得られぬ理想、得られた望み。そして、果たせぬ誓い。(上)【M:遠坂凛 傾:シリアス】


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1: ターパン (2004/03/02 15:15:20)

荒れ果てた空間。そこに一人の男がいた。
浅黒い肌。色素の失われた髪。風格を感じさせる長身。
赤い外套を羽織った一人の騎士が
己の敵を、己が排除すべき障害を、鋭い眼光で見据えている。
その目は獲物を狙う鷹の如し。
その瞳。その眼差し。
それだけで彼の者が優れた騎士なのは明らかである。


だが、その姿には覇気がない。今の彼からは僅かのやる気も感じられない。
これは本来、自分のなすべき仕事ではないのではないか?
彼の背中はそう語っていた。

           ・
           ・
           ・

目の前の光景を凝視する。
壊れた家具。散乱した瓦礫。無様にも垂れ下がったカーテン。
本来、調和が取れてたであろう空間、その居間を見つめながら、

ふっ。

自然、口からそんな苦笑がこぼれた。

今の自分の状況を考えれば、苦笑の一つも出て当然だろう。
先程、私へと向けられた彼女の言葉が甦る。
まだ幼さの残る少女が、私のマスターが命じた最初の仕事。

『下の掃除、お願い。アンタが散らかしたんだから、
責任もってキレイにしといてね。』

そう言って、彼女が渡した対の道具。
ホウキとチリトリを見比べ、私は実感せざるを得なかった。

(彼女は大物だな。)

一体、どこの世界の魔術師が英霊に掃除を言いつける?
英霊とは精霊に近い存在であり、
偉業を成し遂げた実在の、又は架空の英雄なのだぞ?

ふん・・・、
確かに私は自分がどこの英雄であるか名乗る事が出来なかった。


記憶に支障がある英霊。
それが私。
先程の不完全な召喚のツケなのだろう。
本来なら英雄として生きた誇るべき
己の名を、
己の武具を、
己の生涯を、
己が歩んだ道を語れなかった英霊。己の理想を忘れた英霊。
英雄としての己の事を何一つ覚えていない英霊。

成る程、そんな私はさぞかし滑稽だったかもしれない。

しかしだ、
それにしても、彼女が取った態度は英霊に、
今後、生死を共にする相手に取る態度として相応しくないのではないか?
彼女は私をパートナーではなく
便利な使い魔くらいにしか思っていないのではないか?

そんな一抹の不安が頭をよぎった。


そう考えると、先程の命令を果たすべきかどうか迷っている私がいた。
いや、無論、果たさなければ、今後の活動に大きな支障が出る。
それは分かっている。
だが、果たして、ここで素直に居間を片付けた場合、
彼女の私への評価は、私への態度はどうなるのだろうか。

…少女の邪悪な笑みを思い出す。
こちらの弱点を、急所を的確に突いてきた彼女。
彼女と私の関係、マスターとサーヴァント。
共に命をかけ、戦いに臨む間柄。それが私と彼女の正しい関係だろう。
だが、ここで素直に彼女の言う事に従えば、自分の立場はどうなる?
雑用もしっかりこなす便利な使い魔、で決定なのではないか?

不安だ。
何とも言えぬこの不安。
混乱がある己の記憶に加え、破天荒なマスターの態度。
それらによる物なのだろうか。

今後、あの少女がどんな無茶な真似をしでかすのか想像すると頭が痛くなった。
なにせ令呪をいきなり使うようなマスターなのだ。
そして、その令呪の効力をいい事に居間の後片付けを命じたマスター。
不安だ。やはり、不安だ。
魔術師としてではなく、
一人の人間としての少女の性格には大いに問題がある気がした。


……だと言うのに。
正直、本当に、
マスターの、少女の私への対応には
少なからず、いや、大いに不満があるというのに、
何故、こんなにも私は。
どうして、こんなにもオレの心は、今、


あたたかいモノで満たされているのだろうか。



己の胸に手を添える。
私の体を満たしている魔力は温かく、どこか懐かしい感じがする。
先程までは曖昧だった私と彼女とのレイライン。
それは今、完全に繋がっていて、少女の魔力が私に流れてきていた。
我ら英霊を、サーヴァントとして使役するには充分すぎるほどの魔力量。
あの年齢にしてこれほどの魔力を持つ少女。
外見で侮り、戦いに巻き込むまいと考えた私の方が短慮だったか。
しかし、あの年齢であれほど魔術師として卓越しているなどと誰が想像できる?

