※桜(っぽい)エンドから凛が再びロンドンに向かったところで月姫が始まる。
その夏、歌月十夜が終わり、MELTY BLOODが終わる。
おおまかに言うとそんな設定です。
『死線の一』
タタリという現象があった。
噂を媒介に吸血鬼が現界するという現象。
その発生した吸血鬼を殺しても次にまたどこかで発生するだけ。
発生するものは意思を持った吸血鬼でも存在するのはただのシステム。
そしてそのシステムは一つの街で終焉を遂げた。
冬木市。
だが、その町には一つだけ秘密があった。
一つの大きな魔術装置であるという秘密。
その時消滅したはずのタタリというシステムは噂を媒体にして。
その魔術装置は願いを受け入れる装置であり。
ああ、そうそう、『噂』と『願い』って言うのはその本質は同じな分けで。
時計塔から少しばかり長めのお休みを取った遠坂が不意にどたどたと士郎の家にやってきた。
懐かしい友人であり師匠である遠坂の期間を喜びもてなそうとお茶を一杯出した後、遠坂が突然言葉を切り出した。
「は? 吸血鬼? 吸血鬼がどうしたって?」
と衛宮士郎は当然ともいえる疑問符を浮かべた。
「どうもこうもしないわ。吸血鬼が夜な夜な新都の方に出てるって話」
対する遠坂凛は少々息巻いていた。
「最近ニュースでやってるやつか?」
それがどうしたのいうのだろう。
「ああ、もうそのよく分かってないって顔が微妙に憎たらしいわね。夕食にはビーフストロガノフ作りなさい」
「いや、それはいいんだけど」
士郎は遠坂の言ってきたことが実際によく分かっていない。
吸血鬼と言えば映画に出てきて美女がキャー、という奴で、何で遠坂がそんなゴシップに噛み付いているのが理解できなかった。
「いや、何でそんな熱くなってるのさ?」
「だから、吸血鬼! 本物。血を吸う鬼!」
「……?」
「あんた、魔術師なんてやって、ペガサスなんて幻想種まで見て吸血鬼は信じられないっての?」
ようやくことの重大さに気付き始める。
つまり。
「その噂って本物なのか?」
「本物も本物。軽く裏取ったから間違いないわ。協会の代行者も一年前に送り込まれてたって言うし」
悔しそうに歯を食いしばる遠坂を見つめて士郎はなんとなく確信めいたことを考える。
きっと、正義の味方には遠坂みたいな奴こそが相応しい。俺みたいに甘くないのに、どこまでも甘い考えの遠坂みたいな奴が。きっと。
俺はそのキレイな何かを追いかけるのが精一杯。
そのことを後悔はしないし、諦められるほど賢しくないのが自分という人間なのだけれど。
「でも具体的にどうするの?」
「私たちで見つけ出して、すぐにぶっ叩く、といきたいんだけどね」
「? 実力的には大丈夫じゃないのか? 前に遠坂、自分たちは最強ね、みたいなこと言ってたし」
「ああ、うん。ほとんど、ね。何事にも例外っていうのはあるから」
そこには冷静で冷徹な魔術師としての遠坂がいる。
「まずは偵察ね。ライダーと桜にも頼んでこの近辺を回っていきましょう。戦えそうに無かったら何がなんでも逃げるからね」
まあ、この程度の慎重な作戦ではおっちょこちょいをする人間で無いことを士郎はよく知っている。
だから、まあ。
目の前に吸血鬼がいるなんてこの状況は偶然にすぎなくて。
だけどまあ。
「まずったか〜……」
なんて顔に手を当てて少々真剣に悩んでいる遠坂の様子を見るに大変まずい状況にあることは分かった。
眼前にそびえる灰色の塔の前に佇み、人を殺して恍惚の表情を浮かべるその人影は金の髪をさらり、と零してこちらを振り返った。
「あら、こんばんは」
なんてご近所付合いの延長みたいな気軽さでこちらに金色の凶った視線を向けるその人影を遠坂は睨んでいる。
まるでそれしかやることがないみたいにしばらく睨みあった後。
「人違いだと嬉しいんだけど、もしかして真祖のお姫様だったりする?」
なんて挑戦的に、そして余裕なんてひとかけらもなく遠坂は言い放つ。
対する影は至って友好的に両手を広げながらにぱり、と場違いな笑顔を浮かべ。
「ブリュンスタッドとして生を受けたわ」
といった。
俺には意味が分からなかったが隣にいる遠坂が半ば絶望しながら、腰にある宝石に手をかける。
“まあ、並みの吸血鬼なら使う必要も無いし、ちょっと強いのが来ても一個あれば逃げるぐらいはできるから”
と、豪語していた遠坂が(ついでに言うとお金にはちょっっっっっとばかり執着する遠坂が)何の迷いもなしに全弾を握り締める。
「士郎」
「なんだ?」
「私が、5……ううん、10秒はなんとか耐えてみせる。だから逃げて。そしてこの街から離れて」
遠坂はそんなことを言いやがった。
「俺も戦う」
「無理よ。あれは……ううん、説明なんていらない。あれは出会っちゃいけなかったもの。最悪27祖と鉢合わせかな、とは思ってたけど。これは予想外」
遠坂は自嘲気味に笑う。
言いたいことはよく分かる。だってこっちの様子を見て手出しもしないでにやにやと笑うその吸血鬼は、いつだってこっちを殺せると分かっているから余裕なのだ。
「いい? 多分私が突っ込めば士郎なんて魔力の薄い奴、簡単に逃がしてもらえる。そうしたらもう戻ってきちゃいけない」
これが、最後、とばかりに、ふっ、と溜息をついて遠坂は困ったような凄く優しい表情を浮かべて。
「うん、月並みだけど、桜には大好きだ、って伝えておいて。後、士郎のことも結構好きだったな、私」
一瞬言われたことを理解するために体が停止し、その隙を逃さずに遠坂は走り出す。
「―― 1番から4番まで全開放、衝撃、火炎、電撃、浄化! ――」
そんな呪文が聞こえて初めてエミヤシロウという魔術師の体は反応を始めた。
立ち止まりながらやることなんてない。
走りながら己の魔術回路の撃鉄を引く。
順番を間違えられても困る。
そんな言葉だけ残されても悲しいだけだし、何より。
「男がそういう役目をするもんだろうがっ! ―― 投影、開始!」
走りながら、頭が沸騰しながら、そんな状態で投影できるものなんて決まっている。
遠坂の放った、それ一つ一つが英霊すらも傷つけるはずの四つの違う属性の魔力の塊が影にぶつかる。
破裂音が四回。上半身ぐらいが吹き飛んだ音。本来ならそれで安心できるはず。
――だが、遠坂が油断もせずに新たな宝石を取り出そうとしているのはどういうわけか。
「ああ、痛い。特に四番目のね。頭きちゃう」
なんて煙の中から背筋を凍らせるなんて、笑えるぐらい文学的な表現を実践する声が聞こえてきた。
煙が晴れる前に遠坂が紅い宝石を二つ煙の中に投げ込む。
「5番、6番、開放、爆撃!」
その呪文が響くと同時に
「そんな、攻撃は な い 」
と、重い言葉が響き。
びしり、と何かが砕ける音だけがしてその後に響くはずの爆発音がなかった。
「――っ! 空想具現化!?」
何かが決定的にまずい。
俺は迷わずに遠坂とソイツの間に夫婦剣を投げ入れた。
がん、と鈍い音が鳴って、人でありえないスピードで吸血鬼が吹き飛んだ。
不思議な表情をしながら3メートルほど吹き飛んだ後、あっれー? とその“両腕を失ったまま”のソイツは立ち上がった。
「うん、ちょっとなめてたみたい。夜じゃなきゃ一回ぐらい死んでたかも」
とにっこり笑った後、ずりゅ、と嫌な音を立ててその両腕が生えてくる。
俺は急いで遠坂に駆け寄ってかばうように立つ。
「ちょ、バカ! なんで逃げないのよ! もう宝石残ってないのよ!?」
「分かってる。分かってるから。バカとか言うなバカ」
そう、分かってる。さっきのチャンスを逃したからこれから二人で死ぬんだってことぐらいは。
「でもな、男が残って盾になるもんなんだよ、普通」
「こ、このアンポンタン! 帰ったら殴り倒すわよっ!」
ああ、実際に帰ったら殴り倒されるんだろうけど。
「ん? 最後のお話終わった? ちなみに帰らせるつもりはないわよ?」
そう、死刑宣告が下った。
「待てよ、アルクェイド」
唐突に響き渡った声に吸血鬼はその声に振り返る。
俺たちもおもわずそっちを見てしまうと、そこには。
冷たいぐらいに死んだ碧い眼をした自分と同い年ぐらいの青年が立っていた。
「アルクェイド、どういうことだよ、これ」
と、あの化け物に対して旧知の仲のように話しかける。実際に旧知の仲なのかもしれない。
「どうもしないわよ、志貴。ただ血を吸っただけ。だって私吸血鬼だから」
にこっと、無邪気に笑うアルクェイドと呼ばれた吸血鬼に対して、志貴と呼ばれた少年はかけていた眼鏡をすっ、と外した。
そしてその怖いぐらいに死んだ、死ぬ、死ね、死の、視線を。
その死線を。
すっと細めた。
「お前、誰だ?」
そういって少年は惑い無く懐から短刀を取り出した。
何を持って戦うのかは知らないが、危険だ。
あんな化け物に敵うわけが無い。
「くっそ!」
俺は全速力で投影を開始して敵に突っ込んでいく。
ああ、もう! せめて遠坂の最後の台詞にたいしていろいろと悩むぐらいはしたかった!
なんて死を前提にして走り出した俺の方には注意も向けずにアルクェイドとやらは志貴を向かえうつつもりらしい。
その馬鹿にしてる様が悔しくて、ちょっと、吸血鬼に効きそうな武器を思い出してしまった。
「イメージは悪いんだけどなっ!」
細身のツルギのイメージ。
言葉で紡がれた剣。
邪悪なるモノの否定。
否定、なるほど、あんなものを否定することには共感する。
数多の吸血鬼を屠ったその武器の名前は。
黒鍵という。
「投影、完了!」
俺はその手に持った武器を投げつけた。
見たこともやったこともない投げ方だが、剣が教えてくれたその投げ方は、弾丸のようなスピードと破壊力でその剣をアルクェイドに打ち込む。
「残念、それはもう慣れてるの」
と、こちらも見ないでそれを片手でかるくあしらうアルクェイド。
そうしている間に志貴って奴は死に直行している。
うわあ、もう吸血鬼に効くのなんて思いつかない。
にんにく!? 心臓に杭!?
心臓に?
どくり、とすでにふさがりきった胸の傷が蠢動する。
真っ赤な。
「これまたイメージが悪い」
苦笑しながら、ばちばちと神経が焼ききれるのを覚悟でそれを投影する。
時間をかけなければならないはずのソレの投影を一瞬で終わらせるには相応の対価が必要。
例えば、ちょいとばかし衛宮士郎を構成する何かを焼ききるとか。
ぶちん、と懐かしい感触。
「投影、完了!!」
片手に現れたそれをしっかりと持つ。
アルクェイドはこっちを見てもいない。
志貴はまっすぐに突っ走ってくる。
どいつもこいつも無視しやがって。
青い死を思い出す。
すっと右手で持った槍に左手を添える。
ああ、偽者をつくるぐらいなのだから物まねだって少しはできる。
桜から少しずつ分けてもらってる魔力の貯金を全部下ろしてその真名を言うために回路に流していく。
そうして、空気が凍る瞬間に至ってようやく気付いたアルクェイドが振り返る。
だが、もう遅い!
「刺し穿つ死棘の槍“ゲイ・ボルグ”!」
もちろんオリジナル程の無茶はできない。
だけど、命中補正ぐらいならできる!
アルクェイドがとっさに片手でその槍を大きく右に弾く、だが。
――その程度の因果は逆転する――
ぐさり、と多分、アルクェイドは何も分からずに自分の右胸を貫く紅い魔槍を見つめていた。
もちろん、その程度でこの化け物は壊れないし。死にもしない。
ただの数瞬動きがとまるだけ。
こんなことでは志貴とやらも救えないのでは、と思ったときに。
「助かる」
なんて一言だけ志貴は呟いて。
首の付け根から左肩。
左肘。
右の上腕。
腹部から胸部にかけて斜めに。
右大腿部。
一瞬で五箇所を切り取り。
「アバヨ亡霊。二度と祟るな」
なんて言って、驚愕したままの吸血姫の頭に短刀を刺した。
たったそれだけで吸血鬼はばらばらに崩壊しさらさらと砂になっていく。
その行為でようやく自分の目の前に立つ人間が死神なんだって気付いた。
そいつの行為は全て殺すためにある。
自分の体が無限の剣で出来ているから気付いた。
それは殺すことのみに特化した存在。
自分すらも殺す。
ただ殺す。
その蒼い眼で。
「えっと、ありがとう、助かった」
なんて人の良い笑顔を向けられると今の自分の感想に自信をもてなくなるが。
「え、あ、うん」
なんていった瞬間に。
焼ききれた神経の後遺症なのか。
ばつん、と急速に意識が遠のいていった。
遠くで聞こえる遠坂の声。
それで思い出す。
うあ、遠坂、いくら死にそうだったからって告白しやがって。
誰だ、こんな言葉に悩むぐらいは生きたかったって言いやがったのは!?
