれよという間に参加するはめになってしまい、その過程で様々なことを知ることになったのである。

 密かに憧れてた学校のアイドル・遠坂凛が魔術師であることを知り――――
 聖杯戦争の存在と、十年前に俺から両親を奪った災厄の原因を知り――――
 それまでの優等生じみた遠坂の態度が、猫の軍団を被った二重人格レベルの擬態であり、その本性はいじめっ子の赤いあくまであることを知り――――
 こんなのサギじゃないかと思いつつ、それでも一層彼女に惹かれてゆく自分の本心を知り――――
 小さな頃から抱いていた「正義の味方になる」という思いの根源が、本当は何に由来するものであるかを知り――――
 歪でカラッポのまま歩き続けた自分の行き着く果てが、どのようなものとなるかを知り――――
 それでも、自分がこれまで歩んできた道が、これからも歩んでゆくであろう道が、決して間違ったものではないのだということを知った。

 そして。
 俺と遠坂は、最期まで生き残ったのだ。

 それが、数ヶ月前のこと。

 で、現在。
 聖杯戦争中、色々と紆余曲折を経て手を組むことになり、信頼できるパートナーとして、また尊敬すべき師匠としてつき合ってきた遠坂と俺は……まぁ、何と言いますか……色々とあれやこれやがありましてですね、以前より、こう、何というか……それなりに親密になってて、互いにその……ええい、わかるだろ!? つまりは、そういう関係になっていたりするわけだっ。

 ぜい…ぜい……。

 ま、まぁ、とにもかくにもそういうわけで。
 聖杯戦争からこっち、遠坂は我が衛宮邸に入り浸り状態になってる。
 一応断っておくが、べつに爛れた関係を進行中ってわけでもなければ、特にこれと言って甲斐甲斐しく世話を焼いてもらってるわけでもない……と、思う。
 そりゃ確かに、魔術士・青葉マークの俺みたいなやつにしてみれば、遠坂のような上級者に魔術の講座をしてもらえるってのは実にありがたい話なわけで、そういう意味では世話を焼いてもらってると言えなくはないんだろうけど、アレは『甲斐甲斐しい』とは言わんだろう。
 スパルタだし、明らかにイジメて楽しんでるし、イメージ的に脾臓の辺りをグサリとやられました的な容赦なしのセリフはポンポン出てくるし……。

 けどまぁ、惚れた女の子が足繁く通ってくれるというのは、男にとって感無量というか男冥利に尽きるというか、ともかく恥ずかしくも嬉しいことなわけで。
 だから俺が、彼女に家の合鍵を渡すのも、ごく自然な流れだったと思う。
 だって俺にとって遠坂は、もう家族同然と言うか家族以上と言うか、一緒にいてくれないと困るどころの騒ぎじゃなくて、いてくれなきゃイヤだみたいな感じだし、そりゃ俺だって健全な男なんだから、できれば一緒にいるだけじゃなくて手だって握りたいし、こうギュッと抱きしめてキスなんかもしたいし、できればその先まで……って、あああぁぁ、ったく。何言ってんだろうね、俺は。

 とにかく要するに、だ。
 遠坂が俺ん家に来てくれるのは、すごく嬉しい。
 そりゃーもう、玄関でとんぼ返りしたくなるぐらい嬉しい。
 万歳三唱して出迎えたいくらいの大歓迎。
 そう言いたいわけである。
 この気持ちにウソはない。誓ったっていいぞ。

 ……けどなぁ、遠坂。

 普通、よそさまの家を訪ねた場合は、呼び鈴を鳴らして入ってくるのが礼儀ってもんじゃないか?

 いや、まぁ……。遠坂は家族同然なんだから、わざわざ呼び鈴なんか鳴らさなくても、そのまま遠慮せず入ってきていいぞ、なんて常日頃から言ってるのは俺だけどさ。
 けど、普段は「親しき仲にも礼儀ありよ」とか何とか言って、律儀に呼び鈴鳴らして入ってきてたのが、どうしてよりにもよって今日この時に限って、まるで狙いすましたように、黙って入ってくるのでしょうか?

 こんな――――

『全裸で横たわる年端も行かぬ少女の肩に、そっと手を伸ばして触れた』という、まさにその瞬間を見計らったようなドンピシャなタイミングで。

 士郎くん、ぴ〜〜んち!

 どういうわけか俺は、こういう状況に立たされる事が、すこぶる多い。
 それこそ遠坂じゃないが、女難の因子がDNAレベルで体に刷り込まれてるんじゃないかってぐらい。
 そうとも。これはもう、星巡りがどうとか運勢がどうとか、そんな段階を超越している。何かの悪意が働いているとしか思えません。いや、ホント。
 だいたい、なんだってこう毎回毎回、俺自身は誓ってやましいことなどしてないのに、第三者が見たら誤解されるだろうなあ、なんて状況で、最も見られたくない相手がわざわざ出向いてくるというのか? しかも、実際にお楽しみしてたわけじゃないってのに、責任ばっかが降りかかってきやがって!!

 ……なんて、キレてる場合じゃないよな。
 本気で対処法を考えないと、冗談抜きで命運が尽きかねない。
 この家の命運もそうだが、主に俺の命運が。

「あ……あの、遠坂さん? おっしゃりたい事がさぞ色々とおありなのは重々承知しておりますが、ここは一つ、お互い冷静になってですね。話し合いの機会を設けるというのが、正しい文明人のあり方であると、小生としましては愚考する次第なのですが、いかがなものでございましょうか」

 全身から冷や汗をだくだく流しながら、さながらラプターの檻に入っていくような心境で、そう提案した。
 言葉遣いが妙なものになってるのは、それだけ遠坂から伝わってくる威圧感が大きいからだ。これが漫画だったら、まず間違いなく遠坂の背後には噴火直前の火山が描かれ、ギザギザのレタリングで『ズゴゴゴゴゴ』という擬音が書き込まれているところだろう。
 すっげー、こわい。

「話し合い……ねぇ?」

 わざとらしくそんなことを言いながら、ニッコリと笑顔を浮かべる赤いあくま。
 これだ。
 この笑顔が怖い。
 なまじ整った美人顔だけに、その迫力たるや宝具使用直前のサーヴァントにも匹敵するぐらい、鬼気迫るものがある。

「いいわよ、衛宮くん。あなたがどんな言い訳を聞かせてくれるのか、わたし、とっても興味あるもの。よぉ〜〜く内容を吟味した上で喋った方がいいわよ? そうすれば、ほんのわずかでも寿命が伸びる可能性が出てくると思うし」

 ……なんか、幻聴なんだろうけど、ゴジラのテーマが聞こえるような気がする。
 ハッキリ言って、まずい。やばすぎる。
 こいつが俺のことを『士郎』じゃなくて『衛宮くん』なんて呼び方をする時は、たいてい真面目な話をする時か、俺をからかおうって悪巧みしてる時かの、どっちかなんだから。
 そして現状を鑑みるに、俺をからかって遊ぼうなんて気配は微塵もない。つまり、遠坂のやつは本気で怒ってる。

 考えろ――――!
 考えろ――――!
 考えろ――――!
 考えろ――――!

 生半可な言い訳なんか、あの赤いあくまには通じない。
 ならば、イメージしろ。
 アイツを納得させるまではいかなくとも、攻撃衝動を抑制するに足る理由を。
 理由なら、ある。
 問題は、遠坂がそれを信じるかどうかの一点のみ。
 自分でも容易には信じ難い話だが、そんなことは知ったことか。必要なら、自分すら騙せ。
 既存の言葉で納得させられないなら、納得させられる言葉を創り出せ。

 精神を引き絞る。
 挑むべきは自分自身。ただ一つの狂いも許されない。
 大丈夫だ。いける。
 ことイメージによる戦いであるならば、衛宮士郎が負けることなどあり得ない。

 そう決意して、口を開こうとしたその時。

「「――――――――――!!」」

 俺と遠坂は同時に反応した。

「遠坂!」

「結界が破られた!? うそ! 在り得ないわ、こんなの!!」

 言いたいことはわかる。
 衛宮邸には以前から結界が張られていたが、今は亡きオヤジ――――切嗣が構築したソレは、悪意を持った存在が侵入を試みた場合に限って警報を発するという、魔術版・防犯ベルと言ってもいいようなものに過ぎなかった。
 けれど、現在我が家に張られているソレは違う。
 魔術師たる者、己のテリトリーに関する防御体制は常に最高のものでなくてはならないという遠坂の持論の下、かなりの強化、および攻撃性が付与された凶悪なしろものとなっているんだから。
 見ているこっちが思わず引いてしまうぐらい嬉しそうな顔で、遠坂が新たな結界に付与した攻撃特性は、地・水・火・風といった四大元素に準じたものに加えて、幻惑・混乱・恐慌といった、相手の精神に影響を及ぼすものが三種と、実に七層にも及ぶ。
 それら全てが一瞬で、無効化――――否、食い破られたのだ。
 一つ一つをディスペル、もしくはレジストしていくならともかく、遠坂のような高レベル魔術師が、時間と手間をかけて敷いた複数の攻性結界をまとめて破るなんて真似、サーヴァントにだって、できるかどうか……。

 珍しく遠坂が動揺しているのを見て、俺は舌打ちしたい気分だった。
 遠坂に対してのものじゃない。自分の甘さと迂闊さに対しての舌打ちだ。
 こうなることは、十分予想できることだった。
 俺が、つい三十分ほど前に巻き込まれた事の異常性と特異性を考えれば、今のこの事態は至極当然のこと。
 なのに、何ら対策を講じることもせず、ただ悪戯に混乱した挙句、うろたえていただけなんて……つくづく自分が情けない。遠坂に「へっぽこ」呼ばわりされて当然だ。

 俺は、未だに目を覚ます兆候を見せない少女に一度だけチラと視線を送ると、即座に覚悟を決めた。

「投影、開始――――」

 魔術回路を起動。かつての赤い騎士の象徴とでも言うべき双剣、干将莫耶を手にする。
 いつもなら頼もしささえ覚える、そのズシリとした重みが、今はひどく頼りなさそうに感じられるのは、気のせいだと思いたい。

「遠坂は後ろに下がってくれ。ヤツの相手は俺がする」

「……いいけど。なんかその口ぶりだと、誰が来たのか心当たりがあるみたいね?」

 すでに驚愕の波は去ったのか、常の冷静さを取り戻し、魔術師の顔つきになった遠坂が、前に出る俺と入れ替わるように少女の傍らに立つ。
 左腕の魔術刻印は、すでにポゥッと淡い光を明滅させ、彼女が臨戦態勢へと移行済みであることを告げていた。

「もしかして、この女の子がらみ?」

「……だと思う。実を言うと、俺も詳しいことはまだ、よく知らないんだ。わかってるのは、その女の子が追われてるってことと、追ってるヤツらが自分たちのことを『ガナデヴァタ』って名乗ってたぐらい……」

「ちょっ……! 『ガナデヴァタ』ですって!?」

 続けようとした俺のセリフは、遠坂の素っ頓狂な声にムリヤリ断ち切られてしまった。
 それが心なしか悲鳴じみたものであったことが、これから自分をはるかに超える力量を持った敵が近づいているという状況にもかかわらず、俺の顔を遠坂に向けさせた。

 驚いた。
 あの遠坂が、怯えている?
 顔色は目に見えて青ざめ、唇は紫色になり、小さな珠のような冷や汗が、びっしりと顔中に浮いているではないか。
 バーサーカー、あるいはギルガメッシュと相対した時と同じか、それ以上の恐怖に捕われているのだと知り、俺の背筋が戦慄に凍りつく。

――――アレは、それほどのモノなのか!?

 もし、そうなのだとしたら、つくづく見通しが甘かったと言わざるを得ない。
 遠坂は俺と違って、極めてロジカルな思考の持ち主だ。敵と自分の戦力を的確に見極め、分析し、曖昧な希望的観測を排除した上で、彼我の戦力差を即座に導き出すことにかけては、俺なんかの及ぶところではない。
 しかし、遠坂の本当にすごいところは、そうやって導き出された勝率が限りなく低いとしても――――ほんのわずか……コンマ以下、ゼロが幾つも並ぶ可能性であっても、完全なゼロとならない限り、決して勝負を諦めないというところだ。
 退くべきか、留まるべきかという戦闘中の判断力、戦局の見極めに関しては、ほとんどサーヴァントに匹敵するんじゃないかと俺は思ってる。

 その彼女が、ここまで怯えているとなると。
 間違いない。
 アレは、バーサーカーやギルガメッシュ同様、決して戦ってはならないモノ。
 遭遇してはならないモノなのだ。
 関わること、触れることは死を意味するモノ。
 ヒトの形はしていても決してヒトでは在り得ない、『死』と『破滅』が形を持って具現化したモノなのだ。

 ギシリ、ギシリと、こちらの恐怖心を煽るかのように、廊下を踏む音がもどかしいまでにゆっくりと、こちらに近づいてくる。
 ふざけたことに、きちんと玄関から入ってきたらしい。くそっ。完全になめられてる! それとも、俺達程度では敵視するにも値しないというのか?

「…………っく!」

 悔しいが、事実その通りなんだろう。
 廊下の軋む音が大きくなるにつれて、確実に増してゆくこのプレッシャーは、只事じゃない。人間なら誰もが持つ、心の奥底に秘められた原初の衝動――――木の上から大地に降り立ったばかりの、未だ身を守る術を持たなかった人類の祖先達が、夜の深い闇の中、仲間が一人、また一人と肉食獣に狩られていった時に抱いたであろう恐怖と絶望が、時代という壁を越えて甦ってくるみたいだった。
 体が震え出すのを、押さえられない。
 今にも悲鳴を上げて逃げ出したくなる衝動を、必死の思いで押しとどめる。

――――逃げろ!
――――逃げろ!
――――逃げろ!

 生存本能が、これ以上はないってぐらいの金切り声で叫び続けている。

 うるさい。そんなことは、わかっている。
 アレが危険なものだってことぐらい、俺にだって理解できてる。
 だけど、逃げられないんだ。
 逃げるわけにはいかないんだ。
 なぜならそれは、衛宮士郎の心を殺すことにも等しいのだから。

 あの時、剣の丘で誓った。
 正義などこの世にはないのだとしても。
 現実には無価値に人が死に続けるものだとしても。
 そんな悟ったような諦めが、正しいとは思えない、と。
 自分に見える世界だけでも、手の届く範囲の人達だけでも救えるのなら、そのために戦おう、と。

 それは誓約。
 文字通り己の魂と存在をかけて赤い騎士と戦い、手に入れた、衛宮士郎にとって決して譲ることのできない最後の聖域。
 ならば、それを自ら手放すことが、どうしてできよう。
 そう。
 あの女の子を助けると決めた。
 その時点で、すでに選択肢などないのだから。

「なら……やるしかないじゃないか」

 カラカラに干上がり、痛みすら覚える喉の奥から、自らを鼓舞するように、そんなセリフを搾り出す。

 ほとんど同時に、開けたままだった居間の入り口に人影が現れた。

 漆黒のロングコート。
 浅黒い肌。
 死魚のごとき、どろりと濁った感情を窺わせない眼差し。

 その姿が、つい三十分ほど前に遭遇した相手と同じものだと認識するよりも早く、俺は弾丸のように飛び出した。
 背後で遠坂が何か叫んだような気がするが、意味を理解するまでには至らない。
 ドクドクと激しく脈打つ心臓の鼓動が、ドラムのように頭蓋内に鳴り響いているせいで、ハッキリと聞き取ることができないのだ。
 だいいち、今はそんなことにまで頭が回らない。
 そんな器用な頭は持っちゃいない。
 今考えるべきは、唯一つ。
 目の前の敵を討つ!
 それだけだ。

 ともすれば闘志を蝕もうとする恐怖心を押し殺し、人形のように立って視線だけを送ってくる黒い影に、右の莫耶を叩きつけるように振り下ろす。

―――――パギャッ!

 まるでハエでも追い払うような仕草で振られた相手の右手甲が、あっさりと莫耶をガラスのように打ち砕く。

「っ――――!」

 次いで、まるで無造作に繰り出された敵の左手には、いつの間にか異形の剣が握られていた。
 二本の平行するバーと、その間に渡された一本の握り。
 そして、その握りに対して直角に伸びる二十センチほどの刃。
 まるでボクシングのような要領で扱われる、突くことに特化した剣。
 カタールと呼ばれる、インドの刺突剣だ。

「ちいぃっ―――――!!」

 身を捻っても間に合わない!
 咄嗟に左の干将で受けに行く。

――――ビギャッ!

 止めたと思った一撃は、わずかに攻撃の軌道を反らしたに過ぎなかった。
 干将はカタールによって粉々に粉砕され、ヤツの凶器が俺の右脇腹を深く抉る。

「あ――――ぐうぅぅぅ……!!」

 焼けつくような痛み。
 だが、致命傷じゃない。
 苦痛をムリヤリかみ殺し、一旦バックステップで距離を取った後、再度双剣を投影。
 間髪入れずに踏み込んで、敵の体を袈裟に薙ぐ。

――――パギッ!
――――ギャキッ!

「な――――!?」

 それも弾かれ、砕かれた。
 左手のカタールの一閃で。
 しまったと思う間もなく、今度こそ避けようのない距離とスピードで、ヤツの右の掌底が、俺の腹のど真ん中に叩き込まれた。

「がはあっ――――!!」

 咄嗟に着ている服に魔力を通し強化したものの、そんなものヤツの攻撃の前には、焼け石に水だった。
 血反吐をぶちまけながら体が水平に飛び、凄まじい勢いで壁に激突する。

――――ズシンッ!!

 冗談抜きで、家全体が鳴動した。
 そりゃそうだろう。漆喰とは言え、壁を完全にぶち抜いた挙句、庭にまで放り出されたぐらいの衝撃だったのだ。服を強化していなかったら、壁に叩きつけられたトマトのように、真っ赤な染みになっていたに違いない。

 しかし、それは無事だったということではない。
 かろうじて死んでいないというだけのこと。
 おそらく肋骨の何本かはへし折れているし、筋肉の断裂、内臓破裂も起こしてる。全身の痛覚神経はこれまでになく職業意識に目覚めたようで、せっせと業務に勤しんでる。痛くないところを探す方が、難しいぐらいだ。
 しかし、それだけなら構わない。
 単なる痛みなら、意識的にカットすればいいだけのこと。
 問題なのは、ヤツの掌底とともに送り込まれたらしい、魔力による弊害だ。

 体中の神経にヤスリをかけられているような激痛。
 指一本動かすだけで、それが全身の神経に襲い掛かってくる。

「はぁっ――――づうぅぅっ――――!」

 実際に、神経に刺激が加えられているわけじゃないのは、すぐにわかった。
 これは言わば、幻痛。
 神経に刺激が与えられた時に生じるであろう痛覚を、俺の脳が誤認している――――いや、誤認させられているのだ。
 言ってみれば純粋な苦痛のみが休みなく大量生産されているようなもので、実際の痛みと違い、意識的にシャットアウトすることができないのだ。

「くっ……そ。あの……陰険野郎――――!」

 口の中に入り込んだ砂利と血反吐まじりの唾を吐き捨て、ほとんど発狂すれすれの激痛に耐え、それでも立ち上がることができたのは、ポッカリと開いた壁の向こうから聞こえてくる声があったから。

「くっ――――! このっ、近づくんじゃないわよっ!!」

 その大切な人の声だけが、俺の意識をかろうじて繋ぎ止めていた。
 何かが破裂するような、爆竹のような音が間断なしに聞こえてくる。
 あれは多分、遠坂のガンド撃ちだろう。
 遠坂一人に任せておくわけにはいかない。
 俺も行かなければ。

「は……あ、はぁ、はぁ、は――――」

 自分の魔力を全身に通して、送り込まれた魔力を洗い流そうとしたが、細胞のひとつひとつを擂り潰されるような痛みに邪魔されて、なかなかうまくいかない。
 両肩で息をして、わずかに動かすだけで眼球が真っ赤に染まりそうな痛みを無視して歩き出す。

 くそっ!
 どうして自分の体なのに、こんなにも動いてくれないのか。
 どうして自分の足なのに、動くことを嫌がるのか。

――――ふざけるな!
――――ふざけるな!
――――ふざけるなってんだ、この野郎!!

 このままじゃ、遠坂が危ないんだぞ!?
 こんな俺を好きだと言ってくれた、こんな俺を本気で心配してくれた、何よりも俺にとって失うことのできない大切な人が、大好きな女の子が、殺されちまうかもしれないんだぞ!?
 そこのところをわかってるのか、衛宮士郎!!
 二度と大切な人を失わないように――――
 大切なものを守るために――――
 そのためにこそ、おまえは魔術を習ってきたんじゃないのか!?

 悲鳴をあげて弱気を訴える体に罵声を飛ばす。
 かみ締めた奥歯が、ガリッと砕ける音が聞こえたが気にも留めない。
 痛いのは、生きている証拠だ。
 そして生きているなら、わずかにでも体が動くなら、決して諦めない。
 諦めるわけにはいかない。
 遠坂を失うことに比べたら、こんな痛みが何だというのか。

 やっとの思いで、自分が叩き出された破砕孔にたどりつく。

 そして、俺は見た。

 俺と相対していた時には決して見せなかった、黒い侵入者の狼狽した顔と。

 ヤツと自分の背後を交互に、訝しげに見やる遠坂と。

 そんな二人の視線を一身に浴びて、ゆっくりと立ち上がる少女の後ろ姿を。

「オーム――――」

 少女がヤツに顔を向け、静かにそうつぶやいた。
 小さな……本当に小さな、囁きにも似たその一言は、人間の細胞の奥深くに眠る記憶を、原形質から進化する以前の記憶を呼び覚ますかのように。
 神聖に響いた。

「オーム……マニ…パドメ……ウム――――」

 それは。
 ヨーロッパなどでしばしば訳されている、有名な呪言。
 たしか『光あれ』とか『かくあれかし』といった誤訳が成されていたと思う。

 変化は、少女の呪言が終わると同時に訪れた。
 サーヴァントが真名を唱え、宝具に秘められた奇跡を展開する時と同じぐらいの――――いや、それ以上に大量で濃密なマナが突如として渦を巻き、ゴオゴオと大気を揺るがして少女の周囲に集結してゆく。
 まるで見えないダイナモが何十、何百とフル回転しているように、辺りの空気が帯電し、オゾンのにおいが鼻をつく。
 そして、次の瞬間。
 高圧電流がスパークするような白い閃光が視界を真っ白に染め上げたかと思うと、

 世界は粉々に分解され。

 新たに構築された。

 広がっているのは、何処とも知れぬ緑の平原。
 数多の墓標が立ち並ぶ、かつて戦場であったのだろうと思しき戦士達の夢の跡。

 俺は、ソレが何なのかを知っている。

「固有結界!?」

 悲鳴にも似た、遠坂の声。
 そう。その通り。
 これは固有結界。
 術者の心象世界を具現化する最大の禁呪。
 この俺、衛宮士郎が持つただ一つの武器にして最強の魔術を、この少女もまた有しているのだ。

 そしてこれこそが、俺が少女を保護しようとする最大の理由だったのである。


                             ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

こちらに書き込むのは初めての、ぱばーぬと言います。以後よろしく。
いや〜〜、身の程知らずにも、続き物に手を出してしまいました。たぶん結構な長丁場になる上に、つっこみどころがぼこぼこ出てくるようなシロモノになると思いますが、どうかひとつ生温かい目で見てやってください。(笑)
世界観としては、凛ルートのトゥルーエンド後、まだ二人がロンドンに行く前を想定してます。だから当然、セイバーは出てきません。つーか、他のサーヴァントも出てきません。
敵も味方も、私のオリジナル……ってわけでもないのかな。一応、モデルというかモチーフがありますしね。
それは話の途中、勘の良い人なら気づくんじゃないかな?

それでは、また。

2: ぱばーぬ (2004/03/27 01:34:00)[nawate at graces.dricas.com]

Fate / Calamity Knight


 Interlude 1 / More than Human

     ◇

 ガナデヴァタ。

 実態は知らない。

 知る者はいない。

 少なくともわたし――――遠坂凛は、ガナデヴァタの実態を知っているという人間には、出会ったことがない。

 なぜならそれは、彼らと接触した者は即ち皆、死ぬことになるからだ。

 わたしが知っているのは、大まかな概要だけ。

 かつて。
 インドのカルカッタに、女神カーリーを奉じる秘密結社があったらしい。

 カーパーリカ。

 その集団は、そう呼ばれていた。

 女神崇拝自体は、そう珍しいものじゃない。
 樹木や農作物を育む大地と、女性の出産能力が結び付いて考えられ、生命の源として崇拝されるに至ったこの教義は、世界中で最も古い時代から見ることができるものだ。

 ただ、ここで問題となるのは、カーパーリカが崇めていたのが『死』と『破壊』を司る暗黒の女神であり、カーリーガート寺院で公然と、毎金曜日ごとに男の子を生贄に捧げるという血生臭い習慣を持っていた魔術結社だったということである。

 公式の記録によると、カーパーリカは1831年、イギリス政府によって廃止されたということになっているが、その裏では魔術協会や聖堂教会も動いていたらしい。

 確かに魔術協会の役割の中には、魔術の管理・隠蔽のための武力行使や、魔術による犯罪の抑止といったものがあるし、聖堂教会の役割は、普遍的な神の教義に反する異端の存在――――人間の範疇から外れてしまったモノ達を狩り立てることだ。

 だから、カーパーリカが両方から攻撃対象と見られるのは当然かもしれないけど、犬猿の仲とも言えるこの両者が手を組むなんてことは、ハッキリ言って相当に珍しいことなんじゃないかと思う。

 要するに、魔術協会にとっても聖堂教会にとっても、それほどの脅威だったということなんだろう。

 事実、裏世界での最強タッグとも言えるこの組み合わせをもってしても、カーパーリカを完全に殲滅することはできず、新たに『ガナデヴァタ』なんて後継組織の誕生を許してしまったんだから。

 ガナデヴァタに対して、どんなアプローチが成されたかはわからない。

 聖堂教会はどうだか知らないが、少なくとも魔術協会には何の記録も残ってはいない。

 ただ、影ながら囁かれる伝説的な教訓が、幾つか存在するだけ。

――――曰く
『ガナデヴァタを語るなかれ』

――――曰く
『ガナデヴァタに近づくなかれ』

――――曰く
『ガナデヴァタに戦いを挑むなかれ』

 あぁ、後は『如何なる卑しい外道の方策を用いても必ずや殺し、死骸は心臓を抜き取った上で首を切り落とし、骨の一片すら残すことなく焼き尽くして灰となし、荒野に打ち捨てるべし』なんてのもあったわね。

 なんだか、先の教訓と矛盾もいいところって感じだけど、それだけに、ガナデヴァタがどれほど忌まれ、恐れられてるかってことが、切実にわかるような気がする。

「……だっていうのに、あの馬鹿」

 思いっきり関わっちゃってるじゃないの。

 そりゃ、まぁ。あいつは魔術協会にも属してない、なんちゃってへっぽこ魔術師みたいなもんだから、ガナデヴァタのことを知らなくても無理はないのかもしれないし、情状酌量の余地も少しはあるのかもしれないけど……。

 自分の力量もわきまえず、西に困ってる人がいたら飛んでいって力になり、東に泣いている人がいたらためらうことなく助けの手を伸ばし、雨の日も風の日も雪の日も、病める時も健やかなる時も、年がら年中、のべつまくなし、日がな一日、誰かのためになれる人間に私はなりたい、を地で行くようなやつだから、それなりの苦労はさせられるとは覚悟してたけど……。

 いくら何でもコレはないでしょうって、盛大に文句を言ってやりたい気分よ。ホント。

 とりあえず頭の中で、放送禁止用語を羅列する勢いでイジメることにする。

 自動的に、半べそかきながら小さくなってる士郎の姿が思い浮かび、ちょっとだけ気が晴れた。
 むむ。わたしって、意外にSの気があるのだろうか。

 けれど、せめてこの程度は容認してもらわなきゃ、とてもじゃないけどやってられない。

 今にも失神しかねない恐怖心を、ムリヤリ押さえつけるためにも。

「まったく……噂に違わないどころか、まんま噂通りじゃない」

 火のない所に煙は立たないって言うけど、魔術協会に伝わる教訓がどれほど正鵠を射たものであったのか、身に染みて思い知らされた感じだ。

 確かに士郎は、魔術師としては未熟者もいいところだ。

 だけど、純粋に戦力として見た場合、これほど頼りになるヤツもいないとわたしは思っている。

 アーチャーやギルガメッシュといった、本来なら人間風情がとても太刀打ちできないような連中と互角以上の戦いぶりを見せ、聖杯戦争を最期まで生き残ったのだから、これは間違いない。

 それをあの男は、一分とかからず撃退してのけた。

 士郎が弱いんじゃない。

 あの男が桁違いに強かっただけのこと。

 そして現在。
 魔術刻印をフルドライブさせた状態で放つ、わたしのガンドつるべ打ち攻撃を、男は驟雨ほどにも気にすることなく、まるで散策でもするような気軽な足取りで接近してくる。

 こいつ、本当に人間なんだろうか?

