──空が高い。
──風が優しい。
──日がやわらかい。
長い冬木のふゆはまだ終わりを見せないけれど、それでもかすかに春の気配。
いろいろあってながく感じた二月も終わりに近づき──
そんなある日のさわやかな朝。
だけど心は晴れなくて
──────遠坂凛は、まいってます。
思わずため息が出そうになる。いや、もちろん耐えたけど。
場所は教室、時刻は朝のＨＲ前十五分といったところ。ひとはそれなりにいる。
遠坂の跡継ぎたるもの人前で弱さを見せてはならない。完璧優等生を演じるのも楽じゃないのだ。といっても、普段ならたいした苦でもないのだが。
今、わたしにはセイバーという使い魔がいる。まあその関係は友人といったほうが近いけれど、使い魔である以上わたしが魔力を提供しなきゃ消えちゃうわけで。
ところがこのセイバー、英霊──しかも最上級の──なんていうとてもじゃないが人間には使役できない存在だったりするわけで。
わたしは事実魔術師として一流で、魔力量にもそれなりの自信があるけれど。それでも、彼女に能力を抑えてもらってなんとか維持できているという状態なのだ、これが。
魔術師とは、魔力さえあれば肉体の疲労を無視できるものなのだが。逆を言えば、体力があっても魔力がないとダメダメなわけで。
つまりそういうことなのだ。
だが、わたしは魔術の名門遠坂の現当主。五大元素を属性とし、天才とも呼ばれる魔術師だ。
今までの鍛錬で──さすがにこれほど長期間続くのは初めてだけど──魔力不足なんていくらでも経験してるし、別にどうってこともないはずなのだ。
──普段なら、だが。
そう、真に問題なのは常とは違うもうひとつの要素。
──衛宮士郎。
彼もある意味わたしの使い魔だといえる。
とある事情で、一方通行ではあるが、彼とわたしには魔力を通すパスがつながっているから。
……パスの開通法は秘密だ。ぜったいぜったい秘密だ。追求するものには死を。
セイバーと違って魔力の提供は必要なときだけだし、その絶対量も少ないのでそっちの面ではまったく問題なしなのだが……
えっと、なんていうか、あれだ。彼はそのぅ、わたしの
──こいびと。
でもあったりするわけで。……あ、なんか顔が熱い……これくらいで赤面してどうするわたし。
そもそも、無理してまでセイバーを現世にとどめてるのも士郎が喜ぶからだし。
いや、そりゃあわたしも彼女が残ってくれたほうが嬉しいし、本人もそれを望んだんだけど。やっぱり一番の理由は彼の為、で。
なにしろ今のわたしは彼に『自分は世界で一番の幸せものだー』と思わせることを人生最大の目的としてるくらいだし。
だけど、そんな健気な……か、かのじょ……あう、また顔が。と、とにかく、そんなわたしに対して。
士郎の態度はそっけない、と思う。
確かに、「突然仲良くなるのは不自然だし、せめて三年生になるまでは今までどうりでいましょう」と言ったのはわたしだ。
でも、だからって家でも恋人らしいことが全然ないってどおいうこと！？ ……ちなみにわたしは士郎の家で暮らしているが、断じて同棲ではないのでそこは忘れないように。……ホントだってば……だってセイバーもいるし。
……そう、セイバーだ。別に邪魔者扱いするつもりはないが、使い魔として、なにより親友として、もう少し気をつかってくれてもいいのではないだろうか。
一緒に暮らしているのにわたしが士郎と二人きりになれるのは夜の魔術の鍛錬時のみ。恋人同士の甘い雰囲気なんてありゃしないし、その時間も下手すると士郎がセイバーと剣の修行をするほうが長いかもだし。
……なんていうか、セイバーの士郎を見る目に熱がこもってるような気がするし……
……士郎も、セイバーに優しいし……
あ、なんか余計落ち込んできた。これ以上考えるのはやめとこう。うん。
だいたい魔力不足だって士郎が手伝ってくれればもっとマシになるのに、アイツときたら全然だし。
