黒影森林〜フォレスト・イン・ザ・ダーク〜
―――1月26日―――
気がつけば、赤い風景の中に居た。
一面は燃える火の海。
黒コゲになった家々と、黒コゲになった人々が焔の中から見え隠れする。
その中を、歩いた。
―――タスケテタスケテタスケテ―――
瓦礫の下敷きになった人の声を無視して進む。
―――イタイイタイイタイイタイ―――
焼け焦げた身体をかきむしって苦しむ人を見捨てて進む。
―――クルシイクルシイクルシイクルシイ―――
焔に肺を焼かれた人達の声を背中に、ただ歩く。
だって、瓦礫に潰された足を引きずって、体中の火傷の痛みに耐えて、肺なんか既に呼吸をしているのか不明なほどに焼け焦げた7歳の子供なんかに、人を助ける事なんて出来るはずもなかったのだから。
ただ、生きなければと思った。
誰もが死んでゆく地獄のような惨状の中、自分だけが生きているのだから。
まわりを見捨てて自分だけが生きているのだから。
両親や双子の兄が命を賭して、生きろと告げたのだから。
多くの人を踏みつけにしておいて。
同じように苦しむ人々を地獄に置き去りにしておいて、諦めるのだけは、生きる意志を捨てるのだけは、そんな、苦しんで死んだ人達全てを裏切るような挫け方だけは、しちゃいけないと信じたから。
「――――――は―――」
グラリと身体が傾き、荒い呼吸が漏れる。
漏れると言う事はまだ息をしていて、ならばまだ歩けるのだと気がつく。
だったら、歩かなければならない。
「苦しい・・・なぁ」
そんな事も言えなくなった人達の分まで、生きぬかなければならない。
―――けれど、唐突に限界は来て。
無様に大地を背にして倒れ伏す。
胸にはぽっかりと、空虚な穴。
それが肉体の損傷なのか精神の欠落なのか、もはや区別すら出来なくなっていた。
空には雨を暗示する黒い雨雲。
この様子なら一日燃え続けた火事も、鎮火に向かうだろう。
「―――――――――」
言葉も無く、何かを求めるように天へ向かって手を伸ばす。
もちろん、掴める物など何も無くて。
そして――――――
◆◆◆
「っつ・・・・・・夢か―――」
そうして、悪夢から覚めた。
私は元々あまり荒唐無稽な夢は見ず、過去にあった事柄ばかり夢に見るタイプの人間なので、今の夢も実際にあった出来事だ。
10年前、まだ今の名前ではなかった頃、それまでの人生も家族も、自分の名を初めとして記憶すらも失う原因となった大火災の記憶。
この脳が覚えている、一番古い記憶。
この後、奇跡的に助け出された私は、衛宮切嗣という人物に引き取られて成長する。
その時点で、私と衛宮切嗣は顔見知りでも親戚でもなかったから、なぜ衛宮切嗣が私を引き取る気になったかは判らない。
ただ、初対面の切嗣が「オジサンは魔法使いなんだよ」と、奇妙な自己紹介した事とそれに感動した自分、それに自分が彼と同じ苗字―――衛宮シロウ―――になった事実が自分でも奇妙なほどに誇らしかった事だけは覚えている。
「ん・・・・・・えっと?」
目の前には知らない天井。
ここが何処だったかと記憶を掘り返せば、我がクラスメイトの柳洞一成の自宅でもある柳洞寺である事に思い至った。
街を見下ろす小高い御山にあるこの寺は、義理とは言え可愛い我が子をおいて帰らぬ人となった衛宮切嗣の菩提を弔ってもらっている墓所でもある。
放課後、バイトが休みだったので墓の掃除に来ていたのだが、一成君の父親でもある住職につかまって、調子の悪くなったストーブの修理を頼まれて、結局夜中までかかってしまったので宿泊用の離れに泊めてもらう事になったのだ。
◆◆◆
「すまんな、こんな時間まで」
「あー、いえいえ。けっこう、好きでやってる事だから」
すまなそうに謝罪してくれる一成君だが、別に彼が謝るべき事では無いだろう。
ストーブの修理を頼まれたのは御住職からだし、勝手に気になって頼まれたもの以外のストーブまで調子を見ているのは、単に私の勝手な行動なのだから。
基本的に、こういった機械をいじるのは好きだ。手を掛けた結果がはっきりと分かる所が良い。
常々誰かの役に立ちたいと思っている私だけど、自分の行為が本当に役に立っているのかどうか、客観的には分かりにくいのだ。
だけど機械の修理だとか家事や掃除などは、どれぐらい上手く行ったかが判りやすい。
そんなワケで、今柳洞寺の本堂に寺中の古くなったストーブをズラリと並べて解体修理しているのは、ほとんど私自身の趣味だと言える。
まぁ、それでも侘びでくれる責任感の強さが、柳洞一成という人物の良い所ではあるのだが・・・・・・
「ふむ。精が出るな、衛宮」
「!?」
突然声を掛けられて振り向くと、そこには見知った顔があった。
見知った顔なのだが・・・・・・柳洞寺の本堂で出会うとは思わなかった相手なのであっけに取られる。
「葛木先生・・・・・・なんでここに?」
私の通う穂群原学園の、2年A組の担任教師。
私や一成君が所属する2年C組にも現代社会や倫理の教科担当としてやってくるし、一成君が会長を務める生徒会の顧問でもあるので、よく見知った先生だ。
「ああ、衛宮は知らなかったか。葛木先生は3年ほど前からウチに下宿していてな」
「まぁ、居候のような者だ・・・・・・手が空いていたので客人に茶をだすのを頼まれた」
「へぇ・・・・・・」
一年生からは無口、三年生からは寡黙と称される学園随一の鉄面皮との称号を冠した葛木先生は、その評価に違わず無表情のまま手にしたポットから急須へとお湯を注いでゆく。
普通の来客用にしては随分と雅趣のある良い湯飲みに注がれたお茶が、お供え物のお下がりと思しきお茶菓子と共に差し出された。
「やはり本堂は寒い。すこしは、暖まるだろう」
この先生が、一年生には怖がられ、上級生になるにしたがって慕われるようになると言うのは、こういった分かりにくい優しさを持っているからなのだろう。
「はい」
ありがたく受け取って一口。
少しだけ苦めに入れられた緑茶が、冷えた身体に心地よかった。
まったり。
何を話すでもなく、三人で輪になってお茶を啜る。
心地よい沈黙の中、私達はゆったりと過ぎる時間を楽しんだ。
「さて、あまり衛宮の邪魔になってもいけません、我々はそろそろ退出しましょう」
「ふむ。そうか」
20分ほど過ぎただろうか。
言って、立ち上がる一成君と葛木先生。
私は神経質な性質なので、細かい作業をするときに他の人が周囲に居ると気が散って失敗してしまう。
そう云う事になっていた。表面上は。
「助かります。じゃあ、ぱぱっと残りを片付けちゃいますか」
そう言って二人が本堂から出て行くのを見送ると、私は並んだストーブの一つに手を触れて、精神を集中させ始めた。
――――基本骨子の読み取り。
脳裏に浮かび上がるのは、緻密で立体的なストーブの設計図。
物の構造を把握する。場合によっては、それを強化する。それが、私が唯一つ使える魔術。
そう。衛宮シロウは魔術師なのだ。
自身が名乗った通り魔術師だった衛宮切嗣に無理矢理頼み込んで弟子入りして3年。
切嗣が天に召されてから独学で修練し続ける事5年。
未だに唯一つ『強化』の魔術のみしか使えない半人前以前ではあるが、端くれとは言え魔術師なのである。
それが、他の人間に立ち会われては困る本当の理由。
魔術師は社会からはみ出し、淘汰され、捨て去られた異端の集大成。当然その社会からは隠れ潜むべき者達であり、おおっぴらに存在を誇示すれば死にも繋がるのだ。
・・・・・・まぁもっとも、私の知る唯一の魔術師・衛宮切嗣は、べつに神経質に隠す必要は無いと言い切ったりする人物であったのだが。
「ん。こっちは軽傷。電熱線の取替えだけで治る」
魔術を隠す事に腐心するよりも、他人のためにだけ魔術を使うことを考えろと。魔術師ではなく、魔術使いになれと教えられて、私は今もその言葉を実践している。
もっとも、出来る事と言えばこういったこまごました物の修理ぐらいでしかないのだけれど。
幸い、故障があったのは取替え可能な部品一つだけのようだったので、工具箱からスペアの電熱線を取り出して付け替えの作業をする。
物の構造を理解する能力は、こういう時に・・・・・・こういう時にだけ、便利な能力だった。
もっとも切嗣に言わせると、これは随分無駄な能力と言えるらしい。
本当の魔術師なら、構造など把握する前に問題になる場所、対象の中核を感知し、全体を一気に把握して改変を行うと言う。それを一々設計図を脳裏に構築している段階で、魔術師としては甚だ無駄な事をしているらしい。
本来魔術と言うものは家系・血統を積み重ねて研鑽する事で強くなってゆくモノだと言うから、魔術師に養子として拾われただけの一般人にはこの程度・・・・・・8年掛かってやっと、たった一つの術が使える程度が順当なのだろう。
それでもまぁ、単純な機械の修理に使うには便利な能力ではある。
私は片っ端からストーブの修理をして回り。
気がつけば時刻は11時になろうとしていたのである。
◆◆◆
自転車で来なかったのが失敗と言えば失敗か。
ここ、柳洞寺から衛宮の家までは2時間近く時間が掛かる。
「流石にこの時間に、女性一人で夜道を帰らせるわけにはイカン」
「一成君、私はホントに大丈夫だから・・・・・・」
「確かに女生徒の一人歩きは、推奨できん時刻ではあるな」
一成君と葛木先生にステレオで止められる。
だからと言って送ってもらったりしたら、相手がここに帰ってくるのは明日の3時と言う事になってしまう。
確かに、私・衛宮白兎は女の子だ。
白い兎と書いてシロウ。音だけだと「男?」とか、字だけだと「ネタ?」などと聞かれてしまう名前だが、自分ではそこそこ気に入っている。
藤ねぇ――家族のような、姉のような年上の女性――には「白兎ってば、外見とか小動物系だから名前とぴったりよね♪」などと言われてしまうが、名前自体は気に入っている。
童顔だしメガネだし、身長なんか最近やっと150に届いたばかりの、うっかりすると中学生に間違えられる外見にぴったりな名前だとか後輩の桜にすら言われたり、そんな外見のせいで藤ねぇの親父さんやここのご住職には「シロちゃんもそろそろ高校受験じゃないのかい?」などと毎回からかわれたりしてはいるが、そんな自分の外見はともかく響きそのものは気に入っている、大切な、私の名前なのである。
む・・・・・・なんだか途中から違う話になった気もする。
まぁ兎も角。確かに衛宮白兎の性別は女ではあるが、例えば万が一夜道で不埒者に襲い掛かられたとしても、大抵の相手なら撃退できる自信はあった。
切嗣に魔術師の弟子として教えを受けられるようになった日から、毎日格闘技・・・と言うか戦闘の心得みたいなものを教わってきたし、その切嗣が亡くなった後も、毎日の鍛錬は欠かしていない。
最近では剣道五段の藤ねぇから剣道の真似事を教わってもいるし、いざとなったら私が唯一使える魔術――物体を強化する魔術――を使ってそこらの棒キレを鉄パイプ並みにする事も・・・・・・まぁ、成功すれば可能なのだ。
私の『強化』成功率が『れーてんいちぱーせんとを切る』という事実はおいといて。
ともかく、そーゆーワケだから一成君に自宅まで送ってもらう必要は無いのだが、もろもろの理由は説明する訳にも行かず、で、あれば真面目な生徒会長殿と倫理教師殿はなかなか納得してくれない。
確かに私だって、桜――こちらも家族のような、妹のような後輩の女の子――が夜中に一人で帰るなどと言う時は送ってゆきたくなるのだから気持ちは理解できる。
だからと言ってそうそう迷惑を掛けたくないし・・・・・・と、悩んでいると。
「ふむ。ならば寺の客間に泊まって行くか? 明日は日曜だし、支障も無いだろう?」
そう葛木先生に提案された。
柳洞寺は歴史のある大きなお寺なので、参拝客もそれなりに多く、泊まって行く檀家さんもけっこう居るらしく、離れには旅館にも使えそうな客間が用意されているのだ。
結局、これ以上押し問答をしても一成君は折れないだろうと判断して、私はお言葉に甘える事にするのだった。
◆◆◆
そして、悪夢にうなされて深夜目を覚ます。
急な外泊で神経が昂ぶっていたのか、それとも他の理由があるのか、最悪の夢見だ。
身体は血管にドロリと溶けた鉛でも流し込まれたかのように火照って、口の中はカラカラに渇いている。
ふと時計を見れば、時刻はまだ夜中の2時。
何か冷たい飲み物が欲しい所だったが、こんな夜中に他人様の台所をあさるのも気がひける。
それに、あんな夢を見た後だけに誰とも顔を合わせたくない気分でもあった。
・・・・・・・・・よし。
手足の嫌な熱を冷ます意味も兼ねて外に出る事にしよう。
石段を降りて御山をくだる。
月は出ていない。
夜空は黒い雲に覆われて、あと数刻もすれば雨が降り出しそうな天気だった。
流石に雨に降られるのはゴメンこうむりたい。
僅かに足を速めて、小走りで参道を進んだ。
他の所に比べて冬の寒さが厳しくないこの冬木の街だが、1月の冷気は流石に全身から熱を奪い取っていくが、けれど、それが今はありがたい。
あの夢は私の原罪。
薄れかけた・・・けれど絶対に忘却など出来ない、してはいけない、私の罪。
その夢の名残のような、全身に溜まった熱が冷めてゆくのが、今は救いのように感じられるから。
てくてくと夜道を歩く。
これなら家に帰っても同じだったかな? だとか、今日は日課の鍛錬が出来なかったな。とか、そんな事を道すがら考えていた。
山門から30分ほど歩いた所に、確か自動販売機があったはず。いや、むしろ30分も歩かないと無いと言うべきだろうか。
お寺で修行を積む真面目なお坊さん方は、ジュースなんか飲まないのかもしれない。
そんな益体も無い事を考えていたせいで、ギリギリまで気がつかなかった。
ガサガサと道沿いの藪を掻き分け一人の女性が道路に飛び出してきた事に。
「―――!?」
「――――――あっ」
普通の女性では無い。
全身を覆うのはなにやら古代っぽい紫のローブ。
目深に被ったフードのせいで、その顔は口元しか見えない。
そのローブは、彼女のものかそれとも別の誰かのものか、真っ赤な血で染められている。
手にはなぜか心をザワつかせる、奇妙な形の血で濡れたナイフ。
どう見ても善良な一般市民には見えない。
いや、そんな事は実は些細な異質さだ。
未熟以前の出来損ないとは言え、衛宮白兎は魔術師なのだ。
本当に異質なのは、この女性が人間ではない何か・・・・・・おそらくは魔術と言う神秘の奥の奥、本当に完成された魔術師でもなければまみえる事も無いような別格の神秘によって存在する『何か』であると、一目見て気がついた。
まずは畏れ。あるいは歓喜。いや、もっと別種の、自分でも把握できない感情に身体は硬直する。
「は―――うっ」
「あぶないっ」
と、その『何か』は力尽きたように倒れこんだ。
咄嗟に素に戻って駆け寄り、受け止める。
細い肩。弱々しく震える呼吸。
その姿はただのかよわい女の人にしか見えない。
「えっと・・・・・・どうしよう」
彼女が単なる人間なら、これは警察か病院に通報するべき事態だ。
が、どうやらそういった『法』や『常識』の範疇に所属する存在では無さそうだと直感が告げている。
この事態は、魔術師として判断すべき事柄なのである。
魔術師は、一般社会から姿を隠す。
隠さなければ、魔術師の元締めとも言える魔術協会―――ロンドンだかに本部を置くらしい、世界的な組織で、しかもウチは切嗣も私もその『協会』から隠れてこっそり魔術師をやっているモグリ―――がその魔術師を粛清したりするらしい。
これは別に、悪事をやったら粛清されると言うわけでは無いそうで、バレなきゃどんな非道も非合法も問題にされないと言う。
ただ、魔術の存在が一般にばれるようなコトをすれば、それが悪行だろうと善行だろうと管理・捕縛・処罰・粛清の対象になるのだ。
ヒドイ話もあったモンである。
・・・・・・だったら。
この、多分人間ではない女性を病院やら警察やらに連れて行くのはマズい。
下手をすれば、協会の眼に止まって始末される事だって考えられる。
始末。粛清。抹殺。死。
たとえ人でないとしても。
人の形をした者が死ぬ。それは衛宮白兎にとって認められない、許せない事。
だから。
衛宮白兎は自分より背の高いその女性を担いで、えっちらおっちら今来た道を登っていくのだった。
【ご注意】
十八禁シーンあり。百合属性あり。フタナリ属性あり。
お気をつけ下さい。
◆◆◆
人を、殺してきた。
それ自体は別にどうこう言うべき事柄でも無い。
元々この身は、裏切りの魔女と恐れられ蔑まれた存在なのだから。
伝説にすら名を残す稀代の魔女。
英霊と呼ばれる、精霊の領域まで達したその身を呼び出したのは、聖杯戦争と云う戦いに身を置く魔術師だった。
あらゆる奇跡を可能にすると言う、たった一つの聖杯を手に入れるべく、七人の魔術師が七体のサーバントを呼び出して殺しあう魔術儀式。
そのために自分を呼び出した男を、彼女は数日で見限った。
自分からは何もせず、他人の自滅を夢想するだけの男。
剣の騎士・セイバー。
槍の騎士・ランサー。
弓の騎士・アーチャー。
騎馬兵・ライダー。
暗殺者・アサシン。
狂戦士・バーサーカー。
そして魔術師・キャスター。
七体のサーバント中で再弱とも言われるキャスターを引き当てた己の不運をただ嘆き、面と向かってキャスターを罵倒する男。
キャスターの身体を欲望に任せて蹂躙し、自分以上の魔術師であるキャスターにねじくれた嫉妬だけを募らせる男。
だから殺した。
サーバントを支配する令呪を無駄に消費させた。
