夢見る彼の人へ 後編(傾:シリアス)


メッセージ一覧

1: takya (2004/03/07 07:56:45)


 衛宮士郎の朝は早い。
 加えて言うなら遠坂凛の朝は遅い。朝は弱いのだ。しょうがあるまい。
 だから士郎の寝顔なんて見たのは二年前とかあいつが気絶なんかしてた時ぐらいのものだ。
 この家に泊まる事はあっても、起きたら既に士郎なり桜なりが朝食を作っているのが常だった。
 だいたい昔は朝食べない派だったのだ。そりゃまあこの家の食事は美味しいし用意してあるのなら食べるのも吝かではないが、自ら作ろうとは思えない。のだが。
 さて、この家の早起き担当よりも早く覚醒して朝食の用意なぞ済ませてしまったのはどういうことか、と作り終わってから思う私。
 まあ私が早起きしたのではなく、みんなが寝坊してるだけなのだが。
 昨日……日付は既に今日だったが、一緒に寝た妹は未だ眠りの中。昨夜遅くまで起きて話をしていたという条件は同じなのだが、徹夜も珍しくなかったりする生活を過ごしている自分の勝ちという所か。余り嬉しくも無い事実だったが。
 
「……思考が無秩序ね」

 敢えて呟く。朝早くすっぱりと目が覚めようが、時間的に寝不足なのは変わらない。
 どうもまだ頭がうまく回っていなかった。
 まあいいや。作ったものはしょうがない。しかし、未だに誰一人起きて来ないというのはどうなんだろう。私がいない一年の間に衛宮家の面々は不精になってしまったのか。
 ……あ。

「士郎も、まだ寝てるのよね」

 ふいに思考がクリアになる。
 衛宮士郎を起こす。そういえばやった事はなかった。
 うん、中々楽しそうじゃない。
 私はふふ、と笑って、台所を後にした。 


 歩きながら、色々な事を考える。
 ここを離れていた一年で、何か劇的な変化があったかというと、そうでもなかった。
 私は私の目指す通りに魔術師として日々精進、鍛錬に研究に発見。新たなものはどんどん見つかるけれど、魔術師としての向上を目的としている自分にとってそれは当然であり必然だ。成長と変化は少し違うものだと思う。

 こっちの面々、士郎や桜、藤村先生も相変わらず。
 背が伸びて随分と男らしくなった士郎とか、同じ遺伝子なのに憎たらしいくらい柔らかそうな体つきになった桜とか、理不尽なくらい変わってない藤村先生とか、ちょっと言動がお茶目というか前みたいな冷徹さが大分抜けたライダーとか。言葉にすれば色々あるが。
 あるのだが、それでも再会の折に『久しぶり』と笑顔で交わせるお互いであるのなら、それはきっと対した違いではないだろう。或いは幸せな変化ならそれは喜んで迎えるべきものだし。
(士郎と桜は、だいぶマシになってくれたしね)

 一年前を思い出す。
 出発の前日、私は士郎に尋ねた。
 あの子を幸せに出来るか、と。
 確かに桜は士郎が傍にいてくれる事で再び笑うようになった。けれど吹っ切れたとは全然言えないままで。
 あの戦いの、流石に誤魔化しきれない部分の爪痕が、勝手な解釈と共にニュースで語られるたびに悲壮な顔をしていた。
 士郎は随分頑張っていたと思うけど、理想ばかり追っていた彼が己の幸福を求めるというのは難しいのか、彼の心の在り方は未だに『桜の為に』というだけの自己犠牲に近いものだった。
 その事を士郎も自覚していたのだろう。かなり悩んだ挙句、あいつは真面目な顔で、がんばる。とだけ答えた。それから一年。

 再会した昨日、桜に幸せか、と聞いた。
 あの子は笑って、幸せです、と答えた。

 それで全てが癒されるわけでも、赦されるわけでもないけれど、それでも私は良かった、と思った。
 ついでにその夜、士郎にもう一度尋ねてみた。
 あの子を幸せに出来ているか、と。
 士郎は、