……ナニをどう手伝うのかは秘密だ。ぜったいぜったい秘密だ。追求するものには死を。
わたしから手伝いを求めるなんてのは却下。そんな恥ずかしい……じゃなくて。
既にわたしは戦いの終わった次の朝に、士郎の協力が必要だといった。足りないものは他から調達するのが魔術師だとも教えた。
……だから察しなさいよ、あの馬鹿！！
……もしかしてあの時、もう二度としないって言ったのを気にしてるとか？
で、でもあれは士郎が乱暴だったから悪いんだし別にわたしも本気で言ったわけじゃないし……ぅ……だ、だってホントにこわかったんだもん！！ しろーのけだものー！
？あれ、でもたしか男の子って出さなきゃ溜まる一方で、そのうち我慢できなくなるんじゃなかったっけ……？
──ま、まさか本当にセイバーと！？ ってなにバカなこと考えてるんだか。
士郎もセイバーも、わたしを裏切ったりするひとじゃない。疑うなんてそれこそわたしが二人を裏切ることになるわよ。
うん、大丈夫。わたしは二人を信じてる。
……じゃあ士郎はどうしてるのかな……？ あっ、そうかきっとエッチな本とかでってそれもダメーーーーー！！！！！ 士郎はわたしの以外はぜったい、ぜぇったい見ちゃダメダメダメーーーーーー！！！！！！
くっ、今度家捜しする必要があるわね。
覚悟してなさい士郎！ こちらの戦力はわたしとセイバー、加えて桜に藤村先生も必ず協力してくれるハズ。どんなに巧妙に隠していようが逃れる術は無いと知りなさい！！
閑話休題。
というわけで、魔力不足で疲れてて、なにより士郎がかまってくれないのがさみしくて、今のわたしはなんかいっぱいいっぱいで。
そう、つまり、だ。
──────遠坂凛は、衛宮士郎に、完膚なきまでまいってます。
と、いうわけで！
ただいま朝のＨＲ十分前、ひとはいっぱい……場所は士郎の教室前。
いや、仕方なくなのよ？
ほら、仲良くするのは三年生からって言ったけど、よく考えたら少しづつ話すようになっとかないと結局どの時期選んだって急に仲良くなったように見えちゃうし。
……ごめんなさい、嘘です。いやまるっきり嘘ってわけでもないけど、わたしが士郎に会いたいだけです。……うぅ……なんか負けた気がするぅ。
────ええ、そうです。遠坂凛は恋愛初心者です。
くそう、覚えときなさい！ ってだれに言ってんのよ、わたし？
ああ、マズイ。なんか思考がおかしくなってきた。さっさと士郎に会わないと。
「──いないし」
教室に目をやってわずか一瞬、士郎がいないとすぐさま判る自分に少し疑問を感じつつ思わずグチる。
……荷物はある。よく見れば一成のやつもカバンだけみたいだし、多分また備品の修理でもやらされているのだろう。あのお人好しめ。
まあ、いないものは仕方がない。また後で来ればいいことだし。どうせすぐ会えるし。
うん、だからさみしくなんてないわよ？ ……ホントなんだから……
と、いうわけで！！
一時間目終了後、なぜかひと気のないアイツの教室！！
────士郎はまたしてもいなかった。
っていうか誰もいないし。ああ、そうか。次の授業が体育なんだ。わたしのクラス授業延びたし、その間にとっくに着替えて移動しちゃったのか。
ちなみに一時間目の科目は世界史。担当教師吉野栄作花の独身三十歳。
彼の名前を心の中になぜかある黒いノートに記し、自分の教室に戻る。
だいじょうぶ。わたしはまだまだだいじょうぶ。……ふん、しろーのばーか。
と・い・う・わ・け・で！！！
やってきました士郎の教室！！！ わたしテンションおかしいわよ！？
しこうかいろはーしょーとすんぜん。いますぐあいたいの。
うーん、彼女たちみたいに顔丸出しでも正体ばれないなら魔術師やるのも楽なんだけどなあ。