媚へつらい、令呪など無くても自分を従えさせる事が出来ると慢心させた。
契約したサーバントへの絶対命令権である令呪はたった三回。
それを使い切った魔術師は、あっけなくキャスターの手で殺された。
契約その物が残っている事すら不快だったから、止めを刺すのにあらゆる魔術契約を破棄する自分の宝具まで使った。
「くっ・・・・・・ふう・・・・・・はぁ・・・・・・・・・」
それはいい。それは、それだけの話だ。
「あっ・・・・・・くっ・・・・・・」
今キャスターを苛むのは、生前の男の行為。
キャスターに嫉妬する男は、彼女の魔力を常に自分以下に限定していた。
それは、魔力を消費しなくては現世に留まれないキャスターにとって致命的な呪いとなっている。
その上、この時代に縁が無い。
サーバントはマスターと言う『縁』によってこの時代、この場所に結び付けられている。
ゆえに、マスターを殺した以上キャスターは消滅する以外の道は無いのである。
「あはっ、あははははははは。あはははははははははははははははははは」
狂ったように笑う。
おかしかった。くだらない男に呼び出され、蹂躙され、他になにを成す事も無く消える自分。
いつもそうだ。いつも、自分はなにも得られない。
だからと言って欲しいものがあるワケでも無かった。
魔女と蔑まれたから、いっそ魔女らしく振舞おうと、そう思っただけなのだから。
聖杯という物が何なのかも、既に男の元で調べていたから薄々は解っている。
すべての願いをかなえる万能の宝などと言われているが、あんなモノでキャスターの願いは叶えられまい。
いや、そもそも願いなど無かったし、もうあと数分で聖杯戦争に参加する事も無く消えてしまうのだ。
それでも足掻きたくて。
ただ消えてしまう事に耐えられなくて、キャスターは獣道を掻き分けて進んだ。
「―――!?」
「――――――あっ」
そして唐突に舗装された道路に行き当たり、キャスターは少女と出合った。
こんな時間、こんな山で何をしていたのかは知らない。
だが、きっとこれで最後。
この少女は血に汚れたキャスターの姿に驚いて逃げ出すだろう。
その後、警察に連絡するか、それとも怯えて黙っているかは知らない。どうでもいい。
ただ漠然と、自分はここで終わると、そう思って最後の気力が萎えた。
意識が暗転する。
後はただ、消えてゆくだけ―――
◆◆◆
「んっ・・・・・・んんっ」
「あ、目が覚めました?」
消えたはずの意識が戻る。
「・・・・・・ここは?」
「えーっと・・・・・・柳洞寺の客間です・・・・・・って説明でわかるのかな?」
キャスターが起きたときに額から落ちた濡れタオルを桶の水に浸して、少女が答える。
見たところ中学生ぐらいだろうか。
酸化した血のように赤みの強いセミロングの髪を首の後ろで軽く束ね、洒落っ気の無い丸いメガネをかけている。
そのメガネの下には大きな黒目がちの瞳。
純朴そうな、どこか小動物めいた雰囲気をもった少女だった。
「・・・・・・そう・・・それで私はまだ生きているのですね」
小さく呟く。
柳洞寺はサーバントを寄せ付けない結界に守られている。
けれど、その内部に入れば逆にサーバントを維持する霊地となるのだ。
だから、キャスターはまだ現界していられる。
けれど。
「貴女は・・・なぜ私を助けたのですか?」
それが不思議だった。
「えっ? いや、別になぜとか聞かれても・・・・・・えーっと、貴女って人間じゃ無いでしょ?」
「解るのですか?」
「一応魔術師の端くれ・・・って言うか心得見習い程度なんだけど・・・・・・とにかく、そっち側の住人なんで」
なるほどと納得する。
ようするにこの小娘は、古今稀有な存在であるサーバントの自分を手に入れようと言う魂胆なのだろう。
ひょっとしたら、聖杯戦争の事も知っているかも知れない。
ならば好都合。
逆にこの娘を傀儡に仕立てて聖杯戦争に復帰できる。
「それで、あのままほって置いたら危なそうだし、病院に連れて行っても仕方無さそうだし、とりあえず身体を温めて休ませるしかないかと思って・・・・・・そんなトコかな」
・・・と、思ったのだが、どうも様子が違った。
聖杯戦争どころかサーバントの存在も知らない様子だし、なによりその言動が魔術師らしくない。
「あの、私が聞きたいのは『助けた理由』なのですけど?」
「・・・・・・なんで?」
「なんでって・・・その、貴女が私に何を求めて助けたのかを知らないと・・・・・・例えばそう、どんなお礼をすれば良いかも分からないでしょう?」
「困っている人を助けるのに理由は要らないでしょ。別にお礼なんかが欲しくてする事でもないし」
「―――なっ」
「ああ、でもそう。あえて理由を言うんなら、私が正義の味方を目指しているからかな?」
絶句する。
表情からしてどう見ても本心からとしか思えないその言葉。
策謀と奸計に生きてきた裏切りの魔女であるキャスターにとって、それはあまりに荒唐無稽な理由であった。
◆◆◆
「ああ、でもそう。あえて理由を言うんなら、私が正義の味方を目指しているからかな?」
「―――――――――」
絶句している。
まぁ、だいたいこういうが返って来るのは覚悟の上だ。
もう慣れた。慣れましたよーだ。
どうやら思ったより元気そうだし、落ち着くためにお茶でも淹れよう。
先刻は遠慮してみたけど、勝手知ったる他人の家。
衛宮の菩提寺であるこの寺の台所の構造は大体わかっているので、桶とタオルを拝借したついでにお茶も失敬して来たのである。
「ええっと、日本茶で大丈夫なのかな? 見たところ外人さんみたいだけど・・・・・・」
「―――えっ、あ、大丈夫です。いえ、そうではなくて、聞いて欲しい話があるのですが」
「まぁまぁ、とりあえず一服して。この部屋はあったかいけど、まだ体は冷えてるでしょ?」
言いながら湯呑みを差し出すと、彼女は素直に受け取った。
自分の分も淹れて、差し向かいで座る。
お互い無言。
部屋にはゆっくりとほうじ茶をすする音だけが響く。
その間、チラチラと向かいの美女を観察する。
美人だ。桁違いに美人だ。
人間ではありえない、薄いラベンダーの髪。清楚な感じの整った顔、神秘的な色の瞳。
三流魔術使いの私なんかでも強力なアミュレットだとわかる魔力のこもったアクセサリーも似合っていて、全身無数に着けられたそれがまったく嫌味になっていない。
背筋を伸ばしてゆっくりとお茶を飲む姿にもなんだか気品が漂っているし、御伽噺のお姫様のような女性だった。
と、私の視線に気がついた彼女と眼が合う。
コクンと首をかしげる姿まで可憐で、私なんかとは別次元だと思い知らされた。
「―――なにか?」
「あ、いえその・・・・・・聞いて欲しい話って?」
うあ・・・・・・まさか見惚れていましたとも答えられない。
気恥ずかしくなって誤魔化すように逆に問うた。
だが、そこから語られた話は驚くべきものだった。
「貴女がおっしゃるように、私は人間ではありません。サーバントと呼ばれる、半霊体の存在です」
半霊体。
なかなか遭遇率のレアそうな言葉だがなんとなく理解できる。
気絶した彼女が地面に落とした妙なナイフは空気に溶けるように消えてしまったのをさっき目撃したばかり。
多分彼女自身、アレと同じような『何か』で出来ているのだろう。
「本来私のような存在は、マスターとなる魔術師との契約によって現界します。けれど私はその契約者を失ってしまいまして・・・・・・出来ればあなたに新たなマスターになってもらいたいのですが・・・・・・」
「失ったって・・・・・・ひょっとしてあの返り血はその人の?」
詰問口調で言う。
多分、眼つきも随分悪くなっていただろう。
けれどこれだけはきちんと聞いておかないと。
この女性は綺麗だけど、もし誰かを無闇に殺す悪人なら野放しにはできない。
「それは・・・・・・その、実は私が呼ばれたのは聖杯戦争と言う戦いのためにでして・・・」
「セイハイセンソウ?」
「どんな望みも叶えるという聖杯。それを手に入れるため、七人の選ばれたマスターがそれぞれサーバントを召喚して戦うという魔術儀式・・・・・・私はそのために召喚されたキャスターなのです。けれど敵に襲われて・・・・・・サーバント中もっとも腕力に乏しい、魔力もほとんど補充できていなかった私ではマスターを守りきれず・・・・・・」
うつむいて肩を震わせる彼女・・・キャスター。
前髪に隠されたその表情は読めない。
聖杯。
磔にされたキリストの血を受けたと言われる、最上位の聖遺物。
神の血に満たされたソレは、様々な奇跡を行うと言う。
それは、確かに・・・・・・・・・一般的な倫理観とは外れた所に居る魔術師達なら殺しあってでも求めるだろう。
いや、そもそも。魔術師となるという事は自身の死を受け入れると言う事に等しく、また魔術師同士が闘うと言う事は、互いの命を賭けると言う意味なのだ。
「マスターの無念を晴らす・・・とは言いません。
けれど私のマスターを殺したあの敵は、多くの無関係な人々も巻き込み、非道な手段を平気で行った、止めなければいけない危険な魔術師とサーバントです。
ですから、貴女が正義の味方だとおっしゃるなら、どうか私と契約を・・・・・・」
そうだ。
それは、その通りだ。
そんな戦いは間違ってる。
いや、間違ってるとか正しいとか、そんな事は私なんかが簡単に決め付けてはいけない事だろうけど。
その非道というのが実際どんな行為なのかはきちんと聞かなければいけないけど。
衛宮白兎が正義の味方であろうとするのなら、聞き流してしらんぷり出来る事では絶対に無い。
だから。
「わかった。私は正義の味方じゃなくて、たんなる正義の味方志望だけど。魔術師としても三流以下の出来損ないだけど。貴女が、キャスターさんがそれでも良いって言ってくれるなら、出来ることは協力する」
「では、契約してくださいますか?」
「うん。やり方を教えてくれたらすぐにでも」
「・・・・・・・・・そう。よかった」
嬉しそうに笑う目の前の女性―――キャスターさん。
ゾクリと。
突然背筋に悪寒が走った。
なぜか雰囲気の一変したキャスターさんの視線に、気圧される。
「え・・・・・・・・・えーっと?」
後じさる間も与えられず、気がつくと先ほどまでキャスターさんを寝かしていた布団に押し倒されていた。
覆いかぶさってくる彼女に両手も押さえつけられて抵抗を封じられる。
「ああああ、あのっ、何で?」
「契約は、性交を通じてでなければいけないので。仕方ないことですから大人しくして下さいね、マスター」
「せっ、性交って!? わっ、私達、女同士なんですけど!」
「それは大丈夫。ちゃんと気持ちよくさせてあげますから―――」
「―――んぐっ!? んむーっ! んっ・・・んんっ」
重ねられるキャスターの唇。
違う。
絶対違う。
契約云々が何処まで本当かは知らないけど、キャスターの本意は契約目的に仕方なくなんかじゃ無い。
だって彼女の眼が、獲物をいたぶる肉食動物の眼になっているのだから。
口の中をまさぐるようにのたうつキャスターの舌。
こんなの、知らない。
唇が、歯が、舌が、歯茎すらもが、こんな脳髄を蕩かせる様な快感を感じる部品だったなんて知らなかった。
いや、それを言うならコレが私にとってのファーストキスだったのだけれど。
「んーっ!! んぐーっ!!」
抵抗しようとする両腕にも力が入らない。
全身が熱病に浮かされるように熱くなって、手足から感覚が消えていた。
あるいは。
何らかの魔術によって身体を侵されているのかも知れない。
「クスクス・・・・・・ほら、これで問題はありませんよ・・・・・・」
整った美貌を上気させて、キャスターの手が私の股間に伸びていた。
異質な感覚を感じて、霞む視界のままソコを見る。
「―――っ!?」
そそり立っている異形。
見るからに『肉』といった感じの、蛇やトカゲのような爬虫類を想起させるグロテスクな器官は、まるで男の人の性器のようで―――
「ひゃあぁぁ!? なんでこんなモノがっ!?」
「魔力の残量は少なくても、これぐらいは出来ますから・・・・・・これでマスターと私は繋がる事ができるでしょう?」
「なっ、なっ、なっ、なっ・・・・・・」
つまりコレはキャスターが魔術で私の身体にくっつけたモノで、目的はナニをアレすると言う事で・・・・・・そんな、キスも初めてだったのに、しかもその相手はこんなとんでもない美女だったのに、初体験が男役なんて、私にどーしろと言うのだ。
キャスターは驚く私を尻目に肉の棒に手をのばし、あろうことかソコに舌を這わせた。
「きゃう!?」
「クス・・・・・・クスクスクス・・・・・・」
未知の感覚に悲鳴をあげる私を愉快そうに見上げるキャスター。
だってこんな感触、まるでむき出しの神経に触られたようで。
まるで自分の身体が消滅して、ソコだけが残って快楽を感じているような感覚は、当然ながら一度も経験した事の無いモノなのだから。
「ひっ・・・あっ・・・・・・あくうぅぅ!!」
「んっ・・・ちゅっ・・・ちゅぷっ・・・・・・」
キャスターの思うままに玩弄される。
こんな快感、耐えられない。
気がつけば私の腰は自ら快感を求めるように勝手に動いていた。
いや、そうではない。
快楽を求めているのは私に他ならない。
キャスターの口の温かさと柔らかさを求めて、私自身がみっともなく腰を動かしているのだ。
理性と言う手綱など簡単に撥ね退けて、浅ましい本能がもっともっとと快楽を望む。
「や・・・・・・だっ・・・こんなのっ・・・・・・ふあぁぁぁ!!」
それでも。
残ったなけなしの理性を総動員して強引にキャスターから離れようとした瞬間、彼女の指が男性性器の模造品の下にあった女の部分をつまみ上げる。
「逃げ出すなんて、酷いマスター。ちゃんと貴女とセックスしないと、私は消えてしまうと言うのに・・・・・・」
「ひいっ・・・やっ、やめ・・・・・・くあぁぁぁ!?」
悲しげな口調。
けれどどう見ても私をいたぶっているとしか思えない笑みを浮かべて、キャスターの右手は私の女の部分を・・・・・・むき出しにされた肉芽を弄んでいた。
しかも左手は、キャスター自身の唾液と、それに先端から湧き出している液体で濡れた男性器を握ったまま。
男と女の、もっとも感じる部分を同時にいじられる。そんな、ありえない快楽。
狂う。絶対だ。こんな行為を続けられたら、私は狂ってしまうに違いない。
と、唐突にその地獄のような快感から開放された。
「―――?」
「さぁ、それではそろそろ・・・・・・」
ぐっと、下半身にキャスターの体重がのしかかる。
肉の棒が何かに飲み込まれる感覚。
「あぐうぅぅ・・・・・・」
「―――はあっ」
つまり、私とキャスターと繋がったという事で。
その快感は、今まで以上の強さで。
「あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
柔らかいくせに苦しいほど締め付ける膣の感覚に、私は一気にオルガズムに達してしまった。
ドクドクと膣内に放たれる精液のような何か。
だが、それで終わりではない。
「あらあら、そんなに私のナカは良かったのですか? でも、まだダメです・・・・・・マスターには、私と同時にイッてもらわないと『霊脈』が通じませんから。もうすこし、頑張ってもらわないと・・・・・・」
萎えかけたソレを弄るように、キャスターの肉壁がグニグニと締め付けてくる。
それで、私の股間についた異物はムクムクと力を取り戻してしまった。
「や・・・あう・・・ゆる・・・して・・・」
「ダーメ。ああ、そんな泣き顔を見せられたら、もっと虐めたくなってしまいますわ。ふふっ。こんなに可愛いマスターに出会えた幸運を感謝しないと」
「うぅ・・・やあぁぁ・・・・・・」
言って腰の動きを再開するキャスター。
結局。
その行為は私が気を失うまで続けられる事になるのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【アトガキモドキ】
初日終了。
ここまで読んで下さった方に多謝。もしよろしければ濡場について
A・しっかり描写がある方が良い
B・適当に流して良い
のどちらか、ご意見を伺いたいです。
―――1月27日―――
「ううっ・・・・・・なんだか全身が痛い・・・・・・」
弱音を吐きながら家路を急ぐ。
柳洞寺で朝食をご馳走になってからの帰宅なので、時刻はもうすぐ9時である。
目を覚ますと一成君のお母さんから借りた寝間着はまったく異常が無く、キャスターの姿も無かったので昨日の事は夢だったかとも疑ったのだが。
『おはよう御座いますマスター。今は霊体になっているので他人には感知できません。このほうが御都合よろしいでしょう?』
と、脳裏に響く声でそんな儚い希望も打ち砕かれてしまった。
まぁ、実際夢でない事はわかっている。
こんな、服で隠れる場所を選んで無数につけられたキスマークだとか、なんとなく手足に力が入らない感じだとか、妙に痛む腰だとか。
トドメは、なぜかまだ股間についたままの男性の器官で。
「何でまだ付いてるんですかーっ!!」
と、怒鳴ったら。
「3〜4日もすれば消えますから大丈夫です。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「サーバントには常時魔力を補充していただかないといけませんから、週に二回は頑張ってもらわないといけませんので・・・・・・」
などと返されてしまった。
つまりアレですか。
聖杯戦争とやらが終わるまで、私は常にこんなモノをぶら下げていないといけないワケですか?