『死線の一 第二話』
意識がまどろんでいる。
そんなふわふわとした空気の中。
夢を見た。
知りもしないものの夢を見た。
何か暖かく安心できる何かの中で、自分は目を覚ます。
金色の何かで満たされたガラス管のようなものの中で自分は外の人間の話を聞いている。
声は出ない。
代わりにぼこり、と足元から気泡が発生してそれが体を撫でていく。
「――――」
ガラス管の向こう側で誰かがにこりと微笑んだ。
ああ、そんな。
そんな、灰色の空を眺めてたあの時と同じ笑顔で。
切嗣がそこにいた。
ぼんやりと意識が覚醒してくると同時に少々テンパっている遠坂の声が聞こえてくる。
「え!? 本当!? 6千万よ? 6千万」
「その程度は管理しています。兄さんが止まらないと言うならそれ相応の安全策をとっていただきたいですから。簡単に言えば保険ですね」
「で、でも」
あの強欲、もとい抜け目のない遠坂が悩むとはどういうことだろう。」
「いいんです。私がそうしたいと言っているんですから。大体、人外の仕事は人外が担当しなければならない。テリトリーを荒らされて面白くないのは私も一緒です。まあ似非カレーは公務員ですから勝手にやるでしょうけど、ちゃんとした仕事をする人にはちゃんと給料を払わないといけません。もちろん必要経費も」
「む、聞き捨てなりませんね。神父らしくないのは認めますけどカレーに関しては真剣です」
突っ込むところそこなんだ。
「えと、じゃあこいつ、衛宮士郎って言うんだけど。こいつも労働力に入れたらいくらくれる?」
……なんでさ
と思ったので口にだしながら。起き上がってみる。
「なんで俺まで労働力に入ってるんだよ、遠坂」
痛い頭を振りながらのそり、と俺は立ち上がると一瞬思考停止した。
いや、遠坂の家でちょっとばかし高級な感じには慣れたつもりだったのだが。どうもそんなことは慣れの「な」の字にもなっていやしなかったらしい。
露骨に高価な調度品の数々に囲まれて悠然としている一人の少女と、そのお付かと思われる和服の少女。
さらに、志貴と遠坂が高そうなテーブルの周りに腰掛けていて、俺は一人でひとつのソファーを占領していた。
「目が覚めましたか?」
と、後ろの方から声が聞こえてきたのであわててそちらを向くとそこには学生服を着た眼鏡の女の人が柔らかい笑みを浮かべていた。
「えっと、その、すまん遠坂。状況がわからない」
「そうでしょうね」
と遠坂はさらりと言って紅茶を一口。
「落ち着いて飲んでみるとおいしいですね」
「ええ、それはもう。私の趣味の一つですから」
とお嬢様風の少女が言うと、後ろでお付の女の子がくすくすと笑う。
「ちょっと、琥珀。何が面白いのかしら」
「いえいえ、秋葉様。ええ、なんというか。面白いと言うよりは心温まってしまって。ねえ、志貴さん?」
「え? ああ、そうだな。秋葉」
と志貴は突然話を振られて焦ってそんな回答をする。
秋葉と呼ばれた少女はかあっ、と顔を赤くしておほん、とわざとらしい咳払いをした。
「はあ、兄さんは琥珀に踊らされすぎです。もう少し落ち着いたらいかがですか」
「落ち着くも何も。秋葉だって手玉にされてるだろ。しょっちゅう」
琥珀と呼ばれた女の子はくすくす、と笑っているがああ、その表情には見覚えがあるぞ。あかいあくまと一緒だ。
急激に秋葉の周りの空気が文学的でなく物理的に冷えていき、
「ええ、そういう態度をとりますか兄さん。後で覚えてなさいこんちくしょう」
なんて顔と態度に似合わないことを言った後にこっちに向き直る。
志貴がなんか表情を強張らせてがくがくと震え始めたのは見えなかったことにする。
「えっと、秋葉さん、だっけ。俺は」
「衛宮士郎さんですね。よろしく」
「あ、うん。よろしく」
と、いつのまに現れたのかメイド服姿の少女が俺の前にお茶をすっと差し出した。
ありがとう、と言おうと思った瞬間にくるっと少女は反転して台所に戻っていってしまう。
「ああ、そうだ。状況。詳しくなくてもいいからここはどこで自分はどこにあるか教えてはくれないか?」
「哲学的な質問は嫌いではないですけれど。簡潔に申しますとここはそこの遠坂さんの家から少し歩いた程度の場所です。山の上のお屋敷と言えばわかりやすいでしょうか?」
ああ、ってあそこ人が住んでたのか。初めて知った。
「で、なんで?」
「俺の家だからですよ。助けてくれた人を助けなかったら怒られる」
と、志貴が追加に簡潔な説明をしてくれる。
「えっと、じゃあとりあえずありがとうって言ったらいいのかな?」
「お礼は先輩に。俺は何もやってないんですから」
そう言う志貴の視線の先を見ると先ほどの眼鏡の人がにこっと微笑む。
「シエルです」
「ああ、ありがとうございます。シエルさん」
「で、大体状況は把握した?」
そこで遠坂が話しに割り込んでくる。
「大体は」
「じゃあ補足トリビア。この遠野秋葉さんが私たちのことをバックアップしてくれるんですって。だから士郎がんばって働いてね」
にっこりと微笑む真紅の悪魔。
「……へぇ〜」
ああ、さっきの会話はそんな流れだったのか。で、だからなんでさ。
「働くって何を。非常に納得できないんだけど」
「別に、そこの志貴と一緒に私たちも同行すればいいだけ。一人よりは安心でしょってこと」
「……そんなことで6000万とかそんな話になるのか?」
「なるでしょ? 貴方は自分の価値ってもんをもう少し分かりなさい」
さらりと言ってのけて遠坂は件の秋葉嬢に向き直る。
「で、秋葉。今回の敵はなんであるかは分かってるの?」
「それについては兄さんの方が詳しいはずです」
志貴は頷いて口を開いた。
「今回の敵はタタリって言いいます。人々の悪い噂の具現化。詳しい話はよく分からないけど、“一番良くない噂"を姿に変えて世界に誕生する吸血鬼です」
なんだそりゃ、と言う俺の表情とは裏腹にげげっ、なんて女の子にあるまじき呻き声をあげて遠坂は顔を押さえている。
「遠坂?」
「あちゃー、まさか本気で27祖にぶちあたるなんて。ちょっとばかりあきれてものも言えないわ」
はぁ、と俺の分からないため息をついているが俺としてはなんかいまいちよく分かっていない。
「結局どんなことになるんだ? それ?」
「ああ、それは……みた方が早いと思うんですけど。ちょっと待ってください」
と志貴が懐から携帯電話を取り出してぷるるるる、と電話をかけ始めた。
「……あ、もしもし、アルクェイド? ああ、俺だけど。うん、今からこれる?」
“これるよー”
なんて、さっきまで死の具現として存在した奴の声が窓の方から聞こえるのはいかなるマジックか。
「窓から入るな、って何回言ったら分かるんですかこのアーパー」
「う〜、靴の裏の泥は取るようにしたよ?」
「窓から、入るな、と言ったんです!」」
普通に会話するその様は先ほどのアレとはずいぶんと様子が異なる。
「……うわ」
と、遠坂も遠坂でショックを受けているご様子。
「あー、分かってくれますか? 士郎さん。これが本物のアルクェイド。先ほどのが噂の具現としての、つまり『タタリ』のアルクェイドです」
よく知っているはずの知人が敵にもなりえるということ。なるほどそれは。
「えげつない……」
「む、初登場なキャラが二人もいるけど。またこの家人が増えるの?」
「違います。ただの客人です」
「客人といいつつ地下に住み続けてる奴までいるじゃない」
「否定はしませんが、悪印象を持たれる表現を使われるのは遺憾です」
唐突に響いた声に視線を向けると紫色の髪をした少女がそこに立っていた。
「それと、志貴。なるほどこの現象は確かにタタリに似ている。しかしタタリそのものである可能性は限りなく0に近い」
「だって、あそこまで一緒で……」
「ええ、確かに。ほとんど一緒でしょう。それはそうです。システムそのものはタタリと酷似している。しかしワラキアの夜と呼ばれたシトはもういない」
紫髪の少女は隣よろしいですか、と一声たずねた後に俺の隣に座る。
「とりあえず自己紹介しましょう。私の名前はシオン・エルトナム・アトラシア。アトラスの錬金術師です」
「アトラシアって……うそ……」
なんかさっきから遠坂が目を白黒させっぱなしなのだが、少しでいいからその知識を分けてほしい。分けてくれないと思考がついていけない。
「アトラシアってなにさ」
「錬金術師って知ってるでしょ? そのトップ」
……聞きかじった程度だけど確かすごく大きな組織じゃなかっただろうか。それは。
「エミヤシロウ。悪いとは思いましたが。貴方の気絶中に貴方の持っている知識を引き出させてもらいました」
しゃらん、とシオンの手首にまかれた金の腕輪が音を立てる。
「それらの情報から推察される結論をいいましょう。今回の吸血鬼は噂、と言う願いが叶えられ、この世界に存在する。そう言った現象です。本来ならそんなことは不可能でしょう。なぜならそれはほとんど第三魔法に近くなる。だが、このシステムとこの街と言う条件が重なった今なら可能です。貴方達にはこの意味が分かるはずですが」
俺と遠坂を見つめる紫の瞳が深く光った気がした。
願いが叶う。
その聞き覚えのある単語に思わず俺と遠坂の声が重なった。
「聖杯……」
「ええ、そのとおり。ただタタリと違うことはただ一つ。今回の吸血鬼は消えない。殺さない限り消えない。一定量のダメージを与えることでは消滅しない」
「なんでそこまでわかんですか」
当然の疑問を口に出してみる。
「タタリの特性についてはよく知っています。だからタタリではないとほぼ確信できる。しかし類似したシステムであることは間違いない。その結果から推測される現象は6通り、ですがこの街の特性を知った今なら確信できます。この現象は噂から実体を作り出すシステム」
むむむ、つまりその吸血鬼は……。
「何かとして生まれたがっている?」
「ええ、そうです士郎。志貴よりも飲み込みが早くて私はうれしい」
くすり、とシオンが笑うと志貴が、むっと困った表情をする。
なぜだろう、異様に親近感が沸いてくるのは。
「あ〜、なんかいろいろありすぎていろいろ頭混乱してきたけど。とりあえず協力体制ってことで、今日は帰っていいかな?」
「ええ、そうですね凛。明日にでもしっかりと作戦を立てましょう。夜な夜な外へ飛び出す不良長男のためにも、ね」
「うっ、秋葉。そんなこといってもな……」
秋葉は聞く耳もちません、と言った感じでつーんと顔をそらしている。
「とりあえず、ありがとう、さようなら。ほら、早く席を立って士郎」
「うわっ、そんな急いでもどうにもならないだろ、遠坂」
ひっばられながら俺は最後に志貴に手を振った。
志貴も俺に手を振った。
二人の背中を見送りながらシエルはゆっくりと口を開く。
「で、だいじょうぶなんですか?」
「何がですか?」
「信用して」
試すような視線に秋葉はさらり、と黒く長い髪を綺麗に後ろにかきあげる。
「抜かりはないです。シオン、大丈夫なんでしょう?」
「はい。秋葉。士郎という人間は少なくともいい人間です。士郎の知る遠坂凛と言う少女も間違いなく」
「エーテライトですか。なるほど、便利ですね」
「代行者と琥珀にだけは教えてはいけないと志貴から念を押されているので教えることはできません」
と、シエル先輩と琥珀さんがにっこりとめちゃくちゃ怖い笑顔でこっちを睨んできた。
負けないぞ! 自分の平穏のためにも!
「あー二人とも黒いもんねー」
やめてくれ、アルクェイド、喧嘩ふっかけるのは。
シエル先輩はそっちいくけど琥珀さんはなんでもかんでも俺にぶつけるんだぞ? 怖いんだぞ? 地味に。
「ええ、いい度胸ですアーパー。死にさらしてください」
「ふん、シエルもいい啖呵覚えてきたわね。いいわよ。志貴とデートしたかったけどちょっとだけ遊んであげる」
もう少しそこそこ仲良しできないものだろうか、この人たちは。
「志貴、私は部屋に戻って寝ていますが。鍵は開いていますので」
用があるなら勝手に入って済ませていいですよ、と深い意味は無く言ってるんだろうけど。
いや、それは俺はわかるよ?
シオンが微妙に説明下手なことぐらい。
でも、この状況で言うと空気が、空気があああああああっ!!
