……音がした。
古い、たてつけが悪くて蝶番も錆びて無闇に重い、扉が開く音がした。
暗かった土蔵に光が差し込んでくる。
「――――っ」
眠りから目覚めようとする意識が、
「シロウ、朝です。起きてください」
近づいてくる足音と、冬の外気を感じ取った。
「……ん。おはよう、アルトリア」
「はい。おはようございます、シロウ」
こんな事には馴れているのか、桜はおかしそうに笑って頷く。
「シロウ、もう朝です。時間はありますが、ここで眠っていてはタイガに怒られます」
「と……そうだな。よく起こしに来てくれた。いつもすまない」
「そんな事ありません。シロウはいつも朝起きるのが早い。
こんなふうに起こせる日はたまにしかありません」
……?
何が嬉しいのか、アルトリアはいつもより元気がある。
「……そうかな。けっこうアルトリアには起こされてるぞ、俺。
けど藤ねえにはたたき起こされるから、アルトリアの方が助かる。……うん、これに懲りずに次は頑張る」
……寝起きの頭で返答する。
あんまり頭を使っていないもんで、自分でも何を言っているか判らなかった。
「はい、わかりました。でも、偶には寝坊していただいた方が私は嬉しいんですよ」
アルトリアは和やかに笑っている。
……いけない。まだ寝ぼけていて、マトモな台詞を口にしなかったようだ。
「―――ちょっと待ってくれ。すぐ起きるから」
深呼吸をして頭を切り換える。
冬の冷たい空気は、こういう時に役に立つ。
寒気は寝不足で呆っとした思考を、容赦なくたたき起こしてくれた。
……目の前には同居人であるアルトリア・ペンドラゴンがいる。
ここは家の土蔵で、時刻は午前六時になったばかり、というところ。
「……シロウ?」
「ああ、目が覚めた。ごめんなアルトリア、またやっちまった。朝の支度、手伝わないといけないのに」
「それくらい良いのです。シロウは昨夜も遅くまで"魔術"の鍛錬をしていました。それに朝は体を鍛えないといけない。朝食の支度は私がしておきますから」
弾むような声でアルトリアは言う。
本当に、今朝のアルトリアは元気があって嬉しそうだ。
「ばか、そういう訳にいくか。今起きるから、一緒にキッチンに行こう」
「よし、準備完了。それじゃ行こう、アルトリア」
「あ……その、シロウ」
「? なんだよ、他に何かあるのか」
「いえ、そういうコトではないんですが……その、シロウ。家に戻る前に着替えた方がいいのではないでしょうか?」
「――――あ」
言われて、自分の格好を見下ろした。
昨日は作業中に眠ったもんだから、体はツナギのままだった。
作業着であるツナギは所々汚れている。こんな格好のまま家に入ったら、それこそ藤ねえになんて言われるか。
「う……まだ目が覚めてないみたいだ。なんか普段にまして抜けてるな、俺」
「ええ、そうかもしれません。ですから朝食の支度は私に任せて、シロウはもう少しゆっくりしていてください。それに、ここを散らかしっぱなしにしていればタイガに怒られてしまいます」
「……そうだな。それじゃ着替えてから行くから、桜は先に戻っていてくれ」
「はい。お待ちしてます」
アルトリアは早足で立ち去っていった。
さて。
まずは制服に着替えて、散乱している部品を集めなくては。
「……完成は明日か。途中で寝るなんて、集中力が足りない証拠だ」
軽い自己嫌悪を振り払う。
とりあえずストーブの部品を集めて、修理待ち用の棚にしまった。
修理待ち用の棚に空きはない。このストーブを直したら、次は時代遅れのビデオデッキが待っている。
……そのどちらも藤ねえによって破壊された、という事実はこの際無視する事にしよう。
「……よっと」
作業着から制服に着替える。
「―――さて。今日も一日、頑張って精進しよう」