『取り合えず今、俺は幸せで、桜も幸せだと思うけど、まだまだ足りないよ。もっと、強く。二人で幸せになる』

 などと相変わらず真面目くさった顔で答えてくれた。
 私はその答えに満面の笑みを浮かべ、クサすぎるわよ士郎、と思い切りからかってやった。

 周りの幸福のみを願い、己の全てをかけて戦おうとした衛宮士郎は、もういない。
 そこにいるのは自分と大切な人達が幸せであるようにと、罪を背負い、日々を精一杯に生きている弱くて強い衛宮士郎だ。
 かつてのような、ただ真っ直ぐに掲げた理想を追い求めていた姿。
 生きた『人間』というよりも『理想』そのものになろうとしていた衛宮士郎に比べれば、それはなんと泥臭く――そして、なんと人間らしい姿か。
 人、っていうのはそういうものだと私は思う。
 悩むこと。苦しむこと。それでも幸せに生きたいと、心から思うこと。
 どれだけ不器用でも、危なっかしくても、自分自身を幸せの勘定に入れられるならば衛宮士郎は大丈夫だ。根拠もないけれど、そう思う。
 ……が、まあ、それはそれで見ていてムカつくというか、別に嫉妬しているとかそういうんじゃないんだけど、ないと思うんだけど。むう。
 あ、いかんいかん。落ち着けわたし。
 困惑しそうな思考をとりあえず中断して、これからの行動に気持ちを切り替える。

 さて、どうしようか。
 久しぶりに色々とからかってみるのもいいかも知れない。寝起きを弄るなんてなかったし。桜はほんわかした見かけのわりにかなり嫉妬深いほうだし、二人のどたばたを眺めつつ朝食なんてのも悪くない。
 いや、別に好きな子を苛たがるイジメっ子心理とかじゃなしに、となんとなく自分に言い訳しつつ、私はきっと騒がしくなるであろう朝食風景を想像した。
 笑顔になりそうなのを堪える。そうすると何か企んでる様にしか見えないと昔友人に言われた気がするが無視。
 足取りも軽く士郎の部屋を覗き、ため息を一つついて土蔵に足を運ぶ。


 そして、その光景を目にする。


 どんな思考を浮かべるよりも先に、ただ目を奪われた。
 朝。差し込む光。埃っぽい土蔵。散乱するのは、がらくたにしか見えないオブジェ。
 その、中で。二人は日常とまるで違う場所にいるかのようだった。
 士郎とライダー。よく知っている二人。けれど見知らぬ二人。
 ライダーは、士郎を膝に乗せ、ただ彼の寝顔を眺める。士郎は穏やかな眠りの中。そんな彼をみつめる瞳は、あまりにも優しく、しかしそれは、恋人同士のワンシーンというより――まるで、聖母の絵のようだ、と思った。
 穏やかな朝の静寂。破ったのはライダーだった。
 ふいと瞳が動く。宝石のような輝きは変わらず、いつも通りの色の瞳。
 不思議そうにこちらを見て。

「―ーどうしました、リン?」

 ふう、と息を吐き出す。呼吸さえ疎かになっていたらしい。まったく。
「……それ、こっちの台詞。士郎を起こしに来た……んだけど、別にいいみたいね」
 答えながら、土蔵に入っていく。なんだか知らないが凄く驚かされたのが悔しくて、士郎を蹴り起こしてやろうかなどと物騒なことを考えた。が、再び思考停止。
「――どう、したのよライダー」
「何がですか?」 
「目の所――泣いてるじゃないの、貴女」
 彼女の瞳から頬を伝っているそれを指差しながら言う。

 泣く。サーヴァントが涙する?
 ありえない、ことではないと思う。思うけどありえない。
 私の知っているライダーは、無感情ではないけれど表に出すほうではない。
 それが、こんな、朝っぱらの何気ない時間に泣くだなんてありえない。
 ライダーは自分の頬に手をやって、やっとそれに気付いたらしい。頬から零れた雫は、ライダーが握っている士郎の手に落ちている。ライダーは、深く微笑んで零れる涙を拭った。
「……いえ。これは恐らく、夢の中の士郎の感情に引き摺られたものと思います」
「は?」
 なにそれ、と問いかけて思い出す。
 そういえば彼女は夢に干渉する力があったっけ。
 それは確か生気を吸うとかそういう類の能力だった筈だが、この微笑を見てはそういう事だなんて思えない。
 思わず士郎の寝顔を見つめる。
「……なんだか物凄く平和そうな顔してるけど。恐い夢でも見てるっての?」
「いえ」
 ライダーは、何故か逡巡するかのように首を振り、
「いえ……倖せな、夢だったと思います。昨日の、花見のようでした。花が舞い、サクラが綺麗で」
 ますますわからない、という顔の私に、ライダーは静かに、

「もう、二人。懐かしいかたが、一緒にいました」

 言葉につまる。
 二人とは、即ち、あの二人だろう。
 詳しい事情は知らないが、彼を兄のように慕っていた少女と。
 何よりも彼を信じ、彼が信じていた騎士の少女。
 春を待たずして消えた二人。