どん、と爆発音に士郎と凛がびっくりして屋敷にかけもどった話は番外となる。
『死線の一 第三話』
自分の形だけは初めから決まっていた。
それは一番初めの私だ。
だけど自分たちを創ったヒト達は自分を決定付ける因子を持っていなかった。
だから、外からその魔術師を呼んだのだ。
何年もかけて造られた意思と魔術回路の形。
それらを完全に決定するためにやってきた魔術師の名前を と言った。
だから、そのガラス管の中で見たものはそんな魔術師の笑顔。
ただ、自分と言う存在が在ることを祝福してくれた何物にも代えられぬ輝くもの。
その笑顔だけを覚えていた。
最初に見た笑顔を覚えていた。
例えそこから先、ただの一度もその顔を見れなかったとしても。
悲しい生き方だったけど、少女にはそれしかなかった。
目を閉じれば、ほら。
ほら。
もう霞んでしまってろくに見えやしない笑顔が。
だから、少女の願いなんて単純。
手足を切り取って。人形にして。
絶対に自分の前から逃げないようにして。
ただ、その笑顔をずっと眺めていたかった、ってこと。
ああ、なんて当たり前で、実は小さな願い。
バカ、そんなことは言えばよかったんだ、と俺は思って。
赤い瞳を持って生まれてきた少女のことを思い出して。
眼を覚ました自分の頬が当たり前みたいに濡れていることに気付いた。
一晩明けて、遠坂からみっちりと吸血鬼についてレクチャーされた俺はようやく自分のおかれた状況ってものはを理解し始めた。
真祖と呼ばれる、用は人間じゃないもの。英霊すらも手玉にとれるその化け物の中でも最強といわれた白い月姫。それが昨日であったアルクェイド・ブリュンスタッドだった。
話を聞けば聞くほどなんで自分が生き残っているかの理由が分からない。
「まあ、運が良かったのよ」
とあっけらかんと言う遠坂も自分のその台詞にどことなく納得できていないようだ。
「結局今夜から志貴ってのの手伝いするのか?」
「そうね、その通り。それが一番効率よく敵を退治できるんだから。なんだか知らないけど偽者とは言え真祖の姫君を一撃で殺す概念武装を持ってるんだから」
そういって遠坂はふぅ、とばかりに昨日のビーフストロガノフの残りを平らげた。
「ねえ、士郎。ここにいると体重が増えて時計塔に行くと体重が減るの。なんでかしら」
それについてはセイバーから聞いたことのある台詞で明確に答えよう。
「向こうの料理は雑だからじゃないのか?」
そんな下らない会話を終えて暇をつぶした俺たちは、夕食を食べて藤ねぇに見送られ遠野邸へ向かう。
「で、遠野ってのはどんな家柄なんだ? どうも魔術師とは違うけどまっとうじゃないように見える」
人間的にと言うよりもヒトという種として、まっとうじゃない。
「うん、その表現は至って的確ね。人外の寄せ集めグループのそのトップ集団。いくら極東とは言っても侮れる力ではないし、魔術師の管轄外。何より、この街で私の腹の立つようなことをした記憶は無いわ。だから私は気にもしない」
「じゃあ、いい人達なのか?」
「どうかしら。志貴ってのは貴方と同類だと思うけど」
どういう意味だよ、と言おうと口を開きかけた瞬間、たどり着いた遠野邸を見て開いた口がふさがらない。
「いや、参った。さすがにアインツベルンの別荘のお城見たときもびっくりしたけど、こんなものが未だに日本に残ってることにもびっくりだ」
なんだろう、日本の経済って美味しいところにはしっかりたまってるんだなぁ。
「まあ、そうよね。こんなところにいるからあんなお金をぽんぽこ出せるのよね。う〜ん、もう少し交渉の余地あり、か」
「遠坂。ヒトとしてどうかと思うぞ。それは」
「う、悪かったわね」
少々ばつが悪そうにしながら遠坂は呼び鈴を鳴らした。
しばらくすると、この前のメイド服の少女がやってきて俺たちを館の中に案内してくれる。
出迎えてくれた秋葉嬢はやっぱり凛としたお嬢様で。
「ゆっくりしてください。兄さんも流石にここまでお膳立てしておいたものを省みないで一人で行くことはないでしょうから」
と志貴との仲良しぶりをアピールしながら悠然と佇んでいた。
そんな秋葉とともに志貴を待って待ちに繰り出したのが午後九時。
十二時には帰ってきてください、と門限を決められた志貴は苦笑しながらもそれを守るらしい。
そんな警戒初めて一日目。
昨日の今日でありえないだろう、と思っていた矢先にそいつは現れた。
『死線の一 第四話』
「■〜〜〜〜〜〜〜〜ぅっっっ!!」
声にならない叫びを上げて、五人の不良を血祭りに上げた巨大の筋肉の塊がこちらをゆっくりと振り返る。
「なんでさ……」
「昨日の説明が概ね正しかったってことでしょ?」
凛は冷や汗をかきながら眼前の敵を見つめる。
純粋な筋肉の塊。
ただの戦闘のための肉体。
剣を振り回すだけで台風の中心よりも尚激しい嵐と破壊を振りまく。
「■■■〜〜〜〜〜〜〜っっ!」
もう一度だけそいつは雄叫びをあげた。
「士郎さん、あいつはやばいんですか?」
「やばいよ、そりゃ。普通の攻撃なんて聞かないうえに12回殺さないと倒せない」
「なるほど、でも士郎さん。それは俺にとっては結構楽なことかもしれません」
とちょっと強気に笑って志貴はバーサーカーに、ヘラクレスと呼ばれた英雄に走っていった。
「士郎! 私は今回本気でサポートに回るけど、無茶しちゃダメよ?」
「わかってる。俺だって、あいつをもう一回ぐらい殺してみせる!」
そうして俺も志貴の後ろを追いかけていった。
バーサーカーの一撃は狂った圧搾機の様。
幾十と打ち出されるその全てが致命的。
――じゃあ、そんな暴風圏の中心で蜘蛛みたいに攻撃を避け続ける少年は何者か――
左からの上半身を容易に爆ぜ飛ばすことの出来る一撃を地面に手をついてかわし、
右斜め上から叩きつけるような力任せの斬撃を嘘みたいな姿勢からの跳躍で距離をとる。
その戦いに、人でありながらサーヴァントと同列の戦いに持っていく志貴の技量に少々見とれてしまう。
「なんなのよ、あれ。七夜じゃあるまいし……」
「七夜?」
遠坂の呟きの中に新出単語を発見して思わず尋ねてしまった。
「伝説の退魔集団よ。血統を極めて濃くすることによって得られた超能力と、極限まで鍛えた己の肉体を使って人外と渡り合ってきた奴ら」
「人外って、あんなのとか?」
「あんなのは規格外でしょうけど。でも、魔術師でも人外でもないのにあんなのと戦えるのなんてそっちの方が規格外ね。あっきれた」
はぁ、といいながらも遠坂は右手にアゾット剣を握ってサポートするタイミングを常に計っている。
俺も黙っているわけには行くまい。
大体、ちょっとばかしこの衛宮士郎よりも余裕そうに見えてたからって平気なわけが無いんだ。
あの攻撃は一撃一撃が致死で、かすっただけで重症を負ってしまうなんて、そんな馬鹿みたいなやつだ。
だからその中心にいるってことは常に神経と体力をすり減らしている。
たとえ志貴が必殺の一撃を持っていたとしてもそれを放つ余裕が無いのでは意味が無い。
だからその隙を作るというのが今回の俺と遠坂の役目のはず。
隙を作るために投影しなければいけない剣。
それはなんだろうか。
バーサーカーを一度でも殺せるような武器じゃないときっとそれは成立しない。
思い出せ。
あの聖杯を巡る戦争でバーサーカーを傷つけることができるような武器をどのくらい見た。
見たことが無いなら想像しろ。
創造しろ。
想造しろ。
剣を。
――どくん、と体の中で何かが脈を打った――
そうだ、俺は知っている。
あんな化け物と戦えた剣を。
思い浮かべるのは簡単。
そう、とても簡単だ。
金色に輝いていても、黒く染まっていても。それはどこまでも綺麗で。
何よりエミヤシロウという魂に一番しっくりと形が当てはまる。
「――投影、完了!」
出来上がった剣を見て苦笑する。
途中であの金髪の少女の笑顔なんて思い出したせいか。
自分でも確かに分かるほどに不完全。
だが、それでちょうどいいのかもしれない。
街中で使えるような剣ではない。
タイミングを計ってもどうにもならない台風の中心に自ら飛び込んでいく。
一撃でも喰らったら助からない。
だけど一撃でも食らわせればこっちだって殺せるのだ。
「■〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
雄たけびとともにこちらに蹴りを繰り出す。
もらえば内臓の悉くが破裂するだろうそれを、本当に紙一重で回避して俺は手に持った不安定な剣でバーサーカーを切りつける。光が薄く漏れ出して、奴の内部に致命的なダメージを与える。
「一回!!」
一瞬動きの止まったバーサーカー。
それは本当に一瞬で、なんとか俺が崩れかけた体勢を整えたぐらい。
その一瞬で志貴が
一閃、切り上げ。
一突、喉を。
一閃、なぎ払い。
一閃、袈裟切り。
一突、胸。
一閃、下から。
総計で六つの死を叩き込んだ。
「■■〜〜〜っっ!!」
爆音を響かせながらも筋肉の塊は動きをとめなかった。
「くっそ、この、往生際が悪すぎだっての!」
もう一度背中を切りつけて八つ目の死を繰り出したところで剣は砕け散った。
志貴がとっさに俺に蹴りをいれて、吹き飛ばす。
ワンテンポ遅れて真上から叩き潰すだけの無骨な攻撃が俺の元いた場所に落ちていった。
が、そこまで。
わかってしまった。
志貴も俺も体勢を崩していて、遠坂もこのタイミングじゃ何もできない。
だけど、志貴は迷いも無く恐怖も無くまっすぐに死線をバーサーカーに向けていた。
「モノを殺すってことを目に焼き付けろ!」
崩れた姿勢から志貴は地面に短刀を突き刺す。
がこん、と音がしてバーサーカーの足場が壊れて崩れた。
が、それも一瞬だ。
あのバーサーカーがその程度で目測を誤るはずがないし、ひるむこともない。
流石にそれには驚いた表情の志貴。
そしてバーサーカーの横薙ぎの一撃は志貴の体に襲い掛かっていき……。
「こうなることは予測済みでした」
って台詞が真っ白になった頭に響いたあと、志貴の体が釣竿に引っかかったみたいに面白い軌道を見せて飛んでいく。
飛んでいった先にはアトラスの錬金術師。
「ソイツが混乱し終わるまで後一秒。貴方も早く回避行動に移りなさい」
淡々と事実を述べる様は出会ったばかりのセイバーを髣髴とさせた。
まあ、そんな感傷に浸るよりも先にその言葉に従うべきだってのは分かったのでまよわずに数メートル後ずさる。
「正直に言って私ではソイツの相手は出来ませんし、志貴も無理な動きをし続けたせいでしばらく戦えません」
「シオン、俺は……!」
「黙ってください。志貴。貴方の体のことは貴方以外の人の方がよく知っている」
そういってシオンは志貴を担ぎ上げるなんて、その細い腕に似合わないことをやりながら最後通知とばかりにこっちに声をかけた。
「残りはまかせました。貴方たちなら約17.8%の確立で勝てます、アトラスの錬金術師が言うのだから間違いはない」
「そういう時は水増しして約20%って言っておきなさいっ! 馬鹿!」
遠坂、そんなこと言ってる場合じゃない。
と、バーサーカーの攻撃をとっさに投影した夫婦剣で防ぎながら心の中で突っ込む。
「む、馬鹿とは聞き捨てなりません、遠坂凛。今は時間が惜しいですが後で存分に説き伏せましょう」
なんて、なぜか笑顔でいいながらシオンはとっとと去って行く。
なんとなく、本当になんとなくなんだけど。
重低音の一撃を受け流しながら俺は思う。
昔は素直ないい子だったんだろうなー。うん。志貴。周りにあくまがいると大変だな。
「で、遠坂!」
「なによっ!」
「どうすりゃいいんだ!」
よけるので精一杯だぞ、これ。
「どうもこうも……ないわよっ!!」
たん、とさっきからこそこそとこの広場の周りを一周してた遠坂が地面に最後の魔方陣を書き終える。
「ふん、ライダー仕込みの特別製なんだからね!」
と言いながら空中で印を高速で切る。
と、バーサーカーの一撃。
片方の剣が弾かれる。
もう駄目だ。後一撃が限界!
「――祖は黒海、満ちる月
祖は磔台、満ちる海
硬く硬くただ硬く
強く強くただ強く
繋がれた腕は動かず
縛られた脚は微塵の自由もなし
終わりゆく刻限は紅く
止まれ留まれ停まれ
鳥の啼き声終わるまで
汝、海を眺めよ ――!」
大魔法“テンカウント”!?
遠坂の歌った声に反応するかのように広場の周囲に六つの光が発生する。
左手に残っていた最後の剣が弾かれる、次の一撃が来たら終わり……!
「――拘束封印・監獄神殿“バインダー・ネプチューン”!!」
呪文の完成を告げるその声と同時にバーサーカーは四方八方から鎖に取り囲まれる。
「今のうちに士郎! あんまり長くはもたないわ!」
ぎりぎりと音を立てる鎖で我に返る。
なるほど。確かにこれは。もちそうもない。
後四回を一瞬で殺しきる武器。
殺すことのスペシャリストの志貴はここにいない。
だったら自分が殺すのみ。
だがどうやって?
自分に出来るのは剣を作ることのみだ。
そう、だったら、殺せる剣を。
その想像理念はただ殺すこと。殺せるための構造で、殺せるためのモノを使っている。
殺すためだけに使われ、ただ殺すという年月を重ねる。
惑うな。そう。
それは、いかなるものをも殺せる剣。
「が、ああああああああっ!」
回路がばちばちと焼けて行く。
ほとんど形はつかめている。
だが正確な形にならない。
なんでだ。何が足りない。
ぎりぎり投影できた剣は無骨な鋼で出来た剣だった。
「■〜〜〜〜〜〜っ!」
ぶちん、と鎖が一本切れる。残った鎖は後4本。
「くっそ!」
とりあえずその持っている剣でバーサーカーに切りかかる。
だが、その一撃はバーサーカーの中から何かを奪っただけだ。
目に見えて動きが弱弱しくなったが、それだけでは足りない。第一これは俺の想造した剣ではない。
だって、そうだろ。これは、殺せてない。切ったらそいつを生かさない剣だが、切ったそいつを殺す剣ではない。
――そんなまがい物は放棄――!
一から想い、造り直せ。
その想像理念はただ殺すこと。
殺せるための構造で、殺せるためのモノを使っている。
殺すためだけに使われ、ただ殺すという年月を重ねる。
それは、いかなるものをも殺せる剣。
そのすべては一つに繋がっている。なら、そこに問題があるとするなら……。
俺の持っている殺すの概念と実際の殺す概念のずれ。
“モノを殺すってことを目に焼き付けろ!”
