きんのけもの 第一話 後編


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1: dain (2004/03/04 00:17:30)

それから一週間、何事も無くお屋敷でお勤めを続けた。本来のスケジュールでいえば週に四日、それも午後だけのバイトであったのだが、なにせ今は生き残るために金が必要だった。
執事さんに頼み込んで毎日、学院で講座があるとき以外は詰めっ放しで働かさせてもらうことにした。
遠坂やセイバーが若干…いやかなりか…不機嫌になったが、背に腹は代えられない、何とか説得して最初の二週間限定で納得させた。
…もともとの原因を考えればなぜ俺がそこまで苦労して説得せねばならないのか…
あ、なんか哀しくなってきた…

ともかく一週間、俺は御屋敷を掃除して廻り、お嬢様にお茶をいれ、何度かランチを作ってお嬢様の花の顔を綻ばすことに成功したりして恙無くすごした。
そして運命のその日、俺は妙なことに気がついてしまった。


     きんのけもの
    「金色の魔王」 第一話 後編
     ル キ フ ェ ル


それはお嬢様の書斎を掃除したときのことだ。
お嬢様の生活パターンは、学校とお屋敷の往復のみで、お屋敷にいる時は食事と午後のお茶以外ほとんどこの書斎に詰めっぱなしだ。
その為か、俺がこの書斎を掃除するのはこの日が初めてだった。

その時だ、俺はこの部屋に違和感を感じた。
知ってのとおり俺の魔術はすべて”Unlimited Blade Works”という固有結界に縛られている。俺の使える投影に強化、それと最近なんとか物に出来るようになった変化と付加は、いわばこの固有結界の影のようなものだ。
そして俺のもう一つの魔術能力、構造把握もこれの派生といっていい。物を見て一目でその構造を精密な設計図として思い浮かべられる能力。これは剣のような武器で特に顕著で材質構造はおろか来歴、製作時の推移、果てはその使用法までも把握できてしまう。
もっともそれ以外の物ではここまで精密には判らない。それでも魔術の知識や腕が上がるにつれてその物の能力や稼動状態のシミュレート位はできるようになってきている。

で、気づいたことだが、俺は最初にこの御屋敷を案内されたときから大体の構造は把握していた。それから各部屋の掃除や整理を続け、その日までにはほとんど完璧な設計図を頭の中にに仕上ていた。
そしてこのパズルの最後のピースがお嬢様に書斎だ。しかし、どこか妙だった。
頭の中の図面にざっと目を通す。すぐわかった、狭いのだ。
一面は窓で、ちょっとしたソファーと中央に大きなデスク、そしてその背後に本棚と書類ケース。
その書類ケースと本棚の向こう、奥行に約2mほどブランクがある。

俺はちょっとした好奇心から本棚を調べてみた。ずらりと分厚い辞典や白書が並んだその本棚、そこに2冊分ほどの背表紙を模したケースをみつけた。
妙なものがあるな、と何気なしに引き抜く。すると本棚の奥の壁に…


赤い石のはまった小さな魔方陣が一つあった。


ぞくり。瞬く間に頭の中の設計図が書き換えられていく。いままではただのお屋敷だったものが、一変して別の何かに変わっていく。

「こ、これって…」

「ええ、貴方の思った通りのものでしてよ」

背中から氷より冷たい声が響いた。



駄目だ…振り返ってはいけない…

俺の心で誰かが叫んだ。

振り返ってはいけない、そこには「      」がいる

絶対に振り返ってはいけない…

だが

俺の体は

何かに操られるかのように

後を振り返ってしまった



そこには途轍もなく華麗な金細工があった。



軽くウェーブのかかった金髪は地獄の業火のように煌き。深く澄んだ蒼い瞳は極地の氷河よりも凍え、白を基調としたドレスは死神の鎌のごとく冷たく冴え渡っていた。

それはかつて天上で最も絢爛にして豪華であった天使。そして今、魔界で最も豪華にして絢爛な悪魔


きんのけもの
「金色の魔王」
 ルキフェル


「お、お嬢様…」

「さぁ、その石にお触れになったら?ちょっと魔力を通せば扉は開きますわよ」

右手の人差し指をまっすぐ俺の心臓に向けてにっこりと微笑む。

知っている…

俺はこの笑顔を知っている…

最強のガンドを俺に叩き込もうとした時の遠坂の笑顔だ…



って、「魔力を通せば」?

