「 式神の謳う死 其の九 」 (傾 シリアス


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1: YATU (2004/03/02 17:52:45)

 私は、目を覚ます。まず体がごっそりと減った感覚がした。蒼白い光が辺りを照らしているのも理解した。そして、横たわった私のすぐそばに遠野志貴がいるのも見えた。彼は全身に満ちた力を絶やすことなく、彼の表情からは激情が洩れている。その先にあるのは……笑っている土蜘蛛だった。

「お前、人間をそんな扱いにしてなんとも思わないのかよ」

 遠野志貴は一つ一つをかみ締めるように口から漏らす。

 ああ、そうか……知ったわけか。

 私は諦観めいたものを思った。真実であったとしても、自分の秘密を知られるのは嫌なものだ。私には人間に対する劣等感、完成された超常者への羨望があって、例えそれが偽りの感情であったとしても、やはりいい気分ではない。瑞樹、私の恋人がそれを知れば、やはり彼女も私を離れるだろう。それはとてもつらい。私はそう考える。そんな私を見て、土蜘蛛は知ってか知らずか声をかける。

「目覚めたようじゃの」
「お見苦しいをお見せしました。ツチグモ殿」

 立ち上がり、軽く頭を垂れた。私は常日頃と同じく、彼を決して主とは呼ばなかった。それは人形である私の、笑われるかもしれないが、最大の虚栄心だ。

「ご苦労、糸の伸びた人形がどのような振る舞いをするのか、いささか気にはなっていたが、概ねは仕事が出来上がったようじゃな」

 ご老人のねぎらいには棘が見えた。私には今回、自立的な行動が認められている。私が人形として生まれ与えられた唯一にして絶対の基礎概念「神の御霊の回収に全力を注げ」というもの以外の命令事項はある程度の澱を残してものの、濾されている。
 それは私には「雷之迦具槌」の大元、荒ぶる神と呼ばれる雄神の一部を植えつけられているためであり、如何な土蜘蛛、この国古来よりの吸血種と言えど、内側に宿した強力な魂に干渉することはできなくなっている。そして、それは飛び地した霊脈に眠るものと同質。アレは最後の断片だった。
 表層面での意識の操作、受理、放出を行なう糸ではなく、もっと本質的な物、分かたれた魂を触媒にして流れ込む目の前の老人の目的。それを読み取らずとも、この状況においておよその想像はつく。彼のやりたいこと。やろうとすることが理解できる。
 土蜘蛛とは山の民、体制の反駁者であるスサノオノミコトを崇める「まつろわぬ民」の長の名、そしてスサノオノミコトとはこの世界の天上、神の地である高天原を追い落とされて無念と失意の中、地上、現世で潰えた神。それは我が内におわすモノの正体。
 だから、私は確かめなくてはならない。

「ツチグモ殿、どういうおつもりですか? 私の任務は……」
「ああ、あれか、あれはただの方便じゃて、お前の仕事はお前がこの街の魔に触れる者達と接触してくれれば、それでよかったのだ。真祖の姫や埋葬機関の鬼娘はここにあるものへの接触を邪魔立てしなければよく、そして奇しくそれも為った」

 彼の思考が糸を伝うように流れ込むような気がして、合点がいく。私は生ぬるい魔の凪が薄紅の世界に滞っていること、つまり結界の逃げ場がなくなっていることに気づいた。そして、魔に触れるものとの接触とは、つまり

「操り糸ですか? 遠野家当主やここにいる遠野志貴を自らの人形に仕立てようと?」

 くつくつと土蜘蛛は笑う。絶大にして完璧な魂への接触。普通ならば無理だ。技術的にと言う次元ではなく、本質的に魂とは自由にして強固な檻。本来なら、外部からの干渉など受ける余地もない。

「だからこその雄神の御霊か……」
「然り、遠野の力、七夜の血、巫条の姉妹、野に放たれて腐れさせるには惜しく、糸を持って操り、高天原に座して現世のゴミを洗うにはふさわしい」

「おまえ……」

 一歩踏み出し、今にも飛び掛ろうとする遠野志貴を手で遮って押さえた。私は土蜘蛛にゆっくりと、だがしかし力と決意を込めて聞いた。

「主よ、それは、今の法と理を踏みにじるお言葉は、あなたの本心ですか?」
「ふん、法理など、体制が都合のよいように作ったつまらぬ理念にすぎぬ、そんなものを踏み躙りようなどないのだが、まあいい……わしはな、この地にて眠っておられる最後の断片を以って神の御霊を完成させ、高天原へと歩む。真祖の姫は、それを『死にたくないから』などと抜かしおったが……」

 私は冷笑を浮かべて、あの時、ついに自由になった時、土蜘蛛の闇の巣で見せた時と同じく、嘲りを含めて口の端を吊り上げる。

「真祖の姫が言ったそれが真実でしょう? だから……だから、私を実験台にした! ただの式神の亜種、人形にすぎなかった私に十年前、擬似記憶を与えて神の御霊が元来、神の子である人に定着するかを試し、今回のために力まで付与した! 全ては自らのために、自らを神へと押し上げるために、多くの血をすすり、肉を砕き、私を作った!」

