遠野家の食堂では殆ど無言の食事が続く。
何故かは解からないが食堂の空気は重い。
「兄さん、一つ伺ってもよろしいですか?」
「なんだ、秋葉。」
「志由はどうしたんですか?」
「ああ、志由なら具合が悪いから夕飯はいらないそうだ。」
「大丈夫なんですか? 琥珀に見せた方が・・・」
「俺もそう言ったんだけど一時的なものだから気にしないでくれって。」
「そうですか。」
また無言の食事が再開される。
ハッキリ言って胃に悪い。
何でこんなに空気が重いんだ。
誰か教えてくれ。
と、
「兄さん。」
「なんだ、雪之。」
「・・・・・・・・・できればあまりやりたくはありませんでしたがこのままでは埒が明きません。 明朝に協力を仰ぎたいのですが。」
「 ? 明朝って暗夜と退魔機関を作ったって言うあの?」
「はい。 明朝は本来事が起きるまで関与しないんですが今回は事が起きてからでは間に合いませんし。」
「その明朝って人は今どこにいるんだ?」
「はい、今は退魔機関の総本山、長野の山奥に。」
「そこまでどうやって行くんだ?」
「行くのは簡単なんです。 問題は向こうに向かう途中なんです。 秋葉さんをここから出せば暗夜にとっては秋葉さんを狙うのにとても好都合です。 ですから秋葉さんをここから移動させるわけには行きません。 ということは明朝の所には少数で行く他ありません。 ですが今度はこちらを手薄にしすぎると暗夜に襲撃されたらそこでお終いです。」
「なるほど、ここに残す人員と向こうに向かう人員の戦力を上手く分けなきゃいけない訳だな。」
「はい。 絶対条件としてまず私は向こうに行かなければなりません。」
「解かった。 雪之、その人割り俺にやらせてくれないか?」
「 ? 何故ですか。」
「いや、ちょっと色々あってね。」
「解かりました。 それでは決まりましたら教えてください。 秋葉さんもそういうことでよろしいですか?」
「ええ。」
「それでは兄さん、宜しくお願いします。」
「ああ。」
まず雪之は連れて行かなきゃ話にならないだろう。
アルクェイドは置いていこう。
退魔組織に真祖を連れて行くのはまずいだろう。
シエル先輩は出来ればアルクェイドと一緒にしたくないけど確か埋葬機関と退魔機関は仲が悪いって八雲が言ってたような気がする。
そうするとこの屋敷に残ることになるが秋葉とアルクェイドとシエル先輩を一緒にするのは猛烈にまずい。
どれくらいまずいかというと素手でプルトニウムを扱うくらいまずい。
まあなんだかんだ言っても殺しあうようなことはしないだろう。
屋敷に帰ってくるのは恐いけど。
まあそれは置いといて草薙さんと八雲と志由だが、分けるとしたらどうすればいいだろう。
草薙さんと八雲を残して志由を連れて行くか、志由と草薙さんを残して八雲を連れて行くか、あるいは志由と八雲を残して草薙さんを連れて行くかのどれかだが。
実際問題それぞれの実力差が判らない以上どう分けていいものか。
後で本人に聞いてみよう。
「ご馳走様。」
「もういいんですか、兄さん。」
「ああ。 やらなきゃいけないこともあるしな。」
そう言い残して居間を出る。
まずは志由の所に行く。
志由の部屋は確か東館の一階だったはず。
程なくして志由の部屋に着いた。
コンコン
「志由、ちょっといいか?」
「兄さんですか?」
「ああ、そうだよ。」
「一人ですか?」
「 ? そうだけど。」
「どうぞ。」
許可を得たのでドアを開けてそっと中に入る。
中は暗くてよく見えない。
でも、ベッドの上に志由の気配は感じる。
「志由、こんなに部屋を暗くして何してんだ? 電気点けるぞ。」
部屋の電気を点けて愕然とした。
「し、志由。 お前、・・・・・・」
「すいませんでした。」
部屋の中はズタズタに切り裂かれた枕や机などで埋もれていた。
よく見るとベッドも何箇所も切り裂いたあとがある。