「お、お嬢様…俺が魔術師だって…」

「ええ、知っておりましたわ」

笑みを深くしながら黄金の業火をさらに燃え上がらせてお嬢様は言った。そして俺に向けた右腕はドレス越しにも判るほど煌きだした…見間違いようも無い…魔術刻印だ…

魔術師…しかもその魔術刻印は右腕全体を覆い尽くしさらに胸にまで広がっていく…その刻印の広がりを見れば嫌でも判る。一流、いや超一流の魔術師だ…

口はからからに渇き、冷や汗はとめどなく流れる。その超一流の魔術師が俺の心臓に向け、今まさに魔力を放とうとしている。

「本当、尻尾をつかむまで随分と苦労させて頂きましたわ」

へ?尻尾??

「あの…尻尾って??」

「お黙り!」

口元の笑みはそのままに凄まじい眼光で睨みつけてきた。あ、体がうごかねぇ、もしかして邪眼の一種ですか?
「貴方が喋って良いのはわたくしが許可したときだけですわ?わかりまして?」

俺の返事を待たずお嬢様は冷ややかに言葉を続けた。いや、返事したくても口も聞けない状態なんだけどね…

「一週間、ずっと見張り続けて一切動きが無いなんて…一時は本当にただの召使じゃないかと思ってしまいましたわ」

いや、ですから本当にただの召使なんですってば!
俺は口が利けない哀しさに心で涙しながら魂で叫んだ。

「貴方、魔力だってほんの細やかにしか漏らさないでしょ?でも正体を現した以上……?
 あら?ほんっとうに細やかですわね?」

俺はさっきとは別の意味で心で涙した。
お嬢様はあからさまに不機嫌な表情で俺の体を上から下までねめ回した。
そして憮然とした表情で俺を睨みつけた。

「どう見ても半人前以下、せいぜい見習い魔術師ですわね」

はい、その通りです。だからせめて口を利せてください。

「わたくしも舐められたものですわね…さぁ、誰が貴方のような間抜けな間諜を差し向けましたの?お答えなさい」

お嬢様が指を鳴らす。ようやく口だけは自由になり俺は大きく息をついた。

「知りません!っていうか間諜ってなんです?俺はただの使用人です!その…金が必要で…いいバイトだからって…」

「あら、お金のためでしたの?確かに良いお仕事かも知れませんわね」

ああ、納得してくださいましたか?お嬢様…

「間諜は…」

納得してねぇ!!

「だ、第一!お嬢様が魔術師だってのも今の今まで知らなかったんですよ!俺!」



キンッ!


瞬間、わずかに弛緩していた空気が一変した。

今、何かが確実に変わった…

今までだって恐ろしかった。地獄の業火は燃えていたし極地の氷河だって凍っていた。

しかし、間違いなく今何かが変わった…

地獄の業火も凍てつく、極地の氷河すら燃え上がる。

禍き渦。

しかも…その中心は…

俺は恐る恐るその中心を…お嬢様の華の顔をそっと伺った。





今俺は死んだ

間違いなく一回死んだ

一回死んで生き返らさせられた


そこには煌々と輝く闇があった…

あの聖杯の中にあった闇、それに匹敵する何かが黒々とそして煌々と輝いていた…


「エミヤ…今なんとおっしゃいまして?」


闇が瞬いた。やさしく、そして底知れぬほど深く暗い声音で瞬いた。

まずい…返答を間違えるともう一回殺される…体は生きていても心は間違いなく殺される…
しかし、俺には他に答えようが無かった…

「あの…お嬢様が…魔術師だと…知…」

「知らなかった。そう仰ったのね?」

「………………はい………」

死んだ。本日二回目の死…
お嬢様は微笑んでいた…しかし俺はこの微笑で殺されていた。これはそういった種類の微笑だ。

「質問を変えますわ」

「………………はい………」

もはや俺には機械のように返答するしか道は無かった。

「わたくしの名前?覚えておりまして?」

???

そりゃ覚えてますよ?雇い主ですから?

