想い重ねて(藤ねえのお見合い、その4)


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1: sasahara (2004/03/17 10:36:35)


 そう、そういえば、あれは切嗣に引き取られてまだ間もない頃のことだったはずだ。
 その頃出会ったばかりの俺と藤ねえは、実は仲が悪かった。
 険悪も険悪、会ってはケンカを繰り返す、そんな関係。
 事は単純で、要は二人とも度の過ぎた切嗣フリークだったから、自分以外の人間が切嗣の側でじゃれついているのが我慢ならなかっただけの話だ。振り返ってみれば随分阿呆らしい仲違い。
 …でも、それにしても当時小学校低学年の俺と同レベルで争っていた藤ねえはいかがなものだろうか。藤ねえも当時はもはや中学を終わろうとしていた頃のはずだ。
 俺が養子に引き取られる前に、曰く「運命的な出会い」を果たして切嗣に惚れていた藤ねえ。用もないのに呆れるくらいに衛宮邸に入り浸っていた藤ねえ。飯を食べるのも剣道の練習も別にわざわざ衛宮家でやる必要なんか毛ほども無いのに、ふと気づけばその姿が簡単に見つかった藤ねえ。

「だから、ここがわたしのうちだよ」

 なんでそんなにここに来るんだよ、と俺が聞くと、藤ねえは一瞬きょとんとしたか思うと、そんなことを言ったものだ。
 なんで、あんな無精親父に、と息子ながら思わないでもないが、ああ見えて切嗣はモテていたから、そう疑問に思うことでもないのかもしれない。
 でも、時々屋敷に出入りしていた女の人たち(切嗣は致命的なほどに女性に甘かったし、それをはばかるようなこともしなかったので、よくあったことだ)とは明らかに藤ねえの切嗣への態度は違っていた。幼い俺の目からみてもそれはよくわかった。
 決してチャラチャラした一時の感情などではなく、俺にもよくわからないが、切嗣と一緒の時間を過ごすことで藤ねえは確かに深い喜びを覚えていたみたいだ。屋敷に入り浸っては切嗣の側で笑っている藤ねえは心の底から安心してくつろいでいるように見えた。そういえば、一度ライガ爺さんが孫が世話になっていると礼を言いにきたことがあったけか。茶を出しにいったときに聞こえてきた声は、たしか、おかげで孫も救われた、元気になりおったわい、とか何とか。
 …元気じゃなかった藤ねえなんか今では想像もできないが。
 ともかく、あの頃はくだらない口喧嘩を飽きもせずによくやったものだ。

「何だよ、俺なんか切嗣の七つの秘密を知ってるんだぞ!」
「僕に七つも秘密なんてあったの?」
「何よ、私なんて、切嗣さんから十の秘宝を貰ったんだからね!」
「そんなものあったけ?」
「俺なんて切嗣の○○○が×××で△△△なんだからな!」
「な、何おぅ! 私なんて切嗣さんの@@@が###で$$$なんだから!」
「二人とも日本語しゃべってる?」

 ハァハァハァ。
「ほらほら、もう二人とも息を切らすまでケンカしなくたっていいのに。士郎も女の子には優しくしなきゃダメだよ」
「こんなの女の子なんかじゃないやい」
「何おぅ! やるか!」
「くるか!」
「はいはい、もういい加減にしなさいね。ほら大河ちゃんも、もうこんな時間だから、そろそろ帰らないと」
「あ、ホントだ」
「そうだ、そうだ。とっとと帰れ。ここは俺と切嗣の家なんだからな」
 そのときフフンと俺の勝ち誇った顔に藤ねえはよほど我慢がならなかったらしい。藤ねえは文字通り、吠えた。
「いい! 今日から私もここに留まる!!!」
「「ええ?!」」
「私もここに留まるの!」
「いや大河ちゃん、それはちょっとまずくないかい?」
「留まるったら、留まるったら、留まるーーーーーーーーーーー!!!!」
「こ、鼓膜が…」

 結局そのままごり押しで藤ねえはその日家に留まることになった。
「フフン、切嗣さんと一緒♪」
 なんて鼻歌を歌っていたけれども、もちろんそんなことはあるはずもなくて、藤ねえの布団は客間に敷かれた。
 諦めきれずに切嗣のところへ布団を運び込もうとしていた藤ねえの尻に俺は問答無用でドロップキックをかましてやったりなんかして。俺も若かったなぁ。



「お父さん、お母さん、どこ? どこ? 赤い、恐い。赤いよ、真っ赤だよ、恐いよ、恐いよ。お父さん、お母さん、どこ? どこ? 恐い、恐い、恐い、恐い、恐い、恐い………」
「ここよ、士郎」
「え?」
 振り向く俺。
 赤い、赤い、赤い世界。
 目に入るのは焼きただれた死体が二つ。落ち窪んだ瞳。ただれた顔、原形を留めていない手、黒焦げになった足。まがまがしいほどの死の匂い。
 