──って気をしっかりもてわたし。ものすごく変なこと考えてるぞ。はい、深呼吸。すー、はー、すー、はー。……よし落ち着いた。
ちなみに今は三時間目終了後の休み時間。……さっきの休み時間は、士郎が体育からなかなか戻ってこなくてあきらめた。ちくしょーしろーのかいしょーなしー。
だけど今度こそは！
「ぬお！？ 貴様遠坂！ おのれが俺の教室の前でなにをしている！！」
そうやって気合を入れた直後。とっても不愉快な物言いをされた。
この学校で、完全無欠な優等生を演じるわたしにそんな口の利き方をするヤツは一人しかいない。
「あら、こんにちは生徒会長。挨拶もなしにいきなりそんなこと言うなんて、相変わらずわたしにはつめたいんですね」
柳洞一成。なぜかわたしを目の敵にしている士郎の親友だ。
「ふん、貴様のような女狐めにかける温情なぞ持っておらんからな。……で、どういうつもりだ？ 聞けば、朝もこの教室の前をうろついておったらしいが」
言って、思い切り疑った目で見てくる。
「別に。たいした用事じゃないわ。ちょっと衛宮くんに話があるんだけど、どうもタイミングが悪くてまだ会えてないんです。今、彼いるかしら？」
わたしがそう言うと、ヤツはますます疑わしいと言った顔で、
「貴様が衛宮に話だと？ ……何を企んでいるか知らんが、アヤツを巻き込むことは許さんぞ」
一成はいかにも不快だといわんばかりに息巻いている。
──コイツ、わたしと士郎が付き合ってるって知ったらどんな反応するんだろう。この世の終わり、みたいな面白い顔見せてくれるかも。いや、それとも頑なに信じないとか。
……なんか自分で考えててむかついてきた。そんなにわたしが嫌いか柳洞一成。
「わたしが衛宮くんに話があるっていうだけで、どうしてそんな発想ができるのよ。誰と話をしようがわたしの勝手でしょう。
それとも、生徒会長にはそんなことにまで口を出す権利があるのかしら？ だとしたら、生徒を代表して抗議しなくちゃいけないですね」
「そんなものあるわけなかろうが、たわけめ。第一、俺は今生徒会長としてでなく、衛宮の友人として貴様と相対しているのだ。
おのれの話がなんであるかは知らんが、衛宮にとってよからぬことに決まっておる。友人として見逃すわけにはいかんだろう」
────そこまでいうか。
ふふ、士郎に会えなくて不機嫌なときにそうまで言われて許せるほどわたしの心は広くないわ。
いいわよ！ その挑戦受けてやるわ柳洞一成！！
「ふーん、衛宮くんの友人として、ね。でも、彼は貴方のこと本当に友達って思ってるのかしら？」
「ふん、何を言うかと思えばくだらんことを。そんなのは当たり前であろうが。何を根拠に疑うか、たわけ」
おお、即答。
まあ確かに、士郎はコイツを友人として大切に思っているだろう。だけど容赦はしない。魔術師は情けなど持っちゃいないのだ。
「だって……聞かされてないんでしょう？ わたしと士郎のカ・ン・ケ・イ♪」
『関係』ってところに思い切り含みを入れて言ってやる。
「────な────！？ し、士郎！！？？ 関係だとっ！！？？」
思惑通り、目を見開いて驚愕する敵。
「い、いったいどういう……いやまてよ。そうかハッタリだな！ 女狐め、虚言を弄して俺を謀るつもりなのだろう！ その手には乗らんわ！！」
「その割には動揺してるみたいだけど。気になるなら士郎に直接訊いてみればいいんじゃない？
でも、わたしから一つ言っておくわ。士郎はわたしのことよく知ってるし、わたしも士郎のことよく知ってるの。それはもう世界で一番と言ってもいいくらいにね。
──うん、士郎を一番理解してるわたしには分かる。士郎は貴方を親友だと思ってるわ。だからさっき言った事は忘れてくれていい。
……だけどそうするとなんで士郎はわたしとのこと柳洞くんに教えてなかったのかしら？