 あの戦いで、喪われた二人。

 起こった事を知ったのは全てが終わった後。
 イリヤは、士郎を助けるために命を賭けた。
 彼女の生。聖杯。アインツベルンの願い。魔法。
 他に最善があったのかも知れない。けれど全ては過ぎた後。取り戻せたのは士郎だけ。
 それなりに好きになれていたので、文句つけたいこともあったけど、最後の最後に自分を裏切れなかった私も同類なわけで、ただ士郎を助けてくれてありがとうとしか言えない。
 士郎が、イリヤは笑ってた、と言ったのが、全てなのだろう。そう思うしかない。

 そしてセイバーがどうなったのか、教えてくれたのはライダーだった。
 彼女がどうなったのか。その最期が、誰によってもたらされたのか。
 士郎には聞かなかった。聞けなかった。だって士郎は、笑ってた。笑わなければ全て嘘になると言いたげに、全力で。
 だから聞かない。あの二人の強い信頼を知るからこそ、最後の瞬間の葛藤が、決断が、想像も及ばぬほど凄絶であると思うから。 

「――全く、夢の中でしか泣かないなんてほんと馬鹿ね」
 未だ眠る士郎の傍にしゃがみこんで、ぴん、と額を弾いてやる。
 それでも表情は変わらない。穏やかに、そう、とても穏やかに。
 夢の中で泣いているときでさえ、笑顔で。
「ちゃんと泣けばいいのに、さ」

「いえ」

 鋭い否定。
 私が驚いてライダーを見ると、一瞬動揺したようだがすぐに首を振って私の目を見た。
 眼鏡越しの魔眼。魔力の放出はないけれど、それでも宝石のようなその瞳に感情の色が浮かぶという事実に少し驚く。
 そしてライダーは、揺らがない事実である事を確信した瞳で、静かに言った。




「士郎は、泣きません。絶対に」




 思わず声に出した台詞に驚いた表情のリンを見て、逆に驚く。自分は、何を言おうとしている?
 少し迷う。これは、サクラも知らないこと。サクラだけには知られたくないことだ。姉であるリンに話すべきか。
 だが、言い切ったからには追求されるだろう。ならば、話してみるのもいいかも知れない。
 この日常に強い不満などないけれど、彼女の存在が更に良い方向へ導いてくれるかもしれない。
 その逆はまずありえないだろうし。
 だから、私は言葉を続ける。
 『士郎は泣きません、絶対に』と。 
 それだけは確かだった。サクラより共にいる時間は短く、ヒトの感情というものに未だ疎い所のある私だけれど、それだけは確信を持って言える。

「その資格が無いとでも思っているのかは私にも判りかねますが、少なくともこの二年、士郎が自分からあの二人の話をしたことはありません」

 それもリンそしてタイガに聞かれた、ただ二度だけだ。
 リンにはともかく、タイガには帰ったと伝えてあったのだが、食事のついでにぽろりと出てきた、そんな何気ないやりとりだった。
 何故かその時の事は深く刻まれている。
 だが、覚えているのに思い出せない。「かえったんだ」と言った彼が、笑顔だったのか、悲しそうだったのか、怒っていたのか、泣いていたのか。
 タイガは特に深く聞かなかったから、ヘンな表情ではなかったと思う。
 けれど追求もなかったから、普通の表情でもなかったのかもしれない。
 その時に感じた士郎の鉄のような言葉だけが残り、彼の表情は思い出せない。
 もしかしたら、目をそらしていたのかもしれないと思う。記憶は自分の都合に合わせているのかもしれない。
 その問いが出たのがもうだいぶ前。彼の体調がなんとか最低限の調子を取り戻した頃の事。
 それからの日々。あの二人の名前を聞いた事は一度もない。

「これからも、ないと思います」

 そう宣言したわけでも、心を覗けるわけでもないが、そう思う。
 恐らく彼は、彼女らについてなんらかの誓いを立てているのだと思う。忘れぬ為に。けれど思い出さぬ為に。その存在に、確かにあった温もりに、悲しみも後悔も持ち込まぬように、ただ一滴の穢れも許さぬように。
 だから彼は、彼女らについて語ることを望まない。釈明も救済も求めない。たとえ罵られようと贖罪さえ認めぬだろう。
 何があろうとその罪を胸に刻んでいくことを決めているのだ。

「恐らく、士郎に赦しは与えられません。彼が望んでいない以上、どんな赦しも赦したりえない。だから、救いがあるとすれば一つだけ。そうまでして護った、サクラの笑顔こそが彼の救いなのでしょう。だから、彼は話さない。思い出さない。泣きもしない。たとえ思いの一粒とて、それがサクラの笑顔を曇らせる可能性があるのなら決して見せません」

