プロローグ アサシン
1月31日
今では珍しくない遅い時間での夕食を終えた家庭に一人の侵入者が現れた。
その侵入者は家の住人に気配を悟られずに侵入し、キッチンで料理の後片付けをしていた母親をリビングでテレビを見て、くつろいでいる父親と子供に気付かれることなく既に手にしていた長刀で母親の心臓を一突きで貫いた。
その瞬間から、平穏な家庭は一変して。
地獄に変わった。
父親は乱入者に気づく間もなく腰から下を両断された、しかし、なんとか子供だけは助けようと霞んでいく視界で自由が利かなくなってきている腕を使い、文字通り必死で次の凶行を止めるべく這いつくばりながら侵入者に近寄っていく。
その必死の行動も空しく、その乱入者に近付く事は叶わず父親は力尽きた。
「お侍さんだぁー」
まだ状況がよく分かっていないのであろう、子供はその侵入者に笑顔を向けた。
そう、その侵入者はまるで時代劇に出てきそうな侍だった。
侵入者は群青色の羽織を身につけ、手には時代劇でよく見るような刀よりもより長い刀身の日本刀を持っていた。
死体となった父親を侍は軽く一瞥し、視線を父親の下半身の後ろに立ちつくす子供の方へ向ける。
トントントン。
軽やかなステップで階段を下りる音がリビングに響いた。
「ねぇー、おかあさーん・・・ちょっとうるさいけどなにやってんのよー」
どうやらまだ住人が居たらしく、女性が二階から下りてくるようだ。
侍は子供から視線を外すと居間に来るであろう彼女をリビングで静かに待った。
「ねぇー、聞こえてんでしょう、もう・・・」
がちゃっ。
シュッ。
リビングへと続くドアを開けた瞬間、彼女は絶命した。
既に抜き身でありながら居合いの如き速さで刀を一閃したのだ。
・・・・ゴト。
頭はリビングに鈍い音を立てて落ちた。
頭を失った体は切断された喉の辺りから勢いよく血が噴き出してきた。血は侍が居る場所とは反対、子供の方へ噴き出しており子供は血で全身を真っ赤に染めていた。
「お侍さん」
再び侍が目を向けると子供は彼に近付いてきた。
「お侍さん。お侍さんはわるい人をやっつける人なんだよね」
全身を血で真っ赤に染められている子供はまるで死者の歩みのようにフラフラとよろめきながらも近付いてくる。
「お父さんもお母さんのお姉ちゃんもわるい人だからやっつけちゃったの?」
子供がさらに侍に近付こうとした瞬間、長刀が一閃した。
バタッ。
子供は倒れた。
が、子供はただ気絶しているだけらしく、微弱ながらも呼吸をしている。子供に止めを刺す気は無いのか、長刀を背中にある鞘に収めその場を後にした。
ふと、侍は足を止め気絶している子供を見下ろし、自嘲的な笑みをうかべ。
「ふっ、悪いのは私の存在自体だよしょうじん小人よ。恨むなら好きなだけ恨め」
気を失った子供に答えを返したが、当然返事は帰ってくることは無かった。
侍は身を翻し現われた時と同じく、気配を感じさせず静かに家を出た。
「・・・アサシン」
シャッ。
侍は鞘から長刀を一瞬で抜き、声のした所を一瞬で斬り去った。
「たかが駒の分際でマスターに対して手を上げるとは生意気ですねアサシン」
「・・・あぁキャスターか、済まぬな」
侍は声の主が誰だが分かり長刀を納めつつ。
「だが仕方あるまいキャスター、今のおまえは影、気配が無く微かに魔力を帯びているだけの存在だから私では判断できないのだからな」
アサシンと呼ばれた侍は苦笑しつつ自分の主であるマスター、キャスターが作り出した彼女の分身に顔を向けた。
そんなアサシンを不満げに見つつ、キャスターは相手を見下す態度で。
「・・・まぁいいでしょう、今回は見逃してあげます。しかし、なぜ子供を殺さなかったのですか」
「ふむ・・・」
「私は全員殺せと命令しましたよね。なぜ殺さなかったのですか」
下手な言い訳など認めないと言わんばかりにアサシンに詰め寄った。
しかし、そんなキャスターの態度を嘲笑うかのように。
「あんな子供を殺した所で手に入る魔力など、たかが知れているだろう。それならば生かしておいて、結界で魔力を吸い取っていった方が効率的であろう」
出来の悪い生徒にそんなことも分からないのかと諭す教師のように笑みを浮かべながらキャスターに近寄って行く。
「っ、そんなことは分かっています。私が言いたいのはなぜマスターである私の命令を無視したのですか」
「ふむ、私見だが結界を発動するための魔力は先刻の3人で事足りたろう。キャスター、君のマスターに知られたくなくてこんな回りくどい方法を取ってい・・ぐっ」
キャスターとの距離が手を伸ばせば届く範囲に近付くと、アサシンは急に胸を押さえ咳き込んだ。
「がはっ、ぐぅ、はぁ、はぁ、はぁ、キ、キャスター、おまえ」
