――体は剣で出来ている。
血潮は鉄で、心は硝子。
幾たびの戦場を越えて不敗。
ただの一度も敗走は無く、
ただの一度も――――。
Fate/stay night SS
「Tha fatefull day」
作. fuyunatu
そこは戦場だった。国と国が争う戦争ではなく、人と人が争う戦争でもない。それは王と王子の殺し合い。鉄風が渦巻き、雷火が轟く、血で肉を洗い肉を骨で梳(くしけず)る内々の争い。故にそこは、三千世界の全てを剣と、焔と、敗者の亡骸で埋め尽くすような戦場だったのだ。
美しい森だ。木々は生い茂り、彼の黒の森(シュバルツバルト)の如く薄暗く、されど木々の隙間から流れ落ちる薄い日の明かりはあくまで幻想的で。しかし、その景色も今は見る影も無い。
「ヴェディビエール、何騎残った。」
「せいぜい三十騎といったところです、陛下。」
その景色を台無しにしているのは煌びやかな鎧に身を包み、優美な軍馬を駆る、常勝不敗の名も高き騎士王直属の近衛兵団。されど今は、その面影は微塵も感じられない。
かって城下の娘たちの花束で飾られた鎧は煤と泥で汚れ、おそらく敵剣を受けたのだろう傷跡さえ幾多も見受られる。かって騎士の誇りと共に忠誠を誓った剣も刃毀れし、血と脂がこびりついている。とどのつまり、誰が見たとしても彼らは敗残者なのだ。
しかし、その中にあっても騎士たちは誰も自分たちが敗北したなどと考えてはいなかった。円卓は倒れ、騎馬形式(カラフラクティ)も打ち破られた。だが、彼らには王がいる。傷つき、薄汚れ、血に塗れながらそれでも隠せぬ輝きを放つ騎士王が。王がいて、その手に王の王たる証である聖剣が在るかぎり彼らにとって敗北など存在し得ない。
「陛下、一度国に戻り兵力を再結集しましょう。」
栄えある円卓の騎士の一員でもあり、酒倉長でもあるリュカンがそう提案した。彼らは敗北するなどと微塵も思っていなかった。が、この兵力差では勝利することは難しいということも痛いほど良くわかっていた。その上で勝つための最善の一手としてのこの進言だったのだ。当然、他の者も王がこの進言を聞き入れるであろうと思っていた。だが……。
「いや、それはできない。」
「なっ、しかし……。」
「今戻っても親とはぐれた小鹿のように絡めとられるだけだ。それならば、ここでモードレッドの首を討ち取る方がまだ容易い。」
騎士達は色めきたった。それが出来ないからの次善の策なのだ。もしや、考えたくはないが王は錯乱なされているのでは……?そう考えるものさえいたほどだ。
少しも動揺していないのは古くから王に―――、アーサー・ペンドラゴンに酌係として仕えてきた『片腕の騎士』ことサー・ヴェディビエールを含む数人ほどに過ぎなかった。彼らは良く知っていたのだ。敬愛するアーサー王がすると言ったことは本当にできるということを。
「モードレットは此方の位置を掴んではいない。そこに少数の利を生かして奇襲をかける。後は私が奴の首をあげれば残りは所詮烏合の衆、それで我々の勝利だ。」
「し、しかし相手方の位置が分からぬのは此方も同じ。それにモードレット様は陛下の……。」
どこか言い辛そうにする騎士にアーサー王は気にした風も無く言った。
「奴も一応は赤き竜の血を引くものだ。離れていても場所くらいは分かる。それにこれも王の役目だ、気にしなくても良い。」
そう言ったあと戸惑う騎士たちを気にするでもなく、小半刻ほどしたら出発する。それまで体を休め、腹ごしらえをしておけ。などと言って話は終わりだとばかりに自分ひとりさっさと馬から下りると、剣の鞘を枕に硬い干し肉を口に放り込み、不味そうに噛み締めながら寝転がってしまった。
およそ一刻と小半刻の後、おそらく戻って来るとは考えていなかったのであろう、彼らはモードレット側の斥候や探索部隊に見つかることも無く敵本陣を見下ろす高台の中腹まで近づいていた。
