『死線の一 第八話』
藤ねぇの混乱はもはや極致に達している。
でも混乱すると力が上がるのはいかなるものか。RPGでこんなんが出てきたらたまったものではないだろう。きっと混乱=パーティー全滅。ああ、洒落にならないのが怖すぎてなんともいえない。
「藤ねぇ。きっと藤ねぇ、が混乱してるのは食べ物が足りないせいだ」
「そんなわけないでしょう! 私なんて朝ごはんが食べられなくていらいらしてるのにっ!!」
「藤ねぇ。会話になってない」
「うるさいっ! 士郎もそうやってすぐに人をちゃかすんだから!」
茶化してないけど、どうせまともないいわけしても聞いてくれないからどうでもいいと思う。
「タイガ。いい年したレディがそんな風に振舞ってどうするの?」
と何故かいたって冷静なままのイリヤが突っ込みを入れる。
ちなみにシーツにくるまっているのでそこまで目の毒にはならない。
「あ、悪魔っ子に言われる筋合いはっ!」
「心配してくれるただの忠告に本気で憤るのは教師としてどうかしらね」
ぐっ、とあれで中々(時々)芯の通っている藤ねぇはぐっ、と詰まる。
「大体、何がいけないの?」
「女の子と破廉恥な……」
「正しい性交渉を破廉恥とするならタイガだってこの世に生まれて無いわよ」
まった。正しいの定義云々以前にそんなことはしてないぞ。断じて。
「そ、それでも。結婚してないのに……」
「二人の間に愛があるなら問題は無いはずよ」
うん、イリヤ。そういう問題があった時にそういうことを言ってくれるなら最もだ。でも何でまっすぐにそんなことやってない、って言ってくれないんだ。
「それ以前に年齢の問題が……」
「私21歳よ。なんならパスポート見せましょうか?」
イリヤ。そのパスポート偽造だろ。
「そもそも! そんな責任も取れないのに適当な……」
「士郎は責任取ってくれるよ。何があっても。そんなことも信じられないの?」
身長は低いはずなのに見下した視線を送るイリヤに今度こそぐぅの音もでないくらいに完璧に打ち負かされた藤ねぇが黙り込む。
「そんなんだから未だにいい人の一人もできないのよ。今年でもう……」
「うわああああああああああああああん! 悪魔っ子なんか年齢詐称の罪で訴えてやるー!」
才なんだから、と言う台詞の中間部分で虎が泣きながら叫んで去っていったので聞こえなかったことにする。
「で、イリヤ。どういうことなんだよ?」
藤ねぇが泣きながら出て行ったのをしっかりと見送った後に俺は尋ねた。
「……よく、分からないって言っていいかな?」
イリヤは少しだけ不安な表情でこちらを見上げてくる。
それは理由は分かってるけどいいたくない、と言うことなのだろうか。
「出来るなら教えて欲しい。間違ってたら俺はイリヤを怒るだろうけど、何があってもこれだけは言える。俺はイリヤを裏切らない。だから信じて、言って欲しい」
イリヤは俺をじっと見つめた。
俺もその視線を受け止めた。
「シロウはシロウだね。本当に変わらないんだ」
にこっ、さびしげに微笑むとイリヤはシーツに身をくるんだまま床に座り込んだ。
「私はね、生き汚かったの。だから、最後の最後で聖杯に願っちゃった」
「うん、知ってる。そんなこと、もう知ってる」
イリヤは一瞬だけ驚いた表情をしてその後にうつむいた。
「あはは、お兄ちゃんには敵わないな」
その表情は見えない。
「ねぇ、私はここにいて……」
「イリヤ」
そんな台詞の先は言わせない。
言わせちゃいけない。
例え誰がなんといおうと、イリヤは家族なんだ。
そんなイリヤが『ここにいていいのか』なんて聞いちゃいけない。
「イリヤ、おかえり」
俺が手を差し伸べるとイリヤはシーツを跳ね飛ばして泣きながら俺の首にしがみついてきた。
「うわ!?」
思わず体勢が崩れて倒れそうになるのを必死で堪えてぽすん、と二人してしりもちをつく。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ!!」
今まで泣くなんてことは無意味だと思っていた少女。
雪の中、凍った人達相手じゃそう思ったって無理は無い。
腕の中で小さく震える小さな雪の妖精は何にそんなに怯えていたのだろうか。
「ほら、大丈夫だから」
「怖かった、痛かった、苦しかったよ、逃げたかったよ……!」
今までの自分の中にあった、形容方法すら知らぬまま封印された感情。
「イリヤは頑張ったよ……だから、ほら」
頭を撫でる。
さらさらの銀絹はふわふわで。
「ほら、泣かない」
「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ!」
そっとその細い肩を俺は抱きしめ
「……へぇ、なかなか面白い余興ね」
ようとしたところにあかいあくまの声が響いた。
まずい。まずいまずいまずいまずいまずいっ!
