「―――――――暇だな」
誰もいない遠坂家の屋根の上で、1人ポツリと呟いた。
ある弓兵の昼下がり
今現在、この家には私しかいない。
本来の主である凛は1人学校に赴き、私はというと昨夜衛宮士郎を襲った一件により居残りを命じられてしまった。
彼女をあの場所に1人で向かわせる事に不安が無いわけではないが、まあ何か感づけばすぐに駆けつければいい。
彼女ならそう心配はあるまい。
一応とはいえ衛宮士郎もいるはずである、ならばセイバー呼ぶ事も出来るだろう。
ああ、つまり当面の問題は別にある。
「―――――――暇だ」
そう暇なのである。
今まで私の過ごしてきた時には比べるべくも無い時間ではあるが暇なものは暇なのである。
暇つぶしに屋敷の掃除でも行おうかと考えたりもしたが、生憎召還初日に気合を入れすぎて屋敷中を掃除してしまったのでやる事も無い。
仕方が無いので屋根に上って形ばかりに見張り事をやっていたのだが…
「―――――――むう」
守るべき主のいない家の守衛などに、どうして身など入ろうか。
思えばこのように何もせずに過ごすなどひどく久しぶりの事である。
昔はどのようにして時間を使っていたものか。
はてさてどうしたものかと空を仰いで、もうじき昼食の用意の時間だなとぼんやり思う。
「ふむ、食事の準備でもしておくか」
それは意外といい考えに思えた。
凛とて毎夜の見回りや戦闘に疲れもたまっているだろう。
ならば日頃の疲れを労わる意味をこめて食事を用意してやっても悪くはあるまい。
うむ、そうと決まればさっさと始めるか。
いささか早すぎる気がしないでもないが、遅いよりは良かろう。
ああ、一応言っておくがこれはあくまで私のマスターを気遣う心ゆえの行動であって、けっして暇つぶしのためやまして久しぶりに料理がやりたいな、などという気持ちからの理由ではない。うむ。
「………む。まいったな…」
さて早速キッチンに向かったはいいが思わぬ問題に直面する事になった。
「彼女は買い置きをしないタイプだったのか……」
立派な冷蔵庫の中身はほぼ空といっていい状態だった。
いかに私といえど材料が無いのでは料理は作れない。
「………………むう」
そうなると諦めるしかないのだが、一度やる決めて降りてきたというのにあっさり引き下がるのも何処と無く癪に障る。
「…よし。買出しに行こう」
半ば意地になっていると自分でも思うが、そこは男の意地。
簡単に引き下がるわけにはいかないものである。
重ねて言うがこれはあくまで彼女のためを思う私の優しさからの行動であって、こうなるとなにが何でも料理を楽しみたい等といった理由では決して無い。断じてない。
「さて、そうなると問題はこの服か」
さすがにこの格好で外に出るわけには行くまい。
かといって霊体でいっては買い物も出来ないので意味がない。
この屋敷を捜せば彼女の父親のものであろう服の1着や2着は出てくるでだろうが自分のサイズに合った服があるかどうかは疑わしい。
それに彼女にとっては形見であるものを勝手に使うのもさすがに心苦しい。
「…仕方がない。投影するか」
本来剣以外のもを投影するのは苦手なのだが…
まあ彼女からの魔力の供給量はたいしたものだしなんとかなるだろう。
「―――――――――投影、開始」
「ふむ、こんなものか」
なんとかうまく投影できた服を身にまとい商店街にて買い物を済ませる。
最高の、というわけにはいかないが中々いい食材を買い求める事が出来た。
ちなみに代金は凛の生活費からいただいている。
この金も彼女に美味しく食べてもらう料理になるのならば本望であろう。うむ。
さて速く帰ってゆっくりと下ごしらえでも済まそうかと思って足を進めようとしたその時、
「―――――――――あ」
「―――――――――む」
人気の無い寂れた公園、その真中に佇む少女と目があってしまった。
彼女は呆気に取られたような顔をしていたがすぐにもとの表情に戻って
「ふうん、リンも変わった事をするのね。サーヴァントに買い物に行かせるなんて」
等と呆れたような感心したような声でそういった。
…まあ確かにサーヴァントに買い物に行かせようなどという者がいたとしたら、そいつはよほどの馬鹿か大物のどちらかだろう。
わざわざ誤解を解く必要性も感じないのでそこは放っておく事にした。
「そちらこそ、サーヴァントも連れずこんな所で何をしている?イリヤスフィール」
等と分かりきった事を目の前の少女、狂気の戦士バーサーカーをサーヴァントに従えるマスター、イリヤスフィールに問い掛ける。
「なにいってるのよ、お日様が出ているうちは戦っちゃ駄目なのよ。だったらあいつを連れてくる必要なんてないじゃない」
ああそうだ。
その理由は知っていた。
その返事は分かっていた。
まったく、だというのに
その声が、
その仕草が
あまりにも懐かしく、
あまりにも愛しいものであるゆえに、
「ク……」
笑いをかみ殺す事さえ出来はしない。
「なによ、あなたが殺されたいって言うならいますぐやってあげてもいいのよ」
その笑いを侮辱に取ったかイリヤスフィールが睨みながら言ってくる。
それですら今の私には懐かしさを誘うものでしかないのだが、
ああ、だがそれは困る。
「それは遠慮しておこう。見てのとおり私は買い物の途中でね、折角買い求めたものを無駄にするのはおもしろくない」
まあそれに、令呪の縛りのある今バーサーカーと戦うのは確かに自殺行為ではある。
イリヤスフィールはそれで私への興味を無くしたか、公園のベンチに座ってどこか遠くを眺め出した。
ふう、さてどうしたものか。
彼女の目的などどうせ衛宮士郎だろう。
