「……申し訳ありません,師父(マスター)グレハム。
もう一度、おっしゃっていただけますか?」
魔術師の最高学府である時計塔に、私こと遠坂凛が弟子の士郎と、使い魔であるセイバーと共に留学してきてから四年目を迎えた春、私は時計塔の教師の一人であり、同じ宝石魔術師ということで師事を受けているグレハム師父に呼び出しを受け、彼の執務室へと出向いた。
しかし、この教師が個人的に呼び出しをするということは、まぁ経験上、ロクなものでないとは想像していたのだが――――私が部屋に入るなり、重厚な机に腰掛けていた彼が発した一言は
「――わかった。もう一度言おう、トオサカ。」
私の想像なんか遥かに超えた
「君の故郷で再び聖杯戦争が起こる。
これに参加し、可及的速やかにこれに勝利せよ。これは執行部からの正式な命令だ。」
ロクでもなさすぎる話だった。
月の浮かびし聖なる杯 プロローグ〜承前〜
「そんなことはありえません。」
数瞬の、魔術師としてはあってはならない思考停止から復活した私は、そう断言した。
「トオサカ、『ありえない』とは我々神秘を体得せんとする者達が口にすべきことではないぞ。
――――まあいい、君とそのことについて論争するのは止そう。君が『ありえない』とする根拠はなにかね?」
こっちだってそんな初等の論議をするつもりはない。
だけどまあ、確かに少し頭に血が上りすぎていたかもしれない。
だがそれほどに、私にとって――――いいや、私達にとって――――聖杯戦争という言葉は、特別な意味を持つのだ。
小さく深呼吸をし、多少落ち着いたことを自分自身で確認し、答える。
「最大の理由は前回からの期間の短さです。
聖杯戦争のその特殊なシステムには膨大な魔力が必要となります。
ですが前回の聖杯戦争からまだ四年あまりしか経過していません。
前々回のように聖杯の破壊で決着が着いたとはいえ、それでも前回の聖杯戦争には十年がかかりました。
その半分以下の時間で、聖杯戦争を行うだけの魔力を用意できるとは思えません。」
確かに聖杯戦争は再び起こるかもしれない。
しかし、たかだか四年やそこらじゃいくらなんでも――――
「なるほど。確かにその通りかもしれん。
しかし、今回の聖杯戦争は過去に五度行われたものとはルールが異なるそうだ。」
あっさりと、師父は告げた。
「どうやらアインツベルンがシステムに一部手を加えたという話だが――そこまでする連中の聖杯への執念はいっそ賞賛に値する。
が、同時にそこまでした以上、連中は今度こそなりふりかまわずこの戦争に勝利しようとするだろう。
───どんな犠牲を払おうと、いかなる被害が出ようとも、な。
それは我々にとって、望ましいものではない。」
そう、本来我々魔術師は、誰が何をしようとそれに口出しすることはない。
だがそんな魔術師(わたしたち)の唯一の共通認識、それが
──────神秘は秘匿されなければならない──────
と、いうことだ。
魔術は魔術師以外の一般人には隠し通さなければならない。
そのためには強力、もしくは特化した魔術師は封印し、場合によっては抹殺もする──────それが魔術師協会の唯一の役割といっていいだろう。
そしてそんな協会が、魔術師同士の戦争なんてモノに口を出さないわけがない。
「先は勝利せよ、などと言ったがね。
協会(われわれ)が望んでいるのは『速やかに、かつなるべく目立つことの無いように』聖杯戦争が終わることだ。
聖杯の行方など、さして重要ではない。
ゆえに前回聖杯を破壊した君──君達以上の適任者はおるまい。」
確かに私には、ほとんど反側といってもいいほど強力な使い魔であるセイバーがいる。弟子である士郎は今だ魔術の腕は半人前とはいえ、こちらも反側的な能力(ちから)を持っているし、加えて私自身も、この時計塔において二回、年間主席を獲得している。首席を逃した一回だって――ルヴィアさえいなければ、文句なしに私がトップだったのだ。
確かに私達以上の適任者は、時計塔にはいまい。
だがそれは、私達が再び聖杯戦争に参加しなければならない理由にはなりえない。
元々冬木の土地の魔術的なことの管理は遠坂の義務ではあるし、私だって参加するのにやぶさかではない。
そして正義の味方なんてものを目指している士郎にいたっては、聖杯戦争がふたたび起こると知れば、時計塔の命令など関係なく大急ぎで冬木市に向かうだろう。
セイバーだって――私の使い魔にもかかわらず――士郎の剣となることを誓った彼女が、士郎が危地に向かうのに、同行しないはずはない。
なのに――――――
「お断りします。前回聖杯を破壊した私達には、命をかけてまで聖杯を求める意思はありません。」
―――なんて言葉が出たのは、まあ協会の思い通りに動いてやるものか、なんていう、トオサカリンの半分以上を構成しているであろういつもの意地であったりするわけだ。
だってほら、父さんは「成人するまでは協会に恩を売っておけ」なんて言ってたけど、私もうハタチ超えてるし。
しかしそんなことで、勿論この師父が引き下がるわけがなく
「言ったはずだ、これは命令だとな。
拒否は許されん。時計塔からの放校もありえるぞ。」
なんて、いかにもな脅しをかけてきた。
ああ――――駄目だ。
冬木にはどのみち行かなくてはならないだろう。
ならば素直に従ってもいいはずなのに、そんな脅しをかけられてはますます逆らいたくなってしまうではないか。
「結構です。ここで学ぶべきことは、およそ学んだと思いますので。」
言うなり私の足は出口へと向かっていた。
だが、同居人達にどうやってロンドンでの生活の終わりを謝ろうか……なんて考えている私の足は
「そうか――――ところで話は変わるがトオサカ、最近妙な噂が聞こえてくるようになってね。
……なんでも君の弟子には通常の魔術以外の何かがあるらしい、などという。」
ピタリと止めさせられた。
そして一瞬の後、足を止めてしまったことに後悔する。
落ち着け、私。
「その何かは不明だが……。調べればいずれは判明するだろう。
君も弟子が封印指定を受けるような事体は望むまい。
まあ積極的に神秘を秘匿しようとする魔術師ならば、わざわざ執行部も調査せよなどとは言わんだろうが、ね。」
そう、私の弟子である衛宮士郎は魔術の才能なんかこれっぽっちもないくせに、魔術師の一つの到達点とも言われている、固有結界という力を持っている。
この固有結界は、それを使用できるというだけで即座に封印指定を受けるような代物だ。
ゆえにその力を私達は隠してきたし、私達以外は本当にごく少数の知り合いしか知らないはずなのだが……正直、協会を甘くみていたのかもしれない。
「……わかりました。
私の弟子がそんな何かを持っているなどというのは過大評価でしょうが――――
ありもしない疑惑を向けられるのは正直、おもしろくありません。
その話、お受けいたします。」
内心の怒りを押し殺し、今回の『取り引き』に応じることを伝える。
いいだろう。魔術師の基本は等価交換だ。
ならばその話、乗ってやろうじゃないか。
その返答を聞いた師父は「そうか」と、まるで表情を変えずに言い、数枚の紙を渡してきた。
「現時点でわかっている今回の聖杯戦争の変更点だ。
共に参加する者たちにも伝えておいてくれたまえ。――――ああそれと」
書類を受け取り、退出しようとする私を、再度師父は引き止める。
これ以上、まだ話すことがあるというのか。
「すまないな、トオサカ。
私としてもこんな交渉は本意ではないのだが。」
そういって、頭を下げる師父に対し
「ええもちろん」
私は
「ご安心を。
私はぜんぜんまったくこれっぽっちも師父のことを恨んだりはしてませんので。」
そう微笑んで、今度こそこの忌々しい部屋を後にした。
目の前には、雲一つない青空が広がっている。
ここは本来人間がいるべき地上より遙か上空。
本来見上げるはずの雲を下に見る飛行機の機内に俺、衛宮士郎はいるのだから。
そんな日本へと向かう飛行機の中、共にロンドンを離れた二人は、アイマスクなどをつけながらすやすやと寝息を立てている。
二人の毛布を掛け直してやり、数十時間前に交わされた会話を俺は思い出していた。
月の浮かびし聖なる杯 第1話 〜帰郷〜
「士郎、セイバー、日本に帰ることになったから、急いで荷物をまとめて。」
我が魔術の師匠にして恋人でもある遠坂凛は、帰ってくるなり俺とセイバーに一方的にそう告げてきた。
時刻は午後七時より少し前。
交代制の食事当番の順番が今日は俺だったので、一年前に時計塔の寮から越してきた家のキッチンで、シチューを煮込んでいた。
そんな時に言われたこの言葉を、俺は一瞬、理解できなかった。
ほら、手伝ってくれていたセイバーも隣で目を丸くしているし。
だってのにそんな俺達にはかまわず、遠坂本人は冷蔵庫を開けてジュースを取り出したりしている。
まあもっとも遠坂が突然なのは今に始まったことではない。
ふと思い出すのはこの家に引っ越した一年前のこと。
ロンドンにきて以来、寮生活を送っていた俺達に遠坂はある日
「近くに家借りたから引っ越すわよ」
なんて、本当に突然言ってきた。
しかし、万年金欠病が職業病ともいえる宝石魔術師である遠坂。
俺とセイバーは、そんな余裕は家にはありません!と反対したのだが──
「弟子と使い魔は黙って着いてくればいいの!」
などという傍若無人極まりない御言葉と共に
「寮よりも家を借りたほうが、身を守るのに好都合よ。こっちに来てから二年、私達も少し有名になってきちゃったしね。」
との言葉に真面目なセイバーが納得してしまい、孤立無援となってしまった俺に対しては
「だってその……寮を出れば、もっと恋人らしい生活ができるじゃない……。」
なんてことを顔を真っ赤にしながら言ってきたのだ。
その一言に撃沈されてしまった俺が、実は遠坂がその少し前に同級生のルヴィアと「寮における魔術工房と私生活の機密性」について会話
……というか激闘を交わしていたことを知ったのは、引越しから一月以上たってからのことだったりする。
まぁこのように、遠坂が突然何かを。
それも生活を変えるほどの大きな何かを言い出すのは、よくあるとまでは言わないが、そんなに驚くことでもないだろう。
「なぜ急に日本へ帰るのですか?リン。」
俺が口を開く前に、セイバーがもっともな疑問を口にした。
ジュースを一息で飲み干した遠坂はコップを置き、
「ちょっと協会……時計塔からやっかいごとを頼まれちゃってね。
どうしても断りきれなくて、すぐに日本に……冬木市に帰らなくちゃいけなくなったのよ。」
と言って二杯目をコップに注ぎ始めた。
冬木に?そういえばここのところ忙しくて、最後に帰ったのは確か去年の春だったか。
「それで?遠坂。頼まれた仕事ってなんなのさ。」
そう聞いた俺に、
「んーー、近く冬木市でまた聖杯戦争が起こるから、ちゃちゃっとなんとかしてこいって。
まぁそんなトコ。」
なんてことをあまりにもあっさり言うもんだから、その言葉を理解するのには、引越しを告げられたときより、幾分永い時間を要した────
そんなこんなで聖杯戦争の期日まであと四日しかないと聞いた俺達は(土壇場まで、いまだ生徒である俺達を派遣することに反対していた人物達がいたらしい)、
大急ぎで必要最小限の荷物をまとめ、パスポートを引っ張り出して
───ちなみに、セイバーのパスポートは日本を初めて発つときに、遠坂が準備していた。どうやら知り合いに偽造してもらったらしい───
次の朝、つまり今朝この飛行機に乗り込んだ。
いくら協会がチケットを用意していたとはいえ、よく間に合ったもんだ。
………そもそも、次の日の飛行機のチケットを、前日に渡すことの非常識さはこの際忘れることにする。
おそらく俺がロンドンで学んだことは、魔術そのものよりもそれを使う魔術師という人種が、いかに非常識であるかということなのだから。
そして日本まであと二時間というところで、眠っていたセイバーが目を覚ました。
何度か日本とロンドンを往復した俺達だが、基本的にセイバーは飛行機の中では眠っていることが多い。
その理由は、かつての聖杯戦争の時のように魔力消費を抑えるため───などでは無論なく、どうやらおいしい食事をすることに心血を注いでいるセイバーにとって、エコノミーの機内食は相当お気に召さないようで、不貞寝を決め込んでいるらしい。
「おはようございます、リン、シロウ」
セイバーは俺と、セイバーより幾分早く起きていた遠坂に律儀に挨拶をした後、クゥとお腹をならし、真っ赤になった。
空港に着いたら、すぐにレストランにでも入らないとな。
だが今は、先に遠坂に聞くことがある。
「遠坂、セイバーも起きたことだし、今度の聖杯戦争について詳しく教えてくれないか。
出掛けは慌ただしくて、あんまり話聞けなかったし。」
そう切り出すと、遠坂は真面目な、魔術師としての表情を見せ
「ええ。でもなるべく静かにね。
他の乗客に聞かせるわけにはいかないから。」
どこまで話したかしら、という遠坂の言葉に、今度はセイバーが答えた。
「前回とはシステムが異なるという所までです。
リン、それはいったいどういうことなのです?