あまりの苦しさに膝をつき、手で口元を押さえながらキャスターを見上げるアサシンの目には憎悪がこもっていた。
キャスターはまるで自分に対して忠誠を誓う騎士の如く、地に伏しているアサシンが可笑しいのか、笑いながら。
「ふふふふふ、何を怒っているのですかアサシン。そんな顔をして、まるで私を殺そうとでも思っているのですか」
「わ、私の体に何をした。キャスター」
「特別に教えてあげますよ、ふふふ・・・アサシン。あなたの体には召喚時に少し細工をしておきました」
痛みが治まったのか、ゆっくりと立ち上がり憎悪の篭った目のままキャスターを睨め付ける。
「細工だと、一体何の細工を施したキャスター」
「ふふ、腫瘍(呪い)と言う細工を少し、ね」
「腫瘍だと」
「そう、私に対して気に入らない行動や言動をした場合、私の意志ひとつでその腫瘍を発動させることが出来るわ」
「・・・・・・」
アサシンはキャスターを睨むのは止め、自分の体を見た。
「これで先ほどの命令違反は無しにしておきます。ここに掛けた結界もすぐに解きますから早く戻ってきてくださいね、アサシン」
キャスターの分身は伝え終わると地面に吸い込まれるように消えていった。
(かくりよ幽世から舞い戻ってもまた縛られるか、ふっ、惨めなものだな)
アサシンは結界が解けてもしばらくその場に立ちつくしていた。
interlude0−1
石の匂いが充満する部屋にかすかに酒のにおいが混じる。
男はソファーに座り込みグラスに血のように赤いワインを匂いを確かめながらゆっくりと味を味わった。
「酒を飲むとはお前でも感傷的になるのだな」
不意に男の後ろから青年が声をかけてきた。
「聖杯戦争が始まるのだから少しは感傷的になるかも知れんな」
男はドアも開けずに入ってきた青年をそれが当然とばかりに平然とした態度で問いに答えた。
「すまんな、お前に偵察の真似事をさせてしまって」
「ふん、たまにはこういうことも悪くないさ。それよりも新しく手に入れたヤツ、少しは使えそうか」
「あぁ、今はアインツベルンのサーヴァントの能力を見てもらいに行ってもらっている」
男は酒を楽しみつつも話を進める。
「ふん、人形のところへか」
青年はとたんに嫌悪を現し、ある方向を見つめながら言葉を吐き捨てた。
「アインツベルンの力が無ければここに聖杯戦争を起こせないのだからな、仕方あるまい」
「我(おれ)にとっては聖杯が何に宿ろうとかまわないんだがな」
「・・・・・・それよりもどうだった」
男はその問いには答えず、報告を促した。
「あぁ、確かに柳洞寺にキャスターのサーヴァントがいたな。それに・・・」
「それに、何かあったのか」
酒を飲むのを止め、グラスをテーブルにゆっくりと置き男は青年を見た。
「それにキャスターはアサシンを召喚したぞ」
「キャスターがアサシンを・・・・」
男は前に向き直り、手を合わせて何かを考え始めた。
「・・・・・・・」
青年も沈黙し男が答えを出すのを待つ。
しばらくの時が経ち男は無表情のまま口を開いた。
「つまらんな」
「それならば我がついでに殺してきてもいいのだぞ」
青年はまるで遊びにでも誘うように気軽な口調で提案をしたが。
「いや、それにはおよばんよ、私が直接アサシンに会いに行ってくることにする」
「いいのか、不完全な形式で呼び出したとはいえ相手はサーヴァント、お前では敵わぬぞ」
「心配してくれるのか、珍しいな」
男は青年に対して軽い驚きを覚えた。
だが青年は言葉とは裏腹に心配していない態度と口調で。
「当たり前だ、我の協力者をわざわざ聖杯戦争が始まる前になくしてしまうわけにはいかないだろう」
「別に戦いに行くわけではない」
「ほう、じゃあ何しにいくのだ」
男の言葉に興味を持ったのか青年は珍しく聞き返してきた。
「アサシンもそんな召喚では満足していまい、だからその気持ちを後押ししてあげようとお節介を焼くだけだ」
青年は男の言葉を聞くや否や大声で笑い出した。
「ハハハハハハハハハハハハ」
「・・・・・・・」
「ハハハハ、そうかお節介を焼きにいくだけか、それならば我が命の心配するのは迷惑だったかな。ハハハハハ・・・・・」
男は笑い続けている青年を見ず、再びグラスを持ちながら。
「いや、気持ちは受け取っておこう。では再び協力をするときまで自由にこの町で遊んでおきたまえ」
「わかった、今は雑種が混じっていて吐き気がする世界だが、遊興するには楽しい所が多くあるからなしばらくは様子見を決め込んでいよう」
青年は現れたときと同じく、ドアを使わず忽然と姿を消した。
男は青年が来たときと同じくそれが当たり前のように受け止め、グラスの中にある真っ赤な液体を飲み込んだ。
interlude out
プロローグ アサシン 了