3
あたしがなぜ、サーヴァントになったのかは判らない。
誰かを助けたかった、というのは本当だし、そのためにこの身がどうなろうと構わない、と思ったことも事実だ。
アーチャーのいった、世間知らずという意味は理解しているつもりだし、今の在り方にたいして不満がないのも事実で。ああ、それってやっぱり世間知らず――なにも判っていないというコトなのか。
何度も何度もこの世に呼び戻され、見てきた現実は辛いものばかり。心のやわい部分が摩耗して、ただ在るのははじまりの記憶だけ。それが英霊というモノならば、あんな態度がとれるアーチャーは、まだどこか芯の部分で、人を信頼しているのかも。
新都の郊外へ向かう。
深夜、なだらかな坂を上る途中。
銀色の髪をした、少女に出会った。
小さな少女は、あたしの前をスキップしながら通り抜け。
すれ違う寸前に――
「次に会ったら、殺しちゃうから」
と、にこやかに呟いた。
身体が――魔力が消耗している。
あたしは冬木教会のとなりにある外人墓地へと来ていた。しんと静まりかえった墓地は、あたしの進入を拒むかのよう。
サーヴァントとしての身体を維持する魔力を補うモノ。人の精神、魂。そして、こういった墓地には僅かだが死魂が漂っていた。
それを取り込む。
サーヴァントとしては格下、英霊ではないあたしには、僅かでも充分な量だった。
その行為を惨めに感じる。こうまでして、生き延びてなんになるのか。だけど、人を救うというあたしの思いは、それを押し殺す。
背後で、がさりと音がした。
「ほう、まさかナースを呼び出す奴がいるなんてな」
音のする方に、鋭い槍を持った青い服の男がいた。
ランサーだと、一目で気付いた。
「おっと、逃げなくてもいいぜ。俺は今なんの命令も受けちゃいないんでね。それより、あんたのマスターが見えないな」
「マスターはいないんです。あたし、前の聖杯戦争の生き残りだから」
「ハッ、こりゃ傑作だ。わざわざ殺されにきたわけだ」
あたしは頭をふった。
「あたしはナースだから……人を助けに」
「それが本当にお前の望みなのか?」
ランサーの後ろから、背の高い教会の神父が姿を現した。
「わたしは言峰綺礼。今回の聖杯戦争の監督役であり、前回ではマスターを務めていたものでもある」
神父――綺礼はあたしを見下し、そう言った。
人を蔑み見下した目。圧倒的な威圧感。
あたしは何故かランサー以上に、この綺礼という神父を警戒した。
「だとすると、あなたが前回の勝利者なの?」
「ふむ。そのような事も知らずに、よくも戻ってこれたものだ。だが、まあよい。残念ながら、わたしは勝利者ではない。前回の勝利者は衛宮切嗣だ。お前も知っているのではないのかな?」
「そう……キリツグが」
「その口ぶりでは、お前のマスターも衛宮切嗣に殺されたか。よくぞ無事でいたものだ」
「キリツグはあたしを倒そうとは、しなかったから」
綺礼は意外そうな顔をした。
「珍しいことがあるものだ。あの男が情けをかけたか」
「……情けではないと思う。ただ殺すことを忘れるぐらいに、怒っていただけだから」
「わからんな。はっきりいってみろ」
「キリツグは、事切れたマスターを介抱するあたしを見て怒ったのよ。戦おうとせず、ただ人を助けようとするのかって」
「それで、お前は助かったのか」
「ええ。キリツグはあたしを見逃し。それであたしは、この街を離れたの」
「――なるほど、衛宮は己の心の柔い部分を切り捨て、人を救済しようとしていた。お前を見て、その在り方に激怒したというわけだ。自分が選んだ道を悔やむとは、そうか、だから聖杯戦争のあと……」
綺礼は何事か口の中で呟いた。
「たぶん。もしかすると、あの人は人を殺めるたびに、心では血の涙を流していたのかも知れません」
「なるほどな。確かにあれはああいう男だったな。それでお前はどうなのだ」
綺礼の視線は先ほど見た槍のように鋭い。
「あたしですか?」
「そうだ。十年もの間、人を救済し続けたのだろう。満足したか」
――毒のような言葉。
「お前のする救いなど、ただの自己満足ではないのか。英霊とは呼べないサーヴァントのナースよ」
そう、あたしはほんとの意味での英霊ではない。ただのフェイク。
「知っているぞ。前回の聖杯戦争でただ一人、一般人がマスターになったことをな」
それは、十年前のコト。
「姑息なことだ。一人でも強いマスターを減らし、勝ちぬこうとした協会の馬鹿な連中が、一人の医師をマスターに仕立て上げ、傀儡にしようとした。そんなまがい物のマスターに英霊などは呼びだせない。違うかな」
その言葉に嘘はない。あたしは死する直前に呼び出された一度っきりのサーヴァント。それが、どれほどの奇跡でも、元はただの一般人でしかない。
あたしはきつく唇を噛みしめた。
「だから、何だというのです。あなたには関係がない」
「迷える子羊を救うのも神父の仕事だ。どうだ、サーヴァントとしての第二の人生は。お前の理想がどれほど、つまらぬモノか理解できたか」
「……何が言いたいんです?」
「十年たっても所詮、判らぬコトは判らぬか。お前が人を救うというのは、己自身の満足のため。つまりは、本心から他人を救おうとは思ってはいない。それは自己欺瞞だ。違うか? 違うならそう言ってみろ。十年前、新都でおこった火災。お前はアレを知っているのか。アレは悲惨だったぞ。救いを求めて、死んでいった者たちに、お前は何をした?」