「くっ――――! このっ、近づくんじゃないわよっ!!」

 そんな警告も無意味だってことは、わかってる。

 それでも、言わずにはいられない。

 今にも萎えそうになる気力を奮い起こし、すぐにも逃げろと囁く弱気の虫をねじ伏せるためにも。

 勝てないのは、わかっている。

 虎の子とも言うべき魔力を注入した宝石弾は、聖杯戦争の時にキャスター相手や慎二を助けるために使ってしまったせいで、強力なものは残数ゼロ。

 あれから新たに作ったものがないわけじゃないけど、威力という点でははるかに劣る。少なくとも、機銃掃射のごときガンドの十字砲火を正面から浴びて平気な顔をしているような怪物クンに、通用するとは思えない。

ならば、今わたしが考えるべきは勝つことではなく、生き延びること。

 士郎なら、大丈夫。

 アイツとつながっている魔力のバスは、まだ切れていない。

 まぁ、壁に大穴開ける勢いで吹き飛ばされたわけだから、必ずしも無事ってわけじゃないかもしれないけれど、それでも生きているなら……生きていてくれたなら、後で何とでもなるはずだ。

 今すぐにでも、無事を確かめに駆け出したい気持ちを必死で飲み込み、呪文のように自分にそう言い聞かせる。

――――仮に大怪我をしていたとしたら、どんな手段を使ってでも元通りに治療してあげるから。

――――無茶なことをするなって、幾らでも叱ってあげるから。

――――その後で、うんと優しく抱きしめて、何回もキスをしてあげるから。

――――だから士郎。無事でいて!

 士郎と一緒に生きてゆくのだと誓った。

 アイツの支えに、助けになってあげるのだと決めた。

 士郎を幸せにする。

 士郎と一緒に幸せになる。

 それが、わたしの。

 遠坂家の現・頭首、遠坂凛の誓約。

 この誓いは、誰にも邪魔させない!

「Stil,schieBt BeschieBen ErschieSsung(全財投入。敵影、一片、一塵も残さず)――――!!」

 左手のガンド撃ちはそのまま、素早く右手でそれまで温存していた宝石をまとめて取り出すと、それらにわずかな緩急と種別ごとに異なる指向性を与えて一気に投入・解放する。

 最初は雷撃。

 目も眩むような閃光が複数、フラッシュ・バックのように居間を席巻。青白い無数の火花を花開かせ、男を押し包む。

 効果なし。
 黒こげどころか、火傷一つ負っていない。ムカつくわね。
 着ているロングコートにすら焦げ目一つできないって、どういうことよ。

 けれど、それは初めから承知の上。
 こんな、容量の三分の一も満たしていない宝石弾じゃ、どの道目くらまし程度の効果しか見込めないのはわかってたし、もとよりそのための攻撃。

 次弾は氷結。

 ナイフの切っ先を連想させる八つの氷刃が、怒涛のごとく大気を切り裂いて男に牙を剥く。

 未だ雷撃の残照によって白く霞む視界の中であるにもかかわらず、その全てがカタールの一閃で粉々に砕かれたが、気にしない。

 これも予定通り。

 千々に乱舞する氷片が、キラキラと万華鏡のごとき微光を乱反射させる中、相手の顔に初めて表情らしきものが――――不審のソレが浮かぶよりも早く、三番目の宝石群が解凍。

 同時に、詰めの攻撃。

 残る魔力のありったけを注ぎ込んで、男の足元にガンドを一点集中。

 相手のちょうど真上の天井が爆炎とともに降りそそぐのと、カタールによって粉砕されたはずの氷片が再凍結したせいで床に縫い付けられた男の足元が、機銃掃射のごときガンドによって崩落するのと、果たしてどちらが早かったか。

 一瞬でわたしの狙いを看破し、己が足を繋ぎとめる氷の顎を文字通り蹴散らし、頭上からの災厄を避けようとした判断力と機敏さは称賛ものだが、それも確かな足場があってのこと。

 床を蹴ろうとした足は虚しく空を切り、そのまま男の姿は凄まじい大音響とともに、降りそそぐ瓦礫と粉塵の中に飲み込まれていった。

 ふん。なめるんじゃないわよ!

 遠坂凛は、負ける戦いなんてしない。

 効かないとわかりきってる攻撃を、無意味に連発なんかしない。

 宝石を使うまで、ひたすら無意味に撃ち続けていたようにしか見えないガンドの何発かが、足場を確実に崩すための保険として、自分の進行コース上に狙って撃ちこまれてたなんて、男は気づきもしなかっただろう。

 全ては布石。

 現状を生き延びるため、ぎりぎりの状態で導き出した答。それが、これ。

 相手の人間離れした防御力と、それに裏打ちされた自信から来るのであろう、愚直なまでに読みやすい進行コース。
 それを逆手に取ったわけだが、どうにか上手くいったみたいだ。

 けど、これで終わったわけじゃない。

 あのバケモノが、これぐらいで昇天してくれるような可愛らしいシロモノなら、最初から苦労はない。

 これは単なる足止め。

 今も横で眠り続ける女の子をつれて、この場から脱出するための時間稼ぎでしかない。

 急いで士郎と合流しなきゃ。

 女の子を抱き起こそうと、やや腰をかがめる。

 それが幸いした。

――――ドッゴゴガッ!!

 小山のように堆積した瓦礫が一気に弾け飛ぶ轟音とともに、

――――ヒュン!

 後頭部をかすめるようにして、それまでわたしの頭部があった空間を何かが通り過ぎ、

――――ガヒュッ!!

 士郎の作った大穴の横に、寒気のするような音を立てて垂直に突き立った。

 カタール。

 投擲した本人の技量なのか、それとも単なる力技なのかは知らず、まるでバターに突き刺したナイフのように、それは苦もなく根元まで壁に埋まっていた。
 こんなのかのが当たってたら、痛いと感じる間もなく頭を吹き飛ばされてたところだ。

 それでも、「助かった」なんてセリフは口にしない。

 そんな呑気なセリフ、出てくるはずがない。

 だって、ほら。

 頑丈な黒い死神が、すごい眼でこっちを睨んでる。

 やば。本気で怒ってるわ、こりゃ。

 激しい怒りに駆られた人間の吐息を大量に濃縮すると、微量な茶褐色の物質が残り、これをマウスに注射するとたちまち死んでしまったという有名な話があるけど、今の男から放射されている憤怒の気配は、濃縮なんてしなくても、十分殺傷能力のレベルに達してるんじゃないかと思う。

 と、激情のあまり悪鬼羅刹のごとく醜悪に歪んだその顔に、ふいに狼狽の影が浮かんだ。

 男の視線は、わたしのすぐ横にそそがれている。

 わずか一瞬とはいえ戦闘中に、敵から視線をそらすなんて、まんま自殺行為だってことはわかってるけど。

 それでもわたしは、男の視線を追うようにして、自分の隣に目を向けた。

 予想通り、女の子が目を覚ましていた。

 吸い込まれそうな濡れた輝きを放つ漆黒の瞳と、わたしの視線が交差する。

 しかし、それも一瞬。

 きゃしゃとさえ言える細くしなやかな裸身をくねらせるようにして立ち上がった少女は、たちどころに現在の状況を理解したのか、正面に立つ男に視線を移行させる。

「ガウリー……」

 初めて男が言葉を漏らす。

 この少女の名前だろうか?

 ちらりと男に目を向け、再び少女へと戻す。

「オーム――――」

 少女が男に顔を向けたまま、静かにそうつぶやいた。

 小さな……本当に小さな、囁きにも似たその一言を起点に、変化が訪れる。

 女の子の瞳の色が、深い闇を連想させる漆黒から血の如き紅を経て、瞬時に金色の虹彩へ。

 瞳孔が収縮し、明らかに人のモノとは異なる、縦に細いスリット状のモノへ。

 驚いたなんてものじゃない。

これって明らかに――――魔眼だ!

 本来、外界からの情報を得る受動機能のはずの眼球を、自身から外界に働きかける能動機能に変化させたもの。

 その隠匿性と、わずか一工程で強力な魔術行使が可能という能力ゆえに、魔術師の間では一流の証とまで言われる魔術特性。

 それをまさか、この子が持っていようとは。

「オーム……マニ…パドメ……ウム――――」

 次いで、少女が口にしたそれは。

 たしか『光あれ』とか『かくあれかし』といった誤訳が成されていた、ヨーロッパなどでしばしば訳されている、有名な呪言。

 変化は、少女の呪言が終わると同時に訪れた。

 サーヴァントが真名を唱え、宝具に秘められた神秘を行使する時と同じぐらいの――――いや、それ以上に大量で濃密なマナが突如として渦を巻き、ゴオゴオと大気を揺るがして少女の周囲に集結してゆく。

 鼻をつくオゾンのにおい。

 肌をチリチリと刺激するマナの乱流に呼応してか、わたしの意志を無視してオドが勝手に魔術回路を駆け巡る。

そして、次の瞬間。

 世界は粉々に分解され。

 新たに構築された。

 広がっているのは、何処とも知れぬ緑の平原。
 数多の墓標が立ち並ぶ、かつて戦場であったのだろうと思しき戦士達の夢の跡。

 わたしは、ソレが何なのかを知っている。

「固有結界!?」

 悲鳴にも似た自分の声が、ひどく遠いものに聞こえてならなかった。

限りなく魔法に近い魔術とされ、魔術師にとって一つの到達点とも言える、術者の心象世界を具現化する最大の禁呪。

 わたしの一番弟子にして、恋人でもある衛宮士郎が持つ、最強の魔術であるリーサル・ウェポン。

それを、この少女もまた有していたのだ。


               ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

う〜〜ん。戦闘シーンって難しい。と、あらためてヘコんでるぱばーぬです。

今回は敵役の説明がメインとなってるもんで、話の流れが少々まったりしてるかもしれませんけど、次回からはエンジン全開でかっ飛ばしていく予定っス。

敵をオリジナルにするのが、これほど手間のかかるものとは……見通しが甘かったみたいですね。(笑)

では次回「ACT.2 GOD and Beast」で、また会いましょう。



3: ぱばーぬ (2004/03/29 01:55:57)[nawate at graces.dricas.com]

  その当時、
  地上には
  巨人たちがいた―――――
        「創世記」(6・4)




Fate / Calamity Knight


 ACT.2 God and Beast

     ◇

 俺がその少女と出会ったのは、ちょっとした偶然からだった。

     ◇

「まいったな……。おやじさんもネコさんも、男の純情を何だと思ってるんだか」

 バイトの経験は同年代の学生の誰よりも豊富だと思ってるし、体を鍛える意味もあって、肉体労働っぽいものを進んでこなしてきたようなところがあるから、普段だったらどんなにきつい労働をしても軽い疲労を感じる程度で、愚痴をこぼしたことなどないのだが。

 何事にも例外ってヤツはあるもので、その時の俺はやたらとため息ばかりをついていた。

 いや。バイトの内容がきつかったわけじゃないし、慣れない仕事をさせられたせいで神経的にまいったわけでもないんだが……。

 今回のバイト先のコペンハーゲンは、飲み屋兼お酒のスーパーマーケットみたいな所で、数ある俺のバイト先の中でも一番つき合いが長い。
 だもんだから、仕事的には特に困ったり迷ったりするようなこともなかった。

 風向きが怪しくなり始めたのは、

「士郎くん。ちょっと一服しないか」

 なんて、店長のおやじさんが声をかけてきて、俺も断る理由がなかったため、娘さんのネコさんも交えて三人で、お茶を飲みながらまったりしていた時のことだった。

「そーいえばさ。エミやんは卒業したら、どうすんの?」

 カ○ムーチョをぽりぽり齧りながら、ネコさんがそんなことを尋ねてきたわけである。

 どういうわけか、この人は俺のことを『エミやん』なんて呼び方をする。

 男一匹つかまえて『エミやん』はないだろうと思うのだが、文句を言ったって始まらないってのはイヤになるぐらい思い知らされてるので、最近ではもう諦めてる。

 学生時代から今日に至るまで、藤ねぇみたいな傍若無人の暴れトラを御して友人関係を保持してきたぐらいのつわものなのだ。どう逆立ちしたって、俺なんかが太刀打ちできるような人じゃない。

「ありゃりゃ。そっかー。士郎くんも、もう卒業なんだねー」

 しみじみとした口調でそんなことを言いながら、話に加わってくるおやじさん。

 で。そんな雰囲気に何となく俺も感じ入るものがあり、ついついロンドンに行くことをポロッと漏らしてしまったわけである。

 いや。それだけならまだ良かったんだが、その後、ネコさんの巧みな誘導尋問に引っかかり、なし崩し的に遠坂のことまでバレてしまったのはまずかった。

 え? 遠坂さんっていったら、あの坂の上の大きなお屋敷に住んでる、ご近所でも評判の完璧お嬢様でしょ? おーーー。やるじゃん、エミやん。逆タマじゃないか。憎いね、この女殺し。くぬくぬ♪ いったい、どーやってあんな上玉たらしこんだのよ。内緒にしといたげるから、おねーさんに話してみなさい。キスぐらいは、もうしたの? それとも最近の子って進んでるらしいから、もしかしてもしかすると、その先までいってたりなんかしちゃったりして? くあ〜〜〜〜っ! 青春だねぇ、うんうん♪ 影ながら応援したげるから、腰振ってガンバレ!

 ……てな調子で、当事者たる俺の気分なんかそっちのけで、盛り上がること、盛り上がること。

 その後はもう、放送禁止コードに引っかかりそうなセリフを怒涛のごとく浴びせてくれるもんだから、こっちとしては恥ずかしいやら何やらで石みたいに固まってることしかできなかった。

 おやじさんはおやじさんで、「ボクも士郎くんぐらいの年の頃は……」なんて、自分の世界に閉じこもってブツブツ言ってて、まるで役に立たないし……心底まいった。

 これってある意味、セクハラではないでしょうか、お二人さん?

 ――――と、まぁ。

 そんなわけで、その時の俺はいつになく気疲れしてたわけである。

 時刻は、午後八時過ぎ。

 周囲に人影はない。

 まぁ、精神的な頭痛を患っていたこともあり、帰り道には少し静かな道を行こうと考え、そういう道を選んで歩いてたわけだから、当然と言えば当然だ。

 しかし、そんな平和な時間も長くは続かなかった。

「――――――――!?」

 前方数十メートル先の交差路を、一人の幼い女の子が駆け抜けてゆくのが見えたのだ。

 それだけなら、いい。

 よくないのは、見るからに死に物狂いに等しい少女の表情と、ワンテンポ遅れて彼女を追うように姿を現した、三人の黒尽くめの男たちだ。

「親兄弟……って感じじゃないよな。あれは、どう見ても」

 そうつぶやくと同時に、俺は一瞬の躊躇もなく、少女と男達を追って走り出した。

 夜の鬼ごっこの終着点は、冬木中央公園――――それも、十年前の災厄以来放置されたまま、昼間でさえめったに人の近づかない、俺にとっては因縁の場所だった。

 前回……いや、今じゃ前々回ってことになるのかな? 四回目の聖杯戦争の決着がついた、最終決戦の地。

 そして俺にとっては、全てを失い、全てが始まった場所。

 その中心に立ち止まり、少女は息を荒げながら男達を睨みつけていた。

 その正面に立つ三つの黒い影の手に、明らかに殺傷目的と知れる大振りな刃が握られているのを確認して、俺の腹も決まった。

「投影、開始――――!」

 左手に干将、右手に莫耶のズシリとした手ごたえ。

 獲物を逃がさぬよう取り囲むつもりなのか、中央の一人を残して後の二人が少女の左右に移動しようとする。

 させるか!!

 俺は走るスピードはそのまま、少女の左側に回ろうとする男目がけて左手の干将を投擲した。

 夜気を切り裂いて襲い掛かる斬魔の刃。

 しかし一瞬早く気づいたのか、男は慣性の法則を無視しているとしか思えない身のこなしで、それを避けた。

 残る二つの影も俺という突然の闖入者に気づいたのか、それまで少女にだけ向けられていた視線が、わずかにこちらに向けられる。

 途端。

 空気が変わった。

 ハッとしたように、少女に戻される男達の視線。

 俺も唖然として、いつしか走るのを止めていた。

 ざわざわと蠢く草木の囁き。

 びょうびょうと鼓膜を震わせる冷たい夜気。

 どこといって変わった所など見られない夜の自然公園。

 しかし、何かが違う。

 否。何かが決定的に変質しようとしている。

 俺の中にある魔術師の勘が告げていた。

 本来在り得ぬことが起きようとしていると――――

 本来存在し得ぬモノが顕れようとしていると――――

 その中心に在るは幼き少女。

 双眸に金色の光を宿せし世界の変革者。

「オーム……マニ…パドメ……ウム――――」

 渦巻き、吹き荒ぶ強風の中。

 囁くようにつぶやかれたその声は、なぜかハッキリと聞こえた。

 瞬間。

 恒星もかくやと思われる激しい光が、少女を中心に広がった。

 膨張する光の氾濫は視界を覆い、闇の帳を貪欲に喰らい、浸蝕してゆく。

 世界を構成する式がバラバラに分解され。

 新たな意志の下に再構築される。

 そして。

 後に広がるは、何処とも知れぬ緑の原野。幾百、幾千にも上る無数の墓標が立ち並ぶ、戦士達の夢の跡……。

     ◇

 あの時と同じ光景が、俺の前に広がっていた。

 違う所と言えば、敵が一人であることと、少女の横で遠坂が呆然としていることぐらいだ。

 まぁ、気持ちはわかる。俺も最初に見た時は驚いたんだ。これで遠坂が平然としていたら、男として立つ瀬が無い。
 なんか、こう……魂的に。

 けど、マズい。

 もし、この先の展開があの時と一緒なら、あのままあの場所に遠坂を居させるのはマズ過ぎる。何とかして、あそこから離れさせないと。

「とお……さかっ!」

 一声出すだけで、酸に体を焼かれるような激痛を堪え、なんとか遠坂に呼びかける。

「士郎!?」

 良かった。気づいてくれたみたいだ。
 あのまま茫然自失状態でいられたら、どうしようかって思った。いや、マジで。

 全身を蝕む苦痛は、もはや一声かけるだけで耐え難いまでのレベルに達しているのだ。正直、今は必要最小限の事しか口にしたくない。

 もちろん、俺が現在どんな苦痛に耐えているのか正確なところはわからないのだろうが、それでも、今にもぶっ倒れそうな顔をしているだろう俺の姿を目の当たりにして、遠坂の顔色が真っ青になった。

――――頼むから、そんな泣きそうな顔をしないでほしい。

 そう思いつつも、そんな遠坂も可愛くてグッジョブだなんて考えてる俺は、もはやダメ人間確定かもしれない。
 ちょっとばかり、欝。

 って、今は落ち込んでる場合じゃないだろう。しっかりしろ、俺!

 ……いかん。どうも意識が朦朧として、思考能力にまで影響を及ぼしているらしい。急いでやるべきことをやらなきゃ、それこそ取り返しのつかないことになる。

「遠坂……こっちに………はや…く……」

「で、でも……」

 珍しくおろおろとした様子で、俺と少女と陰険黒コートの間で視線を彷徨わせる遠坂。

 危険極まりない敵に対する警戒心と、少女一人をその場に残すことへの躊躇と、俺を心配する気持ちの間に挟まれて、どうしていいのかわからないのだろう。

 その心境はわからないでもないが、今はとにかく時間が惜しい。

「早くしろ! こっちに来るんだっ!!」

「はっ、はいっ!」

 俺が怒鳴ったのがよっぽど意外だったのか、一瞬びくっと体を震わせた後、遠坂はあたふたと俺の方に駆け寄ってきた。

 遠坂の柔らかな手が、俺の肩にかけられる。

 それだけで頭の中がスパークしそうな痛みが全身を跳ね回るが、今はその痛みすら心地良い。

 間近に感じる遠坂の吐息。

 触れた箇所から伝わってくる遠坂の温もり。

 微かに香る遠坂のにおい。

 それらの全てが、自分のすぐ間近にあることが嬉しかった。

 この手の内すらこぼれてしまわなかったことが、失わずにすんだことが、涙が出てくるぐらいに嬉しかった。

 自分がどれほど彼女を必要としているのか、改めて思い知らされた感じだ。

 安堵したせいで力が抜けたのか、両の膝がガクリと折れそうになる。

「ちょっ、ちょっと士郎!?」

 あ、やば。

 ここで気を失うわけにはいかないとばかり足を踏ん張ろうとしたのだが、うまく力が入らず。

 で、つい反射的に何かにすがろうと伸ばした手は、遠坂の細い肩にガッシリと掴まり。

 その時の勢いでガクンと頭部が傾き、結果として。

――――むにゅ。

 遠坂の胸に、思いっきり顔を埋めるような体勢になってしまいました。

 ええと。遠坂サン。これは幸福な……じゃなくって、不幸な事故なんですよ。偶然なんです。なりゆきなんです。狙ってやったわけじゃないんですよ。はい。頭脳明晰な遠坂サンになら、そのことは理解できますよネ? って言うか、理解してください。お願いですから。
 おお。天使のごとき微笑み。そうですか。わかってくれたんですネ。俺も嬉しいです。けれど、その曇りなき笑顔に邪悪なオーラが漂っているのは何故でしょうか?
 きっと気のせいですよネ。うん。気のせい、気のせい――――

「この非常時に……なに考えてんの、あんたはーーーーーーーーーーーーーっっ!!」

「ぷげはぁっっ!!??」

 光射すこの世界に、汝ら暗黒、棲まう場所なし! 渇かず、飢えず、無に還れ! ってな勢いで、顔面に強烈なビンタをお見舞いされてしまいました。なんか、もう泣きそう。つーか、死にそう。

――――Nor known to Life(ただの一度も理解されない)

 その言葉の意味が、ちょっとだけ理解できたような気がするよ、アーチャー。

 脳裏に浮かんだ赤い騎士の幻影は、ニッコリと最高の笑顔を浮かべながら、ギッと首を掻っ切る仕草をして言ってくれました。

――――夢を抱いて溺死しろ。

 あ〜の〜な〜〜!!

 ムカついた。やっぱアイツとは、死んでも理解し合うことなんかできないらしいと再確認。

 でもまぁ、どエラい勢いでやってきた怒りのおかげで、何とか意識が飛ばずにすんだから、かろうじて勘弁してやることにしよう。
 ふん。ありがたく思え。

 で。
 当然のことながら、俺と遠坂がそんな漫才じみたボケとツッコミを繰り広げている間にも、時間の方は容赦なく流れていくわけで。

 少女が生み出した固有結界には、次なる変異が訪れようとしていた。

――――ズ…ズズズズ……。

 大地が鳴動している。

 結界を構成・維持している魔力が底抜けに膨れ上がり、更に収束を始めている。

「な、なんなのよ。これって?」

 俺に追撃をしようと接近したところで周囲の変化に気づいた遠坂が、不安げに周囲を見回し、そうつぶやく。

 振動が激しさを増した。

 視界一面に蜘蛛の巣のごとき紫電が縦横に走り、大地を削っては砂塵を巻き起こす。

 輝きの向こうに立ち並ぶ墓標の幾つかが、その青白い閃光に触れたと見るや、炎に包まれ四散した。

「きゃっ!?」

 遠坂が可愛い悲鳴を上げて尻餅をつく。

 揺れは既に、立っていることを許さないまでに激しいものと化しているのだ。

 俺は四つん這いになるような格好で遠坂に近づき、半ば呆然としながらこの局地的な天変地異を眺めている彼女に声をかけた。

「遠坂……しばら…く……じっと、して……ろ……」

 ちっくしょう。これだけ喋るだけでも、えらい苦労だ。早いとこ、この痛みを何とかしないと、冗談抜きで発狂しかねない。

「し、士郎……。なんなの? 何なのよ、コレって!? あの子いったい、何しようとしているの? いいえ、そもそもいったい、何者なのよお!!」

 頼むから、俺に訊かないでくれ。

 それと、今は冷静に俺の言う事を聞いてくれ。

「遠坂……。説明は…あと……に、してくれ。それ……より今は…頼み……たい…ことが……ある……」

 ほとんど痙攣寸前といった状態の舌を懸命に動かし、俺は自分の体が現在どういう状況にあるかを、遠坂に説明した。

 あの男の掌底を食らって庭に叩き出された際、おかしな魔力も同時に送り込まれたこと――――

 その結果、全身の痛覚神経が刺激された時に生み出されるであろう痛みを、脳が無制限に誤認させられていること――――

 自分の魔力を体内に通して、相手から送り込まれた魔力を洗い流そうにも、痛みが邪魔をしてうまくいかないこと――――などなど。

 これだけ聞けば、さすがは自他共に認める高レベル魔術師だけのことはある。遠坂はすぐに自分が何をすべきかに思い至ったらしく、左手を俺の鳩尾にあてがい、ゆっくりと浄化のための魔力を送り込んできてくれた。

 全身にゆっくりと浸透してゆく温かな流れ。

 痛みが拭い去られるように消えてゆく。

「どう?」

「あぁ……。さすがだな、遠坂は。もう、何ともないよ」

 もちろん、そんなことはない。

 消えたのは魔力によって生み出されていた幻痛のみで、折れた骨だの何だのは未だにそのままなんだから。

 それでも、苦痛のレベルはさっきまでと比べたら天と地ほども違う。

「それで……? 一息ついたんなら、そろそろ教え――――!?」

 俺の治療という行為によって、多少なりとも落ち着きを取り戻した遠坂が、先の質問を繰り返そうとした時。

――――オオオオオオオォォォ……ン!!