ああ、なんだか闘うためのモチベーションがふつふつと湧き上がる感じ。
一刻も早くこんな戦いを終わらせたいです。
つーか、カンベンして。
そんな風に、疲れた体と、それ以上に疲れた心を引きずって、ノロノロと自宅に帰りついたのころには、もう太陽も頭上に昇っていたのでした。
◆◆◆
さて。
家に帰ってまずはじめにする事。
それはやはり昼食の準備だろう。
いやしんぼと言う無かれ。キャスターは朝食を食べていないし、お寺の朝は質素なお粥がメインだったのだ。
ああいった素食も良い物ではあるが、育ち盛りの女の子にとってアレだけと言うのはちょっと辛い。
なにより、昨日の夜に消費させられた体力を回復しない事には。
「―――――――――」
と、思い出しかけて頭を振って記憶を追い出す。
忘れろ、私。
アレはあくまで、キャスターにとってのエネルギー補給なのだと自分に言い聞かす。
と、台所に立った所で気が付いてキャスターに聞いてみた。
「ねぇ、キャスターって御飯は食べられるの?」
「ええ。多少ですが、活動のためのエネルギーにはなりますわ」
シャラランと現れたキャスターは、紫のローブを身につけた姿。
御伽噺の魔法使いのようで似合っていると言えば似合っているのだけど・・・・・・
「えっと、とりあえずローブは脱がない? 和室にはトコトン合わないんだけど」
「・・・・・・そうかも知れませんね。分かりました」
「うん。それにキャスターは美人なんだから、顔を隠すのは勿体無いし」
ん?
キャスターの動きが止まってなんだか変な顔をしている。
ひょっとしてローブを脱ぐのが嫌だったのかな?
「えっと、嫌なら別に着たままでも・・・・・・」
「いいえ、嫌などと言う事はありませんから」
やたら強い調子で言い切られた。
ふむ。
どうもキャスターは美人なんだけど、美人過ぎて感情とかが分かりにくい気がする。
とは言っても、まだ数時間の付き合いしか無いから当然と言えば当然だけど。
キャスターについて私が知っている事柄は、あまりに少なすぎる。
そう。例えば―――
「キャスターって和食で大丈夫? ってもまぁ、洋食にするほど材料は無いんだけど」
「さぁ? 前のマスターが食べているのは見た事がありますが、私自身現界してから食事を取った事はありませんし」
「・・・・・・・・・ふーん」
なんだかムッとする。
契約とか聖杯戦争とかについてまだ良く分かってない私だけど、いっしょに闘うパートナーとごはんも食べたことが無いなんて、それは正しく無いような気がしたから。
まぁ普通のサーバント・使い魔と言われるモノは、魔術師の手足になって働くような小動物や人形に過ぎないから、彼女もその延長の存在だと言うなら別に問題ない行為かもしれないけれど・・・・・・
とりあえず焼こうとしていた鮭をムニエルにするために小麦粉とバターを用意する。
缶詰のスイートコーンを使えばすぐにスープは出来るし、おひたしの予定だったほうれん草はベーコンといっしょにサラダに変更。
今からごはんを炊くよりもトーストの方が早いし。
ちょっと洋風も良いかなとか思ったし。
別にこの変更は深い意味なんてない、ただの気まぐれなのだ。
ただ、キャスターに喜んでもらいたいなー、などと。
少しだけ、思ったのは事実なのだけど。
◆◆◆
急な路線変更にかかわらず、おかずの鮭は焼き加減といいソースの出来といい会心の仕上がりだった。
そりゃもう、テーブルに並べて一口食べて、小さくガッツポーズをするぐらいに。
で、キャスターの口にあったかなぁ? と、覗き見てショックを受けた。
いや、別に美味しくなさそうにしているわけではない。
ただ、上品なのだ。それも圧倒的に。
我が家の居間での食事風景のはずが、なんだか高級レストランかなにかのように錯覚してしまうぐらい。キャスターの周囲だけ、空気の色まで違いそうなぐらい、上品だった。
ブルジョワジーと言うかノゥブルと言うか。容姿に相応しくその所作までもがお姫様チック。
その姿をみていると、昨夜の『あの』言動は幻だったのかと思えてくる。
と、言うか。ソレに関しては積極的に幻と言う事にしておきたいのだけど。
「マスター?」
思わず見入っていた私に気がついて小さく首をかしげる。
「あ、いや、なんでもない・・・・・・」
と、ブンブンと手を振ってから、ある事に気がついた。
「・・・そうだ、何か変だと思ったら」
「どうかしました、マスター?」
「その呼び名。面目ない。私ったら自己紹介もしてなかった。改めて、私は白兎。衛宮白兎」
「・・・・・・シロウ? この国の名前にしては、男性名のような響きですね?」
「あー、そうかも。でも字はシロいウサギと書いてシロウだから、けっこう女の子向けだと思うんだけど」
と、突然キャスターが私の頭のあたりに視線を向けて、それから顔を見て、なぜか頬を赤くして口元を覆う。
随分と挙動不審。
「キャスター、どうかした?」
「あ、いえ、別に。マスターの頭からウサギの耳が生えている所を想像したり、ニンジンを齧って首をクキっとかしげたりする姿を想像なんて、ほんの少しもしていませんわ!」
「―――――――――」
やばい。
なんだかキャスターの眼つきが昨日の夜に見たモードに切り替わっている気がする。
今の発言は全力で聞かなかった事にしよう。
◆◆◆
「さて」
食器の後片付けはキャスターが手伝ってくれたのですぐに終わった。
今は食後の一服なんかして、まったりとした空気も流れていたりするのだが、それを振り払って決然と立ち上がる。
「服を買いに行こう!!」
「は?」
ぐっ。
キャスターが呆れた顔でこっちを見てる。
あれは間違いなく頭のおミソがたりない子を見る目付きだ。
「えっとね、今日は良いんだけど、明日から朝と晩に二人ほどお客・・・って言うか家族みたいな、まぁそーゆー人達がウチに来るんで、その人達は魔術とか関係ないから、キャスターの服装がそのままだと問題かなー、と」
「ですが白兎さま、その時は私が姿を消していれば問題ないのではありません?」
うわ、様付けだ。
その呼び名はちょっと勘弁してもらいたい所ではあったけど、今はそれより先に説得すべき事がある。
「そーゆーのダメ。
なには無くとも、これから一緒に居る間は一緒にごはんを食べるの。
そのためには藤ねぇと桜に・・・・・・その、いつも一緒にごはんをたべてる二人に、キチンと紹介しないとダメでしょ?
だから、まずは普通の服を買ってこなきゃならないの!」
キャスターの背丈は藤ねぇと同じぐらいだから、藤ねぇがウチに置いてある服を借りるという手もあるのだけど・・・・・・体の一部分、ぶっちゃけ胸のあたりが苦しそうなので、やはり買いに行くべきだろう。
ちなみに見た感じのヒエラルキーは
桜>キャスター>(超えられない壁)>藤ねぇ>(将来性に期待)>私。
くそぅ。悔しくなんかないやい。
「私は今よりちっちゃかった頃、この家で独りになる事が多かったから、独りぼっちでごはんを食べるのは寂しいって事を知ってる。
それで、その頃からちょくちょくウチでごはんを食べていってた藤ねぇのおかげで、皆で食べるごはんが楽しいって教わったの」
ずずいっと詰め寄って説得する。
多少強引と思われてもかまわない。これは私にとって譲れない事なのだ。
「だから、皆でごはんを食べている時にキャスターが独りで隠れてるなんて絶対許せないの。魂的に。
私は、できればキャスターと家族になりたい。了解?」
「え、ええ。白兎さまがそうおっしゃるのなら・・・・・・」
気圧された様にうなずくキャスター。強気に出たのが功を奏したようだ。
うむ、勝利。
そうと決まれば藤ねぇの置いてった服から胸に余裕があって無難なのを選んでキャスターに着させて、新都にレッツゴーである。
◆◆◆
冬木市と言う街は、簡単に言って二つに分けられる。
市を二分する未遠川の西側が衛宮邸や柳洞寺、それに学校のある深山町。
東側にあるのが、市駅や駅前の百貨店、オフィス街などがある新都。
その二つの地区を、冬木大橋が繋いでいる。
新都はその名前の通り新しい街で、それまでの町を焼き尽くした10年前の大火災の後、行政指導の都市計画と共に急速に発展した都市なのだ。
深山町にも商店街はあり、食料品などはそこで十分手に入るのだけど、こと女の子が着る服を買うとなるとやはり新都に行くのがベストとなる。
バスに揺られる事20分。
私とキャスターは新都の駅前パークへと到着し、服を選んでいたはずだったのだけど・・・
「―――――――――あっ♪」
なぜか途中のヌイグルミ専門店で瞳を潤ませて誘引されたたキャスターに連れまわされていた。
いっそ夢遊病患者かとすら思わせる足取りで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
気に入ったヌイグルミを指でツンツンとつついては、先ほどのような色っぽい声をあげていたりする。
うーん・・・・・・外見の印象でもっと硬派とゆーかお堅いタイプかと思っていたのだけど、どうも重度のカワイイモノ好きのようである。
「ふわふわ・・・・・・もこもこ・・・・・・」
まぁ幸せそうだから良いのだけど。
「キャスター、私、他の所を見てくるから。30分経ったらここの表で合流ね」
「は〜〜い・・・・・・あっ、ぽわぽわ〜♪」
むぅ・・・・・・・・・大丈夫なんだろーか。
◆◆◆
で、キャスターがふわふわの可愛いヌイグルミを見ている間、私はカチカチの可愛くない武器を眺める事にした。
ちょうど同じビルの展示場で、冬木市の文化財を展示するという催しがあったのである。
まぁ、文献や陶磁器なども展示されてはいたが、やはり熱心に見て回るのは自分の好きな物にかたよるわけで。
私は昔から武器、特に剣や刀の類に誘引される物騒な性質なのである。
パネルの説明によると、冬木市はかつての港町で、外国の文化なども古くから入っていたと言う。
そのためか、日本刀と西洋の直刀が並んで展示されていたり、西洋風の胴を供えた大鎧などもあって中々面白い。
一成の実家である柳洞寺の宝物庫から貸し出されたらしい薙刀や槍・弓など、昔の僧兵が使っていた武具に混じって西洋のランスやフレイル、マスケット銃やらレイピアーなど、実にバライティに富んでいる品揃えだ。
特に柳洞寺由来だと言う刃渡り5尺と言う超長尺の日本刀や、よほどの怪力でもなければ引けそうもない鉄製・六人張りの大弓、刀鍛冶が西洋の刀を参考に作ったと言うサーベル風刀剣など、変り種の展示品が見られたのは収穫と言っていいだろう。
で、たっぷり30分楽しんでキャスターの所に戻ると・・・・・・
「ああん♪ この子も可愛い〜〜」
彼女はまだヌイグルミに夢中で、トリップ中なのであった。
◆◆◆
バスに揺られて家路につく。
隣の座席には嬉しそうにぬいぐるみを抱えて微笑んでいるキャスター。
結局あの後、質屋に走って持っていた宝石を売ったキャスターは、そのお金で全長70センチはありそうな大きなぬいぐるみを買ってしまった。
残ったお金で服や夕食の食材なども買ったのだけど・・・・・・あの宝石、後から消えたりするんじゃ無いかと不安になった私。怖くて聞けなかったけど。
もう一つ怖くて聞けなかったのは、キャスターが買ったぬいぐるみがなぜ白いウサギのぬいぐるみだったかと言う事。
彼女がその直立歩行タイプのウサギに向かって『シロウちゃん』などと甘ったるい声音で呼びかけていたのは幻聴だと信じたい。
夕食はお米が食べたくなったのでキャスターに了解を得てごはん食。
その代わりと言う訳でも無いが、主菜はチキンとキノコのクリームシチュー。先に鳥の表面を焼いて少しだけ醤油味をつけてからシチューに加えるのがごはんに合う味のポイントである。
後は昼の鮭の残りを別の魚介と一緒にマリネにしたり、温野菜のサラダなどを作って手早く用意。
「・・・・・・・・・どうかな?」
「はい、とても美味しいですわ。特にこのシチューの味付けはとっても。ね、シロウサちゃん?」
「・・・・・・そう・・・良かった」
幸いキャスターの口にあったようで、美味しそうに食べてくれている。
・・・・・・ただ、食卓にキャスターと並んで鎮座しているウサギのぬいぐるみ『シロウサちゃん』の丸い瞳が妙に圧迫感があってアレな感じ。
あまりあからさまに視線を逸らすのも雰囲気が悪いので、冗談なんかを言ってみた。
「えっと・・・・・・なんならその子も分のごはんも要る?」
「残念ながら食べられませんし・・・・・・けれど、マスターがお望みなら食事が出来るような使い魔に改造いたしますが?」
「そんな事できるんだ・・・・・・あ、いや、やらなくて良いですよー」
うう、冗談も通じない。
見るとキャスターはそれがとても良い思いつきであり、ぜひ実行したいと思っているような、指を組んでオメメきらきらのヲトメちっくな表情になっていた。
使い魔の作成。
それはまっとうな魔術師にとってもそれなりの難易度の魔術のはずだ。
当然だけど、衛宮白兎には絶対不可能な芸当である。
けれどおそらく、キャスターにとっては容易な事なのだろう。なにより、食事が終わったら即座に始めそうな雰囲気が、その事実をあらわしている。
しかし、あまり何時までも趣味に走ってまったり過ごすだけと言うワケには行かないのだ。
「キャスター、この後話があるから、使い魔作るのはまた今度にして」
「・・・・・・・・・ええ、マスター」
私の話したい事が何かを感じ取ってくれたのだろう。
神妙な表情で、キャスターはうなずいた。
◆◆◆
「ふぅ・・・・・・」
交代でお風呂に入って一息。
さて、これからが真面目な話をする時間だ。
「さて、キャスター。何からどう聞けば良いのかよく分からないんだけど・・・・・・聖杯戦争って戦いの事、教えてくれるよね?」
テーブルを挟んで向かいに座る、ラベンダー色の寝間着を着たキャスターを見据えて問う。
二人の手元には今日買ってきた紅茶が湯気を立てている。
それを一口ふくんで、唇を湿らせてからキャスターは答えた。
「はい・・・・・・とは言っても、私もすべてを知っているわけではありませんが」
「うん、分かる範囲で十分。まず質問だけど、聖杯って、やっぱり『あの』聖杯?」
聖杯・ホーリーグレイル。
それは多分、聖槍ロンギヌスと並んで最も広く名の知れた聖遺物では無いだろうか。
この国でもアーサー王の物語や冒険考古学者の映画などで有名だと思う。
ちなみに、モンティパイソンは無しの方向で。
キリストの最後の晩餐で使われたと言われる杯とも、ゴルゴダの丘で磔にされたキリストの血を受けたとも言われる聖遺物。
神の仔の血潮を受けた杯は神秘の力を持ち、様々な奇跡を行いうると伝説にはある。
いわく万物の源。
いわく生命を生み出す坩堝。
いわく善・真・美を湛える正しき騎士道の具現。
ケルト神話に語られる父神ダヌゥの大釜がルーツとも言われるそれは、教会にとってはもちろん、魔術師にとっても重要な意味をもったアーティファクトと言える。
「そうですね・・・・・・
『それ』は神の血を受けた杯ではありません。けれど、重要なのはそこではないでしょう?
