さよならわたし   1


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1: into (2004/02/26 18:01:00)[terag at pop06.odn.ne.jp]





「……全て終わりましたね、サクラ」
 背後から掛けられた声に意識が掴み上げられた。
「ええ……」
 振り返ることなく返事する。声の主が誰かなんて判っていたから振り返る必要などなかったのだ。
 代わりに眼前に広がる空間を直視する。
 広大な洞窟だった。ここは柳洞寺地下に広がる、大聖杯という魔法陣を奉った祭壇である。およそ二百年前、三人の魔術師が冬木という街の堕ちた霊脈に人知れず作られた人工の大空洞、そこは見渡すコトが不可能とさえ思えるほど広々として、何もない。
 全ての始まりはこの場所からだった。一番初めの約束が交わされたのも、この場所だ。
 今、その伽藍は小刻みに揺れている。その振動はイキモノの鼓動を思わせるほど不定期で規則的だ。岩肌をよく観察すれば、うっすらと血管のようなモノが縦横に走りながら蠢動している事が見て取れる。その様はまるで慟哭しているようだった。
 それは錯覚ではない。この場所は今や一個の生命の腹の中なのだ。そも、ここは初めから龍の胃袋を模して作られたのだから。
 故にここはこう呼ばれる。

 最中に至る中心。円冠回廊、心臓世界テンノサカズキ

 どくんどくんと大地が小刻みに揺れ、それにあわせて身体と心と魂が揺さぶられる。
「……」
 足下に視線を転じると、広がったわたしの影で黒く染まった地面の上には、影よりなお黒いリボンが無造作に落ちている。繊細な柄を刻み込まれたそれは────姉さんの遺品だった。
 姉さんはもう居ない。
 わたしが、さっき喰い殺したから。
「満足しましたか、サクラ」
 背後から掛けられる言葉は冷たい。否、冷たいのではなく温度がないのだ。そこにあるのは刃のような鋭さのみで、他にはなにも映ってはいなかった。
 満足しただろうか。わたしは満たされた?
 どうだろう……? 分からない。全く判然としない。だから応えなかった。
「貴方のおかげね、セイバー」
「そうですか」
 そんなことはどうでも良いと言いたげな声音。この結果は彼女にとって不満でしかなかったようだった。さもありなん、セイバーは姉さんのことが好きだったから。
「それではサクラ。わたしは大聖杯へと参ります」
「ええ、分かりました」
 慇懃に呟くセイバーにそう返す。一刻もここに居たくなかったのだろう、セイバーは足早にテンノサカズキへと歩みを進めていった。
 それも仕方ない。わたしはセイバーに嫌われて当然の行為をしたのだから。
 だから、お別れとは知りつつも、見送ることはしなかった。
 さくさくさくと彼女が地面を踏み歩く音が急に途絶えて、「最後に」とセイバーの声。

