回顧


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1: 須原 (2004/02/28 20:34:06)

「そう、か。あれからもう五年が過ぎたか――」
 片手に持ったワインのグラスを揺らし、その深い色味を楽しみながら、ぽつりと呟いた。
「珍しいな、コトミネ。貴様がそのように昔を思い返すとは」
 金色の髪は生まれ持った王冠。王としての尊大さを魂の領域から持つ男が、嘲るように笑う。男の手にも、己と同じワインのグラスがある。三人がけのソファの中央に座り、その全てを占有するという雰囲気を漂わせた男の声に、私は小さく苦い笑みを浮かべ答える。
「――そう言うな、英雄王。私とて人間だ。物思いに耽ることくらいはあるさ」
 ここは教会の奥にある私室。そこに通ることが許されるのは、今ではこの男くらいだろうか。
「ほう。まあ、五年前というと、聖杯戦争の事であろう。我は貴様と行動を共にはしていなかったからな。貴様がどのようにしていたかは知らぬが――」
「興味があるのかね? 英雄王」
「無い、とは言わん。だが、請うほどの興味は無い」
「――ならば、酒の肴程度に聞いているといい」

 金色の髪の青年を前に、男は沈鬱な表情を崩さぬままに、口を開いた。



『回顧』



 その男に初めて出会ったのは、五年前の冬の日だった。
 薄汚れたコートにボサボサの髪の毛。無精ひげを生やし、煙草をくわえた男は無機質な目で教会の扉を開いた。
 その時、父と共に礼拝所の清掃をしていた私は、男と目が合った瞬間に恐怖を感じた。
 そう。分かるかね、英雄王。
 この私が、その男に、たとえ一瞬でも恐怖を感じたのだ。
「――言峰神父というのは、貴方か」
 男は静かに問う。
 頷いた父に、男はかすかに口元を歪めて会釈したかと思うと、こちらに視線を向けてきた。ぞっとするほど、冷たい視線だ。
 代行者として死徒や悪霊を殲滅する職に身を置いて、数年は経っていた。だが、その間にも私がそのような恐怖を覚えた記憶など無かったよ。
「アインツベルンの名代、衛宮切嗣だ」
「――アインツベルンの。そうか、あなたが」
 父が少しだけ驚いた顔で頷くのを横目に、私はその衛宮切嗣を見つめていた。
「令呪は?」
「既に。サーヴァントの召喚が済んでいないがね。――何か?」
 私の視線に気付いたのか、訝しげに問いかけてきた衛宮切嗣に、私は静かに一言答えた。
「神の家は禁煙だ」
「――ああ。これは、気がつかなくて失礼」
 くわえていた煙草をポケットから取り出した灰皿に始末する様子は、それまでの刃物のような怜悧さが欠けていた。なんというアンバランスさだろうか。
「どうやら、お互いに理解したようだな」
 ふと、そんなことを口にした衛宮切嗣は、平然と笑う。
「貴様もマスターだろう?」
「――言峰綺礼。私もまだサーヴァントを召喚していない」
「そうか。なら、次に会う時までは、お互いやりあうのは止めておこう。まず七騎のサーヴァントが揃わねば意味が無いらしいからな」
 笑うと、踵を返す。
「だが覚えておけ。言峰綺礼」
 振り返ることなく、ただ言葉だけが私を縛り付けた。それほどの鬼気だったのだ。
「――次に会えば、容赦なく殺す。遠慮もしない。それを忘れるな――――小僧」
 扉を閉めて出て行く男に、私は震えていたよ。
 ああ、今ならばはっきりと言える。あの男は異常だった。
 魔術師としての能力は、さほど高くは無かっただろう。だが、それでも。その鬼気。殺しあうという行為に関してのみ言えば、奴は間違いなく天才だった。


