夢の終わり


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1: YAMIDEITEI (2004/03/06 13:53:22)

 韻、と。
 冷涼な空気が割れる。

「――――シロウ。貴方の声で聞かせて欲しい」

 その瞬間まで、彼女はあくまで王だった。
 溢るる万感をきつく引き締めた唇の下に飲み込んで。
 凛と、凛と。
 唯一度の我侭も無く。
 唯一度の惑いも無く。
 その剣を抜いた遠い日より己が身の果てまで――果ててすら経て尚。全て遠い理想を胸に抱き、何にすら換え難き国を小さな双肩に背負う。
 そんな騎士王は、僅かの視線も逸らさずにその愛しい少年を見つめていた。
 その明確に訪れた終わりの時は、誰にも等しく残酷だった。少年は引き止める言葉を、術を持たず。少女は引き止められぬ「確たる信頼」をもって言葉を紡ぐ。

「――――――――」

 少年は、少女の凛とした視線を正面から受け止め。
 その言外に数度の弱さを垣間見せ……
 それでも、遥かな別れを言い切った。

「――――セイバー。その責務を、果たしてくれ」



夢の終わり



 無数の剣戟が大地を揺らす。
 鋭い呼気。絶え間ない裂帛の戦気はどちらのモノか。

『――っは……』

 乱れた体勢で大上段からの一撃をいなす。
 続け様に降る打ち込みを間一髪で弾く。
 縦、横、斜め。
 次々と吹き荒ぶ、烈風と称して尚ぬるいその攻撃は、到底人智を超えている。
 だが、少女はセイバーだった。事、剣を扱う事においては何にも負けぬ。最強の呼び名高い剣のサーヴァントは、無限とも思える刹那の攻防の末、己が敵を間合いの外に弾き飛ばす。そんな――敵を見据えた少女は想う。繰り返し想う。

『約束された――――』

 自問。
 自問、自問、自問。
 全ては、あの時老魔術師に言われた通りではなかったのかと。
 自分にはこの剣を抜く資格は無かったのではないかと。

『――――勝利の剣!』

 虚空を閃光が貫き、立ち塞がる敵の全てを蹴散らしていく。
 その鮮烈さは視界を焼き、突き抜けた光の残滓が闇を侵食する。
 訪れる虚脱にも似た一瞬は、幾度と無く少女を苛んだ。皮肉にも最強を最強足らしめる王の証は、無常にもその名が示す結末を主に齎すのみ。遠い日の最後に続く戦いの軌跡は、「夢」の中においても残酷なリピートを繰り返すだけなのだから。

『――――ァ、ハァ……』

 乱れる呼気を落ち着け、汗で張り付いた前髪を手の甲で拭う。
 すると、大した暇も無く新手が遠く姿を覗かせていた。

『待ちなさい、征服王!』

 まるで夢だった。
 此の世と変わらぬ果ての無い戦いの幻想。英霊の枷は、繰り返す夢への招待状。
 彼女は、「全て遠い理想」を目指し、「約束された勝利」を握り。必死にひたすらに。連続しない世界の断片で数え切れぬ程に刃を振るっていた。
 既に意味等、冷たい無為に貶められ。何より「聖杯(ひてい)」を求めんとする情念のみに突き動かされて。

(夢……?)

 そんな風に思う度、決まって少女は自嘲した。
 新しい戦場は、有り得ぬ跳躍を経て「あの戦場」から連続した現実。
 理想を、盲目するまで塗り重ね。
 「それ」のみが不出来な王が果たすべき最後の責務に他なるまいと。そう信じ込んでいた。

『最後に一つ伝えないと』

 間違い等無く。
 惑い等ある筈も無く――――

『シロウ――――貴方を、愛している』

 幾度と無い戦いの果てに、夢の終わりが訪れるその時までは。



 戦いは終わった。
 血に染まる夕日を丘陵が飲み込んで、闇の中に生者はたった二人きり。
 濃い死に囚われた鉄の王と、その忠実な騎士の二人きり。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハ――――!」