「志由、・・・・・・何があったんだ。」
「・・・・・・・・・・・・衝動が、・・・・・・抑えられなくなっただけです。」
「衝動って・・・・・・」
「兄さんも持ってるでしょう? ・・・・・・退魔衝動を。」
「 !? 退魔衝動って・・・」
「僕の場合は兄さんよりも知覚範囲が広いので兄さんよりも衝動が強いんです。」
「知覚範囲・・・って?」
「兄さんの退魔衝動が発現するには兄さんの魔に対する知覚範囲に魔が入らなければなりません。 僕の場合その知覚範囲が兄さんのそれよりも広いので兄さんに知覚出来ない距離にいる魔に対しても反応してしまうんです。 兄さんの場合知覚範囲は大体この屋敷くらいです。」
「そんなに広いのか?」
「兄さんは特別なんです。 七夜の中でも並ぶ者が無いと言われるほどの能力を持っていましたから。」
「へぇ。 志由、雪之の知覚範囲はどのくらいなんだ?」
「姉さんは兄さんより少し劣るくらいです。 僕の場合それらよりも遥かに広くこの屋敷の敷地ぐらいが知覚範囲になります。」
「そんなに広いのか!」
「はい、そういう訓練を重点的に受けてきましたので。 そのせいで街を歩けばいやでも魔の気配に反応してしまうんです。」
「それでその衝動を抑えられなくなったって訳か。」
「はい。 それに身近に強力な魔がいるのでそれらの影響もあります。」
「強力な魔?」
「真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッドと遠野の末裔、遠野秋葉のことです。」
「 !? アルクェイドと秋葉が、・・・・・・強力な魔?」
「兄さんも判っているでしょう。 兄さんはアルクェイド・ブリュンスタッドと遠野秋葉に対して退魔衝動を持ったことが無いと言い切れますか?」
「・・・それは、・・・・・・」
「持ったことがあるんですね? それが普通の反応なんですよ。」
「それが、・・・・・・普通?」
「普通の退魔機関の者ならアレほどの強大な魔を前にして冷静でいられる方がおかしいんです。 七頭目の家系の者は自分の退魔衝動も制御できるほどの精神力を持っているので問題ありませんが。」
「じゃあ志由はどうして自分の衝動を抑えきれないんだ?」
「精神修行が完了する前に滅ぼされてしまったので。」
「・・・・・・・・・・・・そうか。」
今思えば七夜が滅びたとき志由はまだ五歳だったはずだ。
まだ五歳なのに魔を知覚することを特化させる為に特訓を受けていたということになる。
いや、実際はもっと前からか。
ということは俺も小さい頃からそういう特訓をしてきたってことか。
その名残のおかげで今がある。
もしあの日別の道を通って帰ったら。
もし遠野が七夜を滅ぼさなかったら。
もし七夜が退魔機関を離脱しなかったら。
もし自分が七夜の家に生まれてこなかったら。
言い出したらきりがない。
それぐらいの偶然が重なって今がある。
だからこそ“今”を壊したくない。
そのためにも秋葉は守り通さなければならない。
コンコン
「兄さん、ちょっとよろしいですか?」
思いふけっていた自分を現実世界に戻してくれたのは秋葉だった。
そこで気付いた。
今秋葉を部屋に入れるのは精神・身体・立場上とってもよろしくない。
どれくらいよろしくないかと言うと血肉を体中に巻きつけてサファリパークを散歩するくらいよろしくない。
昨日アルクェイドとシエル先輩が部屋を壊してストレスを溜め込んでいる秋葉に止めを刺すことになる。
「ちょっと待ってくれ。 今志由が着替えてるんだ。」
秋葉にはそう言ってならべく音を立てずにバラバラになった机や枕をベッドの下に入れる。
更に志由をベッドに寝かせ上から布団を掛けて切り刻まれた箇所が見えないようにする。
そして一通り見回してから部屋の状況を確認してから秋葉を迎え入れるためにドアに向かう。