──あ、そういえば。わたし、恥ずかしいからわたしと士郎とのことは二人の秘密にしてって言ったかもしれない。自分でもすっかり忘れてたわ。士郎ってほんと律儀よね。
じゃあ、士郎が柳洞くんに何も言わなかったのは、貴方との友情よりわたしとのたわいない約束を優先したからだったのね。うれしいな、ふふ。
────ああ、ごめんなさいね。一つって言ったのに随分と多くなってしまったみたい」
「な……ぁ……う……？」
口を挟む暇もなく言い募られて、一成はだいぶ混乱してるらしい。
──ここで、トドメ。
「あら？ ひょっとして士郎が貴方でなくわたしを選んだのを気にしてるの。でもそれは仕方ないわよ、士郎は男でわたしは女だもの。男である柳洞くんの入り込む隙間なんてないわ」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ！！！」
ふ、完全勝利！ ヤツの悔しそうな顔といったら。ざまあないわね。
「さて、最初の質問に戻るわ。士郎、今います？」
勝者の余裕たっぷりに、にっこり笑って聞く。
「くっ……衛宮はおらん。間桐の妹で一年の──桜さん、だったか。彼女が来てな、一緒にどこかに行った」
む。アイツめ、わたしをほっといて他の女といるとは。しかも桜と。
桜はセイバーに次ぐ強敵といえるだろう。士郎と過ごした時間はわたしたちよりずっと多いし、それとほぼ同等の期間ずっと士郎を想ってきたはずだ。そしてなにより……胸が大きい。
い、いや別にわたしだってぺったんこってわけじゃないのよ？ セイバーよりはあるし、それなりなのよ？ おかしいのはむしろ桜なんだってば！
「──ふむ、そうだな。
……貴様と衛宮の関係がどんなものか知らんが、衛宮には彼女の様な女性こそふさわしい。控えめでありながらもしっかりとした芯があり、間桐の妹とも思えぬできた人間ぶり。
──む。間桐の陰口のようになってしまったな、喝」
一成が何か言っているようだが耳に入らない。
…………アイツもやっぱり大きいほうがいいんだろうか？ 男の子ってみんなおっぱい大好きだっていうし。
！？まさかあの夜以来わたしに手を出してこないのってそれが原因？ ち、小さすぎてがっかりしたとか……で、でもでもかたちには結構自信が────
思考は渦を巻き、どんどん加速していく。
「ともあれ、彼女ならば衛宮のことをよく支え、時にはアヤツの度の過ぎたお人好しを諌めることも出来よう」
ム、ムネってどうやっておっきくするんだろう？ そういえば男の人に揉まれるのがいいってどっかで聞いたことが。よし、じゃあ士郎に────っっってナニ考えてるわたしはぁぁぁ！！！？？？
「彼女が衛宮に好意を持っておるのは明らかであるし、衛宮もまんざらではなさそうだしな。うむ、単なる思い付きであったが考えれば考えるほどお似合いではないか。貴様もそう思わんか？」
だ、だいたいなんでわたしがこんなことで悩まなきゃいけないわけ！？ アイツがかまってくれないから、不安にはなるし変なことばっかり考えるようになっちゃうし！！
だあぁぁぁ！ しろーのあほー！
「……おい、遠坂。聞いているのか」
しろーのどんかーん！ しろーのぼくねんじーん！ しろーの……ってあれ？
「……あー……ごめんなさい。何の話でしたっけ？」
いかんいかん。ちょっと本気で情緒不安定かも。コラ、そんなあきれた顔するんじゃない一成。
……でも……そろそろ限界みたい、士郎……あいたいよ……
「まったく……人の話くらいまともに聞けんのか、うつけが。衛宮と間桐さんならばお互いに支えあう良き付き合いが出来ると思わんか、と言ったのだ俺は」
む。それはあれか。遠回しにわたしと付き合うのは士郎に良くないと、そう言ってるのか。さっきあれほど打ちのめしてやったのにまだ懲りんとわ。なんて往生際の悪いヤツだ。
「……さあ？ そんなの衛宮くんの決めることでしょう。ちょっとお節介なんじゃないですか？
