別れの日
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「はあ。晴れたのはいいけど、暑いわ」
家への坂道。手をかざして、夕日をさえぎる。
今日は、日曜日。
梅雨時にしては珍しく、朝から晴れた。
午前中に、溜まっていた洗濯物の片付ける。
昼ご飯の後で、まだ残っていた春物の服を、夏物と入れ替える。
「おや?」
前に持ってきたときより、ちょっと数が足りない。
ああ、そうか。セイバーに譲ったんだっけ。
セイバーは服に頓着しない。
だから、それほどの分量を、持っているわけではない。
本人は、そのことをあまり気にしていない。
だけど、同じ服ばかりを着せるわけにはいかないだろう。
こう、マスターとして。
本当は買ってあげたかった。
しかし、さまざまな理由から、懐事情は厳しい。
そういうわけで、私の服を分けたのだった。
このように、私は以前よりもつつましい生活をしている。
もっとも、それほど派手な生活をしてきたわけではない。
つつましくなったといっても、出費を少々抑えるようになっただけだ。
たとえば、足りない服を買う代わりに遠坂の家から取ってくる、というような。
午前中に干しておいた服を入れた袋。
胸に抱えて、坂を上る。
五日ぶりに遠坂の家に帰ってきた。
相変わらず、猫の子一匹どころか雀もいない。
前は魔術師の家なんだから当たり前、と思っていたのに。
同じ魔術師の家なのに、衛宮の家は、猫も雀も、虎さえも受け入れている。
全然、違う。意地っ張りと、お人好し。
でも、遠坂の家は、こうやって意地を張っているほうが似合っている気がする。
そんなことを考えている自分が、どことなく可笑しい。
門も開けないで、家を眺める。
ふと、違和感を感じる。
「あれ、なんか違うな」
原因を探す。
屋根に、他の部分とほんの少しだけ、色が違う部分がある。
ちょうど、居間のあたり。
夕焼けに照らされて、気が付いた。
何だろ。
首をひねりながら。玄関を開ける。
家に入る。
「ただいまー」
久しぶりの我が家。廊下の隅とかに埃がたまっている。
掃除もしなくちゃ。
まずは、夏服を出す。
すこし多めに持っていくことにする。
袋につめる。
衛宮の家から持って帰ってきた服を、代わりにしまう。
さて、次は掃除か。
しばらく、留守にしていたからな。
時間がかかりそうだ。
もう夕方。あと一時間もしないうちに、日が沈む。
きちんと拭き掃除もしたいところだけど、私の家は、ちょっとした広さを持っている。
そこまでやっていると、晩ご飯に遅れてしまう。
掃くだけにしよう。
上の階から掃いていく。
居間のドアを開け放って、中から埃を掃き出す。
そういえば。
外から見た、この家を思い出す。
屋根の色が、変わっていた。
ちょうど、居間のあたり。
私が手を入れた記憶は、無い。
気になる。
掃除を中断して、中から探してみることにした。
魔力を通して、視力を強化。天井を見ていく。
誰かが直した跡を見つけた。
「ここか」
私が直した記憶は、ない。
そもそも、屋根を壊して何かが落ちてきたことなんて――――――
そっか。
アーチャーが、落ちてきた場所なんだ。
アーチャーと、初めて会った時を思い出す。
口を開けば、嫌味を言う。
質問すれば、皮肉で返す。
自分の真名が分からないと言い、それを私の召喚のせいにする。
そのくせ、自分の気持ちは正直にぶつけてくる。
魔法陣じゃなくて、家の上に現界して。
屋根を突き破って、居間に落ちてきた。
そういえば、召喚用の魔法陣が引きっぱなしだったっけ。
なんとなく見たくなって、工房に降りていく。
アーチャー。英霊エミヤ。
苦しんで、傷付いて、大切なものを失って。
それでも願ったことにまで、裏切られた。
磨耗してしまった、もう一人の士郎。
かつての自分を憎み、現在の自分を嫌い。
だから、士郎を消去する。
何もかもを裏切ってまで、その目的を果たそうとした。
私が言峰に捕まっていた間、何があったのか。
士郎はアーチャーを乗り越えた。
アーチャーは答えを得た。
そして、最後には助けてくれた。
私を。たぶん、士郎も。
工房の床に引かれた魔法陣。
その前にしゃがむ。
指でなぞる。
素直に、ここに出てくればいいのにさ。
そうすれば、屋根の修理なんて、しなくても済んだのに。
あれには、私にも悪い点があったかもしれない。
まさか時計が間違っているとは、思いもしなかった。
待てよ。召喚自体は成功していた。
