究極の宝具が、今まさにその姿を現そうとしていた。
担い手の名は、恐らく日本人であれば誰もが耳にしたことがあるだろう。
その存在は、幾たびの戦いを経て不敗。
彼の宝具を前にして、大地にひれ伏さぬ者は無く。
その宝具と共に告げられる担い手の真名を聞けば、いかな強敵でも逆らうものは無し。
何人も殺さず戦意を喪失させ、あらゆる悪を挫き、全ての人々を救う。
エミヤシロウの理想を具現化した、セイバーのエクスカリバーをも凌駕しうる、
日本における『最強の幻想(ラスト・ファンタズム)』――――――
『この印籠が目に入らぬかぁ!』
勧善懲悪と言う、日本人の「こうであってほしい」という想念(お約束)が生んだ
その宝具の名は『葵の印籠(権威に逆らう者は無し)』
そしてその担い手は唯一人。
アーチャーが食い入るように見ているテレビの中で、何十年にも渡って世直し
を続けている、自称お節介なご隠居さんである。
月の浮かびし聖なる杯 第六話 〜索敵〜
日本で最も長く続いているであろう時代劇を見終わったアーチャーとセイバーが、
俺の入れたお茶を飲み始めた頃、時刻は九時を迎えていた。
聖杯戦争が始まったとはいえ、日中特にすることが無く、さりとて藤ねぇ達に帰国を秘密にしている以上、外を出歩くわけにもいかない。
そんな俺達ができることといえば、遠坂は宝石の練成、残りの俺達は道場で稽古ぐらいしかないのが現状だ。
とはいえずっと稽古ばかりをしているわけにはいかないので、必然的に俺とセイバー、アーチャーは、衛宮家唯一の娯楽であるテレビの前に座る時間が長かった。
夕方の再放送をみて、時代劇をひどく気に入ったらしいアーチャーの要望で、俺達四人は食後のお茶を啜りつつ、この時間までテレビをみてしまったというわけだ。
伝統的なエンディングテーマが流れるのを聞きながらふと顔を向けると、なにやら遠坂がニヤニヤとこちらを見ていた。
「………どうした?遠坂。」
できれば、声など掛けたくは無い。
遠坂がこんな顔をしているときは、絶対にろくでもないことを考えているに違いないからだ。
しかし同時に、声を掛けないとそれ以上に厄介なことになることもまた、経験上知っている。
遠坂は俺の言葉に、ちょっとね、などと前置きをして
「昔を思い出したのよ。
まだ子供の頃よく行ってた公園で、今のテレビみたいなことをやっていた男の子が
いたなぁって。」
ニヤリ、と。
いっそう邪悪な笑みを浮かべて、遠坂が言った。
遠坂の子供時代、という言葉を聞いて、テレビのほうに視線を向けていたセイバーとアーチャーがこちらを向く。
「今のようなこととはなんです?リン。」
そうセイバーが口にすると、遠坂は一層嬉しそうな笑みを浮かべた。
「昔この近くの公園に、いわゆるいじめっ子ってのがいてね。
ある日ソイツが年下の女の子を泣かしてたのよ。
まぁそのいじめてた奴の事は、あたしもあんまり好きじゃなかったから
ちょっと懲らしめてやろうとしたんだけど。」
遠坂の笑みは、喋るごとに邪悪になっていく。
そしてそこまで聞いたとき、俺はその笑みの意味に、気付いてしまった。
「いきなりそいつに向かっていった男の子がいてね。
いじめを止めようとして、そいつと取っ組み合いになったのよ。
まぁ喧嘩自体は止めようとした男の子が勝ったんだけどね。」
そこからが傑作なのよ、と、遠坂は続ける。
しかし、聞いている俺としては傑作なんてもんじゃない。
自分の顔の血が引いていくのが、わかる。
「その子、ポケットから板切れを取り出してね。
さっきの決め台詞よろしく言ったのよ。
『この紋所が目に入らぬかぁ』ってね。
