およそ一年ぶりに見る衛宮の家。
藤ねえの家に管理を頼んであるので、俺達は帰国の際、すぐにここに寝泊りすることができる。
日本に到着したのは時差の関係から早朝。
その後、我らが騎士王のご要望にしたがってレストランで食事をし、交通機関を乗り継いでこの衛宮の家に帰ってきた頃には、すでに昼時になっていた。
月の浮かびし聖なる杯 第二話 〜召喚〜
ちなみに普段この家に帰って来た時などは、藤ねぇはもちろん
今は大学で寮生活をしている桜もまでがわざわざ帰ってきて俺達を出迎えてくれる。
しかし、今回この町に帰ってきたのは聖杯戦争に参加するためだ。
俺達の家に出入りすることは、藤ねぇ達を危険に巻き込みかねない。
今回の帰国は、戦いが無事に済むまで伏せておいた方がいいだろう。
もっとも、空家になっているはずのこの家に出入りすることになれば、この町に居ない桜はともかく、藤ねぇの耳にはすぐに入ってしまうかもしれないが。
ひさしぶりに衛宮の家の台所で作られた昼食を食べた俺達。
現在、食後のお茶を飲みながら、今後の具体的な方針について話し合っているところである。
「それで遠坂、この後どうするんだ?
今日もまだ日は高いし、聖杯戦争は明後日からなんだろ?
前回みたいに学校には行く必要ないし。」
そう切り出した俺に、遠坂は何言ってるのと呆れながら、
「やらなきゃいけないことはたくさんあるじゃない。
とりあえずは夜までに、サーヴァント召喚の準備だってしなきゃならないのよ?
………まさかとは思うけど、士郎。
あなたサーヴァントを召喚せずに、私達三人で戦う気だったんじゃないでしょうね?」
………実を言うとその気でした、ハイ。
しかし、そう考えていたのは俺だけではなかった。
「なぜです!?サーヴァントなら私がいるではないですか!他のサーヴァントを召喚する必要などありません!」
ええ、ありませんとも。と、セイバーは繰り返す。
どうやらもう一人サーヴァントを召喚するというのは、最高のサーヴァントであるセイバーのプライドが許さないようだ。
「あるわよ。私達がサーヴァントを呼び出せば、戦わずして確実に敵が一人減るわ。」
それに、と遠坂は続ける。
「私達の目的は戦争の一刻も早い終結よ。
その場合、どうしたって二手に分かれる必要が出てくるわ。
あたしにはセイバーがいるけど、その間士郎に単独行動させるつもり?」
その言葉には、セイバーも納得するしかないらしく、しぶしぶといった感じで引き下がった。
「なあ遠坂、そうすると俺がサーヴァントを召喚するってことか?」
「ええ。前回士郎がセイバーを召喚した時は準備も何も無い、手順も何もかもすっ飛ばしたメチャクチャな召喚だったけど、本来は少なくとも魔方陣の準備ぐらいはしなくちゃね。」
まぁあの時はランサーに殺されそうだったし。
なにより魔術のことなんか、強化と投影以外何も知らなかったしなあ。
「でもさ。やっぱりそうなるとまずくないか?」
ふと疑問を持ち、そういった俺に、
「何がまずいのですか?シロウ?」
と、ようやく自身の内のプライドとの葛藤にけりをつけたらしいセイバーが尋ねてきた。
「俺達の目的は聖杯を破壊することだろ?
でも、サーヴァントは聖杯を手に入れるために召喚に応じるわけじゃないか。
そんなサーヴァントが、聖杯を破壊するために戦ってくれるわけないと思うんだが。」
かつてはセイバーも聖杯を得るために俺の召喚に応じてくれた。
聖杯が自分の目指すものとはかけ離れたものであったために、最後は破壊する手伝いをしてくれたが。
だが、そんな俺の心配は、遠坂にはお見通しだったらしい。
「そういうと思ったわ。────大丈夫よ。
前回は士郎が内包していたセイバーの『鞘』が触媒になってセイバーが召喚されたわけだけど、今回はわざわざそのために協会が用意したいくつかの触媒を断ったんだから」
イリヤのことと同じく、本来セイバーの宝具であるエクスカリバーの『鞘』が自分の体の中に眠っていたと知ったのは、前回の戦争終結後のこと。
その『鞘』はすでに俺の体から取り出され、本来の主の下に戻っている。
「?何で触媒が無いことが関係あるんだ?」
触媒があろうがなかろうが、あんまり関係ないように思えるんだが。
「まぁ、本来の私の流儀には反するんだけど。
触媒がなければ召喚されるサーヴァントは、召喚者である士郎によく似た波長を持つ英霊になるのよ。
だからきっと、その英霊も聖杯なんて望まないのが召喚されると思う。」
それを聞いたセイバーはうんうんとうなずきながら
「なるほど、確かにそれなら問題は無いでしょう。
シロウによく似た英霊であれば、おそらく何の見返りも必要とはしないはずです。」
俺ってそんなに無欲に見えるんだろーか?