そもそも聖杯戦争のシステムを変えるなど、そう簡単にできるとは思えません。」
そう、そしてもう一つ疑問がある。
「それと遠坂、いくらなんでも前回から四年は早すぎじゃないか?確かサーヴァントを召喚するには、魔力が満ちるのを待つ必要があるって話じゃなかったっけ?
……実際、前回も十年かかったんだろ?」
そう質問した俺達に対し遠坂は
「ええ。その問題を解決するために、システムの設計者であるアインツベルンがサーヴァントシステムの変更を行ったって話よ。
それにね、セイバー。
システムの変更といってもそんなに大きな事じゃないの。
協会から回された資料によると、変更点は一つだけ。」
そう言って、遠坂は機内サービスの紅茶を口にした。
「リン、お茶など後にしてください。それでその変更点とは?」
そんな遠坂に業を煮やしたのか、セイバーの言葉は幾分強いものだった。
「落ち着いて、セイバー。まだ到着までは時間あるんだから。
……つまりね、サーヴァントを召喚するにはまだ冬木の土地には十分な魔力は満ちていない。
だから、今ある魔力で召還できるものを召還して戦えってことらしいわ。
前回のように、無制限にあらゆる英霊を召喚するのではなく、召喚する英霊を『日本の英霊』のみに限定することによって、ね。
システムの変更っていうのも、ただ日本出身の英霊以外を召喚できなくしただけ。」
なるほど、つまりは聖杯戦争の戦場を日本全部に見立てて、その場に縁のある英霊のみに限定することによって、召喚に必要な魔力を節約しようってわけか。
「でもね。だからこそ、今回は相手の真名がわかりにくくなったともいえるわ。」
「?なんでさ?召喚される英霊の幅が狭くなったんだから、わかりやすくなったんじゃないのか?」
そんな俺の疑問に、遠坂はため息をついた。
「ええ、これがヨーロッパの国のどこかだったらね。
でもね。日本にはあっちと違って『死して後も信仰の対象となった』英霊は数少ないわ。
そうなれば自然と召喚されるサーヴァントは、生前何らかの奇跡を起こしたか、世界に奇跡を願った代償に守護者になることを契約した英霊が増えてくる。………前回のアーチャーみたいにね。」
「アーチャー」と言うときにわずかに表情を変え、遠坂は答えた。
────アーチャー。前回の聖杯戦争で遠坂のサーヴァントであった英霊────。
そして同時に、その正体は正義の味方になることを貫き通した未来の「衛宮士郎」でもあった。
確かにアイツの正体が俺の未来の姿だったなんてのは、本人に言われない限り気付くことはなかっただろう。
もう質問はないと思ったらしく、遠坂は「ごめん、もうちょっとだけ寝かせて」と言って、また目を閉じてしまった。
「今日は早くに起きましたからね。朝の弱いリンには辛かったのでしょう。」
「まあ日本に着くまであと一時間くらいだけどな。
なんだったらセイバーも着くまで寝てていいぞ。
起きてると、お腹すくだろ?」
俺はあくまで善意で言ったのだが、セイバーはガーーと怒り
「シロウ!!私が眠っていたのは戦場に着く前に英気を養っていたのであって、決してお腹が空くからではありません!!」
と怒鳴ってきた。
ごめんセイバー、わかったからもう少し声を落としてくれ。
スチュワーデスのお姉さんが、何事かと思ってこっちに向かって来てるし。
スチュワーデスさんに「ノープロブレム」と言ってお引取り願ったセイバーは、じろりとこちらを睨みながら言った。
「そういうシロウは大丈夫なのですか?昨夜もあまり寝てないようですし、ロンドンから今までずっと寝てないのでしょう?」
怒っていても、こちらへの気遣いは忘れていないらしい。
「ああ。でも心配はいらないよ。どうもいろいろ考えちゃってね。
────セイバー、遠坂の話だと、アインツベルン家の参加はまちがいないらしい。
前回、俺はイリヤを助けてやれなかった。
今回の聖杯もアインツベルンの参加者の心臓である可能性が高いって話しだし、
俺は今度こそそんな馬鹿なことは止めさせたい。」
イリヤ。前回の聖杯戦争で心臓を取り出され、死んでしまった白い少女。
あの少女が衛宮切嗣の、オヤジの娘だと知ったのは、戦争が終わってからすぐのことだ。
アインツベルンの今回の参加者について詳しいことは知らないが、二度とあんなことにはさせたくない。
「それだけじゃない。
町の人達はもちろん、できれば他のマスターにも死者は出したくない。
だからセイバーには、また大変な思いをさせてしまうと思うけど────」
最後まで告げられず、
「わかっています、シロウ。よもや忘れたわけではないでしょう?
私はあなたの剣となることを約束した。あなたの信じる戦いが、私の戦いです。
────この四年であなたは強くなった。
それにリンも私もいます。気を抜かないことは大切ですが、張り詰めすぎるのもいけません。」
微笑みと共に言い聞かせるようなセイバーの言葉で止められた。
その言葉を聞いて、思う。
セイバーは強くなったといってくれたが、俺はまだまだ魔術使いとしても正義の味方としても半人前で、目標としているあの赤い背中はまだ遠い。
────けれど俺は一人じゃない。
遠坂とセイバー、そして俺の三人でならきっと正義の味方になり、そう在り続けることができると────。
「ありがとな、セイバー。よろしく頼む。」
飛行機はもうすぐ、日本に着こうとしていた。
およそ一年ぶりに見る衛宮の家。
藤ねえの家に管理を頼んであるので、俺達は帰国の際、すぐにここに寝泊りすることができる。
日本に到着したのは時差の関係から早朝。
その後、我らが騎士王のご要望にしたがってレストランで食事をし、交通機関を乗り継いでこの衛宮の家に帰ってきた頃には、すでに昼時になっていた。
月の浮かびし聖なる杯 第二話 〜召喚〜
ちなみに普段この家に帰って来た時などは、藤ねぇはもちろん
今は大学で寮生活をしている桜もまでがわざわざ帰ってきて俺達を出迎えてくれる。
しかし、今回この町に帰ってきたのは聖杯戦争に参加するためだ。
俺達の家に出入りすることは、藤ねぇ達を危険に巻き込みかねない。
今回の帰国は、戦いが無事に済むまで伏せておいた方がいいだろう。
もっとも、空家になっているはずのこの家に出入りすることになれば、この町に居ない桜はともかく、藤ねぇの耳にはすぐに入ってしまうかもしれないが。
ひさしぶりに衛宮の家の台所で作られた昼食を食べた俺達。
現在、食後のお茶を飲みながら、今後の具体的な方針について話し合っているところである。
「それで遠坂、この後どうするんだ?
今日もまだ日は高いし、聖杯戦争は明後日からなんだろ?
前回みたいに学校には行く必要ないし。」
そう切り出した俺に、遠坂は何言ってるのと呆れながら、
「やらなきゃいけないことはたくさんあるじゃない。
とりあえずは夜までに、サーヴァント召喚の準備だってしなきゃならないのよ?
………まさかとは思うけど、士郎。
あなたサーヴァントを召喚せずに、私達三人で戦う気だったんじゃないでしょうね?」
………実を言うとその気でした、ハイ。
しかし、そう考えていたのは俺だけではなかった
。
「なぜです!?サーヴァントなら私がいるではないですか!