ぱん、と土蔵に手を合わせ、屋敷へと足を向けた。
土蔵から屋敷に向かう。
この衛宮邸は、町外れにある武家屋敷だ。
オヤジは町の名士だった訳でもないのに、こんな広い家を持っていやがった。
それだけでも謎だっていうのに、衛宮切嗣には日本に親戚がいないらしい。
だから親父が死んだ後、この広い屋敷は誰に譲られる事もなく、なし崩し的に養子である自分の物になってしまった。
だがまあ、実際の話、俺にそんな管理能力はない。
相続税とか資産税だとか、そういった難しい話は全て藤村の爺さんが受け持ってくれている。
藤村の爺さんは近所に住んでいる大地主だ。
オヤジ曰く、“極道の親分みたいなじじい”。
無論偏見だ。
藤村の爺さんは極道の親分みたいな人ではなく、ずばり極道の親分なんだから。
「…………」
それはそれで多大に問題があるが、あえて追求しない方針でいきたい。
それに藤村の爺さんは怖い人っていうか、元気な人である事は間違いないのだが、悪い人ではなかったりする。
爺さんが趣味で乗り回しているバイクをチューンナップすると、とんでもない額の小遣いをくれるので助かるし。
ともかく、そんな訳でこの広い屋敷に住んでいる四年前、オヤジを頼って日本に来たアルトリアと俺だけだ。
オヤジが死んでからもう五年。
月日が経つのは本当に早い。
その五年の間、自分はそれなりに成長できた。
全てはアルトリアのおかげだ。
切( オ ヤ)嗣( ジ)の知り合いということでそんな予感がしてたんだけど実際、アルトリアはこっち側の人間だった。
そして俺の魔術の間違い、適正を教えてもらったのである。
「―――――――」
と、考え込んでる場合じゃなかった。
とりあえず、アルトリアのところに行かなくては。
あとがき
突発的に書きたくなったので書いたものです。
自慰小説ですが、よければお付き合いください。
アルトリアは調理を終えて、あとはテーブルに並べるだけと食器棚を覗いていた。
「面目ない。せめて食器の用意ぐらいはやるから、アルトリアは座っててくれ」
「え……? もう来たのですかシロウ?」
「もうじゃないぞ。六時十分っていったら朝飯を食ってる時間じゃないか。完全に寝坊だよ」
「そんな事はないです。シロウは部活をしていないのですから、この時間は十分に早起きです」
「部活は関係ない。アルトリアに朝食の準備を任せたんだから十分寝坊だ」
「はあ、偶には私を頼ってもいいではないですか」
「アルトリアには十分頼ってるよ」
本当に頼っている。
掃除・洗濯・剣の相手、これだけやってもらってる。
だから、食事の準備くらいしないと割に合わない。
「ともかくアルトリアは休んでろよ。あとは並べるだけなんだから、それぐらい俺にやらせてくれ」
アルトリアの横に並んで、棚から食器を取り出す。
アルトリアは妙に意固地な所があって、こういう時は強引にやらないと休んでくれないのだ。
「あ、なら私もお手伝いします。お皿には私が盛ります。ですから、シロウはお茶碗を出してください」
「いや、だから全部こっちでやるからいいってば」
「いけません。私は居候です。これくらいさせて下さい」
「アルトリアは家族だからそんなこと気にすることないんだよ」
「家族なら尚更です。家族が助け合うのは当然ですから」
「いいよ、好きにしろ。そんなにやりたきゃアルトリアに任せる」
「はい。好きにさせてもらいます」
柔らかに言って、アルトリアはとなりの棚に手を伸ばした。
「――――っ」
……なんていうか、困る。
成長期なのか、ここ最近、アルトリアは最近、キレイになった。
いや、前からキレイだったんだけど前は可愛いって感じだったし。
なにげない仕草や、こういった横顔がキレイに見えてつい顔を逸らしてしまう。
