聖杯戦争の監査役は、前回言峰の後を継いで戦争後の収拾に当たった神父だった。
彼の話によれば、すでに六体のサーヴァントの召喚は済んでいて、最後が俺とアーチャーだとの事。
「御主らも物好きじゃの。この死にたがり共に御加護を、アーメン。」
なんてありがたい励ましを受け、俺達は教会を後にした。
月の浮かびし聖なる杯 第四話 〜開戦〜
あと数日で満月になるであろう月が、町を照らしている。
俺とアーチャーは二人、夜道を歩いていた。
聖杯戦争開始まであと一時間となった午後十一時、俺とアーチャーは遠坂達と別れ、家を出た。
危険はむろんあるが、別々に動きを取り、とりあえず他の参加者を挑発しようというわけだ。
なるべく早急に聖杯戦争を終わらせたい俺達としては、多少の危険には目をつぶるしかない。
そんなわけで遠坂達は深山町を、俺達は新都をとりあえず徘徊しようということになり、
俺とアーチャーは今、冬木大橋を歩いているというわけだ。
ちなみにアーチャーは、今日教会に出向いたときには、霊体となってもらった。
その帰りにいくつかアーチャーの服を買い、今は白いシャツに黒いジャンパー、ジーンズに帽子という、今の時代に違和感の無い格好で、現界している。
「それで士郎殿、シントに行くのはわかったが、あては有るのか?」
アーチャーがそう聞いてきた。
帽子の中に押し込めた髪が気になるのか、さっきからしきりに帽子を直している。
「ああ。とりあえずは今までの聖杯戦争に関係のあったところに行こう。
まずは中央公園に行こうと思う。」
あの公園は十四年前から、俺と聖杯戦争とは切っても切れない場所だからな。
あの場所には、他の参加者達も目をつけずにはいないだろう。
その言葉にアーチャーは満足そうに頷いた。
「うむ。善き案であると思う。
それと士郎殿。まだ聞いてはいなかったが、他のマスターに会ったらどうするのだ?
出来れば事前に方針を聞いておきたい。」
「………そうだな。
アーチャーには負担を掛けることになるけど、なるべく俺は他のマスターも傷つけたくは無いんだ。
まずは説得して、それで無理ならサーヴァントだけを倒すって方法を採りたい。」
そんな会話を交わしているうちに、俺達は橋を渡りきった。
「戦闘になったら、多少変則的だけど俺が前衛に出る。
アーチャーは弓で後方から援護してくれ。」
そう言った俺に、アーチャーは帽子を直す手を止め、
「何を血迷ったことを!魔術師が前衛に出るなど聞いたこともない!
確かに士郎殿の剣の腕はなかなかの物だ。
しかし、よもやサーヴァントに勝てるとでも?」
と本気で怒鳴ってきた。
その姿に四年前のセイバーが重なり、懐かしくなる。
遠坂達は今、恐らく柳桐寺の様子を探っている頃だろう。
「前回、俺はキャスターのマスターが前衛に出ているのを見たけどね。
………大丈夫だよアーチャー。俺はそこまで自惚れちゃいない。
サーヴァントとの能力の違いは、よく理解してる。」
では何故?と目線で問いかけるアーチャー。
「情けない話なんだけど、俺は五大元素に連なる魔術は、本当に半人前なんだ。
俺がまともに使える魔術は、昔から一つだけ。
そしてその魔術は、近距離でなければあまり意味がない。」
衛宮士郎がまともに使える魔術は、剣を投影することのみ。
ゆえに担い手である俺が敵と切り結ぶのは、あたりまえのことだ。
どうやらよほど心配なのだろう。
アーチャーは渋い顔をして、両手を組んでうなっている。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。アーチャーだって援護してくれるんだし――――
――――いざとなれば、ほとんど魔力は空っぽになっちゃうけど、たとえ宝具を使われたって防ぐ手立てはあるし。」