だが時刻はまだ正午、彼女が何時まで待つつもりかは知らないが奴が来るまではまだ相当の時間があるだろう。
いやそもそも、今日衛宮士郎が商店街に来るかどうか等分からない。
その間彼女を一人きりにしておくには忍びない。
ああまったく、私も随分と甘いものだ。
どすり、と。
有無を言わさず彼女の隣に腰掛ける。
隣には驚いたような彼女の顔。
それも当然だろう、本来敵である私が立ち去りもせずこうしてすぐ真横にいるのだから。
「―――あなた、どうゆうつもりよ」
「どうもこうもない、私はここで勝手に休んでいるだけだ。君が気にすることではない」
その言葉に納得したのか、それとも意地になっているだけか、彼女はそこから動かず顔だけをふん、とそっぽ向けている。
やれやれ、随分と嫌われたものだ。
「――――――――――――」
「――――――――――――」
会話は無い。
互いに敵同士にあるのだからそれ自体は実に当然の事だ。
「――――――――――――」
「――――――――――――」
2人とも会話を捜そうなどという気はないし、話し相手になってほしいとも思っていない。
「――――――――――――」
「――――――――――――」
そうして黙り込んだままどの程度の時間が過ぎたか。
おそらくは10分かそこらだろうが、この状況においてはすでに時間の感覚は曖昧で1時間くらいは経ったようにも思える。
ちらり、と隣にす座るイリヤスフィールを盗み見る。
やはり顔はそっぽ向けたままだったが、顔の前に置かれた手が寒さに耐えるように擦り合わされている。
そういえば、彼女はどのくらい前からここにいるのだろうか。
いや、恐らく朝早くからずっとここにいるのだろう。
実にありえそうな想像に思わず顔をしかめる。
まったく、そこまでして合う価値が衛宮士郎にあるというのか。
彼女にとってその行為がどれだけ重要なものかは分かっている、それでも心の中で毒づかずに入られなかった。
よく見れば彼女の体は小さく震えている。
ああまったく、見ていられん。
買い物袋の中をがさごそとあさり、目当てのものを取り出す。
「食べるか、イリヤスフィール」
「―――――え?」
とっさに顔を向けた彼女にぐいとそれを押し付ける。
彼女はそれを物珍しそうににまじまじと見つめた後、不思議そうに聞いてきた。
「何これ?」
「タイヤキと言う。なに、ただの菓子だ」
買い物の途中何故だか2つばかり買ってしまった物だ。
自分でもなぜ買ってしまったか分からないがここで役に立つのなら良いだろう。
まだ不思議そうにそれを眺めているイリヤスフィールを促すべく、自分の分のタイヤキを口にする。
それを見てから彼女も恐る恐るといった風にそれを口に運んだ。
まあ大人しかったのは1口目までで、その後は頬を緩ませたまま一気にかぶり付いていった。
まったく、そうしていれば歳相応の少女なのだがな。
その光景に苦笑を漏らさずに入られない。
その食べっぷりにもう少し買って置けばよかったか、と考えてもしょうがない事を考えてしまう。
食べ終えた後も相変わらず会話も無かったが、不思議とその沈黙は居心地の悪いものではなかった。
「―――――――凛?!」
刹那、予感が走る。
否、それは予感ではなく確信である。
すなわち凛が危機に陥っている。
即座にベンチから立ち上がる。
「すまない、イリヤスフィール。どうやら急な用事が出来たようだ」
「あら、あなたは勝手に休んでいたんでしょう?なら私に断る必要な無いはずよ」
「――――――む」
振り向けばそこには悪戯の成功した子供のようにふふん、と勝ち誇ったイリヤスフィールの顔。
「ああ、そうだったな。ならば私はいく、さらばだイリヤスフィール。次に会う時は敵同士だな」
そう、こんな事は今回限り。
次に会えば間違いなく、互いに殺しあうもの同士だろう。
「そうね―――――でも」
ああ、だというのに。
「意外とわるくなかったわ。うん、今日は割りと楽しかったかな」
何故彼女は笑ってそんな事を言うのだろう。
背を向ける。
まったく、なんて不覚。
もう笑みが隠せない。
その笑顔、その言葉が、
こんなにも嬉しいと感じてしまった心がある。
―――――それでも、それは決して許されないもの
「ああ、そうだな。俺も楽しかったよイリヤ」
大地を蹴る。
そのまま振り返る事はせずに凛を感じる方角へと一直線に向かう。
すでに投影で作られた仮初の服は消え、身に馴染んだ赤い外套を纏っている。
今の自分はアーチャ―のサーヴァント。
ならば、これ以上の感傷は許されない。
彼女に関わるべきなのは衛宮士郎であり、私ではない。
それなのに彼女との別れをいまだ名残惜しく思う、未練がましい自分に苦笑する。
なぜなら確かに、彼女の言うとおりだったのだから。
「悪くはなかった」
そう、悪くはなかった。
例え今日の出来事が、彼女の言葉を借りるなら心の贅肉だったとしても、この一日は悪くなかったと断言できる。
「こんな感情、とっくに捨てたものだと思っていたが」
これも衛宮士郎のせいだろうか、それとも遠坂凛のおかげだろうか。
いずれにせよ、ここには懐かしいものが多すぎる。
さらに強く地を蹴る。
気がつけば凛から感じる危険はすでに薄れつつある。
おそらくはセイバーのおかげだろう。
これで一安心といったところだが…ああ、困ったな。
こうなると1人遅れてきた自分に対して彼女が文句を言うのは確実だろう。
目を閉じれば、彼女が自分に文句を言ってくる姿があまりにも容易に想像できて苦笑を漏らす。
―――――さて、それでは彼女の元につくまでのわずかな時間
あの強気な我がマスターを納得させられる言い訳を考えておかねばな――――