元は両軍併せて十万を超えた軍兵も既に三百足らず。眼下に見える敵本陣、その数およそ百五十といったところか。時間をかければ残りの百五十も駆けつけて来るだろうが、此方は騎兵で三十、あちら歩兵混じりで百五十だ。なるほどこれなら奇襲をかければ首級をあげる事も可能だろう。
「リュカン、サグルモール、十騎を率いて楔を穿て。」
「はっ、身命を賭してっ。」「非才の身を尽くして。」
凛とした横顔を敵陣に向けたままアーサー王が下した命に、二人の騎士はそれぞれのやり方で頷く。
「残り十五騎は私に続け、開いた孔から敵の喉笛を喰い破る。ヴェディビエール、お前は殿だ。最後の五騎を任せる。囲ませてもかまわん、崩れそうな所に兵を回せ。」
「承りました。」
アーサー王は指示を与えると振り返り、その碧緑の瞳で騎士達を眺め―――、
「突っ―――撃っ!!」
―――仮初の鞘から引き抜き頭上に掲げた『約束された勝利の剣』(エクスカリバー)を眼下の敵軍に向けて真っ直ぐに振り下ろした。
それは彼らにとって正に晴天の霹靂だった。突如、鋼で覆われた生きた稲妻が彼らの柔らかい横腹を焼き切ったのだった。しかし、一体誰が我々を襲うというのだ。アーサー王の軍は破れ、何処へとも無く落ち延びた。此方も壊滅的な被害を被ったが、城の守りとして残してきた千五百の内の五百を此方に呼び寄せたばかり・・・。まさか彼らが裏切ったというのでは、とそこまで考えたとき、数少ない生き残りの上級騎士として指揮を執ろうとした彼の目に黄金に輝く剣を持つ青の騎影が映り・・・・・・、真横から振るわれたサグルモールの一撃に首を刎ねられた。
奇襲は成功した。第一陣の騎士達は自分達の役割を完全に果たした。陣に開けられた孔を閉ざすまいと、十五騎の第二陣が落ち着きを取り戻しつつあった敵軍に喰らいつく。
そして――――――ついに――――――アーサー王の瞳は“反逆者”を捉えた。
今の位置より、およそ七ヤード、間に障害は無し。瞬時にそう判断したアーサー王は馬を駆り、裂帛の気合と魔力を込めて馬上から徒歩の相手の脳天へ剣を叩きつけた。見事な一撃だった。避けようとすれば腕が飛び、受けようとすれば受けた武器ごと真っ二つにされる。そんな一流の騎士が相手でも必殺の名に相応しいであろう一撃だった。その一撃を向けられた相手はほとんど反応も出来ず……、
血飛沫と共に人外に鍛えられし刃が獲物の頸に喰い込み、其の鋼に込められた膨大な魔力を開放した。
そして、“アーサー王”が地面に叩きつけられた。
「がっ、なっ?」
「如何なされた父上?王たる者、膝を屈するのは国が滅びたときだけだと仰っておられたのに、そんな風に無様に這いつくばって。」
避けれない筈の一撃を避け、それどころか擦れ違いざまに乗騎の頸を断たれたことに混乱したままのアーサー王にモードレットは、今しがた自らの父王に対して剣を振るったなどと微塵も感じさせない素振りで続ける。
「父上は国中の騎士の誉れなのですから、しゃんとしていてもらわないと困ります。」
そう言い終えた後、モードレットの顔がぐらりと歪んだ。
「それとも…………、“母上”と御呼びした方が宜しいですかな?レディ・アルトリア。」
ぎしりっと二人の放つ桁外れの魔力に世界が傾いだ。アーサー王も既に立ち上がり剣を構えている。その雰囲気は驚くほど冷たく、それでいて笑ってしまうほど不安定だった。
「……モードレッド、何処でそれを知った?」
「性別のことですか?それとも名前?」
「両方だ!」
アーサー王の―――、いやアルトリア・ペンドラゴンの秘密を知っている者は父と森の魔術師、後は義父と義兄くらいだろう。しかも、現在も生きているのは封印されもう会うことも無いであろう森の魔術師殿くらいである。
「性別のことならとっくの昔に気付いていましたよ。」
「なっ!」