他のサーヴァントを召喚する必要などありません!」
ええ、ありませんとも。と、セイバーは繰り返す。
どうやらもう一人サーヴァントを召喚するというのは、最高のサーヴァントであるセイバーのプライドが許さないようだ。
「あるわよ。私達がサーヴァントを呼び出せば、戦わずして確実に敵が一人減るわ。」
それに、と遠坂は続ける。
「私達の目的は戦争の一刻も早い終結よ。
その場合、どうしたって二手に分かれる必要が出てくるわ。
あたしにはセイバーがいるけど、その間士郎に単独行動させるつもり?」
その言葉には、セイバーも納得するしかないらしく、しぶしぶといった感じで引き下がった。
「なあ遠坂、そうすると俺がサーヴァントを召喚するってことか?」
「ええ。前回士郎がセイバーを召喚した時は準備も何も無い、手順も何もかもすっ飛ばしたメチャクチャな召喚だったけど、本来は少なくとも魔方陣の準備ぐらいはしなくちゃね。」
まぁあの時はランサーに殺されそうだったし。
なにより魔術のことなんか、強化と投影以外何も知らなかったしなあ。
「でもさ。やっぱりそうなるとまずくないか?」
ふと疑問を持ち、そういった俺に、
「何がまずいのですか?シロウ?」
と、ようやく自身の内のプライドとの葛藤にけりをつけたらしいセイバーが尋ねてきた。
「俺達の目的は聖杯を破壊することだろ?
でも、サーヴァントは聖杯を手に入れるために召喚に応じるわけじゃないか。
そんなサーヴァントが、聖杯を破壊するために戦ってくれるわけないと思うんだが。」
かつてはセイバーも聖杯を得るために俺の召喚に応じてくれた。
聖杯が自分の目指すものとはかけ離れたものであったために、最後は破壊する手伝いをしてくれたが。
だが、そんな俺の心配は、遠坂にはお見通しだったらしい。
「そういうと思ったわ。────大丈夫よ。
前回は士郎が内包していたセイバーの『鞘』が触媒になってセイバーが召喚されたわけだけど、今回はわざわざそのために協会が用意したいくつかの触媒を断ったんだから」
イリヤのことと同じく、本来セイバーの宝具であるエクスカリバーの『鞘』が自分の体の中に眠っていたと知ったのは、前回の戦争終結後のこと。
その『鞘』はすでに俺の体から取り出され、本来の主の下に戻っている。
「?何で触媒が無いことが関係あるんだ?」
触媒があろうがなかろうが、あんまり関係ないように思えるんだが。
「まぁ、本来の私の流儀には反するんだけど。
触媒がなければ召喚されるサーヴァントは、召喚者である士郎によく似た波長を持つ英霊になるのよ。
だからきっと、その英霊も聖杯なんて望まないのが召喚されると思う。」
それを聞いたセイバーはうんうんとうなずきながら
「なるほど、確かにそれなら問題は無いでしょう。
シロウによく似た英霊であれば、おそらく何の見返りも必要とはしないはずです。」
俺ってそんなに無欲に見えるんだろーか?
遠坂はそんな俺を見て
「ええ。
何の見返りもなく働いてもらうなんて好きじゃないから、聖杯以外の望みがあればできるだけ叶えてあげたいけど、まぁ無いでしょうね。
………きっと士郎みたいな、馬鹿みたいなお人好しが召喚されるに決まってるから。」
しょうがないというように、言った。
その後、召喚の手順を覚えたり、遠坂がロンドンから持ってきた宝石を溶かし
────どうやら今回協会から命令を受けた時に相当嫌な事があったらしく、できるだけ多く必要経費をふんだくってやる!などといって、惜しげもなく宝石を使っていた────
に俺の血を混ぜたもので魔方陣を書いたりして、時間はあっという間に過ぎていった。
ちなみに召喚は、セイバーのときと同じく、土蔵の中で行うことにした。
全ての準備が整い、現在は深夜の零時より少し前。
かつて魔術のことなど何も知らなかった俺が、我流で強化を鍛錬していたこの時間。
それが衛宮士郎の最も魔力が高まる時間となってしまったらしい。
「時間よ、士郎。始めて。」
その言葉にうなずき、俺は昔と変わらぬ呪文を口にする。
「────同調(トレース)、開始(オン)」
ガチン、と、衛宮士郎の中のスイッチが切り替わる。
そうして体中の神経全てを切り替わった魔術回路に向け、体内のアクセルを徐々に踏み込んでいき、身体にその力が満ちるのを待つ。
遠坂に習って以来、四年間何度となく繰り返してきた事。
やがてこの身が限界まで魔力を蓄積したことを実感し────
「────告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
その言葉に従い、土蔵の中は魔方陣を中心として、エーテルの嵐が吹き荒れる。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ────」
やがて吹き荒れていたエーテルの嵐が収束していき、徐々に視界が回復してくる。
「成功した……のか?」
覚えたての呪文は何とか言えたし、手順にも間違えは無かったはずだ。
だけどなにしろ正規の召喚なんてのは時計塔でも経験が無く、今ひとつ不安はある。
やがて完全にエーテルの嵐が収まったその視界の先には………一つの影。
その姿は暗闇に紛れよく見ることはできない。
しかしそれは、まぎれもなく遠坂と同じくらいの大きさの、人の形をした影だった。
遠坂とセイバーの二人が後ろから駆け寄ってくる気配がする。
その気配でようやく召喚に成功した実感を得た俺は、遠坂達に振り返ろうとして────止まった。
スゥ、と月の光が土蔵に差し込み、土蔵の中を照らし出す。
その目と髪は漆黒。
男性だったが背はやはり遠坂と同じくらいで、俺よりは一回り小さいだろう。
けれどその整っている精悍な顔つきが、現代の日本人の男と比べればやや小柄な身体を、そうとは感じさせなかった。
歳は向こうのほうがやや上に見える。
そして目を引くのは、なによりその姿。
男はその身体を、床の間に飾ってあるような鎧で覆っていた。
その姿と身に纏う気配は、現代には存在しない、幾度も死線を潜り抜けた武士そのものだった。
男は目の前で呆然としている俺を見据えると、口を開いて以外に柔らかな声で、言った。
「聖杯の導きにより参上した。貴殿が某(それがし)のマスターか?」
その言葉に我に返り、あわてて四年ぶりに手に浮かび上がった令呪を見せる。
それを見た男は膝をつき、
「契約はなされた。今後某は、この身を賭して貴殿を守護いたそう。」
と言い頭を上げたとたん────
「ッ!マスター!その者達は!」
と、急に大声を張り上げた。
その視線を追うと、その先には俺の後ろにいた遠坂とセイバーに向けられていた。
?だけど、いったいなんでそんな鬼気迫る表情をしているんだ?
「いまだ開戦せぬうちから仕掛けてくるとは、見下げ果てた連中よ。
その上マスターを人質に取ろうとは……恥を知れい!」
……どうやら召喚早々、大きな勘違いをしてくれているようである。
「落ち着きなさい。あたしたちは確かに魔術師とサーヴァントだけど、貴方と貴方のマスターの敵じゃないわ。
むしろその逆よ。」
「だまれぃ!そのような言葉にはごまかされんぞ!
そちらの異国の女性(にょしょう)のサーヴァントはともかく、魔術師!貴様からは悪しき気配が濃く漂っているわ!」
……まんざら勘違いでもなかったらしい。どうやら一目で、あかい悪魔の本質を見抜いたようだ。
などといっている場合じゃない!だんだんと遠坂から感じられる気配が、マズイものに
変わってきてるし!
「落ち着いてくれ、彼女たちは本当に味方なんだ。別に人質に取られているわけじゃない。」
「なんと!……マスター、貴殿は騙されている。
そうで無ければこの者に心を操られているに違いない!おのれ女狐!」
その言葉は遠坂の堪忍袋の尾をやすやすと切って。
二人の罵り合いは、その後三十分近く続いた。
土蔵での言い争いがようやく終わりを告げ
────と言っても、険悪な雰囲気は相変わらず続いているが────
俺達は、土蔵から家の居間へと移動した。
「それで、貴方はいったい何のサーヴァントなのです?」
話が進まないと感じたのか、セイバーが尋ねた。
遠坂と違い、セイバーに対しては騎士と武士ということで何か通じるものがあるのかもしれない。
未だ警戒はしているものの、険悪な雰囲気は無い。
マスターとしては少し情けない気もするが、ここはセイバーに乗っかっておこう。
「そうだな。それにできれば真名も教えてほしい。
言いたくないんなら、無理にとは言わないけど。」
彼はちらりと遠坂のほうを見て、
「今一つ信用できんこやつの前では言いたくはないが、マスターの命とあれば仕方があるまい。
────某のクラスはアーチャー。真名は────」
魔術的な契約を交わす場合、名を名乗ることは特別な意味がある。
アーチャーは厳かに、
「────那須与一(なすのよいち)と申す。」
自身の真名を口にした。
───那須与一───
かつて、日本の武士が源氏と平氏に分かれ戦っていた時代。
その名を持つ武士は源氏に属し、その弓の腕前は源氏で最高を誇ったという。
那須与一がその名を現代まで残しているのは、なんと言っても屋島の戦いにおける話だろう。
その名を知らぬ人間でも、屋島の海に浮かんだ船につけられた扇を、ただの一矢で打ち落とした弓手の逸話は耳にしたことがあるかもしれない。
その伝説の弓兵が今、聖杯の力によって現界し─────
………遠坂と睨み合いをしている姿は、かつて弓の道に居た衛宮士郎にしてみれば、できれば目を背けたい光景だったりする。
月に浮かびし聖なる杯 第三話 〜契約〜
「う〜〜、おはよ〜士郎」
朝の弱い遠坂が死にそうな顔で起きてきたのは、七時を少し過ぎた頃。
久しぶりに作った和の朝食の出来栄えに、俺が満足していた時だった。
「おはよう。時差ぼけか?遠坂。」
「まあね。まだ少し辛いけど」
そう言うと、遠坂はちらりと時計を見た。
「そうも言ってられないでしょ。
明日……あと十七時間で戦闘開始だもんね。」
そう、明日の深夜零時を迎えれば、いよいよ聖杯戦争は始まる。
「だってのに、よりによって召喚したサーヴァントがあんなのとはね。
……それで、アイツは今なにしてんの?」
「アーチャーだったら道場でセイバーと手合わせしてるぞ。」
そう答えると、遠坂は驚いた顔をし
「手合わせ?この家に弓なんてあったっけ?」
「いいや。
でもアーチャーは武士だったから、それなりに剣も使えるらしい。
もっともセイバーほどじゃないけどな。
俺も手合わせしてみたけど、なんとか戦えたし。」
もっとも、いくら四年前より腕が上がっているとはいえ、人を超えた肉体を持つサーヴァントには適うはずもないのだが。
「あたりまえじゃない。セイバーに剣の腕で勝てるサーヴァントなんてそうそういるはずがないわ。……それにしても、ずいぶんと貴方達は仲がいいのね。」
なんて言って遠坂は、ニッコリと危険な笑みを浮かべた。
「そりゃ一応マスターとサーヴァントなんだから、仲が悪くっちゃまずいだろう。
それにアーチャーはセイバーにだって紳士だぞ。
敵意が有るのは、遠坂に対してだけじゃないのか?」
「わかってるわよ。………まあその辺はこれから、じっくり本人に問いただしてあげるわ。」
そう言って好戦的な笑みを浮かべた遠坂の視線の先には、稽古を終え居間にやってきた二人の姿があった。
「自分に食事は不要」
などとアーチャーは言ったが、何とか説得して共に食卓についてもらった。
その際にセイバーの
「シロウの料理は大変すばらしい。このためだけにでも現界してよかったと思えるほどに。」
という言葉が、どうやら一番効果があったらしい。
一口食べるなりご飯をかきこみはじめたアーチャーの姿を見ると、どうやら食事は気に入ってくれたらしい。
「馳走になった。
士郎殿、確かにセイバー殿の申した通り、貴殿の作るものは真に美味であった。」
真名で呼ぶわけにもいかないので、アーチャーはアーチャーと呼ぶしかない。
けれど俺はどうもマスターと呼ばれるのに抵抗があり、士郎でいいと言ったのだ。
だが、主君を呼び捨てにはできないとアーチャーが言い張り、妥協しあった結果、士郎殿に落ち着いたというわけだ。
「そう言ってもらえるとうれしい。……早速で悪いんだけどアーチャー。
これから聖杯戦争の監査役に会いに行くから、一緒に着いてきてほしい。」
そう言うと、アーチャーはうなずき
「無論、供をさせていただく。
………時に士郎殿、この魔術師も同行いたすのか?」
なんて遠坂を睨みながら、忌々しげに口にした。
遠坂は、むしろ待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべ
「あたりまえよ。あたしたちは基本的に一緒に行動するわ。
言っとくけど、これはあんたのマスターである士郎も納得してるわよ。」
フフン、なんて勝ち誇った。
アーチャーが遠坂を敵視する理由なんて、聞くまでも無いんじゃないか?