と言ったのは殺しのスペシャリストじゃなかったのか。
その言葉と同時にバーサーカーの足元の煉瓦すらも殺し、打ち砕いた。
……ああ、なるほど。
全てが一本につながり自分の心の中に眠っていた全ての剣を遡って行く。
ばちり、と魔力回路を焼き切る魔力量が流れて、同時にソコに『辿り着く』
唐突に手に感じる重み。ああ、これの名前は決まっている。
「――死線の一“ワンオーヴァーキル”――!!」
全てが終わる時へと強制的に連れて行く死神の剣。
武器と言うものの原点であり到達点。
現界させられる時間はおそらく十秒ともたない。
「それで十分だろうが!」
都合四度。
それをとりまく遠坂の魔力の結晶であり、英霊すらも繋ぎとめる大魔術の鎖すら容易く『殺し』切ってその剣は消滅した。
「なるほど、これがモノを殺すってことか」
だとしたら、ああ。
なんて哀しいぐらい怖い世界を歩いているのだろう、あの志貴と言う奴は。
『死線の一 第五話』
戦いの術を教えられた。
戦いの為に鍛えられた。
戦いの度に血反吐を吐いた。
戦いの為の鍛錬を重ねた。
戦いの為の修練を積んだ。
戦いの為に走り続けた。
ただ、戦って、戦って、戦って。
戦って、戦って、戦って。
最後に器になるために育てられた。
戦いに負けて帰ると透明な視線が待っている。
「さあ、もう一度挑みなさい、 」
「今度は成功させるんだ、 」
長い長い年月で感情が磨耗してしまったのか、それともこの寒い寒い冬の大地に心まで凍ったのか。
ある意味とても純粋な視線が私に次の指示を与える。
「さあ、もう一度」
「今度こそ」
それは彼らが抱いてきた願いだ。
戦うことは好き?
ダイスキと答えなければならない。
戦うことは好き?
キライと言ってはならない。
戦うことは好き?
ダイスキであるのならどんなに楽なんだろう。
戦うことは好き?
キライだと思わないほうがいいのだろう。
戦うことは好き?
ダイスキだ。……きっと。
戦うことは好き?
キライなわけがない。……多分。
戦うことは好き?
戦うことはダイスキ。
“戦わないで済めばいいのにな、 "
その言葉は。
ああ、その言葉は。
私ですら覚えていない言葉だ。
戦うために磨耗させられた記憶の一番初めにはそれがあった。
あの笑顔と一緒にそれがあった。
だから。
だから、もう一度、その笑顔で否定してほしかったのかもしれない。
そして、否定されてしまえば、もう、私の願いは全て叶ってしまう。
だから、私、 ・ ・ の生涯において。思い残すことなんて。
interlude
同時刻。
アルクェイドは黙っていても消すことの出来ない間違いようもない死徒の気配をたどって新都の公園へと来ていた。
見上げれば月光。
その月をバックに鼻歌を歌う影が少し高いところの手すりに座っている。
その黒いドレスの少女は軽くこちらに微笑みかけてきた。
アルクェイドはその愛らしい少女の笑みを、凄惨な微笑で返す。
「……へぇ、私の意識から取り込むんだ」
くすくす、と少女は笑うと、手すりからとん、と地面に立ちスカートの両裾をもちあげてぺこり、とお辞儀をした。
「お久しぶりです、アルクェイド……なんてね」
少しおどけた表情でアルクェイドに視線を向ける少女。
それが悪魔そのものだと言う事に疑念を抱く必要はない。
「ええ、久しぶりアルトルージュ『姉さん』。出来ればあまり会いたくなかったんだけど」
「そう? 私は結構楽しみだったかも」
と言った後、少女は殺気を出し続けるアルクェイドを尻目に鼻歌を再開した。
「で、どういうつもり?」
「どういうつもりって?」
「言葉の通りよ。流石に血を吸って回るって言うなら戦わなくちゃいけないし。それってお互いにあまり面白いことじゃないでしょ?」
「え? もしかして私が血を吸うかって心配してるの?」
本気で驚いた顔をする少女の顔は見る人が見れば、確かにアルクェイドの姉妹というだけのことはあると思ったはずだ。
「今この街で虐殺を続けているのが貴方じゃなければ何?」
ああ、と合点が言った様に黒い少女は手を腰に当てた。
「それは、あくまでも別件。私がここにいる現象とはまた別ね」
「……どういうこと?」
「どうもこうも無いわ。今この街には二つのプログラムが混ざり合いながら同時進行しているの。一つは私、もう一つはアイツ」
にやにや、と笑うその姿に違和感を感じる。
アルクェイドが殺気よりも強く疑念を感じ始めた頃。
「ふぅ、ぴりぴりされると月を愛でることもできないじゃない。優雅じゃないわね」
なんとなく、本当になんとなくなのだ。
アルクェイドは少々磨耗しかけた記憶から取り出したアルトルージュの姿を思い出す。
「……あなた、誰?」
と、黒の少女はくすくすと笑い始め、最後におなかを抱えて笑い出した。
「うん、そう。私は貴方の知るアルトルージュに似たモノ」
「あっそう。で、その偽者はどうしたいの?」
「うん、どうもしないわ。この体じゃ変質できないから」
少女は指を一本立ててくるくると回し始める。
「この体は強すぎる。変質するにはこの体がこの体であることに対してのエネルギーが大きいっていうのかな? 分かるかしら?」
そういいながらも分からせるつもりはあまり無いらしい。
「だから私は今夜は月を愛でるだけ。だって、どうせたった一夜しか在れないのなら、優雅に生きることが貴族の嗜みではなくて?」
ふふふ、と本当に優雅に笑いながら黒い少女は真上を見つめ続ける。
「信じたくないけど、信じるわ。どうせ、今の私じゃ戦いにもならないだろうし」
「賢明ね。そしてありがとう。ゆっくり月を眺めるのを邪魔されるのは好きじゃないから」
白の姫と黒の姫の久方ぶりの邂逅はそれで終わり。
そして思い出したように白は後ろを振り返る。
「ああ、アルトルージュ」
「何かしら?」
「私はどう見える?」
黒は眼を細めて悪魔のような微笑みを浮かべる。
「ええ、とても最悪」
白はそれを聞いてにっこりと笑う。
「ありがとう」
その晩から、月を眺める少女の噂が冬木市に広がっていった。
interlude out
『死線の一 第五話』
戦いの術を教えられた。
戦いの為に鍛えられた。
戦いの度に血反吐を吐いた。
戦いの為の鍛錬を重ねた。
戦いの為の修練を積んだ。
戦いの為に走り続けた。
ただ、戦って、戦って、戦って。
戦って、戦って、戦って。
最後に器になるために育てられた。
戦いに負けて帰ると透明な視線が待っている。
「さあ、もう一度挑みなさい、 」
「今度は成功させるんだ、 」
長い長い年月で感情が磨耗してしまったのか、それともこの寒い寒い冬の大地に心まで凍ったのか。
ある意味とても純粋な視線が私に次の指示を与える。
「さあ、もう一度」
「今度こそ」
それは彼らが抱いてきた願いだ。
戦うことは好き?
ダイスキと答えなければならない。
戦うことは好き?
キライと言ってはならない。
戦うことは好き?
ダイスキであるのならどんなに楽なんだろう。
戦うことは好き?
キライだと思わないほうがいいのだろう。
戦うことは好き?
ダイスキだ。……きっと。
戦うことは好き?
キライなわけがない。……多分。
戦うことは好き?
戦うことはダイスキ。
“戦わないで済めばいいのにな、 "
その言葉は。
ああ、その言葉は。
私ですら覚えていない言葉だ。
戦うために磨耗させられた記憶の一番初めにはそれがあった。
あの笑顔と一緒にそれがあった。
だから。
だから、もう一度、その笑顔で否定してほしかったのかもしれない。
そして、否定されてしまえば、もう、私の願いは全て叶ってしまう。
だから、私、 ・ ・ の生涯において。思い残すことなんて。
interlude
同時刻。
アルクェイドは黙っていても消すことの出来ない間違いようもない死徒の気配をたどって新都の公園へと来ていた。
見上げれば月光。
その月をバックに鼻歌を歌う影が少し高いところの手すりに座っている。
その黒いドレスの少女は軽くこちらに微笑みかけてきた。
アルクェイドはその愛らしい少女の笑みを、凄惨な微笑で返す。
「……へぇ、私の意識から取り込むんだ」
くすくす、と少女は笑うと、手すりからとん、と地面に立ちスカートの両裾をもちあげてぺこり、とお辞儀をした。
「お久しぶりです、アルクェイド……なんてね」
少しおどけた表情でアルクェイドに視線を向ける少女。
それが悪魔そのものだと言う事に疑念を抱く必要はない。
「ええ、久しぶりアルトルージュ『姉さん』。出来ればあまり会いたくなかったんだけど」
「そう? 私は結構楽しみだったかも」
と言った後、少女は殺気を出し続けるアルクェイドを尻目に鼻歌を再開した。
「で、どういうつもり?」
「どういうつもりって?」
「言葉の通りよ。流石に血を吸って回るって言うなら戦わなくちゃいけないし。それってお互いにあまり面白いことじゃないでしょ?」
「え? もしかして私が血を吸うかって心配してるの?」
本気で驚いた顔をする少女の顔は見る人が見れば、確かにアルクェイドの姉妹というだけのことはあると思ったはずだ。
「今この街で虐殺を続けているのが貴方じゃなければ何?」
ああ、と合点が言った様に黒い少女は手を腰に当てた。
「それは、あくまでも別件。私がここにいる現象とはまた別ね」
「……どういうこと?」
「どうもこうも無いわ。今この街には二つのプログラムが混ざり合いながら同時進行しているの。一つは私、もう一つはアイツ」
にやにや、と笑うその姿に違和感を感じる。
アルクェイドが殺気よりも強く疑念を感じ始めた頃。
「ふぅ、ぴりぴりされると月を愛でることもできないじゃない。優雅じゃないわね」
なんとなく、本当になんとなくなのだ。
アルクェイドは少々磨耗しかけた記憶から取り出したアルトルージュの姿を思い出す。
「……あなた、誰?」
と、黒の少女はくすくすと笑い始め、最後におなかを抱えて笑い出した。
「うん、そう。私は貴方の知るアルトルージュに似たモノ」
「あっそう。で、その偽者はどうしたいの?」
「うん、どうもしないわ。この体じゃ変質できないから」
少女は指を一本立ててくるくると回し始める。
「この体は強すぎる。変質するにはこの体がこの体であることに対してのエネルギーが大きいっていうのかな? 分かるかしら?」
そういいながらも分からせるつもりはあまり無いらしい。
「だから私は今夜は月を愛でるだけ。だって、どうせたった一夜しか在れないのなら、優雅に生きることが貴族の嗜みではなくて?」
ふふふ、と本当に優雅に笑いながら黒い少女は真上を見つめ続ける。
「信じたくないけど、信じるわ。どうせ、今の私じゃ戦いにもならないだろうし」
「賢明ね。そしてありがとう。ゆっくり月を眺めるのを邪魔されるのは好きじゃないから」
白の姫と黒の姫の久方ぶりの邂逅はそれで終わり。
そして思い出したように白は後ろを振り返る。
「ああ、アルトルージュ」
「何かしら?」
「私はどう見える?」
黒は眼を細めて悪魔のような微笑みを浮かべる。
「ええ、とても最悪」
白はそれを聞いてにっこりと笑う。
「ありがとう」
その晩から、月を眺める少女の噂が冬木市に広がっていった。
interlude out
『死線の一 第七話』
夢を見た。
凄く果敢無い夢だ。
そのお話は雪の積もる荘厳で、尊大で、豪奢な城で始まる。
始まりはどこからだったのだろう、ああ、それはとてもとても昔から始まっていたのかもしれない。
だけど、マキリと遠坂とアインツベルンと言う魔術師達の願いから始まった、その儀式の話を始めるのは少々その夢の内容としては相応しくない。
そう、そのお話は、一本の試験管から始まる。
試験管に付けられたシリアルナンバーは003。ホムンクルス・ホーリーグレイル003。
試験管と言うには嘘っぱちみたいに大きかったが、それは試験管だった。
その一つの小さな閉鎖空間に魔術回路の粋を尽くした核と、それを維持するための意識が造られた。
出来上がった意識が自我を手に入れたのが18年前。
そうして、出来上がった自我と最高傑作である魔術回路を完成させるための最後の一押しとして。
その男は選ばれた。
ただ暗闇と、試験管の中を維持するためのいくつかの器具だけが光を放つ中、唐突に入り口が開き、薄明かりが射し込んだ。
「ここがアインツベルンの工房ですか」
「そうです」
入ってきた男の質問は簡潔な答えで消される。