 地から這い上がるような、大地を割るような叫びを、俺達は聞いた。

 暗い大地の奥底から、何かが目覚めるような雄叫び。

 息遣いにも似たイントネーションを有する、音ではない、明らかな声。

 その咆哮を掻き消すように、地面がひび割れ、砕け散る轟音が大気を揺るがす。

 網の目のような亀裂は、砂塵を吹き上げながら波紋状に拡大していった。

 その中心に在りながら、少女の足はしっかと大地を踏みしめ、小揺るぎもしていない。

 それも当然。

 彼女は、この世界の創造主なのだから。

 亀裂を引き裂いて、眩い閃光が発する。

 一条、二条、三条!

 それらは瞬く間に激流する力と化し、吹き上がる砂塵と岩粒を呑み込み、咀嚼しながら、数と太さを増してゆくようだった。

 やがて。

 天空を貫く一本の巨大な柱となった光子流に押し上げられるようにして、何かがゆっくりと身を起こすシルエットが、オレンジ色の輝きの中に浮かび上がってくる。

 それは、巨大な何かだった。

 それは、強大な何かだった。

 人の身でコントロールすることなど、考えるだに馬鹿馬鹿しい圧倒的な力と存在感。

 離れていても魂が押し潰されてしまいそうな、膨大な魔力と凄まじい威圧感を放射する絶対的な存在。

 異形の巨人――――いや、巨神だった!

 遠坂が全身を硬直させ、顔を引きつらせているのも無理はない。

 アレから感じる力、魔力、存在感、神性……どれ一つ取っても、サーヴァントどころの騒ぎじゃない。ほとんど神霊レベルの神秘の顕現だ。あまりにもでたらめ過ぎる。

 だというのに。

「ははははははははははははは!!」

 男は、哄笑していた。

 嘲笑っていた。

 巨神を前に一歩も引くことなく、さも愉快そうに。

 公園で対峙した時は、この巨神が姿を見せた途端、蜘蛛の子を散らすように退散したってのに、どういう心境の変化なんだ? っていうか、正気か、アイツ?

「はっ……! なるほど、なるほど。先刻はいきなりの顕現と、かねがね噂されていたルドラの伝説的な力に惑わされ、一目散に退散してしまったわけだが……たしかに、尊者の仰った通り、封印が解けたわけではないらしい。……ははっ! 力の大半を封じられたそんな状態では、いかに最強のアヴァターラと言えど恐れるに足りぬなあ、ガウリー?」

 何なんだ、アイツは?

 いったい、何を言ってる?

 まさか、本当にあの巨神に勝てるとでも考えているのか?

 ガウリーってのは、彼女の名前なのか?

 ルドラ?

 アヴァターラ?

 封印?

 だああああぁぁぁぁっっ!! 全部が全部、あまりにもいきなり過ぎて何が何だかわからねぇっ!

 脳みその処理能力が追いつかず、頭を抱える俺の隣で、その時

「あれは……鎖?」

 遠坂が、そんなつぶやきを漏らすのが聞こえてきた。

「遠坂……? 鎖がどうしたって?」

「だから、鎖よ! 士郎には見えない? あの巨人の体中に巻きついてる大量の鎖が」

 むむ? 言われてみれば、なるほど。

 それまでは巨神自体の圧倒的な存在感にばかり気を取られていたせいで気づかなかったが、確かによくよく見ると、鋼のごとき褐色の肌のあちらこちらに、夥しい数の鎖が絡み、巻きつき、縛り上げている。

 ほとんど条件反射的に、俺はその鎖の構成を読み取ろうとした。

 やめときゃ、よかった。

 目の奥で火花が散ったような衝撃を受け、思わずその場にうずくまってしまう。

「士郎!?」

 慌てて俺の顔を覗き込む遠坂に、大丈夫だと言うように首を振って笑顔を向けた。

「どうしたのよ、今度は?」

「いや……。あの鎖が何なのか、解析してみようと思ったんだけど……弾かれちまった。お〜、いてぇ」

 緊迫感を少しでも和らげるつもりで、わざとそんな飄げた言い方をしたんだけど、あんまり受けなかったらしく、

「もう! あんまり無茶しないでよ! あなたにだって、あの巨人がどんなものかぐらいわかってるんでしょ!? あんな、神霊クラスの怪物を繋ぎ止めてるようなシロモノなのよ? そんな簡単に解析なんてできるわけ、ないじゃないの!!」

 遠坂は、むーって顔つきで睨みながら、そうお説教してくれた。

 お説、ごもっとも。けど、何の成果も得られなかったわけじゃない。

 アレは……あの鎖は、呪いだ。

 一本の鎖を構成する、その鉄環の一つ一つが、途轍もなく強力な呪子でもって複雑に編まれた、対象となる相手の『存在を禁じる』呪いを高密度に圧縮させ、物質化させたものなのだ。

 おそらくは、あの鉄環ひとつで大抵の神秘を中和・消滅させてしまうだけの力がある。それが何十個と組み合わされて一本の鎖となっているのだから、その威力たるや想像するだに凄まじいものと言えるだろう。

 もっとも、そんなシロモノに何十本となく絡め取られながらも、消滅することなくキッチリ存在しているわけだから、非常識という点では、あの巨神の方が上かもしれないが。

 ともかく、あの鎖こそが、ヤツの言う封印なんだろうということは理解できた。

 確かに、あんなものに縛られてたんじゃ、いくら神霊クラスの怪物とは言え、持てる力の半分も発揮できやしないだろう。

 けど、いくら力の大半が封じられているからと言って、あんなバケモノに人間が太刀打ちできるとも思えないんだが……アイツ、どうするつもりなんだ?

 図らずもその答は、すぐに現実となって俺達の前に顕れた。

「生憎と、五体満足な状態で連れ戻せとの命は受けていない。とくと見るがいい! 私が授けられしアヴァターラ、ムンダマーラーの力を!!」

 叫ぶと同時に、天高く掲げられた男の右手に握られた、握り拳大の黒い水晶球。

「オーム……マニ…パドメ……ウム――――」

 つむがれる、少女のものと同じ呪言。

 黒水晶より放たれる、ブラック・ライト。

 そして。

 少女――――ガウリーが産み落とした世界を食い破り、浸蝕する新たな別世界。

 冗談だろ!? まさか、アイツも固有結界を作れるのか!?

 しかも、それだけじゃなかった。

 男が『ルドラ』と呼ぶ巨神とほぼ同等のプロセスを経て姿を現す、新たなる歪な巨影。

 巨大な戦斧を手にした、牛頭人身の怪物の姿。

 遠坂も俺も、既に声もない。

 当たり前だ。

 いくら魔術師とは言え、理解能力のキャパシティには限度ってもんがある。

 そして、目の前にある光景は、俺達の理解能力をはるか超越していた。

 できることなど、何もない。

――――ヴァオオオオオオオオォォォォォッッ!!

 天地をどよもす雄叫びとともに地を蹴り、地響き立てて突っこんでゆく獣神ムンダマーラー。

――――オオオオオオォォォォォォォォォッッ!!

 負けじとこちらも咆哮を上げ、それを迎え撃たんとする巨神ルドラ。

 ギシギシと軋むような音を立てて、互いを貪り喰らおうとするガウリーと男の固有結界。

 とても現実のものとは思えぬその光景を見ている内に、ふいに俺は気づいた。

 あの獣神と巨神は、少女と男、二人が生み出したそれぞれの固有結界の、言わば象徴なのだと。

 あの巨人達は、それぞれのマスターが保有する心象世界の影であり、核であり、固有結界を生み出す源、そのものなのだと。

 ゆえに、巨人同士の戦いの帰結は、そのまま両者の固有結界の浸蝕戦の勝敗そのものにつながる。巨神ルドラが敗れる時、あの少女の心もまた、相手の心象世界に食い荒らされ、良くて精神障害。悪ければ廃人にすらなりかねない!

「く――――そ!」

 判っている。俺なんかが介入できるような戦いではないと。

 どんな武器を投影したところで、どうにかなる相手じゃない。

 そもそも、近づくことすら死と同意だ。

 人間の力を凌駕する圧倒的で絶対的な力と力の激突。例えて言うなら、それは近づくモノ皆全てを飲み込み、粉々に粉砕する竜巻のようなもの。そんなモノに生身の人間は立ち向かえない。

 近づけば死ぬだけ。何の意味も無く、当然のように息絶えるだけ。

 ルドラとムンダマーラーの戦いは、まさにそれだ。

 雄叫びが大気をビリビリと震わせるたびに。

 巨大な両者の拳が振るわれるたびに。

 大地は悲鳴を上げ、激震する。

 勝負の趨勢は、ルドラが圧倒的に不利だ。

 ムンダマーラーの戦斧は、その巨大さや重量をまるで感じさせない速度で縦横無尽に走り、ルドラの息の根を止めようと乱舞する。

 それを正面から怯むことなく、ただ己の両拳のみをもって弾き返すルドラ。

 しかし、劣勢は明らか。縛鎖の呪いを受けた巨神の力では、獣神の猛攻の全てを凌ぎきれるものではない。

 間合いも、速度も、パワーも、何一つとして勝るものはない。
 ルドラに許されるのは、ただ一つ。全ての攻撃を防ぐのは諦め、致命傷となるソレのみを弾き、命脈をつなぐこと。

 獣神の凶刃が唸りを上げるたびに、巨神の皮膚が裂かれ、肉が断たれる。

 一撃毎に瀑布のごとき旋風は巨神の命を削り、敗北という結末へと容赦なく追い込んでゆく。

「くそっ――――くそ、くそ、くそっ…………!」

 何もできない。

 自分が助けると決めた少女が、彼女の心が、今まさに目の前で壊されようとしているのに何もできない。

「っっっ……!!」

 掬い上げるような一撃に、巨神の豪腕が弾かれ、泳ぐ。

 まずい! と思う間もなく、優美なカーブを描いた戦斧の爆裂じみた斬撃が、ルドラの右肩を直撃した。

――――オオオオオオオオォォォォッッ!!

 これまでとは比べ物にならないぐらい大量にしぶく、巨神の鮮血。

 左の豪腕が唸り、ムンダマーラーの顔面にヒットするも、わずかに頭部を傾けさせたに過ぎなかった。

「くぅっ――――」

 目の前が、真っ赤に染まるような感覚。

 結局、俺は何もできないのか。

 救いたいと願った少女の心一つ、守ることさえできないのか。

 どうすればいい?

 あの巨人を。
 人を超え、神の領域に踏み込んだがごときあの獣神を切り崩すには、どうすればいい!?

 武器だ。

 武器がいる。

 あの獣神を屠るに足る武器。
 あの巨神が振るうに相応しい武器が!

 そう思った時には、すでに駆け出していた。

「士郎!!」

 呼び止める遠坂の声も聞こえない。

 駆けた。

 相手が何であるか、自分の行動がいかに馬鹿げたものであるか、そんなことは欠片も残さず脳裏から消え去っていた。

 冷静な思考? そんなもの、クソ食らえだ!

 俺に判るのは、このまま静観を続けていることなど出来ないということ。

 そう。そんなことは、できない。

 そんなことは許さない。

 嘲笑いながら少女の心を破壊しようとするアイツも、何もできないと言ってただ見ているだけの自分も。

 これ以上は許せない!

 できるはずだ!

 赤い騎士に自分を認めさせた今の俺なら。
 遠坂のサポートを受けている今の俺なら。

「I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)」

 難しいはずはない。

「Steel is my body. And fire is my blood(血潮は鉄で、心は硝子)」

 不可能な事でもない。

「I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗)」

 もとよりこの身は、

「Unaware of loss. Nor aware of gain(ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし)」

 ただそれだけに特化した魔術回路――――!

「With stood pain to create weapons(担い手はここに孤り)
          waiting for one’s arrival(剣の丘で鉄を鍛つ)」

 俺にできるのは、そんなことしかない。
 だから、待っていろ!

「I have no regrets. This is the only path(ならば、我が生涯に意味は不要ず)」

 今ここに、幻想を結び剣と成す――――!

「My whole life was “unlimited blade works”(この体は、無限の剣で出来ていた)」

 真名を口にした瞬間。

 せめぎ合う二つの固有結界の狭間に割り込むようにして炎が走った。

 燃え盛る灼熱のラインは境界を造り、その内に取り込んだ世界を砕き、呑み込み、一変させる。

 後には、荒野。
 無数の剣が乱立する、剣の丘が広がっていた。

 直視しただけで如何なる剣をも複製可能な、この俺――――衛宮士郎の小さな世界。

 固有結界『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)』。

 ガウリーと男が驚愕の眼差しで、こっちを見ている。
 ちょっとだけ、気分がいい。

「馬鹿なっ!! なぜあんな小僧が、触媒もなしに『ヒラニヤ・ガルバ』を展開できる!?」

 ひらにやがるば?

 また一つ聞き慣れない言葉が出てきたが、無視だ、無視。

 固有結界の重ねがけなんて無茶な真似、そうそう長く続けられるもんじゃない。……っつーか、今にも二人の固有結界に飲み込まれそうなのだ。余計なことに神経を向けてられる状況じゃない。このままじゃ、もって五秒ってところだろう。

 上等だ。それだけあれば、つりが来る!

 創造理念の鑑定も、
 基本骨子の想定も、
 構成材質の複製も、
 製作技術の模倣も、
 成長経験への共感も、
 蓄積された年月の再現も、
 あらゆる工程は完了している。

 残るは、サイズに若干の修正を加えるのみ!

「ガウリー! 相棒にコイツを使わせろ!!」

 叫ぶと同時に、巨神の目前に形を成す幻想の剣。

 それは、どこまでも無骨そうな――――

 どこまでも頑丈そうな――――

 どこまでも猛々しい――――

 斧と剣を組み合わせたような、かつてバーサーカーと呼ばれた英霊が振るいし凶刃。
 そのサイズを拡大させた存在。

 ルドラの節くれだった左手が、対象をただひたすら叩き潰すために作られた凶器の、その柄を掴む。

 再度振りかぶられる、獣神の戦斧に、

――――オオオオオオオオオオォォォォォォォォッッ!!

 凄まじい怒号とともに叩きつけられる巨神の斧剣。
 その豪快なまでの一撃は、

――――ゴッギガガッッ!!

 相手の戦斧をへし曲げ、弾き飛ばし。

――――グジャアアアアァァァッッ!!

 そのまま勢い衰えず、獣神の顔面の半分を削り飛ばした。

――――ヴァオオオオオオオオォォォォォンンンンッッ!!

 もんどりうって後方に転倒し、そのまま狂気の悲鳴を上げてのたうつムンダマーラー。

 ぎちり、と結界が軋む。

 もちろん俺は、既に固有結界を解除しているから、これはあの男の結界が上げる悲鳴だろう。

 このまま遠坂の元まで戻ってもいいのだが、一つ思いついたことがあるので、それを試してみよう。
 幸い今なら、あの牛頭は離れた場所で暴れてるから、戦いに巻き込まれる恐れはない。

「投影、開始――――!」

 巨神の足元へ――――正確には、ソレを繋ぎとめている漆黒の鎖の元へと駆けつけながら、俺は、かつてキャスターのサーヴァントが持っていた宝具を投影した。

 禍々しい形状をした、一振りの短剣が手の中に現れる。

 破壊すべき全ての符(ルール・ブレイカー)。

 魔力で強化された物体、契約によって繋がった関係、魔力によって生み出された生命を『作られる前』の状態に戻す、究極の対魔術宝具。

 そいつを両手で大きく振りかぶり、

「こいつは、オマケだあぁっ!!」

 渾身の力を込めて、鎖の一本に打ち込んだ。

――――パキィィィィッッ!

 ガラス細工のように、脆くも砕け散るルール・ブレイカー。

 鎖の方はと言うと……ちっ。鉄環の一つに、微かな亀裂が入っただけか。

 これじゃあ、意味ないよなあ。なんて、思ったんだが。

 少女が、唖然とした表情で俺の顔を凝視していた。

「ルドラに施された、千の封印……その最初の一つが、緩んだ!?」

 そのつぶやきが終わるか終わらないかという一瞬で。

――――オオオオオオオオオオオォォォォォォンッッ!!

 これまでにも増して猛々しい巨神の咆哮が轟き、その巨体から放たれる神気が、爆発的な勢いで世界を席巻した。

 その空恐ろしくなるまでの気の奔流は、さながら暴風雨。

 無防備に立っていた俺は、たちまちそれに足をすくわれ、そのままびょうびょうと荒れ狂う神気の嵐に翻弄されながら、奇しくも狙ったように遠坂のところまで転がっていった。

「士郎!」

 大地に伏したまま、俺に差し伸べられた遠坂の手を、すれ違いざまに硬く握り締める。

 一瞬、体が宙に浮きそうになったが、なんとか大地にしがみつくことができた。

「もおっ! あんたって人は……あんたって人はぁっ! どうしてあんな、無茶なことばっかりするのよっ!? わたしはあんな無茶させるために、魔力を供給してるわけじゃないんだからねっ!!」

 ほとんど涙声になりながら俺の体にしがみつき、力なく胸を叩く遠坂の小さな手。

 ほんと……。俺って遠坂を困らせてばっかりだよな、なんて思ってしまう。

 泣かせたくなんてないのに。

 遠坂には、いつだって笑っていてほしいのに。

 どうして俺は、困らせることしかできないんだろう。

 気の強い遠坂ならいい。怒られるのも叱られるのも、もう慣れっこだ。

 けれど、泣かれるのは困る。どうしていいのか、わからなくなってしまうのだ。

「その……ごめん。ほんとにごめんな、遠坂」

 とりあえず今は、謝ることしかできない。
 それで許してもらえるかどうかなんて判らないけど、他にどうしたらいいのか判らないんだから、どうしようもない。

「士郎のバカ」

「……うん」

「バカバカバカバカ……」

「うん……ごめん……」

 ひとしきり悪態をついたら気が済んだのか、遠坂は一層強く、ぎゅっと俺にしがみついてきた。

 俺もそれに応えるように、遠坂の細く柔らかな体を、そっと抱きしめる。

 だけど、そんなほんわかした状況も、

――――オオオオオオオオォォォォォォォンンッッ!!

 巨神の叫びで一気に現実に引き戻されてしまった。

 ううっ。あの恩知らずの木偶の棒め。せめてキスの一つなり済ませるまで待つぐらいの心配りが、できないのか?
 見ろ。遠坂が恥ずかしそうに離れていっちゃったじゃないか。

 そんな愚痴をぶつぶつ漏らしてる間にも、巨神と獣神の第二ラウンドが始まろうとしていた。


               ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

う〜〜ん。今回は、めちゃめちゃ長くなってしまったなぁ。

それというのも、士郎と凛が所構わずいちゃつくからです。おのれ、バカップルめ(笑)!

まぁ、それはともかく。
とりあえず、Fate / Calamity Knightの第二話をお届けします。

「ぜんぜんFateの世界観とマッチしてないぞ、ごるぁ!」なんて意見もあるでしょうが、ここは広い目で見て勘弁してやってください。

次回、Interludeを二つほど挟んだ第三話では、いよいよ怪奇蟲じじぃ・臓硯と、黒い聖杯・桜の登場予定です。

それでは〜〜。

4: ぱばーぬ (2004/04/04 18:40:11)[nawate at graces.dricas.com]

Fate / Calamity Knight


 Interlude 2 / Homoeopathy

     ◇

 世界が悲鳴を上げていた。

 歓喜に打ち震えていた。

 絶望に慟哭していた。

 狂ったように哄笑していた。

 力と力が激突し、砕け、霧散し、再生していた。

 意志と意志が互いを蝕み合い、削り、喰らい、咀嚼していた。

 喜悦の咆哮を上げながら世界を変革するは、絶大な神気を暴風の衣と化して身にまとい、斧剣を掲げし鋼色の巨神。

 怨嗟の苦鳴を漏らしつつ世界の変貌に蝕まれるは、熟柿のごとき潰された半顔から鮮血を滴らせる、瀕死の獣神。

 それは、幻想的な光景だった。

 いや。それを言うなら、この世界そのものが、幻想なのかもしれないけれど。

 固有結界。

 現実を浸蝕する幻想。

 具現化された心象世界。

 それが、今のわたし達を――――遠坂凛と衛宮士郎を包む世界。

 創世者は二人。

 一人は少女。

 縛鎖の呪いを全身に絡みつかせながらも、なお雄々しさを失わぬ巨神の主人。

 その体はまだ幼く、しっとりと濡れたような艶のある黒髪は、不思議なことに、吹き荒ぶ神気の嵐にもなびいてはいない。

 黄金の輝きを放つ双眸は、強靭なる意志の光を宿して眼前の敵に向けられている。

 その視線を受け止める、もう一人の創世者は男。

 およそ生き物であるならば致命傷としか思えぬ傷を受けながらも、残る単眼になお消えぬ闘志を宿らせる獣神の主人。

 自らの生み出した世界の鳴動が、そのまま筆舌に尽くし難い苦痛として自身の元に還ってくるのか、全身の毛穴から滲み出てきたと思しい血の汗に濡れ、真っ赤に染まっている。

 いつしか世界は、淡い闇の帳に覆われていた。

 モノトーンに染まった空を時折引き裂き、踊っては消える青白い雷光が、二つの人影と二つの巨影を映し出す。そして、一瞬だけ漆黒のシルエットとして浮かび上がらせては、闇に呑み込んでゆくというサイクルを、飽くことなく繰り返している。

「あなたの負けです。退いてください」

 哀れみさえ込めた口調で、少女――――ガウリーが、そう告げた。

 それは真実。

 もはやこの戦いがいずれの勝利で終わるかは、誰の目にも明らか。

 これ以上の戦闘行為は、男にとって自殺行為以外の何ものでもないだろう。

 けれど。

「退け……だと……? 尊師よりヒラニヤ・ガルバを預かりながら、アヴァターラを打ちのめされ、承りし命も果たせず、おめおめと逃げ帰れというのか、ガウリー? この私に!?」

 男にとってガウリーの言葉は、屈辱でしかなかったのかもしれない。

「そのような生き恥を晒せと、そう言うのか! ガウリー!!」

 もはや狂気の域に達したその叫びに反応したのか、獣神――――ムンダマーラーの巨体が最後の全生命力を振り絞り、立ち上がる。

――――ヴァアアアアアアオオオオオオオオオオォォォォォォォォンンン!!

 喉も避けよとばかりに怒りの咆哮を轟かせながら、死に体とは思えなぬ勢いで地を蹴る巨体。

「……仕方ないですね」

 そんな。

 少女のつぶやきに、なぜかわたしはゾッとするものを感じた。

――――まずい!

――――まずい!!

――――何か、ひどくまずい事態が起ころうとしている!!

 わたしの魔術師としての直感が、最大レベルで危険信号を発していた。

「遠坂!?」

 士郎も何か気づいたみたいで、緊張した表情を浮かべて声をかけてきたが、返事はしない。

 とてもじゃないけど、そんな余裕はない。

 間に合うか!?

「――――Omnipotens Aeterne Deus,
     Qui totam Creaturam condidisti in laudem et honorem tuum,」

 補助の魔術回路まで総動員して、乏しい魔力を死に物狂いで掻き集める。

「――――ac ministerium hominis,
     oro ut Spiritum Seraph de Samael ordine mittas,」

 迫り来る獣神に向けてガウリーが右手をかざすと、彼女の守護者である巨神の頭頂部、眉間部、喉部、心臓部、太陽神経叢、性器部、会陰部の七箇所に光が宿り、まるで鼓動するように脈打ち始めた。

「――――qui me informat etdoceat quo illum interrogavero,
     non mer voluntas fiat, sed Tua, 」

 巨神の口がゆっくりと開く。
 その隙間から覗く白熱のプラズマがバチバチと爆ぜ、独立した生き物のように蠢いているのが見える。

 そして。

「――――per Jesum Christum Filium Unigenitum. Amen!」

 わたしが最後の詠唱を終えるのと重なるようにして、

「貪る螺旋の王蛇(クンダリニー)――――!!」

 ガウリーの口からも、強大な力を感じさせる言霊がつむがれた。

 次の瞬間。

 わたしと士郎を包み込むように、幾重にも渦巻く光の障壁が立ち上ると同時に。

 巨神――――ルドラの口から、激しい光の奔流が爆発した。

 それはさながら、全てを食い尽くす光の大蛇。

 大気を焼き、オーロラ状の燐光をからみつかせながら、文字通り光の速さで獣神を呑み込み、一瞬で焼滅させてしまった!