 白馬に跨り、瀕死の王を連れて逃げる騎士は必死だ。
 王の受けた傷は明らかな致命傷。背負った王はおぼろげに希薄で、今にも燃え尽きそうな蝋燭を思わせていた。
 それでも騎士は希望を捨ててはいない。いや、決して捨てぬ、と誓っている。
 かの聖剣が導く彼の主は……まさに形ある不滅だったのだから。

「王……! アーサー王、こちらに――――!」

 必死に呼び掛ける。

「お気を確かに……! あの森まで辿り着けば、必ず……!」

 反応は無い。

「ハッ――――ハア、ハア、ハア、ハ――――!」

 屍を越え、呪われた丘を下り。
 騎士はただ一路、血に塗れていない森を目指す。
 泥土の呪い、黒いヤミ、濃密に香る死の気配から逃れるが如く、一路。
 あどけなさの残る外見と裏腹に、全ての艱難を顔色一つ変えずに乗り越えた背中の偉大な「少年王」を守り通す為に!

「王、今はこちらに。すぐに兵を呼んでまいります」

 やがて辿り着いた近くの森。
 一際立派な大樹の根元に横たえた王を見下ろし、騎士は云う。

「どうかそれまで辛抱を。必ず兵を連れて戻ります」

 呼び掛けは己への鼓舞でもあった。
 圧迫する不安を忠義の剣で切り散らす為の一つの儀式。「致命傷を既に受けている」王の不滅をあくまで信じるが為の過程。
 騎士は小さく頷き、その場を後にしようとしたが……

「――――ベルディヴィエール」

 まるでそれを阻むかのように。
 意識の無い筈の王から、幽かな呼び声が掛かった。

「……うむ、少し夢を見ていた」

 破顔した騎士に、王は告げる。
 王の――少女の声は、ついぞ騎士の聞いた事が無い程温か。
 珍しい体験をした、と告げる彼女の声は何処かぼんやりと、陶然としているようにも聞こえる。騎士はその様子から王が未だぼんやりと彷徨っている事を感じ、その場を離れる事を告げたが。

「―――いや。そなたの言い分に驚いた。夢とは、目を覚ました後でも見れるものなのか。違う夢ではなく、目を瞑れば、また同じものが現れると……?」

 何の気なしの一言に、鉄面皮と称しても良い少女は強い関心を示していた。
 騎士はそれを偽りかも知れぬと知りながら、曖昧に肯定する。王に働く初めての不正と知りながら、主の表情に向けてどうしてもそれを否定する事が出来なかったからである。

「ふむ、なれば夢も良いものよな。
ベルディヴィエール。我が名剣を持て」

 少女は騎士の言葉に感心し、頷いた後不意に命じる。

「よいか。この森を抜け、あの血塗られた丘を越えるのだ。その先には深い湖がある。そこに、我が剣を投げ入れよ」

 最後の命令だった。
 少女は、王の象徴を返せと命じていた。
 誰よりも王である彼女の安否を気遣い、蒙昧に希望を捨てようとしないその最後の騎士に。
 ゆるりと、彼が仕えた王の終わりを告げた。

「―――行くのだ。事を成し得たのならばここに戻り、そなたが見た事を伝えて欲しい」

 最早、視線を上げる事もしない。
 苦しげにそう告げた少女は、力なく瞼を下ろし息を吐いた。



 それから騎士は、二度嘘述を働いた。
 王の終わりを如何しても受け入れようが無く、湖に剣を投げ入れる事を躊躇い、拒んだ。
 されど王の意思は変わらず。一句たりとも変わらぬ言葉を二度繰り返した。
 「命を守るがいい」、残酷に端的な一言だけ。
 背信への怒りも、失望も無い。偏に少女の全ての余力は尽き、確実に訪れる最後を、ただ見届けんが為にのみ永らえていたからだ。
 騎士は、三度目でようやく覚悟を決め――――三度、王の御許を離れて行った。
 少女は、目を閉じ。そうして一人忠実な騎士の帰参を待っていた。



 少女は、夢見ている。
 愉しい、束の間の安息の日を。

「――――バー」
「……?」
「……イバー」
「……ん……」
「セイバー……」

 そんな中、意識に呼び掛ける声があった。

(これも、夢なのか……?)

