窓から外を眺める。
茜色の空。雲の欠片がゆっくりと流れていく。
夕日に染まってる冬木の街並み。
朝から降っていた雪はさっき止んだ。
明日はきっと晴れるだろう。
「あの子達は帰った?」
私の部屋に入ってきたアルトリアに聞く。
「はい。落ち着いたようで、さっきここを出られました」
「あーあ、ついに孫を泣かせてしまったわ」
でも、私に子供どころか孫まで出来るとは。
あの頃はそんなこと、思ってもいなかったな。
聖杯戦争が終わったら、魔術協会に入る。大師父の宿題を進めて、子供が出来たら、刻印を譲る。
漠然と、そこまでしか考えていなかった。
大師父の課題は、士郎の協力もあって、私が解いてしまった。
あの子が物心ついたとき、大師父がやってきて、別の難しい課題が出た。
そんなものは当主の座と魔術刻印をつけて、あの子にさっさと譲った。
それで私は引退。
まあ、あの子に遠坂家の仕事を全部任せるまでには時間がかかったけど。
待てよ。すでに子供がいる人間をつかまえてあの子はないか。
でも、親にとっては子供はどこまでいっても子供なのだ。
育てたのは主に士郎とアルトリアだけど、生んだのは私。
親の特権は遠慮なく行使させてもらおう。
ということで、その特権を盛大に振りかざしたのが七年前。
あの子達を遠坂の家から追い出した。もちろん、落ち着く先は用意した。
私はおにでもあくまでもない。
それなのに、あの子は、現当主がなんで追い出されるんだ、とか、なんで家賃まで徴収されるんだ、とか、あかいあくまめ、とか、いつまでもぶつぶつ言っていた。
それを聞きとがめたわけではない。
どうもあの子が不満を抱いている、と感じたので話し合いをしたのだ。
あの子の弁舌はなかなか達者だった。
だけど、こっちも伊達に生きてきたわけじゃない。
説得に反論、甲論に乙駁のやり取りを繰り返した結果、あの子も納得してくれた。
しかも、一日で引っ越すとまで言ってくれた。
弱みを相手に握られているのに対抗しようとするところは、誰かさんにそっくり。
余計なことを言って、自分の首を絞めるところもよく似ている。
それから今まで、私とアルトリアの二人だけで遠坂の家に住んでいる。
「アルトリア、紅茶を淹れてきてくれるかしら」
「はい。今日こそは合格してみせます」
アルトリアが部屋から出て行く。
先週、左足が動かなくなった。どれだけ魔力を通しても、駄目。
それで悟った。士郎を喪って、七年。私にもようやく訪れた終わり。
すでに、下半身は感覚が無い。
今日、あの子と孫に別れを告げた。
あの子は分かっていたようで、何も言わなかった。
だけど、連れてきてもらった孫の方は、駄目だった。私の孫なんだから大丈夫だろう、と考えていたんだけど、どうやら想像以上に懐かれていたらしい。
士郎がいなくなって以来、泣かせないことを目標にしてきたのに、最後で失敗してしまった。
遠坂の血のせいだな、うん。
七年か。過ごすには短く、待つには長い。
長いこと待たせちゃったかな。
そう思ったが考え直す。
士郎たっての希望なんだから気にすることもないか。
壁に掛けてある夫婦剣を見やる。
士郎がいない間のことは話すから、あと少しだけ、待ってて。
明日、私もそっちに行く。
アルトリアが戻ってきた。
「リン、シロウのことを思い出しているのですか」
私の視線を追って、アルトリアが聞く。
「ええ、そうよ。まったく変な遺言をしてくれちゃったな、と思って」
おかげで士郎を見送った後、随分と長生きすることになった。
アルトリアが小さく笑う。
「そうですね」
「俺がいないと寂しいかもしれないけど長生きしろ、てのはどういう遺言なのかしら」
「でも、シロウを変えるのがリンの目標だったのでしょう。それを達成したからではありませんか」