「ここに件の聖杯がいるのかい?」
「ええ」
そんな問答をもう幾つか続けてきたのか、男ははぁ、と溜息を付いてそしてその試験管の中にあるモノに目を向けた。
それは何かの球体。
ヒトガタでさえない。
それは何かを伝えようと軽く蠢動し、そしてその動きに合わせるかのようにぼこり、と気泡が試験管の中を上がっていった。
「よろしく、イリヤスフィール。イリヤって呼んだ方がいいかな」
ともすれば嫌悪感すら誘うその肉の塊を見て、男――衛宮切嗣はにっこりと微笑んだ。
「戦わないで済めばいいのにな、イリヤ」
それは自信をも含めた全ての世界に対する、正義の味方がぼやいたただ一つの愚痴だ。
男のその行動に特別な感情をみせるでもなく、アインツベルンの魔術師は手続きを手早く済ませていた。
「キリツグ。よろしくお願いします」
「ああ、うん。よろしく」
そう。その点については間違いないのだ。
エミヤキリツグは、間違いなくイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの父親である。
そうして6年の調整の後に生まれたイリヤは毎日のような鍛錬を受けさせられていた。
魔術師らしく。
聖杯らしく。
貴族らしく。
およそ、そこに人間らしい感情を持てなくなるはずのその環境で。
イリヤはずっと一つのモノを抱えて生きていた。
生まれて初めて心から祝福してくれたあの笑顔を。
ずっと、馬鹿みたいに抱きかかえて。
それを手に入れるためには。
私の元に帰ってこなかったキリツグのようにしないためには。
その意識だけを人形に移し変えて。手足を切り取ってしまって。どこにも逃げないようにして。
それでずっと私だけにその笑顔を向けてなきゃいけない。
だってそうしないとずるい。
私だけ、そんな愛情を受け取らなかったなんて、ずるい。
と、イリヤは考えた。
ずっと考えていた。
その幻想をいともあっさりと叶えてくれたのは だ。
だから私は にしっかりとお返しをしなくてはならなかった。
サクラを助けるためにただ頑張って、頑張って、頑張った が力尽きようとしてるなら、少しでも先に生まれた私が。キリツグの娘で、 の姉である私が助けなくてはならない。
だから、後悔なんてしない。
私の求めたモノはもう胸の奥で温かく鼓動を繰り返しているし、
私を助けてくれたヒトを助けることは私にしか出来ないし、私になら出来る。
――それはシアワセだ――
だから私は迷わないのだ。
だから私は、泣かないのだ。
なんて、そいつは泣きながらずっとその感情を無いものとしてきた。
ああ、それこそ嘘だ。ずっと頑張ってきたのはイリヤだって一緒だ。だったら、なんでそこで独りで泣いているのだろう。その隣には俺がいてやるべきじゃなかったのか。
そんな辛いなら、願ったっていいんだ。
願ったって、いいだろう。
ぼろぼろと泣きながら、その少女が最後に口にしたのは、
離別でもなく。
惜別でもなく。
懺悔でもなく。
呪詛でもなく。
ただの小さな願い。
“せめてヒトのようにこのシアワセをもっと感じていたかった”
イリヤが俺の為だけの味方になってくれるのと同じように。
衛宮士郎と言う切嗣の息子の俺だって、たった一人の本当の家族の味方にならないなんてわけがない。
「だから、ほら。気にするな、バカ。イリヤは家族だ。家に戻ってくるのが当たり前だろ」
俺は夢の中の幻影に手を差し伸べる。
残酷なまでに鮮やかで、それ以上に透明な赤い瞳。
雪の結晶を一つ一つ解いて編み上げたみたいな綺麗な銀髪。
同じくらい綺麗で、そのくせやんちゃそうな肌の色。
そして子犬のように無邪気な笑顔で。
「うん。気にしない。ただいま、お兄ちゃん」
と、イリヤが俺の胸の中に飛び込んできた。
衛宮士郎の朝は早い。
早いはずなのだが、今日は遅い。
理由は昨日遠坂にこってりとしぼられたからだ。
お叱り半分、訓練半分。後半は特に楽しんでいたのが目に見えて分かったけど、それはどうかと思う。
もうしっかりと太陽が昇っていて、空は明るい。
ああ、朝ごはんの準備できてないや、と起き上がろうとして、自分の体にかかる心地よいぐらいの重圧を感じた。
「?」
さらり、と言う効果音が似合いそうな銀糸が胸の上をすべる。
なんとなくそれを撫でると、「うぅん……」なんて言う声がして重みの原因が体に擦り寄ってくる。
「なんだ、これ」
と混乱を表現する。
「すぅーすぅー」
うん、いや。可愛いと思う。
まるで夢の続きみたいに幸せな笑顔のままイリヤが俺の布団の中にいる。
ここまではいい。
ここまでは、十分に問題はあるが、それでも最大の問題点に比べればきっと小さい。
上半身を起こすと、はらり、と布団が剥がれ、大体予想していた光景が目の前に広がる。
本当にもう表現するとしたら誰も歩かない雪原。
銀の糸が朝の光を反射してきらきらと光り、抜けるような白い肌はそれでも健康的に見える。
折れてしまいそうなくらい細くて、それでいて柔らかそうな手足。
まあ簡潔に言えば。
――裸なのはいかがなものか――
魔術師としてはイリヤがここにいることこそが最大の問題であり、裸であることなど瑣末なことなのだろう。
だが、魔術使いでしかない衛宮士郎という人間にとっては、それ以上に命の危険をはらんだ展開が今後待ち受ける。
「む〜、桜が遠坂さんの家に用事があっていないから今日は士郎の朝ご飯じゃないのかー?」
遠くから俺のもっとも危惧しているモノの気配がする。
桜はいい。
桜はワンテンポ置いて怒るから弁明の余地がある。
ライダーはいい。
ライダーはいろいろともの分かりがいい。
あかいあくまはいい。
あかいあくまはそこそこ冷静である確率が高い。
でも虎はダメだ。
虎は何の迷いも無く暴発する。
しかもこっちの話聞きやしない。
「おっはよー! 士郎飯作れー!」
しかも本日徹夜明け。
なんだろう、このいきなりなバッドエンドな展開は。
ごめん切嗣。俺こんなところで死ぬかもしれない。
ふすまを勢いよく明けた藤ねぇの視線が裸で俺に抱きつくイリヤに止まる。
きっと俺自身はしっかりと服を着てるんだぞー、なんてことはきっと飢えたタイガーには見えてない。
「……」
と、停止した虎。
「う〜ん……むにゃ?」
と、起動し始めた小悪魔。
「……あ、あ、ああ」
「……あれ? タイガ? どうしたの?」
「こっちの台詞だこの悪魔っ子ーーーーーっ!! そこに直れーーーーーーっ!! 士郎も直れーーーーーーーーーーっっっ!!!!」
ご近所迷惑を考えないのは教師失格だぞー、藤ねぇー。
と結構やけっぱちになっているのはなんだろう、いろいろと同時すぎて脳みそがパンクしてるからなんだろうなー。
『死線の一 第八話』
藤ねぇの混乱はもはや極致に達している。
でも混乱すると力が上がるのはいかなるものか。RPGでこんなんが出てきたらたまったものではないだろう。きっと混乱=パーティー全滅。ああ、洒落にならないのが怖すぎてなんともいえない。
「藤ねぇ。きっと藤ねぇ、が混乱してるのは食べ物が足りないせいだ」
「そんなわけないでしょう! 私なんて朝ごはんが食べられなくていらいらしてるのにっ!!」
「藤ねぇ。会話になってない」
「うるさいっ! 士郎もそうやってすぐに人をちゃかすんだから!」
茶化してないけど、どうせまともないいわけしても聞いてくれないからどうでもいいと思う。
「タイガ。いい年したレディがそんな風に振舞ってどうするの?」
と何故かいたって冷静なままのイリヤが突っ込みを入れる。
ちなみにシーツにくるまっているのでそこまで目の毒にはならない。
「あ、悪魔っ子に言われる筋合いはっ!」
「心配してくれるただの忠告に本気で憤るのは教師としてどうかしらね」
ぐっ、とあれで中々(時々)芯の通っている藤ねぇはぐっ、と詰まる。
「大体、何がいけないの?」
「女の子と破廉恥な……」
「正しい性交渉を破廉恥とするならタイガだってこの世に生まれて無いわよ」
まった。正しいの定義云々以前にそんなことはしてないぞ。断じて。
「そ、それでも。結婚してないのに……」
「二人の間に愛があるなら問題は無いはずよ」
うん、イリヤ。そういう問題があった時にそういうことを言ってくれるなら最もだ。でも何でまっすぐにそんなことやってない、って言ってくれないんだ。
「それ以前に年齢の問題が……」
「私21歳よ。なんならパスポート見せましょうか?」
イリヤ。そのパスポート偽造だろ。
「そもそも! そんな責任も取れないのに適当な……」
「士郎は責任取ってくれるよ。何があっても。そんなことも信じられないの?」
身長は低いはずなのに見下した視線を送るイリヤに今度こそぐぅの音もでないくらいに完璧に打ち負かされた藤ねぇが黙り込む。
「そんなんだから未だにいい人の一人もできないのよ。今年でもう……」
「うわああああああああああああああん! 悪魔っ子なんか年齢詐称の罪で訴えてやるー!」
才なんだから、と言う台詞の中間部分で虎が泣きながら叫んで去っていったので聞こえなかったことにする。
「で、イリヤ。どういうことなんだよ?」
藤ねぇが泣きながら出て行ったのをしっかりと見送った後に俺は尋ねた。
「……よく、分からないって言っていいかな?」
イリヤは少しだけ不安な表情でこちらを見上げてくる。
それは理由は分かってるけどいいたくない、と言うことなのだろうか。
「出来るなら教えて欲しい。間違ってたら俺はイリヤを怒るだろうけど、何があってもこれだけは言える。俺はイリヤを裏切らない。だから信じて、言って欲しい」
イリヤは俺をじっと見つめた。
俺もその視線を受け止めた。
「シロウはシロウだね。本当に変わらないんだ」
にこっ、さびしげに微笑むとイリヤはシーツに身をくるんだまま床に座り込んだ。
「私はね、生き汚かったの。だから、最後の最後で聖杯に願っちゃった」
「うん、知ってる。そんなこと、もう知ってる」
イリヤは一瞬だけ驚いた表情をしてその後にうつむいた。
「あはは、お兄ちゃんには敵わないな」
その表情は見えない。
「ねぇ、私はここにいて……」
「イリヤ」
そんな台詞の先は言わせない。
言わせちゃいけない。
例え誰がなんといおうと、イリヤは家族なんだ。
そんなイリヤが『ここにいていいのか』なんて聞いちゃいけない。
「イリヤ、おかえり」
俺が手を差し伸べるとイリヤはシーツを跳ね飛ばして泣きながら俺の首にしがみついてきた。
「うわ!?」
思わず体勢が崩れて倒れそうになるのを必死で堪えてぽすん、と二人してしりもちをつく。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ!!」
今まで泣くなんてことは無意味だと思っていた少女。
雪の中、凍った人達相手じゃそう思ったって無理は無い。
腕の中で小さく震える小さな雪の妖精は何にそんなに怯えていたのだろうか。
「ほら、大丈夫だから」
「怖かった、痛かった、苦しかったよ、逃げたかったよ……!」
今までの自分の中にあった、形容方法すら知らぬまま封印された感情。
「イリヤは頑張ったよ……だから、ほら」
頭を撫でる。
さらさらの銀絹はふわふわで。
「ほら、泣かない」
「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ!」
そっとその細い肩を俺は抱きしめ
「……へぇ、なかなか面白い余興ね」
ようとしたところにあかいあくまの声が響いた。
まずい。まずいまずいまずいまずいまずいっ!
「待て、遠坂。話を聞け!」
「問答無用! イリヤがいくら可愛くってもまさか士郎がそこまで見境ないとは知らなかった! ええ、そりゃあそんな小さい体じゃ痛くて苦しいでしょうよっ!」
「うわっ、なんて勘違いするんだ遠坂。ここ一番で冷静さを失うのは悪い癖だぞー!」
「何がよく頑張った、よ。あなたねぇ、いくらなんでもこんな小さくて可愛い子騙すなんて」
あ、やっぱりイリヤのこと可愛いって思ってたんだ。素直じゃない奴だな。
現実逃避。それは衛宮士郎に許されたたった一つの逃げ道。
「リン……? あのー……」
「いいから、イリヤ。後で一緒にお風呂はいろう。うん、とりあえず体綺麗にしてあげるから」
うわああああ、だから。何で藤ねぇもお前も俺が服をしっかりきているという事実は無視しやがりますかー!?
