「それなら中止になったわよ」
軍部の使者に捕まって黒い十字架迎撃戦に強制参加させられそうになった俺に天使はそう言った。
「なぜだ?完全に街を捨てる気になったのか」
この地方の拠点となっている街だからその可能性は低いだろうが。
「まさか。作戦が中止になったのはその必要が無くなったからよ」
こんなこともあるのねー、といった顔で天使は続ける。
「この情報がもたらされたのはほんの少し前よ。黒い十字架に向かって何者かが攻撃を加えたらしいわ。
よっぽど激しい攻撃だったらしくてね、危うく大陸が真っ二つになりかけたとか」
大陸が真っ二つ?
現在はそれほどの攻撃能力を持つ奴は騎士にも亜麗にもいないそうだが……。
「まあ、誰がやったのかなんて私は興味ないけど。その結果黒い十字架は北よりに進路を変更してね、
そっちにはたいした街も無いから近隣住民の避難だけで済ませて手は出さないそうよ」
北の住民には悲惨な話だが―――
「そうか」
その言葉を聞いて安心した自分がいた。
安アパートに帰ってきた。
ガチャリとドアを開いて―――――
「おかえりなさい」
と俺に駆け寄って、笑顔を浮かべて‘天使’は言った。
「あなたが無事に帰ってきて良かったです」
「戦ってないんだから無事なのは当たり前だ」
それよりも―――
「……誰だお前」
さっきまで‘天使’が座っていたであろうソファーに腰掛けている女に言った。
「……私は「彼女はORTさんっていって私の知り合いです」
「お前の知り合い?」
いつの間に知り合ったんだ。
「前からの知り合いです。あなたよりもずっと前からの」
ORT―――擦りガラスのような白い髪、血の色が透き通った紅い眼をしたどこか水晶を連想させる女―――はそう言った。
俺よりも前からということは―――
「ああ、こいつの世話をしてくれたのか」
こいつが生まれた時はビタ一文持ってなかったはずだし、服とかどう調達したのかと思ってたけどその辺の面倒を見てくれたのだろう。
「ち、違います!そんな裸で生まれたりなんてしませんよっ!」
顔を赤くして講義する‘天使’。
「なんだ、違うのか。とすると考えられるのは――――」
――――――――アリストテレス。
正体不明の存在。全人類にとっての敵。
でもまあこんなのもいるし、と‘天使’を見る。
俺の思考を読んだのかORTと呼ばれた女は頷き
「ええ、その通りです」
と俺の考えを肯定した。
「それで、なんでアリストテレスがこんな所にいるんだ」
どこぞで破壊活動でもしているのが正しい在り方だろうに。
「彼女と似たようなものです。以前あなたのような人間にやられたのでしばらく休眠していたのですが、少し前に叩き起こされまして。
起きがけでイライラしていたのでついその原因に八つ当たりしてしまって………原因は何所かに逃げていったようですが」
……脳裏に天使との会話が蘇ったが黙殺した。
「それで別にすることもないし、暇だったのでおしゃべりでもしようかと自分と似た気配を辿ってここまで来たわけです」
「そうか………それじゃあ気のすむまでそいつと話してくれ」
‘天使’にORTの相手を任せて自室に引き篭もる。
「え?一緒にお話しないんですか?」
‘天使’が俺を誘ったが――――
「いや、俺は遠慮しとく。二人で気のゆくまで話し合え」
どうにも頭痛がしてきたので断った。
夜になった。
‘天使’と話していたORTも帰った。
……どこに帰るのかは知らないが。
「はい、出来ましたよー」
‘天使’による俺の夕食作りはもはや日課だ。
その腕も徐々に上がってきている。
同じテーブルについて違う物を食べる。
俺の財政事情は決して裕福とは言えないので専ら無料支給の素材で作った料理を‘天使’は食べる。
それも無くなった時はしかたないので俺と同じ物を食べる。‘天使’はそっちの方が好きらしいが。
食事が終った後は特にすることも無い。ラジオで情報を得て眠くなったら寝るだけだ。
だが、
「あ、あのー……今日は一緒に寝ません?」
などと顔を赤らめて‘天使’は言ってきた。
「……………………」
……………………ああ、そうか。
そういえば互いに告白してたな俺達。
でも、
「二人で寝るには狭すぎだぞ、このベッド」
ただ事実を言ってみる。
すると、
「私は狭くても大丈夫です……!」
……なんか気合入った言葉を返してきた。
そして、
「あなたは嫌なんですか?」
って感じの目を向けてきた。
「まあ、お前がいいって言うのなら俺も構わんが」
別に‘天使’と寝るのが嫌ってわけでもない。
‘天使’はそれを聞いて、
「そ、それじゃあ、一緒に、寝ましょう……」
最後はほとんど聞き取れないぼそぼそとした声でそう言った。
電灯を消して二人でベッドに潜り込む。
俺はベッドの右半分、‘天使’は左半分だ。
「………」
「………」
互いに話すことも無い。無言で天井を見上げ―――
「起きてますか・・・?」
‘天使’が上を見上げながら言った。
「ん……」
吐息でそれに応える。
「その……手を繋いでいいですか?
あなたが居なくなった部屋に一人残って見ている夢じゃないと実感できるように」
その言葉を聞いて、
「あ……ありがとうございます……」
その小さい手をそっと握った。
それで安心したのか‘天使’は力を抜いて眠りについた。
俺も―――――数年ぶりの安らかな気持ちで眠り落ちた。