 騎士は、目を閉じれば夢の続きを見る事が出来ると云った。
 成る程、これは気前が良いと少女は微笑む。それは、少し低い声。たった数日一緒に居て、何よりも誰よりも深くアルトリアに根付いた優しい声だった。

(夢も、悪くない)

 まどろみの中、アルトリアは幸せに夢見るだろう、と少女は思う。
 王としてひた走ってきた己の最後が女として甘美である事、そんな惰弱さえその声を聞けば愛しく思えるから不思議だった。

「セイバー?」
「……………」
「ふむ、起きないか」
(夢じゃ……無い?)

 少しごつごつした大きい手が、少女の前髪をやわと撫で、頬に触れる。
 現実的なその感触に、少女は意識を浮上する。うっすらと目を開けた彼女のぼやけた視界には……

 赤い外套の騎士が居た。
 いや、少女を騎士の顔が至近距離から覗いていた。

「……アーチャー……?」

 少女は、失われつつある思考力をフルに動員し、事態の理解に努める。
 目の前に居る大柄な男は、「アーチャー」。夢の終わりで遠坂凛のサーヴァントとして、聖杯戦争を共闘した英霊で……

(……バーサーカーとの戦いで命を落とした……)

 聖杯戦争における英霊の死とは、受肉した人間のそれとは異なる。
 既に世界のシステムの一環として組み込まれた「抑止力」たる英霊に、通常概念での滅亡は無い。しかし、目の前の友人の「死」を「退場」と称するには気が引けた。

「何故……貴方がここに?」
「セイバー、私が分かるか?」
「はい……貴方はアーチャーです」
「ふむ」
「ベルディ……ヴィエールは……?」
「さて、少なくとも私は出会っていないが」

 少女――セイバーは、これも末期の夢の続きでは無いかと疑い始めていた。
 全身を泥のように覆う疲労感は本物で、甲冑の重さも、熱を持った傷の痛みも、確かなリアルを告げている。しかし、シーンからは余りにも現実感というものが欠落していた。

(最後の戦場で終わりを待つ私が……
あのアーチャーとこうして向かい合っている……だなんて……)

 考えるほどに不可解が深まる。

「セイバー。俺が……分からないか?」
「――――――――」

 弱々しく小首を傾げたセイバーを見つめるアーチャーの瞳は優しい。彼は、照れ臭そうに一つ咳払いをするような仕草を見せて。
 セイバーは、どうしてか、ふとそのサーヴァントの目に愛しい彼の瞳を重ねる。

「出来るなら、分かって欲しい」
「……………」
「……………」

 暫し、見詰め合う。

「……シロウ?」

 意識せずに漏れた呼び掛けだった。
 セイバーの口は、考えるよりも先に直感でその名前を呼んでいた。

「御名答。俺だよ」
「――――――――」

 話し方は、衛宮士郎のモノであり、アーチャーと呼ばれたサーヴァントのモノでもあった。
 セイバーは、我が身の虚脱も忘れて息を呑む。心臓は、何処にそんな力が残っていたのかと思う位、早鐘を打っていた。

「アーチャー? シロウ……? いや、……どうし……?……っふ……」

 言い掛けて咽るようにしたセイバーを気遣うように、シロウは制した。

「俺は、英霊エミヤ。
時間も、世界も。全ての因果律を越えて召還される英霊は、過去だけのモノじゃない。
サーヴァント・アーチャー。そもそも遠坂のサーヴァント、英霊エミヤは、未来から呼び出された英霊だった」
「あ……」
「正義の味方を夢見た衛宮士郎は、何れ念願叶って英雄になる。こうして、最後には……」

 シロウの口調は誇るそれではない。
 セイバーには、僅かな自嘲を噛んでいるようにも見えた。

「分かったみたいだな」

 影は、一瞬で失せる。
 あのアーチャーを思わせる不敵さで、シロウは笑う。

「しかしっ……! そのシロウがどうして……」

 セイバーにはどうしても分からなかった。
 この時代に、こうしてシロウがある事は、どうしたって有り得ない出来事である。

「いや、そもそも貴方は……英霊なのか、人間なのか……」
「英霊さ」

 シロウは、アーチャーの素振りそっくりに肩を竦める。

「俺は、英霊となって聖杯を手に入れた。
文字通りの願望機、汚された紛い物じゃない、本物を」
「シロウは、イリヤスフィール……いや、アインツベルンを犠牲に――――」
「いや、願望機は世界に数多く存在する。聖杯に至る道は冬木の地に一つきりじゃない」