俺は瞬間、恐怖を忘れて思いっきり疑問符を浮かべた表情でお嬢様を見た。
わっ怒ってる…
でも…さっきまでの人外の恐怖は幾分緩和されたようだ。
俺のあまりの間抜け面に毒気を抜かれたか、あきれたような口調に変わってきた。

「とにかく…お答えなさい」

とりあえず答えることにした。

「はい…ええと…ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト…あ、お嬢様」

最後の「お嬢様」は額の青筋を見てあわてて付け足したものだ。

「つまり…貴方はわたくしがエーデルフェルト家の娘であると知ったうえで、魔術師であるとは気づかなかった、そう仰りたいわけですわね……魔術師なのに…」

「あ〜…はい、そうなります…」

ルヴィアお嬢様は一瞬ものすごい表情で俺を睨みつけると、思いっきり脱力してソファーに崩折れた。

「ええ、ええ。判りましたわ。貴方が間諜でないことははっきり判りました」

とたん、俺を拘束していた力も抜け、俺は思わず床にへたり込んだ。

「いや、一時はどうなることかと思った…ハハハハ」

乾いた笑いなんぞも浮かんでしまう。

「ええ、そうでしょうとも。もし間諜なら、自分が間諜であると認めるのと、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが魔術師だと知らなかったと言うのとでは、どちらのほうが恐ろしいか判りますものね」

冷ややかで挑発的で、そして獲物をどう料理してやろうかという暗い喜びに満ちた視線が俺を突き刺す。
いや、なぜそんな詳しくわかるかって…そりゃ俺の良く知ってる視線だったからで…
俺はその事を思うと、とても哀しい気持ちになって天を仰いだ。
なにか幻想というか理想というか…そういった夢がガラガラと崩れ落ちる音が聞こえる。
あの華やかで煌びやかでそれでいてやさしく繊細なお嬢様はどこに行ってしまったのだろうか?
なぜ俺は人生で二度もこういった類の落胆を経験せねばならないのだろうか?

「ウィンフィールド、もう入ってきても宜しくてよ」

俺が神様に異議申し立てをしている間に、ルヴィア嬢は執事さんを招きいれた。呼ばれてすぐ入ってきたことから、ドアの脇にでも待機していたのだろう。

「聞きまして?彼の話。魔術師の癖に私の事を知らないなんて…なんて侮辱かしら」

ぷんぷん膨れるルヴィア嬢。ちょっと可愛いかもしれない…

「確かに、些か予想外の事態でございますな」

普段と寸分も変わらぬ物腰で執事さんがルヴィア嬢に応える。

「しかしながらエミヤは朴訥な人柄、決してお嬢様を侮辱したわけではないと推察いたします」

「判っています。だから尚のこと腹が立つのですわ」

ルヴィア嬢はそのまま睨みつけながら立ち上がると、俺の前で腕を組んで仁王立ちした。
うわぁすげぇ似合う…

「さぁ、お話なさい」

すっかりカミングアウトなさったルヴィア嬢が俺に命じた、きれいさっぱり主語と目的語を省いた女王様言葉だ。

「あの〜それって俺がここに働きに来た事情とかのことでしょうか?」

だいたい察しは着いたが、それでもここで間違えてさっきの固有結界まがいの恐怖をもたらされては適わない。俺は罵声覚悟で聞いてみた。

「ええ、そうです。あまりふざけた理由で無い事を祈りますわ」

口の端を上品に歪め、さぁわたくしを納得させて見なさいとばかりに見下ろしてきた。

よくもまぁあんな邪悪な表情をここまで上品に表せるものだと、些か感心しながら、俺はルヴィア嬢に理由を説明した。
俺が師匠とともに学院で学ぶためロンドンに来たこと。こっちへ来ていろいろ買い込みすぎて資金がそこをついてしまったこと。で、仕方なく俺がバイトすることになったこと。
遠坂の名前は出さなかった。こういった場合に名前を出すことはえらく拙い事だという直感があったからだ。
その点は正解であったらしい。ルヴィア嬢もそこのところには突っ込んでこなかった。
あ、あと資金不足の決定的な駄目押しが遠坂の暴発だったことも伏せておいた。
こっちは明らかに、その…遠坂…あれはやっぱり恥ずかしいよ。