 それでも、白熱に輝く蛇神の猛威は収まらない。

 大地を切り裂き、粉々に粉砕し、無尽蔵に放出される圧倒的な熱量は、進行方向にある全ての物質を見境なく分解・蒸発させてゆく。

 もちろん、男の肉体などとうに消え失せ、亡骸どころかチリの一欠片すら残ってはいないが、それも当然。
 こんな戦術核にも匹敵する、桁外れの攻撃を間近で使われたのだ。例え直撃しなくても、その轟々たる光の狂宴が生む凄まじい輻射熱と、不可視のミキサーを思わせる干渉流を受けて、無事でいられる存在などありはしない。

 実際、とんでもない威力だ。

 わたし達がいるのは、あの攻撃の進行コースの真反対だというのに。

 いささか魔力不足とは言え、わたしの知り得る魔術の中でも、最高レベルの防御陣で遮蔽しているというのに。

 今にもそれが破られかねない。
 ……と言うか、徐々にではあるが確実に表面から削られている。

 まずい。

 だんだん、気が遠くなってきた。

 くっそ。冗談じゃないわよ! 伝説的な暗殺魔術結社ガナデヴァタ相手に生き残ったのは、こんな所で死ぬためじゃない!!
 って言うか、ここで生き残れなきゃ詐欺よ、詐欺!!

――――あの日、朝焼けの中で誓った。

――――眩しい笑顔を残して消えていった、赤い騎士に誓った。

――――傷だらけの体で大の字を書いて、満足そうに寝息を立てるあいつに誓った。

――――何よりも、わたし自身の心と魂にかけて誓った。

――――士郎を幸せにするのだと!

――――士郎の傍にいるのだと!

――――士郎と一緒に生き、歩み、何があっても二人で絶対に幸せになるのだと!

 なのに、こんなところで死ぬ? 冗談じゃない!!

 そんなのは認めない!

 絶対に認めるわけにはいかない!!

 わたしを――――遠坂凛をなめるなっ!!

「あたら若い蕾を、何だと思ってるってのよおぉぉーーーーーーーーっ!!」

 誰に対してのものなのか、自分でもよくわからない怒りと憤りを魔力に変えながら、わたしは吼えた。

 あぁ……。お父さん、ごめんなさい。凛は、はしたない娘です。

 でも、それだけの甲斐はあった。

 おそらく偶然なんだろうけど、がーっとわたしが叫んだのと時を同じくして、光と熱の狂奔が止まったのだ。

 えぇ、そりゃーもう。
 今までの死にもの狂いになってた自分が、何だかバカに思えるぐらい速やかに、きれいさっぱり収まってくださいましたとも。

 ホッとしたのは確かだけど、なんかバカにされてるみたいで、ちょっとムカつく。

 あ、まず。
 今度という今度こそ、ほんとに力を使い果たしたみたいだ。

 ぐらりと斜めに傾ぐ視界。

 軽い浮遊感。

 あ〜〜、このままじゃ顔面から地面に突っ込んじゃうなぁ……なんて、まるで他人事みたいに考えてると、

「遠坂! おいっ!?」

 めちゃめちゃ焦った様子の士郎が、わたしの体を抱きかかえるように支えてくれた。

 さっきみたいな、壊れ物を扱うようなソッとしたものではなく。

 しっかりと。

 力強く。

 あ〜〜、なんか久しぶりだなぁ……。こうやって、士郎の胸にギュッと強く抱きしめられるのって。

 意外と逞しい胸なのよね、こいつってば。

 こういう、ちょっと荒々しい抱擁も、実はそんなにキライじゃない。
 なんて言うか……やっぱり士郎は男の子なんだなって再認識しちゃって、自分は女の子なんだって素直に思えて安心できる、みたいな?

 もちろん、こんなこと本人には恥ずかしくて言えないけど。

 もっとわたしが女の子らしい性格をしていたら、こんな風に考えて、悩んだりしないで済んだのだろうか。

 もっと可愛らしい性格をしていたら、素直に甘えることができたのだろうか。

 士郎のことを、どうこう言えないわね。

 ほんと。
 わたしって、不器用だ。

――――士郎の体、あったかいな……。

 そんなことを考えながら、わたしの意識は急速に薄れていったのだった。


               ……to be continue

5: ぱばーぬ (2004/04/04 19:14:03)[nawate at graces.dricas.com]

Fate / Calamity Knight


 Interlude 3 / Whisper

     ◇

「おどろいたわね……」

 どこかで誰かがつぶやいた。

 言葉の内容とは裏腹に、その艶めいた声音には、何かを面白がっているような響きがある。

「まさか何の触媒もなしに、ヒラニヤ・ガルバを展開できる魔術師がいるなんて……」

「僭越ながら……アレは真実、ヒラニヤ・ガルバと呼べるモノではありません」

 別の声が、新たに生まれた。

「内に生命の片鱗すら宿さぬ、枯れ果てた残骸……。黄金の胎児(ヒラニヤ・ガルバ)の木乃伊とでも呼ぶべきモノでしょう」

 その言葉に対し、最初の声はクスクスと笑い混じりの返事を返した。

「あらあら……。そう言う割には、妙にイラついてるみたいね、クベーラ?」

「アカーシャさま……。私がアレを、ヒラニヤ・ガルバの名に値しないと言った言葉に嘘はありません。が……放置して良いものでないのも確かです。それは理解なさっているでしょう?」

「確かに、ね」

 アカーシャと呼ばれた声が、苦笑じみた吐息を漏らす。

「わたしが丹念に編み上げ、ルドラにほどこした縛鎖の呪……その一部なりとレジストするなんて、ほんと……面白い手品を使う坊やね」

「あの国に、アスカの血が流れ着いていたことは承知していましたが……これを偶然とお考えですか?」

「あら。やっぱりクベーラも、そう思う? そうよね……。ふふっ。やっぱりあの坊や、アスカの血を引いているんでしょうね。なら、単なる偶然じゃないでしょう。ガウリーと、血が引き合ったのかも、ね?」

「運命……とでも?」

「知ってるかしら? 運命――――英語のFateの由来は、ラテン語で『言われたこと』という意味合いの、Fatumにあるらしいわ。ギリシア語ではMoira……『割り当て、持ち分』ってことに、なるのかしらね。つまり運命っていうのは、人間の意志とは無関係に降りかかってくる必然不可避な吉凶ではなく、個人に与えられた、わきまえるべき立場・職分みたいなものなのよ。あの坊やがアスカの血を引く以上、いずれ遅かれ早かれ私達ガナデヴァタに、かかわることになっていたでしょうね」

 つまりこれは、必然の遭遇。

「如何なさいますか?」

「それほど心配することもないでしょう。魚が多少跳ねたところで、川の流れが変わるわけではないわ。少なくとも『闇の聖母』が誕生すれば、例えルドラの封印が全て解かれたとしても、脅威とはなり得ないわ」

「それは確かに、おっしゃる通りですが……だからと言って、放っておくわけにもいきますまい」

「ふふ……。やっぱり、こだわってる。まぁ、無理もないかもしれないわね。なにしろ、あの坊やの力……貴方のマーヤーと同質のシャクティみたいですものね?」

「…………お戯れを」

「まぁ、いいわ。だったら、世界守護神(ローカパーラ)を動かす許可を与えるから、適当に遊んであげなさいな、クベーラ。ただし、本来の目的も忘れないように、ね?」

「御意……。では、プランダラとヴァルナを向かわせます」

「城塞破壊者(プランダラ)と水神(ヴァルナ)ね……。それだけでいいの?」

「ご承知の事と存じますが、『闇の聖母』の器を確保するため、すでにシャマナとヴァーユが彼の地に向かっておりますれば……。まずは器を確保の後、合流させる所存です」

「あらあら……。それじゃ、あの坊や達、消滅させるもの(シャマナ)と風神(ヴァーユ)の二人を加えた、四人の世界守護神と対峙することになるわけ? お気の毒に」

「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすとか……。敵を侮るよりは、己を卑下すべきでしょう。確実を期すのであれば」

「本当に確実なのは、わたし自らが出向くことなんでしょうけどね。そういうわけにもいかないし……ままならないものよね」

「仕方ありますまい。それもこれも、アカーシャ様の力が大きくなり過ぎたがゆえに働く、星の力……」

「ふう……。厄介なものね。『抑止力』というのも」


               ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

こんにちは。最初に構想していたのよりも、めちゃめちゃ話が長くなりそうで、ちょっとヘコんでるぱばーぬです。

Fate / Calamity Knightは、ここまででようやくプロローグが終わったという感じ。

次のAct.3 からが、いよいよ本編といったところです。あ〜〜、終わるのは、いつになることやら。とほほ……。

ちなみに、作中で凛が詠唱している呪文はラテン語ですので、英和辞典をひもといても、無意味っス。

それでは、次回の第三話 Dark Madonna で、またお会いしましょう。

さらば。

6: ぱばーぬ (2004/04/11 03:41:22)[nawate at graces.dricas.com]

  黒魔術に潜む、人を駆り立てる力は権力に飢えている……。
  黒魔術師の野心とは、宇宙全体に最高の力をふるうことであり
  これを神とすることなのだ―――――
        「黒魔術」リチャード・キャヴェンディッシュ




Fate / Calamity Knight


 ACT.3 Dark Madonna

     ◇

「……で、士郎? 説明してもらえるかしら?」

 怒っていいのやら、困っていいのやら、何やら複雑そうな表情で、遠坂が訊いてきた。

 時刻は、あのとんでもない戦いが繰り広げられた翌日の早朝。時計は午前五時を指している。

 場所は、遠坂の部屋……というか、聖杯戦争からこっち、すっかり遠坂専用の臨時の別荘、あるいは下宿先となってしまった感のある、我が家の別錬にある客室だ。

 そこに、俺と遠坂、そして問題の少女――――ガウリーの三人が寄り集まっているというのが、現在の状況だった。

 いつもなら、そろそろ朝食の用意をしているはずの時間なのだが、さすがに今朝ばかりは、そんな悠長なことをやっている時間がない――――とは、ついさっきまで魔術の使い過ぎで昏倒してた遠坂の言葉である。

 俺としても、あまり異論はない……っつーか、昨日の戦闘で居間も台所も半壊状態になってて、アレを何とかしないことには、料理しようにもできない。

 まぁ、本音を言うなら、遠坂の魔術であの惨状をそれなりに補修してもらい、先に何か簡単なものでも作って腹を満たし、十分英気を養った上で……と、いきたかったんだけど、あまり遠坂に無理させるわけにもいかないしな。

 それに、また襲撃を受ける可能性だって、ないわけじゃない。それを考えれば、できるだけ速やかに対策を練らなければならないという遠坂の意見の方が、この場合は正しいと思う。

 そんなわけで、朝も早くから作戦会議というわけである。

「……そうだな。んじゃ、簡潔に説明するよ。要するに、だ。バイトの帰りに、怪しげな男達に追われてる女の子を見かけて、こりゃ放っておけないとばかりに追っかけてったら、その子がいきなり固有結界を展開して、例のルドラとかいう巨神がどどーんと出てきて、男達は慌てて逃げてったと。んで、そのまま女の子は石みたいになってぶっ倒れちまって、置き去りにするわけにもいかんだろうと思って、うちまでえっちらおっちら抱えてきた。そしたら遠坂がいきなりやってきて、何やら空気が怪しくなり始めたな〜とか思ってたら、女の子を追ってた男の一人が襲撃してきて、後は遠坂も知っての通りの展開になったと。つまりは、そういうわけだ。理解できたか?」

 頭の回転というよりは、むしろ舌の回転と肺活量を問われるような勢いで、一気に繰り出された俺の説明を、

「えぇ、えぇ。理解できましたとも。要するにあんた自身、自分が何に首を突っ込んだのか、どういう立場に立たされているのか、サッパリ理解してないらしいってことはね」

 これみよがしに「はぁ」なんて溜め息つきで、遠坂は酷評してくれました。

 うぅ。頼むから、その『心底呆れ果てたわよ。いったい何を考えて生きてるの?』って目はやめてくれ。俺だって、遠坂を巻き込んでしまったことに関しては、本当に悪かったと思ってるんだからさあ。

「……まぁ、それはいいわ。士郎の性格はよく判ってるつもりだし? あんたとつき合ってれば、いつかはこういうことになるだろうって、半ば予想してたことだしね。だから、『ボランティア精神も大概にしなさい』とか、『面倒ごとに首を突っ込んだなら、まずわたしに連絡を入れなさい』とか、『この貸しは高くつくわよ』とか……言いたいことは山ほどあるけど、今は言わないでおいてあげる」

 ……すでに言われ放題のような気がするのは、俺だけか?

「なに? 何か文句でも言いたそうな顔ね?」

「いえいえ、そんな滅相もない! あっしは決して、そのような……」

「……なんか妖しいけど、今は追求しないであげる。まだ、訊きたいこともあるしね」

「まだ訊きたいこと? 俺でわかることなら、答えるけど……」

「あっそ。……じゃあ、訊くけど」

 引きつったような笑みを浮かべて、体をもぞもぞさせながら、遠坂は一旦そこで言葉を切った。

 そして。

「いったいぜんたい、なんなのよ、この子はぁーーーーー!!」

 ほとんど悲鳴の一歩手前といった声で、がーっと吼えながら指差した。

 自分の背中にコバンザメのようにピトッと張り付き、背後から腕を回してぎゅうっとしがみついている小さな人影を。

 もちろん、ガウリーである。

 まともに考えれば、あんな生と死の縁に立たされるような目に遭ったのだ。この年頃の少女ならば、それはむしろ当たり前の行為と言えるだろう。

 藁にもすがる思いで誰かにしがみついたとしても、見知らぬ誰かに庇護を求めたとしても、それは無理からぬ事。責める者はいないはずだ。

 ただ――――その表情が、いけなかった。

 何と言うか、こう……最愛の恋人に抱きついて、幸せな安らぎの中にいる。そんな顔をしているのだ。

 そりゃ、遠坂も居心地悪いだろう。

 俺だって、どんなに美形だろうが、同性にピットリ体を密着させられた挙句、熱い眼差しでうるうると見つめられるなんて状況は、ご免こうむりたい。
 さぶいぼができる。

「ちょっと、あなた! いつまで、しがみついてるつもり!? いい加減、離れなさいよね!」

「あぁん。お姉さまったら、まだ体が回復しきってないんですからぁ、そんなに暴れちゃダメですよぉ♪」

 鼻にかかったような甘ったるい声でそう言いながら、イヤイヤとばかりに首を振る、ダブダブワイシャツ姿のロリ娘。
 その気のある野郎連中が見たら、鼻血を吹いて卒倒しそうな光景だな。

 まぁ、そういう格好させたのは俺だけど、断じて趣味ってわけじゃないぞ?
 いつまでもすっぽんぽんのままじゃヤバいし、かといって、我が家にはガウリーに合うサイズの服がなかったから、やむを得ずの緊急措置である。

 うむ。何も問題はない!

「だいたい、あなたが周りの迷惑も考えずに、あのルドラとかいうヤツに物騒な大砲撃たせるから、消耗するはめになっちゃったんでしょ? お願いだから、これ以上疲れさせるような真似しないでよ!」

「ですからぁ、責任取って力いっぱい看病させてもらいますぅ♪ 安心してください。お姉さまの食事の世話から下の世話まで、懇切丁寧にさせていただきますから」

「しなくていいっ! っていうか、絶対にお断りよ! あなたが今すぐ離れてくれれば、消耗せずに済むんだってことが、わかんないわけ!? とにかく、離れなさいっ! 悪いけどわたしは、ノーマルな趣味の持ち主なのっ!!」

 毛を逆立てたネコさながらといった剣幕で、なんとかガウリーを引き剥がそうとする遠坂だが、相手が小さな女の子だからという配慮ゆえか、乱暴に力ずくで、というわけにもいかないのだろう。
 冷や汗だらだら状態になりながら説得しているのが、なんとも微笑ましいというか、涙ぐましいというか……。

「そんなぁ……。あたし達、ベッドを共にした仲じゃないですかぁ。お布団の中で感じた、お姉さまの温もり……。今でも、この手にその感触が残ってますです。はい♪」

「あああ、あなたねぇ! わたし達は女同士なのよ!? そこんとこ、わかってる!? 不毛よ、不毛! ソドムとゴモラは同性愛がはびこったから滅んだのよ? 神さまだって言ってるでしょう? 『生めよ、増やせよ、地に満ちよ』って! これって、女の子は男の子とくっつきなさいって意味なのよ? だからこんなのは、間違ってるのよ。うん! そ、それにあなた見た目は可愛いんだし、世の中は空前のロリブームなわけで、男の目はこぞって十三、四才ぐらいの女の子に向けられてるっていうから、男ならよりどりみどりで、うっはうはでしょお!?」

 ……なんか言ってることが、だんだん支離滅裂になってきてるぞ、遠坂。

「男なんて、ダメですよぉ。だって男の愛情って、必ず欲情がセットになってるんですから。そんなのって、不順です。不潔です。下劣ですぅ。それを考えるとぉ、女同士の愛って、本物の純愛だと思いません?」

「思わない! 思わない! それって絶対、なんか間違ってるわよ! 絶対どこか歪んでるわよ! だいたい、なんだってあなたがわたしと一緒のベッドで寝てたわけ!?」

 あ〜〜……すまん、遠坂。それ、俺のせいだわ。

 いや、だってさぁ。
 あの後、遠坂だけじゃなくガウリーまで、精根尽き果てましたって感じにバッタリ倒れちまって、どこかに寝かそうにも、二階はおまえが派手にぶっ壊してくれたおかげで壊滅状態だったし。

 俺はおまえと違って、壊れた天井だの何だのを修復するような魔術は使えないし。

 だったら、女の子同士なんだから一緒に寝かせてもいいかな〜と。

 改めて別の部屋に寝具の用意をするよりは、おまえと一緒に寝かせといた方が、もしまた襲撃があったとしても素早く対応できるんじゃないかな〜と。

 軽い気持ちで、そう考えたんだけど……俺の判断、もしかして間違ってた?

「はぁ……。眠っている時の無防備なお姉さまも素敵でしたけどぉ、そうやってキリリとした表情のお姉さまも、ス・テ・キ……♪」

「って、どさくさに紛れて、お尻を触るんじゃない! ひゃうっ!? こここ、腰を撫でないでよぉーーーーーーっ!!」

「大丈夫ですよぉ、お姉さま。あたし、こう見えても上手ですから、任せて安心、オールオッケー、ノープロブレムです、はい♪ きっとお姉さまも、すぐに強く望むようになりますですぅ♪ 少なくとも体の方は、確実に。だ・か・ら……♪」

「いいいやぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」

 今度こそ本当の悲鳴を上げた遠坂は、死に物狂いで少女の手を振り払うと、めちゃめちゃ焦った顔で俺の方に駆け寄ってきて、そのまま背中に隠れてしまった。

 うわぁ……。マジ泣き寸前って顔してるよ。

「しししし、士郎! なな、何なのよ、あの変態娘は!? なんだってあんた、あんなのとかかわり持っちゃったわけ!?」

「あーー……。それは、まぁ、いわゆる成り行きというか、放っておけなかったというか……見殺しにするわけにも、いかないと思ってさ」

 そもそも、これまでは常に戦闘状態やら、気絶中やらと、まともに会話する機会がなかったからなぁ……。俺も、こんな性格の女の子だとは夢にも思わなかった。

 世の中って、広いよなぁ、うん。……って、ちょっと待ちたまえ、そこの少女。
 なにゆえ俺を、親の仇でも見るような目で睨みつけてきますか?

「……あんた、ナニよ? お姉さまと、どういう関係?」

 ……もしもし? いくら何でも、あからさまに態度が違くないか?

 さっきまでの、きゃぴるん(これって、死語だよなぁ)とした言動とは正反対の、そのシベリアの永久凍土もかくやと思われる、冷たい態度は何事かと問い詰めたいぞ。

 ……とは言うものの、よくよく考えてみれば、確かに自己紹介をした覚えはない。

 それに、危ないところを助けられたとは言え、見知らぬ男が相手なのだ。女の子なら、警戒して当然かもしれない。

 ま、相手は子供だしな。ここは大人の俺が譲るべきなんだろう。

 そう結論づけ、改めて自己紹介を――――

「えっと……。俺の名前は衛宮士郎。で、後ろの彼女は遠坂凛っていって「わたし達、つき合ってるの! 恋人同士なの! アツアツなの! ラブラブなの! だから諦めなさい! いいわね! わかったわね!!」

 ……してる途中で、セリフの後半を、肩越しにひょっこり顔を出した遠坂のマシンガントークに、割り込まれてしまいました。

 あのな、遠坂。気持ちはわからないでもないけど、俺を防波堤か何かと勘違いしてやしないか?

 しかも、ガウリーはますます剣呑な目つきで、むーっとばかりに睨みつけてくるし。

 いや、そんな恨み骨髄って目で見られても……。
 俺にいったい、どうしろと?

 どうすればいいのかわからないので、とりあえず愛想笑いを浮かべてみると、

「あんたなんかに、負けないんだからっ!」

 びしっと人差し指を突きつけられ、宣戦布告されてしまった。

 なんだかなぁ……。

     ◇

 と、まぁ。
 色々とごたごたあったものの、とりあえず一時的な休戦状態が訪れたところで、ようやく俺達は情報交換をする運びとなったわけだが……。

「――――というわけ。どう? 自分が今、どういう立場に立たされているか、ちょっとは理解できた?」

「あぁ……。聖杯戦争の時と同レベルか、それ以上の厄介事に首を突っ込んだらしいってことは、わかったよ」

 俺と遠坂は、揃って同じタイミングで「はぁー」と溜め息をついた。
 別に、申し合わせたわけじゃない。自然と、そうなってしまったのだ。

「ガナデヴァタ……」

 殺戮の女神、カーリーを信奉する魔術結社か……。

「普通、噂なんて誇張されるものなんだけどね……。今さら言うまでもないと思うけど、士郎。今回ばかりは、敵もなるべくなら殺したくないなんて甘いこと言ってたら、即座に返り討ちよ?」

「う……。それは、俺だってわかってるさ。向こうが殺すつもりで来るんなら、俺だって躊躇はしない。誰かを殺そうとするってことは、自分が殺されることも覚悟してるってことなんだろうからな」

 そう。
 俺だって、死にたいわけじゃないんだ。降りかかる火の粉を払うのに、遠慮するつもりはない……というより、おそらく遠慮して生き残れるような相手じゃないと思う。

 俺の剣技も、遠坂の魔術も、あの黒服にはまるで通用しなかった。

 おまけに、固有結界は使う、わけのわからない神霊クラスの怪物は呼び出すとあっては……こうして今生きてるのが、不思議なぐらいだ。

 正直、ガウリーと、彼女が呼び出したルドラとかいう巨神がいなかったら、確実に殺されていただろう。
 ……まぁ、そのルドラの攻撃のとばっちりで、死にかけたって事実もあるわけなんだけど。

 何にせよ、ガナデヴァタの連中がみんなあんなシロモノなのだとしたら、協会や教会が危険視するのも頷ける。

 幸い、今回の二大怪獣大決戦は固有結界の中でのみ行われたおかげで、ガウリーが気を失い、結界が解除されても、あの天変地異にも似た大破壊の痕跡は、現実世界には欠片も残ってはいなかったから良かったが……。

 アレが現実の世界でおこなわれたらと考えると、ゾッとする。

 冗談抜きで町の一つや二つ、一瞬で消滅してしまうだろう。

 放っておくわけにはいかない。

 確かに、勝てる自信なんてないけど。

 死にたくはないし、ましてや殺されたくなんてないけど。

 正直、今にも逃げ出したくなるほど怖いけど。

 それでも。

 この冬木の町が……この町に住む多くの大切な人達が、危険な目に遭う事の方が、もっと怖い。

 だったら――――

 やるしか、ないじゃないか。

 どんなに望まぬことであろうと、どんなに否定したいことであろうと、現実は変わらない。

 行動を起こし、何かをしない限り、現実は変わらぬままそこに在り続ける。

 違う現実を手にしたいのなら、現実を変えるべく動かなければならない。

 祈っているだけでは、願っているだけでは、何も変わらないのだから。

 この辺りの理屈は、魔術と何ら違いはない。

 等価交換――――。

 何かを得ようとするなら、それに見合った代価を支払わなければならない。

 つまりは、そういうことだ。

 しかし、今回の代価は目が飛び出るぐらい高そうだよな。仮に金額に換算した場合、ゼロが幾つ並ぶことになるのか、想像するだけで気が滅入ってきそうだ。いや、ホントに。

 そんなことを考えていると、いつの間にやら遠坂が(いかにもイヤそうに)ガウリーに話しかけているのが、目に入った。

 まぁ、現時点でガナデヴァタに関する、唯一の情報源みたいなもんだからな。何か有益な情報を聞き出そうってことだろう。

 似たような系統の魔術を使う女の子って線もないことはないが、これまでの状況証拠からすれば、元々はガナデヴァタに属していた魔術師で、何らかの理由から逃げ出してきたと考えた方が自然だしな。

「幻術(マーヤー)? それが、ガナデヴァタの魔術師達が使う魔術なの?」

「はいです、お姉さま。対象物のイデアに干渉する、波動関数の収束効果による量子結合とでも言えば、判りやすいですか?」

 ……いや。ぜんっぜん、判んないですけど。

「シュレーディンガーの猫ってこと? 量子レベルでならともかく、もし本当にそれが可能なら、ほとんど魔法の領域じゃない!?」

 むう。遠坂には話が通じている様子。
 なんか、疎外感を感じる今日この頃。

「あの……遠坂? 悪いんだけど、俺にも理解できるよう、もっとわかりやすく説明してもらえると、非常にありがたいんだが」

 それに応えたのは遠坂ではなく、嫉妬の炎をボォボォ燃やしてる小悪魔だった。

「はぁ……。あきれた。この程度の会話についてこれないなんて、あんたの首の上に乗っかってるのは、頭の形をした帽子掛けか何かなわけ? いるのよねぇ、こういう無駄に年齢だけ重ねてきたような、激しく理解力に欠ける、直感と反応だけで世の中渡っていこうとする、救いようのないラリパッパが。あんた、あれでしょ? 見た目は人間でも、本当は類人猿か何かでしょ? ささ、お姉さま。こんなミッシング・リンクは放っておいて、あたしと知的で実りあるインテリジェンスな会話に花を咲かせましょう」

 ……ゴッド。俺、何か悪いことしましたか?

「そういうわけにも、いかないでしょ。士郎にも連中のことをなるべく理解してもらわないと、これから先どうなるか、わかったもんじゃないんだから」

 遠坂……。今日の君は、一段と輝いて見えるよ。

 一層険しい目つきで、ぷうっと頬を膨らませてる輩が約一名いるが、全力で無視して紅の女神さまの話に、耳を傾ける。

「あのね、士郎。シュレーディンガーの猫っていうのは、量子力学における不確定性原理の有名な思考実験のことなの。……って、不確定性原理は知ってるわよね?」

「いや、ぜんぜん」

 うお!? どうして睨むんだよぉ。

「……わかった。じゃ、あなたにも理解できるよう、話のレベルをグーーッと下げて、わかりやすく説明してあげる」

 そいつは有り難いんだが……なんか、言葉の端々にトゲがあるように思えるのは、俺の気のせいだろうか?