わかっててやってるだろ、それ。
案の定、アーチャーはさらに目付きを鋭くした。
「士郎殿の言ならばやむ終えまい。
だが魔術師、某は決しておぬしを士朗殿の仲間だと、ましてや恋仲であるなどとは認めんぞ。
確かに士郎殿はおぬしを好いているようだが、おぬしは間違いなく士郎殿に厄災をもたらす存在だ。」
その瞬間、
ブチン、と
比喩ではなく、確かに音がした。
「言ってくれるじゃない。
さっきから聞こうとは思ってたけど、あんた私に何か恨みでもあるわけ?
あいにくと私は那須与一になんて会った記憶はないわよ?
しかも士郎に厄災云々ってのには、どういう根拠があるわけ?」
遠坂、その笑みは怖すぎるぞ。
それに今まさにリアルタイムで、とばっちりという厄災が起きるような気がするのは俺の気のせいか?
「ふん、某とておぬしになど会った覚えなどない。
だがおぬしによく似た者を知っておる。
昨夜から思い出そうとしていたが、今ようやく合点がいったわ。
魔術師、おぬしは政子殿に気性がよく似ておるのだ。
かつての主君の奥方をこう言うのは忍びないが、心中で何かよからぬ事を企んでいそうな所など、瓜二つであるわ。」
しかしそういうアーチャーも、俺の知り合いに実に似ていたりする。
顔が似ているというわけではない。
しかしその性格や、特に遠坂と仲悪いとこなんかは、かつての同級生である一成にそっくりなのだ。
その一成も、他県の仏教系の大学に進学しており、この町には居ない。
それにしても今アーチャーは、政子殿なんて言っていた。
それって『尼将軍』なんて呼ばれてた、源頼朝の妻の北条政子のことか?
尼将軍………確かに遠坂にはふさわしいかもしれない。
きっと頼朝も苦労してたんだろうなぁなどと、時空を超えて共感していると、
すっかり調停役に納まってしまった感のあるセイバーが話題を変えた。
どうでもいいけど遠坂。最近マスターとサーヴァントの役目が入れ替わってるぞ。
「実はアーチャー、あなたに話しておかなければならないことがあるのです。
────シロウ」
「ああ。
………アーチャー、俺達はこれから聖杯戦争を戦っていく。
だけどそれは聖杯を求めているからじゃない。
俺達は聖杯を破壊するために参加するんだ。」
そう言うと、アーチャーは目を大きく開き俺を見た。
「セイバーが前回の聖杯戦争から現界していることは言ったよな。
この冬木に現れる聖杯は、なんでも願いが適うなんて便利なシロモノじゃない。
そのことを知った俺達は前回聖杯を破壊したし、今回もそうするつもりだ。」
その言葉にアーチャーは無言。じっと俺を凝視している。
「だからアーチャーが聖杯を求めるなら、俺は令呪を放棄する。
無責任に聞こえるだろうけど、他のマスターを探してほしい。
───アーチャー、それでも俺達と戦ってくれるか?」
アーチャーには単独行動のスキルがある。
ここで俺との契約を破棄しても、しばらくは現界できるはずだ。
「………答える前に問いたい。
聖杯を破壊することで、士郎殿にはどのような益があるのだ?」
こんなことをして、なんの得があるというのか。
それは、幾度と無くロンドンでも言われた言葉。
おそらくは、これからも問われ続ける問い。
「アーチャー、俺が得られるものは無いのかもしれない。
聖杯を破壊するのだって、誰かが傷つくのを避けたいだけなんだ。」
ある時は、それは偽善だと言われた。
知らない誰かのために傷つくなど、愚かだと罵られた。
けれど、どんなにどんなにどんなにどんなに否定されようとも。
その理想は間違いなんかじゃないと、あの時アイツと分かり合ったのだから―――
だから、この手に掴める何かが無くとも。
この理想を曲げることだけは、決してできない。
得るものは無い、と言った後には、静寂。
やがてアーチャーは一度瞼を閉じると―――
「承知した。元より某は聖杯など欲してはおらん。
士郎殿、貴殿の意思の元戦うことを、改めて誓おう。」
そう誓いを交わしてくれた。
遠坂とセイバーは「やっぱりね」などと苦笑している。
「ありがとうアーチャー。
………でも本当にいいのか?俺達にしてやれることがあったら、させてもらうけど。」
「士郎殿の気遣いはありがたい。
されど某は生前奇跡を願い、その契約によって守護者となった。
某の望みは、すでに果たされている。」
契約を?だけど那須与一には、奇跡らしい話は無かったと思うんだが。
屋島の弓の話は確かにすごいが、奇跡というほどのものでもない。
「なあ、アーチャーが願った奇跡って何だったんだ?
ただの興味だから、言いたくないなら無理には聞かないけど。」
どうやらその話には遠坂とセイバーも興味があるらしく、俺と共に答えを待つ。
アーチャーは少し考えた後。
「別段隠し立てすることもない。
某は、かつて壇ノ浦で平氏と戦った折、舟数も足りず敗北必至であった我ら源の勝利を願い、契約を交わした。
そしてその契約は、果たされた。」
その言葉に、遠坂は納得してうなずいた。
「なるほどね。
壇ノ浦の戦いではその途中、急に潮の流れが変わって源氏に有利になったって話だけど、そういうことだったのね。
それは歴史に変化を与え、因果律をも変えた。
………確かに、これ以上無い『奇跡』ね。」
「口惜しいがおぬしの言うとおりだ。
源のことはもちろんだが、某にはなにより、止まることを知らぬ平氏の横暴が許せなんだ。
ゆえにあの戦、決して敗北は許されなかった。」
でもそれじゃあ―――
まるで、国を救うために聖杯を求めたセイバーの話、そのものじゃないか。
「なあアーチャー。本当に望みは無いのか?」
俺が再度尋ねると、
「士郎殿。先に言ったように気遣いは無用。
某も戦の後には所領を賜ったし、なにより平氏の世が終わっただけで十分だ。」
それに、とアーチャーは笑い
「言ったであろう?士郎殿の作るものは真に美味であったと。
これからもぜひ願いたい。
セイバー殿の申した通り、あれを食せるというだけで、現界した甲斐はあったというものだ。」
それはきっと、アーチャーの気遣いだったのだろう。
だけどその言葉と表情が、本当に嬉しそうに見えてしまったので
「ああ、期待しててくれ。どんどん美味いものを作ってやるからな。」
こう言ってやることが一番正しいのだと、そう思ってしまった。
聖杯戦争の監査役は、前回言峰の後を継いで戦争後の収拾に当たった神父だった。
彼の話によれば、すでに六体のサーヴァントの召喚は済んでいて、最後が俺とアーチャーだとの事。
「御主らも物好きじゃの。この死にたがり共に御加護を、アーメン。」
なんてありがたい励ましを受け、俺達は教会を後にした。
月の浮かびし聖なる杯 第四話 〜開戦〜
あと数日で満月になるであろう月が、町を照らしている。
俺とアーチャーは二人、夜道を歩いていた。
聖杯戦争開始まであと一時間となった午後十一時、俺とアーチャーは遠坂達と別れ、家を出た。
危険はむろんあるが、別々に動きを取り、とりあえず他の参加者を挑発しようというわけだ。
なるべく早急に聖杯戦争を終わらせたい俺達としては、多少の危険には目をつぶるしかない。
そんなわけで遠坂達は深山町を、俺達は新都をとりあえず徘徊しようということになり、
俺とアーチャーは今、冬木大橋を歩いているというわけだ。
ちなみにアーチャーは、今日教会に出向いたときには、霊体となってもらった。
その帰りにいくつかアーチャーの服を買い、今は白いシャツに黒いジャンパー、ジーンズに帽子という、今の時代に違和感の無い格好で、現界している。
「それで士郎殿、シントに行くのはわかったが、あては有るのか?」
アーチャーがそう聞いてきた。
帽子の中に押し込めた髪が気になるのか、さっきからしきりに帽子を直している。
「ああ。とりあえずは今までの聖杯戦争に関係のあったところに行こう。
まずは中央公園に行こうと思う。」
あの公園は十四年前から、俺と聖杯戦争とは切っても切れない場所だからな。
あの場所には、他の参加者達も目をつけずにはいないだろう。
その言葉にアーチャーは満足そうに頷いた。
「うむ。善き案であると思う。
それと士郎殿。まだ聞いてはいなかったが、他のマスターに会ったらどうするのだ?