 口から洩れた荒ぶる感情。それが真実なのかすら私にはわからない。
 それでも、ぎちりと歯を噛む音が後ろから聞こえた。遠野志貴が目の前の老人がその利己的な目的のために犠牲したモノに同情し、怒りを覚えてくれているのが、少し救いになった。だが、それすらも嘲るように高尚する土蜘蛛は哄笑する。

「くく、左様、それより以前には失敗が数多あった。肉と紙で織り成す人形は、目的を為すために、その在り方においてヒトに酷似しなければならない。犠牲、消えてわしの糧になり、消えてしまった多くの屍。もろく崩れた木偶。その中でお前は唯一にして最高傑作。その点は誇ればよいぞ」

 その言葉は冷静をかぶせられたような言葉。それは激情で否定することは憚られた。それがなんであれ「私」を定義付けたものであることは疑いようも無く、否定できない。私は口を噤む。それを面白げに見つめて土蜘蛛は続ける。

「しかしおもしろい、お前が真実を口にするのか……ふうむ、人形よ、ところでお主はどうするつもりだ……まさかわしに逆らうのか?」

 答えを知っていて待ち構えるような笑み、その禍々しさ。私は腕に力を込める。蒼白い火花が身の中で散るような感覚。

「無論あなたは主ではある……が、今もって敵とみなす!」
「ほう、では躊躇なく慈悲なくその胸にしまわれし御霊、返してもらおう」

 それが合図だった。私は間合いを詰めため足に力を入れた。遠野志貴はまるで待ち構えていたように同時に走った。瞬間、土蜘蛛の背後から闇が迸る。糸だ。魔力を練り上げて束になった硬質の黒金の糸。捕らえるためのそれではなく、標的を穿つためのそれは、槍のごとく、私と遠野志貴に向かって奔る。
 私は右に、遠野志貴は左に飛ぶ。回避。黒の糸は私たちの横をすり抜けて地面をえぐる。細かい破片が舞いあがった。それを後ろに置いて私たちは走る。土蜘蛛との距離は20m、彼の背後からまた糸が射出される。次は白。白く軟質の糸。動きを封じるためのそれが、音を伴って霊脈から放たれる青白い光に紛れて肉薄する。腕の力を使う。限定されたそれは糸を薙ぎ払う。遠野志貴も巧みに左右に飛びながら、糸を切り、反対側から土蜘蛛に向かう。距離は残り10m。
 しかし、その状況下にあっても土蜘蛛は興味深そうな笑みを浮かべるだけ。全ては自らの因果の糸の中にあると言わんばかりに。
 彼はわずかに思慮深い表情をして顎を撫でた。

「真実、ふむ、仮初めが真実をのう」

 場違いの言葉を放った瞬間、遠野志貴は動きを絡め取られていた。いや、捕らえられたわけではなく、私に向かっていた糸が彼に向かっているだけだ。それをなんとか振り切ろうと、遠野志貴は距離を離してわずかに引く。結果、私を阻むものはない。

 好都合、この距離ならば!

 私は腕の力を高める。胸から現れてそれは腕を通過し、大気を断つだろう。だが予見された可能性は排除されて、それより先に、先程避けたはずの黒い糸が私の背後を襲った。

「がっ……」

 強い衝撃で空気が肺から洩れる。貫かれた胸。そこから血が滴り落ちる。串刺しにされて私は膝を屈する前に足を動かす。だが、黒い糸は私を動かすまいと、蠕動する腸のように脈打ち鋭い切っ先を私の足のつま先を刺しぬく。それで私の足はひきずるように歩くしかできなくなった。土蜘蛛はそれを誇らず、ただ勝ちを確信した笑みを作る。

「実に興味深い、じゃが、おぬしの行動、何時に生まれ、何時になにをしたか、それは真実かな?」
「自明の理、なにが言いたい!?」

 私は吼えた。血が流れて、意識が分断することを抑えるために。遠野志貴は身に迫る糸を払うので精一杯だ。援護は望めない。それをも知ってか、土蜘蛛は笑みを崩さず、ただ深い皺に隠れるような目をすっと細めた。

「ほほ、例えばだ、お主の、お主の恋人との記憶、それは真実なのか?」

 それは私にとって突き刺し、えぐるような主の言葉。痛みは消えて、意識は消えず、だというのに思わず足を止めてしまった。

「当然だ……」

 糸を放して自由意志になったはずの私の言葉。我ながら虚無に覆われたかのような力なき言葉。心が萎える。
 だが、私はそもそも心などあったのか?
 だから、彼女は私の記憶が捏造した虚像……妄言の女……
 私はポケットを探る。そこに入った彼女への電話番号が書かれた紙を見ようとして、恐怖の旋律が全身に、それはやめろと語りかけた。
 知っている。私はそれに自信がなく、私には自身がない。だから私はただ呻くように言葉を漏らすだけ。