「他の者にとって貴女は完璧な王であったから誰も性別のことなど気にしなかったのでしょう。ですが私は貴女の世継ですよ、気づかない訳がないんです。ただそれだけの事。まあ、名前は泉の妖精殿に教えて頂きましたが。」
「馬鹿なっ、あの乙女達がそんな事をする筈は……。」
そう力なく呟いた後、はっと何かに気がついたかのようにアルトリアはモードレッドを睨みつけた。
「……妖妃モリガンか、そう考えると先ほどの一撃にも納得がいく。その剣、纏う気配の質は真逆だがガラハッド卿のものだな。」
「ええ、その通り。これは元々あなたの魔術師がガラハッド卿に与えた妖精の剣。とはいえ既に見た目以外は別物と思ってもらったほうが宜しい。それにっ……」
迅雷のような一撃がアルトリアを襲った。予備動作の一切無いその突きは、並の騎士が相手では剣を向けられたという意識さえないまま心臓を貫かれていただろう。だが、アルトリアも並の騎士で在り得なかった。その身は並ぶ者無き騎士王、十五の時にあの剣を抜いてから、大戦に大戦を重ねてきた『戦いの王』(ドウクス・ベロールム)である。いくら鋭いとはいえただの直線の一撃、アルトリアは半身だけ体を左に逸らすことによってモードレッドの一撃を避け、反撃を加えようとして眼前に現れた切先を避けるために飛び退った。辛くも相手の刃の圏外に逃げ延びたアルトリアがその秀麗な顔を歪める。
「今の技は……。」
「そう、ガラハッド卿が元々得意となされた三段突きです。もっとも、この剣は突きには向いていませんから二段が限界ですが。」
「なぜ卿の技をお前が使える。最初の一撃は剣の力とも思ったがそれだけでは説明がつかない。」
「これも妖精殿の魔術ですよ。詳しいことは私には良く解かりませんが、『成長に至る経験に共感し、蓄積された年月を再現す。』などと仰っておりました。」
モードレッドは自室で寛いでいると言わんばかりの気楽さだが、言っている内容はアルトリアにとって恐るべきものだ。ガラハッド卿といえば、世界最高の騎士とまで呼ばれた『湖の騎士』ランスロット卿の息子であり、そして唯一そのランスロット卿を超えるといわれた騎士である。その剣技に加え、今はモリガンに強化されたのであろう剣とモードレッドの持つ竜の因子に起因する莫大な魔力がある。能力的にはほぼ互角、しかし『全て遠き理想郷』(アヴァロン)を失い、長い戦に疲労しきった彼女が勝つのは至難の技だった。
だが、そんなことはさほど問題ではない。アルトリアは自身が王であるかぎり負けるわけにはいかなかったし、いくら相手が強くとも一縷でも望みがあるのなら勝つのが彼女だったからだ。
だがその前に、一つだけ訊いておかねばならないことがあった。
「モードレッド、何故このようなことを。答えよっ!」
それは守るべき国土を徒に荒らした一人の騎士への詰問だった。かって王に仕えた騎士ならば誰もが背筋を震わすような矢のような問いであった。しかしモードレッドはもう、いや最初から騎士などではなかった。
「はっ、何故ですと?何故といいますかっ!」
もはや今までの余裕を匂わす立ち振舞いは微塵も感じられず、どこか人形めいた秀麗な顔立ちは逆説的だが決して人形では浮かべられぬ憤怒を示していた。
「ああ、そうでしょうとも。あなたには決して分からない。いえ、分かろうとさえしない!この私の気持ちなど……、私があなたの模造品にすぎないと知ったときの私の気持ちなどあなたにとっては戦場で切り捨ててきた雑兵一人分にも値しないのでしょう!」
「―――いや、良く分かった。」
血を吐くような子供の―――“十に満たない”幼子の慟哭を“アーサー王”は完全に理解した。それはつまり……、
「私怨で国を滅ぼそうとしたということだな、モードレット。」
例えるなら機械。冷たく硬く他に興味も無く、何の感情も持たない。ただ役割に沿って進み行く自動人形(オートマータ)。
それが今の彼女だった。先程まで見せていた動揺も感情の揺らぎもな無く、其処には一個の王が在るだけであった。