「…呆れた話ですわね…お金が無いから弟子をただの召使に?なんなんですのそれは!!」

心底呆れた、いやむしろ怒るぞ、とばかりのルヴィア嬢。だが俺にはその理由がわからなかった。

「なんなんですって、普通じゃないか?金が無けりゃ働くって?」

その頃には俺の言葉使いもすっかり元に戻っていた。どうせこの騒動が終わったら頸だろうし、ルヴィア嬢も気にしていなかった。なぜかこのまま殺されるって気だけはしなかったのが、今となっては不思議だ。

「魔術師ですのよ!わたくしたち!」

もう悲鳴に近い口調でルヴィア嬢が叫ぶ。

「何が哀しくて、貴重な時間をそんなつまらない仕事に使わなくてはいけないの?お金を手に入れるにしろもう少し魔術師らしい手段があるのではなくて!?」

「あ、時間が無かったもんで…」

「それでもです!第一論旨が違いますわ!」

ああ、そうか。
俺はようやくルヴィア嬢の怒りの理由に思い至った。彼女は魔術師なのだ。
魔術師として生まれ、魔術師として育ち、それに誇りを持って生きてきた。
だからなのだろう、俺のように魔術師でありながら唯人のような動機で、唯人のように行動することが我慢なら無い。たぶん憎悪すら抱いているのだろう。
そういえば遠坂にも昔、同じような事で怒られたな…

「それに…なんなのですの貴方は!ここはエミヤにとって言わば敵地のはずです!もっと緊張感を持って欲しいものですわ!」

あ、これも言われたことあるな。俺はあまりに自分の立ち位置を度外視し過ぎるとか言って…
息も絶え絶えに怒鳴りつけてくるルヴィア嬢を見上げながら、俺はそんな事を考えていた。
ルヴィア嬢に気づかれたらまた怒鳴られるんだろうな…あ、今何か気がついた…
いや、もう見事なくらいのジト目だ。

「…何を考えてらっしゃるの?…」

なもんで、素直に言ってしまった。

「いや気持ちはわかるって。確かに俺みたいな半端もの見てたら腹も立つだろうし、心配してくれるのはとても有難い」

「誰が心配してるですって…」

「お嬢様、怒ってるだけでなく、俺を叱ってくれてるだろ?叱るって事は心配してくれてるって事じゃないのか?」

「……」

ぐっと詰まって睨みつけてくる。少しばかり頬が赤らんでいる。自分では気づいてないみたいだけれど案外お人よしなのかもしれない。

「もうよろしいですわ…」

そういってルヴィア嬢は脱力してソファーに腰掛けなおした。こめかみを手を当てて大きな溜息なんかもついている。
やれやれ、何とか一件落ちゃ…

「それにしても…」

…くしていなかったようだ…
にっこりというよりにたりに近い笑みを浮かべながら、ルヴィア嬢が復活してきた。

「エミヤの師匠というのもずいぶん間が抜けていますわね」

うわぁ、そっちに来たか…
ルヴィア嬢は意地の悪い顔で嘲りだした。

「だってそうじゃなくて?お金の計算も出来なくて無駄使いばかりしてらっしゃるようですし、弟子は弟子で心得も知識も半端、なにより…」

「わたくしの名前さえ知らない」

思いっきり恨みがましい目つきで睨みつけられた。これが本命かい…
だが確かに否定は出来ない…でもそれは

「いや、それは俺が不甲斐無いせいで師匠の責任じゃないぞ」

「あら?わたくしにはエミヤが不甲斐無いとは思いませんわ。その方に振り回されているだけじゃなくて?
だって貴方…お人好しでしょ?」

うわぁ!なんかちょっとグサッてきた

「目に浮かぶようですわ、その方の尻拭いに奔走ばかりして本来の魔術のほうがおろそかになってしまうエミヤの姿が」

ちょ、ちょと

「まったく…その師匠の方、どんな魔術師か知りませんけども想像はつきますわ。ちょっとばかり魔術の才能があるからとそれに付け上がってやりたい放題、何か問題があれば弟子に尻拭いさせて自分はそれをさも当然と気にもしない。ま、魔術師というものはたいてい傲岸不遜で傍若無人と決まっていますけどね」