出来れば事前に方針を聞いておきたい。」
「………そうだな。
アーチャーには負担を掛けることになるけど、なるべく俺は他のマスターも傷つけたくは無いんだ。
まずは説得して、それで無理ならサーヴァントだけを倒すって方法を採りたい。」
そんな会話を交わしているうちに、俺達は橋を渡りきった。
「戦闘になったら、多少変則的だけど俺が前衛に出る。
アーチャーは弓で後方から援護してくれ。」
そう言った俺に、アーチャーは帽子を直す手を止め、
「何を血迷ったことを!魔術師が前衛に出るなど聞いたこともない!
確かに士郎殿の剣の腕はなかなかの物だ。
しかし、よもやサーヴァントに勝てるとでも?」
と本気で怒鳴ってきた。
その姿に四年前のセイバーが重なり、懐かしくなる。
遠坂達は今、恐らく柳桐寺の様子を探っている頃だろう。
「前回、俺はキャスターのマスターが前衛に出ているのを見たけどね。
………大丈夫だよアーチャー。俺はそこまで自惚れちゃいない。
サーヴァントとの能力の違いは、よく理解してる。」
では何故?と目線で問いかけるアーチャー。
「情けない話なんだけど、俺は五大元素に連なる魔術は、本当に半人前なんだ。
俺がまともに使える魔術は、昔から一つだけ。
そしてその魔術は、近距離でなければあまり意味がない。」
衛宮士郎がまともに使える魔術は、剣を投影することのみ。
ゆえに担い手である俺が敵と切り結ぶのは、あたりまえのことだ。
どうやらよほど心配なのだろう。
アーチャーは渋い顔をして、両手を組んでうなっている。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。アーチャーだって援護してくれるんだし――――
――――いざとなれば、ほとんど魔力は空っぽになっちゃうけど、たとえ宝具を使われたって防ぐ手立てはあるし。」
もっともあの盾と鞘は、短時間しか展開できない固有結界と同じく、まさにギリギリで使うべき切り札だ。
アーチャーはその言葉にようやく両手を解いた。
「承知した。ならば某の弓で、迫る刃をことごとく封じてみせよう。
………しかし、くれぐれも注意されよ。」
「ああ。
でもアーチャーって意外と心配性なんだな。」
そんな所も、一成そっくりだな。
そう言うとアーチャーは む、と憮然として立ち止まり、また帽子を直し始めた。
「本来であればこれほど心配はせんのだがな。
………あの魔術師を見ると政子殿を思い出すように、士郎殿を見ていると、どうも九郎殿を思い出すのだ。」
?九郎殿と言われても、あったこともない人物など知らないんだが。
そんな疑問が表情に出たのだろう。
「士郎殿には義経殿と言ったほうがわかりやすいか。
義経殿もまた平氏の横暴に心を痛め、源氏の武将として戦った。
士郎殿と同じく、ただ人を救いたいという願いで剣を取ったのだ。」
語るように話すその瞳には、アーチャーが初めてみせる悲しみが浮かんでいた。
「しかし義経殿は、己が幾度も助け、信じていたものに裏切られ謀殺された。
あの一件だけは某、どうしても頼朝公を許すことができん。
………士郎殿もまた、そのような道を辿るような気がしてならんのだ。」
助けた者に裏切られ、信じた者に殺される。
それは確かに、エミヤシロウが行き着くはずだった終わり。
英霊エミヤが、四年前に剣と共に語った俺の未来そのものだ。
だからきっと、「今」の俺じゃないような口調で、こんな言葉が出てきたのだろう。
「アーチャー、ソイツを間違っていたと思うか?」
アーチャーは、弾かれたように俺を見た。
「ソイツの歩んだ道を間違っていたと思うか?
ソイツは理想に溺れて死んだ愚か者だと、そう思うか?」
その言葉を噛み締めるように目を閉じると、アーチャーはわずかの後、
――――――――――首を横に振った――――――――――
「いいや。義経殿は坂東の武士の誇りであった。
あの方が歩まれた道は、決して間違いなどではない。」
そう言って開けられたアーチャーの目は、多分四年前の俺と同じモノ。
それなら、きっと
「――――ああ。きっと、間違いなんかじゃない。」
アーチャーみたいに信じてくれる奴がいたのなら。
大昔に死んでしまった、エミヤシロウによく似た男も、そう信じ続けていただろう。
中央公園に着いた俺達は、一通り周囲を回った後、中央の広場にやってきた。
あれほど明るかった月も今は雲に隠れ、まさに今のこの場所は、闇そのもの。
「なるほど、なんとも禍々しき所よ。
これが聖杯の所業だとしたなら、確かに士郎殿が破壊せんとするのもうなずける。」
確かに。今の俺になら、ここがどれほど普通でない場所であるかが判る。
すさまじい怨念と濃い魔力が、ここに異空間を作り変えていた。
「どうやら周囲にもこの場所にも、今は特に何かがあるわけじゃないな。
アーチャーには何か見えるか?」
もっとも、俺も目の良さには自信がある。
暗いとはいえ、これほど見晴らしのいい場所で何かを見落とすなんてことは、
そうないだろう。
「何も。
そういえば士郎殿。
先ほど戦闘における陣形について話したが、一つ言っておかなければならんことがある。」
「?何だ?なんでも言ってくれ。」
俺がそう尋ねると、アーチャーはめずらしく口籠もってしまった。
「………ううむ、実は某の宝具のことだ。」
そういえば、アーチャーの宝具については、何も知らない。
弓兵だからといって弓が宝具であるとは限らないし、なによりその力を知っているのといないのとでは、戦い方も変わってくる。
「真に言いにくいことではあるのだが……。
某の宝具の力は、相手を直接打倒し得るものではない。
威力そのものは単に弓を射たほうがよほど強い。
体力では最弱のキャスターすら、直接倒せるかどうかわからん。」
「?単にってことは、宝具はやっぱり弓なのか?」
その質問にアーチャーは、うむ、だがそれだけでは無い、と言った。
「その効果はある程度続くのだが、基本的に対象は敵一人だ。
にもかかわらず、某の宝具は膨大な魔力を消費する。
おそらく二回使用すれば、某は現界できなくなるだろう。」
「!?それじゃ実質的には、一回しか使えないって事か。
それってやっぱり、俺からの魔力供給が少ないからか?」
だとしたら、とても申し訳ない。
かつてセイバーの足を引っ張ったのに、今度はアーチャーの足を引っ張ることになるのか。
「いや。某が士郎殿から受ける供給量は、普通の魔術師とさして変わらん。
これはすべて、某の宝具の使い勝手の悪さによるものだ。
士郎殿の責ではない。」
その言葉が真実かどうかはわからないが、その中に俺を責める響きはない。
だからこそ、余計に申し訳なってくる。
例えば遠坂がマスターだったのならば、使用も五、六回は軽いのだろう。
だけどそれは、俺に力を貸してくれているアーチャーに対して、吐いていい弱音ではない。
「わかった。宝具の使用は極力控えよう。
それでその宝具の力ってのは、結局何なんだ?
一応それだけでも知っておいたほうが――――――――
その瞬間、
ゾクリと
すさまじい寒気が襲った。
かつて幾度となく襲ってきた感覚。
衛宮士郎のあらゆる全てを刈り取っていくような、圧倒的な死の恐怖。
ヒトがケモノであったときから持つ、生物としての最大級の警戒警報――――
「――――よもやこのように早く、相手が見つかろうとはな。」
まるでその声に急き出されたように、月が顔を見せた。
その声は太く、戦闘への悦びを隠そうともしない。
現れたその男の身長は、およそ俺と同じくらいか。
口に髭を蓄え、その体はアーチャーのものより硬く、豪奢な鎧で覆われている。
そして肩には――――
「――――ランサーか!」
四メートルほどもあるだろう。巨大な槍が担がれていた。
迂闊だった。ここは異常でのみ造られているような異界だったのだ。
魔力の異変に気づき難く。
なによりこの場所では、エミヤシロウは悪夢以外のものを見たことがないというのに。
そんな場所で、のんきに話し込んでいたなんて――――――――。
「いかにも。
瘴気の濃き場を見に来れば、なんとも間の抜けた獲物がいたものよ。
不意を突いておれば、貴様らはすでにこの世にはおらんぞ。」
クククと、その身を震わせて、ランサーは哂う。
「ほざけランサー。
できもせぬことを恫喝に使うなど底が知れるわ。
第一、おぬしのマスターはどこにいる。」
そう返したアーチャーは、すでにその身を鎧に包んでいる。
そしてその手には、俺も初めて見る漆黒の弓。
「主は高みの見物、といったところよ。
どこぞ遠くから覗いているのであろうな。
――――侮るなよ?
アーチャーである貴様と魔術師ごとき、一人で相手にできぬとでも思うか?」
その眼光は、こちらを射貫く槍のごとし。
さらに密度を増した殺気は、形となって視ることさえできるだろう。
「魔術師ごときだと?