「当然。私はやると言ったからにはちゃんとやるんだから」
アルトリアの淹れてくれた紅茶を一口。
「もっと修行しなさい」
「リン。貴方は最後までこれだ」
お互いに笑顔。
「士郎がいなくなったとき予感があったのよね。あ、私、駄目になるかもって」
涙は出なかった。でも、大事なものが、ぽっかりと無くなっていた。
喪われてしまったのは、私の半身。遠坂凛はなにもかもが半分になってしまった。
自分を支えることができない、そんな気がした。
でも。
「アルトリアのおかげね。貴方がいるのだから、と思えた」
いつもアルトリアがそばにいてくれた。そんな友人に、無様な姿を見せるわけにはいかない、と思った。
「私もシロウを看取ったときは、これ以上は耐えられない、と思いました。でも、リンがいましたから」
半身になってしまった私たち。お互いに支えあっていたんだろう。
「おそらく、明日の朝ね」
自分の死期がこうもはっきり分かるっていうのは、私が優秀だからかしら。
「リン……」
「そんな顔しないで、アルトリア。私は、やるべきこともやりたいことも、全部したんだから」
ずっと楽しかった。
士郎と過ごした日々。
アルトリアと過ごした日々。
三人でいろんな所にいった。
三人でいろんなことをした。
やり残したことはない。
「魔術師としてやり残した事はあるけど、あの子が継いでくれたし」
だから未練も後悔もない。
「アルトリア、あげた宝石は持っている?」
「はい。でも、いいのですか?あんなにたくさん」
こまめに魔力を溜め込んできた宝石。
あの子に継がせたいものを残して、あとは全部アルトリアにあげた。
「あれだけあれば、私からの魔力供給が無くても、一ヶ月は現界していられるはずよ」
私の葬儀などがあるからたいして余らないだろう。でも、アルトリアだけの時間を確実に残せる。
「アルトリアの友人、遠坂凛として、最後のお願い」
笑顔でお願いする。
「私の後片付け、よろしく。残った時間は、貴方がしたいことをしてね」
「リン、今夜はここで寝ていいですか」
「こっちからお願いしようと思っていたところ。簡易ベッドをあの子に持ってきてもらったから、それに寝なさい」
「はい。寝る前に、なにか話をしましょう」
「おやすみなさい、リン」
「おやすみ、アルトリア」
明かりを消す。
さっきまで、ずっとしていた話。
いままでのこと。これからのこと。昨日の天気。明日の天気。
他愛も無い話ばかり。でも、楽しい話ばかり。
全部、明日の旅立ちに持っていく。
目が覚めた。
時計を見る。時刻は四時。私もようやく、朝、起きられるようになったらしい。
部屋はまだ暗い。ベッドに身を起こす。
アルトリアは寝ている。
寝顔を眺める。柔らかな金髪。通った目鼻立ち。形のよい唇。
「貴方はずっと変わらないわね」
あの頃のまま。
使い魔だから当然といえば当然なんだけど。
それに嫉妬したこともあった。
でも、とっくに過ぎたこと。
同じ人を愛した、大切な、私の友人。
ベッドで身を起こしたまま、時間が過ぎるのを待つ。
部屋が少し明るくなってきた。
窓の外は夜明け前。ほんのりと明るい私の部屋。
見渡す。
「こんな表情も、してたんだ。」
朝、弱かったからな。今まで知らなかった。
また、ひとつ、この部屋の気に入るところを見つけた。
夜明け。
部屋が少しずつ明るくなっていく。
居間で七時の鐘が鳴った。
アルトリアが目を覚ます。
「おはよう、アルトリア」
「おはようございます、リン」
「よく眠れた?」
「はい。リン、朝食はどうしますか」
「私はいらないわ。とりあえず、着替えてらっしゃいな」
少し眠い。そろそろかな。でも、まだ大丈夫。
「すぐに戻ってきますから」
