「士郎」
初夏。
ある晴れた日の昼下がり、衛宮士郎は日課である夕食の買い物に出掛けていた。
その帰り道。今では家族の一員となった彼女に声を掛けられた。
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「…ああ、ライダーか。どうしたんだ? 散歩か?」
そう。今では衛宮家の家族の一員である彼女。桜の友人であり、サーヴァントでもあったりする。
そんな彼女の最近のお気に入りは散歩の様だ。
『今日はこんな事がありました』
そんな風に優しい表情を浮かべながら夕食時に話したりする。
物事がどういうものか。
その物事を体験していなくても、聖杯に呼び出された時点で既に知識として彼女の中にはある。しかし、それがただ知識としてあるのと、実際に経験するの事は別の物だ。
改めて体験するという事、きっとそこにはある種の感動さえ伴う事なんだろうと思う。
そして、そんなライダーの話を柔らかく微笑みながら聞く桜。
衛宮家の夕食時には穏やかな空気が流れる。
…正直に言ってしまえば。
ライダーにそんな一面があるだなんて、聖杯戦争当時、最初は思いもしなかった。
けれど、彼女が桜のサーヴァントであると判り、そして共闘する様になって、その印象は徐々に変わっていった。
『サーヴァントは召喚者と魂の在り方が近いものが喚ばれる』
そう言ったのは、他ならないライダー自身だ。ならば見た目冷酷な印象を与えがちなその容姿とは違い、ライダーの性格は本来、桜と同じで穏やかなものなんだろう。
「いえ、サクラが甘い物が食べたいと言いましたので。それなら私が散歩のついでに買ってきましょう、と」
そう言って手に持っている江戸前屋の紙袋を掲げる。
「何だ。言ってくれれば買出しのついでに俺が買ってきたのに」
二人並んで歩きながら会話する。
「はい。ですがサクラは貴方に知られたくなかったようでしたし」
「? 何でだ? 別にそんな事、遠慮する事でもないだろうに」
と、ライダーはふう、と溜め息を吐き、
「…士郎。貴方はもう少し女性の心の機微という物を知った方がいい」
と呆れたように言った。
「む。何でさ?」
確かに以前、『貴方は気が利くくせに朴念仁だ』というような事を言われた事があるような気がするが。何故お菓子で女性の心うんぬん、とまで言われなければならないのか。
…そんな俺の不満が表情に出ていたのか。ぴっ、と人差し指を立ててライダーは、
「いいですか、士郎。サクラは遠慮して貴方に頼まなかったのではありません。先程昼食を食べたばかりなのに、さらに『甘い物が食べたい』などと言って、自分は食いしん坊である、と相手に思われて気持ちのいい女性などいないでしょう。それが自分の好きな男性からであるとしたらなおさらです。ましてやサクラの性格からすれば」
なんて言ったりする。
…ああ、確かに桜はそういう事を気にしたりするところがある。
「そっか。そうだな、確かに俺の注意力が足りなかった。ありがとうライダー。注意してくれて」
けど、その注意も単なる注意ではなく、そっと遠まわしに教えようというもの、つまり俺や桜に対する優しさだと分かる。いくら何でも、さすがにそれが分からないほど俺も鈍くはない。
…けど。
「…でもライダー。それ、俺に言っちゃったら、桜が俺に頼まなかった意味が無いんじゃないか?」
「……」
言われて気付いたのか、ライダーは無言だ。
「……」
そして俺も無言。
「…シロウ、この事はどうか桜には内密にお願いします」
と、立ち止まって江戸前屋の紙袋の中からどら焼きを一つ取り出すライダー。
……買収ですかライダーさん。
ああ、本当に彼女は人間ぽくなったなぁ…。
「ん。ちょっと小腹が空いてたから正直ありがたいけど。別にそんな事しなくても桜に喋ったりしないぞ? それに桜に頼まれて買って来たんだろ? 数が合わなくなっちゃうじゃないか」
「その心配には及びません。お使いをするお駄賃として私の好きな物も買って来ていいとサクラに言われましたから。私が購入したのはドラヤキで、サクラに頼まれたタイヤキはこちらにちゃんとあります。ではこちらのドラヤキは後ほど」
そう言って紙袋にどら焼きを戻すライダーさん。
そして再び並んで歩き出す。―――と、思い出した様に、
「……そういえば、『士郎には秘密にするように』と念を押され、いつもより多めに代金を頂いたのですが。あれは何故だったのでしょう?」
はて? と、頬に人差し指を当てて首をかしげるライダー。
可愛いというよりも美人である彼女が、そんな子供っぽい仕草をするのも意外に似合っていてちょっとドキドキしてしまったりする。
…する、するんだが。
……口止め料か、桜。
…やっぱりサーヴァントとマスターは似てるんだなぁ…。
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江戸前屋は商店街に出没する、この辺りでは有名な屋台だ。たい焼き、どら焼き、たこ焼きの三種の神器を扱うお店だったりする。
「ああ、そういえば桜はここのタイヤキが大好きだったけなぁ。…そういえば以前、ここのどら焼きを巡って一悶着あったっけ。桜も食べたかったくせにやせ我慢したりして、それでどら焼きを全部食べようとしたセイ―――」
――――停止――――
―――それを思い出す事は決して許されない。
後悔する事も、懺悔する事さえも許されない。
何度も俺を助けてくれた彼女。最期まで俺を守ってくれた少女を。
……誰でもない、この俺が殺めた。
