式神の謳う死 其の五


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1: YATU (2004/02/25 17:25:00)[thecountrylawyer at yahoo.co.jp]

 ――「幕間 その一」――

 袴を着て威風堂々とした小柄な老人、土蜘蛛はこれまで闇の中で静観していた。ただ、糸を手繰り寄せ、「人形」の思考を読み取っていただけであった。
 彼の能力には、体内で練り上げた魔力の糸を持って、人を操る技法がある。
 人間の行動を掌握するその業は外法であり、彼がこの身になって会得した。

「ふん、『人形』風情がよくもまあ、勝手に動きよるわ、障害とならんなら、切り捨ててしまえばよいものを」

 そう、殺せばよいものを。速やかな「回収」のために操り糸で根絶やしにしてやろうか、とも思ったが、それは早計であると老人も思った。
 大老院からの許可は得ているとはいえ、事が穏便かつ秘密裏に進むのならば確かにそれに越したことは無いのだ。

「体制の支配者どもめ」

 忌々しげに臍を噛む老人は、自分を食い詰めもののように扱っている人間達を憎んでいた。
 だが、それも終わりだった。目的のために手段を選ばないのは西洋の君主論者の言葉であるが、まさしく真理だ。
 体制に組しない山の民の長であった彼がなぜ、恥を忍んで体制に下ったかは彼の目的にあるだろう。
 今、彼の手の中で月光に照らされた雫のように輝く玉。
 荒魂、和魂、幸魂、奇魂。全てのもののあり方を示す四魂、そのいずれの輝きをも有する真珠色の虚は、無色でありながら、焦がれるような赫光に震え、求めるような蒼白で濡れていた。それは、残り一つとなった同胞を求める虚の声ならぬ声であった。
 手中の玉を感慨深い目で見つめながら、土蜘蛛は自らの闇の中で呟いた。

「やれやれ、ようやく、ようやくか……真祖の姫君が邪魔立てすると思っていたが」
「ところが残念、邪魔するのよね」

 気楽な女の声が土蜘蛛の声を遮って、現れた。声の主は言わずもがな、今、老人が口にしたその人、アルクェイド・ブリュンスタッドである。土蜘蛛は彼女の突然の来訪にわずかに狼狽して目を見開くも、それがすぐに掻き消え、あまつさえくぐもった笑みを浮かべる。

「ほほ、驚かせるとは、なかなか冗談がお好きのようですな、それともまだ現世におわして日が浅い故、他人の住処に無断で踏み込むことは失礼にあたるということも知らぬので」
「そのぐらい知っているわよ、失礼しちゃうわね」

 皮肉を素直に受け、拗ねたような声を上げる真祖の姫にはその実、油断も隙も無かった。
 アルクェイド・ブリュンスタッドにおいて敵となるものは現在、この世のどこにもいない。
 あらゆる可能性を孕む因果律、根源の糸を紐解くことを許された世界の観測者として、彼女の能力は当代随一である。しかし、その一方で彼女は、その生い立ちがいくら特殊であろうとも、在り方が人型として限定されているためか、未知の物に対しては若干の弱点を持っている。それでも死に直面するということはありえないが、彼女の裡に抗体が生まれるのは、それとそれに類似したものを受けなければならない。東洋の小国であるこの国の特殊な技法について、彼女は一通りの知識こそはあるものの、それがどういった力でどう働きかけてくるかについては、まだ経験もしていないのである。それゆえに、目の前の老人がどういう力と技を持つか、油断することはできなかった。

「それで、何用ですかな? 部下の失礼があったのなら、詫びさせていただきますが」
「別に、あの人はそういうのなさそうな人だったしね」

 老人は振り返った。威を正して言葉を、まるで糸を吐き出すように静かに紡ぐ。

「では、特にあなたが興味を注がれるようなものなどここにはありませぬぞ、なにせ田舎臭い国の田舎町、その土臭い穴倉ですからな、西洋の方にはちょっと耐えられませんでしょう」
「そうね、まあ、確かにあんまり居ていい気分になる場所じゃないわよ」

 アルクェイドは辺りを見渡した。わずかな灯火が揺らめく薄闇の中で、彼女はこの地下に作られた洞穴に蟲の体内に飲み込まれたかのような嫌悪感を覚える。無機物でありながら、有機物、単純な思考に囚われた群体に似たような空間を彼女は知っていたが、あれほどの危機感というものではなかったので、悪寒を隅に追いやる。

「でも、私ね、あなたが持つそれにはちょっと興味があるんだけどな」

 目を細めて、老人の掌の上で輝く真珠色の虚を指差しながらアルクェイドはまるで買い物をするように何気なく言った。刹那、殺意と敵意が闇の中で色めいて、何百もの蛇のように絡みつく。ひたひたと忍び寄るようなそれは、金色の女の周りに潜みながら、隙あらば飛び掛らんとしていた。

「はて、なんのことやら」
「とぼけないでよね、あなたの部下を見てすぐにわかったんだから、あなたはそれと引き換えに世界と取引するつもりなんでしょ?」

 殺意は変わらず、敵意も変わらず、だが狭い闇に膨れ上がったそれらは静かに蠢きをいや増していく。まるで錆びた歯車が噛むような嫌な音が老人の周囲を境界にして少しずつ世界を汚濁している。土蜘蛛は声を上げて笑った。闇の轟きがが止んだ。しかし、闇よりもさらに深く刻まれた顔の皺がまるでその赤黒い口を開くかのように揺らいでいる。