                 ◆◇◆◇◆


「……ふん。だが、そんな男がよくセイバーを召喚できたものだ」
「召喚に必要なのは、マスターの品格ではない。そんなことは英雄王。君とてよく知っている事だろう。私に君が呼び出せたのだからな」
「確かに。我を呼び出すのが、ただの人間だというのは、正直驚いた。最初は縊り殺してやろうかとも思ったがな」
 人間に使われるなど、英雄王の誇りが許さぬ。
 そう言って、私に宝具を向けた英雄王を、私は思いだす。
「そうだな。私も、君のような英霊が召喚できるとは思ってもみなかったよ」
 そう。前回の聖杯戦争は、結局のところ様々なイレギュラーが続いていたのだ。
 聖杯を求めるはずの衛宮切嗣の突然の裏切り。
 そして、この身と英雄王の身を侵した『この世全ての悪』。
「……ククッ。コトミネ。貴様が考えていることなど、想像がつくぞ。あの夜のことを思い出しているのだろう?」
「そうだな。私が衛宮切嗣によって打ち倒され、君がセイバーの手にかかる寸前のことだ。あれは私も正直、驚いたとも」
 黒鍵も、磨き上げた体術も、衛宮切嗣の前には無力だった。
 いいや。確かにそれは効いていたはずだ。あの男に、数十発と拳打を当てた。だが、あの男は平然と立ち上がり、私に銃口を向けた。


                 ◆◇◆◇◆


「――謝りはしないぞ、言峰綺礼。貴様がそうであるように、俺も貴様が嫌いだ」
 最初に撃ち抜かれたのは、太ももだった。
 砕かれた骨。流れ出る血液。それらが私を地面に倒した。
「……衛宮、切嗣……!」
「正直、貴様と俺は似ているんだろうさ。だが、だからこそ俺と貴様は相容れない。同族嫌悪だ」
 ギリリ、と奥歯を食いしばり、体を起こそうと両腕に力を込める。
「――ああ、だからこそ。俺は貴様とは相容れない。貴様がどんな願いを聖杯に持っているかなど知ったことか。俺は――俺の正義のために、あれを求めているのだから」
「フン……! 全ての者を救う、だと!? そのような世迷言、本気で信じているのか! それは何も生み出さぬ死んだ世界だというのに……!」

 遠くで、アーチャーとセイバーの剣戟が聞こえる。
 ああ、だが間違いなく、今のセイバーとアーチャーでは、アーチャーの分が悪い。
 征服王との連戦で、アーチャーも疲弊していた。そして今、彼の燃料タンクである私が倒れてしまった。
 このままでは、如何に英雄王と言えど――。

「世迷言だからこそ――聖杯なんて代物が必要なんだ――!」
 まるで魂の底から引きずり出したような、血を吐くような叫び。
 そこにいたのは、魔術師を殺すためだけに特化した魔術師などでは無かった。
 ただ誰かを救うために走り、そして結局誰も救えなかった男しか居ない。
「下らん――。誰かに救ってもらわねばならぬ世界になど、価値は無い――!」
 両腕の力だけで、飛ぶ。
 衛宮切嗣のその首をへし折る。それくらいなら、片手でも出来る。
 だが。
「――貴様とは相容れない。それは、最初に会った時から理解していたさ」
 切嗣の銃口は、外れる事なく、私へと向けられていた。
「……っ!」
 銃声。
 そして、もんどりうって地面へと落ちる私。
「聖杯が出現する。今更、貴様を殺したところで、なんの意味も無い」
「……ハッ。とんだ正義の味方だな、衛宮切嗣。あれだけ殺しておいて、最後の最後で情をかけるか?」
 踵を返した切嗣の背に、私は毒づくことしか出来なかった。
 なぜならば――私は確かに殺されてはいない。だが、敗者ではあったのだ。
 そしてセイバーの前に膝をついた英雄王。
 そこに振りかぶるセイバーの剣の閃光を見た。