「要するに、ガナデヴァタの連中が使う魔術は――――幻術(マーヤー)って言うらしいけど――――生物・無生物を問わず効果が顕れる、強力な催眠術みたいなものだと考えればいいわ。……まぁ、厳密には全くの別物なんだけど、結果的には似たような効果があるわけだから、こっちの説明の方が理解しやすいでしょう」

「……確かに、さっきよりはずっと判りやすいけど……なんだか妙に、チンプなイメージがないか? その説明だと」

「仕方ないでしょ! 士郎に理解できるレベルまで下げると、どうしたってこんな説明にしかならないんだから! 説明、続けるわよ!」

 はい。すみません。私が悪うございました。……しくしく。

「強力な催眠状態にある被験者に、これは焼け火箸だっていう暗示をかけて鉛筆を肌に当てると、たちまち火脹れが生じるって話、聞いたことがあるでしょ? 連中の使う幻術は、それに似た効果を及ぼすわけ。……そうね。もうちょっと詳しく説明すると、対象物のイデアに………………さすがに、イデアまで知らないなんて言わないわよね?」

「えっと……確か、ギリシャ哲学に出てくる概念だっけ? この世界に存在する、ありとあらゆるモノが有する、根源的なパーソナリティであり、モノ自体の本質・存在形態を決定づけている固体情報のようなもの……だったと思うんだけど」

「オッケー。とりあえず、それだけ判ってれば十分よ」

 ホッ。どうやら、及第点といったところらしい。

「それじゃ、続けるわよ? 例えば、宝石を例に取ってみましょうか。まず、宝石自体からは、『私は宝石である』という認識……情報が、常に周囲に向けて放射されていて、逆に周囲のモノからは、『これは宝石である』っていう認識が、宝石に向かって放たれているの。この双方向的な認識情報のやり取りによって、宝石は宝石としての存在を確立しているわけ。ここまでは、理解できる?」

「ま、まぁ、何とかできてる……と思う」

 何だか今の説明だと、宝石自身に意識があるようにも思えるが、それは何かの比喩なんだろうと、ムリヤリ自分を納得させて頷いた。

「よろしい。で、ここからが本筋なんだから、よく聞いておきなさいよ? ガナデヴァタの使う幻術っていうのは、標的となる対象の、この本質的な存在情報に強制的にアクセスすることによって、本来の情報を任意に改竄・変質させてしまう術なの」

 えーーっと……。今、何かとんでもないことを言われた気がするぞ?

 標的となる対象の、本質的な存在情報……それを書き換える?

「その顔色だと、気づいたみたいね……。そういうことよ。この世には、永遠不変のモノなんて存在しない。どんなに変わることなく存在し続けるように見えるモノでも、長いスパンで見れば確実に変化は生じている。さっきの宝石を、もう一度例にすると、カットされて店頭に並ぶような形に研磨された状態の他に、割れた状態、砕けた状態、溶けた状態、燃えてる状態、凍っている状態、圧縮されて潰れた状態……さまざまな存在形態があるわ」

「つまり……そういった状態の中から、任意に好きな状態に……対象の本質的な存在情報を書き換えることで、その在り様を強制的に確定させるっていうのか?」

 是非とも否定してほしかったが、

「そうよ」

 遠坂のやつ、いともアッサリと頷きやがった。

「そういうことなんでしょ、ガウリー?」

「そうです、ビンゴです、大当たりですぅ。さっすが、お姉さま。あたし、惚れ直しちゃいましたぁ♪」

 遠坂に声をかけられるだけで嬉しいのか、満面の笑顔を浮かべて力いっぱい肯定の意を示すガウリー。

 嬉しそうにしちゃって、まぁ……。

 艶やかな黒髪は『撫でれ!』とばかりにふわふわと波打ち、キラキラとお星さまを浮かべる両の瞳からは、かまってください光線が遠坂にロックオン状態だ。

 尻尾があったら、きっと千切れんばかりに振りまくっていることだろう。

 こうやって第三者的立場から見ているだけなら、可愛いんだけどな。

「それに比べて……ふっ。ここまで噛み砕いて懇切丁寧に説明してもらって、ようやく理解の範疇に手が届くなんて、ほんっと……他人に迷惑かけないと生きてけない人っているのねぇ。自分で自分が恥ずかしくないのかしらーぁ?」

 ……前言撤回。やっぱりコイツ、悪魔だ。
 っつーか、他人に迷惑云々なんてセリフ、おまえだけには言われたくないぞ。

「ちょっと、ガウリー。今は真剣な話をしてるんだから、いちいち士郎に絡まないの!」

「は〜い。お姉さま」

 メッ! とばかりに遠坂に睨まれ、ガウリーがしゅんと大人しくなったのを確認して、会話を続行する。

「とにかく、士郎が投影した武器がアッサリ破壊されたのも、わたしが手間隙かけて張り直した結界がムカつくぐらい簡単に破られたのも、そう考えれば辻褄が合うわ。武器に対しては『破壊された武器である』という改竄が、結界に対しては『侵入者が入り込めるだけの穴の開いた結界である』という改竄が、それぞれおこなわれたんでしょうね」

「なんつー、でたらめな術だよ。それってある意味、打つ手がないってことじゃないか? その理屈でいくと、仕掛けられた攻性魔術だって、レジストなりキャンセルなりできるってことだろ?」

「そういうことね……。現にわたしの魔術、ことごとく平気な顔で受けてたし」

 それに……と沈鬱な表情で、さらに頭を抱えたくなるようなセリフを、遠坂は口にした。

「魔術師っていうのは、多かれ少なかれ普通の人と違って、非・現実的な状況を当たり前のこととして受け入れてしまう素地ができてるでしょ? それに、『死』という状況を常に肌に感じながら生きているって面もある。だからもしかすると、本質の情報改竄っていう連中の攻撃手段に対しては、むしろ一般人より脆いかもしれないわ」

「けど、魔術師にはそれなりに、外部からの魔力に対する耐性ってもんがあるだろ? あれはこの場合、適用されないのか?」

「そこが厄介なところなのよね。……いい? その耐性が効果を発揮するには、まず前提条件として、術者の体内に存在する魔力が、相手のマーヤーと接触し、感知しなきゃならないわけ」

 そりゃ、そうだ。魔力耐性が効果を発揮するってことは、すなわち魔力による攻撃を受けたってことに他ならないんだから。
 攻撃も受けてないのに耐性だけが働くなんてことは、因果関係から考えてもあり得ない。それは、原因もなしに結果のみが独立して存在するようなものである。

「だけどね、マーヤーによる攻撃を感知するってことは、認識することとイコールでしょ? マーヤーは、その認識それ自体を変質させてしまう攻撃なんだから、耐性なんて何の意味もない。触れたが最期、どんな防御だって役に立たないでしょうね」

「要するに、こちらの攻撃はほぼ完璧に無効化。向こうの攻撃は一撃必殺。……そういうことか? 最悪だな」

「えぇ……。ほんっと、魔術師にとっては天敵と言っても過言じゃないと思う。ただ……」

「……ただ?」

「うん。これまでの情報を整理すると、連中が使うマーヤーにも、二つほど盲点があるように思えるの。まだまだ情報不足で、確信があるわけじゃないんだけどね」

 さすがというか、何というか……。ほんっとに頼れる相棒だよな、遠坂って。転んでもただでは起きないを地で行ってるところは相変わらずだ。
 一生、ついていきます。ししょー!

「まず一つ目は、複数のそれぞれ異なる属性を持った対象に、同時に術をかけることはできないんじゃないかってことね。根拠としては、わたしがアイツを足止めするために使った方法――――ガンドに加えて雷撃、氷結、爆炎の属性を持った宝石弾と、それによって誘発された天井崩しの波状攻撃なんだけど、対応しきれなかったみたいで、しっかり効果あったもの」

「なるほど……。あるいは、魔術的な攻撃と、純粋に物理的な攻撃には、同時に対応できないって線も、あるかもな」

「確かに、その可能性もあるわね。士郎のくせに、結構鋭い意見だわ」

 ……なんだか、何気にひどいこと言われてる気がするぞ?

「それから二つ目は、これも状況証拠のみって点が弱いけど……士郎に対しては連中の幻術も、効果が薄いんじゃないかって気がするのよね」

「なんでさ?」

「だってあなた、アイツの攻撃をまともに受けたのに、こうして生きてるじゃない」

 ふむ。言われてみれば、確かに。

 けど、確かに死にはしなかったものの、ほとんど拷問レベルの、あの苦痛。あれを考えれば、とてもじゃないが「ラッキー」なんて思えないぞ。

「ここから先は、さらに推論でしかないんだけどね、アイツらの使う幻術って魔術、わたしが思うに固有結界を応用したものなんじゃないかって思うの。今さら士郎にこんなことを言うのは釈迦に説法かもしれないけど、知ってるでしょ? 固有結界は術者自らの心象世界が、現実を浸蝕するモノなんだって。これは見方を変えればマーヤーと同じ、対象の本質に根差す存在情報の改竄ってことになるじゃない?」

「え〜〜っと……。つまり俺が固有結界持ちだから、ヤツらの幻術がもたらす情報改竄が上手くいかなかったってことか?」

「おそらくは、ね。……あの時、体中が実際に切り刻まれるような痛みに襲われてたって言ってたけど、わたしの推論がもし正しいとしたら、その攻撃を受けたのが士郎以外の――――例えば、わたしだったとしたら、本当に体中がズタズタに切り裂かれた状態になってたかもしれないわね。わたしっていう存在を確立させている本質が、『今の自分の体は、切り刻まれた肉塊の状態だ』みたいな誤認をさせられて」

 ヤな想像させるなよ……。

 けど、少しは希望が見えてきたようにも思う。
 要するに、ガナデヴァタの魔術がどんなにとんでもないシロモノだろうが、そこにはやはりある程度の限界があるし、上手く作戦を組み立てれば、それなりに対抗できるってことなんだから。

「と、まぁ。今のところ、わたしが思いつく対応策はこれぐらいなんだけど……ガウリーから、まだ何か付け加えることって、ある?」

「そうですねぇ……」

 ちょこんと首を傾げながら考え込むガウリーの言葉を、待つ事しばし。

 十秒ほど経ったところで、「それじゃあ、二つほど」と前置きをして、補足事項が語られた。

「まず一つ目はですねぇ、情報を書き換えるっていっても、自由自在にできるってわけでもないってことですぅ。あくまでも、対象が示し得る状態の変化に留まりますです、はい。例えばぁ、火を凍らせたり、氷を燃やしたり、なんてことは、いくらマーヤーでも不可能ってことですねぇ。あとぉ、術者によって、どういう状態に変化させるのが得意なのかも、変わってきますですぅ」

「なるほど……。それなりに、カテゴリーがあるってこと?」

「はいです♪ 具体的にはですねぇ、火(アナラ)、水(アーパス)、風(アニラ)、地(ダラ)、月(ソーマ)、光(プラティユーシャ)、暁(プラバーサ)、北極星(ドルヴァ)の八種類ですぅ」

「火とか水とかってのは、何となくわかるような気がするが、月だとか北極製ってのは、何なんだ?」

「……どうしてあたしが、あんたなんかの質問に、わざわざ答えてやんなきゃならないのよ? そもそも説明したところで、先祖がえり起こしてるっぽい、脳みそのシワが一桁としか思えないような、あんたのお粗末なおつむで理解できるとは、とてもとても思えないわねぇ。ふふふん」

「……ガウリー。わたしも、それは聞きたいんだけど」

「まっかせといてください、お姉さま! お姉さまのためだったらあたし、どんな質問にだって答えちゃいますから♪ やっぱり、そうですよねぇ。敵の情報は集められるだけ集めるべきですよねぇ。さすがは、お姉さまですぅ♪ 近代戦において情報がどれぐらい大切なものなのか、よく理解してらっしゃいます。ナイスです、ワンダホーです、バッチグーですぅ♪」

「あ〜〜あはは………。あ、ありがと……」

 ……なんか、俺。
 悲しくなってきたな。

 この胸に去来する、虚しさは何だろう。

 それと、遠坂。気持ちは嬉しいが、その哀れむような眼差しはやめてくれ。余計に惨めになるからさ。いや、マジで。

「あたしの知ってる範囲内で、ごく簡単に説明するとですねぇ、月は再生能力や生物の体液なんかへの干渉。暁は雷撃。北極星は……説明することもないんじゃないですか?」

 む? どうしてそこで俺を見る?

「だって北極星のマーヤーは、あたしの知ってる限りではガナデヴァタでもたった一人しか使えない、めちゃめちゃレアなカテゴリーなんですけどぉ……確か、どんな武器でも投影して生み出せるって力なんですから」

「なっ――――!?」

 マジですか? なんて、思わず敬語を使いたくなるぐらい驚いた。

 俺と同じタイプの魔術師?

 この時、反射的に俺の脳裏に浮かんだのは、今はもういない赤い弓兵の姿だった。

 どうやら遠坂も同じ事を考えていたらしく、顔つきが強張っている。

 けれど、すぐにその考えを否定した。

 そんなことは、在り得ない。あるはずがないのだから……。

「それで二つ目なんですけどぉ、多分こっちはかなり重大問題だと思いますぅ」

「今さら、ちょっとやそっとのことじゃ、もう驚かないわよ。もったいぶってないで、さっさと言う」

「は〜〜い。では、言いますけどぉ、昨日の晩、襲ってきたアイツなんですけどぉ……ガナデヴァタでは、ゴロゴロいる程度の一般兵みたいなものなんですよねぇ。いわゆる『咬ませ犬』、みたいな?」

 ……ちょっと待て、おい。

 するってーと、何か?

 アレより更に格上のヤツが、少なからず存在するってことか?

「現在この町に潜伏してるヤツの中で、あたしの知る限り一番の実力者は、シャマナとヴァーユの二人ですねぇ。二人ともガナデヴァタの幹部でぇ、世界守護神(ローカパーラ)の地位に就いてますから、当然と言えば当然なんですけど」

「その……世界守護神って地位に就いてる連中っていうのが、どんなやつらなのかはわかるかしら?」

 遠坂が硬い声で質問する。

 無理もない。昨日の男が単なる咬ませ犬程度だって言うなら、それより更に上にいる連中ってのは、どんなバケモノなんだか想像もできない。

「ローカパーラっていうのは、さっき説明した八種類のマーヤーにそれぞれ特化した、いわゆるスペシャリストってやつです、はい。言うまでもないとは思いますけどぉ、その全員が、強壮無比なアヴァターラを、ヒラニヤ・ガルバの中に秘めてますですぅ」

「アヴァターラっていうと……あなたのルドラとか、昨日のヤツのムンダマーラーみたいなヤツのこと?」

「はいです、お姉さま♪ もっとも、ローカパーラの操るアヴァターラの力は、ムンダマーラーみたいな大量粗悪品とは比べ物になりませんけど。多分……本気で殺り合ったら、一分足らずで百回は殺せると思いますです。はい♪」

 あのな……そんな途轍もなく物騒な話を、この上なく朗らかに話すのは、頼むからやめてくれ。

 あぁ……。胃に穴が開きそう。

 で――――。
 その後も更に続いたガウリーの説明によって、そのローカパーラとか呼ばれる幹部連中の名前と、保有するアヴァターラの名前が、以下のようなものであることが判明した。

 火(アナラ)の幻術師、アグニ。
 操るアヴァターラは、ブーテーシュバラ(悪魔の王)

 水(アーパス)の幻術師、ヴァルナ。
 操るアヴァターラは、バイラヴァ(畏怖神)

 風(アニラ)の幻術師、ヴァーユ。
 操るアヴァターラは、シャルベーシャ(有翼の獅子)

 地(ダラ)の幻術師、シャマナ。
 操るアヴァターラは、マハーカーラ(大いなる死)

 月(ソーマ)の幻術師、ニシャーカラ。
 操るアヴァターラは、シャンカラ(恩恵を授ける者)

 暁(プラバーサ)の幻術師、プランダラ。
 操るアヴァターラは、パシュパティ(獣の王)

 光(プラティユーシャ)の幻術師、アルハパティ。
 操るアヴァターラは、トリローチャナ(三眼を持つ者)

 北極星(ドルヴァ)の幻術師、クベーラ。
 操るアヴァターラは、ナタラージャ(舞踊王)

 ……ガウリーの言葉を信じるなら、この内の二人――――風と地の幻術師が、既に冬木の町にいるのだという。

 まぁ、カテゴリーとしては判りやすいのが、唯一の救いだ。物騒なのは変わらないんだろうけど。

「遠坂……。そいつら、来ると思うか?」

「来るでしょうね。かなりの高確率で。下っ端がやられたら、次はその上が来る。ヒーロー物に出てくる悪役のきまりごとよ」

 やっぱ、そうか。

「大丈夫です、お姉さま。あたしとルドラは最強なんですから、ローカパーラの一人や二人、まとめて攻めてきたところで、ちょちょいのちょーいでぎったぎたのぼっこぼこですぅ♪」

 まるで凹凸のないつるぺたな胸を、えっへんとばかりに反らして見せるロリ悪魔。

 ンなわけ、ねぇだろ。ばか。

「……おまえ、よくそんな事が言えるな?」

「む? 何よぉ。あたしの言葉が信じられないってゆーの?」

「当たり前だろ、バカ。おまえ、さっき自分で言ってたじゃないか。ローカパーラの実力は、昨日の男よりも上だって。昨日の戦いぶりを、よく思い出してみろ。俺が投影した武器を渡さなきゃ、あのルドラってヤツ、一方的にやられてるだけだったじゃないか」

「あ、あれは……今のルドラには、封印がされてるから……。でもでも、封印さえ解ければルドラは最強だもん! 敵なしだもん! ウソじゃないもん!」

「あっそ。んじゃ、百歩譲っておまえの言う通り、封印なしのルドラは最強だって仮定しておこうか」

「譲らなくても、ホントだもんっ!!」

「はいはい。……で? その封印は、今すぐにでも解けるようなものなのか?」

「あんた、バカ? あの封印はね、ガナデヴァタの最高指導者アカーシャが、全精力を傾けて施したシロモノなのよ? そんな簡単に解呪できるわけないじゃない」

「バカはおまえだ! ルドラの力ってやつがなんぼのもんか知らないが、封印が解呪できない以上、昨日と同レベルの戦闘力しか発揮できないってことじゃないか! この期に及んで、確率がゼロに等しい希望的観測を偉そうに口にするなんて、どういう神経してるんだ? 現実を見ろ、現実を!」

 隣では、遠坂のやつも「うんうん」とばかりに頷いている。

 そんな、あこがれの『お姉さま』の態度がよっぽどショックだったのか、漫画チックな「ガ・ガーーーーン!」ってギザギザ文字を背後にしょったような表情で、ガックリと肩を落とすガウリー。

 これに懲りて、ちょっとは控えめな言動になってくれれば万々歳なんだが……。

「うぅ……。グレてやる……」

 どうやら、その見込みは薄そうだった。

     ◇

 その後のことについては、正直あまり思い出したくない。

 朝食作りを手伝いに来てくれた桜や、エサをたかりに来た藤ねえ達に、めちゃめちゃに破壊された居間や台所、吹き抜け状態になった天井など、昨日の惨状跡を見られて大騒ぎになったり、遠坂が昨夜うちに泊まったことがバレて桜にジト目で睨まれたり、不貞寝してたはずのガウリーがのこのこやってきて、「幼児拉致監禁」の疑いをかけられた挙句、藤ねえに教育的指導をされそうになったりと、とにかく朝っぱらから大騒動の連続だったのだ。

 それでも、桜と藤ねえの二人を不承不承ながらも説得できたのは、遠坂の政治的手腕――――もとい、舌先三寸のおかげと言えよう。

 さすがはエセ神父・言峰と、兄妹弟子だっただけのことはある。

 ……なんてことを言うと、ほぼ確実に怒るだろうから、本人には口が裂けても言えないけどな。

     ◇

――――で。

 時間は速やかに流れて放課後。

 まっすぐ帰宅した俺は、今日は体調不良って名目で学校を休んでた遠坂と、おあずけをくらった子犬のような顔つきで、本人曰く『お姉さまの看病』とやらをしていたガウリーをつれて、新都行きのバスに乗った。

 行き先は、冬木総合医療センター。

 何のためかというと、そこに入院している一人の男に、ちょっとした話を訊かせてもらうためだ。

 間桐慎二。

 俺の友人であり、桜の兄貴でもある男。
 そして、聖杯戦争の折には敵として相対し、一時的とは言え、聖杯に取り込まれた男でもある。

 俺達が慎二に訊きたいことというのは、他でもない。その聖杯についてだ。

 より正確には、聖杯の中身――――無色の力であるはずのソレを汚染していたという、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』と呼ばれる呪いについてである。

「なぁ、遠坂……。やっぱり、考え過ぎなんじゃないか? 俺には到底ガナデヴァタと、聖杯を汚染してたっていう呪いとは、何の関係もないとしか思えないんだけど」

 俺はちょっと首を傾げながら、隣に座っている遠坂に、そう話しかけた。

 乗客の数は多からず少なからずといったところだが、俺達が座っている一番後ろの大きな席の周囲には、幸い人がいない。それに、バスの走行音もあるため、普通の声でしゃべっても、聞かれる心配はないだろう。

 ちなみにガウリーのやつはというと、遠坂を挟んだ向こう側で、小さな子供がよくやるように、両膝を座席の上につき、窓にべったりと張りつくような格好で、後方に流れ行く景色を、物珍しそうに眺めている。

「ん……。わたしも、そう思わないわけじゃないんだけど……それでもやっぱり、気になるのよ」

 苦笑しながら、小さく肩をすくめる遠坂。

「ガナデヴァタって名前が、本来どういうものかは士郎も知ってるわよね?」

「まぁな……。アレだろ? ヒンドゥー教の三大主神のひとつ、破壊神・シヴァが戦争する際、必ず従う神々の群れのことだろ?」

「えぇ、そう。そして、破壊神・シヴァも、その妻である殺戮の女神・カーリーも、いわゆる『デーヴァ』と呼ばれる神々の一族よね。そして、それに敵対する……いわゆる悪神が、『アスラ』と呼ばれる神々。でも、この善・悪のカテゴリーがペルシャのゾロアスター教になると、途端に反転するのは知ってる? 『アスラ』神族は、この世全ての善を象徴する光明神『アフラ・マツダ』率いる光の軍勢として崇められ、反対に『デーヴァ』神族は、『ダエワ』と呼ばれる魔族として恐れられることになる。そして、この魔族達を率いるのが……」

「この世全ての悪を象徴する暗黒神『アンリ・マユ』か……。でもさ、本当に連中が、聖杯を汚染してた『アンリ・マユ』と関係があるなら、どうして聖杯戦争の時に姿を見せなかったんだ? わざわざ終わって……しかも、三ヶ月近く経ってから動き出すなんて、変じゃないか」

「あ、なーるほど」

 と言ったのは遠坂ではなく、いつの間にかこっちの話を聞いていたガウリーだった。

「ふぅ〜ん。あの頃、やたらとバタバタしてたのは、そういう事情があったからなんだ? 納得、納得」

 ……いや。俺達には、ちぃーとも話が見えんのだが?

「何か、知ってるの? ガウリー」

 質問するのは、もちろん遠坂の役目だ。
 俺が訊いたところで、イヤミと悪口雑言の十字砲火を浴びるだけだし。

「え〜〜っとですね。今までの三ヶ月間、ガナデヴァタは動かなかったんじゃなくて、動けなかったんだと思いますです。はい♪ なにしろ丁度その頃はぁ、組織崩壊の危機に陥ってと思いますからぁ」

「「…………………………………………………はい?」」

 いきなりのトンデモ発言に、俺と遠坂の声が思わずハモる。

「どういうことなの、ガウリー?」

「実はですねぇ、あたしが脱走騒ぎ起こしたのは、今回が初めてじゃなくて……三ヶ月前にも、一度やってるんですよぉ♪ あの頃、何か大事なことを控えてるとかでぇ、色々とばたばたしてたみたいなんですぅ。だから、この隙に逃げちゃえって思って……。てへ♪」

 って、軽いな、おい!?

 だいいち、コイツが一人逃げ出した程度で、組織瓦解の危機ってのは、激しく納得いかないぞ?

「それでですね? その時『裏切りは許さ〜〜ん!』って感じで追ってきたのが、当時の世界守護神(ローカパーラ)達だったんですぅ。アイツら、卑怯なんですよぉ? あたしみたいなか弱い女の子に、八人がかりで襲ってきたんですから。お姉さまも、ヒドイって思いますよねぇ?」

 いや、待て……。

 問題とする点が、微妙におかしな方向に違うだろう!?
 そもそも、そんな立場に陥っておきながら、今現在、俺達の目の前でのうのうとしているアナタは、ナニサマですか?