遠坂はそんな俺を見て
「ええ。
何の見返りもなく働いてもらうなんて好きじゃないから、聖杯以外の望みがあればできるだけ叶えてあげたいけど、まぁ無いでしょうね。
………きっと士郎みたいな、馬鹿みたいなお人好しが召喚されるに決まってるから。」
しょうがないというように、言った。
その後、召喚の手順を覚えたり、遠坂がロンドンから持ってきた宝石を溶かし
────どうやら今回協会から命令を受けた時に相当嫌な事があったらしく、できるだけ多く必要経費をふんだくってやる!などといって、惜しげもなく宝石を使っていた────
に俺の血を混ぜたもので魔方陣を書いたりして、時間はあっという間に過ぎていった。
ちなみに召喚は、セイバーのときと同じく、土蔵の中で行うことにした。
全ての準備が整い、現在は深夜の零時より少し前。
かつて魔術のことなど何も知らなかった俺が、我流で強化を鍛錬していたこの時間。
それが衛宮士郎の最も魔力が高まる時間となってしまったらしい。
「時間よ、士郎。始めて。」
その言葉にうなずき、俺は昔と変わらぬ呪文を口にする。
「────同調(トレース)、開始(オン)」
ガチン、と、衛宮士郎の中のスイッチが切り替わる。
そうして体中の神経全てを切り替わった魔術回路に向け、体内のアクセルを徐々に踏み込んでいき、身体にその力が満ちるのを待つ。
遠坂に習って以来、四年間何度となく繰り返してきた事。
やがてこの身が限界まで魔力を蓄積したことを実感し────
「────告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
その言葉に従い、土蔵の中は魔方陣を中心として、エーテルの嵐が吹き荒れる。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ────」
やがて吹き荒れていたエーテルの嵐が収束していき、徐々に視界が回復してくる。
「成功した……のか?」
覚えたての呪文は何とか言えたし、手順にも間違えは無かったはずだ。
だけどなにしろ正規の召喚なんてのは時計塔でも経験が無く、今ひとつ不安はある。
やがて完全にエーテルの嵐が収まったその視界の先には………一つの影。
その姿は暗闇に紛れよく見ることはできない。
しかしそれは、まぎれもなく遠坂と同じくらいの大きさの、人の形をした影だった。
遠坂とセイバーの二人が後ろから駆け寄ってくる気配がする。
その気配でようやく召喚に成功した実感を得た俺は、遠坂達に振り返ろうとして────止まった。
スゥ、と月の光が土蔵に差し込み、土蔵の中を照らし出す。
その目と髪は漆黒。
男性だったが背はやはり遠坂と同じくらいで、俺よりは一回り小さいだろう。
けれどその整っている精悍な顔つきが、現代の日本人の男と比べればやや小柄な身体を、そうとは感じさせなかった。
歳は向こうのほうがやや上に見える。
そして目を引くのは、なによりその姿。
男はその身体を、床の間に飾ってあるような鎧で覆っていた。
その姿と身に纏う気配は、現代には存在しない、幾度も死線を潜り抜けた武士そのものだった。
男は目の前で呆然としている俺を見据えると、口を開いて以外に柔らかな声で、言った。
「聖杯の導きにより参上した。貴殿が某(それがし)のマスターか?」
その言葉に我に返り、あわてて四年ぶりに手に浮かび上がった令呪を見せる。
それを見た男は膝をつき、
「契約はなされた。今後某は、この身を賭して貴殿を守護いたそう。」
と言い頭を上げたとたん────
「ッ!マスター!その者達は!」
と、急に大声を張り上げた。
その視線を追うと、その先には俺の後ろにいた遠坂とセイバーに向けられていた。
?だけど、いったいなんでそんな鬼気迫る表情をしているんだ?
「いまだ開戦せぬうちから仕掛けてくるとは、見下げ果てた連中よ。その上マスターを人質に取ろうとは……恥を知れい!」
……どうやら召喚早々、大きな勘違いをしてくれているようである。
「落ち着きなさい。あたしたちは確かに魔術師とサーヴァントだけど、貴方と貴方のマスターの敵じゃないわ。
むしろその逆よ。」
「だまれぃ!そのような言葉にはごまかされんぞ!
そちらの異国の女性(にょしょう)のサーヴァントはともかく、魔術師!貴様からは悪しき気配が濃く漂っているわ!」
……まんざら勘違いでもなかったらしい。どうやら一目で、あかい悪魔の本質を見抜いたようだ。
などといっている場合じゃない!だんだんと遠坂から感じられる気配が、マズイものに
変わってきてるし!
「落ち着いてくれ、彼女たちは本当に味方なんだ。別に人質に取られているわけじゃない。」
「なんと!……マスター、貴殿は騙されている。
そうで無ければこの者に心を操られているに違いない!おのれ女狐!」
その言葉は遠坂の堪忍袋の尾をやすやすと切って。
二人の罵り合いは、その後三十分近く続いた。
土蔵での言い争いがようやく終わりを告げ
────と言っても、険悪な雰囲気は相変わらず続いているが────
俺達は、土蔵から家の居間へと移動した。
「それで、貴方はいったい何のサーヴァントなのです?」
話が進まないと感じたのか、セイバーが尋ねた。
遠坂と違い、セイバーに対しては騎士と武士ということで何か通じるものがあるのかもしれない。
未だ警戒はしているものの、険悪な雰囲気は無い。
マスターとしては少し情けない気もするが、ここはセイバーに乗っかっておこう。
「そうだな。それにできれば真名も教えてほしい。言いたくないんなら、無理にとは言わないけど。」
彼はちらりと遠坂のほうを見て、
「今一つ信用できんこやつの前では言いたくはないが、マスターの命とあれば仕方があるまい。
────某のクラスはアーチャー。真名は────」
魔術的な契約を交わす場合、名を名乗ることは特別な意味がある。
アーチャーは厳かに、
「────那須与一(なすのよいち)と申す。」
自身の真名を口にした。