もっともあの盾と鞘は、短時間しか展開できない固有結界と同じく、まさにギリギリで使うべき切り札だ。
アーチャーはその言葉にようやく両手を解いた。
「承知した。ならば某の弓で、迫る刃をことごとく封じてみせよう。
………しかし、くれぐれも注意されよ。」
「ああ。
でもアーチャーって意外と心配性なんだな。」
そんな所も、一成そっくりだな。
そう言うとアーチャーは む、と憮然として立ち止まり、また帽子を直し始めた。
「本来であればこれほど心配はせんのだがな。
………あの魔術師を見ると政子殿を思い出すように、士郎殿を見ていると、どうも九郎殿を思い出すのだ。」
?九郎殿と言われても、あったこともない人物など知らないんだが。
そんな疑問が表情に出たのだろう。
「士郎殿には義経殿と言ったほうがわかりやすいか。
義経殿もまた平氏の横暴に心を痛め、源氏の武将として戦った。
士郎殿と同じく、ただ人を救いたいという願いで剣を取ったのだ。」
語るように話すその瞳には、アーチャーが初めてみせる悲しみが浮かんでいた。
「しかし義経殿は、己が幾度も助け、信じていたものに裏切られ謀殺された。
あの一件だけは某、どうしても頼朝公を許すことができん。
………士郎殿もまた、そのような道を辿るような気がしてならんのだ。」
助けた者に裏切られ、信じた者に殺される。
それは確かに、エミヤシロウが行き着くはずだった終わり。
英霊エミヤが、四年前に剣と共に語った俺の未来そのものだ。
だからきっと、「今」の俺じゃないような口調で、こんな言葉が出てきたのだろう。
「アーチャー、ソイツを間違っていたと思うか?」
アーチャーは、弾かれたように俺を見た。
「ソイツの歩んだ道を間違っていたと思うか?
ソイツは理想に溺れて死んだ愚か者だと、そう思うか?」
その言葉を噛み締めるように目を閉じると、アーチャーはわずかの後、
――――――――――首を横に振った――――――――――
「いいや。義経殿は坂東の武士の誇りであった。
あの方が歩まれた道は、決して間違いなどではない。」
そう言って開けられたアーチャーの目は、多分四年前の俺と同じモノ。
それなら、きっと
「――――ああ。きっと、間違いなんかじゃない。」
アーチャーみたいに信じてくれる奴がいたのなら。
大昔に死んでしまった、エミヤシロウによく似た男も、そう信じ続けていただろう。
中央公園に着いた俺達は、一通り周囲を回った後、中央の広場にやってきた。
あれほど明るかった月も今は雲に隠れ、まさに今のこの場所は、闇そのもの。
「なるほど、なんとも禍々しき所よ。
これが聖杯の所業だとしたなら、確かに士郎殿が破壊せんとするのもうなずける。」
確かに。今の俺になら、ここがどれほど普通でない場所であるかが判る。
すさまじい怨念と濃い魔力が、ここに異空間を作り変えていた。
「どうやら周囲にもこの場所にも、今は特に何かがあるわけじゃないな。
アーチャーには何か見えるか?」
もっとも、俺も目の良さには自信がある。
暗いとはいえ、これほど見晴らしのいい場所で何かを見落とすなんてことは、
そうないだろう。
「何も。
そういえば士郎殿。
先ほど戦闘における陣形について話したが、一つ言っておかなければならんことがある。」
「?何だ?なんでも言ってくれ。」
俺がそう尋ねると、アーチャーはめずらしく口籠もってしまった。
「………ううむ、実は某の宝具のことだ。」
そういえば、アーチャーの宝具については、何も知らない。
弓兵だからといって弓が宝具であるとは限らないし、なによりその力を知っているのといないのとでは、戦い方も変わってくる。
「真に言いにくいことではあるのだが……。
某の宝具の力は、相手を直接打倒し得るものではない。