「あーー……ひどいかどうかはともかく。要するに、ガウリー。結局八人がかりじゃ勝てなくて、掴まったってこと?」

「まっさかぁ♪ 今朝、ちゃんと言ったじゃないですかぁ。あたしとルドラは素敵に無敵だって。ローカパーラ程度なら、八人がかりでも負けたりなんかしませんよぉ。あの時の戦闘でぇ、少なくともプランダラとアグニ、ヴァルナの三人はあの世に送ってやりましたしぃ、残りの五人も、ぼっこぼこのぎったぎたに、返り討ちにしてやりましたぁ♪ でも、結局そこで力尽きちゃって、掴まっちゃって、おかしな封印されちゃいましたけどぉ……。でもでも、ガウリーはそんなことでメゲたりなんかしませんでしたです、はい。おとなしくなったフリをしてぇ、今回まんまと逃げ出しちゃいましたからぁ、今頃きっと悔しがってますぅ♪ ざまぁ、かんかんですぅ♪」

 さらっと言うな、さらっと。なんか、怖いから。

「ですからぁ、欠けたローカパーラの穴を埋めたりぃ、傷を癒やすのに、今まで動けなかったんだと思いますです。はい」

 「「…………………………………………………」」

 俺も遠坂も、もはや言うべき言葉が見つからなかった。

 ガウリーは多分、本当のことを言っている。

 魔術師の勘とでも言えばいいのか、根拠はないのだが、なぜかそのことは確信を持って信じることができた。

 こいつ……言動も魔術も非常識なヤツだとは思っていたが、ここまで非常識を極めた非常識の達人だとは、思わなかったぞ。

 ちよっぴり気分がブルーになったところで聞き慣れたアナウンスが、次は新都駅前だと告げていた。

     ◇

 目的地に到着したのは、午後六時を少し過ぎた頃だった。

 既に町には薄い闇の帳が降りており、病院内もどこか閑散としている。

 ガウリーの話を聞いたことで、遠坂の懸念が懸念でない可能性が出てきたせいかもしれない。
 慎二が入っている部屋を受付で確認した俺達は、やや足早に白い廊下を歩いていた。

 十年前のこともあって、どうも病院は苦手だ。

 無機質な光に照らされる白い天井も、白い壁も――――

 病院特有の、微かに漂う消毒液のにおいも――――

 時おりすれ違う医師や看護婦さん達の、白い影法師のような姿も――――

 俺の胸の奥に巣食う、鬱屈した暗い何かを刺激せずにはおかない。

 やがて。

 目指す部屋が見えてきた――――と思ったら、その部屋から誰かが出てきた。

 老人である。

 こんなことを思うのは失礼かもしれないが……なんとも不気味な老人だった。

 浅黒い肌をした、猿か何かのミイラのようだ。

 そのくせ、シワの中に埋もれているような窪んだ眼窩の奥には、異様なまでにぎらぎらと生気を孕んだ眼差しが、炯々とした鋭い光を宿している。

 身長は小学生並みに低く、杖をついてはいるものの、足取りはしっかりとしている。

 すぐ隣を歩いていた遠坂が、ハッと息を呑むのと、老人が俺達の姿を認め、小さく「ほほぅ」とつぶやくのが、ほとんど同時だった。

「これはこれは……珍しい所で会うものじゃな」

 ごぼごぼと水が泡立つような老人の言葉に、

「……お久しぶりです」

 硬い表情で、遠坂は軽く会釈した。

 遠坂と、この不気味な老人が知り合いだということにはちょっと驚いた。

「知り合いなのか、遠坂?」

「慎二のお祖父さんよ」

 なるほど。

 そう言えば慎二の家は、魔術師の家系だとか言ってたっけ。だったら、冬木の管理者である遠坂と知り合いなのは当然だ。

「それで、遠坂の当主がこのような場所に、何の用かの?」

「慎二……くんの、お見舞いです。隣の彼は、衛宮士郎くん。桜さんから名前ぐらいは、聞いたことがあると思いますけど」

「ふむ……。なるほどのう。おまえさんが、衛宮士郎か。話はかねがね、孫達から聞いておるよ。色々と世話になっておるようじゃな。感謝しておるよ」

「あ、いえ。俺の方こそ、桜には色々と世話になりっぱなしで……。っと、衛宮士郎です。はじめまして」

 なんというか、緊張してしまう。
 考えてみれば、桜や慎二の家族に会うのは、これが初めてだ。

「ふぉっふぉ……。なかなか礼儀正しい少年のようじゃな。……では、こちらも自己紹介しておこう。儂の名は、間桐臓硯。慎二と桜の祖父じゃよ。よろしくな」

「はい。よ、よろしく……」

 ぺこりと頭を下げたところで、また病室の扉が開いた。

「あ、先輩!? それに……遠坂先輩?」

 桜だった。

 どうやら、桜も慎二のお見舞いに来ていたらしい。

「桜や。どうやら、慎二のお見舞いに来てくださったらしい。お礼を言っておきなさい」

「あ、はい。お爺様……。先輩も遠坂先輩も、ありがとうございます。兄も喜びます」

 そう言って微笑む桜の表情は、どこか……何かが、微妙にいつもと違っているような気がした。

 なんというか、こう……不安そうな、何かに怯えているような……。

 と、そのとき。

――――――――――――――――――――!?

 背中を氷柱に貫かれたような凄まじい悪寒を感じて、俺と遠坂、ガウリーは一斉に背後を振り返った。

――――なんだ!?

 意識するよりも早く、肉体の方が勝手に臨戦態勢を整えていくのがわかる。

――――白い廊下には、何の変化もない。

 遠坂が左腕の裾をまくり、魔術刻印を露わにするのが雰囲気でわかった。

――――なのに、なんで?

 背後から、間桐老人が「ほう?」とつぶやく声が聞こえる。

――――前方から近づいてくる、あの二人

 桜の怯える心が伝わってくる。

――――なぜあの二つの人影を中心に、世界が歪んでゆくように見える?

 ガウリーの体内で、大量のオドが渦巻くのが感じられる。

――――照明の明るさに何の変化もないのに

 額に汗が滲む。

――――どうして周囲の光が、色褪せてゆくように感じられる?

 脳裏に浮かぶスクリーンに、ズラリと並んだスイッチが次々と入っていくイメージ。

――――知っている。

 いつの間にか無意識の内に、左手に干将、右手に莫耶を投影していた。

――――この虚ろな感覚には、覚えがある!

 二つの人影の足が止まった。

 距離は、およそ五メートル。

 一人は長身痩躯の、二十代半ばと思しい青年。
 人を小馬鹿にしたような、ニヤニヤ笑いを浮かべている。

 もう一人は、単身矮躯の老人。
 廊下に触れそうなほど長く伸ばした白い髭が、ゆらゆらと揺れている。

 まるで正反対の外見を持っているにもかかわらず、二人の雰囲気は恐ろしいほど酷似していた。

 それは即ち、虚無。
 触れるモノ全てを無へと帰せしめる無形の凶器。

 それは即ち、死。
 何者も逃がすことなく喰らい、咀嚼する狂気。

「シャマナ……。それに、ヴァーユ……」

 ガウリーが、その名を口にする。

 ガナデヴァタの幹部、世界守護神(ローカパーラ)と呼ばれる魔人達の名を。


               ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

 お久しぶりの、こんにちは。ぱばーぬです。

 Fate / Calamity Knight の第三話(Interludeも入れると、六話目になりますが)、Dark Madonnaをお届けします。

 いや、今回はつらかった。
 何がつらかったって、予告で「桜と臓硯を出します」なんて言っといて、なかなか話がそこまで進まないのが、一番参りました。

 でもまぁ、最後の方でちょろっとではありますが、何とか出てくれたので、よかった、よかった。

 今回のメインは、敵さんの使う魔術の説明と、オリジナル・キャラであるガウリーちゃんの、はっちゃけぶりですね。

 最初は士郎になつかせようと思ってたんですが、私は根がひねくれているもので、「それじゃあ他の人たちのSSと、あんまり変わらないな〜」と考えた末、あーゆーことになりました。

 しかし今回、まったくバトル・シーンがなかったなぁ。

 けれど、次回はちゃんとあるはずっス。

 残りの幹部連中も徐々に姿を現し、ガウリーのルドラ+士郎の投影武器+凛の戦闘指揮相手に、またまた大怪獣決戦状態となることでしょう。

 ちなみに、作中に登場する固有名詞は、詳しい方ならご存知でしょうが、ヒンドゥー教から取ったものではありますが、作者の勝手な都合により、オリジナルのものとは容姿も持ってる力も、ぜーんぜん別のものになってる可能性がありますので、良い子は信じちゃダメだぞ?

 敵さんの使用する魔術についても、作者のご都合主義が多分に含有されておりますので、どうか笑って見逃していただけると幸いです。

 それでは、また。

7: ぱばーぬ (2004/04/19 03:22:10)[nawate at graces.dricas.com]

  第一の災いが過ぎ去った。
  見よ、この後
  更に二つの災いがやって来る―――――
        「ヨハネの黙示録」




Fate / Calamity Knight


 ACT.4 Avatara

     ◇

 まずい――――。
 何がまずいって、ここが戦場になるのが、まずい。

 後ろには桜と、桜のお祖父さんがいる。
 その向こうの病室には、慎二がいる。
 他にも、入院してる人達が大勢いるはずなのだ。

 だっていうのに、ここで昨夜みたいな戦いが始まったら……どれだけの被害が出るか、考えただけでも背筋が冷たくなる。

 この場合、『魔術師は魔術の存在を一般の目からは秘さねばならない』なんて約束事を、向こうが守ってくれるなんて期待は抱けない。
 当たり前だ。そもそも、そんなことを気にするような連中だったら、病院にまで攻め込んできやしないだろう。そんなのは初めから、論外の問題外だ。

 ちっくしょう……。またか? またなのか?
 昨夜と同じ過ちを、また俺は繰り返してしまったのか!?

 自分の馬鹿さ加減、マヌケさ加減に、頭の中が真っ白になりそうな怒りがこみ上げてくる。
 昨夜、遠坂が巻き込まれたばかりだというのに……あの時、ガナデヴァタの追撃があることを予想して然るべきだったと後悔したというのに……なのに、今日また同じ過ちを繰り返して! 今度は桜と慎二、そして二人のお祖父さんだと!?

 ふざけるにも程がある。昨日の教訓が、全く生かされていないじゃないか! 反省というものを知らないのか。俺というヤツは!!

「士郎、少し落ち着きなさい。気持ちはわかるけど、今は焦っちゃダメよ」

 度重なる己が失態に歯噛みする俺を見かねたのか、遠坂がそっと囁きかけてきたが、それで俺の気持ちが収まるわけもない。

「けど、遠坂……」

「後悔も反省も、後になさい。この場を生きて潜り抜けてからね。死んでしまったら、悔やむ事も償うこともできないのよ? そして……アイツらは、冷静さを欠いた状態で勝てるほど生易しい連中じゃない……。その事は、骨身に染みて知ってるでしょう?」

 わかってる。
 理屈では、頭では遠坂の言い分が正しいのだと理解している。

 それでも、これが俺のミスであることに変わりはない。
 それも、自分自身の存在意義に泥を塗るような最低最悪の愚行。

 誰かを救いたい――――

 誰かを守りたい――――

 例え全てを救うのが不可能なのだとしても、せめて自分の手の届く範囲……自分の目の届く範囲にいる人達だけでも、笑顔でいてほしい――――

 それこそが、衛宮士郎の願いであり、存在意義であり、生きている証。

 だというのに、昨日から周囲にいる人達ことごとくを災禍に巻き込んでいる。
 最低だ。

――――と。

 そっと、片腕を掴まれた。

 遠坂だ。

 優しくも柔らかな感触とともに、その接点から何かが伝わってくる。

 水面に投げ込まれた小石が波紋を描くように、たちまち俺の全身へと伝播してゆく、清冽な流水のごとき遠坂の力……思い。

 言葉が伝わってきたわけじゃない。

 けれど言葉以上に確かに、遠坂の気持ちが、決意が、そこから染み渡ってくるような気がした。

 それは。

 俺は一人ではないのだと告げていた――――

 何でもかんでも一人で背負い込むなと告げていた――――

 俺の抱える喜びも、悲しみも、怒りも、恐怖も、絶望も、希望も、悔恨も、二人で感じるべきものなのだと告げていた――――

 俺が、俺の望む衛宮士郎として生きていくためには、それは決して忘れてはならないことなのだと告げていた。――――

「………………そう……だな」

 ちょっとだけ頭が冷えた。

 ほんと、どうかしてた。
 連中がどんなに恐ろしいヤツらかは、連中の攻撃を文字通り叩き込まれた俺が一番よく知っているはずじゃないか。

 確かに、遠坂の言う通りだ。
 これ以上後悔したくないなら、自分で自分を呪いたくないなら、今は……今この時だけは、冷静に対処しなくちゃならない。

 どうしてあの時、ああしなかったんだ……こうすればよかったんじゃないか……そんな泣き言を、今この場で口にして何になる?
 過ぎ去った時間は、戻りはしない。
 既に起こってしまったことを、なかったことになんてできない。

 俺に今できるのは……俺が今しなくちゃならないのは……悔やむことじゃない。

 桜達を、他の関係ない人達を、守り抜くことだけ。

 今は、それだけを考えなくちゃならない。

 そう心を切り替え、改めて正面に立つ二つの人影を睨みつけた。

 地(ダラ)の幻術師、シャマナ。

 風(アニラ)の幻術師、ヴァーユ。

 世界守護神(ローカパーラ)と呼ばれる地位に在る、暗殺魔術結社ガナデヴァタの幹部達。

 こうやって対峙してみると、昨日の男を『咬ませ犬程度』だと評したガウリーの言葉が、単なる意味だけではなく実感として感じられる。

 目の前に立っているという、ただそれだけで伝わってくる、サーヴァントとは別種の……それでいて匹敵する、この威圧感。
 心臓を鷲づかみにされるような……全身の細胞一つ一つが恐怖に硬直し、そのまま壊死してしまいそうな、この圧倒的なまでの存在感。

 確かに、こいつらは昨日の男の比じゃない。人間の枠を超えているとしか思えない。
 文字通りのバケモノだ。

 だけど――――。

「なんなのかしらね……。仕事熱心なのはいいけど、どうやってここまで正確に、あたしの居場所をトレースしてるわけ? あたしの背中から、目に見えない糸でも伸びてて、あんた達のところにでも、つながってるわけ?」

 だったら、そんなバケモノ相手に恐れ気もなく前に出て、こんなセリフが平然と出てくるアイツは何なんだ?

「くっく……。口が悪いのは相変わらずだな、ガウリー?」

 応えたのは、長身の男の方だった。
 死魚の目を連想させるような、どろりと濁ったその眼差しは、悪意という名の毒をたっぷりとまぶしながら、ガウリーの顔にひたと据えられている。

「それに、いささか自意識過剰なところも変わっていない。オレ達が今日ここに来たのは、おまえを追って来たわけじゃないんだよ。……封印の成されているおまえは、脅威となり得ないということなんだろうな。おまえの追跡は他の下っ端に任せておいて、オレ達は本来の命を果たせとの、アカーシャ様のお言葉だ」

 ……どういうことだ?
 あいつらがここに来たのは、俺達を――――ガウリーを捕まえるためじゃないってことなのか?

「本来の命……? それってまさか、『闇の聖母』の降臨!?」

「正確には、聖母の器の確保だな。おまえが適合していれば、何も問題はなかったんだろうが……残念ながらおまえは、『黒い太陽』となるにはいささか闇が薄すぎる」

 血に濡れた三日月のような、亀裂のごとき笑みを口元に浮かべながら、男が『知っているだろう?』と、囁く。

「怒り……悲しみ……恐怖……憎悪……絶望……嫉妬……諦念……恨み……呪い……ありとあらゆる人間の精神が持つ魂の暗黒面。そして、そこから派生する闇の衝動……。その全てを受け止め、受け入れ、自らの心に同化させながら、なおかつそれらを制御・統括し支配下に置く。それこそが、『闇の聖母』の器としての最低条件。おまえは精神的な強靭さという点では文句のつけようもないほどの逸材だったが……結局、その心が闇に満たされることはなかった……」

「あったり前でしょ。泣いて悔やんで落ち込んで、めそめそうじうじしてるなんて、あたしの柄じゃないのよ。悪いけど、そんな暗い趣味は持っていないの。名は体を表わすって言うでしょ?」

 肩にかかる髪を片手で払いながら、ふんとばかりに鼻を鳴らすガウリー。

「なるほど……。それもそうかもしれないな、輝く女神(ガウリー)よ。つまりおまえは、生まれた瞬間からその在り方が間違った存在だったというわけだ」

「ムカつくわねぇ、その言い方」

 ガウリーとローカパーラ。
 双方の放つ殺気が、ほとんど物理的なプレッシャーをともなって世界を満たす。

 周囲の空間が、まるで帯電しているかのようにピリピリと肌を刺激し、手ごたえさえ感じさせそうなぐらいに密度を増した魔力混じりの大気は、呼吸のたびに喉と肺に痛みを走らせる。

 白い壁が、天井が、廊下が、不可視の力にむりやり歪められ、さっきから断続的にミシミシと悲鳴を上げている。

 まさに一触即発。

 ほんのちょっとのきっかけさえあれば、両者はたちまち牙を剥き、ここは凄惨な修羅場と化すだろう。

 と、その時。

――――カツン!

 互いに絡み合い、どこまでも高まってゆくボルテージのベクトルを反らすように、冷たい音がその場に響き渡った。

 ハッとして、その場にいた誰もが、その音の発生源に目を向ける。

 桜の祖父――――間桐臓硯老人が、皆の視線の先に立っていた。

「ひとつ、訊いてもよいかな、若いの?」

 俺達との会話では決して聞くことのなかった、どこかゾッとするような響きを帯びた声で、老人が尋ねる。

「オレの名はシャマナだよ、老魔術師殿。で、こっちの相棒の爺さんはヴァーユ。ガナデヴァタのローカパーラと言えば、わかるかい?」

「別に、自己紹介を聞きたいわけではない。が、そちらが名乗るのであれば、こちらも名乗るのが礼儀と言えような……。儂の名は、間桐臓硯。かつて『マキリ』と呼ばれた一族の裔と言えば、理解いただけるかな?」

――――――――!!

 驚いた。
 この冬木の町で、二百年に渡って続けられてきた聖杯戦争。
 そのシステムを構築した、三つの魔術師の家系――――アインツベルン、トオサカ、マキリ……。
 慎二達の家が、古い魔術師の家系だってことは知ってたが、それがまさか、あの『マキリ』の家系だとは思いもしなかった。

「無論、初めから承知しているさ、マキリの老魔術師殿。器を確保するためには、あんたの排除が不可欠なんだからな。おとなしく手放すつもりは、ないんだろう?」

「……やはり、桜か。ならば、儂も黙って傍観者に徹するわけにはいかぬのう」

 ……待て。
 ちょっと待ってくれ!

 今、何を言った?

 いや、違う。
 俺の耳は、今、何を聞いた?

 桜?

 どうしてここで、桜の名前が出てくる?

 だって、桜は……魔術とは何の関係もない、ごく普通の女の子じゃないか。
 家が魔術師の家系だと言っても、その血を引いていると言っても、間桐の血筋からは、とっくに魔術回路はなくなっていて……それに、そうだ。魔術師は自らの後継ぎに選んだ、ただ一人だけに魔術を教えるって……だから……慎二だって言ってた!

 桜は魔術とは何の関係もないって!

 だから、聖杯戦争の時にも参加しなかったんだって――――なのに!

 どういうことなんだよ!?

 半ば反射的に桜へと視線を向けると、何かに耐えるように俯き、肩を震わせている姿が目に入った。

 伝わる哀しみの気配が告げている。

 俺は、桜のことを何も知らなかったのだと……。

「おやおや。見たところ、そっちの少年は何も事情を知らないらしい」

 何かを面白がっているような、悪意だけでつむがれたがごとき、反吐の出そうな男の言葉。

 やめろ……。
 その、胸くそ悪くなるようなニヤニヤ笑いを、今すぐやめやがれ!

「――――教えてあげよう」

「やめてええぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」

 重なる、男の囁きと桜の悲鳴。

 同時に、桜から男に向かって放たれる、黒い何かの影のようなモノ。

 それは、慌てて飛び退る俺のすぐ脇を掠めるようにして伸び、傲然と薄ら笑いを浮かべて立つ男――――シャマナに襲い掛かった。

 けれど。

「あっ――――ぐうっ!?」

 まるで、頭上から目に見えない手ではたかれたような勢いで、桜の華奢な体が廊下に叩きつけられる。

 そのまま気絶でもしてしまったのか、グッタリと力なくうつ伏せとなり、ピクリとも動かなくなってしまった桜の姿を見て、俺の中で何かが音を立ててブチ切れた。

 これまで感じたことのない凄まじい怒りで、視界が真っ赤に染まる。

 ゆっくりと振り返り、

「桜に……何をした?」

 自分でも意外なぐらい静かな声で、シャマナに声をかけた。

 叫んだり、怒鳴ったり。
 そんな威嚇行為をしようという気も起きない。

 きっと今の俺の顔はデスマスクのように凍りつき、何の表情も浮かべてはいないだろう。
 あまりにも度を越えた怒りのあまり、神経が半ば麻痺しているのだ。

「くっく…………。怖い顔をするなよ、少年。そもそも、先の件でオレを責めるのは筋違いだぞ? 問答無用で攻撃を仕掛けてきたのは、そちらのお嬢さんだ。それがそういう状態になったのは、単なるリバウンドに過ぎない」

「リバウンドだと?」

「そうとも。知らないようだから、教えてやろう。ガナデヴァタでもオレ達クラスになるとな、自分の周囲――――そうだな。個人差はあるが、オレの場合だと体の中心から半径二メートルほどの球体を形作るようにして、それぞれ自分に合ったカテゴリーに属する防御結界を常時展開しているんだよ。我々はソレを『神の卵の殻(アンダラー・カターハ)』と呼んでいるがね」

 と、そこまで説明したところで、シャマナの目が不審そうに脇に逸れた。

 そこで、ようやく俺も気づいた。

 いつの間にか周囲の壁に、天井に、廊下のあちらこちらに、不気味な黒い染みのようなものがジワジワと広がりつつあることに。

 高熱に煮え、泡立つ汚猥な泥のように、ジュクジュクと気味の悪い音を立てながら、まるで意志あるもののように蠢き、広がってゆくソレの正体は――――蟲だった。

 何百、何千とも知れぬヒルにも似た黒い蟲の大群が、いずこからか現れ、白い壁を、天井を、廊下を、黒く塗りつぶしてゆく。
 それは、筆舌に尽くし難いほどに不気味で、おぞましく、本能的な忌避感と嫌悪感を催さずにはおかない、悪夢じみた光景だった。

――――ビチビチビチビチ!

 油が弾けるような音……いや。鳴き声を上げて、黒い絨毯のごとき汚濁の領土から、幾十匹かの蟲達が、二人の幻術師目がけて襲い掛かる。

 けれど。

――――ビヂャッ! ビヂッ! ビヂャッヂャッ!!

 シャマナに襲い掛かった蟲達のことごとくは、おそらくはヤツの言う防御結界に突入した時点で、いきなり攻撃の軌跡が一斉に垂直方向へと捻じ曲がり、ヤツの足元に叩きつけられ、原形も留めぬまでに潰れ、今度こそ本当の染みへと変えられた。

 通用しないという点では、ヴァーユに襲い掛かった蟲達もまた同様。

――――バチュッ! ビチッ! ヂパパッ!!

 こちらは防御結界に触れた時点で、まるで内側から爆発したかのように四散し、空中に黒い飛沫を次々と生み出している。

「なるほどのう……。若いの、おまえさんが展開しているという防御結界……どうやら、外敵に働く重力を自動的に倍化させる性質があるようじゃな? そして、そちらの老人……おそらくは風の幻術師じゃろうな。どうやらそちらは、外敵の周囲の気圧をゼロにしてしまうらしい……。ゆえに相手は、自らの内圧によって内側から破裂してしまうという寸法か……」

 感心したようなつぶやきは、臓硯老人のもの。

 つまり、この蟲は……あの老人が操っているものなんだろう。
 桜や慎二の祖父とは言え……やっぱり、あまり仲良くする気にはなれない。

「ご名答……。一瞬で原理を看破するとは、腐ってもマキリの魔術師ということか。大したもんだよ、蟲使い殿。……だが、さっきのお嬢さんの攻撃と言い、今のあんたの攻撃と言い、どうやらマキリの魔術特性は『簒奪』といったところか? 悪いことは言わないから、やめときな。オレ達幻術師の使うマーヤーとは、ハッキリ言って相性が悪すぎる」

 嘲笑うかのごとき言葉は、おそらく真実。

 もし、マキリの魔術がヤツの言う通り簒奪の特性を持つ魔術なのだとしたら……連中の防御結界を組み立てている情報――――触れたモノ全ての存在状態を強制的に書き換えてしまう、言わばコンピューター・ウィルスにも似たソレを、自らの内に取り込む事に他ならないのだから。
 つまり、敵に向けて放たれる攻撃は、そのまま敵の攻撃を無防備に呼び込むことと同意。

 確かに、相性が悪すぎる。

「ま、そういうわけなんでな、少年。むしろオレに感謝してもいいぐらいだと思うぞ? お嬢さんの攻撃が『簒奪』の特性持ちだってことに気づいて、慌てて威力を落としてやったから、あのお嬢さんは潰れ死にせずに済んだんだからな?」

「はん、バカらしい。別に親切心からやったことじゃないでしょうに。あんた達、あの人を器として確保するように命じられてたんでしょ? だったら、殺さないのが当然じゃないの。そんなことしたらあんた達の方が、アカーシャに殺されかねないもんね。それをぬけぬけと『感謝しろ』だなんて、図々しいにも程があるってもんよ。あんた、頭のネジが五、六本、抜けてんじゃないの?」

 まったくだ。
 いいぞ、ガウリー。もっと言ってやれ。俺が許す。

「ふむ……。確かに、その通りだな。しかし、ガウリー。その調子だと、おとなしくオレ達を通す気はないと判断していいのかな?」

「別にあたしは、あの人と何の関係もないし、生きようと死のうと気にならないけど……お姉さま、どうしましょ?」

「却下」

 当然のように断言する遠坂。

「あなたにとっては無関係かもしれないけど、わたしにとっても士郎にとっても、桜は大事な子なの。こんなところで、あんな怪しさ大爆発な連中の手に渡すなんて、冗談じゃないわ。交渉の余地なし!」

「らじゃー♪」

 びしっと、どこぞの兵隊みたいに敬礼して見せるガウリー。
 おまえ……どこでそんな、しょーもないこと覚えてくるんだよ。

 呆れてる俺をよそに、遠坂は臓硯老人に小声で話しかけていた。

「ここは、わたし達が引き受けます。桜をつれて逃げてください」

「ふむ……。どうやら、そちらはそちらで厄介な事に巻き込まれておるようじゃな、遠坂の若当主。……まぁ、今はその言葉に甘えておこうかの。確かにあやつの言う通り、マキリの魔術はいささか相性が悪い」

「そうして下さい。――――それと、士郎? 二人がある程度距離をとったら、固有結界を展開してほしいんだけど……できる?」

「つまり、あいつらが追っていけないよう、結界内に閉じ込めろってことか? 了解だ。けど、俺の固有結界じゃ、おそらくヤツらが展開する固有結界相手じゃ拮抗できないと思うぞ?」

「判ってるわ。だから、あいつらを一瞬でもこの現実世界から切り離せればいいの。おそらく士郎が固有結界を広げたら、あいつらも固有結界を発動させるだろうけど……今日、あなたが学校に行ってる間、ガウリーに色々と聞いたのよ。それによるとガナデヴァタが展開する固有結界は、『術者の五感が感知している世界』に働きかけるものらしいの。つまり……」