待て、待ってくれ。

「それにしても貴方の師匠という方、鍛錬も自省も足りないのではなくて?エミヤも大変ですわね、そんなお師匠に仕えて尻拭いばかりで」

「違う」

俺はきっぱり言った。ルヴィア嬢の瞳をまっすぐ捕らえ断固として言った。

「違う、あいつはそんな半端な魔術師じゃない。確かに俺はいまだ半端だ、自分の不甲斐無さが情けなくなる不肖の弟子だと思う。だがあいつは違う。あいつは確固とした立派な魔術師だ」

そう、俺は何を言われてもいい。どんなに侮辱されてもかまわない。第一俺が魔術師として半人前なのは事実だ。
しかしあいつを…遠坂を侮辱されたとあっては話がちがう。

「確かにあいつはここ一番でポカをしたりする間の抜けたところはある。魔術師にしては甘くお人よし過ぎるところもあるだろう。だが断じてルヴィアさんが言ったようなふざけた魔術師じゃない」

そう、俺は知っているのだ。あいつがどんなに魔術師である事を大切にしているかを。どれだけの努力と、どれだけの血と刻があいつの魔術師という心に染み付いているかを。あいつの魔術師たらんという気概がどれほど強くそして凄まじいかを。そしてその魔術師であるという決意を前にしても、決して譲れぬものがあると知っている事を。
あいつはそれを大した事じゃないというだろう、事実たいした事と思っていない。しかし、俺は知っている。それが遠坂凛という少女をどれだけ押し込めているかを、そして遠坂凛という少女が決してそれに押し込め切られないだろうという事を。

だからなのだ。だから俺は遠坂凛という少女に恋をし、愛しているのだ。だからこそ遠坂凛という魔術師に絶対の信頼を置いているのだ。
「遠坂凛と共にある限り俺は絶対道を誤らない」それは信仰にも近い確信だ。
そしてこの思いだけが、空っぽの、偽物とガラクタだらけの俺の心から零れだした唯一の本物なのだ。

だから負けるわけにはいかない。たとえ殺されても決して譲るわけにはいかない。
俺はこの気持ちを以てルヴィア嬢の瞳に挑んだ。

ルヴィア嬢の瞳は驚愕し、憮然とし、そして激怒した。非礼にも自分に挑みかかってきた獲物に対し憎悪をも垣間見れた。
だが、永遠にも思えた刹那の睨み合いの末、視線をはずしたのはルヴィア嬢のほうだった。
その刹那、彼女の瞳に魔術師の孤独と微かな羨望の影が過ぎったと見えたのは、俺のうぬぼれだったのだろうか。