『それ』は聖杯の名を冠する。つまりはその名に相応しい神秘を成しうると言う事です。
聖杯と呼ばれる『モノ』を巡る戦いは、この冬木以外でも繰り広げられていると聞き及びます。
けれど他の地域で行われる戦いには私のようなサーバントを呼び出すような流儀は存在しない。
この冬木の聖杯だけが、英霊である私達をサーバントとして召喚し、使役するなどという奇跡寸前の行為を可能とする以上、この街の聖杯が持つ力はその名に相応しいに違いありません」
「ちょっと待った。英霊って? ずっと疑問だったんだけど、貴女は、サーバントって言う存在は一体何なの? キャスターの存在感・・・って言うか霊格は、とてもじゃないけど字義通りの使い魔とは思えない」
「私達サーバントは今言った通り『英霊』ですわ。かつて人であり、人を超越して祭り上げられた存在。伝説となって人に語り継がれ、伝承の中で世界に固定された魂。例えば私の真名はメディア。白兎さまも魔術師ならご存知ではなくて?」
「―――女王メディア・・・・・・・・・それって、ギリシャ神話の登場人物じゃない」
驚いた。
お姫様みたいだと思っていたら本当にお姫様だったとは。
あまり詳しくは知らないが古代ギリシャの悲劇の女王で、美輪○広だか劇○四季だかのミュージカルにもなっていたと思う。
魔術王国の姫君で、自身も竜を眠らせたり、海の流れを操作したりと強力な魔術・・・・・・いや、当時の文明レベルで考えればおそらく魔法だったに違いない術を操った稀代の女性魔法使い。
確かに、端くれでも魔術師を名乗る者なら名前ぐらいは聞いた事があって普通だろう。
ただし・・・・・・
「ゴメン。名前とスゴい魔術師だったってコトは知ってるんだけど・・・・・・」
いや、ギリシャ神話は小さい頃に読んだことがある。
どうも人間がわがままな神様に迷惑をかけられる話という印象が強いのだけど、正義の味方志望の子供としては、ヘラクレス十二の試練とかのくだりはワクワクした記憶があるし。
ペルセウスのメデューサ退治とかイカロスの墜落とかトロイ戦争のアキレスやヘクトール、アガメムノンやオデッセウス、アイアスなどの綺羅星の如き英雄達の物語、そういう記憶はけっこうあるのだけど。
なぜか女王メディアが出てくる辺りは記憶に薄い。
たしか冒険船アルゴーとか、イアソーンとか言う英雄が絡んできたような違うような?
「そっ、そうですか・・・・・・けれど認識としてはそれで十分ですわ。ともかく、我々は本来精霊に近い存在なのです」
残念がっているようにも、喜んでいるようにも見える不思議な表情のキャスター。
やっぱり感情が読みにくい気がするけれど、今の私にはそれを気にする余裕は無かった。
精霊。
それは仮にガイアと称される『世界そのものの意思』の端末、あるいは感覚器官に相当する存在。
また、実体化する事が出来るらしいので、世界の手足とも言えるだろう。
世界の管理者であり調整者たるモノ。
あるいは自然信仰における『神』と称してもそう間違いでは無い存在だ。
ならば、キャスターを初めとする英霊も、その『神』に準ずる存在と言って過言では無い。
その『神』を呼び出し、受肉させ、使い魔として人間に操る事を可能にする。
それを行うという聖杯なるモノがどれほどの力を持っているのか・・・・・・私程度の魔術使いには想像する事すら困難なとんでもないパワーだ。
「けれど聖杯はその英霊かりそめの肉体を与え、聖杯に選ばれたマスターに召喚され、それ程の奇跡を行う聖杯を手に入れる事を交換条件としてマスターに従うサーバントになる。
ただ・・・いかな聖杯とは言っても限界はありました。
無差別に英霊を呼び出して単独で現界させる事は聖杯にとっても不可能だったのです。
ですから、先に現界のための受け皿となるクラスを用意して、この時代と『縁』を結ぶためのマスターを用意する事によって七種七体のサーバントに実体を与える事をなさしめた」
「――――――え?」
ちょっと待って。
それは、何かがおかしい。
なにか・・・・・・そう、順番が、逆だ。
「待ってキャスター。それじゃあマスターが聖杯を巡って闘うためにサーバントを呼ぶんじゃ無い、サーバントを呼ぶためにマスターと聖杯を用意したみたいじゃ・・・・・・」
「そうです白兎さま。この冬木での聖杯戦争は、私が前マスターの元で調べた限り150年ほど前から既に3回行われていますが、その戦いはある種の魔術儀式の気配があるのです。
聖杯を争奪するためにサーバントを召還するのでは無く。
聖杯を顕現させるためにこその、サーバントの召還。
この街の何処か・・・・・・おそらくは歪んだ龍脈の中心である柳洞寺に聖杯を出現させるための魔法装置が隠されていて、サーバントが殺しあう事でそれが起動する・・・・・・そんなカラクリなのでしょう」
呼び出したサーバントを殺し合わせる魔術儀式。
蟲毒と言う言葉が脳裏に浮かんだ。
毒を持つ蟲を壷に収め、共食いの末残った一匹に濃縮された毒をもって呪いとする魔術。
壷はこの街。毒蟲はサーバント。餌は聖杯。
そしてその聖杯に、英霊と言う信じ難いほど高位の魂によって生成された毒が満ちる。
なんて―――最悪で不吉なイメージ。
『聖』杯などと言う名前から連想される美しいイメージなどカケラも無いおぞましさ。
そんなものを求めるために彼女は呼び出され、そしてその主を失ったって言う。
この後もサーバントは殺しあって、マスターも殺したり殺されたりするのだ。
「―――なんでよ」
「え?」
「なんでそんな下らない事でキャスターが辛い思いをしなきゃなんないの。人が殺されなきゃなんないの。魔術師だから、覚悟を決めてるから良いとか、そんな馬鹿な話が出来るレベルじゃ無い」
◆◆◆
苛烈な怒りを湛えた瞳で言う。
本気で怒っている。
世の理不尽に。キャスターが苦しむ原因に。殺された・・・本当はキャスター自身が殺したマスターの無念に。
そんなどうしようもない現実を向こうに回して、本気で憤慨して何とかしたいと思っている。
愚直に、大人気なく、蒙昧に。けれど眩しいほど直実な、それは世の善性を信じている――――――正義の味方の姿。
「止めなきゃ。やめさせなきゃ。
それぞれの魔術師が命を懸けて求める理想なら、全てを敵にしても進むべき求道なら、それは私が止められる事じゃないと思ったけど・・・・・・でも違う。そんな蟲毒じみた魔術儀式なんかに理想や求道を叶えられるはず無い。
そんなもののために誰かが傷つくのも、誰かが死ぬのも間違ってる。
殺し合いを、止める。
誰も、死なせない。殺させない」
決意を込めてそう言う少女は、滑稽な程に実力不足でしかない。
キャスターの見るところ、魔術回路は30にすら達せず、魔力の総量も20〜30が限度。
感情の起伏が激しい性質らしいので昨夜は思った以上の魔力(感情)を補給できたが、それは常に冷静であるべき魔術師としては不要な資質に過ぎないのだ。
工房であるはずのこの屋敷に蓄えられた知識は無く、それゆえか開かれた構造で結界も『警鐘』のそれのみ。
当初キャスターが用心していた彼女の指導者の姿も見えず、武器となる礼装も今まで見ていない。
肌の隅々まで触れて調べても一片の魔術刻印すら無いその肢体を含め、魔術師としての能力など望むべくも無いだろう。
その少女が、他のマスターを相手に戦うどころか、戦いをやめさせると言い放ったのだ。
馬鹿馬鹿しい。
出来るはずが無い。
第一、それではキャスター自身が聖杯を得ると言う望みに届かなくなるではないか。
こんな小娘の妄言に付き合えるはずが無い。
もう、自我を破壊して人形にしてしまうべきだ。
感情を糧に出来なくなるのは惜しいが、魔力を補給する手段は他にもある。
なに、簡単な事だ。
キャスターの魔術をもってすれば、ぬいぐるみを使い魔に変えるのと同じ簡単さで、少女を思い通りに動く傀儡人形に変えてしまえる。
令呪を持っているわけでもないかりそめのマスターにしか過ぎない彼女に、キャスターを縛る手段などあるはずも無く。
この至近距離なら、何の対魔術も持たない白兎相手なら。
高速神語という神代の魔術を操るキャスターなら、ただの一音節で成しうる魔術。
だって言うのに。
―――私は、できればキャスターと家族になりたいの。了解?―――
なんて言葉とその時の白兎の表情が思い浮かんでしまった。
あけすけで、あけっぴろげで、直情的で。
ごはんは皆で食べるのだと言い張って、料理を褒められると嬉しそうに微笑んで、他人の痛みに本気で怒り出して、目の前で苦しんでいる相手を救うのに理由なんか必要ないと断言する、名前に相応しく穢れの無い、真っ白な少女。
一度人形にしてしまえば、そのすべては失われるだろう。
家族になりたいと言った衛宮白兎のささやかすぎる望みは、果たされる事無く消えうせる。
―――かつて、女神の気まぐれで心を狂わされた少女が居た。
神の魔術によって吹き込まれた偽りの恋心に翻弄された少女が居た。
イアソンと言う、顔も知らない男のために、父を裏切り、弟を八つ裂きにし、故郷を捨ててしまった少女。
ただ男のためだけに謀略を成し、男を救うためだけに魔術を使った。
その果てに得たのは、邪魔者として男に切り捨てられた自分と、裏切りの魔女という呼び名。
全てが終わって、異国の地で正気に戻ったメディアの周りは、すべての元凶がお前であると憎悪する人々の視線と罵詈雑言だけで満たされていたのだ。
ならば、本当にそうなってしまえと思った。
周りが裏切りの魔女と呼ぶのなら、その名に相応しくなってやろうと。
そうする事は簡単だった。
本人の心にくすぶった悪意を、ほんの少しの言葉で後押しするだけで誰もが裏切り、裏切られた。
そして、魔女の姦計に乗せられたわが身を嘆くのだ。
それでいいと。
何度も何度も呪いの言葉を吐き掛けられてそれでいいと思った。
真の罪はその身の中に。けれどソレを誤魔化してメディアを魔女となじるなら、そいつらは永遠に地獄に落ちたままだろう。
自身にこそ罪ある事すら知らない者では、償いの機会など無いから。
永久に地獄で彷徨え。
そう嘲笑し続けた。
あざ笑う事だけが、自分の望みだと信じ込んで生きて、死んで、そして永遠に裏切りの魔女として存在するモノになって。
けれど求めたのは。
本当に欲していたものは―――
「あ、でも・・・・・・さっきの説明だと、キャスターは聖杯を手に入れるために召還に応じたんだよね。ねぇ、キャスターは何のために聖杯を求めたの?」
「―――現世で完全な受肉をして第二の生を生きる事。それを可能にするのが、聖杯なのです」
例えば神々の気まぐれによって失った、家族なんて言うたわいも無いモノでは無かったのかと、この瞬間に気がついてしまった。
渇望と言えるほど、そんなものを求めているのだと気がついてしまった。
「肉体を得て・・・・・・私は、多分、白兎さまの家族になりたいんです」
なぜか、そんな言葉が、口から転がり出る程に。
◆◆◆
「私は、多分、白兎さまの家族になりたいんです」
呆然となった。
あまりにも綺麗な表情に魂を抜かれたようになってしまった。
こんなのは反則だ。
ただでさえキャスターは人間離れして綺麗なのに、あんな邪気も含みも無い顔で、あんな事を言ってくるなんて、完全に不意打ちで反則だと思う。
「あ、うん・・・・・・そうなんだ」
おかげで視線も合わせられず、こんな間の抜けた返答しか出来ない。
多分今、私の顔は真っ赤になってる。
いや、顔どころか耳とか首までカッと熱くなっている。間違いない。
心臓はドクドクとうるさいぐらい脈打って、言葉もろくに思いつかない。
これじゃあまるで、恋する女の子みたいじゃないか。
あー、何か言わないと。
こんなんじゃ、キャスターに変に思われる。
「いや、うん、だったらやっぱり、目的のためには手段を選ばないと。家族になるために人を殺して回るような、そんな血塗られた団欒はゴメンだし。
とりあえず・・・・・・先に聖杯の正体を見極めよう。なんだか胡散臭すぎる。
それと、どうやったら他のサーバントとマスターに戦いをやめさせられるかを考えて・・・・・・あ、その前に何処の誰がマスターなのかも探さないとダメか」
「そうですね。とりあえず、昼間は情報を集めて、おそらく他のマスターが活発に活動している夜にこちらも探索に出る・・・・・・くらいのつもりで行動しましょうか?」
「ん。そーだね」
流石と言うか、キャスターの方針は具体的で分かりやすい。
「つきましては、この土地の管理者から情報を聞きだすか、白兎さまの師匠から聞きだすかして・・・・・・」
管理者。
それは魔術師を束ねる『協会』が選任した地域管理者・セカンドオーダーの事だ。
聖杯戦争とやらが、既に3回も行われている魔術儀式だとしたら、当然管理者は何か情報を持っているだろうし、あるいはその管理者自身がマスターなのかも知れない。
だけど・・・・・・
「あ、それは無理」
「え?」
「私は協会に所属してないし、切嗣・・・私の師匠もはぐれ魔術師だったらしいから、管理者って言うのが誰か知らないの」
「らしい?」