「なるほど。つまり、やつらが桜達の姿を視界から見失った状況で固有結界を展開したとしても、その結界に桜達が捕われることはないってことか?」

「そういうこと。でも、タイミングを間違えないでね? ハッキリ言うけど、これはかなり危険な賭けなの。あいつらが固有結界を展開すると同時に、士郎は結界を解除しなくちゃいけない。それが遅れてあなたの結界内で連中の固有結界の展開を許したら……力量の差から考えても、あなたの精神は完全に食い潰されるわ」

 ヘビーな話だ。

 でも、それ以外にこの場を切り抜ける方法がないなら、やるしかない。

「ゴメンね……」

「……なんで遠坂が謝るんだ?」

「だって……士郎の力になるために、わたしはここにいるはずにのに……それなのに結局、一番危険な役割を士郎に押しつけてる……。自分がこんなに無力だったなんて、今まで気づきもしなかった」

 ……何を言うかと思えば。

 苦笑せずにはいられない。
 遠坂は普段、俺のことを理不尽な理由でイジメてくれることが多々あるが、俺に対して負い目を感じる時も、どうやら理不尽な理由で落ち込むらしい。

 そう考えると、妙におかしかったのだ。

「な、なによう。何で笑ってるのよ」

「いや……。今、遠坂がめちゃめちゃ可愛く見えたもんだから」

「――――!?」

 うわぁ。遠坂が真っ赤になってる。
 う〜〜ん。普段もこんなだと、嬉しいんだけどな。

「もしもぉ〜〜し! こんな状況で何をなごんでるのかな、お二人さん?」

 イヤミのスパイスをたっぷりと塗したセリフを投げかけてきたのは、もちろんガウリーだった。

 正面にローカパーラ二人がいるせいか、こちらに振り向くことこそしなかったものの、その小さな背中は今にも噛みつきそうな怒りと嫉妬に燃え上がっているようだ。
 主に、俺に対して。

「あ、ごめんなさい、ガウリー」

「いえいえ、お姉さまはいいんですよぅ♪ ……悪いのは、無知で無教養で無謀で無礼で無節操な、どこぞの大ボケ男なんですから」

 えらい言われ様である。
 そこまで『無』を並べ立てなくたって、いいだろうに。

 けど、まぁ。

 確かに今は、ほんわかしてる場合じゃない。

 新たに気持ちを引き締め、体内の魔力回路に魔力を通し始め……ようと思ったら、

「八つ当たりみたいで悪いけど、このムシャクシャした気分、あんた達を叩きのめすことで晴らさせてもらうわよ? ――――オーム・メニ・パドメ・ウム!」

「「なっ!?」」

 止める間もあらばこそ。
 ガウリーのやつ、勝手に先走りやがった。

 金色に輝く魔眼。
 渦を巻くマナの嵐。

 そして、放たれる光に浸蝕され、見る見る内に分解・再構築される世界。

 ガウリーの固有結界『黄金の胎児(ヒラニヤ・ガルバ)』

 数多の墓標が立ち並ぶ幻想世界の創世者は、さらに招く。
 彼女にとっての守護神。

「ルドラーーーーーーーーーーーーッッ!!」

 轟音とともに地を割り、光芒を放ちながら姿を現す異形の巨神を。

 あの馬鹿!
 無謀で無節操なのはおまえの方じゃないか。

 あまりにもガウリーの至近距離にいたせいで、俺と遠坂はルドラが姿を現す際の激震と、隆起する大地が吹き上げる大量の土砂を避けるべく、慌てて距離を取らねばならなかった。文句の一つや二つ、出てこようというものだ。
 こんなところで生き埋めになるなんて、それこそ洒落にならない。

 それでも、置き土産のように昨夜と同じ斧剣をしっかり投影していくのだから、俺も大概お人よしだよなあ。

 まぁ、俺の投影は自分のすぐ近くにしか生み出すことができないのだから仕方がない。

 昨日、わざわざ固有結界を広げた上で斧剣を作り出したのは、離れた場所にいるアイツに投影した武器を持たせるためには、そうするしかなかったからだ。
 固有結界の内側は、俺の心象世界。ゆえに、結界内であるなら視線が届く限り、如何なる場所であろうと、瞬時に武器を生み出せるのだから。

 そして、昨夜とは更にグレードアップした、ガウリーとガナデヴァタの固有結界同士の浸蝕戦。
 いくら俺でも、この状況で固有結界を広げることがどういう結果を自身にもたらすか、想像がつこうというものだ。それは自殺行為以外の何ものでもない。

 ゆえに、ルドラのすぐ近くにいたのを不幸中の幸いとばかり、結界の展開を省いて投影だけを行ったわけである。

 逃げる途中で、やはりというか何というか、しっかりガウリーの固有結界に取り込まれてしまった、未だに気絶状態の桜を遠坂が、唖然と目を見張る臓硯老人を俺が、半ばかつぐようにして更に距離を取る。

 足を止めたのは、およそ百メートルぐらい巨神から離れた地点だった。

 これが安全な距離かどうかなんて、わからない。
 いや。おそらく、もっと距離を取らないとまずいだろう。

 そもそもルドラの大きさ自体が、ちょっとしたビルディング並みのサイズなのだ。目測でおよそ、四十メートルぐらいはあるんじゃないかと思う。
 加えて、例の危険極まりない攻撃だ。確か『貪る螺旋の王蛇(クンダリニー)』とか言ってたが……。

 ここでまたアレを使われたら、間違いなくあの時と同じ状況に晒される。

 最悪だ。

 舌打ちしたところで、今度は幻術師達の固有結界が展開。

 次いで響き渡る、おそらくは彼らにとってのアヴァターラの名。

「マハー・カーラ!」

 声は、シャマナと名乗ったあの男のもの。

 地の幻術師の足元に細波のような波紋が広がり、あっという間に大地が波打つ泥沼のようなものと化してゆく。
 そこからゴボゴボと浮き上がる不気味な巨影。

 全身から滝のように泥を流れ落としながら姿を現したソレは、漆黒のローブともマントともつかぬモノを身にまとい、手には巨大な鎌を持つ、髑髏の巨人――――まさに、死神そのものと言えるフォルムを有した、黒き凶神の禍々しき姿。

 そして。

「シャルベーシャ」

 初めて耳にする老幻術師・ヴァーユの声とともに立ち上る、巨大な竜巻。

 天と地をつないで身を捩る、渦巻く柱の中から姿を現すは、四枚の翼を羽ばたかせ雄叫びを上げる、獅子の姿を模倣したがごとき天翔ける獣神の威容。
 その周囲には、幾つかの小さな円錐形の物体が浮遊しているのが見て取れた。

 これが――――こいつらが、ローカパーラが有するアヴァターラ。

「まずいわよ、士郎」

「わかってる……。昨日のムンダマーラーとかいうヤツとは、何もかもが桁違いだ」

 そう。
 放たれる神気も――――

 見てるだけで魂が砕けてしまいそうな威圧感も――――

 強酸に晒されたような苦痛を感じさせる魔力の大きさも――――

 あらゆる点で、昨夜の獣神を凌駕している。

 しかもそれが、同時に二体。

 どう考えたって、こちらの分が悪すぎる。このままじゃ、昨夜の前半戦同様、なぶり殺しにされるのがオチだ。

――――オオオオオォォォォォォォンッ!!

 ビリビリと大気を揺るがす巨神の咆哮――――それが戦闘開始の合図。

 大地を滑るような動作で距離を詰める黒き凶神が、死神の巨鎌を振りかぶる。

――――フシュウウウウウゥゥゥゥゥゥッッ!!

 毒蛇の威嚇音にも似た声とともに襲い掛かる、閃光のごとき斬撃。

 巨神はそれを退くのではなく、むしろ一歩踏み込むことで敵の刃を無効化した。

 鎖を絡みつかせた、逞しい背を掠めるようにして空を裂く凶刃。
 節くれだった左の拳が、いびつに捩れた呪木のごとき巨鎌の柄を打ち、弾く。

 一瞬。
 自らの武器を弾かれ、凶神の胴体はがら空きとなった。

 そこを目がけて、目前の敵を両断せんと繰り出される、瀑布のごとき巨神の一撃。

 けれど、それは。

――――ズドドドドドドドドッッ!!

 魔力を孕んだ夥しい数の爆撃によって、その軌道をずらされた。

 ふいの攻撃にバランスを崩したか、泳ぐようにたたらを踏む巨神の斧剣を、スルリと流すようにかわした凶神は、そのまま濛々と立ち上る粉塵の中に沈むように隠れ、見えなくなる。

 その間にも休むことなく降り注ぐ、豪雨のごとき魔弾の襲撃。
 巨神の全身を覆い尽くすように展開されたソレは、弾けるとともに指向性を持った小型の竜巻と化して巨神の体に絡みつき、四肢の自由を奪おうとする。

 放つは、縦横無尽に天空を翔ける有翼の獣神。
 正確には、獣神にコントロールされているであろう、幾つもの円錐形をした浮遊砲台。

――――オオオオオオオォォォォォン!!

 怒りの雄叫びを放ち、両腕を振り回す巨神だが、それも無意味な事。
 いかに優れた戦士といえど、慣性の法則を無視しているとしか思えない軌跡を描きながら高速で飛行し、全方位から休みなく撃ち込まれる砲撃を、避ける術はない。

 位置を変え、角度を変えて襲い来る、無数に飛翔する破滅の牙は、獲物の体表を弾けさせ、肉を抉り、確実に巨神の肉体を削り取ってゆく。

 更には、爆撃の余波が生み出す粉塵のヴェールの影から、不意を打つように予期せぬ方角から繰り出される凶神の大鎌。

 死神の斬撃を避けようとするも、オールレンジから成される十字砲火に晒され、その一撃一撃が風神の枷と化し、肉体を拘束しようとするためか、ルドラの動きは鈍い。

――――ギシャッ!

 斧剣と死神の鎌がぶつかり――――そのまま、ナイフに裂かれるチーズのようにアッサリと両断される、巨神の斧剣!

 かわそうとするルドラ……が、避けきれない。

――――ズシュッ!

 左腕の一部が、ざくりと裂かれた――――だけでは、終わらなかった。

 受けた傷を起点として、巨神の腕そのものが、さながら水につけた砂糖菓子のようにぼろぼろと形を崩し、分解・消滅してゆく!

――――オオオオオオォォォォォォォンンッッ!!

 ルドラ本人の判断か、あるいは主人たるガウリーの命令かは知らず。
 巨神は残された右腕で自らの左腕を掴むや、その付け根から一気に己が腕を引き千切った。

 血の飛沫を撒き散らせながら投げ捨てられた左腕は、大地にたどり着くよりも早く、虚無へと還元されてゆく。
 自らが幻影であることを、ようやく思い出したかのように。

――――くそっ! そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱり一方的じゃないか!

 苛立たしさと己が無力感に歯噛みするも、打つべき手が見つからない。

 昨夜の戦闘時にも思ったことだが、これは人間ごときが介入できるものではないのだ。

 巨神達は、その手足を動かすだけでも膨大な魔力を干渉波として周囲に撒き散らす。
 それは、魔術師にとっても致命的だ。
 五感そのもの、感覚そのものを叩き崩すようなソレは、瞬時にして魔術回路を貫き、ズタズタに引き裂いてしまうだろう。

 現に、戦場から離れた位置にいる俺達にも、その影響は出ている。
 下腹部から突き上げるような嘔吐感に、頭蓋をギリギリと締め上げられているような頭痛。遠坂が左腕を押さえて苦鳴を漏らしているところを見ると、おそらく魔術刻印にも何らかの影響が出ているに違いない。

 昨夜の戦いでここまでの状態にならずに済んだのは、おそらく敵として戦った獣神の力が、ローカパーラ級の幻術師が操るアヴァターラに比べ、はるかに格が低かったからだろう。

「ちく……しょう……」

 喘ぐような息を漏らし、全身から冷たい汗を流しながら、目前の光景に悪態をつく。

 大空を飛翔する獣神――――シャルベーシャの波状攻撃は間断なく続き、直視するのも辛いぐらいに網膜を焼く。

 爆発の光芒の向こうに佇立する巨神の体は、すでに傷を受けていない場所を探すのが難しいぐらいだ。

 そして、常に自らの立ち位置を悟らせることなく、粉塵のスモークを隠れ蓑に一撃離脱を繰り返す、凶神――――マハー・カーラの振るいし破滅の刃。

 その、虚無への還元を余儀なくされる閃刃に皮膚を傷つけられる度に、巨神の残された右腕が、間髪入れず患部を周囲の肉ごと抉り、投げ捨てる。

 まさに満身創痍。
 このままでは、遠からずルドラが敗北することは、火を見るよりも明らかだった。

 巨神は、この固有結界の影であり、核。

 そして、この固有結界はガウリーの心。

 それが壊されるのを、食い潰されるのを、黙って見ているだけなんてできない!

 けれど、だったら何をすればいい?

 この距離では、固有結界を展開した上で投影しないと、ルドラに武器を持たせるなんて無理だ。
 かと言って、ローカパーラ二人の固有結界が相手では、俺みたいな初心者の創る結界なんて、ものの一秒と保たず呑み込まれてしまうだろう。

 そもそも、どんな武器を投影したところで、あのマハー・カーラの大鎌と噛み合った途端に消滅してしまうんだから、意味がない。

――――どうすればいい?

――――今の俺に、何ができる?

――――考えろ!

――――考えろ!

――――考えろ!

 そうして、ふと思い出す。

 ガウリーの言葉。

 かつて八人のローカパーラと、八体のアヴァターラを敵に回し、勝利したという話を。

 それはつまり――――

 ルドラには、それだけの潜在戦闘能力が秘められているということ。

 ならば、それを引き出せばいい――――?

 いや、駄目だ。

 ガウリーも言ってたじゃないか。今のルドラには、封印が施されていると。

 鋼色の肉体を縛る、あの鎖こそがその呪い。
 アレを解かない限り、ルドラにその力は振るえない。

 けど、待て。

 あの呪いの正体は、何だった?
 アレの正体は――――そう。確か、対象の存在を禁じるモノ!

 ならば、力そのものが封じられているわけじゃない!?

 自らを消滅させようと蝕む力に抗うため……コンピューターで言うなら、その一事に容量(メモリー)を大幅に使用せざるを得ないため、新たなアプリケーションを開くことに齟齬を生じているのだとしたら?

――――それなら、ヤツらに対抗し得るルドラの力の一端が何なのか、検索することも不可能じゃない?

 確証はない。
 それが、この最悪とも言うべき事態を打開する切り札になるのかも判らない。

 けど、やってみる価値はあるはずだ。

「遠坂、遠坂の魔術って、確か魔力の流動と変換だったよな?」

「え? えぇ……。けど、それがどうかしたの?」

「だったら、俺の意識を別の場所に繋げることって可能なのか?」

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ。いきなりそんなこと言い出して……何するつもりなの?」

「俺の意識を、ガウリーの記憶につなげてほしい」

 きっぱりと言い切った俺の顔を、遠坂がギョッとした目で見返してくる。

「頼む、説明してる時間はないんだ。もたもたしてる内にルドラがやられちまったら、それこそ取り返しがつかなくなる!」

「……ソレをすれば、この窮地を潜り抜けられるの?」

 静かな声で遠坂が尋ねる。
 その眼差しには、真摯な光が宿っている。

 ウソなんて言えない。
 ウソを赦さない光だ。
 だから、俺も正直に答えた。

「正直、判らない。でも、取っ掛かりぐらいにはなるんじゃないかって思う」

「なんだか、頼りない根拠ね……。まぁ、いいわ。士郎の無茶は今に始まったことじゃないし」

「すまん。恩に着る」

「そんなもの着なくていいから、無理だけはしないこと。いい? 正直、今のわたしの魔力量じゃ、充分なサポートもできないのよ。せめて、宝石を溶かした魔法陣でもあれば話は別なんだけど……」

「ならば、その役目。儂にやらせてもらおうかの」

 そう口を挟んできたのは、臓硯老人だった。

「できるんですか?」

「クカカカカカ! 見くびらんでほしいな、遠坂の若当主よ。要は、使用される魔力を増幅してやればいいのじゃろ? ならば、これで充分じゃろうて」

 ひょいと杖を振るような仕草をすると、今までどこにいたのかと思えるような大量の蟲が、老人の影からじくじくと姿を現し始めた。

 そして、それらの蟲はたちまち俺達の周りに集まると、そこに幾何学的な図形を描くように並び、重なり、互いに結びついてゆく。

「儂の蟲は、襲い掛かるだけが能ではないのでな。こんな具合に、簡易的な魔術刻印として機能させることも可能なんじゃよ」

「刻印蟲……」

 唖然とつぶやく遠坂と俺の足元には、確かに老人の言葉通り、蟲による魔法陣が形作られつつあった。

「ほれ、どうした? 急ぐのではなかったのか?」

「え? あ、はい。ありがとうございます」

 ハッと我に返り、ぺこりと頭を下げる。
 正直、あまり気持ちのいいものではないのだが、それでも協力してくれるというのだから、それなりに感謝の意を示すのは当然だろう。

「じゃ、遠坂。やってくれ」

「う、うん……」

 やっぱり女の子だからな。こういう蟲が苦手なのだろう。何だか渋い顔をしながら、遠坂が俺の額に左掌をかざす。

「士郎……」

「ん……?」

「気をつけてね」

 その言葉を起点に、遠坂の左腕の魔術刻印が輝きを放つ。

 連動して、足元の刻印蟲によって描かれた魔法陣も、また。

     ◇

 瞬間。

――――空間が割れた……ような感覚。

 五感はもとより霊感すら含めた全ての感覚が、ガウリーの生み出した心象世界――――記憶の中へと潜り込んだためか、心理的な圧力が襲い掛かってきた。

 痛みのない、痛みという認識すらもはや該当しない精神的な浸蝕の圧力に耐えながら、何重にもグルグルと回転する痛みの中に落ちていく。

 音はない。

 どこに向かっているかも判らない。

 意味が判らない。

 特定の光源もなく、ぼんやりとした光が上下左右、あらゆる場所に凝っている。

 意識しなければ、上下の区別さえもつかない。

 ただ純然たる意識の奥底から伝わる感覚だけが明晰で、望む場所に向かって進んでいるのだと告げていた。

 やがて現れたのは、何千、何万、何億という膨大な数の魔術式によって構成された、何かの卵とも繭とも見える異形の存在。

 アーチャーと剣を交えた時に、ヤツから流れ込んできた英霊エミヤとしての記憶、知識。それらを総動員しても解明するには程遠い、未知の世界の理。

 一目で判った。

 俺には、コレを解明できない。
 理解など到底できない。

 コレは、未だ幼年期にいる人類には手の届かない、遥か未来に属する超越した存在。

 それでも、手を伸ばす。

 ここまで来て何もできないだなんて、冗談じゃない。

 理解はできずとも、構造の解析ならば可能。

 ならば、それをやる!

 俺はそのために、今ここにいるのだから!

 周囲の精神圧が高まる。

 禁忌の領域に踏み込もうとする異物を排除するべく、俺という存在を弾き、押し戻そうとする。

 弾かれる――――わけにはいかない!

 届かない――――など赦されない!

 もう少し――――

 あと、もう少し――――――――

 もう――――少しで――――――――

 伸ばした手の爪先が、掠めるようにしてソレに――――

     ◇

「うわああああぁぁぁぁぁぁっっ!?」

 思い切り、弾き飛ばされた。

 冗談みたいに体がのけぞり、まるでブリッジをするような格好で、背後に頭頂部を打ちつける。

 ガツンッて音と一緒に、目から火が出た。

「ちょっ、士郎!?」

 思わず涙目になって歪んだ視界に、慌てた様子の遠坂が手を延ばしてくる光景が写った。

「愉快な少年じゃのう」

 なんて呑気な感想をつぶやいているのは、もちろん臓硯老人だろう。

 ……そっか。
 現実に戻ってきたらしい。
 いや、まぁ。正確には現実じゃなく、未だにガウリーの心象世界なんだけども。

 頭をさすりながら溜め息をつく俺を抱き起こしながら、遠坂が首尾を尋ねてくる。

「それで……どうだったの?」

「ん……まぁ、それなりに成果はあったと思う」

 そう言いながら、俺はゆっくりと両手を大地に着いた。

 格好としては、何だか土下座してるみたいだけど、この際見た目の事なんか鎌っちゃいられない。

 現在のガウリーでは、起動させることのできない魔術プログラム。

 それを解凍する鍵は手に入れた。
 より正確に言うなら、その解析を終え、俺の固有結界に登録済みだ。

 不安がないと言えばウソになる。
 何より、俺が解析したアレがいかなる威力を持つモノなのか、それが判らないのが致命的だ。

 だが、もはや迷っている時間はない。

「同調、開始(トレース・オン)――――」

 魔術回路に魔力を通す。

 強化と同じ要領で、ガウリーの心象世界にアクセス。

 起動プログラム、ダウンロード開始!

「オーム・クリシュナークシー・クリシュナムクヒー・クリシュナサルヴァーンギー・
   ヤスヤ・ハステー・プシュパン・ダースヤーミ・タム・アヴァシュヤン・
     ヴァシャマーナヤ・ヤディ・ナ・ブハヴァティ・タダー・ブラフマー・
       ルドロー・ブハヴァティ
 (黒眼、黒顔、黒全身、我その手に花を与うべし。
    必定して彼を導け、もししからずばその時は
      婆羅門殺しのルドラであるべし)――――――――」

 聖句の最後の一句をつぶやき終えた途端。

 天空に鋭い閃光が走り、燐のような光の粒が渦巻き始めた

――――オオオオオオォォォォォォンン!!

 巨神が吼える。

 文字通り我が身を削る惨劇の中にあって、なお地を揺るがすような雄叫びを。

 それは、かつて見た時と同様の……いや、それ以上の歓喜に震える咆哮。

 上空に渦巻く燐光はオーロラのごとき帯へと変わり、意志あるもののように軌跡を描き、巨大な幾何学模様をそこに展開してゆく。

「あれって……まさか、魔法陣!?」

 遠坂のつぶやきに、しかし俺は首を横に振った。

「ヤントラだ」

 俺達が扱う系統の魔術では、術者が魔術を起動させる際に唱える呪文は、意識を自ら変革させるための自己暗示のようなものだ。

 けれど、マーヤーにおいてはそうではない。

 ガウリーの意識と、記憶と一時的にも同調した俺には、それが判る。

 連中が唱える呪文――――マントラは、その呪文にともなう声の大きさ、音程、韻律、その全てが、イデアに働きかける力そのものとなるのだ。
 ゆえに、他の国の言葉に翻訳した時点で、マントラは呪言としての効力を失う。
 言葉にともなう意味が大切なのではない。その呪言の発音、それ自体に意味があるのだから。

 正しく発音されたマントラは、心象世界において、それぞれに対応した幾何学的な模様となって浮かび上がる。

 それが、今俺達の頭上で形を成している魔法陣にも似た力の具現模様――――ヤントラだ。

 巨神の右腕が、ゆっくりと頭上に掲げられてゆく。

 何かを支えるように――――

 何かを求めるように――――

 無防備となったルドラの胴体目がけて走る、マハー・カーラの斬撃と、シャルベーシャの砲撃。

 しかし。

 それらの動きよりもなお早く、巨神の右手が白熱の雷光をまとって弧を描く。

 迸る紫電の光芒は、真に光速とも言うべきスピードで四方へと花開く。
 大気を焼き焦がし、オゾン臭を撒き散らしながら、さながら輝く蜘蛛の巣のように二つの巨影を縫い止めてしまった!

 巨大な鎌を半ばまで振り下ろしたような形で黒き凶神が……。

 空中にピンで止められたような形で、ガチガチと牙を打ち鳴らす有翼の獣神が……。

 いかに必死となってもがこうと、光の束縛は緩まない。

 むしろ身をよじる度に、新たな雷光が無数に生じ、伸び、絡みつき、ますます拘束を強めていく。

 光が弾け、周囲のあちらこちらで生まれる紅蓮の灯火は、おそらく猛威を振るっていた移動砲台の断末魔だろう。

 やがて。
 ルドラの手から光が消える。

 膝をつき、大地にどうと倒れ伏すマハー・カーラ。

 墜落し、地面に巨大なクレーターを穿つシャルベーシャ。

 それら二体の魔神がゆっくりと大気に溶けるようにして姿を消してゆくと同時に、ルドラの巨体もまた消滅し、世界は現実へと帰還した。

 鼻をつく消毒液のにおい。

 目に染みるような白い壁。

 そして、俺達に背中を向けたまま立ち尽くすガウリー。

 ローカパーラ達の姿は既にない。
 死んだか、それとも逃げ延びたのかはわからない。

 それでも、今は。
 今だけは、素直に喜んでもいいと思う。

 誰一人として犠牲者を出すことなく、危機を脱することができたのだと。

 今だけは、そう信じたかった。


               ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

 こんにちは。ぱばーぬです。

 Fate / Calamity Knight の第四話、Avataraをお届けします。

 今回の話を読んだ人は、「おいおい」なんて呆れるかもしれませんね。
 なんといっても、あの怪奇バグじーさんこと間桐臓硯が、こともあろうに士郎や凛たちの味方をしてるんですから。

 けど、これは最初にこの話を書こうと考えた時、もともとあったシチュエーションなんですよ、実は。
 繰り返すようですが、私は根がひねくれているもので(笑)。

 もっとも、いくら何でも最後の最後まで味方してくれるわけじゃありませんし、後ではキッチリ敵対してくれます――――その予定です。

 ちなみに、なぜ作中、ルドラがクンダリニーをぶっ放さなかったかというと、お留守番の最中、凛がしっかりガウリーに釘を刺していたという裏話があるせいです。
 そのへんの事情は次回の、新たに二人の幹部が来日するという幕間の中で語る予定で、それを挟んだ第五話では、アンリ・マユを絡めた更なる展開があるはずっス。

 バトルは、ちょっと少なくなる……っつーか、ないかもしれません。

 いや、だって難しいんですよう。ガウリーはともかくとして、士郎と凛の二人にそれぞれ戦闘ごとに役割を持たせるのって。

 てなわけで、充電期間とでも思っていただけたら幸いです。

 それでは。

8: ぱばーぬ (2004/04/25 14:42:17)[nawate at graces.dricas.com]

Fate / Calamity Knight


 Interlude 4 / Collisions

     ◇

 夢を見ていた。
 自分で自分が夢を見ているのだということを、少女――――ガウリーは理解していた。

 いつもの夢。
 馴染みの夢。
 自分の在り方、自分の生き方の方向性を決定づけた夢だ。

 悪夢と言ってもいい。

 悪夢はいつも、混沌とした闇の中から始まる。

 どろどろとした汚物を思わせるねっとりとした大気と、噎せ返るほど濃密な血臭が澱む闇の中には、ガウリーが一人ぽつんと立っている。
 夢を見ているガウリーは、姿形を持たない透明な幽霊のような存在として、闇の中に佇むガウリー自身を仔細に観察しているのだ。

 夢の中のガウリーは、ツンと鼻を反らしている。
 生意気な女の子だ。
 自信過剰で、可愛くて、ちょっと寂しがりやの女の子。

 どことなく不安そうな顔をしながら、それでも弱気を見せまいと口元をきりりと引き締め、闇の彼方を窺うように視線を走らせている。

 夢を見ているガウリーは、そんな夢の中のガウリーに向かって声を限りに警告する。

――――逃げて! そこに居ちゃダメ!!

