完璧だ、完璧な投影だ。
もはや魔法の域。
偽物が本物に及ばないなんて道理はない。
いや、そもそも偽物なんかじゃない。
本物と寸分違わぬならば、それは同じものをもう一つ作っただけのことなんだから。
それが複製であっても、本物と信じるならば、信じる心が本物ならば、それは本物をも凌駕する。
そう、藤ねえは今、間違いなく、紛うことなく、あの伝説の───
───寅さんだった───
一箭必中/第二矢
そういえば藤ねえのところは好きな人が多いんだよなぁ……。
藤ねえは言うに及ばず、雷画爺さんも若い衆も。
当然ビデオは全巻完備。
義理と人情秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界。
……のはずだが、藤村組に限っては情の方がちと重い。
まあ、組長の性格が組全体の気風となって表れていると言っていい。
「はい、それじゃこれから弓道部のデモンストレーションを始めまーす。桜ちゃんはあの桜の下に行って、りんごを頭に乗せる。美綴さんは弓を使ってそのりんごを見事射抜いちゃって」
いきなり素に戻っててきぱきと指示を飛ばす寅さん。
点目の桜と美綴……と俺。
……ういりあむてる……?
「あ、逆の方が良いかな? 先生はどっちでも構わないわよ?」
「───っ!」
何言ってやがんだあのバカ虎はー?!
あの鏃本物だ。
刺さるぞっ! 刺さったら痛いぞっ! 血が出るぞっ! 下手したら死ぬぞっ! 桜だぞっ!
あー、もうっ! 今度ばかりはホンッとに本気で頭にきたー!
「こらっ! 藤ねえ! 何してるんだよっ?!」
「あ、士郎だー。ダメだよ、学校じゃちゃんと先生と呼びなさい」
「……藤村先生、これはどういうことですかっ?!」
「う……士郎、もしかして怒ってる?」
「ああ、メチャクチャな。まったく、ハタチ過ぎてやって良いことと悪いことの区別もつかないのかっ!」
「えー? だって、美綴さんならできると思ったし……」
「俺が言ってるのは、できるできないってことじゃない、やって良いか悪いかだっ! こんなのは武道に対する冒涜だっ! それに桜が怪我でもしたらどう責任取るつもりだよっ?!」
「……士郎……? えっと……うん、お姉ちゃんが悪いね。ごめんなさい……」
「頭を下げるなら俺じゃない! 桜に謝れ! 美綴に謝れ! 道場に謝ってこい! そもそも謝るくらいなら最初からこんなことするなっ! 何のために武道やってんだコンチクショウ!」
「おい、衛宮、落ち着けっ! もう十分だろ、なっ? ほら、その手を下ろせ」
……あれっ?
気が付いたら俺は美綴に羽交い締めにされていた。
……俺、今、何しようとした?
何で右手がこんなところにある?
目の前では藤ねえが大粒の涙をぽろぽろこぼしてて。
しきりにしゃくりあげながら、ごめんなさい、ごめんなさいって……
「……すまん、美綴。助かった」
「取り敢えず何とかしろ。それで貸し借りなしだ」
うわ、何か静まりかえってる。
周りの視線全部が、女の子泣かすなんて最低ー、とか、お前がなんとかしろー、とか言ってるような気がするし。
ちょっと待った、コレを女の子のカテゴリに入れるのは無理があるんじゃないか?
……なんてのは言い訳にもならないだろうな。
「……なあ、藤ねえ。俺、なんか間違ったこと言ったか?」
まだぐしぐし言ってる藤ねえの頭に手を乗せて顔を覗き込みながら、それだけ言った。
こうして見れば、藤ねえもちゃんと女の子だった。
女の子には優しくしなきゃダメだ、ってのは親父の口癖だったけど、まったくもってそのとおりだと思う。
藤ねえは、涙の滴を振りまきながらぶんぶんと頭を振った。
「ん、わかればいい……美綴、弓と矢立借りるぞ」
「いいけど、何するんだい? まさか……」
「さすがに無理って言うか、できてもやらない。だから代わりにちょっとした大道芸でも見せてやるさ」
周りを見渡す。
よし、射線上に人の姿は桜だけ。
しかしなんだこの野次馬の数は?