「シロウ。どうかしましたか?」
「―――いや、どうもしてない。どうもしてないから気にしないでくれ」
「?」
……ほんと、まいる。
素直に言えば、俺は彼女に惚れている。
多分、彼女も俺のことを。
でも今の関係が壊れるのが怖くて気持ちを伝えていない。いや、伝えられない。
「――――」
テーブルに朝食が並んでいく。
鶏ささみと三つ葉のサラダ、鮭の照り焼き、ほうれん草のおひたし、大根とにんじんのみそ汁、ついでにとろろ汁まで完備、という文句なしの献立だ。
アルトリアと二人、きちんと座っておじぎをして、静かに食事を始める。
カチャカチャと箸の音だけが響く。
基本的にアルトリアはお喋りではないし、メシの時は喋らない。
自然、食事時は静かになる。
普段はもうちょっと喧やかましいのだが、今朝に限ってその喧しい人は、
昨夜スパイ映画でも見たのか、新聞紙で顔を隠しながら、俺たちの様子を窺っていた。
「タイガ、食事中に新聞を見るのはマナー違反だ」
「…………………」
アルトリアの注意を無視する藤ねえ。
あまりにも怪しいが、朝の食卓で藤ねえが挙動不審なのはいつものコトだ。
アルトリアも馴れているのか、とりわけ気にした風もなくご飯を食べている。
「わるい。アルトリア、醤油とって」
「はい―――って、すみません、シロウ。シロウの醤油は昨日で切れてます」
「んじゃ藤ねえのでいいや。とって」
「タイガ、借りますよ?」
ん、と頷く藤ねえ。
ガサリ、と新聞紙が揺れる。
「はいどうぞ。とろろ汁に使うんですか?」
「ああ。とろろには醤油だろ、普通」
つー、と白いとろろに醤油をかける。
ぐりぐりとかき回した後、ごはんにかけて一口。
うむ、このすり下ろされた山芋の粘つき加減と、自己主張の激し過ぎる強烈な醤油の辛さがまた――――
「ごぶっ……! うわまず、これソースだぞソース! しかもオイスター!」
たまらずごはんを戻しかける。
そこへ。
「くく、あはははははは!」
ばさり、と勢いよく新聞紙を投げ捨てる藤ねえ。
「どうだ、朝のうちにソースとお醤油のラベルを取り替えておく作戦なのだー!」
わーい、と手をあげて喜ぶ謎の女スパイ。
「あ、朝っぱらから何考えてんだアンタはっ! 今年で二十五のクセにいつまでたっても藤ねえは藤ねえだな!」
「ふふーんだ、昨日の恨み思い知ったかっ。
みんなと一緒になってお姉ちゃんをいじめるヤツには、当然の天罰ってところかしら?」
「天罰ってのは人為的なモンじゃないだろ! なんか大人しいと思ったら昨日からこんなコト考えてやがったのか、この暇人っ!」
「そうだよー。おかげでこれから急いでテストの採点しなくちゃいけないんだから。うん、そーゆーワケで急がないとヤバイのだ」
しゅた、と座り直すなり、ガババー、と凄い勢いで朝食を平らげる藤ねえ。
「はい、ごちそうさま。朝ごはん、今日もおいしかったよアルトリアちゃん」
「はい。おそまつさまです、タイガ」
「それじゃあ先に行くわね。二人とも、遅刻したら怒るわよー」
んでもって、だだだだだー、と走り去っていく。
……アレでうちの学校の教師だっていうんだから、世の中ほんと間違っている。
「……あの、シロウ?」
「すまない。せっかくの朝食だっていうのに、藤ねえのヤツろくに味わいもしないで」
「いえ、そういうのではなくてですね、……今日の鍛錬はどうしますか?」
「ごめん、今日は一成の手伝いしなきゃいけないんだ。だから朝の鍛錬は無理」
「そうですか……では私も早く行きますね」
朝食を済ませて、登校の支度をする。
テレビから流れるニュースを聞きながら、桜と一緒に食器を片づける。
アルトリアはぼんやりとテレビを眺めていた。
画面には“ガス漏れ事故、連続”と大げさなテロップが打ち出されている。