「横暴だー! 弁護士を呼ぶ権利を主張するぞー!?」
「分かったわ。弁護士桜!」
「……先輩」
ふすまの陰からゆっくりと姿を現す俯き気味の少女。
さああああああ、と顔から血の気が引くのが分かった。
「さささ桜! しっかりと事情を冷静に聞いてくれるか? くれるよな!?」
「……ええ、もちろん聞きます」
良かった、やっぱり桜は
「お仕置きした後も同じこと言えるか興味がありますから」
きりんぐふぃーるどだった。
「どわああああ!? 待て待て待て、二人とも本気で待て。死ぬ! 死んでしまう!?」
「ちょっと、シロウはただ私を優しく抱いてくれただけで……!」
うん。その発言は日本語としては間違ってない。
でもね、含みとかそう言った勉強もして欲しかったな。おにいちゃんとしては。
無音で俯きながら俺を追い回す桜と、イリヤを抱きしめながらガンドを打ち続ける遠坂が冷静にコトの後が無いということに気付くまでおよそ三十分近いマラソンを中庭ですることになった。
遠坂が家に戻ってイリヤのための服を持ってきて、それを着せ替える頃にはもう1時を過ぎており、じゃあ昼食にでもしようか、と言う事になった。
で、昼食が終わって開口一番に
「イリヤ。何でこんなところにいるのかしら?」
何て最大の疑問点を躊躇なく遠坂が尋ねた。
「第三魔法の余波……だと思う。願望機に近かったから、最後の私の魔術師らしくもないみっともない願いが叶ったのかも」
「バカ。それ、別にみっともなくなんてない」
遠坂は俺と全く同じことを言って、しまった、とばかりに口を隠すけど耳まで赤くなっては隠しようが無い。イリヤもイリヤで真っ赤だったりするけど。
「まあ、いいわ。私がここに来た理由だけど。シオンから呼び出しを喰らったわ」
「シオン……?」
「アトラスの錬金術師。シオン・エルトナム・アトラシア」
ああ、あの紫髪の。
「何の用さ」
「さあ? 言ってみれば分かるんじゃない?」
遠坂が適当に受け流しているということは安全なことという証拠。
小さなことであればあるほどこの遠坂と言う少女は繊細で注意深くなるのだ。
大きいことを見逃すお茶目なところは見逃しておくことにしよう。
「で、分かったことがあるって何かしら? 学院長」
「その言い回しは的確では無いですけれど、まあいいでしょう」
遠野邸でシオンと遠坂は優雅にお茶を飲む。
うん。可愛い女の子達が優雅にお茶を飲む姿って言うのは様になる。
様になるけどその場所が地下室となるとどうなんだろうか。
「今回発生したシステムの行動予測です」
「それは今後の私達の行動に生かせるのかしら?」
「どうかは貴方達も判断してください。この情報が生かせる状況というのもまだまだありますから」
お茶請けはスタンダードにクッキー。
……美味しい。琥珀、と言う使用人さんが作ったらしいので後でお話聞いてみるのもありかと思った。
「今回のシステム。それは数多の話、噂、想念の中から自分に合ったものを取捨選択し、姿を決定すると言うものです。故にオリジナルと同一にはなりえない」
「それって……」
遠坂が息を呑んだ。
「そうです。都合のいい建物を造るのではなく、とりあえず大量に積んでおいた山から削りだすようなもの」
シオンのそんな声が浪々と事実を語り続ける。
それはつまり、例えば『槍を持った吸血鬼の女』なんて噂が完成すれば魔槍を持ったアルクェイドなんてものと戦う羽目になるのだろうか。
「なんだよ、それ」
「出鱈目じゃない」
俺と遠坂が同時に不条理に対して講義するが、そんなものを横目にシオンは無表情だ。
「どうするんですか?」
「どうもしない。どうにかして大変なモノが出来ちまう前に全て終わらせないと」
その答えに何故かシオンは複雑な顔をして顔を俯けた。
「そうですね。ともすれば666の獣の因子を内包する魔法使いが出てくることだってあり得る。この現象そのものをどうにかしなければ、吸血鬼の究極形が完成してしまうでしょう。ですが、士郎」
「なんだよ……」
「士郎。貴方はそれでいいのか?」
その質問の意味は分からない。
だけど、それはきっと衛宮士郎にとって致命的な……。
「それでいいのか、って。当たり前だろ、だって……」
みんなを守るための行動に是非も何も。
「士郎。失礼する」
そう言ってシオンは手の先っぽを軽く揺らした。
「……なるほど。貴方は知らないのか」
エーテライトという独自の手法で自分の記憶が読まれていることが分かった。
遠坂が何も言って無いところを見ると、どうも衛宮士郎という人間に対してこれは無制限に使われていいということになっているらしい。
「……イリヤスフィール」
「何?」
唐突に声をかけられてここまで一緒についてきておきながら一言も喋らなかったイリヤが口を重たそうに開いた。
「私はもう、言わない。貴方に委ねてもかまわないか?」
「……ええ。ありがとう。錬金術師ってのも意外と人間らしいのね」
イリヤは不機嫌と言うよりも具合が悪い様子でそれに返答した。
「では、私からの話は以上です」
それで話は終わりとばかりにシオンがカップを持って席を立とうとすると、
「ねぇ、ちょっと待って」
なんてイリヤが声をかけた。
「なんでしょうか?」
「夕食、こちらで食べてもよろしいかしら?」
久しぶりに見た貴族モードのイリヤ。って、いやいやいやいや。
「ダメだろ、イリヤ。幾らなんだって」
「……イリヤスフィール」
「……お願いできないかしら。久しぶりに高級な感じってモノを思い出してみたいし」
イリヤはそういうことを言う奴じゃないってよく分かってる。
だからきっとそれには深い意味があって。
「はい、分かりました。秋葉に頼んでみます。たまに人が増えるくらいは秋葉も許してくれるでしょう」
そんな深い意味をシオンは汲んでくれた。
結局夕食を一緒に食べた後、イリヤと桜をしっかり家に送ってから俺達は夜の探索に出かけた。
その日は何も無かった。
※お詫び
六がなくて五が二つ。メンゴ。
『死線の一 第六話』
だから、心残りなんてなかった。
だって、求めていた、拘束しなければ手に入らないと思っていた笑顔が。
自分の手の中にずっとずっと抱きしめていなければならないと思っていた笑顔が。
誰も彼もが優しく向けてくれる。
タイガも。
リンも。
サクラも。
も。
誰も彼も優しすぎる。
そんなの、おかしい。
だって、この街は今冬だ。
冬で、寒いと、人の心は凍るはずだ。
私の知っている人はみんな心が凍った。
あたたかい暖炉の火でも温まることは無い。
透明な視線でこちらを見つめるだけのはずなのに。
みんな優しかった。
すごく暖かかった。
そして、ここに一緒に住もうって、言ってくれた。
ああ、それこそ、私が望んでいた夢だったのではないのか。
そんな、素敵な願いが。
叶ったのなら。
うん、本当にもう。
心残りなんて。
つつぅ、と頬を涙が伝う。
心残りなんて。
視界はとうにぼやけている。
心残りなんて……。
ぼろぼろと。
心残りなんて、あるに決まっている。
止まらない涙を流す眼を両手で必死に押さえつける。
だって、そんな願いは持ってはいけない。
この暖かい日差しの射してくる世界で、春を迎えてみたい、だなんて。
夏を迎えて、秋を迎えて、また冬を迎えて。
このちっぽけな紛い物のイノチが、尽きるその日まで。
そうしていたいと。
違う、もっと。
せめて普通の人たちと同じぐらい。
もっと。
もっと。
もっと一緒にいたい。
止まらない涙を流す両目を押さえつける。
こんなものは止めなくちゃいけない。
私の望みなんて持っちゃいけない。
私が今しなくちゃいけないことは。
目の前の聖杯を眺める。
私がしなくちゃいけないことは。シロウを生き返らせることだけ。
だからそれ以外の望みなんてきっと。
無いはずだ。
そんなことはアリエナイが。
私に望みなんてない。
私のノゾミはとても小さく。
だからこの生に執着は無い。
でも決して叶わず叶えてはならない。
だから私は全てを捨てた。
捨てたくないのに。
ノゾミもキボウも一切合財。
捨てたつもりでいた。
このイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは。
そのデキソコナイは。
最後の最後で願いを。
モッテシマッタ。
――そんな夢を見て俺は思う――
ああ、馬鹿野郎。誰がその願いを笑うと思ってるんだ。
そう思って何がいけないんだ。
それを笑う奴がいるなら、いいだろう。
このエミヤシロウが全部叩き潰してやる。
イリヤ。俺だけはお前の味方になってやる。
家族の為だけの味方だ。
エミヤシロウというちっぽけな奴に守れるかもしれない小さな世界。
そのための味方になってやるんだ。
だから、ほら。
安心しろ。
安心して、戻ってきていいんだ。
なんて、泣きそうな程にありえない事実を、俺は願っていた。
interlude
「ふん、亡霊のオンパレードですか。この街は」
「ん? なんだ、お前」
「遠野家の現当主です。貴方に語る名前など持ちません、遠野四季」
あ? なんだ、身内か? ってことをぼやきながら白髪の殺人鬼はなんてこともなく自動販売機から缶コーヒーを買った。
遠野家現党首――秋葉が呆れてその様子を眺めていると、その四季はニヤリと笑って
「お前も飲むか?」
なんて戦いを放棄するような質問をしてきた。
「遠野の長兄として生まれながら、紅赤朱へとたやすく反転した貴方と、何が哀しくて一緒にコーヒーなど飲まねばならないのですか?」
「あ? 美味いぞ? これ。体に悪そうで」
「……ふぅ、まあ、いいでしょう」
と、四季は片手を秋葉に差し出す。
「? なんですか?」
「金だよ、金。自分の分は自分で払うもんだ」
「誘ったときは奢るものです!」
秋葉が何を激昂したのかもよく分かってない様子で四季は、そうなのか、面倒くせえ、と言いながらもう一本缶コーヒーを買う。
それを放り投げられて秋葉は一つの疑問点に気付いた。
「貴方こそお金はどうしたのですか?」
「あ? この自販機の横っ腹に穴開けたんだよ。何が哀しくて自分の分を自分で払わなきゃいけないんだ」
秋葉は、ああ、ダメだこいつ。といった顔でそれを眺める。
くつくつと笑いながら四季はかんぱーいと一人上機嫌に缶コーヒーを飲み始めた。足元には既に二つ空き缶が転がっている。
「で、過去の亡霊である貴方が何故こんなところに? 死んだ貴方が」
「ああ、そうそう。それだ。俺は死んだはずだよな?」
「それがどうしたんですか?」
「でもここにいる。素晴らしいことだ。ほら、反転しようが何しようが月は綺麗だ」
血のように真紅の瞳をそらに向けた白髪の殺人鬼の表情は穏やかだ。
「だから、何が言いたいのです」
「ん? お前遠野家の奴なんだろ? かっかするのは上品じゃねぇぜ?」
「貴方のようにへらへらするよりはましです!」
「当たり前だろ。俺みたいな下品な奴は遠野家にはあまり向いてない」
くつくつと穏やかに笑うその顔に秋葉は今更ながら毒気が抜かれた。
かん、と足元に空き缶を置きながら四季は四本目の缶コーヒーを飲む。
どうでもいいがこの缶コーヒーというものは激しく美味しくない。人の飲み物としてどうかと思う。私は最初の一口で止めておいた。
「で、どこまで話したっけ?」
「死んだはずの貴方が生きてる、ということは素晴らしいと」
「ああ、そうそう。それだな。話は一見変わるが。最近の街に流れる噂は知ってるか?」
「『吸血鬼が血を吸っている』『殺人鬼の再来』『徘徊する少女』『日本人でない姿』『増え続ける犠牲者』でしょうか?」
「ふん、的確。さすがは当主。的確だ」
うえ、まずいなんていいながら四本目を一気飲みする四季。
不味いなら飲むな、と私は少しいらいらした。
「『銀色の髪の少女の幽霊』『笑顔で森をかけまわる少女』『闇の中の紅い瞳』まあこんなところも、だ。最近学校ででき始めた怖い話。噂って言うんならそういうのもチェックしないとな」
ニヤリ、と笑う四季。ああ、悔しいけど伊達に遠野の長兄として育てられたわけではないのか。
空になった四本目のコーヒーをぷらぷらさせながら虚空を眺める。
「あー、さてさて、俺の時間も終わりか」
「終わり?」
「終わりだ。この体で最終的な情報は得た。もう己のシステムと構造を編成して変性し、変成できる」
ヘンセイと何度か繰り返してくくっと喉で笑う。
ああ、そうだ。思い出した。遥か高みから見下ろすその態度が幼心に怖くて、キライで、そして、認めたくは無いが尊敬していた。
「さて、しかし、あれだな。自分自身じゃないと困るな」
「困る?」
「ああ、ここがどこだか分からないし、今がいつだか分からない」
その言葉に秋葉は不思議に感じていた違和感の正体に気付いた。
「あ、そういやお前遠野の当主なんだっけ。なら聞いてもいいか?」
「なんですか」
「秋葉、って知ってるか? 俺の妹なんだけど」