その記憶は二度と蘇る事は無い、二度と思い出す事は無いと……あの時、誓った。
だから―――
「―――シロウ? 何か言いかけましたが?」
「……え? 俺何か言ったっけ?」
「はい。桜が江戸前屋のタイヤキが好き、と言った後に、ドラヤキを巡って闘争があった、と」
「ああ。桜と…誰だったけな、藤ねえだったか。ああ、あの時家にいて、そんな食いしん坊は藤ねえしかいないから、多分藤ねえだ。
どら焼きが5つあったんだけど、桜がやせ我慢して『いらない』って言って、藤ねえに全部食べられそうになって焦った、って事があったんだ」
……と、何だかこっちを沈痛そうな面持ちでこちらを見るライダー。
「? どうしたライダー。俺、何か変な事言ったか?」
……うっ、ひょっとして桜の事をからかった様に言ったのがお気に召さなかったのだろうか。
と、そんな俺の考えを察したのか察していないのか、ライダーは辺りを見て、
「士郎。あそこの公園に少し寄り道していきませんか? いい天気ですし、先ほど献上すると言ったドラヤキもあります。屋外で食べるドラヤキというのもまた、家で食べるのとは違った発見があるかもしれません」
そんな事を言った。
ふと公園にあるベンチが目に入る。
確かに。
こんな天気のいい日だ、少しぐらい寄り道して日なたぼっこに興じるのも悪くはないかもしれない。
「そうだな。ちょっと寄り道していこうか」
「栗入りの物とそうでない物がありますが。士郎はどちらがよろしいですか?」
「や、どっちでもいいぞ。ライダーが食べたい方を選んでくれ。俺は残った方を食べるから」
どっかの栗が大好きな、どっかの見た目小学生の人じゃあるまいし。
「それは許可できません。献上すると決めたのです。ならば貴方に選択の権利がある」
思わず苦笑する。義理堅いのは相変わらずだ。
聖杯戦争で共闘した、あの頃と比べて印象が変わった所もあるけど。
「ん。じゃあ栗なしの方でいいんじゃないカナ、いいんじゃないカナ」
分かりました、と頷いてライダーは袋の中の栗なしの方のどら焼きを探す。軽く流されたのは気にしない。世の中なんてそんな物だ。気にしないったら気にしない。そもそも誰かに理解される事なんて――――
――――ただの一度も敗走は無く ただの一度も理解されない
彼の者は常に独り ―――――
「士郎?」
ライダーに呼ばれて我に返る。
…しまった! やりすぎた!
じゃなくって。何だか暴走している風味。
……うわあああん! 助けてすずねえ〜!!
「士郎!」
もしくは某母親風に言うなら、すっかり暴走しているフレーバー。
ああ、もうどっから突っ込んでいいものやら…。
……いかん、おちけつ。
……間違えた、ホントに落ち着け、俺。
「…はっ! 俺は一体何を!?」
「士郎っ!? ……良かった。正気に戻りましたか。……それにしてもどうしたのですか? ドラヤキを選んでから、急に様子が変になりましたが」
「へ? ……憶えてない。何か言ってた? 俺」
「ええ。何だか同じ言葉を二回繰り返していました。そういえば士郎、意味も無く二回言うのはどうかと思うのですが」
……正直、ライダーの言っている事は分からない。俺にはその時の記憶が無いのだから。
…なのに。
なのに何故、こんなにも心が満たされた気分になるのか……。
「ああ、多分まだ体が安定していないからだ、きっと。とはいっても最近はすこぶる調子が良かったから、そんな事はすっかり忘れてたけど」
ほんの短い時間、記憶が無くなったり、ちょっと眠くなったり、味覚やらが麻痺したり。いずれにしても小さな事なので、そんなに心配する程ではない。
この体―――人形師が作った素体―――と魂がまだ、完璧には融合してないからなのか、たまにそんな事が起こる。とはいえ、その割合も日に日に減ってきて、最近はほとんどなかったのだが。
「そうですか。ともあれ、大事が無いようで何よりです。では士郎、どうぞ」
言って、ライダーはどら焼きを渡してくる。
「ん。ありがとう。じゃあ頂きます、ライダー」
しかしそう言う彼女の手にどら焼きがない。
「? ライダーは食べないのか?」
「いえ、もちろん食べます。ですが、貴方が先に」
再び苦笑する。やっぱり義理堅い。
「分かった。じゃあ改めて」
頂きます、と言ってどら焼きを食べる。
うん、相変わらず美味しい。俺は和菓子、というか菓子作りは範囲外だが、それでもこれが丁寧に作られた物だ、というのは分かる。
「如何ですか?」
「ああ、美味しい。それにやっぱり外で食べるからかな? いつもより美味しい様な気がする」
「そうですか。それは良かった」
そう言って。
そんな俺の何でもない一言に。
ライダーは嬉しそうに微笑んだ。
「……」
―――まいった。ライダーはそれは凄い美人だ。だってのに、それだけじゃなくこんな風に優しく微笑まれたりしたら。
……きっと今の俺は真っ赤な顔をしている事だろう。
「そ、それよりライダーも食べなよ。やっぱり一人で食べるのは味気無いし」
照れ隠しにそんな事を言ったり。
「はい。では私も」
頂きます、そう言って彼女も食べ始めた。
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初めまして。この度初めてSSを書いた都間都(とまと)といいます。
なに分、初めて書いたSSですので至らない点も多々あるとは思いますが、稚拙ながらも自分なりに精一杯頑張ったつもりです。
一応後編の方はほとんど出来ているので、近日中に書き上げられるかと。
皆様からご指摘、感想など頂けたら嬉しいです。
では。