月の浮かびし聖なる杯第3話(頃シリアス


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1: ヴァン (2004/03/03 07:33:00)

───那須与一───

かつて、日本の武士が源氏と平氏に分かれ戦っていた時代。

その名を持つ武士は源氏に属し、その弓の腕前は源氏で最高を誇ったという。

那須与一がその名を現代まで残しているのは、なんと言っても屋島の戦いにおける話だろう。

その名を知らぬ人間でも、屋島の海に浮かんだ船につけられた扇を、ただの一矢で打ち落とした弓手の逸話は耳にしたことがあるかもしれない。





その伝説の弓兵が今、聖杯の力によって現界し─────





………遠坂と睨み合いをしている姿は、かつて弓の道に居た衛宮士郎にしてみれば、できれば目を背けたい光景だったりする。



月に浮かびし聖なる杯  第三話 〜契約〜



「う〜〜、おはよ〜士郎」
朝の弱い遠坂が死にそうな顔で起きてきたのは、七時を少し過ぎた頃。
久しぶりに作った和の朝食の出来栄えに、俺が満足していた時だった。
「おはよう。時差ぼけか?遠坂。」
「まあね。まだ少し辛いけど」
そう言うと、遠坂はちらりと時計を見た。
「そうも言ってられないでしょ。
明日……あと十七時間で戦闘開始だもんね。」
そう、明日の深夜零時を迎えれば、いよいよ聖杯戦争は始まる。
「だってのに、よりによって召喚したサーヴァントがあんなのとはね。
……それで、アイツは今なにしてんの?」
「アーチャーだったら道場でセイバーと手合わせしてるぞ。」
そう答えると、遠坂は驚いた顔をし
「手合わせ?この家に弓なんてあったっけ?」
「いいや。
でもアーチャーは武士だったから、それなりに剣も使えるらしい。
もっともセイバーほどじゃないけどな。
俺も手合わせしてみたけど、なんとか戦えたし。」
もっとも、いくら四年前より腕が上がっているとはいえ、人を超えた肉体を持つサーヴァントには適うはずもないのだが。
「あたりまえじゃない。セイバーに剣の腕で勝てるサーヴァントなんてそうそういるはずがないわ。……それにしても、ずいぶんと貴方達は仲がいいのね。」
なんて言って遠坂は、ニッコリと危険な笑みを浮かべた。
「そりゃ一応マスターとサーヴァントなんだから、仲が悪くっちゃまずいだろう。
それにアーチャーはセイバーにだって紳士だぞ。
敵意が有るのは、遠坂に対してだけじゃないのか?」
「わかってるわよ。………まあその辺はこれから、じっくり本人に問いただしてあげるわ。」
そう言って好戦的な笑みを浮かべた遠坂の視線の先には、稽古を終え居間にやってきた二人の姿があった。





「自分に食事は不要」
などとアーチャーは言ったが、何とか説得して共に食卓についてもらった。
その際にセイバーの
「シロウの料理は大変すばらしい。このためだけにでも現界してよかったと思えるほどに。」
という言葉が、どうやら一番効果があったらしい。
一口食べるなりご飯をかきこみはじめたアーチャーの姿を見ると、どうやら食事は気に入ってくれたらしい。





「馳走になった。士郎殿、確かにセイバー殿の申した通り、貴殿の作るものは真に美味であった。」

真名で呼ぶわけにもいかないので、アーチャーはアーチャーと呼ぶしかない。
けれど俺はどうもマスターと呼ばれるのに抵抗があり、士郎でいいと言ったのだ。
だが、主君を呼び捨てにはできないとアーチャーが言い張り、妥協しあった結果、士郎殿に落ち着いたというわけだ。

「そう言ってもらえるとうれしい。……早速で悪いんだけどアーチャー。
これから聖杯戦争の監査役に会いに行くから、一緒に着いてきてほしい。」
そう言うと、アーチャーはうなずき
「無論、供をさせていただく。………時に士郎殿、この魔術師も同行いたすのか?」
なんて遠坂を睨みながら、忌々しげに口にした。
遠坂は、むしろ待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべ
「あたりまえよ。あたしたちは基本的に一緒に行動するわ。
言っとくけど、これはあんたのマスターである士郎も納得してるわよ。」
フフン、なんて勝ち誇った。
アーチャーが遠坂を敵視する理由なんて、聞くまでも無いんじゃないか?
わかっててやってるだろ、それ。
案の定、アーチャーはさらに目付きを鋭くした。
「士郎殿の言ならばやむ終えまい。
だが魔術師、某は決しておぬしを士朗殿の仲間だと、ましてや恋仲であるなどとは認めんぞ。
確かに士郎殿はおぬしを好いているようだが、おぬしは間違いなく士郎殿に厄災をもたらす存在だ。」


その瞬間、


ブチン、と


比喩ではなく、確かに音がした。


「言ってくれるじゃない。
さっきから聞こうとは思ってたけど、あんた私に何か恨みでもあるわけ?
あいにくと私は那須与一になんて会った記憶はないわよ?
しかも士郎に厄災云々ってのには、どういう根拠があるわけ?」

遠坂、その笑みは怖すぎるぞ。

それに今まさにリアルタイムで、とばっちりという厄災が起きるような気がするのは俺の気のせいか?