 それは茨の路だ。
 まるで、傷つくために歩むかのような長い路。
 サクラの罪を知り、それを赦し、共に背負う事を誓いながら。しかし彼の懺悔は誰にも届かない。
 けれど恐らく、それを問うた所で、それでいい、と彼は笑うのだろう。
 自分が決めた路だから。背負うと決めた罪だから。ただサクラの幸せのために、己を賭けた彼だからこそ。
 後悔はあるだろう。
 悔しさは消えないだろう。
 己が理想を踏み躙り、罪を背負い、傷つく日々は終わる事もない。
 それでもきっと、彼は笑う。
 幸せだから。サクラがいてくれて、今が幸せだからと、胸を張って言うだろう。

「彼は、強い。……けれど、深い、深層の奥で、時折何かが揺れる時があります。士郎とて、脆い部分はあるのですから」

 完全ではない。当たり前だ。彼は人間なのだから。
 空っぽの完全から、満たされた不完全へ。
 迷い無き剣は、鞘を得て恐れる事を知った。
 だがそれでこそ、人間。
 臆病さも、不器用さも、そしていざ意志を決めたときの比類なき強さも、己の意味を見出してこそだ。
 けれど、だから、それ故に迷う心は時に負の意志を呼ぶ。
 彼の強さを以ってしてもそれは例外でなく、

「そして、そんな時は、彼を包む安らぎが、少しだけ霞んでしまう」

 それはほんの微かな違和感。
 そこだけ気温が少し違う気がするという程度の小さなもの。
 サクラは気付かない。サクラだけには気付かせない。
 だって、そういう時こそ幸せそうに、いとおしそうに衛宮士郎は笑うのだから。
 君がいてくれてよかったと、そんな何気ないことをこの上なく大切そうに言うのだから。

「だから、私は……彼に」

 その、想いに。
 彼に決断を迫った者の一人である自分に言えることは何一つなく。
 彼の騎士を最期に導いた共犯である自分に出来ることなど何一つない。
 だからせめて。せめてひとつだけ。
 たとえ自己満足だとしても。
 本人に知られれば、拒絶されるだろう事だとしても。
 ただ穏やかに。春のような、花のような、まどろみの夢を彼に送る。
 まやかしで、ごまかしだけど。けれどそれが私に出来る精一杯の小さな――

「彼への、自己満足の謝罪なのです。彼の眠りが、どうか穏やかにあるようにと、それだけの。これくらいしか出来はしませんが」 

 静かにそう呟いて、私は言葉を止める。
 語るべき事は語った。あとは聞いた者の問題。
 リンはとても強い。眩しいほどに。だからきっと大丈夫。留まる時間は僅かでも、それに負けぬ強い光を二人に与えてくれる筈。
 などと思い、それ程に深く彼の、彼女らの事を考えている自分に苦笑する。けれどそれは嫌な変化ではなかった。

 リンは暫く考え込み、うん、と一つ頷いて――何故か軽く嘆息したようだった。
「やれやれ。しかしまあ思わぬ伏兵、どころじゃないわね、これは」
「?」
「なんでもない。……ま、今はいいわよ。それよりも朝食、出来たから。桜もそろそろ起きると思うし、取り敢えず行きましょう。眠れる王子様を起こして、ね」

 私が頷くのを確認するまでもなく、リンは土蔵から出て行った。
 外の光は暖かい。よし、朝が来たならば彼を起こそう。きっと朝の陽だまりこそが衛宮士郎には似合うから。
 私は未だ夢の中にいる彼を見下ろす。

 静かな眠り。
 もう少し見ていたい、と不意に湧き上がった奇妙な感情を誤魔化すように。


 私はそっと、穏やかに眠る彼の人に手を伸ばした。



END



後書き
 はじめまして。takyaといいます。
 こういうSSとかまともに書くのは初めてなんですが、Fateにハマり、SSを読んでるうちに自分も書いてみたいとか思い、勢いで書き上げて初投稿なんて暴挙に出てしまいました。
 おかしな所はないかと不安一杯ですが、読んでくださってありがとうございます。
 桜トゥルーEDで、色々と士郎について不満というかしっくりこない部分を書こうと思ったんですが、いざ書いてみると難しいです。
 前編の似非ほのぼの風味がバランス悪いかなとも思いましたが、泣く位幸せな夢という表現が出来ず息抜きコメディに走ってしまった。
 世のSS作家さん達はやはしスゲエと思いました。
 何かツッコミ、指摘等ありましたら優しくお願いします。


記事一覧へ戻る(I)