最も、板に書いてあったのは家紋じゃなくて。」
頼む、遠坂。
もう、勘弁してください(泣)。
「丸の中にひらがなで『え』って書いてあっただけだったけどね。
もうそのときの周りの反応のすごいこと。
あの年頃の子供を一斉にシーンとさせるなんて、あれはもう固有結界の一種ね。
──────そう思わない?『衛』宮士郎君?」
『衛』の部分を遠坂が強調したことで、全てを察したらしいセイバーが
気の毒そうな顔をこちらに向けてくる。
仕方が無かったんだ、セイバー。
あの年の男の子なら、誰だってヒーローごっこくらいはする。
模倣すべきヒーローが、幼いエミヤシロウにとっては、アレであっただけ。
そしてその原因は、全てオヤジのせいだ。
正義の味方にあこがれる俺に『士郎、これが正義の味方の一つの結論の形だよ』
なんてことを言うから────────
「ふむ、その男の子(おのこ)は実に善き事をしたものだ。
其の一件で、二人の子を救ったのだからな。」
胸中で親父に文句を言いつつ、これから始まるであろう遠坂の追求(イジメ)に
対処する方法をあれこれ考えていると、今まで黙っていたアーチャーが不意に口を開いた。
俺を庇ってくれているのかとも思ったが、俺達と出会って日の浅いアーチャーが、
今の話の裏に気付いているとも考えにくい。
どうやらアーチャーは本心からそう思っているようだ。
「二人?印籠少年が助けた女の子は一人よ?」
遠坂がお茶を啜りながら、アーチャーの言葉を訂正する。
しかし遠坂、印籠少年は無いだろ、いくらなんでも。
「二人、だ。
イジメとやらを行っていた方を数え忘れてはおらんか?」
「?印籠少年は叩きのめしたのよ?
それの何処が助けたことになるわけ?」
遠坂の疑問に、アーチャーは皮肉げに口を歪め、答える。
「わからんか?
もしその男の子が止めなければ、魔術師、貴様が止めていたのだろう?
────真によかった、もしそうなっていたら、イジメを行っていたほうは、
一生消えん傷を心に負っていたやもしれん。」
アーチャー、パートナーとして庇ってくれるのは、とても嬉しい。
けど頼むから、遠坂を挑発しないでくれ。
もう今日だけで、十二回も2人の喧嘩を止めているんだぞ?
案の定、アーチャーに食って掛かった遠坂を宥めながら、聖杯戦争よりも心労でどうにかなるんじゃないかと真剣に考えていると、我関せずと今まで煎餅を食べていたセイバーが、まるで保母さんのように2人を嗜めた。
「2人ともそこまでにしてください。もうすぐ外に出る時間になります。
リン、今日はどのように行動するのです?」
そう言われ、遠坂はもうそんな時間?と時計を見る。
アーチャーも引下り、その表情を引き締めた。
………やはりセイバーは、俺の知らない間にスキルを会得したに違いない、『調教』とか。
「そうね。しばらくは二手に別れて行動するつもりだったけど。
昨夜士朗達がランサーと接触した以上、今夜は四人で新都の方に向かう
ってのもありだと思うわ。」
遠坂の提案に答えたのはセイバーだった。
「ですがリン、今夜もランサーが新都にいるとは限りません。
やはり、二手に別れたほうが効率がいいのでは?」
「ええ。つまりは効率を取るか安全を取るかってことね。
私はどっちでもかまわないと思う。
士朗とアーチャーは?」
最初に答えたのは、アーチャー。
「某はどちらでもかまわん。
だが、強いて言えば別行動のほうを推す。
ランサーは必ず決着を着けると言っていたからな。
いずれ、あちらから姿を見せるだろう。」
「俺もアーチャーと同意権だ。
俺たちの目的が聖杯戦争の早期終結である以上、多少の危険は覚悟して、効率の方を取るべきだと思う。