 そこで、あの男が何を見たのかは知らぬ。
 だが、あの男は、あの刹那、確かに叫んだ。


「――あの聖杯を破壊しろ! 全魔力を開放して、あれを破壊するんだ! セイバー!!」
「な、なぜですか、キリツグ! あれこそが聖杯! 我らはあれを求めるためだけに――!」
「破壊しろセイバー! お前の宝具の全力で!! あれをこの世に現せさせるな!!!」
「キリツグ……なぜですか! なぜなのですか、キリツグ―――――!!!!」


 拒否したサーヴァントに、令呪を使ってまで、だ。あれを求めるために殺しあったというのに、あの男はその寸前で、求めた聖杯を自らの手で破壊したのだ。
 分かるかね、英雄王。
 あれが無ければ、君はあの騎士王の手によって殺されていただろうし、私もまた死んでいただろう。
 だが、現実には切嗣の令呪により、セイバーは聖杯を破壊した。そして私と君は溢れ出した『この世全ての悪』を浴び――こうして今も生きている。
 衛宮切嗣は気付いたのだろうさ。あの聖杯の中に満ちた呪いに。
 そして、破壊した。だが奴が甘いのは、小聖杯という形無きエネルギーを破壊しただけで満足したという事だ。
 あんなもの、所詮入り口を壊しただけに過ぎん。その向こう側にある呪いは、今も力を貯めているのだろう――。


                 ◆◇◆◇◆


「エンブリオ――。確か『孵らぬ卵』という意味だったか?」
 英雄王が、ワインを光に透かしながら、そんなことを呟く。
「そうだ。だがエンブリオが常に孵らぬなどという事はあるまい。次は、必ず誕生させてみせよう」
 そのために、遠坂の師父を殺したのだ。
 そのために、教会から協会へと鞍替えまでしたのだ。
「……貴様は狂っているな。コトミネ」
「ならば、この世は元から狂っているのだろうさ。英雄王」
 私は神父だ。
 この世に生まれてくる全ての物を祝福することこそが、我が使命。
「……そして、死を迎えた者を送るのも、我が使命なのだよ。英雄王」
 『この世全ての悪』の呪いを受けた衛宮切嗣は死んだ。
 気付いてはいたのだろう。あの聖杯破壊の際に、奴は間違いなくそこから溢れた存在を感知していたのだから。
 だが、だからこそ。
「――あれを改めて人が操るなど、想像もできなかったと見える」
 そして、死んだ。
 通夜の席に訪れた時、喪主の席に座っていたのは子供と女だった。
 その顔には見覚えがあった。
 あの大火事の後に、あの男が引き取った子供だ。
 そう。この教会の地下で怨嗟の声を上げる彼らの同胞。その子供が、涙を流すこと無く、遺影を見つめていた。
 その横顔に、切嗣の面影を見つけたのを思い出す。
「――コトミネ。で、どうするのだ? 貴様にとって最大の天敵はもう居ないのだろう?」
「ああ。確かに居なくなった。だが――」
 言葉を途切れさせた私を訝しげに見つめる英雄王。その不遜な男を見つめ、私は頭を振る。
「いいや。だが、聖杯が現れねば、状況は変わらぬさ。だから、これからもこれまでどおりだ」
「ふん。ならば今しばらく、この忌々しい人間の世界に紛れるか」
 笑い、ワインを飲み干した。
「ではそろそろ行く。さらばだ、コトミネ」
「ああ。では次に来るのは――半年後か」
「そうだな。その頃には、良い具合に溜まっていよう」
 コツコツと靴音を響かせて部屋を出て行く英雄王の背を見送り、私はソファに腰かける。
「――ああ、衛宮切嗣。貴様がそうまでして守りたかった世界とは、こんな世界なのだ。我らが生き、貴様が死ぬ。そんな不条理で満ちている」
 空のグラスにワインを注ぎ、それを祭壇の上に置いた。

「……さあ。では待とうではないか。再び、あの誰にも祝福されぬ子が生まれようとする、その時を。今度は貴様は居ない。私を止める者は、もう何処にもいない――――」



 そして男は聖職者の笑みを浮かべ、手にしたグラスを高く掲げた。



End


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