隣町である新都で大きな事故が起きたようだ。
現場はオフィス街のビルで、フロアにいた人間が全員酸欠になり、意識不明の重体に陥ってしまったらしい。
ガス漏れによる事故とされているが、同じような事故がここのところ頻発している。
「今のニュース、気になるのかアルトリア」
「え――いえ、別に。ただ事故が近くで起きてると思いまして。……私たちは新都の方でアルバイトしてますから」
「大丈夫だよ、そんな大きいお店じゃないし。今のニュースみたいな事故は起きないと思う」
……とは言っても、あまり他人事ではない事件だった。
ガス漏れならどんな建物でも起きるものだし、なにより数百人もの人間が被害にあっている、というのは胸に痛い。
同じような事故が頻発しているのは、新都を急開発した時に欠陥工事をしたからだ、なんて話もあがっているとか。
真偽はどうであれ、これ以上の犠牲者は出てほしくないというのが正直な気持ちだが―――
「でも物騒な話だな。俺たちも気をつけないと」
「そういうことです。お互い気をつけるべきです」
納得した顔で言ってくる。
「シロウ、裏手の戸締まりはしました?」
「したよ。閂かけたけど、問題あるか?」
「ありません。それじゃあ鍵をかけますね」
がちゃり、と門に鍵をかける。
アルトリアと藤ねえはうちの合い鍵を持っていて、戸締りは最後に出る人間がする決まりだ。
「行こうか。急がないと朝練に間に合わない」
「はい。それじゃ少しだけ急ぎましょうか、先輩」
寄り道をせず学校へ向かう。
とりわけ会話もなくアルトリアと坂道を上っていく。
まだ七時になったばかり、という事で通学路に人気はない。
自分たちの他には、朝の部活動をする生徒たちがのんびりと歩いているぐらいだった。
「アルトリア、ありがとな」
「いえ、好きでやったことですから」
俺は一成と会わないといけないのでここでアルトリアと別れる。
あとがき
全然進まないです。
このペースでいくと確実に私が投げ出してしまうので次あたり一気に進むかもしれないです。
「―――よし終わり。次に行くか」
使った導線をしまって、ドライバーとスパナを手にして廊下に出る。
「一成、修理終わったぞ」
――――と。
廊下には、一成の他にもう一人、女生徒の姿があった。
「――――」
少しだけ驚いた。
一成と話していたのは2年A組の遠坂凛だ。
表向きは、坂の上にある一際大きな洋館に住んでいるというお嬢様で、これでもかっていうぐらいの優等生。
美人で成績優秀、運動神経も抜群で欠点知らず。
性格は理知的で礼儀正しく、美人だという事を鼻にかけない、まさに男の理想みたいなヤツ
実際はこの冬木の地を治める魔術師の家系――遠坂家――の当主らしいのである。
らしいというのは、アルトリアに聞いた話で俺自身確認してないのである。
「……………」
遠坂は不機嫌そうに俺たちを見ている。
一成と遠坂の仲が悪い、というのはどうやら本当らしい。
「と、悪い。頼んだのはこっちなのに、衛宮に任せきりにしてしまった。許せ」
おお。
あの遠坂をまるっきり無視して話し始めるあたり、一成は大物だ。
「そんなコト気にするな。で、次は何処だよ。あんまり時間ないぞ」
「ああ、次は視聴覚室だ。前から調子が悪かったそうなんだが、この度ついに天寿を全うされた」
「天寿、全うしてたら直せないだろ。買い直した方が早いぞ」
「……そうなんだが、一応見てくれると助かる。俺から見れば臨終だが、おまえから見れば仮病かもしれん」
「そうか。なら試そう」
朝のホームルームまであと三十分ほどしかない。
直すのなら急がないと間に合わないだろう。
一成に促されて視聴覚室に向かう。
ただ、顔を合わせたのにまるっきり無視する、というのは失礼だ。