「サクラ、貴方はこんなことを望んでいたのですか」

 質問でありながら突き放した言葉だけを残して、黒鎧の騎士は大魔法陣へと姿を消した。



「全部、終わっちゃった……」
 そうだ、全部終わった。姉さんは居ない。お爺さまも、兄さんも。わたしの邪魔をする敵は全部全部殺してしまった。これでわたしを止められるヒトはもう一人も居ない筈だ。
 完璧なエンディング。
 これで、何もかもが終幕の結。
「……これから、どうしようかな」
 どうしようもこうしようもない。もう終わりだ。ここから先なんてない。終わりに続きがあるはずがない。それ故の終わりなんだから。
 世界に復讐しようと思っていた。わたしを不幸にするだけで幸せにしてくれない世界が憎いと思っていた。
平凡な街並みが、代わり映えしない日常が、隣の席で笑う級友が、わたしの痛みを知りもしないで流れていく時間が、世は事も無しという風に悠然と吹く風が。世界がなければわたしは苦しくなかった。生まれてこなければ、わたしは平穏でいられたのに、世界はわたしを生み出した。だからわたしは世界に対して復讐する権利がある。わたしを苦しめて痛めつけた世界に、わたしを思い知らせてやるって決めていた。
 でも、本当はそうじゃないって気付いている。
 わたしが憎かったのは姉さんだけだ。心の底から憎くて憎くて堪らなかったのは、あの皮肉屋のクセに妙に甘いところがある少女だけだった。同じ遠坂の家に生まれ、同じ姉妹であった筈なのに、一人だけあらゆるものに恵まれて生きてきた遠坂凛をこそ恨んでいたのだ。
 姉さんはもう居ない。だから、わたしの憎しみはもうない。そうだ、正直に言ってしまえばわたしの感情には世界に対する想いなんてない。世界なんてどうでも良いし、世界だってわたしなんかどうでも良かったんだろう。だから、わたしにとって世界は姉さんが居なくなった時点で無くなってしまったも同然なんだ。
「本当、これからどうしよう」
 分からない。思いつかない。したいことはないし、これ以上なにか為すべきコトがあるとは思えない。それ以前に、わたしが出来ることがまだこの世界に残っているんだろうか。
「しまったな」
 本当、失敗した。人生は死ぬまで過程の連続で、同時に終局の連続でもある。だから、終わりに続きがあるなんてコトを考えてしかるべきだった。ようやく終わりに辿り着いたのに、終わりの先へ進まねばならないのなら、そこには奈落があるだけだろう。
 だけど、どうすれば良かったのか。わたしは姉さんを殺したかったワケじゃない。ただ、姉さんに誉めてほしかっただけだ。すごいね、と。頑張ったんだね、と認めてほしかった、それだけなのだ。

 他でもない、遠坂凛にわたしのコトを認識してほしかった。
 そんな小さな願いとさえ云えない想い。

 でも姉さんはそんなコトもしてくれなくて、それどころか宝石剣なんてモノを持ち出して平行世界のマナの助けまで借りてわたしを殺そうとさえしてきたから、思わず殺してしまった。
 なんて計算違い。これでは誉めてもらえない。認めてもらえないじゃないか。
 痛いな……。
 すごく痛い。
 一瞬で消化した姉さんの声が胸の中で反響する。
 助けて、と。許して、と。ここから出して、と。
 聴いたこともないような声で、わたしに懇願してくる。
 でも無理です姉さん。だって姉さんはもうとっくに死んでしまっていて、その声は姉さんだったものの残響に過ぎないんだから。
 姉さんは死んでしまった。そうだ、わたしが殺した。
 なのにどうして姉さんの声が聞こえるんですか。どうしてさっさと消えてくれないんですか。どうして死んでからでさえわたしを苦しめるんですか……!
 姉さんなんて嫌い。大嫌い。
 さっさと無くなっちゃえばいい。こんな声、消えてしまえばわたしは楽になれるのにどうして居なくなってくれないの姉さん!
 裡に向けて絶叫する。そんなコトしても無駄なことは分かっている。死人に口はないのと同様に、耳もないのだから。
 だけど叫ばずには居られなかった。
 消えてほしい。
 無くなってほしい。
 苦しいのは厭だ。
 悲しいのは堪えられない。
 だから、冷たい身体を掻き抱いた。

「────桜?」

 どこからか声が聞こえる。誰の声? 良く知っている。憶えている。誰の声だ? 知っているのに、憶えているのに、思い出せない。
 俯いていた頭を上げると、視界に一人の青年の姿が映る。
「?」
 誰だろう。否、誰だということはない、そんなことは判っている。分かっている筈だ。そうだ、この人は、わたしが 誰よりも   求めた人なんだから    。
 なのに名前が思い出せない。その顔が見知らぬ誰かのものに見える。その姿が物語の住人としか認識できない。
 目だ、目を見ればきっと判る。だって、わたしがなにより惹かれたのはその瞳なのだから。その決して折れぬ信念の象徴のような強い眼差しこそが彼の彼たる証なんだ。
 彼が口を開く。その喉から、声が、漏れて、

