呆然と過ごせば、夜が更けるのは早かった。
あの後、たしかめに赴く勇気もなく、遠野の屋敷近くに戻ってからすでに半日。
今はこうして、街の建物の上から街路地をただ眺めている。
眼下には、ガードレールに腰をかけた一人の少年。
体調不良なんていう理由で学校を早退した貧弱な少年。
その、かつての自分が今何を思っているのかなんて、見当もつかないが―――
(……彼女の事を考えているんじゃ、ないんだろうな……)
脳裏にほんの一瞬だけ、夕焼けの少女が映る。
しかし、それはほんの一瞬にして膨大な感情に塗りつぶされた。
なぜならば、
「―――アルクェイド……」
今彼の目の前には、その金髪の女がいるのだから。
Stay Knight Assasin,ver
seventh
たしかに感じる、彼女の気配。
どれだけ離れていようが、間違えるはずがない。
あれほどまでに焦がれ、愛し、そして失った彼女が、今確かにここにいる。
「―――っ」
彼女が今ここに居る。
彼女の姿を見たい。
彼女の声が聞きたい。
彼女に触れたい。
抱きしめて、今すぐにこの場から連れ去りたい。
その全ての衝動をことごとく認め、そして―――殺していく。
今この魔眼殺しを外せば、彼女は間違いなくこちらの存在に気づくだろう。
それでは意味がない。
自分がここに居ることの意味。
過去を糺す事。
あいつに、きちんと色々なことを見せてやるために『トオノシキ』の手助けをする事。
それが、昨晩もこの身に刻んだ、自分の成すべき事。
そうして彼女の気配を見送ること数秒。
次に感じた気配は、狂気にも似た殺人衝動。
その塊が、今この場を去っていった彼女の後を尾行ていく。
「――――――」
無言で立ち上がり、霊体となってその二人の後を尾行する。
この行動に意味はない。
たとえ、自分が行かなくても、この先を歩くアイツは、人生最初の体験をすることになるだろう。
それを止めるつもりも、後押しするつもりも毛頭ない。
しかし、と思う。
もしもできることならば、彼女と、こんな関係ではなく、もっと普通の出会いをしていればそれはどんなに―――
胸中に浮かび上がった考えに、自然と口元が歪む。
「―――あいつと普通に知り合うなんて、それこそありえないことなのにな」
独り呟いた言葉は、周囲の雑踏の中へ消えていった。
◆◆◆◆◆
それは外で待っていれば、たったの数分で終わる出来事だった。
マンションの六回の一室。
そこで、異常なまでに殺気が膨らんだかと思うと、それが一気に萎み、その数分後には少年はマンションを出て行った。
自分という存在の誕生の瞬間とも言えるその時を、ただ外で傍観していた。
「………………」
不意に、その場所へ行ってみようかという誘惑に囚われる。
しかしその馬鹿げた考えを即座に切り捨て、少年の後を追う。
少年の足取りは、重い。
重いが、それは速い。
ナニカから逃げるように、ひたすらに歩いている。
―――ナニガチガウ
記憶とかぶる、それを否定しながら歩いている少年の背。
―――ナゼヒテイスル
こうしてまた平穏なセカイへ戻ろうとしている少年を見ていると、吐き気がする。
―――オマエニソノケンリハナイ
自分のコトを、本当に理解してくれていた女の子を助けられなかった上、今この時においての見苦しさ。
―――キショクガワルイ
そしてたった一つの約束さえ守れなかった、己の弱さ、未熟さ、愚鈍さ。
―――ヘドガデル
知った時には全て終わっていた―――否、知ろうとしていなかった。
―――ナンテ、ヒドイアリサマ
同族嫌悪、という言葉がある。
その言葉の意味は、今まさに理解できる。
今まで誰に感じたそれよりも大きい。
間違いなく、殺人貴は―――
―――あのトオノシキという少年を、殺したがっている。
「……こまったな」
脳裏に甦る昨夜の先生の言葉。
あの意味は、
『自分の過去をすべて見て、その上で、何も手を出すな』
という難問。
「……ああ、本当に―――まいった」
ただでさえ、これからあいつらは一緒に行動する。
あいつの気配を感じるだけで、狂いそうだってのに、
「……あの野郎が、一緒にいるなんて……耐えられるかな?」
あの少年が今からなす事をすべて見ていたら、どうにも自分の衝動に勝てそうもない。
「……ほんと、まいったな」
人生最難関の課題を前にして、死のサーヴァントは、深く息を吐いた。
◆◆◆◆◆
ゆらりと影が動く。
先ほど少年と青年が立ち去ったマンションの隅で、彼女は大きく息を吐いた。
「……ふう。てっきり止めようとするものだと思っていたけど―――」
昨晩の自分の言葉が脳裏によぎる。
「―――そのへんは、ちゃんとわかっていたみたいね」
トランクを担ぎ、影から出てマンションを見上げる。
―――信じられなかった。
おそらくはこの八年間、必死に守ってきたであろう彼女との約束を、彼があっさり破った事。
その手順が、あまりにも手馴れていた事。
そしてそれ以上に、
「……本当に、真祖の姫を殺してしまうなんてね……」
真祖の姫は、言ってしまえば歩く核兵器だ。地球の意思とも言える。
そんな、考えるだけでもすさまじい存在を、ああもあっさりと『殺し』た。
「……これなら、あの子の言ってた事も信憑性が増すわね」
彼女のサーヴァントの話。
ネロ・カオスとの戦い。そしてその消滅。
ミハイル・ロア・バルダムヨォンとの戦い。そしてその消滅。
それがこの後、一週間ほどの間に起きる。
「……どっちにしたって、完全に消滅させきるものじゃないっていうのに」
かたや666の生命を持つ混沌。
かたや永遠に転生し続ける転生無限者。
その、ある意味究極にも近い生命を彼は―――
「……さすがは『直死』ってとこか」
言いながら、視線を道ばたへ戻す。
視線の先には、彼らの気配。
―――今の彼は気づいていない。
これが彼自身の人生を大きく狂わせる事になっているという事に。
―――そして、彼も気づいていない。
「……君の考えてる方法じゃあ、彼女は救えない」
青子は呟く。
「君なんかのチカラじゃあ、全然足りない。
君は核兵器の扱い方を知っているだけで、その本当の威力を知らない。
だから、自分だけで救えると勘違いしている。
……下手をすれば、君自身が消えてしまうのに―――」
そこまで独白して、彼女は再びマンションを見上げた。
六階の一室。
おそらくそこには、今まで見たどの景色よりも紅い風景があるに違いない。
数秒の間を置いて、蒼い魔法使いは忌々しげに吐き棄てた。
「……やっぱり、私がやるしかないのかな……」
だとすれば、それは―――
「―――姉貴に手を貸すのと同じくらい厭なコトね」
青子は、思わず顔をしかめた。
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注意8。
自分の中では青子と橙子は本気で仲が悪いです。ええもう、出会った瞬間コロスくらい。
さて、次回はめっちゃ話が進んでいきなり決着編です。
ネロとかは出てきません。話がまとまらなくなるので(と言っても今もあまりまとまってませんが)。