ぼう、と立ったままの遠坂に振り返る。
「朝早いんだな、遠坂」
素直な感想を口にして、一成の後に付いていった。
「ギリギリ間にあったか。すまんな衛宮、また苦労をかけた。頼み事をした上に遅刻させては友人失格だ」
「別に気にするな。俺が遅刻する分には大した事じゃないだろ。まあ、一成が遅刻するのは問題だけど」
「もっともだ。いや、間に合ってよかった」
一成はほう、と胸を撫でおろして自分の席に向かう。
「アルトリア、おはよう」
「ええ、シロウ。おはようございます」
同じ家に住んでる彼女と挨拶を交わし自分の席に向かう。
時刻は八時ジャスト。
ホームルーム開始前の予鈴が鳴ったから、あと五分もすれば藤ねえがやってくる。
「朝から騒がしいね衛宮。部活を辞めてから何をしてるかと思えば柳洞の太鼓持ち? 僕には関係ないけどさ、うちの評判を落とすような事はしないでよね。君、なんていうか節操ないからさ」
と。
席の前には、中学時代からの友人である間桐慎二が立っていた。
慎二も魔術師らしい。
魔術回路はないらしいが。
「よ。弓道部は落ち着いてるか、慎二」
「と、当然だろう……! 部外者に話してもしょうがないけど、目立ちたがり屋が一人減ったんで平和になったんだ。次の大会だっていいところまで行くさ!」
「そうか。美綴も頑張ってるんだな」
「はあ? なに見当違いなコト言ってんの? 弓道部が記録を伸ばしてるのは僕がいるからに決まってるじゃんか。衛宮さ、とっくに部外者なんだから、知ったような口をたたくと恥をかくよ?」
「そうか、気をつけよう。もっとも弓道部に用はないから関わるコトはないけどな」
鞄を机に置いて椅子を引く。
「なにそれ。僕の弓道部には興味がないってコト?」
「興味じゃなくて用だよ。部外者なんだからおいそれと道場に行くの、ヘンだろ。
けど何かあったら言ってくれ。手伝える事があったら手伝う。弦張りとか弓の直し、慎二は苦手だったろ」
「そう、サンキュ。何か雑用があったら声をかけるよ。ま、そんなコトはないだろうけどさ」
「ああ、それがいい。雑用を残しているようなヤツは主将失格だからな。あんまり藤村先生を困らせるなよ。あの人、怒ると本気で怖いぞ」
「っ……! ふん、余計なお世話だ。ともかく、おまえはもう部外者なんだから道場に近づくなよ!」
慎二はいつもの調子で自分の席に戻っていく。
……はて。今日はとくにカリカリしてたな、あいつ。
「ふざけたヤツだ。自分から衛宮を追い出しておいて、よくもあんな口がきける」
「なんだ一成、居たのか」
「なんだとはなんだ! 気を利かして聞き耳を立てていた友人に向かって、なんと冷淡な男だオマエは!」
「? なんで気を利かすのさ。俺、一成に心配されるような事してないぞ」
「たわけ、心配もするわ。衛宮はカッとなりやすいからな。慎二に殴りかかれば皆は喝采を送るが、女どもからは非難の嵐だ。友人をそんな微妙な立場に置くのはよろしくない」
「そっか。うん、言われてみればそうだ。ありがとう一成。そんなコトにはならないだろうけど、今の心配はありがたい」
「うむ、分かればよろしい。……だが意外だったぞ。衛宮は怒りやすいクセに、間桐には寛大なんだな」
「ああ、アレは慎二の味だからな。つきあいが長いと馴れてくる」
「ふむ、そんな物か」
「そんな物です。ほら、納得したら席に戻れよ。そろそろ藤村先生がスッ飛んでくるぞ」
「ははは。あの方は飛んでくるというより浮いてくるという感じだがな」
ホームルーム開始の鐘が鳴る。
そうして、いつも通り一日の授業が終了した。
部活動にいそしむ生徒、早足で帰宅する生徒、用もなく教室に残る生徒、そのあり方は様々だ。
自分はと言うと、その三つのどれにも該当しそうにない。