 なんで?
 だって士郎、お父さんとお母さんのこと見捨てたじゃない。


「ーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 声にならない悲鳴とともに俺は目覚めた。跳ね起きると、そこは見慣れた衛宮の屋敷。俺の部屋だ。間違いない。ここは赤くないし、死体もない。
 またかよ。
 その頃の俺は、火事の記憶もいまだ生々しく夜中も悪夢にうなされて起きることが多かった。大体内容は決まっていたが、そのときのそれは極めつけだった。脳のど真ん中にばっちり命中だ。
 眠れやしない。
「士郎?」
 最悪だ。なんでこんな夜中にあいつが俺の部屋に来るんだ。今はちょっと相手をする元気が無い。
「何だよ?」
 それでも敵に弱みをみせるのは嫌なので、強がって襖越しに声をかける。
「いや、また切嗣さんのところへ行こうと思ってたんだけどね」
 懲りない奴だ。
「なんか、あんたの悲鳴が聞こえたような気がして」
 そんなわけないだろ、と俺が言う暇もなく、入るよ、と声をかけると人の返事も待たずに藤ねえは勝手に俺の部屋に入ってきた。
 プライバシーの侵害だぞ、と声を上げると、はい、ガキが知りもしない言葉使って、強がらない、と軽くいなされた。
 何だよ、自分だってガキのくせに、と言おうと思ったら、藤ねえはいつのまにか、俺のそばまで来ていて汗でグッショリ濡れた俺の身体を見つめていた。
 しばらくして無言でその場を立ち去ったかと思ったら、ドタドタ、という音と共になぜか布団を両手に抱えた藤ねえが俺の部屋に入ってきた。
「私もここで寝るから」
 青天の霹靂。
 なんで?
 なんでもだってもない。あたしがここで寝るって決めたんだから、寝るの。さ、士郎も寝なさい。
 寝なさいたってなあ、と困っていると、なに困ってるの、といきなり人の手をグイと掴むと藤ねえは俺を布団の中に引っ張り込んだ。
 何すんだ、と言おうとして顔を上げると、そこにはジーッと俺をみつめてくる二つの瞳。静謐な穏やかさを讃えた鳶色の瞳。
 見たこともない藤ねえの真剣な表情にたじろいでいると、

「いい、士郎。士郎が悪かったわけじゃないんだからね」

 え?

「あの火事は別に士郎が起こしたわけじゃないし、士郎のお父さんお母さんが死んじゃったのも士郎のせいなんかじゃないよ」

 え?

「一杯一杯人が死んだし、それはとってもとっても悲しいことだけど、それは別に士郎が悪いんじゃないよ」

 本当?

「士郎は何も悪くないよ」

 本当に?

「もーう! 何も悪くないんだったら悪くないんだから、ヘンなこと考えて勝手に気を病むな、このバカチン!」

 あ、あぁ、あぁ、あぁ。
 それはずっと言ってほしかった一言。ずっとずっと俺の求めてきた赦しの言葉。
 誰かに誰かに言って欲しかった。
 なんで両親は死んだのか、なんであれほど多くの人が死んで、俺だけが生き残ってしまったのか。
 お前、お前、お前、…生きてていいの?
 父と母の死も省みず、他のどんな人の苦しみにも痛みにも振り返らずに生きた、生きてしまった俺。
 泣き声も呻き声も啜り声も、歎きと恨みの響きはまだこの耳に強く残って反響している。
 俺の罪。罪には罰。
 俺は悪くない?

「悩むなって言ってるの!」

 藤ねえは問答無用で俺の頭をその胸にすっぽりと包み込んだ。
 そのときの俺はこれ以上はないってくらいの情けない顔をしていたと思う。もちろん自分で自分の顔を見て確認することはできなかったけど、絶対にそうだ。こらえきれない感情が今にも爆発して表に出てしまって、取り返しのつかないことになりそうだった。
 チクショウ、今日のところは負けてやるぜ、なんて負け惜しみの言葉を頭の中で呟いた後は、もう迸る気持ちをこらえることなんて到底出来なくて。
 ワンワンワンワン俺は藤ねえの胸の中でひたすら泣いた。
 すっきりした。そして、火事の日以来久しぶりによく眠れたりなんかした。
 クソ、俺の負け。完敗。
 そして朝、目覚めたとき、気分は悪くなかった。すっきりとしている。目覚めが良かったのなんて、いつ以来だろう。
 横でこれほどの寝相の悪さもあろうかというような姿で寝息をたてていた藤ねえに向かって、小声で呟いた。
 ありがとう。
 
 切嗣は、一緒の部屋から寝ぼけ眼をこすって出てきた藤ねえと俺を見て、ちょっと驚いていたけど、うんうん、士郎も僕の息子だからねー、と妙な納得の仕方をしていた。
 その日以来、藤ねえの「士郎」という呼び声に含まれる響きは随分と柔らかいものになった。なんでも、私弱いものは守ってあげる主義なの、だそうだ。士郎、バカチンだからちょっと放っておけないしね。
 俺も藤ねえを「こいつ」「あいつ」呼ばわりするのはやめた。

「じゃ、『藤ねえ』ってのはどうだ?」
「何よ、それ?」
「だって、大河って名前は嫌なんだろ?」
「女の子らしくないもん」
「切嗣には大河ちゃんって呼ばれて嬉しがってるくせに」
「切嗣さんだけはいいの!」
「ま、どーでもいいや。だから、藤村の藤をとって、あと俺より年上だから、それで『藤ねえ』」
「ふーん、いいんじゃない。じゃ、わたし、士郎のお姉ちゃんってことね。」
「…そっか、そうなるかな。」
「あのね、士郎」
「ん? なんだよ、『藤ねえ』」
「わたしね、士郎のお姉ちゃんなわけだ」
「まあ」


「今日からわたしは士郎のお姉ちゃんだから、士郎が一人前になるまで、ずっと側にいてあげるね」


「……」
「何よー、突然そっぽ向いたりなんかして、照れてるのー?」
「…………」
「あー、士郎、泣いてるー」
「泣いてなんかいないやい」
「じゃ、その目に光っているものは何かなー?」
「あくびが出たんだよ。」
「そっか、あくびか」
「そう、あくびだ」
 藤ねえは手を伸ばしてくるとすっと俺の目に浮かんでいた涙を指で掬い取った。
 ちょっと照れくさかった
「士郎の泣き虫」
 と言って、藤ねえはフフと笑った。
 その日以来、藤ねえは、ずっと俺にとって「藤ねえ」のままだ。


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