アルトリアが部屋を出て行く。
背中を見送って、ベッド脇の小物入れに手を伸ばす。
引き出しを開けて、日記を取り出す。
圧縮言語で最後の日記を付ける。
日記を閉じる。
息を吐く。
いけない。眠くなってきた。
アルトリアが戻ってくるまで起きていないと。
アルトリアがドアをノックする。その音で少し目が覚めた。
戻ってきたアルトリアは、いつもと同じ、見慣れた姿。髪をきっちりと結い、リボンで留めている。
「アルトリア」
「なんでしょう、リン」
眠気をこらえて、日記を差し出す。
「これを」
「リンの日記ですか」
あの聖杯戦争が終わった頃から記録してある、私たちの時間。
楽しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと。なにもかもがここにある。
過ぎていった、かけがえのない日々。
「圧縮して記録してあるけど、貴方なら展開して読めるわよね。やり方は教えたし」
「たしかに読めると思いますが……いいのですか?」
「ええ。ここには士郎がいる。アルトリアに、是非とも受け取ってほしいの」
「――――――わかりました」
アルトリアが、日記を受け取る。
日記を右手に抱いて、アルトリアが頭を下げる。
「リン、シロウをお借りします」
「違うわ。それは私のセリフ」
アルトリアが身体を起こす。
日記を抱くアルトリアの手に、私の手を重ねる。
アルトリアの目を見つめる。
「いままでありがとう。士郎を、返すわ」
全てを済ませたら、眠気をこらえられなくなった。
これ以上は起きていられない。
ベッドに横になる。アルトリアが布団をかけてくれる。
私は幸せ者だ。最後だというのに。こんなにも穏やかな気持ちで。
「おやすみ、アルトリア」
「おやすみなさい、リン」
目を閉じる。
ありがとう、アルトリア。最後まで付き合ってくれて。
貴方のために祈るわ。
私は神とか仏とかを信じていない。だから、そういうものにじゃなくて。
私があると信じて追いかけてきた存在。
この世の全てを統べる偉大な何かに。
どうか、アルトリアの夢が、永く続きますように――――――
風は柔らかく、近くなった春の訪れを感じさせる。
リンの葬儀の後。
後片付けに、思っていた以上の時間がかかってしまった。
リンの希望で別の場所に住んでいた現当主に、全て片付けたことを伝えた。
リンの家を現当主に明け渡したとき、お願いして形見をいくつか頂いた。
以来、私はシロウの家で過ごしている。
シロウの家に来て、一週間と三日が過ぎた。
朝、起きる。食事はしない。身体はリンの宝石に込められた魔力で維持できる。
家を掃除する。
昼頃になったら、外に出かける。
シロウと、リンと過ごした場所を一つずつ訪れていく。
夜には家に戻ってくる。
風呂に入り、後は寝るまでずっと、リンの日記を読む。
それも、今日で終わり。
今、リンの日記を読み終わった。
窓から夜風が入ってくる。暖かな風。春の香りがする。
玄関に行き、靴を履く。
土蔵に向かう。
土蔵の中は、シロウが居た頃のまま。
棚にはシロウが投影したこまごまなものや、タイガから修理依頼されたテレビなどが、まだ残っている。
土蔵の中央。
リンの家から貰ってきた大きな化粧箱が置いてある。
いまだに、リンの家、シロウの家、と考えている自分に苦笑する。
化粧箱を開ける。
中には、シロウが遺した夫婦剣と、リンが遺した赤い宝石。
結っていた髪をほどく。
お気に入りのリボン。シロウに召喚されたときのものだ。
あれから、いくつものリボンを使ってきたが、これだけは大切に残しておいた。
「私も、入れさせてください」
リボンを入れる。
最後に日記を入れた。
リンから教わった魔術で、出来るだけ強固に封印する。