さすが寅さんと言うべきか、十人二十人どころの騒ぎじゃない、下手したら桁が違う。
弦の具合を確かめてひとつ大きく深呼吸。
さすが美綴、手入れが行き届いている。
「さあさ皆さんお立ち会い! 託す鏃に魂込めて、一箭必中神の業! 天をも貫く弓の道、八幡太郎も御覧じろってなもんだ!」
む、さすがにここまで無反応だとかなり恥ずかしいかも。
ぽかんと大口開けて突っ立っている藤ねえに、悪戯っぽく片目を瞑って見せた。
……ああ、もう、またすぐ泣くし。
矢を番え、天に向かって引き絞る。
「桜、そのりんご、真上に投げろ。そうだな、後ろの桜の木のてっぺんくらいの高さまで。そんで投げたらすぐ避けろ」
桜は俺から20メートルくらい離れた位置にいた。
どうもりんごを抱えて木に向かったはいいが、事の展開に振り回されておろおろしてたらしい。
放っとけば本気で頭に乗せてたかもしれないな……。
その桜の後ろ、更に5メートル先に満開の桜の木……ややこしい。
「あ、は、はい! それじゃ行きまーす」
桜はそう言って、ポーンとりんごを投げて、すぐに右手に移動する。
うむ、上出来。
狙うはそれが万有引力に捕らわれて停止する一瞬。
今はまだ何も存在しない空間に鏃を向けて───中る、いや、俺の中では既に中っている。
ほら、矢の立ったりんごがはっきりと見える。
あとはそのイメージをトレース。
ならば確認する必要はない。
一矢放つと同時に背負った矢立に手を伸ばす。
矢継ぎ早という言葉があるが、そもそも和弓は連射性や速射性には優れない。
そんなのは弓道じゃ三十三間堂の通し矢くらいなもので、それだって5秒に一本射れるか射れないかだ。
元々は戦国時代の騎射兵法で、流鏑馬なんてのは今じゃほとんど大道芸。
だから俺もこんなことするのは初めてだったけど、思ったよりスムーズに身体が動いた。
道を志す者にとって、これは邪道。
でも、俺はもう弓道を捨てた身だ。
大道芸なら大道芸らしく、ひとつ派手に魅せてやるさ。
さあ、さっきのは当てる矢、今度は貫く矢だ。
りんごは、斜め下からの力に押し出され、今度は放物線を描いて奥の方に落ちていく。
既に矢が一本刺さってるから、羽根突きの羽根のよう。
矢を番え、引く───舞う風の如く疾く、流れる水の如く穏やかに。
己を信じて、頑なに、強く、そして全てを貫く。
鉄の血潮を鏃に乗せたこの一箭は正に必中。
硝子の心を託したこの弓は天をも貫く神弓と化す。
もし、俺の道を阻むというのなら───
その壁が衛宮士郎だというのなら───
ならば、己を以てして己を───
───ただ、貫くのみ!
───弦音一箭、余は世に音もなし───
無限と思える静寂を切り裂いて、カン、と乾いた矢音が響く。
桜には、そこから生えたかのように一本の矢が立っていた。
もちろん桜の木の方だ。
微かに揺れる枝からはらはらと花びらが舞い落ちる
りんごは───空中で粉々になっていた。
静寂がどよめきに、そして歓声へと変わる。
「士郎っ! 今からでも遅くないわ! お姉ちゃんと世界を獲りましょうっ!」
……どうやら目的は達したようだ。
ほら、今泣いたカラスがもう笑った。
俺の肩を抱き寄せて、あらぬ方向を指差す藤ねえ。
いや、弓道で世界って言われても……アーチェリーにでも転向するか?
「いい弓だな。お陰で上手くいった」
「なら、また貸し一つだ」
「む?」
「ま、衛宮なら、どんな弓だって結果は同じだっただろうけどな」
「そうでもないさ」
軽口を叩き合いながら美綴に弓と矢立を返す。
「……にしても、あんた前世はロビン・フットか? 最初のはまあ衛宮なら当たると思ったけど、まさか二本目がくるとは思わなかった」
「こんなのは大道芸だ。動かない的に当てるのと変わらない」
「動かない的だって会心には滅多に当たるもんじゃないよ。それに……桜ー、ちょっとその矢の下に立ってみなー」
美綴はこちらに駆け寄ろうとしていた桜に向かってそう言った。
む、さすがは美綴、ばれたか?
桜の下に向かう桜。だからややこしいって。
再び起こるどよめき。
俺の放った矢は、ちょうど桜の身長から拳一つ分上のところに刺さっていた。
……美綴、そのいやらしい笑い方直した方がいいぞ。
「しかし、惜しいねー。もう二度と弓は引かないんだろ?」
またしてもさすが美綴、よくわかってる。
他人はどうか知らないが、こんな真似をしてはもう弓を取ることはできない。
目的のためなら使うこともあるかも知れないが、少なくとも再び弓の道を歩くことはない。
それに───
「……俺が弓を持ってる限り、絶対に敵わない相手がいるからな」
「信じられないな。神か、そいつは?」
「似たようなもんだ。強いて言えば英雄……かな? 単純に技量だけなら並べるかも知れないけど、誰かさんにとって、弓って言えばまずそいつなんだよ。それじゃ意味がない」
苦笑しながらそう言って、遠坂の姿を探す。
あ、いたいた。
……おーい、遠坂、起きてるかー? なんだあいつ、どこ見てんだ? 焦点が定まってないぞ?