「うん。切嗣、もう随分前に亡くなったんだけど、詳しい事は聞いてなかった」
「――――――なっ」
今度はキャスターが呆然とする番だった。
が、それは私の時と随分意味合いが違う。
普通、魔術師と言うのは師匠に教えを受けて魔術を自身に刻んでゆく。
それはもう、何十年とかかって本当の魔術師になる者なのだ。
けれど、衛宮白兎には師匠が居ない。
協会に属していない以上、代わりの師匠が居る筈も無いし、切嗣以外の魔術師に教えを受けたいとは考えなかったし、そもそも衛宮白兎に魔術師の知り合いは居ない。
切嗣に魔術を教わったのはわずか3年で、しかもその大半を、切嗣は海外を飛び回っていたのだから・・・・・・私が教わった事の少なさは、それこそ魔術師としての常識を超える呆れた事なのだろう。
結果、魔力の生成と『強化』の魔術だけが出来る、三流と言ったら三流の人に申し訳ないような魔術師が出来上がったワケである。
で、その事を正直に話すと。
「―――――――――はぁ」
物凄く重いタメイキを吐かれてしまった。
◆◆◆
魔力を生み出し、魔法を使うのに必要なのは、魔術回路と呼ばれる擬似神経を開く事。
体内に生まれたときから持っている、しかし普通の人間は一生使わないその回路を目覚めさせなければ、魔法を使う事は出来ない。
「同調・開始(トレース・オン)」
呪文は世界を変える物では無い。
それは自身を変革する暗示の言葉。
この瞬間から、衛宮白兎は魔術を行うためだけに存在する装置となった。
イメージするのは焼けた鉄の棒。
その棒をゆっくりと背中に突き刺してゆく。
そうやって外部の魔力を取り込んで、体内に回路を生み出すのだ。
「あっ・・・ぐっ・・・・・・」
異物の侵入に反応した肉体が悲鳴をあげる。
魔力とは、健全な肉体にとっては毒素でしかない。魔術を行使すると言う事は、肉体の拒絶反応を抑制する事に他ならないとすら言えるのだ。
ゆえに、衛宮白兎が毎晩行うこの鍛錬は、多大な苦痛と危険を伴っている。
脊髄に突き刺した魔力と言う名の焼けた棒は、わずか数ミリのズレだけでこの身体を焼き尽くす恐れがあるのだから。
だから、失敗は許されない。
私の魔術が見たいと言ったキャスターの視線をつとめて忘却し、ただ行為の成功のみに腐心する。
その甲斐あって魔術回路は問題なく生成された。
後はそこに魔力を通し、目的に応じて起動させるだけだ。
―――基本骨子・解明
手に持ったグラスに意識を集中し、その内部構造を読み取る。
頭の中に形成される精密な設計図。
ガラスを構成する分子の一つ一つまで認識できるそれは、衛宮白兎の唯一の特技。
―――構成素材・解明
とは言え、それほど役に立つ特技でもない。
その存在の全てを読み取るための工程。それは、本当の魔術師なら一瞬で全てを把握する類のものだと言う。
それでも、衛宮白兎にはこうやって愚直に一つずつの工程を重ねていくしか無い。
衛宮白兎は真正の魔術師ではなく、ただ物に魔力を流す事が出来る魔術使いでしかないのだから。
―――基本骨子・変更
だが、物質に魔力を流し込むと言う作業は、毒物を流し込むのにも等しい。
必要な部分に必要なだけ。それが出来なければ強化は発動しないか・・・・・・
―――構成材質・補強
「―――くっ」
パリンと。
今手の中にあるグラスのように、砕けてしまうだけだ。
・・・・・・情け無い。これではキャスターも呆れているだろう。
とりあえず魔力を維持。
壊れたグラスを買いなおすのも面倒なので、自力で作り出す事にした。
―――基本骨子・想定
先ほどの設計図を元に、体内に残った魔力を粘土のように練り上げてカタチを作る。
―――構成材質・模倣
そのカタチに、ガラスと言う材質を付加。
元々ある物質に魔力を通す強化にくらべて、この作業は簡単なので気晴らしにもなる。
絵の具で緑色を作るのに青と黄色をまぜるより、初めから緑を使ったほうが簡単なのと同じ理屈で、最初から最後まで自分の魔力で作るほうが遥かに楽なのだ。
もっとも、機械のような中身のあるモノを作ろうとしても外見だけが似たガラクタが出来上がるだけなので、結局グラス程度を作るのが精一杯なのだが。
「は―――ふぅ」
手の中に重みが生まれてくる。
それを確認して背中にあったイメージの火箸を引き抜いた。
「ゴメン、やっぱり失敗しちゃった」
グラスを傍らに置いて汗を拭い、外していた眼鏡をかけた。
私の強化は成功率0.1パーセントを切ると言う不本意にして厳然たる事実は既にキャスター言ってある。
まぁ呆れられているとは思うが、魔術師としての衛宮白兎に対する評価の再底値はこれ以下に下がりようが無いと言う所まで下がっているので、別に良いやとキャスターの方に顔を向けると・・・・・・
「―――なんなんですか、貴女は」
物凄い顔で睨まれてしまった。
◆◆◆
信じられない事だった。
目の前のマスター。
自身を三流以下と称する魔術師―――確かに三流以下ではある。強化の魔術などと言う初歩の初歩しか使えず、しかもソレすらも満足に成功しない魔術師・・・それどころか一般的な魔術回路への切り替えすら間違って覚えているなど、本来魔術師などとは呼びがたいだろう―――が見せた常識外れの行為。
「何なんですって、そりゃ確かに、強化には失敗したから怒るのはわかるけど・・・・・・
ひょっとして、契約した事後悔とかしてる?」
「そうではありません。貴女は確かに強化には失敗した。けれど、その後に自分が何をしたか分かっているのですか?」
「ふえ? 単に壊れたグラスの代わりを魔力で編んだだけなんだけど・・・何か変な事かな?」
分かっていない。
ソレは、投影と呼ばれる魔術だ。
何も無い所から、魔力を固めて複製品を作る魔術。
けれどそれで生み出される品物は一瞬の幻。あのグラスや、この土蔵に転がっている中身のないガラクタのように何時までもこの世に残留しては居られないはずなのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
無言でガラクタの一つを拾い上げる。
ビデオデッキを投影しようとしたらしいそれは、外見だけが精密に模倣されているだけの四角い箱でしかなく、中にビデオを入れても動きすらしまい。
だが、うっすらと埃を被るほど前からそれは存在し続け、金属部分は金属の、プラスチック部分はプラスチックの質感をもって存在していた。
「白兎さま、そのグラスを持っていて下さい」
「あ、うん」
うなずいたのを見てから魔力を編み始める。
簡単な投影の真似事ならキャスターにも出来る。だが、それは実用的なレベルの術ではない。
手の中にイメージで出来たナイフの感触。
ぐっと握ると、それは実体として現出する。
出来上がったナイフを振り上げたキャスターは、それを白兎の持ったグラスへと振り下ろした。
「わっ!?」
パキリと、音を立てて壊れたのはナイフの方。
まるで発泡スチロールででも出来ているように脆く折れてしまった。
「あれ?」
「普通はこんなものです。ガラスを作ってガラスの、鋼を投影して鋼の硬度を持たせられるなど、よほど熟達した複製者(フェイカー)でもなければ出来ません」
「投影? フェイカー?」
「貴女のやった術は『投影』と言って、『強化』よりランクが上の魔術です・・・ですが、それは本来、一瞬だけ必要な道具を模造して使うための術。本来なら、投影された物は数分・・・・・・よほど注意して生み出しても数十分もすれば・・・・・・」
ポロポロと解けるようにして、キャスターが投影したナイフの柄が消えてゆく。
折れた刀身の方など、もうとっくに消えていた。
「・・・消え失せる。その程度の、あまりに効率の悪い魔術です」
「あ、そう言えば切嗣も効率が悪いから強化にしろって・・・・・・でも、別に、私が作ったのは消えたりしなかったけど? 固さだって、ほら」
そう言って、白兎は半年ほど前作ったモンキーレンチを拾い上げる。
幅を調節するネジ部分が動かないので実用には耐えないのだが、打撃武器として使えば金属パイプだろうが人の骨だろうがへし折れるぐらいには固い。
「―――だから、それが異常だと言うのです」
嫉妬さえ湧き上がるのを押し殺して言うキャスター。
原理すら不明だが、衛宮白兎は投影に特化した魔術師であり、その上投影自体、どうやら規格外の性能を持っている。
もちろん、そんな能力だけでは神代の世界でも屈指の魔術師であったキャスター=メディアの魔術にはまるで及びはしない。
しないのだが、万能に近い数々の魔術を持っていても届かない一点と言う意味では、衛宮白兎は稀代の魔女を上回っているのだ。
ならば。
その魔術を使いこなせれば、自分達が聖杯戦争を生き残る手段になる。
「わかりました、マスター。貴女は、今日から私の弟子になりなさい」
「え・・・・・・弟子?」
「そうです。今の白兎さまの魔術は到底実戦で役に立つレベルではありません・・・いえ、むしろ魔術を使う度に無駄に命の危険すらあります。ですから、私がその魔術を三日で使い物になるようにしてさしあげます。いいですね?」
力強く断言するキャスター。
「うぁ・・・・・・そっ、その・・・・・・」
「いいですね?」
「は、はい」
かくして。
衛宮白兎とキャスターは、マスターとサーバントでありながら弟子と師匠と言う奇妙な関係を結んだのである。
◆◆◆
注意・以下エロシーンです。相変わらず百合・フタナリ属性ですのでご注意ください。
◆◆◆
弟子入りした相手は神話の時代に生きた稀代の大魔女。
そんな大物に師匠になってもらえるなど、5年も一人で鍛錬を続けてきた三流魔術使いには望外の幸運であって、それについて文句を言うつりなど欠片も無い。
だけど・・・・・・
「えーっと、それで、何でこんな格好にされてるんでしょう?」
キャスターの気迫に押されて弟子になる事を受け入れたものの、今の状況はあまりに奇妙だった。
なぜかレースやリボン満載の白いヒラヒラしたドレスに着替えさせられ、髪を纏めているのはウサギの耳を思わせる大きな白いリボン。
その上両手まで、可愛いリボンを使って背後で縛り付けられてしまっていた。
場所は私の部屋。
布団の上に転がされている私の姿を一言で表現するなら・・・・・・まな板の上の鯉。
「服は私の趣味ですわ♪ とっても良く似合っていますよ、白兎さま。そして、縛ったのは、これから白兎さまが暴れださないようにするため」
そう言って、キャスターは台所で用意していた毒々しいピンクの液体をグラスから一口、口に含んだ。
そのまま、逃げ出す事すら出来ない私の上にのしかかって、突然唇を重ねてくる。
「んむー!? んっ、んんーっ!!」
口の中に流し込まれるドロリとした液体。
口をふさがれ、息が出来ないので仕方なくその液体を嚥下した。
「!?」
その効果は途端に現れる。
背中に火箸を差し込まれたような感覚。それは、魔力回路を開いた時そのままの・・・・・・いや、その制御に失敗して、暴走しかかった時の感覚に酷似していた。
「なっ、なにを飲ませ・・・」
「白兎さま、最初に、貴女の勘違いを一つ訂正しておきます。
先ほど見た様子では、貴女は毎回魔術を使う度に魔術回路を作っていたようですが・・・・・・通常、一度作り出した魔術回路は意識のスイッチで簡単に起動させられます。
あんな、命の危険と多大な苦痛を伴う行為を毎回行うような魔術師は、まず存在しない」
「え? でも・・・」
「白兎さまか、貴女の師匠がどういう勘違いをしていたのかは判りませんが・・・・・・それでは何時、制御に失敗して命を失うかわからない。
それに、一々今夜のような工程を経ていたのでは、時間が掛かりすぎて実戦で魔術を使用するのはほぼ不可能ですから、まずそれを訂正します。
今貴女に飲ませた薬は、魔術回路を強制的に開いて、言ってみればアイドリング状態にする薬。
白兎さまが自分の意志力で回路を停止させる切り替えを成功させるまで、貴女の身体は魔力を生み出すためだけの機関になったままです」
冷静に、けれど私に覆いかぶさったままで言うキャスター。
けど、切り替えなんて言われても、全身が熱病のようになって、脳味噌が沸騰しそうな今の状態でそんな事をやれと言われても困る。
だいたい、ほっておいたら作り出された魔力を制御できなくなりそうなのだ。
刻一刻と熱を増す身体。軋みを上げる神経。暴走寸前の魔術回路。
内臓が暴れだして内側から弾けそうなこの状態で、制御するなんて無茶すぎる。
「ただ、このまま魔力が増え続けると切り替えどころでは無いでしょうから・・・・・・」
「あ、ストップしてくれるんですか・・・・・・助かった」
「いいえ―――暴走しない程度に吸い取らせてもらいます」
「ふぇ?」
ゴスロリなドレスの上から股間に這わされるキャスターの指。
そこには、昨夜キャスターによって生やされた男性の器官が存在している。
熱を帯びた身体に呼応するように、ソレははちきれんばかりにそそり立っていて・・・・・・
「キャ、キャスター、それは、ひょっとして手段と目的が逆転しているのでわ!?」