「すまない、ちょっといいか衛宮。今朝の続きなんだが、今日は時間あるか?」
「朝の続きだろ、任せろ。試験が始まる前に備品の修理なんて済ませちまおうぜ」
「助かる。それでは美術部の患者を見に行くとするか」
「あいよ。……っと、人払いはちゃんとしてくれよ。人目があると集中できない」
「無論だ。他の連中に邪魔はさせぬ」
早足で廊下に向かう一成に倣って、こちらも早足で教室を後にした。
校舎を出るともう完全に日は落ちていた。
学校の門は閉ざれている。
時刻は七時、門限は完全にオーバーしているが、一成のとりなしでお咎めはまったくなかった。
「いや、今日は助かった。必ずこの礼はするから、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「そうだな、何かあったら言うよ。まあ、とりわけ何もないとは思うけど」
別に礼がほしくて手伝いをした訳でもなし、一成に無理を言うような頼み事はないだろう。
「……まったく、人が良いのも考え物だな。衛宮がいてくれると助かるが、他の連中にいいように使われるのは我慢ならん。人助けはいい事だが、もう少し相手を選ぶべきではないか。衛宮の場合、来る人拒まず過ぎる」
「? そんなに節操ないか、俺」
「うむ。これでは心ないバカどもがいいように利用しようというものだ。衛宮も忙しい身なのだから、たまには他人の頼みなど断ってもよかろう」
「――――」
いまいち判断がつかないが、つまり一成は俺の心配をしているらしい。
衛宮は頼み事を持ちかけられると断らない。それでいて見返りは求めないから助かる、というのは中学の頃から言われてきたコトだ。
それを一成は危うく思っているのだろう。
もっとも、こっちは好きでやってる事だし、自分じゃ無理だな、と判断した事はきっぱりと断っているから問題はない。
「それは一成がするような心配じゃない。自分の事は自分が一番分かってるさ。それに、人助けは善行だろ。寺の息子が咎めるような事じゃあるまい」
「しかしな、衛宮のは度が過ぎるというか、このままいくと潰れるというか」
「忠告は受けとっとく。それじゃまた明日、学校でな」
「……うむ。それではまた明日」
納得いかない顔つきのまま一成は去っていく。
一成の家である柳洞寺はここからお山に向かわなければならない。当然、帰り道は別々という事だ。
冬の星空を見上げながら坂道を上っていると、あたりに人影がない事に気が付いた。
時刻は七時半頃だろう。
この時間ならぽつぽつと人通りがあってもいいのに、外には人気というものがなかった。
「……そういえば、たしか」
つい先日、この深山町の方でも何か事件が起きたんだったっけ。
押し入り強盗による殺人事件、だったろうか。
人通りが無いのも、学校の下校時刻が六時になったのも、そのあたりが原因か。
「……ガス漏れに強盗か。物騒な事になってきたな」
これじゃあ夜に出歩こう、なんて人が減るのも当然だ。
桜を一人で帰らせるのも危なくなってきた。
藤ねえはともかく、桜の家は反対側の住宅地にある。
今日からでも夜は送っていかなくては―――
「……ん?」
一瞬、我が目を疑った。
人気がない、と言ったばかりの坂道に人影がある。
坂の途中、上っているこっちを見下ろすように、その人影は立ち止まっていた。
「―――――――」
知らず息を呑む。
銀の髪をした少女はニコリと笑うと、足音もたてず坂道を下りてくる。
その、途中。
「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」
おかしな言葉を、口にしていた。
あとがき
少しずつ変更点を混ぜているつもりなのですが
プロローグ部分に当たるのでオリジナルと違う部分の方が少ないです…