衆人環視の中、あからさまに声をかけるわけにも行かないので、俺は肩をすくめながら美綴に向き直る。
「ま、わざわざ勝てない土俵で勝負することもないだろ? 俺は俺で別の方法を見つけるさ」
それに俺にとって弓は目的じゃなくて手段だ。
だから弓使いにはなれても弓道家にはなれない。
それは魔術も同じこと。
目的はただひとつ、正義の味方……なんて言ったら、美綴は腹抱えて笑うだろうな。
「英雄ねえ……衛宮なら那須与一だろうがヘラクレスだろうが負けはしないと思うけど。ま、あんたがそう言うならそうなんだろうさ」
いや、那須与一はともかくヘラクレスには勝てる気がしないって。
半分くらいなら何とかなるかも知れないけど、なんせ12回だぞ、12回。
どうやったって無理ってもんだ。
まあ、それでも、大切なものを護るためなら……って、ダメだダメだっ!
こんな事ばっかり考えてるから、遠坂やセイバーに心配かけてばっかりなんだ。
そういうときは、自分も助かってみんなも助ける、そんな方法を考える。
それがどんなに絶望的な状況だったとしても、たった1%でも希望があるのなら、必ず実現してみせる。
正義の味方ってのは、そういうもんなんだ。
……って、決意を固めるのはいいとして、セイバーだ。
きっと今頃晩飯の時間が遅れるんじゃないかって心配してる。
「早く帰らないと居候の王様がハラペコで皮肉の嵐だ。美綴、顧問と次期主将連れてくぞ」
「?……ああ、それは構わないよ。今日は部活自体は休みだし」
「藤ねえ、金メダルはもういいからさっさと帰るぞ。ほら、何でも好きな物作ってやるから」
「あ、待ってください、先輩。それじゃ主将、お疲れさまでしたー」
「だしまきたまごー」
「わかったわかった、そんなものなら血反吐吐くほど食わせてやるから腹空かしとけ。それから桜はその格好で帰る気か?」
「えっ? ……と、着替えてきますから待っててくださいね。先に行っちゃ嫌ですよ?」
とてとてと走り去る桜に、慌てなくていいぞー、と苦笑混じりにひらひらと手を振った。
……あ、転んだ。
まったく、袴で走るからだ。
気が付けば野次馬も蜘蛛の子を散らすよう。
……っていうか、あんな恥ずかしいやり取りをこんな大勢の前でしてたのか、俺は?
うー、明日からまともに校内歩けないぞ。
「そうそう、衛宮のお陰で入部届けは完売だよ。助かった、礼を言う。これで貸し借りなしだ」
そう言って豪快に笑いながら美綴も弓道場に足を向けた。
律儀高じて難儀なやつだ。
残ったのは、俺と藤ねえと……
「……遠坂?」
「…………」
「おい、遠坂ってば!」
「……えっ? やだ、士郎……よね?」
「嫌でも衛宮士郎だ。どうかしたのか、さっきからぼけーっとして。遠坂らしくないぞ?」
「……別に、何でもない」
何でもないことはないだろうけど、思い当たる節はある。
……だったらここでは言及すべきことじゃない。
やっぱり遠坂の前で弓を構えたのはまずかったか……。
「晩飯のメインは藤ねえのリクエストでだし巻き玉子だ。食ってくだろ?」
「ん……それと、今日は泊まってくから……」
「お、おう……」
遠坂……そこでそんな風に潤んだ瞳を向けられたら、嫌でも期待しちゃうぞ?
お、俺だって男の子なんだぞ?
照れ隠しに頬を掻きながら目を逸らす。
見上げた空はとっくに茜色。
二人の顔は夕陽以外の理由で赤く染まっちゃったりなんかして……
「おなかすいたーっ!」
夕陽に向かって、虎が、吼えた。
※あとがき※
副題は『藤ねえに萌えろっ!』……無理?
ちと士郎に違和感を感じるかも知れませんが、アーチャーのベクトルにちょっとだけ踏み出した士郎ということで……。
弓には詳しくないので不適切な描写があるかも知れませんが勘弁してください。
ついでにタイトルを筆頭に造語ばかりなのも勘弁です。
言い忘れてましたが凛グッドアフター。早くセイバー出したい……