「なるほど、さすがはさすが、世界を律する資格を有しているだけのことはありますなあ」
「あなたこそ、いくら『先祖還り』で魔に染まったからって、凡夫が則を破り、神に至ろうなんて、よくそんなだいそれたことができるわねえ」
「笑止! 我が本質は山の長よ、ゆえに我が仕えし神が、あの地に還ることを阻むこそ、だいそれた行為、世界の理解者がそのことにも気づかぬとはな、大儀を弁えぬ小娘が抜かすな!」

 怒号と痛烈な皮肉を込めた弁を述べる老人に、真祖の姫は冷笑を浮かべる。蠢く闇を切り裂き、捻じ伏せる力が律動し始め、紅い大きな瞳は久しくなかった血の滾りを嬉しげに語っている。

「よく言うわ……要はあなた、『死にたくない』んでしょ?屁理屈捏ねてないで、私を破ってみなさいよ!」

 きっかり口上を述べると金白の女は老人の下へ噴進する。老人は怒りで滲んだ表情を打ち消して不気味な笑みを浮かべ、それを迎え撃った。

 ――「第二幕」――

 夜の街、青白い影絵が伸び縮みする道を見ながら、私はそれに似合うような声で話を締めた。
「つまり、やり方次第では、君の能力、直死の魔眼だったか、と併用することで戦略性もあがるだろうと思われるのだ」

 私は今、遠野家当主との約束どおり祓いのため道具の詰まった鞄を持って、公園に向かっている。私は公園の封印解除に関して、埋葬機関のシエルと交渉しなければならないため、ついてきてもらった傍らに居る遠野志貴に歩きがてら「大祓湛』の技法と七夜の身体技術の相性について教授している。遠野志貴は私の半ば気晴らしの話に、時折相槌を打ちながら、先ほどの締めが終わり、唸り声を上げている

「ん〜……そうなのか? でも、退魔組織には基本的にスタンドアローンな奴らが多いって聞くぞ、実際、シエル先輩もそうだし」

 結局、遠野家に顔を出さなかった結界の施術者の名を言った。彼女は、今日は用事があって来られなかったそうだ。元々、遠野家当主との折り合いも悪いらしく二人が牽制しあう状態で話をするのも居心地が悪いだろう、と言いにくそうに事情を説明した遠野志貴の顔には精神的な疲労の色が見えた。
 まあ、来られなかったものは仕方がない。
 とりあえず毎晩公園で封印の状態をチェックしているそうだとも言っていたので、私たちは公園に向かっている。それで、今はそれまでの暇つぶしだ。

「うむ、確かにそうだ。状況によっては広域の術や『術者以外を排除せよ」と命じられた自動人形を使用することもあるからな、一昔前までは敵の塵殺のため味方の巻き添えも辞さない戦法がどの組織にもあったようだ。しかし、味方同士錬密な連携があるならともかく、基本的には単独で事を成しえることの多い退魔師に連帯を望むのは難しい、私はな、遠野志貴、君がいくつかの術を覚えてみないかと言っているのだ」
「えっ!? 俺が? いや、でも……」
「別に好き好んで魔を狩れ、と言っているわけではない、単純な自衛手段としてだ、遠野家、とりわけ君はこれからも望まなくても魔と戦い続ける宿命にあるのだからな」

 七夜の血が少年に脈々と流れている限り、悲劇は必ず彼の目の前で起こるだろう。あるいは、もはや起こってしまったことなのかもしれない。
 遠野志貴の昏い衝動は、魔と接する限り発露する。それは、七夜の血の特殊さが示す真実であり、彼にはどうしようもなく、また彼に責任は無い。私は、甘いと言われるかもしれないが、ただ呆然とそれを見過ごすのは不満だった。それに、私が「力」を発生させたら彼に問答無用で魔を感応されて殺されてしまうかもしれないではないか。

「ん〜……」
「結論を慌てる必要はない、どのみち真祖の姫の説得には多大な時間を有するような気がする」

 再度唸り声を上げて、真剣な眼差しで私の提案について考える少年を見下ろしながら、この街に居着く吸血鬼について言及する。
 ふと、遠野志貴はなにがおかしいのか、頬を緩めて、指でその頬を掻く。

「あ〜、アルクェイドはなあ、まあ天真爛漫というかなんというか」

 私はそれを見て、口の端を歪めた。

「ふむ、君は幸福な身にある」
「?」

 わずかに眉根を上げて、明らかに胡乱げな目をする遠野志貴に、私はさらに続けて言う。

「いや、目麗しい女人達に日中囲まれて、羨ましいなと言っている。不揃いの美の果実を並べて眺め愛でるのは世の男の妄言にも等しい理想だからな」
「なっ……何言っているんだよ!? 俺は」

 やけにムキになって反論しようとする遠野志貴の言葉を手で煩げに遮り、私は思わず声に出して笑い声を上げる。

「はは、案ずることはない。これは冗談だ、君がそこまで器用だとは思ってはいない。それともなにか? 君は全員とよろしくやっているのかね?」

 思い当たる節があるのかどうか定かではないが、私の憶測交じりの指摘に遠野志貴はひどく狼狽して、顔を赤らめて手足をバタつかせる。そんな彼をよそに私は、してやったりと心の内で口笛を吹きながら、公園へと足を踏み入れようとして……

「これは、また厄介な……」

 緩みかけた思考を瞬時に律し、怜悧な思慮が私の中で纏まる。そして、憎憎しげに、赤黒い粘着質の音が反響する赤く染まった夜の広場を見た。


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