「────────、さ」

 途切れた。


 あれ?
 どうしてだろう、その視線には怯えがある。恐怖が蜷局を巻いている。
 その中に、黒いわたしが映っている。
 どうして怯えるんですかわたしのことを好きって云ってくれたじゃないですかなのにどうしてそんな視線をわたしに向けるんですかどうしてそんなに弱々しいんですかどうしてそんなにぼろぼろなんですかどうしてそんなに怖がってるんですかわたしじゃないですかこれがわたしなのにどうして震えているんですかなにも怖くないのにわたしはわたしでわたしのままわたしで在り続けているのにどうして後ろに退くんですかわたしじゃダメなんですかわたしじゃダメなんですかなにがダメなんですわたしはわたしなのにわたしはわたしでわたしなのにわたしはわたしでわたしでしかなくてわたしなのにわたしはわたしでわたしでしかなくてわたしいがいではなくてわたしなのにわたしはわたしでわたしでしかなくてわたしいがいではなくてわたしだけでわたしなのにわたしはわたしでわたしでしかなくてわたしいがいではなくてわたしだけでわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのにわたしなのに────

 どうして怯えるんですか先輩────!!!!!!


 ばりん、と。
 わたしのなにかが音を立てて割れた音が聞こえた。ばらばらばらと粉々になって砕け散ってしまった。
 それが一体なんであるか、わたしには分からない。
 頬がつり上がる。
 心臓が狂ったように鼓動する。
 口が意志とは別に勝手に言葉を紡いでいく。
「ああ、ようやく来てくれたんですね先輩────」
 あまりに遅いから逃げちゃったのかと思いました、と口は勝手に宣った。
 どうしてだろう。頭は疾うに白んでいる。脳は既に思考を放棄していて、言葉なんて発せる状況ではないはずなのに、口は滑らかに言葉を紡いでいく。
 先輩は怯えた表情そのままに、遠坂はどこだ、と問うた。
 そんなことも解らないんですか先輩。ううん、もう気が付いてるんですよね。姉さんはどこにも居ないんだって。
 だって、
「さっき、わたしが食べてしまったんですもの」


 暑く熱く灼熱の溶岩のように灼ける空気が纏わりつくのが不快だ。息をする度に喉が焼け肺が爛れ内臓が熔けてしまうよう。それは錯覚なれど錯覚とは思えぬほどの実感にあふれた感覚だった。
 先輩は目を見開いて絶句している。
 驚いたんだろう、当然だ。わたしにだって分かる。今のわたしは邪悪そのものなんだ。それはこうなる以前のわたしを知っている先輩にしてみれば寝耳に水どころの話じゃなかった筈である。
 唇は水を得た魚のように滑らかに動いていく。
 食べ残しは無いだの、行儀は今でも良いだの、姉さんは美味しかっただの、

 ────姉さんはまだ死んでいなくて、今でも苦しんでいるだなんてウソまで吐いて────

「あれ、姉さんは処女だったんだ」

「ふふ……一日目から泣き崩れちゃった」

「かわいいなぁ……そんなことを云われたらますます虐めたくなっちゃうのに」

 聴くに堪えない嘘八百が口から止めどなく溢れ出る。
 それで、わたしは気が付いてしまった。口が滑らかに動くのは、わたしの衝動が理性に駆逐されているからなんだ、と。
 わたしの理性はイキモノとしての本性を抑圧して、ただこう望んでいるのだ。 