おもしろい。
主君を辱められ黙っていられるほど、こちらも人間はできておらん。
………士郎殿。」
そういってアーチャーは、好戦的な笑みを浮かべ、
「マスターの説得は、その本人が居ないため不可能となった。
先ほどの方針に変更は?」
その一言で、覚悟が決まる。
「――――変更はない。
説得が無理ならサーヴァントを叩く。
奴を倒すぞ、アーチャー。」
応、というアーチャーの掛け声と共にランサーが槍を構え。
衛宮士郎の二度目の聖杯戦争の火蓋が、切って落とされた。
アーチャーは事前の打ち合わせの通り、ランサーから二十メートルほど距離をとった。
目の前のランサーは、槍を構えたまま微動だにしない。
(こちらの準備が整うまで、待ってやるというわけか。)
「――――投影(トレース)、開始(オン)。」
一瞬の後に現れた干将・莫耶を手にし、俺はランサーへと突進していった。
月の浮かびし聖なる杯 第五話 〜初戦〜
ランサーの槍捌きは、まさに旋風のようだった。
こちらの攻撃をその長大な槍で受け、払い、流す。
そしてこちら以上の手数で俺の胴を薙ぎ、急所をついてくる。
ただでさえ射程は向こうのほうが遥かに長く、広い。
だってのに、なぜ俺が未だに立っていられるかといえば―――
――――――ヒュゴッ――――――
音と共に空気を裂き、俺の頭の横を通り過ぎていった、矢のおかげだ。
そう。アーチャーは俺の後方三十メートルのあたりから、その弓の腕を振るい続けている。
俺を間に挟んでいる時でも、その矢は的確にランサーを狙ってその手数を減らさせ、
俺に向かってくる槍の軌道をずらし続ける。
その息も継がせぬ速射もすごい。
しかし驚くべきはその威力。
その矢の威力は、まさに音速で飛ぶ砲弾に匹敵する――――――
正直な話、俺は甘く見ていた。
ランサーではなくアーチャーを、である。
前回のアーチャー、英霊エミヤはほとんど弓を引かなかった。
また引いたとしても、その矢は投影された剣であったし、俺は「アーチャー」というクラスの力をほとんど知らなかったのだ。
俺自身、弓の腕には多少自信がある。
だけど、そんな「多少の自信」が何だ?
一息のうちに三射、三十メートルの距離から高速で動き続ける的を射るなど、
人にできることではない――――――
俺の喉を狙った槍をアーチャーの矢が打ち、逸らしてくれた瞬間。
俺は右手の陽剣・干将を五メートルほど先にいるランサーに向かって投げつける。
その剣を槍で弾こうとしたランサーはしかし、アーチャーの二射目が同時に
自身を襲うことを知り、身をひねって干将をかわし、矢をはじく。
だが、その隙に俺はすでに跳躍して五メートルの距離を縮め。
自身の必殺の間合いとして、左手の莫耶でランサーの胴を凪ぐ―――。
取った、と思った瞬間。
ランサーは、何と前にでて俺に密着してきた。
ザクン、とランサーの鎧を斬った手ごたえは、浅い。
(鍔元で受け、深手を避けたか!)
そして俺はそのままランサーの当身を受けた。
転倒こそしなかったものの、十メートル近く吹き飛ばされ間合いが大きく開く。
ランサーの追撃に備え、再び干将を投影しようと構えるが、予想に反してランサーは槍を振るってはこなかった。
「いや、大したものだ。
まさか、マスターが前線に出て切り結んでくるとはな。
我が主にもその位の気概がほしいものだ。」
そう言うと、ランサーは槍を肩に担いだ。
アーチャーが後ろから駆け寄り、俺と肩を並べる。
「ほう。
それで敵わぬと見て、構えを解いたか?
士郎殿に先ほどの無礼を詫び、
おぬしのマスターの居所を吐けば、見逃してやらんでもないぞ。」
そう言うアーチャーだが、無論本当にそう思っているわけではないだろう。
ランサーの殺気は治まるどころか、むしろその強さを増しているのだから。
ランサーは口元を歪め、
「先ほどの言は取り消そう。
おぬしらは中々の強敵よ。
その侘びとして――――――。」
ランサーは槍を肩から降ろし
「――――――我が槍を付けてくれるわ。」
最上の殺気を放ち、槍を横にし腰をひねった。
ランサーの構えは槍にもかかわらず、突くのではなく、薙ぐ構えだ。
槍を付ける、とはこちらに振るうということ。
今まで切り結んできたのに、改めてランサーはそう宣言してきた。
そしてなによりあの殺気。
間違いなく、ランサーは宝具を使う気だ。
アーチャーもそれを感じたのだろう、俺より半歩前に出て、自身を盾にしようというように、構える。
――――考えろ、遠坂は今回の戦争では、日本の英霊しかいないと言っていた。
思考すべきは日本の槍の伝説だ。
ランサーがスゥと目を細める。
その真名を知れば、その力も予想できる。
止められるのか、かわすべきなのかを決められる。
「食らえ、我が槍――――――――――」
思い出せ!どんな槍がある?
有名なものは日本号、手杵の槍、あとは――――――
「――――――――――蜻蛉切(ただ、勝つべき斬光)――――――――――」
閃光が走った瞬間、
「アーチャー!俺を抱えてできるだけ高く跳んでくれ!」
思考も何もかも投げ捨て、俺は令呪を使用していた――――。
アーチャーによって抱えられ、俺が跳んだのは八メートルほど。
その俺の下では光の刃が通過し、そのまま五十メートル後方に生えていた木を次々と切り倒し、闇の中に消えていった。
地面に着地した俺は、後ろを振り返った。
そしてそこで、異様な光景を見る。
背後の木々は残らず薙ぎ倒されている、それはいい。
しかし、問題なのは木々と共に立っていた街灯。
共に斬られるはずのそれが、まったくの無傷であるということだ―――――
天下三槍が一、『蜻蛉切(とんぼきり)』
日本号、手杵の槍と共に日本三大名槍に数えられる名槍。
戦国時代、「勝ち虫」と呼ばれた蜻蛉が、先端に止まっただけでその身を真っ二つにしたことから、彼の槍はその名を「蜻蛉切」と呼ばれた。
そしてその担い手といえばただ一人
その生涯で五十七度の戦を経験し、
ただの一度も手傷を負わなかった、戦国時代最高の槍の使い手。
徳川十六神将の一人であり、
「ただ、勝つのみ」の名を与えられ、
其の名の通り、戦では唯の一度も敗北しなかった男。
「………本多、忠勝か」
俺の言葉に、あっさりとランサーはうなずいた。
「如何にも。
我が名は本多平八郎忠勝。
そして―――」
ランサーは槍を掲げ、
「この槍は蜻蛉切。共に戦国の世を駆けた自慢の愛槍だ。」
魔術によってランサーが掲げた槍を「解析」し、情報を引き出す。
――――解析――――あの槍は、セイバーのエクスカリバーと同じく斬撃を飛ばす。
――――解析――――その威力は、神造兵器たるエクスカリバーに比べれば遥かに弱い。
――――解析――――しかしその閃光は、『生物以外の全てを』すり抜ける。
――――故に物質であるのなら、如何に強固な物であろうと楯になり得ない――――
どれほど強固なものを投影しようと、防ぐことのできない光の刃。
令呪を使って初撃は凌いだが、あれを人の身でかわすのは不可能だ。
次にあの宝具を使われたら、「楯」か「鞘」を投影するしかない。
しかし、切り札は投影できて二度か三度。
だがランサーの宝具は、威力が落ちる分その魔力消費も少ない。
ならば――――
連続して使われれば敗北は必至。
ならば二度と使わせなければいい。
結論に達し、再びランサーに切りかかるべく、足に力を込める。
しかし当のランサーは槍を構えるわけでもなく、再び肩に担ぎ直す。
先ほどとは違い、その殺気も収めていた。
怪訝に思う俺とアーチャーを見て、ランサーは笑った。
「慌てるな。思いもよらず興が乗ったが、我が目的はあくまで様子見よ。
宝具を使用したせいで、先ほどから我が主も帰ってこいと五月蝿くてかなわん。」
もう戦闘の意思は無いということか?
必殺の宝具をかわされたにもかかわらず?
「ふざけるな、ランサー。
某達が黙って貴様を帰すと思うか?」
そう言うアーチャーの声に、油断は無い。
「侮るな、と言っただろう?