「そんな・・・・・・趣味と実益が一致していると言って下さい」
「やっぱり趣味ーっ!?」
ツツーッと頬を舐めてから、私の耳元に息を吹きかけて、囁くようにキャスターが言う。
「安心して下さいね、マスター。ちゃんと切り替えが出来るまで、イキそうでイけないギリギリの状態で魔力を搾り取ってあげますから」
「鬼っ、悪魔っ、変態いぃ!!」
「あらあら、弟子はきちんと師匠の言う事を聞かないと・・・・・・・・・御仕置きしますよ?」
ギリリっと、服越しに肉棒に爪を立てるキャスター。
「痛いっ、やだ、キャスター!! 聞く、言う事聞くから、手を離してっ」
「クスクス・・・・・・この程度で音を上げていては最後まで持ちませんよ、白兎さま?」
「ううぅぅ・・・・・・・・・」
うう・・・・・・ホントに鬼だ。
キャスターは「素直にしていれば優しくシテあげますからねー」などと言いつつ、幾重にもレースが重ねられたボリュームのあるスカートの中を弄ってくる。
下着など着替えさせられる最中に奪われているので、その手は容易く目的の場所にたどり着いてしまった。
スカートを捲りあげられ、露わにされる男女両性を備えた生殖器。
「あら、もうこんなカチカチになって・・・・・・本当は苛められて感じてしまうタイプだったんですか、白兎さま?」
「そんな・・・・・・ワケ無い・・・キャスターが、変な・・・薬を・・・・・・」
朦朧としつつ反論する。
けれどそんな抵抗など何処吹く風で、キャスターの白い指は露わになった肉棒をグニグニといじりまわしている。
飲まされた液体にはおそらく媚薬の効果もあったのだろう。
身体は魔術回路からの痛みすら受け入れ、それを快感として感じ取ってしまっている。
キャスターの指から性器に与えられる刺激が、体内の魔力から与えられる鈍痛が、絡み合うように脳髄を侵し、その快楽によってワタシを壊そうと襲い掛かってくる。
「やぁ・・・・・・やだよぅ・・・・・・キャスター、もう・・・許し・・・・・・ひゃうぅぅ!?」
肉棒の先端に食い込むキャスターのツメ。
私が悲鳴をあげると、彼女はそのツメ痕に・・・・・・
「クスッ、痛かったですね、白兎さま。ああ、跡が付いてしまいましたわ」
言って、ペロリと舌を這わせた。
「ひっ!?」
痛みと快感が交じり合う。
昨日初めてされたフェラよりも、その刺激は強い。強すぎる。
傷口に這わされた舌の温度と、ヌメヌメと塗りつけられる唾液の感触。
なによりも、可憐で清楚な造作のキャスターがその肉茎を口で刺激しているのだと言う現実―――その光景が、狂ってしまいそうなほど淫微だった。
「くぁぁ・・・やだぁ・・・・・・そんな所を・・・・・・あ・・・・・・」
昨夜と違って直ぐに口で咥えたりせず、舌先を使って丹念にそこを舐め上げるキャスター。
尖らされた舌が、先端から裏側、根元、そして女性器までチロチロと這い回る。
一晩ずっといたぶられたと言っても、この快感に慣れるはずもなく、私の身体は浅ましくも絶頂へと上り詰めてゆく。
ビクリと、肉棒が放出を望んで震える。
「いっ・・・イッちゃう、イッちゃうようキャスター!!」
「あら、それはいけませんわね」
「えっ?」
呆然となる。
私が射精してしまう寸前、キャスターは肉棒の根元をギチリと握り締めて愛撫を止めてしまったのだ。
「ダメじゃないですかマスター。これは特訓。鍛錬なんですよ? イッたりしたら、鍛錬にならないでしょう?」
「ううっ・・・だって・・・・・・酷いよキャスター・・・・・・こんな、途中で止めるなんて、変になっちゃうよぅ」
「だから鍛錬になるんでしょ? ホラ、ちゃんと自力で魔術回路を閉じないと・・・・・・気が狂うまでしちゃいますよ♪」
キャスターは髪を結んでいた自分のリボンを解くと、それを使って肉茎の根元を縛り付ける。
その上で私を抱き上げ、服の上から全身をまさぐり始めた。
むき出しの太腿、貧弱な胸、腰やお腹やわき腹まで、蜘蛛じみた動きで指先が這う。
耳元や首筋やうなじには舌が這い回り、時折私の淫蕩さをなじる言葉が吐息と共に吹き込まれてゆく。
なのにその間、股間に対してはまったく手を出さないキャスター。
絶頂寸前で根元を締め付けられたそれは、けれどまだ痛いほど張り詰めていて、女の部分もまた恥ずかしいぐらい粘液を吐き出している。
「ホントに狂っちゃう・・・・・・こんな・・・精神集中なんか出来ない・・・・・・」
「では私が満足して開放するまで、このまま感じまくってしまいなさい♪」
頬を辿り私の目元を舐める舌。
涙を舐め取ったキャスターは、冷酷な、熱いくせに冷たい奇妙な視線でそんな事を言った。
冗談じゃない。
昨日よりも身体が過敏・・・・・・いや、それどころか発狂寸前の熱さに晒されている状態だと言うのに、キャスターが満足するまで生殺しに弄られ続けたら本当に気が狂う。
いや、それもただの言い訳。
正直になろう。私は、私の身体は、射精したくてしょうがないのだ。
身体の中に溜まった熱を吐き出したい。叶うならば、キャスターの肌に、胸に、膣に。
「お願い・・・・・・します・・・出させて・・・一度だけで・・・いいからぁ」
「―――そうですね」
私の懇願を首肯するキャスター。
けれど、それは許可の言葉では無かった。
続けて言われたのは、ただの提案。
「ではこうしましょう。魔術は等価交換が原則。白兎さまが私をイカせられたら、その縛めを解いてあげます」
いや、提案と言うのは正しくない。
論を交えるまでも無く、従う以外の選択肢がないのなら、それはどんな形を取っていても命令でしかない。
うなずく私。
キャスターは発情期の雌犬でも見るような目で私を見る。
「ヘンタイ♪」
「ううっ・・・・・・」
立ち上がるキャスター。
このまま放って置かれるのかと不安になる。
が、その心配は杞憂だったようで、立ち上がったキャスターはゆっくりと服を脱ぎ始めた。
見せ付けるようにスカートを落とし、セーターを脱ぎ、下着を脱ぐキャスター。
ゴクリと、我知らず欲情に喉が鳴ってしまった。
「さぁ白兎さま、腕はそのままで。口だけで私を満足させて下さいね」
「うっ―――はい」
横になって誘うキャスターに、何とか両手を縛られたままで膝立ちになってにじり寄る。
女らしい裸身、豊かな乳房。私とはまったく違うふくらみ。
劣等感に導かれるように、私はそこに顔を近づけた。
「あむっ・・・んっ・・・チュッ・・・」
「あらあら、まるで赤ちゃんみたい」
クスクスと含み笑いをするキャスター。
軽蔑されているのだろうけど、そんな事も気にならない。
どうせもう、理性は壊れかけているのだ。
執拗なぐらい、舐り、吸い、軽く歯を立て、貧欲にキャスターの身体を味わおうとする。
私には無いもの。私が望んでいたもの。
それは女らしい体つきであり、柔らかな肌であり、豊かな胸の膨らみであり・・・・・・同時に記憶すら失われた母親だった。
心の底で求めていたもの。
今なら、熱病のようにうかされて理性の消えうせる寸前の今なら、普段は忘れようとつとめていた思いを恥ずかしげも無く口に出来る。
「んっ・・・おっきい胸・・・・・・いいなぁ・・・・・・ちゆっ・・・んちゅっ・・・・・・」
「クスクス、そんなに気に入りました?」
「うん・・・好き・・・大好きぃ・・・はむっ・・・・・・キャスター、大好きなの・・・」
「―――!?」
「ギュって、してぇ・・・・・・お願い・・・・・・」
ズリズリとキャスターの身体を這い登る。
なぜか硬直しているキャスターの顔。
整った、とても綺麗な、優しそうな、そのクセ意地悪ばかり言ってくるキャスターの顔。
紫のルージュが色っぽい唇。
「んっ」
「んむっ?」
唇を奪う。
ああ、考えてみれば、私からキスしたのは初めてだ。
それに、好きだと言ったのも。
キャスターの舌を捕らえてまさぐる。柔らかな口の中を蹂躙して、甘い唾液を飲み干していく。
うん。キャスターに軽蔑されるのも仕方ない。私はこんなにも、淫乱なんだから。
けど。でも。
「キャスター、好きだよ・・・・・・キャスター、抱きしめて。怖がらなくても平気だから。手をはらったりはしないから・・・・・・私に触れて・・・・・・メディア」
これだけは伝えないといけない。
意地悪なのに、エッチな事をするのに、どこかで嫌がられるのを恐れて、嫌われるのに怯えて、だから余計に意地悪をしてみせるメディアに、そんな事をする必要は無いって、そう伝えないと。
「好きだよ、愛してる」
「出会ってたった二日の、得体の知れない魔女を?」
「うん。出会ったその日にエッチしちゃった、私のサーバントでお師匠様な貴女を」
夜の中で拾い上げた、寄る辺の無い捨て猫のようなキャスターを。
その寄る辺に、私がなれたらなんて、きっとキャスターが怒るだろうから言わないけれど。
「大好き、だよ」
気が付けばリボンが解かれていた。
腕を縛っていたのも、股間を縛っていたのも。
だから、私は遠慮なくキャスターを抱きしめられる。
そっと肩に回された温度は、キャスターの細い腕。
「白兎さま、もし・・・もし私が、貴女に嘘を言っていたらどうします?」
震える手で、声で、そんな事を聞いてくる。
「・・・・・・怒る。でも、キャスターの事信じてるから」
何を聞きたいのか、どんな答えを望んでいるのか、分からないなりに真摯に答えた。
なぜか泣いているような顔で微笑むキャスター。
質問の意味を聞こうと口を開く前に、キャスターが「抱いて下さい」と言ってくる。
だから、私は限界まで張り詰めた肉棒をキャスターの中にゆっくりと沈めて行った。
溶け合う体と溶け合う心。
その最中、何度目かの絶頂をキャスターの膣内で迎えたとき。
ガチンと、頭の中で撃鉄が降ろされていた。
◆◆◆
◆◆◆
―――1月28日―――
イメージは撃鉄。
頭蓋の内にあるそれを引き上げれば、熱を帯びた身体はあっさりと普通の状態に戻った。
一晩中キャスターに犯されて身につけた回路の制御法、切り替えのためのスイッチがそれだった。
いやもう、必死で覚えましたよ。
あのまま続けられたら命にかかわると確信したから。
おかげでイメージの撃鉄を勢い良く叩き込めばスイッチが入り、スムーズに魔術回路が起動するし、戻す方も簡単にできる。
その事についてはキャスターに感謝してもし足りないのだが、いかんせん方法が・・・・・・
しかも個人の魔力と言うのは魔術回路を通して変換された生命力なので、衛宮白兎は朝からもうヘロヘロなのだった。
「うう・・・・・・死にそう」
毎夜行っていた魔術の鍛錬と並んで、日課である朝の運動も出来ないぐらい疲労しまくっている。
それでも朝食の仕度はしなければ。
ってゆーか、せめて食べないとホントに死ぬ。
不本意ながら徹夜してしまって朦朧とした頭は、シャワーを浴びてなんとか正常に戻したので、基本的に睡眠は無くても平気らしくて元気いっぱいなキャスターが入浴している間に準備をする事にした。
「ええっと、昨日買っておいた・・・・・・」
良い寒鰤が手に入ったので、それを照り焼きにする。
御飯は昨日の夜にタイマーセットしていたので炊きたてホカホカ。
後は田舎風具沢山の味噌汁ときんぴらごぼうなど。
これこそ正しい日本人の朝ごはんであろう。
「―――投影・開始(トレース・オン)」
で、調理の前に『投影』魔術の復習をしてみる。
口にする呪文は強化の時と同じ。
ただ、強化の時は四つだった工程を八節に増やさなければならない。
創造の理念を鑑定し、基本骨子を想定し、構造材質を複製する。
製作技術を模倣し、成長過程に共感し、蓄積された歳月を再現して。
「―――投影・終了(トレース・オフ)」
手にしたのは、一本の包丁。
「うん。見事な関の孫六」
去年、何を思ったのか自分でスペアリブを買ってきて調理しようとした藤ねぇの手で折られてしまった愛しのマイ包丁。
いくら一セット10万円近い錬造包丁だからと言って豚骨は切れないのですじょ、一年前の藤ねぇ?
まぁ料理人の腕次第では切れるんだけども。
「おお、良く切れる♪」
鰤の骨だってスパスパ切れるよ〜♪
あんまり切れ味が良いので鰤の身を切りすぎてしまい、急遽ブリ大根にメニューを変更したのはご愛嬌。
大根剥きだって楽々〜♪
お風呂上りの、やけにツヤツヤしたキャスターが居間でこっちを呆れたように見ているのも気にならない。
折られた時には一晩泣き明かしたぐらいの愛用品が戻ってきたのだ。
幸せをかみ締めるように野菜を刻む。
ああ、魔術って、人を幸せにしてくれるんだねぇ。
―――ピーンポーン
と、圧力鍋で煮た大根に下ゆでしたブリとショウガ、それに調味料を加えている最中にチャイムが鳴った。
続いてガラガラと玄関が開く音。
この時間、チャイムを鳴らして入ってくるのは桜に違いない。
もう一人朝からこの家に来る住人はチャイムなんか鳴らさないのだ。
「白兎さま、誰かがいらしたようですが?」
「あ、別に出迎えなくて大丈夫。昨日話した桜って娘だから―――」
そう言って振り向けばヤツが居る。
じゃなくて、キャスターの姿が消えていた。
まさか・・・・・・出迎えに?