友達思いなのはいいけど、行き過ぎると迷惑にしかならないですよ」
……桜からすればわたしは、長年の想い人をいきなり横から掻っ攫っていった憎むべき人物となるのだろうか。
あの子に嫌われるのは……つらい……
「でも、そうですね……わたしの意見としては桜は士郎と合わないと思います」
ずっと昔、わたしは全てを手に入れた。かわりに桜は全て失った。
だからあの子のことはずっと気にかけてた。
同情ではない。
得た者の義務としてでもない。
ただ、それが当然だと思ったから。
「確かに桜なら彼の傍にいることも、危ないときに引き止めることも出来るでしょう。
……だけどアイツは止まらない。いえ、止まれない。自分の事を理解らないし顧みない」
桜が士郎を好きだってこと、もちろん知ってた。応援だってしてた。
「──必要なこと。
アイツが前に進むしか出来ないなら、むしろ引っ張ってやればいい。アイツが幸せになれる方向へ。
アイツが自分の幸せを認識できないなら、ぶん殴ってでも思い知らせてやればいい。それがアイツのためだから」
でももう譲れない。
士郎だけは譲れない。
「桜にはそれが出来ない。
それじゃ、士郎は幸せになれない。
きっと、桜も幸せになれない」
そして、わたしも──士郎なしで幸せなんかになれない。
「だから──」
桜には悪いけれど
「わたしは──」
アイツはわたしが幸せにする。
わたしはアイツと幸せになる。
「────────」
これは絶対譲れない。
「──まあ、つまりそういうことね」
……恥ずかしくて口には出来ないけど……
────遠坂凛は、衛宮士郎を愛してるから────
「………………………………」
……うぅ、沈黙が痛い。
「ちょ、ちょっと。なに呆けてるのよ。
何か言いたいことあるなら言いなさいよ」
黙ったままでいられると、自分の言ったこと、思ったことを振り返っちゃって恥ずかしくなるじゃないか。
「……ふむ。なるほど、衛宮を一番理解しているというのもまんざら嘘ではないらしいな。
いやはや、なかなか貴重な意見であった。うむ」
──────へ？
今、コイツはなんて言った？
「……しかしそう考えれば確かに……お前と衛宮は悪くない組み合わせかもしれんな……」
こ、これはまさかわたしを誉めてるのか？ あの柳洞一成が？
「え、えっと……どうもありがとう。
柳洞くんがそんなふうにわたしを認めてくれるのって、もしかして初めてじゃないですか？」
「勘違いするな。俺はあくまで衛宮のことを考えているのであって、お前のことなどまったくもってどうでもいい。
それに、俺はお前のことは最初から認めている。ただ気に食わんだけだ。
……ふん、つまらんことを言った。もう次の授業が始まる、お前も自分の教室に戻れ」
……ふむ。士郎には会えなかったが、この休み時間はなかなか有意義だったかもしれない。
「──そうね。遅刻しちゃまずいし、そうするわ。士郎によろしく言っといて」
彼に対して、くだけた気持ちになっている自分を感じる。
────うん。やっぱりこの時間は有意義なものだった。
「遠坂！」
ちょっと満ち足りた気分、行きより少し、しかし確かに軽い足どりで戻るわたし。
その背中に──
「俺は、お前が、嫌いだ」
そんな言葉が届いた。
「────でも、わたしは結構あなたが好きよ柳洞くん？」
その声は彼には、そして多分誰にも聞こえなかっただろう。
四時間目終了のチャイムが鳴る。
わたしはすでに士郎の教室の前だ。授業は少し早めに終わった。
ちなみに物理。科目担当藤木直子二十九歳瀬戸際。
彼女の名前は心のノート、ホワイトカラーに記しておこう。
今は昼休み。お昼を士郎と食べるのもいいかも。
今日はお弁当。士郎の力作。
やっぱりこういうのは女の子が作ったほうがいいのだろうか？
朝は苦手だけど士郎が喜ぶならがんばってみようかな。