いかに貴様らが我が槍を使わせんとしても、この身は生前傷を負うことも無く、
また敗北も知らぬ。
いかに貴様の矢が刺さろうが、我が槍は確実に貴様の主の首を落とすぞ。」
そう言って、再び殺気を放つランサー。
おそらく、見栄ではない。
その証拠に、先ほど莫耶で傷つけた場所からは、一筋の血も流れていない。
おそらく切り裂いたのは鎧のみ。
英霊の特性は、生前の逸話、伝説に大きく左右される。
ならば、ただの一度も傷を負ったことのないと言われるランサーは、
高い防御と幸運を持っているのだろう。
「ランサー、お前は何のために聖杯を求めているんだ?」
何となく聞いてしまったが、無論答えが有ると期待しての物ではない。
しかし予想に反して、あっさりとランサーは答えてきた。
「我が望みは血の滾る戦だ。聖杯などどうでも良い。
徳川の世となってからは槍を振るう機会もなく、我ら武士は朽ちていくのみであった。
故に再び戦を求め、我は現界した。」
その言葉に、嘘は無いと感じた。
「もう一つ質問させてくれ。
お前は力を蓄えるために、町の人達を襲うか?」
そう質問した俺に対し、ランサーは苦笑した。
「質問の多きことよ。
………まあ我が鎧を傷つけた褒美に答えてやる。」
そう言うと、ランサーは目を細め、
「そのようなつもりはない。
そのようなことをせずとも、この身は敗北を知らぬ。
なにより我が求めているのは戦であって、勝利ではない。
自身の本来の力以上を得ようとは思わん。」
それに、とランサーは再び苦笑して、続ける。
「まあ、主に令呪を使われて命じられれば別だが………
その心配も無かろう。
我が主は貴様と違い、魔術師の多分に漏れず慎重だ。
令呪を使い切れば我が襲うと考えているからな。
令呪を使ってまで、そのような目立つことは命じまい。」
その言葉を聞いて、俺は決断した。
「わかった。
アーチャー、この場は退こう。」
俺の言葉を聞いて、アーチャーは驚いて俺を見た。
恐らく死力を尽くし、切り札を使えば、俺とアーチャーならランサーを倒せるだろう。
しかし切り札を使えば、魔力の回復には数日を要する。
ランサーは、町の人達に手を出すつもりは無いといっていた。
そのランサーを倒した後、人を巻き込むことなど何とも思わないマスターとサーヴァントが出てきた時、ガス欠だったじゃ本末転倒だ。
ふいに、遠坂が言った言葉を思い出す。
『士郎。あなたが全てを助けたいと思うなら、なにより自身の力の効率を考えなさい。
犠牲にする人間の効率じゃないわ。
魔術使いとしての力の効率を。
自分の力で、本当は何をすべきなのかをね。』
全てを救いたいなんて無茶言うんだから、頭もちゃんと使いなさいよ。
何て、遠坂は笑いながら言っていた。
ランサーは何時か倒さなければならないだろう。
だが、その何時かは今でなくてもいい。
ランサーは、未だ自身を睨むアーチャーを見て告げた。
「聞きたき事はそれだけか。
なれば我は行く。
そう睨むなアーチャーよ。貴様とは、いずれ必ず決着を着けてくれるわ。」
そういい残し、ランサーは闇の中に消えていった。
「すまないアーチャー。
アーチャーはこの場で奴を倒したほうが良いと思うかもしれない。
共に戦うアーチャーの意見も聞かず、俺の独断で奴を逃がしてしまった。」
未だランサーの消えた方角を睨んでいるアーチャーに、俺は声をかけた。
こちらを振り返るアーチャー。
しかし予想に反して、その顔は穏やかなものだった。
「気に病むことは無い。
士郎殿は、思うが通りに行動してくれて良い。
この場は引いたほうが良いと士郎殿が判断したのであれば、それは某の判断も同じ。
約定を交わした通り、某は士郎殿の意思の下に戦う。」
そういって浮かべた笑みにはただ、俺に対する信頼。
その笑みを見て。
本当に自分はサーヴァントに恵まれていると、思う。
かつてのセイバーと同じように。
アーチャーは、こんな俺を心底信頼してくれている。
「ありがとうアーチャー。
――――帰ろうか。ランサーのことを、遠坂達に報告しないとな。」
遠坂、という言葉に微妙な顔をするアーチャーと共に。
俺達は、月の方向にある家へと向かい、歩いていった。
戦闘が始まってから五分あまりが経過したころ、月明かりを受けたワタシのセイバーの剣が、斬、とライダーの首を切り飛ばした。
頭部を失ったライダーはそのまま倒れ、その身を聖杯へと還していく。
それを見たライダーのマスターは何事かをわめき散らし、身を翻して逃げていった。
本来であれば、後顧の憂いを絶つためにマスターも殺したほうがいいのだが、
あんなクズを追う必要はないだろう。
そして、初めての勝利の高揚もまた、ワタシの胸には湧き上がってはこない。
だって勝利など当然のこと。
ワタシのサーヴァントは七つのクラスで最高のセイバーであり、英霊としても最高の人物を現界させたのだから。
なによりワタシはエリシール・フォン・アインツベルン。
必勝を義務付けられた、アインツベルン最後の器なのだから。
月の浮かびし聖なる器 Interlude 〜sisters〜
「キリコ、もう出てきてもいいよ。」
セイバーを霊体へと戻し、隠れてこちらを伺っているであろう義妹に、
ワタシはそう声をかけた。
所要で出かけようとしていたワタシ達が侵入者に気がついたのは、聖杯戦争開始からすぐのこと。
目的は偵察といった所だったのだろうけど、このアインツベルンの城には、その周囲の森も含めて侵入者を探知する魔術結界が張られている。
そんなことにも気づかず、侵入してきたのは能力の低い、在野の魔術師だった。
キリコに実戦を経験させるいい機会かとも思ったが、とりあえずはサーヴァント同士の戦闘がどんなものかを見せるために、ワタシとセイバーが迎え撃ちキリコには隠れているよう指示を出した。
あっさりと見つかったことに驚愕していたライダーのマスターは、魔術師としてもマスターとしても三流の男。
使う魔術も戦術も三流、脆弱にして惰弱、五分では練習にもなりはしない。
サーヴァントであるライダーはなかなかに優秀だったが、マスターがあれではどうしようもなかっただろう。
ワタシにとっても初めてだったサーヴァント同士の戦闘をそんな風に分析していると、
隠れて見ていた義妹のキリコがようやく姿を見せた。
恐怖のためか、器として作られ、成長できないワタシと違って年相応に成長した身体をわずかに震わせ、キリコがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
窓から差し込む月明かりを受けるその髪は、黒く、長い。
「ねえキリコ。あのライダーって何ていう英霊だったんだろうね?
ニホンで有名な人物なのはまちがいないと思うんだけど。」
そう話し掛けたものの、答えはあまり期待してはいない。
キリコは確かにこの国で生まれ育った子だが、歴史に詳しい訳でもないだろう。
こんな話題を振ったのは、あくまで少しでも恐怖から現実に引き戻してあげるため。
「わかり……ません。ごめんなさい。」
案の定、青白い顔をしながら、キリコはうつむいてワタシにあやまる。
キリコに初めて会ったのはおよそ一年前。
年はワタシと一年も違わないというのに、キリコはいつもワタシには恐縮した態度で接する。
もっとも、年などは関係ないのかもしれない。
あの忌々しいキリツグが、ワタシが母様の胎内にいるときに四回目の聖杯戦争の準備にアインツベルンを離れ、一時このニホンに来たのが十六年前。
アーサー王を呼び出す触媒としての『鞘』は、すでにアインツベルンによって発掘されていたが、キリツグとアインツベルンのチームは『万が一』の予備として、もう一つの触媒をこのニホンで手に入れた。
その際にキリツグは現地でアイジンをつくり、キリツグがニホンを離れてアインツベルンに戻った後に生まれたのがキリコだ。
そのキリコの母は、キリコにキリツグの事は何も告げずに二年前にこの世を去り、キリコは一年間シセツと言う所に預けられていた。
そのキリコを、今回の聖杯戦争のシステムの変更と準備のためニホンを訪れたワタシと世話係が引き取り、この城に住み始めたのが一年前。
それ以来キリコは、ずっとワタシに対して何処か遠慮して接している。
ワタシもキリコの存在を知ったときは、つねに冷静でなければならない魔術師らしくも無く動揺し、あの男のアイジンの子ということで嫌悪もしたが、キリコには何の罪も無い。
イリヤ姉様の予備として造られ、大老と極一部の世話係以外、存在を知らないワタシと。
父親のキリツグに、その存在を知られること無く去られたキリコ。
そんな何処か似た境遇が、キリコへの抵抗を弱めたのだろう。
「別に謝らなくてもいいわ。
宝具を使わせる前に倒しちゃったしね。
まあニホンでライダーになりそうなのはマエダとか、たぶんそのあたりでしょ。」
もっとも、宝具を使おうとどうしようと、絶対にワタシのセイバーが負けるなんて事はありえない。
ワタシのセイバーは、アーサー王の予備としてアインツベルンがキリツグと共に発掘した、例の触媒で呼び出したものだ。
ただし、予備とはいえその力は絶大。
ワタシもニホンに来てからこの国の英霊となりそうな人物を調べたが、こと『ニホンの英霊』であるのなら、まずセイバー以上の存在はいないだろう。
信仰の強いニホンでなら、恐らくアーサー王とて倒し得る。
しかし、油断はならない。
必勝を期して送り込んだキリツグの裏切りと、最強のバーサーカーを従えた姉様の敗北。
我がアインツベルンは、二度の『絶対』を逃した。
おそらく今回聖杯を手にできなければ、アインツベルンはその機会を永遠に失うだろう。
ゆえに、才能はあるものの、魔術の基本すら知らないキリコにまでサーヴァントを召喚させ、聖杯戦争に参加させたのだ。
キリコはためらったが、勝利を確実なものとするために、ワタシのパートナーとなってもらった。
だが、キリコの召喚したサーヴァントを見たときは驚いた。
触媒無しの召喚であったし、魔術師としては未熟なキリコであったから、
大した戦力となることは期待していなかったのだが、よりによって『アレ』が召喚されるとは。
『アレ』が英霊であったのにも驚いたが、『キャスター』というのがまた皮肉だ。
いっそふさわしいのは『アサシン』あたりだと思うが、アサシンはすでに召喚されていたのかもしれない。
まあ、どんなクラスでもかまうまい。
いずれにせよ、思いがけない『娯楽』ができたことに変わりはないのだから。
ワタシのセイバーとキリコのキャスターを使って残りのサーヴァントを倒し、イレギュラーとして参加したアーサー王を消し、聖杯となった姉様の心臓を破壊したカレを殺す。
そして最後にキャスターの首を刎ね、ワタシは聖杯になる。
この予定に変更はない。
それはアインツベルンに生まれたワタシの宿命。
逃れられない義務であるのならば、せめてこの程度の『娯楽』は許されるだろう。
「あの……エリス義姉さん。今日はこれから………。」
会話が途切れてしまったことに不安を感じたのだろう。
キリコがおずおずと話し掛けてきた。
「そうね。
今日はもう休もうか?
ライダーが来て予定が狂っちゃったけど、明日こそ―――」
ワタシがそう言うと、キリコは辛そうに俯いた。
「―――明日こそ、挨拶に行こう?