綺礼の言葉は鋭く――肺腑を抉るかのよう。
あたしはうなだれ、手をきつく握りしめ。
言うべき言葉を、探し続けた。
「だから、言ったのだ。満足したのかと。どんなに善良なフリをしても、元をただせば、ただの偽善。救いたかったのは、すなわち自分自身というわけだ」
なぜ、その言葉に反論できなかったのか。
――いや、そんなの当たり前か。綺礼の言葉に嘘はなかったのだから……
突然、頬に冷たいものが降りかかる。
「ん、雨か?」
雨足は早く、ぽつぽつと降り出した雨は、次第に激しさを増す。
「――そろそろ潮時か。悪いがはぐれサーヴァントを、そのままにすることは出来ないのでな。残念だよ」
綺礼はくるりと踵を返した。
「ランサー、後は頼む」
「やっと行ったか」
激しい雨の中、ランサーの声が身近で聞こえる。
「まったく、嫌みな奴だ。あれはあんたをいたぶって楽しんでたぜ。心底、縁を切りたい」
その声はぶっきらぼうで。でも、温かく。
「それでも、やっぱりマスターだからな」
声は優しく呟いた。
「我慢しろ」
眩しい光に目を開ける。
――朝だ。
ここは深山町の校外、森の入り口。
身体を動かすと、身を切る痛みが走る。
ランサーの槍に刺された胸の傷は、まだ塞がってはいない。
――殺れとは言われなかった、と言うとランサーは、あたしをこの場所に運んでくれた。
胸の傷は絶妙の深さで、死ぬことはないが無理をするわけにもいかない。
ナースの自己治癒能力で、なんとかなるだろうが、ほとんどの魔力をもっていかれるだろう。そうなると後がツライ。
去り際にランサーは、戻ってくるなよ、と言っていたっけ。つまりは、そのためにあたしを刺したのだと思うのは、考えすぎだろうか。
でも、そうはいかないんだ。
そう思った時――
「馬鹿ね。二度目はないっていったのに」
と、少女の声がした。
振り向くと、森の奥から少女が歩いてきていた。
「あれ、怪我してるんだ。痛そう。でも、すぐに死ぬから大丈夫だよ」
にこやかに微笑む少女。
「マスターはどうしたの? いつもいないね」
少女はキョロキョロと辺りを見回す。少女は今回の聖杯戦争のマスターだろうか。
「あたし……前回の生き残りだから。マスター、いないんです」
切れ切れに言葉を発する。それたけでも、胸が痛む。
「へー、そうなんだ。ふーん、じゃあマスター死んじゃったんだ」
「……前回、マスターだけ倒されて。あたし……逃げちゃったんです。ひどいでしょう?」
少女はつまらなそうに、首をひねった。
「別にいいんじゃない? でも、よく助かったね」
「はい……そのマスターを倒したキリツグという人が、見逃してくれて……」
少女は顔を伏せて。
「そう……」
と、弾むような声が一転し暗く呟いた。
「なんか、あたしその人に思いっきり嫌われたみたいで……顔も見たくない、どっか行けって。凄い剣幕でどなられちゃって。そんなので……生き残っちゃた」
少女は顔を上げ目を見開いて、驚きを現した。
なんだか、くるくると表情変える。それが、とても微笑ましく。
「……そうか、そうなんだ。うん、やっぱり殺すのは止めにする」
にっと少女は笑い。
「だって、サーヴァントの殺し合いは、夜するものでしょ」
と、言った。
そして、銀髪をなびかせて、くるっと反転すると、弾む足取りで森の中へ歩いていく。
その突然の行動に――
あたしはわけがわからず。
少しの間呆然と、その後ろ姿を眺めていた。
それからあたしは、木の幹を支えに立ち上がると、痛む身体を引きずって歩き始めた。
一歩行くごとに、胸の傷が悲鳴を上げる。
それでも、とあたしは考える。
――戻らないと。
それがキリツグに示した、あたしの在り方だから。こんなところで逃げ出せば、あたしはあたしでいる資格がない。
胸のつかえが取れていた。
綺礼に暴かれたあたしの傷は、ランサーの槍により、膿を出し切ったのか。
死ぬ思いをしたことで、自分の役割を強く認識したからなのだろう。
だから十年で満足したかと問われれば、次はこう言う。
――それでも足りない、と。
だってほら、あたしはまだ生きているから。
満足なんてしてられないし。今まで人を助けた後、その人達が見せてくれた笑顔が、あたしを後押しする。だから、自己満足でもいいんだ。
胸の痛みが引くまでに、聖杯戦争の舞台であたしはあたしの役割をするんだ。
道路が見えてきた。
――新都の公園。十年前の聖杯戦争の傷跡だと、シロウがいっていた。
あれは、あたしがこの町から逃げた後におこったものだ。だから今度こそ――
その時、道路の脇で微かな鳴き声をきいた。
犬だった。
野良犬だろうか。
あたしは痛む身体に鞭打って近寄った。
手早く見て取ると足が折れ、衰弱していた。
道路で車にはねられたのか。
――まさか、こんなコトになるなんて。
あたしはその犬に治癒の術をかけていく。
「きみは運がいいわ」
魔力が急激に減少していく。
目がかすれてきた。
「やっぱり英霊じゃないと……ダメなのかな」
まあ、いいか。
最後に誰かを助けられて。
あっ、誰かじゃなくて犬か。けど、犬でも問題ないかな。あれっ、目の前が真っ暗だ。
もう、動くことも出来ない。
それでも、手の甲を助けた犬が舐めているのが感じられ――
次に目を開けたときには、きっと元気な姿を見せてくれるだろうと信じ。
微笑みながら。
声にならない思いで。
いまは休ませて――と、そっと呟いた。
END