「つっ―――キャスター!」
慌てて玄関へダッシュ。
流石に、玄関開けたら出会い頭に知らない美女が現れたら桜が混乱するだろう。
今朝は昨日買ってきた袖丈長めのクリーム色のシャツと紺の巻きスカートという質素で上品、かつ何処にでも居そうな服装に着替えてくれているキャスターだけど、とんでもない美人であると言う事には違いないのだ。
ちなみにラベンダー色の髪を金髪とか銀髪に魔法で変えると言う案もあったのだが、後から登場するヒロインキャラと被ると言う理由で却下。まぁ桜だって黒髪なのに紫だしー。
・・・・・・ヨクワカラナイ。
とにかく、あんな文字通り神話級美人が何の説明も無く登場したらびっくりするに違いないし、それ以上に何かとても悪い予感がして、全速力で玄関へと走り―――
「遅かった・・・」
キャスターを前に目を白黒させている学生服姿の女の子・桜と、こーゆー時だけ珍しく早起きな黄色に横縞という虎柄の服を着たおねぇさん・藤ねぇの姿がそこにあった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
うん。ものの見事に硬直している。
玄関先では、藤ねぇはポカーンと、桜は不安そうにキャスターを見つめていた。
「お、おはよう。二人とも」
意図的に状況を無視して二人に声を掛ける。
不覚にも声がうわずったのは修行不足ではあるが、一応何気なさを装う事が出来・・・・・・
「ちょっと白兎ぅぅ!! 何よ誰よあの美人は何者なのよう―――!!」
虎、咆哮。
こちらが反応する間も与えずに一足でクロスレンジにまで跳び込んでくるのは流石この若さで剣道五段の実力者と称賛はするけれど、胸倉を掴んでグワッシグワッシと私の脳をシェイクするのはカンベンして欲しいです、藤ねぇ。
って言うかマジダメです。
落ちる。
むしろ死ぬ。
意識が、もう、げんか・・・・・・
「藤村先生、ストップ、ストップして下さい! 先輩の顔色が紫にっ!」
「ありゃ、しまった。しろー、大丈夫ー?」
・・・・・・ちっとも大丈夫く無いやい。
◆◆◆
「いやー、ごめんごめん。しろーの家にいきなり知らない人がいるから、おねぇちゃんびっくりしちゃってー」
「びっくりしたからって人を殺しかけるな、このうっかり殺人鬼」
「む。私そんな物騒な人じゃないもーん」
「うわ、そーゆー人達って概ね自覚が無いって本当だったんだ。くわばらくわばら」
「なーによぅ、白兎の意地悪〜」
目の前で拗ねて見せつつ、しかし箸は止まらないという職人芸を見せているのは藤ねぇこと藤村先生。
私が切嗣に引き取られた当初から頻繁に衛宮邸に出入りしていた女性(当時中学生)で、切嗣が亡くなってからは殆んど毎日入り浸っていると言う、私にとっては姉のような人である。
・・・・・・なぜか時々妹のような錯覚がする性格がアレだけれど。
ぽわぽわしてて、25にもなって自炊している姿など片手で数えるぐらいしか見た事の無い自堕落さんだが、学生時代は冬木の虎と呼ばれて親しまれていたと言う凄腕の剣道家でもあったりする。
しかもその正体は、私こと衛宮白兎の通う穂郡原学園2年C組の担任教師。
教科は英語担当。なぜか弓道部の顧問も務めている。剣道家のクセに。
「厳然たる事実を言っただけなのに、意地悪とは心外な」
「ふーんだ、意地悪意地悪意地悪なんだからぁ!! 桜ちゃんもそう思うよねぇ?」
「えっ、その、えっと・・・・・・」
が、いじけた挙げ句弓道部の部員でもある桜を味方につけようとしている姿には教師の威厳も何もあったものじゃない。
ほら、いきなり話を振られた桜も困ってる。
「その、さすがにさっきのは藤村先生のやりすぎじゃないかと・・・・・・」
おずおずと、しかし藤ねぇに流される事無く答えたのは間桐桜。
一年下の後輩で、最初は友人の間桐慎二の妹として出会った女の子だったのだが、とある事情でその慎二君とは疎遠になった今も、毎朝家に来てくれている。
大人しく、おしとやかで、衛宮家の食事当番を私と交代で担当している料理上手な大和撫子。
それでいて押しの強い藤ねぇにも流されない芯の強さをもっていると言う世の殿方のロマンを結集したような女の子なのである。
そのワリに浮いた話を聞いた事も無いのもセールスポイントだろうか。
ちなみに、兄である慎二は穂群原学園きってのプレーボーイとして女子の人気を二分している遊び人。桜のツメの垢でも煎じて飲ませてやりたい。
「ホラ、桜もこう言ってる」
「うう・・・だってぇ〜、ホントにびっくりしたんだもん〜」
チラチラと向かいの席に座るキャスターを盗み見て言う藤ねぇ。
確かに、こんな同性でもドギマギするような美女がいつもの我が家に朝一番で現れたら驚くだろう。それに関しては藤ねぇの発言も正しい。
ただ、それで殺されかけてはこっちの身がもたないと言うだけのことで。
が、藤ねぇはそんな自分の罪など一瞬で忘却して次の話題に移っている。
藤ねぇは基本的に野生動物なので、嫌な事は2秒で忘れてしまうのである。もうちょっと落ち着けタイガー。
「それにしてもこんな美人さんと知り合いだなんて、切嗣さんも隅に置けないわよねー」
ほう・・・と、微妙に乙女チックな溜息をつきつつ言う藤ねぇ。
普段はチャカチャカ野生動物な藤ねぇだが、実は切嗣に片思いをしていたらしい時期があった。
あったと言うか、それは私が引き取られる前から、切嗣が病没するその日まで続いていたし、ひょっとすると今でもその感情はあるのかも知れない。
そんな藤ねぇにとって、自分とそう年齢の違わないだろうキャスターが切嗣の古い知り合いだと言う嘘はいささか気になるものなのだろう。
少し自分のついた嘘に心が痛むけれど、でもソレぐらいしか上手い言い訳が思いつかなかったのだ。
『彼女は切嗣が外国に行っていた頃の知り合いで、ちょっとした事情で切嗣を頼って日本に来た』と言うのが私がついた嘘。
年の半分以上、どこかしら旅に出ていた切嗣だから、この嘘は説得力があったと思う。
思うのだが・・・・・・
「ところで先輩、お父様の知り合いって、どういったお知り合いなんですか?」
桜に問われてしまった。
「えっと・・・・・・」
「キリツグさまとは、貿易商である私の父が仕事の関係で懇意にしていただいていたと聞いています」
答えあぐねる私の代わりにキャスターが立て板に水といった感じで返答してくれる。
助かったと、胸をなでおろしたのもつかの間。
「父とキリツグさまは自分達の子供同士を結婚させようと約束していたそうで、私も日本に来るまでは白兎さまは男性だと思い込んでいたんです♪」
不必要なディテールを付け足して頬を染めたりしてくれるキャスター。
なんでさ。
「けれど私、白兎さまとなら性別を超えて許婚となってもなんて―――ポポッ」
「ちょ、ちょっとキャスター?」
「昨夜は同衾してしまいましたし、いっそこのまま禁じられた関係をも悪くないかと―――ポポポッ」
ヤバイ。
何かわからないけれど、何か危険が迫っていると本能が告げた。
生存本能の声に導かれるまま、この場から離脱しようとした瞬間。
「しろーのえっちっちいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「先輩の馬鹿あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ステレオで発せられた怒声が鼓膜を突き破った。
「なによなんなのよ同衾って! おねぇちゃんは白兎をそんなふらちな同性愛者に育てた覚えはないわよぅ!!」
「そうです先輩っ! だいたい同性といっしょの布団で寝るような趣味があるなら、何で先に私に言ってくれないんですか!!」
再び胸倉をつかまれてグワッシグワッシと揺さぶられる。
脳味噌は攪拌されて意識は遠くに飛んでゆくし二人の声もよく聞こえない。なんか魂とかが口からはみ出してきそうだし。
先程と違うのは、桜の仲裁が望めない事だろう。なにせ二人そろって私の脳を攪拌してくれてやがるのだから。
ああもう。
なんだって、朝っぱらから、こんな目に――――――
◆◆◆
「―――ふぅ」
弓道部の朝練のために先に出た藤ねぇと桜を送り出してから、熱い緑茶を淹れて一休み。
混乱した二人に絞め落とされた後、なんとか蘇生した私への弾劾裁判はキャスターの「冗談ですわ」の一言で終わり事なきを得た。
同衾の事実については、急なことで黴臭くない布団が一枚も無かったためと言い訳。
幸い今日は晴天なので、急遽キャスターに家中の布団を干しておいてもらう事になった。
藤ねぇ達が出かけた後、なんであんな嘘をついたのかキャスターに聞いてみると「見ていてあまりに仲が良さそうだったので、からかってみたくなった」なんてサラリとご返答。
・・・・・・やっぱりこのヒト、魔女だ。
「さて、それじゃあそろそろ・・・・・・」
「聖杯についての情報収集、ですね」
「え? いや、学校に行こうかと」
「―――は?」
呆然とするキャスター。
呆然としつつ、その中に静かな怒りを含んだ顔だ、これは。
そう言えば昨日言ってなかったっけ。
「正気ですか白兎さま!?
聖杯戦争はまだ始まっていないとは言え、すでに半分以上のサーバントは召喚され、戦いを始めている者もいるのですよ?
その上この身は不本意ながら不完全で十二分にあなたを護衛できないと言うのに。
なんの用意も無い今状態で、不用意に出歩くのは自殺行為です!」
そう言ってキャスターはつめよってくる。
だけど急に学校を休んで、もし身近にマスターとやらが居たら疑われるだろうし、護衛できないと言うのなら何処に居ても同じだと・・・・・・
と、その時キャスターの言葉に聞き逃せない部分があると気がついた。
「キャスターが不完全って?」
「あっ―――」
再び呆然と、しかしその中に「失敗した」という感想を込めた顔になるキャスター。
うん。幾らかは彼女の感情を読み取れるようになってきたぞ。
そう思っている間にも、口元に手をやって幾分逡巡したあと、大きく溜息をついてキャスターは話し始めた。
「そうです。今の私は不完全・・・・・・正確には私と白兎さまの『契約』が不完全な状態にあります。
本来、サーバントは令呪と呼ばれる聖痕の持ち主をマスターとします。
それは聖杯に選ばれた者の徴ですから、この聖杯戦争を知る七人の魔術師にしか現れない。
その意味では、白兎さまは本来マスターたりえる方ではありません」
「ふむ・・・・・・」
「サーバントは言ってみれば魔力の塊。
にもかかわらず、現世で自ら魔力を生み出す事は出来ず、マスターとの繋がりを介して聖杯から補給するか、人間の魂、あるいは感情を捕食するしか魔力を補給する術がありません。
その上この身はキャスターのサーバント。
十分な魔力無くして、戦闘に耐えうる魔術行使は望めない。
ゆえに、不完全なのです」
「魂を・・・・・・捕食!?」
「はい。昇華した人間霊である私達は第一に同じ人間の魂を、第二に人間の感情を魔力源とする事ができます・・・・・・が、白兎さま。貴女がそれを望まないのは判っていますし、私もマスターの意志に逆らって魂喰いになるつもりはありません」
そう言いながら私の両手をおし包むように握るキャスター。
偽りの無い真摯な瞳が私にじっと向けられて、不覚にもドギマギしてしまう。
キャスターは卑怯だ。
自分がどれだけ美人がわかっていてこーゆーコトをするのだから。
「その事は、信じて下さいますね?」
「あ、うん。キャスターを信じるから」
「ただ、発散された感情を集めるのは許容していただきたいのです」
「感情を集める? どうやって?」
「柳洞寺ほどを求めるべくも無いですが、この屋敷も街を流れる地脈の上に建っています。
三日ほどかかりますが、その間に流れを操作すれば新都の繁華街や歓楽街などで発散された感情を居ながらにして吸収できるようになるでしょう。
もっとも、そうして集められる魔力は数日かかって私の魔術一回分と言ったところですので、白兎さまには引き続き協力をお願いしなければならないのですが」
協力―――
つまりはアレという意味だ。
キャスターのアレは殆んどイジメの域に達しているので正直嫌なのだけど、それを言うともっと酷い目にあわせられる予感とか悪寒とかがするので黙ってうなずいた。
「わかったけど、だったら私にはマスターの印が無いって事だよね? だったら、やっぱり学校に行く事にする。悪いけど地脈の操作とかはキャスターだけで出来るかな?」
「・・・・・・・・・・・・そうですね。確かにその方が安全かもしれません。けれど十分注意して下さい。もし単独でサーバントに襲われれば、マスターが生き延びる目など無いのですから」
「了解・・・・・・あ、そう言えばキャスター、前のマスターを殺したサーバントってどんなヤツだったの?」
ふと聞きそびれていた問いを口にする。
なぜか口ごもるキャスターだったが、結局答えてくれた。
「紅い槍を持ったサーバントでした。
豹のような身のこなしの男で、ホテルの一室に居たマスターを倒すためにホテルの従業員一人を脅して侵入し、そのルームサービスをよそおったボーイ共々マスターを槍で突き殺すという暴挙に出た狂犬じみたサーバント。
あまりの手際に、私が何も出来ないうちにそのまま・・・・・・・・・」
つまり、そのランサーと思しきサーバントは、聖杯戦争などとは無関係な人間を巻き込んだという訳だ。
それは確かに暴挙としか言いようが無い。
しかし、槍使いでありながら狭い室内でそれだけの能力を発揮するとなると、その実力は英霊の名にふさわしいモノなのだろう。
凶暴にして有能。
それは確かに、襲われればひとたまりも無いかも知れない。
「判った、気をつける・・・・・・って、何に気をつけるべきなのかよく分からないけど」
「はぁ―――とりあえず、マスターらしい行動を避けていただくぐらいでしょうね」
「つまり普通に過ごしておけって事か・・・了解。じゃ、行ってくるね」
「お気をつけて―――」
そうして、キャスターに送り出されて、私は学校へと向かった。
◆◆◆
◆◆◆
何事も無く授業は終わり、今日はアルバイトも休みだったので、私は市立図書館へと足を伸ばした。
地方都市としてはかなりの蔵書量を誇る深山図書館は10年前に新設された市役所のビルに併設されていて、面積や設備も充実している。
そこで借りたのは神話や英雄譚の本。
あまり難解ではない、中高生向けの本を選んでザッと目を通し、めぼしいものを借りられるだけ借りて、家に帰った。
◆◆◆
「で、槍使いのサーバントの事なんだけど」
「はい」
商店街で買ってきたタイ焼きを前に、キャスターと差し向かいで三時のおやつ。
テーブルの上には借りてきた本が高く積まれている。
「はっきりしているのは紅い槍って事だけなんだよね?」
「ええ。申し訳ありません」
「いや、それは良いんだけど・・・・・・まず調べて思い当たるのはアーサー王伝説にある聖槍ロンギヌスね。
その穂先からは常に血が滴っていたとも言われる槍。
だとしたら持ち主はローマ兵ロンギヌスか、かの漁夫王って事になるんだけど・・・・・・」
「今更聖杯を求めるとは思えませんわね・・・・・・それに、武術に優れると言う伝説もありませんし」
そう。ロンギヌスにしても漁夫王にしても、華々しい武勇とは無縁の人物だ。
しかも、彼等は正真正銘の聖杯を眼にしている。
たとえ英霊となっていたとしても、今更聖杯を手に入れるために召喚されるとは考えにくい。
更に言えば、わずかに伝わる人となりも、キャスターを襲ったサーバントと同一人物とは思いにくいのも事実だ。
「槍つながりで、ケルト神話のエクネ三神が手に入れた魔槍『屠殺者』があるね。
穂先が常に灼熱していて、水に漬けていないと都市を燃やし尽くしてしまうと言うペルシアの毒槍」
「うーん・・・・・・でもアレは、灼熱という感じではありませんでしたが・・・・・・」
「同じくケルト神話だと、もっと有名所の光神ルーのブリューナグがあったけど・・・・・・これは穂先が五本になっていると言う特徴的な投げ槍、もしくはスリングの弾丸なんで・・・」
「それは違いそうですねぇ」
「散文エッダ・・・・・・北欧神話の主神オーディンの槍グングニールも有名かな。
ただ、性格はともかく身のこなしや服装の面が一致しにくいんだよねぇ・・・・・・」
「確かに、あの蒼い槍兵の背格好は、魔術神オーディンとは思いにくい服装でした」
「インド叙事詩マハ・バーラタの槍使いカルナ王子とかヒンドゥーの破壊神シヴァの槍ピカナ、日本の槍使いだと黒田槍日本号や蜻蛉切、中国なら関羽の青竜刀や張飛の蛇矛、呂布の戟を初めとする中国の武具なんかは、外見で違うと判ると思うし」
「そうですね。あの槍兵はどう見ても西洋の英霊だと思います」
「で、北欧の神である盲目のホズが持ったミステルティン、ギリシャ神話の英雄・アキレウスの大槍、アイルランド神話のフィン・マックールが持った大地の力を帯びた槍、それからウルスター神話群のクーフーリンが所持する槍なんかが怪しいと思うんだけど」
「その中で真紅にそまっている槍はあるのですか?」
「まぁ血に染まらない武器なんてめったに無い・・・・・・けど、『常に』と言う伝承がわずかなりともあるのは、やっぱりゲイボルクかな?」
本をキャスターにわたす。
そこに書かれているゲイボルクの槍は海獣の骨から魔女が作った槍とされ、穂先が30に分かれて敵兵を襲うとか、足で投げる血染めの槍であると言った伝承が語られている。
「クーフーリン、ですか・・・・・・」
「うん。槍の使い手って言うのは、神話や叙事詩でもそう多くない。あくまで剣士に比べての話だけどね。その中で、真紅の槍を使う英雄となると、クーフーリンがかなり有力だと思う」
「そう・・・ですね」
伝説に残る戦士や騎士の手に握られる武具は、やはり剣が多い。
名の有る剣士に名のある剣。
だからこそ、剣の英雄セイバーこそがサーバント中最強と言われるのだろう。
多くの母数の中から選ばれる最良の一なのだから。
それに対して、槍を最も得意とする英雄はある程度限定されていて、例えば先程上がったフィン・マックールや光神ルー、シヴァ神などは槍も使うが剣や戦輪、弓矢などをもっと得意とするし、アキレウスやホズも名剣を持ち他の武装に身を固める勇者だった。
つまり、槍こそを本分とする英雄だけを選び出せば10指に満たず、しかもヨーロッパの神話・伝承の英雄からと限定すれば片手で数えられるくらいしか居ない。
その中から選び出したクーフーリンという説は、かなり可能性が高いと思える。
「ところで白兎さま?」
「なに?」
「私の事も、調べられたのですね?」
うっ・・・・・・やっぱりばれたか。
借りてきた本の中には当然ギリシャ神話も含まれている。
しかも「アルゴー船冒険記」なんてタイトルの本もしっかりあるのだから。
ただ、その内容を読んでなぜ自分の記憶があいまいだったかの理由がはっきりした。
腹が立ったからだ。
アルゴー船の英雄、イアソン。
英雄としての勇気や能力はどうだか知らない。王位を取り戻すため冒険船を建造して航海に乗り出すのは、それは英雄として実に正しい運命と挑戦心だろう。
だけど、それにしてもこの男はダメだ。
例えば竜の牙の試練において、牙から生み出された戦士が同士討ちをするのをじっと隠れて待ち、そして殆んどが倒れて全員が傷ついた後、やっと出てきて竜牙兵に襲い掛かったのだと言う。
まぁ兵法としては正しい。けれど英雄としてはどうなのだろうかと思うぞ。
しかもイアソンが金羊の皮を手に入れるために、彼の守護者である女神ヘラ、あるいはアテネーが、皮の持ち主であるコルキス王の娘・メディア・・・つまりキャスターに偽りの恋心を植え付け、その魔術で金羊の皮を守護する竜をメディアの魔術で眠らせてもらって盗難を成功させる。
闘えよ、英雄。
その上メディアはこのダメ男が逃げるために弟を殺し、ダメ男を王位につかせるために王を暗殺した。ついでに言えば件の竜牙兵の倒し方を助言したのもメディアで、暗殺されかけたダメ男を助けたりもした。
そこまでしてそのダメ男は追放された果てにたどり着いた国で、そこの王女と結婚するからとメディアを魔女と罵って捨てたのである。
そのさまは、まるで出世のために社長の娘と結婚するからと付き合っていたOLに別れを告げるエセエリートの如し。
いやはや、そりゃキャスターもキレるって。
まぁその後、結婚式の参列者をイアソン以外皆殺しにしたと言うのはやりすぎと思うけど。
はっきり言って、私は正義の味方志願者としてダメ男イアソンを『英雄』と認めたくない。
だから多分、神話自体をあまり覚えて無かったのだと思う。
「えっとね、キャスター」
「・・・・・・はい?」
うわ、怒ってる。
オンナの過去は詮索するモンじゃないわよ〜と、なぜか胴着姿の藤ねぇとナゾの銀髪のちびっ子がイイ笑顔で忠告してくれる幻影まで見えたデスよ?