威力そのものは単に弓を射たほうがよほど強い。
体力では最弱のキャスターすら、直接倒せるかどうかわからん。」
「?単にってことは、宝具はやっぱり弓なのか?」
その質問にアーチャーは、うむ、だがそれだけでは無い、と言った。
「その効果はある程度続くのだが、基本的に対象は敵一人だ。
にもかかわらず、某の宝具は膨大な魔力を消費する。
おそらく二回使用すれば、某は現界できなくなるだろう。」
「!?それじゃ実質的には、一回しか使えないって事か。
それってやっぱり、俺からの魔力供給が少ないからか?」
だとしたら、とても申し訳ない。
かつてセイバーの足を引っ張ったのに、今度はアーチャーの足を引っ張ることになるのか。
「いや。某が士郎殿から受ける供給量は、普通の魔術師とさして変わらん。
これはすべて、某の宝具の使い勝手の悪さによるものだ。
士郎殿の責ではない。」
その言葉が真実かどうかはわからないが、その中に俺を責める響きはない。
だからこそ、余計に申し訳なってくる。
例えば遠坂がマスターだったのならば、使用も五、六回は軽いのだろう。
だけどそれは、俺に力を貸してくれているアーチャーに対して、吐いていい弱音ではない。
「わかった。宝具の使用は極力控えよう。
それでその宝具の力ってのは、結局何なんだ?
一応それだけでも知っておいたほうが――――――――
その瞬間、
ゾクリと
すさまじい寒気が襲った。
かつて幾度となく襲ってきた感覚。
衛宮士郎のあらゆる全てを刈り取っていくような、圧倒的な死の恐怖。
ヒトがケモノであったときから持つ、生物としての最大級の警戒警報――――
「――――よもやこのように早く、相手が見つかろうとはな。」
まるでその声に急き出されたように、月が顔を見せた。
その声は太く、戦闘への悦びを隠そうともしない。
現れたその男の身長は、およそ俺と同じくらいか。
口に髭を蓄え、その体はアーチャーのものより硬く、豪奢な鎧で覆われている。
そして肩には――――
「――――ランサーか!」
四メートルほどもあるだろう。巨大な槍が担がれていた。
迂闊だった。ここは異常でのみ造られているような異界だったのだ。
魔力の異変に気づき難く。
なによりこの場所では、エミヤシロウは悪夢以外のものを見たことがないというのに。
そんな場所で、のんきに話し込んでいたなんて――――――――。
「いかにも。
瘴気の濃き場を見に来れば、なんとも間の抜けた獲物がいたものよ。
不意を突いておれば、貴様らはすでにこの世にはおらんぞ。」
クククと、その身を震わせて、ランサーは哂う。
「ほざけランサー。
できもせぬことを恫喝に使うなど底が知れるわ。
第一、おぬしのマスターはどこにいる。」
そう返したアーチャーは、すでにその身を鎧に包んでいる。
そしてその手には、俺も初めて見る漆黒の弓。
「主は高みの見物、といったところよ。
どこぞ遠くから覗いているのであろうな。
――――侮るなよ?
アーチャーである貴様と魔術師ごとき、一人で相手にできぬとでも思うか?」
その眼光は、こちらを射貫く槍のごとし。
さらに密度を増した殺気は、形となって視ることさえできるだろう。
「魔術師ごときだと?
おもしろい。
主君を辱められ黙っていられるほど、こちらも人間はできておらん。
………士郎殿。」
そういってアーチャーは、好戦的な笑みを浮かべ、
「マスターの説得は、その本人が居ないため不可能となった。
先ほどの方針に変更は?」
その一言で、覚悟が決まる。
「――――変更はない。
説得が無理ならサーヴァントを叩く。
奴を倒すぞ、アーチャー。」
応、というアーチャーの掛け声と共にランサーが槍を構え。
衛宮士郎の二度目の聖杯戦争の火蓋が、切って落とされた。