 もちろん、そんな声に夢の中のガウリーは気づかない。映画やテレビと一緒だ。視聴者がどんなにスクリーンの前で絶叫しようと、物語はおかまいなしに進行していく。

 微かな歌声が聞こえてくる。

 大勢の人間が唱和する、不気味さと神聖さを兼ね備えたような歌声が。

――――カーリー カーリー バロ バイ
    カーリー バイ アレ ガテー ナイ
    カーリーの御名を唱えよ
    カーリーの御許にこそ汝が救いはあり

 肌の表面から、じんわりと内蔵に染み込んでくるようなその歌声は、次第に大きさを増してゆく。

――――山の娘たる我が母なる神よ
    この世は苦痛に満ち
    重荷は遥かに限界を超えるとも
    我ら痩せ衰えることも乾くこともなし
    なべてこの世のことは空しきかな

 闇の中に、ぽうっと浮かび上がるように唐突に顕れる人影。

 ガウリーと同じ背丈。

 ガウリーと同じ体つき。

 そして――――ガウリーと同じ顔。

 夢を見ているガウリーには、ソレが何なのか判っている。
 ソイツが何をしようとしているのかも知っている。

 けれど、夢の中のガウリーにはソレが何なのか、何をしようとしているのか、全く判っていない。だから、不思議そうな顔をしながらも、そのもう一人のガウリーに向かってゆっくりと近づいてゆく。

 警告しようにも、言葉は声にならない。
 届かない。

 嘲笑うように歌声が大きくなる。

――――かの女神の御許にこそ我が喜びあり
    いかなる恐れもその足元には及ぶことあたわず
    死は我が耳にかく囁けり――――我、常に汝の傍らに在りと
    かくて我、女神とともに微笑みを浮かべて相見えたり

 ソレが、スッと右手を上げて、夢の中のガウリーの背後を指差す。

 それに釣られるようにして、夢の中のガウリーは、肩越しに自らの背後に目を向ける。

 そこには、炎。

 黒い炎がゴオゴオと燃えていた。

 燃えているのは、人間。

 否。ヒトの形をしたモノ。

 バチバチと脂をはじけさせながら、ジュウジュウと肉汁を滴らせながら燃え盛る、ヒトのカタチ。

 それは生贄。

 全てを奪われ、全てを失い、誰にも同情されることなく、忌まれ、蔑まれ、憎まれ、恐れられ……そのくせ、多くの人を救うという存在意義を背負った報われぬ英雄。

 その末路にして躯。

 何度見ても、吐き気を催すほど苛立たしい。

 こんな終わりを迎えることが判っていて――――

 こんな結末が在ることを承知していて――――

 どうして、逃げようとしなかったのか?

 どうして、受け入れてしまったのか?

 それらのことが、ガウリーには大声で叫び出したくなるほど頭にくる。

 炎に彩られた顔にどのような表情が浮かんでいるかは窺い知れない。が、ひどく安らかな死に顔だったと聞いた。

 だからこそ、赦せなかった。

――――世は遍く苦痛に満ちたり
    生肉を貪る
    汝、シヴァの恐ろしき妻よ

「あたしは、あんたを未来永劫赦さない」

 夢を見ているガウリーが、つぶやく。
 もとより相手は、すでに命なきモノと化したヒトの形をした松明。応えなど期待してはいない。

 と――――ふいに、その頸部がポキンと音を立てて折れた。

 火の粉が弾け、真っ白に煮立ち泡を吹く白目が、夢を見ているガウリーに向けられる。

『憎んでいるのか……俺を?』

 そう、死体がしゃべった。

『怒っているのか……? 蔑んでいるのか……? 唾棄しているのか……?』

「…………」

 夢独自の論理ゆえか、死体がしゃべるというとんでもなく理不尽な状況を、ガウリーは不思議とも思わず、異常とも感じず、当然のように受け止めた。

『憎まれるのは、もう慣れた……。恐れられるのも、蔑まれるのも、唾棄されるのも……当然のように受け入れられる……。けれど……それでも、ガウリー。おまえにそんな目で見られるのは……おまえにそんなことを言われるのは……やはり、少々きついものがあるよ』

「……何を、今さら。あんたにそんなこと言う資格が、あると思ってるの? 死んでまで身勝手なヤツよね、あんたって。結局あんたは、そういうヤツだったのよ。何も欲しない。何も見ない。何も期待しない。何も愛さない……。傲慢で独善的で最低の偽善者。それが、あんたの正体なのよ」

『そんなことはない……。俺は、平和な世界を欲していた。自分に何ができるかを、いつも探していた。みんなが仲良く笑顔でいられることを常に願っていた。そして……愛していた……ガウリー、おまえを。そして……彼女を』

「ウソよ!!」

 叫んだ。
 力の限り、死体の言葉を否定せずにはいられなかった。

――――舌で生き血を啜る
    汝、暗黒の母よ
    一糸纏わぬ母よ
    シヴァに愛されし者よ

「だったら……だったら、どうして! どうしてあんな運命を受け入れることができたのよ!? どうして安らかな死に顔で逝けたのよ!? 平和? 仲良く? 笑顔? はっ! それは誰のためのものだったの? みんなのため? 顔も知らない、名前も知らない、極端な話、いるかどうかさえ判らない赤の他人のため? ふざけないでよ!! あんた、ナニサマのつもり!? 自分が犠牲になって、それで見知らぬ誰かを救って、救世主にでもなったつもりなわけ?」

『俺は……誰かの幸せを望んだだけだ』

 その、聞き分けのない幼子をあやすような物言いに、ガウリーの苛立ちが頂点に達する。

「それがふざけてるって言うのよっ!! あんたの望んだその『幸せ』のせいで、母様がどんなにつらい思いをしたのか、あんた全然判ってないじゃない!! あんたは自分の望むように生きて、望むように死んで、それで満足だったかもしれないけど、残された者がどんな気持ちになるか、一度だって考えたことあるの!? 結局あんたには、何も見えちゃいなかったんだ。何も判っちゃいなかったんだ。誰も愛しちゃいなかったんだ! 自分しか見てなかった。自分のことしか考えてなかった。そのくせ、そんな自分さえ愛してなかったのよ! 母様を愛してた? バカ言わないで! あんたにとって母様は一番じゃなかった。そうでしょ!? あんたの周りにいた、あんたが関わってきた大勢の人達――――知り合いも、そうでない人達も、そして母様も! あんたの中ではみんなみんな同列だった! 誰か一人、この人だけが特別なんてことはなかった! 見知らぬ赤の他人も母様も、あんたにとっては何の違いもなかった! 母様は……母様は、あんなにあんたのことを、いつだって心配してたのに、信じてたのに、愛してたのに! 本当に母様を愛してたなら、どうしてあんたは母様の気持ちに応えなかったのよ!?」

 今まで心の奥底に沈めてきた思いの丈が、一気にあふれ出したようだった。
 まるで塞き止められたダムの水が決壊するような勢いで、相手をなじる言葉は留まることを知らず、次から次へとつむがれてゆく。

 いつしか、ガウリーは泣いていた。
 流れても流れても、なぜか涙は止まらなかった。

――――世は遍く苦痛に満ちたり
    カーリー、汝、恐るべき者よ
    チンナマスタ、汝、首を刎ねられたる者よ
    チャンディ、汝、怒れる顔を持つ者よ
    カマースキ、汝、魂を貪る者よ

「あたしは、あんたを認めない。あんたの価値観も。生き方も。その存在も! あんたの全てを否定してやる! 父親だなんて、絶対に認めない! あたしの血と肉に賭けて、認めてなんかやるもんかっ!!」

 ガウリーの慟哭の叫びが、わぁんと闇にこだまする。

 ゴォッと一際大きな炎を上げて、ついに死体がその形を崩す。

 後に残されたのは、

 小さく肩を上下させながら涙混じりに荒い息を吐く、夢を見ているガウリーと――――

 ブスブスと黒い煙を燻らせる炭の塊と――――

 無表情という名の仮面をつけて、やはり滂沱たる涙を流す夢の中のガウリー――――

 そして。

 この上もなく冷たい笑みを浮かべる、ガウリーそっくりのモノ。

――――我らが祈りを聞き入れたまえ
    汝、シヴァの恐るべき妻よ

 歌声が響く。
 最果てのない無限の闇の中をどこまでも

 高く、高く――――

     ◇

 目が覚めると、すぐ間近に温もりを感じた。

 体が微かに揺れている。

 未だ幽明境を彷徨っているようなボンヤリとした頭で、どうやら誰かにおぶわれて移動しているらしいと認識する。

(あったかいな……。誰だろう……?)

 そう思いつつ、うっすらと開いたガウリーの目に入ってきたのは、広く逞しい背中。

 その少し向こうに、二人の女の人が並んで歩いているのが見て取れた。

 一人は、あまり馴染みのない人物。

 確か、『サクラ』とか呼ばれていた、不吉な陰をまとう女魔術師。
 そしておそらくは……『闇の聖母』の器としての条件と資格を有する存在。

 因果なものだと思う。
 闇の聖母などというものとは金輪際関わらないために脱走騒ぎまで起こしたというのに、こんな形でまた関わることになるなんて、想像もしていなかった。

 こういうのを、近親憎悪と言うのだろうか? 本人には悪いが、あまり好きになれそうになかった。

 その隣を歩いているのは、こちらはよく見知った人物。

(……お姉さま?)

 初めて出会った時から、なぜか強く心惹かれた紅の女魔術師。

――――なんてキレイな人なんだろう。

 それが、初めて彼女を――――遠坂凛の寝顔を見た時の感想だった。

 見た目だけのことではなく、その内から迸り、肉体そのものを輝かせるような鮮烈とも言える魂の輝きに魅了された。
 強くて、まっすぐで、眩しいぐらいに輝いているその存在感。
 一目で好きになった。

 相手が目を覚まし、その強靭な意志を感じさせる澄んだ瞳の輝きを見て、その気持ちは一層確たるものと化したのを覚えている。

 それと正反対の感想を抱いたのが、その大好きな『お姉さま』の恋人だとかいう男だった。

 名前は確か――――衛宮士郎。

 自分を現在おぶって歩いているのが、どうやらその男らしいと悟り、ちょっとだけ気落ちする。

(どうせなら、お姉さまにオンブしてほしかったなぁ……)

 まぁ、いろいろと事情があるのだろうとは思う。
 今日は朝から疲れていたみたいだし、それに……。

(そっか……。ローカパーラとやり合ったんだっけ)

 ようやく、そのことに思い至る。

 途端に、ズ〜〜ンと気持ちが沈みこむのを押さえられなかった。

 あれだけ大口を叩いたというのに……本当の本当に、ルドラの封印さえなければ、あんな連中敵ではないというのに……なんてみっともない姿を見せてしまったんだろう。
 そう思うと、恥ずかしいやら情けないやらで、顔から火を吹きそうだった。

 正直、なめていたと思う。
 慢心がなかったと言えば、嘘になる。
 なにしろ、以前に一度闘ったことがあるのみならず、撃退した相手なのだ。

 自分とルドラが負けるはずはない。そう思っていた。

 けれど、現実は違った。
 いいようにやられた。
 殺されてもおかしくないぐらい、徹底的にめっためたにやられまくった。

 悔しかった。
 情けなかった。
 これが今のおまえの実力なのだと、体中に文字通り刻み込まれたような気持ちだった。
 何よりも、士郎に一度ならず助けられてしまったのが致命的だった。

 悔しい。
 腹立たしい。
 苛立たしい。

 あんなヤツの力など、借りたくはなかった。借りるつもりはなかった。借りるまでもなく、かたをつけるつもりでいた。
 それが‥‥。

 忌々しく思い出す。

     ◇

 戦局は一方的だった。
 もはや戦いの体裁すらしていない。
 戦いとは、矛先を交えるもの同士の力量が、ある程度近いもののことを言うのであり、もはや抵抗らしい抵抗もできぬ相手を一方的に攻撃するのは、もはや戦闘とは呼ばない。
それは、嬲り殺しと呼ぶべきだ。

 こんなはずではなかったと歯噛みするも、事態が変わるわけではなかった。

 上空からは、風の幻術師ヴァーユが操るアヴァターラ――――シャルベーシャが誇る神具(シャクティ)『天翔ける無尽の楔(ヴィマナ・アストラ)』が、休みなく撃ち込まれてくる。

 避けることも、反撃も不可能だった。

 そもそも相手は、音速に近い猛スピードで飛行しているのだ。文字通り地に縫い止められているルドラには、まさに手も足も出ない。

 そして。
 それに輪をかけて厄介なのが、地の幻術師シャマナが操るアヴァターラ――――マハー・カーラの神具『招き寄せる一切の虚無(サムヴァルタ)』だった。

 なにしろ、触れたモノ全ての分子間引力を崩壊させてしまうという究極の対・物理神具なのだから、攻撃の全てを完全回避するしか生き延びる術はない。接近戦しかできない現状のルドラでは、対抗策など皆無に等しかった。

 せめて『貪る螺旋の王蛇(クンダリニー)』さえ自由に使えるなら、また話も変わってくるのだが、それすら使用禁止との宣言を受けているのだから、勝負にも何にもなるわけがない。

 使用禁止令を出したのは、もちろん凛である。

 今日の昼、士郎が学校に行った後、彼女は魔力の回復を優先させるために休んだのだが、その際『お姉さまの看病』という名目でガウリーが傍についているのをこれ幸いとばかりに、延々と説教をしたわけである。

 お姉さまラブなガウリーとしては、『また今度あんな物騒なモノ撃たれた日には、とてもじゃないけど生き延びる自信がない』とまで言われたのでは、了承以外の選択肢などないも同然だった。

 もっとも、ルドラを呼び出して、いざ戦闘というその瞬間まで、そんな約束をしていたことなどキレイサッパリ忘れていたという事実もあるわけだが……。

 とにかく、これだけ最悪と言っても過言ではないぐらいの悪条件が揃ってしまったのでは、勝てる道理がない。
 もはやこれまでかと、半ば観念しかけたとき――――

 ふいにガウリーの固有結界に、異常が生じた。

 禁在の呪をかけられ、起動など不可能だったはずの術式プログラムが走り、ルドラの神具(シャクティ)が自動的に展開し始めたのである。

 ガウリーとて、馬鹿ではない。
 これが何者の仕業であるか、すぐに理解した。

 衛宮士郎……あの男のやった事なのだと悟った。

 ルドラに限らず、アヴァターラと呼ばれる存在が使用する神具(シャクティ)とは、それがマハー・カーラの使用するサムヴァルタのように武器の形をしたものであろうと、ルドラが放つクンダリニーのように自らの肉体から直接放出する魔術のごときものであろうと、本質的には変わりない。
 幻術師がマーヤーを使って対象となる標的の存在情報を書き換えるのと同様、自らの存在の在り様を変化させているに過ぎないのである。

 例えばルドラのクンダリニーだが、アレは、ああいった高出力の魔力を放出する器官が、ルドラの体内に存在しているわけではない。通常時のルドラにとって武器と呼べるモノは、あくまでも自らの肉体しかないのだ。

 それが、主人であり創造主でもあるガウリーの意志によって一変する。

 ガウリーがルドラの本質的な存在情報を、『クンダリニーという魔力の砲撃が可能な存在』として書き換え、その在り様を変換することによって、初めて使用可能となるのである。

 この原則は、マハー・カーラのサムヴァルタや、シャルベーシャのヴィマナ・アストラにも、そのまま当てはまる。
 サムヴァルタにしてもヴィマナ・アストラにしても、見た目は独立した武器のようではあるが、アレらもアヴァターラを構成する一要素であり、言わば肉体の延長線上にあるモノなのだ。

 ルドラが、自らの在り様を変化できなくなるような封印ではなく、自らの存在を禁じる封印をされているだけであるにもかかわらず、シャクティを自在に使うことができないのは、このためだった。
 現時点のガウリーにとってはルドラを通常状態に維持させるだけで精一杯であり、シャクティを使用可能な状態に変換させるだけの余力がないのである。
 より正確に言うなら、シャクティ発動というプログラムを引き出し、解凍するための、ツールとしてのプログラムにアクセスし、それを起動させることができないのだ。

 シャクティとしての能力が複雑であり、高度であればあるほど、この情報変換には多くのデータを必要とする。これもまた、シャクティの使用に付随する原則の一つだ。
 ゆえに、クンダリニーのような、魔力を直接外部に放出するといった単純極まりないモノならともかく、他の複雑な効力を有するような類のシャクティのデータは、圧縮された状態で固有結界内に登録されており、解凍ツールとしてのプログラムを通さない限り、使うことはできない。

 そのはずだった。

 ルドラに施された封印が解かれない限り、この原則が覆ることはないはずだった。

 そのはずなのに――――どんな裏技を使ったのかは判然としないが、ルドラの力の一端を使用可能とする術式プログラムが、突如としてガウリーの固有結界内部に生じたのである。

 自動的に組み替えられてゆくルドラの存在情報。

 もちろん、その組み換えを行っているのはガウリーの固有結界にもともと存在する既存の魔術プログラムであり、強制的にアクセスされて付与されたのは、そのデータをガウリー自身から引き出し、解凍するだけのものでしかない。
 それでも、ガウリーにとっては驚天動地の出来事に他ならなかった。

 天蓋に煌々と輝く、巨大な光のヤントラ。
 ルドラに秘められたシャクティが今この時、完全に引き出された事を示す、神秘の力の具現たるエンブレム。

 それを目の当たりにした瞬間、ガウリーはルドラに命じた。
 己が力を解放せよと。

「縛する事象の因果(アラクシャ)――――!!」

 つむがれる言霊と、巨神の右手から迸る紫電の光芒。

 弾け、もつれ、絡み合いながら伸びる数多の輝きが視界を埋め尽くす。

 それは空間に絡み、時間に食い込み、どこまでも果てしなく成長していくようだった。

 黒き凶神と天翔ける獣神が、空間ごと光の投網に絡め取られ、固定される。

 時間域に潜り込んだ幾百、幾千、幾万もの輝く蔦は、『現在』に繋ぎ止められた二つの獲物の『未来』の事象へと襲い掛かり、固定し、そして――――

 吸収を始めた。

 二体のアヴァターラ達の可能性――――固定された『現在』から、固定された『未来』へと向かい、本来なら連綿と続くはずだった両者の存在。
 その『未来』の終着点――――即ち存在の消滅を、『現在』の時間域に手繰り寄せる事で、『現在』と『未来』の狭間に位置していたはずの、彼らが『消滅するその瞬間までは確かに存在していたはず』という事実が押し潰され、食われてゆく。

――――シャフィィィィィィィィィィィィィッッ!!

 マハー・カーラが悲鳴を上げる。

――――グゴォォォォォォォォォォォォォォッッ!!

 シャルベーシャが苦悶の叫びを放つ。

 それは、自らの未来を、可能性を、来るべき消滅という『未来』の寸前まで食い潰されてゆく哀れな生贄達が迸らせる、慟哭の叫びに他ならなかった。

 そのままいけば、マハー・カーラとシャルベーシャの破滅は到来していただろう。

 しかし、イレギュラーなシャクティの発動にはやはり何らかの無理があったのか、破滅の『未来』を『現在』に到達させる前に、ルドラの右手から輝きが消滅した。

 奇跡は終わったのである。

     ◇

 その後のことは、正直よく覚えていなかった。

 気がついたら、いつの間にか士郎の背におぶわれ、家路をたどっていたのだ。

 それにしても――――と、また瞼が重くなるのを感じながら、ガウリーは思った。

(コイツ……ホントに何なんだろ)

 先日、ムンダマーラーとの戦闘において、アカーシャが施した縛鎖の呪を僅かなりと言えど緩めたことにも驚いたが、今回のソレはあの時の比ではない。

 もっとも、その力が使えたのは僅かな時間だけの限定的なものであり、今はまた使用不能状態となってしまったようだが、一時的とは言え、いったいどうやったらあんなインチキじみた真似ができるのか、いくら考えてもわからなかった。

 そのことが、悔しい。
 腹立たしい。

 どうして自分が、こうまで衛宮士郎という人物に反感を抱きたくなるのか、最初は判らなかった。

 判らないまま、ただ感情の赴くままに冷たい態度を取り続けてきた。

 けれど、今は何となく判るような気がする。

 彼の考え方が……行動原理が……その生き様が……自分のよく知っている、同時に嫌いぬいているアノ男に、あまりにも似ているのだ。

 理由が判ってみれば、何のことはない。単なる八つ当たりである。

 まるで身代わりのように、今はもういない大嫌いな男の姿を重ね、言いたくても言えなかった事を、ぶつけたくてもぶつけられなかった怒りを、彼に向けていただけなのだ。

 そう思うと、なんだか馬鹿馬鹿しい気がしなくもない。

(……でも、あんたがあたしの敵だってことに変わりはないから……優しくなんて、しないわよ。きっと、お姉さまの目をあたしに向かせてみせるんだから――――)

 心の中でそう誓いつつ、ガウリーは再び睡魔に身をゆだねていった。

 大きな背中から伝わってくる温もりに、奇妙な安らぎを感じながら……。

     ◇

 同時刻――――

 新都を一望の下に見下ろす高層ビルの一角に、三つの人影が立っていた。

「ふ〜〜ん。マーヤーの残滓が、微かだけど漂ってるみたいね。もしかしたらシャマナ達、あたし達が来る前に、ガウリーに仕掛けたのかしら?」

 影の一つが、そうつぶやく。
 声は、未だ幼いと知れる少女のもの。

「……だ、だ、だとしたら、ゆ、許せないんだな。ガ、ガ、ガウリーのしし始末は、オデ、オデ、オデ達の仕事なんだな。ひ、ひ、一言あって、ししし、しかるべきなんだな」

 そう追随する声は、野太い男のもの。
 まるでラリっているように所々がどもり、ひどく聞き取り難い。

「でも、スゴイよね。アカーシャさまの空間転移って……。カーリークセトラからここまで、ホントに一瞬でわたし達を送っちゃうんだもん」

 最後の声は、これも少女のもの。
 最初に言葉を発した少女と、おそらく同年代だろう。心なしか、声もひどく似ている。

「う……う……ヴァルナ、こここ、これからどうするのかな? す、す、すぐにガガガ、ガウリーに、し、仕掛けるのかな?」

「そうしたいのは山々だけど、ここはクベーラの指示通り、まずはシャマナとヴァーユに合流しましょ。一応、ローカパーラのリーダーからの指示なんだしね。あたし達は言わば新参者なんだから、あまり勝手なことばかりして、せっせと自分の評価を下げることもないでしょう。プランダラ?」

「りょ、りょ、了解したんだな」

「でも……もしホントに、シャマナさんやヴァーユさん達と闘ったんだとしたら……ガウリーちゃん、無事なのかなあ? 力を封印されてるって聞いたんだけど」

「生きてるでしょ、多分。このマーヤーの残滓からすると、戦闘があったのは三十分ぐらい前のことみたいだし。もしその時点で決着が着いてたんだったら、あたし達の出発にストップがかかってたはずだし?」

「あ、そっか」

「……けどね、ミトラ。そういう、ガウリーを心配するような言動は止めときなさいよ? 特にシャマナとかヴァーユとか、古参のローカパーラの前ではね。連中、昔ガウリーにこてんぱんにノされた事があるんだから、下手すればあんたまで敵視されかねないわよ?」

「う……うん。ごめんね、お姉ちゃん」

「だいたいね、あたし達だってガウリーを殺すために、わざわざこんな僻地までやって来たのよ? そこんとこ、忘れないよーに」

「……うん。でも、勝てるかな? ガウリーちゃん、すっごく強いって聞いたよ?」

「ま、確かにね……。アカーシャさま同様、ガウリーも時間と空間に干渉するシャクティが使えるらしいけど……。でもそれも、ガウリーが本来の状態なら、の話よ。力の大部分が封印されてる現状じゃ、恐れるに足りないわ」

 嘲笑うような少女の声が、眼下に広がる景色の何処かにいるであろう敵に向けて投げかけられる。

「待ってなさい、ガウリー。もうすぐあなたを殺しにいくわ」


               ……to be continue



  ◇ ◇

 あとがき

 以前にも予告した通り、徐々に敵が終結してまいりました。
 それはいいのですが、書き分けが難しいったら……。とほほ。
 うまく書き分けられていたら、いいのですが……。

 というわけで、今回は幕間です。
 オリキャラ・ヒロインであるガウリーちゃんの内情が、この先の伏線コミでちょっとだけ出てきます。
 ついでのように、アヴァターラが使う神具の基本設定みたいのも、ちょろっと出てきます。こじつけと辻褄合わせのオンパレードじみた説明ではありますが(笑)。

 大まかなストーリー展開や、敵キャラの能力、およびアヴァターラの容姿・神具の設定等は既にできてますから、今のペースをそれほど狂わせることなく書いていけるとは思いますが、途中途中で思いついたアイデアや会話のやり取りなんかも、ちょこちょこ入れながら進めてるもので、当初の予定より大分長丁場になりそうな雰囲気が……うひー!
 そもそも、話一つに要するページ数っつーか量が、やたらと多くなってしまうんですよね、私の場合。反省、反省。

 しかし、改めて読んでみると、今回は士郎や凛が名前しか出てきてませんね(笑)。
 二人の活躍を見たかった、という人には、まことにもってスマンだす。
 次回ではちゃんと出てきますから、どうかご勘弁を。

 てなわけで、今回はこの辺でサラバです。
 次回、Act.5 The Shadow of the Angra-Mainyuで、またお会いしましょう。


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