いや、顔は笑っているのだ、顔は。
ただし、その視線だけは人が殺せるぐらいの凶相を示しているので、なまじ絶世の美女だけに普通に怒られるよりも数倍の怖さがある。
そりゃもう、ワタシの本能がニゲロニゲロドアヲアケローと絶叫するぐらいに。
でも、これだけは言っておかないと。
「幸せになろう。絶対。裏切られた分だけ、裏切ったヤツなんかに負けないように幸せになろうよ」
ふっと、怒りの気配が収まった。
一瞬あっけにとられた後、とても綺麗な微笑を見せてくれるキャスター。
「・・・・・・はい、白兎さま」
こんな笑顔を、これから何度も見せてくれるように、頑張って彼女を守らないと。などと、まるで新婚夫婦の夫か何かのように、そう決意するのだった。
◆◆◆
カチャカチャと食器の音を立てて、女四人の楽しい夕餉。
今日図書館でナナメ読みした本にギリシャの人は魚介類が好きとあったので、メインのおかずはブイヤベース。
土鍋で。
・・・・・・・・・・・・良いんだい。ブイヤベースは西洋の寄せ鍋なのだー。
幸い藤ねぇにも桜にも好評で、藤ねぇなど何処から持って来たのか白ワインを開けて、上機嫌でキャスターにも勧めたりしている。
「わっわっ、手長エビおいしー♪ ワインにも良く合うわぁ、コレ」
ま、あの量ならトラも暴れだしたりしないだろうし、楽しく呑んでもらうのが良い。
桜にも勧めているあたり教育者としてどーよと思うが、意外に桜も呑みなれているようだから無粋は言うまい。
先程から魚の頭を解体しつつチビチビと呑んでいる割に顔色が変わらないのだから。
一方、キャスターはほんのりと頬を染めていた。
これまた今日読んだ本に書いてあった記述によれば、古代ヨーロッパではワインを水で割って飲む場合もあったそうで、そこから推測するにキャスターはあまりお酒に強くないのかも知れない。
「鍋はやっぱり、大人数でつつくのが良いねぇ」
「そうですね、先輩」
皆が上機嫌だと私も嬉しくなってくる。
微笑みながらカリカリとガーリックトーストを齧っていると、ふとキャスターの視線に気がついた。
「どうしたの、キャスター?」
「いえその・・・・・・昨日から気になっていた事なのですが、お聞きしても良いですか?」
「何?」
「その、どうして年上の桜さんが白兎さまの事を『先輩』と呼ぶのか不思議で。習い事か何かの御関係なのでしょうか?」
首をかしげて聞いてくるキャスター。
・・・・・・いや、まぁ、中学生にしか見えないって時々言われるけど。
ここまで悪意なく言われるのは、逆にキツイってゆーか・・・・・・
ふと藤ねぇの方を見れば、我慢できないとでも言う様に口が波線になっている。
で、そのまま。
「ぶわっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!! 言われちゃったねぇ、しろー」
爆笑してくれました。
つーか笑いすぎ。
「黙れタイガー」
「む、しろー横暴。でも許してあげる。だってしろーはまだちっちゃいからねぇ♪」
「うわ、虎のくせにもってまわった嫌味!!」
「ああ〜〜お腹痛い。キャスターさん、グッジョブ!」
キョトンとしているキャスターに親指を立ててイイ笑顔をする虎。
その隣では桜が必死に笑いをこらえている。
「はぁ・・・いいよー桜、笑っても。
えっとねキャスター、一応、私の方が桜より一歳年上なの。
そりゃ弓道部の先輩でもあったけど、ちゃんと学校の先輩なんだから」
「えっ? えっ? 年上? 白兎さまが桜さんより?」
うあ、更に傷つく追い討ち。
なんか涙出てきたし。
「だから、私は穂群原学園二年生で、桜は一年だから私が先輩なの! 証人はここにいる不良担任教師藤村大河さん!」
「あはははははははははははははははははははははははははしろーおかしー。必死になってー! おなかいたーい」
「えっ? 教師なんですか、こんな無茶な方が?」
「んなんデスとー!!」
怒りと共に立ち上がるタイガー。
ああ、わかった。キャスターは酔っ払ってる。
「ああ、すみません大河さん、つい」
「私をタイガーと呼ぶなあぁぁぁぁ!!」
当然藤ねぇも酔っていた。
吹き荒れる酔っ払いストームで、食卓は阿鼻叫喚の地獄と化す。
で、その嵐の中で桜の姿を探すと。
「うっ・・・クスクス・・・・・・ぷっ・・・・・・クスクスクスクス・・・・・・・・・」
なにやらツボに入ったのか、まだ笑いを堪えているようだった。
いや・・・・・・・・・ひょっとして桜も酔ってる?
「そうですわね。しっちゃかめっちゃかで大虎でも教員免許を持っていれば教師は教師」
「大虎って言うなあぁぁ!! って言うかメチャクチャ失礼だぞー!!」
「・・・うっぷ・・・クスクスクスクスクスクス・・・くくっ・・・・・・うふふふふふふふ」
ああ、誰か助けて。
◆◆◆
夕食を終え、酔いつぶれた藤ねぇと桜を送って帰った後、キャスターによる魔術講座が始まった。
場所は離れの一室、普段は使わない客間の一つだ。
衛宮邸は元々広い家で、増設された離れは二階建ての旅館かペンションのような造りになっていて、和室洋室合わせて10を越える客間が存在していた。
そんなに部屋があってどうするのか、唯一の住人である私にも不明なのだが、流石に使っていない部屋を毎日掃除するはずも無く、昨日まではただただ埃を積もらせていくだけであった。
が、今は地脈操作の合間にキャスターが布団を干して掃除までしてくれたので部屋はピカピカになっている。
そのピカピカ具合は、キャスターが意外と家庭的だと言う事を証明していて、その事実は桜や藤ねぇ、それに私を少し驚かせるに足るものであった。
いや、たいがい失礼な言い草なのだけど。
藤ねぇ達にはここにキャスターが宿泊する事になっている部屋だが、その実態は魔術師としてのキャスターの簡易工房のようなもので、今日買ってきたらしい実験器具じみたものが机の上に並べられている。
幾つもの怪しげな薬品が並ぶ中、キャスターはフラスコでコーヒーを煮出していた。
沸騰したそれをやっとこで掴んでろ紙で漉す。
なんだか化学実験にも見える入れ方だが、その苦くなりそうなコーヒーに練乳を加えるという、トルコ風なんだかベトナム風なんだかギリシャ風なんだかよくわからない作り方をしているようだった。
用意されたクッションに腰を下ろすと、そのコーヒーが差し出される。
「ドーゾウサ」
「あ、どうも・・・・・・って、ウサ?」
見ればおぼんを手にしたウサギのぬいぐるみ。
タキシードを着せられたソレは、礼儀正しく腰を折って一礼すると、もう一杯のコーヒーをもってキャスターに手渡した。
「ウサ・・・・・・昨日のアレ?」
「はい。かわいいでしょう?」
・・・・・・いや、良いんだけど。
とりあえず藤ねぇと桜に見つからないようにして下さい。
まぁ見つかっても、藤ねぇとかなら平気で受け入れそうではある。
ホテホテと歩くウサギのぬいぐるみがビーカーの薬品を温めているアルコールランプの火を調節したり、調合する粉薬の分量を一生懸命量っている姿は、文句なしに可愛いし。
この部屋から出なければ問題も無いだろうと。
そんな風に思いながらコーヒーを飲み干すと、キャスター先生による魔術教室が始まるのだった。
◆◆◆
「ぐっ・・・・・・くうぅぅぅぅ・・・・・・」
で、魔術教室が始まったとたんにこの体たらくである。
全身の魔術回路が軋みをあげ、身体の内部から火傷を負ったように絶え間無い痛みが襲ってくる。
「はっ・・・・・・ぐ・・・・・・ぎっ・・・・・・」
毛細血管がちぎれたのか、あちこちで内出血をしているのが感じられ、吐き気を押さえようと口に手をやって、初めて自分が吐血していることに気がつく。
「白兎さま、早くこれを!!」
キャスターが矢継ぎ早に渡してくる薬品を飲み干し、やっと身体が大人しくなったのは15分ほどのたうち回った後の事だった。
原因は私のおこなった投影。
最初、いくつかの道具や呪具などを投影しようとして失敗し、どうやら私の投影は剣を初めとする武器、それに次いで盾や鎧といった防具に特化した限定的なものだと判明するのにわずか10分。
昨日見てきた大弓や長刀などを投影して見せて、さてこの魔術をどう有効利用しようかと頭を抱えるキャスターの姿を見ながら、ふと思いついたのが15分前。
キャスターと出逢った最初の日、彼女が持っていたナイフを投影してみた途端、魔術回路からの反動で死ぬかと思うぐらいのダメージを受けてしまったのである。
「――――――」
その投影したナイフを手に、殺気を漂わせて思案顔のキャスター。
いや、その表情は理解できる。
あのナイフはルール・ブレイカー。あらゆる魔術を解呪できるというキャスターの宝具。
その情報は、投影を行っている工程で理解できた。
宝具などという物は、人間の手で作ることが出来る性質の道具ではない。
当然だ。それは固体化された神秘であり、人間の幻想を骨子として具現化した尊き祈りそのもの、ノウブル・ファンタズムなのだから。
時間と労力、それに莫大な資金と魔術をかければ制作可能なのだろうが(もし不可能なら、私は魔法使いと言う事になってしまう)、こんな一瞬で模造できるはず、本来有りはしないのだ。
しかも問題はそれだけではない。
真に問題なのはナイフに内包されている魔力が大きすぎると言う事だろう。
だからこそ、そんなモノを投影した私の魔術回路が耐え切れなかったし、それ以前に、私が持っている魔力よりナイフの持っている魔力量が遥かに多いと言う矛盾した現象が起こっている。
つまり私は、投影できないはずの道具を、投影できるはずも無い魔力量を保有させたまま、投影してしまったわけなのだ。
等価交換を原則とする魔術の正道から言えば異常極まりないことだと、それは私にすらわかる事実。
我ながら、確かに普通ではない。
かいがいしく口元の血を濡れタオルで拭ったり、着替えのパジャマを持って来たりしてくれるシロウサくん。
なかなか優秀な使い魔のようだ。
そうして、私の状態が落ち着いたのを確認すると、キャスターはなにやら魔術を使い始めた。
ベッドに寝かされたままで見ていると、ふところから取り出した動物の牙のようなもの・・・・・・あれこそ、カドモス王が倒した竜の牙とかいう物だろうか? それを一つ、地面に転がして聞きなれない呪文を唱えると、牙は骸骨のような兵士になって立ち上がる。
そのままストンと、ルール・ブレイカーを竜牙兵に突き立てるキャスター。
「『破戒すべき全ての符』よ!!」
開放される真名。
その途端、竜牙兵は元の牙へと戻り、ルール・ブレイカーは砕けて消えてしまう。
「あ、もったいない」
「・・・・・・確かにそうですけれど、とりあえず特性は理解できましたわ。
白兎さまはそれが剣ならば幻想すら複製できる。
ただし、その幻想は内包した魔力を使い果たせば消えてしまう・・・・・・と、言うところですね」
「む。流石に完全には無理かぁ」
そう言うと、キャスターは頭が痛いとでも言いたげに額に手をやる。
「本来、宝具を投影する時点で無理な事です。
いえ、それ以前に、投影した物がずっと残っているのも無茶な話。
この上宝具まで完全に作られたら、いくら大事なマスターとは言え解剖して脳味噌を調べている所ですわ・・・・・・いいえ、もし貴女が白兎さまでなければ、昨日の投影をして見せた時点でバラして専用の魔杖にしていますとも!」
とんでもなく怖い事を言ってくれるキャスター。
バラされるのも解剖されるのも御免こうむりたい。
にもかかわらず『大切なマスター』とか言う言葉だけで嬉しくなってしまっている自分は、わりとお人好しなのかもしれない。
「何をにやけているんですか、白兎さま?」
「いや、その、キャスターに大事に思われてて嬉しいなって」
素直に思ったことを自白する。
するとなぜか、真っ赤になるキャスター。
そのままじっとこちらを見つめていたかと思うと。
「はぁ―――そんな事を言われたら、また襲いたくなってしまうではありませんか」
なんて言ってくれた。
「なっなっなっなっ、ナンですソレはっ!?」
「冗談です。
いくらなんでも病人を組み敷くほど外道では無いつもりですから。
それより今日はもう休んで下さいマスター。
あ、明日の朝食は私が用意しますから、マスターはとにかく身体を休めて、魔術回路を回復させることに専念するんですよ?」
怯える私に布団をかぶせると、キャスターは人差し指を立てて「メッ」とか言う様に言い聞かせてくる。
その様はまるで「お母さん」みたいで、素直にうなずく他には出来なくなってしまった。
「了解。じゃあ、おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
にっこりと微笑むキャスターの笑顔を最後に、休息を求める体に引き込まれるように意識は眠りに落ちる。
多分、さっき飲んだ薬に睡眠薬の類も入っていたのだろう。
次の日、キャスターの部屋で眠ったことを知られて藤ねぇと桜にまたも絞殺されかけるのだけど、この夜はただ安らかな気持ちで眠ることが出来たのだった。
◆◆◆