「…わかりましたわ、訂正いたしましょう。貴方の師匠は間抜けでお人よしかもしれませんけど、エミヤにとっては確かにとても大切な方なのですわね」

なんだかちっとも訂正してないように思えたが。悔しげに、少しばかり羨ましげにそっぽを向いたルヴィア嬢の表情から、俺の気持ちが通じたことは間違いなかった。

「有難う」

俺は素直に頭を下げた。

「それにしても…随分と言ってくださいましたね」

悔し紛れだろうか、随分と露骨な憎まれ口だった。
俺はそれがルヴィア嬢にはあまりに不似合いな態度に思えた。何故なら…

「だってルヴィアさん言っただろ?『主に対してとはいえ謂れの無い事に無闇に頭を下げるのは却って非礼です』って」

ルヴィア嬢はなにか不意を打たれたように一瞬ぽかんとした表情の後、今度こそ思いっきり顔を赤くして黙り込んでしまった。

「衛宮の勝ちですな」

執事さんが固まった場をさらりと流した。
言外に『ここまで』、という意味が篭っていたのだろう、ルヴィア嬢も執事さんを一睨みした後、プイッと可愛らしく顔を背けた。

俺もやれやれとばかり立ち上がった。今度こそなんとか切り抜けられたらしい。
俺は一抹のい寂しさを感じつつも、二人に一礼した。

「それじゃ、短い間でしたが有難うございました」

そう言って部屋を出ようとした。

「お待ちなさい、シロウ」

と、声が掛かる。
振り返るとすっかり表情を改めたルヴィア嬢が、この上ない笑顔で微笑んでいた。

「あの…」

「誰が下がって良いといいましたか?それに…なんですの?今の挨拶?まるでこの屋敷から去るような口ぶりでしたわね?」

「いや…だってこんな事があったんだから、頸じゃないんですか?」

なにか嫌な予感を押し殺し、俺は恐る恐るきりだした。

「ウィンフィールド?わたくしシロウを頸にしろなんて言いまして?」

「いいえ、お嬢様。衛宮についての最後のご指示は「我が家の郎党として受け入れましょう」との事でした」

「ええ、そうでしたわね。聞きまして?シロウ?貴方の扱いは今までどおりですわ」

ルヴィア嬢はそれはそれは嬉しそうな笑顔でそう言ってきた。例えるなら…新しいおもちゃを手に入れた子供のような…捕まえた小鳥でどう遊ぼうかと考える猫のような…俺の弱みを見つけてさてどうやってからかってやろうかと企む遠坂のような…そんな嬉しそうな笑顔だった。
俺としては後ろも見ずに逃げ出したい気分なんですが…

「いや…それは…」

「あら?お辞めになりたいの?こんな事をした以上、違約金が掛かりましてよ?」

左手にランサーの鎖付の金杭が打ち込まれた。

「あ!そ、それは拙いです!」

だいいち食べちまいました…

「だったらこのまま勤めてもらいますわ。お給金は心配しなくて結構です、今までどおりお渡ししますわ。あ、シロウは魔術師でもありますから工房の整理も手伝って貰えますわね。もちろんその分の割増もありましてよ」
ポンッとお給料袋を手に喜ぶセイバーの顔が浮かぶ。これが右手に打ち込まれた二本目の金杭。

「それでも、やはりお辞めになる?」

さぁこれが最後だ。
正直迷っていた。確かに金も大切だ、セイバーの喜ぶ顔も見たい。しかし、果たして魔術師の弟子が他の魔術師の下で召使なんかやっていて良いのだろうか?
この世界のことはいまだに良く分かっていないが、これはかなり不自然というか…危うい事ではないのだろうか?
だが俺は即答した。
俺は最後の問いを発したときにルヴィア嬢の瞳によぎったほんの微かな寂しげな影を見てしまった。それが俺に打ち込まれた三本目の金杭だった。

「はい。これからもよろしくお願いします」

「それではお茶を入れてくださる?喉が渇いてしまいましたわ」

「かしこまりました。お嬢様」

俺は大急ぎでお茶の用意をするために厨房へ急ごうとした。

「シロウ」

そこへ再びルヴィア嬢の声が掛かる。

「はい?」

「これからはわたくしを名前で呼びなさい。これは命令です。よろしくて、シロウ」

最後のシロウに思いっきりアクセントを置いてそう言ってのけた。そういえば…いつのまにかルヴィア嬢の俺への呼び名がシロウに変わっていたような…

「わかりました。ルヴィア…さん」

最後の「さん」は俺の精一杯の抵抗。さすがに呼び捨てになんて出来るわけが無い。
いまひとつ不満そうなルヴィア嬢を背に、俺は今度こそ厨房へと向かって行った。



あわてて飛び出していく士郎の背中、なにもそんなに慌てなくていいとも思うが、それはそれで面白いものがある。

「ウィンフィールド?」

ルヴィアは楽しそうにそれを眺めながら執事に言った。

「もしかして、貴方、最初からこうなるとわかってらっしゃったのではなくて?」

「さて、私に魔術師の目利きは出来ませんので」

いつも通りの落ち着いた口調で執事は応えた。ただ幾分嬉しそうな感情が覗いたように聞こえたのは気のせいだろうか。
でも、人の目利きは自信があるのでしょ? ルヴィアは幼い頃から付き従ってきた数少な本物の忠臣に、視線で問うた。
執事は何も言わない。ただいつもよりほんの少しだけ崩した笑顔で、これからは楽しくなりますでしょうと応えた。

ルヴィアは先ほどの騒動を思い返した。朴訥なのに気が利いて、臆病なくせに度胸が据わっている。お人よしなのに頑固、魔術師の癖に妙に擦れていない真っ直ぐな青年。

本当に楽しくなりそうですわ。

ルヴィアは思わず微笑んだ。それはウィンフィールドが十数年ぶりに見る彼女の本当の笑顔だった。


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