ましてや、不完全な召喚に続き、サーヴァントを目の前にした少女の態度。
そこに幼さを感じた。
人としても、魔術師としても、未熟。
そう決め付けた。
私は思った。
命を懸けた争いに参加するのは少女には早すぎる、と。
私は思った。
家から託された知識はあっても、経験も覚悟もまだ少女には足りない、と。
…そして、なにより少女と崩れた居間で出会った時、
私は思ったのだ。



      “この少女を死なせる訳にはいかない”



そう思った。
息を切らせ、現れた少女。 
扉を蹴破って、現れた少女。  
自分の失敗を認めながらも強気な態度を崩さない少女。
お世辞にも、悠然としているとは言えないその姿。
何故、それをあんなにも…。懐かしく思ったのか。
少女へ向けた不遜な態度と軽薄な言葉。
それらは未熟な魔術師の少女には戦いの外にいて欲しかった故。

だが、少女は立派な魔術師であり、戦う力も覚悟もあった。
英霊を従え、聖杯を求めるマスターとしての資格は充分だった。
ならば彼女がこの戦いに臨む事に異論はない。あれほどの魔術師なのだ。
けれど、その少女を見て、何故、あんなにも様々な感情が湧いたのだろうか。
何故、あんなにも少女の姿を嬉しく、懐かしく、憎たらしく、
微笑ましく、愛しく、・・・そして悲しく思ったのだろうか。
分からない。この感情の理由は分からない。
だが・・・。おそらく、私と少女は・・・。

不意に、一つの情景が脳に描かれた。





―――赤い。            腕の中の。
赤い戦場。   日が沈む黄昏時。       彼女は赤い。
   太陽が死ぬ時。     理想が死んだ時。
周りに築かれた。   屍の丘。      嘆く男。
      血涙の道。    微笑む彼女。    


―――渡された物は何だったか。
―――交わした言葉は何だったか。
―――赤い彼女は誰だったか。
―――嘆く男は誰だったのだろうか。


              ・
              ・
              ・



ボーン。ボーン。ボーン。
散々たる有様の居間。
その中で唯一原型を留める時計が時刻を告げていた。
気が付けば、時刻は午前六時。
随分と長い間、思慮に耽っていたらしい。
本来なら朝日が昇り始める時刻。だが、屋敷を囲む闇はまだ深い。
時計が記す時刻としては、じきに日が昇る頃のはずなのだが。

…ふむ、…やれやれ、仕方あるまい。
私は覚悟を決めた。
弓兵に出来る事など瓦礫の片付けくらいだが少女の頼み事を片付けるとしよう。
自己の詮索の続きはその後だな。
どうやらこの屋敷には私と少女しか居らぬようだし、
ならば、私が僅かでも片付けるしかあるまい。
うむ、仕方あるまい。
本当はこのような雑務はしたくはないが、
私しか出来る者が居らぬなら渋々、不本意ながら居間を片付けるとしよう。
一応、私にも多少の責任はあるのだしな。
さ〜て、まずはこっちの瓦礫を片付けて、
次にあっちをあーして、そっちをそーして・・・
どうせなら、あくまでついでだが、厨房の様子も見ておくとしようか。
うむ、そうしよう。私しかやる者が居らんのだからな。


              ・
              ・
              ・


時刻は午前九時を過ぎた頃。
私のマスターはようやく起きてきた。
どうやら彼女は朝に弱いらしい。
彼女には昨日の威勢がなかった。
そんな彼女の欠点が微笑ましく紅茶を振舞う事にした。
素直に紅茶を飲む彼女。
そんな彼女を見て、
思わずにやけてしまった。
何もそんな美味そうに飲む事はあるまい?
「……ちょっと。なに笑ってるのよ、アンタ。」
「なに、感想が聞きたかったが、その顔では聞くまでもないと思っただけだ」
彼女をからかった。

そして、
 「----それより、貴方、自分の正体は思い出せた?」
彼女に嘘をついた。

彼女に知られる訳にはいかない。
おそらく、この少女は私の願いを止めようとするだろうから…。



街を案内すると彼女は言った。
だが、その前に私達には、私にはすべき事があった。
夜が明ける前、私達が成さなかった交換。伝えなかった言葉。
まだ知らぬ少女の名前。だが、それはきっと…。

「それでマスター、君の名前は?これからはなんと呼べばいい。」

彼女は意外なモノにでも出会ったような顔をした後、
照れくさそうにぶっきらぼうに言った。

 「………わたし、遠坂凛よ。貴方の好きなように呼んでいいわ。」

それはきっと…。ずっと昔の、遠い未来。
私が伝えられなかった言葉、一度も呼ぶ事のなかった彼女の名前。
その名を少女の口から告げられた。


            『遠坂凛』

その名を噛み締め、掘り起こし、呟いた。
磨耗した己の記憶から少女を、彼女を蘇らせた。
そして、


 「それでは凛と。……ああ、この響きは実に君に似合っている。」

あの黄昏の戦場で告げられなかった言葉と想いを
私は告げた。



                             続く


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