「待て、遠坂。話を聞け!」
「問答無用! イリヤがいくら可愛くってもまさか士郎がそこまで見境ないとは知らなかった! ええ、そりゃあそんな小さい体じゃ痛くて苦しいでしょうよっ!」
「うわっ、なんて勘違いするんだ遠坂。ここ一番で冷静さを失うのは悪い癖だぞー!」
「何がよく頑張った、よ。あなたねぇ、いくらなんでもこんな小さくて可愛い子騙すなんて」
あ、やっぱりイリヤのこと可愛いって思ってたんだ。素直じゃない奴だな。
現実逃避。それは衛宮士郎に許されたたった一つの逃げ道。
「リン……? あのー……」
「いいから、イリヤ。後で一緒にお風呂はいろう。うん、とりあえず体綺麗にしてあげるから」
うわああああ、だから。何で藤ねぇもお前も俺が服をしっかりきているという事実は無視しやがりますかー!?
「横暴だー! 弁護士を呼ぶ権利を主張するぞー!?」
「分かったわ。弁護士桜!」
「……先輩」
ふすまの陰からゆっくりと姿を現す俯き気味の少女。
さああああああ、と顔から血の気が引くのが分かった。
「さささ桜! しっかりと事情を冷静に聞いてくれるか? くれるよな!?」
「……ええ、もちろん聞きます」
良かった、やっぱり桜は
「お仕置きした後も同じこと言えるか興味がありますから」
きりんぐふぃーるどだった。
「どわああああ!? 待て待て待て、二人とも本気で待て。死ぬ! 死んでしまう!?」
「ちょっと、シロウはただ私を優しく抱いてくれただけで……!」
うん。その発言は日本語としては間違ってない。
でもね、含みとかそう言った勉強もして欲しかったな。おにいちゃんとしては。
無音で俯きながら俺を追い回す桜と、イリヤを抱きしめながらガンドを打ち続ける遠坂が冷静にコトの後が無いということに気付くまでおよそ三十分近いマラソンを中庭ですることになった。
遠坂が家に戻ってイリヤのための服を持ってきて、それを着せ替える頃にはもう1時を過ぎており、じゃあ昼食にでもしようか、と言う事になった。
で、昼食が終わって開口一番に
「イリヤ。何でこんなところにいるのかしら?」
何て最大の疑問点を躊躇なく遠坂が尋ねた。
「第三魔法の余波……だと思う。願望機に近かったから、最後の私の魔術師らしくもないみっともない願いが叶ったのかも」
「バカ。それ、別にみっともなくなんてない」
遠坂は俺と全く同じことを言って、しまった、とばかりに口を隠すけど耳まで赤くなっては隠しようが無い。イリヤもイリヤで真っ赤だったりするけど。
「まあ、いいわ。私がここに来た理由だけど。シオンから呼び出しを喰らったわ」
「シオン……?」
「アトラスの錬金術師。シオン・エルトナム・アトラシア」
ああ、あの紫髪の。
「何の用さ」
「さあ? 言ってみれば分かるんじゃない?」
遠坂が適当に受け流しているということは安全なことという証拠。
小さなことであればあるほどこの遠坂と言う少女は繊細で注意深くなるのだ。
大きいことを見逃すお茶目なところは見逃しておくことにしよう。
「で、分かったことがあるって何かしら? 学院長」
「その言い回しは的確では無いですけれど、まあいいでしょう」
遠野邸でシオンと遠坂は優雅にお茶を飲む。
うん。可愛い女の子達が優雅にお茶を飲む姿って言うのは様になる。
様になるけどその場所が地下室となるとどうなんだろうか。
「今回発生したシステムの行動予測です」