「あっ、あなたという人は!」
「黙れ下郎。貴様が一語話すたびに忠勇なる我が騎士たちが傷ついているのだ。」
そう言い切らぬ内に、アーサー王が動いた。いまだ狂乱状態から抜け出しておらぬモードレットに対して、間合いに飛び込むと同時に一呼吸で三撃、二呼吸で七撃、三呼吸で十二撃の死を放つ。その死をモードレットは弾き、見切り、受け流し、三呼吸十二連撃の全てを凌ぎきった。否、その手に持つ黒剣が受けきった。モードレッドは茫然自失の態を示したまま、其れにも拘らず黒剣は自身に蓄積された経験に基づき主を動かして完璧に守りきった。
己の攻撃を全て防がれたアーサー王は後方へ飛び退りいったん距離をおいた。それに対してうつむいたままのモードレットは剣を構えなおす。
「そう……ですか。あなたは…結局…何も…変わらないのですね。ならば……、ならばここで私があなたを殺しましょう! 人を理解しようとしないあなたは、やはり王であってはいけない!」
その言葉と共にモードレッドの放つ魔力は爆発的に増大し同時に一点へと収束する。膨大な魔力を注ぎ込まれている黒剣は軋むような音をたてながら黒金色の光を放ちつつあった。アーサー王も次の一撃で勝負が決まると悟ったのか、既に自らの聖剣に魔力を溜め始めていた。モードレットの剣が放つ黒金の光と比して、アーサー王のそれは黄金と言うに相応しい光であった。
「王よ、この一撃こそが私の全て! 力も、魔力も、あなたを想うこの弱い心も、全てを込めたこの一撃で私は私の世界を切り開いてみせる!」
モードレッドの宣誓にもアーサー王はほとんど表情も変えず、ただじっとモードレッドを見つめ一言だけ。
「応えよう」と。
その一言が引き金になった。互いに互いの全てを賭けた一撃。神速よりもなお速く、必殺でもまだ足らない千撃万撃を超える唯一無二の必然を持った一撃が相手に向けて放たれた。
――――多分勝つのはアーサー王だったのだろう。剣技において勝り、魔力において互角。しかし一つだけモードレットが決して並べないものがあった。それは自身の命を預けるべき剣。どれほど優れた剣でも、聖剣という分類(カテゴリー)にあるかぎり『約束された勝利の剣』(エクスカリバー)には敵わない。おそらく一撃で決めようとしなければ、かなりの確率で彼は王に勝利しただろう。だが、一撃勝負なら彼女と彼女の剣に勝てる者など大ブリテンのどこにもいない。だからこの勝負はアーサー王の勝利で終わるはずだった。そう、終わるはずだったのだ。主を守るために王に矢を射掛けた兵達がいなければ。本来ならば意にも介せず押し潰したであろう雑兵の一矢は王の右肩を抉り、そして二人の一撃は互いを貫き通した。
「は、はは。私は結局母上には……。」
そう呟いた後、胸を貫かれたモードレッドはグラリと倒れそのまま二度と目覚めることの無い眠りへと落ちて行った。
アーサー王は生きてはいる。しかし、ただそれだけだ。モードレッドの剣は王を深く切り裂いていた。その傷は間違いなく致命傷で、そう遠くない内に死に至るのは間違いない。いや、その時を待たずとも自身の右肩を射た兵達がこの首を落とすであろうさえ考えていた。
しかし、聞こえてきたのは敵兵が刃を振り下ろす風切音では無く、馬蹄を轟かせながら自らの名を叫ぶヴェディビエールの声だった。自身に近づいて来るその声をどこか遠くに聞きながらアーサー王は、
「城は……見えない…か。」とだけほとんど声にも出さず呟き、完全に意識を失った。
こうして『戦いの王』(ドウクス・ベロールム)、『無為の王』(レックス・オティオスス)、―――――『未来にして過去の王』アーサーの……、アルトリア・ペンドラゴンの長きに渡る王の戦いは終わりを告げた。後に続くは午睡の夢。一度目が覚めれば二度と見ることの無い、とても大切でとても幸せな―――――ひとときの、夢。
END