心はウキウキ。
そこにちょうど教室から出てきた生徒一人。急いでる様子は無いので士郎を呼んでもらうことにする。
「衛宮くん？ いないよ」
ピシィッ！
……あはは。またか。なにやら不吉な音が心に響いたわよ？
「あ、あの、遠坂さん？ えっと、だいじょうぶ？」
「ええ、全然何も問題ありませんけど？ ところで、彼がどこに行ったかわかりますか」
「んー、どこに行ったかはちょっとわからないなあ。なんか柳洞くんに引っ張られてったケド」
ピシピシピシ、ピシッッ！！
……へぇー……アイツが。ふーん。
「ととと、遠坂さん？ ホントにヘイキ？」
「問題ありません。それってついさっきのことですか？ まだ授業終わったばかりですし」
それならば追いつける可能性もある。
「ううん、違うよ。十分くらい前だったかな？ うちのクラス、さっきは自習だったの。
でも珍しいんだよね、柳洞くんいつもは自習でもまじめに最後までやるのに。衛宮くんもだけど。
それになんかおかしかった。課題ほったらかしで授業中ずーっと衛宮くんに、俺に秘密にしていることがあるんじゃないか、悩みはないか、誰かに脅されてはいないか、って感じで問いつめてて。
しまいには、ここはきけんだー、とか。あくまがくるー、とか。はやくひなんするぞー、とか叫びだして。
衛宮くん戸惑ってるのに、かまわず連れてっちゃうんだモン。クラス中があっけにとられちゃったよ」
────────ぴきーん。
「ひ、ひぃっ！？」
……今のは、きっとわたしが心を凍らせた音。
遠坂凛は人前で激昂するわけにはいかない。だから冷やす──外側だけ。
外の熱を内へ、内の熱をさらに内へ。
中心に近いほど熱の高い、それはまさに心の星。表面上は穏やかでも、中にはぐらぐらと煮えたぎる溶岩。
──爆発寸前──
臨界は間近。耐える為に自己暗示。
アーチャーに呪文を借りて。
──────体は意地で出来ている。
血潮はマグマで 心は氷。
幾たびの休み時間を越えて未見。
ただの一度も再会は無く、
ただの一度も顔すら見れない。
彼の者は常に独り 意地の上で怒りに耐える。
故に、我慢に意味は無く。
その体は、きっと“ いぢ ”で出来ていた。
────よし、ちょっと落ち着いた。とりあえず一山越えたぞ。
心頭滅却。
……にしても……ふ、ふふふ…………
やってくれるじゃない柳洞一成。
さっきはきれいに終わったなと思ったのに。爽やかな気分とか貴方を認める気持ちとか、ぜーんぶ吹っ飛んだわよ？
「あ、あうあうぁ……と、遠坂さん……わ、わたしなにかあなたの、いえあなたさまの御気に触るようなことを言いましたでしょうか？」
「？いいえ。別に何も。むしろいろいろ教えてくださったので感謝してるくらいですけど。
どうしたんです？ 震えてますけど、寒いのかしら？」
「い、いえあのその！ ま、まったく問題ありませんので御気になさらずに！！」
「そうですか。では、わたしはこれで失礼させてもらいます」
ぼろが出る前に戻ることにする。
……もはや手遅れな気がしないでもないけど。
自分の教室の方向へ振り返り、回る視界の中。何かに懺悔するような彼女が印象的だった。
──沸々と怒りがこみ上げる。
高まる熱に、氷が融ける。
周りにはいまだ他人がいるが、別に面と向かって話してるわけでなし。心の中でだけタガをはずすぶんには問題ないはず。
そう思えば、限界はあっさり超えた。
────────うがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ！！！！！！！
二月某日 午後十二時四十七分 惑星遠坂 爆発
［なかがき。］何故かどんどん長く（汗）
終わらないんじゃないかって恐怖を感じたので、前編だけだしてあとにひ
けないように追い込んでみたり……
続きは本気で急ぎますんでご勘弁を（土下座）