「なんだ、と……」
「実を言うとな、お前の基本的な記憶はわしの若い頃の記憶を模造してある。女がいる、というものは人間にとって異性というものが存在の在り方を固定するのに使いやすいからだとしたら?」

 私の脳裏が目の前の敵を前にしながら、虚構に揺らぐ。意識はあるのに何故だか世界は揺れている。まるで生の火の周りで渦巻く空気のように。

「ばかな、そんなはず」
「ありえないと? なぜそう言い切れるかな、紙と肉を依り代に作られた仮初めの存在が、何を持って、自らの記憶を真実というのかね?」

 その言葉は決定的で、その言葉で私の平衡感覚は歪んだ。世界の在り方が変わっていくようにも思えた。

 私は、一体、何を、持って、偽りの私を、真実と――
 ぐらぐらと、繰(く)る繰(く)ると、狂う私の認識は、なにを、知って――

「思考をしているのかね? ワシの手足にすぎない、かつてのわしを模して作られたお前が、思考を? くく、手足が思考をするのか? 擬似神経が通っただけのそれが、自我を持ったと考えるなど……滑稽な」

 主の言葉は大変酷く、私は酷刑、私は滑稽、だから酷い滑稽が酷刑に処される。
 道理の真実、それは虚構。ではなにが、私を指し示す? 私のうちもまた虚構……

 掻き乱れた認識が、私の肩をつかんで、がくがくと揺らしながら、嘲りながら語り続ける。お前は人間ではなく、化物でもなく、神でもなく、我でもなく、彼でもなく、誰でもなく、何者でもなく、者ではなく、物なのだと。

「ちが……」

 私は耳を塞ぎ、眼を閉じて、私以外の何者がいない世界にいるというのに、そこには私に似た私でないような私がいてケタケタと笑っている。

 楽になる。お前に魂がないことを認めれば楽になる。神の力を付与された紙切れだと思ってしまえば楽になる。千切れば飛んで消えて霧散する。それで終わりでお前は楽になる。

 否定しろ。それは依り代として生まれた時にも似た単純な作業。
 さあ、否定しろ。お前がお前でなくなれば、お前に付与された神の魂だけが残る。
 だが認めれば、お前はただの滑稽な人形に成り下がる。それでいいのなら、認めろ。嫌ならば否定しろ。そして灼けて爛れて朽ちて滅びて、ようやく無二絶対の真理を手にすることが赦される。

 懊悩は永遠。だが、一瞬。それが仇となって、

「もうよい、虚構の思考の堂々巡りなど、躍動のないつまらぬ戯画を見ているようで不愉快じゃ、疾く去ね」

 土蜘蛛はつまらないものを見るような視線を向けて、ついと私の心臓を指差し、しわがれた拳を握り締めて腕を引いた。

 口から血が吐き出て洩れる。胸が千切れて、なにかが離れていく。それが私の核だと視覚する。脱力感にまみれながら、残りかすになった私はどさりと地に崩れて、ここで潰えるのかと思った。
 それを許さず認めなかった神の声はもはや滞り、もうなにも聞こえない。

 ああ、これで終わりか。
 諦観がじわりと滲み出し、したがって後悔はなかった。この身に意味を求めることを否定した老人に怒りさえ感じない。

 だというのに、どこかで声がした。その声は、若く凛としている怒りの声。

「てめえ!!」

 かすむ意識の中、認識されたのは蒼い風。それが怒気を孕んで、私の核を奪った老人に向かっていく。
 遠野志貴は、自らに向かってくる糸を全て切り払い、ナイフを翻した。
 だが、それも届かなくては意味が無い。私を貫いていた黒い糸が私から離れて彼に向かう。彼はそれをナイフで裂こうとして、速度のある硬質なそれに弾かれた。死の線が見えようとも、彼は人間。弾丸のようなそれを一撃で滅するのは不可能だった。
 だが、彼は諦めず距離をもう一度詰める。土蜘蛛はそれさえも無視して、霊脈へと向き直り、最後の神の断片へと手を伸ばす。
 善戦しているものの、黒い糸はやがて遠野志貴を穿つだろう、そして彼は神へと赴こうとする老人の人形となり、彼の親しいものもまたそれに倣うことになる。

 ああ、だが……それを許すのか?

 我がうちにおわした神の声は絶えても私に訴える。

「敵を排除せよ、目の前で悪を討とうとする少年を助けよ」と

 私はギチリと歯をかみ締める。体はまだ動く。萎えた意識は折れてはいない。

 その声は我が内より。だからこれは私の声。私の意志なのだ。
 この身が潰えて、灰燼に帰るまで、あと少し。
 それでもやれる。
 オレの本質は、困難を打倒するまつろわぬものなのだから!

 だからオレは溶けていくように、崩れていくように、紐解かれていくように、終わっていく体を動かして、立ち上がり、駆け出した。


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