アーチャーがひねくれ者だったから、屋根の上なんかに出てくるのだ。
そうに決まっている。
ひねくれ者でなきゃ、最初の命令に、「地獄におちろ」なんて返事はしない。
なんだ。やっぱりアーチャーのせいじゃないか。
士郎は、あんなに素直なのにね。
二人の違いに、笑みが浮かぶ。
朝焼けの中で交わした、最期の会話。
アーチャーと約束した。
決して、アンタのようにしない、と。
士郎を頼まれた。
危なっかしいから、そばについていてくれ、と。
そして、誓った。
士郎を導くと。
「いつまでもこんな気持ちじゃ、いけないよね」
決めた。魔法陣を、消そう。
魔法陣が消えていく。
自分で決めたはずなのに。
ため息が出る。
完全に消えた。
何かを、置き去りにしてしまった気分。
「掃除の続き、しなくちゃ」
居間に戻る。
なんか、気が乗らない。
掃除を途中で放り出して、ソファーに座る。
クッションをお腹に抱く。
ここで飲んだ紅茶の味を、思い出す。
「アーチャーが淹れてくれた紅茶、美味しかったな」
立てかけてあるほうき。その横にはちりとり。
テーブルの上には、何ものっていない。
窓から外を見る。
夕日が沈む。
もうすぐ、夜になる。
部屋の中は、すでに暗い。
「こんな、感傷的になっちゃうなんてね」
天井を見上げる。
そこには、アーチャーが直した跡が、うっすらと残っている。
日は完全に沈んでいる。
窓から入る街の明かりで、家具の輪郭が灰色に浮かんでいる。
ソファーから立つ気になれない。
何もする気がしない。
じっと、外を眺める。
玄関のチャイムが鳴る。
面倒くさくて、無視することにする。
玄関のチャイムが、また鳴る。
ああもう、うるさいなあ。
三回目。
家の明かりが点いていないのだから、帰ればいいのに。
四回目。
さっさとどっか行きなさいよ。
五回目はなかった。
「何してんだろうな、私」
ため息。
ソファーに横になる。
クッションに顔を埋ずめる。
部屋の明かりが点いた。
「お、やっぱりいた。手伝いに来たぞ」
顔を上げると、買い物袋を持った士郎とセイバーがいた。
「手伝いって」
居間のテーブルに荷物を置いている士郎に聞く。
「遠坂、しばらくの間、うちにいただろ。だから、こっちを掃除していると思って」
セイバーが掃除道具を持ってくる。
「買い物帰りですが、士郎が、手伝いにいこうと」
士郎に手渡す。自分も手に取ると、掃除を始める。
私の家を士郎たちが掃除をしているのに、座っているわけにはいかない。
ソファーから立ち上がって、掃除を再開する。
でも、やっぱりやる気になれなくて。
結局、士郎とセイバーに残りをほとんどやらせてしまった。
掃除道具を片付けてきた士郎が聞く。
「さて、どうしよう。今夜はここで夕食にするか?」
「……士郎の家にしましょ。藤村先生も来るし」
もし、ここの厨房に士郎が立ったら。
士郎の背中とアーチャーの背中が重なる。
どっちの背中を見ているのか、わからなくなる。
自分の場所を決めるために魔法陣を消したのに。
そうしたら、私は、迷子になってしまった。
いったい、どこにいるんだろう。
玄関の鍵を閉める。
空には雲。さっきより、風が出てきた。
明日は、また雨になるだろう。
士郎とセイバーに続いて、坂道を降りる。
「遠坂」
士郎が前を向いたまま、私に声をかける。
「何?」
「言いたくないなら、それでいいからさ」
片手に買い物袋を提げた士郎。
たくましくて、広い背中。
「だから、何?」
「俺も、セイバーも、ずっとそばにいるから。遠坂は一人じゃない」
士郎の隣でセイバーも頷いている。
胸に抱えた夏服の入った袋を、抱きしめる。
「……そんなの、当たり前でしょ」
「そうだな、当たり前だ」
士郎が続ける。
俺たちは、相棒なんだから。
ああ。
私は、帰ってきた。私の場所に、帰ってきた。
「早く、いこ。お腹すいちゃった」
士郎の背中を追い越す。
士郎がいれば、大丈夫。
迷ってもきっと、帰ってこられる。
そんな気がする。
坂の上の我が家を見上げる。
暗くて、遠くて、屋根の色が変わっている部分は、よく分からない。
私の後から、坂道を降りてくる士郎とセイバー。
苦笑しながら、それでも遅れずについてきてくれている。
士郎をアンタのようにはしない。
英雄エミヤに、孤独な死なんか迎えさせない。
世界と契約する機会なんか、与えない。
もしそれでも、世界が守護者エミヤを必要とするのなら。
私は、世界だって変えてみせる。
だから。
さよなら、アーチャー。
私の相棒。