 ────わたしは、先輩に殺されて死んでしまいたい────

「ほら、聞こえますか? 姉さん、先輩の名前、何度も何度も何度も何度も呼んでます。助けて士郎って、気が狂ったみたいに叫んでますよ」
 耳障りな嘲笑を伴いながら天井知らずに積み重ねられていく妄言は、詰まるところ先輩の戦意を引き出すためだった。どこまでも救いようがないくらいに堕ちきった邪悪を演じさせるのは、先輩に殺されたいが故の行動である。
 だって生きていても仕方がない。
 姉さんは居ない。
 先輩には恐怖された。
 この先にわたしが望むことは一つもない。
 ほら、どうしようもないくらいに、わたしには救いがない。
 だから、せめて最後の救いに縋っている。
 殺されること。それも、最愛の先輩に殺されること。
 それが、間桐桜という外道が最後に望んだ末路だった。
 なのに、
「桜────おまえ、は、もう」
 どうしてそんな目で見るんですか。
 怯えと恐れと不安と同情を混ぜた視線をわたしに向けるんですか。
 どうして、怒ってくれないんですか。
 わたしが悪者だったら怒ってくれるって、云ってくれたのに、どうして。
 そんなのだから、先輩がそんなのだから────
「……そんな目でわたしを見ないで下さい」
 全部先輩が悪いんだから、抑圧を破壊した衝動(マトウサクラ)はそう己を自己弁護した。
 先輩がセイバーを殺さなかったからセイバーがわたしを助けに来てくれて、わたしが死ぬはずだったのに姉さんが死んでしまった。セイバーさえこなければ姉さんが死ぬことも、こんなことになるはずもなかったのに、なのに先輩はセイバーを殺せなかった。この現状の最大の原因は先輩だ。だからわたしは悪くない。一番悪い人は、先輩なんだから。
「でも嬉しいです先輩。先輩はわたしを選んでくれた」
 それは違う。そんなのは嘘だ。先輩は優しいから、セイバーを殺すことが出来なかっただけ。セイバーを呼び戻したのはわたしだし、セイバーに姉さんを捕まえさせたのもわたし。姉さんを取り込んで殺したのもわたし。全部わたしの責任だ。
 そんなのは判っている。でも結果を見れば先輩はわたしを助けてくれた。姉さんじゃなくてわたしを助けてくれた。だからそれで充分だろう、充分じゃない。
「だから、先輩も一緒に取り込んであげますね」
 ダメだ。止めろ。そんなことは止せ。姉さんを取り込んで殺したときだってイヤってくらいに後悔したはずなのに、どうして同じ過ちを繰り返すのか。
 いい子ぶるのは止めて。先輩を食べたくて仕方なかったでしょう。姉さんは甘かった。この上なく極上の甘露だった。なら先輩はどうだろう。きっときっと、この世のものとは思えないくらいに甘いに違いない。
 対立する二つの思考。しかしその拮抗は刹那と保たず、

「では。影も形も残さずに、骨の髄まで味わわせていただきますね先輩」

 だから止せって云ってるだろう────!

 理性の渾身の絶叫も虚しく、わたしが具現した呪影はその巨大な腕を振りかぶり、一撃の下、先輩の全てを飲み込んだ。先輩は微動だにせず影に飲まれていく。

 先輩の頭を飲み込まれる寸前見えた瞳には、感情の色は映っていなかった。



 ぺたんと大地に座り込む。
 頬を生温い風が撫でて、攫う手つきで髪を掬った。
 瞬くことが出来ない。
 そこには、誰も居ないから。


 そこは広大な洞窟だった。大聖杯という魔法陣を奉った祭壇である。およそに百年前、三人の魔術師が冬木という街の堕ちた霊脈に人知れず作られた人工の空洞、見渡すコトが不可能とさえ思えるほど広々として、何もない。
 今、その伽藍は小刻みに揺れている。その振動はイキモノの鼓動を思わせるほど不定期で規則的だ。岩肌をよく観察すれば、うっすらと血管のようなモノが縦横に走りながら蠢動している事が見て取れる。その様はまるで慟哭しているようだった。


 暑く熱く灼熱の溶岩のように灼ける空気が纏わりつくのが不快だ。息をする度に喉が焼け肺が爛れ内臓が熔けてしまうよう。それは錯覚なれど錯覚とは思えぬほどの実感にあふれた感覚だった。


 そこには、誰も居ない。
 わたし以外誰も居ない。
 悲しいくらいに空っぽだ。
 この世界には、何もない。

 黒いリボンが視界に映る。
 その持ち主を思い出す。
 その笑顔を思い出す。
 わたしが、姉さんを殺した。
 全身全霊をもってわたしに対峙してくれた姉さんを、殺してしまった。

 無色の瞳を思い出す。
 あの先輩の眼差しが力を失う様を思い出す。
 わたしが、先輩を殺した。
 わたしが、先輩の信念を折らせて、だから先輩は死んでしまった。


 気が狂いそうになる。
 心が変質してなにも考えられない。
 ただ痛くて。
 全身を刃で貫かれたように痛くて痛くて堪らなくて、
 両目から滂沱と涙がこぼれ落ちた。
 喉から溢れるは嗚咽の叫び。
 身体を振るわせるは後悔の波か。
 堪えることなく広大な空洞を満たすほどの大音量で絶叫する。



 そこでようやく、マトウサクラは己が失敗を認識した。





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というわけで、連続アップです。
予定ではinterludeと本編を交互に出す予定、の筈。
では次にて。


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