ここまでで僅か三秒の早業だ。
そして気持ちを落ち着けてドアを開けた。
「何の用だ、秋葉。」
「雪之ができれば人割りを急いで欲しいと。」
「判ったよ。」
「それと、志由。」
「なんですか?」
「気分はどうですか?」
「 ? なぜ貴方がそんな事を気にかけるんですか?」
「何故って、貴方は兄さんの弟でしょう? なら兄さんの妹である私にとっても弟ということでしょう。」
志由はなんだか驚いているようだ。
そして暫らくして
「・・・・・・・・・・・・確かに、そうですね。」
なんだか志由は少し嬉しそうだ。
「それで、・・・」
「気分でしたら問題ありません。 一晩眠れば治ると思います。」
「そう、それはよかった。 ・・・ほら兄さん、行きましょう。 志由は病人なんですよ。」
「別に病人というわけでは・・・」
「志由! いいですか、病気というのは大した事がないと思っていて放っておくと大きな病になるコトだってあるんだから。」
「そうなんですか、兄さん。」
「えっ、あ、ああ、そうそう。 だからいくら大したことがないって言ったって軽視するのはよくないぞ。」
「そういうことですから大人しく寝ていなさい。」
「はい、判りました。」
「さ、行きますよ兄さん。」
「ああ。」
秋葉と一緒に部屋を出ようとしたとき
「あの、・・・」
「 ? なんだ、志由。」
「あの、・・・その、用があるのは秋葉さんにで・・・」
「 ? 私に?」
「はい。」
「何?」
「あの、・・・・・・その・・・・・・ね、・・・」
「 ? ね?」
「姉さんと、・・・呼んでもいいですか?」
秋葉は驚いてるようで眼をぱちくりさせている。
そして少しだけ微笑んで
「良いも悪いも貴方は私の弟でしょう。」
「ありがとうございます。」
「志由、姉弟なら敬語はよしなさい。」
「はい、姉さん。」
「それじゃあ志由、大人しく寝なさいよ。」
「はい。」
「それじゃあ兄さん、行きましょう。 志由、お休みなさい。」
「はい、お休みなさい、姉さん。」
そうして俺と秋葉は志由の部屋を出た。
結局志由に人割りについて何も聞けなかった。
どのみちそんな状況じゃなかったけど。
「兄さん、そろそろ見回りの交代の時間ではないんですか?」
「え、ああ、そうだな。」
「そんなに弛んでいて大丈夫なんですか兄さん。」
「大丈夫、ちゃんと秋葉は守るよ。」
「はい、秋葉は兄さんを信じていますから。」
「それじゃあそろそろ行くな。」
「はい、お気をつけて。」
そういい残して俺は玄関に向かった。
「捜しましたよ、兄さん、そろそろ・・・」
「見回りの時間だろ。 行こう、雪之。」
「はい。 ところで兄さん、人割りは決まりましたか?」
「うん、八雲か草薙さんの意見を聞ければ手っ取り早いんだけど・・・」
「呼んだか?」
「八雲。」
「で、人割りはどうなってるんだ?」
「ああ、まず俺と雪之は明朝の所に行く。 先輩とアルクェイドはここに残そうかって考えてるんだけど後は八雲と草薙さんと志由なんだけど、ここに残る方に二人、連れて行くのに一人を考えているんだけど。」
「志由?」
「俺の弟だよ。 知ってるだろ?」
「ああ、知ってる知ってる。 で、その志由はどっちがいいって?」
「いや、まだ聞いてない。 八雲はどっちがいい?」
「そうだな、・・・・・・俺が行くから草薙と志由を残して行け。」
「そうか、特に反対する理由もないしそれでいいんじゃないか。」
「よし、決まりだな。」
「それで、雪之。 いつ行くんだ?」
「今日の見回りから帰ったらです。」
「判った。 八雲、悪いけど秋葉に話通しといてもらえるか?」
「解かった。」
「頼んだよ。 さあ、行こう。」
「それでは八雲、警備は怠らない様に。」
「はっ。」
そうして俺らは街の見回りに向かった。
この時この人割りにしたことを後悔することになるとは思いもよらなかった。