 言って、シロウはセイバーの頬を撫でる。
 口調は、姿形は、存在としての在り方は変われど。彼の纏う空気はあくまで衛宮士郎のままで、それはいちいちセイバーを安堵させていた。

「――――願いは、『あの』セイバーと再会する事」
「……………」
「俺は、それで……」

 シロウは言って、一つ深呼吸をする。

「それで、その」
「……シロウ……?」
「いや、えーと……」

 言い澱むその様から、不意に英霊として完成したエミヤの姿が薄れていく。

「何一つ未練は残って無い筈だった」
「はい」

 視線を伏せたセイバーは頷く。

「一生忘れないって誓った。セイバーの事好きだった事、忘れなかった」
「……はい」

 サーヴァントの時は永い。シロウの語る時間の尺度は、凡そ普通のモノでは有り得まい。記憶すら、情念すら漂白する遥かな時間の彼方に今があると思えば……
 そのナガキを知るセイバーの胸は、否が応なしに締め付けられた。
 涙声のセイバーから、何時しか「王」が消えている。英霊の契約を破棄しただの英雄に戻った彼女は、この一瞬、英雄である事すらも忘れていたのかも知れない。

「だけど……
どうしても、もう一度セイバーに逢いたかった。一緒に居たかった」

 シロウは、言葉を切ってから、

「……だから、来た」

 不器用に告げた。

「――――」
「――――――――」

 至近距離で、顔を見合わせる。

「続きが見たい。
夢じゃなくて……想うだけじゃなくて、セイバーと」

 万感が溢れる。
 別れの日、言えなかった本当の願いに。

「……ですが、私は朽ちる王だ」
「構うもんか」

 アンチテーゼを、一蹴。

「もうすぐ、約束されし勝利は、全て遠き理想は……湖に沈む。
アーサーという王は、今日終わる」
「……………」
「アーサー王は、今日死ぬ」
「馬鹿な。詭弁で――――」
「――――愛してる。詭弁だ。けど、譲りたくない」

 視線が交錯する。緊迫感すら漏らして、鍔競り合う。

「詭弁、ですが……」

 身勝手な不確かを語るシロウに、柔らかく微笑んだセイバーは、

「とても、嬉しい。私もシロウを愛しています」

 シロウの首に手を回し、そのまま深く口付けた。
 あの朝と同じ、永遠とも思える黄金。こうして恋人と抱き合えば……
 ひたすらに金色の草原を駆け続けた、皮肉な運命すらこの瞬間を祝福してくれる、と。
 セイバーは温かく優しい腕の中、そんな錯覚を夢想した。



「……王?」

 そして、ベルディヴィエールは帰参した。
 王命をしかと果たし、無人の大樹の下へ。
 忠実な騎士が唯一度王に不正を働いたのと同じ様に、完璧なる王は唯一度命じた忠臣の帰参を待たなかった。
 たったそれだけの事実を残し、アーサーと呼ばれた完璧なる王の歴史は閉じる。

「ああ、やはり……」

 ベルディヴィエールは独白した。

「やはり、貴方は人間だったのだ」

 僅かに風が吹く。
 柔らかく朝日を浴びる木立がさやぐ。
 王の姿は無けれども。
 僅かにその場に残った幸福の残り香を感じ取り、ベルディヴィエールは涙した。

「願わくば……」

 彼は、空を見上げて祈りを捧げる。

「私の王が……
いや、貴方様が何時までも幸福でありますように」

 朝焼けの陽射しが零れる。天高く、晴れかかった空は青い。
 その祈りは、きっと届く。
 純粋な願いは、アルトリアという少女の始まりに相応しい祝詞なのだから。

「どうか、どうか。
貴方様の夢(おう)の終わりが、安らかなモノでありますように――――」





FIN






あとがき

月厨です。
タイトルはトゥルーの反転。
Fateルートを妄想でグッド(?)にしてみますた。
台詞等、半端に原文パクっ……引用してますが、どうぞ御容赦を。
微妙な拙作なれど楽しんで頂ければ幸いです。


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