これで、魔力も尽きた。明日の朝、私は消えるだろう。
あの日、聖杯を求めることを止め、セイバーの名を捨てた。
今後、転生することも呼び出されることも無い。
アルトリアの見ていた幸せな夢。
それも、もうすぐ終わる。
土蔵を出て、庭に立つ。
空には月。小さな雲が、月光に照らされて浮かんでいる。
シロウの家を眺める。
住人がいなくなっても藤村組の方々が手を入れていてくれたおかげで、あの頃のままだ。
シロウと、リンと、みんなと過ごした日々のまま。
「最後なんですから、いいですよね、リン」
シロウが使っていた部屋に行く。
押入れを開ける。
シロウの布団が入っている。
今朝、藤村組の方に、シロウが使っていた布団を貸してほしい、とお願いしたのだ。
布団を出す。いつもシロウが寝ていた場所に引く。
「願いが、ちょっとだけ叶いました」
ちょうどシロウの脇になる位置に横になる。
月明かりが優しく障子を照らしている。
目を閉じる。
朝日で目を覚ました。
外では雀が鳴いている。
布団を畳む。あとで藤村組の方がとりに来るだろう。
そう考えて、押し入れには入れない。
埃を吸わないように、布団袋にしまう。
残り時間はあとわずか。最後はどこで過ごそうか。
道場か土蔵で、と思ったが、考え直す。
私にいつも安らぎをくれた場所がいい。
居間に行く。
そこには、懐かしい匂いがした。
「おはよう、セイバー」
シロウが朝食を作っている。あの頃の姿で。
「ふあ、おふゃよう、セイバー」
欠伸をしながら、リンが挨拶する。片手には牛乳。
「おは、おはよう、ございます」
私の二人のマスターに挨拶をする。
「とりあえず、座れよ。ご飯にしよう。遠坂はどうする?」
「朝は食べない主義なんだけど、せっかくだから貰うわ」
いつもの位置に座る。シロウが朝食を食卓に並べていく。
「ん。これセイバーの分な」
「なんか私のより多くない?」
リンが身を乗り出して、自分の皿と私の皿を見比べている。
「そ、そんなことないぞ」
「ふん。相変わらずセイバーには甘いんだから」
ああ、そういうことだったのか。
「見送りに、来てくれたのですね」
二人が微笑む。
群青の高空。
窓からは優しい風。
柔らかな木漏れ日。
学生服にエプロンを着けているシロウ。
それをからかうリン。
いつか見た風景。過ぎていった、まぶしい日常。
涙があふれる。
意識が風に解けていく。
戦は終わった。
傷付いた身体は、もう癒えることはないだろう。
最後まで仕えてくれたベディヴィエールに聖剣を託し、帰りを待つ。
さっきまで見ていた夢。
買い物帰りに少しの寄り道。
寝坊をして、あわてて起きる。
街中の喧騒。
にぎやかな食卓。
突然の雨に、急いで洗濯物を取り込む。
笑顔の友人たち。
笑顔の私――――――。
遙かな過去に、アルトリアが置いてきたものがあった。
王になると決めたときに、捨ててきたものがあった。
手を伸ばしても届かない輝き。だからこそ、夢に想う。
「――――――湖に剣を投げ入れてまいりました。剣は湖の婦人の手に、確かに」
ベディヴィエールの声。
「……そうか。ならば胸を張るがよい。そなたは、そなたの王の命を守ったのだ」
これで、全てが終わり。
私の、王としての役目も終わる。
ならば、さっきの夢を再び求めてもいいはずだ。
身体がうまく動かない。
目蓋が重い。
「すまないな、ベディヴィエール。今度の眠りは、少し、永く――――――」
さっきの夢を。
強く思う。
瞳を閉じる。
アルトリアの夢。
遙かな時の彼方。そこに居る大切な人たち。
穏やかで、騒がしい日々。
私たちの家。
玄関を開ければ、みんなが待っている。
彼らの声が聞こえる。
それは、全て遠き理想郷。
どうか、夢を、もう一度――――――