「それは今後の私達の行動に生かせるのかしら?」
「どうかは貴方達も判断してください。この情報が生かせる状況というのもまだまだありますから」
お茶請けはスタンダードにクッキー。
……美味しい。琥珀、と言う使用人さんが作ったらしいので後でお話聞いてみるのもありかと思った。
「今回のシステム。それは数多の話、噂、想念の中から自分に合ったものを取捨選択し、姿を決定すると言うものです。故にオリジナルと同一にはなりえない」
「それって……」
遠坂が息を呑んだ。
「そうです。都合のいい建物を造るのではなく、とりあえず大量に積んでおいた山から削りだすようなもの」
シオンのそんな声が浪々と事実を語り続ける。
それはつまり、例えば『槍を持った吸血鬼の女』なんて噂が完成すれば魔槍を持ったアルクェイドなんてものと戦う羽目になるのだろうか。
「なんだよ、それ」
「出鱈目じゃない」
俺と遠坂が同時に不条理に対して講義するが、そんなものを横目にシオンは無表情だ。
「どうするんですか?」
「どうもしない。どうにかして大変なモノが出来ちまう前に全て終わらせないと」
その答えに何故かシオンは複雑な顔をして顔を俯けた。
「そうですね。ともすれば666の獣の因子を内包する魔法使いが出てくることだってあり得る。この現象そのものをどうにかしなければ、吸血鬼の究極形が完成してしまうでしょう。ですが、士郎」
「なんだよ……」
「士郎。貴方はそれでいいのか?」
その質問の意味は分からない。
だけど、それはきっと衛宮士郎にとって致命的な……。
「それでいいのか、って。当たり前だろ、だって……」
みんなを守るための行動に是非も何も。
「士郎。失礼する」
そう言ってシオンは手の先っぽを軽く揺らした。
「……なるほど。貴方は知らないのか」
エーテライトという独自の手法で自分の記憶が読まれていることが分かった。
遠坂が何も言って無いところを見ると、どうも衛宮士郎という人間に対してこれは無制限に使われていいということになっているらしい。
「……イリヤスフィール」
「何?」
唐突に声をかけられてここまで一緒についてきておきながら一言も喋らなかったイリヤが口を重たそうに開いた。
「私はもう、言わない。貴方に委ねてもかまわないか?」
「……ええ。ありがとう。錬金術師ってのも意外と人間らしいのね」
イリヤは不機嫌と言うよりも具合が悪い様子でそれに返答した。
「では、私からの話は以上です」
それで話は終わりとばかりにシオンがカップを持って席を立とうとすると、
「ねぇ、ちょっと待って」
なんてイリヤが声をかけた。
「なんでしょうか?」
「夕食、こちらで食べてもよろしいかしら?」
久しぶりに見た貴族モードのイリヤ。って、いやいやいやいや。
「ダメだろ、イリヤ。幾らなんだって」
「……イリヤスフィール」
「……お願いできないかしら。久しぶりに高級な感じってモノを思い出してみたいし」
イリヤはそういうことを言う奴じゃないってよく分かってる。
だからきっとそれには深い意味があって。
「はい、分かりました。秋葉に頼んでみます。たまに人が増えるくらいは秋葉も許してくれるでしょう」
そんな深い意味をシオンは汲んでくれた。
結局夕食を一緒に食べた後、イリヤと桜をしっかり家に送ってから俺達は夜の探索に出かけた。
その日は何も無かった。