何か異変があったときは、四人でいくべきだと思うけど─────」
そう言いかけた時。
つけっぱなしになっていたテレビから、そのニュースは流れてきた。
『では次のニュースです。
今日の夕方、冬木市の新都オフィス街で、勤務中のサラリーマンやOLが集団で意識不明になるという事件がありました。
死亡者は今のところ出ていませんが、原因は不明との事で─────』
そこから先は、もう耳には入ってこなかった。
原因など、わかりきっている。
「どうやら、士朗の言ってる異変ってのが起こったらしいわね。
今日は四人で新都の方に行きましょう。
異論はないわね?」
遠坂のその言葉に。
俺達三人は、声も無くうなずいた。
新都のオフィス街は、ランサーと戦った中央公園より、さらに離れた場所にある。
今日最後のバスで駅前パークに着いた俺達が、このオフィス街まで来たときには、
すでに日付が変わろうとしていた。
昼間は多くのサラリーマンやOLで溢れるこの場所も、この時間は恐ろしいほど静かだ。
俺達は今、その新都を歩いている。
「セイバー、アーチャー、他のサーヴァントの気配は?」
俺の言葉に並んで歩く2人は、今のところは何も、と首を振った。
「そっか。遠坂の方はどうだ?」
セイバー達が他のサーヴァントの気配を感じ取れるように、俺達魔術師もまた、他の魔術師の存在を感じ取ることができる。
俺では気がつかない結界の痕跡なども、遠坂なら気付くかもしれない。
「だめね。
……………士朗。今回の件、ランサーだと思う?」
遠坂は、どこか言いにくそうに聞いてきた。
恐らく、俺を心配してくれているのだろう。
もし昨日逃がしたランサーが、今日の事件の犯人であるのなら、と。
「………いいや。
ランサーは人を襲うつもりは無いといっていた。
あの言葉に、嘘は無いと思う。」
遠坂を安心させるようにそう言うと、アーチャーが頷いた。
「うむ。
ランサーは気に食わぬ男であったが、あれは真の武人だ。
言を違えるとは思えぬ。
恐らくは他のサーヴァントが─────。」
そこまで言ったアーチャーと
その隣を歩いていたセイバーがピタリ、と一瞬動きを止めた後
バッ!と振り向き、左前方にあるビルの屋上へと、2人は同時に鋭い視線を向けた。
「シロウ、リン、どうやら四人でここに来て正解だったようです。
─────サーヴァントが、あのビルにいます………な!?」
鋭い目つきで屋上を睨んでいたセイバーの顔が、驚愕に染められた。
そのセイバーと、こちらは特に驚いた様子も無いアーチャーを除いた俺達は、
屋上へと視線を向ける。
そこでは
こんな場所にも時間にも不釣合いな
四年前に心臓を抉られ、死んだはずの白い少女が
あの時と、まるで変わらぬ姿でこちらを見下ろしていた。
「イ…………リヤ?」
少女の名が、自然と零れた。
その呟きを聞いた遠坂が、え?と、弾かれたようにこちらを見る。
この距離では、恐らく遠坂には見えないのだろう。
アーチャーは、イリヤの事をそもそも知らない。
見えていて、イリヤの事を知っているのは俺とセイバーだけだ。
驚愕に思考が一瞬停止していると、不意に屋上の少女の口が開いた。
もちろん、この距離で声など聞こえるはずが無い。
しかしその唇の動きで、少女の言ったコトバが理解できてしまった――――。
「シロウ?!待ってください!」
ビルに向かって駆け出した俺を止めたその声は、セイバーの物だったのだろうか?
わかってるさ、これが罠だろうなんてことは。
けれど、地面を蹴る足を止められない。
だってそうだろ?
「シロウ」と
あの少女は、確かにそう口にしたのだから―――――――