やけに誇らしげににかっと笑顔を向けた四季に流石に息が詰まる。
「なんかな、すっげー頼りなくてな。もう、勉強も習い事もおどおどしてるんだ」
楽しそうに昔日の日々を語るその様子。
怒ろうかとも思ったが、それはあまりにも無粋に思えた。
「んで怒られると涙目で耐えるんだ。それがよ。すっごく可愛くってな。俺と、俺の友達の志貴って奴と一緒に遊んだりもしたよ。同じ名前なんだ。面白いだろ?」
本当に楽しそうに。
本当に嬉しそうに。
本当に誇らしげに。
「ああ、だから心配だったし。気になってる。だから聞いてもいいか?」
「……何をですか?」
「だから言っただろ、秋葉って知っているか?」
「知ってます」
誰よりも、多分。
「じゃあ、そいつどうだ? 大丈夫そうか。元気でやっててるか? キライだった野菜とか好きになってるか? ほら、あの赤い奴」
どの野菜のことを言っているのかはわからない。
だけど。
「ええ、ええ。もう好き嫌いなんてありません。いたって健康です」
「そ、そうか。じゃあ、あれだ。悪い奴に騙されてたりしないか? 変な使用人にいじめられてたりは?」
安心したように、堰を切る積年の想い。
「されてません。みんな優しいです」
「じゃ、じゃあ……」
「ええ、大丈夫です。貴方が心配することなんて、何もないです。兄さん」
四季は目を見開いて、そして、にかっ、と。
本当に小さいころから変わりの無い。
尊大で、自信と活力に満ち溢れて。
そんな、ええ、本当に不本意ながら嫌いじゃなかった笑顔を向けて。
「じゃあ、俺はここまででいいや。朝まで待つ必要もねぇ」
と言って、ざざざ、と現実世界に現れる砂嵐でかすんでいく。
「ええ、さよなら兄さん。もう会いたくないです」
「おう、それがいい。地獄行っても面白く無いだろうよ、きっと」
それが最後。
本当に、遠野家と言う血にとらわれた二人の兄妹の最後の邂逅。
思い出したように秋葉は右手に握った缶コーヒーを見る。
はぁ、と溜息を付きながらソレを一息に飲み干す。
もしここに秋葉の教育係がいたら卒倒しそうなほど男らしく飲みきってぷはっと息を吸い込み
「不味い。やっぱり一生理解できません」
そんな台詞を残して秋葉はそこを立ち去った。
すぐそこの街灯の上でずっとこちらを眺めていた似非カレーにちょっとだけ感謝をしながら月を見上げた。
(まあ、こんな夜もありなのかな)
と。
interlude out
『死線の一 第九話』
その感覚をなんと言えばいいのか、少なくとも人である限りは理解もできなければ、すなわち説明も出来まい。
■を犯す。■を求める。■を欲する。
どくん、と急激にそれはやってくるのだ。
前兆なんてない。
■を口にしたらとてもではないが後ろに戻れない。
後は■を犯して、■を求めて、■を欲するだけのイキモノになる。
それはとてもとても怖いことだ。
堕ちるということ。
それはとてもとても怖いことだ。
確かに はそんなことをしらない。
でも吸血姫は知っていた。その噂すらも情報として編成された。
だから も知っている。
だから も怖い。
■を口にすることは怖い。
誰もいない草原。誰も生きてるものはいない草原。
初めて口にした■。
分けが分からないぐらいに美味しくて、美味しくて、吐きそうだった。
絶望的。それは戻れない一本道。
■を手に入れてはいけない。■を欲して、■を求めて、■を犯したなら、それはもはや■を吸うだけの鬼となる。
衝動が来る。
どうしようもないぐらいに強い衝動。
起きていないと死んでしまう雪山で、意識を保つために己の手に釘を刺す。
そんな馬鹿げたシナリオの一ページの気分を存分に味わえる。
体中が歌う。
■を犯せ。
■を求めろ。
■を欲せ。
■を吸って、■の為に、■を送り込め、■を吸う鬼、■まみれの■の快楽に酔って■だらけの■色を見て■が■らしく■なら■であり、■■は嬉々として■■と共に■が■。■。■。■。■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「うわああああああっ!!!」
全身の筋肉を収縮させて俺は布団から跳ね起きた。
全身が嫌な汗でびっしりと濡れている。
なんだ、あれは。
侵食されるような強烈なイメージ。
二度と感じたくない恐怖だ。あんなものは押さえきれない。
無理やり言葉に直したものですらあの感覚なのだ。その根源となる形すらない衝動の時、それはいかなる強制力となるのか。
「……お兄ちゃん? どうしたの?」
と、同じ布団からもそもそと出てきたイリヤの目が。
その真紅の目が。
■を連想させて
「――っ!」
思わず吐きそうになったのを堪える。
「どうしたの士郎!?」
ばん、と年頃の青年の部屋のふすまを問答無用であける遠坂。昨日の夜の見回りの後に家に帰るのが面倒だとか言って泊まっていたのだが。
「……」
「……」
「? どうしたのリン。シロウお兄ちゃんも顔色悪いよ?」
うん、夢見がひどかったから。ついでにあかいあくまが昨日と同じ誤解してそうだから。
「待て、遠坂。落ち着くんだ。ほら、よく見ろ。お互いに服を着て今度こそ問題なかったぞー、ってしっかりいえるんだからな、俺」
自分のことながらなんでこんなに後ろ向きなのやら。
「ええ、分かってるわ。士郎甲斐性無しだもん。問題点は、イリヤ。なんでそこにいるの?」
今さらりと酷いこと言われた。
「お兄ちゃんと一緒にいたいもんっ!」
がばっ、と俺に襲い掛かる小悪魔。む、髪の毛がいい匂い……。
「……ええ、そう。それなら問題は無いわね。でもね、イリヤ」
「何?」
「喉が渇いたら……どうするの?」
一瞬で聖杯戦争の時と同じ空気が流れる。魔術師と魔術師の向かい合いに魔術使いの俺の居場所なんて残ってるわけが無くって。
「……台所まで牛乳とりにいくわよ」
とイリヤが微笑みながらそう言った瞬間に遠坂は毒気を抜かれたみたいな複雑な表情をして、それでもう一度だけ魔術師の顔に戻す。
「誤魔化さないで」
「ちょ、ちょっと待て、遠坂。なんでイリヤをいぢめてるんだ!? キャラに似合いすぎてて洒落にならないぞ!?」
「何ソレ。士郎。スパルタ式教育法を望む新しい言い回しかしら?」
「そんなわけないだろ。普段からスパルタなのに新しく頼むか、バカ。本当にそう思ってただけだ」
「うん、士郎。嘘吐けないのと嘘吐かないのは微妙に違うんだよね。分かってるけど腹立ッタカラ殺ス」
語尾の口調が冗談抜きで危険な匂いを放っていたが、まあイリヤに矛先がいかないようでよかった。
「イリヤ」
「何よ」
「本当に喉が渇いたら。私は容赦しないから」
「……疑い深いのはレディとしてどうかと思うわ。そんなだから士郎も今ひとつ理解できないのよ」
なっ、と顔を赤くする遠坂。はて、何が理解できて無いというのだろうか。
「なあ、遠坂、何が理か……」
「うるさい、士郎、黙れ!」
そんな理不尽超特急なことを言って遠坂は自分の部屋に戻っていった。
「? 何だ、アイツ」
「さあ、何でしょうね」
「でもさ、イリヤ。遠坂もいってたけどなんでこの部屋にいるんだ? 離れに部屋用意しただろ?」
「ああ、ほら。離れって一回渡り廊下歩くでしょ? 私朝寒いのだけはダメなの」
なるほど。確かにこの部屋からなら家の中だけを通って居間まで行ける。
「じゃあ、お休み、シロウ。今度は悪夢にうなされないようにね」
「そう願うよ。お休み、イリヤ」
それで二人とも仲のいい兄弟のように朝までぐっすりと眠った。
朝食を食べて夜になるまで暇であることに気付いた俺はイリヤを外に誘うことにした。
「え? デパート」
「うん。イリヤもいろいろと必要だろうし。ここで住むならいろいろ買わないと」
「あ、あはは。嬉しいけど。今日ぐらいはシロウの家でゆっくりしたいな」
「そうか? あ、じゃあ土蔵の探検なんかどうだ?」
「それは夜の予定にしておいて」
「奥の方電気なんてついてないから昼じゃないと探検できないぞ?」
「いいからっ、それは夜やるの!」
だんだん不機嫌になっていくイリヤと、それを見て厳しい顔つきになっていく遠坂。
「イリヤ、こんなにいい天気なのに外出たがらないなんてどうしたんだ?」
「いいのっ、シロウの部屋堪能するんだからー」
そう言いながら俺の部屋までかけていくイリヤを、ちょっと、待った、それ微妙に許せないわよ! と遠坂も追いかけていく。
なんとなく激しい衝突が予測できそうなので俺が緩衝材となるしかない。問題点は緩衝材がぼろぼろになるということだけ。
俺の部屋に行くと、遠さかがドアを開けようと必死でもがいていた。
「何やってんだ、遠坂」
「イリヤが体使ってつっかえ棒代わりになってる!」
む、俺も大虎から逃げるときに使った記憶がある。
「ほら、遠坂。押してだめならなんとやらだろ」
「引いてダメだったから押してるんでしょ!」
嘘だ。遠坂は引くなんてしない。前から押しても駄目だから横から押そうとして結局腹が立って前から押すタイプだ。
「いいから、落ち着けって……。イリヤ、聞こえるか」
「聞こえるよ……」
「俺の部屋なんてなにもないぞ。すぐに飽きる」
「飽きない」
「だって、たんすぐらいしかないぞ」
「じゃあ、それ漁る」
「ちょっと、イリヤそれ面白そうだから私が独占権を求める!」
遠坂。会話がずれてる。きっとずれてる。
「イリヤ、なんでそんなに……」
「外行きたくないから」
「イリヤ」
「行きたく無いって言ってのよ! 乙女の肌に紫外線なんて悪いんだからっ!!」
そんな本で知ったみたいな知識を何でそんなに泣きそうな声で言うんだろうか。
「……ごめん、士郎。修理代は出すから」
遠坂は、その物騒な台詞を言い終わった瞬間に俺の部屋のふすまを迷いなく蹴破った。
「どわああああああっ!?」
「きゃあっ!」
バランスを崩して倒れたイリヤを遠坂は起こった表情で見つめている。
ああ、この顔は見たことがある。魔術師として怒ってるように見えて、家族に怒ってる顔だ。どうしようもないくらい怒って、後で後悔する顔だ。
「イリヤ、外、出るわよ」
「嫌よ!」
本気でなみだ目になってイリヤが本当の子供みたいに駄々をこねる。
「イリヤっ!」
遠坂がイリヤの細い手を掴んで引っ張るとイリヤはその手を開いてる手で掴んで信じられない力で振り払った。
つぅ、と遠坂の手から血が伝って落ちる。
四本の爪あとが袖を切り裂いて遠坂の腕の皮膚を軽く引き裂いていた。
「とおさ……」
か、大丈夫かと言おうとして目の前にいるイリヤの表情を見て固まった。
遠坂は冷静な顔をしている。怒りで痛みも感じてないのだろうか。
それに対して、攻撃したはずのイリヤが自分の爪についた血を見てがくがくと震えていた。
「……嫌……違う……」
「遠坂、すまん」
と先に謝って俺はイリヤの側に近づいた。
「大丈夫か、イリヤ」
「嫌、シロウ、嫌だよ、これ拭いて。お願い、拭いてっ!」
目を瞑ってがくがくと泣きながら震えるイリヤの様子にあわてて持っていたティッシュでその手を拭う。
「やだ、ちが、ちがうもん。やだやだやだやだやだ……」
泣きそうな声でぶるぶると震え続けるイリヤに声をかけようとした瞬間に、遠坂が俺の肩に手を置いた。
何もしゃべるな、と。
「イリヤ」
「違う、違う、私はっ!」
「イリヤ!」
恫喝に対してイリヤは本気で泣きそうだ。
「士郎には全部話す。士郎はそれを聞いて判断する。それでいいわね」
「わ、わた、わたしはっ、わたしはっ!」
「……大丈夫よ。士郎はきっとイリヤの味方になってくれる。私は敵だけど」
そう宣告して、遠坂は俺の体を無理やり立ち上がらせた。
「士郎。遠野の館に行くわよ」
「でも」
「でもじゃない! バカ! たまには師匠の言うこと聞きなさいっ!!」
俺は逆らおうとした、だけど、
「イリヤ。ごめんね、夢、こんなに早く終わらせちゃって」
怒って、怒って、怒りをぶつけていたはずの遠坂が、何故か泣いてたから。
だから俺は冷静になって、遠坂についていくことにした。
メイドさんに連れてこられてやってきたのは遠野の地下室だ。
目の前に座るシオンはああ、来ましたか、なんてこっちが来るのが当たり前だ、みたいに構えていた。
「シオン。私は大体分かってるけどコイツは分かってないから。なるべく初めから教えてあげて」
反論しようとしたが、久しぶりに見る遠坂の目はどんなものより鋭くて、怖くて、哀しくて、反論を許さなかった。
「ええ、そうですね。私としても初めから説明するほうがやりやすい」
ことん、とティーカップを置いてシオンはこっちを真っ直ぐに向いた。
「士郎。貴方が戦っているシステムのことは昨日説明しましたよね?」
「あ、ああ。噂を取捨選択して形を得る。だっけ? 第三魔法なんたらは俺には分からないけど」
「ええ、その通り。……確認しますが、貴方達がここに来た理由は?」
「イリヤが、太陽の下に出ないからよ」
たいようの、した?