「ふん、某とておぬしになど会った覚えなどない。
だがおぬしによく似た者を知っておる。
昨夜から思い出そうとしていたが、今ようやく合点がいったわ。
魔術師、おぬしは政子殿に気性がよく似ておるのだ。
かつての主君の奥方をこう言うのは忍びないが、心中で何かよからぬ事を企んでいそうな所など、瓜二つであるわ。」

しかしそういうアーチャーも、俺の知り合いに実に似ていたりする。
顔が似ているというわけではない。
しかしその性格や、特に遠坂と仲悪いとこなんかは、かつての同級生である一成にそっくりなのだ。
その一成も、他県の仏教系の大学に進学しており、この町には居ない。

それにしても今アーチャーは、政子殿なんて言っていた。
それって『尼将軍』なんて呼ばれてた、源頼朝の妻の北条政子のことか?


尼将軍………確かに遠坂にはふさわしいかもしれない。


きっと頼朝も苦労してたんだろうなぁなどと、時空を超えて共感していると、
すっかり調停役に納まってしまった感のあるセイバーが話題を変えた。
どうでもいいけど遠坂。最近マスターとサーヴァントの役目が入れ替わってるぞ。

「実はアーチャー、あなたに話しておかなければならないことがあるのです。
────シロウ」
「ああ。
………アーチャー、俺達はこれから聖杯戦争を戦っていく。
だけどそれは聖杯を求めているからじゃない。
俺達は聖杯を破壊するために参加するんだ。」
そう言うと、アーチャーは目を大きく開き俺を見た。
「セイバーが前回の聖杯戦争から現界していることは言ったよな。
この冬木に現れる聖杯は、なんでも願いが適うなんて便利なシロモノじゃない。
そのことを知った俺達は前回聖杯を破壊したし、今回もそうするつもりだ。」

その言葉にアーチャーは無言。じっと俺を凝視している。

「だからアーチャーが聖杯を求めるなら、俺は令呪を放棄する。
無責任に聞こえるだろうけど、他のマスターを探してほしい。
───アーチャー、それでも俺達と戦ってくれるか?」

アーチャーには単独行動のスキルがある。
ここで俺との契約を破棄しても、しばらくは現界できるはずだ。

「………答える前に問いたい。
聖杯を破壊することで、士郎殿にはどのような益があるのだ?」










こんなことをして、なんの得があるというのか。





それは、幾度と無くロンドンでも言われた言葉。




おそらくは、これからも問われ続ける問い。










「アーチャー、俺が得られるものは無いのかもしれない。
聖杯を破壊するのだって、誰かが傷つくのを避けたいだけなんだ。」










ある時は、それは偽善だと言われた。




知らない誰かのために傷つくなど、愚かだと罵られた。









けれど、どんなにどんなにどんなにどんなに否定されようとも。









その理想は間違いなんかじゃないと、あの時アイツと分かり合ったのだから―――









だから、この手に掴める何かが無くとも。





この理想を曲げることだけは、決してできない。









得るものは無い、と言った後には、静寂。

やがてアーチャーは一度瞼を閉じると―
「承知した。元より某は聖杯など欲してはおらん。
士郎殿、貴殿の意思の元戦うことを、改めて誓おう。」
そう誓いを交わしてくれた。





遠坂とセイバーは「やっぱりね」などと苦笑している。
「ありがとうアーチャー。
………でも本当にいいのか?俺達にしてやれることがあったら、させてもらうけど。」
「士郎殿の気遣いはありがたい。
されど某は生前奇跡を願い、その契約によって守護者となった。
某の望みは、すでに果たされている。」

契約を?だけど那須与一には、奇跡らしい話は無かったと思うんだが。
屋島の弓の話は確かにすごいが、奇跡というほどのものでもない。

「なあ、アーチャーが願った奇跡って何だったんだ?
ただの興味だから、言いたくないなら無理には聞かないけど。」
どうやらその話には遠坂とセイバーも興味があるらしく、俺と共に答えを待つ。

アーチャーは少し考えた後。
「別段隠し立てすることもない。
某は、かつて壇ノ浦で平氏と戦った折、舟数も足りず敗北必至であった我ら源の勝利を願い、契約を交わした。
そしてその契約は、果たされた。」
その言葉に、遠坂は納得してうなずいた。
「なるほどね。
壇ノ浦の戦いではその途中、急に潮の流れが変わって源氏に有利になったって話だけど、そういうことだったのね。
それは歴史に変化を与え、因果律をも変えた。
………確かに、これ以上無い『奇跡』ね。」
「口惜しいがおぬしの言うとおりだ。
源のことはもちろんだが、某にはなにより、止まることを知らぬ平氏の横暴が許せなんだ。
ゆえにあの戦、決して敗北は許されなかった。」

でもそれじゃあ―――

まるで、国を救うために聖杯を求めたセイバーの話、そのものじゃないか。



「なあアーチャー。本当に望みは無いのか?」
俺が再度尋ねると、
「士郎殿。先に言ったように気遣いは無用。
某も戦の後には所領を賜ったし、なにより平氏の世が終わっただけで十分だ。」
それに、とアーチャーは笑い
「言ったであろう?士郎殿の作るものは真に美味であったと。
これからもぜひ願いたい。
セイバー殿の申した通り、あれを食せるというだけで、現界した甲斐はあったというものだ。」



それはきっと、アーチャーの気遣いだったのだろう。



だけどその言葉と表情が、本当にうれしそうに見えてしまったので



「ああ、期待しててくれ。どんどん美味いものを作ってやるからな。」



こう言ってやることが一番正しいのだと、そう思ってしまった。


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