アタシ達のシロウお義兄さまに、ね。」
そんなに辛そうな顔をしないで。キリコ。
だって、これは仕方の無いこと。
ワタシはエリシール・フォン・アインツベルン。
必勝を義務付けられた、アインツベルン最後の器なのだから―――――――
究極の宝具が、今まさにその姿を現そうとしていた。
担い手の名は、恐らく日本人であれば誰もが耳にしたことがあるだろう。
その存在は、幾たびの戦いを経て不敗。
彼の宝具を前にして、大地にひれ伏さぬ者は無く。
その宝具と共に告げられる担い手の真名を聞けば、いかな強敵でも逆らうものは無し。
何人も殺さず戦意を喪失させ、あらゆる悪を挫き、全ての人々を救う。
エミヤシロウの理想を具現化した、セイバーのエクスカリバーをも凌駕しうる、
日本における『最強の幻想(ラスト・ファンタズム)』――――――
『この印籠が目に入らぬかぁ!』
勧善懲悪と言う、日本人の「こうであってほしい」という想念(お約束)が生んだ
その宝具の名は『葵の印籠(権威に逆らう者は無し)』
そしてその担い手は唯一人。
アーチャーが食い入るように見ているテレビの中で、何十年にも渡って世直し
を続けている、自称お節介なご隠居さんである。
月の浮かびし聖なる杯 第六話 〜索敵〜
日本で最も長く続いているであろう時代劇を見終わったアーチャーとセイバーが、
俺の入れたお茶を飲み始めた頃、時刻は九時を迎えていた。
聖杯戦争が始まったとはいえ、日中特にすることが無く、さりとて藤ねぇ達に帰国を秘密にしている以上、外を出歩くわけにもいかない。
そんな俺達ができることといえば、遠坂は宝石の練成、残りの俺達は道場で稽古ぐらいしかないのが現状だ。
とはいえずっと稽古ばかりをしているわけにはいかないので、必然的に俺とセイバー、アーチャーは、衛宮家唯一の娯楽であるテレビの前に座る時間が長かった。
夕方の再放送をみて、時代劇をひどく気に入ったらしいアーチャーの要望で、俺達四人は食後のお茶を啜りつつ、この時間までテレビをみてしまったというわけだ。
伝統的なエンディングテーマが流れるのを聞きながらふと顔を向けると、なにやら遠坂がニヤニヤとこちらを見ていた。
「………どうした?遠坂。」
できれば、声など掛けたくは無い。
遠坂がこんな顔をしているときは、絶対にろくでもないことを考えているに違いないからだ。
しかし同時に、声を掛けないとそれ以上に厄介なことになることもまた、経験上知っている。
遠坂は俺の言葉に、ちょっとね、などと前置きをして
「昔を思い出したのよ。
まだ子供の頃よく行ってた公園で、今のテレビみたいなことをやっていた男の子が
いたなぁって。」
ニヤリ、と。
いっそう邪悪な笑みを浮かべて、遠坂が言った。
遠坂の子供時代、という言葉を聞いて、テレビのほうに視線を向けていたセイバーとアーチャーがこちらを向く。
「今のようなこととはなんです?リン。」
そうセイバーが口にすると、遠坂は一層嬉しそうな笑みを浮かべた。
「昔この近くの公園に、いわゆるいじめっ子ってのがいてね。
ある日ソイツが年下の女の子を泣かしてたのよ。
まぁそのいじめてた奴の事は、あたしもあんまり好きじゃなかったから
ちょっと懲らしめてやろうとしたんだけど。」
遠坂の笑みは、喋るごとに邪悪になっていく。
そしてそこまで聞いたとき、俺はその笑みの意味に、気付いてしまった。
「いきなりそいつに向かっていった男の子がいてね。
いじめを止めようとして、そいつと取っ組み合いになったのよ。
まぁ喧嘩自体は止めようとした男の子が勝ったんだけどね。」
そこからが傑作なのよ、と、遠坂は続ける。
しかし、聞いている俺としては傑作なんてもんじゃない。
自分の顔の血が引いていくのが、わかる。
「その子、ポケットから板切れを取り出してね。
さっきの決め台詞よろしく言ったのよ。
『この紋所が目に入らぬかぁ』ってね。
最も、板に書いてあったのは家紋じゃなくて。」
頼む、遠坂。
もう、勘弁してください(泣)。
「丸の中にひらがなで『え』って書いてあっただけだったけどね。
もうそのときの周りの反応のすごいこと。
あの年頃の子供を一斉にシーンとさせるなんて、あれはもう固有結界の一種ね。
──────そう思わない?『衛』宮士郎君?」
『衛』の部分を遠坂が強調したことで、全てを察したらしいセイバーが
気の毒そうな顔をこちらに向けてくる。
仕方が無かったんだ、セイバー。
あの年の男の子なら、誰だってヒーローごっこくらいはする。
模倣すべきヒーローが、幼いエミヤシロウにとっては、アレであっただけ。
そしてその原因は、全てオヤジのせいだ。
正義の味方にあこがれる俺に『士郎、これが正義の味方の一つの結論の形だよ』
なんてことを言うから────────
「ふむ、その男の子(おのこ)は実に善き事をしたものだ。
其の一件で、二人の子を救ったのだからな。」
胸中で親父に文句を言いつつ、これから始まるであろう遠坂の追求(イジメ)に
対処する方法をあれこれ考えていると、今まで黙っていたアーチャーが不意に口を開いた。
俺を庇ってくれているのかとも思ったが、俺達と出会って日の浅いアーチャーが、
今の話の裏に気付いているとも考えにくい。
どうやらアーチャーは本心からそう思っているようだ。
「二人?印籠少年が助けた女の子は一人よ?」
遠坂がお茶を啜りながら、アーチャーの言葉を訂正する。
しかし遠坂、印籠少年は無いだろ、いくらなんでも。
「二人、だ。
イジメとやらを行っていた方を数え忘れてはおらんか?」
「?印籠少年は叩きのめしたのよ?
それの何処が助けたことになるわけ?」
遠坂の疑問に、アーチャーは皮肉げに口を歪め、答える。
「わからんか?
もしその男の子が止めなければ、魔術師、貴様が止めていたのだろう?
────真によかった、もしそうなっていたら、イジメを行っていたほうは、
一生消えん傷を心に負っていたやもしれん。」
アーチャー、パートナーとして庇ってくれるのは、とても嬉しい。
けど頼むから、遠坂を挑発しないでくれ。
もう今日だけで、十二回も2人の喧嘩を止めているんだぞ?
案の定、アーチャーに食って掛かった遠坂を宥めながら、聖杯戦争よりも心労でどうにかなるんじゃないかと真剣に考えていると、我関せずと今まで煎餅を食べていたセイバーが、まるで保母さんのように2人を嗜めた。
「2人ともそこまでにしてください。もうすぐ外に出る時間になります。
リン、今日はどのように行動するのです?」
そう言われ、遠坂はもうそんな時間?と時計を見る。
アーチャーも引下り、その表情を引き締めた。
………やはりセイバーは、俺の知らない間にスキルを会得したに違いない、『調教』とか。
「そうね。しばらくは二手に別れて行動するつもりだったけど。
昨夜士朗達がランサーと接触した以上、今夜は四人で新都の方に向かう
ってのもありだと思うわ。」
遠坂の提案に答えたのはセイバーだった。
「ですがリン、今夜もランサーが新都にいるとは限りません。
やはり、二手に別れたほうが効率がいいのでは?」
「ええ。つまりは効率を取るか安全を取るかってことね。
私はどっちでもかまわないと思う。
士朗とアーチャーは?」
最初に答えたのは、アーチャー。
「某はどちらでもかまわん。
だが、強いて言えば別行動のほうを推す。
ランサーは必ず決着を着けると言っていたからな。
いずれ、あちらから姿を見せるだろう。」
「俺もアーチャーと同意権だ。
俺たちの目的が聖杯戦争の早期終結である以上、多少の危険は覚悟して、効率の方を取るべきだと思う。
何か異変があったときは、四人でいくべきだと思うけど─────」
そう言いかけた時。
つけっぱなしになっていたテレビから、そのニュースは流れてきた。
『では次のニュースです。
今日の夕方、冬木市の新都オフィス街で、勤務中のサラリーマンやOLが集団で意識不明になるという事件がありました。
死亡者は今のところ出ていませんが、原因は不明との事で─────』
そこから先は、もう耳には入ってこなかった。
原因など、わかりきっている。
「どうやら、士朗の言ってる異変ってのが起こったらしいわね。
今日は四人で新都の方に行きましょう。
異論はないわね?」
遠坂のその言葉に。
俺達三人は、声も無くうなずいた。
新都のオフィス街は、ランサーと戦った中央公園より、さらに離れた場所にある。
今日最後のバスで駅前パークに着いた俺達が、このオフィス街まで来たときには、
すでに日付が変わろうとしていた。
昼間は多くのサラリーマンやOLで溢れるこの場所も、この時間は恐ろしいほど静かだ。
俺達は今、その新都を歩いている。
「セイバー、アーチャー、他のサーヴァントの気配は?」
俺の言葉に並んで歩く2人は、今のところは何も、と首を振った。
「そっか。遠坂の方はどうだ?」
セイバー達が他のサーヴァントの気配を感じ取れるように、俺達魔術師もまた、他の魔術師の存在を感じ取ることができる。
俺では気がつかない結界の痕跡なども、遠坂なら気付くかもしれない。
「だめね。
……………士朗。今回の件、ランサーだと思う?」
遠坂は、どこか言いにくそうに聞いてきた。
恐らく、俺を心配してくれているのだろう。
もし昨日逃がしたランサーが、今日の事件の犯人であるのなら、と。
「………いいや。
ランサーは人を襲うつもりは無いといっていた。
あの言葉に、嘘は無いと思う。」
遠坂を安心させるようにそう言うと、アーチャーが頷いた。
「うむ。
ランサーは気に食わぬ男であったが、あれは真の武人だ。
言を違えるとは思えぬ。
恐らくは他のサーヴァントが─────。」
そこまで言ったアーチャーと
その隣を歩いていたセイバーがピタリ、と一瞬動きを止めた後
バッ!と振り向き、左前方にあるビルの屋上へと、2人は同時に鋭い視線を向けた。
「シロウ、リン、どうやら四人でここに来て正解だったようです。
─────サーヴァントが、あのビルにいます………な!?」
鋭い目つきで屋上を睨んでいたセイバーの顔が、驚愕に染められた。
そのセイバーと、こちらは特に驚いた様子も無いアーチャーを除いた俺達は、
屋上へと視線を向ける。
そこでは
こんな場所にも時間にも不釣合いな
四年前に心臓を抉られ、死んだはずの白い少女が
あの時と、まるで変わらぬ姿でこちらを見下ろしていた。
「イ…………リヤ?」
少女の名が、自然と零れた。
その呟きを聞いた遠坂が、え?と、弾かれたようにこちらを見る。
この距離では、恐らく遠坂には見えないのだろう。
アーチャーは、イリヤの事をそもそも知らない。
見えていて、イリヤの事を知っているのは俺とセイバーだけだ。
驚愕に思考が一瞬停止していると、不意に屋上の少女の口が開いた。
もちろん、この距離で声など聞こえるはずが無い。
しかしその唇の動きで、少女の言ったコトバが理解できてしまった――――。
「シロウ?!待ってください!」
ビルに向かって駆け出した俺を止めたその声は、セイバーの物だったのだろうか?
わかってるさ、これが罠だろうなんてことは。
けれど、地面を蹴る足を止められない。
だってそうだろ?
「シロウ」と
あの少女は、確かにそう口にしたのだから―――――――