「ええ、そうでしょう。多数の噂の中から生み出されると言うことはそれらの噂で発生してしかるべきの知識を共融しているということです。だから、ええ、イリヤスフィールには自分自身の状態が誰よりもよく分かっている」
少しだけ自嘲気味の苦笑をシオンは浮かべた。その意味は分からない。
「士郎。今回のシステムの概要は確かにその通り。だが、それはイリヤスフィールと言う少女の願いと、ズェピア・エルトナム・オベローンと言う過去の亡霊の願いが同一となった結果なのです」
「……どういう……」
「つまり、このシステムは二つの願いにより、発動されたシステム。よって叶えられる願いも二つ。イリヤスフィールと言う少女の復活と、ズェピアの望んだ永遠の命の入手。もっともズェピア本人は本人であることに拘っていないようですから、そうですね。この前言った究極の吸血鬼と言う存在が生まれることになるのでしょう」
「……だから、どういう……」
頭が混乱している。
混乱しているのに、ゴールだけは見えている。
見えているけど俺の脳みそは認識しないようにしている。だって、それは。
「叶えられる願いは二つでもシステムは一つ。ならば生み出されるものは共融していなければならない」
キョウユウ。それはもはや溶け合って分離すら出来ないぐらい別個のものが重なっていること。
「だから、結論を言いましょう。衛宮士郎。イリヤスフィールは間違いなく吸血鬼だ。それも、27祖クラスの」
だから、なんだよ。
「でも……、でもアルクェイドさんだって……普通に生活してるんだし……」
「それは真祖だからです。死徒の情報の方が多いイリヤスフィールにそれは当てはまらない。真祖は飲まなくても生きてはいける。だが死徒はそうではない。飲まないと確実に死ぬのです」
死。
死ぬ。
生き返ったのに死ぬ。
戻ってきたのに死ぬ。
子犬のようにじゃれてきて。
とても無邪気に赤い瞳を輝かせて。
死ぬ。
■を吸わないと 死ぬ 。
「そ、んな、こと……」
「貴方にとっての最大の問題点はそこじゃありません。ええ、確かに今のものも大きいでしょうが貴方にとってはさらに究極の選択となる」
なんだ、これ以上の問題ってのは。
「吸血鬼であるイリヤスフィールは完璧なイリヤスフィールでは無い以上いまだシステムの中にある。だが、システムを停止させないと究極の吸血鬼が誕生する。システムの停止が今回の目的であり、それを達した場合」
場合、どうなるというのだ。
「イリヤスフィールは、消滅します」
なんだ、それは。
嘘だ。
嘘だ、嘘だ。
「嘘だっ! そんなの」
「む、嘘ではありません、綿密な計算と予測の結果から……」
「嘘だっ! あいつは、幸せになるんだっ!」
シオンが息を呑む声が聞こえた。
「アイツは、ずっと今まで……独りで。だから、俺が、ずっと……」
がくがく、と恐怖で震える。
がたがた、と恐怖で震える。
俺は走り出した。
「士郎」
呼ぶ声なんかで止まらない。
嘘だ。
戦いなんてなくてもいいんだ。
何もしないで笑っていていいんだ。
生まれてきたことを祝福されていいんだ。
そんなもの、家族である俺がずっとずっと与えてあげる。
だからずっと独りで頑張ってきたイリヤが。
せっかく戻ってきたイリヤが。
幸せになれないなんて
「そんなの、嘘だ」
と、イリヤを抱きしめた。
「シロウ、全部聞いちゃったんだ」
「聞いた」
「じゃあ、ほら。しっかりと前を向いて」
「前を向いて、お前を守る」
イリヤが息を止めるのが分かった。
「イリヤが幸せになれないなんて、嘘だ。だから俺がそんなの全部倒してやる」
胸の中で白い小さな、俺の家族は、はぁ、と、溜まった息を吐き出す。
「シロウは正義の味方じゃなかったのかな?」
「……もう、駄目だよ」
「……バカ。シロウお兄ちゃんなら大丈夫。まだやれる」
何を根拠にしているのだろうか。
「きっと誰かがシロウを恨むよ。正義の味方をしただけなのにね。もしかしたら、それは世界中の人かもしれない」
それは、きっといつか行き着く剣の丘の果て。
でも、とイリヤが微笑んだ。
その表情で、気付く。イリヤがこれから何を言おうとしてるのか。
「ねえシロウ」
違う。
「私だけはシロウの味方だよ」
違う……、それは間違っている。
「だからシロウは安心して前に進んで。方向間違ってたら叱ってあげる」
逆だ。その台詞は俺が言うべき台詞だ。
エミヤシロウこそがイリヤを世界中の何からも守ってあげなくてはいけない。
「だからね、シロウ。ほら。たった今シロウは間違ってるよ」
にっこりとイリヤは決別の言葉と共に微笑んだ。
「剣を描いて。この胸に突き刺さる剣を。豪華じゃなくていい。ただ下品じゃないくらいの装飾と、雪みたいに綺麗な銀の刃があればいい。それが私の心臓を貫いて墓標になってくれる」
――だから、それで幸せ。だってシロウは覚えてくれているから――
そんな、夢見るようにいった嘘なんて。
もう分かってる、分かってるから、俺は目の前に転がる選択肢の正解を迷いなく選んだ。
『視線の一 第十夜』
目の前に与えられた選択肢は二つ。
イリヤを殺して終わらせるか、イリヤを生かして終わらせるか。
だったら、その答えを衛宮士郎が間違えるわけが無いのだ。
俺はイリヤの安らかな顔に腹が立ってでこピンをかますことにした。
突然の衝撃に頭を押さえてイリヤは声も出せないみたいだ。
「あのな、イリヤ。なんだよ、それ。全部逆だろ」
「な、何がよっ!」
痛みから抜け出してこっちに噛み付く勢いで叫ぶイリヤ。うん、そっちの方がいい。
「守るのは俺だろ。今の場合。もっと生きたかったって泣いてた奴が何今更格好つけてるんだ、バカ」
一瞬、本当に一瞬だけイリヤの心の上にあった、良識とか、常識とか、外聞とか、そんなものが全部剥がれてしまった。
そうして涙が目じりに溜まっていく。
「な、何よ……何よっ! 何が分かるってのよシロウに!」
声は魂の底から。
「ずっとずっとキリツグと一緒だったくせに」
ずっとずっと抱えてきた思いを。
「今日も戦い、明日も戦いって、そんなこと理解もできないくせに」
言われたとおり俺にはそんな辛さ理解できない。
「勝っても戦い。負けても戦い。選択肢は全部戦い。そ、そんなこと、シロウは知らないくせに!」
ぼろぼろ、と涙がイリヤの頬を伝っていく。
「シロウなんか私のこと分かってないくせに! 知らないくせに私の意思を否定するなぁっっ!!」
その叫びに、俺は首を振ることで答えた。
イリヤはそんな俺を睨みつけてくるけど俺はそんな視線すら愛しくて、しっかりと受け止める。
「あのな、イリヤ。俺はお前が生まれてきてくれてよかったと思ってた。生き返ってくれて嬉しいと思ってた。これから一緒にゆっくりとイリヤ達を戦いから守って静かに暮らしていけるんだって、すごく幸せだった」
イリヤが求めていた言葉は、俺の心からの本心。
「だからイリヤ。俺、お前の家族だから絶対にそれだけは許さないぞ?」
「……何、を?」
「自分が死んでみんなが生き残れば幸せだ、なんて勘違いすることだ。みんなみんな生き残って最後に笑えるのが一番なんだ」
そう、その為に俺は正義の味方を捨てたんだ。
エミヤと言う人間は結局、自分の周りの小さな世界しか守れない。
それが分かってしまった。分かってしまったから、俺というバカはその道を簡単に曲げることが出来ない。
「その為に、俺がみんなの味方になるんだ。イリヤが世界中の誰から嫌われたって俺はイリヤの味方になってやる。イリヤがいつだって笑ってやれるように守ってやる」
言い終わった瞬間に目の前の銀は胸の中に飛び込んできた。
嗚咽しか響かない部屋の中で俺はただその背中をさすり続けた。
遠坂が怒るのが目に浮かんだ。
でも、まあいっか。絶対説得してやる。
「あかいあくまになんか負けないからな、イリヤ」
「うん、いい覚悟ね士郎。で、そのあかいあくまって誰のことかしら?」
空気が一瞬で凍った。
なんだろ、遠坂。お前の間の悪さって言うのは俺にとって都合の悪い時にも適用されるのか?
「はあ、全く。いい話持って帰ってきてあげたのにそんなこと言われちゃどうしようもないわね」
「いい話……?」
「そ。イリヤのお話」
ぴくり、と腕の中の少女が震える。
「安心しなさい。いい話、って言ったでしょ。私とイリヤは少なくとも戦わなくていいみたい。というか、イリヤを殺すって言うのはとりあえず無しね」
え?
いま、なんて……。
「ちょ、遠坂、俺の理解力が少ないからって話を省略するのは悪い癖だぞ」
「ん、そうね。確かにそうかも。じゃあ説明するから聞いてね」
なんかすごく嬉しそうに人差し指を立てる遠坂。基本的に人に教えるのは大好きらしい。
「さて、話の前に一つ問題です。何故遠野家のシオンは地下室で研究をしているのでしょう?」
「雰囲気? ……は、冗談として」
遠坂が容赦無しにこっちに魔力を込めた人差し指を向けたのですぐに訂正する。
「なんというか、秘密を隠しやすいからだろ。地下室って」
「まあ、それも原因の一つ。もう一つは『唐突に朝日を浴びる心配が無いから』」
……って。
「そう、シオン・エルトナム・アトラシアは吸血鬼よ」
「なっ」
イリヤはなんか知ってたらしい表情で俺を見つめている。うぅ、いいじゃないか、素直に驚いたって。
「彼女は自身の吸血鬼化を止めるための研究を続け、その過程で一つの薬を開発した」
「……その薬って?」
とイリヤが先を促す。
「死徒と化した細胞の劣化を著しく抑える抑制剤よ。簡単に言えば、時々輸血パック片手にちゅうちゅうしてれば日常生活に支障はなくなるって代物」
「ってことはイリヤは……」
「日常生活を送れるようになるわ。おめでと。戦わなくって実は本気で嬉しい」
にっこりと遠坂が笑顔を浮かべる。
貴女と一緒に生きれる時間を喜びと思う、とその顔は伝えてくる。
ああ、そんな真っ直ぐな笑顔。
「……ぅ、ぐ……あぅ、あ……」
イリヤの堪える声。
「え、ちょっとイリヤ!?」
本気で心配する、俺なんかよりよっぽど厳しくて、よっぽど甘やかしがりの魔術師が白い少女の背中をさする。
「リ……ン……ぅ……リン!」
「な、何?」
「リン! リンっ!」
後は言葉にもならずに、時々遠坂の名前を出しながらイリヤは泣き続けた。
遠坂は困ったようにイリヤを軽く抱きしめていた。
「士郎、私何か悪いことしちゃったかな?」
「いや遠坂。お前が優しいから泣いてるんだろ」
ぼっ、と遠坂の顔が真っ赤に染まって、あわてて俺から視線をそらした。
それが微笑ましくて、結局イリヤが泣き止むまで見守っていた。
「「いただきまーす」」
今日は藤ねけを省いての魔術師3名+魔術使い1名+英霊1名による作戦会議となることになった。
「まあ、実はイリヤは大丈夫なんじゃないかなーとは思ってたんだ。シオンみたいな吸血鬼があの秋葉に家にいることを許されてるのはそれ相応の理由があるからだろう、って踏んでたし」
「じゃあ、最初っから遠坂分かってたんじゃないか。なんでイリヤいぢめるようなこと言ったんだよ」
「姉さんの優しさは分かり辛いですから。変な希望を持たせるぐらいなら最初から教えないことにしてたんだと思います」
しれっと桜が言った言葉に遠坂がどんどん赤くなっていく。珍しい光景だ。
「ああ、なるほど。変な所で不器用なのが実に遠坂らしい」
「思っても口に出すな!」
あかいあくまが背景に炎背負って立ち上がる。
「リン。落ち着きは嗜みの一つよ」
イリヤはやけにこなれた箸使いでごはんを食べている。時々美味しそうに微笑むのがすごく嬉しい。
しぶしぶ座った遠坂を横目にライダーが口を開いた。
「結局残った問題点を先延ばしにしない方がいいでしょう」
それで魔術師三人の表情が硬くなる。魔術使いが話しに取り残されていますが。
「何だよ、何が問題点なんだ、ライダー」
「簡単です。完璧なイリヤが今の状況で生まれない以上、このシステムを止めることが出来ない。しかし止めなければ『最強の吸血種』が生まれてしまう。それをどうするつもりですか」
そうか、そういえばそうだった。
問題は何も片付いてなかったんだ。
「はぁ、そんなの勝つしか無いでしょう」
「凛、それは……」
「ライダーの中でイリヤを見捨てるって選択肢はあるの?」
「ええ、もちろんです。イリヤスフィールを見殺しにしてでも止めるべきです」
遠坂はふっふーんなんて言いながらニヤリと笑いを浮かべた。その先にいるのが俺じゃなくて本当によかった。頑張れライダー。
「イリヤ。ライダーに甘えてみなさい」
「え? 私が?」
「そう」
「い、嫌よ、なんで……」
「いいから、ほら」
とイリヤを無理矢理ライダーの隣に座らせる。
イリヤが仕方ない、とばっかりにライダーを見上げた。
いくら足が長いとは言え三十cmに近い身長差は必然的にこういった見上げる視線を生み出す。
「あ、あの」
「な、なんでしょうかイリヤスフィール」
「……な、何甘えればいいってのよぅ……」
本気で困り始めるイリヤが妙に微笑ましい。
「えと、ライダー」
「は、はい! 何でしょう?」
なんかライダーも緊張している。
「い、イリヤって呼んで欲しいな♪」
にぱっ、と結構引きつった表情でイリヤが微笑むとライダーの表情が凄く真剣になり、
真剣になり、段々赤くなっていった。
「イリヤ……その、抱きしめてみてもいいですか?」
「え!? べ、別にいいけど、痛くしないでよ?」
驚くイリヤの返事も半ばに優しくライダーはイリヤを抱きしめる。
まるで母親がそうやるように力強く、それでいてどこまでも優しい抱擁だ。
「ライダー……」
ちょっと慣れてきたイリヤが軽く抱きしめ返すとライダーは至福の表情を浮かべる。
遠坂・ざ・れっどでびるが勝利の笑顔を軽やかに浮かべた。
「ライダー。確かに私が甘かったわ。提案どおりイリヤを見殺しにしてでも……」
「誰ですか! そのような心無きことを言ったのは! 何があろうとも私がイリヤを守りきってみせる」
うおっ、ライダーが今までみたこともないほど熱く燃えてる!?
「そ、じゃあ満場一致で」
「認めませんよ」
と突如として割り込んできたその台詞。
発生源は居間の入り口に立っていた。
シエルと言う名の代行者はまるでそこにいるのが当たり前のように立っていた。
「吸血鬼を認めるなんてことを私は認めません。あなた達は勘違いしている。今度この街で生まれるものが仮に27祖レベルの吸血鬼が数体合わさったものであった場合、下手をすれば人の世界なんて全て飲み込まれる」
なんの修飾もしない台詞を淡々と述べるその様に以前あったような柔らかい雰囲気は残っていない。
「そんなものの発生をたった一人の為に許すですって? ふざけないでください」
「ふざけてない」
俺は、それだけは譲れない、と声を出した。
「一人の為に幾億の人が死のうとも、ですか?」
「誰も死なせない」
「貴方は27祖クラスの敵を知らない。あれらは別格だ。貴方達が勝てる保障が無い以上私はシステムを止めなくてはいけない」
例え、それが正論だったとしても。
「……認めない」
「……?」
「生まれてくるのが駄目なんて認めない。幸せになる権利がないなんて認めない。誰かが死ななきゃ守れない幸せなんて、俺は認めない」
いつか、捨てたはずの正義の味方は。
だけどいつまでも輝いて俺にへばりつく。
優先順位が変わっただけなのだろう。
全ての人の為に、家族すら殺すか、家族の為に、全ての人を殺すか。
きっととても小さな違いだ。
「だから、俺は認めない」
シエルはばちばち、と視線をはじけさせて、唐突ににっこりと微笑んだ。
「合格です」
「「は?」」
思わず全員が間抜けな声を上げた。
「このシステムを壊すにはシステムの収束点を『殺す』しかない。でもあいにくと次にシステムが収束するのは……」
やれやれ、なんてなんでもないことのようにシエルさんは、
「明日の夜。時間切れなんですよ、最初から」
と言い放った。
「……じゃあ今のは……」
「この場で逃げるようなのは無価値です。戦いの際に信用できませんから。貴方達がそれぐらい馬鹿なら問題はありません」
「ば、馬鹿って……!」
遠坂が立ち上がったのをシエルはただのゆったりした微笑で返す。
「褒めたんですよ?」